文づかい
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著者名:森鴎外 

 一月中旬に入りて昇進任命などにあえる士官とともに、奥のおん目見えをゆるされ、正服着て宮に参り、人々と輪なりに一間に立ちて臨御を待つほどに、ゆがみよろぼいたる式部官に案内(あない)せられて妃(きさき)出でたまい、式部官に名をいわせて、ひとりびとりことばをかけ、手袋はずしたる右の手の甲に接吻(せっぷん)せしめたもう。妃は髪黒く丈(たけ)低く、褐いろの御衣(おんぞ)あまり見映えせぬかわりには、声音(こわね)いとやさしく、「おん身はフランスの役(えき)に功ありしそれがしが族(うから)なりや」などねもごろにものしたまえば、いずれも嬉しとおもうなるべし。したがい来し式の女官(にょかん)は奥の入口の閾(しきい)の上まで出で、右手(めて)にたたみたる扇を持ちたるままに直立したる、その姿いといと気高く、鴨居(かもい)柱を欄(わく)にしたる一面の画図に似たりけり。われは心ともなくその面を見しに、この女官はイイダ姫なりき。ここにはそもそもいかにして。
 王都の中央にてエルベ河を横ぎる鉄橋の上より望めば、シュロス、ガッセにまたがりたる王宮の窓、こよいはことさらにひかりかがやきたり。われも数にはもれで、きょうの舞踏会にまねかれたれば、アウグスツスの広こうじにあまりて列をなしたる馬車の間をくぐり、いま玄関に横づけにせし一輛より出でたる貴婦人、毛革の肩かけを随身(ずいじん)にわたして車箱(しゃそう)のうちへかくさせ、美しくゆい上げたるこがね色の髪と、まばゆきまで白き領(えり)とをあらわして、車の扉(とびら)開きし剣おびたる殿守(とのもり)をかえりみもせで入りしあとにて、その乗りたりし車はまだ動かず、次に待ちたる車もまだ寄せぬ間をはかり、槍(やり)取りて左右にならびたる熊毛□(くまげかぶと)の近衛卒(このえそつ)の前を過ぎ、赤き氈(かも)を一筋に敷きたる大理石の階をのぼりぬ。階の両側のところどころには、黄羅紗(きらしゃ)にみどりと白との縁取りたる「リフレエ」を着て、濃紫の袴(はかま)をはいたる男、項をかがめて瞬(またた)きもせず立ちたり。むかしはここに立つ人おのおの手燭(てしょく)持つ習いなりしが、いま廊下、階段にガス燈用いることとなりて、それはやみぬ。階の上なる広間よりは、古風(いにしえぶり)を存ぜるつり燭台(しょくだい)の黄蝋(おうろう)の火遠く光の波をみなぎらせ、数知らぬ勲章、肩じるし、女服の飾りなどを射て、祖先よよの曲画の肖像の間にはさまれたる大鏡に照りかえされたる、いえば尋常(よのつね)なり。
 式部官が突く金総(きんぶさ)ついたる杖、「パルケット」の板に触れてとうとうと鳴りひびけば、天鵝絨(びろうど)ばりの扉一時に音もなくさとあきて、広間のまなかに一条(ひとすじ)の道おのずから開け、こよい六百人と聞えし客、みなくの字なりに身を曲げ、背の中ほどまでもきりあけてみせたる貴婦人の項、金糸の縫い模様ある軍人の襟(えり)、またブロンドの高髻(たかまげ)などの間を王族の一行よぎりたもう。真先にはむかしながらの巻毛の大仮髪(おおかずら)をかぶりたる舎人(とねり)二人、ひきつづいて王妃両陛下[#「王妃両陛下」は底本では「王両妃陛下」]、ザックセン、マイニンゲンのよつぎの君夫婦、ワイマル、ショオンベルヒの両公子、これにおもなる女官数人したがえり。ザックセン王宮の女官はみにくしという世の噂(うわさ)むなしからず、いずれも顔立ちよからぬに、人の世の春さえはや過ぎたるが多く、なかにはおい皺(しわ)みて肋(あばら)一つ一つに数うべき胸を、式なればえも隠さで出だしたるなどを、額越しにうち見るほどに、心待ちせしその人は来ずして、一行はや果てなんとす。そのときまだ年若き宮女一人、殿めきてゆたかに歩みくるを、それかあらぬかとうち仰げば、これなんわがイイダ姫なりける。
