小熊秀雄全集-04
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著者名:小熊秀雄 

生の中にあつて
生きてゐることを知らない者へも同様に――、
そして私は彼等を罵る、
――君等は、もう生きてゐないと、
青春を粗末にするものには
早く老いてしまへと祈つてやらう。
私は知らない
私や友の魂の行衛を、方向を――、
何処に昇つて行く梯子があり、
何処に君が降りてゆく階段があるかを、
私が知つてゐるのは
上へも下へでもなく困難な前方へだ、

私は自分の通る路を
自分の感情で舗装して進む、
他人の路ではなく自分の路で
他人の不安を借り物にするのではなく
自分自身の不安の路だ、
私は他人に私の路を、さし示すほど
勇気はもつてゐない
友は、諸君はまた、ひたむきに歌ふ
喜怒哀楽の良い楽器だ、
私もまた雨の中で感情の太鼓を打たう、
そして期待する晴天の日を、
私は疲労を忘れて
勇気ある鼓手たることを望む。


おとなしい人

なぐさまれない一日よ、
だが不満を捨てるゴミ箱はない、
味方にぶつぶついふことは
味方がたまらないだらう、
敵にむかつて自分の不満をさらけだすこと
つまり――敵に甘えることだ、
味方には愛情
敵には攻撃以外の何ものもなし、
さて、我々の不満よ、不満よ、
そのハケ口をどこにみつけようか、
それとも不平不満を
そのまゝじつと堪へて時間を喰ふか
それは良くない、
おとなしい人々よ、
不平を処理する方法は
七転八倒の苦しみの中から
引き出し給へ、
温順な人、
それは味方にも可愛がられる
そして敵にも愛される、
まあ、言はゞ階級闘争の
男メカケのやうなものだ、
私はさうしたおとなしさを軽蔑する。


数十万年目に相逢ふ月と星とに就いて

私はうつむいてあるく、
何を考へて歩るくと君はおもふ、
それはさまざまのことである、
つまらぬ出来事についても
たとへばユズの匂ひで濛々と部屋中を
とぢこめた銭湯に入つたことを考へながらあるく。
それから綿にアルコールをつけて
死んだ友だちの顔をふいてやつた時の
 ことを考へてあるく、
じつと地面をみつめてあるく。

私はものの観方を決して浅いとは思つてゐない、
もし私の視線が鉄の棒か、鋤(すき)であつたら、
二度とふたたび私の通つた後を
通ることができないほど
地面は私の視線で掘つくりかへされてゐるだらう
憎しみをもつて、あいつを見る、
あいつはその場で死ぬだらう。

私はいつものやうに
下うつむいて夜の街を通つた、
すると私とはアベコベに空を仰ぐ
ものものしい様子の大人や
子供の一団がゐるのに気がついた、
それは何かしら異常な出来事を好む人々が、
好んで立つ何時もの十字路であつた、
とほくに火事でもあるのか、

私は思はず人々のするやうに空を仰いでみた、
そこに不思議なものを見た、
空には何があつたか、
――それは親密な奴等のしやれた立話であつた。
そいつらは空でキラキラ光つて
いささか得意気にも見え
非常にひろい空間に
鷹揚に自分達の位置を占めてゐた、
それは一つの上向いた三ケ月様と、
その下にするどく光る金星と、
月の上部にはニブク光つてゐる土星であつた。
――近星(ちかぼし)は人死にがありますよ、
老人らしいのがこんなことをしやべつてゐた、
――今夜の月と星とは
 数十万年目に一度出逢つたんださうですよ。
その日の朝刊で知つて
誰やらがかう興奮しながらしやべつた、
みるみるうちに金星は
月の周囲をめぐりだした。

私は星の実在と
星が人間に与へる影響に就いて考へながら、
またしてもうつむきながら歩るきだした、
そして私はかう考へた、
あの黒い空に天文学者たちは
白いチョークで無数の線をひく、
そこで彼等は数十万年目に
月と金星と土星のコースが
今日合致するといふことを知ることができた、
なんといふ偉大な人間の仕事だらう――。
だが学者たちは月を星を、
この光る空の機関車のどれをも
自分の思ふ引つ込み線にひき入れることも、
ポイントを返して行き違ひにすることも
人間の力では不可能なんだ、
空の光るものたち、
光る機関車たちは
その日私にどんな土産物をもつてきてくれただらう。

