古事記物語
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著者名:鈴木三重吉 

そして泣き泣きそこへ喪屋(もや)といって、死人を寝かせておく小屋をこしらえて、がんを供物(くもつ)をささげる役に、さぎをほうき持ちに、かわせみをお供(そな)えの魚(さかな)取りにやとい、すずめをお供えのこめつきに呼(よ)び、きじを泣き役につれて来て、八日(ようか)八晩(よばん)の間、若日子の死がいのそばで楽器をならして、死んだ魂(たましい)を慰(なぐさ)めておりました。 そうしているところへ、大国主神(おおくにぬしのかみ)の子で、下照比売(したてるひめ)のおあにいさまの高日子根神(たかひこねのかみ)がお悔(くや)みに来ました。そうすると若日子(わかひこ)の父と妻子(つまこ)たちは、「おや」とびっくりして、その神の手足にとりすがりながら、「まあまあおまえは生きていたのか」「まあ、あなたは死なないでいてくださいましたか」と言って、みんなでおんおんと嬉(うれ)し泣(な)きに泣きだしました。それは高日子根神(たかひこねのかみ)の顔や姿(すがた)が天若日子(あめのわかひこ)にそっくりだったので、みんなは一も二もなく若日子だとばかり思ってしまったのでした。 すると高日子根神は、「何をふざけるのだ」とまっかになって怒(おこ)りだして、「人がわざわざ悔(くや)みに来たのに、それをきたない死人などといっしょにするやつがどこにある」とどなりつけながら、長い剣(つるぎ)を抜(ぬ)きはなすといっしょに、その喪屋(もや)をめちゃめちゃに切り倒し、足でぽんぽんけりちらかして、ぷんぷん怒って行ってしまいました。 そのとき妹の下照比売(したてるひめ)は、あの美しい若い神は私のおあにいさまの、これこれこういう方だということを、歌に歌って、誇(ほこ)りがおに若日子の父や妻子に知らせました。       二 天照大神(あまてらすおおかみ)は、そんなわけで、また神々に向かって、こんどというこんどはだれを遣(つか)わしたらよいかとご相談をなさいました。 思金神(おもいかねのかみ)とすべての神々は、「それではいよいよ、天安河(あめのやすのかわ)の河上(かわかみ)の、天(あめ)の岩屋(いわや)におります尾羽張神(おはばりのかみ)か、それでなければ、その神の子の建御雷神(たけみかずちのかみ)か、二人のうちどちらかをお遣(つかわ)しになるほかはございません。しかし尾羽張神は、天安河の水をせきあげて、道を通れないようにしておりますから、めったな神では、ちょっと呼(よ)びにもまいれません。これはひとつ天迦久神(あめのかくのかみ)をおさしむけになりまして、尾羽張神がなんと申しますか聞かせてご覧になるがようございましょう」と申しあげました。 大神はそれをお聞きになると、急いで天迦久神(あめのかくのかみ)をおやりになってお聞かせになりました。 そうすると尾羽張神(おはばりのかみ)は、「これは、わざわざもったいない。その使いには私でもすぐにまいりますが、それよりも、こんなことにかけましては、私の子の建御雷神(たけみかずちのかみ)がいっとうお役に立ちますかと存じます」 こう言って、さっそくその神を大神のご前(ぜん)へうかがわせました。 大神はその建御雷神に、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)という神をつけておくだしになりました。 二人の神はまもなく出雲国(いずものくに)の伊那佐(いなさ)という浜にくだりつきました。そしてお互(たが)いに長い剣(つるぎ)をずらりと抜(ぬ)き放(はな)して、それを海の上にあおむけに突(つ)き立てて、そのきっさきの上にあぐらをかきながら、大国主神(おおくにぬしのかみ)に談判をしました。「わしたちは天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とのご命令で、わざわざお使いにまいったのである。大神はおまえが治めているこの葦原(あしはら)の中(なか)つ国(くに)は、大神のお子さまのお治めになる国だとおっしゃっている。そのおおせに従って大神のお子さまにこの国をすっかりお譲(ゆず)りなさるか。それともいやだとお言いか」と聞きますと、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、「これは私からはなんともお答え申しかねます。私よりも、むすこの八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)が、とかくのご返事を申しあげますでございましょうが、あいにくただいま御大(みお)の崎(さき)へりょうにまいっておりますので」とおっしゃいました。 建御雷神(たけみかずちのかみ)はそれを聞くと、すぐに天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を御大(みお)の崎(さき)へやって、事代主神(ことしろぬしのかみ)を呼(よ)んで来させました。そして大国主神に言ったとおりのことを話しました。 すると事代主神は、父の神に向かって、「まことにもったいないおおせです。お言葉(ことば)のとおり、この国は大空の神さまのお子さまにおあげなさいまし」と言いながら、自分の乗って帰った船を踏(ふ)み傾(かたむ)けて、おまじないの手打ちをしますと、その船はたちまち、青いいけがきに変わってしまいました。事代主神はそのいけがきの中へ急いでからだをかくしてしまいました。 建御雷神(たけみかずちのかみ)は大国主神に向かって、「ただ今事代主神はあのとおりに申したが、このほかには、もうちがった意見を持っている子はいないか」とたずねました。 大国主神は、「私の子は事代主神のほかに、もう一人、建御名方神(たけみなかたのかみ)というものがおります。もうそれきりでございます」とお答えになりました。 そうしているところへ、ちょうどこの建御名方神(たけみなかたのかみ)が、千人もかからねば動かせないような大きな大きな大岩を両手でさしあげて出て来まして、「やい、おれの国へ来て、そんなひそひそ話をしているのはだれだ。さあ来い、力くらべをしよう。まずおれがおまえの手をつかんでみよう」と言いながら、大岩を投げだしてそばへ来て、いきなり建御雷神(たけみかずちのかみ)の手をひっつかみますと、御雷神(みかずちのかみ)の手は、たちまち氷の柱になってしまいました。御名方神(みなかたのかみ)がおやとおどろいているまに、その手はまたひょいと剣(つるぎ)の刃(は)になってしまいました。 御名方神はすっかりこわくなっておずおずとしりごみをしかけますと、御雷神(みかずちのかみ)は、「さあ、こんどはおれの番だ」と言いながら、御名方神の手くびをぐいとひっつかむが早いか、まるではえたてのあしをでも扱うように、たちまち一握(にぎ)りに握りつぶして、ちぎれ取れた手先を、ぽうんと向こうへ投げつけました。 御名方神は、まっさおになって、いっしょうけんめいに逃(に)げだしました。御雷神(みかずちのかみ)は、「こら待て」と言いながら、どこまでもどんどんどんどん追っかけて行きました。そしてとうとう信濃(しなの)の諏訪湖(すわこ)のそばで追いつめて、いきなり、一ひねりにひねり殺そうとしますと、建御名方神(たけみなかたのかみ)はぶるぶるふるえながら、「もういよいよおそれいりました。どうぞ命ばかりはお助けくださいまし。私はこれなりこの信濃(しなの)より外へはひと足も踏(ふ)み出しはいたしません。