小熊秀雄全集-22
著者名:小熊秀雄
○
ボタンを押(お)して 水をとめて下さい
ホイキタ 合点(がつてん)だ
○
とき/″\喧嘩(けんくわ)するんですよ
だつて リボンをなくしちやつたんだもの
さあ 泣くんぢやないですよ かわりをあげませう
○
さあ わたしのリボンをあげませう
まあ うれしい!
やあ! 素的(すてき)だなア!
○
ではみなさん 喧嘩をしないで おやすみなさいよ
看護婦(かんごふ)さん リボンありがたう
看護婦さんおやすみ!
○
僕(ぼく)が[#「が」は底本では「か」] 君のリボン 焼(や)いたからもらつたんだよ
そんなことないわよ いぢわる[#「いぢわる」は底本では「いちわる」]
親切(しんせつ)な看護婦(かんごふ)さんだな
○
困(こま)つたなあ トマトがお腹(なか)に生(は)へる病(びやう)気なんて
わたし 地球(きう)へかへりたくなつてきたわ
駄目(だめ)だい 病気が治(なほ)らなければかへれないや
○
では あの地球からのお客(きやく)さんたちは 野外(やぐわい)病院(ゐん)の方へ移(うつ)しませう
なるべく患者(くわんじや)を驚(おど)ろかさないやうにね
準備(じゆんび)はできました
[#改ページ]
火星(くわせい)の看護婦(かんごふ)さん
○
あなた方(がた)はこれから野外病院の方へ移(うつ)ります
どうです 体(からだ)の具合(ぐあ)[#ルビの「ぐあ」は底本では「ぐあひ」]ひは
どうも熱(ねつ)が下りません
外(そと)の病院へ行くんですか
○
では トマトの葉(は)つぱで三人とも目かくしをしてくれ
はい かしこまりました
どうするんですか
心配(しんぱい)だわ
○
そんなに心配(しんぱい)しなくともいいですよ
でも、わたし気味(み)がわるいわ
あゝ 何んにも見えない
自動車を三台(だい)用意(い)
はい かしこまりました
○
用意ができました
では出発(しゆつぱつ)!
○
どの辺(へん)を走つてゐるのか さつぱりわからない
ここは運河(うんが)づたひに走つてゐるのです
○
野外病院(やぐわいびやうゐん)といふのはどんなところです
それはハイカラな病院ですよ
○
みんな離(はな)ればなれになつてしまつたわ
またすぐみんなと一緒(しよ)になりますからね
○
さあ みなさん病院(びやうゐん)に着(つ)きました
この辺(へん)一帯(たい)が病院です
だつて目かくしされてるから見えませんよ
クンクン 何にか良(よ)い匂(にほ)ひがする
トマトのやうな匂ひがする
○
さあ この入口から階段(かいだん)を下りませう
ころばないやうに
○
なんだか地面(めん)の下を歩いてゐるやうだ
さうなんです
わたし いやだわ
心(こころ)細いね
○
長いらうかだなあ
いやになつてしまふわ
もうすぐ地上(じやう)に出られます
○
さあみなさんもう着(つ)きました
葉(は)つぱの目かくし取つていいですか
まだ まだ
○
あなた この台(だい)の上に立つてゐてください ころばないやうに
やあ体(からだ)が上へあがるやうだ
(ぶるん ぶるん ぶるん)
○
お次(つぎ)ーあなた さあ、しつかり立つて
よし スイッチをいれてくれ給(たま)へ
○
(ぶるん ぶるん ぶるん)
やあ 天国(ごく)へゆくのか 地獄(ごく)へゆくのか わからない
○
さあ猫(ねこ)のお嬢(ぢよう)さん あがりますよ
あたし こわいわ
心配(しんぱい)しなくてもいいのです
○
(ぶるん ぶるん ぶるん)
あゝ こわいー
○
さあ 仕事(しごと)がすんだ 帰(か)[#ルビの「か」は底本では「かへ」]へらう
あの病(びやう)人たちは 地球(きう)の病人なんで骨(ほね)が折(を)れますね
どうも 火星(くわせい)の病人とは勝(かつ)手がちがひますね
○
わつ こんなところに出てきた
これはガラスの筒(つつ)の中だ
みんなはどうしたらう
○
あらまあ! みんな こんな容物(いれもの)に入れられちやつた
○
うわあ みんな ちりぢりばらばらになつてしまつた
テン太郎さーん 早く救(たす)けて下さい
僕(ぼく)だつて出られないんだよ
○
こりや いくらあばれても駄(だ)目だ くやしいなあ
よし! ここを出たらトマトたちめ みんな踏(ふ)みつけてやるから
わはあ 地球(きう)のお客(きやく)の喰(く)ひしん棒(ぼう)
種(たね)までたべたいやしん棒
ずゐぶん貴方(あなた)たちは意(い)地わるね さうのぞくもんぢやないわ
お腹(なか)にトマトが生(は)へるとさ
うわあ、これぢや手も足(あし)も出ないや とんだ野外病院(やぐわいびやうゐん)に入れられてしまつた
○
おや お医者(ゐしや)さんがやつてきた
どうです 火星(くわせい)の病院(びやうゐん)はなかなかいいでせう
ちつともよかないわ
早くこんなとこ出してよ
ははあ おとなしくしてゐませんな
○
お医者さん ひどいですよ こんなところに押(お)しこめて
いや さうではありません 地球(きう)にだつて温室(おんしつ)といふのがあるですよ
○
どれ診察(しんさつ)しませう
うわッ!
