いなか、の、じけん
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著者名:夢野久作 

給料を一文も費(つか)わないばかりか、営庭の掃除の時に見付けた尾錠(びじょう)や釦(ボタン)を拾い溜めては、そんなものをなくして困っている同僚に一個一銭宛(ずつ)で売りつけて貯金をする。そうして日曜日を待ちかねて、母親を慰めに行くことが聯隊中の評判になったので、遂に聯隊長から表彰された。性質は極めて柔順温良で、勤務勉励、品行方正、成績優等……曰(いわ)く何……曰く何……。
 西村さんの評判はそれ以来絶頂に達した。日曜になると村の子守女が、吾(われ)も吾もと出かけて、川上の部落を取り巻いて、西村さんの親孝行振りを見物した。西村さんが病人の汚れものと、自分のシャツを一緒にして、朝霜の大川で洗濯するのを眺めながら「あたし西村さんの処へお嫁に行って上げたい」「ホンニナア」と涙ぐむ者さえあった。
 そのうちに新聞社や、聯隊へ宛ててドシドシ同情金が送りつけて来たが、中には女の名前で、大枚「金五十円也」を寄贈するものが出来たりしたので、西村さんは急に金持ちになったらしく、同じ部落の者の世話で、母親の寝ている蒲鉾小舎を、家らしい形の亜鉛板(トタン)張りに建て換えたりした。
「親孝行チウはすべきもんやナア」
 と村の人々は歎息し合った。

 ところが間もなく大変な事が起った。
 ちょうど桜がチラチラし初めて、麦畑を雲雀(ひばり)がチョロチョロして、トテモいい日曜の朝のこと。カーキー色の軍服を、平生(いつも)よりシャンと着た西村さんが、それこそ本当に活動女優ソックリの、ステキなハイカラ美人(さん)と一緒に自動車に乗って、川上の部落へやって来たのであった。
 尤(もっと)もこの日に限って西村さんは、何となく気が進まぬらしい態度(ようす)で、自動車から降りると、泣き出しそうな青い顔をして尻込みをしているのを、ハイカラ美人(さん)が無理に手を引っぱって、亜鉛(トタン)張りの家(うち)に這入ったが、母親はまだ睡っていたらしく、二人とも直ぐに外へ出て来た。
 それから西村さんは直ぐに帰ろうとして自動車の方へ行きかけたけれども、ハイカラサンが無理やりに引き止めた。そうして自動車の中から赤い毛布を一枚と、美味(うま)そうなものを一パイ詰めた籠を出して、雑木林の中の空地に敷き並べると、部落に残っている片輪(かたわ)連中を五六人呼び集めて、奇妙キテレツな酒宴(さかもり)を初めた。
 まず、最初は三々九度の真似事らしく、顔を真赤にして羞恥(はにか)んでいる西村さんと、キャアキャア笑っているハイカラ美人(さん)が、呆気(あっけ)に取られている片輪たちの前で、赤い盃を遣ったり取ったり、押し戴いたりしていたが、間もなく外(ほか)の連中も、白い盃や茶呑茶碗でガブガブとお酒を呑み初めた。その御馳走の中には、ネジパンや、西洋のお酒らしい細長い瓶や、ネープル蜜柑などがあったが、その他は誰一人見たことも聞いたこともない鑵詰(かんづめ)みたようなものばかりを、寄ってたかってお美味(いし)そうにパクついていた。
 西村さんもハイカラ美人(さん)にお酌をされて恥かしそうに飲んでいたが、その中(うち)にハイカラ美人(さん)はスッカリ酔っ払ってしまったらしく、毛布の上に立ち上って何かしらペラペラと、演説みたような事を饒舌(しゃべ)り初めた。それから赤い湯もじをお臍の上までマクリ上げると、大きな真白いお尻を振り立てて、妙テケレンな踊りをおどり出した。それを片輪連中が手をたたいて賞めていた……。
 ……までは、よっぽど面白かったが、間もなく横のトタン葺(ぶ)きの小舎から、幽霊のように痩せ細った西村さんのお母さんが、白い湯もじ一貫のまま、ヒョロヒョロと出て来た姿を見ると、みんな震え上がってしまった。
 青白い糸のような身体(からだ)に、髪毛(かみのけ)をバラバラとふり乱して、眼の玉を真白に剥(む)き出して、歯をギリギリと噛んで、まるで般若(はんにゃ)のようにスゴイ顔つきであったが、慌てて抱き止めようとする西村さんを突き飛ばすと、踊りを止めてボンヤリ突立っているハイカラ美人(さん)に、ヨロヨロとよろめきかかった。そのままシッカリと抱き付いて、眼の玉をギョロギョロさせながら、口を耳までアーンと開(あ)いて喰い付こうとした。それを西村さんが一生懸命に引き離して、ハイカラ美人(さん)の手を取りながら、自動車に乗ってドンドン逃げて行った。あとにはお母(っか)さんが片息になって倒れているのを、皆(みんな)で介抱しているようであったが、離れた処から見ていた上に、言葉が普通(あたりまえ)と違っているので、どんな経緯(いきさつ)なのかサッパリわからなかった……という子守女(こもり)たちの報告であった。
