東京人の堕落時代
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:夢野久作 URL:../../index_pages/person969

 今の若い異性間の交際、殊にその取りかわす手紙にはそんな気分が濃厚にあらわれている。
 A何号よりとか、BBBよりとかいうのはもう古い。暗号、隠語、切手の貼り方、封筒の色、封筒の使い方、又は花言葉なぞが盛に研究されている。そんな事を書いた新聞や雑誌を切り抜いて持っているものもある。男が女文字の女名前、女が男文字の男名前なぞいうのは古手で、この頃は邦文タイプライターを利用するのもある。

     奇妙な店頭の封筒

 東京市中到る処の縁日や露天には、封筒や書簡箋の店が多い。三角や五角、六角、八角、又は蹄形、不整形なぞと、形はいうまでもなく、色や模様までいろいろある。これによって秘密通信の暗号はいくらでも作れる。
 中には、如何(いか)がわしい絵や文句が透かしになっているもの、又は内側に印刷してあるのもある。二重袋の外を水色、内部を紅色にして挑発気分を見せたり、外を灰色に、中を黒にして病的思想を象徴したりしているのもある。
 切手を貼る処を破線(……)で囲んで、中に七号位の活字で恋の格言、投げやりな思想、耽溺気分の歌なぞを刷り込んだのは殊に眼新しい。
「ちござくら、そばによりそう、うばざくら、ともにうきよの、はるをこそおしめ」
「みだれなと、いとあさましく、くくられし、はぎなぞに、みを、よそえては、なく」
「少年の恋は、禿頭のように捕えにくい、ツルツルして毛が無いから」
 なぞいうのがある。呆れ返っても足りない。

     冒険式文通

 こんな手紙を郵便で出してはけんのんというので、秘密に渡す方法が又様々に研究されている。あまり詳しく書くと方法を教える事になるから差し控えるが、棒に捲いて銀紙を冠せてチョコレートに見せかけたもの、ヘアピンにナイフで彫り込んだものなぞいう念の入った手紙を、警察に引かれた少年少女が持っていたという。中には好んで奇想天外の手段を執る者も殖えて来たらしいが、大方矢張り探偵小説や活動写真の影響であろう。
 一例を挙げると、女学校の廊下にかかった先生の帽子に文(ふみ)を挟んで、女学生に取らした私立専門学校の生徒が居る。
 その生徒は、約束の時間に普通の紳士の服装(なり)をして、課業中の人の居ない廊下に這入った。帽子を探すふりをして、右から何番目かの茶の中折れに文を入れた。
 放課後までその帽子に手を触れる者は無い筈と、安心して帰ったら、豈計(あにはか)らんや、その帽子の先生が急用で自宅に帰ると、発見して、中の文句まで読んでしまった。そのまま封を直して帽子に入れて、急いで学校に行って、旧(もと)の処にかけておいて、放課後調べて見ると無くなっていた。
 その翌る日、その先生は又旧(もと)の処に自分の帽子を掛けて、今度は見張りをつけておいたら、昨日(きのう)の男学生が返事を受け取りに来たから直ぐに取って押えた。何とか彼(か)とか弁解をする奴を相手の女学生と突合わせると、流石(さすが)に両方共一度に屁古垂(へこた)れてしまった。そこで厳重に将来を戒めて家庭に引渡した。
「活動の影響だ。人を馬鹿にしている」
 と、その先生は素敵に憤慨して記者にこの話をした。
「そればかりではありますまい。そんな冒険をやれなければ、この頃の女性に持てないからでしょう」
 と記者が云ったら、
「成程、それも面白い観察だ」
 とうなずいていた。

     少年少女の手紙の内容の進歩

 七八年前の事……。
 ペン習字手本というような小冊子が流行(はや)った。その中に随分非道(ひど)い文句を含んだのがあった。
「あなたとあの野を散歩した時、足袋が露でグショグショに濡れました。いっその事二人共身体中グショグショになればいいとおっしゃった事はお忘れでないでしょうね」
 なぞとあるのを、福岡の或る教育家が見て驚いて、
「ペン習字は絶対に禁止せねばならぬ。家庭でも取締ってもらうつもりだ」
 と記者に話した事がある。
 又、ついこの頃の事……。
 或る地方の高等学校で、生徒が女と文通したのを先生が罰した。
 昔ならその生徒を同級生が擯斥(ひんせき)するか、ブン殴るところを、反対に級全体で同情して先生に迫り、「罰した理由」を責め問うたという事実がある。
 こんな風に時勢が違って来ているのだから、男女学生の手紙の内容も進歩しているにきまっている。左に掲げるものは、警視庁の後藤四方太氏が記者に示してくれた少女の手紙で、いずれも昨年の夏迄に不良少女や友達に与えられたものである。氏名だけは仮名にしたが、ほかはすこしも筆を入れてない。挑発的なところには係官の手でインキの線が引いてあった。○○○にしようかと思ったが、却(かえっ)て挑発するから同じ事だし、東京人の堕落時代が如何に戦慄に価するかを証明する力が薄くなるからそのまま掲げた。
 これ等の手紙を妙な意味の眼で読まれるのは記者の本意でない。そこに見え透いている少女の青春の危機と、そこにあらわれている恐ろしい時代相を見て、心の底から戦慄し、戒慎してもらいたいためである。こんなものに注意を払うことを好まぬ人々が多いために、その子女の堕落が益(ますます)深まって行く事を、これ等の手紙が明らかに証拠立てている事を理解して頂きたいために敢て掲げるのである。

     少女のレター

   ……………………
楽しみにしていたレター本当にサンキュー。逗子も暑くて、全く世の中がいやになってしまうわ。休みなので人が一杯。アンチソラチンのオバケが来たこと。
さしも広かった浜べもすっかりかくれた事よ。なんでも、羊と二人して紅と白との腕を振るってね、クロールをみせびらかしてやりました。そればかりか、海の真中の赤ハタまで行って、不良少年をこらしめてやりました。
「オーイ足長まてまて」とあとから変な人が泳いで来ましたが、皆ここまで来られないで帰ってしまいました。羊と二人して大いに笑ってやりました。気が清々しました。
毎日羊だの、松本君、喜多君、徳川君等と一緒に泳いでおります。不良の病ますます重くなるを知るべし。
若い西洋人も羊と仲よしです。それで皆で「マルオニ」をして遊びます。おしまいに人がたかるので一勢に海へと飛び込みます。
もう手足の紅色でビリビリします。帰る頃はタドンのオバケでしょう。すみちゃんもよしちゃんも皆一緒です。としちゃんは大分上手に泳ぎます。よく笑うので方々で可愛がられています。そしてもう真黒くなりました。元気でピンピンはねています。
チクオンキ毎夕ですって? うらやましいわ。チャールスレイ君すきなの? 本当に加勢が出来てうれしい。二人で大いにやるべし。
菊池さんの真珠夫人(トテモモーレツな本)を読んで、女は大いに不正してよろしいものだという事がわかりました。
ただしこれは処女のみにかぎるよ。又東京のはなしして。ハイチャイ。
それから山口家のニワトリの家内の病気は如何。
 大正十三年七月二十七日真昼
みつ子からはま子君へ
……………………
 この手紙を見て、そのお転婆ぶりに驚かぬ人はなかろう。海水浴で若い男に取捲かれて得意になり、女の友達を何子君と呼び、怪しい新語や俗語を振りまわすところ、その見方、考え方等、皆現代式のハネッ返りである。殊に「女は不正なるべし、但(ただし)処女に限る」とか、「不良病益(ますます)重(おも)る」とかいうあたり、冗談かも知れぬが舌を捲かざるを得ない。果然、一人の不良少年は鎌倉海岸の脱衣場で彼女の袂からこの手紙を盗み取ると、彼女を与(くみ)し易いと見込んだ。仲間と謀(はか)って彼女の居る宏壮な別荘を調査し、魔の爪を磨いていたのを、東京から尾行して来た刑事が引っ捕えたのだという。

