耽溺
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著者名:岩野泡鳴 

     七

「お座敷は先生だッたの、ねえ、――あんなことを言って、どうも失礼」と、吉弥は三味線をもってはいって来た。
「………」僕はさッきから独りで、どういう風に油をしぼってやろうかと、しきりに考えていたのだが、やさしい声をして、やさしい様子で来られては、今まで胸にこみ合っていたさまざまの忿怒(ふんぬ)のかたちは、太陽の光に当った霧と消えてしまった。
「お酌」と出した徳利から、心では受けまいと定(き)めていた酒を受けた。しかし、まだ何となく胸のもつれが取れないので、ろくに話をしなかった。
「おこってるの?」
「………」
「ええ、おこッているの?」
「………」
「あたい知らないわ!」
 吉弥はかっと顔を赤くして、立ちあがった。そのまま下へ行って、僕のおこっていることを言い、湯屋で見たことを妬(や)いているのだということがもしも下のものらに分ったら、僕一生の男を下げるのだと心配したから、
「おい、おい!」と命令するような強い声を出した。それでも、かの女は行ってしまったが、まさかそのまま来ないことはあるまいと思ったから、独りで酌をしながら待っていた。はたして銚子を持ってすぐ再びやって来た。向うがつんとしているので、今度は僕から物を言いたくなった。
「どうだい、僕もまた一つ蕎麦(そば)をふるまってもらおうじゃアないか?」
「あら、もう、知ってるの?」
「へん、そんなことを知らないような馬鹿じゃアねい。役者になりたいからよろしく頼むなんどと白(しら)ばッくれて、一方じゃア、どん百姓か、肥取(こえと)りかも知れねいへッぽこ旦(だん)つくと乳くり合っていやアがる」
「そりゃア、あんまり可哀そうだ、わ。あの人がいなけりゃア、東京へ帰れないじゃアないか、ね」
「どうして、さ?」
「じゃア、誰れが受け出してくれるの? あなた?」
「おれのはお前が女優になってからの問題だ。受け出すのは、心配なくおッ母さんが来て始末をつけると言ったじゃアないか?」
「だから、おッ母さんが来ると言ってるのでしょう――」
 それで分ったが、おッ母さんの来るというのは、女優問題でわざわざ来るのではなく、青木という男に受け出されるそのかけ合いのためであったのだ。
「あんな者に受け出されて、やッぱし、こんなしみッたれた田舎(いなか)にくすぶってしまうのだろうよ」
「おおきにお世話だ、あなたよりもさきに東京へ帰りますよ」
「帰って、どうするんだ?」
「お嫁に行きますとも」
「誰れが貴さまのような者を貰ってくれよう?」
「憚(はばか)りながら、これでも衣物(きもの)をこさえて待っていてくれるものがありますよ」
「それじゃア、青木が可哀そうだ」
「可哀そうも何もあったもんか? あいつもこれまでに大分金をつぎ込んだ男だから、なかなか思い切れるはずはない、さ」
「どんなに馬鹿だッて、そんなのろまな男はなかろうよ」
「どうせ、おかみさんがやかましくッて、あたいをここには置いとけないのだから、たまに向うから東京へ出て来るだけのことだろう、さ」
 男はそんなものと高をくくられているのかと思えば、僕はまた厭気がさして来た。
「お嫁に行って、妾になって、まだその上に女優を欲張ろうとは、お前も随分ふてい奴、さ」
「そうとも、さ、こんなにふとったからだだもの、かせげるだけかせぐん、さ、ね」
「じゃア、もう、僕は手を引こう」と、僕は坐り直した。「青木が呼びに来るだろうから、下へ行け」
「あの人は今晩来ないことになったの――そんなに言わないで、さ、あなた」と、吉弥はあまえるようにもたれかかって、「今言ったことはうそ、みんなうそ。決心してイるんだから、役者にして頂戴よ。おッ母さんだッて、あたいから言えば、承知するに定(き)まってる、わ」
 僕は、女優問題さえ忘れれば、恨みもつらみもなかったのだから、こうやって飲んでいるのは悪くもなかった。
 吉弥はまた早くこの厭な井筒屋を抜けて、自由の身になりたいのであった。何んでも早く青木から身受けの金を出させようと運動しているらしく、先刻もまた青木の言いなり放題になって、その代りに何かの手筈(てはず)を定(き)めて来たものと見えた。おッ母さんから一筆(ひとふで)青木に当てた依頼状さえあれば、あすにも楽な身になれるというので、僕は思いも寄らない偽筆を頼まれた。

     八

 青木というのは、来遊の外国人を当て込んで、箱根や熱海(あたみ)に古道具屋の店を開き、手広く商売が出来ていたものだが、全然無筆な男だから、人の借金証書にめくら判を押したため、ほとんど破産の状態に落ち入ったが、このごろでは多少回復がついて来たらしかった。今の細君というのは、やッぱり、井筒屋の芸者であったのを引かしたのだ。二十歳(はたち)の娘をかしらにすでに三人の子持ちだ。はじめて家を持った時、などは、井筒屋のお貞(その時は、まだお貞の亭主(ていしゅ)が生きていて、それが井筒屋の主人であった)の思いやりで、台どころ道具などを初め、所帯を持つに必要な物はほとんどすべて揃(そろ)えてもらい、飯の炊(た)き方まで手を取らないまでにして世話してもらったのであるが、月日の経(た)つに従い、この新夫婦はその恩義を忘れたかのように疎(うと)くなった。お貞は、今に至るまでも、このことを言い出しては、軽蔑(けいべつ)と悪口との種にしているが、この一、二年来不景気の店へ近ごろ最もしげしげ来るお客は青木であったから、陰で悪く言うものの、面と向っては、進まないながらも、十分のお世辞をふり撤(ま)いていた。
 青木は井筒屋の米櫃(こめびつ)でもあったし、また吉弥の旦那をもって得々としていたのである。しかしその実、苦しい工面をしていたということは、僕が当地へ初めて着した時尋ねて行った寺の住職から聴くことが出来た。
 住職のことはこの話にそう編み込む必要がないが、とにかく、かれは僕の室へよく遊びに来た、僕もよく遊びに行った。酔って来ると、随分面白い坊主で、いろんなことをしゃべり出す。それとなく、吉弥の評判を聴くと、色が黒いので、土地の人はかの女を「おからす芸者」ということを僕に言って聴かせたことがある。これを聴かされた日、僕は、帰って来てから吉弥にもっと顔をみがくように忠告した。かの女の黒いのはむしろ無精(ぶしょう)だからであると僕には思われた。
「磨(みが)いて見せるほどあたいが打ち込む男は、この国府津にゃアいないよ」とは、かの女がその時の返事であった。
 住職の知り合いで、ある小銀行の役員をつとめている田島というものも、また、吉弥に熱くなっていることは、住職から聴いて知っていたが、この方に対しては別に心配するほどのこともないと見たから、僕も眼中に置かなかった。吉弥を通じて僕に会いたいということづてもあったが、僕は面倒だと思ってはねつけておいた。かつどうも当地にとどまる女ではないし、また帰ったら女優になると言っているから、女房にしようなどいう野心を起して、つまらない金は使わない方がよかろうと、かれに忠告してやれと僕は住職に勧めたことがある。一方にはそんなしおらしいことを言って、また一方では偽筆を書く、僕のその時の矛盾は――あとから見れば――はなはだしいもので、もう、ほとんど全く目が暗んでいたのだろう。
 吉弥は、自分に取っては、最も多くの世話を受けている青木をも、あたまから見くびっていたのだから、平気で僕の筆を利用しようとした。それをもって綺麗に井筒屋を出る手つづきをさせようとしたのは翌朝のことであるが、そう早くは成功しなかった。
 僕が昼飯を喰っている時、吉弥は僕のところへやって来て、飯の給仕をしてくれながら太い指にきらめいている宝石入りの指輪を嬉(うれ)しそうにいじくっていた。
「どうしたんだ?」僕はいぶかった。
「人質に取ってやったの」
「おッ母さんの手紙がばれたんだろう――?」
「いいえ、ゆうべこれ(と、鼻をゆびさしながら)に負けたんで、現金がないと、さ」
「馬鹿野郎! だまされていやアがる」僕は僕のことでも頼んで出来なかったものを責めるような気になっていた。
「本統よ、そんなにうそがつける男じゃアないの」
「のろけていやがれ、おめえはよッぽどうすのろ芸者だ。――どれ、見せろ」
「よッぽどするでしょう?」抜いて出すのを受け取って見たが、鍍金(めっき)らしいので、
「馬鹿!」僕はまた叱(しか)りつけたようにそれをほうり出した。
「しどい、わ」吉弥は真ッかになって、恨めしそうにそれを拾った。
「そんな物で身受けが出来る代物(しろもの)なら、お前はそこらあたりの達磨(だるま)も同前だア」
「どうせ達磨でも、憚(はばか)りながら、あなたのお世話にゃアなりませんよ――じゃア、これはどう?」帯の間から小判を一つ出した。「これなら、指輪に打たしても立派でしょう?」
「どれ」と、ひッたくりかけたら、
「いやよ」と、引ッ込めて、「あなたに見せたッて、けちをつけるだけ損だ」
「じゃア、勝手にしゃがアれ」
 僕は飯をすまし、茶をつがせて、箸(はし)をしまった。吉弥はのびをしながら、
「ああ、ああ、もう、死んじまいたくなった。いつおッ母さんがお金を持って来てくれるのか、もう一度手紙を出そうかしら?」
「いい旦那がついているのに、持って来るはずはない、さ」
「でも、何とやらで、いつはずれるか知れたものじゃアない」
「それがいけなけりゃア、また例のお若い人に就(つ)くがいいや、ね」
「それがいけなけりゃア――あなた?」
「馬鹿ア言え。そんな腑(ふ)ぬけな田村先生じゃアねえ。――おれは受け合っておくが、お前のように気の多い奴は、結局ここを去ることが出来ずにすむんだ」
「いやなこッた!」立ち上って、両手に膳(ぜん)と土瓶とを持ち、
「あとでいらっしゃい」と言って二階の段を降りて行った。下では、「きイちゃん、御飯」と、呼びに来たお君の声がきこえた。

