職工と微笑
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著者名:松永延造 

    序言

 私は当時、単なる失職者に過ぎなかった。とは云え、私自身とは全体何んな特質を持った個体であったのか? 物の順序として、先ず其れから語り出されねばならない。
 別段大きな特質を持たぬという点が私の特質であった故に、私は私自身に就いて、其れ程長い説明を此処で試みようとは思わない。正直と簡単とを尊重して、私は次の事丈を読者に告げ得れば、もうそれで満足である。
 私は一時、小学校の教員であった。そして直きに免職となって了う事が出来た。何故免職となり得たか? 日本語の発音及び文典の改良策に就いてと、それから小児遊園地の設計に就いて校長と少し許り論争した結果、私自身が何かしら「思想」と言ったようなものを所持している事が発見されて了ったからである。実に其の思想がいけなかった。多くもない私の特性のホンの一部がいけなかったのである。断って置くが、私は何んな場合でも過激を遠慮する内気な人間の部類に属し、却って年老いた校長の方が進取的な気質に満ちて「堕落しても好いから、新しいもの!」と云う希求を旗印しに立てていたのであった。従って、此の場合では、世間に好くある新旧思想の衝突と云ったようなものが恰度逆の状態で醸成されたのである。
 少し冗長になるが、それを我慢して話すならば、校長は恐ろしいエスペランチストで、幼稚園の生徒へ向って迄、此の世界語の注入に熱中したのである。光を受け入れる若芽のような学童たちは珍らしいものに対して覚えが早かった。彼等は花や樹の葉の事、又「嬉しい嬉しい。」なぞと云う事を皆エスペラントで話し初めた。そして皆が
「ボー、ボー。」と叫んだ。
 此の「ボー。」が校長に取っては悪かった。彼も私が免職になってから直き、矢張り同じ運命になって了ったのである。
 そんな事は何方でも構いはしない。話したいのは、もっと別の点である。私は一体それから何うしたのか? 勿論貯金があったので喰うに困りはしなかった。否、寧ろ充分な閑暇を利用して、少しばかり学問を初めさえしたのである。そうして、一年許りの内には、三流文士として、四流の雑誌へ、小さな創作を掲げて貰える程に出世をした。
 私の創作が勝れたものか、それとも、極く平凡なものか、を私自身も未だ判定する事が出来なかった。そして勿論多くの一流批評家は私の作に目を通しては呉れなかったのである。彼等は悪いものには注意しなかった。そして恐らく良いものと同じ運命の下にあった。
 私は試みに、私の作風の一例を此処に引き出して見よう。