また、父や兄の申しあげましたとおりに、この葦原(あしはら)の中つ国は、大空の神のお子さまにさしあげますでございます」と、平たくなっておわびしました。 そこで建御雷神(たけみかずちのかみ)はまた出雲(いずも)へ帰って来て、大国主神(おおくにぬしのかみ)に問いつめました。「おまえの子は二人とも、大神のおおせにはそむかないと申したが、おまえもこれでいよいよ言うことはあるまいな、どうだ」と言いますと、大国主神は、「私にはもう何も異存はございません。この中つ国はおおせのとおり、すっかり、大神のお子さまにさしあげます。その上でただ一つのおねがいは、どうぞ私の社(やしろ)として、大空の神の御殿(ごてん)のような、りっぱな、しっかりした御殿をたてていただきとうございます。そうしてくださいませば私は遠い世界から、いつまでも大神のご子孫にお仕え申します。じつは私の子は、ほかに、まだまだいくたりもありますが、しかし、事代主神(ことしろぬしのかみ)さえ神妙にご奉公いたします上は、あとの子たちは一人も不平を申しはいたしません」 こう言って、いさぎよくその場で死んでおしまいになりました。 それで建御雷神(たけみかずちのかみ)は、さっそく、出雲国(いずものくに)の多芸志(たぎし)という浜にりっぱな大きなお社(やしろ)をたてて、ちゃんと望みのとおりにまつりました。そして櫛八玉神(くしやたまのかみ)という神を、お供(そな)えものを料理する料理人にしてつけ添(そ)えました。 すると八玉神(やたまのかみ)は、う[#「う」に傍点]になって、海の底(そこ)の土をくわえて来て、それで、いろんなお供えものをあげるかわらけをこしらえました。 それからある海草の茎(くき)で火切臼(ひきりうす)と火切杵(ひきりぎね)という物をこしらえて、それをすり合わせて火を切り出して、建御雷神(たけみかずちのかみ)に向かってこう言いました。「私が切ったこの火で、そこいらが、大空の神の御殿のお料理場のように、すすでいっぱいになるまで欠かさず火をたき、かまどの下が地の底の岩のように固(かた)くなるまで絶えず火をもやして、りょうしたちの取って来る大すずきをたくさんに料理して、大空の神の召しあがるようなりっぱなごちそうを、いつもいつもお供えいたします」と言いました。 建御雷神(たけみかずちのかみ)はそれでひとまず安心して、大空へ帰りのぼりました。そして天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)に、すっかりこのことを、くわしく奏上(そうじょう)いたしました。笠沙(かささ)のお宮       一 天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とは、あれほど乱(みだ)れさわいでいた下界を、建御雷神(たけみかずちのかみ)たちが、ちゃんとこちらのものにして帰りましたので、さっそく天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)をお召(め)しになって、「葦原(あしはら)の中つ国はもはやすっかり平(たい)らいだ。おまえはこれからすぐにくだって、さいしょ申しつけたように、あの国を治めてゆけ」とおっしゃいました。 命(みこと)はおおせに従って、すぐに出発の用意におとりかかりになりました。するとちょうどそのときに、お妃(きさき)の秋津師毘売命(あきつしひめのみこと)が男のお子さまをお生みになりました。 忍穂耳命(おしほみみのみこと)は大神のご前(ぜん)へおいでになって、「私たち二人に、世嗣(よつぎ)の子供が生まれました。名前は日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)とつけました。中つ国へくだしますには、この子がいちばんよいかと存じます」とおっしゃいました。 それで大神は、そのお孫さまの命(みこと)が大きくおなりになりますと、改めておそばへ召して、「下界に見えるあの中つ国は、おまえの治める国であるぞ」とおっしゃいました。命は、かしこまって、「それでは、これからすぐにくだってまいります」とおっしゃって、急いでそのお手はずをなさいました。そしてまもなく、いよいよお立ちになろうとなさいますと、ちょうど、大空のお通り道のある四つじに、だれだか一人の神が立ちはだかって、まぶしい光をきらきらと放ちながら、上は高天原(たかまのはら)までもあかあかと照らし、下は中つ国までいちめんに照り輝(かがや)かせておりました。 天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)とはそれをご覧になりますと、急いで天宇受女命(あめのうずめのみこと)をお呼びになって、「そちは女でこそあれ、どんな荒(あら)くれた神に向かいあっても、びくともしない神だから、だれをもおいておまえを遣(つかわ)すのである。あの、道をふさいでいる神のところへ行ってそう言って来い。大空の神のお子がおくだりになろうとするのに、そのお通り道を妨(さまた)げているおまえは何者かと、しっかり責(せ)めただして来い」とお言いつけになりました。 宇受女命(うずめのみこと)はさっそくかけつけて、きびしくとがめたてました。すると、その神は言葉(ことば)をひくくして、「私は下界の神で名は猿田彦神(さるたひこのかみ)と申します者でございます。ただいまここまで出てまいりましたのは、大空の神のお子さまがまもなくおくだりになると承りましたので、及(およ)ばずながら私がお道筋(すじ)をご案内申しあげたいと存じまして、お迎えにまいりましたのでございます」とお答え申しました。 大神はそれをお聞きになりましてご安心なさいました。そして天児屋根命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとだまのみこと)、天宇受女命(あめのうずめのみこと)、石許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)の五人を、お孫さまの命(みこと)のお供の頭(かしら)としておつけ添(そ)えになりました。そしておしまいにお別れになるときに、八尺(やさか)の曲玉(まがたま)という、それはそれはごりっぱなお首飾(くびかざ)りの玉と、八咫(やた)の鏡(かがみ)という神々(こうごう)しいお鏡と、かねて須佐之男命(すさのおのみこと)が大じゃの尾の中からお拾いになった、鋭い御剣(みつるぎ)と、この三つの貴(とうと)いご自分のお持物を、お手ずから命(みこと)にお授けになって、「この鏡は私の魂(たましい)だと思って、これまで私に仕えてきたとおりに、たいせつに崇(あが)め祀(まつ)るがよい」とおっしゃいました。それから大空の神々の中でいちばんちえの深い思金神(おもいかねのかみ)と、いちばんすぐれて力の強い手力男神(たぢからおのかみ)とをさらにおつけ添(そ)えになったうえ、「思金神(おもいかねのかみ)よ、そちはあの鏡の祀(まつ)りをひき受けて、よくとり行なえよ」とおおせつけになりました。 邇邇芸命(ににぎのみこと)はそれらの神々をはじめ、おおぜいのお供の神をひきつれて、いよいよ大空のお住まいをおたちになり、いく重(え)ともなくはるばるとわき重なっている、深い雲の峰(みね)をどんどんおし分けて、ご威光(いこう)りりしくお進みになり、やがて天浮橋(あめのうきはし)をもおし渡(わた)って、どうどうと下界に向かってくだっておいでになりました。