     九

 その日の午後、井筒屋へ電報が来た。吉弥の母からの電報で、今新橋を立ったという知らせだ。僕が何気なく行って見ると、吉弥が子供のように嬉しがっている様子が、その挙動に見えた。僕が囲炉裡(いろり)のそばに坐っているにもかかわらず、ほとんどこれを意にかけないかのありさまで、ただそわそわと立ったりいたり、――少しも落ちついていなかった。
 そこへ通知してあったのだろう、青木がやって来た。炉のそばへ来て、僕と家のものらにちょっと挨拶をしたが、これも落ちつきのない様子であった。
「まだお宅へはお話ししてないけれど、きょう私がいよいよ吉弥を身受け致します。おッ母さんがやって来るのも、その相談だから、そのつもりで、吉弥に対する一切の勘定書きを拵(こさ)えてもらいましょう」
 こう言って、青木が僕の方を見た時には、僕の目に一種の勝利、征服、意趣返し、または誇りとも言うべき様子が映ったので、ひょッとすると、僕と吉弥の関係を勘づいていて特に金ずくで僕に対してこれ見よがしのふりをするのではないかと思われた。
 さらに気をまわせば、吉弥は僕のことについていい加減のうそを並べ、うすのろだとか二本棒だとか、焼(や)き餅(もち)やきだとかいう嬉しがらせを言って、青木の機嫌を取っているのではないかとも思われた。どうせ吉弥が僕との関係を正直にうち明かすはずはないが、実は全く青木の物になっていて、かげでは、二人して僕のことを迂濶(うかつ)な奴、頓馬(とんま)な奴、助平な奴などあざ笑っているのかも知れないと、僕は非常に不愉快を感じた。
 しかし、不愉快な顔を見せるのは、焼き餅と見えるから、僕の出来ないことだし、出来ないと言っても、全くこれを心から取り除くことはなし得なかった。これを耐え忍ぶのは、僕がこれまで見せて来た快濶の態度に対しても、実に苦痛であった。しかし、その当面の苦痛はすぐ取れた。と言うのは、青木がすぐ立ちあがって、二階の方へ行ったからであるが、立ちあがった時、かたわらの吉弥に目くばせをしたので、吉弥は僕を見て顔を赤らめたまま青木の跡について行った。
 僕は知らない風をしてお貞と相対していた。
「まア、吉弥さんも結構です、身受けをされたら」と、僕が煙草の煙を吹くと、
「そうだろうとは思っておったけれど」と、お貞は長煙管(ながぎせる)を強くはたきながら、「あいつもよッぽど馬鹿です。なけなしの金を工面して、吉弥を受け出したところで、国府津に落ちついておる女じゃなし、よしまた置いとこうとしたところで、あいつのかみさんが承知致しません。そんな金があるなら、まずうちの借金を返すがええ。――先生、そうではござりませんか?」
「そりゃア、叔母さんの言うのももっともです、しかし、まア、男が惚(ほ)れ込んだ以上は、そうしてやりたくなるんでしょうから――」
「吉弥も馬鹿です。男にはのろいし、金使いにはしまりがない。あちらに十銭、こちらに一円、うちで渡す物はどうするのか、方々からいつもその尻がうちへまわって来ます」
「帰るものは帰るがええ、さ」そばから、お君がくやしそうに口を出した。
「馬鹿な子ほど可愛いものだと言うけれど、ほんとうにまたあのお袋が可愛がっておるのでござります」お貞は僕にさも憎々しそうに言った。「あんな者でも、おってくれれば事がすんで行くけれど、おらなくなれば、またその代りを一苦労せにゃならん。――おい、お君、馬鹿どもにお銚子(ちょうし)をつけてやんな」
 お君は、あざ笑いながら、台どころに働いている母にお燗(かん)の用意を命じた。
 僕は何だか吉弥もいやになった、井筒屋もいやになった、また自分自身をもいやになった。
 僕が帰りかけると、井筒屋の表口に車が二台ついた。それから降りたのは四十七、八の肥えた女――吉弥の母らしい――に、その亭主らしい男。母ばかりではない、おやじもやって来たのだ。僕はこらえていた不愉快の上に、また何だか、おそろしいような気が加わって、そこそこに帰って来た。