    其の人が通過した跡

 其の人は自分の母親を連れて歩いていた。彼の足は真直ぐで、母の背は曲りかけていた。彼は少しもクタビレないけれど、然も母親のクタビレたのを察する事が出来た。
「心が行き達(とど)き、他の心を察する事」之がその人の特性だったのである。
「お母さん。私は一度丈貴方を自動車に乗せて上げたいと思います。」と子は云った。
「お前は私がクタビレたと思って、そんな風に云って呉れるが、私は未だ歩けますよ。それにお前の足は大変活撥で、もっと地面を踏みたがっていますよ。本当に若い中は高い山なぞを見ると、直ぐそれへ登った所を想像する程だもの。然し年をとると、そこを越さずに、向うへ行ける道はないかと探すようになるのだね。」と母が微笑んで答えた。
 けれども其の人は自動車を呼んで、それから運転手に訊いた。
「B迄行くのですが、車の何方側へ多く日が当りますか。」
「右側ですよ。」と運転手が答えた。
「では、お母さん。私が右側へ座ります。お母さんは日影においでなさい。」
 之は暑い日の出来事であった。眠相であった運転手は不図目を上げて、幾らか恨めし相に青年とその母を見やった。彼は吐息を一つすると、直ぐ車を動かし初めた。走って居る間中、運転手は故郷へ置いて来た自分の母親の事を、あれから之と懐い続けるのであった。十日程前、手紙で母親を騙し、十円の金を送らせて、全く無益な酒色の為めに費して了った事が、彼自身にも口惜しくて、彼は思うさま大きく警笛を響かせた。それから、態と行路を替えて、廻り道をし、車上の老いた人へ日光を当ててやろうかとさえ考えたが、不意に眼へ一杯の涙をためて了ったのであった。
 親と子は車を降り去った。残った運転手は郵便局へ入って母へ宛てた為替を組んだ。それに添えて、「お母さん、丈夫かね。日中だけは畑へ出ず、体を大切にして下さい。」と下手な文字をも書きつらねた。
 田舎で、息子の手紙と、いくらかの金を受けとった母親の喜びは何んな風であったか? まして、それが一度も子供から親切にされた覚えのない母親であって見れば、尚更の事である。
 母親はよろけ乍ら、隣家の方へ駈けて行った。然し、此の喜びを、そうたやすく他人に打ち明けてはなるまい、と思ったか、再び我が家へ走って来て、声を上げて、息子の簡単な手紙を読んだ。声の終りの方は小鳥のそれのように顫えた。人が文字以外の文字を読むのは実にそんな時である。簡単は立派な複雑になり、ほんの西瓜の見張り小屋のような文章が、何だか有難く宏壮なお寺様のようになって了うのである。
 母親は誰かしらに此の喜びを分け与えねば、自分の体がたまらないような気がして来た。それで又家を出て見ると、彼の女が貸した金を仲々返して呉れない男の何人目かの子が、直ぐその弟を背負うた儘、転んで了って、重い負担のために、起き上る事も出来ず、藻掻いているのに、行き会った。母親は急いで、子供を抱き起し、「可哀相に……」と繰返した。
「之は利息だよ。」と子供は帯の間から十銭の紙幣を二枚出した。
 老いた女は少し顔を赤くして考えた。お金が哀れな人の所へ行って、利子と云うものを盗んで帰って来ると……
「そのお金は少いけれど、お前のお父さんと、お母さんが、暑い日中、畑へ出て、働いて出来たのだね。それは暑さの籠ったお金だね。ああ暑い日中丈は畑へ出ぬように……」と老いた人は独語とも祈りとも判明しない言葉を、天に向き、又地に向いて呟いた。
 それから彼女は二十銭を可愛い子供に与え、子供はその半分で果物を買い、半分で鉛筆のような品を求めた。
 さっき迄意地悪くしていた子供は大変嬉し相に飛び立った。そうして、自分の家の鳩へ、他所の犬をけしかけるのをやめた。
 子供は何かしら三つ許りの歌を一緒に混ぜて歌い乍ら、庭に落ちている鳩の抜け羽を拾って遊んだ。
「斯んなにして、毎日羽をためたら、今に妹の枕が出来ようか?」と子供は母と覚しき女性に尋ねた。
「丹精にしていれば、出来相もないと思われた色々の事さえ、思いがけぬ程早く出来るものだ。」と母らしい人は答えた。
 此の有様を巣の入口で眺めて居たのは年をとった一羽の鳩であった。
 鳩……この小さい脳髄は何を考えて居たであろう。鳩は何度か首を傾け、あたりに犬の居ないのを確めて後、恐らく次のように鳴いた。
「自分の惜しく思う品を、思い切って人に与えても、その品を人が自分と同じように大切にしているのを知る事は、何とも云えない喜びである。」
 我々は思い出す。自動車に乗った、さっきの母子は、唯街路の一角を通ったに過ぎなかった。けれども、その影は運転手の手紙と共に、田舎へ走り、老いた農民のもとに居り、転んで起きられぬ子供のそば近く歩み、鳩の巣のほとりに、思い深くもたたずんだのである。至極あたり前の深切、一寸した思いやりも、それが命を持って居る故に、水の輪のように、動いて他の方へ行くのは面白い事である。
(おわり)
 読者は倦怠したであろうか? 振り返って云うが、私の小品というのは以上の如きもので代表されるのであった。それは簡単で、従って未熟であろうか? 私が教員時代に学童へ向って熱心に話した訓話の痕跡が取り切れて居ないと、読者は叱責するであろうか。
 それは何うでも好い。話は実に之からなのである。
 機縁とは何であるか? 何処が初まりで、何処が終りなのであろうか。私には何も分らないが、或る雨の日に、ある濡れた青年が、私を訪ねて来たのは確かな事実である。
 彼は幾分か私を尊敬する風であったが、そうかと云って彼自身の傲慢を強いて隠す程でもなかった。彼は概して陰鬱であり、時に不思議な嘲りに似た笑いを洩らした。彼は一個の労働者であると告白したが、そんな低い階級に似ず、恐らく私も及ばぬ知見を持っていた。
 彼は自身が経験した或る事件に就いて、一つの伝記風な小説を書きかけている事、それを順々に見て貰い、批評して貰いたい事を私に告げた。
「私が何んな奴だか、今に皆別って来ます。すっかり分って了います。」と少し気味悪い動作の青年は悲し相に舌をふるわした。
 軈て私は何を見、そうして驚いたか!
 私の嘗て知らない不思議な世界が此処から開け初めた。青年の文章は暗い光とでも云う可きものを以て私の胸を照らした。此処には「神聖なものへの反抗」があり、私の心の中には見出せない複雑な考えがあった。
「悪」それが主位を占め、そして君臨する所の精神を、私は単なる心理学的興味からでなしに、もっと異様な驚きと嘆きとで見入った。私はそれに引つけられ、又蹴はなされた。それにも拘らず、私は彼の青年へ何処迄も接触して行こうとする勇気の為めに立ち上った。ああ此の青年が何んなに私の平安な生活を破壊して呉れたか? それは後に皆明白となるであろう。
 彼の青年は確かに私達とは別な性質を到る所で発露した。たとえば、彼は面識なき牛肉の配達夫へ、いきなり声を掛ける事が出来た。
「お前は、自分の配達してるものが喰いたくはないかい?」と彼は対手の肩をたたいた。
 配達夫も亦、この行為をいぶからなかった。尤もそれが彼等の礼儀なのである。
「喰いたくもなるさ。けれど、私の厭に思うのは、自分の飢えている事じゃないよ。自分が何かを人に与え得ぬ事だ。」と配達夫は答えると、黒い表紙の書物で、青年の肩を打ち返した。その書物は聖書だったのである。□その頃は未だ下層者の間に多くのクリスチャンが居た。□
「ウム、そんな事もあるな。たしかにある。私の知っている貧乏な雇人は、ある大尽の家の子に、一銭を握らせて、大きな声を出し乍ら飛んで帰って来た事がある。奴は善い行いをしたのか……それとも復讐をしたのか……自分でも判らないのだ。唯、俺は与えたぞ、与えたぞと叫び乍ら、地面へ、へたばって了やがった。」と青年は厭な表情をして答えるのであった。
 と思うと、青年は全く未知な他の労働者に肩を打たれる事がある。
「ヤイ、何をボンヤリしてるんだ。貴様、自分で立っているのか? それともそこに落っこちてやがるのか?」と未知の男は叫んだ。それが矢張り礼にかなっているようでもあった。
「落ちているんだとも。だが、そりゃ、上っちまうより安全なんだ。」と我が青年は答えた。
「洒落やがんない。俺が分らないのか。今俺の友達の奴はな。蒸し釜の蓋のネジがゆるんだんで、それを締め直しに、大きな釜の上に登ったんだ。それから、ネジを締めたんだ。すると、ネジの奴、金が古くなっているんで、ポサンと頭がモゲやがったんだ。おい。こっちをちゃんと向かねいかい。それで、釜と蓋との間から、蒸気が噴き出して来てな。その力で他のネジも皆一偏に頭がモゲて、パーンと云うと思うと、もう工場中は湯気で真白に曇っちゃったんだ。すると、上の方でポーンと云うんだ。ハッと思って見ると、屋根が吹き飛んで、大きな穴から青空が見えるじゃないか。そして、ああ、眼をつぶって呉れ! 俺の友達の奴……まるで吹き矢の矢のように、その穴から、空へと吹きっ飛ばされやがった。急いで外へ出て見ると、俺のすぐ前へ、ドサンと肉体が落ちて、弾みもしないで、タタキへのさばりやがった。グサッと音がしたんだ。おい。こっちを向けい! 友達はそれでも死ねないで、唸りやがった。『苦しい、苦しい、』と叫びやがった。当り前よ苦しくない訳が何処にあるんだい。」酔い痴れた未知の人は、そうして自分の道を歩いて行って了った。
 青年は暗い顔になって呟いた。
「人がそんな風に鞠のようになって好いのか? 人が?」
 けれども読者よ。人は色々な人間らしからぬ別のものになる虞れがある。現に此の青年も何かしら他の玄怪な存在になりかけているのであった。それを證明するため、私は彼の自伝をここに掲げたく思う。
 次の章に於いて、今後「私」と云うのは、実に「彼」の事なのである。もしくは「何時か善良に帰る傷ついた霊」の事なのである。

