少女地獄
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著者名:夢野久作 

 ですから私は温泉ホテルの前をすこし行き過ぎた湯の川橋の袂(たもと)で自動車を止めて貰いました。
 それから狭い横露地伝いに私は、温泉ホテルの三階の横に出まして、あすこの暗い板塀の蔭で長いこと耳を澄ましておりますうちに、高い高い三階の窓から、明るい光線と一緒に微かに洩(も)れて来る校長先生の笑い声を耳に致しました私は、ホット安堵の胸を撫でおろしました。それから直ぐに、音を立てないように板塀を乗り越して、非常梯子(ばしご)伝いに三階の非常口まで来ますと、あそこから丈夫な銅(あかがね)の雨樋(とい)伝いに、軒先からクルリと尻上りをして屋根の上に出ましたが、さすがの私……火星の女も、その尻上りをした時に、はるか眼の下の暗黒の底の、石燈籠に照された花崗岩(みかげいわ)の舗道をチラリと見下しました時には、思わず冷汗が流れました。
 そんな苦心をして、やっとの思いで目的の赤瓦屋根の絶頂に匐(は)い上りました私は、口に啣(くわ)えて来ました手提の中から取り出した細引のマン中を屋根の中心に在る避雷針の根元に結び付けて、その端を自分の胴中に巻き付けて手繰(たぐ)りながら、急な赤煉瓦の勾配を降りて行きました。そうして屋根の端の雨樋の処から顔だけ出して、直ぐ下の廻転窓越しに、部屋の中を覗き込んで見たのでした。
 温泉ホテルの三階は、全体が一つの眺望用のサロンみたいになっているのでした。雨模様で蒸暑かったせいでしたろう。窓の上側が全部、開放して在りましたので、内部(なか)の様子が隅から隅まで手に取るように一目で見えました。
 私は、私の想像以上だったあの時の、あの部屋の中の有様を書く勇気を持ちません。ただ必要なだけ書いて置きます。
 大きな棕梠(しゅろ)竹や、芭蕉(ばしょう)や、カンナの植木鉢と、いろいろな贅沢(ぜいたく)な恰好の長椅子をあしらった、金ピカずくめの部屋の中では、体格の立派な殿宮視学さんと、ゾッとするような白光りする背中の瘤(こぶ)を露出(むきだ)した川村書記さんと、禿頭の熊みたような毛むくじゃらの校長先生が、自動車で連れてお出でになった三人の若い婦人のほかに、土地(ところ)の芸妓(げいこ)さんでしょう、年増(としま)の二人と、都合五人の浅ましい姿の婦人たちを相手に、有頂天の乱痴気騒ぎをやってお出でになりました。獣とも人間ともわからない姿と声で躍ったり、跳ねたり、転がりまわり、匐(は)いまわり、笑いまわり、泣きまわってお出でになりました。
 私は暫くの間、茫然とそんな光景を見恍(みと)れておりました。
「現代の文明は男性のための文明」と仰言った校長先生の演説のお言葉を思い出しながら、こうした妖怪じみた人間と美人たちの乱舞を生まれて初めて眼の前に見て、気が遠くなるほど呆れ返っておりましたが、やがて吾に帰りました私は、屋根の端に身を逆様にしながら、落ち着いてコダックの焦点を合わせました。そうして、わざと蝋マッチを一本パチンと擦ったアトで、皆様がこちらをお向きになった瞬間を見澄まして、発光器(フラッシュ)を燃やしましたが、強い、青白い光線はズッと向うの広間の向う側までも達したように思いました。
 私が発光器(フラッシュランプ)を眼の下の深い木立の中へ投げ棄てますと、長椅子の上で遊び戯(たわむ)れておりました婦人たちの中にはキャア――ッと叫んで着物を着ようとした人もおったようでした。
「何だったろう、今のは……」
「恐ろしく光ったじゃないか」
「パチパチと言ったようだぜ」
「星が飛んだんだろう」
「馬鹿な。今夜は曇っているじゃないか」
