右門捕物帖
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著者名:佐々木味津三 

     4

 その品川を駆けぬけたのが朝の五ツ。
 次は川崎、これが二里半。ここで宿継(しゅくつ)ぎの駕籠を替えて、次の宿、神奈川へ同じく二里半、お昼少しまえでした。
 一里九町走って程(ほど)ガ谷(や)の宿。二里九町走って戸塚(とつか)。さらに二里飛ばして藤沢(ふじさわ)。よつや、平塚(ひらつか)と走りつけてこの間が二里半。大磯(おおいそ)、小田原と宿継ぎに飛ばして、ここが四里。日あしの長い初夏の日にも、もう夕ばえの色が見えました。
 普通の旅なら、むろんここで一宿していい刻限であるが、追えど走れど、行徳助宗とおぼしき姿も影も見えないのです。
「ああ苦しい、なんとか鳴りつづけていきてえんだが、声が出ねえや。だんなえ! このあんばいじゃ、助宗の野郎も、早駕籠を飛ばせていったにちげえねえですぜ」
「決まってらあ。だからこそ、こっちも早にしたんじゃねえか。いよいよ箱根だ。一杯ひっかけて、景気よく走ってくんな!」
 人足たちがどぶろくをあおる間に、名人主従ははや握りのむすびで腹をこしらえて、いよいよ箱根八里の険所にさしかかりました。のぼり、くだり、合わせて八里とあるが、正確にいえばお関所までの登りが四里八町。下りの三島までが三里二十八町。
 坂にかかったとなると、いかに屈強、早足自慢の人足たち六人が肩を替えつつ急いでも、今までのようにはいかないのです。
 あえぎあえぎ、夜道を登りつづけて、天下名代のお関所門を、おりからの星やみに見つけたのは、かれこれもう真夜中近い刻限でした。もとより、門はもう堅く閉まって、わきには名代のお制札がある。

