湖水の鐘
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著者名:鈴木三重吉 

    一

 或(ある)山の村に、きれいな、青い湖水がありました。その湖水の底には、妖女(えうぢよ)の王さまが、三人の王女と一しよに住んでゐました。王さまは、夏になると、空の青々と晴れた日には、よく、小さな妖女たちをつれて、三人の王女と一しよに、真珠の舟に乗つて出て来て、湖水の岸のやはらかな草むらへ上(あが)りました。
 妖女たちは大よろこびで、草の中をかけまはつたり、小さな草の花の中へはいつて顔だけ出してお話をしたり、大きないなごにからかつたりして、おほさわぎをしてあそびました。中には、蜘蛛(くも)の網の、きら/\した糸をあつめて、顔かけをこしらへてかぶるものもありました。小さなかはいらしい妖女には、その顔かけが、よくにあひました。
 三人の王女は草の上に坐(すわ)つて、ふさ/\した金の髪を、貝殻(かひがら)の櫛(くし)ですいて、忘れなぐさや、百合(ゆり)の花を、一ぱい、飾りにさしました。三人は、人間の中の一ばん美しい女でさへも、とてもくらべものにならないくらゐの、それは/\たとへやうもない、きれいな/\妖女でした。そのかはいらしい目は、よひの星よりももつと美しくかゞやいてゐました。
 三人は、力のこもつた、うつくしい歌をうたひました。森の小鳥は、みんな、じぶんたちの歌をやめて、うつとりと、その歌に耳をかたむけました。
 王さまはその間、木の洞(ほら)の中にはいつて、日がしづむまで眠つてゐました。王さまはもうずゐぶんの年でした。いつも水につかつてゐる青い髪や、青い長い口ひげは、もはや水苔(みづごけ)のやうにどろどろにふやけて、顔中には、かぞへ切れないほどのしわが、ふかくきざまれてゐました。
 或とき、二三人の旅人が、この湖水のそばをとほりかゝりました。その人たちは、このあたりの景色のいゝのに引きつけられて、湖水のそばへ、神さまの礼拝堂をたてました。
 すると、それを聞きつたへて、毎年方々から、いろんな人がおまゐりに来ました。礼拝堂の番人は、日に三度づゝ、小さな鐘をならしました。
 一たい妖女には、鐘の音がなによりもこはくてたまらないのでした。妖女の王さまや三人の王女や、小さな妖女たちは、その礼拝堂が出来てからは、せつかく岸の草の上へ来てたのしんでゐてもとき/″\ふいに鐘がじやん/\なり出すので、そのたんびにみんな、
「あツ。」と、ちゞみ上つて、おほあわてにあわてゝ、水の下へにげこみました。しまひには、どんなに岸の上の日の光がこひしくても、出て来るのがこはいので、しかたなしに、毎日水の底で、陰気なおもひをしてくらしてゐました。それでも、どうかすると、鐘の音は、その水の下までひゞいて来ることがありました。
 妖女の王さまは、これではたまらないと言つて、いろ/\に考へをこらしたあげく、とう/\、水の中の藻草(もぐさ)の茎をすつかり集めさせて、それでもつて湖水の天井へ一面にあついおほひをつくらせました。そしてその上へ、苔と青い草とをずらりとうゑさせました。ですから湖水の面は、ちやうど、青々したひろい草つ場のやうに見えました。そのおほひには、ところ/″\に窓を開けて、日の光が水の下へさしこむやうにしておきました。
 王さまたちは、もうこれでだいぢやうぶだと思つてよろこんでゐますと、鐘の音は、そのおほひを突きとほして、やつぱりじやん/\聞えて来ます。王さまは、そのたんびに、悔しがつて、ひげをかきむしつて怒り狂ひました。王女や小さな妖女たちは、おびえておん/\泣きました。
 村の牛飼(うしかひ)や羊飼(ひつじかひ)たちは、とき/″\湖水の中から、ふしぎな泣きごゑが聞えるものですから、気味悪がつて、その近くの草つ場へは一人も出てこなくなりました。