そのまっさきには、天忍日命(あめのおしひのみこと)と、天津久米命(あまつくめのみこと)という、よりすぐった二人の強い神さまが、大きな剣(つるぎ)をつるし、大きな弓と強い矢とを負(お)い抱(かか)えて、勇ましくお先払いをして行きました。 命たちはしまいに、日向(ひゅうが)の国の高千穂(たかちほ)の山の、串触嶽(くしふるだけ)という険(けわ)しい峰の上にお着きになりました。そしてさらに韓国嶽(からくにだけ)という峰へおわたりになり、そこからだんだんと、ひら地へおくだりになって、お住まいをお定めになる場所を探し探し、海の方へ向かって出ておいでになりました。 そのうちに同じ日向(ひゅうが)の笠沙(かささ)の岬(みさき)へお着きになりました。 邇邇芸命(ににぎのみこと)は、「ここは朝日もま向きに射(さ)し、夕日もよく照って、じつにすがすがしいよいところだ」とおっしゃって、すっかりお気にめしました。それでとうとう最後にそこへお住まいになることにおきめになりました。そしてさっそく、地面のしっかりしたところへ、大きな広い御殿(ごてん)をおたてになりました。 命(みこと)は、それから例の宇受女命(うずめのみこと)をお召(め)しになって、「そちは、われわれの道案内をしてくれた、あの猿田彦神(さるたひこのかみ)とは、さいしょからの知り合いである。それでそちがつき添って、あの神が帰るところまで送って行っておくれ。それから、あの神のてがらを記念してやる印に、猿田彦(さるたひこ)という名まえをおまえが継(つ)いで、あの神と二人のつもりで私(わたし)に仕えよ」とおっしゃいました。宇受女命(うずめのみこと)はかしこまって、猿田彦神を送ってまいりました。 猿田彦神は、その後、伊勢(いせ)の阿坂(あざか)というところに住んでいましたが、あるときりょうに出て、ひらふがいという大きな貝に手をはさまれ、とうとうそれなり海の中へ引き入れられて、おぼれ死にに死んでしまいました。 宇受女命(うずめのみこと)はその神を送り届(とど)けて帰って来ますと、笠沙(かささ)の海ばたへ、大小さまざまの魚(さかな)をすっかり追い集めて、「おまえたちは大空の神のお子さまにお仕え申すか」と聞きました。そうすると、どの魚も一ぴき残らず、「はいはい、ちゃんとご奉公申しあげます」とご返事をしましたが、中でなまこがたった一人、お答えをしないで黙(だま)っておりました。 すると宇受女命(うずめのみこと)は怒って、「こゥれ、返事をしない口はその口か」と言いざま、手早く懐剣(かいけん)を抜(ぬ)きはなって、そのなまこの口をぐいとひとえぐり切り裂(さ)きました。ですからなまこの口はいまだに裂けております。       二 そのうちに邇邇芸命(ににぎのみこと)は、ある日、同じみさきできれいな若い女の人にお出会いになりました。「おまえはだれの娘(むすめ)か」とおたずねになりますと、その女の人は、「私は大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘の木色咲耶媛(このはなさくやひめ)と申す者でございます」とお答え申しました。「そちにはきょうだいがあるか」とかさねてお聞きになりますと、「私には石長媛(いわながひめ)と申します一人の姉がございます」と申しました。命(みこと)は、「わたしはおまえをお嫁(よめ)にもらいたいと思うが、来るか」とお聞きになりました。すると咲耶媛(さくやひめ)は、「それは私からはなんとも申しあげかねます。どうぞ父の大山津見神(おおやまつみのかみ)におたずねくださいまし」と申しあげました。 命(みこと)はさっそくお使いをお出しになって、大山津見神(おおやまつみのかみ)に咲耶媛(さくやひめ)をお嫁にもらいたいとお申しこみになりました。 大山津見神(おおやまつみのかみ)はたいそう喜んで、すぐにその咲耶媛(さくやひめ)に、姉の石長媛(いわながひめ)をつき添(そ)いにつけて、いろいろのお祝いの品をどっさり持たせてさしあげました。 命(みこと)は非常にお喜びになって、すぐ咲耶媛とご婚礼をなさいました。しかし姉の石長媛は、それはそれはひどい顔をした、みにくい女でしたので、同じ御殿(ごてん)でいっしょにおくらしになるのがおいやだものですから、そのまますぐに、父の神の方へお送りかえしになりました。 大山津見(おおやまつみ)は恥(は)じ入って、使いをもってこう申しあげました。「私が木色咲耶媛(このはなさくやひめ)に、わざわざ石長媛(いわながひめ)をつき添いにつけましたわけは、あなたが咲耶媛(さくやひめ)をお嫁になすって、その名のとおり、花が咲(さ)き誇(ほこ)るように、いつまでもお栄えになりますばかりでなく、石長媛(いわながひめ)を同じ御殿にお使いになりませば、あの子の名まえについておりますとおり、岩が雨に打たれ風にさらされても、ちっとも変わらずにがっしりしているのと同じように、あなたのおからだもいつまでもお変わりなくいらっしゃいますようにと、それをお祈り申してつけ添えたのでございます。それだのに、咲耶媛(さくやひめ)だけをおとめになって、石長媛(いわながひめ)をおかえしになったうえは、あなたも、あなたのご子孫のつぎつぎのご寿命(じゅみょう)も、ちょうど咲いた花がいくほどもなく散りはてるのと同じで、けっして永(なが)くは続きませんよ」と、こんなことを申し送りました。 そのうちに咲耶媛(さくやひめ)は、まもなくお子さまが生まれそうになりました。 それで命にそのことをお話しになりますと、命はあんまり早く生まれるので変だとおぼしめして、「それはわしたち二人の子であろうか」とお聞きになりました。咲耶媛(さくやひめ)は、そうおっしゃられて、「どうしてこれが二人よりほかの者の子でございましょう。もし私たち二人の子でございませんでしたら、けっして無事にお産はできますまい。ほんとうに二人の子である印(しるし)には、どんなことをして生みましても、必ず無事に生まれるに相違ございません」 こう言ってわざと出入口のないお家をこしらえて、その中におはいりになり、すきまというすきまをぴっしり土で塗(ぬ)りつぶしておしまいになりました。そしていざお産をなさるというときに、そのお家へ火をつけてお燃(も)やしになりました。 しかしそんな乱暴(らんぼう)な生み方をなすっても、お子さまは、ちゃんとご無事に三人もお生まれになりました。媛(ひめ)は、はじめ、うちじゅうに火が燃え広がって、どんどん炎(ほのお)をあげているときにお生まれになった方を火照命(ほてりのみこと)というお名まえになさいました。それから、つぎつぎに、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)というお二方(ふたかた)がお生まれになりました。火遠理命(ほおりのみこと)はまたの名を日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)ともお呼(よ)び申しました。満潮(みちしお)の玉、干潮(ひしお)の玉       一 三人のごきょうだいは、まもなく大きな若(わか)い人におなりになりました。その中でおあにいさまの火照命(ほてりのみこと)は、海でりょうをなさるのがたいへんおじょうずで、いつもいろんな大きな魚(さかな)や小さな魚をたくさんつってお帰りになりました。末の弟さまの火遠理命(ほおりのみこと)は、これはまた、山でりょうをなさるのがそれはそれはお得意で、しじゅういろんな鳥や獣をどっさりとってお帰りになりました。 