小熊秀雄全集-14
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著者名:小熊秀雄 

 そこで仕方なく、その死んだ豚は、通りかかつた農夫にやつてしまひ、生き残つた二頭の豚を追ひながら、夕方ちかくになつて、新らしく建てられてゐる豚小屋に着きました。
 翌日のことです。
 一頭の豚は、男が親切に、とり替へてやつた[#底本の「。」を削除]寝藁(ねわら)を蹴飛ばし、水桶をひつくり返して、小屋中水だらけにして広い除虫菊畑にとびだしました。
 その日は、お天気がよかつたので、豚は小屋の中に、居るのが嫌だつたのでせう。
 豚は男の大事に手入れをしてゐた、除虫菊畑を歩るきまはつて、花をすつかり踏みにじつたので、男は腹をたてました。
『なんといふ不心得者だらう、勘弁はならない。支那人の料理人(コック)の言つたやうにして、懲(こ)らしてやらなければ。』
 豚飼の男のお友達に、支那人の料理人(コック)がをりました。そしてこの料理人(コック)の話では、豚のお尻の肉を、庖丁で削りとつて、その切りとつた痕に、土を塗つてをけば、翌日ちやんと、もとどほり肉があがつてゐるといふことでした。
 そこで男は、豚を木柵(もくさく)にしつかりとしばりつけてをいて、肉切庖丁を、一生懸命に磨ぎ始めました。
 あまり腹を立てたので、手元がふるへて、庖丁を磨いでゐる最中、小指をちよつとばかり切りました。
『豚奴が、刃物とまで共謀(ぐる)になつて、わしを苦しめようとしてゐるのだらう』
 と、そこでますます腹をたてました。
 やがて庖丁がギラ/\と研ぎ上ると、種豚を押へつけ、お尻の肥えたところを、掌(てのひら)ほどの大きさだけ、庖丁できりとつて、そのあとに土を塗つてをきました。
 その夜は、豚のお尻から削りとつた肉を、鍋で煮て、お酒をのんで、おいしい、おいしいといつて男は眠りました。
 翌る日のことです。豚のお尻の創(きず)あとは、ちやんと治つてをりました、以前にもまして脂肪(あぶら)がキラキラと光つてをりました。
『ほう、これは不思議、なかなか便利ぢやわい。』
 男は喜んでその日は、前日左の尻の肉を切りとつたので、こんどは右の尻を掌ほどの肉を切りとりました。
 その翌日、大変な事が起りました。
 何時ものやうに、種豚のお尻の肉を削りとらうとして、尻に庖丁を切りつけました。そのとき、何処からともなく、物の焦(こ)げつく匂ひがしてまゐりました。
 つづいて、パチンパチン、と何やら金物の割れる音がしました。
 男は鼻を、ピク、ピク、させました。
『これは失敗(しまつ)た、フライパンを、火にかけたまま来てしまつたぞ。』
 お台所に、駈けつけてみると果たして肉鍋は、火の上で割れてゐました。今度は豚小屋に引返してみると、豚はお尻に庖丁をさしたまま、高い石垣から転げ落ちたので、胴体が、すぽりと、二つに切れて死んでゐました。
 二頭の豚をなくした男は、生き残つたたつた一頭の種豚を大切にいたしました。
『豚小屋を、きれいにするのはお可笑(かし)い。豚小屋は昔から、汚ないところときまつてゐるのに。』
 と近所に住むお婆さんに笑はれたほどに、敷藁の取り替(かへ)や、床板のお掃除に、一生懸命になりました。
 ところが豚のお腹が、だんだんと、太鼓のやうにふくれてきました。男は豚の赤ちやんの産れる日を、首を長くして待ちました。
 男が畑で作物の手入れをしてゐた或る日、急に豚小屋の方が騒がしくなつて、元気のよい、
『一匹産れたピー』
 といふ豚の子の口笛がするのを聞きつけました。つづいて
『二匹産れたピー』
 といふ、空にもひびくやうな朗らかな声がきこえました。男は『それ豚の子が産れた。』と飛びあがつて喜び、手にもつてゐた鍬(くは)を投りなげてかけつけました。
 二匹の可愛らしい子豚は、口を尖らし、口笛をふき、手足をのばしたり、跳ねてみたりして、母豚(おやぶた)の体のまはりを走つてゐました。
 ところが、男がよくよく親豚を見ると、親豚は、なにやら青い長いものをのんきさうに、ぴちや、ぴちや、といやしく舌なめずりをしながら、水でもなめるやうな口をして喰べてゐるのでした。それは一匹の青大将でした。その喰べる容子は、たいへん熱心でした。親豚は、これを喰べてしまふまでは、赤ちやんの方は、おかまひなしといつた顔付きをして、叮嚀に噛んでゐるのです。子豚もまた母豚(おやぶた)にはおかまひなしに、
『三匹産れたピー』
『四匹産れたピー』
『五匹産れたピー』
『六匹産れたピー』
 と、口笛をふいて、お母さん豚のお腹から、ぴよこ、ぴよこ飛び出し、四方八方へ駈けだしました。母豚が青大将を、尻尾まで、喰べてしまふまでには、子豚が、ピー、ピー、何匹産れたか、この豚飼の男には、おぼえがない程、たくさんに産れました。(昭4・5愛国婦人)

白い鰈の話
 しつきりなしに海底に地震のある国がありました、そのために海はいつも濁つてゐて底もみえず、漁師達はただ釣針を投げこんで手応へのあるとき糸を引きあげて釣つてゐる有様でした。村に一人の利巧ぶつた漁師が住んでゐて、彼は漁から帰つてきてこんなことを話しました。
『近頃、わしの釣る鰈(かれひ)は全部真白だよ、この頃の海の水は非常にきれいになつた、それで鰈の奴も白くなつたのだらう――』と言ふのでした、仲間の漁師は考へた。自分達が漁に出ても、海の水は相変らず濁つてゐるし、だいいち真白になつた鰈などは、釣れたためしがないので、その言葉を怪しみました。
『そんな筈がない、ひとつその君の白い鰈といふのを拝見させて貰はうぢやないか――』
 漁師達は打ち揃つて男の家へ行つてみました、男の家の土間には、なるほど真白い鰈が列べられてゐましたが、よく見ると鰈の腹側の白いところを、みんな上向にして列べてあることがわかりました、漁師達は、それをひつくり返して、表の黒いところを出して指さしながらいひました。
