耽溺
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著者名:岩野泡鳴 

     一

 僕は一夏を国府津(こうづ)の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持(じゅうじ)の紹介を得て、素人(しろうと)の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚本を書きたいので、やかましい宿屋などを避けたのである。隣りが料理屋で芸者も一人かかえてあるので、時々客などがあがっている時は、随分そうぞうしかった。しかし僕は三味線(しゃみせん)の浮き浮きした音色(ねいろ)を嫌(きら)いでないから、かえって面白いところだと気に入った。
 僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかった。隣りの料理屋の地面から、丈(せい)の高いいちじくが繁(しげ)り立って、僕の二階の家根(やね)を上までも越している。いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉(ばしょうば)や青桐(あおぎり)の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。
 それに、その葉かげから、隣りの料理屋の綺麗(きれい)な庭が見える。燈籠(とうろう)やら、いくつにも分岐(ぶんき)した敷石の道やら、瓢箪(ひょうたん)なりの――この形は、西洋人なら、何かに似ていると言って、婦人の前には口にさえ出さぬという――池やら、低い松や柳の枝ぶりを造って刈り込んであるのやら例の箱庭式はこせついて厭(いや)なものだが、掃除のよく行き届いていたのは、これも気持ちのいいことの一つだ。その庭の片端の僕の方に寄ってるところは、勝手口のあるので、他の方から低い竹垣(たけがき)をもって仕切られていて、そこにある井戸――それも僕の座敷から見える――は、僕の家の人々もつかわせてもらうことになっている。
 隣りの家族と言っては、主人夫婦に子供が二人、それに主人の姉と芸者とが加わっていた。主人夫婦はごくお人よしで家業大事とばかり、家の掃除と料理とのために、朝から晩まで一生懸命に働いていた。主人の姉――名はお貞(さだ)――というのが、昔からのえら物(ぶつ)で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利(き)く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄(す)てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちないことがあると、意張(いば)りたがるお客が家の者にがなりつくような権幕であった。
 お君というその姪(めい)、すなわち、そこの娘も、年は十六だが、叔母(おば)に似た性質で、――客の前へ出ては内気で、無愛嬌(ぶあいきょう)だが、――とんまな両親のしていることがもどかしくッて、もどかしくッてたまらないという風に、自分が用のない時は、火鉢(ひばち)の前に坐(すわ)って、目を離さず、その長い頤(あご)で両親を使いまわしている。前年など、かかえられていた芸者が、この娘の皮肉の折檻(せっかん)に堪えきれないで、海へ身を投げて死んだ。それから、急に不評判になって、あの婆さんと娘とがいる間は、井筒屋へは行ってやらないと言う人々が多くなったのだそうだ。道理であまり景気のいい料理店ではなかった。
 僕が英語が出来るというので、僕の家の人を介して、井筒屋の主人がその子供に英語を教えてくれろと頼んで来た。それも真面目(まじめ)な依頼ではなく、時々西洋人が来て、応対に困ることがあるので、「おあがんなさい」とか、「何を出しましょう」とか、「お酒をお飲みですか、ビールをお飲みですか」とか、「芸者を呼びましょうか」とか、「大相上機嫌(じょうきげん)です、ね」とか、「またいらっしゃい」とか、そういうことを専門に教えてくれろと言うのであった。僕は好ましくなかったが、仕事のあいまに教えてやるのも面白いと思って、会話の目録を作らして、そのうちを少しずつと、二人がほかで習って来るナショナル読本の一と二とを読まして見ることにした。お君さんとその弟の正(しょう)ちゃんとが毎日午後時間を定めて習いに来た。正ちゃんは十二歳で、病身だけに、少し薄のろの方であった。
 ある日、正ちゃんは、学校のないので、午前十一時ごろにやって来た。僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、
「うちの芸者も先生に教えていただきたいと言います」
と言い出した。
「面倒くさいから、厭だよ」と僕は答えたが、跡から思うと、その時からすでにその芸者は僕をだまそうとしていたのだ。正ちゃんは無邪気なもので、
「どうせ習らっても、馬鹿だから、分るもんか?」
「なぜ?」
「こないだも大ざらいがあって、義太夫(ぎだゆう)を語ったら、熊谷(くまがい)の次郎直実(なおざね)というのを熊谷の太郎と言うて笑われたんだ――あ、あれがうちの芸著です、寝坊の親玉」
 と、そとを指さしたので、僕もその方に向いた。いちじくの葉かげから見えたのは、しごき一つのだらしない寝巻き姿が、楊枝(ようじ)をくわえて、井戸端(いどばた)からこちらを見て笑っている。
「正ちゃん、いいものをあげようか?」
「ああ」と立ちあがって、両手を出した。
「ほうるよ」と、しなやかにだが、勢いよくからだが曲がるかと思うと、黒い物が飛んで来て、正ちゃんの手をはずれて、僕の肩に当った。
「おほ、ほ、ほ! 御免下さい」と、向うは笑いくずれたが、すぐ白いつばを吐いて、顔を洗い出した。飛んで来たのは僕のがま口だ。
「これはわたしのだ。さッき井戸端へ水を飲みに行った時、落したんだろう」
「あの狐(きつね)に取られんで、まア、よかった」
「可哀(かわい)そうに、そんなことを言って――何という名か、ね?」
「吉弥(きちや)と言います」
「帰ったら、礼を言っといておくれ」と、僕は僕の読みかけているメレジコウスキの小説を開らいた。
 正ちゃんは、裏から来たので、裏から帰って行ったが、それと一緒に何か話しをしながら、家にはいって行く吉弥の素顔をちょっとのぞいて見て、あまり色が黒いので、僕はいや気がした。