あるとき弟の命(みこと)は、おあにいさまに向かって、「ひとつためしに二人で道具を取りかえて、互(たが)いに持ち場をかえて、りょうをしてみようではありませんか」とおっしゃいました。 おあにいさまは、弟さまがそう言って三度もお頼(たの)みになっても、そのたんびにいやだと言ってお聞き入れになりませんでした。しかし弟さまが、あんまりうるさくおっしゃるものですから、とうとうしまいに、いやいやながらお取りかえになりました。 弟さまは、さっそくつり道具を持って海ばたへお出かけになりました。しかし、つりのほうはまるでおかってがちがうので、いくらおあせりになっても一ぴきもおつれになれないばかりか、しまいにはつり針(ばり)を海の中へなくしておしまいになりました。 おあにいさまの命(みこと)も、山のりょうにはおなれにならないものですから、いっこうに獲物(えもの)がないので、がっかりなすって、弟さまに向かって、「わしのつり道具を返してくれ、海のりょうも山のりょうも、お互(たが)いになれたものでなくてはだめだ。さあこの弓矢を返そう」とおっしゃいました。 弟さまは、「私はとんだことをいたしました。とうとう魚を一ぴきもつらないうちに、針を海へ落としてしまいました」とおっしゃいました。するとおあにいさまはたいへんにお怒(おこ)りになって、無理にもその針をさがして来いとおっしゃいました。弟さまはしかたなしに、身につるしておいでになる長い剣(つるぎ)を打ちこわして、それでつり針を五百本こしらえて、それを代わりにおさしあげになりました。 しかし、おあにいさまは、もとの針でなければいやだとおっしゃって、どうしてもお聞きいれになりませんでした。それで弟さまはまた千本の針をこしらえて、どうぞこれでかんべんしてくださいましと、お頼みになりましたが、おあにいさまは、どこまでも、もとの針でなければいやだとお言いはりになりました。 ですから弟さまは、困(こま)っておしまいになりまして、ひとりで海ばたに立って、おいおい泣(な)いておいでになりました。そうすると、そこへ塩椎神(しおつちのかみ)という神が出てまいりまして、「もしもし、あなたはどうしてそんなに泣いておいでになるのでございます」と聞いてくれました。弟さまは、「私(わたし)はおあにいさまのつり針を借りてりょうをして、その針を海の中へなくしてしまったのです。だから代わりの針をたくさんこしらえて、それをお返しすると、おあにいさまは、どうしてももとの針を返せとおっしゃってお聞きにならないのです」 こう言って、わけをお話しになりました。 塩椎神(しおつちのかみ)はそれを聞くと、たいそうお気の毒に思いまして、「それでは私がちゃんとよくしてさしあげましょう」と言いながら、大急ぎで、水あかが少しもはいらないように、かたく編んだ、かごの小船(こぶね)をこしらえて、その中へ火遠理命(ほおりのみこと)をお乗せ申しました。「それでは私が押(お)し出しておあげ申しますから、そのままどんどん海のまんなかへ出ていらっしゃいまし。そしてしばらくお行きになりますと、向こうの波の間によい道がついておりますから、それについてどこもでも流れておいでになると、しまいにたくさんのむねが魚のうろこのように立ち並(なら)んだ、大きな大きなお宮へお着きになります。それは綿津見(わたつみ)の神という海の神の御殿(ごてん)でございます。そのお宮の門のわきに井戸(いど)があります。井戸の上にかつらの木がおいかぶさっておりますから、その木の上にのぼって待っていらっしゃいまし。そうすると海の神の娘(むすめ)が見つけて、ちゃんといいようにとりはからってくれますから」と言って、力いっぱいその船を押し出してくれました。       二 命(みこと)はそのままずんずん流れてお行きになりました。そうするとまったく塩椎神(しおつちのかみ)が言ったように、しばらくして大きな大きなお宮へお着きになりました。 命はさっそくその門のそばのかつらの木にのぼって待っておいでになりました。そうすると、まもなく、綿津見神(わたつみのかみ)の娘(むすめ)の豊玉媛(とよたまひめ)のおつきの女が、玉の器(うつわ)を持って、かつらの木の下の井戸(いど)へ水をくみに来ました。 女は井戸の中を見ますと、人の姿(すがた)がうつっているので、ふしぎに思って上を向いて見ますと、かつらの木にきれいな男の方がいらっしゃいました。 命は、その女に水をくれとお言いになりました。女は急いで玉の器にくみ入れてさしあげました。 しかし命はその水をお飲みにならないで、首にかけておいでになる飾(かざ)りの玉をおほどきになって、それを口にふくんで、その玉の器の中へ吐(は)き入れて、女にお渡しになりました。女は器を受け取って、その玉をとり出そうとしますと、玉は器の底に固(かた)くくっついてしまって、どんなにしても離(はな)れませんでした。それで、そのままうちの中へ持ってはいって、豊玉媛にその器ごとさし出しました。 豊玉媛(とよたまひめ)は、その玉を見て、「門口(かどぐち)にだれかおいでになっているのか」と聞きました。 女は、「井戸のそばのかつらの木の上にきれいな男の方がおいでになっています。それこそは、こちらの王さまにもまさって、それはそれはけだかい貴(とうと)い方でございます。その方が水をくれとおっしゃいましたから、すぐに、この器へくんでさしあげますと、水はおあがりにならないで、お首飾りの玉を中へお吐き入れになりました。そういたしますと、その玉が、ご覧(らん)のように、どうしても底から離れないのでございます」と言いました。 媛(ひめ)は命(みこと)のお姿を見ますと、すぐにおとうさまの海の神のところへ行って、「門口にきれいな方がいらしっています」と言いました。 海の神は、わざわざ自分で出て見て、「おや、あのお方は、大空からおくだりになった、貴い神さまのお子さまだ」と言いながら、急いでお宮へお通し申しました。そしてあしかの毛皮を八枚(まい)重(かさ)ねて敷(し)き、その上へまた絹の畳(たたみ)を八枚重ねて、それへすわっていただいて、いろいろごちそうをどっさり並(なら)べて、それはそれはていねいにおもてなしをしました。そして豊玉媛をお嫁(よめ)にさしあげました。 それで命(みこと)はそのまま媛(ひめ)といっしょにそこにお住まいになりました。そのうちに、いつのまにか三年という月日がたちました。 すると命はある晩、ふと例の針(はり)のことをお思い出しになって、深いため息をなさいました。 豊玉媛(とよたまひめ)はあくる朝、そっと父の神のそばへ行って、「おとうさま、命(みこと)はこのお宮に三年もお住まいになっていても、これまでただの一度もめいったお顔をなさったことがないのに、ゆうべにかぎって深いため息をなさいました。なにか急にご心配なことがおできになったのでしょうか」と言いました。 海の神はそれを聞くと、あとで命に向かって、「さきほど娘(むすめ)が申しますには、あなたは三年の間こんなところにおいでになりましても、ふだんはただの一度も、ものをお嘆(なげ)きになったことがないのに、ゆうべはじめてため息をなさいましたと申します。何かわけがおありになるのでございますか。いったいいちばんはじめ、どうしてこの海の中なぞへおいでになったのでございます」こう言っておたずね申しました。 命はこれこれこういうわけで、つり針(ばり)をさがしに来たのですとおっしゃいました。 海の神はそれを聞くと、すぐに海じゅうの大きな魚(さかな)や小さな魚を一ぴき残さず呼(よ)び集めて、「この中にだれか命の針をお取り申した者はいないか」と聞きました。