     一〇

 吉弥は、よもや、僕がたびたび勧め、かの女も十分決心したと言ったことを忘れはしまい。よしんば、親が承知しないで、その決心――それも実は当てにならない――をひる返すことがあるにしろ、一度はそれを親どもに話さないことはあるまい。話しさえすれば、親の方から僕に何とか相談があるに違いない。僕の方に乗り気になれば、すぐにも来そうなものだ。いや、もし吉弥がまだ僕のことを知らしてないとすれば、青木の来ているところで話し出すわけには行くまい。あいつも随分頓馬な奴だから、青木のいないところで、ちょっと両親に含ませるだけの気は利くまい。全体この話はどうなるだろうと、いろいろな考えやら、空想やらが僕のあたまに押し寄せて来て、ただわくわくするばかりで、心が落ちつかなかった。
 窓の机に向って、ゆうがた、独り物案じに沈み、見るともなしにそとをながめていると、しばらく忘れていたいちじくの樹(き)が、大きなみずみずした青葉と結んでいる果(み)とをもって、僕の労(つか)れた目を醒(さ)まし、労れた心を導いて、家のことを思い出させた。東京へ帰れば、自分の庭にもそれより大きないちじくの樹があって、子供はいつもこッそりそのもとに行って、果の青いうちから、竹竿(たけざお)をもってそれをたたき落すのだが、妻がその音を聴きつけては、急いで出て来て、子供をしかり飛ばす。そんな時には「お父さん」の名が引き合いに出されるが、僕自身の不平があったり、苦痛があったり、寂しみを感じていたりする時などには子供のある妻はほとんど何の慰めにもならない。一体、わが国の婦人は、外国婦人などと違い、子供を持つと、その精魂をその方にばかり傾けて、亭主というものに対しては、ただ義理的に操(みさお)ばかりを守っていたらいいという考えのものが多い。それでは、社会に活動しようとする男子の心を十分に占領するだけの手段または奮発(僕はこれを真に生きた愛情という)がないではないか? 僕は僕の妻を半身不随の動物としか思えないのだ。いッそ、吉弥を妾にして、女優問題などは断念してしまおうかと思って見た。
 そうだ、そうだ。今の僕には女優問題などは二の町のことで、もう、とっくに、僕というものは吉弥の胸に融(と)けてしまっているのではないか? 決心を見せろとか、何とか、口では吉弥に強く出ているが、その実、僕の心はかの女の思うままになっているのではないか? いッそ、かの女の思うままになっているくらいなら、むずかしいしかもあやふやな問題を提出して、吉弥に敬して遠ざけられたり、その親どもにかげで嫌われたりするよりか、全く一心をあげて、かの女の真情を動かした方がよかろうとも思った。
 僕の胸はいちじくの果よりもやわらかく、僕の心はいちじくの葉よりももろくなっていたのだ。
 ふと浪の音が聴えて来た。泳ぎに行って知っているが、長くたわんだ、綺麗な海岸線を洗う波の音だ。さッと言っては押し寄せ、すッと静かに引きさがる浪の音が遠く聴えた。それに耳を傾けると、そのさッと言ってしばらく聴えなくなる間に、僕は何だかたましいを奪われて行くような気がした。それがそのまま吉弥の胸ではないかと思った。
 こんなくだらない物思いに沈んでいるよりも、しばらく怠っていた海水浴でもして、すべての考えを一新してしまおうかと思いつき、まず、あぐんでいる身体(からだ)を自分で引き立て、さんざんに肘(ひじ)を張って見たり、胸をさすって見たり、腕をなぐって見たりしたが、やッぱり気が進まないので、ぐんにゃりしたまま、机の上につッぷしてしまった。
「おやッ!」かしらをあげると、井筒屋は大景気で、三味の音(ね)がすると同時に、吉弥のうわ気な歌声がはッきりと聴えて来た。僕は青木の顔と先刻車から出た時の親夫婦の姿とを思い浮べた。