    二

 そのうちに、村の或(ある)百姓の家(うち)で、よその土地から来た、牛飼(うしかひ)の若ものをやとひました。百姓は、そのわかものに、湖水のふちの草つ場へはけつしていかないやうに注意しておきました。
 ところが、その若ものは、剛情な男でしたから、さう言はれると、わざと、夜一人で出かけていつて、湖水のふちでたき火をして、そのそばへ寝ころんでゐました。
 すると、間もなく、ふは/\した、緑いろの、びろうどの着物を着た、小さな人が、どこからともなくひよいと出て来ました。見ると、その小さな人は、ぬら/\した青い髪の上に、立派な金の冠をつけて、同じやうな青い色の、ぬら/\したひげを長くたらしてゐました。若ものは、これは水の中の妖女(えうぢよ)の王さまだとすぐに気がつきました。それでも、びくともしないで、
「もし/\、何か私(わたし)に用がおありですか。」と聞きました。
 妖女の王さまは、長いひげから、水をしぼりながら、
「じつはお前さんに金と銀を一と袋づゝ上げようと思つて出て来たのだ。」と言ひました。
「それでは私(わたし)も何かお上げしなければなりませんか。」と、牛飼(うしかひ)は聞きました。王さまは、
「いや/\べつに何にもくれなくてもいゝ。たゞ、どうか、あの礼拝堂の鐘をそつと下(おろ)して来て、あすこに見える、赤い幹の木のぢき下に、湖水の窓が開いてゐるから、そこから、水のそこへ投げこんでくれないか。私(わたし)の持つて来た金と銀は、革の袋にはいつて、その赤い幹の木にかけてある。袋は、私が一しよにいつて下(おろ)さなければ、重くて下されはしない。鐘を投げてくれゝば、その袋を二つともお前に上げよう。」と言ひました。
 若ものはよろこんで、すぐに引きうけました。そしてその晩夜中になつて、礼拝堂の番人のおぢいさんが、ぐう/\寝入つてゐるところを見はかつて、そうつと鐘を盗み出して来ました。
 妖女の王さまは、ちやんと、赤い幹の木の下へ来て待つてゐました。王さまは鐘を手に取ると、まん中に下(さが)つてゐる打金(うちがね)をもぎ取つて、鐘だけを若ものにわたしました。そして、じぶんはその打金を持つて、水の中をわたつていきました。若ものはざぶ/\と後へついて行つて、間もなく湖水の窓のところへ来ると、そこから鐘をどぶんと投げこみました。
 妖女の王さまは、すぐに、木の枝につるしてあつた、二つの袋を下(おろ)して、若ものゝ肩へかけてやると、そのまゝ水の下へ沈んでしまひました。
 若ものは、その袋の重いのにびつくりしました。とても一人では岸の上まではこびきれさうもありません。しかし、一生けんめいに力を出して、うん/\うめきながら、やつと岸までかへりました。
 すると、二つの足が土につくかつかないうちに、からだがひとりでにずん/″\前にこゞまつて、とう/\四つんばひになりました。そして、
「おや。」と思ふ間に、からだがすつかり牡牛(をうし)になつてしまひました。
 その若ものをやとつてゐる百姓は、翌(あく)る朝おきて牛小屋へいつて見ますと、寝てゐた間に、見つけない大きな黒い牡牛(をうし)が一ぴきふえてゐたので、ふしぎに思ひました。
 見ると、その牛の頭には、重たさうな革の袋が二つくゝりつけてあります。百姓はためしに中をあけて見ますと、片方の袋には金が一ぱい、もう一つの方には銀が一ぱいはいつてゐるので、なほびつくりしました。
 すると、牛は人間と同じやうな声を出して、おん/\泣き出しました。百姓はへんな牛だと思ひながら、そのまゝ飼つておきました。
 礼拝堂では、だれかゞ鐘を盗んだと言つて番人のおぢいさんがさわぎ立てました。金と銀をまうけた百姓は、信心のふかい人でしたから、それを聞くと、すぐに、袋の金を出して、べつの鐘を買つて来て、礼拝堂へをさめました。番人のおぢいさんは、その鐘をつるして、ためしに鳴らして見ました。さうすると、ふしぎなことには、その鐘は、まるで泥(どろ)かなんかでこしらへたやうに、いくら鳴らしてもちつとも鳴りませんでした。
 その晩、番人が寝入りますと、夜中になつて、小さな妖女たちが、ぞろ/\といくたりも/\湖水の中から出て来て、みんなで手をつないで、わになつて、礼拝堂の前でとん/\をどりををどりました。
 みんなは、かういふ歌をくりかへし/\歌ひながら、面白さうに、おほさわぎをしてをどりました。
「番人さん/\、
お前のお汁(しる)にや塩気がない。
塩気がない。
そこらのだれかに借りといで、
貸さなきや、蹴(け)つておやりなさい。
じやん/\じやん、
じやん/\じやん。」
と、鐘の音のまねをして、鳴らない鐘をつく番人をさん/″\にからかつていきました。