「フーン。それは、わかり切っとるじゃないか」
 と、聞いていた荒物屋の隠居は、新聞片手に子守女(こもり)たちを見まわした。
「西村さんのお母(っか)さんが、そんな女は嫁にすることはならんと云うて、止めたまでの事じゃがナ」
 子守女(こもり)たちは、みんな妙な顔をした。何だかわかったような、わからぬようなアンバイで、張り合い抜けがしたように、荒物屋の店先から散って行った。

 ところが又、その翌る日の正午(ひる)頃になると、村の駐在巡査と、部長さんらしい金モールを巻いた人を先に立てて、村の村医(せんせい)と腰にピストルをつけた憲兵との四人が、めいめいに自転車のベルの音をケタタマシク立てながら村を通り抜けて、川上の方へ行ったので、通り筋の者は皆、何事かと思って、表へ飛び出して見送った。その中から一人行き、二人駈け出しして行ったので、川上の部落のまわりは黒山のような人だかりになったが、そんな連中が帰って来てからの話によると、事件というのは西村のお母(っか)さんが昨夜(ゆうべ)のうちに首を縊(くく)ったので、昨日(きのう)のハイカラ美人(さん)が殺したのじゃないかと、疑いがかかっているらしい……というのであった。
 しかし、それにしても様子がおかしいというので、評議が区々(まちまち)になっていたが、あくる朝を待ちかねて人々が、荒物屋に集まってみると、果して、事件の真相が詳しく新聞に出ていた。「模範兵士の化けの皮」という大きな標題(みだし)で……
……西村二等卒の性行を調査の結果、表面温順に見える一種の白痴で、且(か)つ、甚だしい変態性慾の耽溺者であることがわかった。すなわち、その母親として仕えていたのは、実は子供の時から可愛がられていた情婦に過ぎないのであったが、最近に至って有名な箱師(はこし)のお玉という、これも変態的な素質を持った毒婦が、模範兵士の新聞記事を見て、大胆にも原籍本名を明記した封筒に、長々しい感激の手紙と、五拾円也の為替を入れて聯隊長宛に送って来た。これを本紙の記事によって知った警察当局では、極秘裡に彼女の所在を厳探中(げんたんちゅう)であったが、あくまでも大胆不敵なお玉は、その中を潜って西村と関係を結んだらしく、すっかり西村を丸め込んでしまった揚句(あげく)、二人で自動車に同乗して、贋(にせ)の母親を嘲弄(ちょうろう)しに行ったのが一昨日曜の午前中の事であったという。ところが西村はそのまま、隊へは帰らずに、駅前の旅館で服装を改めて、お玉と一緒に逃亡した模様である。一方に西村の贋(にせ)母親は、憤慨の余り縊死(いし)していることが昨朝に至って発見されたので、早速係官が出張して取調(とりしらべ)の結果、他殺の疑いは無いことになった。しかし、同時に、附近の乞食連中の言に依って、この種の変態的関係は、彼等仲間の通有的茶飯事で、決して珍らしい事ではないと判明したので、係官も苦笑に堪えず……云々……。
「……ところでこの、ヘンタイ、セイヨクの、何とかチウのは、何じゃろか……」
「おらにもわからんがナ」
 と荒物屋の隠居は、大勢に取り巻かれながら、投げ出すように云った。
「近頃の新聞はチットでも訳のわからんことがあると、すぐに、ヘンタイ何とかチウて書きおるでナ。おらが思うに西村さんは、やっぱり親孝行者じゃったのよ。それが性(しょう)の悪い女に欺(だま)されて、大病人の母親を見すてたので、義理も恩もしらぬ近所隣りの乞食めらが、あとの世話を面倒がって、何とかかとかケチをつけて、無理往生に首を縊らせたのじゃないかと思うがナ……ドウジャエ……」
 皆一時にシンとなった。

     兄貴の骨

「お前の家の、一番西に当る軒先から、三尺離れた処を、誰にも知らせぬようにして掘って見よ。何尺下かわからぬが、石が一個(ひとつ)埋(うず)もっている筈じゃ。その石を大切に祭れば、お前の女房の血の道は一(ひ)と月経たぬうちに癒る。一年のうちには子供も出来る。二人ともまだ若いのじゃから……エーカナ……」
「ヘーッ」