     二

 僕はその夕がた、あたまの労(つか)れを癒(いや)しに、井筒屋へ行った。それも、角(かど)の立たないようにわざと裏から行った。
「あら、先生!」と、第一にお貞婆さんが見つけて、立って来た。「こんなむさ苦しいところからおいでんでも――」
「なアに、僕は遠慮がないから――」
「まア、おはいりなさって下さい」
「失敬します」と、僕は台どころの板敷きからあがって、大きな囲炉裡(いろり)のそばへ坐った。
 主人は尻(しり)はしょりで庭を掃除しているのが見えた。おかみさんは下女同様な風をして、広い台どころで働いていた。僕の坐ったうしろの方に、広い間が一つあって、そこに大きな姿見が据(す)えてある。お君さんがその前に立って、しきりに姿を気にしていた。畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木(まき)が四、五本もくべてあって、天井から雁木(がんぎ)で釣(つ)るした鉄瓶(てつびん)がぐらぐら煮え立っていた。
「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶(あいさつ)をした。
「どうせ、丁寧に教えてあげる暇はないのだから、お礼を言われるまでのことはないのです」
「この暑いのに、よう精が出ます、な、朝から晩まで勉強をなさって?」
「そうやっていなければ喰えないんですから」
「御常談(ごじょうだん)を――それでも、先生はほかの人と違って、遊びながらお仕事が出来るので結構でございます」
「貧乏ひまなしの譬(たと)えになりましょう」
「どう致しまして、先生――おい、お君、先生にお茶をあげないか?」
 そのうち、正ちゃんがどこからか帰って来て、僕のそばへ坐って、今聴(き)いて来た世間のうわさ話をし出す。お君さんは茶を出して来る。お貞が二人の子供を実子のように可愛がり、また自慢するのが近処の人々から嫌われる一原因だと聴いていたから、僕はそのつもりであしらっていた。
「どうも馬鹿な子供で困ります」と言うのを、
「なアに、ふたりとも利口なたちだから、おぼえがよくッて末頼(すえたの)もしい」と、僕は讃(ほ)めてやった。
「おッ母(か)さん、実は気が欝(うっ)して来たんで、一杯飲ましてもらいたいんです、どッかいい座敷を一つ開けてもらいましょうか?」
「それはありがとうござります」と、お貞はお君に目くばせしながら、
「風通しのええ二階の三番がよかろ。あすこへ御案内おし」
「なアに、どこでもいいですよ」と、僕は立ってお君さんについて行った。煙草盆(たばこぼん)が来た、改めてお茶が出た。
「何をおあがりなさいます」と、お君のおきまり文句らしいのを聴くと、僕が西洋人なら僕の教えた片言を試みるのだろうと思われて、何だか厭な、小癪(こしゃく)な娘だという考えが浮んだ。僕はいい加減に見つくろって出すように命じ、巻煙草をくわえて寝ころんだ。
 まず海苔(のり)が出て、お君がちょっと酌(しゃく)をして立った跡で、ちびりちびり飲んでいると二、三品は揃(そろ)って、そこへお貞が相手に出て来た。
「お独(ひと)りではお寂しかろ、婆々(ばば)アでもお相手致しましょう」
「結構です、まア一杯」と、僕は盃(さかずき)をさした。
 婆さんはいろんな話をした。この家の二、三年前までは繁盛(はんじょう)したことや、近ごろは一向客足が遠いことや、土地の人々の薄情なことや、世間で自家の欠点を指摘しているのは知らないで、勝手のいい泣き言ばかりが出た。やがてはしご段をあがって、廊下に違った足音がすると思うと、吉弥が銚子(ちょうし)を持って来たのだ。けさ見た素顔やなりふりとは違って、尋常な芸者に出来あがっている。
「けさほどは失礼致しました」と、しとやかながら冷かすように手をついた。
「僕こそお礼を言いに来たのかも知れません」
「かも知れませんでは、お礼になりますまい!」
「いや、どうも――それでは、ありがとうござります」
と、僕はわざとらしくあたまを下げた。
「まア、それで、あたい気がすんだ、わ」
 吉弥はお貞を見て、勝利がおに扇子を使った。
「全体、まア」と、はじめから怪幻(けげん)な様子をしていたお貞が、「どうしたことよ、出し抜けになぞ見たようで?」
「なアに、おッ母さん、けさ、僕が落したがま口を拾ってもらったんです」というと、その跡は吉弥の笑い声で説明された。
「それでは、いッそだまっておれば儲(もう)かったのに」
「ほんとに、あたい、そうしたらよかった」
「あいにく銅貨が二、三銭と来たら、いかに吉弥さんでも驚くだろう」
「この子はなかなか欲張りですよ」
「あら、叔母さん、そんなことはないわ」
「まア、一つさしましょう」と、僕は吉弥に猪口(ちょく)を渡して、「今お座敷は明いているだろうか?」
「叔母さん、どう?」
「今のところでは、口がかかっておらない」
「じゃア、僕がけさのお礼として玉(ぎょく)をつけましょう」
「それは済みませんけれど」と言いながら、婆アさんが承知のしるしに僕の猪口に酒を酌(つ)いで、下りて行った。

     三

「お前の生れはどこ?」
「東京」
「東京はどこ?」
「浅草」
「浅草はどこ?」
「あなたはしつッこいのね、千束町(せんぞくまち)よ」
「あ、あの溝溜(どぶだめ)のような池があるところだろう?」
「おあいにくさま、あんな池はとっくにうまってしまいましたよ」
「じゃア、うまった跡にぐらつく安借家が出来た、その二軒目だろう?」
「しどいわ、あなたは」と、ぶつ真似(まね)をして、「はい、これでもうちへ帰ったら、お嬢さんで通せますよ」
「お嬢さん芸者万歳」と、僕は猪口をあげる真似をした。
 三味(しゃみ)を弾(ひ)かせると、ぺこんぺこんとごまかし弾きをするばかり。面白くもないが、僕は酔ったまぎれに歌いもした。
「もう、よせよせ」僕は三味線を取りあげて、脇(わき)に投げやり、「おれが手のすじを見てやろう」と、右の手を出させたが、指が太く短くッて実に無格好であった。
「お前は全体いくつだ?」
「二十五」
「うそだ、少くとも二十七だろう?」
「じゃア、そうしておいて!」
「お父(とっ)さんはあるの?」
「あります」
「何をしている?」
「下駄屋(げたや)」
「おッ母さんは?」
「芸者の桂庵(けいあん)」
「兄(にい)さんは?」
「勧工場(かんこうば)の店番」
「姉さんは?」
「ないの」
「妹は?」
「芸者を引かされるはず」
「どこにつとめているの?」
「大宮」
「引かされてどうするの?」
「その人の奥さん」
「なアに、妾(めかけ)だろう」
「妾なんか、つまりませんわ」
「じゃア、おれの奥さんにしてやろうか?」と、からだを引ッ張ると、「はい、よろしく」と、笑いながら寄って来た。