「イヤ。星でも雲を突き抜いて流れる事があります。光が烈しいですから、直ぐ鼻の先のように見える事があります。私は一度見ましたが……小さい時に……」
「今夜は何か知らん妙な事のある晩だな」
「ちょうど窓の直ぐ外のように見えたがのう」
 そう言って校長先生が、ノソノソと窓の処へ近付いてお出でになるようでした。
 その瞬間にスッカリ面白くなりました私は、またも一つの悪戯(いたずら)を思い付きました。
 写真機と手提袋を深い雨樋(どい)の中へ落し込んだ私は、手早く髪毛(かみのけ)を解いて、長く蓬々(ほうほう)と垂らしました。ワイシャツの胸を黒い風呂敷で隠しますと、思い切って身体(からだ)の半分以上を屋根の端から乗り出しました。長い髪毛を逆様に振り乱しながら、息苦しいくらい甲高い、悲し気な声で叫びました。
「森栖先生エ――エ――エエエ……」
 部屋の中から流れ出る明るい電燈の光線で、窓の外の私の顔を発見された校長先生は、窓の枠(わく)に掴(つか)まったまま眼を真白く見開いて私をお睨みになりました。浅ましい丸裸体のまま、あんぐりと開いた口の中から、白い舌をダラリと垂らしておられました。その恰好がアンマリ可笑しかったので、私は思わず声高く笑い出しました。
「……ホホホ……ハハハハハハ……ヒヒヒヒヒヒ……」
 部屋の中が、私の笑い声に連れて総立ちになりました。
「あれエ――ッ……」
「きゃあア――あッ……」
「……誰か来てエ――ッ……」
 と口々に悲鳴をあげながら逃げ迷うて、他人の着物を引抱えながら馳け出して行く女(ひと)……そのまま入口の方へ転がり出る女(ひと)……気絶したまま椅子の上に伸びてしまう人……倒れる椅子……引っくり返る卓子(テーブル)……壊れるコップや皿小鉢……馳けまわる空瓶の音……。
 ……真夜中に三階の屋根の軒先から、逆様に髪毛を垂らして笑っている女の首を御覧になったら、誰でも人間とは思われないでしょう……。
 それが間もなくシインと鎮(しず)まりますと、あとには校長先生と同じに、私と睨み合ったまま、棒立ちになっておられる殿宮視学さんと、川村書記さんが残りました。その世にも滑稽(こっけい)な姿のお三人の顔を見廻わしますと、私は今一度、思い切った高い声で、心の底から笑いました。
「ホホホホホ……オホホホホホホ……私が誰だか、おわかりになりまして……?……校長先生……殿宮さん……川村さん……火星の女ですよ……オホホホホホホホホ……イヒヒヒヒヒヒヒヒ……アハハハハハハハハ……」
 校長先生は眼の玉を白くして、舌をダラリと垂らしたまま、大地震に会った仏像のように、仰向け様にドターンと引っくり返ってお終(しま)いになりました。それをほかのお二人は見向きもなさらないまま、私の顔を睨み詰めて棒立ちになっておられるようでしたが、私はそのまま綱を手繰ってモトの屋根の絶頂に帰りました。四つん匐(ば)いになったまま、ほおっ……と一つ溜息をして気を落ち着けました。
 私はもうその時に、立ち上れるかどうかわからないくらい、疲れている事に気が付きましたが、しかし、いつまでも休んでおる事は出来ませんでした。逃げた芸妓さん達が、着物を着てからホテルの人に知らせたものと見えまして、下の方で誰だかガヤガヤと騒ぎまわる声がしました。それに連れて古ぼけた非常提灯(ちょうちん)の光が二つ三つ、眼の下はるかのお庭の中に走り出て来たようでしたが、私はちっとも慌てませんでした。