    三

 或(ある)晩、番人のおぢいさんは、神さまが、湖水の下の妖女(えうぢよ)の王の御殿へつれてつて下すつて、盗まれた鐘がかくしてあるのを見せて下すつた夢を見ました。番人は、ふしぎな夢を見たものだと思つて、みんなに話しました。村中の人は、それを聞いて、そんなら、あの鐘はきつと湖水の底にしづんでゐるにちがひないと言ひました。
 だいたんな若ものたちは、その鐘をとり出して来ると言つて、代る/″\湖水のそこへもぐりこみました。しかし、みんな水の下へはいつたきり、一人も浮き上つたものがありませんでした。それは、いたづら好きな妖女たちが、人が水の中へはいつて来ると、片はしから魂をぬきとつて、からのからだを、水草の中へかくしてしまふからでした。
 だいじな息子をなくしたおほぜいの母親たちは、毎日泣いてくらしました。村中の人はこれはきつと、湖水の中におそろしい魔物がゐるのにちがひないと言つて、若ものたちに、一さい湖水のそばへいかないやうに、きびしく言ひきかせました。
 湖水の中からは、月の光の青くさえた、しづかな晩には、何とも言へない、美しい歌の声が聞えて来ました。それは妖女たちがうたふ魔法の力のこもつた歌でした。若ものたちは、その歌の声が聞えると、つい知らず/\引きつけられて、ひとりでに湖水の岸へ出て行きました。
 行つて見ると、湖水の中には、美しい小さな女たちが、きら/\と銀色に光つてゐる水をあびながら、声をそろへて歌をうたつてゐます。若ものたちは、その姿をうつとりと見てゐるうちに、いつの間にかひとりでにざぶ/″\と水の中へはいつて、その女たちのそばへ泳いでいかずにはゐられませんでした。そして、いくとそれなり、みんな水のそこへ沈んでしまひました。
 例のふしぎな黒い牛を飼つてゐる百姓の家(うち)には、三人の息子がゐました。三人は一人づゝ、代り合つて、牛の番をしてゐました。
 或夕方一番上の息子は、牛を草つ場へつれて出て、じぶん一人はずん/″\湖水の方へ出かけました。すると、ふしぎな黒い牛は、それを見て悲しさうな声を立てゝ泣きました。牛はおよしなさい/\と言つてとめたのでした。
 しかし若ものは、平気でどん/\湖水の岸へ行つて、草の上に坐(すわ)つてゐました。すると間もなく月が出ました。そしてそれと一しよに、妖女の王さまの一ばん上の王女が、水の中から姿をあらはしました。
 色のまつ白い美しい王女は、金色の髪に、うす青いすゐれんの花冠(はなかんむり)をつけて、かげろふでこしらへた、銀色の着物を着てゐました。そのかはいらしい唇(くちびる)は、ちやうど珊瑚(さんご)のやうな赤い色をしてゐました。若ものは、月の光の中(うち)に浮いてゐる、その美しい妖女を見ると、びつくりして、いつまでも目をはなさずに、うつとりと見守つてゐました。妖女はにこやかにほゝゑみながら、若ものに言葉をかけました。
「牛飼(うしかひ)さん、こちらへ入らつしやい。一しよに私(わたし)のお家(うち)へ行きませう。私のお家は、紅宝石(ルービー)と緑柱石(エメラルド)のかざりのついた、きれいな水晶の御殿です。窓の外にはきら/\光る貝殻(かひがら)のやうな、うつくしい花が一ぱいさいてゐます。どうぞ一しよに来て下さい。さうすれば私(わたし)はあなたのお嫁さんになつて上げます。そして二人で楽しく暮しませう。」かう言つて若ものをさそひました。若ものは、
「でも私(わたし)たちは、あなたのやうに水の中には住めません。それよりも、私の家(うち)へ入らしつて下さい。私の家(うち)はよく日のあたるきれいな丘の上にたつてゐて、庭にはいろんな花がたくさんさいてゐます。朝になると、家中(うちぢゆう)には金のやうな黄色い日の光が一ぱいさします。それは水の中の紅宝石(ルービー)や緑柱石(エメラルド)でかざつた御殿よりも、もつと美しいだらうと思ひます。どうぞ私と一しよに入らしつて下さい。そして私のお嫁になつて下さい。」
 かう言つて頼みました。
 すると妖女は、こちらの岸へすら/\と泳いで来ました。若ものは、よろこんで、妖女のさし出す手を取つて、引き上げようとしました。すると、人間よりもずつと力のつよい妖女は、いきなり若ものゝ手をつかんで、
「あツ。」といふ間に、もう水の底へ引きこんでしまひました。
 その翌(あく)る晩、二番目の息子は、同じやうにして、二ばん目の王女にだまされて、水のそこにしづんでしまひました。