     一一

 その夜はまんじりとも眠れなかった。三味の音が浪の音に聴えたり、浪の音が三味の音に聴えたり、まるで夢うつつのうちに神経が冴(さ)えて来て、胸苦しくもあったし、また何物かがあたまの心(しん)をこづいているような工合であった。明け方になって、いつのまにか労れて眠ってしまったのだろう、目が醒(さ)めたら、もう、昼ぢかくであった。
 枕もとに手紙が来ていたので、寝床の中から取って見ると、妻からのである。言ってやった金が来たかと、急いで開いて見たが、為替(かわせ)も何もはいっていないので、文句は読む気にもならなかった。それをうッちゃるように投げ出して、床を出た。
 楊枝をくわえて、下に行くと、家のおかみさんが流しもとで何か洗っていた手をやすめて、
「先生、お早うござります」と、笑った。
「つい寝坊をして」と、僕は平気で井戸へ行ったが、その朝に限って井筒屋の垣根をはいることがこわいような、おッくうなような――実に、面白くなかった。顔を洗うのもそこそこにして、部屋(へや)にもどり、朝昼兼帯(けんたい)の飯を喰いながら、妻から来た手紙を読んで見た。僕の宿(とま)っているのは芸者屋の隣りだとは通知してある上に、取り残して来た原稿料の一部を僕がたびたび取り寄せるので、何か無駄づかいをしていると感づいたらしい――もっとも、僕がそんなことをしたのはこのたびばかりではないから、旅行ごとに妻はその心配を予想しているのだ――いい加減にして切りあげ、帰って来てくれろと言うのであった。
 僕も、馬鹿にされているのかと思うと、帰りたくならないではなかったが、しかしまた吉弥のことをつき止めなければ帰りたくない気もした。様子ではどうせ見込みのない女だと思っていても、どこか心の一隅(ひとすみ)から吉弥を可愛がってやれという命令がくだるようだ。どうともなるようになれ、自分は、どんな難局に当っても、消えることはなく、かえってそれだけの経験を積むのだと、初めから焼け気味のある僕だから、意地にもわざと景気のいい手紙を書き、隣りの芸者にはいろいろ世話になるが、情熱のある女で――とは、そのじつ、うそッ鉢(ぱち)だが――お前に対するよりもずッと深入りが出来ると、妻には言ってやった。
 その手紙を出しに行った跡へ、吉弥はお袋をつれて僕の室へあがっていた。
「先生、母ですよ」
「そう――おッ母さんですか」と、僕は挨拶をした。
「お留守のところへあがり込んで、どうも済みませんが、娘がいろいろお世話になって」と、丁寧にさげたあたまを再びあげるところを見ると、心持ちかは知らないが、何だか毒々しいつらつきである。からだは、その娘とは違って、丈が低く、横にでぶでぶ太って、豚の体に人の首がついているようだ。それに、口は物を言うたんびに横へまがる。癇(かん)のためにそう引きつるのだとは、跡でお袋みずからの説明であった。
 これで国府津へは三度目だが、なかなかいいところだとか、僕が避暑がてら勉強するには持って来いの場所だとか、遊んでいながら出来る仕事は結構で羨(うらや)ましいとか、お袋の話はなかなかまわりくどくって僕の待ち設けている要領にちょっとはいりかねた。
 吉弥は、ただにこにこしながら、僕の顔とお袋の顔とを順番に見くらべていたが、退屈そうにからだを机の上にもたせかけ、片手で机の上をいじくり出した。そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、ちょっと顔色を変え、
「いやアだ」と、ほうり出し、「奥さんから来たのだ」
「これ、何をします!」お袋は体よくつくろって、「先生、この子は、ほんとうに、人さまに失礼ということを知らないで困るんですよ」
「なアに」僕は受けたが、その跡はどうあしらっていいのだか、ちょっとまごついた。止むを得ず、「実は」と、僕の方から口を切って、もし両親に異議がないなら、してまた本人がその気になれるなら、吉弥を女優にしたらどうだということを勧め、役者なるものは――とても、言ったからとて、分るまいとは思ったが、――世間の考えているような、またこれまでの役者みずからが考えているような、下品な職業ではないことを簡単に説明してやった。かつ、僕がやがて新らしい脚本を書き出し、それを舞台にのぼす時が来たら、俳優の――ことに女優の――二、三名は少くとも抱(かか)えておく必要があるので、その手はじめになるのだということをつけ加えた。
「そりゃア御もっともです」と、お袋は相槌(あいづち)を打って、「そのことはこの子からも聴きましたが、先生が何でもお世話してくださることで、またこの子の名をあげることであるなら、私どもには不承知なわけはございません」
「お父さんの考えはどうでしょう?」
「私どものは、なアに、もう、どうでもいいので、始終私が家のことをやきもき致していまして、心配こそ掛けることはございましても、一つとして頼みにならないのでございますよ。私は、もう、独りで、うちのことやら、子供のことやらをあくせくしているのでございます」
「そりゃア、大抵なことじゃアないでしょう。――吉弥さんも少しおッ母さんを安心させなきゃア――」
「この子がまた、先生、一番意気地なしで困るんですよ」お袋は念入りに肩を動かして、さも性根(しょうね)なしとののしるかの様子で女の方を見た。「何でも私に寄りかかっていさえすればいいと思って、だだッ子のように来てくれい、来てくれいと言ってよこすんです」
「だッて、来てくれなきゃア仕方がないじゃアないか?」吉弥はふくれッ面をした。「おッ母さんが来たら、方(かた)をつけるというから、早く来いと言ってやったんじゃアないか?」
「おッ母さんだッて、いろんな用があるよ。お前の妹だッて、また公園で出なけりゃアならなくなったし、そうそうお前のことばかりにかまけてはいられないよ。半玉の時じゃアあるまいし、高が五十円か百円の身受け相談ぐらい、相対(あいたい)ずくでも方がつくだろうじゃアないか? お前よりも妹の方がよほど気が利(き)いてるよ」
「じゃア、勝手にしゃアがれ」
「あれですもの、先生、ほんとに困ります。これから先生に十分仕込んでいただかなければ、まるでお役に立ちませんよ」
「なァに、役者になるには年が行き過ぎているくらいなのですから、いよいよ決心してやるなら、自分でも考えが出るでしょう」
「きイちゃん、しッかりしないといけませんよ」と、お袋はそれでも娘には折れている。
「あたいだッて、たましいはあらア、ね」吉弥は僕の膝(ひざ)に来て、その上に手枕(てまくら)をして、「あたいの一番好きな人」と、僕の顔を仰向けに見あげた。
 僕はきまりが悪い気がしたが、お袋にうぶな奴と見抜かれるのも不本意であったから、そ知らぬふりに見せかけ、
「お父さんにもお目にかかっておきたいから、夕飯を向うのうなぎ屋へ御案内致しましょうか? おッ母さんも一緒に来て下さい」
「それは何よりの好物です。――ところで、先生、私はこれでもなかなか苦労が絶えないんでございますよ。娘からお聴きでもございましょうが、芸者の桂庵(けいあん)という仕事は、並み大抵の人には出来ません。二百円、三百円、五百円の代物(しろもの)が二割、三割になるんですから、実入(みい)りは悪くもないんですが、あッちこッちへ駆けまわって買い込んだ物を注文主へつれて行くと、あれは善くないから取りかえてくれろの、これは悪くもないがもッと安くしてくれろのと、間に立つものは毎日気の休まる時がございません。それが田舎(いなか)行きとなると、幾度も往復しなけりゃアならないことがございます。今度だッてもこの子の代りを約束しに来たんですよ、それでなければ、どうして、このせちがらい世の中で、ぼんやり出て来られますものですか?」
「代りなど拵(こさ)えてやらないがいいや、あんな面白くもない家に」と、吉弥は起きあがった。
「それが、ねえ、先生、商売ですもの」
「そりゃア、御もっともで」
「で、御承知でしょうが、青木という人の話もあって、きょう、もう、じきに来て、いよいよの決着が分るんでございますが、それが定(き)まらないと、第一、この子のからだが抜けませんから、ねえ」
「そうですとも、私の方の問題は役者になればいいので、吉弥さんがその青木という人と以後も関係があろうと、なかろうと、それは問うところはないのです」と、僕の言葉は、まだ金の問題には接近していなかっただけに、うわべだけは、とにかく、綺麗なものであった。
「しかし、この子が役者になる時は、先生から入費は一切出して下さるようになるんでしょう、ね」と、お袋はぬかりなく念を押した。
「そりゃア、そうですとも」僕は勢いよく答えたが、実際、その時になっての用意があるわけでもないから、少し引け気味があったので、思わず知らず、「その時ア私がどうともして拵(こさ)えますから、御安心なさい」と附け加えた。
 僕はなるようになれという気であったのだ。
 お袋は、それから、なお世間話を初める、その間々にも、僕をおだてる言葉を絶たないと同時に、自分の自慢話しがあり、金はたまらないが身に絹物をはなさないとか、作者の誰れ彼れ(その芝居ものと僕が同一に見られるのをすこぶる遺憾に思ったが)はちょくちょく遊びに来るとか、商売がらでもあるが国府津を初め、日光、静岡、前橋などへも旅行したことがあるとかしゃべった。そのうち解けたような、また一物(いちもつ)あるような腹がまえと、しゃべるたびごとに歪(ゆが)む口つきとが、僕にはどうも気になって、吉弥はあんな母親の拵(こさ)えた子かと、またまた厭気がさした。