   定一 この関所通行のやからは、笠(かさ)、頭巾(ずきん)を脱ぐべきこと。一 乗り物にて通る面々、乗り物の戸をひらくべし。一 鉄砲、長柄物所持の面々は、お公儀定めどおりの証文なくして通行かなわざること。右この旨あい守るべきものなり。よって下知くだんのごとし
奉行 そういうものものしいお札です。
「お槍を持って逃げたとしたら、長柄物所持うんぬんのお定め書きにひっかかって、お取り調べをうけているはずじゃ。伝六、大声で呼びたてろッ」
「よしきた。ご開門を願います。江戸よりの早駕籠でござります。この木戸、おあけ願いまする!」
「なにッ、また早駕籠とな! よく早駕籠の通る晩じゃな。まてッ、まてッ。そらッ、はいれッ」
 つぶやきながらあけた小役人のそのつぶやきを聞きのがす右門ではない。
「ただいま、異なことを仰せられたな。よく早駕籠の通る晩じゃというたようじゃが、われらの駕籠の前にも通りましたか」
「一刻(いっとき)ほどまえに一丁通りおった。それがどうしたのじゃ」
「われら、ちと不審あって江戸より追っかけてまいったもの。もとより、お改めのうえお通しでござろうが、人相風体、通行申し開きの口上はどのようでござった」
「どのようもこのようもござらぬわい。年のころは五十がらみ。御用鍛冶(かじ)、行徳助宗、将軍家御台所(みだいどころ)のお旨をうけ、要急のご祈願あって、高野山へお代参に参る途中じゃ、とこのように申し、御台さまのお手形所持いたしおったゆえ、否やなく通行許したのじゃ」
「なに! お手形まで所持しておったとのう!……」
 おどろくべき早手まわしでした。みずから果てたあの岩路こそは、御台所お付きの腰元なのです。事露見と察して、早くも父を高野へ落とすべく、御台所お手形までももらいうけてきたものにちがいない。問題はお槍です。
「長柄物、所持してはおりませなんだか」
「長柄物?」
「槍でござる」
「おらぬ、おらぬ。そのようなもの目にかからば、おきてお定め書きにもあるとおり、証文の吟味もうけるべきはず、いっこう見かけなんだわい」
「それはちと奇態、なんぞ変わったところ、目にとまった覚えござらぬか」
「さようのう……いや、あるある、一つ覚えがござるわい。駕籠の肩棒が並みよりも少々太めで、きりきり白布で巻いてござったが、変わったところといえばそのくらいじゃ」
「それこそまさしくお槍! 六尺柄の肩棒とは、ちょうどあいあいの長さじゃ、容易ならぬことになり申したぞ。番のおかた! 上役のおかたはおりませぬか! おはようこれへお出会いめされいッ」
 声にあわただしく姿を見せたのは、番頭(ばんがしら)次席あたりとおぼしき関所役人です。
「容易ならぬくせもの、まんまと当関所を破ってござる。お力借りたい、火急にお手配くだされたい」
「貴殿は?」
「江戸八丁堀、近藤右門と申す者じゃ」
「なに、ご貴殿がのう。ご姓名は承っておらぬでもないが、関所のおきて、なんぞお手あかし拝見つかまつりたい」
「取り急いでまいったゆえ、ご奉行さまお手判は所持しておらぬが、これこそなによりの手あかし、ご覧召されい」
 取り出したのは、きのう朝、お濠方(ほりかた)畑野蔵人(くらんど)から火急の招致をうけたその招き状です。
「城中、内濠にていぶかしき変事出来(しゅったい)、即刻おん越し待ちあげ候(そうろう)。お濠方組頭 畑野蔵人近藤右門殿 とある一通でした。
「何よりたしか、よろしゅうござる。いかにも力お貸し申そうが、手配のてはずは?」
「今よりただちに早馬飛ばさば、じゅうぶんにまだまにあいまするはず、一騎か二騎か、火急に三島へ飛ばして、宿止(しゅくど)めするよう、お計らいくだされい」
「口上は?」
「江戸より急ぎのご宝物、ご通行とお触れくださらばけっこうでござる」
「心得た。二騎すぐに行けいッ」
 深夜のやみにぶきみなひづめの音をのこして、関所用意の馬が、火急の命をうけた両士をのせながら、一気に三島めざしつつ駆け降りました。
 宇治お茶園へ、将軍家ご料のお茶受け取りにただの茶つぼが街道(かいどう)を通っていっても、お茶つぼご通行と称して、沿道の宿役人はいうまでもないこと、代官、国守までがお出迎えお見送りをするほどのご権勢なのです。将軍家ご宝物がご通行とあっては、出迎えどころの騒ぎでない。まさに土下座ものでした。
「伝あにい、これでどうやら少し涼しくなった。そろそろ三島へ下るかのう」
「わるくねえ筋書きだね。お関所の早馬が宿止めだと止めたところへ、あとからのっと降りていってね、御用だ、神妙にしろと大みえをきるなんてえものは、まったく江戸のあの娘(こ)たちに見せてえもんですよ」
 ゆられゆられて道は、その三島まで三里二十八町のくだり坂、もうこうなれば道も早いが捕物(とりもの)も早い。
 たどりついたのは丑満(うしみつ)少し手前でした。しかし、いかな真夜中とはいえ、ひとたびご宝物ご通行、宿止めの声がかかったからには、色めきたたぬという道理はない。本陣わき、本陣の前はいうに及ばず、宿場会所の前からずっとこちらへ人の波がざわめき、うねりつつ待ちうけているところへ、ほんとうにのっそりと二丁の駕籠をつけて、のっそりと中から現われたのは右門主従。
 ひょいと見ると、宿場会所の前の人波のうしろに、ある、ある、柄に白布を巻いた駕籠があるのです。
 同時でした。
「行徳助宗、神妙にしろッ」
「えッ……」
 ぎょっとなって、駕籠の横からのぞかせたその顔へ、じつにみごとな啖呵(たんか)がまっこうくだしにおそいかかりました。
「たわけめッ。むっつり右門が生きておるからにゃ、どこまでとっ走ろうとも、六十余州ひとにらみに目がきかあ! そら! そら! それがたわけだというんだ。草香流の味を知らねえのかい。あばれると、ききがいいぞ」
 ぎゅっとぞうさもなく押えたやつを伝六に渡しておいて、すばやく手、口、ともにすすぎ清めると、懐紙を口にくわえながら、白布を解きほどきました。
 同時に現われたのは、まさしく八束穂(やつかほ)のお槍です。
 宿役人のさしつけたあかりをうけて、飾り巻き柄に打ったる三つ葉葵(ばあおい)のご定紋が、ぴかりと金色に輝き渡りました。
 ハッとなって、居合わせた路傍の人の群れがいっせいに土下座、地にひれ伏しました。
「お関所役人つつしんで、ご奉持なさりませい。これなる不届き者行徳助宗は宿送り、届け先は江戸ご城内お濠方畑野蔵人、三宅平七ご両士じゃ」
 右門の声、さえざえとしてあたりを払ったことです。用意の軍鶏駕籠(とうまるかご)に投げ入れられて、愁然としながら、また道を江戸へ送られていく行徳助宗の姿を見送りつつ、そっとささやきました。
「助宗、娘の岩路はそちを無事に高野へ落とそうと、悲しい孝道たてて、毒をあおったぞ。罪は憎いが、心さま思えばふびんな最期じゃ。江戸へ行ったら、せめても娘へのたむけに諸事神妙にいたせよ」
 白々と夜が明けかかった……。




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