すると魚たちは、「こないだから雌(め)だいがのどにとげを立てて物が食べられないで困(こま)っておりますが、ではきっとお話のつり針をのんでいるに相違ございません」と言いました。 海の神はさっそくそのたいを呼んで、のどの中をさぐって見ますと、なるほど、大きなつり針を一本のんでおりました。 海の神はそれを取り出して、きれいに洗って命にさしあげました。すると、それがまさしく命のおなくしになったあの針でした。海の神は、「それではお帰りになって、おあにいさまにお返しになりますときには、  いやなつり針、  わるいつり針、  ばかなつり針。とおっしゃりながら、必ずうしろ向きになってお渡しなさいまし。それから、こんどからはおあにいさまが高いところへ田をお作りになりましたら、あなたは低いところへお作りなさいまし。そのあべこべに、おあにいさまが低いところへお作りになりましたら、あなたは高いところへお作りになることです。すべて世の中の水という水は私が自由に出し入れするのでございます。おあにいさまは針のことでずいぶんあなたをおいじめになりましたから、これからはおあにいさまの田へはちっとも水をあげないで、あなたの田にばかりどっさり入れておあげ申します。ですから、おあにいさまは三年のうちに必ず貧乏(びんぼう)になっておしまいになります。そうすると、きっとあなたをねたんで殺しにおいでになるに相違ございません。そのときには、この満潮(みちしお)の玉を取り出して、おぼらしておあげなさい。この中から水がいくらでもわいて出ます。しかし、おあにいさまが助けてくれとおっしゃられておわびをなさるなら、こちらのこの干潮(ひしお)の玉を出して、水をひかせておあげなさいまし。ともかく、そうして少しこらしめておあげになるがようございます」 こう言って、そのたいせつな二つの玉を命(みこと)にさしあげました。それからけらいのわにをすっかり呼(よ)び集めて、「これから大空の神のお子さまが陸の世界へお帰りになるのだが、おまえたちはいく日あったら命をお送りして帰ってくるか」と聞きました。 わにたちは、お互いにからだの大きさにつれてそれぞれかんじょうして、めいめいにお返事をしました。その中で六尺(しゃく)ばかりある大わには、「私は一日あれば行ってまいります」と言いました。海の神は、「それではおまえお送り申してくれ。しかし海を渡るときに、けっしてこわい思いをおさせ申してはならないぞ」とよく言い聞かせた上、その首のところへ命をお乗せ申して、はるばるとお送り申して行かせました。すると、わにはうけあったとおりに、一日のうちに命をもとの浜までおつれ申しました。 命はご自分のつるしておいでになる小さな刀をおほどきになって、それをごほうびにわにの首へくくりつけておかえしになりました。 命はそれからすぐに、おあにいさまのところへいらしって、海の神が教えてくれたとおりに、  いやなつり針(ばり)、  悪いつり針、  ばかなつり針。と言い言い、例のつり針を、うしろ向きになってお返しになりました。それから田を作るにも海の神が言ったとおりになさいました。 そうすると、命の田からは、毎年どんどんおこめが取れるのに、おあにいさまの田には、水がちっとも来ないものですから、おあにいさまは、三年の間にすっかり貧乏(びんぼう)になっておしまいになりました。 するとおあにいさまは、あんのじょう、命のことをねたんで、いくどとなく殺しにおいでになりました。命はそのときにはさっそく満潮(みちしお)の玉を出して、大水をわかせてお防ぎになりました。おあにいさまは、たんびにおぼれそうになって、助けてくれ、助けてくれ、とおっしゃいました。命はそのときには干潮(ひしお)の玉を出してたちまち水をおひかせになりました。そんなわけで、おあにいさまも、しまいには弟さまの命にはとてもかなわないとお思いになり、とうとう頭をさげて、「どうかこれまでのことは許しておくれ。私はこれからしょうがい、夜昼おまえのうちの番をして、おまえに奉公するから」と、かたくお誓(ちか)いになりました。 ですから、このおあにいさまの命のご子孫は、後の代(よ)まで、命が水におぼれかけてお苦しみになったときの身振(みぶ)りをまねた、さまざまなおかしな踊(おど)りを踊るのが、代々きまりになっておりました。       三 そのうちに、火遠理命(ほおりのみこと)が海のお宮へ残しておかえりになった、お嫁(よめ)さまの豊玉媛(とよたまひめ)が、ある日ふいに海の中から出ていらしって、「私はかねて身重(みおも)になっておりましたが、もうお産をいたしますときがまいりました。しかし大空の神さまのお子さまを海の中へお生み申してはおそれ多いと存じまして、はるばるこちらまで出てまいりました」とおっしゃいました。 それで命(みこと)は急いで、うぶやという、お産をするおうちを、海ばたへおたてになりました。その屋根はかやの代わりに、うの羽根を集めておふかせになりました。 するとその屋根がまだできあがらないうちに、豊玉媛は、もう産けがおつきになって、急いでそのうちへおはいりになりました。 そのとき媛(ひめ)は命に向かって、「すべての人がお産をいたしますには、みんな自分の国のならわしがありまして、それぞれへんなかっこうをして生みますものでございます。それですから、どうぞ私がお産をいたしますところも、けっしてご覧(らん)にならないでくださいましな」と、かたくお願いしておきました。命は媛(ひめ)がわざわざそんなことをおっしゃるので、かえって変だとおぼしめして、あとでそっと行ってのぞいてご覧になりました。 そうすると、たった今まで美しい女であった豊玉媛が、いつのまにか八ひろもあるような恐ろしい大わにになって、うんうんうなりながらはいまわっていました。命はびっくりして、どんどん逃(に)げ出しておしまいになりました。 豊玉媛はそれを感づいて、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないものですから、お子さまをお生み申すと、命に向かって、「私はこれから、しじゅう海を往来して、お目にかかりにまいりますつもりでおりましたが、あんな、私の姿をご覧になりましたので、ほんとうにお恥ずかしくて、もうこれきりおうかがいもできません」こう言って、そのお子さまをあとにお残し申したまま、海の中の通り道をすっかりふさいでしまって、どんどん海の底へ帰っておしまいになりました。そしてそれなりとうとう一生、二度と出ていらっしゃいませんでした。 お二人の中のお子さまは、うの羽根の屋根がふきおえないうちにお生まれになったので、それから取って、鵜茅草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)とお呼(よ)びになりました。 媛(ひめ)は海のお宮にいらしっても、このお子さまのことが心配でならないものですから、お妹さまの玉依媛(たまよりひめ)をこちらへよこして、その方の手で育てておもらいになりました。媛は夫の命が自分のひどい姿をおのぞきになったことは、いつまでたっても恨(うら)めしくてたまりませんでしたけれど、それでも命のことはやっぱり恋しくおしたわしくて、かたときもお忘(わす)れになることができませんでした。それで玉依媛にことづけて、  赤玉は、  緒(お)さえ光れど、  白玉(しらたま)の、  君が装(よそお)し、  貴(とうと)くありけり。という歌をお送りになりました。これは、「赤い玉はたいへんにりっぱなもので、それをひもに通して飾(かざ)りにすると、そのひもまで光って見えるくらいですが、その赤玉にもまさった、白玉のようにうるわしいあなたの貴いお姿(すがた)を、私はしじゅうお慕(した)わしく思っております」という意味でした。 