 と若い文作はひれ伏した。その向うには何でも適中(あた)るという評判の足萎(な)え和尚(おしょう)さんが、丸々と肥った身体(からだ)に、浴衣がけの大胡座(おおあぐら)で筮竹(ぜいちく)を斜(しゃ)に構えて、大きな眼玉を剥(む)いていた。
 その座布団の前に文作は、五十銭玉を一つ入れた状袋を、恐る恐る差し出して又ひれ伏した。するとその頭の上から、和尚の胴間声(どうまごえ)が雷のように響いて来た。
「しかし、早うせんと、病人の生命(いのち)が無いぞ……」
「ヘーッ……」
 と文作は今一度畳の上に額をすりつけると、フラフラになったような気もちで方丈(ほうじょう)を出た。途中で寒さ凌(しの)ぎに一パイ飲んで、夕方になって、やっと自宅(うち)へ帰りついた文作は着のみ着のまま、物も云わずに、蒲団を冠って寝てしまった。難産のあとの血の道で、お医者に見放されてブラブラしている女房が心配して、どうしたのかと、いろいろに聞いても返事もせずにグーグー鼾(いびき)をかいていたが、やがて夜中過ぎになると文作は、女房の寝息を窺いながらソーッと起き上って、裏口から、西側の軒下にまわった。そこに積んであった薪を片づけて、分捕りスコップ(日露戦役戦利払下品(はらいさげひん))を取り上げると、氷のような満月の光を便りに、物音を忍ばせてセッセと掘り初めたが、鍬(くわ)と違って骨が折れるばかりでなく、土が馬鹿に固くて、三尺ばかり掘り下げるうちに二の腕がシビレて来たので、文作はホッと一息して腰を伸ばした。
 するとその時に、今まで気がつかなかったが、最初に掘り返した下積みの土の端っこに、何やら白いものが二ツ三ツコロコロと混っているのが見えた。文作はそれを、何の気もなく月あかりに抓(つま)み出しながら、泥を払い落してみると、それは魚よりすこし大きい位の背骨の一部だったので、文作は身体(からだ)中の血が一時に凍ったようにドキンとした。ワナワナと慄(ふる)え出しながら、切れるように冷たい土を両手で掻き拡げて、丹念に探しまわってみると、泥まみれになってはいるが、脊椎骨(せぼね)らしいものが七八ツと、手足の骨かと思われるものが二三本と、わけのわからない平べったい、三角形の骨が二枚と、一番おしまいに、黒い粘(ねば)っこい泥が一パイに詰まった、頭蓋骨らしいものが一個(ひとつ)出た。
 文作は、もうすこしで大声をあげるところであったが、女房が寝ていることを思い出してやっと我慢した。身体中がガタガタと慄(ふる)えて、頭が物に取り憑(つ)かれたようにガンガンと痛み出した。横路地から這うようにして往来に出ると、一目散に馳け出した。
 文作が足萎え和尚の寝ている方丈の雨戸をたたいた時には、もう夜が明けはなれていたが、和尚が躄(いざ)りながら雨戸を開けて「何事か」と声をかけると、文作は「ウーン」と云うなり霜の降ったお庭へ引っくり返ってしまった。
 それをやがて起きて来た梵妻(だいこく)や寺男が介抱をしてやると、やっと正気づいたので、手足の泥を洗わせて方丈へ連れ込んだのであったが、熱い湯を飲ませて落ちつかせながら、詳しく事情を聞き取るうちに、和尚はニヤリニヤリと笑い出して、何度も何度も首肯(うなず)いた。
「ウーム。そうじゃろう……そうじゃろうと思うた。実はナ……埋(うず)まっているのが人間の骨じゃと云うと、臆病者のお前が、よう掘るまいと思うたから石じゃと云うておいたのじゃが、その骨というのはナ……エエか……ほかならぬ、お前の兄貴の骨じゃぞ……」
「ゲーッ。私の兄貴の……」
「……と云うてもわかるまいが……これには深い仔細(わけ)があるのじゃ」
「ヘエッ。どんな仔細で……」
「まあ急(せ)き込まずとよう聞け。……ところでまず、その前に聞くが、お前は昨日(きのう)来た時に両親はもう居らんと云うたノ」
「ヘエ。一昨年(おととし)の大虎列剌(コレラ)の時に死にましたので……」