『君は妙な男だよ、こないだから大分、暴風波がつづいてゐたが、このたつた二三日、凪があつただけで、すぐ気の変つたことを言ふのは困りものだね、鰈の裏表もわからずに、よくもこれまで漁師をやつて来られたもんだ、大体君といふ男は物の裏表がわからんばかりぢやない、前に言つたことを、手の裏を返すやうに、平気で変へてしまふ、信用のできない、ズルイ男だよ――』
 かういつて笑ひながら一同は帰つてゆきました。(昭13・6三十四)

緋牡丹(ひぼたん)姫
    一
 唖娘はたつた一人で野原にやつてまゐりました。
 そして柔らかい草の上に坐つて、花を摘んであそんでゐました。
 さま/゛\の、青や赤の草花の花弁(はなびら)をいちまいいちまい、針で通してつなぎました。この花弁で首輪を作つたり腕輪をつくつたりしてあそびました。
 唖娘は花をつみながら、どんなにお友達のないことを悲しんだでせう、唖娘はどんなに泣いたことでせう。唖娘はたいへんほかの娘(こ)よりも、たくさん涙をもつてゐました、そしてほかの娘よりもたくさん泣いたのでした。
 しかし唖娘はけつしてお友達の前で泣いたことがありませんでした。
『まあ、ほんとにお可笑(かし)いわね、蛙のやうよ』
 お友達は、唖娘の声をたてて、泣くのをかう言つて笑ひました。唖娘は、泣くことがほんとに下手でした、そして声を立てて泣いても、お友達の言ふやうに、ほんとうに蛙のやうに、いやらしい声をたてて泣くのです。
 お友達よりも、たくさんの涙をもつてゐましたので、その涙は眼にあふれさうです、しかし皆(みんな)の前で、泣いてはみなに笑はれますので、どんなに悲しい出来事があつても、じつと堪(こら)へてをりました。そして野原の誰もゐない、静かな草の上にきて、せいいつぱい、蛙のやうな、醜い声を張りあげて泣くのでした。
 唖娘は、草花の花弁を糸につなぎながら、とき/゛\胸に手ををいて、五日も十日も一月も、二月も、それよりももっと/\以前の悲しい出来事までも思ひだしてはたつた一人で泣きました。しかし悲しい事がまいにち沢山つづきましたので、お友達の誰よりもあふれるやうにもつてゐた唖娘の涙もかれてしまひました。そして、蛙よりもつと醜い、『ひいひい』と馬のやうな声をだして泣くやうになりました。
 それに唖娘の涙は、もう頬に流れることがなくなつて、瞼の内側に火のやうに熱くたまつた僅かばかりの涙が顔の中にながれました。
 そのとき、はじめて唖娘は涙は海の水のやうに塩からいものだといふことがわかりました。

    二
 しかしやがて馬のやうに泣くことも、唖娘にはできなくなつてしまひました。
 いつも唖娘の泣く声の面白さに、さま/゛\なことを言つて、唖娘を泣かした意地の悪いお友達も、唖娘が泣かなくなつてから、誰も対手(あひて)にしなくなりました。
 唖娘には、お父さんもお母さんもありませんでした。
 そしてこの憐れな孤児の唖娘は、見も知らぬ不思議な小母さんに養はれてゐました。
 それが何時(いつ)の頃から、小母さんの処に来てゐるのか、自分でも知つてゐないほど、小さな時のことでした。
 小母さんは、それは/\広々とした花園(くわゑん)を持つてゐて、そこには薔薇の花をたくさん植ゑてゐました。
 唖娘はまい朝早く起きて、この花園の土に素足になつて、手には重たい如露(ぢよろ)をさげて、薔薇の間を縫ひながら、花に水をやるのが仕事でした。
 その仕事は、けつして辛い仕事だとは思ひませんでしたが、小母さんは、たいへん邪険な人でしたから、唖娘がささいなあやまちをしても、薔薇の棘のある細い鞭を、ぴゆう/\と風のやうに鳴らして、肩のあたりを激しく打ちました。
 唖娘は、これをたいへん悲しく思ひました。小母さんは、黄色い長い上着をぞろ/\と、地面にひきずりながら恐ろしいとがつた眼をして、唖娘の後に尾(つ)ついてきながら、それはやかましく指図をしたり、小言をいつたり、いたしました。
 小母さんのいちばん機嫌のよいのは薔薇の花に、しつとりと朝露の含んだ頃です、その時だけは、小母さんは晴ればれとした顔をして、花園の中を歩るき廻ります。
『わたしの皮膚の匂ひを、かいでごらんよ、唖娘、なんといゝ匂ひだらうね。なんの花の匂ひをするか言つてごらんよ。』かう言つて小母さんは、唖娘の鼻さきに、自分の痩せた顔をつきだしました。
 こんなときには、おばさんの一日のうちで、いちばん機嫌のよいときですから唖娘は、小母さんの機嫌に逆はぬやうに、だまつて薔薇の花を指さします。小母さんは、さも満足のやうに、にこにこいたします、しかし、ほんとうは小母さんの顔はまつくろで、ざらざらと小さな棘の生えてゐるやうに、皮膚が醜く荒れてをりましたし、それに念入りに、こて/\と薔薇の花粉(はなこ)で拵らへた白粉を、まだらに塗つてをりました。
 小母さんは、この花粉の白粉で、額の溝のやうに深い、たくさんの皺をかくしてをりましたので、ほんとうの小母さんのとしが何歳(いくつ)であるか、唖娘は知りませんでした。

    三
 しかし小母さんの機嫌のよいのも、ほんのちよいとの間でした。午後になつて、薔薇の花の露もとけてしまひ、お日さまがぎら/\と照る頃になると、だん/\と小母さんの気があらくなつてまゐります。
 そしてはげしく薔薇の鞭をならしました。
 唖娘はいち/\、ひとつ残らず薔薇の花に、接吻をして廻らなければなりませんでした、すると不思議なことには、蕾はぱつと開き、元気なくしをれていた花は、いき/\と頭をもたげました。
 唖娘は午後から、かうして幾千といふ数かぎりない花園の薔薇に、接吻をさせられましたが、しまひには唖娘の可愛らしい唇は、あれきつてザクロのやうになつてしまひました、そしてふつくらと、ふくらんでゐた頬も棘に引掻れて、憐れに傷ついて、治るひまもないほどでありました。
 夜になると、唖娘はまた小さなカンテラをともして、花園にゆかなければなりませんでした、そしてそのカンテラの灯でてらしながら、薔薇のひとつひとつの棘をていねいに磨かなければなりませんでした。
 唖娘が、蛙のやうにも、ひい/\と馬のやうにも泣くことができなくなりますと
