東京人の堕落時代
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著者名:夢野久作 URL:../../index_pages/person969

交番の所在はもとより、抜け路地や飲食店の案内、眼じるしになる家とか木や石の形まで、必要に応じて記憶して、抜け目なく利用し得るようになる。
 警官達を親友みたようにしているのも居る。手先になっているのも居るらしい。

     世間が馬鹿に見える

 不良学の中で最も六ヶ(むずか)しく、面白いのは、他人の心理を見抜く術と、その隙(すき)に乗ずる呼吸である。これは普通の世渡りにも必要なものであるが、不良の方の術と呼吸は世間並の裏を行くのだから六ヶ(むずか)しい。
 人間の心理を、大人と子供、男と女、又は職や生活に依って区別して、あらかたこんなものと飲み込んでいるばかりでない。その場の調子に依って自分の心理状態までも一瞬間にかえてしまって、相手の気持ちに吸付いたり、又は薄トボケて捕まり損ったりする術と呼吸の必要は、不良生活の到る処に出て来る。理想的に云えば実世間の名優でなければならぬ。
 この辺まで研究が積むと、人間が皆馬鹿に見えて、面白くてたまらない。講談本や探偵小説にある巨盗怪賊の忍術は、こんな事を云ったものかと思われると吹き立てる不良さえある。無論当てにはならないが……。
 現代の教育には、この人間学の一科目が欠けているため、学生は皆、学校を出てからポツポツ研究に取りかからねばならぬ。それは不良は早くから裏面的に研究して、ドシドシ実際に応用している。世間見ずの令息令嬢が引っかかるのも無理はない。
 ところで、そんな人間学の先輩――不良学のお手本が日本一に集中しているのは東京である。

     場所に依って違う不良の種類(たち)

 東京の不良は場所に依ってタチが違うようである。土質に依って植える草が違うのと同じわけであろう。
 浅草は主として脅迫や誘拐で、千住方面は相も変らず遊廓や魔窟相手のゴロが多い。神田、本郷、早稲田方面は書物泥棒や下宿屋荒し、麹町、青山、牛込、渋谷あたりへかけては誘拐や色魔式が横行する。又、下町一帯は万引やカフェーゴロの仕事場で、山の手は色魔や詐欺の本場と云ってよかろう。東京市外となるとそんなのがゴッチャで、しかも盛(さかん)に行われる。飲み逃げや喰い逃げは無論全部共通である。
 気の利いた不良になると、遠く東京郊外の温泉地、遊覧地、海水浴場までも活躍する。但、こんなのには色魔式が多いので、東京市内及付近では、小石川の植物園が何といってもこの式の大中心地である。しかも最高級から最低級まで横行するので、バラックの裏手の午前零時頃は、用事が無ければ通る気になれない位であった。
 その次は井(い)の頭(かしら)で、これはどちらかと云えば高級なのが多いらしい。但、夜は高級か低級か保証の限りでない。根津権現はその又次という順序である。その他大小の公園、神社、仏閣、活動館、芝居小屋、カフェー、飲食店なぞが、色魔式の活躍場所である事は云う迄もない。
 このような不良の活躍ぶりを見ると、社会の欠陥がよくわかる。三千何百の不良を養う東京の社会的欠陥はどれだけに大きいのであろう。

     浅草の商売の弱点

 浅草はいろんな興行物や飲食店、又は半詐欺的の店なぞいう景気商売が多い。
 だからその商売の弱みが多く、不良につけ込まれるところがザラにある。しかし又、それだけ不良に慣れ切っているから、滅多な不良は寄せ付けぬと同時に、不良除(よ)けの不良を飼っておくような処もある。
 こんな複雑な関係で、浅草界隈に居る不良には、ほかの処と違った共通のスゴ味があるようである。どちらかと云えば、ゴロ式が多くて、色魔式は割合に少いように見えた。尚、昔は随分非文化式が多かったが、今はゴロ式にも色魔式にも文化式が多いようである。
 この辺の不良には共同の宿を持っているのがある。活動館の裏手の煮売屋とか経師屋の二階、又は土一升に金一升の処に居ながら何商売も持たぬように見えるシモタ家の裏二階なぞに、帽子や着物を掛並べて、昼間でも一人二人は熟睡しているといった塩梅(あんばい)である。踏込んで押入れを開くと、汚い夜具の間に女の着物や持ち物がギッシリなぞいうのがある。
 木賃宿に泊っているのは、どちらかと云えば浮浪に近い方で、あまり上等でないのが多い。将来の立ちん坊の卵もその中に居ると思われる。
 それから、この頃の浅草で単独の仕事をするのは、余程腕の冴えた縄張荒しか、又は顔の通った首領株だそうな。単独のように見えて、実は見え隠れに相棒を連れているのもあるという。
 彼等の仕事振りの中で、読者の警戒に価する例を二つ三つ挙げる。

     案内女を情婦にして無切符をパクル

 浅草の不良少年の中の或るものは、活動の案内女を情婦に持っている。その情婦が入口を預かっている時にスルリと這入って、場内の無切符をめっける。もちろん無切符は表方の方でも見張っているから、それ以上に眼を利かせなければいけないが、素振(そぶり)や何かでそれと察すると、ハネるのを待って物蔭へ連れ込んで脅迫する。
「僕はアノ館(コヤ)の見張りだが、君は無切符で見ていたろう。君は知るまいが、浅草の活動小屋でそんな事をすると命がけだよ。見つかり次第、楽屋へ連れて行かれてノメされるのだよ(ノメスとは半殺しにする事で、この習慣は今でも盛に行われる。平生ヘイヘイやっている館の男の鬱憤晴らしなので、館側では勿論、警察も知らぬ顔をしている)。君は初めてだから、僕が話をつけて連れ出したんだが、無代ではほかの奴が承知しまい。僕も話をつけると云った以上、いくらか飲ませなくちゃならないのだが、一体いくら持ってるね」
 なぞと捲き上げてしまう。手強いのは懐手をした相棒が居て横からジロジロ睨んでいるから、無切符位の奴なら大抵落城する。しかも、無切符だけならいいが、立派に金を払って見ている人間の中で気の弱そうなのを見つけると、この手と同様の云いがかりを作ってパクルと云うから恐ろしい。気の弱いものは浅草の活動を見に行けなくなる。
 又、ある一人はカフェーに這入って網を張る。お坊ちゃん式の学生が這入って来ると、待ち構えて話しかける。相手が煙草でも吸っていれば一層妙である。

     君はまだ禁止物を見ないでしょう

「君、活動を見に来たんでしょう。浅草でも普通の活動は駄目ですよ。秘密に営業している禁止物を見たまえ。それあ面白いですよ。僕はそこの技師を知っていますから、映写室から見せてあげましょう」
 なぞと連れ出す。
 それから、道筋を記憶出来ないように大急ぎでグルグルと引っ張りまわして、裏口からヒョイと自分の根城に連れ込む。
 そこで脅迫して、金や時計をふんだくっただけで帰せば、大抵の坊ちゃんは秘密を守るそうであるが、タチの悪いのに引っかかると、自宅に電話をかけて金を持って来させる。
 それも、バットの空箱に入れてどこの石の上に捨てろの、どこのカフェーの鏡の前のテーブルで渡せなぞいうのは、古い上に危険が多い。最新式のは、囮(おとり)の少年に手紙を書かせて、自身にその家を夜中にたたき起す。
「この手紙を受け取ってから十分以内にお金を渡して下さい。そうしないと、僕は打たれた上に監獄部屋(北海道の)に売られます云々」
 というような手紙を渡して、時計をジッと見つめている。
 家庭でもあとはあとの事として、金を遣らないわけに行かぬ。
 そもそもの原因は、その被害少年の心得違いである事無論であるが、活動を見に遣る家庭でもよほど注意せねばならぬ。

