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著者名:長塚節 

        「土」に就て
漱石
「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。さうして其責任者は余であつた。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病氣に罹つて、新聞を手にする自由を失つたぎり、又「土」の作者を思ひ出す機會を有たなかつた。
 當初五六十囘の豫定であつた「土」は、同時に意外の長篇として發達してゐた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な區切から改めて讀み出す勇氣を鼓舞しにくかつたので、つい夫限(ぎり)に打ち遣(や)つたやうなものゝ、腹のなかでは私かに作者の根氣と精力に驚ろいてゐた。「土」は何でも百五六十囘に至つて漸く結末に達したのである。
 冷淡な世間と多忙な余は其後久しく「土」の事を忘れてゐた。所がある時此間亡くなつた池邊君に會つて偶然話頭が小説に及んだ折、池邊君は何故「土」は出版にならないのだらうと云つて、大分長塚君の作を褒めてゐた。池邊君は其當時「朝日」の主筆だつたので「土」は始から仕舞迄眼を通したのである。其上池邊君は自分で文學を知らないと云ひながら、其實摯實な批評眼をもつて「土」を根氣よく讀み通したのである。余は出版界の不景氣のために「土」の單行本が出る時機がまだ來ないのだらうと答へて置いた。其時心のうちでは、隨分「土」に比べると詰らないものも公けにされる今日だから、出來るなら何時か書物に纏めて置いたら作者の爲に好からうと思つたが、不親切な余は其日が過ぎると、又「土」の事を丸で忘れて仕舞つた。
 すると此春になつて長塚君が突然尋ねて來て、漸く本屋が「土」を引受ける事になつたから、序を書いて呉れまいかといふ依頼である。余は其時自分の小説を毎日一囘づゝ書いてゐたので、「土」を讀み返す暇がなかつた。已を得ず自分の仕事が濟む迄待つてくれと答へた。すると長塚君は池邊君の序も欲しいから序でに紹介して貰ひたいと云ふので、余はすぐ承知した。余の名刺を持つて「土」の作者が池邊君の玄關に立つたのは、池邊君の母堂が死んで丁度三十五日に相當する日とかで、長塚君はたゞ立ちながら用事丈を頼んで歸つたさうであるが、それから三日して肝心の池邊君も突然亡くなつて仕舞つたから、同君の序はとう/\手に入らなかつたのである。
 余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を讀み出した。思つたよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰しにして漸く業を卒へて考へて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元來が安價な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於ても全くさうであつた。先づ何よりも先に、是は到底余に書けるものでないと思つた。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだらうと物色して見た。すると矢張誰にも書けさうにないといふ結論に達した。
 尤も誰にも書けないと云ふのは、文を遣る技倆の點や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない。もし夫れ丈の意味で誰も長塚君に及ばないといふなら、一方では他の作家を侮辱した言葉にもなり、又一方では長塚君を擔ぎ過ぎる策略とも取れて、何方にしても作者の迷惑になる計である。余の誰も及ばないといふのは、作物中に書いてある事件なり天然なりが、まだ長塚君以外の人の研究に上つてゐないといふ意味なのである。
「土」の中に出て來る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、たゞ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同樣に憐れな百姓の生活である。先祖以來茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多數の小作人を使用する長塚君は、彼等の獸類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠實に此「土」の中に收め盡したのである。彼等の下卑で、淺薄で、迷信が強くて、無邪氣で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさへ上りがたい所を、あり/\と眼に映るやうに描寫したのが「土」である。さうして「土」は長塚君以外に何人も手を著けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獸類に接近した部分を、精細に直叙したものであるから、誰も及ばないと云ふのである。
 人事を離れた天然に就いても、前同樣の批評を如何な讀者も容易に肯はなければ濟まぬ程、作者は鬼怒川沿岸の景色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究してゐる。畠のもの、畔に立つ榛の木、蛙の聲、鳥の音、苟くも彼の郷土に存在する自然なら、一點一畫の微に至る迄悉く其地方の特色を具へて叙述の筆に上つてゐる。だから何處に何う出て來ても必ず獨特(ユニーク)である。其獨特(ユニーク)な點を、普通の作家の手に成つた自然の描寫の平凡なのに比べて、余は誰も及ばないといふのである。余は彼の獨特(ユニーク)なのに敬服しながら、そのあまりに精細過ぎて、話の筋を往々にして殺して仕舞ふ失敗を歎じた位、彼は精緻な自然の觀察者である。
 作としての「土」は、寧ろ苦しい讀みものである。決して面白いから讀めとは云ひ惡い。第一に作中の人物の使ふ言葉が余等には餘り縁の遠い方言から成り立つてゐる。第二に結構が大きい割に、年代が前後數年にわたる割に、周圍に平たく發達したがる話が、筋をくつきりと描いて深くなりつゝ前へ進んで行かない。だから全體として讀者に加速度(アクセレレーシヨン)の興味を與へない。だから事件が錯綜纏綿して縺れながら讀者をぐい/\引込んで行くよりも、其地方の年中行事を怠りなく丹念に平叙して行くうちに、作者の拵らへた人物が斷續的に活躍すると云つた方が適當になつて來る。其所に聊か人を魅する牽引力を失ふ恐が潛んでゐるといふ意味でも讀みづらい。然し是等は單に皮相の意味に於て讀みづらいので、余の所謂讀みづらいといふ本意は、篇中の人物の心なり行なりが、たゞ壓迫と不安と苦痛を讀者に與へる丈で、毫も神の作つてくれた幸福な人間であるといふ刺戟と安慰を與へ得ないからである。悲劇は恐しいに違ない。けれども普通の悲劇のうちには悲しい以外に何かの償ひがあるので、讀者は涙の犧牲を喜こぶのである。が、「土」に至つては涙さへ出されない苦しさである。雨の降らない代りに生涯照りつこない天氣と同じ苦痛である。たゞ土の下(した)へ心が沈む丈で、人情から云つても道義心から云つても、殆んど此壓迫の賠償として何物も與へられてゐない。たゞ土を掘り下げて暗い中へ落ちて行く丈である。