    玩弄さるる美

 一番初めに云って置きたいのは、私が物質上の貧困者であるに拘らず、贅沢過ぎる心を持っているという悪い惨めな点である。斯んな外部条件中に投げ出された斯んな霊と云うものが、何んな変化を取って行くか。
 単に空虚な妄想を追う事の他に、私はもっと現実に接近した慰安を求め得なかったであろうか。人々は次の言葉を何と思うか。
 妄想と現実との中間に座って蠢めく私は、確かに又、仮定と実際とを折衷しつつ何かしら、諦め深い、そして優雅を通り越して、児戯に近附く類の慰安で自分を飾り得たと思っていた。例えば、何んな紙――物理的に汚れて鼠色になったのでも、化学変化の為めに黄褐色になったのでも構いはしない――でも自分の手に入って来ると、私は其れからエジプトのスフィンクスを切り抜き出したものである。成程、自分の前には平面なスフィンクスが幾匹か現れて来る、之は物質に形を借りている。唯平面である点に、多量な妄想と空想が盛られているのである。私は何うかせめてバスレリーフとしてのスフィンクスをセルロイドからでも刻み出したい。それは此の惨めで汚い貧困に聊かでも敵対する心の贅沢である。
「厭な人間だ!」私の聴き手は斯う私を舌打ちで鞭打つだろう。けれど、私は一人の病み患う子供の様なものである。肉を蝋にして燃しながら、空想の焔の糧にする程、静かに座っているのが持ち前の人間である。斯んな男に附き纏う貧困こそは悪性のものに相違ない。賭博者、ピストル丈を商売道具にする男、単純な無頼漢、彼等に絡(まつ)わる貧困の方が、まだまだ私の類よりは光明を持っている様である。
 宜敷い。私は独りで居よう。昔式の巡羅兵が持つ蝋燭の灯の廻りを黒いガラスが護る様に、兎も角も、私の四壁は他人から隔てられている。私は此処で昔の朝鮮人でもした様な骨董的な空想を現実と妄想との中間的濃度を持つものとして味わう。
 例えば、此の室の床が斜めに傾いているとすれば、それは悪い建築法の為めではなく、此処の地盤が、雪の為めに清透となったアペニン山脈中のある山腹に位すると考えて置こう。此の壁が破れている事には唯古典的な風雅丈を見出そう。人々はモーゼの書いた文書が破れていなければ、立派ではないと云うであろう。時と云う風雲は唯一の装飾法を知っている。それは物を少し許り破る事で、全体をメッキするのである。此の方法は私に依って「支那式美術」と呼ばれていた。何となれば、支那はその建国が古過ぎて、物を凝集する焦点を通過して了ったと云う様な点からではなく、あの国のものは凡て不足と欠乏で飾られているからである。彼の国で多過ぎるのは唯料理の数丈ではないだろうか。
「之は厭な云い廻しだ。」と聴き手は私の鬱陶しい衒気を瓦斯の様に嫌うに極まっている。其れに何の無理があろう。私も自分自身が随分厭なのだ。
 それにも拘らず、いや、寧ろ、一層図々しく、私はウツラウツラと考え続ける。何を? 凡て外国の骨董品の事をである。メソポタミヤ人は三千年前に何んな頬髯の生やし方をしていたか? 斯んな考古学は厭世の一種であって、自分の汚さに困じ果てた人の息抜きに過ぎないのではあるが……
「私はもっと隅の多い室に住みたい。暗さは之で恰度好いから……」そして空想の中に於てではあるが、華麗な伊太利風の模様のある厚い布で白い光を屈折させ、銅の武具とか、古い為めに暗くなっている酒の罎とか、アラビヤ人のかつぎとかで、色んな色の影を造って見るのである。私は菱形の盆を大きくしたような寝台に平臥して、金縁の附いた天鵝絨の布団を鼻の下迄引張るのである。斯うするとまるで孔子の髯の様に長く、黒い布が私の足に達するであろう。
 いや構わない。もっと妄想――即ち思想の膿を分泌せよ!
 支那風な瑪瑙の象眼に、西欧風な金銀の浮彫りを施した一つ小箱には、自分の眼底迄が黒い瞳の闇を透して写り相な磨きが掛けてる。その中には暗中に生活した為めに、肉体の弱り切った子供の様に見える所の、或る秘密なミニエチュアを二枚合せにして蔵している。それは海の中にある極楽の様に冷や冷やとした画であるが、見ていると記憶が乱れ切って了う様に、四ツの焦点が注意を掻きむしる。自分が橋を渡っているのだと思わせて置き乍ら、実は泳がせていると云った様な訳の分らぬ画、私の言葉が人々に分らぬ程、比喩に満ちた画だ。之より分らぬものが又とあろうか。恐らく此の画には本質的な価値はないのである。唯何も分らぬ点が人々をして価値あるものの如くに眩視せしめるのである。斯んな例は世の中に沢山ある。
 偖て、聴き手よ。貴方方が若しも犯罪心理学者であり、美と罪悪との不可思議微妙な関係に就いて研究しつつあるならば、私が上来書き来った所の文体を検査した時、必ずやその筆者が幾分か悪人であらねばならぬと云う推定を下す事が出来る筈である。
 何故と云うに、骨董屋の店頭を見る時のような、まがいものらしい美(それは本統の美ではあるまい。)の併列と云い、その間をつなぐ幾分か意地の悪い暗怪と云い、之等は皆人間の悪心から流れ出す所の夢に他ならないからである。此の文体に表れた所は何等自然的な皮膚を恵まれていないボール紙へ塗った胡粉のような痛々しい化粧丈ではないか。
 ああそう云う類の化粧を以てのみ悪心を抱くものは生活する。その化粧は彼が書く文章の上にも行き亘る。「何んな種類の殺人が、一番芸術的であるか?」と云うような云い廻しに於いて、彼は最も悪いものを優雅に見せようとする。或いは又、暗怪と虚言との中に、彼の理想(即ち人を殺す事)をうまく嵌め込んで、
「おい、君はB市の市長が床の上で死んだと思っているから、お芽出度いね。ウム、秘密を知っているのは私丈だよ。実はね。実は、R公園でグサッとやられたのさ。お供のやつが大急ぎでその死体を家へ運んで了ったんだ。それで……つまり……床の上……と云う事になるんだ。いや、検べてみると病気で死んだ積りになっている有名な人々が、随分非業な最後をやっているのさ。」
 斯んな虚言程無気味なものがあろうか。斯んな虚言を吐く男の眼は何んなに上釣り且つ濁りつつ光っていることであろうか。
 真に私自身も亦此の男の如くであろうか。おお、私は常に殺人の秘密な意図で心を波打たせている。私が殺してやろうと思っている或る人間の眼が、泥の中や水の上へ浮んで腐ったように赤くなっているのを見る事がしばしばある。けれど私は臆病な空想勝ちな燻ぶり返った一人のセルロイド職工に過ぎない。

