小熊秀雄全集-07
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著者名:小熊秀雄 

   19

わたしは少しばかり
御主人シャリアピンの
悪態を言ひすぎたやうだ、
蚤の立場を忘れてあまりに
人間的になつたやうだ、
だがわたしは真実を語ることに
臆病でないことは
血を吸ふことに遠慮しないことと
同じだから仕方がない
まもなくわが主人シャリアピンの肉体が、
しだいに冷えてくるだらう、
その日、私は新しい肉体の所有主に移転するだらう、
だがもう亡命者と道連れになることは懲々だ。


長長秋夜(ぢやんぢやんちゆうや)

     ――ぢやん、ぢやん、ちゆう、やは朝鮮語で長い長い秋の夜といふ意味。

朝鮮よ、泣くな、
老婆(ロツパ)よ泣くな、
処女(チヨニヨ)よ泣くな、
洗濯台(パンチヂリ)に笑はれるぞ、
トクタラ、トクタラ、トクタラ、
それ、あの物音はなんの音か、
お前が手にした木の棒から
その音がするのだ、
あつちでも、こつちでも村中で
夜になるとトクタラ、トクタラトクタラ、
朝鮮の山に木がない
おや、それはお気の毒さま、
家には食ひ物がない
おや、それもお気の毒さま、
『あゝ、良い子だ、良い子だ、
 みんなそのことを神様が
 知つてござらつしやる。』
老婆(ロツパ)は体を左右にふりながら
馴れた調子で木の台の上の
白い洗濯物を棒(パンチ)で打つてゐる。
トクタラ、トクタラ、
『あゝ、えゝとも、えゝとも、
 良い音がするぢや――。』
わしの娘や息子のことは判らぬぢや
だが、わしの親父や先祖のことは
ふるい朝鮮のことは
この年寄の汚ない耳垢が
いつも耳の中でぶつぶつ語つてくれるぢや、
青い月の光のもとの村の屋根の下の
女達が
長長秋夜(ぢやんぢやんちゆうや)
トクタラ、トクタラ
幾千年の昔から
木や石の台の上で白衣をうつて
糊をおとしてシワをのばして
男達にさつぱりとしたものを、
着せて楽しく、
朝鮮カラスも温和しく
洛東江の水も騒がなかつたし
今のやうに面(めん)事務所の
面長がなにかと
書きつけをもつてうるさく
人々の住居(すまゐ)を訪ねてこなければ
息子や娘も村にをちついてゐて
老人たちの良い話相手であつたのに
近頃はなんと、そはそはしい風が
村の人々の白衣の裾を吹きまくり
峠を越しさへすれば
峠のむかふに幸福があると云ひながら
村を離れて峠をこしたがり
追ひ立てられるやうに
若い者は峠をこえてゆく
お前の可愛い許嫁(いひなづけ)は
貧乏な村を去つて行つた
いまは壮健(たつしや)で東京で
働いてゐるさうな
そしてゴミの山やドブを掘つくりかへして
金の玉を探してゐるさうな
一つ探しあてたら
すぐ処女(ちよによ)よ、お前を迎へにくる
あゝ、だがそれはいつたい
何時のことやら
去つてゆくものはあるが
帰つてくるものがない、
夜つぴて歌をうたつた
声自慢、働き自慢の
わしの連れ合ひも死んでしまつた、
わしの糸切歯ももう
糸を切る力がなくなつた、
洗濯台(ぱんちぢり)をうつ棒(ぱんち)も重い
いくら追つても朝鮮烏奴は逃げない
虫は泣きやまない
なにもかにもみんなして
この老婆(ロツパ)を馬鹿にしくさる
たのしい朝鮮は何処へ行つた、
古い朝鮮はどこへ行つた、
神さまや、天が、
朝鮮を押へつけて御座らつしやるのか。
そして老[#「老」に「ママ」の注記]寄も若いものも
夜つぴて苦しさうに寝返りをうつ、
トクタラ、トクタラトクタラ、
パンチヂリの音も
昔のやうに楽しさうでない
丘の上に月がでても
昔のやうに若者たちは
月の下をさまよひ歩かない、
哀号――、悪魔に喰はれてゐるのだ、
老婆は聴いた
ボリボリと音をたてて悪魔が
山の樹を喰つてしまつたのを、
娘は河へ水を汲みに行つて溺れ死ぬ
若い者は飲んだくれたり
博打(ばくち)をうつたり
地主さまに楯突いたり、
農民組合とやらをつくつたり
村をとびだしたり
若い者は何かと言へば
すぐ村の半鐘をうちたがる、
トクタラ、トクタラ、トクタラ、
老婆(ロツパ)が精魂こめて
パンチヂリで白く新しく
晒した朝鮮服も
若いものは着たがらない
麦藁帽子をかぶつたり
洋服をきたり、ポマードをつけたり
そして老婆達にまで
昨日、面長さまから呼び出しがあつた
面事務所にぞくぞくと村の衆は
集つてきた、
高いところから
面長は村の衆に吐[#「吐」に「ママ」の注記]鳴る、
――世の中は、日進月歩ぢや、
  文明文化の今日(こんにち)は
  第一に規則をまもるべし
  納税の義務
  つまりは年貢はかならず収むべし
  それから、特に
  婆共は、よつく聞け
  糞たれ頑固どもは
  夜つぴて
  トクタラトクタラ
  パンチヂリをやつてゐる
  やかましうてたまらん、
  第一にあのトクタラは
  牛のために良くない、
  牛の神経にさはるから
  乳の出が悪うなるわい、
  第二に服装改善の
  主旨の下からして
  白い朝鮮服は明日から
  一切着ることならん、
  黒い服にしろ
  黒い服はよごれがつかぬ、
  したがつて洗濯をする必要がない
  トクタラトクタラの
  洗濯婆あどもは
  パンチヂリをやめて
  明日から縄をなへ
  トクタラ、トクタラと
  けしからん奴ぢあ――、
面長はぶるると体をふるはせて吐[#「吐」に「ママ」の注記]鳴る、
若いものは去つてゆく
ただ老人たちは何時までもその場を去らない、
老人たちは鷺のやうに体を折りまげ
なべ鶴のやうに地面にへたばり
声をかぎりに
哀号をさけぶ、
――哀号、面長さま、この老い先
  短かい年寄に
  難題といふものだ
  いまさら白い朝鮮服を
  哀号
  よして色服を着ろとおつしやるが
  そんなら婆を殺して下されや
  哀号――、
  神さまからのお授り物の白衣を
  どうして脱がれませう、
  哀号――、天帝よ、先祖よ、
  面長奴が、わしから白服をうばつて
  カラスのやうな黒い服
  着ろとぬかす、面長の罰あたり奴、
  わしは嫌ぢや、
  白い服は死んでも殺されても脱がぬわ
  哀号――、哀号――、哀号――、
老婆(ロツパ)は消えいらんばかりのかなしみと
驚愕とにわなわなしてゐる
規則は怖ろしい力をもつて
ゐることを知つてゐるから
今にも服をはぎとらられさうな恐怖に
とらはれて頭を低く
大地にこすりつけて哀号する、
――騒ぐな婆ども、
  うぬ等は、ついこないだも
  泣いたり、咆へたりした許りだ
  なにかにと………[#「………」に傍点]の改正には
  出しやばつて反対しくさる、
  白服を色服に変へぬ輩(やから)は
  ………………[#「………」に傍点]の主旨に
  …………ロクでなしぢや、
  さかさハリツケものぢやぞ、
面長はなだめたり、すかしたり
朝鮮の伝統的な白服を
新しい服装に改めさせようとする、
だが深いところから
水が流れてゐるやうに
老婆たちの悲しみも
深いところからやつてきてゐる
老婆は憤りと悲哀の列をつくり
夜の幕は年寄たちにとつて
重い袋のやうに心によりかゝる
足どりも力なく帰つてゆく
朝鮮よ、
お前はよし老婆達に
白衣永遠の伝統を死守させたとしても
自然の大地と、人間の心とは
その伝統をうけつがない
やつれきつた朝鮮よ、
若者たちだけが
お前の本質を知つてゐる
若いものは鉄のやうに堅い靴をはいて
鉄のやうな足音をたてる
としより達は虚ろな木履を鳴らし
精一杯不平をいひながら
面事務所から連れだつてかへつて行く、
夕靄の中に老婆の一団がかへつてゆくと
靄の中から突然老婆の
鶏の叫び声に似たさけびがきこえてくる、
数人の男と老婆の群はもみあつて
山路から崖へ逃げをりようとする、
男の一団はその行手をさへぎる
――くそ婆奴
  貴様の着物を
  これこの通り汚してやらう、
――ろくでなしの
  トクタラ婆奴
  どうしてもウヌ等が
  その服を脱がうといはぬなら、
  わしらは染屋の
  役をかつて出るわい、
逃げまどふ老婆は男達の
足で蹴られたり
手でうたれたり、
男たちは大はしやぎで
犬が老いた鶏を追つかけ廻すやうに、
手に手に墨汁をたつぷりつけた
筆をふりあげて
肩から斜めに
墨をもつて老婆の白衣にきりかゝる
――誰ぢや、
  そんな無道なことをするのは
  としよりを虐めて
  ろくなことは無いぞえ
老婆は金切声をあげて逃げ廻つたが
男達は熱心に飛びかゝつて
老婆達の白衣をさんざんに汚すことをやめない、
老婆のたかい悲しみの声はながかつた
朝鮮の夜のしづかな周囲に
ひとときの騒音がたち、
まもなくひつそりと元の静けさにかへる、
面事務所の男達の計画的な
墨の襲撃にまつ黒に汚れた
老婆のみじめな白衣、みだれた髪、
顔を歪ませて立ちあがり、立ち去る。
夜が明けると
村の老婆たちは何事もなかつたやうに
近所誘ひあつて
洛東江の河岸に打揃つて出かけてゆく、
汚された白衣を
ざぶりと水にひたすと
河は瞬間くろい流れとなる
そしてやがて黒い一條の流れは
しだいに薄れて
河下に去つてゆく
老婆の憤りの表情も
しだいになごやかになつてゆく
トクタラ、トクタラ、トクタラと
洗濯台(パンチヂリ)を陽気にうちだす
たがひに顔見合はせて
強くすべての出来事を肯定しようとして
いたいたしい微笑の顔にかはつてゆく
かよわい手をふりあげて
強く石をうつ
強く朝鮮の歌をうたひだす
黒くよごれた白衣を棒(パンチ)でうつ
うつパンチも泣いてゐる
打たれる白衣も泣いてゐる、
うつ老婆(ロツパ)も泣いてゐる
打たれる石も泣いてゐる
すべての朝鮮が泣いてゐる