そう こわがらなくてもいいですよ
だいぶよろしいやうですな
○
こんどはアーンと舌(した)を出してごらん
アーン
○
いや なかなかりつぱな舌ですな
いや みごと、みごと
舌なんかどうでもいいや いつ治りますか
○
さやう 千年(ねん)ぐらひたつたら退院(たいゐん)ができるでせう
え! 千年?
ウワアー
アハハハ
○
さてこんどは猫(ねこ)のお嬢(ぢよう)さんいかがです
ずゐぶんひどいわ こんなところに入れて
ほほう 大立腹(りつぷく)ですな すぐ治(なほ)りますよ
○
あら まあ嬉(うれ)しい! 親切(しんせつ)な看護婦(かんごふ)さんだわ
ほう 猫(ねこ)のお嬢(ぢよう)さんはだいぶ君が気に入つてゐるやうだよ
ええ リボンをさしあげたのです
○
このガラスの筒(つつ)の中は 地球(きう)の温(おん)度と同(おな)じにしてあるのです
なるほど
さうすればトマトが 生えないですむんですか
その通り
○
ぢやみなさん おとなしくしてゐるんですよ
またきますからね
○
もう へたばつてしまつた
どこを見てもトマト畑(ばたけ)ばつかりつまらないわ
地球へかへりたくなつたなあ
○
なんとかしてこゝを出られないかなあ
わたしだつて帰(かへ)りたいわ
お父(とう)さんやお母(かあ)さんに 急にあひたくなつてきた
○
やあ テン太郎さんがメソメソ泣き出した
無理(むり)ないわ あたしだつて悲(かな)しくなつちまつたわ アーン アーン
みんな地球がこひしくなつたんだ
[#改ページ]
地球(ちきう)に向(むか)つて
○
やあ 嵐(あらし)だ! 嵐だ!
わつ! こわい! 稲光(いなびかり)が!
すごい暴風雨(ばうふうう)だ!
○
わア!
助けてえ!
みんな しつかりするんだよ
○
わあ ガラスの病院(びやうゐん)が倒(たふ)れさうだぞ
もしかするとわたしたち 出られるかもしれないわ
風よ吹け吹け ガラス病院を吹き倒してくれ
○
ワッショイ ワッショイ[#「ワッショイ」は底本では「ワッシイ」]
風さーん 頼(たの)みますよ
やつ? 病院が舞(ま)ひ上つた!
○
あれあれッ?
大変(へん)だ!
どうしやう?
○
あつ!
(ガチャン☆)
○
やあ 出られた
うれしーい
○
さあ みんな集まれ!
テン太郎さあーん
どうしませう
○
どうしませう テン太郎さん
何んとか考(かんが)へなければ…
あッ 向ふから
親切(しんせつ)な看護婦(かんごふ)さんが走つてきた
○
やあ 看護婦さん!
わたしたち ひどい目にあつたわ
さあ みなさん! 今のうちに早くこの火星(くわせい)からお逃(に)げなさい
○
またガラスの病院(びやうゐん)をかぶせられてしまふのはいやだい
すぐ天文台(もんだい)に行くのです 早く 早く! そしてロケットでお逃げなさい
○
看護婦(かんごふ)さん ありがたう
さあみんな続(つゞ)け!
早く! 早くしないと追(おつ)手がきます
○
なにをしてゐるのさ ピチクン トマトなんかむしつたりして のんきだわね
いや ロケットに食糧(しよくれう)を積(つ)みこまなければ!
抜(ぬ)けめがないな
○
走れ 走れ
地球(きう)行きのロケットは 格納庫(かくなふこ)の一ばん右はじです
ありがたう!
○
さうだ! わたし看護婦さんにリボンもらつたんだけれど お別(わか)れの記念(きねん)にあげるものないわ
ぢや これをあげりやいい
○
ほんとにいいことを思ひついてくれたわ
これあげるわ 服(ふく)のボタンだけれど
まあ! きれいだことありがたう ではさやうなら
○
さあ 天文台(もんだい)がすぐだよ
走れ 走れ!