「ウンウン。それじゃから云うて聞かすが、お前の母親(かかさん)というのは、ああ見えても若いうちはナカナカ男好きじゃったのでナ。ちょうどお前の処に嫁入る半年ばかり前に、拙僧(わし)の処へコッソリと相談に来おってナ……こう云うのじゃ。わたしはこの間の盆踊りの晩に、誰とも知れぬ男の胤(たね)を宿したが、まだ誰にも云わずにいるうちに、文太郎さんが養子に来ることになりました。わたしも文太郎さんなら固い人じゃけに、一緒になってもええと思うけれど、お腹(なか)の子があってはどうにもならぬ故(ゆえ)、どうか一ツ御祈祷をして下さらんかという是非ない頼みじゃ。そこで拙僧(わし)は望み通りに、真言秘密の御祈祷をしてやって、出て来た孩児(ややこ)はこれこれの処に埋めなさい……とまで指図をしておいたが……それがソレ……その骨じゃ。エエカナ……ところが、それから二十年余り経った昨日の事、お前がやって来てからの頼みで、卦(け)を立ててみると……どうじゃ……その盆踊りの晩に、お前の母親(かかさん)の腹に宿ったタネというのは、お前の父親(てておや)……すなわち文太郎のタネに相違ないという本文(ほんもん)が出たのじゃ。つまりその、堕胎(おろ)された孩児(ややこ)というのは、取りも直さずお前の兄さんで、お前の代りに家倉(いえくら)を貰う身柄であったのを、闇から闇に落されたわけで、多分この事はお前の両親も知っていたろうと思われる証拠には……ソレ……その孩児(ややこ)を埋めた土の上がわざっと薪(たきぎ)置場にしてあったじゃろう。けれども、その兄貴の怨みはきょうまでも消えず、お前の家の跡を絶やすつもりで、お前の女房に祟っているのでナ……出て来たものを丁寧に祭れと云うたのはここの事ジャ……エーカナ。本当を云うと、これはお前の母親の過失(あやまち)で、お前や、お前の女房が祟られる筋合いの無いのじゃが、そこが人間凡夫の浅ましさでナ……」
 という風に和尚は、引き続いて長々とした説教を始めた。
 文作は青くなったり、赤くなったりして、首肯(うなずき)首肯(うなずき)聞いていたが、そのうちに立っても居てもいられぬようにソワソワし始めた。和尚の志の茶づけを二三杯、大急ぎで掻き込むとそのまま、霜解(ど)けの道を走って帰った。

 ところが帰って来て見ると、文作が心配していた以上の大騒ぎになっていた。
 文作が昨日のうちに、軒下から孩児(ややこ)の骨を掘り出したまま、どこかへ逃げてしまっている。女房はそれを聞くと一ペンに血が上がって、医師(せんせい)が間に合わぬうちに歯を喰い締めて息を引き取った……というので文作の家(うち)の中には、村の女房達がワイワイと詰めかけている。家(うち)の外には老人や青年が真黒に集まって、泥だらけの白骨を中心に、大評議をしている……というわけで……そこへ文作が帰って来たのであったが、女房の死骸を一眼見ると、文作は青い顔をしたまま物をも云わず外へ飛び出して、村の人々を押しわけて、白骨の置いてある土盛りの処へ来た。ジイッと泥だらけの白骨を見ていたがイキナリその上に突伏して、
「兄貴……ヒドイ事をしてくれたなア……」
 と大声をあげて泣き出した。
 人々は文作が発狂したのかと思った。けれども、そのうちに、駐在所の旦那や区長さんが来て、顔中泥だらけにして泣いている文作を引きずり起こすと、文作は土の上に坐ったまま、シャクリ上げシャクリ上げして一伍一什(いちぶしじゅう)を話し出した。
 聞いていた人々は皆眼を丸くして呆(あき)れた。顔を見交して震え上った。うしろから取り巻いて耳を立てていた女たちの中(うち)には、気持ちがわるくなったと云って水を飲みに行ったものもあった。
 それから間もなく件(くだん)の白骨は、キレイに洗い浄められて、古綿を詰めたボールの菓子箱に納まって、文作の家(うち)の仏壇に、女房の位牌(いはい)と並べて飾られた。評判に釣られて見に来る人が多いので、文作の女房の葬式は近頃にない大勢の見送りであった。
 ところが事件はこれで済まなかった。どうも話がおかしいというので、駐在所の旦那が色々と取調べたあげく、一週間ばかりしてから郡の医師会長の学士さんに来てもらって、件(くだん)の白骨を見てもらうと、犬の骨に間違いない……という鑑定だったので又も大評判になった。その結果、あくまでも人間の胎児の骨だと云い張った足萎(あしな)え和尚は、拘留処分を受けることになったが、しかし村の者の大部分は学士さんの鑑定を信じなかった。文作の話をどこまでも本当にして、云い伝え聞き伝えしたので、足萎え和尚を信仰するものが、前よりもズッと殖(ふ)えるようになった。
 文作もその後久しく独身でいるが、誰も恐ろしがって嫁に来るものが無い。

     X光線

 電車会社の大きなベースボールグラウンドが、村外(むらはず)れの松原を切り開いて出来た。その開場式を兼ねた第一回の野球試合の入場券が村中に配られた。おまけにその救護班の主任が、その村の村医で、郡医師会の中(うち)でも一番古参の人格者と呼ばれている、松浦先生に当ったというので、村中の評判は大したものであった。本物のベースボールというものは、戦争みたように恐ろしいもので時々怪我(けが)人が出来る。救護班というのは、その怪我人を介抱する赤十字みたようなものだ……なぞと真顔になって説明するものさえあった。