『この娘は、なんといふちかごろ強情になつたのだらう、少し位打つても泣かない。』
 かう小母さんは言ひながら、以前にも増してはげしく鞭を振りました。
 唖娘はやがて、まつたく泣くことも笑ふことも忘れてしまつて、石のやうな顔となつてしまひました。
 或る日、唖娘がよねんなく、野原で花びらをつないでをりましたところがいつの間にか自分の傍(そば)に、緋の衣装(ころも)をきた少女が坐つてゐて、をなじやうに花びらをつなぎ始め、をりをりにつこりと、優しく唖娘に笑顔をむけましたが、とう/\いつの間にか二人は仲善しになつてしまひました。
 しかし唖娘は物を言ふことができなかつたので、どんなに悲しかつたでせう。

    四
 唖娘が、ある晴れた日、いつものやうに草原に坐つて花をつんでをりました。
 すると、どこからともなく、美しい一人の男の子がやつてきました、そしてふところから、それは/\美味しさうに熟した、唖娘には、かつて見たこともないやうな果物をひとつだして、くれました。
 しかし唖娘は、頭をふつて、けつしてたべようとはいたしませんでした。
 それは、小母さんが、唖娘に毎日の食物として牛乳より他にくれませんでしたし、そのほかのものをけつして食べてはいけないと、かたく禁じられてゐたからです。
 すると男の子は
『笑ふことも、泣くことも忘れてしまつたお嬢さま、その実を喰べると声がでる。』
 かう言つて、果物を置いたままに行つてしまひました。
 唖娘は、小母さんの言つたことも忘れてしまつて、他のお友達のやうに、声をだして笑つたり泣いたりしたいばつかりに、その果物を喰べました。
 すると遠くの男の子は、急に大きな鳥になつて、さん/゛\唖娘を、あざ笑つて飛んでしまひました。
 意地の悪い鳥に、欺されて唖娘は、果物をたべたので、声がでるどころかいままでしぼみかけた薔薇の花でも、唖娘が接吻をすると、ぱつと元気よくひらいたのが、それもできなくなつたのです。
『唖娘、お前は、けふ野原でけがれた果物を喰べたにちがひないよ、あんなに清い唇が、汚(けが)れてしまつてゐる。』
 かう言つて小母さんは、さん/゛\唖娘を鞭で打つたうへ、薔薇の花園を追ひ出してしまつたのです。
 唖娘はしかたなく、野と云はず山と云はずどこと言ふあてもなく歩るき廻りました。
 するとある日の夕方、大きな白い牡丹の花が、みわたす限り海のやうに咲いてゐる広い花園に着きました。
 唖娘はもう悲しくなつて、この牡丹の花のなかにじつと立つて、途方にくれてゐるとそのとき唖娘の傍(そば)に咲いてゐた一本の大きな牡丹の花が
『かあいさうなお嬢さん、土の中に両足を埋めてごらん、きれいな牡丹の花となる。』
 とかう言ひました。
 唖娘はたいへん喜んで、花園の土の中に両足を埋めてみると翌朝唖娘は、それは美しい緋色の牡丹となつてゐたのです。

    五
 牡丹の花園の、まつしろな花の中にたつた一本咲いてゐる、唖娘の緋牡丹は、仲間の牡丹達に、それは/\女王さまのやうに、もてはやされました。
 その上に、唖娘が野原でお友達になつた緋の衣装(ころも)をきた少女が、この牡丹園の主であつたのです。
 牡丹園の少女は、それは優しい心の持主で唖娘の牡丹を『緋牡丹姫(ひぼたんひめ)』と呼んでくれました。緋牡丹姫のいちばん嬉しかつたのは、おたがひ牡丹同志では、自由自在に話をすることができることでした。
 緋牡丹姫は、お友達の白い牡丹に、これまでの悲しかつた身の上を物語りますと、みなはたいへん同情をしてくれました。
『わたしは、精いつぱい大きな声で笑つてみたいの……わたしは笑ふことも泣く事も忘れてしまつたのですもの。』
 と言ひますと、白い牡丹の花は、眼をまんまるくして
『そんな幸福なことがあるでせうか、私達の花の世界では、笑ふことをかたく禁じられてゐるのです、もしも笑ふことがあれば、その時がいちばん不幸なときとされてゐるのです。』
 と言ひました。
『でもわたしは、笑つてみたいんですもの、思ひきつて大きな声でね、どんな恐ろしい不幸がやつてきても』
 緋牡丹姫の唖娘はかうしみ/゛\と言ひました。
 白い牡丹の花はたいへん緋牡丹姫に同情いたしました。そしてそのうちの頭(かしら)だつた牡丹がみなの牡丹に相談をしてみました。
『哀れな、笑つた事のない緋牡丹姫の為に、私もいつしよに笑ひませう。』
 かう言つて、親切な白い花達は、緋牡丹姫のために、恐ろしい不幸がやつてくることを、知りながらも、賛成をしてくれたのでした。
 緋牡丹姫は、ほんとうにこころから感謝いたしました。
 そして緋牡丹姫は、こころから大きな声で笑ひました、そしてそれに続いて白いたくさんの牡丹達も、崩れるやうに声を合して哀れな緋牡丹姫のために笑つてくれました。
 その翌朝、赤い衣装(ころも)を着た少女が悲しさうな顔をして花園に立ちました、そして一夜のうちに散つてしまつた花園の牡丹をながめながら
『こんなに散つてしまふほど、花達はきちがひのやうに笑つたのだろうか。』
 と思ひました。(愛国婦人発行年月不明)

狼と樫の木
 村の中に一本の樫(かし)の木が生えてゐました。何時頃からか、この樫の木の根元の大きな洞穴のなかにずる/\べつたりと一匹の大工の狼が住むやうになりました。
 樫の木は狼を抱へて風を防いでやり、狼もまた自分の毛の温(あたたか)みで樫の木を暖めてやるかたちになりましたので、狼と樫の木は結婚してしまひました。
 この大工の狼は、鼻柱も強く、仕事も自慢でしたが、何分にも貧乏なので、仕事がなくて、自分の腕のよいところを見せる機会がありませんでした。
『なあ、わしの可愛いゝ樫の木や、いまにきつとわしの腕を認めて、王様がわしを雇いにやつてくるから、その間は苦労をしようね』
『ええ、貴方の出世のためなら、妾(わたし)はどんなになつてもいとひません――』と樫の木の妻君は涙を浮べました。
 狼と樫の木はお互に暖め合つたり、なぐさめあつたりしてゐるので何の不満もないはずでしたが、近頃になつて、大工の狼の腕の良いことが何時の間にか王様の耳に入つたらしく、今にも大工狼を呼びに王様のお使ひがくるといふ噂が、どこからともなく狼の耳に入つてきました。