     少女のラブレター(一)

   ……………………
お懐しい
芳夫様、お手紙を有難う御座いました。私は、私の胸はどんなにか轟(とどろ)いた事でしょう。ふつつかもの花子に愛するというお言葉……何だかもったいないような気が致しますの。けれども貴方の淋しいみ心を省り見ますれば……本当にお察し致します。新ちゃんという方は、誰の前でもはばからずなんでも話す方ですから、純な清いお友達として、Sとして御交じわり下さいませ、お願い致します。
まだまだ書きたい事がございますが、何からお話し致してよいか……今日、私、お会いしたかったのですけれど、或る事から急に厳しくなって、夜は外へ出てはいけないと云うので、どうしても出られませんでしたの。どうぞあしからずお許し下さいませ。
それでは悪筆乱文お許し下さいませ、さよなら。
幸多き  花子永久に永久に
 芳夫様みハートに
   ……………………
 文体で見るとこの少女はまだ若い。相手を不良少年と知らずに謹んで書いている。一方に両親からもその危険性に気づかれて悩んでいる。極めて平凡で、こんな少女はいくらでも居そうである。そうして恐ろしく危いところである。或は最初の危機を通過しているかも知れぬと思われる節がある。尚、文中Sとあるのはシスター(同性愛の事)の略字であるが、ここではそんな意味はない。同胞という意味らしい。

     少女のラブレター(二)

   ……………………
御許様には、昨夜私の留守に御電話を掛けに成り、さぞかし私が居りませんので御立腹遊ばされ、私を御うらみなされたでしょう。雨降ります所をお出下され、まことに相済みませんでした。私、いつもの所へ一時半頃行って待っておりましたが、御出に成りませんので、雨が降っておりますから、きっと入らっしゃらないのかと思い、私宅へ戻って来まして、用事がありましたので出掛けたあとへ、吉井様からのお電話でした。私、戻って来てすぐ第一の処へ行って見ましたが、恋しい吉井様の御すがたが見えませんでした。
私の写真をこの中へ一緒に同封してありますから、どうぞこの間お約束致しました通り、どなたにも見せないで下さい。御願いを致します。又こんど出来ましたら差上げます。
それから恋しき吉井様の御写真をどうぞ一枚御送り下さいませ。
M子より私の永久に愛する
 吉井様ハートへ
   ……………………
 この少女は前の花子よりもませている。関係も進んでいるが、不良少女でない事は写真の送り方でわかる。却て旧式の立派な家庭に育っている、家庭のお嬢さんと思われる節がある。吉井という男に引っかけられて、いい加減にされているらしい事が略(ほぼ)推測出来る。前のと同様にハートなぞいう言葉をこんな風に使うところは、どう見ても江戸ッ子でない。

     少女のラブレター(三)

   ……………………
毎日青くなったり赤くなったり、七面鳥で、随分大変でしょう。御察し致します。七面鳥さんのために私随分祈っていますの。ですから、あんまり七面鳥になって心配しなくとも、大てい落っこちないから御安心遊ばせ。
十一日ね、随分待ちましたのよ。いくら待っても入らっしゃらぬのですもの。ほんとに悪々(にくにく)しくなってしまいましたの。もう真琴ちゃんの云う事なんか聞き入れない事に定(き)めてしまったの。御自分から話し出しておきながら、入らっしゃらぬなんかあんまりですわ……ほんとに貴方は嘘吐(つ)きね……それは全く私の方が嘘つきなのよ。御免なさい。
私もあの日は朝から気分が悪くて寝ていましたの。三日間会社を休んで、月曜から床の中で暮しました。けれど床の中で何事も忘れて、真琴ちゃんのタメに祈りましたの。今度の試験は成績良好でしょうよ。三日も会社を休んで祈っていますもの? こんな思いをしているのに、真琴ちゃんは一人音楽をのん気なかおして聞いているなんて、ほんとにあんまりと、プリプリ内心怒っておりましたの。でもレター拝見して、やっと胸が落ちつきましたわ。二十一日にきっと行きますわ。それまでは苦しみね。でも今日は十六日でしょう。後五日すぎれば御逢いできるのね。試験がすむと、後はしばらくお休みでしょう。そうなると真琴さんがうらやましくなってしまいますわ……。
御休みになったら、御都合のよい時に春の海……ほんとうに行きましょう。どこがいいでしょう、よろしく願います。
真琴さん。いつも御無沙汰ばかりして済みません。決して忘れているのでは御座いませんのよ。一時だって忘れやしませんわ。けれど悪筆の筆不精故、悪いとは思いながらついサボってしまいますのよ。御免なさい。さらば。
とき子拝 愛する真琴様
   ……………………
 書いた主は職業夫人で、相手は学生? である。文章は雑誌や小説に影響されたところが到る処にあって、調子だけは現代式であるが、最初に出したみつ子のそれのように気持ちまで現代式でもなければ名文でもない。世間なれていて男も珍らしくないらしく、甘い言葉が力なく上辷りしている。職業婦人らしい気の疲れも見える。しかし、男性に誘惑され易い気の弱さがよくあらわれている。そこにつけ込んでいる男の手加減も見すかされるようである。

     少女のラブレター(四)

