右門捕物帖
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著者名:佐々木味津三 

     4

 かくしてゆうゆうと待つほどに、やがて鼻息すさまじく早駕籠で飛んで帰ったのは、伊豆守(いずのかみ)のお下屋敷を洗いにいった千鳴りの伝六です。
「ちくしょうッ。ずぼしだ、ずぼしだッ、井上の金八め、ゆだんのならねえ細工師ですぜ!」
「そうだろう。徒歩供(かちとも)にいったというなぁまっかなうそか!」
「いいえ、いったのはほんとうなんだが、その間に変な小細工しやがったんだから、ゆだんがならねえというんですよ。なんでも九ツ少しまえにね、金八の野郎め、急に腹が痛くなったから休ませてくれといやがって、供べやへさがっていったんでね、急病なら手当をしたらいいんだろうというんで、供頭(ともがしら)が見舞いにいったら、野郎め、どこかへ雲隠れして見えねえっていうんですよ。だから、大騒ぎしてわいわいと捜していたら、九ツよっぽど過ぎた時分に、腹痛のはずの野郎めがぴんぴんしながらひょっくりと表からけえってきたとこういうんだ。察するに、やつめその間に家へ帰って、なにか変なまねしたに相違ござんせんぜ!」
「お手の筋! お手の筋! そのとおりだよ。じゃ、せくこともあるまいから、お茶でも飲みな」
 待っているところへ、江戸はどっちだというような日本晴れの顔つきで、のどかにちょこちょこ帰ってきたのは善光寺の辰でした。
「おちついているようだが狂ったか」
「ところが大当たり。やっぱり、ゆうべの九ツ前後に一匹、あの一座の猿公(えてこう)が行くえ知れずになったんで大騒ぎしていたら、ひょっくりこっちの方角から帰ってきたっていいますよ」
「もしや、その猿公は、おまえも見たあの袈裟(けさ)切り太夫(たゆう)じゃなかったか!」
「そうなんです! そうなんですよ! 袈裟御前を突き刺したあのでけえ雄ざるなんですよ! しかも、血まみれの小柄(こづか)を一本持っていたといいますぜ」
「よしッ。もう眼はたしかだッ。じゃ、ちっとばかり草香流を小出しにしようぜ!」
 蝋色鞘(ろいろざや)をずっしりと落として差してゆうゆうとふところ手をしながら乗り込んでいったは、いわずと知れた金八屋敷です。しかも、そのおちつきぐあい、今にしてさえざえとさえまさった男まえのさっそうとしたあたり、まったくまのあたり見せてやりたいくらいのものだが、しかるに許しがたきはそれなる相手の金八でした。せめて妻女の始末ぐらいは、当然もう始めているべきが定(じょう)なのに、香華(こうげ)一つたむけようともせずほったらかしておいたまま、女中のお葉を、ぽちゃぽちゃッとしたべっぴんなんで少し気になるがと仙市座頭がいったお葉なるその女中をそばへ引きつけて、妻女の品とおぼしき形見の着物をたんすの中から取り出しながら、
「どうだ。こっちも似合うだろう」
「ま! すてき! これもくださるの」
「やる段じゃない、みんなもうきょうからはおまえのものだよ」
「ほんと? じゃ、ご本妻にも直しくださるのね」
「そうさ。だから、な……? わかったかい?」
 なぞと、ことのほかよろしくないふらちを働いていたものでしたから、ぬうっと静かにはいっていった名人の口から、すばらしいやつが飛んでいきました。
「大きにおたのしみだね」
「げえッ!――」
 というように驚いて振り返ったところを、十八番の名啖呵(たんか)! 
「げいッもふうもあるもんかい! おたげえに忙しいからだなんだ! のう、金大将! ふざけっこなしにしようじゃねえか! こんなしばいはもう古手だせ!」
「な、な、なにを申すかッ。天下のお直参に向かって何を無礼申すかッ」
 にわかにいたけだかとなったやつを、あっさりと押えてさらに名啖呵! 
「笑わしゃがらあ! そのせりふももう古手だよ! さる回しの鼓がしょうずなお直参もなかろうじゃねえか! あっさりとどろを吐いたがよかろうぜ、むっつり右門とあだ名のこわいおじさんがにらんでのことなんだ。どうでやす? 金どんの親方!」
「き、き、金どんの親方とは何を申すかッ。無礼いたすと容赦はせぬぞ」
「よせやい! 大将! 抜くのかい! できそこないの秋なすじゃあるめえし、すぱすぱと切られちゃたまらねえよ――ほら! ほら! このとおり草香流が飛んでいくじゃねえか!」
 なまくら刀に手をかけようとしたのを、パッとあざやかにひねりあげておくと、さらにずばりと胸すかしの名啖呵が飛びました。
「まだお夕飯をいただかねえので、ちっと気がたっているんだ。手間をとらせると、おれはがまんしてもこっちの伝六あにいが許すめえぜ。さらりと恐れ入ったらどんなもんだ。なんなら、ゆうべたたいた鼓を家捜ししてやってもいいぜ」
「…………」