命(みこと)はたいそうあわれにおぼしめして、私もおまえのことはけっして忘(わす)れはしないという意味の、お情けのこもったお歌をお返しになりました。 命は高千穂(たかちほ)の宮というお宮に、とうとう五百八十のお年までお住まいになりました。八咫烏(やたがらす)       一 鵜茅草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は、ご成人の後、玉依媛(たまよりひめ)を改めてお妃(きさき)にお立てになって、四人の男のお子をおもうけになりました。 この四人のごきょうだいのうち、二番めの稲氷命(いなひのみこと)は、海をこえてはるばると、常世国(とこよのくに)という遠い国へお渡りになりました。ついで三番めの若御毛沼命(わかみけぬのみこと)も、お母上のお国の、海の国へ行っておしまいになり、いちばん末の弟さまの神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれひこのみこと)が、高千穂(たかちほ)の宮にいらしって、天下をお治めになりました。しかし、日向(ひゅうが)はたいへんにへんぴで、政(まつりごと)をお聞きめすのにひどくご不便でしたので、命(みこと)はいちばん上のおあにいさまの五瀬命(いつせのみこと)とお二人でご相談のうえ、「これは、もっと東の方へ移ったほうがよいであろう」とおっしゃって、軍勢を残らずめしつれて、まず筑前国(ちくぜんのくに)に向かっておたちになりました。その途中、豊前(ぶぜん)の宇佐(うさ)にお着きになりますと、その土地の宇佐都比古(うさつひこ)、宇佐都比売(うさつひめ)という二人の者が、御殿(ごてん)をつくってお迎え申し、てあつくおもてなしをしました。 命はそこから筑前(ちくぜん)へおはいりになりました。そして岡田宮(おかだのみや)というお宮に一年の間ご滞在になった後、さらに安芸(あき)の国へおのぼりになって、多家理宮(たけりのみや)に七年間おとどまりになり、ついで備前(びぜん)へお進みになって、八年の間高島宮(たかしまのみや)にお住まいになりました。そしてそこからお船をつらねて、波の上を東に向かっておのぼりになりました。 そのうちに速吸門(はやすいのと)というところまでおいでになりますと、向こうから一人の者が、かめの背なかに乗って、魚(さかな)をつりながら出て来まして、命(みこと)のお船を見るなり、両手をあげてしきりに手招(てまね)きをいたしました。命はその者を呼(よ)びよせて、「おまえは何者か」とお聞きになりますと、「私はこの地方の神で宇豆彦(うずひこ)と申します」とお答えいたしました。「そちはこのへんの海路を存じているか」とおたずねになりますと、「よく存じております」と申しました。「それではおれのお供につくか」とおっしゃいますと、「かしこまりました。ご奉公申しあげます」とお答え申しましたので、命はすぐにおそばの者に命じて、さおをさし出させてお船へ引きあげておやりになりました。 みんなは、そこから、なお東へ東へとかじを取って、やがて摂津(せっつ)の浪速(なみはや)の海を乗り切って、河内国(かわちのくに)の、青雲(あをぐも)の白肩津(しらかたのつ)という浜へ着きました。 するとそこには、大和(やまと)の鳥見(とみ)というところの長髄彦(ながすねひこ)という者が、兵をひきつれて待ちかまえておりました。命は、いざ船からおおりになろうとしますと、かれらが急にどっと矢を射(い)向けて来ましたので、お船の中から盾(たて)を取り出して、ひゅうひゅう飛んで来る矢の中をくぐりながらご上陸なさいました。そしてすぐにどんどん戦(いくさ)をなさいました。 そのうちに五瀬命(いつせのみこと)が、長髄彦(ながすねひこ)の鋭い矢のために大きずをお受けになりました。命(みこと)はその傷をおおさえになりながら、「おれたちは日の神の子孫でありながら、お日さまの方に向かって攻めかかったのがまちがいである。だからかれらの矢にあたったのだ。これから東の方へ遠まわりをして、お日さまを背なかに受けて戦おう」とおっしゃって、みんなをめし集めて、弟さまの命といっしょにもう一度お船におめしになり、大急ぎで海のまん中へお出ましになりました。 その途中で、命はお手についた傷の血をお洗いになりました。 しかしそこから南の方へまわって、紀伊国(きいのくに)の男(お)の水門(みなと)までおいでになりますと、お傷の痛(いた)みがいよいよ激しくなりました。命は、「ああ、くやしい。かれらから負わされた手傷で死ぬるのか」と残念そうなお声でお叫びになりながら、とうとうそれなりおかくれになりました。       二 神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれひこのみこと)は、そこからぐるりとおまわりになり、同じ紀伊(きい)の熊野(くまの)という村にお着きになりました。するとふいに大きな大ぐまが現われて、あっというまにまたすぐ消えさってしまいました。ところが、命(みこと)もお供の軍勢もこの大ぐまの毒気にあたって、たちまちぐらぐらと目がくらみ、一人のこらず、その場に気絶してしまいました。 そうすると、そこへ熊野(くまの)の高倉下(たかくらじ)という者が、一ふりの太刀(たち)を持って出て来まして、伏(ふ)し倒(たお)れておいでになる伊波礼毘古命(いわれひこのみこと)に、その太刀をさしだしました。命はそれといっしょに、ふと正気(しょうき)におかえりになって、「おや、おれはずいぶん長寝(ながね)をしたね」とおっしゃりながら、高倉下(たかくらじ)がささげた太刀(たち)をお受けとりになりますと、その太刀に備わっている威光でもって、さっきのくまをさし向けた熊野の山の荒くれた悪神(わるがみ)どもは、ひとりでにばたばたと倒(たお)れて死にました。それといっしょに命の軍勢は、まわった毒から一度にさめて、むくむくと元気よく起きあがりました。 命はふしぎにおぼしめして、高倉下(たかくらじ)に向かって、この貴(とうと)い剣(つるぎ)のいわれをおたずねになりました。 高倉下(たかくらじ)は、うやうやしく、「実はゆうべふと夢を見ましたのでございます。その夢の中で、天照大神(あまてらすおおかみ)と高皇産霊神(たかみむすびのかみ)のお二方(ふたかた)が、建御雷神(たけみかずちのかみ)をおめしになりまして、葦原中国(あしはらのなかつくに)は、今しきりに乱(みだ)れ騒(さわ)いでいる。われわれの子孫たちはそれを平らげようとして、悪神(わるがみ)どもから苦しめられている。あの国は、いちばんはじめそちが従えて来た国だから、おまえもう一度くだって平らげてまいれとおっしゃいますと、建御雷神(たけみかずちのかみ)は、それならば、私がまいりませんでも、ここにこの前あすこを平らげてまいりましたときの太刀(たち)がございますから、この太刀をくだしましょう。それには、高倉下(たかくらじ)の倉(くら)のむねを突きやぶって落としましょうと、こうお答えになりました。 それからその建御雷神(たけみかずちのかみ)は、私に向かって、おまえの倉(くら)のむねを突きとおしてこの刀を落とすから、あすの朝すぐに、大空の神のご子孫にさしあげよとお教えくださいました。目がさめまして、倉へまいって見ますと、おおせのとおりに、ちゃんとただいまのその太刀(たち)がございましたので、急いでさしあげにまいりましたのでございます」 こう言って、わけをお話し申しました。 