恋しき玉雄様!
先夜は申訳ありません。ほん当にすみませんでした。すまないすまないという思いで……お許し下さいませ。
あの夜、皆の眼をかすめて家を出たのでした。松坂屋の前へ参りましたが、恋しきあなたのお姿が見えません。私が後(おく)れたので、もしやお怒りになってと思って、辺りを捜しましたが見当りませんでした。再び松坂屋のところへ引返してお捜ししたのですけれど、遂に懐しいあなたのお姿は見当りませんでした。
で、丁度八時半に広小路から電車に乗って、芝園橋行の電車に身を任せましたの。金杉橋でのりかえ、一の橋までまいりましたの。でも時間は刻々と迫って……時の神がうらめしくなりました。もっと先まで行って、あなたに逢うべく……決心しましたけど、もう十時近くなりましたから……残念でしたけれども、芝園橋で乗りかえて帰宅いたしましたのよ……。
宅を出ます時に、十時迄に帰るように申して参りましたから……あなたに逢うべく一の橋までゆきましたが、せめて一時間でも、否、一分間でも……そしてあなたの温い胸に……しっかりと抱かれて……と、そればかりを希(のぞ)んでおりましたのに、予想はすっかり裏切られてしまいましたの……あなたに会えたらどんなに幸福だったでしょう? ほん当に残念でなりませんわ……もしも自由の身であったならと、いつもそればかりを……。
家へ帰って参りまして、茫として何物も手につきませんでした。他の人々から、どうかなさいましたのと云い寄られても、それに答える事も出来ませんでしたの……二時過に床に入りましたけど、あなたの事ばかり思い出して……眠られませんでしたの。すまないという心で私のハートは満ちておりました。
束縛を呪い、自由を渇仰する私は……この泪(なみだ)する淋しい妹を慰めて下さいませ……。
いつもいつも、どうせ生きるなら、もっともっと意義のあるように生きたく……望んでおりますけど、けれどけれど私の願いはすっかり裏切られて了(しま)いますの。ミゼラブルな人生を……歎き悲しみましたの。歎いたとて応える何物もありませんでした。玉雄様――こう叫んだ時に、あの四月十日がほんとうに慕わしくなりますの。そうして、まぼろしのようにあなたの面影が表われ……私はたまらなくなりました。そして、そのまぼろしに対して私は何か囁きたかったのですけど、併しそのあなたの面影は長くは続きませんでした。なつかしく、また慕わしかったけれども、私はあなたのまぼろしに無言のうちに別れを告げてしまったのです。噫(ああ)、こうした中にも物淋しい生命は刻々と過ぎて行きます……筆を止めて、静かに黙して、祈るともなく祈る時……私の全身は氷のように冷たく……私の瞳はいつしかうるおいをおぼえました。私はただ泪にうるむ眼をとじて思考すること五分間……又となき若き日の思い出は……ああ、頼もしくもあり寂しくもある日は……時の運行! 尚相変らず慌(あわただ)しゅう御座いますのね。
乱筆お許し下さいませ。そして長い長いお便りを首をのばして待っております。玉雄様、ほんとに親しく、何でも赤裸々に仰言(おっしゃ)って下さいませ……。
一九二四、四、三〇 夜すえ子なつかしい……私の
 玉雄様御許へ
二伸
誠に恐れ入りますけれど、お写真がありましたら、
一枚お恵み下さいませ。お送り下さってもよろしゅう御座います。私のもお送りしちゃ不可(いけ)ないでしょう? でしたらお目にかかった時に、あなたのお手にさし上げますわ……ほんとに貧弱ですが。
今度会われる時は午後の三時頃で御座いますわ。
夜は絶対に出られないのですもの……昼ならよろしいのですけど。二十九日に逢われなかったのが何より残念ですわネ。
一の橋まで行ったのに……も少しであなたのお家でしたのに……いつかは神様が……その時を楽しみに待っております。
   ……………………
 この文を通じて、この少女の家庭は真面目である。女学校の上級生位の年頃で、しかも人生とか、自分の心とかいうものに対して、少女には珍らしい程はっきりと考え得る頭を持っている。それだけに人生に対して或る苦しい淋しい空虚を認めて、何物かを求めつつ悩んでいることがわかる。同時に、彼女の家庭も、学校も、宗教も、道徳も、彼女の魂の飢えを満たすべく何物も与えていない事がわかる。そのために彼女は、おぞましくも唯(ただ)性の労働に走るほかはなくなっている。空漠たる時間と空間の中に、只青春のときめき、それだけしか認めなくなっている。そうして不良とは知らずに、不良性の萌芽を心の奥に育ていつくしんでいる。それに対して、学校も家庭も無関心な冷たい眼で見ている。一方、不良少年は冷笑しているという、現代社会の時代相がありありとうかがわれる。

     少女のラブレター(五)

   ……………………
敏雄様……。
十五夜の月が、淋しく物思う地上の一人子を哀れむように照らしております。虫の声もいたしましたけど、何故にかく泣き止むのでしょう?
唯一人なのに……私はやはり淋しいのです……自分で淋しいと思うからなのでしょうけど、私達の若さに同情してくれる人はないのですもの……私の一番大事なお兄さま、昨夜は久しぶりで夢で御目にかかれました。でも、あなたは御元気がなく、お言葉さえかけて下さらないのでした……で、悲しゅう御座いましたの。ですから忘れて下さいませんようにと書きますわ。その後お体はつづいておよろしいの?
今日は何だか心細くてなりませんの。
先達(せんだっ)てのレターに、姉の来ていますことを申上げましたために、あなたは御遠慮遊ばしていらっしゃるのじゃなくって? 御心配には及びませんわ。あなたからのお便りのない日は、私は寂しくてなりませんのよ。ですから、早くお便りをお恵み下さいませ。
病の床に是非なく伏しておりましたけれど、私はたまらなくなって………。
呪われた東京を思い出して……今はこの書く手もふるえて、この窓から見れば――赤い血のような無数の星の流れ、空一面に気味悪くそまって。
真紅のほのおの高く高く息づくのを! 恐ろしい……そうして、人々のどよめきの中を依然として星は乱れ飛ぶ! 鐘は鳴る! おお、今は午前三時よ! 床をぬけ出たためか、風邪の復活! ほん当に悲しゅうございます……お願いですからお便りを! 病の床に伏す身は! 遠い都にいますあなたを思い出しては……おしのび下さいませ。
また後便でゆっくり申し上げます。
小夜なら  つる子 私の兄さまへ
   ……………………
 この少女の悩みは、前の哲学的なのに比べて感傷的である。「私達の若さに同情してくれる人はない」の一句はことに強い感銘をあたえる。現代のあらゆる教育は、少年少女の若さにすこしも同情をしていない。只無暗(むやみ)に押さえ付けようとするか、ほったらかしておくか、二つの間を出(い)でぬ手段を執るのみで、動(やや)もすれば彼等子女を罪人扱いにして、自分達の誠意の足らぬ事を考えまいとする。彼等の青春に同情する不良芸術、不良人間の魅力の方が、教育の力よりもはるかに強いのは無理もない。「私達の若さに同情してくれる人がない」という言葉は、無能な現代教育の心臓を刺す短剣である。

     少女のラブレター(六)

   ……………………
略――
この前差し上げましたレター御覧になりまして?
――さぞお笑いなすった事と思いますわ。だって、何度レターを差し上げても御返事がないから、もしや発見されたのじゃないかと思いまして、逃れるためにあんな事を記しまして……おゆるし下さいませ。本当に不可(いけ)ない子でございますのね………。
お願いが只一つ御座いますの。日本橋の姉が只今突然帰って参りました。ですから、これからお手紙下さる時も、麻布だと分るかもしれませんから、誠に恐れ入りますが、
「林町にて、すみ子」としてお出し下さいませ。ほん当に失礼なんですけど、おしのび下さいませ。時間を見計って見守っておりますから、大抵は大丈夫で御座いますけど、もしやと思いまして………。
略――
姉の居る間は多少出られないだろうと思っております。そして、十二月のくるのを指折り数えて待っておりますの。駒込へ参りますの。そしたらゆっくり出来ますわ。それこそ本当にゆっくりどこかへ遊びに参りましょう………。
この苦しいハート……私はただその時のシーンを! 空想を……それで慰めておりますの。女の生命は愛ですわ。愛なしには生きてゆかれませんものを………。
私はあなたなしにはこの世に一日だって、一時間だって生きていられませんのよ。あなたのためなら、どんな事をも厭いませんわ。献身的の愛を……いつまでもね。最後という事なしに……お願い致しますわ。
略――
あなたの  つや子より なつかしい
  私の邦彦兄さまへ
   ……………………
 この少女は明らかに江戸ッ子で才気がある。しかも色事に対する趣味を理解している。都会人の冴えた才智と不良性とが如何に密接な関係があるかは、この手紙の文句だけでも証拠立てられる。