    支那人鮑吉

 尊いものは稀である、と哲学者は云っている。成程、其れに間違いはない様だ。あったとしても取り立てて騒ぐ必要もありはしまい。如何にも、尊いものは稀である。だが、稀なものが必ずしも尊くはない。
 その證拠として、私は今でも明瞭に思い出し得る一友人の日常に就いて語ろう。私は実を云うと、自分自身を語る目算なのだが、その目的の為めに、却って斯んな廻り道を取らねばならないのを悲しく思う。彼の事を話して置かぬと、私の話が出て来ない。だから、彼と云うのは煙火の口火に過ぎないのだが、実はもっと濡れて湿気の多い所のある男である。
「彼とは何んな男だ?」
 世界には塵芥と同じ数丈の謎がある。一日中、人と会話しないでいてさえ「何?」が私の心の中で醗酵している。「彼? 何?」それを簡単に之から話そう。
 私は一時自分が犬殺しをしていた事を全然忘却していた。其れを悲しく想起せしめたのは支那人の鮑吉である、そして、彼は私が犬殺し屋であったのを知ると、大変に悲嘆して私から段々遠退いた。其れは極めて自然の成り行きである。何故なら、彼は恐ろしい人間嫌いで、その代りに、動物植物の異常な偏愛者であったのである。然し、鉱物は彼の注意を少しも惹くことが出来なかった。奇妙である。
 彼は竹が一番好きである。「竹と竹、コチコチ当る音、宜敷い。」と彼は好く云うのである。「竹の挨拶」と彼は其れを呼ぶ。
「世界で一番美しいものは何か。」と私が尋ねた時にも、彼は躊躇なしに答えた。
「雲雀! 雲雀、天の息を飲む。」
 彼は自ら飼っている雲雀を朝早く空へ放ち、其れが帰って来て、彼の手の甲へ乗る時、嘴の先に附いている「天の気」――それは何かしら分子の様なもの――を自分の鼻孔へ吸い込むのである。何たる厭な形式であろう、然も此の形式を彼は仙人風に尊重し、何か魂の薬になる事だとさえ信じているのであった。
 彼は又、日本趣味を多分に持っていて、色の殆どない様な朝顔、昼顔、芍薬、実につまらない断腸花、合歓、日々艸なぞを大層崇め奉って、その花や葉っぱを甞めて渋い顔をしたりする。彼は花を見ては好く感奮するが、然も実を云うと彼の霊は蓮根から出る糸の様に、冷たい、柔かい、青い、植物臭いもの、又ある種の虫の体臭も混入し、眠った、爬虫類の様にソッケなく、もし、何か光が出るとすれば、それは夜光虫のと同じで、水の中にある様なものでなくてはならない。それ程彼は沈み勝ちで、何だか、夜陰の川をゆっくりと流れる浮燈籠の様でもあった。
 要するに、彼は一番真面目に生きていると信じ乍ら、然もやっている事が皆遊戯なのを知らぬ人間である。例えば、彼は蟻を夢中で見詰める。その夢中な有様は少し狂気を交えている。何も知らない蟻の方では、力一杯に腐った蛙の子を運んでいる。
「おお、何て一生懸命、可愛がってやらねば……」彼は涙ぐんで、蛙の腐肉を蟻の穴へと手伝って運んでやる。けれど、若し、街頭で子を背負い乍ら車の後押しをしている人間の女を見るならば、彼は眉をひそめて、態と眼を閉じて了う。「耐らない、汚い。」のである。彼は病気で歩けない雨蛙は好きであるが、本当の病人――私――なぞをあまり好かない。「此の蛙、風邪引いている。お湯飲まして、寝かしてやる。」之が彼の持ち前である。
 或る男が、生きた竹を切っているのを見掛けた時、彼は額の上の方迄、眉毛を持って行って了った。実際、彼の眉毛は好く動く。そして、普段でも、眼から二寸位は離れているが、驚いたり、怒ったりする時は三寸五分位に隔たる。もっと驚いたら、後頭部の方へと廻って行って了い相な気さえする。西洋人は怒る時眼を瞠って、隠れていた白眼迄をも現すのであるが、支那人は主に、顔面へ既に現れているものを、頭巾を冠った頭部の方へ隠すのである。改めて云うが、彼は正直に怒って了ったのである。「それ、いけない。」
 それにも拘らず、竹屋の前を通る時、死んで竿になって了っている竹が、亡霊の様に立っているのを見掛けたとて、彼は何とも思いはしないのである。「貴方、西瓜の果、食べる?」と掌へ乗せた黒い粒を私にすすめる丈である。
 私は考えた。何故彼は人間の私よりも病気の蛙を愛し、人間の奴隷よりも働く蟻に熱中するのか。又切り掛けの竹を憐れがるのに、切られて了った竹を恐れぬのか。
 最初の方の疑問は直きと解決される機会に到着した。彼が二寸方形位の写真のファインダーを、自分で造って持っている事から、私は気附いたのであるが、彼は自然大の自然物よりも、此のファインダーの擦り硝子へ映る小さい影像の方に、何れ程愛着しているか分らない。
「ああ、煙突からパーと煙出る。煙草よりももっと、小さい。それ可愛い。」
 此処に於いて私は判定する。小さくなくては彼の愛を買う事が出来ない。蛙は人間を縮小したものとして彼の眼に映ずるらしい。
 之は勿論全体を蔽う解決ではない。然し、重要な部分の様ではあるまいか。
 次が、竹の生死問題である。彼は切られる竹を惜しむのに、死んで行く人を祝福する厭世家である。此の矛盾の為めに、私は彼の魂を握る事が出来ない。其処で直接彼に質問して見た。
「何故、生きている竹を切る時は、眉毛動かすか。そして何故死んだ竹が並んでいても眉毛、其の儘か?」
「何も不思議ない。死んだ竹、もう竹でない。石と同じ物質!」
 此の答えを聞いて私は呆然として了ったのである。
 彼が小さい物を愛する所から、私は彼を「玩具人」と呼ぼうと思っている。そして、凡て死骸を蔑視する点に於いては、彼を「蒙古の回々教徒」若しくは「神代に於ける日本の神々」と呼んで居るのである。
 考え直して見れば、彼も大変可哀想な人間である。私は彼の造った汚いファインダーを借りて、彼の姿を覗いた事がある。彼の丈は高いが、弱い樹の様である。それより露西亜のボルゾオイとか云う犬が一層彼に似ている様に思われる。その犬の敏捷な点がではない……眠相にしている姿勢丈がである。
 彼は外れた方向へ走る歪んだ球である。少し藪睨みで、その上愛の筒口が違う方を向いている。彼は人間を忌避し恐怖する。彼はあらゆる人間が意地悪く、拳で彼の腹を覘っていると想像する。彼はブツブツと呟き乍ら、花と虫とへ行く。そして春になっても尚、蓮根の様に冷たい穴だらけの魂を抱いているらしい。彼の魂は彼の肉体よりも先へ年とっている。千年も生きて了って、もう仕方なくなっている山椒魚が黒く湿気た落ち葉の堆積の下にうずくまって、五分若しくは十分間に一度づつ呼吸している有様に似ているのである。