○
さあ 着(つ)いたぞ!
これが格納庫(かくなふこ)だ
どこから入りませう
○
格納庫の天窓(まど)から入らう
よしつ!
それがいいわ
○
みんな 風に吹き飛(と)ばされないやうに気をつけるんだよ
○
みんな 気をつけるんだぞ
危(あぶな)い 危い
あッ! ここから入れるぞ
○
やあ ずゐぶんロケットがならべてあるな
うわあ! 驚(おど)ろいた 地球(きう)行きはどれだらう
あんまり沢山(たくさん)あるからわからないわ
○
格納庫(かくなふこ)の右端(はし)だと教(をし)へてくれたよ
これは金星(せい)行きのロケットだわ
あつたあつた! これだこれだ!
○
さあ、早くのりこまう
だつて広場(ひろば)にロケットを引き出さなければね
かまふものか このまゝ発射(はつしや)して屋根(やね)を突抜(つきぬ)いてしまふんだ
○
テン太郎さん あんたロケット操縦(さうじう)できて
僕(ぼく) 知らないや
ぢや 駄目(だめ)だ
○
大丈夫(ぢやうぶ)だよ そこらへんのボタンをみんな押(お)してみるんだよ
僕 ハンドルをみんな動かしてみる
それがいい それがいい
○
なんだらう ここに革帯(かはおび)がついてゐる
わかつた それで体(からだ)をしばるんだわ
○
しめた! 動きだした!
(ブルンブルン シュシュシュ)
○
(ヅドン)
すごいぞ!
わッ! ロケットが屋根(やね)を突(つ)きぬけた!
すごいぞ!
○
そこの丸窓(まるまど)からのぞいてごらん
あら! 看護婦(かんごふ)さんが見送(おく)つてゐるわ
看護婦さーん
○
さらば火星(くわせい)よ!
○
もうどの位(くらゐ)飛(と)んだかしら
出発(しゆつぱつ)してから一分(ぷん)五秒(べう)!
早さはどの位?
おゝ ものすごい! 一時間(じかん)七千(せん)キロメートルの早さだ□
○
どうしたの?
あれえ? 変(へん)だぞ 早く舵(かぢ)をさがしてくれ
舵はどれかしら
○
どうも見当(けんたう)がちがつた 地球(きう)ぢやない 月に向つて走つてゐるらしいんだ□
えッ! 月に向つて?
大変(へん)だわ どうしやう
○
やあ月だ□
○
これは大変(へん)□
月なんかに着(つ)いたら困(こま)つてしまふぞ
○
あッ これが舵(かぢ)らしいよ
早くロケットを 地球(きう)に向けなければ□
○
やあ どうやらこんどは地球に向つてゐるらしい
○
やれやれ やつと安心(あんしん)した
ほんとに心配(ぱい)してしまつた
○
おや? なんだか見たやうな街(まち)に着(つ)きさうだなあ……
○
あれあれ? 大変だ! 火星(くわせい)に舞(ま)ひもどつてきたわ
○
さあ困つた! どうしたんだらう
あゝ 汗(あせ)びつしよりだ
○
あれ? わかつた! ピチクン あんた変(へん)なボタンを踏(ふ)みつけてゐるわ
あッ! これはいけない
やあ 成功(せいこう)! 成功□
○
まつすぐに地球(きう)へ向つたらしい
○
ニャンちやん 右のハンドルをまはしてくれ
ピチクン そこのボタンをおしてみてくれ
やれ いそがしい
○
(ピピ ピピ ゲロンゲロン)
(ダダダダ)
(しゆしゆ)
ゲロン ゲロンだつてさ おかしい音だわね ホホ
○
おお 地球(きう)が近づいてきたぞ
○
あの光つたところは 太平洋(へいやう)らしいね
テン太郎さん 海の中へ落さないやうにたのみますよ
○
テン太郎さん トマト一つたべません
トマトどころぢやないよ ロケットが故障(こしやう)かもしれないんだ
(ピピ ピピ)
○
あれ ニャンちやん トマトをまた種(たね)ごと喰(た)べちやつた
いいわよ トマトが生へたら地球のお医者(ゐしや)さんに治(なほ)してもらふから
のん気な連中(れんぢゆう)だな どうもロケットがおかしいぞ
(ゲロン ゲロン)
○
(ゲロンゲロンゲロンゲロ)
またゲロンゲロンが始(はじ)まつたわ
やッ□ 大変(へん)だ! ロケットが故障(こしやう)だ!
早く早く パラシュートの用意(い)だ!