その土産物はかうだ、
私にとつてはこの三つの光る物たちが
現れる丁度、一週間程前に
私の同志(タワリシチ)が自殺したといふ事実があつた。
あゝ、その星たちが運行し
近づきあつてゐる時に――、
同志は思想的苦しみのために
自滅にちかづいてゐたといふことであつた、
数十万年目の月と星との遭遇と
またこれらのものゝ離反のそのやうに、
いまでは私と友とは
永久に相逢ふことができなくなつた、
いまは私一人で
この美しい月と星との集合を見た、
それが彼等月や星が私へもつてきた第一の土産であつた。

第二の土産。
生きのこつてゐる私にとつての――、
星よ、ありあまる程のお前の印象であり、
そのお前の光りである、
生きてゐる私の手にお前たちの光りはとどく。
そのために一層私の手は美しく見えた、

私は友の死でこの一週間憂鬱だ、
そのために一層いつもよりうつむいて歩るいてゐる。
今夜の月と星はもう離れかけてゐる、
だが明日はまた我々の知らないところで、
また数十万年目に
相合ふ幾組かの星があらうとも知れない、
あるひは街で人々が騒ぎながらみるだらう、
また私は一人の同志を死なすかもしれない、
だが私はいづれにもせよ、
何時も感動をもつて星とさゝやく、
私の新しい生命について。
新しい未来について。
新しい問題について。
感動をもつて――、
お前とささやくことができるだらう。


青年の美しさ

新しいものよ、
あらゆる新しいものよ、
正義のために生れた
さまざまな形式を
わたしは無条件に愛す、
然も、君が青年としての
情熱をもつて
ふりまはす感情の武器であれば
それが如何なるもので
あらうとも私はそれを愛し、信頼す
私はおどろかない、
君の顔に
よし狡獪な表情が現れようとも
私は悲しまない、
君の行動に
臆病さがあらうとも
若し、それが君を守るものであるならば、
ましてや君の若い厳粛さと
青年の勇気は
なんと新しい時代の
蠱惑的な美しさをもつて
相手に肉迫してゐることだらう
青年よ、
我々は環視の只中にある、
あらゆるものに見守られてゐる。
熱心に祈りの叫びをあげながら
現実のつらさに
眼を掩つてゐる君の老いたる父や母にも――
吐息を立てゝゐる兄や妹にも――、
これらの身近なものは君を守る
だがとほくのものは
ただおど/\としてゐる許りだ。
信じたらよい、
君は夢の中の物語りをも――。
君のみる夢のなんと喜びに
みちた感動の彩りをもつものよ、
我々は知つてゐる
青年は青年の夢が
どのやうな性質の
ものであるかといふことを、
ふるへよ、
君の肉体を、
護れ、
君の感情を
そして君は入つてゆけ
もつとも旋律的な場所へ、
老いたるものにとつては
苦痛の世界であるが
我々青年にとつては
感動の世界で、ある処へ。


悪批評に答へて

卑怯な男に光栄な日が何日続くだらう、
彼の批評は一つの作品に
面とむかつてムンヅと組みついてくることをしない、
小股すくひや、後からの組みつき
あるひは通り魔のやうに
作品の上を横切つて
聞きとりがたい声で何やらつぶやいて通る
私の二百行の詩を五行の
印象批評で片づけてしまふ
彼の批評のすばらしさよ、
私の詩がヂャアナリズムに乗つた時
その瞬間彼は私の詩をとりあげた
その瞬間私は恥辱を感じた、
同時に彼が我々の陣容の
よき護り手ではなく
単なるヂャアナリズムの用心棒であることを暴露して。
彼のもつてゐる批評の尺度と
ヂャアナリズムの尺度との
何といふ偶然的な一致よ、
プロレタリア作家たちよ、
我々は批評を恐れてはならない、
私はほめられると嬉しい、
また悪く言はれると腹が立つ
だがそれはほんの眼をパチリと
まばたく間だけのことだ、
実は今では私は褒められても嬉しくなければ、
悪く言はれても腹がたたなくなつた、
真実な批評家のみが我々を感動させる、
彼を指して
理論や批評をもつて
大衆を正しい方向に導いてゐるものと考へちがひをするな、
実は彼は批評ではなく
大衆や作家にむかつて恐喝文を書いてゐるのだ、
脅やかしてまで大衆を
己れの方向にむかはせようとする
彼の理論は
将にファシスト的色彩を帯びてきた、
真理に熱心だといふこと――、
なんといふ涙ぐましいことか、
然しあまりに熱心さの故に
われわれは彼のやうに
恐ろしい独断主義になるといふことを
たがひに警戒しよう、
友よ、我々はこれらの批評家や
虎視眈眈(こしたん/\)たる多数の眼の輝やく中に
悠々として信ずるところの
作品を書き流さう、
批評家の凌辱をこばめ
君の作品にもし貞操があるとすれば――、
我々はむしろこの種の批評家に
黙殺されることを感謝していゝ、
友よ、批評家や、作家仲間の批評を
目標にして作品を書くな、
我々は大衆読者に直接愛されれば
それでいい――。


