湖水の鐘
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:鈴木三重吉 

    六

 若ものはすぐにまるめろの枝を一と枝をつて、湖水の中へとびこみました。すると、いつの間にか、数のしれないほど大ぜいの、おそろしいお化(ばけ)が、ぐるりとまはりをとりまきました。見ると、頭が三つあつて、火のやうな目がたくさん光つてゐる化物(ばけもの)や、頭の先の平つたいのや、円いのがゐるかと思ふと、顔だけ人間でからだが大きな/\大とかげになつてゐるのや、そのほか、馬の頭をつけた竜(りゆう)だの、草や木に巻きついて、それを片はしから食つてしまふやうな、動物見たいな藻草(もぐさ)だの、それは/\いろ/\さま/″\の大きなお化や小さなお化がうよ/\むらがつて、若ものをおそひにかゝりました。しかし若ものは少しもおそれないで、飛びかゝつて来るお化を片はしからまるめろの枝でぽん/\なぐりつけました。するとお化どもは、みんなちゞみ上(あが)つて、どん/\にげてしまひました。
 若ものはやがて黄色いすゐれんの花の中をとほりぬけて、水晶の御殿の廊下へ上(あが)つていきました。
 すると、眠つてゐた小さな妖女(えうじよ)たちは、その足音にびつくりして、目をさまし、大あわてにあわてゝ王さまのところへしらせにいきました。
 若ものは部屋/″\の戸口に番をしてゐる竜を、片はしから石にして、ずん/\王さまの寝室へ近づきました。王さまは、それを見るとたいへんに怒つて、
「何ものかツ。」と、どなりながら、手にもつてゐた金のむちで、いきなり若ものゝ顔をぶちました。
 若ものは、すばやく身をかはして、まるめろの枝でそのむちをたゝきおとしました。
 すると、王さまはおそれて飛びのきました。王さまのそばについてゐた姉妹(きやうだい)二人の妖女は、若ものゝまへゝ来て膝(ひざ)をついて、
「どうぞおゆるしなすつて下さいまし。あすこのおくらには、金や銀やダイヤモンドや、ルービーや、珊瑚(さんご)や真珠が一ぱいはいつてをりますから、おいりになるだけお取り下さいまし。そしてもうどうぞ、このまゝおかへりになつて下さいまし。」
 かう言つて、若ものをおくらへつれていきました。若ものは、
「私(わたし)はそんなものがほしくて来たのではない。それよりも、あすこの硝子(がらす)のはこにはいつてゐるびんを下さい。」と言ひました。
 妖女は仕方なしにその十二のびんを出してわたしました。若ものはそれをうけとると、すぐに、片はしからびんの口を開けました。するとその中から、たくさんの白い形をしたものが、うれしさうに大声をあげてさけびながら、どん/\飛び出して、御殿の外へかけ出しました。それは妖女たちがさらつて行つた人間のたましひでした。
 二人の妖女は若ものゝきげんをとつて、どうぞこちらへ入らしつて、ごちそうをめし上つて下さいと言ひました。しかし若ものは、
「それよりもあなた方は、礼拝堂の鐘をこのくらにかくしてゐるでせう? 早くそれをこゝへお出しなさい。」と言ひました。
 すると二人の妖女も、小さな妖女たちも、たちまちぶる/\ふるへながら、大声を上げて泣き出しました。妖女の王さまも、小さくなつて、がた/\ふるへ出しました。
 でも、仕方がないので、二人の妖女は、とう/\その鐘を出してわたしました。若ものは、鐘のさびをきれいにふきおとして、いそいで御殿を出ていきました。そして、御殿から少しはなれるとすぐに、ありたけの力を出して、鐘をじやアんと鳴らしました。
 すると、今までりつぱにたつてゐた水晶の御殿は、またゝく間に、音もたてずに、ほろ/\とくだけて、珊瑚の柱も、真珠の天井も、みんな粉になつて、水の底の砂の上にちつてしまひました。
 若ものはつゞけてもう一つじやアんと鳴らしました。すると今度は、湖水中のお化や、すべての小さな妖女が、一どに湖水の底へきえてしまひました。
 若ものが三度目にじやアんと鳴らしますと、二ひきのほそい銀色の魚が、くづれおちた御殿のまはりを、ぐる/\およぎまはりはじめました。それから一ぴきの大きなかうもりが、こはれおちてゐる煙筒(えんとつ)の上へ来てとまりました。それは、二人の王女と、妖女の王さまとが、さういふ魚とかうもりとになつてしまつたのでした。かうもりになつたのは妖女の王さまでした。


    七

 若ものはそのまゝ鐘をもつて、いそいで岸へ上りました。
 すると、さつきまでどん/\あふれてゐた湖水は、いつの間にか、もとのとほりに水が引いてゐました。若ものはそれを見て安心して、家(うち)へかへりかけますと、向うから、それは/\年を取つたよぼ/\のおぢいさんが出て来て、若ものゝ足下にひざをついて、ぽろ/\と涙をながしながら、いくどもいくどもお礼を言ひました。そのおぢいさんのくびには、これまで、例のふしぎな黒い牡牛(をうし)のくびにつけてあつた綱がまきついてゐました。
 それは、鐘をぬすんで湖水へ投げこんだ、あの牛飼(うしかひ)でした。牛飼は、妖女(えうぢよ)の王さまの魔法にかゝつて、こんなよぼ/\のおぢいさんになるまで、永い間牛にされてゐたのが、若ものが鐘を鳴らしてくれたおかげで魔法がやぶれて、やつともとの人間にかへれたのでした。
 若ものは、間もなく家(うち)へかへつて見ますと、だれだか知らない、年を取つたおばあさんがうれしさうに出て来て、
「おゝ、お前か。よく鐘を鳴らしておくれだつた。」と言ひ/\、若ものに頬(ほほ)ずりをしました。若ものはへんな顔をして家(うち)の中へはいつて、
「母さんはどこにゐます。」と、お父さんにたづねました。お父さんは、
「そら、あれがお前の母さんだよ。」と言ひながら、さつきのおばあさんのそばへつれていきました。
 若ものはびつくりして、じろ/\とおばあさんの顔を見さぐりました。お父さんは、
「おまへがおどろくのは無理もない。じつはおまへの留守の間に、あのわか/\しかつた母さんが私(わたし)の見てゐる目のまへでずん/\年をとつて、とう/\こんなに、私と同じやうな年よりになつてしまつたのだ。
 それからおまへが鳴らした、一ばんはじめの鐘の音が聞えると、母さんは、もう妖女ではなくてあたりまへの人間になつたのだ。これからは三人で楽しくくらしていきませう。」
 かう言つて、手を合せて、なが/\と神さまにおいのりを上げました。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:25 KB

担当:undef