(ピピィピィピィ)
○
どうするのよ
パラシュートを体(からだ)につけるんだ
扉(とびら)を開(あ)けたら外(そと)に飛(と)び出す用意!
○
(ゲロン ゲロン ダダ プップッ)
やあ大変□ 横(よこ)ふりだ□
○
(ババン)
うわーい 破裂(はれつ)したい
○
ニャンちやん ニャンちやん
おや気絶(ぜつ)してゐる
○
よし 一つ活(くわつ)を入れてやれ
(ポン)
ウーム……
○
あ! わたし達(たち)助かつたわ
○
(ブツン)
あッ!
○
墜落(つゐらく)だ
○
痛(いた)いッ
○
あれッ? ここはどこだ?
○
あれッ 君達はどうしてたの?……
テン太郎さん 寝台(しんだい)から落つこちたりして
きつとねぼけたんだよ
○
あゝ助かつた 夢(ゆめ)でよかつた
夢をみたんだよ
わたし達びつくりしたわ
○
僕(ぼく) 君達(たち)と火星(くわせい)へ行つた夢(ゆめ)をみたんだよ
だつて僕はなんにもみない
わたしだつて 何にもみやしないわ つまらないわね
[#改ページ]
テン太郎(たらう)の報告(はうこく)
○
お父(とう)さん 僕ゆふべ火星へ行つた夢をみました
それはよかつた わしも見たかつたな
○
ピチクンも ニャンちやんも いつしよでした
わたし そんな夢 みないわ
僕ゆふべの夢はつまらなかつたの
ははゝゝ 大勢(ぜい)で同(おな)じ夢をみるわけにはいかないよ
○
火星(くわせい)には天文台(もんだい)もありました そこの所長(しよちやう)さんがお父(とう)さんを知つてゐました
エッ? わしを火星で知つてゐたか?
○
エヘン! オホン
さうぢやらう そこでわしの研究(けんきう)を火星で知つてゐたかね
ええ 何にもかもみな知つてゐました
○
月野(の)博士(はかせ)とお父さんと髯(ひげ)の引(ひ)つぱり合ひをしたのも
えッ? それはまたどうして? ……
(フフ)
(クスクス)
○
火星では 高い大きなビルデングのやうな望遠鏡(ばうゑんきやう)で 地球(きう)の出来ごとをみてゐるのです
ナニ?
そんなばかげたことがあつてたまるものか
○
だつてお父さん ほんとにあつたんです
そんな馬鹿(ばか)なことはない!
まあ貴方(あなた) それはテン太郎の夢(ゆめ)の話ぢやありませんか
○
僕(ぼく) 夢でほんとにみたんですよ
ほい 失敗(しま)つた! 本気に腹(はら)をたてたか ははゝゝ
○
さあさあ 朝ご飯(はん)の仕度(したく)ができました
しかしね テン太郎
地球(きう)から火星(くわせい)を見るのに大望遠鏡(ばうゑんきやう)がいるとはかぎらん
小さな望遠鏡でもいいんですか
○
さうぢや 鏡径(さしわたし)八インチか十インチもあれば沢山(たくさん)ぢや
望遠鏡の大きさより大切(せつ)なことがある
それはなんです
○
それを天文学者(もんがくしや)は『グット・シーイング』といつてゐるんだ
これは専門語(せんもんご)[#「専門語」は底本では「専問語」]だよ
グット シーイング
グット シーイング
○
グット シーイング 僕(ぼく)は天文学の専門語[#「専門語」は底本では「専問語」]を覚(おぼ)えてしまつたぞ エヘン!
おやムヅカシイことを言つてテン太郎 それは一体(たい)なんのことですか
あれ まだ聞いてゐなかつた
○
ははゝゝそれはね 天体(たい)を見るには機械(きかい)にばかり頼(たよ)らないで『見るのに具(ぐ)合ひのいい調子(てうし)』にしておくことだよ
あゝ わかつた 高い山のてつぺんに天文台をつくるとか
○
さうだ、しかしいくら高い山へ建(た)てても雲が多(おほ)いとこぢや駄(だ)目だ
さうですね 高くて雲がなくて
○
さうだ 地球の上の雲はぢやまになる しかし火星の雲を見るのは これは仕事(しごと)だよ
むづかしいんですねえ…
○
テン太郎 火星(くわせい)に人間(げん)がゐたか
ゐましたよ 頭(あたま)の大きいのと小さいのと
あらー いつてみたいわねえ
ホヽヽ 面(おも)白いところねえ
○
気に喰(く)わん 生物(いきもの)が居(ゐ)るはづがない 空(くう)気が薄(うす)くて住めんはづぢや
あれ、またお父(とう)さんが テン太郎の夢(ゆめ)の話で憤慨(ふんがい)してゐますよ
○
あ また失敗(しつぱい)した
○
それから僕(ぼく)は 体(からだ)がとても軽(かる)くなつて 空を自由(いう)にとびまはりました
あらー あたし いつてみたいわ
だめだい テン太郎さんの夢の中へ行けるかい
○
火星の表面(へうめん)は地球(きう)の引力(いんりよく)の五分(ぶん)ノ二しかない だから人は地球にゐるときより二倍(ばい)半は高く飛(と)べるが しかし、それ以上(いじやう)高くは飛べるはずがないのぢや
なあーんだ それつぽつち[#「それつぽつち」は底本では「それつぱつち」]ぢやつまらない
お父さん 僕それから市長(しちやう)にあひました 街(まち)の名まへはミルチス・マヂョル市といひました
○
(えつ! ミルチス・マヂョル?)