     一二

 もう、ゆう飯時だからと思って、僕は家を出(い)で、井筒屋のかど口からちょっと吉弥の両親に声をかけておいて、一足さきへうなぎ屋へ行った。うなぎ屋は筋向うで、時々行ったこともあるし、またそこのかみさんがお世辞者だから、僕は遠慮しなかった。
「おかみさん」と、はいって行って、「きょうはお客が二人あるから、ね」
「あの、先刻、吉弥さんからそれは承っております」と、おかみさんは襷(たすき)の一方をはずした。
「もう、通知してあるのか? 気の早い奴だ、なア」と、僕は二階へあがりかけた。
 おかみさんは、どうしたのか、あわてて僕を呼び止め、いつもと違った下座敷へ案内して、
「しばらくお待ちなさって――二階がすぐ明きますから」
「お客さんか、ね」と、僕は何気なくそこへ落ちついた。
 かみさんが出て行った跡で、ふと気がつくと、二階に吉弥の声がしている。芸者が料理屋へ呼ばれているのは別に不思議はないのだが、実は吉弥の自白によると、ここのかみさんがひそかに取り持って、吉弥とかの小銀行の田島とを近ごろ接近させていたのだ。田島はこれがためにこの家に大分借金が出来たし、また他の方面でも負財のために頸(くび)がまわらなくなっている。僕が吉弥をなじると、
「お金こそ使わしてはやるが」と、かの女は答えた。「田島さんとほかの関係はない。考えて見ても分るだろうじゃアないか、奥さんになってくれいッて、もしなって国府津にいたら、あッちからもこッちからもあたいを闇打(やみう)ちにする人が出て来るかも知れやアしない、わ」
「お前はそう方々に罪をつくっているのか」と、僕はつッ込んだことがある。が、とにかく、この地にとどまっている女でないことだけは分っていたから、僕の疑いは多少安心な方で、すでにかの住職にも田島に対する僕の間接な忠告を伝えたくらいであった。しかし、その後も、毎日または隔日には必らず会っている様子だ。こうなれば、男の方ではだんだん焼けッ腹になって来る上、吉弥の勘定通り、ますます思いきれなくなるのは事実だ。それに、ある日、吉弥が僕の二階の窓から外をながめていた時、
「ちょいと、ちょいと」と、手招ぎをしたので、僕は首を出して、
「なんだ」と、大きな声を出した。
「静かにおしよ」と、かの女は僕を制して、「あれが田島よ」と、小声。
 なるほど、ちょっと小意気だが、にやけたような男の通って行くよこ顔が見えた。男ッぷりがいいとはかねて聴かされていたが、色の白い、肌(はだ)のすべすべしていそうな男であった。その時、僕は、毛穴の立っているおからす芸者を男にしてしまっても、田島を女にして見たいと思ったくらいだから、僕以前はもちろん、今とても、吉弥が実際かれと無関係でいるとは信じられなくなった。どうせ、貞操などをかれこれ言うべきものでないのはもちろんのことだが、青木と田島とが出来ているのに僕を受け、また僕と青木とがあるのに田島を棄てないなどと考えて来ると、ひいき目があるだけに、僕は旅芸者の腑甲斐(ふがい)なさをつくづく思いやったのである。
 その田島がてッきり来ているに相違ないと思ったから、僕はこッそり二階のはしご段をあがって行った。八畳の座敷が二つある、そのとッつきの方へはいり、立てかけてあった障子のかげに隠れて耳をそば立てた。
「おッ母さんは、ほんとに、どうする気だよ?」
「どうするか分りゃアしない」
「田村先生とは実際関係がないか?」
「また、しつッこい!――あったら、どうするよ?」
「それじゃア、青木が可哀そうじゃアないか?」
「可哀そうでも、可哀そうでなくッても、さ、あなたのお腹はいためませんよ」
「ほんとに役者になるのか?」
「なるとも、さ」
「なったッて、お前、じきに役に立たないッて、棄てられるに定まってるよ。その時アまたお前の厭な芸者にでもなるよりほかアなかろうぜ」
「そりゃア、あたいも考えてまさア、ね」
「そのくらいなら、初めから思いきって、おれの言う通りになってくれよ」
 田島の声は、見ず転芸者を馬鹿にしているような句調ながら、まんざら全く浮薄の調子ではなかった。また、出来ることなら吉弥を引きとめて、自分の物にしたいという相談を持ちかけていたらしい。ことに最後の文句などには、深い呼吸が伴っているように聴えた。その「可哀そうじゃアないか」は、青木を出しに田島自身のことを言っていたのだろうが、吉弥は何の思いやりもなく、大変強く当っていた。かの女の浅はかな性質としては、もう、国府津に足を洗うのは――はたしてきょう、あすのことだか、どうだか分りもしないのに――大丈夫と思い込み、跡は野となれ、山となれ的に楽観していて、田島に対しもし未練がありとすれば、ただ行きがけの駄賃として二十円なり、三十円なりの餞別(せんべつ)を貰ってやろうぐらいだろう。と、僕には読めた。
「あたい、ほんとうはお嫁に行くのよ、役者になれるか、どうだか知れやアしないから」などと、かの女は言わないでもいいことをしゃべった。
「どういう人にだ?」
「区役所のお役人よ――衣物(きもの)など拵えて、待っているの」
 僕は隣室の状景を想像する心持ちよりも、むしろこの一言にむかッとした。これがはたして事実なら――して、「お嫁に行くの」はさきに僕も聴いたことがあるから、――現在、吉弥の両親は、その定まった話をもたらしているのだと思われた。あの腹の黒い母親のことであるから、それくらいのたくらみはしかねないだろう。
「どうせ、二、三十円の月給取りだろうが、そんな者の嬶(かか)アになってどうするんだ?」
「お前さんのような借金持ちよりゃアいい、わ」
「馬鹿ァ言え!」
「子供の時から知ってる人で、前からあたいを貰いたいッて言ってたの――月給は四十円でも、お父(とっ)さんの家がいいんだから――」
「家はいいかも知れないが、月給のことはうそだろうぜ――しかしだ、そうなりゃア、おれたちアみな恨みッこなしだ」
「じゃア、そうと定めましょうよ」吉弥はうるさそうに三味線をじゃんじゃん引き出した。
「よせ、よせ!」と、三味線をひッたくったらしい。
「じゃア、もう、帰って頂戴よ、何度も言う通り、貰いがかかっているんだから」
「帰すなら、帰すようにするがいい」
「どうしたらいいのよ?」
「こうするんだ」
「いたいじゃアないか?」
「静かにせい!」この一言の勢いは、抜き身をもってはいって来た強盗ででもあるかのようであった。
「………」僕はいたたまらないで二階を下りて来た。
 しばらくしてはしご段をとんとんおりたものがあるので、下座敷からちょッと顔を出すと、吉弥が便所にはいるうしろ姿が見えた。
 誰れにでもああだろうと思うと、今さらのようにあの粗(あら)い肌が連想され、僕自身の身の毛もよだつと同時に、自分の心がすでに毛深い畜生になっているので、その鋭い鼻がまた別な畜生の尻を嗅(か)いでいたような気がした。