    四

 そのあくる晩は三ばん目の息子の番でした。
 母親は、つゞけて二人の息子になくなられたので、三ばん目の息子には、お前だけはどうぞ湖水のそばへいかないでおくれと泣き/\たのみました。息子は、
「何、だいぢやうぶです。私(わたし)はあすこへいつたつて、けつして妖女(えうぢよ)なんぞにまけはしません、安心してゐて下さい。」
 かう言つて、晩になると、一人で出ていき、岸の、青い木の下に坐(すわ)つて、銀の笛を吹きはじめました。笛の音は、暗い水の上を渡つて、遠くまでひゞきました。
 すると、やがて月が上(のぼ)るのと一しよに、妖女の王の三ばん目の王女が、ふうはりと水の上へ出て来ました。
 その王女は三人のきやうだいの中で一ばん美しい妖女でした。今、その妖女は、ふさ/\した髪に、わすれな草の花冠(はなかんむり)をつけて、にじでこしらへた、硝子(がらす)のやうにすきとほつてゐる、きら/\光る着物を着て、くびに真珠のくびかざりをつけ、金の帯を結んでゐました。若ものはその美しい女を見ると、びつくりして笛をやめて、
「もし/\、妖女さん、こゝへ入らつしやい。どうぞ私(わたし)のお嫁になつて下さい。」とたのみました。妖女は、その若ものが、また海へしづむやうになつてはかはいさうだと思つて、
「さあ、早くあちらへおかへりなさい。私(わたし)たちは人間のお嫁になるわけにはいかないのです。第一人間は私たちの姿を見るものではありません。」と言ひました。若ものは、
「さう言はないで一しよに来てください。私(わたし)は一人でかへるのはいやです。」と言つて、そのまゝそこを動かうともしませんでした。妖女は、
「どうしてそんなに私(わたし)に来い/\とおつしやるのです。私のこの真珠のくびかざりがほしいのですか。さあ、これを上げませう。それともこの金の帯がおすきなのですか。それではこれも上げませう。」と言ひながら、その両方を、岸の上へ投げました。若ものは、
「いえ/\そんなものはいりません。私(わたし)はあなたがほしいのです。あなたのその珊瑚(さんご)のやうな口と星のやうなその青い目がすきなのです。私はあなたをもらつて、お母さまのところへつれてかへつて、小鳥のやうにだいじにして上げたいのです。」
 かう言つて、くびかざりや金の帯には見向きもしませんでした。妖女はこの若ものが好きになりました。それで急いで岸へ泳いで来て、両方の手をさし出しました。
 若ものはその手を取つて妖女を引き上げようとしました。
 妖女の王さまや、小さな妖女たちは、下からそれを見てびつくりして、あわてゝ水の中をかけて来て、もう少しのことで王女の足をつかまへようとしました。しかし妖女といふものは、人間の子をすきだと思ふと、たちまち妖女の魔力がなくなつてしまふのでした。ですから、若ものは、それなりやす/\とその妖女を岸へ引き上げて、お家(うち)へつれてかへりました。
 妖女の王さまや、小さな妖女たちは、だいじな王女が人間にさらはれてしまつたので、それはそれは悔しがつて、いきなり湖水のそこから、大きな/\大浪(おほなみ)を立てゝ、どん/\岸へぶつけ/\しました。大浪(おほなみ)はまるで悪魔のやうに荒れ狂つて、夜どほし、がう/\と岸へ乗り上げ、そこいらの森の立木(たちき)といふ立木を、すつかり引きぬいて持つていきました。
 若ものゝふた親は息子がうつくしいお嫁をつれてかへつたので、たいへんによろこんで、すぐに御婚礼をさせました。村中の人は、その美しいお嫁さんを見て、びつくりしないものはありませんでした。しかし、家(うち)の人でさへも、まさかそれが妖女だらうとは気がつきませんでした。
 若い二人は、ちやうど二つの小鳩(こばと)のやうに仲よくくらしました。みんなは、二人を見て、世の中にこれほど仕合(しあは)せな人はないだらうと思ひました。
 妖女はどこを見てもちつとも人間とちがつたところはありませんでした。たゞよく気をつけて見ると、妖女が手にさはつたものは、かならず、そこだけしめり気がつきました。暑い/\夏の日にしをれて頭をかしげてゐる庭の花でも、妖女がそばへ来ると、ぢきに勢(いきほひ)よく頭をもち上げました。妖女はそのかはいらしいまつ白な指の先から、水のしづくを出して、あはれな花を生きかへらせるのでした。
 若ものゝお母さまは、よくものに気のつく人でした。そのお母さまだけは、嫁の手がさはつたところには、きつとしめり気がのこるのを見て、一人でへんだ/″\と思ひました。