     連れにはぐれた少女

 連れにはぐれた少女もよくこの手でやられる。
「僕は少年団の者ですが、あなたのお連れがあそこで待っておいでです」
 なぞと云いながら、つまらない徽章を出して見せる。
「まあ、有難う御座います」
 と感謝して随(つ)いて来る少女を、うまく不良事務所へ連れ込むのであるが、少女の場合は少年のと違って、第一に着物に眼をつける。その次が手紙である。
「こちらが今から二時間以内に電話をかけなければ妾は汚されます。
 午後何時    何子より」
 以前では、そんな手紙を書かせて金を受け取りながらも、その少女を傷物にして返したものだそうだが、今はそうでもないという。不良の仕事が文化的になった事はこのようなところからも覗(うかが)われる。
 同時に彼等のプライドも高くなったし、要求の金高も多額になった。やり口もこれに随(したが)って冴えて来たという。
 こんな風に発達しておったら、米国式の黒手(ブラックハンド)が出来るのも遠くあるまい。
「他人の親切を無暗(むやみ)に受けるな。連れにはぐれたら、すぐに自宅へ帰れ」
 という注意を、これからの活動を見に行く少女にくれぐれ云いきかせてもらいたいと或る刑事は云った。
 最後に、彼等の中で下等なのになると、公園内の悪少年(チンピラ)を使って物を掻っ払わせて、喰物やお金と取換えてやるのがある。
 ところで面白いのはこの浅草のチンピラである。

     浅草公園内のチンピラ

 浅草公園内のチンピラは一種独特のものである。ユーゴーの小説に、「町の子」と名づけられた宿なし少年が出て来るが、あんなたちのもので、九段下の公園、芝の増上寺、それから昔の新橋(今の汐留)駅前の塵埃溜場(ごみためば)なぞによく居た。
 まだほかにも居たであろうが記憶しない。その中でも浅草のが一番眼に立つし、多くもあるので、よく人が気が付いている。要するに大東京の産物――否、大都会特有のもので、自身、不良だか何だか……人間の子だという事すら知っているかどうかわからぬ、一種の不良少年である。
 浅草にはよく大人の浮浪人で、一名立ちん坊というのがウロウロしているが、そんなのの子かも知れぬ。又は乞食に拾われた捨子の成り上り、置いてけぼりを喰った私生児、迷児の拾い落しなぞもあろう。
 この浅草公園内のチンピラが、いつも四五十人位の範囲で殖えもしなければ、又減りもしない事が、又一つの不思議である。ずっと以前からそれ位居たのであるが、震災当時行って見ると、三四人残って池の中に石を投げ込んでいた。それが今度行って象潟(きさかた)署で聴いて見ると、矢張り四五十人居るという。
 不思議といえば不思議であるが、よく調べて見ると成程と思わせられる。

     チンピラの生活

 このようなチンピラは、親兄弟、身よりたよりは勿論、家も無ければ、名前も持たぬ。友達同志でつけ合った綽名(あだな)をそのまま自分の名前にしている。着物は大抵夏冬通しの一枚で、裾(すそ)は膝限りの両袖無しなぞが居る。頭を苅っているのは不良少年の世話だという人もいるが判然しない。片チンバのゴム靴を穿いたり、学校帽の古いのを冠っているのもある。
 彼等は方々の料理屋のゴミ溜めを漁ったり、掻(か)っ浚(さら)ったりして喰っている。浅草公園界隈には、丁度彼等四五十人を養うだけの残物が年中ある訳で、彼等の人数が殖えも減りもしないのは、そんな原因からに相違ないと見られている。
 寝る処は軒の下や木の蔭、石段の上なぞで、大抵仲間と背中をくっ付け合っている。冬なぞは寒さにふるえて泣いているのがあるという。
 天気のいい日で、お腹の空かない奴は、弁天山付近に集まって石蹴りなぞをして遊んでいる。そんなのをジッと見ていると、たまらなく可愛相になる。
 彼等の嗜好は云う迄もなく菓子で、朝飯だの晩めしだのというものはまるで知らないのが多い。鳥獣と同様である。
 彼等の遊んでいるのを見ると、いろんな面白い事が発見されると、古くから公園に居る巡査さんは云う。
 彼等の中で背丈けの高いもの、力の強いもの、掻っ浚いの上手なもの、物真似、悪口、流行歌の上手なものは幅が利く。巡査と口を利いたもの、雷門の大提灯の骨の数(以下数字分脱落)、震災前の十二階を見たことがあるものも尊敬される。頭のうしろに大きな禿(はげ)のある一人は、オジイと呼ばれて矢張り畏敬されているという。
 彼等はおしまいにどうなるのでしょうと、その巡査に尋ねたら、
「さあ、よくわかりません。誘拐されて……と云っても、別に誘拐という程の意味もありませんが、つまり拾われて、労働者や乞食の手伝いになるか、顔立ちのいい物は見世物師に連れて行かれるなぞは出世の方でしょう。それもタマにあるので、大抵は立ちん坊か乞食にでもなるのでしょう。病気で死ぬのは滅多にありませんが……」
 と淋しく笑った。

     人間苦を知らぬ哀れ

 浅草公園内のチンピラは、よく不良少年の手先になって手紙なぞのお使いに遣られる。
 しかし彼等は頭が単純だから、複雑な用事は出来ない。お使いの出来る範囲も大抵は浅草界隈に限られているので、遠方でもお使賃(つかいちん)欲しさに頼まれはするが、当てにならぬという。又、彼等は割りに正直で、何でも包み隠しをしないのが多いので、返事の要る手紙なぞを持たせると危険だそうである。
 彼等は又、醜業婦とその情夫の間の文使(ふみづかい)もやる。こっちは不良少年のようにスッポカシを喰わするような事はなく、きっといいお使賃を呉れるので、彼等はどこの伯母さん、ここの伯父さんと尊敬している。
 彼等の言葉は立ちん坊と同様に、最下等の江戸弁を今一つ下等にして、おまけに恐ろしく略した早口で云う。生え抜きの江戸ッ子でもわからない位であるが、醜業婦や女給はそれらをよく聞きわけて、彼等にわかるように云い聞かせるから、割りに面倒な用事が頼めるという。その代りその女たちの雇い主に発見されると、思い切り非道(ひど)い眼に合わされる。
 その又(また)返報には、綽名を付けたり、汚物を入口にぬすくったり、小便を引っかけたりするという。勿論、いいも悪いもわからない。
 彼等はこうして浅草公園内を全世界として、何の苦もなく、喰い且つ遊んでいる。そうして物心が付いて人間世界のわびしさを知る頃になると、何処へともなく消えて行く。
 彼等の生涯は影のように無意味である。彼等の魂は天使のように悪を知らぬ。
 あらゆる人間苦を集めた大都会の寂しい反映でなくて何であろう。
 享楽の浅草の中心に沁み出た、はかない哀愁の影でなくて何であろう。