 とうとう狼と樫の木とは相談の揚句、狼は樫の木を伐り倒して、腕をふるつて高い/\踏台をつくりました、それは大変高く、王様のやぐらの高さとも劣らぬほどの高さでした。
 狼はこの高い踏台の上にあがつて、小手をかざして王城の方をみながら、王様からの迎へをいまか/\と待つてゐました。
 すると狼は急に慾が出て来て、その附近の大きな桐の木に眼をつけ始めました、そして樫の木の踏台の妻君を捨てゝ桐の木と結婚してしまひました。
 樫の木の踏台の妻君は、三日三晩泣きあかしました、そしてムラ/\と嫉妬の気持が起きて、いつかふくしゆうをしてやらうと考へました。
 狼は新しい妻君の桐の木を伐り倒して、高いハシゴを作り、その上に昇つて、以前のやうに王様の迎へを今か/\と待つてゐました。するととうとう時が来ました。
 王様は自ら馬車に乗つて、大工を迎へにやつて来ました。そして王様のお抱への大工に出世してしまひました。
 しかし以前の妻君であつた樫の木が承知しません、また林の樫の木は、その樫の木のことを同情して
『何といふ薄情な狼だらう、住めるだけ樫の木の洞穴に住んでゐて、それから伐り倒して踏台にして、それを捨てゝ他の新しい桐の木と結婚するなんて』
 と狼を憎む声がだん/\高くなつて来ました。
 村の王様といふのは、珍らしいもの好きな性質がありましたから、憤慨してゐる樫の木がおかしくてなりません、そこで茶目気を出して、踏台をお城に雇ひ入れることにしました、踏台は王様に雇はれると急に大きな声で叫びだし
『悪い狼奴がどうして妾を欺(だ)まして、出世をしたか――』といふ長い文章を書いて王様に進呈しました。
 王様はこれを城壁にはつて、村に住んでゐるものゝ意見をきゝましたが、誰一人として狼の味方をするものがありませんでした、みんな樫の木が可哀さうだといふのでした
 狼はすつかりしよげてしまつて、長い耳を垂れて耳を塞いで
『世の狼共よ、かしの木と結婚するのは良いが、決して踏台にはするもんではないよ』
 といひました。(小熊夫人書き写し)

マナイタの化けた話
 海の水平線に、小さな帆前船が現はれました。見ると船の上には、四五人の人が立つてゐて、手をふりあげて、岸にむかつて助けをもとめてゐました。
 アイヌの村に、この奇怪な船があらはれると、アイヌ達は『それやつてきた――』と大騒ぎになります、アイヌ達は家の中に逃げ込んで、戸口をしつかりと押へつけ、そとから開かないやうにしました。
 そして恐ろしさにぶる/\ふるへて居りました。アイヌ達の犬も、ふだんは猟に出て熊と格闘をするほど勇気がありましたが、この幽霊船が現はれると、尻尾をまいて、ちゞみあがつて、家の中に逃げ込んでしまふのでした。
 沖に現はれた帆船の上からは、小舟がおろされ、見ると子供ではないかと思ふほどの小さな男が短かい手槍を抱へて、ひらりと小舟に飛びをりました、顔が朱のやうに赤い男でした。
 小男はたつた一人で小舟にのつて、上手に漕ぎながら、岸にむかつてやつて来るのでした、船が岸に着くと、小男はその村の酋長の家の戸の前にたちました。それから戸を叩きながら『海へ行かう、海へ行かう、海は大変きれいだよ』といふのでした。
 するとアイヌの酋長は悲しさうな顔をして戸口にあらはれました。そして酋長はこの不思議な小男に連れられて、沖の船に乗せられてしまひました、酋長はいつまでたつても村に帰つてきませんでした、もし酋長が、『私は海へ行くのは嫌です――』などと言へば、たちまち小男の手槍で突き殺されてしまふのです。アイヌの酋長のうちにも、武勇のすぐれた者もゐましたが、この小男の槍のつかひ方のうまいのにはかなひませんでした、船の上で助けをよんでゐるのは、かうして小男にむりやりに船にのせられた村の酋長たちであつたのです。
 それでアイヌ達は村の沖合に、帆前船が現はれるのを大へん怖れてゐるのでした。一度アイヌの村にこの小男の船が現はれると、その村から足の早いアイヌが走り出して隣り村まで駈けてゆきます、村に入るとこのアイヌは村中にひびくやうな大きな声で『フホーイ、フホーイ』と叫ぶのです、これはアイヌ仲間で、何か大きな出来事が起きたときに呼ぶ叫び声でした、すると村中のアイヌが家からとび出して、この隣り村から走つて来た伝令のアイヌのまはりを取りかこむのでした。
『大変です、皆さん、私の村に赤い顔の小男の船がやつて来ました、あすの夕方にきつとあなた達の村にやつてくるでせう――』
 かう報告して、そして伝令のアイヌは又自分の村へ走りながら帰つて行きます、すると教へられた村では、そこからもフホホーイの伝令が村から村へと飛びまはるのでした。
 或る村に、年若い酋長夫婦が住んで居りました、アイヌ仲間にも大変徳望があつて、村人達は、この酋長を父のやうに崇めてをりました。それでもしも奇怪な小男が、自分達の村の酋長を海に連れて行つてしまふやうな、不幸なことになつては大変だと、村人達は心配しました。そこで夜の海岸にアイヌ達は焚火をして、白い御幣(ごへい)を砂の上にたて、そのまはりを取りまいて、アイヌの神様にむかつて『どうぞ私達の村の酋長を悪い小男が連れて行きませんやうに――』と熱心にお祈りをしました。しかしそれは無駄でした、あるときこの村の海の沖合にも、突然小男の帆前船が現はれたのでした。
 酋長夫婦の驚きはもちろんのこと、村人達は悲しみました、酋長の妻はこの突然の出来事をどうして切り抜けて、夫を救はうかと小さな胸をいためました、それは神様にお祈りをして、助けてもらふよりしかたがないと考へましたので、夫のために一生懸命祈りつゞけましたが、その甲斐もなく、海岸にあらはれた小男の姿は、一直線に酋長の家にやつて来ました、そして例のやうに
『海に行かう、海に行かう、海は大変きれいだよ――』
 と低い太い声で言ひました。