長篇叙事詩 魔女

叙事詩「魔女」の人物

海羅義丘(    )
千敬太郎(青年)
天羅多吉(独立画家)
富士光雄(渕[#「渕」に「ママ」の注記])
マリア (    )
悪魔  (    )
魔女  (    )
姉   (    )


序詩

すべての女の読者諸君よ
いまは時代の過渡期です、
若しあなたに
恋愛に就いての
真[#「真」に「ママ」の注記]ねんがなかつたら、
恋することはお控へなさい
でなければ貴女の
教養と財産にとつて
この上もなく危険がやつてきます
若い女よ
あなたに若し時代的に恋する若い
勇敢さがあつたなら
私のこの物語りを参考にしてください
日本の悪魔と魔女と
聖母がどのやうに
三つ巴で血に塗れたかといふ
経験に耳を傾けて下さい、
   ○

第一章 悪魔の散歩、

   一

『泣けるか、お前はこの世の
 ささいな出来事に就いても、』
『喜べるか、お前は退屈な人生にも、』
『笑へるか、お前の運命に、虚無的でなく』
悪魔の散歩は籐のステッキで
こつこつコンクリートの
東京の三月の夜の街をあるいてゐる、
呟きは、泣けるか、喜べるか、笑へるかの
三つの呪文の自問自答、
なんといふ怖ろしい奴を
街に放してをくのか、
月にむかつて背をむけて
おのれの影にものをいふ悪魔奴が、
呪文の答がでると
彼は衝動的に地上に一米もとびあがり
おのれの答への正しいか誤りであるか
実験しにとりかゝるために
どのやうなところにでも嵐のやうにとんでゆく、
その激しさと乱暴さと不気味さのために
なぜ街中の商店といふ商店は
板戸や鎧戸をガラガラ下ろしてしまはないのだらう、