     一三

 田島が帰ると同時に、入れ代って、吉弥の両親がはいって来た。
「明きましたから、どうぞ二階へ」と、今度はここのかみさんから通知して来たので、僕は室を出て、またはしご段をのぼろうとすると、その両親に出くわした。
「お言葉にあまえて」と、お袋は愛相よく、「先生、そろってまいりましたよ」
「さア、おあがんなさい」と、僕はさきに立って二階の奥へ通った。
 おやじというのは、お袋とは違って、人のよさそうな、その代り甲斐性(かいしょう)のなさそうな、いつもふところ手をして遊んでいればいいというような手合いらしい。男ッぷりがいいので、若い時は、お袋の方が惚(ほ)れ込んで、自分のかせぎ高をみんな男の賭博(とばく)の負けにつぎ足しても、なお他の女に取られまい、取られまいと心配したのだろうと思われる。年が寄っても、その習慣が直らないで、やッぱりお袋にばかり世話を焼かせているおやじらしい。下駄(げた)の台を拵えるのが仕事だと聴いてはいるが、それも大して骨折るのではあるまい。(一つ忘れていたが、お袋の来る時には、必らず僕に似合う下駄を持って来ると言っていたが、そのみやげはないようだ)初対面の挨拶も出来かねたようなありさまで、ただ窮屈そうに坐って、申しわけの膝ッこを並べ、尻は少しも落ちついていない様子だ。
「お父さんの風ッたら、ありゃアしない」お袋がこう言うと、
「おりゃアいつも無礼講(ぶれいこう)で通っているから」と、おやじはにやりと赤い歯ぐきまで出して笑った。
「どうか、おくずしなさい。御遠慮なく」と、僕はまず膝をくずした。
「お父さんは」と、お袋はかえって無遠慮に言った、「まァ、下駄職に生れて来たんだよ、毎日、あぐらをかいて、台に向ってればいいんだ」
「そう馬鹿にしたもんじゃアないや、ね」と、おやじはあたまを撫(な)でた。
「御馳走(ごちそう)をたべたら、早く帰る方がいいよ」と、吉弥も笑っている。
 おかしくないのは僕だけであった。三人に酒を出し、御馳走を供し、その上三人から愚弄(ぐろう)されているのではないかと疑えば、このまま何も言わないで立ち帰ろうかとも思われた。まして、今しがたまでのこの座敷のことを思い浮べれば、何だか胸持(むなも)ちが悪くなって来て、自分の身までが全くきたない毛だ物になっているようだ。香ばしいはずの皿も、僕の鼻へは、かの、特に、吉弥が電球に「やまと」の袋をかぶせた時の薄暗い室の、薄暗い肌のにおいを運んで、われながら箸がつけられなかった。
 僕の考え込んだ心は急に律僧のごとく精進癖にとじ込められて、甘い、楽しい、愉快だなどというあかるい方面から、全く遮断(しゃだん)されたようであった。
 ふと、気がつくと、まだ日が暮れていない。三人は遠慮もなくむしゃむしゃやっている。僕は、また、猪口(ちょく)を口へ運んでいた。
「先生は御酒(ごしゅ)ばかりで」と、お袋は座を取りなして、「ちッともおうなは召しあがらないじゃアございませんか?」
「やがてやりましょう――まア、一杯、どうです、お父さん」と、僕は銚子を向けた。
「もう、先生、よろしゅうございますよ。うちのは二、三杯頂戴すると、あの通りになるんですもの」
「しかし、まだいいでしょう――?」
「いや、もう、この通り」と、おやじは今まで辛抱していた膝ッこを延ばして、ころりと横になり、
「ああ、もう、こういうところで、こうして、お花でも引いていたら申し分はないが――」
「お父さんはじきあれだから困るんです。お花だけでも、先生、私の心配は絶えないんですよ」
「そう言ったッて、ほかにおれの楽しみはないからしようがない、さ」
「あの人もやッぱし来るの?」吉弥がお袋に意味ありげの目を向けた。
「ああ、来るよ」お袋は軽く答えて、僕の方に向き直り、「先生、お父さんはもう帰していいでしょう?」
「そこは御随意になすってもらいましょう。――御窮屈なら、お父さん、おさきへ御飯を持って来させますから」と、僕は手をたたいて飯を呼んだ。
「お父さんは御飯を頂戴したら、すぐお帰りよ」と、お袋はその世話をしてやった。
 僕は女優問題など全く撤回しようかと思ったくらいだし、こんなおやじに話したッて要領を得ないと考えたので、いい加減のところで切りあげておいたのだ。
 飯を独りすませてから、独りで帰って行くのらくらおやじの姿がはしご段から消えると、僕の目に入れ代って映じて来るまぼろしは、吉弥のいわゆる「あの人」であった。ひょッとしたら、これがすなわち区役所の役人で、吉弥の帰京を待っている者――たびたび花を引きに来るので、おやじのお気に入りになっているのかも知れないと推察された。

     一四

 その跡に残ったのはお袋と吉弥と僕との三人であった。
「この方が水入らずでいい、わ」と、お袋は娘の顔を見た。
「青木は来たの?」吉弥はまた母の顔をじッと見つめた。
「ああ、来たよ」
「相談は定まって?」
「うまく行かないの、さ」
「あたい、厭だ、わ!」吉弥は顔いろを変えた。「だから、しッかりやって頂戴と言っておいたじゃアないか?」
「そう無気(むき)になったッてしようがない、わ、ね。おッ母さんだッて、抜かりはないが、向うがまだ険呑(けんのん)がっていりゃア、考えるのも当り前だア、ね」
「何が当り前だア、ね? 初めから引かしてやると言うんで、毎月、毎月妾(めかけ)のようにされても、なりたけお金を使わせまいと、わずかしか小遣いも貰(もら)わなかったんだろうじゃないか? 人を馬鹿にしゃアがったら、承知アしない、わ。あのがらくた店へ怒鳴(どな)り込んでやる!」
「そう、目の色まで変えないで、さ――先生の前じゃアないか、ね。実は、ね、半分だけあす渡すと言うんだよ」
「半分ぐらいしようがないよ、しみッたれな!」
「それがこうなんだよ、お前を引かせる以上は青木さん独りを思っていてもらいたい――」
「そんなおたんちんじゃアないよ」
「まア、お聴きよ」と、お袋は招ぎ猫を見たような手真似をして娘を制しながら、「そう来るのア向うの順じゃアないか? 何でもはいはいッて言ってりゃいいんだア、ね。――『そりゃア御もっとも』と返事をすると、ね、お前のことについて少し疑わしい点があると――」
「先生にゃア関係がないと言ってあるのに」
「いいえ、この方は大丈夫だが、ね、それ――」
「田島だッて、もう、とっくに手を切ッたって言ってあるよ」
「畜生!」僕は腹の中で叫んだ。
