伊沢蘭軒
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著者名:森鴎外 

     その三百七十一

 大抵新聞紙を読むには、読んで首(はじめ)より尾(をはり)に至るものでは無い。一二面を読んで三面を読まぬ人がある。三面を読んで一二面を読まぬ人がある。新作小説を読むものは講談を読まない。講談を読むものは新作小説を読まない。読まざる所のものは其人の無用とする所である。しかし其人は己に無用なるものが或は人に有用なるものたるべきを容認することを吝(をし)まない。此故に縦令(たとひ)おしろいの広告が全紙面を填(うづ)むとも、粉白(ふんはく)を傅(つ)くるに意なきものがこれを咎めようとはせぬのである。
 事情此(かく)の如くなれば、人の蘭軒伝を無用とするは、果して啻(たゞ)に自己のこれを無用とするのみではなく、これを有用とするものの或は世上に有るべきをだに想像することが出来ぬが故であらうか。
 彼蘭軒伝を無用とするものの書牘(しよどく)を見るに、問題は全く別所に存するやうである。書牘は皆詬□毒罵(こうしどくば)の語をなしてゐる。是は此篇を藐視(ばくし)する消極の言(こと)ではなくて、此篇を嫉視する積極の言である。
 此嫉悪(しつを)は果して何(いづ)れの処より来るか。わたくしは其情を推することの甚難(かた)からざるべきを思ふ。凡そ更新を欲するものは因襲を悪(にく)む。因襲を悪むこと甚しければ、歴史を観ることを厭ふこととなる。此の如き人は更新を以て歴史を顧慮して行ふべきものとはなさない。今の新聞紙には殆ど記事の歴史に渉(わた)るものが無い。その偶(たま/\)これあるは多く售(う)れざる新聞紙である。
 蘭軒伝の世に容れられぬは、独り文が長くして人を倦ましめた故では無い。実はその往事を語るが故である。歴史なるが故である。人は或は此篇の考証を事としたのを、人に厭はれた所以だと謂つてゐる。しかし若し考証の煩を厭ふならば、其人はこれを藐視して已むべきで、これを嫉視するに至るべきでは無い。
 以上の推窮は略(ほゞ)反対者の心理状態を悉(つく)したものであらうとおもふ。わたくしは猶進んで反対者が蘭軒伝を読まぬ人で無くて、これを読む人であつたことを推する。読まぬものは怒(いか)る筈がない。怒は彼虚舟(きよしう)にも比すべき空白の能く激し成す所ではないからである。
 わたくしの渋江抽斎、伊沢蘭軒等を伝したのが、常識なきの致す所だと云ふことは、必ずや彼書牘の言(こと)の如くであらう。そしてわたくしは常識なきがために、初より読者の心理状態を閑却したのであらう。しかしわたくしは学殖なきを憂ふる。常識なきを憂へない。天下は常識に富める人の多きに堪へない。
 わたくしは筆を擱(さしお)くに臨んで、先づ此等の篇を載せて年を累(かさ)ね、謗書旁午(ばうしよばうご)の間にわたくしをして稿を畢(を)ふることを得しめた新聞社に感謝する。次にわたくしは彼笥(あのし)を傾けて文書を借し、柬(かん)を裁して事実を報じ、編述を助成した諸友と、此等の稿を読んで著者の痴頑(ちぐわん)を責めなかつた少数の未見の友とに感謝する。
 最後にわたくしは渋江伊沢等諸名家の現存せる末裔の健康を祝する。(終。)




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