     四

 翌朝、食事をすましてから、僕は机に向ってゆうべのことを考えた。吉弥が電燈の球に「やまと」のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴(やつ)、見(み)ず転(てん)の骨頂だという嫌気(いやけ)がしたが、しかし自分の自由になるものは、――犬猫を飼ってもそうだろうが――それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津にいる間は可愛がってやろう、東京につれて帰れば面白かろうなどと、それからそれへ空想をめぐらしていた。
 下座敷でなまめかしい声がして、だんだん二階へあがって来た。吉弥だ。書物を開らこうとしたところだが、まんざら厭な気もしなかった。
「田村先生、お早う」
「お前かい?」
「来たら、いけないの?」ぴッたり、僕のそばにからだを押しつけて坐った。それッきりで、目が物を言っていた。僕はその頸(くび)をいだいて口づけをしてやろうとしたら、わざとかおをそむけて、
「厭な人、ね」
「厭なら来ないがいい、さ」
「それでも、来たの――あたし、あなたのような人が好きよ。商売人?」
「ああ、商売人」
「どんな商売?」
「本書き商売」
「そんな商売がありますもんか?」
「まア、ない、ね」
「人を馬鹿にしてイるの、ね」と、僕の肩をたたいた。
 僕を商売人と見たので、また厭気がしたが、他日わが国を風靡(ふうび)する大文学者だなどといばったところで、かの女(じょ)の分ろうはずもないから、茶化すつもりでわざと顔をしかめ、
「あ、いたた!」
「うそうそ、そんなことで痛いものですか?」と、ふき出した。卦算(けさん)の亀(かめ)の子をおもちゃにしていた。
「全体どうしてお前はこんなところにぐずついてるんだ?」
「東京へ帰りたいの」
「帰りたきゃア早く帰ったらいいじゃアないか?」
「おッ母さんにそう言ってやった、わ、迎えに来なきゃア死んじまうッて」
「おそろしいこッた。しかしそんなことで、びくつくおッ母さんじゃアあるまい」
「おッ母さんはそりゃアそりゃア可愛がるのよ」
「独(ひと)りでうぬぼれてやアがる。誰がお前のような者を可愛がるもんか? 一体お前は何が出来るのだ?」
「何でも出来る、わ」
「第一、三味線は下手(へた)だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただきゃアきゃア騒いでるばかりだ」
「ほんとうは、三味線はきらい、踊りが好きだったの」
「じゃア、踊って見るがいい」とは言ったものの、ふと顔を見合わせたら、抱きついてやりたいような気がしたのを、しつッこいと思わせないため、まぎらしに仰向(あおむ)けに倒れ、両手をうしろに組んだまま、その上にあたまをのせ、吉弥が机の上でいたずらをしている横がおを見ると、色は黒いが、鼻柱が高く、目も口も大きい。それに丈(せい)が高いので、役者にしたら、舞台づらがよく利くだろうと思いついた。ちょっと断わっておくが、僕はある脚本――それによって僕の進退を決する――を書くため、材料の整理をしに来ているので、少くとも女優の独りぐらいは、これを演ずる段になれば、必要だと思っていた時だ。
「お前が踊りを好きなら、役者になったらどうだ?」
「あたい、賛成だ、わ。甲州にいた時、朋輩(ほうばい)と一緒に五郎、十郎をやったの」
「さぞこの尻が大きかっただろう、ね」うしろからぶつと、
「よして頂戴よ、お茶を引く、わ」と、僕の手を払った。
「お前が役者になる気なら、僕が十分周旋してやらア」
「どこへ、本郷座? 東京座? 新富座(しんとみざ)?」
「どこでもいいや、ね、それは僕の胸にあるんだ」
「あたい、役者になれば、妹もなりたがるにきまってる。それに、あたいの子――」
「え、お前の子供があるんか?」
「もとの旦那(だんな)に出来た娘なの」
「いくつ?」
「十二」
「意気地(いくじ)なしのお前が子までおッつけられたんだろう?」
「そうじゃアない、わ。青森の人で、手が切れてからも、一年に一度ぐらいは出て来て、子供の食い扶持(ぶち)ぐらいはよこす、わ。――それが面白い子よ。五つ六つの時から踊りが上手(じょうず)なんで、料理屋や待合から借りに来るの。『はい、今晩は』ッて、澄ましてお客さんの座敷へはいって来て、踊りがすむと、『姉さん、御祝儀(ごしゅうぎ)は』ッて催促するの。小癪(こしゃく)な子よ。芝居は好きだから、あたいよく仕込んでやる、わ」
 吉弥はすぐ乗り気になって、いよいよそうと定(き)まれば、知り合いの待合や芸者屋に披露(ひろう)して引き幕を贈ってもらわなければならないとか、披露にまわる衣服(きもの)にこれこれかかるとか、かの女も寝ころびながら、いろいろの注文をならべていたが、僕は、その時になれば、どうとも工面(くめん)してやるがと返事をして、まず二、三日考えさせることにした。

     五

 それからというもの、僕は毎晩のように井筒屋へ飲みに行った。吉弥の顔が見たいのと、例の決心を確かめたいのであったが、当人の決心がまず本統らしく見えると、すぐまた僕はその親の意見を聴きにやらせた。親からは近々(ちかぢか)当地へ来るから、その時よく相談するという返事が来たと、吉弥が話した。僕一個では、また、ある友人の劇場に関係があるのに手紙を出し、こうこういう女があって、こうこうだと、その欠点と長所とを誇張しないつもりで一考を求め、遊びがてら見に来てくれろと言っておいたら、ついでがあったからと言って出て来てくれた。吉弥を一夕友人に紹介したが、もう、その時は僕が深入りし過ぎていて、女優問題を相談するよりも、二人ののろけを見せたように友人に見えたのだろう。僕よりもずッと年若い友人は、来る時にも「田村先生はいますか」というような調子でやって来て、帰った時にはその晩の勘定五円なにがしを払ってあったので、気の毒に思って、僕はすぐその宿を訪うと、まだ帰らないということであった。どこかでまた焼け酒を飲んでいるのだろうと思ったから、その翌朝を待って再び訪問すると、もう出発していなかった。僕は何だか興ざめた気がした。それから、一週間、二週間を経ても、友人からは何の音沙汰(おとさた)もなかった。しかし、僕は、どんな難局に立っても、この女を女優に仕立てあげようという熱心が出ていた。