「土」を讀むものは、屹度自分も泥の中を引き摺られるやうな氣がするだらう。余もさう云ふ感じがした。或者は何故長塚君はこんな讀みづらいものを書いたのだと疑がふかも知れない。そんな人に對して余はたゞ一言、斯樣な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舍に住んで居るといふ悲慘な事實を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等の是から先の人生觀の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの參考として利益を與へはしまいかと聞きたい。余はとくに歡樂に憧憬する若い男や若い女が、讀み苦しいのを我慢して、此「土」を讀む勇氣を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になつて、音樂會がどうだの、帝國座がどうだのと云ひ募る時分になつたら、余は是非此「土」を讀ましたいと思つて居る。娘は屹度厭だといふに違ない。より多くの興味を感ずる戀愛小説と取り換へて呉れといふに違ない。けれども余は其時娘に向つて、面白いから讀めといふのではない。苦しいから讀めといふのだと告げたいと思つて居る。參考の爲だから、世間を知る爲だから、知つて己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる爲だから我慢して讀めと忠告したいと思つて居る。何も考へずに暖かく生長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心や宗教心は、皆此暗い影の奧から射(さ)して來るのだと余は固く信じて居るからである。
 長塚君の書き方は何處迄も沈着である。其人物は皆有の儘である。話の筋は全く自然である。余が「土」を「朝日」に載せ始めた時、北の方のSといふ人がわざ/″\書を余のもとに寄せて、長塚君が旅行して彼と面會した折の議論を報じた事がある。長塚君は余の「朝日」に書いた「滿韓ところ/″\」といふものをSの所で一囘讀んで、漱石といふ男は人を馬鹿にして居るといつて大いに憤慨したさうである。漱石に限らず一體「朝日」新聞の記者の書き振りは皆人を馬鹿にして居ると云つて罵つたさうである。成程眞面目に老成した、殆んど嚴肅といふ文字を以て形容して然るべき「土」を書いた、長塚君としては尤もの事である。「滿韓所々(ところ/″\)」抔が君の氣色を害したのは左もあるべきだと思ふ。然し君から輕佻の疑を受けた余にも、眞面目な「土」を讀む眼はあるのである。だから此序を書くのである。長塚君はたまたま「滿韓ところ/″\」の一囘を見て余の浮薄を憤つたのだらうが、同じ余の手になつた外のものに偶然眼を觸れたら、或は反對の感を起すかも知れない。もし余が徹頭徹尾「滿韓ところ/″\」のうちで、長塚君の氣に入らない一囘を以て終始するならば、到底長塚君の「土」の爲に是程言辭を費やす事は出來ない理窟だからである。
 長塚君は不幸にして喉頭結核にかゝつて、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生旁旅行の途にある。先達てかねて紹介して置いた福岡大學の久保博士からの來書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだらう。余は出版の時機に後れないで、病中の君の爲に、「土」に就いて是丈の事を云ひ得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを讀む義務はないと云つたと、わざ/\余に報知して來たものがあつた。其時余は此文士は何の爲に罪もない「土」の作家を侮辱するのだらうと思つて苦々しい不愉快を感じた。理窟から云つて、讀まねばならない義務のある小説といふものは、其小説の校正者か、内務省の檢閲官以外にさうあらう筈がない。わざ/\斷わらんでも厭なら厭で默つて讀まずに居れば夫迄である。もし又名の知れない人の書いたものだから讀む義務はないと云ふなら、其人は唯名前丈で小説を讀む、内容などには頓着しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に對して、たとひ無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があつて然るべきだと思ふ。余は「土」の作者が病氣だから、此場合には猶ほ更らさう云ひたいのである。
(明治四十五年五月)

[#改丁]



         一

 烈(はげ)しい西風(にしかぜ)が目(め)に見(み)えぬ大(おほ)きな塊(かたまり)をごうつと打(う)ちつけては又(また)ごうつと打(う)ちつけて皆(みな)痩(やせ)こけた落葉木(らくえふぼく)の林(はやし)を一日(にち)苛(いぢ)め通(とほ)した。木(き)の枝(えだ)は時々(とき/″\)ひう/\と悲痛(ひつう)の響(ひゞき)を立(た)てゝ泣(な)いた。短(みじか)い冬(ふゆ)の日(ひ)はもう落(お)ちかけて黄色(きいろ)な光(ひかり)を放射(はうしや)しつゝ目叩(またゝ)いた。さうして西風(にしかぜ)はどうかするとぱつたり止(や)んで終(しま)つたかと思(おも)ふ程(ほど)靜(しづ)かになつた。泥(どろ)を拗切(ちぎ)つて投(な)げたやうな雲(くも)が不規則(ふきそく)に林(はやし)の上(うへ)に凝然(ぢつ)とひつゝいて居(ゐ)て空(そら)はまだ騷(さわ)がしいことを示(しめ)して居(ゐ)る。それで時々(とき/″\)は思(おも)ひ出(だ)したやうに木(き)の枝(えだ)がざわ/″\と鳴(な)る。世間(せけん)が俄(にはか)に心(こゝろ)ぼそくなつた。
 お品(しな)は復(ま)た天秤(てんびん)を卸(おろ)した。お品(しな)は竹(たけ)の短(みじか)い天秤(てんびん)の先(さき)へ木(き)の枝(えだ)で拵(こしら)へた小(ちひ)さな鍵(かぎ)の手(て)をぶらさげてそれで手桶(てをけ)の柄(え)を引(ひ)つ懸(か)けて居(ゐ)た。お品(しな)は百姓(ひやくしやう)の隙間(すきま)には村(むら)から豆腐(とうふ)を仕入(しい)れて出(で)ては二三ヶ村(そん)を歩(ある)いて來(く)るのが例(れい)である。手桶(てをけ)で持(も)ち出(だ)すだけのことだから資本(もとで)も要(いら)ない代(かはり)には儲(まうけ)も薄(うす)いのであるが、それでも百姓(ひやくしやう)ばかりして居(ゐ)るよりも日毎(ひごと)に目(め)に見(み)えた小遣錢(こづかひせん)が取(と)れるのでもう暫(しばら)くさうして居(ゐ)た。手桶(てをけ)一提(ひとさげ)の豆腐(とうふ)ではいつもの處(ところ)をぐるりと廻(まは)れば屹度(きつと)なくなつた。還(かへ)りには豆腐(とうふ)の壞(こは)れで幾(いく)らか白(しろ)くなつた水(みづ)を棄(す)てゝ天秤(てんびん)は輕(かる)くなるのである。お品(しな)は何時(いつ)でも日(ひ)のあるうちに夜(よ)なべに繩(なは)に綯(な)ふ藁(わら)へ水(みず)を掛(か)けて置(お)いたり、落葉(おちば)を攫(さら)つて見(み)たりそこらこゝらと手(て)を動(うご)かすことを止(や)めなかつた。天性(ね)が丈夫(ぢやうぶ)なのでお品(しな)は仕事(しごと)を苦(くる)しいと思(おも)つたことはなかつた。
