湖水の鐘
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著者名:鈴木三重吉 

    七

 若ものはそのまゝ鐘をもつて、いそいで岸へ上りました。
 すると、さつきまでどん/\あふれてゐた湖水は、いつの間にか、もとのとほりに水が引いてゐました。若ものはそれを見て安心して、家(うち)へかへりかけますと、向うから、それは/\年を取つたよぼ/\のおぢいさんが出て来て、若ものゝ足下にひざをついて、ぽろ/\と涙をながしながら、いくどもいくどもお礼を言ひました。そのおぢいさんのくびには、これまで、例のふしぎな黒い牡牛(をうし)のくびにつけてあつた綱がまきついてゐました。
 それは、鐘をぬすんで湖水へ投げこんだ、あの牛飼(うしかひ)でした。牛飼は、妖女(えうぢよ)の王さまの魔法にかゝつて、こんなよぼ/\のおぢいさんになるまで、永い間牛にされてゐたのが、若ものが鐘を鳴らしてくれたおかげで魔法がやぶれて、やつともとの人間にかへれたのでした。
 若ものは、間もなく家(うち)へかへつて見ますと、だれだか知らない、年を取つたおばあさんがうれしさうに出て来て、
「おゝ、お前か。よく鐘を鳴らしておくれだつた。」と言ひ/\、若ものに頬(ほほ)ずりをしました。若ものはへんな顔をして家(うち)の中へはいつて、
「母さんはどこにゐます。」と、お父さんにたづねました。お父さんは、
「そら、あれがお前の母さんだよ。」と言ひながら、さつきのおばあさんのそばへつれていきました。
 若ものはびつくりして、じろ/\とおばあさんの顔を見さぐりました。お父さんは、
「おまへがおどろくのは無理もない。じつはおまへの留守の間に、あのわか/\しかつた母さんが私(わたし)の見てゐる目のまへでずん/\年をとつて、とう/\こんなに、私と同じやうな年よりになつてしまつたのだ。
 それからおまへが鳴らした、一ばんはじめの鐘の音が聞えると、母さんは、もう妖女ではなくてあたりまへの人間になつたのだ。これからは三人で楽しくくらしていきませう。」
 かう言つて、手を合せて、なが/\と神さまにおいのりを上げました。




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