旗本退屈男
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著者名:佐々木味津三 

――すういと痛くないように斬ってつかわすぞ」 言ったかと思うと、本当にすういと斬りとるのだから、どうも仕方がないのです。と見て、残った二人が必死に逃げのびようとしたのを、裂帛(れっぱく)の一声!「またぬかッ。その方共を逃がしては、それこそまさしく片手落ちじゃ。ほうら! 両名一緒に一本ずつ土産に貰うぞッ」 さッとひと飛びに追い迫って、左右に一刀斬り!「四本落ちたかッ。ようしッ。もう小者達には用がない。早う消えおろうぞッ」 慌てふためいて雑兵ばらが、呻き苦しんでいる四人の者を置去りにしながら逃げ去っていったのを、退屈男は小気味よげに見眺めつつ、静かに磔柱の傍に歩みよると、色蒼ざめて生きた心地もないもののように、脅えふるえながらくくられていた珠数屋の大尽のいましめを、プツリと切り放ちました。「あ、ありがとうござります! ようお助け下さりました。い、いのちの御恩人でござります! 金も、金も、何程たりとも差しあげまするでござります!」 ぺたりと這いつくばって言ったのを、「またしても金々と申すか! 小判の力一つで世間を渡ろうとしたればこそ、このような目にも会うたのじゃ。その了見、そちも向後(こうご)入れ替えたらよかろうぞ。表に駕籠が待っている筈じゃ。早う行けッ」 一喝しながら去らしておいて、退屈男は静かに懐紙(かいし)を取り出すと、うごめき苦しみながら、のた打ち廻っている四人の者の肩口からぶつぶつと噴きあげている血のりをおのが指先に、代る代るぬりつけて、燃えおちかかった篝火(かがりび)をたよりに、ためつすかしつ次のごとくに書きつけました。「当職所司代は名判官と承わる。これなる四人の公盗共が掠(かす)めし珠数屋の財宝財物を御糺問(ごきゅうもん)の上、すみやかにお下げ渡し然るべし。江戸旗本早乙女主水之介、天譴(てんけん)を加えて明鑒(めいかん)を待つ」 ぺたりとその血書の一札を磔柱に貼っておくと、「いかい御雑作に預かった。これなる四本の片腕は弥太一への何よりな土産、遠慮のう貰うて行くぞ」 血のまま四本を袖ごとくるんで、小気味よくも爽かに歩み去ると、表に待ちうけながらざわめいていた裸人足のひとりを招いて、いとも退屈男らしく命じました。「ちと気味のわるい土産じゃが、早々にこれを島原の八ツ橋太夫に送り届けい。弥太一へ無念の晴れる迄とくと見せてつかわせと申してな。それから、今一つ忘れずに伝えろよ。縁(えにし)があらばゆるゆるとか申しおったが、東男(あずまおとこ)はとかく情強(じょうごわ)じゃほどに、深入りせぬがよかろうぞとな。よいか。しかと申し伝えろよ」 言い捨てると、さてまた退屈じゃが何処へ参ろうかなと言わぬばかりに、ぶらりぶらりと的(あて)もなく更け静まった都大路を、しっとり降りた夜霧のかなたへ消え去りました
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