     少女のラブレター(七)

   ……………………
ただ今なつかしいお便り有がとう存じました。
白秋のわすれな草を手にして……おりましたら、恋しいあなたからのお便り、……私の手は戦(おのの)きました。嬉しさに……二十七日には日比谷までお出下さったのですってね。
おゆるし下さいませ……すべては私が……ほんとうにすみませんでした。
こちらへお出下さるそうですわね……わざわざすみませんわ。水戸でもよろしいのですけど、人目が多いからよしましょう。
途中と申しましてもよく存じませんけど、利根川べりは?
あまり奇麗な町でも御座いませんけど、利根川が。土浦で下車しますの。上野から土浦までの切符をお求め下さいませ。そして土浦で下車して……わたくしも一番で参りますから……もしも早くお出になりましたら、停車場でお待ち下さいませ……。
お逢いするのはいつでもお逢いしたいのですけど……五日はいかがでしょうか。いつでもとのお言葉故、五日ときめますわ。では五日に土浦駅で御まち下さいませ。私、二十八日水戸へ参りまして海岸へ参りましたら、それはそれは色が黒くなりましたの。まるで土人のように……おわらい下さいますな。
お頭が痛みになるのですってね。お大切に遊ばせ。あなたの御健在を毎日祈っております。
こちらへ参りましてから、ほん当に無意味な日のみつづいてさびしいのです。時折あなたからのお便りを取り出しては、思いなやんでおりましたの。でも逢われて嬉しゅうございますわ。早く五日の来るのを待っております。ではね、何卒お願い致しますわ。五日に土浦までね。私ほんとに嬉しゅうございますわ。何と申し上げてよいやら……いずれお眼もじのうえ……。
もしも五日に雨が降りましたら、六日にいたしましょう。曇っておりましても実行します。神様は大丈夫お天気にして下さいますから。
 恋しい欣吾様御前に
喜のうちに  智恵子   ……………………
 媾曳(あいびき)に慣れた少女の手紙である。東京付近の郊外が、到る処こうした男女のために利用されている事が推測される。

     本物の不良いろいろ

 次には本物の不良少年少女に就いて研究して見る。
 実を云うと、不良に本物だの贋ものだのとある筈はない。只、程度が高いか低いかだけの違いで、煎じ詰むれば人間性の低級な表現に過ぎぬという事は誰しも認むるところであろう。
 ところで、その「不良性」のあらわれに幾通りもあるように思われる。
 第一は最初から生活難の背景、又は商売的の意味を持ったもので、男性では俳優その他の芸人、外勤員、祈祷師、各種の治療師、活弁、呉服屋、ボーイ等の男淫売式(サイドビジネス)? の「不良」、又女性ならば職業婦人の第二職業、女優、女給、芸者、半玉、魔窟の女なぞが発揮するアレである。
 第二の方は興味本位、享楽本位から来たもの――今一つ突込んで云えば、思想カブレ、流行カブレ、虚栄、ウヌボレ、自暴自棄なぞいう内的原因から起った不良性の嵩じたもので、生活難の背景だの、商売的の意味だのが極めて薄い。たとえば男女の学生、華族や富豪のお坊ちゃん嬢ちゃんなぞがあらわす不良性は、大部分この方に属すると見ていい。
 一般にはこれをゴッチャにして、一列一体に不良と名付けているようであるが、記者の云う「不良」は、どちらかと云えば後者を指しているつもりである。
 ところで、後の方の不良性を調べて見ると、三期に分ける事が出来るようである。
 先ず人間性が卑屈な形式であらわれるとする。初めのうちは親兄弟や先生を困らせる程度であるが、だんだんと図々しくなって深みに這入る。この程度を第一期と名づける。
 とうとう社会を困らせるようになって、その筋の閻魔帳(ブラックリスト)に割り込む。この程度を二期とする。
 もっと進むと商売化する。社会から圧迫されて、不良を本職にしなければ喰えないようになる。これを第三期と見る。
 これ以上は大抵大人の仲間に這入ってしまう。そうしてもっと悪性になるか、真面目にかえるかする。いずれにしても「不良少年少女」とは云えない。
 記者が最初に「本物の不良」と名づけたのは、この中の第二期から三期のものを指しているつもりである。
 但、実際上うようよしている不良を、第何類だの、第何期だのとハッキリ区別する事は絶対に出来ない。皆、複雑した動機と経過を持っているにきまっている。只、記者の心持ち――又は不良本人の意識だけで出来る区別である。そうして、要するにこの記事を読んで下さる人々の理解を助けるために、こうした区別を試みたに過ぎぬ事を含んでおいて頂きたい。

     八幡市の不良団に関する福岡県知事の質疑

 大正十二年の暮の事――。
 沢田福岡県知事から内務当局へ宛て一つの問合せを発した。その内容は今日迄発表されていないが、一時新聞に伝えられた八幡市の不良少年団に関したものであった。
 その意味は大略左の通りであった。
大正十二年の十一月頃からの事、当福岡県下八幡市に不良少年団が出来た。彼等は父兄監督者の眼を潜って会合協議の上、活動写真式の団体を組織することとし、秘密契約を結び、左の腕を切って血を啜り合い、兄弟の義を固め、兇器等を懐にして活動館の付近に潜伏出没し、誘惑脅迫等の手段を以て良家の子女を窘(くる)しめた。これは東京の震災後、九州方面に流れ込んだ避難民の中に不良少年が居て、こんな事を始めさせたものと考えられるが、貴方の意見如何云々。
 この質問書を内務省からまわされた警視庁では、大略左の意味の回答をしたという。
そのようなやり口は必ずしも東京式とは認められぬ。八幡市の不良少年が、ある刺戟によって独立的に思い立ったものであろう云々。

     三千の不良少年、三百の不良少女

 東京は、こんな風に日本全国から「不良」の本場と考えられているが、実際それだけの価値は充分にある。
 目下警視庁の黒表(ブラックリスト)に控えられている不良少年が約三千、不良少女が約三百もある。然(しか)も一粒撰りの者ばかりで、これ以下の「イケナイ」のは無数だという。東京全市が不良の支配下にあるのではないかと疑われる位である。これ等の不良少年少女は震災後激増して、今日の数に達したものである。
 同時に彼等は、震災後、殆んど全部が郊外に引っ越してしまったのであった。というのは、市内が一時寂(さび)れて、郊外の町々が大繁昌をした……即ち彼等の狙う相手が市外に避難したのが主な原因である。
 そのほか、郊外に暗い処が多いこと――警察の取締が行届きかねる事――又は東京市の中心に到る電車の距離が長いため誘惑に便利な事――なぞいろいろの原因がある。
 しかしこの頃になって、郊外が万事に不便なのと、道路が悪いので、少し位家賃が高くとも構わずに市内に引返す人が殖えて来た。そのために郊外に空屋が殖(ふ)えて来て、家賃がドシドシ下落するという。
 不良連中もこの春あたりからポツポツ市内に引返すであろう。
 ところで、「不良」と「善良」との区別は一見してなかなか付きにくいので、当局でも家庭でも困っている。何でもないのに不良気取(きどり)のが居る一方に、不良の方でも研究して、そう見られまいとするからとてもわからない。