    五

 そのうちに、ぢきに一年たちました。すると妖女(えうぢよ)のお嫁さんには、男の子が一人生れました。
 妖女は、人がだれもゐないときには、そつとたらひに水を入れて、生れたばかりの赤ん坊をその中へ入れました。すると、赤ん坊は魚のやうに、自由に水の中を泳ぎまはりました。その子どもは丈夫にどん/\大きくなりました。村中の人はみんな、その子のだいたんなことゝ、水を上手に泳ぐのとに、びつくりしてしまひました。男の子は、湖水を、こちらの岸から一ばん向うの遠い岸まで、さつさと泳いでわたりました。それから、人が何でも湖水の中へ落すと、すぐに水のそこへもぐつて、どんなものでも、またゝく間にさがし出して来ました。
 それから、いく年もたつて、男の子は大きな大人になりました。お祖父(ぢい)さんやお祖母(ばあ)さんは、もうとつくになくなつてしまひました。お父さんも、もうだいぶ年よりになりました。
 ところがたつた一人、お母さんの妖女だけは、いつまでたつても、お嫁に来たときとちつともかはらず、まるで息子の若ものと同じ年ぐらゐに見えました。
 と、或(ある)夏、その地方にはたいへんなひでりがつゞきました。村々の畠(はたけ)といふ畠はすつかりこげついたやうに荒れてしまひますし、果物の畠も、そこらの木といふ木も一本ものこらず枯れてしまひました。それから、どこの家の井戸も、水がきれいに干上つてしまつたので、みんなはこまつて大さわぎをしました。
 ところが例の湖水だけは、あべこべに、どん/\水がふえて、だん/\と岸の上へあふれ出して来ました。今までひでりでさわいでゐた村の人は、今度はまた急に大水におどろかされてあわて出しました。
 湖水の水は見てゐるうちに、おそろしい勢(いきほひ)で四方にひろがつて、今にも村中がのこらず、つかりさうになりました。
 若ものゝお母さんの妖女は、そのまゝぢつとしてゐると、じぶんたちの命もあぶないので、息子の若ものをつれて水のふちへ行つて、こつそりと、湖水の秘密を話しました。
「この湖水の下には私(わたし)のお父さまの、王さまが、水晶の御殿の中に住んでゐるのです。私たちは三人の姉妹(きやうだい)だけれど、三人ともみんなお母さまがちがつてゐて、一ばんのお姉さまを生んだのは、大空の雲だし、中のお姉さまは地に湧(わ)く泉のお腹(なか)に生れ、私(わたし)は草の葉にふる露のお腹(なか)に出来たのです。
 お父さまの王さまは、それは/\気のみじかいひどい人で、人間と、人間の住んでゐるこの地面とがにくゝなると、すぐに、私(わたし)たち三人のお母さまを湖水の底へよびよせて、一と間へおしこめてしまふのです。それだから、今度も地の上がすつかりひでりになつてしまつて、そのかはりに、湖水の水だけがこんなにどん/\ふえて来たのです。
 これなりはふつておくと、おまへのお父さんもおまへも私も、今にみんな、村中の人と一しよにおぼれて死なゝければなりません。