 それが此(この)日(ひ)は自分(じぶん)でも酷(ひど)く厭(いや)であつたが、冬至(とうじ)が來(く)るから蒟蒻(こんにやく)の仕入(しいれ)をしなくちや成(な)らないといつて無理(むり)に出(で)たのであつた。冬至(とうじ)といふと俄商人(にはかあきうど)がぞく/\と出來(でき)るので急(いそ)いで一遍(ぺん)歩(ある)かないと、其(その)俄商人(にはかあきうど)に先(せん)を越(こ)されて畢(しま)ふのでお品(しな)はどうしても凝然(ぢつ)としては居(ゐ)られなかつた。蒟蒻(こんにやく)は村(むら)には無(な)いので、仕入(しいれ)をするのには田圃(たんぼ)を越(こ)えたり林(はやし)を通(とほ)つたりして遠(とほ)くへ行(ゆ)かねばならぬ。それでお品(しな)は其(その)途中(とちう)で商(あきなひ)をしようと思(おも)つて此(こ)の日(ひ)も豆腐(とうふ)を擔(かつ)いで出(で)た。生憎(あいにく)夜(よる)から冴(さ)え切(き)つて居(ゐ)た空(そら)には烈(はげ)しい西風(にしかぜ)が立(た)つて、それに逆(さから)つて行(ゆ)くお品(しな)は自分(じぶん)で酷(ひど)く足下(あしもと)のふらつくのを感(かん)じた。ぞく/\と身體(からだ)が冷(ひ)えた。さうして豆腐(とうふ)を出(だ)す度(たび)に水(みづ)へ手(て)を刺込(さしこ)むのが慄(ふる)へるやうに身(み)に染(し)みた。かさ/\に乾燥(かわ)いた手(て)が水(みづ)へつける度(たび)に赤(あか)くなつた。皹(ひゞ)がぴり/\と痛(いた)んだ。懇意(こんい)なそここゝでお品(しな)は落葉(おちば)を一燻(ひとく)べ焚(た)いて貰(もら)つては手(て)を翳(かざ)して漸(やつ)と暖(あたゝ)まつた。蒟蒻(こんにやく)を仕入(しい)れて出(で)た時(とき)はそんなこんなで暇(ひま)をとつて何時(いつ)になく遲(おそ)かつた。お品(しな)は林(はやし)を幾(いく)つも過(す)ぎて自分(じぶん)の村(むら)へ急(いそ)いだが、疲(つか)れもしたけれど懶(ものう)いやうな心持(こゝろもち)がして幾度(いくたび)か路傍(みちばた)へ荷(に)を卸(おろ)しては休(やす)みつゝ來(き)たのである。
 お品(しな)は手桶(てをけ)の柄(え)へ横(よこ)たへた竹(たけ)の天秤(てんびん)へ身(み)を投(な)げ懸(か)けてどかりと膝(ひざ)を折(を)つた。ぐつたり成(な)つたお品(しな)はそれでなくても不見目(みじめ)な姿(すがた)が更(さら)に檢束(しどけ)なく亂(みだ)れた。西風(にしかぜ)の餘波(なごり)がお品(しな)の後(うしろ)から吹(ふ)いた。さうして西風(にしかぜ)は後(うしろ)で括(くゝ)つた穢(きたな)い手拭(てぬぐひ)の端(はし)を捲(まく)つて、油(あぶら)の切(き)れた埃(ほこり)だらけの赤(あか)い髮(かみ)の毛(け)を扱(こ)きあげるやうにして其(その)垢(あか)だらけの首筋(くびすぢ)を剥出(むきだし)にさせて居(ゐ)る。夫(それ)と共(とも)に林(はやし)の雜木(ざふき)はまだ持前(もちまへ)の騷(さわ)ぎを止(や)めないで、路傍(みちばた)の梢(こずゑ)がずつと繞(しな)つてお品(しな)の上(うへ)からそれを覗(のぞ)かうとすると、後(うしろ)からも/\林(はやし)の梢(こずゑ)が一齊(せい)に首(くび)を出(だ)す。さうして暫(しばら)くしては又(また)一齊(せい)に後(うしろ)へぐつと戻(もど)つて身體(からだ)を横(よこ)に動搖(ゆさぶり)ながら笑(わら)ひ私語(さゞめ)くやうにざわ/\と鳴(な)る。
 お品(しな)は身體(からだ)に變態(へんたい)を來(きた)したことを意識(いしき)すると共(とも)に恐怖心(きようふしん)を懷(いだ)きはじめた。三四日(か)どうもなかつたから大丈夫(だいぢやうぶ)だとは思(おも)つて見(み)ても、恁(か)う凝然(ぢつ)として居(ゐ)ると遠(とほ)くの方(ほう)へ滅入(めい)つて畢(しま)ふ樣(やう)な心持(こゝろもち)がして、不斷(ふだん)から幾(いく)らか逆上性(のぼせしやう)でもあるのだがさう思(おも)ふと耳(みゝ)が鳴(な)るやうで世間(せけん)が却(かへつ)て靜(しづ)かに成(な)つて畢(しま)つたやうに思(おも)はれた。不圖(ふと)氣(き)が付(つ)いた時(とき)お品(しな)ははき/\として天秤(てんびん)を擔(かつ)いだ。林(はやし)が竭(つ)きて田圃(たんぼ)が見(み)え出(だ)した。田圃(たんぼ)を越(こ)せば村(むら)で、自分(じふん)の家(いへ)は田圃(たんぼ)のとりつきである。青(あを)い煙(けぶり)がすつと騰(のぼ)つて居(ゐ)る。お品(しな)は二人(ふたり)の子供(こども)を思(おも)つて心(こゝろ)が跳(をど)つた。林(はやし)の外(はづ)れから田圃(たんぼ)へおりる處(ところ)は僅(わづ)かに五六間(けん)であるが、勾配(こうばい)の峻(けは)しい坂(さか)でそれが雨(あめ)のある度(たび)にそこらの水(みづ)を聚(あつ)めて田圃(たんぼ)へ落(おと)す口(くち)に成(な)つて居(ゐ)るので自然(しぜん)に土(つち)が抉(ゑぐ)られて深(ふか)い窪(くぼみ)が形(かたちづく)られて居(ゐ)る。お品(しな)は天秤(てんびん)を斜(なゝめ)に横(よこ)へ向(む)けて、右(みぎ)の手(て)を前(まへ)の手桶(てをけ)の柄(え)へ左(ひだり)の手(て)を後(うしろ)の手桶(てをけ)の柄(え)へ掛(か)けて注意(ちうい)しつゝおりた。それでも殆(ほと)んど手桶(てをけ)一杯(ぱい)に成(な)り相(さう)な蒟蒻(こんにやく)の重量(おもみ)は少(すこ)しふらつく足(あし)を危(あやう)く保(たも)たしめた。やつと人(ひと)の行(ゆ)き違(ちが)ふだけの狹(せま)い田圃(たんぼ)をお品(しな)はそろ/\と運(はこ)んで行(ゆ)く。お品(しな)は白茶(しらちや)けた程(ほど)古(ふる)く成(な)つた股引(もゝひき)へそれでも先(さき)の方(ほう)だけ繼(つ)ぎ足(た)した足袋(たび)を穿(は)いて居(ゐ)る。大(おほ)きな藁草履(わらざうり)は固(かた)めたやうに霜解(しもどけ)の泥(どろ)がくつゝいて、それがぼた/\と足(あし)の運(はこ)びを更(さら)に鈍(にぶ)くして居(ゐ)る。狹(せま)く連(つらな)つて居(ゐ)る田(た)を竪(たて)に用水(ようすゐ)の堀(ほり)がある。二三株(にさんかぶ)比較的(ひかくてき)大(おほ)きな榛(はん)の木(き)の立(た)つて居(ゐ)る處(ところ)に僅(わづか)一枚(いちまい)板(いた)の橋(はし)が斜(なゝめ)に架(か)けてある。お品(しな)は橋(はし)の袂(たもと)で一寸(ちよつと)立(た)ち止(どま)つた。さうして近(ちか)づいた自分(じぶん)の家(いへ)を見(み)た。村落(むら)は臺地(だいち)に在(あ)るのでお品(しな)の家(いへ)の後(うしろ)は直(すぐ)に斜(なゝめ)に田圃(たんぼ)へずり落(お)ち相(さう)な林(はやし)である。楢(なら)や雜木(ざふき)の間(あひだ)に短(みじか)い竹(たけ)が交(まじ)つて居(ゐ)る。いゝ加減(かげん)大(おほ)きくなつた楢(なら)の木(き)は皆(みな)葉(は)が落(お)ち盡(つく)して居(ゐ)るので、其(その)小枝(こえだ)を透(とほ)して凹(くぼ)んだ棟(やのむね)が見(み)える。白(しろ)い羽(はね)の鷄(にはとり)が五六羽(ぱ)、がり/\と爪(つめ)で土(つち)を掻(か)つ掃(ぱ)いては嘴(くちばし)でそこを啄(つゝ)いて又(また)がり/\と土(つち)を掻(か)つ掃(ぱ)いては餘念(よねん)もなく夕方(ゆふがた)の飼料(ゑさ)を求(もと)めつゝ田圃(たんぼ)から林(はやし)へ還(かへ)りつゝある。