あつ! 危(あぶな)い! お父さん
博士(はかせ)が目をまはした
どうなさいました 貴方(あなた)!
○
お父(とう)さん しつかりして下さい
まあ お行儀(ぎやうぎ)が悪(わる)い
いや 驚(おど)ろいたよ
あゝ びつくりした
○
テン太郎 お前の行つた街(まち)がミルチス・マヂョルといつたかね
ほんとうですよ
なんですか そのミルチス・マヂョルといふのは貴方(あなた)
○
わしは驚ろいたよ お前の夢(ゆめ)の話の中でそれだけは真当(ほんたう)のことだよ
エ? お父さん ほんとにあるんですか
まあ 火星(くわせい)にさういふところがあるのですか
○
火星の街の名前ではないが 別(べつ)に地球(きう)の学者(がくしや)がつけた運河(うんが)の名前にたしかにあるよ
どうしてテン太郎がそれを夢にみたでせう
○
たしか ミルチス・マジョルといふのもあれば 運河にはネクタル・アガトドエモンとか ハデスとか みんな名前が[#「名前が」は底本では「名前か」]つけてある
それぢや 火星の地図(ちづ)がちやんとできてゐるんだなあ
○
それにしてもお前が夢でミルチス・マジョルをみるとは どうも不思議(ふしぎ)だ
ほんとにふしぎだわ
ほんとにねえー
○
どうもおかしい まてよ
○
あら どこへ行つたんだらう
○
テン太郎さんばかり面(おも)白い夢(ゆめ)をみてつまらないな
あ、さうだ さうだ ニャンちやんは火星(くわせい)の看護婦(かんごふ)さんからリボンをもらつたんだよ
まあ! ほんとう……なら……うれしいけど
○
これぢや これぢや
○
テン太郎 お前(まへ)はいつかお父さんの書斎(しよさい)でこんな本を見たことがなかつたかい
どんな本です 僕(ぼく)ときどきお父さんの本を見ますから
○
この本ぢや どうだ こういふ絵(ゑ)を見たことがなかつたか
あッ! あつた 見ましたよ
○
これが ミルチス・マジョルぢや
○
うーむ わかつた それぢや!
お前は本を見て頭(あたま)の底(そこ)に名前を覚(おぼ)えた それが夢(ゆめ)の中にフッとでてきたといふわけぢや
きつとさうだ
○
お父(とう)さん ほんとに僕(ぼく)が火星(くわせい)へ行つたと思つたんですか
さうは思はんが ほんとうの名前を言(い)つたんで わしもびつくりしたよハヽヽヽヽ
ホホヽヽ
○
テン太郎は夢で、だいぶ火星の嘘(うそ)を頭に仕込(しこ)んだから わしの研究室(けんきうしつ)へおいで ほんとうを見せてあげやう
うれしい! 今日(けふ)みんな行かうね
いつていらつしやいませ
[#改ページ]
人間(にんげん)のヒゲと猫(ねこ)のヒゲ
○
テン太郎さん あんた大きくなつたら天文学者(もんがくしや)になるの
僕なるんだ
いいなあ さうして火星へロケッ[#「ロケッ」はママ]飛(と)んで行くの
○
いやだい 火星に行くのは やつぱり地球(きう)に住んでゐるのがいいよ
あら 弱虫(よわむし)の天文学者に なるのね
○
だつて お父(とう)さんやお母(かあ)さんのゐない所へ行くのはいやだい
○
ぢや 君たちも僕(ぼく)といつしよに火星(くわせい)へ行く どう?
ピチクン あんたどう
あんまり気が進(すゝ)まないな
○
やあい 君たちだつて弱虫(よわむし)だい
行けても 帰(か)へれなくなつたら困(こま)るわ
○
ニャンちやんは大きくなつたら何になるの
大きくなつても 猫(ねこ)よりほかに何にもなれなくてつまらないわ
そんなことをいへば 僕だつて犬より出世(しゆつせ)はできないや
○
それでもいいの 鼠(ねずみ)を上手(じやうず)にとれるやうになれば……
さうだ さうだ
みんな本分(ほんぶん)をつくせばいいんだ
○
あ! 天文台(もんだい)の庭でお父さんがこつちを見てゐる
早く行かう
走れ! 走れ!