「それが、お前、焼き餅だァ、ね」と、お袋は、実際のところを承知しているのか、いないのか分らないが、そらとぼけたような笑い顔。「つとめをしている間は、お座敷へ出るにゃア、こッちからお客の好き嫌いはしていられないが、そこは気を利(き)かして、さ――ねえ、先生、そうじゃアございませんか?」
「そりゃア、そうです」と、僕は進まないながらの返事。
「実は、ね」と、吉弥はしまりなくにこつき出して、「こんなことがあったのよ。このお座敷に青木さんがいて、下に田島が来ていたの。あたい、両方のかけ持ちでしょう、上したの焼き持ち責めで困っちまった、わ。田島がわざと跡から攻めかけて来て、焼け飲みをしたんでしょう、酔ッぱらッちまって聴えよがしに歌ったの、『青木の馬鹿野郎』なんかんて。青木さんは年を取ってるだけにおとなしいんで、さきへ帰ってもらった、わ」
 こう話しながらも、吉弥はたッた今あったことを僕が知っているとは思わないので、十分僕に気を許している様子であった。僕は、吉弥とお袋との鼻をあかすために、すッぱり腹をたち割って、僕の思いきりがいいところを見せてやりたいくらいであったが、しみッたれた男が二人も出来ているところへ、また一人加わったと思われるのが厭さに、何のこともない風で通していた。
「そんなことのないようにするのが」と、お袋は僕に向った、「芸者のつとめじゃアございませんか?」
「大きにそうです、ね」僕はこう答えたが、心では、「芸者どころか、女郎や地獄の腕前もない奴だ」と、卑しんでいた。
「あたいばかり責めたッて、しようがないだろうじゃないか?」吉弥はそのまなじりをつるしあげた。それに、時々、かの女の口が歪(ゆが)む工合は、お袋さながらだと見えた。
「まア、すんだことはいいとして、さ」と、お袋は娘をなだめるように、「これからしばらく大事だから、よく気をおつけなさい。――先生にも頼んでおきたいんです、の。如才はございますまいが、青木さんが、井筒屋の方を済ましてくれるまで、――今月の末には必らずその残りを渡すと言うんですから――この月一杯は大事な時でございます。お互いに、ね、向うへ感づかれないように――」と、僕と吉弥とを心配そうに見まわした様子には、さすが、親としての威厳があった。
「そりゃアもちろんです」と、僕はまた答えた。僕は棄てッ鉢に飲んだ酒が十分まわって来たので、張りつめていた気も急にゆるみ、厭なにおいも身におぼえなくなり、年取った女がいるのは自分の母のごとく思われた。また、吉弥の坐っているのがふらふら動くように見えるので、あたかも遠いところの雲の上に、普賢菩薩(ふげんぼさつ)が住しているようで、その酔いの出たために、頬(ほお)の白粉(おしろい)の下から、ほんのり赤い色がさす様子など、いかにも美しくッて、可愛らしくッて、僕の十四、五年以前のことを思い出さしめた。
 僕は十四、五年以前に、現在の妻を貰ったのだ。僕よりも少し年上だけに、不断はしッかりしたところのある女だが、結婚の席へ出た時の妻を思えば、一、二杯の祝盃(しゅくはい)に顔が赤くなって、その場にいたたまらなくなったほどの可愛らしい花嫁であった。僕は、今、目の前にその昔の妻のおもかげを見ていた。
 そのうちにランプがついたのに気がつかなかった。
「先生はひどく考え込んでいらッしゃるの、ね」と、お袋の言葉に僕は楽しい夢を破られたような気がした。
「大分酔ったんです」と、僕はからだを横に投げた。
「きイちゃん」と、お袋は娘に目くばせをした。
「しッかりなさいよ、先生」吉弥は立って来て、僕に酌をした。かの女は僕を、もう、手のうちにまるめていると思っていたのか、ただ気まま勝手に箸(はし)を取っていて、お酌はお袋にほとんどまかしッきりであったのだ。
「きイちゃん、お弾きよ――先生、少し陽気に行きましょうじゃアございませんか?」
 吉弥のじゃんじゃんが初まった。僕は聴きたくないので、
「まア、お待ち」と、それを制し、「まだお前の踊りを見たことがないんだから、おッ母さんに弾いてもらって、一つ僕に見せてもらおう」
「しばらく踊らないんですもの」と、吉弥は、僕を見て、膝に三味をのせたままでからだを横にひねった。
「………」僕は年の行かない娘が踊りのお稽古(けいこ)の行きや帰りにだだをこねる時のようすを連想しながら、
「おぼえている物をやったらいいじゃないか?」
「だッて」と、またからだを振ると同時に、左の手を天心(てんじん)の方に行かせて、しばらく言葉を切ったが、――「こんな大きななりじゃア踊れない、わ」
「お酌のつもりになって、さ」とは、僕が、かの女のますます無邪気な様子に引き入れられて、思わず出した言葉だ。
「そういう注文は困る、わ」吉弥は訴えるようにお袋をながめた。
「じゃア」と、お袋は娘と僕とを半々に見て、「私に弾けなくッても困るから、やさしい物を一つやってごらん。――『わが物』がいい、傘(かさ)を持ってることにして、さ」三味線を娘から受け取って、調子を締めた。
「まるで子供のようだ、わ」吉弥ははにかんで立ち上り、身構えをした。
 お袋の糸はなかなかしッかりしている。
「わがーアものーオと」の歌につれて、吉弥は踊り出したが、踊りながらも、
「何だかきまりが悪い、わ」と言った。
 そのはにかんでいる様子は、今日まで多くの男をだまして来た女とは露ほども見えないで、清浄無垢(しょうじょうむく)の乙女(おとめ)がその衣物を一枚一枚剥(は)がれて行くような優しさであった。僕が畜生とまで嗅(か)ぎつけた女にそんな優しみがあるのかと、上手下手(じょうずへた)を見分ける余裕もなく、僕はただぼんやり見惚(みと)れているうちに、
「待つウ身にイ、つらーアき、置きイごたーアつ」も通り抜けて、終りになり、踊り手は畳に手を突いて、しとやかにお辞儀をした。こうして踊って来た時代もあったのかと思うと、僕はその頸ッ玉に抱きついてやりたいほどであった。
「もう、御免よ」吉弥は初めて年増(としま)にふさわしい発言(はつごん)をして自分自身の膳にもどり、猪口を拾って、
「おッ母さん一杯お駄賃に頂戴よ」
「さア、僕が注(つ)いでやろう」と、僕は手近の銚子を出した。
「それでも」と、お袋は三味を横へおろして、
「よく覚えているだけ感心だ、わ。――先生、この子がおッ師匠(しょ)さんのところへ通う時ア、困りましたよ。自分の身に附くお稽古なんだに、人の仕事でもして来たようにお駄賃をくれいですもの。今もってその癖は直りません、わ。何だというと、すぐお金を送ってくれい――」
「そうねだりゃアしない、わ」と、吉弥はほほえんだ。
「………」また金の話かと、僕はもうそんなことは聴きたくないから、すぐみんなで飯を喰った。