お品(しな)は非常(ひじやう)な注意(ちうい)を以(もつ)て斜(なゝめ)な橋(はし)を渡(わた)つた。四足目(よあしめ)にはもう田圃(たんぼ)の土(つち)に立(た)つた。其(その)時(とき)は日(ひ)は疾(とう)に沒(ぼつ)して見渡(みわた)す限(かぎ)り、田(た)から林(はやし)から世間(せけん)は只(たゞ)黄褐色(くわうかつしよく)に光(ひか)つてさうしてまだ明(あか)るかつた。お品(しな)は田圃(たんぼ)からあがる前(まへ)に天秤(てんびん)を卸(おろ)して左(ひだり)へ曲(まが)つた。自分(じぶん)の家(いへ)の林(はやし)と田(た)との間(あひだ)には人(ひと)の足趾(あしあと)だけの小徑(こみち)がつけてある。お品(しな)は其(その)小徑(こみち)と林(はやし)との境界(さかひ)を劃(しき)つて居(ゐ)る牛胡頽子(うしぐみ)の側(そば)に立(たつ)た。鷄(にはとり)の爪(つめ)の趾(あと)が其處(そこ)の新(あた)らしい土(つち)を掻(か)き散(ち)らしてあつた。お品(しな)は土(つち)を手(て)で聚(あつ)めて草履(ざうり)の底(そこ)でそく/\とならした。お品(しな)の姿(すがた)が庭(には)に見(み)えた時(とき)には西風(にしかぜ)は忘(わす)れたやうに止(や)んで居(ゐ)て、庭先(にはさき)の栗(くり)の木(き)にぶつ懸(か)けた大根(だいこ)の乾(から)びた葉(は)も動(うご)かなかつた。白(しろ)い鷄(にはとり)はお品(しな)の足(あし)もとへちよろ/\と駈(か)けて來(き)て何(なに)か欲(ほ)し相(さう)にけろつと見上(みあげ)た。お品(しな)は平常(いつも)のやうに鷄(にはとり)抔(など)へ構(かま)つては居(ゐ)られなかつた。お品(しな)は戸口(とぐち)に天秤(てんびん)を卸(おろ)して突然(いきなり)
「おつう」と喚(よ)んだ。
「おつかあか」と直(すぐ)におつぎの返辭(へんじ)が威勢(ゐせい)よく聞(きこ)えた。それと同時(どうじ)に竈(かまど)の火(ひ)がひら/\と赤(あか)くお品(しな)の目(め)に映(うつ)つた。朝(あさ)から雨戸(あまど)は開(あ)けないので内(うち)はうす闇(くら)くなつて居(ゐ)る。外(そと)の光(ひかり)を見(み)て居(ゐ)たお品(しな)の目(め)には直(す)ぐにはおつぎの姿(すがた)も見(み)えなかつたのである。戸口(とぐち)からではおつぎの身體(からだ)は竈(かまど)の火(ひ)を掩(おほ)うて居(ゐ)た。返辭(へんじ)すると共(とも)に身體(からだ)を捩(ねぢ)つたので其(その)赤(あか)い火(ひ)が見(み)えたのである。
 おつぎの脊(せ)に居(ゐ)た與吉(よきち)はお品(しな)の聲(こゑ)を聞(き)きつけると
「まん/\ま」と兩手(りやうて)を出(だ)して下(お)りようとする。お品(しな)はおつぎが帶(おび)を解(と)いてる間(あひだ)に壁際(かべぎは)の麥藁俵(むぎわらだはら)の側(そば)へ蒟蒻(こんにやく)の手桶(てをけ)を二つ並(なら)べた。與吉(よきち)はお袋(ふくろ)の懷(ふところ)に抱(だ)かれて碌(ろく)に出(で)もしない乳房(ちぶさ)を探(さぐ)つた。お品(しな)は竈(かまど)の前(まへ)へ腰(こし)を掛(か)けた。白(しろ)い鷄(にはとり)は掛梯子(かけばしご)の代(かはり)に掛(か)けてある荒繩(あらなは)でぐる/\捲(まき)にした竹(たけ)の幹(みき)へ各自(てんで)に爪(つめ)を引(ひ)つ掛(か)けて兩方(りやうはう)の羽(はね)を擴(ひろ)げて身體(からだ)の平均(へいきん)を保(たも)ちながら慌(あわ)てたやうに塒(とや)へあがつた。さうして青(あを)い煙(けむり)の中(なか)に凝然(ぢつ)として目(め)を閉(と)ぢて居(ゐ)る。
 お品(しな)は家(いへ)に歸(かへ)つて幾(いく)らか暖(あたゝ)まつたがそれでも一日(にち)冷(ひ)えた所爲(せい)かぞく/\するのが止(や)まなかつた。さうして後(のち)に近所(きんじよ)で風呂(ふろ)を貰(もら)つてゆつくり暖(あつた)まつたら心持(こゝろもち)も癒(なほ)るだらうと思(おも)つた。竈(かまど)には小(ちひ)さな鍋(なべ)が懸(かゝ)つて居(ゐ)る。汁(しる)は葢(ふた)を漂(たゞよ)はすやうにしてぐら/\と煮立(にた)つて居(ゐ)る。外(そと)もいつかとつぷり闇(くら)くなつた。おつぎは竈(かまど)の下(した)から火(ひ)のついてる麁朶(そだ)を一(ひと)つとつて手(て)ランプを點(つ)けて上(あが)り框(がまち)の柱(はしら)へ懸(か)けた。お品(しな)はおつぎが單衣(ひとへ)へ半纏(はんてん)を引(ひ)つ掛(か)けた儘(まゝ)であるのを見(み)た。平常(いつも)ならそんなことはないのだが自分(じぶん)が酷(ひど)くぞく/\として心持(こゝろもち)が惡(わる)いのでつい氣(き)になつて
「おつう、そんな姿(なり)で汝(わり)や寒(さむ)かねえか」と聞(き)いた。それから手拭(てぬぐひ)の下(した)から見(み)えるおつぎのあどけない顏(かほ)を凝然(ぢつ)と見(み)た。
「寒(さむ)かあんめえな」おつぎは事(こと)もなげにいつた。與吉(よきち)は懷(ふところ)の中(なか)で頻(しき)りにせがんで居(ゐ)る。お品(しな)は平常(いつも)のやうでなく何(なに)も買(か)つて來(こ)なかつたので、ふと困(こま)つた。
「おつう、そこらに砂糖(さたう)はなかつたつけゝえ」お品(しな)はいつた。おつぎは默(だま)つて草履(ざうり)を脱棄(ぬぎす)てゝ座敷(ざしき)へ駈(か)けあがつて、戸棚(とだな)から小(ちひ)さな古(ふる)い新聞紙(しんぶんし)の袋(ふくろ)を探(さが)し出(だ)して、自分(じぶん)の手(て)の平(ひら)へ少(すこ)し砂糖(さたう)をつまみ出(だ)して
「そら/\」といひながら、手(て)を出(だ)して待(ま)つて居(ゐ)る與吉(よきち)へ遺(や)つた。おつぎは砂糖(さたう)の附(つ)いた自分(じぶん)の手(て)を嘗(な)めた。與吉(よきち)は其(その)砂糖(さたう)をお袋(ふくろ)の懷(ふところ)へこぼしながら危(あぶ)な相(さう)につまんでは口(くち)へ入(い)れる。砂糖(さたう)が竭(つ)きた時(とき)與吉(よきち)は其(その)べとついた手(て)をお袋(ふくろ)の口(くち)のあたりへ出(だ)した。お品(しな)は與吉(よきち)の兩手(りやうて)を攫(つかま)へて舐(ねぶ)つてやつた。お品(しな)は鍋(なべ)の蓋(ふた)をとつて麁朶(そだ)の焔(ほのほ)を翳(かざ)しながら
「こりや芋(いも)か何(なん)でえ」と聞(き)いた。
「うむ、少(すこ)し芋(いも)足(た)して暖(あつた)め返(けえ)したんだ」
「おまんまは冷(つめ)たかねえけ」
「それから雜炊(おぢや)でも拵(こせ)えべと思(おも)つてたのよ」