 王族広間の上のはてに往(ゆ)き着きたまいて、国々の公使、またはその夫人などこれを囲むとき、かねて高廊の上(え)に控えたる狙撃連隊(そげきれんたい)の楽人がひと声鳴らす鼓とともに「ポロネエズ」という舞はじまりぬ。こはただおのおの右手(めて)にあいての婦人の指をつまみて、この間をひとめぐりするなり。列のかしらは軍装したる国王、紅衣のマイニンゲン夫人をひき、つづいて黄絹の裙引衣(すそひきごろも)を召したる妃にならびしはマイニンゲンの公子なりき。わずかに五十対(つい)ばかりの列めぐりおわるとき、妃は冠(かんむり)のしるしつきたる椅子に倚(よ)りて、公使の夫人たちをそばにおらせたまえば、国王向いの座敷なるかるた卓(づくえ)のかたへうつりたまいぬ。
 このときまことの舞踏はじまりて、群客(ぐんかく)たちこめたる中央の狭きところを、いと巧みにめぐりありくを見れば、おおくは少年士官の宮女たちをあい手にしたるなり。わがメエルハイムの見えぬはいかにとおもいしが、げに近衛ならぬ士官はおおむね招かれぬものをと悟りぬ。さてイイダ姫の舞うさまいかにと、芝居にて贔屓(ひいき)の俳優(わざおぎ)みるここちしてうち護(まも)りたるに、胸にそうびの自然花を梢(こずえ)のままに着けたるほかに、飾りというべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾(もすそ)、せまき間をくぐりながらたわまぬ輪を画きて、金剛石の露こぼるるあだし貴人の服のおもげなるをあざむきぬ。
 時うつるにつれて黄蝋の火は次第に炭の気(け)におかされて暗うなり、燭涙ながくしたたりて、床の上にはちぎれたる紗(うすぎぬ)、落ちたるはなびらあり。前座敷のビュッフェエにかよう足ようようしげくなりたるおりしも、わが前をとおり過ぐるようにして、小首かたぶけたる顔こなたへふり向け、なかば開けるまい扇に頤(おとがい)のわたりを持たせて、「われをばはや見忘れやしたまいつらん」というはイイダ姫なり。「いかで」といらえつつ、二足三足(ふたあしみあし)つきてゆけば、「かしこなる陶物(すえもの)の間見たまいしや、東洋産の花瓶(はながめ)に知らぬ草木鳥獣など染めつけたるを、われに釈(と)きあかさん人おん身のほかになし、いざ」といいて伴いゆきぬ。
 ここは四方(よも)の壁に造りつけたる白石の棚(たな)に、代々の君が美術に志ありてあつめたまいぬる国々のおお花瓶(はながめ)、かぞうる指いとなきまで並べたるが、乳(ち)のごとく白き、琉璃(るり)のごとく碧(あお)き、さては五色まばゆき蜀錦(しょくきん)のいろなるなど、蔭になりたる壁より浮きいでて美(うる)わし。されどこの宮居に慣れたるまろうどたちは、こよいこれに心とどむべくもあらねば、前座敷にゆきかう人のおりおり見ゆるのみにて、足をとどむるものほとほとなかりき。
 緋(ひ)の淡き地におなじいろの濃きから草織り出だしたる長椅子に、姫は水いろぎぬの裳(も)のけだかきおお襞(ひだ)の、舞のあとながらつゆくずれぬを、身をひねりて横ざまに折りて腰かけ、斜めに中の棚の花瓶を扇のさきもてゆびさしてわれに語りはじめぬ。
「はや去年(こぞ)のむかしとなりぬ。ゆくりなく君を文づかいにして、いや申すたつきを得ざりければ、わが身のこといかにおもいとりたまいけん。されどわれを煩悩の闇路(やみじ)よりすくいいでたまいし君、心の中には片時も忘れ侍らず」
「近ごろ日本の風俗書きしふみ一つ二つ買わせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむようにしるしたるありしが、こはまだよくも考えぬ言(こと)にて、かかることはこのヨオロッパにもなからずやは。いいなずけするまでの交際(つきあい)久しく、かたみに心の底まで知りあう甲斐(かい)は否(いな)とも諾(う)ともいわるるうちにこそあらめ、貴族仲間にては早くより目上の人にきめられたる夫婦、こころ合わでもいなまんよしなきに、日々にあい見て忌むこころあくまで募りたるとき、これに添わする習い、さりとてはことわりなの世や」