 若い酋長は、小男の槍は神技(かみわざ)のやうに早いことを知つてゐたので、とうてい小男を倒すことは出来ないと、心にあきらめてしまひました。今は小男に連れてゆかれるより仕方があるまいと思ひなほして、そこで妻と別れの言葉をかはしました。
 妻はふと思ひついたやうに、奥の部屋に入つて行き、自分の家の宝物にしてゐた立派な短剣を手にして出て来ました、夫にそれを手渡しながら『これは私の記念としておもちになつて下さい――』と言ひました。
 そして妻の眼は『もしをりがあつたら、この短剣で、たゞ一突に小男を突殺して、帰つて来て下さい』と、言葉には出さず、心の中をかたる眼つきをしながら、妻は刀を夫に渡しました、酋長はうなづきながら、怪しい小男と連れだつて戸外に出ました。
 どれほど相手が強くて悪魔のやうでも、永い間には油断といふものがあるから夫が小男を刺し殺して、無事な姿で村にかへつてくることが出来るかもしれない――と妻ははかない望みをいだきながら、夫の酋長を送り出しましたが、もし一生逢へなかつたら――と思ふと悲しみが一度にこみあげてきました。
 それにしても、夫をうばひ取つて、肩をいからし、戸口を出て行くこの小男のなんといふ憎らしさだらう、その何物もをそれぬ大胆不敵の小男の後姿を見ると、たまらなく小男が憎らしくなつて、その場にわつと泣きくづれました。
 それから涙にぬれた顔をあげ、夫の酋長を連れて行く小男の後姿にむかつて、べつと唾をはきかけ、それから口から出まかせに『腐れイタダニ奴――』とのゝしりました。
 これはアイヌの仲間が相手を悪く云ふときに『腐れ――』と云ふのです、『尻の腐つた奴――』などと云ふのは、一番の悪口です、酋長の妻も小男があまり憎らしかつたので思はずかういひました。
 するとどうしたことでせうか、小男は丁度電気にでもうたれたやうに、『あつ――』と小さな叫び声をあげて、もんどりうつてひつくり返りました、それからその場を転げまはつて苦しみはじめました。
 あつけにとられてゐる酋長夫婦と村人達の前に、小男は死んでしまひました、そして不思議なことには、足の先からだん/\と氷があたゝめられたやうに、身体がとけ始めました。身体が全部とけてしまつて、地面の上に残つたものは『腐つたイタダニ』でした。イタダニといふのはアイヌ達がお台所で使ふマナイタのことです。
 その夜、酋長は寝床に入る前に、神様にむかつて、この謎のやうな出来事のわけをきかせて下さい――とお祈りをしてから、眠りました。すると酋長の夢枕に、赤い着物をきた、『マナイタの神様』の姿があらはれました、そしてマナイタの神様は酋長にむかつて、語り出しました。
 何百年も大昔のことでした、アイヌ達の先祖に大変に勇気のある神様がをりました。山から山へ、谷から谷に、たつた一人で分け入つて、熊や狼やさま/゛\の獣の猟をしてゐました、谷底に松の枝で狩小屋を作り、神様はそこで寝起きしました、その小屋を根城にして、朝早く外に出かけ、一日中山を走りまはつて、夕方には背負ひきれないほど獣をたくさん猟をして、山小屋へ帰つて来ました。
 それから夕飯の仕度をするのです、魚の乾かしたのを、トン/\と叩いて柔らかにしたり、獣の肉を切つたりするのに、イタダニ(マナイタ)を使ひました、このマナイタはかんたんなもので、木を一尺程の長さに切つてそれをまたたてに割つたカマボコ型をしたマナイタでした。
 やがて神様は、辺りの獣も狩りつくして少なくなつたので、山小屋をひきあげて、遠くの山奥に移り住むことになりました、そこでそのマナイタもいらなくなつたので、小屋の中に捨てたまゝ出発してしまひました。
 小屋の中に残されたマナイタは、主人をうしなつて、さびしい悲しい思ひをしながら誰一人やつて来ない、谷間の小屋にとり残されて何十年となく暮らしてゐました。
 マナイタは今にも神様がひよつこりと山小屋にかへつて来るやうに思はれてなりませんでした、毎日毎日主人のかへりを待ちこがれてゐました、しかし神様はこの捨てたマナイタのことなどは考へてはゐなかつたのです。
 それからまた何十年と経ちました、ながい年月の雨と風に、小屋は傾き果て、そのうちに或る日大水が出て小屋は強い水の勢ひで谷川に押しながされてしまひました、マナイタも、ぽかんぽかんと谷川に流され、あちこちの岩にぶつかり、岸に打ち上げられ、また水にさらはれたり、何十年となく谷を下流にむかつて旅をつゞけなければなりませんでした、そしてやうやく海に出たのでした。
 その海を流れるマナイタの生活も、それはそれは永い間で、何十年、何百年といふ年月をもう忘れてしまふほど、浮いたり、沈んだり、潮にもまれる、つらい/\生活をつゞけました。
 昔は若者であつたマナイタも今はまつたく腐つてしまつて、見るかげもなく醜い老人となつてしまひました。
『にくらしいアイヌの神様、にくらしいアイヌ奴を呪ひ殺してやらう、海へ行かう、海へ行かう、海は美しいとアイヌ達を連れ出して、おれと同じやうな苦しい、さびしい思ひをさせてやらねば、気が済まない――』
 腐つたマナイタは、そこで悪魔にかはりました、そのマナイタの精霊はアイヌを呪ふ心にもえて、人間の姿に化けたのでした。
 あまりの憎らしさに酋長の妻が罵つた『腐れイタダニ奴――』といふ言葉に、マナイタの精は、その正体を見あらはされて、その神通力を失つて死んでしまつたのです。
 またそれが長い間のかなしい海を漂ふ苦しみからはじめてマナイタが救はれたのでした。その魂は清い汚れのないものになつて天に昇つて行つたのです、アイヌ達よ、お前達は山小屋に、自分の使つた刃物や、マナイタや、そのほか何でも、置き忘れて来る様なことがあつてはいけないよ、主人を失つたこれらの品物が、どんなにひとりで淋しく山奥に暮してゐるかと云ふことを考へてやらなければいけない――からマナイタの神様は夢枕でお告げになつたのでした。酋長は夜が明けると、早速村のアイヌ達を呼び集めて、このマナイタの神様のお告げを伝へました。それからアイヌ達は山奥に自分の使つた品物を置き忘れて来るやうなことのないやうにしました。(小熊夫人書き写し)

タマネギになつたお話