 お品(しな)は熱(あつ)い物(もの)なら身體(からだ)が暖(あたゝ)まるだらうと思(おも)ひながら、自分(じぶん)は酷(ひど)く懶(ものう)いので何(なん)でもおつぎにさせて居(ゐ)た。おつぎは粘(ねば)り氣(け)のない麥(むぎ)の勝(か)つたぽろ/\な飯(めし)を鍋(なべ)へ入(い)れた。お品(しな)は麁朶(そだ)を一燻(いとく)べ突(つ)つ込んだ。おつぎは鍋(なべ)を卸(おろ)して茶釜(ちやがま)を懸(か)けた。ほうつと白(しろ)く蒸氣(ゆげ)の立(た)つ鍋(なべ)の中(なか)をお玉杓子(たまじやくし)で二三度(ど)掻(か)き立(た)てゝおつぎは又(また)葢(ふた)をした。おつぎは戸棚(とだな)から膳(ぜん)を出(だ)して上(あが)り框(がまち)へ置(お)いた。柱(はしら)に點(つ)けてある手(て)ランプの光(ひかり)が屆(とゞ)かぬのでおつぎは手探(てさぐ)りでして居(ゐ)る。お品(しな)は左手(ひだりて)に抱(だ)いた與吉(よきち)の口(くち)へ箸(はし)の先(さき)で少(すこ)しづ(ママ)ゝ含(ふく)ませながら雜炊(ざふすゐ)をたべた。お品(しな)は芋(いも)を三つ四つ箸(はし)へ立(た)てゝ與吉(よきち)へ持(も)たせた。與吉(よきち)は芋(いも)を口(くち)へ持(も)つていつて直(す)ぐに熱(あつ)いというて泣(な)いた。お品(しな)は與吉(よきち)の頻(ほゝ)をふう/\と吹(ふ)いてそれから芋(いも)を自分(じぶん)の口(くち)で噛(か)んでやつた。お品(しな)の茶碗(ちやわん)は恁(か)うして冷(ひ)えた。おつぎは冷(つめ)たくなつた時(とき)鍋(なべ)のと換(かへ)てやつた。お品(しな)は欲(ほ)しくもない雜炊(ざふすゐ)を三杯(ばい)までたべた。幾(いく)らか腹(はら)の中(なか)の暖(あたゝ)かくなつたのを感(かん)じた。さうして漸(やうや)く水離(みづばな)れのした茶釜(ちやがま)の湯(ゆ)を汲(く)んで飮(の)んだ。おつぎは庭先(にはさき)の井戸端(ゐどばた)へ出(で)て鍋(なべ)へ一杯(ぱい)釣瓶(つるべ)の水(みづ)をあけた。おつぎが戻(もど)つた時(とき)
「おつう、今夜(こんや)でなくつてもえゝや」とお品(しな)はいつた。おつぎは默(だま)つて俵(たわら)の側(そば)の手桶(てをけ)へ手(て)を掛(か)けて
「此(これ)へも水(みづ)入(せえ)て置(お)かなくつちやなんめえな」
「さうすればえゝが大變(たえへん)だらえゝぞ」
 お品(しな)がいひ切(き)らぬうちにおつぎは庭(には)へ出(で)た。直(す)ぐに洗(あら)つた鍋(なべ)と手桶(てをけ)を持(も)つて暗(くら)い庭先(にはさき)からぼんやり戸口(とぐち)へ姿(すがた)を見(み)せた。閾(しきゐ)へ一寸(ちよつと)手桶(てをけ)を置(お)いてお品(しな)と顏(かほ)を見合(みあは)せた。手桶(てをけ)の水(みづ)は半分(はんぶん)で兩方(りやうはう)の蒟蒻(こんにやく)へ水(みづ)が乘(の)つた。
 お品(しな)は三人連(にんづれ)で東隣(ひがしどなり)へ風呂(ふろ)を貰(もら)ひに行(い)つた。東隣(ひがしどなり)といふのは大(おほ)きな一構(ひとかまへ)で蔚然(うつぜん)たる森(もり)に包(つゝ)まれて居(ゐ)る。
 外(そと)は闇(やみ)である。隣(となり)の森(もり)の杉(すぎ)がぞつくりと冴(さ)えた空(そら)へ突(つ)つ込(こ)んで居(ゐ)る。お品(しな)の家(いへ)は以前(いぜん)から此(こ)の森(もり)の爲(た)めに日(ひ)が餘程(よほど)南(みなみ)へ廻(まは)つてからでなければ庭(には)へ光(ひかり)の射(さ)すことはなかつた。お品(しな)の家族(かぞく)は何處(どこ)までも日蔭者(ひかげもの)であつた。それが後(のち)に成(な)つてから方方(はう/″\)に陸地測量部(りくちそくりやうぶ)の三角測量臺(かくそくりやうだい)が建(た)てられて其(その)上(うへ)に小(ちひ)さな旗(はた)がひら/\と閃(ひらめ)くやうに成(な)つてから其(その)森(もり)が見通(みとほ)しに障(さは)るといふので三四本(ほん)丈(だけ)伐(き)らせられた。杉(すぎ)の大木(たいぼく)は西(にし)へ倒(たふ)したのでづしんとそこらを恐(おそ)ろしく搖(ゆる)がしてお品(しな)の庭(には)へ横(よこ)たはつた。枝(えだ)は挫(くぢ)けて其(その)先(さき)が庭(には)の土(つち)をさくつた。それでも隣(となり)では其(その)木(き)の始末(しまつ)をつける時(とき)にそこらへ散(ち)らばつた小枝(こえだ)や其(その)他(た)の屑物(くづもの)はお品(しな)の家(いへ)へ與(あた)へたので思(おも)ひ掛(が)けない薪(たきゞ)が出來(でき)たのと、も一(ひと)つは幾(いく)らでも東(ひがし)が隙(す)いたのとで、隣(となり)では自分(じぶん)の腕(うで)を斬(き)られたやうだと惜(を)しんだにも拘(かゝは)らずお品(しな)の家(いへ)では竊(ひそか)に悦(よろこ)んだのであつた。それからといふものはどんな姿(なり)にも日(ひ)が朝(あさ)から射(さ)すやうになつた。それでも有繋(さすが)に森(もり)はあたりを威壓(ゐあつ)して夜(よる)になると殊(こと)に聳然(すつくり)として小(ちひ)さなお品(しな)の家(いへ)は地(ぢ)べたへ蹂(ふみ)つけられたやうに見(み)えた。
 お品(しな)は闇(やみ)の中(なか)へ消(き)えた。さうして隣(となり)の戸口(とぐち)に現(あら)はれた。隣(となり)の雇人(やとひにん)は夜(よ)なべの繩(なは)を綯(な)つて居(ゐ)た。板(いた)の間(ま)の端(はし)へ胡坐(あぐら)を掻(か)いて足(あし)で抑(おさ)へた繩(なは)の端(はし)へ藁(わら)を繼(つ)ぎ足(た)し/\(ママ)してちより/\と額(ひたひ)の上(うへ)まで揉(も)み擧(あげ)ては右(みぎ)の手(て)を臀(しり)へ廻(まは)してくつと繩(なは)を後(うしろ)へ扱(こ)く。繩(なは)は其(その)度(たび)に土間(どま)へ落(お)ちる。お品(しな)は板(いた)の間(ま)に小(ちひ)さくなつて居(ゐ)た。軈(やが)て藁(わら)が竭(つ)きると傭人(やとひにん)は各自(てんで)に其(その)繩(なは)を足(あし)から手(て)へ引(ひ)つ掛(か)けて迅速(じんそく)に數(かず)を計(はか)つては土間(どま)から手繰(たぐ)り上(あ)げながら、繼(つな)がつた儘(まゝ)一房(ばう)づ(ママ)ゝに括(くゝ)つた。やがて彼等(かれら)は板(いた)の間(ま)の藁屑(わらくづ)を土間(どま)へ掃(は)きおろしてそれから交代(かうたい)に風呂(ふろ)へ這入(はひ)つた。お品(しな)はそれを見(み)ながら默(だま)つて待(ま)つて居(ゐ)た。お品(しな)は此處(こゝ)へ來(く)ると恁(か)ういふ遠慮(ゑんりよ)をしなければならぬので、少(すこ)しは遠(とほ)くても風呂(ふろ)は外(ほか)へ貰(もら)ひに行(ゆ)くのであつたが其(その)晩(ばん)はどこにも風呂(ふろ)が立(た)たなかつた。お品(しな)は二三軒(けん)そつちこつちと歩(ある)いて見(み)てから隣(となり)の門(もん)を潜(くゞ)つたのであつた。傭人(やとひにん)は大釜(おほがま)の下(した)にぽつぽと火(ひ)を焚(た)いてあたつて居(ゐ)る。風呂(ふろ)から出(で)ても彼等(かれら)は茹(ゆだ)つたやうな赤(あか)い腿(もゝ)を出(だ)して火(ひ)の側(そば)へ寄(よ)つた。