    犬殺しの考え

 一寸した遠慮から、私は変態的な心理を持つ鮑吉を自分の友であると云ったが、実は、彼こそ私の友であると同時に、私の本統の父であったのを告白せねばならぬ。耻かしいけれども私はある靴直しの娘と此の変妙な支那人との間に出来た混血児なのである。だが私の心が曲って了った一番初めの原因は父の血のみに帰さる可きではない。私が道を歩く度に、近所の子供から侮辱され、石を投げられ、時にはつめられたりした事が皆その重要な元素であった。彼等は何時でも私を憎み乍ら、注視していた。そして私の汚い日本服の下に支那風な胴着をでも見ようものなら、彼等は犬のように吠えたてて、私の耻を路の真中へと曝け出した。
「お父さん。私ばかりを皆がいじめる。私許りを見詰めている。露路から抜けようとすると待ち伏せをしているし、大通りを歩くと皆が二階の窓から睨めて、唾で丸めた紙を投げるのです。」私は斯んなふうに子供らしい嘆きを洩した。けれども私を愛さぬ父は彼自身の少年時代が矢張り之と同じだったと答えた。そんな嘆きは段々と凝集して大きい塊りになって行き、ああ遂に全然別のものと変態して了ったのであった。
 誰に向けられるのでもない漠然とした怨恨の情と、縁の下の蔓のようにいじけた僻みの根性とが、私の心を両方から閉ざす二つの扉となったのは極めて自然である。斯んな説明は誰も陳腐であるとして排斥する程、私の心の変化は普通の成り行である。
 だが、私が十九才程に成長した時、一つの出来事が起って、其れが他の出来事をさそった。私の父は重い病気の後に死んだ。母は既に約束してあった男と早速何処かへ逃げて行って了った。遠く出稼ぎに出て居た私が駈け附けた時には、薄馬鹿の妹が小さく暗い家に足を投げ出して、何か考え事をしているのを見た丈であった。考え事と云っても別段分別の籠ったものではない。唯ウツラウツラとして時間のたつのを待っていた迄なのである。私も妹と一緒にウツラウツラとなって行った。何故か此の時私は自分が一年間でも、わざと犬殺しを家業にして来た事を深く後悔する事が出来た。私は泣いて妹に抱きついたが、妹は黙って足を投げ出していた。
「お前は奉公に行けるかい? 私も之から何かの職人になるから……」と私は兄らしい情をこめて囁いた。
「犬ころしは止すの?」と無邪気な妹が尋ねた。彼の女は丁度その時十七才であったが智恵は遅れていて、読書も算術も出来ない低能児であった。それにも拘らず、彼の女の体はもはや大人並の生理状態を持っていたのである。スペイン闘牛士のように美しい私は答えた。
「犬ころし! ウンそれはもう止そう。お父さんもいやがっていたからね。けれどだね。私は時々思うのだ。世間は態とムシャクシャ腹を立てさせて、一人の人間をもうすっかり自暴自棄にさせ、終いには残忍にさせる。そして、その残忍を何かしら世間の為めに有効に使おうとする。世間は残忍をも遊ばして置かない。斯うして依怙地な犬殺しが出来る。気狂い犬が減って、噛まれる人々が少くなる。うまいやり方ではないか。」
 妹はノロく笑った。二人は父の死亡と母の遁走を一通り悲しむと、もう直ぐそれを忘れる事が出来た。いや結局此の方が好いようにさえ思われたのは何う云う訳だったであろう。
 離散して了う事、かたがついて了う事、私はそれを喜んだ。が、元より悪魔の心を以てではない。あの恐ろしい諦めを持った印度の王子は彼の家系が散り失せるのを何んなに喜んだかを考えて貰い度い。彼は妃を尼にさせた。息子を独身の沙門にさせた。そうして汚辱が清め洗われたのである。此の虚無的な精神は悪へのみの加担者ではない。私が一家の飛散を快く思ったのも、寧ろ半分は善良な心からであり、汚穢を葬る必要からであった。私はその頃、決して子を造るまいと心を決めていた程であった。私は生前の父が母を始終流産させているのを見た。五人の子が流れ去ったのを、私は氷河を見る時のようにサッパリとした心で眺めやったものである。
「流れて行け、流れて行け。その方が何んなに仕合せだろう。」
 その頃から私は水と生命との密接な関係を科学的にではなく、例の芸術的幻影として屡ば直観した。泡を吹く夕方の沼の泥に赤く腐った生物の眼を見出したのは一度や二度でない。霧が晴れかけている河の水面に、真青な怨めしそうな眼を見附けるのも造作ない事であった。私はスペイン闘牛士のように道楽半分の残忍性を以て云った。「あああれは人間の眼だ。今に私の手で殺される人間共の眼だ。」
 此の予感は寂滅的思想で沈められた私の心へ、よく浮び上る所の恐怖であった。私は既に犬を殺しつけて居た。そうして、彼等の怨念は決して死後迄存続するものでないのを好く確かめていた。けれどむしろ彼等の死前に於て、怨念の予覚が私の心へ喰い入って来る事は度々あった。例えば私が仕事に出ようとして長靴を穿きかけていると、足が急にしびれて、靴へ密着して了う事なぞがその證拠である。私は靄の多い朝なぞ、随分と犬が死の予覚のために苦しがって鳴くのを聴いた。次手に云って置くが、犬は豚よりも死を厭うし、殺される時の苦痛が大きいようである。ある土人が犬を殺しては喰うのを見かねて、彼へ豚を代りに喰うようにと命令を下した西洋人は好い分別を持っている。豚を殺すのも犬を殺すのも同じ殺生だと考えてはならない。世の中には決して同じものはないのである。
 犬を殺すのも、人を殺すのも同じ殺生だ。私は時々斯う叫んでは、それが誤った意見なのを悲しんだ。そうして水の上の眼、泥の中の眼を掻き消す事に努力したのであった。
 けれども私は何うしてもあの疑いを捨て去る事が不可能であった。あの疑い? そうである。父は本統に床の上で自然に死んで呉れたのであろうか? おお私は此の上もなく惨めな人間ではないか。実際は床の上で胃癌の為めに死んだB市長の事を、公園で刺客にやられたのだと吹聴したのは確かに此の私であった。その時は自分が嘘を吐いているなどと云う一種の悲しく又喜ばしい意識を失っては居なかった。おおあのイライラとした口惜しいような歯痒いような然も体をじっとしてはいられないような虚言の快楽、私は確かにそれを享楽していたのである。所が今度は何うであったろう。母とその情夫とに向けられた疑惑の根は決して虚構の快楽から生え上っては居なかった。困った、と私は自分の額を打っては何度かたじろいだことであろう。之は殺人事件を仮想しては楽しむ私の悪癖が一層憎悪して来た結果に他ならないと云う決断を私は何んなにか要求したか? 然も要求したにとどまった。悲しい事に疑念は子を産み、蔓を伸ばすのを止めなかった。
 その頃、私は又奇怪な話しに遭遇した。
「お前は知っているかね? スピノザは肺病で死んだことになっているが、実はアムステルダムの一医師に殺されたんだよ、デクインシーと云う人が其れを検べて、自分の著書へ公然と発表しているんだから、間違いはないのさ。それからカント……あの古手の大カントも例の散歩の道で殺されかけたのだぜ。刺客はジット大哲人の痩せた猫背をうかがったのだ。けれどその時ふと刺客は思いついたんだ。之はいけない。あの老人は、沢山の罪を背負っている。若し自分が殺すと、真逆様に地獄へ墜ちて行って了う。之はいけない。それで刺客はドンドン駈け出して了ったのだ。そして老哲人の身代りに、可愛い幼子をふんずらまえたのだ……」
「うむそれで何うした?」と私は暗い好奇心を以て前へ乗り出し、話し手の手首をしびれよとばかりに握りしめた。話し手は一寸たじろいた。
「それで……之から育つ果実のように生き生きとしていて可愛い幼な子の肉をぶちやぶり、小さい霊を天へ送ったんだ。刺客はもう感奮して声を立てて泣いたんだ。之であの霊は天国へ行けるって云ってね。」
「その刺客の心理が不明瞭だ、」と私は云った。
「不明瞭にきまっている。是非不明瞭でなくてはならないんだ」話し手は立ち去って行った。
 私の疑念は憎悪して病気になって行きそうであった。私は話し手のあとを秘かに追って行った。彼は夜の細い道を右へ左へ折れた。
「おお、お前未だ私を追跡するか? 執拗い男だな。」話し手は無気味に云い放って、うしろから歩みよる私を忌み嫌った。
「話して呉れ! 何う云う訳なんだか。」と私は急に弱り切って、萎れながら口を開いた。
「何を?」
「何うして老人の身代りに幼児がなったのか。又何故その方が好いのか、と云う事だ。」
「もう好い加減に許して呉れよ。お前。その代り、此の本をやるから……」彼はデクインシーの本と云うものを私の手の上へ乗せた。
 話し手と別れて帰って来た時、私はその本を読む勇気も出ない程労れ果てて居た。□次手に云うが、私は珍しく病的に利巧で、英語は、シェークスピアを巫術的に翻訳出来る程、直覚を以て会得していたのである。それから私は父の住む土地では犬殺しを働く事が出来ぬ程、教養のある友を持っていたのである。□
 私はどうしてもデクインシーの著書を読む事が出来なかった。そして何故だか判らないが、本の表紙にあの話し手の体臭がこびりついているように思えて、態々近くの河へ、橋の上から本を投げ捨てて了ったのである。
 私は時々発作的に悶えた。妹は足を投げ出して上眼でそれを見ていた。
「兄さん。私がいていけないなら、奉公に出るよ。奉公によ。」妹は眼に涙をためて足をいじっていた。
 ああ闘牛士の様に道楽の混った犬殺し、不当な社会へ対する「復讐の代償」として、あの可愛らしいテリヤとセッターの混血児を殺す青年、之は確かに悪い、そして非常に悪いものに相違なかった。