     鳥打帽と制服の特徴

 一般に、震災前と震災後とは、東京人の風俗に一大変化を来した。改め切れなかったものが、あの大きなショックで改められたのだと、学校当局や警視庁では云う。しかし、今一層これを深刻に見れば、物質的方面ばかりでなく、精神的方面にもそうである。殊に、堕落気分を持ちながら実行出来なかったものが、あのドサクサに紛れて思い切って堕落したとも見られる。
 或る呉服屋で震災後、絹の上物一切を倉庫にブチ込んだ。こんなものは当分売れまいと思っていたら、豈(あに)計らんや。十日にならぬ中(うち)に売り切れてしまったという。ザッとそういったような気持ちの変り方である。
 その中(うち)に不良のスタイルが生み出された。
 学生間に於ける鳥打帽の大流行は、カフェー、活動、その他に横溢している享楽気分にふさわしい気分のあらわれである。その冠り方や柄で不良かどうかはわかると、狃(な)れた刑事は云う。
 同様に制服にも不良化傾向が現われた。昨年の秋あたり、制服の詰め襟の背を割いて、袖口を腕の処よりも広くした、所謂喇叭(ラッパ)袖を尾行して行くと、大抵不良行為を発見したと、警視庁の捜索課では云う。甚だしい学生は、制服の背中の中央近くまで裂いているのがあった。袖口を裂いたのもチョイチョイ見受けたと云う。

     不良少女の服装と着こなし方

 不良少女の服装はまちまちで、その筋でも見当が付かぬらしい。職業婦人が出て来て、矢鱈(やたら)と風俗を突飛にするので、いよいよわからなくなるという。成程と思わせられる。
 オールバックに濃化粧、漆(うるし)のような引き眉に毒々しい頬紅口紅をつけ、青地か紫色の綿紗に黒手袋、白絹模様入りの靴下に白鞣(しろなめし)の靴の踵(かかと)を思い切り高くして、虹のようなショールを波打たせながら八方に眼を配って行く……といったような女学生をいきなり不良とは断定できぬ。
 しかし、記者の見たところを綜合すると、不良少女は割合に狭い帯を締めているようである。これは胸のふくら味と下腹と尻との丸味を区切って見せるためで、昔流に広いシャンとした帯で、その辺から受ける肉感を芸術的に殺して終(しま)うのと正反対の行き方である。そのために羽織の紐の付処(つけどころ)と締(しめ)加減に巧な手加減がしてあって、どことなく洋服の感じが取り入れてあるように見える。
 同時に、昔は襟足を見せて美感をそそったものを、彼女たちは反対に襟元を心持ちくつろげて、襦袢(じゅばん)の襟を大きく見せながら反(そ)り身になって歩くようである。これは新しい女や外交官の夫人なぞによくある着こなし方である。又は、舶来のフイルムに出て来るキモノの感じを学んだものであろう。裾が長くて締りのないのは云う迄もない。
 但、こんな着こなし方は、強(あなが)ち不良ばかりに限ったわけでもないようである。

     歩き方に現われる特徴

「不良」の中でも、屈指の少女は却(かえっ)て質素な風姿(なり)をしている。
 西洋の諺か何かに、
「本当の悪魔は平凡な人間に見える」
 とあるが、事実かも知れぬ。とにかく、普通の少女と不良少女の区別は出来ないと云った方が早わかりである。
 唯ここに一つだけ、殆ど不良少女に限られた特徴がある。それは足の運び方である。それも、和服に袴(はかま)で靴を穿いている場合に限って見分けられる位、微妙なものである。
 不良少女が行くのをうしろから見ると、所謂「内がま」とも「外がま」とも付かぬ。それかといって真直(まっすぐ)でもない。心持ち爪先が外を向いたり、内を向いたり、一足毎に一定せぬ。
 又、踵を卸(おろ)して次に爪先を地に付ける時、何となくパタリとして力無く見える。普通の少女だと、往来をあるく時は多少に拘らず緊張しているから、爪先を先につけるか、又は爪先と踵を同時に落すところである。
 不良少女のはその腰から股(もも)のあたりにも緊張味がなく、膝の関節の曲り加減が、急ぐともなく、ゆっくりするともなく見える。注意して見ると、サッサとあるく時にもこの気持ちがある。要するに、腰から下の三段の関節に一種の締りが抜けた歩き方と云えば、あらかたわかると思う。
 これは、「普通の家庭に育った少女の不良気分」が、歩き方に反映したものと思う。職業婦人のだともっと硬(こわ)ばるか、ゾンザイに見えるかして、どちらかと云えば男性化した気分があらわれている。
 あれが不良少女と、記者に指さし示された女学生は、一人を除いたあと全部が、この特徴を持ったあるき方をしていた。股(また)をすぼめて恥かし気に歩いて、処女を気取る不良少女は一人も居なかった。

     東京の土を踏んでドキドキと躍る心

 大正十二年の秋以後、東京は特に夥しい人間を吸収した。その中にまじる少年少女は片端から不良化した。そうして本物の不良をドシドシ殖やした。
 その順序を考えて見ることは、この稿の最重要な使命の一つと思う。
 第一、田舎から出て来た少年少女は、永らく東京に住んでいる家庭の子女より堕落し易いというが、さもありそうに思われる。
 少々惨酷な云い方ではあるが、しっかりした身よりがあって東京に来たのは別として、只無暗(むやみ)に東京にあこがれて吾家(うち)を飛び出したりするのは、東京に着かぬ前から不良性を帯びていると云っていい。田舎を嫌ったり、窮屈がったりして飛び出した気持ちには、既に不良性の種子(たね)が宿っている。「何でも東京へ」とあこがれる気持ちの裡面には、自堕落によく似た自由解放や、虚栄と間違い易い文化的生活に対する欲望がチラ付いている。
 あこがれの東京に着く。
 震災後、思い切って華やかになった東京のすべては、彼等の眼を驚かし、耳を驚かす。面喰らって感じてドキドキキョロキョロする。
 その中(うち)に落ち付いて来る。
 新聞や雑誌で見聞きした東京の風物が、一々実物となって彼等を魅惑し始める。欲しいものがいくらでもある。好ましい男女の姿、羨ましくも自由に楽しげなその身ぶりそぶり、そのまわりに光り、かがやき、時めき、波打つもののすべては、彼等の心を惑わせ、狂わせ、躍らせずには措かぬ。その中(うち)でも「不良性」は真っ先にこの刺戟に感じ易い。