   二

街はネオンサインが
美しくともり
ネオン管の青と赤との
接ぞく点が一層美しく
異様に光りかゞやく
ぶるぶるつとふるいて
街の夕方の空間や時間を
水底をあるいてゆくしづけさであるいてゐる、
悪魔は若い美貌をもつてゐる、
そして彼はたちどまり突然、
舗道の一個所に小さな黒い穴
をみつけると
穴にステッキをさしこんで
グイとステッキをこねあげる
すると忽ちそこにポカリと
ガイコツが口をあけたやうな
深い黒い穴があいて、下水用の
丸いコンクリト製の蓋が
空中たかく舞ひあがり、
舗道に落下したときは
ガランガランガラン怖ろしい
不吉な音響をたてゝこの蓋は
街中を転げまはる
悪魔はそれを見ると
げらげらと笑ひが停まらない、
そして
下水の穴の暗い丸いふかさをしげしげとのぞきこみ
そこへ白い痰をべつとしてから
再びステッキをふつて歩きだす、
そして良い声で陽気に歌ひだす
それはロシアの詩人マヤコフスキイの
露西亜語の散歩の詩である
ポース、ゼール、フセイチ
シャアグ、ブルゴル
グロハイチ
タアク、ザ、クバイ
スメッフ、ヒトブ
カーメン
ロパールシチャ
フ、ホッホチヱ[#「ヱ」は小文字]
(すべての仕事の後で
 散歩の歩をとゞろかせ、
 笑ひをそゝげ
 石がハッハと
 爆笑するやうに)
日本のマリアよ、
悪魔の愛する妻よ、
お前は愛情の天女だ、
お前はいま病ひの床にねてゐる、
そしてお前の夫の悪魔はぶらぶら歩るき
ながい憂鬱な、病の日常の、
堪へがたい、お前の肉体に
お前の心臓は鳩時計
こぼれるやうな音立てて、
時をきざむきざむ、
そして死んでゆく悲しみ
夫の愛情の濃さ薄さの
こゝろづかいははてもない、
お前の肉体と精神を
悪魔がりやくだつしたのは
十年の昔であつた、
その時、二人の愛のはげしさに
火と氷も位置をかへたやうにでんぐりかへつて
雪の中を二人でさまよつたとき
雪のつめたさもまた火のやうに
二人にとつて熱かつた。
吹雪奴は
驃騎兵のやうに
鉛の弾を二人の頬ぺたや
黒い若々しい髪を撃つたが、
なんてまあ、痛いことも悲しいことも
苦しいことも、
恋はすべてを楽しく考へさせたらう、
ふきつける吹雪の中の
一つのマントの中から
四本の足が突きでゝゐた、
二本の足はゴムの長靴
いまひとつの二本の足は赤い鼻緒の下駄
一方の足がしつかり地に立つてゐるときは
かならず一方の足は宙に浮いてゐたし、
男と女とは
どつちかをマントの中でささへてゐなければ、
二人がその場にぺたりと
雪の中に座りこんでしまつたであらう、
恋の法悦の精神の動揺の、ランデブー
聖母の海の甘さと、
悪魔の地の辛さとが、
二つのこつぜんとした自然としての人間の
調和をもとめてマントの中の抱擁、
あゝそれは本能的な最初の接吻の音、
だがその時悪魔が
不可解な微笑をもらしたことを
聖母は少しも気づかなかつた、
永遠よ、女よ、
地の荒くれた精神を
掻きいだくお前海の慈愛よ、
そして地と海とは
しばらくの間はなだらかに
愛の接触のをだやかなさゞなみをたててゐた、
家庭はたのしく平穏で
はげしいものといへば
台所で火の上のフライパンの
ジャアといふもの音くらい、
『まあ、大変な音をたてるね、
 油がはねて危ないぢやないか、
 お前の美しい顔を
 火傷をしたらどうしよう、
 まあお前は女学校で
 家事の時間に教らなかつたかい
 フライパンに火が入つたときや
 油がはねるときには
 どうしていゝかを』
男は笑ひながら
手際よく傍のネギを鍋に投ずる
すると油のはねる高い
もの音は温和しくなつてしまふ、
『肉の切り方はあぶないよ
 お前の可愛い指を
 きつたらどうしよう、
 肉のきり方はかういふ風に』
男は牛肉のせんいの説明をして
庖刀をあやつつて
肉の正しい切り方を示してやる、
女はなんといふ該博な智識をもつた
若い夫だらう、
その親切さよ
長い運命の道づれのたのもしさ
未来の生活の豊富な男の愛情
を想像してこゝろを[#底本「お」を訂正]どらす
『いゝえ、私は学校では家事と
 おさい縫は大嫌ひであつたの
 でもそれはいけないことであつたわ、』
さういつて台所の調理の
技術のまずさをほこらしげに
それは女中のやうではなく、
娘のやうに我儘で愛らしかつたことを
言外にほのめかして男に甘える、
そしてうまい具合に
鍋の中の牛肉とねぎとは煮える
そして女と男とは向ひあつて、
子供のない食卓に差向ひで食べ始める、
『なんていふかたい葱でせう、
 貴方ゆるして下さらない、
 わたし、満足にすき焼もできないの』
さういつて女は箸を投げだして
袂で顔をおほつてしまふ、
なんといふことだ――、
なんていふ不思議なことだ、
男はおどろいて、女の顔にあてた
袂をのぞくと女は真個(ほんと)うに泣いてゐるのだ、
そして女はさめざめと尽きない泉のやうに
頬をぬらしていつまでも
泣いてゐるといふ気配をみせてゐる
美しい泣き方は、
眼から流れる涙はそのまゝに
頬にながれるにまかせ
紅潮した女の頬を美しく光らせ、
そして鼻水は上手に
袂でぬぐつてゐる
肉の柔らかさかたさ、
ねぎの柔らかさ堅さに就いて
たゞそのことだけで新婚のしばらくは
二人は泣いたり笑つたりして時をすごした、
フライパンに落したバターは
いつの間にか安いラードにかはり
それから時間が経つと
女は肉屋にせびつて
肉の脂肪をねだるほど
しだいに貧乏生活的になつてしまふ、
あの時の二人の生活は楽しかつた
二人の宿命の幕が開かれた許りであつたから、
いまはどうだ、ただかんたんに
言つてのけよう、
『それから十年の月目が経つた』と、
十年前台所で彼女がうたつた
ジョセランの子守歌は夫に封じられた、
彼女が巧みであつたサンタルチイヤの歌
“月は高く
 空にてり
 風もたえ、
 波もなし
 …………
 こよや友よ、船はまてり
 サンタルチヤ、
 サンタールチーヤ”
『よせ、愚劣な歌を、風もたえ、波もなしか、
 そんな、穏やかな現実に住んでゐないんだから
 時代は一九三五年だ
 無神論者の台所で
 サンタルチーヤでもあるまいて、』
男は罵る、女はピタリと歌をやめてしまふ、
風もたえ、波もなしの女の歌にかはつて
男はシェークスピアの
リヤ王のセリフを
机の上に片足をかけて大見得をきつて叫ぶ、
――吹けい、風よ汝(おのれ)が頬を破れ、
  荒れ廻れ、
  吹きをれやい
  汝(なんじ)、瀧津瀬(たきつせ)よ龍巻よ、
  吹け水を、
  風見車を溺らし、
  尖り塔の頂(いただ)きを水浸しにしてしまふまでも
  汝、思想の如く疾(と)く走る硫黄の火よ
  ※(かしは)を突裂(つんざく)雷火(いかづち)の前駆(さきばし)の電光(いなづま)よ、
  わが白頭を焼き焦(こが)せ。
――ねいお母さん
  バルダク、ボリシヱ[#「ヱ」は小文字]ウィチ
  て知つてる、
彼女の傍にはいまでは十歳の少年がたつてゐる
母親の知らないこと柄を
日毎に新しくもちだしては母親を当惑させる、
――ねい、親父
  僕お酒ちよつぴりのんでみたいんだよ、
――よからう
――だつてロシアのお伽話にでゝくる
  バルダク、ボリシヱ[#「ヱ」は小文字]ウィチて
  七つの子供なんだが
  のんだくれで
  いつも酒屋で寝てるんだよ、
  するとキヱフの王さまが
  トルコ王サルタンを攻めるのに
  バルダクを大将に頼みにくるんだよ、
  そしてバルダクは攻めていつて
――あゝ、あゝその次は判つたよ
  敵のサルタンの七つの娘と
  天幕(テント)の中で寝るんだらう
――さうだよ、さうだよ、
  そして僕お酒をのんで
  強くなりたいんだよ、
――そして天幕の中で寝るか
  アハハハ
母親はオロオロとして
父親と息子の話の進行をきいてゐる
――まあなんていやらしい
  お伽話があるんでせうね、
性の世界では嫌らしい、
男のたたかひの世界ではどうか、
七歳の大将バルダクは
七歳のトルコ王の娘が女の性と愛情で
天幕の中で男の闘ひの
意志を溶解しようとして抱擁し
なまくらなものにしようと計画する
だが毅然として少年バルダクの
たたかひの意志は固い、
女が添寝しながら、
ひそかにバルダクの脛に
目印に金泥を塗つてかへる、
夜が明け放れ、陽があがると
娘はトルコ王の城へかへる
敵王の呼び出しで首領がどれか、
ひとめで脛の金泥がバルダクと
判らうといふ性的政策
男の智慧は無限にはてなし、
やめよ、はかない性のやさしい陰ぼうよ、
夜寝てゐる間だけ、とう酔があり、
陽があがると男の酔ひは醒めるから、
いつも精神に陽のあがらない
男だけが、昼でも夜でも、女に負ける、
もし女よ、
男を捉へてをかうといふ
男の愛情を永遠に絶対的に
しようとするならば
すべての窓をとぢよ、昼でも暗く、
部屋へ、精神へ、カーテンををろせ、
あゝ、だが部屋は閉ざす
ことができようが
宇宙の明りは消すことができない、
天地をすぎてゆく巨大な太陽は、
雀さへ、太陽がのぼると、
チチと鳴いてのきばで
ひとときの別れを
嘴を軽くつつきあつて
男の雀は女の羽を離れて
男は生活のためにとんでゆくではないか、
山寺の鐘がゴーンーンと鳴れば
明け方の障子紙に砂の微粒をうちかけてすぎたやうな
サーッといふ音がする
それは松の木をゆする[#底本「ゆる」を訂正]
爽快な風の音、
そして『離れ難たき肌と肌』と
東洋の古来の俗謡そのまゝ
歴史を超えて夜から暁まで
情痴の姿はくりかへされる、
『情愛の進歩性はないか、
 愛は絶望で愛は反覆であるか』
悪魔は長い生活の間
そのことを思索してきた、
悪魔の精神の逍遙は、ながくつゞいた
曾て可憐な若者の
なだらかな感情へは
いまは無数のヒビ割れができた、
結婚といふものは、思ひがけない、
プログラムをひろげるものであつた、
未婚の男女が
予期しないやうな筋書が開かれる
夫婦の生活の泡立ちは
若さに痛々しい、
離れ合はうとしなかつたのか、
逢ふ時間より、逢はない時間を
たのしむ、
たがひの生活に空間をつくり
空間を楽しむ術を知りだす、
空間のみがたがひの
自由の世界、哀しい、あはれな充実の世界、
サラリーマンの勤めの外出に
いそいそと三指を玄関につく妻
亭主の送り出しではなく
亭主の放逐であつた、――〈未完〉