    手妻の卵

 犬殺しを廃してから、私の収入は全く絶えて了った。私は時とすると、もう一度帽子を目深く冠るあの商売に入ろうかと思った。けれど結局他の考えが優越した。私は妹を奉公に出した。彼の女の行った先は郊外にあるやれ果てた病院であった。恐らく彼の女は、その病院の洗濯婦と、院長の宅の飯炊とを兼ねねばならなかったのである。此の激務に堪える事の出来る女は白痴か、さもなくば異常に体力の大きいものでなくてはならなかったので、院長は妹の白痴であることを少しも気に掛けぬ所か、むしろ其れを幸いにしているらしかった。私は妹の給料に就いて、何の要求もしなかったが、それにも拘らず、院長は六ヶ月分の給料を前払いにしてやっても好いと申し出して呉れた。私は七円の六倍即ち四十二円を痩せこけた院長の手から受け取ると、妹の為めに幾枚かの着替を買いととのえ、新しい行李をも担ぎ込んでやった。
「では、働いてお呉れ。」私は涙をこぼして低能な妹を見やった。妹はもう子供のように泣いた。
 本統に斯んな哀れな娘は生きていない方がよい。何うかして早く死んで了う方法はないであろうか、と私は可愛さ余って呟いた。妹は続けざまに泣いた。私が病院の裏口を出ると、追いかけてかじりついた。私は妹を抱き上げて門の中へ入れねばならなかった。けれど私が逃げ出すや否や、異常に太っている妹の腕はもう私の首へからんでいた。私はぞっとなった。その腕をもぎ離すと、今度は地面へ坐って、私の足へからみついた。私が構わずに歩き出すと、彼の女は平気で引き擦られて来た。私は又妹を抱いて病院の門内へ入れた。
「許して呉れ。」と私は泣いた。
「アア兄さん。」と妹は口を開いたまま涙を落した。
 私は妹の執愛の深さを無気味に思って、「死んで呉れると好い。」と呟き乍ら大急ぎで妹から別れ去った。
 四十二円の金は二十一円丈私の手に残っていたが、私はそれを少しずつ喰い減らして行った。最後の一円丈が軽い財布の底に見出された時、私は思い切って一つの商売を初めねばならなくなった。その商売は犬殺しよりも少し勝っているように考えられはしたものの、決して正当なものと云う丈の価値はなかった。
「大きい悪事よりも、小さい悪事を……」と私は云いつつ、知り合いの卵屋へ走り込んだ。私は其処で非常にまけて貰って五十銭丈青島卵を買い入れた。古くなっている為めに表面が象牙のように光沢を持って了った三十五の鶏卵を、私は悪い巧みで体中を顫わせつつ見入った。何故私はそんなにイジけた質なのだろう。
「この光沢がいけないんだ……」
 残りの三十銭は一体何の為めに費されたであろう。私は薬種屋へ行って三種の薬品を買い入れた。それらを上手に調合し、薄い溶液にしたものへ、光沢のある鶏卵を浸すと、一時間程でツヤ消しが完了した。
「ハハハハ之で宜敷い。」と私は大哲カントのように独語した。おお何と云う好い器量の卵達であろう。ラフなブロマイト印画紙のような肌は、もう近在から出る地卵とそっくりであった。
 軈て私は若い農夫のような出で立ちをした。そして父の土地から遠くさすらって、他の都市へと行った。
 郊外には主人が留守で、美しく若い夫人丈が淋しく子供に添乳なぞをしている家が多い。私はそんな家の扉口へ立つと、大きな笊の上を蔽った手拭いを取り去り、丸顔の少女のような鶏卵を主婦達に見せびらかした。
「おかみさん! 地卵を買ってくんなんねえか。新らしいだよ。皆生れた日が鉛筆で印してあるだが、」と私は実直に云った。
「いやだ。いらないよ。」と若い女は答えるのが普通であった。
「でも此の上皮の工合を見て呉んろ。新らしいだよ。俺の爺さんが道楽に鶏を飼ってるんだからな。餌代丈になりゃ好いだよ。安くしとくだ。店で買えば七銭から八銭迄するだ。俺あ五銭で置いてくだ。」
 夫人は何気なく起き上った。そして卵の肌へ手を触れて見た。彼の女は自分の可愛い子がもう卵を食べてもよい程に育ったのをつくづくと感ずるらしく、思いやりの深い眼で眠っている幼子の方を見やったりした。
 斯うして卵は直きにかたがついて了うのであった。私は時々自分の身をツメって叫んだ。
「ああ罪だ。罪だ。あの卵の中、三分の一はもう腐敗してるだろうに……」
 けれど私は何うしてもやめられなかった。それで、一日五十個以上は売らないと云う戒律を立てて、此の商売を続けて行くのであった。そして悲しい事に、こんな新らしい悪事が何でもない習慣に変じて行った。