敗北の歌ひ手に与ふ

敗北の歌はしづかにきこえてくる、
君の肉体は良い声を発する
悲鳴と悔いと怖れと苦しみとの声
周囲の物、たとへば君の隠れ家の
扉がそのときどきのやうに
怖ろしい音を立てて軋(きし)つたか、
君はその物音に聴き耳をたてた、
敗北の君にとつては周囲のものすべてが
君と調和してゐる、
永遠の時間を
君が一瞬間占有して
敗北をうたひつづけることは自由だ、
ただ君の泣きつづける大胆さに
私は敬意を払ふだけだ、
然し私は君と共に
敗北の歌をうたはない
君は知つてゐる
針でついたほどの
小さな勝利をも発見することを――。
それを知らない君を哀れみながら、
私は私の時間を使用するために
君の妄想の小屋から出てゆく
そして路をゆく
私は右足と左足とを
かはりがはり単純に繰り返しつつ――。
私の旅立ちの愚劣さを
君に軽蔑されながら私は歩るいてゆく、
それで構はない
さまざまなところで夜となると眠る、
さまざまな夢をみて
そして圧倒的な強烈な光りを
周囲に投げかけて太陽が
のぼつたとき私は床を離れる、
私は太陽や、麦の匂ひや、
ザクロの赤さや、若い馬を
非難する言葉を知つてゐないから
君のやうに敗北の歌にこれらの物を
たたきこむ言葉をもつてゐないから――、
君が己れの敗北を肯定するやうに
これらのものの健康さを私は肯定する、
君の眼から私はいつも
苦痛を知らない
喜劇的な無智な男にみえるだらう。


空の青さと雲の白さのために歌ふ

空はあくまで青く、
雲はあくまで白く、
私達のために
私達の眼のとどく限り空は展開されてゐた、
ハムレットのセリフではないが
クジラのやうな雲の形は
見る見るラクダのやうに形を変へてゆく。
私はこの自由に移りかはる雲を
引きもどす何の神通力をもつてゐない
だが私の眼は
その雲をどこまでも何処までもと
追つてゆく力がある、

いま世界で
何人の人間がお前を見上げてゐるだらうか、
雲よ、
お前はそれを知つてゐるだらうか――。
あらゆる階級が
あらゆる処から空を仰いでゐるだらう、
幸(しあは)せなもの、
空よ、雲よ、
お前はあくまで我々のために動くものであれ、
その青さと白さの
明瞭さの為めに
私達は何時も
晴れた日のお前たちを
勝利の緞帳(どんちやう)のやうにも見あげる、


忘れられた月見草に

幸福でありたい私の詩人よ、
不幸はどんなに
辛いことであるか、
不幸――、そんなものはもう沢山だ、
だが他人は無理をしないで
順々に幸福になつたらいゝだらう、
まだ苦しみ方の不足してゐる
インテリゲンチャは
身悶えして苦悶をし給へ
一人の友が苦痛を訴へるとき
一人の友は苦しんでいけないなどといふ
私はそんな権利はない、
私には他人の苦しみを批難する権利を、
誰からも与へられてはゐない、
苦しむものは
むしろ私の良い親友だ、
月夜に月見草が
ぽつねんと白く咲いてゐるのに、
誰もそれを見てゐない、
私だけがそつと花の傍に立つて
しきりに花にしやべつてゐる、
苦しむもの、見忘れられてゐるもの
孤独なもの、
人間以外のものにも
よき友となるために
私の仕事は「発見」あるのみだ、
生きた人間が
最大の声をあげて
苦悶を訴へてゐるときに
優しく肩を叩いて慰めてやる前に
大きな手で口をふさいで
やるなどといふことが出来るだらうか、
友の苦痛の深さに答へるために
友の苦痛に負けない
歓びの歌を私は歌ふために努力しよう、
私は英雄でない
私は民衆の指導者ではない、
私はあらゆるものの教師となることが大嫌ひだ、
私はうぬぼれない、
私は憎むべきものと争ふ
若干の力のあることを信ずるだけだ、
友よ、
苦しめ、君は私の
親しい合唱(コーラス)として、