 大切な写真機を入れた手提袋をシッカリと口に啣(くわ)えますと、避雷針に結び付けた綱を放ったらかしたまま、屋根の絶頂に立ち上って登って来た時と反対側の突端に来ました。そこで雲の間から洩れ出した美しい星影を仰ぎました時に、私は何故かしら胸が一パイになって、眼の中に涙が溜まって困りました。そのまま屋根の斜面を馳け降りて、闇の庭の舗道に飛び降りて、死んでしまいたいような衝動に馳られましたが、下の方から非常梯子を登って来るオドロオドロしい足音を耳にしますとまた、気を取り直しまして、直ぐ足の下から引っぱって在るラジオのアンテナ伝いに、隣りの棟(むね)の二階の屋根に降り立ちました。それからその屋根に近い大きな松の樹の枝に飛び付いて板塀の外へ降りました。それから田圃(たんぼ)の中の畦道(あぜみち)を横千切りに近道をして走りながら、一直線に温泉鉄道の停車場へ来て、やっとこさと終電車に間に合って、一時間経たないうちに町の宿屋へ帰って参りました。
 宿の私の部屋にはチャント床が取ってありました。その枕元に苦い苦いお薬のように出切った、つめたいお茶が置いてありましたので、私は坐る間もなくガブガブと二、三杯、立て続けに飲みましたが、その美味(おい)しゅう御座いましたこと……最前、温泉ホテルの屋根の上で、死にたくなった時とは正反対に、勇気が百倍して来たように思いました。

 その晩のフィルムの現像は百パーセントに都合よく行きました。小さいフィルムではありますが、浅ましい姿の三人の男性と五人の女性がビックリしてこちらを向いておる光景が、とてもハッキリと感じておりまして、引き伸ばしてみる迄もありませんでしたので、こんな事ならば、あんなに骨を折って、帽子だの花簪だのを後日の証拠に奪い取るような冒険をしなくともよかったのにと、一人で可笑しくなってしまいました。そうしてその晩から翌る日の正午近くまで私は、大満足のうちに骨を休めました。
 きょうの正午(おひる)過ぎに起き上りました私は、直ぐに全速力でこの手紙を書き始めました。こんなに長い手紙を三通も書いておりますうちには真夜中になるか、もしかすると夜が明けてしまうかも知れませんが、それでも私は構いません。夜の明けないうちに昨夜の写真を焼き付けて三、四枚ずつ、手紙の中に入れられるようにして置きます。
 私はこの手紙を三通とも別々の宛名の封筒に入れて、お頼みした通りの順序に出して下さるように書添えたものを同封にして、明二十六日の晩、町中が寝鎮まっている時刻に、愛子さんのお宅の郵便受筥(ばこ)に入れて置きます。
 それからズット以前に、学校の化学教室から盗んで置きました××××と脱脂綿と、昨日買って置きました△△△△と△△△とを持って、あの母校の思い出の廃屋(あばらや)に忍び込みます。
 あそこに積んで在る藁(わら)と、竹と、紙ずくめの運動会用具を積み重ねて、△△△△を振りかけます。それから裸蝋燭を△△△△に濡れた畳の上にジカに置いて、二十分もしたらそこいら中が火の海になるようにして置きます。それから××××をタップリと浸した綿で顔を蔽(おお)うて、積み重ねた燃料の下に潜り込むつもりです。私は揮発油を嗅いでも、すぐにフラフラになる性分ですから××××を沢山(たくさん)に嗅いだら、まだ火事にならないうちに麻酔し過ぎて、ほんとうに死んでしまうかも知れません。
 森栖校長先生……。
 私はこうして貴方から女にして頂いた御恩をお返し致します。それと一緒に、私の愛する心からの愛人、殿宮アイ子さんに、ほんとうの意味の親孝行をさせて上げたいのです。私はこうして、すべてを清算しなければ、モトの虚無に帰る事が出来ないのです。
 どうぞ火星の女の置土産、黒焦少女の屍体をお受け取り下さい。
 私の肉体は永久に貴方のものですから……ペッペッ……。




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