     鳥打と中折れ

 昨年の十月の或る日の正午――。
 雨上りの青空が浅草観音堂の上一面にピカピカと光っていた。
 瓜生岩子(うりゅういわこ)の銅像の横のベンチに、青い派手な鳥打帽と、黒のジミな中折れ帽が腰をかけていた。黒の中折れは何か気味悪そうに青い鳥打の話をきいていた。二人共まだ若かった。
 記者はその横に腰をかけて、懐中からノートを出して何やら書いていた。
 青い鳥打帽が二三度話をやめて記者をジッと見ていたが、突然声をかけた。
「オイ、オトッツァン。済まないが退(ど)いてくんないか。こちらの話の邪魔になるから」
 記者はドキンとして顔をツルリと撫でた……風邪が抜けないので鬚蓬々(ひげぼうぼう)としていた。次に帽子を冠り直した……古ぼけた茶の中折れであった。おとっつぁんと呼ばれても文句は云えなかった。
 記者は眼をパチパチした。
 何だか可笑(おか)しくなりながら、相手の鳥打帽の下にキラキラ光る二つの眼を見た。虚勢を張っていたせいか、その光りがだんだん怖くなった。記者は静かに帽子を脱いで、わざと福岡弁で云った。
「共同椅子だすけん……よござっしょうもん」
 鳥打は意味がわかったらしく、青い顔をサッと青くしたようであった。黒い中折れをふり返って云った。
「君はいいから行き給え」
 黒い中折れはペコペコお辞儀をして去った。あとを見送った青い鳥打は記者の方を向いた。
「おめえ、東京初めてか」
「……ヘエ……」
「こっちへ来い」
 記者は随(つ)いて行った。
 鳥打帽は馬道へ出た。交番の前で又記者をふり返ってギョロリと見た……それからがよくわからないが、焼け木の積んである横路地を二つ三つ抜けて、夕顔を絡ませた新しい板塀にぶつかった。その横の切り戸を開いて、又、横路地のような処をすこし行くと、長屋式の板壁の途中に小格子がたった一つあった。そこを開くとすぐ狭い梯子段で、それを上って洋式のドアーを開くと……。
 意外にも立派なカフェーの二階に出た。前はどこか知らぬがかなり賑やかな通りである。
 鳥打はインバネスを脱いで、帽子と一緒に壁にかけた。記者もその真似をした。
 二人は卓子(テーブル)を隔てて差向った。
 擬(まが)い大島を着た二十ばかりの美青年である。「案外若い」と記者は心の中で驚いた。
 何も云わぬのに美しい女給が珈琲を二ツ持って来た。
 青年は飲んだ。
 記者は飲まずに云った。
「何か御用で……」
 青年は飲みさした茶碗をしずかに置いた。片手を懐にして肩を聳(そび)やかした。
「先刻(さっき)のノートを出し給え」
 記者は又可笑しくなった。彼等の話を書き止めていたと思っているらしかったから……。
 しかし記者は素直にノートを渡した。
 青年は、「籠の鳥」の歌や看板の珍文句なぞを、たった二三枚だけ書いた本社用の新しいノートを見ていた。最後に表紙に付いた本社のマークをジッと見詰めて、当惑した表情をした。そうしてしきりに襟元を繕(つくろ)った。
 記者はもう大丈夫だろうと思った。思い切って微笑しながら云った。
「失敬ですが、君は不良青年でしょう」
 青年はハッとした。記者の顔をギラギラ睨みながら真青になった。
 記者の胸の動悸が急に高くなって、又次第に静まって来た。同時に自分でも気障(きざ)に思われる微笑が腹の底からコミ上げて来た。
「僕はソノ……地方新聞の記者なんですがネ。不意にこんな事を云い出して失敬ですが……浅草の話を探りに来たんですが……生憎(あいにく)知り合いが無いんで……誰かこの辺の裡面を御存知の方に……と思いましてね……実はソノ……丁度いい都合だったんです……」
 と不思議に言い淀んだ。
 彼はスッカリうなだれて考え込んだ。
 記者はベルを鳴らして女給を呼んだ。
「失敬ですが、お近付きに一杯差し上げましょう。丁度いい時分ですから。僕はいただけませんがね」
 彼は静かに頭を上げた。決心したらしく、顔をツルリと撫でて淋しい苦笑いをした。
「どうも済みません……実はあなたを新米の刑事か何かだと思ったもんですから……ついカラカッて見る気になって……」
「アハハハハハハ、似たようなものです」
「フフフ……しかし浅草の話だけは勘弁して下さい。ほかの処なら構いませんが……仲間が居るんですから……」
「ええ、結構ですとも。何でも記事になれば……君のお名前もきかなくていいんです。僕も云いませんから……」
「痛快だな……しかし弱ったな……」
「アハハハハ。まあ、一杯干し給え……この女給さんは君の?」
「弱ったな、どうも……」
 彼は紅くなって頭を掻いた。
 記者は、この恐ろしく単純な、且つ正直な不良美青年との約束を固く守ってやろうと決心した――神田の駿河台下で本紙を売っている、いないに拘らず……。
 因に彼はその後、芝の或る製菓会社に這入ったと聞く。

     ◇おことわり

 途中ではあるが、ここでちょっとお断りしておきたいことがある。ほかでもないが、この稿を書き始めて間もなくから今日まで、各方面からいろいろの言葉や手紙を記者は受けた。
 その中には記者に対する激励の言葉……たとえば、
「この際東京に対する日本人一般の迷信を徹底的に打破せよ」
 なぞいうのがあった。又は、わざわざ面白い且つ信ずべき材料を賜わった向きもある。
 それ等の方々の厚意に対して、記者は先ず以て深甚の感謝の意を表する。
 同時に批難の言葉も沢山あった。その一二例を挙げると、
「このような記事を生徒に読ませるわけに行かぬ」
 というのや、
「あの記事があるために、毎日、非常な不愉快を感ずる。早くこの不良記事を紙面から葬れ」
 というなぞが最も多かった。無論、こうした批難の方は大抵は匿名の手紙が多かったが、それでも相当の教育や責任を持った人々の言葉と受け取れるのが多かった。
 記者はこれ等の批難を賜わった方々に対しても亦深くお礼を申し述べる。
 それ等の方々は、云う迄もなく、非常な同情ある本紙の愛読者であると共に、特に深甚の注意を以て本紙の記事を読んで下さる人々でなければならぬからである。
 同時に記者は、それ等の批難に対しても、衷心から同感の意を表明するに躊躇しないものである。
 この記事中に出て来る事実は、今迄のは無論の事、これからの記事の中で最も甚だしい一つでも、平生の新聞の社会面に現われる記事のヒドサよりもヒドクないつもりである。
 しかし、それでも実を云うと、記者はこの記事の材料を集めつつある際に、これはとても書けないと思った事が屡々(しばしば)であった。到底、紳士淑女の前で公表出来ない事ばかりと云ってもよかった。そうして、それをこの程度にまで手加減して公表する迄には、幾度か考え直して後決心した事であった。
 この記事を忌み嫌われる方々は、今一度考え直して頂きたい。
 たとえば――。
 紳士淑女として口にすべからざる事も、口にする事を憚(はばか)るために、一般の人々が如何に堕落という事に対して無智識になっているか。如何に見当違いの警戒、筋違いの注意が施されているか。そうして、そのために如何に多数の不良少年少女が善良な家庭から出ているか。
 そうして、その原因を調べて見ると、その両親や監督の責任者が、堕落という事に対して無智識なためというのが大部分を占めている。
 如何なる理由で、如何なる順序で子女は堕落するか。又は、これから述べようとする事例、即ち不良少年少女の魔の爪は、如何にして、如何なる場合に善良なる子女に打ち込まれて行くかという事を、口にしたり、耳にしたりする事を恥ずるからである、と云っていい状況である。
 現在の東京では、そんなウッカリした態度では、不良少年少女に対する取締が出来ない事が各方面に証拠立てられている。
 しかも、この傾向は現に西部日本にもドシドシ浸潤しつつある事を、記者は充分に認め得るのである。関門連絡船に二三回乗って、若い男女の東へ行く風俗と、西へ行く風俗を注意しただけでもよくわかる。福岡あたりの活動のハネ時に半時間程立って見ても一目瞭然である。
 そればかりでない。東京人の堕落はかくして日本人の堕落となるであろう。これに対して如何に戒心し、警備すべきかは、単に本紙愛読者のみの責任に止まらぬであろう。
 更に、このような事を耳にしたり、研究したりする事を卑しめるために、このような事実を知らずして警戒の方法を誤り、又は無関心にしておいて、他日、東京人の堕落の影響が新聞紙上に事実として現われた時、初めて驚く事が賢明であるかないかは議論の外であろう。
 記者は深く謝する。記者が、冒頭、この事をお断りしておかなかったために、この記事が或る誤解を惹起したのみならず、読者諸君に対する非礼を意味することになった事を、ここに更めてお詫びをする。
 尚、この稿を起した根本の目的は末尾に述べるつもりである。この稿を読まれる方々はその局部――のみを見ず、全体を一貫した趣旨をそこで看取して頂きたい事を併せて希望しておく。