     六

 僕は井筒屋の風呂(ふろ)を貰(もら)っていたが、雨が降ったり、あまり涼しかったりする日は沸(た)たないので、自然近処の銭湯に行くことになった。吉弥も自分のうちのは立っても夕がたなどで、お座敷時刻の間に合わないと言って、銭湯に行っていた。僕が行くころには吉弥も来た、吉弥の来るころには僕も行った。別に申し合わせたわけでもなかったが、時々は向うから誘うこともあった。気がつかずにいたが、毎度風呂の中で出くわす男で、石鹸(しゃぼん)を女湯の方から貰って使うのがあって、僕はいつも厭な、にやけた奴だと思っていた。それが一度向うからあまり女らしくもない手が出て、
「旦那、しゃぼん」という声が聴(きこ)えると、てッきり吉弥の声であった。男はいつも女湯の方によって洗っていた。
 このふたりは湯をあがってからも、必らず立ち話した。男は腰巻き一つで、うちわを使いながら、湯の番人の坐っている番台のふちに片手をかけて女に向うと、女はまた、どこで得たのか、白い寒冷紗(かんれいしゃ)の襞(ひだ)つき西洋寝巻きをつけて、そのそばに立ちながら涼んでいた。湯あがりの化粧をした顔には、ほんのりと赤みを帯びて、見ちがえるほど美しかった。
 ほかにも芸者のはいりに来ているのは多いが、いつも目に立つのはこの女がこの男と相対してふざけたり、笑ったりしていたことである。はじめはこの男をひいきのお客ぐらいにしか僕は思っていなかったが、石鹸事件を知ったので、これは僕の恋がたきだと思った。否、恋がたきとして競争する必要もないが、吉弥が女優になりたいなどは真ッかなうそだと合点(がてん)した。急に胸がむかむかとして来ずにはいられなかった。その様子がかの女には見えたかも知れないが、僕はこれを顔にも見せないつもりで、いそいで衣服(きもの)をつけてそこを出た。しまったと後悔したのは、出口の障子をつい烈(はげ)しくしめたことだ。
 きょうは早く行って、あの男またはその他の人に呼ばれないうちに、吉弥めをあげ、一つ精一杯なじってやろうと決心して、井筒屋へ行った。湯から帰ってすぐのことであった。
「叔母(おば)さん」僕もここの家族の言いならしに従って、お貞婆アさんをそう呼ぶことにしたのだ!――
「きょうは今から吉弥さんを呼んで、十分飲みますぞ」
「毎度御ひいきは有難うございますけれど、先生はそうお遊びなさってもよろしゅうございますか?」
「なアに、かまいませんとも」
「しかし、まだ奥さんにはお目にかかりませんけれど、おうちでは独りでご心配なさっておられますよ。それがお可哀そうで」
「かかアは何も知ってませんや」
「いいえ、先生のようなお気質では、つれ添う身になったら大抵想像がつきますもの」
「よしんば、知れたッてかまいません」
「先生はそれでもよろしかろうが、私どもがそばにいて、奥さんにすみません」
「心配にゃア及びません、さ」景気よくは応対していたものの、考えて見ると、吉弥に熱くなっているのを勘づいているので、旦那があるからとてもだめだという心をほのめかすのではないかとも取れないことではない。また、一方には、飲むばかりで借りが出来るのを、もし払われないようなことがあってはと心配し出したのではないかとも取れた。僕はわざと作り笑いをもって平気をよそい、お貞やお君さんや正ちゃんやと時間つぶしの話をした。吉弥がまだ湯から帰らないのをひそかに知っていたからだ。
「吉弥は風呂に行ってまだ帰りませんが――もう、帰りそうなものだに、なア」と、お貞はお君に言った。
「もう、一時間半、二時間にもなる」と、正ちゃんが時計を見て口を出した。
「また、あの青木と蕎麦屋(そばや)へ行ったのだろう」お君が長い顎(あご)を動かした。蕎麦屋と聴けば、僕も吉弥に引ッ込まれたことがあって、よく知っているから、そこへ行っている事情は十分察しられるので、いいことを聴かしてくれたと思った。しかし、この利口ではあるが小癪な娘を、教えてやっているが、僕は内心非常に嫌いであった。年にも似合わず、人の欠点を横からにらんでいて、自分の気に食わないことがあると、何も言わないで、親にでも強く当る。
「気が強うて困ります」とは、その母が僕にかつて言ったことだ。まして雇い人などに対しては、最も皮肉な当り方をするので、吉弥はいつもこの娘を見るとぷりぷりしていた。その不平を吉弥はたびたび僕に漏らすことがあった。もっとも、お君さんをそういう気質に育てあげたのは、もとはと言えば、親たちが悪いのらしい。世間の評判を聴くと、まだ肩あげも取れないうちに、箱根のある旅館の助平おやじから大金を取って、水あげをさせたということだ。小癪な娘だけにだんだん焼けッ腹になって来るのは当り前だろう。
「あの青木の野郎、今度来たら十分言ってやらにゃア」と、お貞が受けて、「借金が返せないもんだから、うちへ来ないで、こそこそとほかでぬすみ喰いをしゃアがる!」
 子供はふたりとも吹き出した。
「吉弥も吉弥だ、あんな奴にくッついておらなくとも、お客さんはどこにでもある。――あんな奴があって、うちの商売の邪魔をするのだ」
 そう思うのも実際だ。僕が来てからの様子を見ていても、料理の仕出しと言ってもそうあるようには見えないし、あがるお客はなおさら少い。たよりとしていたのは、吉弥独りのかせぎ高だ。毎日夕がたになると、家族は囲炉裡(いろり)を取りまいて、吉弥の口のかかって来るのを今か今かと待っている。
 やがて吉弥はのッそり帰って来た。
「何をぐずぐずしておったんだ? すぐお座敷だよ」お貞はその割り合いに強くは当らなかった。
「そう」吉弥は平気で返事をして、炉のそばに坐って、「いらっしゃい」僕に挨拶をしたが、まるめて持っていた手拭(てぬぐい)としゃぼんとをどこに置こうかとまごついていたが、それを炉のふちへ置いて、
「一本、どうか」と、僕のそばの巻煙草入れに手を出した。
 その時、吉弥は僕のうしろに坐っているお君の鋭い目に出くわしたらしい。急に険相な顔になって、「何だい、そのにらみざまは? 蛙(かえる)じゃアあるめいし。手拭をここへ置くのがいけなけりゃア、勝手に自分でどこへでもかけるがいい! いけ好かない小まッちゃくれだ!」
「一体どうしたんだ」と、僕がちょっと吉弥に当って、お君をふり返ると、お君は黙って下を向いた。
「あたいがいるのがいけなけりゃア、いつからでも出すがいい。へん、去年身投げをした芸者のような意気地(いくじ)なしではない。死んだッて、化けて出てやらア。高がお客商売の料理屋だ、今に見るがいい」と、吉弥はしきりに力んでいた。
 僕は何にも知らない風で、かの女の口をつぐませると、それまでわくわくしていたお貞が口を出し、
「まア、えい。まア、えい。――子供同士の喧嘩(けんか)です、先生、どうぞ悪(あ)しからず。――さア、吉弥、支度(したく)、支度」
「厭だが、行ってやろうか」と、吉弥はしぶしぶ立って、大きな姿見のある化粧部屋へ行った。

     七

「お座敷は先生だッたの、ねえ、――あんなことを言って、どうも失礼」と、吉弥は三味線をもってはいって来た。
「………」僕はさッきから独りで、どういう風に油をしぼってやろうかと、しきりに考えていたのだが、やさしい声をして、やさしい様子で来られては、今まで胸にこみ合っていたさまざまの忿怒(ふんぬ)のかたちは、太陽の光に当った霧と消えてしまった。
「お酌」と出した徳利から、心では受けまいと定(き)めていた酒を受けた。しかし、まだ何となく胸のもつれが取れないので、ろくに話をしなかった。
「おこってるの?」
「………」
「ええ、おこッているの?」
「………」
「あたい知らないわ!」
 吉弥はかっと顔を赤くして、立ちあがった。そのまま下へ行って、僕のおこっていることを言い、湯屋で見たことを妬(や)いているのだということがもしも下のものらに分ったら、僕一生の男を下げるのだと心配したから、
「おい、おい!」と命令するような強い声を出した。それでも、かの女は行ってしまったが、まさかそのまま来ないことはあるまいと思ったから、独りで酌をしながら待っていた。はたして銚子を持ってすぐ再びやって来た。向うがつんとしているので、今度は僕から物を言いたくなった。
「どうだい、僕もまた一つ蕎麦(そば)をふるまってもらおうじゃアないか?」
「あら、もう、知ってるの?」
「へん、そんなことを知らないような馬鹿じゃアねい。役者になりたいからよろしく頼むなんどと白(しら)ばッくれて、一方じゃア、どん百姓か、肥取(こえと)りかも知れねいへッぽこ旦(だん)つくと乳くり合っていやアがる」
「そりゃア、あんまり可哀そうだ、わ。あの人がいなけりゃア、東京へ帰れないじゃアないか、ね」
「どうして、さ?」
「じゃア、誰れが受け出してくれるの? あなた?」
「おれのはお前が女優になってからの問題だ。受け出すのは、心配なくおッ母さんが来て始末をつけると言ったじゃアないか?」
「だから、おッ母さんが来ると言ってるのでしょう――」
 それで分ったが、おッ母さんの来るというのは、女優問題でわざわざ来るのではなく、青木という男に受け出されるそのかけ合いのためであったのだ。
「あんな者に受け出されて、やッぱし、こんなしみッたれた田舎(いなか)にくすぶってしまうのだろうよ」
「おおきにお世話だ、あなたよりもさきに東京へ帰りますよ」
「帰って、どうするんだ?」
「お嫁に行きますとも」
「誰れが貴さまのような者を貰ってくれよう?」
「憚(はばか)りながら、これでも衣物(きもの)をこさえて待っていてくれるものがありますよ」
「それじゃア、青木が可哀そうだ」
「可哀そうも何もあったもんか? あいつもこれまでに大分金をつぎ込んだ男だから、なかなか思い切れるはずはない、さ」
「どんなに馬鹿だッて、そんなのろまな男はなかろうよ」
「どうせ、おかみさんがやかましくッて、あたいをここには置いとけないのだから、たまに向うから東京へ出て来るだけのことだろう、さ」
 男はそんなものと高をくくられているのかと思えば、僕はまた厭気がさして来た。
「お嫁に行って、妾になって、まだその上に女優を欲張ろうとは、お前も随分ふてい奴、さ」
「そうとも、さ、こんなにふとったからだだもの、かせげるだけかせぐん、さ、ね」
「じゃア、もう、僕は手を引こう」と、僕は坐り直した。「青木が呼びに来るだろうから、下へ行け」
「あの人は今晩来ないことになったの――そんなに言わないで、さ、あなた」と、吉弥はあまえるようにもたれかかって、「今言ったことはうそ、みんなうそ。決心してイるんだから、役者にして頂戴よ。おッ母さんだッて、あたいから言えば、承知するに定(き)まってる、わ」
 僕は、女優問題さえ忘れれば、恨みもつらみもなかったのだから、こうやって飲んでいるのは悪くもなかった。
 吉弥はまた早くこの厭な井筒屋を抜けて、自由の身になりたいのであった。何んでも早く青木から身受けの金を出させようと運動しているらしく、先刻もまた青木の言いなり放題になって、その代りに何かの手筈(てはず)を定(き)めて来たものと見えた。おッ母さんから一筆(ひとふで)青木に当てた依頼状さえあれば、あすにも楽な身になれるというので、僕は思いも寄らない偽筆を頼まれた。