 悪魔は、小さな村にやつてきました。誰にも気付かれないやうに、村はづれの一軒の百姓家の、鶏小舎の中にしのび込みました。
 この小悪魔は、それはしづかに、しづかに、足音もたてないやうにしのび込んだのでした。しかし耳さとい雄鶏は、早くも小悪魔の姿をみつけたので、大きな声をはりあげました。
『さあ、みんな戸じまりをしつかりして』
 と雌鶏たちに注意をいたしました。
 そこで雌鶏たちは、悪い卵泥棒がしのびこんだなと思ひましたので、用心をすることにいたしました。
 なかにはつむつた眼を、かはるがはる明[#「明」に「ママ」の注記]けて用心をしながら眠つてゐるものもありました。
『お前さんは、なんて人相のわるい男だらうね、耳のかつこうといつたら、俺たちのケヅメそつくりにとがつてゐるし』
 雄鶏は、鶏小屋の梁の上に、眼をしよぼ、しよぼ、さしてうづくまつてゐる悪魔を仰ぎながら言ひますと、悪魔は、うるささうにじろり、と見下したきり、それには答へませんでした。鶏たちがゆだんをしてゐたら、そこからとび下りて、喰べてしまはうとしてゐたのでせう。
 夜が明けました。悪魔はなかなか早起きでしたから、早起き自慢の鶏たちでさへ、彼にはかなひません。鶏たちが眼をさました頃には、もう梁の上には、その姿がありませんでした。
 悪魔が、そんなに朝早くから、どこへ出かけたのか、誰も知つたものがありません、そこで鶏たちは頭をよせて、いろいろと、このあやしい梁の上の悪魔のことを話し合ひました。
『夜中に、ごそごそと音がしたね』
『僕もきいた、あれは背中をかいてゐたのだよ』
『ちがふよ、何かをといでゐるやうな、いやな音だつたけど』
『きつと、爪をといでゐたのだらう』
『みんなは悪魔がなにに化けるか注意してゐなければいけないよ、そしてもしミミヅにでも化けたら、すぐ喰べてしまふんだね』
 鶏たちはこんな話をいたしました。
 その翌る朝
 一羽の雌鶏が、小悪魔がどこへ、まい朝出かけるのか、その後をそつとつけて見ました。
 すると悪魔は、ピョン、ピョン、とはねて蛙のやうな足つきをして、村へ入りこみました。そして、一軒ごとに、百姓家の窓に、はひ上つてその窓から首をつきいれて、
『娘さん、お早う』
 と娘さんたちに朝のあいさつをして歩るきまはつてゐました。
 そして片つぱしから、この村の娘さんのゐる家といふ家を、のこらずあるきまはるのです。
 娘さんは、窓から、ちいさな気味のわるい顔がとつぜんあらはれたので、びつくりします。
『まあ、なんて気味のわるいひとなんでせう。とつぜん顔なんか出してさ、挽臼(ひきうす)にいれて粉にしてしまひますよ』
 となかには、プンプン怒る娘さんもゐました。娘さんたちは、悪魔の朝の挨拶などは少しも気にもとめず、さつさと身じたくをし、何時(いつ)ものやうに鍬を手にして畑に、働らきにでかけました。

 この村に、たいへん美しくそしてまたオシャレな女の子がをりました。悪魔はその女の子の家の、高い窓にいつものやうに、ひらりと飛びあがつて、猫撫で声で、
『娘さん、お早う』
 といひました。
 女の子は、大きな鏡のまへで、お化粧の真最中でしたが、この声をきいて窓を見あげました。窓の上には、なかなかりつぱな八字鬚のある男が、顔を突出してをりますので、
『お早う、お入りなさいな』
 といつて、につこりと笑ひました。すると悪魔は、ひらりと窓から部屋にとびをりて、ふいに娘さんの頭にとびかかり、女の子の髪の毛を、一つかみむしつて、飛ぶやうににげてしまひました。
 女の子は、びつくりして、たいへん腹をたてました。
 その日の夕方、小悪魔は、たいへん機げんのよい顔をして、鶏小舎へかへつてきました。なにかうれしいことがあるやうでした。その日にかぎつて、鶏たちが問ひもしないのに、悪魔は梁の上から、鶏たちにむかつて、ゆかいさうにべらべらと、しやべりました。
『けふ僕にお友達ができたので、それでこんなに機げんがいいのさ。これが、その女の子との、お友達になつた約束のしるしだよ』
 小悪魔は、女の子からむしつてきた、髪の毛を、黒いリボンのやうに、とがつた耳にむすんでみたり、それを、ネクタイのやうに首にむすんでみたりしてうれしがつてゐました。

 オシャレの女の子はいつものやうに、身仕度をして、麦をまくための畑に出かけなければならないのですが、ほかの娘さんたちが身なりもあまりかまはないのに、この女の子だけは、オシャレをして出かけるのでしたから、お化粧にひまがかかつて畑にでたころは、お日様も高くあがつて、お昼も間近いころでした。
 それでもすぐ土を耕しにかかるのではありません。畑のまんなかに突たつて、二、三時間も、うつら、うつらと、いろいろのことを考へてゐるのです。
 そのかんがへることは、麦のことでも、お薯のことでも、秋のとりいれのことでもありません、それはお化粧の事であるとか、着物の柄のこととか、またにぎやかなとほくの都のことでありました。
 かうして鍬にもたれて、ぼんやりとかんがへてゐると、いつものやうに、頭がだんだんと石のやうにおもくなつてきました、そして百姓が急に嫌になりました。女の子はそばの木の切株に腰ををろしてしまひます、かうしてゐるのですから、畑は少しも耕されませんでした。
 夕方になつて、百姓達は、一日の働きも終へ、そろそろと帰り支度をしました、娘さんはこれをみて、おどろいたやうに、ほんの申しわけのやうに、たつた一鍬だけ、がつくりと土に鍬を打ちこみました。
 すると掘りかへされたその中から、ひよつこりと現れたものがあります。
 それは女の子にとつては、にくらしい髪をむしつてにげた悪魔でした。
『さあ、わたしの髪の毛を、いますぐに返してちやうだいよ』
 女の子は、たいへん大きな声をたてて、恐ろしいけんまくで、悪魔をなじりました。
『喰べてしまつた』
 小悪魔は、めんぼくなささうな表情をいたしました、ほんとうは髪の毛はたべてしまつたのではありません、悪魔は、一晩のうちに、髪の毛で、チョッキを編んでしまひ、ちやんと上着のしたに着込んでゐるのでした。