     家庭荒しの団体

 浅草に限らず、不良少年は団体を組んでいるのがいくつもある。「三人行けば必ず師あり」で、彼等が寄り合うと、その中にはきっと得手(えて)が出て来る。顔だけでも正直そうなの、女の好きそうなの、睨みの利きそうなのと、いろいろ特徴が違うところから、協同して仕事をした方が便利である。首領も無論、その中から出て来る。
 昔は小桜団とか二組とか大きな団体があって、他の団体と争ったり、又は単独行動に出る奴を迫害したりしたが、これは大抵非文化的の不良であった。文化的の方はコソ泥あしらいをされて、ドチラかと云えば軽蔑されていた。
 ところが、彼(か)の大地震後は反対に文化的の方が勢を得た。同時に、非常に多数の不良が出たので混沌状態を呈した。すくなくとも昨年の秋まではそうであった。
 その中(うち)にポツポツと固まったのがあって、記者が聞いたのは下谷に一つ、麹町から牛込へかけて二つ、青山に一つある。大抵一組十人位から三十人位まで居るという。浅草にはいくつもあるが、皆小さいように思う。その代り亡命印度人の配下になっているようなのがある。
 こんなのの名前は、始終取りかえるのでわからない。仕事は、浅草のを除いていずれも家庭荒(はとがりあら)し(鳩狩?)が主で、しかも、ほかの脅迫(ぱくり)や誘拐(かたり)見たように少数の黒人(くろうと)の腕揃いではない。団結も固くなければ、仕事もチャチなのがあるという。つまり、まだ発達向上の余地がある訳である。
 こんなことを書いているうちにも、東京では有名な不良少年少女団が二つ三つ挙げられた。足もとの明るいうちに切り上げたい。
 しかし、それでもまだ、一般家庭の参考になる事や、当局にも知られていまいと思う事がないでもないから、そんなのを一まとめにして次に述べる。

     少女誘惑ラムプ団

 麹町に二つあった団体の中(うち)の一つは、一昨年の暮あたりまでラムプ団と云っていた。今は何と云うか知らぬが、本拠は牛込か四谷辺に移動しているらしい。
 震災当時、四五人の不良が集まって、どこからか拾って来たラムプを取り捲きながら仕事の相談をしたのが始まりで、追々(おいおい)人数が殖えて来ると、そのラムプの形を知っているものは団員に相違ないと認める組織になっていたという。今では、そのラムプは勿論、団体のあるなしすらわからなくなっているが、仕事はチャンとしているらしい。日比谷と九段はその二大中心で、青山方面にも手を延ばしているという。
 仕事というのは以前は誘拐であったが、この節ではやりにくくなった上に、足が付き易い。又、万一挙げられた場合に刑罰も重いので、もっと文化的な、安全な方法を執るようになった。
 先ず良家の令嬢を誘惑して関係を結ぶ。それからその両親や監督者に手紙を出して、手切金をせがむ。呉(く)れなければその令嬢の嫁ぐ先々に或る手段を施して呪う、場合に依っては死ぬ迄結婚させぬ――なぞいう威し文句を送る。「警察に訴えてその相手を捕えても、あとに団員が残って仕事はする。あなたのお家の名誉と金の引換えだがどうだ」なぞと来ると、不良少年の慣用の文句を知らない親たちは本当にしてふるえ上る。
「そんなヘマな相手には引っかかりませんよ」
 とか何とか威張る新しい令嬢があるかも知れぬが、そんなお方は前に掲げた「少女のラブレター」を今一ペン読み直して頂きたい。そうして、そのレターが全部、不良少年の懐中から出たものである事を考えて頂きたい。
 青山や下谷のも略(ほぼ)似たようなものらしいが、青山のは赤十字社があるだけに博愛式の汚行専門らしく、下谷のは又誘拐が多い。それも小学生程度の少年をモノすることがチョイチョイあるという。

     令嬢を狙う団体の攻撃準備いろいろ

 不良少年団体は、皆結束を作って神出鬼没する。合言葉や暗号なぞを作って用心をするのは事実で、なかなか捕まりにくいという。
 彼等の団体は団員を方々にブラ付かせて、眼ぼしい少女を物色させる。物になりそうなのを見つけると、あとを跟(つ)けて家を突止める。それから手をわけて調査を始める。
 ちょっと嫁探しに似ているが、条件は大分違う。別嬪に限らぬ事、色気のある事――新しい風(ふう)付きであればなお結構――イヤラシイ位であればなおなお結構である。家庭が裕福でなければならぬ事は云う迄もない。
 調査をする事も嫁探しと趣が違う。その家の構造、その令嬢の部屋の位置、財産預金先、家族の状態、起床時と就寝時、一般の家風、令嬢の生活状態、お小遣いの多寡、趣味嗜好、朋友関係、月経の来潮期、手紙を遣る人と来る人の名前、殊にその内容は必要で、ドンなタチの女か、物になるかならないかを判断する。その他まだいろいろあるが略する。
 こんな調査事項の中には、関係をつけたあとから聴き出す方が容易なのが多いが、成るべく前に調べておいた方が安全な事は云う迄もない。第一、余り早く関係をつけると、見損いをして、飛んでもない失敗をする事があるという。
 こうして、愈(いよいよ)見込が付くと、一人の選手が出て誘惑に取りかかる。
 学生風でも、サラリーマン風でも、成るべくその家の人々が案内を知らぬ方面で、その令嬢が好きそうな風采(なり)をして接近する。