 当の本人の松浦先生も、むろんステキに意気込んでいた。当日の朝になると、まだ暗いうちに一帳羅(いっちょうら)のフロックコートを着て、金鎖(きんぐさり)を胸高(むなだか)にかけて、玄関口に寄せかけた新調の自転車をながめながら、ニコニコ然と朝飯の膳に坐ったが、奥さんの心づくしの鯛(たい)の潮煮(うしおに)を美味(うま)そうに突ついているうちに、フト、二三度眼を白黒さした。それから汁椀をソッと置いて、大きな飯の固まりを二ツ三ツ、頬張っては呑み込み呑み込みしたと思うと、真青になってガラリと箸(はし)を投げ出してしまった。奥さんが仔細(わけ)を尋ねる間(ま)もなく立ち上って、帽子を冠って、新しい靴下の上から、古い庭穿(にわば)きを突かけると、自転車に跨(またが)りながらドンドン都の方へ走り出した。
 一時間ばかり走って、やっと都の中央の、目貫(めぬ)きの処に開業している、遠藤という耳鼻咽喉科病院の玄関に乗りつけた松浦先生は、滝のように流るる汗を拭き拭き、通りかかった看護婦に名刺を出して診察を頼んだ。
「鯛の骨が咽喉(のど)へかかりましたので……どうかすぐに先生へ……」
 間もなく真暗な室(へや)に通された松浦先生は、白い診察服を着けた堂々たる遠藤博士と、さし向いに坐りながら、禿頭(はげあたま)をペコペコ下げて汗を拭き続けた。
「そんな訳で、気が急(せ)いておりましたせいか、ここの処に鯛の骨が刺さりまして、痛くてたまりませんので……実は先年、講習会へ参りました時に、先生のお話を承りまして……ある老人が食道に刺さった鯛の骨を放任しておいたら、その骨が肉の中をめぐりめぐって、心臓に突き刺さったために死亡した……という、あのお話を思い出しましたので……」
「ハハハハハ……イヤ。あの話ですか」
 と遠藤博士は、肥った身体(からだ)を反(そ)り気味にして苦笑した。
「あんな例は、滅多にありませんので……さほど御心配には及ぶまいと思いますが」
「ハイ……でも……実は、忰(せがれ)が、来年大学を卒業致しますので、それまでに万一(もしも)の事がありましては申訳ありませんから、念のために是非一ツ……」
「イヤ……御尤(ごもっと)もで……」
 と遠藤博士は苦笑しいしい金ぶち眼鏡をかけ直して、ピカピカ光る凹面鏡(おうめんきょう)を取り上げた。松浦先生の口をあけさせて、とりあえず喉頭鏡を突込んでみたが、そこいらに骨は見当らなかった。けれども痛いのは相変らず痛いというので、それでは食道鏡を入れてみようという事になった。
 松浦先生は食道鏡というものを初めて見たらしかったが、奇妙な恐ろしい恰好の椅子に坐らせられて、二名の看護婦に両手を押えられたまま食道鏡の筒をさしつけられると、フト又青い顔になって遠藤博士を見上げた。
「これが……胃袋を突き通した器械で……」
 と云いかけて口籠もった。遠藤博士は噴(ふ)き出した。
「アハハハハハ、あの話を御記憶でしたか。あれはソノ何ですよ。あれは西洋で初めて食道鏡を使った時の失敗談で、手先の器用な日本人だったら、あんなヘマな事をする気遣(きづか)いはありませんよ。サア、御心配なく口を開いて……もっと上を向いて……そうそう……」
 食道鏡が突き込まれると、松浦先生は天井を仰いだまま、開口器を噛み砕くかと思うほど苦悶し初めた。大粒の涙をポトポト落しながら、青くなり、又赤くなったが、そんなにして残りなく調べてもらっても、骨らしいものはどこにも見つからなかった。
 しかし、それでも唾を飲み込んでみると、痛いのは相変らず痛いというので、思い切って今一度診(み)てもらいたいと云い出した。遠藤博士も苦笑しいしい、今一度食道鏡を突込んだ。
 こうして、三度までくり返したけれども、骨は依然として見付からない。しかし痛い処はやはり痛いというので、流石(さすが)の遠藤博士も持て余したらしく、懇意なX光線の専門家に紹介してやるから、そこで探してもらったらよかろう……と云って名刺を一枚渡した。

 X光線によって照し出された鯛の骨の在所(ありか)を、正面と、横からと、二枚の図に写してもらった松浦先生は、又も遠藤博士の処に引返して来たが、博士はたった今急患を往診に出かけたというので、今度は町外れに在る大学の耳鼻科に駈け込んだ。