 それで、ごくらうだが、お前はこれから急いで湖水の底へ行つて来て下さい。あすこにまるめろといふ木が生えてゐるでせう? あの枝を一本をつて、それを持つて水の下へもぐつておいきなさい。さうすると、いろんなお化(ばけ)が出て来て、追ひかへさうとするから、そのときにはまるめろの枝でなぐつてやれば、お化はみんなおそれてにげてしまひます。
 それからなほずん/\いくと、黄色いすゐれんの花がたくさんさいてゐるところへ来ます。その花の向うに、お祖父(ぢい)さまの水晶の御殿があるのです。水晶だから壁もすつかりすきとほつて、中に何千となくならんでゐる部屋/″\が一と目に見えます。その部屋は、どれもみんな、大きなダイヤモンドやエメラルドでかざつてあつて、柱にはルービーがいくつもはまつてゐます、部屋の戸口戸口には、羽根の生えた竜(りゆう)が、二ひきづゝ番をしてゐます。
 その竜がゐてもけつしておそれるにはおよびません、まるめろの枝でなぐつてやれば、みんな石になつてしまひます。その部屋/″\をとほりぬけて、どこまでも、まつすぐに進んでいくと、一ばんしまひに、エメラルドの戸のはまつた、りつぱなお部屋へ来ます。そこがお祖父さんの寝室です。
 そのお部屋は、天井が真珠で張つてあつて、床はすつかり貝のからで出来てゐます。その中へはいると、いくつもならんでゐる大きな花瓶(くわびん)に、珊瑚(さんご)のやうな花と、黄金のやうな果物のなつてゐる木とがさしてあります。四方の壁には大きな水草(みづぐさ)の中からふき出てゐる、綿のやうな蜘蛛(くも)の網が、一ぱいたれてゐます。その壁かけの上には、小さなうす赤い色をした蛙(かへる)が、いくひきもとまつてゐて、青い蜘蛛たちと一しよに、きれいな声で歌をうたつてゐます。
 そのお部屋に、長い/\青いひげの生えた王さまが、緑色のびろうどの着物を着て、帯のかはりに、銀色の蛇(へび)をまきつけて、椅子(いす)にかけてゐます。
 その両側には、私の二人のお姉さまが坐(すわ)つて、魚のひれでお父さまをあふいでゐます。
 おまへが行くと、お父さまやお姉さまは、みんなでおまへのごきげんを取つて、宝物のおくらへつれて行つて、金や銀やダイヤモンドを上げようと言ふにきまつてゐます。しかし、そんなものには一さい手をふれてはいけません。それよりも、そのおくらの中には、小さなびんが十二はいつてゐる、硝子(がらす)のはこが一つあるから、それをおもらひなさい。
 それから、そのつぎには同じおくらのすみの方にかくしてある、さびついた鐘をおもらひなさい。それは、あすこの、あの礼拝堂の鐘なのです。
 もし、その鐘だけはやられないと言つたら、そんならまるめろの枝でその鐘をたゝくよと言つておどかしてごらんなさい。さうすれば、きつとくれます。
 十二のびんは、もらつたらすぐに口をお開けなさい。そして鐘だけもつてかへつていらつしやい。
 しかしよく言つておくが、王さまの御殿を出てしまふまでは、けつしてその鐘は鳴らしてはいけませんよ。何かへぶつけてひとりでに鳴つてもいけないのだから、よく気をつけてね。
 そして御殿を出て、戸口を少しはなれたら、お前のありたけの力を出して、その鐘を三べんおたたきなさい。分つたね。それでおまへの行つた用事はすむのです。」
 お母さまはかう言つて、くはしくをしへました。