     八

 青木というのは、来遊の外国人を当て込んで、箱根や熱海(あたみ)に古道具屋の店を開き、手広く商売が出来ていたものだが、全然無筆な男だから、人の借金証書にめくら判を押したため、ほとんど破産の状態に落ち入ったが、このごろでは多少回復がついて来たらしかった。今の細君というのは、やッぱり、井筒屋の芸者であったのを引かしたのだ。二十歳(はたち)の娘をかしらにすでに三人の子持ちだ。はじめて家を持った時、などは、井筒屋のお貞(その時は、まだお貞の亭主(ていしゅ)が生きていて、それが井筒屋の主人であった)の思いやりで、台どころ道具などを初め、所帯を持つに必要な物はほとんどすべて揃(そろ)えてもらい、飯の炊(た)き方まで手を取らないまでにして世話してもらったのであるが、月日の経(た)つに従い、この新夫婦はその恩義を忘れたかのように疎(うと)くなった。お貞は、今に至るまでも、このことを言い出しては、軽蔑(けいべつ)と悪口との種にしているが、この一、二年来不景気の店へ近ごろ最もしげしげ来るお客は青木であったから、陰で悪く言うものの、面と向っては、進まないながらも、十分のお世辞をふり撤(ま)いていた。
 青木は井筒屋の米櫃(こめびつ)でもあったし、また吉弥の旦那をもって得々としていたのである。しかしその実、苦しい工面をしていたということは、僕が当地へ初めて着した時尋ねて行った寺の住職から聴くことが出来た。
 住職のことはこの話にそう編み込む必要がないが、とにかく、かれは僕の室へよく遊びに来た、僕もよく遊びに行った。酔って来ると、随分面白い坊主で、いろんなことをしゃべり出す。それとなく、吉弥の評判を聴くと、色が黒いので、土地の人はかの女を「おからす芸者」ということを僕に言って聴かせたことがある。これを聴かされた日、僕は、帰って来てから吉弥にもっと顔をみがくように忠告した。かの女の黒いのはむしろ無精(ぶしょう)だからであると僕には思われた。
「磨(みが)いて見せるほどあたいが打ち込む男は、この国府津にゃアいないよ」とは、かの女がその時の返事であった。
 住職の知り合いで、ある小銀行の役員をつとめている田島というものも、また、吉弥に熱くなっていることは、住職から聴いて知っていたが、この方に対しては別に心配するほどのこともないと見たから、僕も眼中に置かなかった。吉弥を通じて僕に会いたいということづてもあったが、僕は面倒だと思ってはねつけておいた。かつどうも当地にとどまる女ではないし、また帰ったら女優になると言っているから、女房にしようなどいう野心を起して、つまらない金は使わない方がよかろうと、かれに忠告してやれと僕は住職に勧めたことがある。一方にはそんなしおらしいことを言って、また一方では偽筆を書く、僕のその時の矛盾は――あとから見れば――はなはだしいもので、もう、ほとんど全く目が暗んでいたのだろう。
 吉弥は、自分に取っては、最も多くの世話を受けている青木をも、あたまから見くびっていたのだから、平気で僕の筆を利用しようとした。それをもって綺麗に井筒屋を出る手つづきをさせようとしたのは翌朝のことであるが、そう早くは成功しなかった。
 僕が昼飯を喰っている時、吉弥は僕のところへやって来て、飯の給仕をしてくれながら太い指にきらめいている宝石入りの指輪を嬉(うれ)しそうにいじくっていた。
「どうしたんだ?」僕はいぶかった。
「人質に取ってやったの」
「おッ母さんの手紙がばれたんだろう――?」
「いいえ、ゆうべこれ(と、鼻をゆびさしながら)に負けたんで、現金がないと、さ」
「馬鹿野郎! だまされていやアがる」僕は僕のことでも頼んで出来なかったものを責めるような気になっていた。
「本統よ、そんなにうそがつける男じゃアないの」
「のろけていやがれ、おめえはよッぽどうすのろ芸者だ。――どれ、見せろ」
「よッぽどするでしょう?」抜いて出すのを受け取って見たが、鍍金(めっき)らしいので、
「馬鹿!」僕はまた叱(しか)りつけたようにそれをほうり出した。
「しどい、わ」吉弥は真ッかになって、恨めしそうにそれを拾った。
「そんな物で身受けが出来る代物(しろもの)なら、お前はそこらあたりの達磨(だるま)も同前だア」
「どうせ達磨でも、憚(はばか)りながら、あなたのお世話にゃアなりませんよ――じゃア、これはどう?」帯の間から小判を一つ出した。「これなら、指輪に打たしても立派でしょう?」
「どれ」と、ひッたくりかけたら、
「いやよ」と、引ッ込めて、「あなたに見せたッて、けちをつけるだけ損だ」
「じゃア、勝手にしゃがアれ」
 僕は飯をすまし、茶をつがせて、箸(はし)をしまった。吉弥はのびをしながら、
「ああ、ああ、もう、死んじまいたくなった。いつおッ母さんがお金を持って来てくれるのか、もう一度手紙を出そうかしら?」
「いい旦那がついているのに、持って来るはずはない、さ」
「でも、何とやらで、いつはずれるか知れたものじゃアない」
「それがいけなけりゃア、また例のお若い人に就(つ)くがいいや、ね」
「それがいけなけりゃア――あなた?」
「馬鹿ア言え。そんな腑(ふ)ぬけな田村先生じゃアねえ。――おれは受け合っておくが、お前のように気の多い奴は、結局ここを去ることが出来ずにすむんだ」
「いやなこッた!」立ち上って、両手に膳(ぜん)と土瓶とを持ち、
「あとでいらっしゃい」と言って二階の段を降りて行った。下では、「きイちゃん、御飯」と、呼びに来たお君の声がきこえた。