 そこには若い医員が一パイに並んで診察をしていたが、その中の一人が、松浦先生の話をきくと、X光線の図には一瞥(いちべつ)だも与えないで冷笑した。
「……馬鹿な……そんな小さな骨がX光線(レントゲン)に感じた例はまだ聞きません。こちらへお出でなさい。とにかく診(み)てあげますから」
 といううちに松浦先生を別室に連れて行って、又も奇妙な、恐ろしい形の椅子に腰をかけさせた。しかしその時には松浦先生の食道が、一面に腫(は)れ爛(ただ)れて、食道鏡が一寸触(さわ)っても悲鳴をあげる位になっていたので、若い医員はスコポラミンの注射をしてから食道鏡を入れた。
 けれども、ここで又三回ほど食道鏡を出したり入れたりされているうちに、松浦先生はもうフラフラになってしまった。
「もう結構です。骨が取れましたせいか、痛みがわからなくなりましたようで……その代り何だか眼がまわりますようで……」
「それじゃ、このベッドの上で暫く休んでからお帰りなさい。注射が利いているうちは眼がまわりますから」
 と云い棄てて、若い医員は立ち去った。
 松浦先生は……しかしベースボールの方が気にかかっていたかして、そのまま自転車に乗って大学を出たらしかった。そうして途中で注射がホントウに利き出して、眼が眩(くら)んだものらしく、国道沿いの海岸の高い崖の上から、自転車もろともころげ落ちて死んでいるのが、間もなく通りかかりの者に発見された。
 その右の手には、X光線の図を二枚とも、固く握り締めていたという。

     赤い鳥

 村外れの網干場(あみほしば)に近い松原を二三百坪切り開いて大きな別荘風の家が建った。海岸の岩の上には見事なモーターボートを納めた倉庫まで出来た。そうして村一番のオシャベリで、嫌われ者のお吉という婆さんが雇われて、留守番をする事になった。それまでの噂や、その婆さんの話を綜合すると、その別荘を建てた人は有名な相場師であるが、その若大将の奥さんが身体(からだ)が弱いので、時々保養に来るために、わざわざ建てたものだという事である。
 村の者は皆その贅沢さに眼を丸くした。誰もかれもその若大将の奥さんを見たがった。
「この界隈で家を建てて、棟上げの祝いを配らずに済ます家は、あの別荘だけじゃろ」
 などと蔭口を利くものもあった。しかしその別荘は出来上ってから三箇月ばかりというもの閉め切ったまんまで、若い奥さんは影も形も見せなかった。
 ところが真夏の八月に入った或る日の事、鯛網引(たいあみひ)きの留守で、村中が午睡(ひるね)をしている正午下(ひるさが)り時分に、ケタタマシイ自動車の音が二三台、地響(じひびき)を打たして別荘の方へ走って行った。何しろ道幅が狭いので、家毎(ごと)にユラユラと震動して、子供なぞは悲鳴をあげながら怯(おび)えた位であった。眼を醒(さ)ました女房達の中には、火の付くように泣く子供を背中に掴み上げて、別荘の方へ駈け出した者もあったが、そんな連中はすぐあとから来た四五台の自動車に追っ払われて、逃げ迷わなければならなかった。
「別荘の中は殿様の御殿のように、立派な家具家財で飾ってあるよ」
「女中みたような若い女が二人と、運転手が下男みたような男衆が六七人とで、そんな家具家財を片付けながら、キャッキャッとフザケ合っていたよ」
「六七台の自動車は日暮れ方にみんな帰ってしまって、後(あと)には若い女中二人と、お吉婆さんと、青い綺麗な籠に這入った赤い鳥が一羽残っているんだよ」
「その赤い鳥は奇妙な声で……バカタレ……馬鹿タレエッて云っていたよ」
 というような事実が、その夕方、沖から帰って来た村中の男達に、大袈裟な口調で報告された。それを聞いた男たちは皆眼を瞠(みは)った。
「ウーム。そんならその奥さんチウのはヨッポド別嬪(べっぴん)さんじゃろ」
「いつ来るんじゃろ。その別嬪さんは……」
「あたしゃ初めあの女中さんを奥さんかと思うたよ。あんまり様子が立派じゃけん」
「あたしもそう思うたよ。……けんど二人御座るのも可笑(おか)しいと思うてナア」
「お妾さんチウもんかも知れんテヤ」
「ナアニ……その赤い鳥が奥さんよ」
「……どうしてナ……」
「……どうしてちうて……ウチの赤い鳥でも、毎日のように俺の事を、バカタレバカタレ云うてケツカルじゃないか」
 そんな事を云い合ってドッと笑いこけながら、海岸に咲き並ぶ月見草を押しわけて帰る連中もあった。