「黙ってたんじゃわからねえよ。鼓だけで気に入らなきゃ両国から袈裟切り太夫をつれてきて、けだもの責めにしてやってもいいが、それまでホシをさしてもまだしらをきるつもりかい」
「…………」
「手間のかかる親方だな! じゃ、いっそことのついでに仙市座頭を呼びよせて、無実の罪を着せようとした一件を対決させてみせようかッ」
 それまでぴしぴしと右門流にたたみかけられたのでは、いかなる金八も責め落とされたのは当然なことです。
「あいすみませぬ。何もかもおめがねどおりてまえの仕組んだ狂言でござります」
「そうだろう。このきのどくなめに会わされたおかみさんと年が違いすぎるところから察するに、おそらくおまえはあとから入り婿にへえったやつとにらんでいるが、違ったか!」
「そのとおりでござります。ゆうべ鳴らした鼓のことまでお調べがついているご様子でござりますゆえ、隠さずに昔の素姓も申しますが、じつはお恥ずかしながら、さる使いをなりわいにいたしておりました卑しい身分の者でござります。それで因果とでも申しますか、少しばかり人がましいつらをしておりますんで――と申しちゃうぬぼれているようでございますが、どうしたことやら、こちらのこの仏がてまえを気に入ったと申して、二、三度夜の内座敷を勤めているうちに、どうしても入り婿となれとこんなにせがみましたんで、てまえがご家人の株を買った体につくろい、井上金八と名のってこの屋のあるじになったんでございます。なれども、魔がさしたとでも申しますか、ちょうどてまえが入り婿になりましたのといっしょに、こちらのこのお葉めが女中となって参り、ついしたことから仏となったこの者の目をかすめて、ねんごろになったのが身のあやまち――一方は恩こそあっても年は上だし、それにぶ器量、お葉のやつはまた因果と水のでばなの年ごろでござんしたので、だんだんと目にあまるような不義がつづくうちに、けんかはおきる、内はもめる、毎夜のように癪(しゃく)はおこす――」
「だから? いっそ毒くらわばさらまでと、殺す気になったのかい」
「は……、殺して、まんまとご家人のこの株を奪いとり、お葉を跡に直してと思ったんですが、いかにむしの好かぬ女であっても、一年あまりなめるほどもかわいがってくれた相手でございますゆえ、自分が手を下すのもむごたらしいし、といってまごまごすれば追い出されそうだし、ところへたまたま耳に入れたのが両国のあの袈裟切り太夫のうわさでござりました。たいそう真に迫った人切りの狂言を踊りぬくという評判でございましたゆえ、こいつさいわい、昔覚えたさる使いの腕を使って、あの雄ざるをつれ出し、ひと狂言うたせようと、ゆうべ松平様のお屋敷からこっそり抜けてかえり、鼓一つで両国からさるをここまでおびき出し、すやすやと眠っていたこの仏をば袈裟御前に見立てさせて、小柄(こづか)でプッツリと、舞台の狂言を地に踊らしてひと刺しに刺させたのでござります。なれども――」
「よし、わかった! わかった! 鼓一つでさるを使い、まんまと殺させるには殺させたが、もし見破られちゃたいへんと、仙市座頭に罪を着せようとしたのかい」
「あいすみませぬ。べつにあの仙市が憎いというわけではござんせんが、ちょくちょくもみ療治に参り、だいぶこの仏とも親しくしておりましたゆえ、よくない関係でもあったためにあの座頭が刺したんだろうと世間さまに見せかけるつもりで、殺してから知らぬ顔でお葉めを呼びにやらしたのでござります。ありようしだいはかくのとおり、もうじたばたはいたしませぬ……すっぱりと、あすにでもすっぱりと打ち首にしてくだせえまし。どうせない命なら、せめての罪ほろぼしに、この仏といっしょに冥土(めいど)へ参りとうござります……」
「気に入った! 人を殺したなあ気に入らねえが、罪をほろぼしに冥土へいっしょにいきてえたあ、おめえも存外善人かも知れんよ。だが、来世はもっとぶおとこに生まれて来なよ。ろくでもねえやつが、つらばかりりっぱだって、それこそ顔負けがするんだからな――じゃ、伝六あにい! このお葉も当分暗いところで日を送らずばなるまいから、いっしょに早くしょっぴく用意をしなよ」
 しかるに、伝六あにいがまた右に左にそろそろと首をひねりかけようとしたものでしたから、押えて名人がずばり。
「わかった! わかった! ひねらなくともわかっているよ。さると聞いて、なぜにまた袈裟切り太夫にホシをつけたか、そいつがふにおちねえというだろうが、だからいわねえこっちゃねえんだ。どろぼうを見てなわをなうんじゃあるめえし、あわてて髪床や朝湯に行くひまがあったら、さるしばいも見ておくもんだせ、見たからこそピンと否やなく眼がくるんだからな、どうだい、これで堪能(たんのう)したかい」




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