きのふは嵐けふは晴天(抒情詩劇)

舞台 周囲が岩石ばかりの大谿谷の底を想像させる所、極度に晴れ渡つた早春の朝、遠くから太鼓のにぶい音と、タンバリンの低い音が断続的に聞えてくる、舞台ボンヤリとして何か間のぬけた感。
○いざり一、(空虚な舞台へ這ひ出てくる、舞台の中央でものうく、哀調を帯びて、間ののびた声で)右や左の旦那さま、(急速に)世界の果ての、(真に迫つて)果ての果ての、果てにいたるまでの旦那さま方
○いざり二、(ものうく、哀調を帯びて)右や左の奥様がた(急速に)世界の奥の、(真に迫つて)奥の、奥の、奥にいたるまでの奥さま方、
○いざり一、(天を仰いで)この晴れ渡つた空、心もはればれする日に、わたしの足腰が立たないとは(同情を乞ふ調子で)どうぞ皆様、御同情下さい(米搗バッタのやうに頭を下げる)
   (青年合唱隊の太鼓の音、次第に高く、きこえてくる)(元気に、軽快に、隊を組んで行進)
   (婦人合唱隊の、タンバリンの音きこえてくる)(女達は柔和で、リズミカルな動作、女性的に快活に、隊を組んで行進)
○合唱青年、(力強く)我々は足にまかせて、都会、山野あらゆるところを(間)行進する(急速に)人生の早足隊だ。
○合唱婦人、(優しく)私達は、静かに、(間)男達の仕事を見守る(急速に)人生の監視隊だ。
○合唱青年、(笑ひの合唱)ワ、ハ、ハ、ハ、(皮肉に)婦人達が我々の監視隊、それは良いことだ。
○青年一、(皮肉に)そして(徐ろに間ををいて)主として縫ひもの、つくろひものを、家庭にあつては、分担してをりますか(笑)
○青年二、それも必要だ、(高く)人生のほころびの縫ひ手は、(確信的に)彼女達だ。
○青年一、(激しく皮肉に)男が破つて、女が繕ふのか。
○合唱青年、(急速に叫ぶ)我々は力の象徴だ、打て、打て、打て、打て、太鼓を(太鼓乱打)音響をもつて空を引き破れ、あらゆるものを、ほころばせ、冬の雲を春の光りが、(歓喜をもつて)強く引裂くやうに。
○合唱婦人、(優しく)ダイナモのやうに、いつも元気の良い、青年達よ、(愛撫的に)よく磨いた鎌のやうな、聡明な若者たちよ。
○婦人一、あなたたちは女性の緩慢な愛にも堪へてゐる、忍耐強い友(激情的に)打て、打て(タンバリン乱打)情緒の金の針で、あなた達の心のほころびを私達が縫つてあげませう。
○いざり一、(大声に、そしてゆつくりと)右や左の旦那さま、奥様方、御騒々しいことでござります。(感動的に)皆さま方はお親しい、仲の良いことでございます。(青年に向つて)旦那さまがた。(急速に)すべてを裂け、(自問自答的にうなづきながら)ウム、すべてを破れ、だがお前さん達はこれまで、(間)女達の手に余るほどの、(間)大きな、ほころびをつくりだした、ためしがありますまい、口幅つたいことは、慎んでもらひませう、全世界の御婦人の、名誉の下に――
婦人四、(歓喜して)ほんとうに、いざりさん貴方の言ふとほりね、男らしい男は少ないのよ、ヒステリカルに、女性的に物を破る男達が、また頗[#「頗」に「ママ」の注記]分多いの、
○婦人一、古い思想を引きさくことも遠慮勝。
○婦人二、古い愛情から、別れることにも、おつかな吃驚。
○婦人三、古い科学を叩きこはすことも、臆病で。
○婦人四、古い芸術を、追つ払ふことも消極的。
○合唱婦人、(高く笑を含んで)まだ、まだ、わたしたち女性の大きな愛の手で男達はつぐのひ切れないほど、大きな破れをつくつてはくれない。
○合唱男子(怒りを帯びて)男は、力のシンボルだ、憤怒の、怒りの象徴だ、(イザリに向つて)黙れ、イザリ、お前はさつきから其処で誰を待つてゐるのか。
○いざり一、(冷笑的に)あなたがたこそ、さつきから其処で、何を叫んでゐるのか、何処から来て、何処へ、おいでになるんです。
○青年一、(激しく)東から来て、北へ行くのだ。
○青年二、(更に激しく)前進だ、行かう、我々にとつて無目的な朝などは、たゞの一日もないのだから、
○青年三、(激しく)我々は太鼓をうち、このやうに、街をすぎ野を走る。
○青年四、(激しく)谷をわけいり、海をわたる、
○合唱青年、(高く)我々は集団的遊戯、行動を、訓練しなければならない。
○いざり一、(神妙に)敬意を払ひませう、若い時代に、刃向ふ古いものは、犬に喰はれますから、(突拍子もない高い声)諸君、緊急動議を提出します。勿論、御婦人方も参加して、すべての人々は討議に加はつて下さい、(低い、間をのばして)提案といふのはかうです。諸君、ワタシはなぜ腰が立たないんでせう。
(婦人合唱隊、タンバリン急打、男達之に和す、賑やかに、朗らかに、心が踊るやうな音)
(イザリ、二、三、四登場、米搗バッタのやうにお低頭をしながら)
○合唱婦人、(歌)
   おゝ、可哀いさうな、
   イザリサン
   一里の路も遠うござる、
   途中の小川で
   ものおもひ
   おゝ、可哀いさうな
   イザリさん
   あなたの住居は
   橋の下
   雨が、
   ポッツリと鼻に
   ポッツリと頬に
   ポッツリと額に
   雨のしづくが
   三つ四つをちる。
○青年一、(群の中から飛び出して絶叫する)やめてくれ、新しい時代は、情緒の性質を変へたのだ、女達の同情心の対照は何んていつまでも変らないのだ、病人か、子供へか。さあ、センチメンタルな道徳をうちやぶつてくれ、ロマンチシズムさ、行動だ、こいつに首つたけになるんだ、恍惚になるんだどこまでも追求するんだ、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、最後のところまで。
○合唱いざり、(歌)
   御同情、ありがたう
   御軽蔑、感謝
   打擲、多謝
   足蹠[#「蹠」に「ママ」の注記]、結構
   手かせ、足かせ
   お引づり廻し、大歓迎。
○青年二、(憤つて群からとび出し)なんて此奴等の存在は、空気の性質を悪るくするんだらう、(憎々しさうに)糞沈着におちつき払つて、僅かな道程を、われ/\の十倍も時間をかけて通りやがるんだ、やい百姓め、たがひに何か親しさうに話しながら、(憎々しく)世間の秘密をすべて知つてゐるやうな意味ありげに笑ひ合ふ、さあいざり立て、立つてみろ、女共の加護と同情の下に、見事突立ちあがれ、さあ立て、立て、青年達、こやつの剛[#「剛」に「ママ」の注記]慢の腰をのばしてやるんだ(いざりに襲ひかゝつて無理に立てようとする、婦人合唱隊は青年達の行為を押しとどめて、男女たがひに揉み合ふ)
○合唱いざり、(陽気に、体を左右にふり、左右の手を物乞ひらしく動かしながら、合唱)仰せのとほり、君等の十里は、われらの千里さ、
○いざり一、お気の長いが、われらが取柄、
○いざり二、でも、みなさん結局は!
○いざり三、着くべきところへ、着いたら、何の文句もないでせう。
○合唱いざり、さあ、タワリシチ
   深刻ぶつた
   夜中の思想の幕を引きあげろ
   五体揃つた人間様ぢや
   とかく物事に尻込なさる
   そこで腰の蝶ツガヒの
   はずれた我々が
   人生を陽気にするやう
   前座を勤めませう。
○いざり一、然も君等より朗らかに
○いざり二、然も君等より勇敢に
○いざり三、然も君等より人間的に
○いざり四、然も君等より大胆に
   然も君等より目的に向つて
○合唱いざり、朗らかに、勇敢に、人間的に、大胆に、目的に向つて、――さあ始めよう、
○いざり一、(元気よく)さあ頼むよ、鳴物を、太鼓を
○いざり二、(皮肉に)お願ひしますよ、タンバリンを
○いざり三、いざりの生ひ立ちを過去の物語りを、御披露しませう。
 (いざりの群賑やかに踊り出す、膝頭をコツ/\と音させながら)
   ラッパの音加はる。カスタネットの音加はる、合唱隊は直立して歌ふ、四人のいざりが身振面白く跳ねながら踊る。
○合唱婦人、こゝに四人の
   いざりの兄弟がゐた(タンバリン)
○合唱男、彼等は生れつきの
   いざりではなかつたらう(太鼓)
○合唱婦人、あるとき四人が
   仲良く揃つて山へ
   獣をとりに出かけた
   谷底をふとみをろすと(タンバリン)
   (照明、幻想的な青)
○合唱男、獲物がみつかつたか、(太鼓)