     一五

 お袋は一足さきへ帰ったので、吉弥と僕とのさし向いだ。こうなると、こらえていた胸が急にみなぎって来た。
「先生にこうおごらして済まない、わ、ねえ」と、可愛い目つきで吉弥が僕をながめたのに答えて、
「馬鹿!」と一声、僕は強く重い欝忿(うっぷん)をあびせかけた。
「そのこわい目!」しばらく吉弥は見つめていたが、「どうしたのよ」と、かおをしがめて僕にすり寄って来た。
「ええッ、穢(けが)れる、わい!」僕はこれを押し除(の)けて、にらみつけ、「知らないと思って、どこまで人を馬鹿にしゃアがるんだい? さッき、おれがここへ来るまでのここのざまッたら何だ?」
 吉弥はちょっとぎゃふんとしたようであったが、いずまいを直して、
「聴いてたの?」と、きまりが悪い様子。
「聴いてたどころか、隣りの座敷で見ていたも同前だい!」
「あたい、何も田島さんを好いてやしない、わ」
「もう、好く好かないの問題じゃアない、病気がうつる問題だよ」
「そんな物アとっくに直ってる、わ」
「分るもんか? 貴様の口のはたも、どこの馬の骨か分りもしない奴の毒を受けた結果だぞ」
 言っておかなかったが、かの女の口のはたの爛(ただ)れが直ったり、出来たりするのは、僕の初めから気にしていたところであった。それに、時々、その活(い)き活(い)きした目がかすむのを井筒屋のお貞が悪口(わるくち)で、黴毒性(ばいどくせい)のそこひが出るのだと聴いていたのが、今さら思い出されて、僕はぞッとした。
「寛恕(かに)して頂戴よ」と、僕の胸に身を投げて来た吉弥をつき払い、僕はつッ立ちあがり、「おッ母さんにそう言ってもらおう、僕も男だから、おッ母さんに約束したことは、お前の方で筋道さえ踏んで来りゃア、必らず実行する。しかしお前の身の腐れはお前の魂から入れ変えなけりゃア、到底、直りッこはないんだ。――これは何も焼き餅から言うんじゃアない、お前のためを思って言うんだ」
 怒りはしたものの、僕は涙がこぼれた。それとなく、ハンケチを出して目を拭(ふ)きながら座敷を出た。出てからちょっとふり返って見たが、かの女は――分ったのか、分らないのか――突き放されたままの位置で、畳に左の手を突き、その方の袂(たもと)の端を右の手で口へ持って行った。目は畳に向いていた。
 その翌日、午前中に、吉弥の両親はいとま乞(ご)いに来た。僕が吉弥をしかりつけた――これを吉弥はお袋に告げたか、どうか――に対する挨拶などは、別になかった。とにかく、僕は一種不愉快な圧迫を免れたような気がして、女優問題をもなるべく僕の心に思い浮べないようにしようときめた。かつ、これからは僕から弱く出てかれこれ言うには及ばない、吉弥に性根があったら、向うから何とか言って来るだろう、それを待っているにしくはないと考えた。
「先生も御如才はないでしょうが――この月中が肝心ですから、ね」と、お袋の別れの言葉はまたこうであった。
「無論ですとも」と答えたが、僕はあとで無論もくそもあったものかという反抗心が起った。そして、それでもなお実は、吉弥がその両親を見送りに行った帰りに、立ち寄るのが本当だろうと、外出もしないで待っていたか、吉弥は来なかった。昼から来るかとの心待ちも無駄であった。その夜もとうとう見えなかった。
 そのまたあくる日も、日が暮れるまで待っていたが、来なかった。もうお座敷に行ったろうからだめだと、――そして、井筒屋ははやらないが、井筒屋の独り芸者は外へ出てはやりッ子なんだから――あきらめて、書見でもしようと、半分以上は読み終ってあるメレジコウスキの小説「先駆者」を手に取った。国府津へ落ちついた当座は、面白半分一気に読みつづけて、そこまでは進んだが、僕の気が浮かれ出してからは、ほとんど全くこれを忘れていたありさまであったのだ。この書の主人公レオナドダヴィンチの独身生活が今さらのごとく懐(なつ)かしくなった。
 仰向けに枕して読みかけたが、ふと気がつくと、月が座敷中にその光を広げている。おもてに面した方の窓は障子をはずしてあったので、これは危険だという考えが浮んだ。こないだから持っていた考えだが、――吉弥の関係者は幾人あるか分らないのだから、僕は旅の者だけに、最も多くの恨みを買いやすいのである。いついかなる者から闇打ちを喰らわされるやも知れない。人通りのない時、よしんば出来心にしろ、石でもほうり込まれ、怪我(けが)でもしたらつまらないと思い、起きあがって、窓の障子を填(は)め、左右を少しあけておいて、再び枕の上に仰向けになった。
 心が散乱していて一点に集まらないので、眼は開いたページの上に注がれて、何を読んでいるのか締りがなかった。それでもじッと読みつづけていると、新らしい事件は出て来ないで、レオナドと吉弥とが僕の心をかわるがわる通過する。一方は溢(あふ)れるばかりの思想と感情とを古典的な行動に包んだ老独身者のおもかげだ。また一方はその性情が全く非古典的である上に、無神経と思われるまでも心の荒(すさ)んだ売女の姿だ。この二つが、まわり燈籠(どうろう)のように僕の心の目にかわるがわる映って来るのである。
 一方は、燃ゆるがごとき新情想を多能多才の器(うつわ)に包み、一生の寂しみをうち籠(こ)めた恋をさえ言い現わし得ないで終ってしまった。その生涯(しょうがい)はいかにも高尚(こうしょう)である、典雅である、純潔である。僕が家庭の面倒や、女の関係や、またそういうことに附随して来るさまざまの苦痛と疲労とを考えれば、いッそのこと、レオナドのように、独身で、高潔に通した方が幸福であったかと、何となく懐かしいような気がする。しかし、また考えると、高潔でよく引き締った半僧生活は、十数年前、すでに、僕は思想と実験との上で通り抜けて来たのだ。そんな初々(ういうい)しいことで、現在の僕が満足出来ないのは分りきっている。僕の神経はレオナドの神経より五倍も十倍も過敏になっているだろう。
 こう思うと、また、古寺の墓場のように荒廃した胸の中のにおいがして来て、そのくさい空気に、吉弥の姿が時を得顔に浮んで来る。そのなよなよした姿のほほえみが血球となって、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がッかり疲労し、手も不断よりは重く、足も常よりは倦怠(けったる)いのをおぼえた。
 僕の過敏な心と身体とは荒んでいるのだ。延びているのだ。固まっていた物が融けて行くように、立ち据(す)わる力がなくなって、下へ下へと重みが加わったのだろう。堕落、荒廃、倦怠(けんたい)、疲労――僕は、デカダンという分野に放浪するのを、むしろ僕の誇りとしようという気が起った。
「先駆者」を手から落したら、レオナドはいなくなったが、吉弥ばかりはまだ僕を去らない。
 かの女は無努力、無神経の、ただ形ばかりのデカダンだ、僕らの考えとは違って、実力がない、中味がない、本体がない。こう思うと、これもまた厭(いや)になって、僕は半ばからだを起した。そうすると、吉弥もまた僕の心眼を往来しなくなった。
 暑くッてたまらないので、むやみにうちわを使っていると、どこからか、
「寛恕(かに)して頂戴よ」という優しい声が聴える。しかしその声の主はまだ来ないのであった。

     一六

 僕が強く当ったので、向うは焼けになり、
「じゃア勝手にしろ」という気になったのではあるまいか? それなら、僕から行かなければ永劫(えいごう)に会えるはずはない。会わないなら、会わない方が僕に取ってもいいのだが、まさか、向うはそうまで思いきりのいい女でもなかろう。あの馬鹿女郎(めろう)め、今ごろはどこに何をしているか、一つ探偵(たんてい)をしてやろうと、うちわを持ったまま、散歩がてら、僕はそとへ出た。
 井筒屋の店さきには、吉弥が見えなかった。
 寝ころんでいたせいもあろう、あたまは重く、目は充血して腫(は)れぼッたい。それに、近ごろは運動もしないで、家にばかり閉(と)じ籠(こも)り、――机に向って考え込んでいたり――それでなければ、酒を飲んでいたり――ばかりするのであるから、足がひょろひょろしている。涼しく吹いて来る風に、僕はからだが浮きそうであった。
 でこぼこした道を踏みしめ、踏みしめ、僕は歩いていたが、街道を通る人かげがすべて僕の敵であるかのように思われた。月光に投げ出した僕の影法師も、僕には何だかおそろしかった。
 なるべく通行者に近よらないようにして、僕はまず例のうなぎ屋の前を通った。三味の音や歌声は聴えるが、吉弥のではない。いないのか知らんと、ほかに当てのある近所の料理屋の前を二、三軒通って見た。そこいらにもいそうもないような気がした。
 青木の本陣とも言うべきは、二、三町さきの里見亭(さとみてい)だ。かれは、吉弥との関係上初めは井筒屋のお得意であったが、借金が嵩(かさ)んで敷居が高くなるに従って、かのうなぎ屋の常客となった。しかしそこのおかみさんが吉弥を田島に取り持ったことが分ってから、また里見亭に転じたのだ。そこでしくじったら、また、もう少しかけ隔った別な店へ移るのだろう。はたから見ると、だんだん退却して行くありさまだ。吉弥の話したことによると、青木は、かれ自身が、
「無学な上に年を取っているから、若いものに馬鹿にされたり、また、自分が一生懸命になっている女にまでも謀叛(むほん)されたりするのだ」と、男泣きに泣いたそうだ。
 ある時などかれは、思いものの心を試(た)めそうとして、吉弥に、その同じ商売子で、ずッと年若なのを――吉弥の合い方に呼んでいたから――取り持って見よと命じた。吉弥は平気で命令通り向うの子を承知させ、青木をかげへ呼んでその旨を報告した。
「姉さんさえ承知ならッて――大丈夫よ」
「………」青木は、しかしそう聴いてかえってこれを残念がり、実は本意でない、お前はそんなことをされても何ともないほどの薄情女かと、立っている吉弥の肩をしッかりいだき締めて、力一杯の誠意を見せようとしたこともあるそうだ。思いやると、この放蕩(ほうとう)おやじでも実があって、可哀そうだ。吉弥こそそんな――馬鹿馬鹿しい手段だが――熱のある情けにも感じ得ない無神経者――不実者――。
 こういうことを考えながら、僕もまたその無神経者――不実者――を追って、里見亭の前へ来た。いつも不景気な家だが、相変らずひッそりしている。いそうにもない。
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