     手紙で誘惑する方法

 少女を誘惑する方法に二つある、なぞと云うと八釜(やかま)しくなるが、実は何でもない。一つは手紙を出して見るので、普通の少年でもよくやる。只、不良少年少女のは、大抵慣れた奴が文案したのを本人が書き直して出すので、芸妓や女郎のと同じねうちしかない。又、その令嬢の素質、頭、顔付きなぞに依ってコタえるように書くところも違う。
 見本を出そうかと思ったが、前の少女のラブレターと違ってなかなか手に入り悪(にく)かったのと、判で押したように空(から)お世辞の千篇一律だったから止した。
 要するに普通の色文(いろぶみ)だと、こちらがのぼせているから、初めから無暗(むやみ)にセンチメンタルな事ばかり書く。一方に相手の方は惚れても何もいないのだから、あまり感服しない。
 これに反して、不良少年の文(ふみ)の上乗(じょうじょう)なのになると極めて冷静である。相手に依って美文的に、又は哲学的に辻褄を合わせて書いてある。相手の得意なもの、又は姿の特徴なぞは、抜け目なく巧みに賞めてある。万事が向う本意で、こちらを出来るだけ謙遜して、お上品ずくめである。尤も新しがりの色気たっぷりな相手らしいのは、初めから思い切り甘ったるく持ちかけてある。
 不良が最も困るのは手紙に書く所番地である。無暗(むやみ)に改めると相手が信用しなくなるし、改めなければ危険が伴う。そのほか色んな面倒がある上に、能率も上らない。だから腕に覚えのある奴は直接法で行くか、又は両方を用いて行く。

     直接の誘惑法

 直接の方法というのは、ザッとこんなやり方である。
 眼星をつけた少女の学校の往復、外出の道筋なぞを狙って一緒の電車に乗り込む。少女(スター)に近付いて前に立つ。
 それから機会を作って話しかけ、足を踏んであやまる式もあれば、吊り皮を譲る式もある。狎(な)れた奴になると、初めからピッタリと寄り添って、肘で乳を押し上げ押し上げしながら相手の反応を見る。これは近頃のダンス流行から出たヤリ口だそうな。しかも、ダンスの奥許しの秘伝を電車の中で応用するのだから適わない。
 相手が腰をかけていれば、こっちの膝で向うの膝を小突く。程よいところでニッコリして見せる。これに相手が応ずればもう成功だそうな。
 そんな安っぽい女の子があるものかと云う人があったらば、前の「若い女性の享楽気分」の章を今一度読み直して頂きたい。
 勿論、不良の方も第一回で成功しようとは思わぬ。根強くこれを繰返して、いよいよ言葉を交わす段取りになると、又の逢う瀬を約束する。あとは大抵きまり切っている。仲間同志で散々オモチャにしたあとを、ユスリの種に使うのである。以上はほんの一例で、まだこのほかにどれ位交際の機会があるかわからぬ事は、既に東京の年中行事の項に記載した通りである。
 最近では、こうして交際をして関係をつけると、あとはあんまり深入りしない。只、相手の少女から来た手紙や貰ったハンケチなどを飽く迄も大切にして、脅迫の役に立てる。その少女が夢中にでもなって来れば、いよいよ証拠物件がふえるだけで、「不良」の方でも、そうした目的以外に深入りを望まぬ傾向が出来たという。
 こうして不良少年少女のやり口は、だんだん凄くなる一方である。

     緑色の平面に静止する象牙の玉

 不良上りの或る会社員は云う。
 ――彼等善良なる少女が堕落しない第一の原因は、不良少年に対する恐怖心で、第二は羞恥心である。これは最初の取かかりに気をつけて、その少女の気位にふさわしい気位を以てあしらえば、信用を得るのはあまり困難でない。あとには羞恥心が残るが、これはジリジリと挑発すれば消え失せてしまう――。
 ――恐怖心と羞恥心を除いた少女の心は、玉突台の羅紗の上に静止している象牙の玉のようなものである。表面は品よく静かにしていながら、内心はどちらかへ転がりたさに悩んでいる。何物かを崇拝したい。たよりすがりたい。迷い込んで夢中になりたいという気持ちでいたみ疼(うず)いている――。
 ――宗教でもいい――小説でもいい――音楽でもいい――空想の人格――実在の人――何でもいい――。
 ――何でも自分を突いてくれるものを待っている――。
 ――その証拠には、彼女たちに与える手紙や言葉に「神様」という文句を使うと素敵に利くという……。
 可愛相なのは迷い悩める現代の少女である。
 彼女たちは解放を望む羊の群である。柵外がことごとく狼の世界である事を知らない、憐なる羊の群である。

     刹那刹那の気分

 解放を望む少女は、特に刹那刹那の気分に動かされ易い。
「試験中ですけど構いませぬ。学校の一年よりも、あなたと話す一分間の方がどれ位貴いか」
 なぞいう言葉が、どれ位そんな少女を動かすか。
「今夜、活動を見ているうちに、何だか急につまらなくなって、下宿へ帰ってこの手紙を書きます。何故という事はありません。この手紙を書いている間だけは、自分が生きているような気持ちがするからです」
 といったような書き方が、素敵に相手を動かすという。
 そんな風に感じ易い気持ち――刹那的の軽い、しかし鋭い情感、感興、主観等の変化のつながりに生きて行きたい気持ち――それを軽々と撰り好みして、その上に踊り、歌い、遊戯し、口笛を吹き、笑い、泣き、怒りして行くのが新しい少女である。自分の心にかかるすべての重み――物質の威力、道徳の権威、良心の束縛を下界はるかにふり棄てて、空中に吹き散る紙のように、気楽に、面白くひるがえって行きたいのがモダンガールである。
 そんなところまで飛び上って彼女を捕え得るもの、又は相手になって導き得るものは、唯不良少年ばかりである。地上の「面目」や「生活」に釘付けにされている親達や教育家は、只アレヨアレヨと騒ぐばかりである。

     巡査の少女誘惑

 不良少年といっても、皆が皆、懐手でブラブラしているわけではない。事実何もしないのでも、学生風か何かで真面目腐っている。殊にこの頃は堂々たる官立の学生に不良が殖えたという。
 不良少年の職業は、警視庁や、その他市内の各署で昨年の冬まで捕まったのが統計に出来ているとかきいたが、その方は調べ得なかった。その代り、質屋さんが商売柄よく知っていることがわかった。
 尤も質屋さんは、「不良」ばかりでない、泥棒、スリ、そのほか何でも見わけなければならぬ商売であるが、不良も同様で、どちらかと云えば見分けにくい方だそうな。
 不良少年で一番多いのは矢張り学生で、その次が会社員、ボーイ、活弁、俳優、苦学生の順らしい。巡査も居ると云った番頭さんがあったのには驚いた。
 ――持って来た少女の着物の襟に、その巡査の手紙が縫い込んであったのでわかったんです。尤も初手からあの巡査は不良だという評判がありましたが、相手の少女がそこまでレターを秘密にしていようとは、流石(さすが)商売柄のお巡りさんも気が付かなかったんでしょう――。
 記者はそれ以来、この頃の東京の巡査に若いのが無暗に殖えて来るのが気になり出した。交番の前に立っている、色の白い若いのを見ると、ちょっと顔を見て行く癖が付いた。
 いずれにしても、真面目に働きながら不良性を発揮するのが殖えて来た事は事実であるという。
 近代文化の裡面に於ける一つの重大な特徴である。