○合唱婦人、ゐた、ゐた、ゐたよ、
   大きな奴がさ
   虎かとみれば、さに非ず
   熊かとみれば、さに非ず、(タンバリン)
○合唱男、たとへてみれば
   どういふ格好のものだ、
○合唱婦人、それは牙がニューと斯ういふ格好で突きでた、豚に似て非なるもの(タンバリン)
○合唱男、さては猪だな、(太鼓)
○合唱婦人、(歌)(女、タンバリンを叩きながら、男太鼓もこれに和す)
   やれ、やれ、やれ、やれ、
   嬉しやな、
   やれ、やれ、やれ、やれ、
   心が踊る
   やれ、やれ、やれ、やれ、
   敵を迎へて、
   心が踊る
   肩の鉄砲
   ダテには持たぬ
   ソッとをろして
   トンと大地を
   台尻でついた、
○いざり一、(極端に道化て)するとさすがに、猪奴は自然の子だ、わずかな土のふるへにも、ピタリと耳をふるはしたね。
○合唱男子、おゝ猪大王どの
   心おしづめ下さい、
   それなる岩の安楽椅子に
   おかけ下さい。
○合唱婦人、岩の椅子には
   紫の花
   紅のツタ、カヅラ
   金銀のキノコをもつて
   美々しく飾られ、
   口を伸ばすところに、
   真清水あり、
   手をのばすところに
   果実あり、
   何の不自由もない暮しな筈、
○合唱男子、(勿体ぶつて)然し畜生の悲しさに、鉄の玉だけは防ぎきれぬ、(高い声で大げさな表情で)美事な金の皮、皮を撃つては値が下る、さて何処をうたう、やれ頭をうつては値が下がる、足をうつても値が下がる、耳をうつては倒れまいさてどこを、どこを覗はう
○いざり一、そこでわしらは協議した、
  二つの眼玉に四つの玉を撃ち込まう
  鉄砲うちの名人は
  そんなことなどわけがない。
○いざり二、何時かも、こんなことがあつた、
  高い木の、いちばん上の枝の
  木の葉をうち落し、その葉が地面までつかない間に、
  四人で替り、替りうちあてた、そしたら木の葉が無くなつた。
○いざり三、(威猛高な声)平素の腕の冴えをみせるは今と、猪大王目がけて
○いざり一、引金を引かうとしたとき
○いざり三、我等の背後にあたつて、物凄く、小石をとばし、石を投げ、
○いざり四、四匹の猪が、我々にむかつて、まつしぐら、
○合唱男子、そこで腰の蝶つがひを、鋭い牙で突きあげられた。
○合唱いざり、傷つきながらもおれ等の胆つ玉はすわつてゐた。逃げる猪の背後から(間)筒口揃へてぶつ放した。
○合唱婦人、(哄笑)そこで今度は猪奴の腰の蝶つがひを撃つたといふ寸法でせう(笑)
○合唱いざり、いかにも、いかにも、
○合唱男子、そこで即座に人間が四人、けだものが四匹、(間)都合八つのいざり、それ以来この世に現はれたといふわけか
○合唱いざり、まあ、聞いて下さい旦那さま方、奥様がた、それ以来の、わしらの生活が(激しくススリ泣き)どのやうに惨めで惨めであつたかを。
○いざり一、猪獲りの名人が山を下りても、こんな惨めな腰格好じや、だれも迎へてくれない。
○いざり三、子供達にはマラソン競争を申込まれるし
○いざり二、物乞ひもしねえのに、帽子を脱いだら、チャリンと金を放りこみやがるし、
○いざり四、大[#「大」に「ママ」の注記]の野郎まで、(泣きながら)馬鹿にしくさつて、背くらべにやつてくる
○いざり一、そこでたまらなくなつて、村に引こんで百姓だ。
○男子一、(激しく)百姓になる、そいつは思ひつきだ。
○いざり二、(ふてぶてしく)我々片輪者は、人間に見放されたんだ(哀れ深く)だが自然にしがみついてゐる分ぢや、邪魔になるまいと思ふのさ、
○男子二、そこで馬にひつぱられて、膝頭で畑の土を掻きまはしたのか、
○いざり三、さうだ、おれたちはシャベルを使ふことは第一流になつた。鎌をうちこむことを熟練した。
○いざり四、足腰の満足な百姓のやうに、畑打ちに、ひよいひよいといち/\腰を曲げる世話もいらねい、
○いざり一、彼等より短かい鍬を使つて、彼等よりずつと先の方まで鍬がのびたよ、
○男子二、(覗きこむやうに出て)自然は、きみたちを心から愛しただらうね。
○男子二、大地は君達百姓にとつて、偉大な楯だからね、
○男子四、あらゆる百姓の不幸が、自然の影にかくれてしまふから。
○男子一、(叫ぶ)百姓にとつて大地は隠れミノだ。
○婦人一、(叫ぶ)自然は親切すぎる悪い女。
○婦人四、(叫ぶ)また厳めしい父でもある、
○婦人三、(叫ぶ)自然の奴は人間の智識を小さく見よう、見ようとするヤキモチ焼よ、
○婦人二、(叫ぶ)あるときは自然は人間を激しく折檻する、
○いざり一、(泣き声で)そ、そ、その通りでさ、わしら折檻されましたよ、嵐で、雨で、風で、雪で、雹をもつて、
○いざり二、(泣き声で)そのくせ後から激しく可愛がるムラ気なママ母の愛のやうでもありました、
○いざり三、(泣き声で)一握の土を、手の上にのつけてごらん、おお、そしたら百姓の苦しみが判らあ、なんて土は重いんだ手の上のこいつの重さといつたら、まるで大地の重さだ、
○男子一、(絶叫的に)悲惨だ、百姓の智恵は悲惨だ、道徳は、悲惨だ。
○男子二、(耳をそばたてゝ)ゴーといふ風鳴りだ、
○男子三、(平然と落ついて)風の前には、かなはない。
○婦人一、でもすばらしい、百姓の小さな知恵が、大地の大きな苦しみを、大きな重みを知つてゐるんだから。
○婦人二、それは決して小さな智恵とはいへないでせう。
○男子一、学問のあるものはどうだ。
○男子三、労働に依つてではなく、思策によつて、
○男子二、大地の秘密を知らうとする、学者はどうだ。
○男子四、学生は、大地の重みを知つてゐるか、
○男子五、職工はどうだ、
○男子六、会社員は、大地の苦しみを知つてゐるか、
○合唱男子、あらゆる人々は、どうだ、
○婦人二、百姓は大地を、第一頁から読んでゆく、ものゝ三頁も読まないうちに、彼等は自然を理解してしまふ。
○男子四、学者は、非常な速度で読んでゐる、今一千頁目だ、だが大地の秘密はなか/\判らない。
〇合唱婦人、(強く)大地の重圧から人間を救へ、
○合唱いざり、(哀れに)大地の重圧からはぬけきれぬ。
○いざり一、(叫び)ぬけきれぬ、
○いざり二、(叫び)ぬけきれぬ、
○合唱男子、(希望に満ちた声で)大地に勝て勝て(太鼓乱打)
○婦人、いざり、男子合唱、人間の集団の力をもつて!
○婦人一、(恐怖の眼で空の一角を指さし)おゝ恐ろしい、恐ろしい、ごらん、あの自然の一角を、
○婦人二、(恐怖をもつて)自然が騒ぎ出したごらん、ミルク色の雲が、みる/\不機嫌な灰色になつてしまつた。
〇男子二、(感動的に)自然が美しい痙攣を始めたのだ
○男子三、(恐怖の声)襲つて来る。
○婦人一、徐々に
○男子一、いや急速にだ―
○婦人三、徐々に
○男子一、いや急速に―
   ◇       ◇
○いざり一、(身ぶるひして)自然、狡猾な奴、力よ、
○いざり二、(恐怖して)おゝ、お前は、鋼鉄の鞭をもつて、おれたちの処へ、打ちにやつてくる、(風の音、舞台急に暗くなる)
○男子の声、風だ、逃げろ、
○男子の声、岩蔭に、
○男子の声、暴風襲来(暴風来る、電光乱れる男子婦人の合唱隊四散、いざり、凝然と座つたまゝ天の一角をみつめつゝ風に堪えてゐる)落雷!
○いざり達、ウーム(気絶して、硬直して仰向けに倒れる(間)いざり達突然立ちあがり叫ぶ)
○いざり二、(高く絶叫して)おれたちは、立つた。
○いざり四、おれたちは自然に負けないぞ、今度こそは、貴様を、百姓の鞭でひつぱたいてやる
○いざり一、さあ、尻を出せ、眼に見えない天の馬め、
○いざり三、打ちこめ、打ちこめ、打ちこめ、自然の風の中へ鞭を、打ちこめ、
○いざり一、風の運行を速やかに
○いざり二、すべてはたつた今、始まつた許りだ、
○いざり四、すべては新しいんだ、
○いざり二、おゝ、新しいもの、新しいものよ、来れ、男子[#「男子」に「ママ」の注記]
○婦人合唱隊、嵐の中をよろめきながら、四人のいざりの傍へ集団的にやつてくる、そして四人のいざりは一つの記念碑のやうな位置にをかれ、合唱隊は高くいざりの群を支へる。
○合唱(婦人、いざり、男子)おゝ、新しいもの、新しいものよ来れ、奇蹟と名つけられるものを強く肯定せよ。   ―幕―