     九

 その日の午後、井筒屋へ電報が来た。吉弥の母からの電報で、今新橋を立ったという知らせだ。僕が何気なく行って見ると、吉弥が子供のように嬉しがっている様子が、その挙動に見えた。僕が囲炉裡(いろり)のそばに坐っているにもかかわらず、ほとんどこれを意にかけないかのありさまで、ただそわそわと立ったりいたり、――少しも落ちついていなかった。
 そこへ通知してあったのだろう、青木がやって来た。炉のそばへ来て、僕と家のものらにちょっと挨拶をしたが、これも落ちつきのない様子であった。
「まだお宅へはお話ししてないけれど、きょう私がいよいよ吉弥を身受け致します。おッ母さんがやって来るのも、その相談だから、そのつもりで、吉弥に対する一切の勘定書きを拵(こさ)えてもらいましょう」
 こう言って、青木が僕の方を見た時には、僕の目に一種の勝利、征服、意趣返し、または誇りとも言うべき様子が映ったので、ひょッとすると、僕と吉弥の関係を勘づいていて特に金ずくで僕に対してこれ見よがしのふりをするのではないかと思われた。
 さらに気をまわせば、吉弥は僕のことについていい加減のうそを並べ、うすのろだとか二本棒だとか、焼(や)き餅(もち)やきだとかいう嬉しがらせを言って、青木の機嫌を取っているのではないかとも思われた。どうせ吉弥が僕との関係を正直にうち明かすはずはないが、実は全く青木の物になっていて、かげでは、二人して僕のことを迂濶(うかつ)な奴、頓馬(とんま)な奴、助平な奴などあざ笑っているのかも知れないと、僕は非常に不愉快を感じた。
 しかし、不愉快な顔を見せるのは、焼き餅と見えるから、僕の出来ないことだし、出来ないと言っても、全くこれを心から取り除くことはなし得なかった。これを耐え忍ぶのは、僕がこれまで見せて来た快濶の態度に対しても、実に苦痛であった。しかし、その当面の苦痛はすぐ取れた。と言うのは、青木がすぐ立ちあがって、二階の方へ行ったからであるが、立ちあがった時、かたわらの吉弥に目くばせをしたので、吉弥は僕を見て顔を赤らめたまま青木の跡について行った。
 僕は知らない風をしてお貞と相対していた。
「まア、吉弥さんも結構です、身受けをされたら」と、僕が煙草の煙を吹くと、
「そうだろうとは思っておったけれど」と、お貞は長煙管(ながぎせる)を強くはたきながら、「あいつもよッぽど馬鹿です。なけなしの金を工面して、吉弥を受け出したところで、国府津に落ちついておる女じゃなし、よしまた置いとこうとしたところで、あいつのかみさんが承知致しません。そんな金があるなら、まずうちの借金を返すがええ。――先生、そうではござりませんか?」
「そりゃア、叔母さんの言うのももっともです、しかし、まア、男が惚(ほ)れ込んだ以上は、そうしてやりたくなるんでしょうから――」
「吉弥も馬鹿です。男にはのろいし、金使いにはしまりがない。あちらに十銭、こちらに一円、うちで渡す物はどうするのか、方々からいつもその尻がうちへまわって来ます」
「帰るものは帰るがええ、さ」そばから、お君がくやしそうに口を出した。
「馬鹿な子ほど可愛いものだと言うけれど、ほんとうにまたあのお袋が可愛がっておるのでござります」お貞は僕にさも憎々しそうに言った。「あんな者でも、おってくれれば事がすんで行くけれど、おらなくなれば、またその代りを一苦労せにゃならん。――おい、お君、馬鹿どもにお銚子(ちょうし)をつけてやんな」
 お君は、あざ笑いながら、台どころに働いている母にお燗(かん)の用意を命じた。
 僕は何だか吉弥もいやになった、井筒屋もいやになった、また自分自身をもいやになった。
 僕が帰りかけると、井筒屋の表口に車が二台ついた。それから降りたのは四十七、八の肥えた女――吉弥の母らしい――に、その亭主らしい男。母ばかりではない、おやじもやって来たのだ。僕はこらえていた不愉快の上に、また何だか、おそろしいような気が加わって、そこそこに帰って来た。

     一〇

 吉弥は、よもや、僕がたびたび勧め、かの女も十分決心したと言ったことを忘れはしまい。よしんば、親が承知しないで、その決心――それも実は当てにならない――をひる返すことがあるにしろ、一度はそれを親どもに話さないことはあるまい。話しさえすれば、親の方から僕に何とか相談があるに違いない。僕の方に乗り気になれば、すぐにも来そうなものだ。いや、もし吉弥がまだ僕のことを知らしてないとすれば、青木の来ているところで話し出すわけには行くまい。あいつも随分頓馬な奴だから、青木のいないところで、ちょっと両親に含ませるだけの気は利くまい。全体この話はどうなるだろうと、いろいろな考えやら、空想やらが僕のあたまに押し寄せて来て、ただわくわくするばかりで、心が落ちつかなかった。
 窓の机に向って、ゆうがた、独り物案じに沈み、見るともなしにそとをながめていると、しばらく忘れていたいちじくの樹(き)が、大きなみずみずした青葉と結んでいる果(み)とをもって、僕の労(つか)れた目を醒(さ)まし、労れた心を導いて、家のことを思い出させた。東京へ帰れば、自分の庭にもそれより大きないちじくの樹があって、子供はいつもこッそりそのもとに行って、果の青いうちから、竹竿(たけざお)をもってそれをたたき落すのだが、妻がその音を聴きつけては、急いで出て来て、子供をしかり飛ばす。そんな時には「お父さん」の名が引き合いに出されるが、僕自身の不平があったり、苦痛があったり、寂しみを感じていたりする時などには子供のある妻はほとんど何の慰めにもならない。一体、わが国の婦人は、外国婦人などと違い、子供を持つと、その精魂をその方にばかり傾けて、亭主というものに対しては、ただ義理的に操(みさお)ばかりを守っていたらいいという考えのものが多い。それでは、社会に活動しようとする男子の心を十分に占領するだけの手段または奮発(僕はこれを真に生きた愛情という)がないではないか? 僕は僕の妻を半身不随の動物としか思えないのだ。いッそ、吉弥を妾にして、女優問題などは断念してしまおうかと思って見た。
 そうだ、そうだ。今の僕には女優問題などは二の町のことで、もう、とっくに、僕というものは吉弥の胸に融(と)けてしまっているのではないか? 決心を見せろとか、何とか、口では吉弥に強く出ているが、その実、僕の心はかの女の思うままになっているのではないか? いッそ、かの女の思うままになっているくらいなら、むずかしいしかもあやふやな問題を提出して、吉弥に敬して遠ざけられたり、その親どもにかげで嫌われたりするよりか、全く一心をあげて、かの女の真情を動かした方がよかろうとも思った。
 僕の胸はいちじくの果よりもやわらかく、僕の心はいちじくの葉よりももろくなっていたのだ。
 ふと浪の音が聴えて来た。泳ぎに行って知っているが、長くたわんだ、綺麗な海岸線を洗う波の音だ。さッと言っては押し寄せ、すッと静かに引きさがる浪の音が遠く聴えた。それに耳を傾けると、そのさッと言ってしばらく聴えなくなる間に、僕は何だかたましいを奪われて行くような気がした。それがそのまま吉弥の胸ではないかと思った。
 こんなくだらない物思いに沈んでいるよりも、しばらく怠っていた海水浴でもして、すべての考えを一新してしまおうかと思いつき、まず、あぐんでいる身体(からだ)を自分で引き立て、さんざんに肘(ひじ)を張って見たり、胸をさすって見たり、腕をなぐって見たりしたが、やッぱり気が進まないので、ぐんにゃりしたまま、机の上につッぷしてしまった。
「おやッ!」かしらをあげると、井筒屋は大景気で、三味の音(ね)がすると同時に、吉弥のうわ気な歌声がはッきりと聴えて来た。僕は青木の顔と先刻車から出た時の親夫婦の姿とを思い浮べた。