    初めが終り

 ああ此の商売を何処迄も続けて行けたなら、私は何んなに都合よく暮せたろう。けれど例の通り遂に一つの支障が起った。私は一人の美しい娘に見惚れて了った。それ丈の事である。だが何と云う美しい娘であったろう。それを何う説明してよいかが分らないので私は苦しい。あの洗われたような娘はいつも苦しそうに肩で息をする癖があるが、決して妊娠をしているのではなかった。いや彼の女程に純真な処女が又とあって好いものだろうか。序でに云いたす事だが、私自身が大変に毛の薄い男であった為か、私は毛の多い女を此の上もなく好んだ。そして丁度その娘と来ては髪の毛が沢山で長かった。その癖、うす鬚なぞは一寸も生えていなかった。□実を云うと鬚が生えて居ても毛の多い女の方が私は好きであった。□つまらなくとも聞いて下さい。
 私は此の娘を毎日見ていないと悩ましい気持になった。私は娘の居る都市から他の都市へと移る勇気がなくなって了った。私は到頭一つの場所へ居据るようにさせられた。
 何うしたらあの娘と関係をつけることが出来るだろう。それを思い廻らしては一日が早くのろく過ぎた。郊外の大部分を私はそんな風にして卵を売り歩いて了った。あんな卵を二度繰返して買って呉れる主婦は決してないであろう。
 私は考え労れてはあの娘を見に行った。私はその時出来る丈上品な身なりをして、汚い卵屋とは似ても似つかぬしとやかな大学生風な青年になりすました。そんな事は私の得手なのである。
 娘は私が毎日彼の女の家の廻りをまわるので、もう好く私を記憶し、注意していた。彼の女は私を悪い人間だとは疑っていないらしかった。何故ならば、彼の女は私の事を母親へ告げないでいるのが明らかだった。□娘と云うものは自分の好かない気味悪い男の事は直ぐ母親に告げて助けを乞うのが常である。□娘は段々と私がしたい寄って行くのを待っているようになった。私が出掛けて行く時間を遅らすと、彼の女は心配して外の生け垣へもたれて立っていたりした。けれど私が近づくと彼の女は未だ恐れているように庭の中へ逃げ込んで、樹の葉の間から私を窺った。娘の息がはずんでいる事は、彼の女の眼が落ち着いていない事で直ぐ推察されるのであった。
「おおあの娘は私を思っていて呉れるのだ。何て世間は上手に出来ているのだろう。私達はもう思い合っているのだ。眼丈が体の他の部分より一足先に交際を初めたのだ。」
 斯う云う野合の楽しみときては人生の中で最も大きいものに相違ない。自分の友人の妹とか、主人の娘とか、召使いとか云ったふうな女たちとの恋は未だ中々本統の恋と名附ける事は出来ない。そんなのはむしろいたずらな機会が生んだ無意識的な退屈しのぎに過ぎまい。
 娘の方でも私に焦れている。二人が我慢して、眼を見交している。之は実に胸がつまる程嬉しい事件ではないか。何うしたらあの娘と関係出来るか? その謀みで私は夢中になり初めていた。大胆にやり過ぎれば娘を脅やかして了う。小胆にしていれば、何時迄もあの娘を手に入れる道がない。だのに娘はもう待ちぬいている。手に入れて呉れと嘆願している。そして運命もそれを要求している。神も微笑み乍ら見て見ぬふりをしている。私は何うしても思い切ってやり遂げねばならないのだ。そう思うのは何と嬉しい事ではないか。やり遂げれば成功するにきまっているのだ。
「畜生め!」と私はこみ上げるむず痒さを押しこらえた。もう嬉しくってたまらなかった。それが悪いと誰が云おう。
「よし今日こそは思い切ってやり遂げよう。」私は誰もがするように、手紙をかいた。それを一寸甞めて、大きな秘密のように業々しく胸へ抱き込むと、私は又娘の家へ近寄った。門口に立っていた娘はオドオドと慌てて、おくれ毛をかき上げたり、帯の形をなおすように、うしろへ手をまわしたりした。ああ若しも私を嫌っているなら何うしてあんな風にする事が出来よう。娘は私を偸み見ては、少しばかり恐ろしそうに天をふり仰いだり、地面の草を摘む真似をしたりした。然も草の方へは気が行って居ないので、その茎を指でおさえても、摘み上げる術さえ知らなかった。もう娘は慌て返っていた。草を手ばなすと、今度は庭の樹の幹へ顔を押しつけて、じっと私を見た。私は此処で微笑んで見せようかと思ったが、用心深くそれを控える必要を感ずると、態々悲しそうにうなだれて、生け垣の前を通り過ぎた。それから又、もう本統に恋の悩みで面やつれているように弱々しく歩み返し、吐息をついて、生垣の前へ戻ると、そこに転がっていた五寸位直径のある石の下へ手紙をはさんで、一寸娘へ哀願するような一瞥を投げ、思い切ったように立ち上って、早足に其処を遠ざかった。私はそっと振り向いて見た。娘はじっと私を見送って、小さい門の所に立って居た。けれども未だ手紙を石の下から出す勇気は起っていぬらしかった。何でも彼の女は胸を高く波打たせて思案しているらしかった。
「そうだ。私の姿が見える間、娘は決して手紙を取り上げはしまい。明日が楽しみだ。明日だ。明日行って見ると、もう石の下には何もない。唯娘の眼がユッタリと頷ずいているのだ。おお之はもうたまらぬ事だ。」
 私はクスクスと笑ったり、又深い理由のない憂いに沈んだりして一夜を明かした。それから何時もの時刻に娘の家へ近附いた。娘はいくら見ても居なかった。悲しい落胆の予感が私の心臓を痛くしめくくった。何うしたのだろう。私は夢中になって生け垣の中をのぞいた。それから石を上げて見た。「アッ!」と私は早くも本式に落胆した。石の下には未だその儘で手紙が残っていた。悲哀と私一流の怨恨とが一時に私の意識を占領した。
 私は手紙をやぶり捨てるために、それを指の先でつまみ上げた。ああその時、実にその時である。
 私は烈しい心の動乱を覚えて、手紙を固く胸の上へ抱きしめた。鼓動は騒いだ。吐息が洩れた。ああ実に之は何たる不可思議であろう。私は手紙の表面へ「悲しいお嬢さん」と書いたのを記憶している。だのに、今私が抱いている手紙の表面にはそれらの字が消えて真白になっているのだ。インキ消しの薬が何時作用したと人は思うか。
「何て、うまい事だ。」と私は擽たそうに微笑した。その手紙は確かに娘からの返事であった。何と書いてあったか? 私はもう忘れて了った。けれど何でも、もう嬉しくて寒気がするような、有難い言葉が三つも四つも続け様に繋がっていたに相違ない、私は見えない娘へ何回もお礼を云って、生け垣を去った。半町も歩いて振り返って見ると、今迄姿を表さなかった娘が門の前へ淋しい水の精かなぞのように立っているのが分った。私は夢中になって、そのやさしい姿の方へ舞い戻ろうとした。娘は近寄る私を恐怖するように家の中へ逃げ込んだ。
「この位で丁度よいのだ。之が一番楽しい所なのだ。」と私は微笑んで呟くと、思い返して、その頃、宿にしていたある西洋人の家のキッチェンの屋根裏へと戻って行った。今日の楽しみが斯うして終りかけると、私はもう明日の楽しみを夢みる事に精を出し初めた。その時である。私が私服巡査につかまって了ったのは……
 けれど、くりかえして云う。私は斯うしてつかまって了ったのである。何んな手掛りで捕えられたかは私自身にも分らなかったが……
 新聞は私を嘲罵した。それで妹が世話になっている病院の院長に迄も私の暗い行為が知れ渡ったのである。其れが又私の仕合せの端緒となったのは何よりも不思議ではないか。刑を済ました私は院長に引取られた。とは云え何も病院内の職務に服さねばならぬ義務を課せられた訳ではなかった。遊んでいる苦しさから逃れるために、私はギブス繃帯掛りの役を与えて貰うように懇請した。それから平和な月日が無為と無事とをもたらしたのである。
 あの娘は何うなったかと誰か尋ねて呉れないだろうか。ああ時間程いけないものが又とあろうか。私は口惜しさと悲しさに身を刺された。私が刑を済まして後、あの生け垣を再び訪れた時、娘はもう生きていては呉れなかったのである。聴けば肺病が重くなって急に死へ急いだと云う事であった。そう云えば、私が通いつめた頃も、透きとおるように白い肌がいくらか不健全に見えていたのであった。
 あの娘を殺したのは此の私ではなかろうか。又しても暗怪な疑念が私の心に蔽いかぶさった。肺病には興奮や心配や落胆や悲哀が一番悪く影響するのを私は知っていた。私は彼の女を徒らに興奮させた。手紙を呉れた日から不意にたずねて行かなくなった為め、娘は何んなに気をもんだであろう。泣く為めに熱が出る。熱のために咳が出る。咳くたびに命が縮んで行ったのだ。私は何と云う悪いいたずらをして了った事であろう。あんな楽しみさえ殺人の一種であったのか? そして、それは何と云う殺人であったろう。□おお余りな事だ□
 私は愛らしい娘を殺した。愛らしいので殺して了った。此の考えが私の恋愛をさらに燃え上らせた。私は苦しく笑った「愛が死と結びついた所に、何だか至上の強さがあるようではないか。それは強い。そして緊密である。」