託児所をつくれ

   一

この長詩を書くための材料に
本棚を熱心にかきまはしたが
探す本は発見らない
黒表紙で五十頁余りの
吉田りん子といふ詩人の
『酒場の窓』といふ詩集だ、
捨て難いものがあつて
時々本棚の整理で本を売り飛ばす時も
傍に除けてをくのだから
何処かにまぎれ込んでゐるに相違ない
私は彼女を『奇蹟の女王』と名づけてゐる。

   二

彼女が突然詩人のグループに現はれると
詩人達が彼女の周囲に集つた。
布切れの真中をつまみあげると
布の周囲が寄つてくるやうに――、
詩人は女好きだとは頭から決められない
詩人は女に対しては相当選り好みがやかましいのだ、
一個所欠点があると
その一個所を蛇蝎のやうに憎む詩人やら、
他人が欠点と見るところも
勝手に美化し合理化し拝み奉る詩人もある。

   三

――何てすばらしい縮れ毛だ
 彼女の髪をみてゐると
 荒れ果てた庭を見るやうだ、
 何となく寂寥と哀愁が湧いてくる。
さういふ理由で縮れ毛の女も愛される、
――僕は、彼女を直感的に好きになつたよ、
 皮膚の色が普通の状態ぢやないね、
 あくまで白く、透明だ、
 陶器の白さではない、
 玻璃器の白さだね
 つまり肺の悪い女の美しさが
 僕の心を一番捉へるよ、
こゝでは肺の悪い女性も歓迎される、