「どうだね、一燻(ひとく)べあたつたらようがせう、今(いま)直(すぐ)に明(あ)くから」と傭人(やとひにん)がいつてくれてもお品(しな)は臀(しり)から冷(ひ)えるのを我慢(がまん)して凝然(ぢつ)と辛棒(しんぼう)して居(ゐ)た。懷(ふところ)で眠(ねむ)つた與吉(よきち)を騷(さわ)がすまいとしては足(あし)の痺(しび)れるので幾度(いくど)か身體(からだ)をもぢ/\動(うご)かした。漸(やうや)く風呂(ふろ)の明(あ)いた時(とき)はお品(しな)は待遠(まちどほ)であつたので前後(ぜんご)の考(かんがへ)もなく急(いそ)いで衣物(きもの)をとつた。與吉(よきち)は幸(さいは)ひにぐつたりと成(な)つてお袋(ふくろ)の懷(ふところ)から離(はな)れるのも知(し)らないのでおつぎが小(ちひ)さな手(て)で抱(だ)いた。お品(しな)は段々(だん/\)と身體(からだ)が暖(あたゝ)まるに連(つ)れて始(はじ)めて蘇生(いきかへ)つたやうに恍惚(うつとり)とした。いつまでも沈(しづ)んで居(ゐ)たいやうな心持(こゝろもち)がした。與吉(よきち)が泣(な)きはせぬかと心付(こゝろづ)いた時(とき)碌(ろく)に洗(あら)ひもしないで出(で)て畢(しま)つた。それでも顏(かほ)がつや/\として髮(かみ)の生際(はえぎは)が拭(ぬぐ)つても/\汗(あせ)ばんだ。さうしてしみ/″\と快(こゝろよ)かつた。お品(しな)は衣物(きもの)を引(ひ)つ掛(か)けると直(す)ぐと與吉(よきち)を内懷(うちふところ)へ入(い)れた。お品(しな)の後(あと)へは下女(げぢよ)が這入(はひ)つたので、おつぎは其(その)間(あひだ)待(ま)たねばならなかつた。おつぎが出(で)た時(とき)はお品(しな)の身體(からだ)は冷(さ)め掛(か)けて居(ゐ)た。お品(しな)は自分(じぶん)が後(あと)ではい(ママ)ればよかつたのにと後悔(こうくわい)した。
 お品(しな)が自分(じぶん)の股引(もゝひき)と足袋(たび)とをおつぎに提(さ)げさせて歸(かへ)つた時(とき)に月(つき)は竊(ひそか)に隣(となり)の森(もり)の輪郭(りんくわく)をはつきりとさせて其(その)森(もり)の隙間(すきま)が殊(こと)に明(あか)るく光(ひか)つて居(ゐ)た。世間(せけん)がしみ/″\と冷(ひ)えて居(ゐ)た。お品(しな)は薄(うす)い垢(あか)じみた蒲團(ふとん)へくるまると、身體(からだ)が又(また)ぞく/\として膝(ひざ)か(ママ)しらが氷(こほ)つたやうに成(な)つて居(ゐ)たのを知(し)つた。

         二

 次(つぎ)の朝(あさ)お品(しな)はまだ戸(と)の隙間(すきま)から薄(うす)ら明(あか)りの射(さ)したばかりに眼(め)が覺(さ)めた。枕(まくら)を擡(もた)げて見(み)たが頭(あたま)の心(しん)がしく/\と痛(いた)むやうでいつになく重(おも)かつた。狹(せば)い家(いへ)の内(うち)に羽叩(はばた)く鷄(にはとり)の聲(こゑ)がけたゝましく耳(みゝ)の底(そこ)へ響(ひゞ)いた。おつぎはまだすや/\として眠(ねむ)つて居(ゐ)る。戸(と)の隙間(すきま)が瞼(まぶた)を開(ひら)いたやうに明(あか)るくなつた時(とき)鷄(にはとり)が復(ま)た甲走(かんばし)つて鳴(な)いた。お品(しな)はおつぎを今朝(けさ)は緩(ゆつ)くりさせてやらうと思(おも)つて居(ゐ)た。それでもおつぎは鷄(にはとり)が又(また)鳴(な)いた時(とき)むつくり起(お)きた。いつもと違(ちが)つて餘(あま)りひつそりして居(ゐ)るので驚(おどろ)いたやうにあたりを見(み)た。さうしてお袋(ふくろ)がまだ自分(じぶん)の傍(そば)に蒲團(ふとん)へくるまつてるのを見(み)た。
「おつう、せかねえでもえゝぞ、俺(お)ら今朝(けさ)少(すこ)し工合(ぐえゝ)が惡(わり)いから緩(ゆつ)くりすつかんなよ」お品(しな)はいつた。おつぎは暫(しばら)くもぢ/\しながら帶(おび)を締(しめ)て大戸(おほど)を一枚(まい)がら/\と開(あ)けて目(め)をこすりながら庭(には)へ出(で)た。井戸端(ゐどばた)の桶(をけ)には芋(いも)が少(すこ)しばかり水(みづ)に浸(ひた)してあつて、其(その)水(みづ)には氷(こほり)がガラス板(いた)位(ぐらゐ)に閉(と)ぢて居(ゐ)る。おつぎは鍋(なべ)をいつも磨(みが)いて居(ゐ)る砥石(といし)の破片(かけ)で氷(こほり)を叩(たゝ)いて見(み)た。おつぎは大戸(おほど)を開(あ)け放(はな)して置(お)いたので朝(あさ)の寒(さむ)さが侵入(しんにふ)したのに氣(き)がついて
「おつかあ、寒(さむ)かなかつたか、俺(お)ら知(し)らねえで居(ゐ)た」いひながら大戸(おほど)をがら/\と閉(し)めた。闇(くら)くなつた家(いへ)の内(うち)には竈(かまど)の火(ひ)のみが勢(いきほ)ひよく赤(あか)く立つた。おつぎは
「おゝ冷(つめ)てえ」といひながら竈(かまど)の口(くち)から捲(まく)れて出(で)る□(ほのほ)へ手(て)を翳(かざ)して
「今朝(けさ)は芋(いも)の水(みづ)氷(こほ)つたんだよ」とお袋(ふくろ)の方(はう)を向(む)いていつた。
「うむ、霜(しも)も降(ふ)つたやうだな」お品(しな)は力(ちから)なくいつた。戸口(とぐち)を後(うしろ)にしてお品(しな)は竈(かまど)の火(ひ)のべろ/\と燃(も)え上(あが)るのを見(み)た。
「何處(どこ)でも眞白(まつしろ)だよ」おつぎは竹(たけ)の火箸(ひばし)で落葉(おちば)を掻(か)き立(た)てながらいつた。
「夜明(よあけ)にひどく冷々(ひや/\)したつけかんな」お品(しな)はいつて一寸(ちよつと)首(くび)を擡(もた)げながら
「俺(お)ら今朝(けさ)はたべたかねえかんな、汝(われ)構(かま)あねえで出來(でき)たらたべた方(はう)がえゝぞ」お品(しな)はいつた。又(また)氷(こほ)つた飯(めし)で雜炊(ざふすゐ)が煮(に)られた。
「おつかあ、ちつとでもやらねえか」おつぎは茶碗(ちやわん)をお袋(ふくろ)の枕元(まくらもと)へ出(だ)した。雜炊(ざふすゐ)の焦(こ)げついたやうな臭(にほ)ひがぷんと鼻(はな)を衝(つ)いた時(とき)お品(しな)は箸(はし)を執(と)つて見(み)ようかと思(おも)つて俯伏(うつぶ)しになつて見(み)たが、直(すぐ)に壓(いや)になつて畢(しま)つた。お品(しな)が動(うご)いたので懷(ふところ)の與吉(よきち)は泣(な)き出(だ)した。お品(しな)は俯伏(うつぶ)した儘(まゝ)乳房(ちぶさ)を含(ふく)ませた。さうして又(また)芋(いも)の串(くし)を拵(こしら)へて持(も)たせた。
 お品(しな)が表(おもて)の大戸(おほど)を開(あ)けさせた時(とき)は日(ひ)がきら/\と東隣(ひがしどなり)の森(もり)越(ご)しに庭(には)へ射(さ)し掛(か)けてきつかりと日蔭(ひかげ)を限(かぎ)つて解(と)け殘(のこ)つた霜(しも)が白(しろ)く見(み)えて居(ゐ)た。庭先(にはさき)の栗(くり)の木(き)の枯葉(かれは)からも、枝(えだ)へ掛(か)けた大根(だいこ)の葉(は)からも霜(しも)が解(と)けて雫(しづく)がまだぽたり/\と垂(た)れて居(ゐ)る。庭(には)へ敷(し)いてある庭葢(にはぶた)の藁(わら)も只(たゞ)ぐつしりと濕(しめ)つて居(ゐ)る。冬(ふゆ)になると霜柱(しもばしら)が立(た)つので庭(には)へはみんな藁屑(わらくづ)だの蕎麥幹(そばがら)だのが一杯(ぱい)に敷(し)かれる。それが庭葢(にはぶた)である。霜柱(しもばしら)が庭(には)から先(さき)の桑畑(くはばたけ)にぐらり/\と倒(たふ)れつゝある。