    紫の室

 何故院長は罪深い私を養って呉れるのであろう。思って見るに、それは彼が犯罪心理学や法医学の研究家であったからであろう。彼は私を利用して博士論文でも書こうと云うのではないだろうか。事実、彼はたえず私の挙動を監視し、又私を心理検査にかけ、あるいは感想を尋ねた。第三の場合に於いては、利巧な私は自分の罪悪を犯す心理状態や、制しきれない獣的な悪意、本能としての残忍性の発作なぞを説明してやった。
 院長は感極まってそれを聞いていた。彼の顔は段々低くなって、しまいには机へ顎がついて了う程になった。彼は私を実際よりも以上な大悪人と推断して了った。私を尊敬した。彼はまるで遠ざかるような態度で益す私に近づいた。彼の眼は何時も「お前は偉い男だ。」と云うような讃嘆の色で光っていた。ある時はまるで私を崇拝さえしていたようであった。勿論皆馬鹿な事である。
「お前はどうしてそんな綺麗な顔をしているんだ。悪い奴と云うものは大概頭蓋が曲っていたり、顔が横の方へひねくれて、歯が大きくて長く、眼球が上釣って、ドロンと濁っていながら、然も何となくギロギロしているものなんだがなあ……」と彼は或る夕方嘆息して云った。
「先生は色魔に就いて何うお考えですか?」と私は初めた。「気性の悪い奴だのに、何処へ行っても女に好かれて了うような男がありますが、それは何故でしょう。」
「女にはそれ自身で悪を好む性向があるからだろう。」
「それに違いありませんが……然しその思想に依りますと女があまり可哀想ですね。何にせよ、悪が美と結合している事は一つの微妙な不可思議です。そして悪心と美貌とを持ったものの仕合せったら……それは比べるものがありませんね。女達は丁度それを愛慕します。女を得るには釣り道具も何も要らないんですからなあ。」
「成程……」と院長は気味悪相に顎を机に押しつけて了った。
「私の考えに依るとですね。強大な悪はそれ自身で病的なものです。しかし、或る程度の悪になりますと、それは生存上必須の要件なのですね。それで自然は斯う云う健康な正規的な悪を成可く絶滅させないために、随分と骨折っていると云う事が分ります。優秀な理性が一番遺伝しにくいものだと云う事実を先生は何う思いますか。」
 私達は斯んな風に話したものである。私は先生の好い伴侶であり、思想上の相談役であった。院長は私に感化されないようにと思って、随分努力もし、体や頭を洗ったりしていた。けれども私の説明をその儘論文の中へ書き込むのは偽りのない所であった。
 私はそれでも好い周囲を恵まれてから、段々と怨恨や不満を抑制するように努力し初めて居た。悪い心が起ると、静かに書見などをして気を散らす方法を覚えるに至った。私は自然、自分の幸福を感ずるようになり、古い悪事を想起する事で心を痛めるようにもなった。自分が精神上の片輪であると云う意識が眼覚めてからは、何うかしてその片輪を治そうとする欲求で心を一杯にしていた。だが一体何がその結果であったろう。
 此処に又いけない支障が起って来た。私はあるアバずれな婦人患者に思いを掛けられ初めた。女の愛欲が私の心に響くと、その反応が浅間しく私を焼いた。私は恋を感じ初めた。それに伴随して残忍な気持がたえず行き来するのは一体何う云う訳であったろう。私はその年上の女が憎いように思われ、それをいじめてやろうとする欲望で一杯になって居た。私は興奮すると直ぐ残忍になった。その年上の女ばかりではない、院長の令嬢も私を大分好いているのが私の心へ響いていた。彼の女が色眼を呉れる事、肱を触れる事等が私に可笑しく思われた。けれど彼の女は未だ耐える力を失ってはいなかったらしく、又私が罪人である事や、妹が白痴であることから、私を恐れ嫌っている風でもあった。
「低能は筋を引くものだ。」彼の女が斯んな風に考えているのは私にも充分分っている。彼の女は風のない静かな夕暮なぞには妄想の深みへ入って、自分の胎内に低能な児が哺くまれている有様なぞを見て驚いたりするらしかった。彼の女は或る時私と一緒に病院の標本室へ入って見た事がある。アルコール潰になった長い男性の脛などが白くフヤけて、罎の底へ足の毛が抜けてたまっているのが私を大変不愉快にした。それから或る無頭児の罎詰の前迄行くと、令嬢の顔が不意に歪むのを私は早くも発見した。
「畜生! この女は低能児をはらむ恐ろしさを又しても妄想して悩んでいる。」と私は腹の中で叱言を洩らさなければならなかった。
 二人の女性が私を注視しているために、私は何時も気が落ち着かなくなり、勢い挙動も荒くなり勝ちだった。勿論注意深い院長は私が心を労らせている原因を見て取らずには置かなかった。
「私は外囲が心へ及ぼす効果と云うものに就いて、大きな興味を持っているのだ。何うだね。お前はあの紫の室で少し暮して見ないか。きっとお前の心がよくなるから。」善良な院長は浮かぬ顔をして斯んな風にすすめた。紫の室と云うのはヒステリー患者を治すために院長が業々(わざわざ)造ったものであって、その中央に小さな噴水の出来ている静かな落ち着のある室であった。四方の壁も寝台の足もその他の装飾も全部紫色を以て塗られてあった。
 私は元来紫色が大変にきらいであったから、此のすすめを何うかして逃れようと思案した。
「先生は紫色が人間の悪心を矯正するとお考えなのですか?」
「さあ……少くとも橙色よりわね……」
「子供の中に黒い部屋で育ちますと、その黒がしん迄沁み込みます。けれど大人になって紫の部屋に入っても、黒の上へ紫はそまらないでしょう。」と私は沈んで答えた。
「しかし、まあ、入って見なさい。何か効果があるかも知れないから……」
 以上の会話はまるで虚言のように態とらしく見えるかも知れない。けれど全部事実であり、院長の呑気に近い優雅を證拠立てる好い材料の一つであろう。人々は如何に思うか。世間の学者達は熱心に悪人を矯正しようとして考え、骨を折っている。然も紫色の室以上のものを設計し得ないのは大きな悲しみではなかろうか。
 私は何時も思っている。「幼いものをつまずかすのは、老人の足を切り取るよりも、もっと悪い事だ。」と。紫色の室が役に立つのは、其処へ入るものの頭蓋骨が未だ小さく柔軟な場合である。
 私は紫色の室内に眠って深い悲しみに閉された。私はもう駄目である。此の静寂が身に沁みて痛い。私はしまいに耐え切れなくなって、理由もなく増大する涙の粒を落した。

    夜の戯れ

 多くの病気に向って、紫色が好い影響を働く事を、英国のスノーデン博士が考えていた。そして主唱者の墜りやすい通弊として、彼もその影響の効果を過大視していたようである。我が院長に至ってはまるで誇大が狂的に迄進んで、私を嫌いな色でせめさいなんだ。彼は私の悪心を紫色で包み隠そうとしたのである。けれど彼は本統にそんな馬鹿気た望みを三分でも持ち続け得たであろうか? 私には何うしても院長の心持を洞察する事が不可能であった。
 私は不眠癖に苦しめられ乍ら、毎夜を紫色の室で大人しくしていた。同じ色の絹で蔽われた燈光が、同じ光に見える音のない小噴水の水しぶきを柔らかく照した。何一つ落ちていない床の上の広い淋しさが真夜中になると一層広がった。私は何うかして眠ろうと願って、あの観無量寿経の中にある一つの静視法、即ち落ちる日輪から水晶の幻影を生み出す事を考え耽るのであった。だが、話したいのは更に別の事である。
 その時であった。実に、物静かな空気が鼓膜に感じない前に、皮膚へ感じる程度の振動を起したので、私は忽ち我に帰って耳を立てた。
 足音である。人の来るけはいである。室外の廊下に思い余って、誰かが立ちすくむ様子らしい。だが、事件はもっと別の事である。
 誰であろう。女であろうか? 女ならば誰であろうか? 之が私の無言の質問であった。
「あれかも知れない……」と私が推定した当の人物は矢張り女性であった。彼の女は何時も私の眼に何物かを読もうとして焦躁しているのが分っていた。私が一寸戯れにやさしい顔をすると、向うは却って真面目に怯えたりした事もあるその女と云うのは独身の看護婦長であり、女の癖に極く慎ましい方であった。従って幾らか物識りのように見えた。彼の女は何うかして私の口に「恋愛」と云う言葉を上させようとして骨を折り、色々の導火線へ火をつけて見ていたのである。彼の女は胸の中で「私達はもう恋を仄かに感じ合っているのだ。唯お互いに内気だから打ち明けずにいるのだわ。」と云う一人定めの思想を抱いているのが確かであった。女は早く私から「甘い苦しみ」と云う奴を打ち明けて貰おうとして、もう夢中になっていた。始終自分の服装を替えたり、歩きつきを誇張したり、つまらぬ事に驚きの声を発して見たり、フンフンと鼻を鳴らしたり、一人で海岸へ行くと云ったり、森へ行くと云って出掛けなかったり、態々犬を私のそばへ連れて来たり、鸚鵡にものを云わせて見たり、風呂に入って香水をつけて来たり、腕をまくってムク毛を口先で吹いたり、子供の時に出来たと云う小さく愛らしい腫物の痕を見せたり、生ぶ毛の話をしたり、或はもっと精神的な方へ材料を代えて、ラファエルの運命の三女神中何れが魅惑的かと尋ね、ゲーテの艶福を評したり、態と椅子をガタガタさせ乍らベトーヴェンが悲劇的な男である理由を聞いたり、□その癖答えなぞは聞いてはいない。□その他あらゆる誘惑の機会を造り出そうとしていたのであった。そうだ。下らない事の極みである。
「そうだ。あの女に相違ない…‥」此の考えは私に取って甚だしく不愉快ではなかった。唯もう少しあの女が美しければ好いのだが、と云う嘆きがなかったならば……
 扉の外では頻りに空気が動き、又留った。若しあの女ならば出来る丈からかってやろうと云う悪心から、私は寝たふりをして声なぞは決してかけてやらなかった。けれど年がさの女は大胆である。苦しい胸を打ち明けるために、此の離れて静かな室が最適なのを知るのであろう。
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