     不良少女団の草分時代

 次は不良少女の番である。
 不良少女に就ては誠に貧弱な材料しか得られなかった。何しろ震災後急速の発達を遂げて、やっと三百人の名をブラックリストに並べただけで、その団体も鞏固(きょうこ)なのはすくなく、仕事ぶりも不良少年のそれのように露骨でないから、なかなか当りが付きにくい。又、相手が女で極めてデリケートな手腕を要するので、明治生れの、九州育ちの、しかも長男が七つにもなる記者にとっては不向きであった。
 その代り記者はあまり骨を折らずに材料を得た。つまり、記者の狙ったところは全部的を外れていた代りに、意外な方面から意外な暗示を得た。又は、思いもかけぬ材料が思わぬところで転がり込んでいるのを、あとから気が付いたなぞいう次第で、どちらかと云えば極まりの悪い方である。
 しかし、負け惜みにも何も、その他に材料が無いのだから仕方がない。記者が面喰らいながら材料を得て行くところが、却て読者の興味を引くかも知れぬ。

     芸道の先生お弱りの事

 或る芸事の先生の処で、昨年の夏頃からお嬢さん方のお稽古がパッタリ絶えた。昔の通りにあるにはあるが、皆出稽古で、稽古場には二三人しか居ない。
 その先生は変に思って、内々理由を調べて見ると、その稽古場がある付近が不良少年の本場だからという事であった。
 先生は弱った。
 折角焼け残った稽古場をほかへ移すわけにも行かず、思案に暮れていると、その中(うち)に又、その界隈が不良少年の本場でも何でもない、そうしてお嬢さん方のお稽古の減った原因は、その習いに来ている少女の中に有名な不良少女が二人いる事を、お嬢さん方の家庭で知って警戒したためだとわかった。
 先生は、「早くそう云ってくれればいいに」と、上(うえ)つ方(がた)のお上品さんを怨んだ……しかし、とにもかくにもいろいろと苦心して、その二人の少女を遠ざけた。それから各家庭を訪問して、不注意を詫びた。おかげで今では昔にまさる繁昌をしているという。
 その令嬢たちの中の一人の保護者に、独身の女流教育家で、新聞や雑誌にチョイチョイ名を出す人がある。四十前後の、極(ごく)率直な、アッサリした人で、今の話をしてくれた揚句(あげく)、不良少女の男性誘惑法を記者に教えてくれたのには驚いた。
「私はまだほかに二三人の女生徒の親代りになっていますが、方々でいろんな事を聴きますよ。あなたもよくおぼえていらっしゃいよ。引っかからないように……」
「冗談じゃありません……」

     少年誘惑第一日

 東京の不良少女は、まだ少年のそれのように深刻な悪事を働かない。ただ男学生を誘惑して享楽する位が関の山らしい。それ以外の仕事をするのは大抵単独の不良少女で、団体的の背景を持たぬのが多いと思う。
 若い男性を誘惑する方法も、少年のソレのように念の入った研究や調査なぞしない。或る男学生を一人の不良女学生が狙うのを、ほかの団友が賛助する位の事で、それを団体的行動と心得ている位の事らしい。
 しかし、彼女たちが単身少年に接近して誘惑して行く手段は、男のそれと負けない位大胆である。
 たとえば電車に乗って、星をつけた少年の前に立つところは、不良少年式とすこしもかわらない。
 ところで、チラリと相手の顔へラジオを放射する。先方が注意しない時は、足を踏むか何かしておいて、思い切り恥ずかし気にあやまる。おまけを付けて、二三度も気の毒そうなシナを見せる。引続きラジオを放射する。その放射の反応具合で相手の真実程度が大抵わかる。
 第一日はそれ位にして、別れがけに特別な振幅を含んだお辞儀をする。しかも成るべく気品を見せながら、依々(いい)たり恋々たる風情で袂を別(わか)つ。
 しかしまだ呆れてはいけない。

     少年誘惑第二日

 第二日も同じ頃、同じ電車に乗って、同じ相手の前に立つ。但、今度は多少心安くなった風で、程よく気軽に振舞う。ニッコリ位する……。
 ……応ずる…………。
 これを三日か四日位まで続けて、相手の学生が何となく自分の乗っている事を期待している風情に見えて来たら、ここで一日二日スッポカシを喰わせる。
 これを「手紙デー」、又は「デー」という。
 相手の少年が、「今日はあの女学生が乗らなかったな」と思っている矢先へ手紙が届く。
「女の癖にぶしつけなと思召(おぼしめ)すかも知れませんが、ほかにこの苦しみを洩らす道が一つもありませんから……」
「只愛する……というお言葉だけで妾は……」
「こんな事を申し上げましたからには、妾はもうあなたにお眼にかかられませぬ。お眼にかかれば、この悩みがいよいよ堪えられなくなるばかりで御座いますから……ああ神様……」
 とか何とか書いてある。
 本当にする少年は本当にする。そうしていろいろ悩み始める。
 こうしておいて、早いので二三日、長いので一二週間の後、如何にも偶然のように電車の中で逢う。但、少年の学校の帰りがけでなければならぬ。
 この時が成功不成功の分れ目だそうで、又一番六ヶ(むずか)しい技巧を要するのだそうな。
 ……真赤になって、うつむいて、ハンケチを顔に当てたり、一しずくホロリと落したりするのだそうな。
 相手の様子に依っては、慌てて降りる風をする。それを見て相手も立ち上れば、もうこっちのものだという。
 さもない時は少年の降りる処で降りで[#「降りで」は「降りて」の誤記か]、叮嚀にお辞儀をして、その少年が帰って行くのをいつまでも立って見送る。
 ……先へ行き得るのはないという。
 しかし、まだ感心してはいけない。

     煙草を吸う女学生

 東京の或る女学校では、健康診断や体格検査の時に女生徒に口を開かせて、虫歯の有る無しを調べさせる。実は煙草を飲んでいるかどうか見させるのだそうな。そうして発見次第、その名前をブラックリストにつけても、大抵間違いはないという事である。
 但、煙草を吸うからブラックリストにつけるのではなくて、男と交際している何よりの証拠だからだそうである。夜間なぞは、煙草を利用して男の学生に近付く不良少女がチョイチョイ居るという。
「一寸(ちょっと)済みませんが燐寸(マッチ)を……」
 と云うかどうか知らないが、九州の男学生にそんな事を云ったら気絶する……と云っておく。
 活動館で様子のいい学生を見つけて、その近くに割込むのもある。
 先ずハンケチを出して、かぐわしいエマナチオンを漂わせる。その学生が手でもたたくと、すぐに共鳴して、
「マア……」
 とか何とか、つつましやかに溜息をする。これ位の技巧なら新しい少女は大抵心得ている。
 そのうちに、
「あの……本当に失礼で御座いますが……プログラムをちょっと……あの……」
 と引っかけて見る。熱狂したふりをして学生の膝に手を突いたり、ピッタリと寄り添ったりする。
 相手の身体にズンズン電気が充実するのがわかる。
 借りたプログラムに手紙を書いたり、仮病を使ったり、映画の批評や何かを話し込んで別室に連れ出したり、自由自在とある。
 しかし、まだ驚いてはいけない。