 悪魔は、女の子にむかつて、平あやまりにあやまつて
『あれは、お友達になつた約束にもらつたのですから』
 と言ひましたが、女の子は承知をしませんでした、そこで悪魔は、
『それでは、かはりにあなたのすきなものを、なんでもさしあげますから、ゆるして下さい』
 と言ひました、女の子も機嫌をなほし、さて、慾ばりらしく、あれこれと色々ともらふ物を考へてをりました。
『それでは着物を沢山にほしい』
 といひました。
『たいへんおやすい御用です、着物は十枚もいりませうか』
 と悪魔がたずねました、
『まあ、なんてケチなんでせう、いくら着ても、着ても、着れないほど、たくさんの着物がほしいんですよ』
 といひました。
 悪魔は承知して、ごそごそと土の中にもぐり込んでしまひました、女の子は、悪魔がたくさんの美しい着物をもつてくるのを、いまかいまかと、まつてをりました、しかしなかなか現れません、そのうちに女の子は地面をいつまでも見てゐることが退屈になりました。
『ことによつたら、あんな約束をしたのは嘘で、地の底に、にげてしまつたのではないだらうかしら』
 女の子は、かううたがひながらも、それでもいつまでも根気よく、悪魔のでてくるのをまつてゐました。
『ああ、いやだ、いやだ、百姓がいやになつた』
 かう思ひました、すると女の子の重い頭は、コロリと転げ出して、スポリと地の中にもぐり込んでしまつたのです。
 その夜は、とうとう女の子が、畑から家にかへりませんでした、母親はしんぱいして、あくる朝早くに、さがしにでかけました、すると、畑のまんなかに、女の子の鍬がなげだされてあるきりで、女の子のすがたは見えません。
『あの子は、どこへ行つたのだらうね、地面の中へでもかくれたのかしら』
 かう言つて母親は、鍬でそのへんの土をほりかへしてみると、土のなかからたくさんのタマネギが、ごろごろところげでました。
 母親は、そのタマネギを大きな籠に、うんとこさと入れて小脇にかかへてかへりました。
『まあ、まあ、娘もたいへんしあはせになつて、こんなに沢山衣装を着こんでゐるよ』
 かういつて母親は、タマネギの皮を、一枚一枚むき始めましたが、成程むいても、むいても、下着をたくさんに着込んでをりました。(自筆原稿)

鶏のお婆さん
 鶏たちは、鶏小屋の近所の野原にぞろぞろと行列をつくつてやつてきました。
 野原には小さな虫がたくさん飛んでゐましたし、きれいな水の流れもありましたから、鶏たちは其処が好きでいつも遊び場所にしてゐました。
 なにか不思議な事が起きたり、あやしい者の姿を発見(みつけ)ることは、雄鶏が一番上手でした、雌鶏たちの目もとゞかないやうな、遠くの方の草の中から犬の耳が二つ、ひよつこり出てゐるのでも、雄鶏はたちまち発見しました。
『悪者が居るぞ、みんな用心しろ』
 と雄鶏は大きな声で叫びました、それから雄鶏は精いつぱい首を長くのばして、悪い奴がどつちの方角へ歩るきだすかを監視しました、それで雌鶏たちは雄鶏が自分達を守つてくれるので安心をして、餌を拾つたり、遊びまはつたりすることが出来たのです。
 その日も、雄鶏が先頭になつて、鶏の一家族は、あちこち遊びまはりました。
 野原のまんなかを流れてゐる小川に、一人の百姓の娘が、青菜を水の中でザブ/\と洗つてゐました。丁寧に一枚々々葉を洗ひ、それを藁でしばつて、一掴みほどづつの束にして、自分の傍に積みあげました。
 娘は、青菜を洗ひながらも、チロリ、チロリ、と横眼で近づいてくる鶏たちの方を見るのでした。
 鶏たちも、また珍らしさうに首を傾げて、一束宛積みあげる、娘さんの忙がしさうな手元をながめてゐました、鶏たちの眼には青菜の白い茎はいかにも、おいしさうに見えました。
『娘さんは、これからあの青菜を町に売りに出かけるのだよ、だから傍へよつてあれを泥足で踏んだり、喰べたりしてはならないよ』
 と雄鶏はいひました。すると若い雌鶏は
『菜を洗つてしまつた後には、きつとコボした菜が沢山あるわね』
 といひました、鶏たちは、娘さんが菜を洗つてしまふのを待つことにしました、そして、その附近で遊んでゐましたが、そのうち滑稽な出来事がもちあがりました。
 娘さんはせつせと洗つた青菜を積みあげてそれが三角型に高くなりました、娘さんは又一つの青菜を積みあげましたが、ところが、その青菜がどうしたはづみか、コロコロと下まで転げをちたのでした。
 その青菜の慌てて転げ落ちた様子といつたらそれは/\滑稽でした、鶏たちは、お腹を抱へて笑ひました。
 なかでもその年の春に生れた、若い雌鶏などは、ころげまはつて笑ひました。
『わたし、こんなにお可笑しい目にあつたのは生れて始めてだわ』
 といひました。
 すると傍から『フン』と鼻先で、意地悪さうに、
『青つ葉が転げ落ちたくらいで、そんなにお可笑しいものかね――』
 といふものがをりました、それはこの鶏たちの家族の中で、いつも意地悪を言つて嫌はれものの、一羽の雌鶏でした、この雌鶏は、もうたいへん歳をとつて、からだはヨボヨボでしたが、口は若い者に負けませんでした、そしてみんなと散歩にでても、自分から地を掘つたり、草の根を掻きわけたりして、餌を探すやうなことはなく、他の鶏の発見した餌を、横合からやつてきて奪ひとりました、また自分で餌をみつけると、羽をひろげて隠しましたので、鶏たちは誰も相手にしませんでした。
『お婆さんも、もう餌を拾ふのが、面倒になつたのだね』
 と或る日、雄鶏がいつたことがありました。
『ああ、さうだよ、わしももうながいこと生きれないよ』
 と婆さん鶏は、しんみりとした声でいひましたので、雄鶏もちよつと可哀さうに思ひました、しかしそのくせ婆さん鶏は、長生(ながいき)をいたしました。
 百姓の娘さんは、青菜を洗つてしまひ、これを小さな手車にのせて、街の方に行きました、鶏たちはコボレた菜を仲善く拾つて喰べました、
『みんな見給へ、あんな高い処を鴉が飛んでゐる』