    六

 若ものはすぐにまるめろの枝を一と枝をつて、湖水の中へとびこみました。すると、いつの間にか、数のしれないほど大ぜいの、おそろしいお化(ばけ)が、ぐるりとまはりをとりまきました。見ると、頭が三つあつて、火のやうな目がたくさん光つてゐる化物(ばけもの)や、頭の先の平つたいのや、円いのがゐるかと思ふと、顔だけ人間でからだが大きな/\大とかげになつてゐるのや、そのほか、馬の頭をつけた竜(りゆう)だの、草や木に巻きついて、それを片はしから食つてしまふやうな、動物見たいな藻草(もぐさ)だの、それは/\いろ/\さま/″\の大きなお化や小さなお化がうよ/\むらがつて、若ものをおそひにかゝりました。しかし若ものは少しもおそれないで、飛びかゝつて来るお化を片はしからまるめろの枝でぽん/\なぐりつけました。するとお化どもは、みんなちゞみ上(あが)つて、どん/\にげてしまひました。
 若ものはやがて黄色いすゐれんの花の中をとほりぬけて、水晶の御殿の廊下へ上(あが)つていきました。
 すると、眠つてゐた小さな妖女(えうじよ)たちは、その足音にびつくりして、目をさまし、大あわてにあわてゝ王さまのところへしらせにいきました。
 若ものは部屋/″\の戸口に番をしてゐる竜を、片はしから石にして、ずん/\王さまの寝室へ近づきました。王さまは、それを見るとたいへんに怒つて、
「何ものかツ。」と、どなりながら、手にもつてゐた金のむちで、いきなり若ものゝ顔をぶちました。
 若ものは、すばやく身をかはして、まるめろの枝でそのむちをたゝきおとしました。
 すると、王さまはおそれて飛びのきました。王さまのそばについてゐた姉妹(きやうだい)二人の妖女は、若ものゝまへゝ来て膝(ひざ)をついて、
「どうぞおゆるしなすつて下さいまし。あすこのおくらには、金や銀やダイヤモンドや、ルービーや、珊瑚(さんご)や真珠が一ぱいはいつてをりますから、おいりになるだけお取り下さいまし。そしてもうどうぞ、このまゝおかへりになつて下さいまし。」
 かう言つて、若ものをおくらへつれていきました。若ものは、
「私(わたし)はそんなものがほしくて来たのではない。それよりも、あすこの硝子(がらす)のはこにはいつてゐるびんを下さい。」と言ひました。
 妖女は仕方なしにその十二のびんを出してわたしました。若ものはそれをうけとると、すぐに、片はしからびんの口を開けました。するとその中から、たくさんの白い形をしたものが、うれしさうに大声をあげてさけびながら、どん/\飛び出して、御殿の外へかけ出しました。それは妖女たちがさらつて行つた人間のたましひでした。
 二人の妖女は若ものゝきげんをとつて、どうぞこちらへ入らしつて、ごちそうをめし上つて下さいと言ひました。しかし若ものは、
「それよりもあなた方は、礼拝堂の鐘をこのくらにかくしてゐるでせう? 早くそれをこゝへお出しなさい。」と言ひました。
 すると二人の妖女も、小さな妖女たちも、たちまちぶる/\ふるへながら、大声を上げて泣き出しました。妖女の王さまも、小さくなつて、がた/\ふるへ出しました。
 でも、仕方がないので、二人の妖女は、とう/\その鐘を出してわたしました。若ものは、鐘のさびをきれいにふきおとして、いそいで御殿を出ていきました。そして、御殿から少しはなれるとすぐに、ありたけの力を出して、鐘をじやアんと鳴らしました。
 すると、今までりつぱにたつてゐた水晶の御殿は、またゝく間に、音もたてずに、ほろ/\とくだけて、珊瑚の柱も、真珠の天井も、みんな粉になつて、水の底の砂の上にちつてしまひました。
 若ものはつゞけてもう一つじやアんと鳴らしました。すると今度は、湖水中のお化や、すべての小さな妖女が、一どに湖水の底へきえてしまひました。
 若ものが三度目にじやアんと鳴らしますと、二ひきのほそい銀色の魚が、くづれおちた御殿のまはりを、ぐる/\およぎまはりはじめました。それから一ぴきの大きなかうもりが、こはれおちてゐる煙筒(えんとつ)の上へ来てとまりました。それは、二人の王女と、妖女の王さまとが、さういふ魚とかうもりとになつてしまつたのでした。かうもりになつたのは妖女の王さまでした。


