小熊秀雄全集-06
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著者名:小熊秀雄 

    22

権太郎は心に第三の雪崩を予期し
けだものよりも敏捷な態度で
はげしく山林官の服をひつぱつてみたが
山林官はしつかりと
何かに咬へられてゐるやうに動かなかつた
倒れ落ちた屋根の梁は
山林官の左の手首をしつかりと押さへこみ、
雪の重みはその梁に加勢してゐた
到底彼の力で梁を持ち上げるなどは
思ひもよらない
そして火は仕事をいそげ
でなければ燃き殺してしまふぞ――と
威嚇的に燃えだした
武器をもつてゐなかつたアイヌが
熊に噛みつかれた瞬間
熊の舌を掴んで手離さなかつた
遂に武器なしに熊を倒した話がある。
真の勇気とは
何時も直截な手段を選ぶものだ、
権太郎は自分の帯をほどいて
山林官の腕をかたくしばりだした
傍の鋸をみつけると
梁を伐るのではなく
山林官の二の腕に鋸をびたりとあてた。
――シャモ、がまんしれよ、
――シャモ、がまんしれよ、
暗から聞えるのは
人間の骨を切るゴシゴシといふ梁の声
山林官の苦痛の悲鳴にもまして
『我慢すれよ』の権太郎の
繰りかへしの言葉は
悲鳴を帯びてゐた、
そして血に塗れた鋸と
山林官の腕を梁にのこして
山林官の体は地上に運びだされた。


    23

権太郎は雪の上に
山林官の体をよこたへ、
それから激しく続けさまに
口笛をふいた、
すると何処からともなくたくましい
耳のピンとたつた
黒い樺太犬がとびだしてきた、
権太郎の背にとびかゝつた
権太郎はおゝと叫んで
――太郎、みんな呼んでこい
  馬鹿野郎奴、
とその犬を吐鳴りつけると
犬は人間のやうに彼の言葉をききわけ
矢のやうに去つていつた、
間もなく続々と犬達は集つてきた、
集つてきたのではない、
太郎が狩り出してきたのであつた、
凶暴な眼をした
この先頭犬、太郎は
十三頭の犬を力強く牽制してゐた、
そして巧みに激しく仲間に咆え、
雪崩の恐怖から
遠く逃げようとする卑怯な
犬の脚を背後から噛み
これらの犬達を
先頭犬は一個所に集めてしまつた、
らんらんと輝く眼をした太郎は
これらの犬から数歩離れたところに身構へし
脱落者をいつでも噛み殺さうとする
気配を絶えず示し
――太郎、橇つけるんだ
  みんなならばせろテ、
と叫ぶと太郎は
犬達をいつたん散らばし
咆え、叫び、噛み、威嚇して、
十二頭の犬を二列にならばした。


    24

権太郎はその時倒れた犬小屋から
橇を曳きだしてきて
山林官の体をその上に横たへ、
犬たちの首輪を海豹製の
引綱にそれぞれつなぎ
すべての準備が終つたとき
先頭犬太郎を最後に綱につけ、
己れも橇にまたがつた。
皮の鞭をピューと空にふると
犬達は一斉にひきだした、
犬は矢のやうに
海岸に添つて走りだした、
トウ、トウ、トウ、トウと絶えず叫び
アイヌは橇の上で
犬達を適宜に激励し、勇気づけ、
橇は十里の路を隣り村まで
負傷者の手当と救援を求めるためにとんでゆく、
二度三度この軽快な橇は
雪の上に転覆した、
すると犬達はピタリと停まる、
先頭犬はたえず神経を昂揚させ
驚ろくべき神経の緻密さを示しながら
主人の意志を正しく
犬たちに伝へる、
アイヌは犬の訓練の
技術のありつたけを傾け
負傷者の苦悶の声をのせて
橇は海伝ひに雪明りの路を飛んでゆく。



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