○
ほう よく来た、何にをみんなでしやべつてゐたんだ
ニャンちやんとピチ君が天文学者(もんがくしや)になれないつて悲観(ひくわん)してゐたんです
○
アハハハ それは考(かんが)へちがひぢや
ニャン子 お前のヒゲは何のためにある
このヒゲですか 鼠(ねずみ)をとるために大切(せつ)なものです
○
では どういう風(ふう)に使ふか やつてごらん
ハイ 世間(せけん)では猫(ねこ)はどんな暗(くら)やみでも見えるといひますが嘘(うそ)です
少しも光のない暗(くら)い所では目は見えませんから
○
さういふ時にかういふ格構(かくかう)でヒゲをかうして床(ゆか)にさはつて歩いて鼠の居(ゐ)さうな所をさがすのです
○
だから人間(げん)はわたしたち猫のヒゲを切つてはいけません
○
そらごらん 猫のヒゲはそんな立派(りつぱ)な使ひ道がある
ところで この人間のヒゲは何のために生へてゐるか
あゝわかつた 威張(いば)るためについてゐるんだ
ハハハおかしいな
○
ハハハ その通りぢや それからニャン子は足(あし)をなめたり 耳や鼻(はな)を何度(ど)も洗ふときがあるね
ええ それは雪降(ふ)りや嵐(あらし)がやつて来る前 お天気が変(かは)りさうになるからです
○
それごらん 天気の変(かは)り目をちやんと知るのは天文学者(もんがくしや)より偉(えら)いんだよ
猫(ねこ)だつて 偉いんだなア
ほんとだ
そんなにほめられるとあたし恥(はづ)かしいわ
○
やあ ニャン子がほめられてすつかり恥かしがつてゐるよ
ニャンちやん そんな顔(かほ)をするとこつちが恥かしくなつてしまふよ
あれ、こんどはピチ君が恥かしがつてゐらア
○
(火星実験室(くわせいぢつけんしつ))
ここが特別研究室(とくべつけんきうしつ)だ さあ みんなお入り
へんな建物(たてもの)だなあ
○
やあ おかしいなあ 中ががらんどうだ
なんだか薄気味(うすきみ)がわるいわ
さあ そこに丸窓(まるまど)や扉(とびら)があるから のぞいてごらん
○
やあ おどろいた ここの部屋(へや)は二重(ぢゆう)になつてゐる
機械(きかい)がぎつしりあるわ
ここは何にをするところです
いま いろいろの実験(じつけん)をやつて見せやう
○
さあ みんなマスクをかけ給(たま)へ
ニャンちやん マスクのかけ方がさかさまだよ
あら さう
○
マスクつて変(へ)んな格好(かくかう)のものね
そのマスクは酸素吸入器(さんそきふにふき)にもなつてゐるんだ
みんなタコのお化(ば)けのやうだ
○
おや お父(とう)さんだけマスクをかけないんですね
わしは次(つぎ)の室(へや)だ 最初(さいしよ)この部屋(へや)を火星(くわせい)の状態(じやうたい)にする
○
何が始(はじ)まるんだらう
お父さん あんまり恐(こわ)いことをしないでね
なんぢや 科学者(くわがくしや)の子がそんな弱音(よわね)を吐(は)いて
○
もし危険(きけん)なことが起(お)きたら 扉(ドア)をあけてそとに出たらいい
○
説明(せつめい)はその壁(かべ)にうつる仕掛(しかけ)になつてゐる
みんな用意(い)はいいか
イイデス……
なんだ 情(なさ)けない声(こゑ)を出すね
○
あれ お父(とう)さんが隠(かく)れてしまつた
やあ 機械(きかい)のうなる音がしだした
(ブルン ブルン ブルン)
テン太郎さん 大丈夫(だいぢやうぶ)かしら
○
(ブルルン ブルルン ブルブル ピューキャタ キャタ キャタ ホホホヽ)
?
?
あれまあ 機械が笑(わら)ひ出したわ
○
や 映写板(えいしやばん)に何にか映(うつ)つた
やあ これは面(おも)白い
(これからこの部屋(へや)の空気(くうき)をかき出(だ)してしまふ。)
○
(ガッタン ガッタン ガッタン)
(火星(くわせい)の直径(ちよっけい)は四千二〇〇哩(まいる)ある 地球(ちきゆう)の半分(はんぶん)よりちよっと長(なが)いくらいだ。)
○
あら? わたし体(からだ)が軽(かる)くなつてきた
おかしいなあ しやぼん玉(だま)のやうに軽いぞ
やあ 面(おも)白い 面白い
○
飛(と)んだり 跳(は)ねたり 愉快(ゆくわい)だなあ!