    七

 若ものはそのまゝ鐘をもつて、いそいで岸へ上りました。
 すると、さつきまでどん/\あふれてゐた湖水は、いつの間にか、もとのとほりに水が引いてゐました。若ものはそれを見て安心して、家(うち)へかへりかけますと、向うから、それは/\年を取つたよぼ/\のおぢいさんが出て来て、若ものゝ足下にひざをついて、ぽろ/\と涙をながしながら、いくどもいくどもお礼を言ひました。そのおぢいさんのくびには、これまで、例のふしぎな黒い牡牛(をうし)のくびにつけてあつた綱がまきついてゐました。
 それは、鐘をぬすんで湖水へ投げこんだ、あの牛飼(うしかひ)でした。牛飼は、妖女(えうぢよ)の王さまの魔法にかゝつて、こんなよぼ/\のおぢいさんになるまで、永い間牛にされてゐたのが、若ものが鐘を鳴らしてくれたおかげで魔法がやぶれて、やつともとの人間にかへれたのでした。
 若ものは、間もなく家(うち)へかへつて見ますと、だれだか知らない、年を取つたおばあさんがうれしさうに出て来て、
「おゝ、お前か。よく鐘を鳴らしておくれだつた。」と言ひ/\、若ものに頬(ほほ)ずりをしました。若ものはへんな顔をして家(うち)の中へはいつて、
「母さんはどこにゐます。」と、お父さんにたづねました。お父さんは、
「そら、あれがお前の母さんだよ。」と言ひながら、さつきのおばあさんのそばへつれていきました。
 若ものはびつくりして、じろ/\とおばあさんの顔を見さぐりました。お父さんは、
「おまへがおどろくのは無理もない。じつはおまへの留守の間に、あのわか/\しかつた母さんが私(わたし)の見てゐる目のまへでずん/\年をとつて、とう/\こんなに、私と同じやうな年よりになつてしまつたのだ。
 それからおまへが鳴らした、一ばんはじめの鐘の音が聞えると、母さんは、もう妖女ではなくてあたりまへの人間になつたのだ。これからは三人で楽しくくらしていきませう。」
 かう言つて、手を合せて、なが/\と神さまにおいのりを上げました。




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