     自分の心から生存競争の邪道へ

 田舎出の少年少女は、東京の「不良」の誘惑がどんなに恐ろしいかを知っている。そんな忠告をうるさがりながらも、自分の清浄無垢(むく)を信じている。「だから東京に行っても差支えはない」と思う……その心の奥に不良の種が蒔(ま)かれている事を気付かずにいる。そうして、只東京の「不良」の誘惑ばかりを警戒している。
 ところが、東京で出来た知り合いの中に不良らしいのは一人も居ない。同時にその友達の中に、この偉大な大都会を物とも思わぬ少年少女があって、面白く親切にいろんな事を教えてくれるのが居る。そんな友達の話を聞いていると、何でも東京でなければならぬように思われて来る。つい感心して夢中になってつき合っている中(うち)に、今まで悪いと思っていた事がいつの間にか悪いと思えなくなる。
 殊に東京でエライと云われる大人は、白昼堂々とそんな事をやっている。それが最新式だの、文明式だのと持てはやされている。そんなのを見たり、真似たりして、天晴れ東京通になって、田舎者を馬鹿にしている時は、もう平気で「不良」をやっている時である。「自分の不良性」が「東京の不良性」と共鳴して、自分を不良化してしまっている時である。
 この時に自覚しても最早(もう)遅い。
 友達を怨んでも、東京を呪っても追付かぬ。学校は追い出されている。故郷(くに)からの送金は絶えている。イヤでも不良かゴロに仲間入りしなければやり切れなくなっている。
 いよいよ不良が上達する。
 生存競争の邪道に陥る。
 ……といったような順序である。

     押え切れぬ勇気や智恵

 又、こんな風にして本物の不良は出来る。
 生れ付き智恵や勇気があり余った青年、自分の美貌や才智にうぬぼれた少女等は、よく平凡な田舎を嫌って東京に飛出す。しかし、そこで仕事に有り付いて、コツコツと働いて、結婚して、子供を設けて、平和な家庭を……そんな事で満足出来ない。
 何でも強い刺戟を受け続けて行きたい。いつも大勢をアッといわせて見たい……そんなのを「東京」は待ち構えて「生存競争の邪道」に陥れる。東京にはそんな「生存競争の邪道」が横路地の数だけある。
 精神的に悪い境遇に育ったもの、生れ付きヒネクレたもの、又は、良心欠乏、無智なぞいう先天的の犯罪性を帯びたものも、静かな地方を嫌って東京に出て来る。曇った空気を恋い、彩られた光りを慕って、それからそれと飛びまわるうちに金箔付きの不良になる。こんなのになると、この節の教育や制裁では押え切れない。説教すれば、抗弁するか泣くかする。拘引さるれば却って箔をつける。

     善良が不良に急変

 前にも述べた通り、「不良性」は要するに「人間性の卑屈な表現」である。即ち不良性は直(ただち)に人間性で、逆に云えば人間として不良性を備えざるなしという事になる。孔子の「習(ならい)」、基督(キリスト)の「罪」、釈迦の「業(ごう)」等いう言葉は、この意味を含んでいはしまいかと思われる。
 この人間性、即ち不良性はいろんな因縁に依って善ともなり悪ともなるので、天性善良な素質を豊に備えた少年少女でも、一度不良的刺戟を受けると、存外容易に不良化する傾きがある。
 東京の二三署の刑事や部長が記者に話した事の中で、左の意味の処だけは共通していた。
「不良になった動機の中で、何の気もない少年少女が偶然に一度不良から被害を受ける。それがキッカケになって案外容易に不良化する。時と場合に依っては、良心の極めて鋭い少年少女がかなり甚だしい不良になっている場合さえある」
 云々と。尚、記者の見たところに依れば、良心の鋭いというよりも、気の小さい者が、一朝の刺戟で大胆な自暴自棄的境界に踏み込むことはあり得る。

     「不良化率」減少法

 たとえば或る少年か少女かが、何品(なにしな)かを不良少年に捲き上げられる。ところで父兄母妹にそれを発見されてはならぬ……というような申訳ない心の苦しみから、ツイ不良な方法でその捲き上げられた品に似たものを手に入れて当座を胡麻化す。その時に動いた不良性がそのまま静まらずに、一度二度と罪を重ねて、いつしらず不良になるといったようなのが極めて多い。又は自分が遣られた手口に感心をする。「巧いな」と思ったり、「あんなにやれたら面白いだろう」と思ったりする。つまり、自分の不良性を他人の不良性から誘発されて不良化するのも珍らしくないように見える。善良な少女が一朝の過失に身を汚されて心を悩ました揚句、良心や理智が昏迷し、麻痺して、遂に棄て鉢的の不良少女になる場合も亦(また)決して少くないと信ずる。
 尚、記者の見るところに依れば、このような動機で不良性を帯びた少年少女の中には、両親や何かの怒りや警戒、又は排斥的の冷たい待遇に依って、一層その不良化を早めたのが非常に多い。もしこのような少年少女にその教育の責任者が今少し強い忍耐力を持って、温かい、そうして明らかな教育を施したならば、どれ位その「不良化率」を減少したであろうかという事を記者は深く感じたことを付記しておく。

     東京の学生生活に狃(な)れ過ぎて

 大きな声ではいえないが、東京の学生生活に狃れ過ぎると不良になる。故郷を遠ざかった世間見ずの若い連中が、次第に大胆になっていろんな不良性を発揮する。
 嘘を吐いて為替をせしめる。学校をサボってゴロゴロする。エラガリ競争をして低級なイタズラをやる。又は新智識を衒(てら)って雑誌や新聞の受け売りを吹く。女を見ては色眼を使う。
 それが学生だというので、ドンドン通ったり、モテたりすると、世間はこんなものかと思われて来る。
 図々しい奴は実社会に応用し始める。一度二度と成功すると、いつの間にか学校糞(くそ)を喰らえで純粋の不良になってしまう。侮辱していると云う人があるかも知れぬが事実である。その筋に睨まれた不良にはそんなのが多いから困る。
 苦学生のは又違う。
 彼等は何でも成功しようと思って東京に来るのであるが、案外うまく行かないとジリジリする。世間の冷たさが骨身にこたえる。自分の青春が見る見るイジケて行くのがわかる。とうとう我慢し切れなくなって、「成功」と「享楽」の「早道」に這入る。とうとうしまいには「成功」の方を忘れてしまって、「享楽」だけを追いまわし始める。それでおしまいである。

     苦学成功の油断から

 反対に苦学に成功した場合でも堕落する可能性がある。
 苦学に成功すると独立独歩で、誰も八釜しく云う者が無い。つい慰安の意味で遊んで見る。忽ち苦学では追付かなくなる。
 さもなくとも初めから成功が目的だから、喰えさえすれば学校なんぞはどうでもいい。学費を稼ぐのが馬鹿げて来る。
 おまけに「世間はこれ位のものか」という気になっている。その油断から不良風を引込む。東京市中の到る処の抜け路地は、苦学の御蔭でチャンと飲み込んでいるから、堕落するのに造作はない。
 東京の家庭の婦人、色町の女、魔窟の女なぞが、苦学生というと無暗(むやみ)に同情するのも彼等のためにならぬ傾向がある。
 帝大の苦学生で、苦学生の元締めをやっているのがある。本郷に大きな家を借りて苦学生を泊める。納豆を二銭乃至二銭五厘で仕入れて来て、三銭五厘で卸してやる。苦学生はこれを五銭に売って食費を払う。その二階に大学生は陣取って、変な女を取り換え引き換え侍らして勉学? をしている。
 不良とは云えまいが、ざっとこんな調子である。