 そのあくる日のやはり夕方近くの事……本物の若い奥さんは、若大将と一緒に自動車で別荘に乗りつけた。そうして着物を着かえると直(す)ぐに、夫婦づれで海岸から村の中を散歩してまわった。
 奥さんは村の者の予期に反して別嬪でも何でもなかった。赤い毒々しい色の日傘の中に一パイになるくらい大きなハイカラ髪に結って、派手な浴衣(ゆかた)に紫色の博多帯をグルグルと捲き附けたまま、反(そ)り身(み)になって村中を歩いて行った。青白く痩せこけた上にコテコテとお化粧をした……鼻の頭がツンと上を向いた……眼の球のギョロギョロと大きい……年はいくつかわからない西洋人のようにヒョロ長い女であった。又、若大将の方は三十前後であろうか、奥さんよりもズット背の低いデブデブの小男であった。派手な格子縞(こうしじま)の浴衣に兵児帯(へこおび)を捲きつけて、麦稈帽(むぎわらぼう)を阿弥陀(あみだ)にしながら、細いステッキを振り振りチョコチョコと奥さんの尻を逐(お)うて行くところは、如何にも好人物らしかった。中には奥さんのお伴(とも)をしに来た書生さんと思った者もあるらしかったが、その二人が広くもない村の中を一通りあるきまわると、夕あかりの残った網干場を別荘の方へ通り抜ける時に、こんな話をした。
「ねえあなた。いい景色じゃないの……明日(あした)は早く起きてモーターボートで島めぐりをしてみない」
「……ウウン……凪(な)いでいたら行ってみよう」
「……だけどコンナ村に住んでいる人間は可愛想なものね。年中太陽に晒(さら)されて、豚小屋みたいな処に寝ころんで……」
「ウーン。女でも男でもずいぶん黒いね。トテモ人間とは思えない」
「男はみんなゴリラで、女はみんな熊みたいに見えるわよ」
「ハハハハ、ゴリラかハハハ」
「ホホホホヒヒヒヒヒ」
 すると、ちょうど網干場のまん中の渋小屋(しぶごや)(網に渋を染める小屋)の蔭で遊んでいた子守女(こもり)が二三人、鳴りを鎮(しず)めて二人の会話に耳を傾けていたのであったが、こうした言葉をきくと流石(さすが)に憤慨したものと見えて、子供を背負(しょ)い上げながら大急ぎで村へ帰って来た。そうして村の連中が夏祭りの相談をしながら、一杯飲んでいる処へやって来て、口々に忠実めかして報告した。
 只さえ気の荒い外海(そとうみ)育ちの上に、もういい加減酔払っていた若い連中は、これを聞くと一時に殺気立ってしまった。中にも赤褌(あかふんどし)一貫(いっかん)で、腕へ桃の刺青(いれずみ)をした村一番の逞ましいのが、真先に上(あが)り框(かまち)に立って来て呶鳴(どな)った。
「……何コン畜生……ごりらタア何の事だ……」
「……知らんがナ……」
 と子守女(こもり)たちは見幕に恐れて後退(あとじさ)りをした。
「……ナニイ知らん……知らんタア何じゃい……」
「何でもええがッ……畜生メラ。この村を軽蔑してケツカルんだッ」
「第一この村の地内(じない)に家(うち)を建てながら、まだ挨拶にも失(う)せおらんじゃないか」
「……よしッ……みんな来いッ。これから行って談判喰らわしてくれる」
「……よし来た……喧嘩なら俺が引き受けた。モノと返事じゃ只はおかせんぞ」
 と云ううちに四五人バラバラと立ちかけた。その時であった。
「……マア待て待て……待て云うたら……」
 シャガレた声で上座(かみざ)から、こう叫んだ向う鉢巻の禿頭(はげあたま)は、悠々と杯を置いて手をあげると、真っ先きに立った桃の刺青を制し止めた。
「何だいトッツァン……又止めるんか」
「ウン。止めやせんがマア坐っとれい。俺は俺で考えとる事があるから……」
「フーン……そんなら聞こう」
 と桃の刺青が引返して坐った。ほかの連中もドタドタと自分の盃の前に尻を据えた。
「……ドンナ考えかえ……トッツァン……」
「考えチウてほかでもない。今度の夏祭りナア……ええか……今度の夏祭り時にナア……ええか……」
 禿頭はニヤニヤ笑いながら桃の刺青の耳に口を寄せた。子守女(こもり)たちに聞こえぬようにささやいた。
「……ナ……ナ……そうしてナ……もしそれを、それだけ出さんと吐(ぬ)かしおったら構う事アない。あの座敷にお獅子様を担ぎ込むんよ。例の魚血(なまぐさ)を手足に塗りこくって暴れ込むんよ……久し振りにナ……」
「……ウム……ナルホド……ウーム……」
「……ナ……高が守(もり)ッ子(こ)の云う事を聞いて、云いがかりをつけるよりも、その方が洒落(しゃれ)とらせんかい」