     一一

 その夜はまんじりとも眠れなかった。三味の音が浪の音に聴えたり、浪の音が三味の音に聴えたり、まるで夢うつつのうちに神経が冴(さ)えて来て、胸苦しくもあったし、また何物かがあたまの心(しん)をこづいているような工合であった。明け方になって、いつのまにか労れて眠ってしまったのだろう、目が醒(さ)めたら、もう、昼ぢかくであった。
 枕もとに手紙が来ていたので、寝床の中から取って見ると、妻からのである。言ってやった金が来たかと、急いで開いて見たが、為替(かわせ)も何もはいっていないので、文句は読む気にもならなかった。それをうッちゃるように投げ出して、床を出た。
 楊枝をくわえて、下に行くと、家のおかみさんが流しもとで何か洗っていた手をやすめて、
「先生、お早うござります」と、笑った。
「つい寝坊をして」と、僕は平気で井戸へ行ったが、その朝に限って井筒屋の垣根をはいることがこわいような、おッくうなような――実に、面白くなかった。顔を洗うのもそこそこにして、部屋(へや)にもどり、朝昼兼帯(けんたい)の飯を喰いながら、妻から来た手紙を読んで見た。僕の宿(とま)っているのは芸者屋の隣りだとは通知してある上に、取り残して来た原稿料の一部を僕がたびたび取り寄せるので、何か無駄づかいをしていると感づいたらしい――もっとも、僕がそんなことをしたのはこのたびばかりではないから、旅行ごとに妻はその心配を予想しているのだ――いい加減にして切りあげ、帰って来てくれろと言うのであった。
 僕も、馬鹿にされているのかと思うと、帰りたくならないではなかったが、しかしまた吉弥のことをつき止めなければ帰りたくない気もした。様子ではどうせ見込みのない女だと思っていても、どこか心の一隅(ひとすみ)から吉弥を可愛がってやれという命令がくだるようだ。どうともなるようになれ、自分は、どんな難局に当っても、消えることはなく、かえってそれだけの経験を積むのだと、初めから焼け気味のある僕だから、意地にもわざと景気のいい手紙を書き、隣りの芸者にはいろいろ世話になるが、情熱のある女で――とは、そのじつ、うそッ鉢(ぱち)だが――お前に対するよりもずッと深入りが出来ると、妻には言ってやった。
 その手紙を出しに行った跡へ、吉弥はお袋をつれて僕の室へあがっていた。
「先生、母ですよ」
「そう――おッ母さんですか」と、僕は挨拶をした。
「お留守のところへあがり込んで、どうも済みませんが、娘がいろいろお世話になって」と、丁寧にさげたあたまを再びあげるところを見ると、心持ちかは知らないが、何だか毒々しいつらつきである。からだは、その娘とは違って、丈が低く、横にでぶでぶ太って、豚の体に人の首がついているようだ。それに、口は物を言うたんびに横へまがる。癇(かん)のためにそう引きつるのだとは、跡でお袋みずからの説明であった。
 これで国府津へは三度目だが、なかなかいいところだとか、僕が避暑がてら勉強するには持って来いの場所だとか、遊んでいながら出来る仕事は結構で羨(うらや)ましいとか、お袋の話はなかなかまわりくどくって僕の待ち設けている要領にちょっとはいりかねた。
 吉弥は、ただにこにこしながら、僕の顔とお袋の顔とを順番に見くらべていたが、退屈そうにからだを机の上にもたせかけ、片手で机の上をいじくり出した。そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、ちょっと顔色を変え、
「いやアだ」と、ほうり出し、「奥さんから来たのだ」
「これ、何をします!」お袋は体よくつくろって、「先生、この子は、ほんとうに、人さまに失礼ということを知らないで困るんですよ」
「なアに」僕は受けたが、その跡はどうあしらっていいのだか、ちょっとまごついた。止むを得ず、「実は」と、僕の方から口を切って、もし両親に異議がないなら、してまた本人がその気になれるなら、吉弥を女優にしたらどうだということを勧め、役者なるものは――とても、言ったからとて、分るまいとは思ったが、――世間の考えているような、またこれまでの役者みずからが考えているような、下品な職業ではないことを簡単に説明してやった。かつ、僕がやがて新らしい脚本を書き出し、それを舞台にのぼす時が来たら、俳優の――ことに女優の――二、三名は少くとも抱(かか)えておく必要があるので、その手はじめになるのだということをつけ加えた。
「そりゃア御もっともです」と、お袋は相槌(あいづち)を打って、「そのことはこの子からも聴きましたが、先生が何でもお世話してくださることで、またこの子の名をあげることであるなら、私どもには不承知なわけはございません」
「お父さんの考えはどうでしょう?」
「私どものは、なアに、もう、どうでもいいので、始終私が家のことをやきもき致していまして、心配こそ掛けることはございましても、一つとして頼みにならないのでございますよ。私は、もう、独りで、うちのことやら、子供のことやらをあくせくしているのでございます」
「そりゃア、大抵なことじゃアないでしょう。――吉弥さんも少しおッ母さんを安心させなきゃア――」
「この子がまた、先生、一番意気地なしで困るんですよ」お袋は念入りに肩を動かして、さも性根(しょうね)なしとののしるかの様子で女の方を見た。「何でも私に寄りかかっていさえすればいいと思って、だだッ子のように来てくれい、来てくれいと言ってよこすんです」
「だッて、来てくれなきゃア仕方がないじゃアないか?」吉弥はふくれッ面をした。「おッ母さんが来たら、方(かた)をつけるというから、早く来いと言ってやったんじゃアないか?」
「おッ母さんだッて、いろんな用があるよ。お前の妹だッて、また公園で出なけりゃアならなくなったし、そうそうお前のことばかりにかまけてはいられないよ。半玉の時じゃアあるまいし、高が五十円か百円の身受け相談ぐらい、相対(あいたい)ずくでも方がつくだろうじゃアないか? お前よりも妹の方がよほど気が利(き)いてるよ」
「じゃア、勝手にしゃアがれ」
「あれですもの、先生、ほんとに困ります。これから先生に十分仕込んでいただかなければ、まるでお役に立ちませんよ」
「なァに、役者になるには年が行き過ぎているくらいなのですから、いよいよ決心してやるなら、自分でも考えが出るでしょう」
「きイちゃん、しッかりしないといけませんよ」と、お袋はそれでも娘には折れている。
「あたいだッて、たましいはあらア、ね」吉弥は僕の膝(ひざ)に来て、その上に手枕(てまくら)をして、「あたいの一番好きな人」と、僕の顔を仰向けに見あげた。
 僕はきまりが悪い気がしたが、お袋にうぶな奴と見抜かれるのも不本意であったから、そ知らぬふりに見せかけ、
「お父さんにもお目にかかっておきたいから、夕飯を向うのうなぎ屋へ御案内致しましょうか? おッ母さんも一緒に来て下さい」
「それは何よりの好物です。――ところで、先生、私はこれでもなかなか苦労が絶えないんでございますよ。娘からお聴きでもございましょうが、芸者の桂庵(けいあん)という仕事は、並み大抵の人には出来ません。二百円、三百円、五百円の代物(しろもの)が二割、三割になるんですから、実入(みい)りは悪くもないんですが、あッちこッちへ駆けまわって買い込んだ物を注文主へつれて行くと、あれは善くないから取りかえてくれろの、これは悪くもないがもッと安くしてくれろのと、間に立つものは毎日気の休まる時がございません。それが田舎(いなか)行きとなると、幾度も往復しなけりゃアならないことがございます。今度だッてもこの子の代りを約束しに来たんですよ、それでなければ、どうして、このせちがらい世の中で、ぼんやり出て来られますものですか?」
「代りなど拵(こさ)えてやらないがいいや、あんな面白くもない家に」と、吉弥は起きあがった。
「それが、ねえ、先生、商売ですもの」
「そりゃア、御もっともで」
「で、御承知でしょうが、青木という人の話もあって、きょう、もう、じきに来て、いよいよの決着が分るんでございますが、それが定(き)まらないと、第一、この子のからだが抜けませんから、ねえ」
「そうですとも、私の方の問題は役者になればいいので、吉弥さんがその青木という人と以後も関係があろうと、なかろうと、それは問うところはないのです」と、僕の言葉は、まだ金の問題には接近していなかっただけに、うわべだけは、とにかく、綺麗なものであった。
「しかし、この子が役者になる時は、先生から入費は一切出して下さるようになるんでしょう、ね」と、お袋はぬかりなく念を押した。
「そりゃア、そうですとも」僕は勢いよく答えたが、実際、その時になっての用意があるわけでもないから、少し引け気味があったので、思わず知らず、「その時ア私がどうともして拵(こさ)えますから、御安心なさい」と附け加えた。
 僕はなるようになれという気であったのだ。
 お袋は、それから、なお世間話を初める、その間々にも、僕をおだてる言葉を絶たないと同時に、自分の自慢話しがあり、金はたまらないが身に絹物をはなさないとか、作者の誰れ彼れ(その芝居ものと僕が同一に見られるのをすこぶる遺憾に思ったが)はちょくちょく遊びに来るとか、商売がらでもあるが国府津を初め、日光、静岡、前橋などへも旅行したことがあるとかしゃべった。そのうち解けたような、また一物(いちもつ)あるような腹がまえと、しゃべるたびごとに歪(ゆが)む口つきとが、僕にはどうも気になって、吉弥はあんな母親の拵(こさ)えた子かと、またまた厭気がさした。