   四

――私の異常な美を発見する女といふのは
 妊娠三四ケ月目の女だ
 彼女の細胞が新しく変つてゆく感じだ、
 皮膚の色の美しさ、
 喘いでゐる呼吸が
 女を感情的に見せる。
詩人は電車の中で
異常な美しさの女をみつけた
女の顔に注いだ視線を
胸元から腹部に落す
彼女の帯は蕗のトウを抱へてゐるやうに
ふつくらとふくれてゐた
妊娠も詩人にとつては美しい。

   五

ところで女詩人吉田りん子は
どの種類の美しさの所有者であつたか
特別これといつて変哲もない
小柄な体、脚を活発にはこぶ女
小さな頭、黒い顔、二十二歳にしては
落着いたもの言ひ、
小説家の林芙美子を近代的にして
彼女から卑俗さをぬきとつた、
脱脂乳のやうな淡白な甘みをもつた女、
適宜に男に向つて性慾的な
容子をすることも知つてゐる。

   六

すぱりと男のやうな決定的なもの言ひ
それで何の悪意も感じられない、
男に対してはいつも批判的態度を失はぬ
彼女はこれが唯一の武器だ
女に負けることを
楽しみにしてゐる男にとつては
彼女は女将軍で
男達はしきりに彼女の従卒になりたがる、
なんて気の利いた断髪の刈りやうだらう
断崖のやうでなく
柔らかな草の丘の斜面のやうに、
彼女はなだらかに刈りこんでゐる。

   七

実は私も彼女が嫌ひではない
もつと正確に言へば、
嫌ひな部類に属する女性ではない
しかし私は少しばかり時間が遅れたやうだ、
切符売場にはずらりと
男達の列がならぶとき
列の後で私は待つてゐる根気がない、
彼女を中心にして
座席争ひで男達は戦はねばなるまい、
憂鬱な話だ
私は男達の女争ひの
観戦武官に如くものはなからう。

   八

薄つぺらな詩集を出版した位で
特別に美しくもない彼女が
何故こんなに詩人達に騒がれるのだらう、
彼女が奇蹟を行ふ女のやうに
特別な雰囲気を身につけて
突然に現はれたからだ、
そこには時代的な理由も大いにある、
彼女は現はれ、彼女を中心にして
展開された恋の闘ひの
勝負けのタイプが
恋愛合戦に加つた詩人の運命を
急速に変化させてしまつた、
彼女は詩人達の運命を
決めるため忽然と現はれた不思議な女であつた、

   九

恋の観戦武官である私は
当時手に負へない象徴派の詩人であつた、
彼女の出現頃から急激に思想的転廻をして
コンミニスト詩人の陣営に入つたのだ、
思想の三角洲の真中に吉田りん子が立つてゐる
――あなたは、あちら
――君は、そちら。
彼女が男の詩人達にそれぞれ階級的所属を指図し、
片つ端から整理したやうなものだ、
詩人の大西三津三彼もまたコンミニスト入りの
契機を彼女に与へられた。

   十

悪意の無い男を
誰かに求められたら
私は躊躇なく大西三津三を挙げる、
現実は狡猾で詐欺的なところだ
そこねられない人間が
狡猾な世界に一人でもゐるといふ事が既に奇蹟だ
彼は二十五歳だ、
少年のやうな可愛い眼をしてゐる、
女に対しては謙遜で
女の命令は絶対的にまもる
彼に言はせると
女は真実で真理そのものだ――、といふ
『女を欺すのもよからう、
 僕は女に欺されよう、女に最後まで欺されよう』
その結果はどうなるだらう、
男はほんとうに心から
女に欺されたものなどは一人だつてゐない
多くは欺されさうになると
切りあげてしまふ――と彼はいふ。

   十一

大西の欺され方は徹底してゐる、
女は最初彼を欺むく
女が欺す手段がつきたときは
彼女は純情になるさ――、
根気のよい男だ、
トコトンまで女の感情に
追従してゆく強さをもつてゐる。
彼が予見したやうに
女が純情を捧げだしたとき
彼は逆に優位者の立場に立つ、
彼は勇者のやうに
今度は一歩も退却しない、
彼は幾人かの女に欺され
最後には女に感謝された。

   十二

彼は水が引くやうに
あつさりと女から手をひく
女には勝利の想出が永遠にのこるのだ、
りん子の詩集出版記念会が
新宿の小さな喫茶店で開かれた、
大西は詩集を彼女から贈られ、
彼女の噂もきいてゐたので
多分に興味も手伝つて会に出掛かけてゆく、
三十人程の詩人が集つた、
彼女は少女のやうに
自分の席から眺めまはす
個々の男との交際は多からう、
しかし斯う沢山の男が自分を中心に集つたといふ
始めての経験が彼女にとつては珍らしく
顔を栗色に輝やかす。

   十三

彼女は来会者をながめ
知人や好意のもてる人には
強く意味ふかい視線を送る。
会は楽しくない、白けきつてゐた、
彼女を褒めることは彼女に惚れ
批評することは悪くいふことになつた、
詩人達は早く会が
終ることを望んでゐた、
温和で陰鬱で飛躍的な動作をとる詩人達の性格が
焦々とその飛躍の時を待つ
誰か素晴しいテーブルスピーチで
その場を弾力的なものにしなければ
無言劇に終りさうだ。

   十四

六人の詩人が卓上演説をやつた、
大西三津三も何やら自分にも他人にも判らないことを
口の中で言つてのけた、
『エロテック』『エロテック』
といふ言葉が
彼がしやべつた沢山の言葉の中で
特にはつきりと人々にきこえた
人々は始めて声を揃へて哄笑し
幾分会はなめらかになつた
だがその頃は会を閉ぢなければならない。

   十五

人々は会が閉ぢても未練がましく
会場を去らないのが
文学者の会のしきたりだ、
先輩にあいさつしたり後輩を手なづけたり
帰りに何処かで一杯飲まうといふ
暗黙の間の相談など
会場を去り際の時間に行はれる
りん子の会は珍らしく
人々は潮が引くやうに会場を出てしまふ
りん子を中心に十人の詩人達が
ぞろぞろ喫茶店に繰り込んだ、
其処を出て次には酒場に入つた頃は
十人は六人に整理され減つてゐた。

   十六

りん子や男達は酔つ払つて
バーの女給達のサービスを
必要としないほど
隅にをけない余興がとびだした、
酒場を出た、全く夜になつてゐた、
――りん子さん、今夜は貴女は何処へかへるつもり
――わたしだつて帰る家位あつてよ、
――いや、いや、これは失礼しました。
帰るところを尋ねるなんて
対手をたいへん軽蔑したことになる、
美しい彼女が泊るところがないなんて
想像するさへ愚劣なことだ
男の住んでゐる世界であれば
彼女の泊るところはある筈だのに

   十七

――いや、実は、りん子さん
 誤解しないで下さい――。
 どうです諸君、今夜は『酒場の窓』の
 著者を中心にして夜を徹して語りたいと思ふが
 諸君、賛成してくれ給へ――
何といふ素晴らしい提案だ、
女を中心に徹夜で語る
話題が尽きたら男達は
殴り合ひをしたら退屈は救はれる、
どうやら、さういふ危険な座談会になりさうだ、
怖気づいて二人の詩人は去つた。
そこで六人は四人に整理された、
残つた者は何れも勇敢にして選ばれた者だ。