そのうちに、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は、雲の上から伊波礼毘古命(いわれひこのみこと)に向かって、「大空の神のお子よ、ここから奥(おく)へはけっしてはいってはいけませんよ。この向こうには荒(あ)らくれた神たちがどっさりいます。今これから私が八咫烏(やたがらす)をさしくだすから、そのからすの飛んで行く方へついておいでなさい」とおさとしになりました。 まもなくおおせのとおり、そのからすがおりて来ました。命(みこと)はそのからすがつれて行くとおりに、あとについてお進みになりますと、やがて大和(やまと)の吉野河(よしのがわ)の河口(かわぐち)へお着きになりました。そうするとそこにやなをかけて魚(さかな)をとっているものがおりました。「おまえはだれだ」とおたずねになりますと、「私はこの国の神で、名は贄持(にえもち)の子と申します」とお答え申しました。 それから、なお進んでおいでになりますと、今度はおしりにしっぽのついている人間が、井戸(いど)の中から出て来ました。そしてその井戸がぴかぴか光りました。「おまえは何者か」とおたずねになりますと、「私はこの国の神で井冰鹿(いひか)と申すものでございます」とお答えいたしました。 命(みこと)はそれらの者を、いちいちお供(とも)におつれになって、そこから山の中を分けていらっしゃいますと、またしっぽのある人にお会いになりました。この者は岩をおし分けて出て来たのでした。「おまえはだれか」とお聞きになりますと、「わたしはこの国の神で、名は石押分(いわおしわけ)の子と申します。ただいま、大空の神のご子孫がおいでになると承りまして、お供に加えていただきにあがりましたのでございます」と申しあげました。命は、そこから、いよいよ険(けわ)しい深い山を踏(ふ)み分けて、大和(やまと)の宇陀(うだ)というところへおでましになりました。 この宇陀には、兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)というきょうだいの荒(あら)くれ者がおりました。命はその二人のところへ八咫烏(やたがらす)を使いにお出しになって、「今、大空の神のご子孫がおこしになった。おまえたちはご奉公申しあげるか」とお聞かせになりました。 すると、兄の兄宇迦斯(えうかし)はいきなりかぶら矢を射(い)かけて、お使いのからすを追いかえしてしまいました。兄宇迦斯(えうかし)は命がおいでになるのを待ち受けて討(う)ってかかろうと思いまして、急いで兵たいを集めにかかりましたが、とうとう人数(にんずう)がそろわなかったものですから、いっそのこと、命をだまし討ちにしようと思いまして、うわべではご奉公申しあげますと言いこしらえて、命をお迎え申すために、大きな御殿(ごてん)をたてました。そして、その中に、つり天じょうをしかけて、待ち受けておりました。 すると弟の弟宇迦斯(おとうかし)が、こっそりと命(みこと)のところへ出て来まして、命を伏(ふ)し拝みながら、「私の兄の兄宇迦斯(えうかし)は、あなたさまを攻(せ)め亡(ほろ)ぼそうとたくらみまして、兵を集めにかかりましたが、思うように集まらないものですから、とうとう御殿の中につり天じょうをこしらえて待ち受けております。それで急いでおしらせ申しにあがりました」と申しました。そこで道臣命(みちおみのみこと)と大久米命(おおくめのみこと)の二人の大将が、兄宇迦斯(えうかし)を呼(よ)びよせて、「こりゃ兄宇迦斯(えうかし)、おのれの作った御殿にはおのれがまずはいって、こちらの命(みこと)をおもてなしする、そのもてなしのしかたを見せろ」とどなりつけながら、太刀(たち)のえをつかみ、矢をつがえて、無理やりにその御殿の中へ追いこみました。兄宇迦斯(えうかし)は追いまくられて逃げこむはずみに、自分のしかけたつり天じょうがどしんと落ちて、たちまち押(お)し殺されてしまいました。 二人の大将は、その死がいを引き出して、ずたずたに切り刻(きざ)んで投げ捨(す)てました。 命は弟宇迦斯(おとうかし)が献上(けんじょう)したごちそうを、けらい一同におくだしになって、お祝いの大宴会(えんかい)をお開きになりました。命はそのとき、「宇陀(うだ)の城(しろ)にしぎなわをかけて待っていたら、しぎはかからないで大くじらがかかり、わなはめちゃめちゃにこわれた。ははは、おかしや」という意味を、歌にお歌いになって、兄宇迦斯(えうかし)のはかりごとの破れたことを、喜びお笑(わら)いになりました。 それからまたその宇陀(うだ)をおたちになって、忍坂(おさか)というところにお着きになりますと、そこには八十建(やそたける)といって、穴(あな)の中に住んでいる、しっぽのはえた、おおぜいの荒(あら)くれた悪者どもが、命(みこと)の軍勢を討(う)ち破ろうとして、大きな岩屋の中に待ち受けておりました。 命はごちそうをして、その悪者たちをお呼びになりました。そして前もって、相手の一人に一人ずつ、お給仕につくものをきめておき、その一人一人に太刀(たち)を隠(かく)しもたせて、合い図の歌を聞いたら一度に切ってかかれと言い含(ふく)めておおきになりました。 みんなは、命が、「さあ、今だ、うて」とお歌いになると、たちまち一度に太刀を抜(ぬ)き放って、建(たける)どもをひとり残さず切り殺してしまいました。 しかし命は、それらの賊たちよりも、もっともっとにくいのはおあにいさまの命(みこと)のお命を奪(うば)った、あの鳥見(とみ)の長髄彦(ながすねひこ)でした。命はかれらに対しては、ちょうどしょうがを食べたあと、口がひりひりするように、いつまでも恨(うら)みをお忘(わす)れになることができませんでした。命は、畑のにらを、根も芽(め)もいっしょに引き抜くように、かれらを根こそぎに討ち亡ぼしてしまいたい、海の中の大きな石に、きしゃごがまっくろに取りついているように、かれらをひしひしと取りまいて、一人残さず討ち取らなければおかないという意味を、勇ましい歌にしてお歌いになりました。そして、とうとうかれらを攻め亡ぼしておしまいになりました。 そのとき、長髄彦(ながすねひこ)の方に、やはり大空の神のお血すじの、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)という神がいました。 その神が命(みこと)のほうへまいって、「私は大空の神の御子がおいでになったと承りまして、ご奉公に出ましてございます」と申しあげました。そして大空の神の血筋(ちすじ)だという印(しるし)の宝物を、命に献上(けんじょう)しました。 命はそれから兄師木(えしき)、弟師木(おとしき)というきょうだいのものをご征伐になりました。その戦(いくさ)で、命の軍勢は伊那佐(いなさ)という山の林の中に盾(たて)を並(なら)べて戦っているうちに、中途でひょうろうがなくなって、少し弱りかけて来ました。命はそのとき、「おお、私(わし)も飢(う)え疲(つか)れた。このあたりのうを使う者たちよ。早くたべ物を持って助けに来い」という意味のお歌をお歌いになりました。 命(みこと)はなおひきつづいて、そのほかさまざまの荒(あら)びる神どもをなつけて従わせ、刃(は)向かうものをどんどん攻(せ)め亡(ほろ)ぼして、とうとう天下をお平らげになりました。それでいよいよ大和(やまと)の橿原宮(かしはらのみや)で、われわれの一番最初の天皇のお位におつきになりました。神武天皇(じんむてんのう)とはすなわち、この貴(とうと)い伊波礼毘古命(いわれひこのみこと)のことを申しあげるのです。       