やあ 面(おも)白いなあ
いくらでも跳(と)べるわ
(火星(くわせい)の重力(じゆうりよく)は 地球(ちきゆう)の五分(ぶん)ノ二しかない。だから君達(きみたち)の重(おも)さも五分(ぶん)ノ二にへった。)
○
体(からだ)が軽(かる)くて気持ちがいい
(地球(ちきゆう)で百五〇封度(ポンド)の重(おも)さの人間も、火星(くわせい)では六〇封度(ポンド)になる。人は地球(ちきゆう)にゐるときよりも二倍半(ばいはん)高(たか)くとべる。)
○
(いま実験室(ぢつけんしつ)は火星(くわせい)のやうになってゐる。酸素(さんそ)・窒素(ちつそ)・水蒸気(すいじやうき)なんどは有(あ)ってもとても少い。)
あれ酸素(さんそ)が少いんだつて マスクがとれたらみんな死んでしまふぞ
まあ おそろしい
それぢや火星(くわせい)には人間(げん)なんかゐないや
○
酸素がなくちや猫(ねこ)だつて住めないわ
(火星(くわせい)には水(みづ)も少(すくな)い。もし海(うみ)があるとすれば、春(はる)の雪(ゆき)どけのときだけできる浅(あさ)い海だ(うみ)だ。)
○
(地球(ちきゆう)から見(み)える火星(くわせい)の黒(くろ)いところは、だから海(うみ)といふよりも沼(ぬま)か 小(ちい)さな沼(ぬま)の集(あつま)ったのか、川(かわ)だ。)
火星(くわせい)といふところは 寂(さび)しいところなんだなあ
○
(これが想像(さうざう)した火星(くわせい)の表面(へうめん)で一面(めん)の砂原(すなはら)で植物(しよくぶつ)もある。)
やあ 寂しいところに来てしまつたぞ
まるで砂漠(さばく)のやうね
○
僕(ぼく)の見た火星の夢(ゆめ)は こんなに寂しくはなかつたよ
だつて夢だもの なんでも見られるわ
さうだ 夢より科学(くわがく)の方がほんとうだ
○
ちがわい 夢からいろいろの科学だつて生れたんだい
ぢや テン太郎さん何んと何にが生れたの?
○
たとへば 人間(げん)が空を飛(と)びたいと考(かんが)へてゐたから とうとう飛行機(ひかうき)といふものを考へ出した
さうだ 想像(さうざう)は発明(はつめい)の母(はは)だ!
○
ちがひますよ テン太郎さんの夢(ゆめ)は目をつぶつて見たんでせう 科学(くわがく)を生みだす夢は目をあけてみる夢だわ
こいつ 生意気(なまいき)な!
目をあけて 夢を見られるかい
○
みられるわ さういふ夢を想像(さうざう)とか空想(くうさう)とかいふんだわ
うそだい 科学者(くわがくしや)なんか空想なんかしないよ
ちがひますよ しますよ
○
ニャンちやんなんか駄(だ)目だい
鼠(ねずみ)の夢より見ないんだから
ひどいわ ひどいわ アーン ぢやピチちやん あんたは泥棒(どろぼう)を追(お)つかける夢より見ないんだわ アーン
○
(これこれみんな喧嘩(けんくわ)をするな□)
あれ? 叱(しか)られた
なんでも映(うつ)るんだなあ
(フフフ。)
○
あれニャン君が今 フフつて笑(わら)つたぞ
いま泣いた烏(からす)が笑ひだした ハハハ
だつて あんなところに映つたりして おかしいんですもの
ニャンちやん 仲直(なかなほ)りしやうね
○
あら変(へん)だわ わたしなんだか寒(さむ)くなつてきたわ
どうしたんだらうね
僕(ぼく)は少しも寒くはない
○
おお寒(さむ)い! もうたまらないわ
(ブルブルブル)
ほんとだ 少し寒くなつてきたぞ
僕(ぼく)はすこしも感(かん)じませんよ
○
ニャン君 僕とピチ君の間(あひだ)にかうしてはさまつてをいでよ
(ブルブルブル)
昔(むかし)から猫(ねこ)は 寒がりときまつてゐるんだよ
○
あれッ、これはきれいだ
ほれごらんなさい こんなに氷(こほり)だらけになつたわ
(ブルブルブル)
やあ きれいだなあ うわあ、寒い寒い
○
(実験室(ぢつけんしつ)の中(なか)の温度(おんど)をだんだん下げて 火星(くわせい)の寒(さむ)さにしてみる。)
火星の寒さはどの位(くらゐ)だらうな
おや寒く なつてきたネ
(ブルブルブルブル)
昔から犬は 寒がらない動物(ぶつ)であつたはづだわ
○
(火星(くわせい)にも北極(ほつきよく)のやうな寒(さむ)いところがある。『極冠(きよくくわん)』と呼(よ)んでる。まんなかのは火星(くわせい)にのぼつた月(つき)だ。火星(くわせい)の寒(さむ)いところは零下(れいか)四十度(ど)から零下(れいか)七十度(ど)の寒(さむ)さだ。)
おお寒い寒い これはたまらん
○
あッ! ピチクンがのびちやつた
あれ?