   十八

――誰かこのうちで独身者が居ないかね
 そこの室を借りよう、
  みんな四人共独身者だよ、
  親がゝりや、間借人は駄目だよ、
 夜通ししやべるんだから
 周囲に気兼ねをするやうぢやね
  誰か、一軒家を借りてるものがゐないのか
  尾山清之助、君のところがいゝ
  さうだ賛成だ
 尾山は最近独身者になつたのだから、
衆議一決した、
尾山は一ケ年程前に妻を喪ひ
六つのサクラ子といふ
遺児と暮らしてゐた
四人の勇者達は
たがひにりん子をいたはりながら
東中野の尾山の家へ繰り込んだ。

   十九

尾山の家は男住ひの寒々とした感じであつた、
尾山は隣家にあづけてをいた
わが児のサクラ子を連れて来た
サクラ子は不意の沢山のお客に
眼をみはつてをどろいた、
間もなくはしやぎ出した
りん子も妙に落着いた気持になつて
勇敢に安坐を組んでよくしやべつた、
『動物詩集』を出した草刈真太は
りん子の傍を離れまい/\と
おそろしく努力を払つてゐた。
尾山は妻を喪つた後の寂寥さに
ときならぬ女客を迎へて
部屋の空気の和やかさを
楽しんでゐる風であつた、
アナアキスト詩人の古谷典吉は
彼女を半分だけ愛し
残りの半分は彼女の態度を眼に余つた
苦々しいものゝやうに沈黙してゐた
大西三津三は、たゞもう無邪気に
女の若さと語ることの嬉しさで一杯であつた。
次第に夜は更けてきた
反対に人々の眼は益々冴えて
沈黙勝になつていつた。

   二十
 
夜は悪戯者で意地悪だ、
夜の計画は、夜は遂行できないが
昼の計画したことは夜できる
四人の中幾人かの詩人は
明るい間に計画してをいたこと
彼女を独占的に愛したいといふこと、
夜が来た、計画を遂行しなければ――、
選ばれた勇者は四である
それを一に帰さなければならない
りん子に対する四人の男の
心の探り合ひは一通りすんでゐた
だが、まだ/゛\勝負は決められない
飛躍といふこともあるからだ

   二十一

一番りん子を愛してゐない男の
勝に帰するといふこともあるから
愛してゐないものが勝つなんて
さういふことは真理にそむく
真理を守るには戦はねばなるまい
戦ひ尽して負けてゆくことは本望だ
勇者の消極性は一番滑稽だ
弱者の精一杯の積極性が
時には勇者に勝つことがある
女を愛するには遠慮がいらない
戦へ、戦へ、今宵一夜の戦場であるぞ――。
と何処かで戦の神が叫んでゐるやうだ。
尾山の家は六畳、四畳半、廊下つきの家、
瓦斯も電燈も四ケ月前に切られてゐる、
ローソクを立てゝ詩に関して一同は熱弁をふるひ
果てはアナアキスト詩人古谷典吉と
大西三津三との激論になつた、

   二十二

――ぢや何だな、大西君
 君はしきりにアナアキズムを攻撃するが、
 君は一体思想的には何主義を奉じてゐる詩人なんだ。
――僕は何主義も奉じてはゐない
 たゞ僕はアナアキズムの自由は
 真の自由ではないと思ふ
 僕は真の自由といふものは
 精神の規律化、精神の典型化を生活上に
 当てはめたものだと思ふ
 そのやうな思想を信じたい
――そんな馬鹿なことがあるものか
 規律、典型、秩序、道徳、そんなものは必要でない、
 一切のものゝ破壊だ
 それが自由さ。
――僕はあくまでその種の自由を
 自由とは認めない
 アナアキズムは観念の世界の自由だ
 手綱なしで乗る馬さ
 君等は人間の本能を
 制御する力もないんだから
 秩序ある自由の下に
 真の闘ひを展開させることなどはできない
――いや、よく解つたよ、
 大西三津三君はどうやら
 怪しげな思想体系をもち始めたよ、
 然し思想体系をもつものは
 集団行動をしなければ意味がないんだ、
 我々アナアキスト詩人は
 いゝ友情の下に組織的行動をとつてゐるんだ、
 ところで君は何主義でもないといふ
 なんの集団行動もやつてをらん
 つまり君のは個人的法螺だな。

   二十三

――僕は、真の自由主義者だよ
 君が是非共僕に主義を
 声明しろと言ふんなら言ふさ、
 僕は、アナアキズム反対主義さ
――何をッ、大西、もういつぺん言つてみろ
 君はアナアキスト詩人壺川茂吉が
 我々の陣営を裏切つて
 コンミニストの方へ走つた
 そして我々に足を折られたことを覚えてゐるだらう。
大西はアグラの膝を立てた
――それで君も僕の足を
 折らうといふのかね
 君達に他人の足を折る自由と
 権利があつたら、さうし給へ
 壺川の場合だつて彼は豪いさ、
 信ずる方向へ進むためには、
 足を折られても妥協のない行動をとつたのだ。
何時果てるとも判らぬ議論の間に
りん子の甘つたれた声が仲裁に入つた
――みなさん、遅いのよ、寝まない
彼女の声で二人の論敵たちは
夢から醒めたやうに
たがひに顔を見合せてにやりと笑つた
――みなさん、遅いのよ、寝まない
二人はもう一度口の中で
彼女の言葉を繰り返してみた。

   二十四

蝋燭が尽きさうになつた、
パチパチと爪を切るやうな音をたてた、
理由ははつきりとしてゐるのだが
一同はそれを口に言ひ表はすことができない
――誰が彼女にもつとも接近したところに寝るか
由来恋は地理的である、
地の利を占めることが最も必要だ
尾山は年輩者らしく
早くも其の場の人々の関心事を見てとつた、
一切を彼女の自由意志にまかすことだ
彼女がどこにどのやうな塹壕をつくつて
男達を防ぐか
それとも彼女が全く城門を開放してしまふか

   二十五

戦術家としての彼女の意志を知る必要がある
――りん子さん、あなたは何処へお寝みになる
彼女の答は活溌だ
――私に、六畳の部屋をくださいな
 わたし一人の部屋よ
 みなさんは四畳半に寝たらいゝわ
おゝ、なんといふ公平な処置だらう、
彼女は聡明である、
りん子は押入から夜具を引き出さうとした
押入れには掛布団が一枚入つてゐるばかり
――寒かつたら何でも
 引ずりだして掛けて下さい
 毛布が一枚あるよ
 我々はみんなゴロ寝だ、
一人の女王のために
四人の兵士は野営の状態だ
それもよからう、心から王者に仕へるといふ
馬鹿者の心理は幸福だから、

   二十六

りん子は六畳の真中に夜具を敷き
火鉢の火に手をかざしながら
何やら雑誌を読みだした、
男達とサクラ子は四畳半に鮨詰めになつて
穏やかならぬ興奮状態で低い声で話合ふ
――君は吉田りん子といふ女を
 どう思ふかね
 悪党でもないやうだね、
草刈真太は低い吃り声で
古谷典吉に向つて語りだす、
――おれは、あの女が好きなんだ、
――ところで大西君も
 あの女に満更でもないだらう、白状しろ

   二十七


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