三 天皇は、はじめ日向(ひゅうが)においでになりますときに、阿比良媛(あひらひめ)という方をお妃(きさき)に召(め)して、多芸志耳命(たぎしみみのみこと)と、もう一方(ひとかた)男のお子をおもうけになっていましたが、お位におつきになってから、改めて、皇后としてお立てになる、美しい方をおもとめになりました。 すると大久米命(おおくめのみこと)が、「それには、やはり、大空の神のお血をお分けになった、伊須気依媛(いすけよりひめ)と申す美しい方がおいでになります。これは三輪(みわ)の社(やしろ)の大物主神(おおものぬしのかみ)が、勢夜陀多良媛(せやだたらひめ)という女の方のおそばへ、朱塗(しゅぬ)りの矢に化けておいでになり、媛(ひめ)がその矢を持っておへやにおはいりになりますと、矢はたちまちもとのりっぱな男の神さまになって、媛のお婿(むこ)さまにおなりになりました。伊須気依媛(いすけよりひめ)はそのお二人の中にお生まれになったお媛さまでございます」と申しあげました。 そこで天皇は、大久米命をおつれになって、その伊須気依媛(いすけよりひめ)を見においでになりました。すると同じ大和(やまと)の、高佐士野(たかさじの)という野で、七人の若い女の人が野遊びをしているのにお出会いになりました。するとちょうど伊須気依媛(いすけよりひめ)がその七人の中にいらっしゃいました。 大久米命はそれを見つけて、天皇に、このなかのどの方をおもらいになりますかということを、歌に歌ってお聞き申しますと、天皇はいちばん前にいる方を伊須気依媛(いすけよりひめ)だとすぐにおさとりになりまして、「あのいちばん前にいる人をもらおう」と、やはり歌でお答えになりました。大久米命は、その方のおそばへ行って、天皇のおおせをお伝えしようとしますと、媛は、大久米命が大きな目をぎろぎろさせながら来たので、変だとおぼしめして、  あめ、つつ、  ちどり、ましとと、  など裂(さ)ける利目(とめ)。とお歌いになりました。それは、「あめ[#「あめ」に傍点]という鳥、つつ[#「つつに傍点」]という鳥、ましとと[#「ましとと」に傍点]という鳥やちどりの目のように、どうしてあんな大きな、鋭い目を光らせているのであろう」という意味でした。 大久米命は、すぐに、「それはあなたを見つけ出そうとして、さがしていた目でございます」と歌いました。 媛(ひめ)のおうちは、狹井川(さいがわ)という川のそばにありました。そこの川原(かわら)には、やまゆりがどっさり咲いていました。天皇は、媛のおうちへいらしって、ひと晩とまってお帰りになりました。媛はまもなく宮中におあがりになって、貴(とうと)い皇后におなりになりました。お二人の中には、日子八井命(ひこやいのみこと)、神八井耳命(かんやいみみのみこと)、神沼河耳命(かんぬかわみみのみこと)と申す三人の男のお子がお生まれになりました。 天皇は、後におん年百三十七でおかくれになりました。おなきがらは畝火山(うねびやま)にお葬(ほうむ)り申しあげました。 するとまもなく、さきに日向(ひゅうが)でお生まれになった多芸志耳命(たぎしみみのみこと)が、お腹(はら)ちがいの弟さまの日子八井命(ひこやいのみこと)たち三人をお殺し申して、自分ひとりがかってなことをしようとお企(くわだ)てになりました。 お母上の皇后はそのはかりごとをお見ぬきになって、「畝火山(うねびやま)に昼はただの雲らしく、静かに雲がかかっているけれど、夕方になれば荒(あ)れが来て、ひどい風が吹き出すらしい。木の葉がそのさきぶれのように、ざわざわさわいでいる」という意味の歌をお歌いになり、多芸志耳命(たぎしみみのみこと)が、いまに、おまえたちを殺しにかかるぞということを、それとなくおさとしになりました。 三人のお子たちは、それを聞いてびっくりなさいまして、それでは、こっちから先に命(みこと)を殺してしまおうとご相談なさいました。 そのときいちばん下の神沼河耳命(かんぬかわみみのみこと)は、中のおあにいさまの神八井耳命(かんやいみみのみこと)に向かって、「では、あなた、命(みこと)のところへ押(お)しいって、お殺しなさい」とおっしゃいました。 それで神八井耳命(かんやいみみのみこと)は刀(かたな)を持ってお出かけになりましたが、いざとなるとぶるぶるふるえ出して、どうしても手出しをなさることができませんでした。そこで弟さまの神沼河耳命(かんぬかわみみのみこと)がその刀をとってお進みになり、ひといきに命を殺しておしまいになりました。 神八井耳命(かんやいみみのみこと)はあとで弟さまに向かって、「私はあのかたきを殺せなかったけれど、そなたはみごとに殺してしまった。だから、私は兄だけれど、人のかみに立つことはできない。どうぞそなたが天皇の位について天下を治めてくれ、私は神々をまつる役目をひき受けて、そなたに奉公をしよう」とおっしゃいました。それで、弟の命はお二人のおあにいさまをおいてお位におつきになり、大和(やまと)の葛城宮(かつらぎのみや)にお移りになって、天下をお治めになりました。すなわち第二代、綏靖天皇(すいぜいてんのう)さまでいらっしゃいます。 天皇はご短命で、おん年四十五でお隠(かく)れになりました。赤い盾(たて)、黒い盾(たて)       一 綏靖天皇(すいぜいてんのう)から御(おん)七代をへだてて、第十代目に崇神天皇(すじんてんのう)がお位におつきになりました。 天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊※入媛(とよすきいりひめ)が、はじめて伊勢(いせ)の天照大神(あまてらすおおかみ)のお社(やしろ)に仕えて、そのお祭りをお司(つかさど)りになりました。また、皇子(おうじ)倭日子命(やまとひこのみこと)がおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋(う)めてお供(とも)をさせるならわしがはじまりました。 この天皇の御代(みよ)には、はやり病(やまい)がひどくはびこって、人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。 天皇は非常にお嘆(なげ)きになって、どうしたらよいか、神のお告げをいただこうとおぼしめして、御身(おんみ)を潔(きよ)めて、慎(つつし)んでお寝床(ねどこ)の上にすわっておいでになりました。そうするとその夜のお夢に、三輪(みわ)の社(やしろ)の大物主神(おおものぬしのかみ)が現われていらしって、「こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。これをすっかり亡(ほろ)ぼしたいと思うならば、大多根子(おおたねこ)というものにわしの社(やしろ)を祀(まつ)らせよ」とお告げになりました。天皇はすぐに四方へはやうまのお使いをお出しになって、そういう名まえの人をおさがしになりますと、一人の使いが、河内(かわち)の美努村(みぬむら)というところでその人を見つけてつれてまいりました。 天皇はさっそくご前にお召(め)しになって、「そちはだれの子か」とおたずねになりました。 すると大多根子(おおたねこ)は、「私は大物主神(おおものぬしのかみ)のお血筋(ちすじ)をひいた、建甕槌命(たけみかづちのみこと)と申します者の子でございます」とお答えいたしました。
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