     少年の悩みから

 一般に今の若い人々は、「将来」に対して一つの大きな悩みを持っている。
 少年の方は、学校を出てから何になろうか、自分の才能がどんな仕事に向くだろうかという事を発見し難く、モヤクヤと困(くる)しんでいる。
 十人十色の才能を見分ける事をせずに、一列一体の学課を詰め込む主義の今の教育法は、一層この悩みを深刻にする。猛烈な成績の競争と試験制度は、彼等を神経衰弱になるまでいじめ上げる。
 その結果、彼等はいよいよ実社会に対する気弱さを増す。そうして遂に自暴自棄に陥る。
 或る一つの天才しか持たぬ青年、又は生れ付き学問に不向きなタチの少年は、いつも成績不良の汚名を受けて、学校や家庭から冷遇される。その果(はて)は矢張り自暴自棄で、踵(くびす)を連ねて不良の群に入る。
 これは云い古された議論である。寧(むし)ろ記者の受売りである。
 併し、現在の東京と対照させると、この議論は決して古いものでなくなる。却て新しい、高潮さるべき実際問題となって来る。
 現在の東京に見る見る増加して行く極端な対照――非常な華やかな生活と恐ろしくミジメな生活――遣り切れぬ享楽気分と堪え切れぬ生存競争――その中にニジミ流るる近代思想は、彼等少年の「勉強」に対する頭の集中力を攪乱し、その「誘惑」に対する抵抗力を弱むべく、日に日に新しい深刻味を加えて来つつある。

     少女の悩みから

 少女の悩みは又違う。
 どうせお嫁に行かねばならぬが、その婿は自分で撰むわけに行かぬ場合が多い。そうして、いい処に行くために、面白くも何ともない学校の成績を挙げねばならぬ。ジッと音(おと)なしくしていなければならぬ。
 ――家事を習って――お裁縫を習って――作法を習って――お化粧をして――そうしてお婿さんの趣味と一致せねばならぬ――何でも盲従しなければならぬ――。
 女なんて、そんなつまらないものかしら。
 そんなら独立するとすれば――職業婦人にならねばならぬ。内的にあらゆる誘惑と戦って――外的には男子と実力の競争をして――そんな事が妾(わたし)に出来るか知ら――妾の趣味、智識の内容にそんなねうちがあるのか知ら――。
 今の東京はそんな悩みを刺戟する最新、最鋭の材料に満ち満ちている。
 こんな悩みが深ければ深いだけ、それだけ少女の頭に湧く空想や妄想が殖える。次第にセンチメンタルになり、神経衰弱になり、刹那の感興に涙ぐんだり狂喜したりする傾向が極端になる。そうして欺され易く、感化され易くなる。又は悩み抜いた揚句が、投げ遣りの自堕落になる。
 いずれも不良の原因である。
 こうして一度傷ついた彼女の心の痛みは、だんだん早い速力を持って彼女を不良の谷に引き落す。

     おいらのせいじゃない

 すべての子女は、親よりも純清な心を持っているにきまっている。それが不良になるのは、家庭と社会の欠陥――即ち大人の不始末からである。
 先天的の不良性でも、それは矢張り数代、もしくは数十代前からの大人の不仕鱈(ふしだら)が遺伝したものである。子女の不良を責める前に、大人は先ずこの事を考えねばならぬ。
 ところが実際は反対に見える。
 子女の不良が或る程度まで進むと、不良仲間から認められると同時に社会からも認められる。親兄弟、一家親族、知人朋友、学校警察まで、よってたかって善良世界を追い出して、不良の世界へ追い遣ってしまう。そうして「おれたちのせいじゃない」と思ったり、云ったりしている。
 言語道断である……。
 ……と、今の不良たちは、また殆ど十人が十人思っている。「おれがこんなになったのは境遇からだ」とか、「すべては運命だ」とか云っている。「おれたちが悪い事をしているのじゃない。世間がさせるのだ」位に心得ている。
 これが又言語道断であるが、事実、そんな錯覚に陥る原因が多いのだから仕方がない。警察で説諭をしても、こんな理窟で逆(さか)ねじを喰わせられる。少年ばかりでない、少女がやるから困ると係官は云う。
 彼等不良少年少女は、だから案外堂々と不良行為をやる。捕まるとウルサイから用心をする位の事である。中には積極的に社会や警察をカラカッテ面白がるのさえある。

     女性の自由解放と虚栄奨励

 本物の不良少女になる順序に二タ通りある。第一は虚栄から始まって万引に移る。その虚栄の本場は東京である。最近の派手な風俗は、一面から見れば狂的の虚栄競争である。その万引心理をそそる品物が全市に満ち満ちている。
 しかし、こちらの話はよく雑誌や新聞に載っているから略するが、こんなのが高じて良心を喪うと詐欺をやり、恐怖心を磨(す)り減らすと恐喝までやる事になる。
 近頃の女学校の個性尊重、自由解放主義も、虚栄を奨励していると見られる。
 若い女性の個性尊重、自由解放は、正面から見れば誠に結構な事であるが、裏面から見ると実につまらないものである。
 極端に皮肉に見れば、東京の女学校――わけても私立の教育方針は、真実に近代思想を理解して、指導的に女性解放をやっているように見えない。反対に、人気取りのためにお嬢さん方の希望と迎合しているかのように見える。だからその結果は、無意味な虚栄奨励、見栄坊許可という事実に堕ちている。
 その結果、彼女達仲間の嫉妬心や羨望心を増長させている。手癖の悪い娘が出来たり、虚栄のために身を持ち崩すお嬢さんが出来たりしている。
 その証拠は新聞の軟派の雑報を見るがいい。又は警察に行って聞いて見るがいい。

     自惚(うぬぼ)れから堕落へ

 少女の堕落の今一つは、矢張り近代思想の誤解から始まって享楽主義に落ちる事である。この世は無意味である。只、享楽だけがある。人生は零である。只、刹那の感興だけしかない。これに対して人間は絶対に自由でなければならぬ……といったような思想を、極めて低級な意味に考えて実行する。
 実は、うぬぼれていい――堕落して構わない――と考えて堕落した事になる。
 今の東京はうぬぼれの大競争場である。あらゆるおめかしの大品評会場である。大抵の風姿(なり)をしても驚かぬ程、その競争は激烈である。
 活動役者の表情の技巧や、近代芸術の線や色彩は、そんなに別嬪(べっぴん)でなくとも挑発的に見える化粧法や表情法を、到る処に鼓吹している。
 そんな研究に浮身を窶(やつ)しているうちに、彼女たちは自分の持っている性の強さ、魅力を知るようになる。又は、女の弱身をそのまま男性に対する強みにする方法を飲み込むようになる。
 これが堕落の初め終りである。
 芝居や実世間のバムパイヤになれる唯一の大道である。
 女学生なら、先生に泣き付いて出欠を胡麻化(ごまか)す。色仕掛で落第を喰い止める。職業婦人だと、会計を軟化させて前借をして逃げる。重役の令息の新夫人に脅迫状を送る……なぞいうのがいくらも暗(やみ)から暗(やみ)へ葬られている。新聞に出ているのはその一部分である。