 お品(しな)は蒲團(ふとん)の中(なか)でも滅切(めつきり)暖(あたゝ)かく成(な)つたことを感(かん)じた。時々(とき/″\)枕(まくら)を擡(もた)げて戸口(とぐち)から外(そと)を見(み)る。さうしては麥藁俵(むぎわらだはら)の側(そば)に置(お)いた蒟蒻(こんにやく)の手桶(てをけ)をどうかすると無意識(むいしき)に見(み)つめる。横(よこ)に成(な)つて居(ゐ)る目(め)からは東隣(ひがしどなり)の森(もり)の梢(こずゑ)が妙(めう)に變(かは)つて見(み)えるので凝然(ぢつ)と見(み)つめては目(め)が疲(つか)れるやうに成(な)るので又(また)蒟蒻(こんにやく)の手桶(てをけ)へ目(め)を移(うつ)したりした。お品(しな)はどうかして少(すこ)しでも蒟蒻(こんにやく)を減(へ)らして置(お)きたいと思(おも)つた。お品(しな)は其(その)内(うち)に起(お)きられるだらうと考(かんが)へつゝ時々(とき/″\)うと/\と成(な)る。
「切干(きりぼし)でも切(き)つたもんだかな」おつぎが庭(には)から大(おほ)きな聲(こゑ)でいつた時(とき)お品(しな)はふと枕(まくら)を擡(もた)げた。それでおつぎの聲(こゑ)は意味(いみ)も解(わか)らずに微(かす)かに耳(みゝ)に入(い)つた。
 暫(しばら)くたつてからお品(しな)は庭(には)でおつぎがざあと水(みづ)を汲(く)んでは又(また)間(あひだ)を隔(へだ)てゝざあと水(みづ)を汲(く)んで居(ゐ)るのを聞(き)いた。おつぎは大根(だいこ)を洗(あら)つた。おつぎは庭葢(にはぶた)の上(うへ)に筵(むしろ)を敷(し)いて暖(あたゝ)かい日光(につくわう)に浴(よく)しながら切干(きりぼし)を切(き)りはじめた。大根(だいこ)を横(よこ)に幾(いく)つかに切(き)つて、更(さら)にそれを竪(たて)に割(わ)つて短册形(たんざくがた)に刻(きざ)む。おつぎは飯臺(はんだい)へ渡(わた)した爼板(まないた)の上(うへ)へとん/\と庖丁(はうちやう)を落(おと)しては其(その)庖丁(はうちやう)で白(しろ)く刻(きざ)まれた大根(だいこ)を飯臺(はんだい)の中(なか)へ扱(こ)き落(おと)す。お品(しな)は切干(きりぼし)を刻(きざ)む音(おと)を聞(き)いた時(とき)先刻(さつき)のは大根(だいこ)を洗(あら)つて居(ゐ)たのだなと思(おも)つた。お品(しな)は二三日(にち)此(この)來(かた)もう切干(きりぼし)も切(き)らなければならないと自分(じぶん)が口(くち)について云(い)つて居(ゐ)たことを思(おも)ひ出(だ)して、おつぎが能(よ)く機轉(きてん)を利(き)かしたと心(こゝろ)で悦(よろこ)んだ。庖丁(はうちやう)の音(おと)が雨戸(あまど)の外(そと)に近(ちか)く聞(きこ)える。お品(しな)は身體(からだ)を半分(はんぶん)蒲團(ふとん)からずり出(だ)して見(み)たら、手拭(てぬぐひ)で髮(かみ)を包(つゝ)んで少(すこ)し前屈(まへかゞ)みになつて居(ゐ)るおつぎの後姿(うしろすがた)が見(み)えた。
「大根(だいこ)は分(わか)つたのか」お品(しな)は聞(き)いた。
「分(わか)つてるよ」おつぎは庖丁(はうちやう)の手(て)を止(とゞ)めて横(よこ)を向(むい)て返辭(へんじ)した。お品(しな)は又(また)蒲團(ふとん)へくるまつた。さうしてまだ下手(へた)な庖丁(はうちやう)の音(おと)を聞(き)いた。お品(しな)の懷(ふところ)に居(ゐ)た與吉(よきち)は退屈(たいくつ)してせがみ出(だ)した。おつぎは夫(それ)を聞(き)いて
「そうら、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、24-7]が處(とこ)へでも來(き)て見(み)ろ」といひながら忙(せは)しくぽつと一燻(ひとく)べ落葉(おちば)を燃(もや)して衣物(きもの)を灸(あぶ)つて與吉(よきち)へ着(き)せた。
「よきは利口(りこう)だから※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、24-9]が處(とこ)に居(ゐ)るんだぞ」お品(しな)はいつた。おつぎは自分(じぶん)の筵(むしろ)の上(うへ)へ抱(だ)いて行(い)つた。おつぎの手(て)は落葉(おちば)の埃(ほこり)で汚(よご)れて居(ゐ)た。再(ふたゝ)び庖丁(はうちやう)を持(も)つた時(とき)大根(だいこ)には指(ゆび)の趾(あと)がついた。おつぎは其(その)手(て)を半纏(はんてん)で拭(ぬぐ)つた。與吉(よきち)は側(そば)で刻(きざ)まれた大根(だいこ)へ手(て)を出(だ)す。
「危險(あぶねえ)よ、さあ此(これ)でも持(も)つて居(ゐ)ろ」おつぎは切(き)り掛(か)けの大根(だいこ)をやつた。與吉(よきち)は直(すぐ)にそれを噛(か)ぢつた。
「辛(から)くて仕(し)やうあんめえなよきは」おつぎは甘(あま)やかすやうにいつた。お品(しな)にはそれが能(よ)く聞(きこ)えて二人(ふたり)がどんなことをして居(ゐ)るのかゞ分(わか)つた。お品(しな)の耳(みゝ)には續(つゞ)いて
「ぽうんとしたか、そらそつちへ行(い)つちやつた」といふ聲(こゑ)がしたかと思(おも)ふと
「こんだはぽうんとすんぢやねえかんな」といふ聲(こゑ)やそれから又(また)
「それ持(も)ち出(だ)すんぢやねえ、聽(き)かねえと此(これ)で切(き)つてやんぞ、赤(あか)まんまが出(で)るぞおゝ痛(いて)え」抔(など)とおつぎのいふのが聞(きこ)えた。其(その)度(たび)に庖丁(はうちやう)の音(おと)が止(や)む。お品(しな)には與吉(よきち)が惡戯(いたづら)をしたり、おつぎが痛(いた)いといつて指(ゆび)を啣(くは)へて見(み)せれば與吉(よきち)も自分(じぶん)の手(て)を口(くち)へ當(あて)て居(ゐ)るのが目(め)に見(み)えるやうである。お品(しな)はおつぎを平常(ふだん)から八釜敷(やかましく)して居(ゐ)たので餘所(よそ)の子(こ)よりも割合(わりあひ)に動(うご)けると思(おも)つて居(ゐ)るけれど、與吉(よきち)と巫山戯(ふざけ)たりして居(ゐ)るのを見(み)るとまだ子供(こども)だといふことが念頭(ねんとう)に浮(うか)ぶ。自分(じぶん)が勘次(かんじ)と相(あひ)知(し)つたのは十六の秋(あき)である。おつぎは恁(か)うして大人(おとな)らしく成(な)るであらうかと何時(いつ)になくそんなことを思(おも)つた。おつぎは十五であつた。
 午餐(ひる)もお品(しな)は欲(ほ)しくなかつた。自分(じぶん)でも今日(けふ)は商(あきなひ)に出(で)られないと諦(あきら)めた。明日(あす)に成(な)つたらばと思(おも)つて居(ゐ)た。然(しか)しそれは空頼(そらだのみ)であつた。お品(しな)は依然(いぜん)として枕(まくら)を離(はな)れられない。有繋(さすが)に不安(ふあん)の念(ねん)が先(さき)に立(た)つた。お品(しな)はつい近頃(ちかごろ)行(い)つた勘次(かんじ)の事(こと)が頻(しき)りに思(おも)ひ出(だ)されて、こつちであれ程(ほど)働(はたら)いて行(い)つたのに屹度(きつと)休(やす)みもしないで錢取(ぜにとり)をして居(ゐ)るのだらうと思(おも)ふと、寒(さむ)くてもシヤツ一(ひと)つになつて、後(のち)には其(その)シヤツの端(はし)が拔(ぬ)け出(だ)して能(よ)く臍(へそ)が出(で)ることや、夜(よる)になると能(よ)く骨(ほね)がみり/\する樣(やう)だといつたことが目(め)の前(まへ)にあるやうで何(なん)だか逢(あ)ひたくて堪(たま)らぬやうな心持(こゝろもち)がするのであつた。