○
お父さん! 大変です あけてください!
そんなところたたいてもだめだわ そこの扉(ドア)をあけるんだわ
[#改ページ]
コオロギと蛙(かへる)
○
やあ助かつた
お父(とう)さん ピチクンがこんなになつちまつた
こりや失敗(しつぱい) しかし実験室(じつけんしつ)はまだ零下(れいか)四十度そこそこなんだよ
早く温(あたた)めてやらなければ……
○
なに大丈夫(ぢやうぶ)だよ ほら目をあけた
おや? ここはどこだ
あんた凍(こゞ)え死ぬところだつたのよ
ピチクンはニャンちやんよりも弱虫(よわむし)だなあ アハハ
○
さあ、おいで 火星(くわせい)行ロケットを見せてあげやう
僕(ぼく)は火星へ行きませんよ
ハハハ テン太郎はすつかり火星嫌(きら)ひになつたね
ちがひます 僕は星はみな好(すき)です 中でも火星は大好きです
○
それに どうして火星へ行くのをいやがるんだね
あんまりへんな夢(ゆめ)をみてしまつたんです
○
ハハハハ それでテン太郎は ほんとうの事を知りたくなつたんだね
さうです
○
さうぢや ほんとうのことを知ることぢや 火星に人間(げん)がむりに居(ゐ)るやうに考(かんが)へてはいかん
さうですね 人間がゐるかゐないか研究(けんきう)すればいいんですね
さうぢや
○
火星(くわせい)の夢(ゆめ)を見たければ テン太郎のやうにベットの上で見たらいい
僕(ぼく)もう火星の夢はみません こんどは機械(きかい)をのぞいてほんとうのことを沢山(たくさん)知るんです
賛成(さんせい)!
賛成!
○
さあ みんな帰(かへ)らう
お父(とう)さんがいろいろのことを見せてやつた こんどはテン太郎は自分(じぶん)の学校の勉強(べんきやう)を帰つてやりなさい
さやうなら
さよなら
○
これこれテン太郎 一寸(ちよつと)まて きのふからな お父さんの髯(ひげ)にコオロギが巣(す)をつくつたんぢや
(エ?)
まあ驚(おどろ)いた 髯の中にですか?
○
さうぢや わしは殺(ころ)すことがきらひぢやから放(ほう)つておいたよ
ホレ鳴(な)いてゐる
やあ ふしぎだ?
○
あらほんと聞きたいわ
僕にも聞かせて下さい
さわいぢや鳴かないよ そつと寄(よ)つてきたまへ
○
(コロ コロ コロ)
ああ ほんとだ!
どうして髯の中になんか入つたんだらうな
いい声(こゑ)だなア
○
(コロ コロ コロ ハクション)
アレッ コオロギが くしやみをした!
○
ア、わかつた お父さんが口で鳴く真似(まね)をしてゐたんだ
では みなさんさやうなら
○
お父さんにやられちやつた
くやしいわね
なんだかこのまゝ帰るのは残念(ざんねん)だなあ
○
僕もさうだ 子供(ども)や犬や猫(ねこ)が科学者(くわがくしや)に負(ま)けるなんていまいましいなあ
なんだか、このまゝ帰れませんね
くやしいな
○
いいことを考(かんが)へついた みんな……………………ネ
うまい考へだな
くやしいわね
○
(ゲロゲロゲロゲロ ゲゲゲゲゲゲ ゲーロゲロ ゲロゲロ)
こりや助からん どうもうるさい蛙共(かへるども)ぢやなあ
○
星野(の)さん だいぶ蛙がうるさいやうですな
(ゲロゲロゲロ)
研究(けんきう)も何もできませんですね
○
おや これは
ヤしまつた
さつきの敵(かたき)うちか こりやいかん
○
(ピシャッ)
○
さあ みんな帰(かへ)らう
(ゲロゲロ ゲロゲロ)
やつと胸(むね)がスースーしたわ
(ゲゲゲゲゲゲ)
アハハハ
(ゲーロ ケロケロゲロ)
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