     泥棒の手習い場

 一方、本物の不良少年も、異性を引っかけるばかりでない。泥棒、詐欺、脅迫なぞいろいろやる。そうしてこの種類になると、極(ごく)軽いのでも本物の不良としてお上(かみ)から睨まれるのである。男女関係のそれのようにありふれていないからでもあろうか。東京市中はこんなあらゆる種類の「不良養成所」である。殊に現在のバラック街はそうである。
 震災後急増した飲食の新店、又はその新しい雇人は、不良式ゴマ化しに持って来いの研究相手である。
 そんな飲食店の食器や備(そな)え付(つけ)品を、初めは楊子(ようじ)入れ位から始めて、ナイフ、フォークに到る迄失敬して、泥棒学のイロハを習う。だんだん熟練して、額縁や掛物、皿小鉢や鍋に及ぶ。
 いい洋食店なぞは入口でマントや帽子を預かるが、これが盗難警戒である事なぞは先刻御承知であろう。
 尤(もっと)もこの式は大人もやるが、若い者も面白半分に盛にやる。だんだん慣れて来て、こんな楽なものかと思うのが本手になる始まりである。喰い逃げもよくやるが、詐欺の第一歩である。
 澄まして喰物を注文してポツポツやりながら、椋鳥(むくどり)を見つけて話し込む。その中(うち)に都合よく表に飛び出す……といった式が一番ありふれている。ポット出の学生なぞはよくやられる。

     借りたインバネス

 大勢連れで露店を掻きまわしたり、飲食店の皿数を胡麻化(ごまか)したりするのは、東京に限らぬ学生たちのわるさである。
 隣席の客の下足札をすり換えて穿いて行く。あとでお客が面喰らうのを見ているとなかなか面白いという。面白いかも知れぬが立派な泥棒行為である。
 一人の青年が、田舎者と公園で知り合いになって、一緒に飲食店に這入った。煙草を買いに行こうとすると、生憎(あいにく)雨が降り出したので、一寸のつもりで田舎者のインバネスを借りて出て行った。
「貸さない」
 とは云えないまま貸したものの、田舎者は心配になった。急いで金を払って、雨の中を青年の行った方へ行くと、二人の友達と四辻で話をしている。その中(うち)に電車が傍(かたわら)を通ると、三人共飛び乗って行った。
 田舎者は驚いた。
 近所の交番に駈込んで、電車の番号とその青年の風采を告げた。交通巡査が直(すぐ)に赤いオートバイを飛ばして、その電車を押えて、青年と友達を引っぱって来た。
 青年は三人共某大学生と名乗って、しきりに田舎者にあやまったが、田舎者は承知しなかった。三人は警察へ連れて行かれた。
 一時は真黒な人だかりであった。記者もその中の一人であったが、今でも本物の不良かどうかわからずにいる。
 大正十三年十月二日午後二時頃、浅草公園雷門前での出来事――。

     色魔学のイロハ

 女給をからかうのは、色魔学のイロハのイである。
 眼ざすカフェーに毎日行って、十銭ずつ珈琲(コーヒー)を飲む。それ以外に何も取らずに、必ず五銭宛(ずつ)余計に置いて来る。こうして三円使ううちには、きっと女給を二人以上引っかけて見せると、或る不良が云ったそうである。不良学も容易でない。
 この頃は、女学生だの、職業婦人だの、又は上流の淑女、令夫人たちが、ドシドシカフェー程度の飲食店に這入る。デモクラ精神の普及であろう。御蔭で不良は満作である。
 気の利いたカフェーやその他の飲食店には、よく別室の設備がある。これは温泉の家族風呂、料理屋のチョンの間と同様、いろんな男女が人を馬鹿にする処である。外からは何も見えないが、○○と同じ程度に挑発する。
「不良」はよく一人でここに入って女給を呼ぶ。人待ち顔に話しかけて口説き落す。その代り失敗すると、コックや何かに半殺しの眼に合わされるが、その危険があるのでなお面白いと云う。
 大きな有名なカフェーには御定連の名士? が居る。名高いカフェーゴロ、顔の古い艶種(つやだね)記者、不良老年、壮士の頭目、主義者のチャキチャキなぞが、午後の或る時間になるとズラリと顔を揃える。駈け出しの不良なぞはそれと知ったら縮み上る。そうして早くあれ位の顔になりたいと思う。学生が博士になりたいと思うのと対(つい)である。

     好男子で乱暴者でピストルの名手

 極印つきの不良少年に二種類ある。昔は硬軟の二つであったが、今では、その中に又、文化式と非文化式の二派が出来ている。たとえば、硬派で斬るの突くのというのは非文化式で、地位や名誉なぞいう社会的の生命を脅かすのは文化式である。軟派では野合式が非文化組、社交式が文化組である。昔もこの区別があるにはあったが、今の東京程著しくなく、又、今の東京程入り乱れていない。
 その中でも硬派の非文化式という奴は、人間が怜悧になったせいか非常に減って来た。居ても満州や支那に飛んで行ったり、又は文化式の手先に使われて改宗したりするらしい。その代り文化式の方は恐ろしく発達して来た。
 世の中の変遷はこうした不良の世界にもちゃんと現われているから面白い。否、「不良」の方が「世の中」に先立って変化して行くのかも知れぬ。
 硬派の非文化式の中で、或る一人の事蹟は、今でも東京のカフェーゴロの間に語り草になっている。その話は、その男に脅迫された人の友人で、立派な官歴を持った人の談とよく一致しているから、聞いた通りここに書いておく。事実の有無は保証出来ない。只参考迄である。
 その男は高い身分を持つ某家の令息で、好男子で、ピストルを撃つ手腕に独特のものがあった。
 彼は十代から家を出て、乾児(こぶん)を連れて東京市中のカフェーを押しまわった。彼の前でちょっと生意気な素振りをする者があると、彼はいつも相手の意表に出る乱暴を加えてタタキ伏せた。
 彼の乱暴とピストルは仲間の敬意の焦点となった。

     警視庁を横目に睨んで脅迫


 彼は遂に警視庁に挙げられて処分されたが、出獄すると間もなく、嘗て警視庁の巡査の先生であった有名な武術家某氏を単身訪問して暇乞いをした。
「今から東京を立ち去るから、旅費二百円程頂きたい」
 と要求した。
 武術家某氏は言下に拒絶した。
 彼は黙って懐中から短銃を取り出して見せた。
「今この中に六発の弾丸が這入っております。その第六発目で貴方を撃つのですから、そのつもりで見ていて下さい」
 と念を押して、悠々と一発放った。その弾丸は武術家某氏の耳朶とスレスレに飛んで天井を貫いた。
 某氏は粛然としていた。
 ――二発――三発――四発――。
 皆耳とスレスレに飛んだ。
 ――五発――。
 武術家某氏は手を挙げて制止した。望み通りの金を与えた。
 これは今日迄秘密にされているという。
 彼はその金を持って有力な乾児と共に東京を出た。各所の有名な富豪を訪れて金を強要したが、
「今日金が無ければ、明日(あす)何時に貰いに来る。警察に訴えるのは自由である」
 といった調子であった。その中の一つで釜山(ふざん)に起った事件は、その当時、本紙にも載ったから思い出す人もあるであろう。
 彼は満州から支那方面に去ったらしく、その後の消息は聴かぬ。

     文化式不良学

 今の東京にはこんな非文化式は流行(はや)らぬ。その代り文化式が全盛で、極印付きが三千何百も居るのだからウンザリする。今から二十何年前の非文化旺盛時代が坐(そぞ)ろになつかしまれる位である。
 こんな文化式不良の札付きになると、東京市内外の不良の系統がわかって来る。同時に不良学上の智識と興味がズンズン付いて来る。
 第一に東京市中の案内が、親の家の中よりもよくわかって来る。それも町筋や電車系統位の事でない。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:262 KB

担当:undef