 雄鶏がいひました、一同は空を仰ぎました。[#底本にはない「。」を補った]なるほど、鴉が一羽高い高い空に、ゆつくりと舞つてゐました、その鴉は病気のやうでもありました、なぜと言つて、それほどに鴉の舞つてゐるところは高かつたからでした。
『病気でなければ、あの鴉が気が狂つたのだらうね』
 と誰やらがいひました、すると空の鴉は、急にくるくると風車のやうに、空中でもんどりを打ち、あれ、あれ、と鶏たちが声をあげて騒ぐ間もなしに、一直線に鴉は落ちました。
『たしかに落ちたね、何処へ落ちたらう、森の向うだらうか、それとも森の中へだらうか』
 雄鶏はかなしさうな顔をしました、雌鶏たちも、みな不幸な鴉のために同情をして、暗い悲しい顔をして、森の方をながめました。
『鴉がおつこちた位で、そんなに悲しいかね』
 と不意にいつたものがありました、それは意地悪の婆さん鶏(どり)でした。
 雄鶏は、ちよつと首の毛を逆立てて、婆さん鶏を尻眼にかけながら
『さあ、さあ、みんな鶏小屋に帰りませう。』
 といひ、先頭に立つて、ぷんぷん怒つて、一同を連れて小屋の方へ歩るきました。
 意地悪の婆さん鶏は、一同の列の、いちばん後に、よぼよぼと尾行(つい)てきました。
 小屋に入ると鶏たちは、それぞれ練餌を喰べたり、砂を浴びたり、羽の手入れをしたり、勝手なことをいたしました。
『雄鶏さん、大変ですよ、あの意地悪婆さんが、飛[#「飛」に「ママ」の注記]んでもないものを喰べて、』
 一羽の鶏が、雄鶏のところに、あわてて注進にきました。
 最初婆さん鶏が、鶏小屋の隅の暗いところで、ひとりで白い丸い物を、むしや、むしや、喰べてゐました、それをみつけたのは若い雌鶏達でした、そして婆さん鶏は、自分だけで喰べようと頬張つて、眼を白黒させました、そこへ若い雌鶏が、飛びついてその白い物を奪ひ取りました、それからが、小屋の中は、上を下への大騒ぎとなつて、この白い物の奪ひ合が始まつたのでした。
 雄鶏もやつてきて見て驚ろきました、それは奪ひ合つてゐる白い物は、鶏卵(たまご)の殻であつたからです。
 小屋の騒ぎに、鶏飼人がやつてきました。
『やあ、これは大変だ、卵を喰べる悪い癖がついたぞ』
 鶏飼人は、鶏たちに卵を食はせまいとして、追つかけ廻し、以前にもました大騒ぎとなり、鶏たちは埃を舞ひあげて、柵の中を逃げ廻りました。
 その騒ぎもしづまりました、夕暮がきて、鶏たちの眼も、だんだんぼんやりと見えなくなつてきました。
 雄鶏は一家族の数をあらためました、十三羽ちやんと居て、一羽もはぐれてをりません、
『みんな、これから眠りませう、その前にちよつとお話をいたします。今日は神様も、我々家族をお憎みになつて、おいでだらうと思ひます、それといふのは、昼の騒ぎです、もつとも近頃は鶏飼人の不親切で、さつぱり瀬戸物を砕いたのを、我々にくれません、しかし瀬戸物がなかつたなら、私達は小砂利を拾つて喰べればよいのです、けふのやうに、鶏のくせに卵を喰べるやうなことがないやうに、私達は卵を産むのが仕事ですから』
 かう一同に言ひました、若い雌鶏達は、こころから悪いことをしたと考へました。
 婆さん鶏は、雄鶏をじろりと見て
『いちばん先に、卵を割つたのは、わしだよ。若い者に罪はないさ。鶏が卵を食べられないといふ規則はないからね』
 と憎々しくいひました。
 雄鶏は、何段にもなつてゐる棲架(とまりぎ)の、いちばん上の段に飛びあがつて元気な声で
『さあ、みんな棲架にとまつたか、子供たちは片脚で止まる練習もしなければ駄目だよ、片脚で立つて片脚を休ませ、かはるがはる疲れたらやるのだよ、卵箱の中に入つて寝るのは、弱虫か、病人だよ、元気なものは、いちばん高い棲架に止まるんだよ。』
 とこまごまと注意をしました、鶏たちは、みな素直に雄鶏のいふやうに、なるべく高い横木をえらんで止まり、仲善く肩をすりあはしました。
 雄鶏は、高いところから、婆さん鶏に声をかけました。
『婆さん、地べたにうづくまつて居るのは体によくないよ』
 婆さん鶏は、暗い片隅の湿つた処に、汚れた羽に頭を突込んでまるくなつて眠つてゐたので、かう親切にいひました。
『わしは何処でもよいよ、元気のよいものはせいぜい高い棲架にとまるがよいさ、わしは片足をあげて眠る元気もないんだからね』
 と婆さん鶏はいひました、そこで雄鶏は、地面に寝ては、夜のしめりで体を悪るくすることもあるし、殊に悪いイタチなどが、やつてくることがあるから、棲架にあがりたくなかつたら、せめて糞受板の上へでも、あがつて眠るやうにといひました。
『わしの好き勝手にさして眠らしておくれ、糞受板にあがる元気も、わしにはないんだからね、イタチに喰はれてしまへば本望だよ。』
 と、なかなか強情で、棲架に止まらうとはしませんでした。
 婆さん鶏は、地べたの上に、他の鶏たちは棲架の上に、棲架の上の鶏たちは、自分の羽に首をいれたり、また隣の鶏の脇の下に、首をいれさして貰つたりして、仲善くそして静かに眠りにをちいりました。
 雄鶏は、高い棲架の上から下を見て、みなと一羽離れて、惨めな容子で寝てゐる、強情な婆さん鶏を憎むよりも、なにか哀れな同情の気持になりました。
     *
 夜が明けました、殊にからりと晴れた好天気で、鶏飼人が戸を開くと、ギラギラするやうな日光が、小屋の中にをどりこみました。
 鶏たちは、大喜びで、はしやぎ、柵の中を走りまはつて、わずかの時間まるで気狂ひのやうに嬉しがつて、餌争ひをしました。
 雄鶏は、吃驚りして、声をあげました。
『おい、お前たちは、何をそんなに奪ひ合つてはしやいでゐるんだ、それはお婆さんの脚ではないか』
 鶏たちは、今更のやうにびつくりして、くはへてゐたものを放しました、雄鶏はそこであたりを見廻しましたが、お婆さん鶏の姿は、そのあたりには見あたりませんでした。(自筆原稿)
※入力者補注:本文中、差別語に分類される用語が出てくるが、作者の意図と時代背景とを考慮し、そのままとした。

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