     少年の二段誘惑法

 悲しい事に、今の女学生は男学生のあとをつける程の力を持たぬ。だから、活動なぞで誘惑するのは、ハネたあと数時間、もしくは一二時間の間で、その間にカフェーや何かに這入って必要な約束をせねばならぬ。故郷に遠い男学生で、旅の恥は掻き捨てなぞいう連中があったら、恐ろしく手軽で済む。カフェーの家族室やホテル、宿屋なぞで、「即決可決」が随分多いと聞く。
 又、もし一人が失敗と見たら、ほかの団友に渡す。こうして前後二段に攻め立てると、そこは人間の浅ましさで、大抵固い少年でも自惚(うぬぼ)れが出て来る。これが油断の始まりで、つい気がうきうきして、第二の女学生の手段に引入られて見たくなる。
 又、第一の少女「何子さんの友より」とか何とか書いて、第二の少女から手紙を出すのがある。
「あなたのために何子さんは病気におなりになりました。どうぞ助けると思って……」
 但、ここまで来るのはよほど手強いので、もっともっと手軽いのが最近の東京では普通だという。
 往来で知らぬ少女に名刺を突つけて結婚を申込む男……又は見も知らぬ男に、
「あなたの理想の御婦人はどんなのでしょうか。参考のために是非お知らせ下さいませ」
 と手紙を出す少女が居るという位だから……。

     匙(さじ)を投げかけた記者

 東京はこんな風に、大人の享楽主義の天国であるように、少年少女の花の都である。
 牛込の神楽坂、渋谷の道玄坂、神田の神保町付近、本郷の湯島天神あたりの夜は、今でもそんな気分の「淀み」を作っている。
 そうして、そんな処を摺り鉢の縁(ふち)とすると、底に当るのが銀座である。
 その銀座が夜になると、来るわ来るわ、東京市に居る人で銀座散歩(ぎんぶら)を知らぬ人は余程の野暮天と笑われる位である。
 色セメントや色ペンキで近代様式の数寄(すき)を凝らした家並み……意匠の変化を極めた飾窓……往来に漲る光りの洪水……どよめき渡る電車、自動車の響の中(うち)に、ささやき合い、うなずき合いつつ行く、華やかな「希望」や、あでやかな「幸福」の姿は、十分間も立ち止まっていれば、ガッカリする位眼の前を横切って行く。
 どれが不良やら善良やら、見当が付きそうにも思えぬ。
 しかし、記者はガッカリしなかった。そんな処を毎日うろついて、或る事を探ろうと試みた。或る事とは、不良少年少女の団体が、どんな風に活躍しているかという事であった。
 しかし、それが又、片っ端から骨折り損になって行くのにはウンザリした。何一つ収穫なく、コーヒーで腹をダブダブにして、電車に揉まれて帰るのは全くイヤなものであった。
 しまいには事実上殆ど匙を投げてしまった。
 ところが――。

     Mの字の売り切れ

 ずっと前、東京市中の学生仲間に鳥打帽大流行の事を書いた。そんな材料を調べている最中の事であった。
 神田の或る大きな帽子屋に、ちょっと気に入ったネクタイがあったから、這入って見ているうちに、一人の学生が這入って来た。
「Mって字、ありますか」
「Mは生憎(あいにく)売り切れまして、ほかの字では如何(いかが)で……」
 と、番頭はボール箱を取り出した。中には、鳥打帽の前庇を止める、金文字付きの留針(ピン)がズラリと並んでいる。
「弱ったなあ。しようがないな、どこでも売り切れて」
 と学生はボヤきながら、何文字か一つ買って行った。
 記者は別に深い考えなしに、只一寸した好奇心に駆られて、その四十恰好の番頭にきいて見た。
「Mって字はどこでも売り切れかね」
「ヘエ。Mの字が一番よくお持ちになりますようで……」
「どこでもそうかね……」
「さあ……手前共では特別にMの字をよく仕入れますが、いくら仕入れましても無くなりますので……Mという頭字(かしらじ)の付くお名前の方が余計においでになるからでも御座いましょうか、エヘヘヘ」
「じゃ、一番売れないのは何の字だね」
「さあ……さようで御座いますね……LだのQだのは全く売れませぬので、最初から仕入れませぬが、そのほかで売れませぬのは……サア」
 と、彼はピンを一渡り見渡した。
「只今残っておりますのはP、A、E、J、Y、X……」
「いや、どうも有難う」
 記者は安ネクタイを一つ買ってそこを出た。
 それから記者は、一町ばかり行く間に、Mという字が特別によく売れるわけを考えるともなく考えたが、とてもわかりそうにもないのでやめにした。
 そんな事をすっかり忘れたまま、一週間ばかり過ぎた。

     ABCの秘密

 天気のいい午後であった。
 秋の西日を背中に受けながら、記者は上野動物園の杉木立に這入った。
 日当りのいい、人糞に遠い、という条件の処に一つの平石を見つけて、腰をかけて、杉の木に倚りかかりながら居ねむりを始めた。これは、そのころ記者に出来ていた習慣で、毎日是非一度やらなければ頭の工合がどうもよくなかった。女なら血の道とでもいうところであろう。
 暫く舟を漕いでから、ウトウト眼を覚ましていると、うしろの大きな杉の幹の向う側の根元に、中学二年位の生徒が来て話を始めた。何でも紙片(かみきれ)か何かを開いて、一人が講釈をするのであった。子供の声で、おまけに誰も居ないと思っているのでよくわかる。
「いいかい、君。ABCの秘密ってんだよ」
「ウン。この鉛筆で書いたの、みんなそうかい」
「そうさ」
「驚いたな。君、書いたのかい」
「ウン。兄貴のを写したのさ」
「兄さんもきいたのかい」
「ウン、一緒さ。……いいかい。Aは第一の恋人(ラバー)、Bが第二の恋人(ラバー)、Cが第三の恋人(ラバー)なんだよ。大人だとA子は奥様で、B子だのC子だのといったらお妾さんの事さ。面白いだろう」
「ウン。もっと云って見給え」
「それからBだのPだのはお屁(なら)のこと、Cは女が小便(シッコ)をする事」
「ウフン」
「Dはウンコの事。Eは知らぬ顔をする事」
「何故?」
「何故だか知らないけれど、そうなんだっさ。それからFはお嬢さんの事。Gは芸者の事。Hは散歩をするとか、ハイカラとかいう意味。Iはお眼にかかりたいとか、承知しましたとかいうんだっさ」
「変じゃないか、それあ」
「なぜ?」
「Iってなあ自分のことじゃないか、英語で……」
「そうじゃない。『アイタイ』っていう『アイ』じゃないか」
「勝手にこしらえたんじゃないかい」
「僕がかい」
「そうじゃない。君に教えた英語の先生が、いい加減に教えたんじゃないかい」
「どうだか知らないけど……まあ、聞いて見給え。Jは質屋の事、Kはブンナグル事。KKは仇討ち。KKKはストライキで……(此処不明)……Lは永久に忘れないって事。Mは男のMで、あべこべにすると女のWになるってんだ……」
「フフフフ、面白いね」
「……ね……それからMはABCの真ん中にあるから、神様だの、真ん中だの、秘密だの、意味がいろいろあるんだそうだ。Nは反対って意味、Oは嬉しいとか承知したとかいう意味。OMとくっつけると、MWとおんなじに変な事」
「フフフフフフ」
「PQと書くとお金が無いという意味、QPと書くと愛するってこと」
「フーン、QPって人形じゃないか」
「違うんだよ……それから、ラブレターの隅にQPと書いてあると、そこにキッスしなくちゃいけないんだっさ」
「おかしいね」
「おかしいんだよ……それからRは本気だっていう事、Sはエスだから知ってるだろう(課業を逃げる意味)。二つ寄せると女同志ラブする事だっさ。Tは金槌だからなぐられた事や叱られた事、Uは共鳴したり賛成する事。Vは駄目だの、おしまいっていう意味。Wは女の意味だの、女のアレ……」
「ウフフフフフフ」
「……だの奥様だのいう……」
「Aと同じだね」
「ウン。Xは疑問の事、Yは枕草紙だのあんなものの事、Zは脅迫だの、誘拐だの、泥棒だの、いくらも意味があってわかりにくいんだっさ」
「みんな、君の英語の先生が教えたのかい」
「ウン――まだこんなのを二つも三つも重ねると、まだいろんな面白い事があるけれど、君達が不良になるといけないからって、そう云ってやがったぜ」
「馬鹿にしてらあ。じゃ、今度習ったらいいじゃないか」
「だけど、おれあ彼奴(あいつ)嫌いさ。好色漢(すけべえ)だってえから……」
「誰が?」
「兄貴がそう云ったよ。兄貴はもっと習ったかも知れないけど……君、これを写さないかい」
「ウン、帰ってから写そう、貸し給え」
 二人の少年は立ち上って、塵をハタキながら去った。
 記者はノートを伏せて、彼等が見えなくなるまで見送った。
 あの少年兄弟は教師に誘惑されているらしい――とその時思った――こんなつまらない事を教えてやると云って、生徒を誘惑する先生がよく居るからである。
 こう考えると、アルファベットの秘密も何だかつまらなくなって来た。探偵小説の重大発見か何かのように、あの生徒の話をノートに取ったのが、無暗に馬鹿馬鹿しくなって来た。
 それから四五日経った。