 勘次(かんじ)は利根川(とねがは)の開鑿工事(かいさくこうじ)へ行(い)つて居(ゐ)た。秋(あき)の頃(ころ)から土方(どかた)が勸誘(くわんいう)に來(き)て大分(だいぶ)甘(うま)い噺(はなし)をされたので此(こ)の近村(きんそん)からも五六人(にん)募集(ぼしふ)に應(おう)じた。勘次(かんじ)は工事(こうじ)がどんなことかも能(よ)く知(し)らなかつたが一日(にち)の手間(てま)が五十錢(せん)以上(いじやう)にもなるといふので、それが其(その)季節(きせつ)としては法外(はふぐわい)な値段(ねだん)なのに惚(ほ)れ込(こ)んで畢(しま)つたのである。工事(こうじ)の場所(ばしよ)は霞(かすみ)ヶ浦(うら)に近(ちか)い低地(ていち)で、洪水(こうずゐ)が一旦(たん)岸(きし)の草(くさ)を沒(ぼつ)すと湖水(こすゐ)は擴大(くわくだい)して川(かは)と一(ひと)つに只(たゞ)白々(しら/″\)と氾濫(はんらん)するのを、人工(じんこう)で築(きづ)かれた堤防(ていばう)が僅(わづか)に湖水(こすゐ)と川(かは)とを區別(くべつ)するあたりである。勘次(かんじ)は自分(じぶん)の土地(とち)と比較(ひかく)して茫々(ばう/\)たるあたりの容子(ようす)に呑(の)まれた。さうして工夫等(こうふら)に權柄(けんぺい)にこき使(つか)はれた。
 勘次(かんじ)は愈(いよ/\)傭(やと)はれて行(ゆ)くとなつた時(とき)收穫(とりいれ)を急(いそ)いだ。冬至(とうじ)が近(ちか)づく頃(ころ)には田(た)はいふまでもなく畑(はたけ)の芋(いも)でも大根(だいこ)でもそれぞれ始末(しまつ)しなくてはならぬ。勘次(かんじ)はお品(しな)が起(お)きて竈(かまど)の火(ひ)を點(つ)けるうちには庭葢(にはぶた)へ籾(もみ)の筵(むしろ)を干(ほ)したりそれから獨(ひと)りで磨臼(すりうす)を挽(ひ)いたりして、それから大根(だいこ)も干(ほ)したり土(つち)へ活(い)けたりして闇(くら)いから闇(くら)いまで働(はたら)いた。それでも籾(もみ)が少(すこ)しと畑(はたけ)が少(すこ)し殘(のこ)つたのをお品(しな)がどうにかするといつたので出(で)て行(い)つたのである。
 工事(こうじ)の箇所(かしよ)へは廿里(り)もあつた。勘次(かんじ)は行(ゆ)けば直(すぐ)に錢(ぜに)になると思(おも)つたので漸(やうや)く一圓(ゑん)ばかりの財布(さいふ)を懷(ふところ)にした。辨當(べんたう)をうんと背負(しよ)つたので目的地(もくてきち)へつくまでは渡錢(わたしせん)の外(ほか)には一錢(せん)も要(い)らなかつた。
 勘次(かんじ)は夜(よる)ついて其(その)次(つぎ)の日(ひ)には疲(つか)れた身體(からだ)で仕事(しごと)に出(で)た。彼(かれ)は半日(はんにち)でも無駄(むだ)な飯(めし)を喰(く)ふことを恐(おそ)れた。然(しか)し其(そ)の次(つぎ)の日(ひ)は過激(くわげき)な勞働(らうどう)から俗(ぞく)にそら手というて手(て)の筋(すぢ)が痛(いた)んだので二三日(にち)仕事(しごと)に出(で)られなかつた。それから六七日(にち)たつて烈(はげ)しい西風(にしかぜ)が吹(ふ)いた。勘次(かんじ)は薄(うす)い蒲團(ふとん)へくるまつて日(ひ)の中(うち)から冷(ひ)えてた足(あし)が暖(あたゝま)らなかつた。うと/\と熟睡(じゆくすゐ)することも出來(でき)ないで輾轉(ごろ/\)して長(なが)い夜(よ)を漸(やうや)く明(あか)した。
 其(そ)の次(つぎ)の日(ひ)彼(かれ)は硬(こは)ばつたやうに感(かん)ずる手(て)を動(うご)かして冷(つめ)たいシヤブルの柄(え)を執(と)つて泥(どろ)にくるまつて居(ゐ)た。さうして居(ゐ)る處(ところ)へ村(むら)の近所(きんじよ)のものがひよつこり尋(たづ)ねて來(き)たので彼(かれ)は狐(きつね)にでも魅(つま)まれたやうに只(たゞ)驚(おどろ)いた。近所(きんじよ)の者(もの)は大勢(おほぜい)が只(たゞ)泥(どろ)のやうになつて動(うご)いて居(ゐ)るのでどれがどうとも識別(みわけ)がつかないで困(こま)つたといつて、勘次(かんじ)に逢(あ)うたことを反覆(くりかへ)して只(たゞ)悦(よろこ)んだ。途中(とちゆう)へ一晩(ひとばん)泊(とま)つたといふやうなことをいつて勘次(かんじ)が心(こゝろ)忙(せは)しく聞(き)く迄(まで)は理由(わけ)をいはなかつた。勘次(かんじ)は漸(やうや)くお品(しな)に頼(たの)まれて來(き)たのだといふことを知(し)つた。勘次(かんじ)はお品(しな)が病氣(びやうき)に罹(かゝ)つたのだといふのを聞(き)いて萬一(もし)かといふ懸念(けねん)がぎつくり胸(むね)にこたへた。さうして反覆(くりかへ)してどんな鹽梅(あんばい)だと聞(き)いた。噺(はなし)の容子(ようす)ではそれ程(ほど)でもないのかと思(おも)つても見(み)たが、それでも勘次(かんじ)は口(くち)を利(き)くにも唾(つば)が喉(のど)からぐつと突(つ)つ返(かへ)して來(く)るやうで落付(おちつ)かれなかつた。
 其(そ)の日(ひ)の夜中(よなか)に彼等(かれら)は立(た)つた。勘次(かんじ)は自分(じぶん)も急(いそ)ぐし使(つかひ)を疲(つか)れた足(あし)で歩(ある)かせることも出來(でき)ないので霞(かすみ)ヶ浦(うら)を汽船(きせん)で土浦(つちうら)の町(まち)へ出(で)た。夜(よる)は汽船(きせん)で明(あ)けたがどうしたのか途中(とちう)で故障(こしやう)が出來(でき)たので土浦(つちうら)へ着(つ)いたのは豫定(よてい)の時間(じかん)よりは遙(はろか)に後(おく)れて居(ゐ)た。土浦(つちうら)の町(まち)で勘次(かんじ)は鰯(いわし)を一包(ひとつゝ)み買(か)つて手拭(てねぐひ)で括(くゝ)つてぶらさげた。土浦(つちうら)から彼(かれ)は疲(つか)れた足(あし)を後(あと)に捨(す)てゝ自分(じぶん)は力(ちから)の限(かぎ)り歩(ある)いた。それでも村(なら)へはひつた時(とき)は行(ゆ)き違(ちが)ふ人(ひと)がぼんやり分(わか)る位(くらゐ)で自分(じぶん)の戸口(とぐち)に立(た)つた時(とき)は薄暗(うすくら)い手(て)ランプが柱(はしら)に懸(かゝ)つて燻(くす)ぶつて居(ゐ)た。勘次(かんじ)はひつそりとした家(いへ)のなかに直(すぐ)に蒲團(ふとん)へくるまつて居(ゐ)るお品(しな)の姿(すがた)を見(み)た。それからお品(しな)の足(あし)を揣(さす)つて居(ゐ)るおつぎに目(め)を移(うつ)した。
 勘次(かんじ)は大戸(おほど)をがらりと開(あ)けて閾(しきゐ)を跨(また)いだ時(とき)何(なに)もいはずに只(たゞ)
「どうしてえ」といふのが先(さき)であつた。お品(しな)は勘次(かんじ)の聲(こゑ)を聞(き)いて思(おも)はず枕(まくら)を動(うご)かして
「勘次(かんじ)さんか」といつて更(さら)に
「南(みなみ)のおとつゝあは行(ゆ)き違(ちげえ)にでもならなかつたんべかな」といつた。
「行逢(いきや)つたよ。そんだがお前(めえ)どんな鹽梅(あんべえ)なんでえ」
「俺(お)らそれ程(ほど)でねえと思(おも)つて居(ゐ)たが三四日(さんよつか)横(よこ)に成(な)つた切(きり)でなあ、それでも今日等(けふら)はちつたあえゝやうだから此(この)分(ぶん)ぢや直(すぐ)に吹(ふ)つ返(けえ)すかとも思(おも)つてんのよ」

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