     一二

 もう、ゆう飯時だからと思って、僕は家を出(い)で、井筒屋のかど口からちょっと吉弥の両親に声をかけておいて、一足さきへうなぎ屋へ行った。うなぎ屋は筋向うで、時々行ったこともあるし、またそこのかみさんがお世辞者だから、僕は遠慮しなかった。
「おかみさん」と、はいって行って、「きょうはお客が二人あるから、ね」
「あの、先刻、吉弥さんからそれは承っております」と、おかみさんは襷(たすき)の一方をはずした。
「もう、通知してあるのか? 気の早い奴だ、なア」と、僕は二階へあがりかけた。
 おかみさんは、どうしたのか、あわてて僕を呼び止め、いつもと違った下座敷へ案内して、
「しばらくお待ちなさって――二階がすぐ明きますから」
「お客さんか、ね」と、僕は何気なくそこへ落ちついた。
 かみさんが出て行った跡で、ふと気がつくと、二階に吉弥の声がしている。芸者が料理屋へ呼ばれているのは別に不思議はないのだが、実は吉弥の自白によると、ここのかみさんがひそかに取り持って、吉弥とかの小銀行の田島とを近ごろ接近させていたのだ。田島はこれがためにこの家に大分借金が出来たし、また他の方面でも負財のために頸(くび)がまわらなくなっている。僕が吉弥をなじると、
「お金こそ使わしてはやるが」と、かの女は答えた。「田島さんとほかの関係はない。考えて見ても分るだろうじゃアないか、奥さんになってくれいッて、もしなって国府津にいたら、あッちからもこッちからもあたいを闇打(やみう)ちにする人が出て来るかも知れやアしない、わ」
「お前はそう方々に罪をつくっているのか」と、僕はつッ込んだことがある。が、とにかく、この地にとどまっている女でないことだけは分っていたから、僕の疑いは多少安心な方で、すでにかの住職にも田島に対する僕の間接な忠告を伝えたくらいであった。しかし、その後も、毎日または隔日には必らず会っている様子だ。こうなれば、男の方ではだんだん焼けッ腹になって来る上、吉弥の勘定通り、ますます思いきれなくなるのは事実だ。それに、ある日、吉弥が僕の二階の窓から外をながめていた時、
「ちょいと、ちょいと」と、手招ぎをしたので、僕は首を出して、
「なんだ」と、大きな声を出した。
「静かにおしよ」と、かの女は僕を制して、「あれが田島よ」と、小声。
 なるほど、ちょっと小意気だが、にやけたような男の通って行くよこ顔が見えた。男ッぷりがいいとはかねて聴かされていたが、色の白い、肌(はだ)のすべすべしていそうな男であった。その時、僕は、毛穴の立っているおからす芸者を男にしてしまっても、田島を女にして見たいと思ったくらいだから、僕以前はもちろん、今とても、吉弥が実際かれと無関係でいるとは信じられなくなった。どうせ、貞操などをかれこれ言うべきものでないのはもちろんのことだが、青木と田島とが出来ているのに僕を受け、また僕と青木とがあるのに田島を棄てないなどと考えて来ると、ひいき目があるだけに、僕は旅芸者の腑甲斐(ふがい)なさをつくづく思いやったのである。
 その田島がてッきり来ているに相違ないと思ったから、僕はこッそり二階のはしご段をあがって行った。八畳の座敷が二つある、そのとッつきの方へはいり、立てかけてあった障子のかげに隠れて耳をそば立てた。
「おッ母さんは、ほんとに、どうする気だよ?」
「どうするか分りゃアしない」
「田村先生とは実際関係がないか?」
「また、しつッこい!――あったら、どうするよ?」
「それじゃア、青木が可哀そうじゃアないか?」
「可哀そうでも、可哀そうでなくッても、さ、あなたのお腹はいためませんよ」
「ほんとに役者になるのか?」
「なるとも、さ」
「なったッて、お前、じきに役に立たないッて、棄てられるに定まってるよ。その時アまたお前の厭な芸者にでもなるよりほかアなかろうぜ」
「そりゃア、あたいも考えてまさア、ね」
「そのくらいなら、初めから思いきって、おれの言う通りになってくれよ」
 田島の声は、見ず転芸者を馬鹿にしているような句調ながら、まんざら全く浮薄の調子ではなかった。また、出来ることなら吉弥を引きとめて、自分の物にしたいという相談を持ちかけていたらしい。
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