     Mの字の秘密

 記者がある老刑事さんを訪うて苦心談をきいていると、偶然こんな事を云い出した。
「この頃は学校生徒が無暗に鳥打帽を冠るので困るよ。変な事をやってる奴を押えても、出鱈目(でたらめ)の名前を云って困るんだ。和服ん時に名前が書いたるのは鳥打帽だが、大抵は英語の金文字一字ッキリだからしようがない。学校の名前だと吐かしア、それでもいいし、自分の名前だと云っても、そうかってなわけだからね。麦稈(ばっかん)帽や中折れだと、Wは大概早稲田だし、Kは慶応、Mは明治と学校の名前を使っているのが多い。鳥打帽でも昔のだとそうなんだが、この頃は全く出鱈目らしいね。その中(うち)でもMなんて字は、学校の名前だか自分の苗字だか見当が付かないね。医科大学がMだし、明治がそうだし、まだあるだろう。自分の名前にしても、松田だの、前田だの、村井だの、三井だの、何でもその場で云えるだろう。Rだの、Cってな、そんなわけに行かないからね。Mって字はだから便利な字さ」
「そんなら、Mの字をつけてる奴は大抵不良なんですね」
「アハハハハ。そんなわけじゃないがね。とにかく気をつけて見たまえ。Mの字を帽子につけてる奴が馬鹿に多いから。おれあ、どうも腑に落ちないと思っているんだがね……」
 記者はこの最後の言葉にあまり注意を払わなかった。只、Mの字がよく売れることだけは間違いないと思っただけであった。
 すると今度はその翌日の事……。

     英語の先生の話

 冷い雨の降る日――四谷から牛込へ帰る途中――飯田橋から新宿行の急行電車に乗り換えると――あの中学生――一週間余り前に、上野公園の杉の木蔭で、友達にアルファベットの秘密を教えた生徒が、偶然に記者の前に立っているのを発見した。
 記者はニコニコして問うて見た。
「どこまで帰るのですか、君は」
 彼はハニカミ笑いをしながら答えなかった。
「あなたの英語の先生は何といいますか」
 これは頗(すこぶ)るまずい問い方であったが、ついそんな調子になってしまった。彼は矢張り答えなかったが、その代り意外の処から返事が来た。
「私ですが、何か御用ですか」
 記者は驚いてふり返った。すぐうしろに一人の学校教師らしい四十恰好の人が立っている。あまり立派でない背広に中折れで、ゴムのコートを着て、ゴムの長靴を穿いている。背はあまり高くなく、強度の近眼鏡をかけた学者風の丸顔で、一見神経質の人らしく見える。好色漢(すけべえ)らしいところは微塵(みじん)もなく、却て記者を不良か何かと見たらしい顔付である。
 記者は面喰らいながら帽子を脱いだ。
「ハイ、実はここではお話も出来かねる事で……」
 と傍の少年をかえり見た。
 先生は何と思ったか、急に物柔かな態度になった。
「ア……そうですか。では恐れ入りますが、私の宅までお出(いで)願われますまいか」
「それは恐縮ですが……」
「イヤ、お構いさえなければ……むさくるしい処ですが」
 記者は風向きがあまり急に変ったので少々面喰らった。しかし兎(と)も角(かく)も、抜け弁天の付近にある先生の私宅まで、ザアザア降る中をお伴して行った。
 その私宅というのは或る富豪の長屋で、少年はその家の三番目の令息であった。兄と一緒に(この日は何故かその兄と一緒でなかった)神田辺の或る中学に通っているので、その中学英語の先生田宮(仮名)はその家庭教師として長屋に居るのであった。ところが兄弟とも成績と品行があまりよくないので困っているらしい事が、田宮夫人のオシャベリでわかった。
 先生が私服に着かえて出て来ると、記者は改めて職業と名前を名乗って用件を話し出した。ABCの一件からMの字の秘密なぞをザッと述べて、もっと詳しくお話を承わりたいと云った。
 田宮氏は顔色をかえて狼狽した。奥さんと不安そうな顔を見合わせた。しかし最後には、青白い顔を心持ち赤くしながらオズオズと云った。
「そんな事を云っておりましたか。どうも困りますので……実は最前の生徒の父兄に、こんな事があると話しておりましたのを、蔭から聴いたものと見えます。しかし、そんなに詳しくは話しておりませんので……実は私も直接にきいたわけでは御座いません。永年家庭教師をやっておりますうちに、又聞きや何かでききまして……参考にもなりますし……つい興味を持ちまして調べましたので……」
 聴いている記者の胸は躍った。
「あなたの御職業を信じてお話し致しますが……御参考になりますかどうか……」
 と田宮先生が話し出した事は、ABCの話かと思ったら、これこそ又意外千万の話であった。記者はその話が次第に脱線して行くのを止める事が出来なかった。
 震災前、SSS団という団体が某私立中学に出来ていた。Sというのはエスケープの略語、即ち学校をなまける事で、日本の学生特有の読み方である。それを米国のKKK団、又はIWW団の真似をしてSSSとしたのであったが、この時まではまだ不良と名づける程の仕事もしていなかった。活動見物とか、カフェーの只飲み、喰い逃げ、付け文位が関の山であった。しかしそのSSSへ不良青年がまじるようになると、いつの間にか仕事が著しい不良性を帯びて来た。同時に文房具にSSSというのが出来たので、改めてSMSと改名した。
「このMという字が問題です。
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