怒り虫として

愚劣で
なんの主張もないやうな
君の唇は噛み切つてしまへ
沈黙は怖ろしい
忘却は恐怖そのものだ、
私は嘆息するとき
肉体が衰へてしまふほど
ながいながい間、
咽喉は汽笛を鳴らしてゐる
私は怒り虫として
毎日、毎日新らしい遺言を書き続けてゐる、
憤怒は実に嬉しいものだ、
民衆は漬物桶の中にゐる
重石(おもし)で圧迫されてゐる、
うまい具合に醗酵してゐる、
私の心臓もナスビのやうに
うまい具合に漬かつてゐる
良い味のある歌をうたふのだ。


伴奏曲

静かな良い夜に
私はけつして浮かれてゐない、
私は突然に生れてきたものではないし
何等特別な経歴がない、
私はプロレタリア、
私は彼等のために
俗に平凡と名づけられる
生涯をこれまで押しつけられて
こゝまで長生してきたのだ、
だが今は決して通俗的な階級でない、
特異なものだ、
我々が痙攣を終へたとき
彼等が痙攣を始めた
恐怖の身ぶるひを――、
我々はこれを見てゐる
我々は惨忍を愛してゐない、
だが今は愛さなければならない
この行為は認められる、
我々の相手よ、
針の千本ものんで苦しめ、
首に麻繩を千べんも巻け、
鬚を剃るためのカミソリは
すぐ咽喉のために用意されてゐるのだから、
労働者たちは性格の
特異性を最大級に
発揮しなければならないし
インテリゲンチャの泣きごとは
戦ひの良い伴奏曲だ、
少くとも彼等が神を信ずるやうに
我々は我々の行為の信仰に
階級的ヱゴイストでなければならない、
生活を特殊化し
魅力あるものとせよ、
我々の冷静にはいつも魂胆がある、
彼等にとつては
覗(うかゞ)ひしれない
それは深いところにある。


調和を求めて

私のいちばん求め愛着のあるものは
それは調和だ、
あらゆる調和だ、
私はそれを求め、
達しられないために悩む、
はげしい嵐の中の立木が
堂々と風と闘ひ
みぶるひをしてゐるのを見るのは気持がよい
だが大きな岩石の蔭に
小さなスミレの花を発見することは
この上もなく悲しい、
巨大な機械の傍に
太い体の労働者が
突立つてゐるところをみると
なんといふ良い調和だらうと
私はヨダレを垂らしながら
いつも羨やむ、
立派な肉体や、強い意志や性格は
私にとつて良い嫉妬の対象である、
私は私なりにもつともピッタリとした
行動を求めてゐるのだが
ともすれば私の周囲の出来事の
大きな不調和な
矛盾の中にとびこんでしまひ
そしてあつちこつち小突き廻される、
単に威嚇的な身振りをして
己れの力を
敵の前で労費することは
私にとつてこの上もなく苦痛だ、
強がりや、こけをどかしの生活は
なんていやなことだらう、
驚嘆すべき力といふものは
いつも最も調和された
完成された形で現れるものだ、
だが――私は
強い石の傍(かたはら)の弱々しいスミレのやうに
「矛盾の美」をもつて、
「弱者の美」をもつて、
まだ他人を感動させようとしてゐる、
この二つのものは決して調和してゐない、
私は可能な力をもつて
小さな矛盾から解決していかう
そして之等のものを
新しい時代の
高度に調和的な世界に導くために
私は苦しまう、
調和的なもの不調和なもの、
同時にこの二本の剣を呑んだ
軽業師(かるわざし)のやうに
私は何時も咽喉や心臓の中で
絶えずこの二つのものの争ひは絶えない、
一方は一方の剣を切つてゐる、
そして苦しんでゐるものは私の肉体だ。



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