「メエルハイムはおん身が友なり。悪(あ)しといわば弁護もやしたまわん。否、われとてもその直(すぐ)なる心を知り、貌(かたち)にくからぬを見る目なきにあらねど、年ごろつきあいしすえ、わが胸にうずみ火ほどのあたたまりもできず。ただいとうにはゆるは彼方(あなた)の親切にて、ふた親のゆるしし交際(つきあい)の表、かいな借さるることもあれど、ただ二人になりたるときは、家も園もゆくかたものういぶせく覚えて、こころともなく太き息せられても、かしら熱くなるまで忍びがとうなりぬ。なにゆえと問いたもうな。そを誰か知らん。恋うるも恋うるゆえに恋うるとこそ聞け、嫌うもまたさならん」
「あるとき父の機嫌よきをうかがい得て、わがくるしさいいいでんとせしに、気色(けしき)を見てなかばいわせず。『世に貴族と生れしものは、賤(しず)やまがつなどのごとくわがままなる振舞い、おもいもよらぬことなり。血の権の贄(にえ)は人の権なり。われ老いたれど、人の情け忘れたりなど、ゆめな思いそ。向いの壁にかけたるわが母君の像を見よ。心もあの貌(かおばせ)のように厳(いつく)しく、われにあだし心おこさせたまわず、世のたのしみをば失いぬれど、幾百年の間いやしき血一滴(ひとしずく)まぜしことなき家の誉(ほまれ)はすくいぬ』といつも軍人ぶりのことばつきあらあらしきに似ぬやさしさに、かねてといわんかく答えんとおもいし略(てだて)、胸にたたみたるままにてえもめぐらさず、ただ心のみ弱うなりてやみぬ」
「もとより父に向いてはかえすことば知らぬ母に、わがこころあかしてなににかせん。されど貴族の子に生れたりとて、われも人なり。いまいましき門閥、血統、迷信の土くれと看破(みやぶ)りては、わが胸のうちに投げ入るべきところなし。いやしき恋にうき身やつさば、姫ごぜの恥ともならめど、このならわしの外(と)にいでんとするを誰か支うべき。『カトリック』教の国には尼になる人ありといえど、ここ新教のザックセンにてはそれもえならず。そよや、かのロオマ教の寺にひとしく、礼知りてなさけ知らぬ宮のうちこそわが冢穴(つかあな)なれ。」
「わが家もこの国にて聞ゆる族(うから)なるに、いま勢いある国務大臣ファブリイス伯とはかさなる好(よし)みあり。このことおもてより願わばいとやすからんとおもえど、それのかなわぬは父君のみ心うごかしがたきゆえのみならず。われ性(さが)として人とともに歎き、人とともに笑い、愛憎二つの目もて久しく見らるることを嫌えば、かかる望みをかれに伝え、これにいいつがれて、あるはいさめられ、あるはすすめられん煩わしさに堪えず。いわんやメエルハイムのごとく心浅々しき人に、イイダ姫嫌いて避けんとすなどと、おのれ一人にのみ係ることのようにおもいなされんこと口惜しからん。われよりの願いと人に知られで宮づかえする手だてもがなとおもい悩むほどに、この国をしばしの宿にして、われらを路傍の岩木などのように見もすべきおん身が、心の底にゆるぎなき誠をつつみたもうと知りて、かねてわが身いとおしみたもうファブリイス夫人への消息(しょうそこ)、ひそかに頼みまつりぬ」
「されどこの一件(ひとくだり)のことはファブリイス夫人こころに秘めて族(うから)にだに知らせたまわず、女官の闕員(けついん)あればしばしの務めにとて呼び寄せ、陛下のおん望みもだしがたしとてついにとどめられぬ」
「うき世の波にただよわされて泳ぐ術(すべ)知らぬメエルハイムがごとき男は、わが身忘れんとてしら髪(が)生やすこともなからん。ただ痛ましきはおん身のやどりたまいし夜、わが糸の手とどめし童なり。わが立ちしのちも、よなよな纜(ともづな)をわが窓のもとにつなぎて臥(ふ)ししが、ある朝羊小屋の扉のあかぬにこころづきて、人々岸辺にゆきて見しに、波むなしき船を打ちて、残れるはかれ草の上なる一枝(いっし)の笛のみなりきと聞きつ」
 かたりおわるとき午夜(ごや)の時計ほがらかに鳴りて、はや舞踏の大休みとなり、妃はおおとのごもりたもうべきおりなれば、イイダ姫あわただしく坐をたちて、こなたへさしのばしたる右手(めて)の指に、わが唇触るるとき、隅の観兵の間に設けたる夕餉(スペエ)に急ぐまろうど、群らだちてここを過ぎぬ。姫の姿はその間にまじり、次第に遠ざかりゆきて、おりおり人の肩のすきまに見ゆる、きょうの晴衣(はれぎ)の水いろのみぞ名残りなりける。
明治二十四年一月



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