「ウン。ヨシッ。ワカッタッ。みんなであの座敷をブチ毀(こわ)してくれよう」
「シイッ。聞こえるでないか……外へ……」
「ウン。……第一あの嬶(かか)あ面(づら)が俺ア気に喰わん。鼻ッペシを天つう向けやがって……」
「アハハハハ。あんなヒョロッコイ嬶(かか)が何じゃい。俺に抱かして見ろ。一ト晩でヘシ折って見せるがナ」
「イヨーッ豪(えら)いゾッ。トッツァン。そこで一杯行こうぜ……アハハハハハハ」
「ワハハハハハ」
 そんな事でその時は済んだが、サテそのあくる日の正午近い頃であった。

 七ツと六ツぐらいの村の子供が二人連れで、素裸(すはだか)のまま、浜へテングサを拾いに来ていたが、いい加減に拾って帰りがけに、炎天の下の焼け砂の上を、開け放された別荘の裏木戸の前まで来ると、キョロキョロと中をのぞきながら、赤煉瓦塀(あかれんがべい)の中へ這入り込んだ……、家中(うちじゅう)の者がモーターボートで島巡りに出て行くところを今朝(けさ)から見ていたので……そうして縁側の小松の蔭に吊してある、赤い鳥の籠に近付きながら恐る恐るのぞきこんだ。
 その顔を見ると人なつこいらしい赤い鳥は、突然頭を下げて叫び出した。
「モシモシ。モシモシイ。コンチワ……コンチワコンチワ……」
 二人の子供はビックリして砂だらけの顔を見合わせた。
 それを見ると赤い鳥はイヨイヨ得意になったらしく、一心に子供の顔を見下しながら、低い声で歌を唄い出した。
「……ジャン、チェーコン、リウコン……コンリウ、コンジャン、チェーコンチェー……チェーリウコンコンジャンコンチェー……じゃんすいじゃんすい、ほうすいほう……すいすいじゃんすい、ほうすいほう……」
 子供は又も黒い顔を見合わせた。
「何て云いよるのじゃろか」
「……お前たちの事をバカタレって云っているんだよ……ホホホホ」
 という声が不意に背後(うしろ)の方から聞こえたので、二人は又もビックリして振り向いた。見るとそれはこの別荘の若大将夫婦で、たった今ボート乗りから帰って来たものらしく、二人とも眩(まぶ)しいほど白い洋服を着て、濡れ草履(ぞうり)を穿(は)いて、ニコニコしながら突立っていた。
 二人の子供はホッと安心したように溜め息を吐(つ)いた。そうして又も不思議そうに赤い鳥の方を振りかえった。
「……エー皆さん……エー皆さん……私は……私は……すなわち……すなわち……」
 と赤い鳥は又別の事を云い出した。それにつれて奥さんは、日の照りかかる小鼻に皺(しわ)を寄せながら笑い出した。
「ホーラネ……ホホホホホホ……お前さん達の顔を見て馬鹿タレって云っているでしょう……ネーホラ……バカタレーッて……」
「……ちがう……」
 と大きい方の児(こ)が眼をパチパチさせながら云い放った。イクラカ憤慨したらしく黒い頬を染めながら……しかし若い奥さんは凹(へこ)まなかった。イヨイヨ面白そうに金歯を出して笑った。
「イイエ……よく聞いて御覧……ホーラ……ネ……バカタレーッ……バカタレーッ……てね……ね……ホッホッホッホッ」
 この笑い声を聞くと赤い鳥は、一寸(ちょっと)頭を傾けているようであったが、忽(たちま)ち思い出したようにパタパタと羽ばたきをした。籠の格子に掴まって、子供の顔を睨み下しながら、一際(ひときわ)高く叫び出した。
「……バカタレーッ……バカタレーッ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエーッ……」
 そう云う赤い鳥の顔を、眼をまん丸にして見上げていた大きい方の児が、みるみる渋面を作り出した。眼に涙を一パイ溜めたと思うと、口惜しそうにワーッと泣き出して、テングサの束を投げ出したまま裏木戸の方へ駈け出した。小さい方の児もテングサの雫(しずく)を引きずり引きずりあとから跟(つ)いて出て行った。笑いころげる夫婦の声をあとに残して……。

 大きい方の児は、すぐに網干場に駈け込んで、そこに突立っている赤褌の、桃の刺青をした男に縋(すが)り付いた。そうして一層泣き声を高めながら別荘の方を指(ゆびさ)して、切れ切れに訴えはじめた。
 桃の刺青はウンウンうなずきながら聞いていたが、そのうちに二三度鉢巻を締め直した。青筋を立てて怒鳴った。
「……エエわからん……まっとハッキリ云え……ナニイ……あの別荘の奴等がか……ウンウン……あの赤い鳥にバカタレと云わせたんか……ウンウン……それに違いないナ」
 横に立っていた小さい児も、指を啣(くわ)えたまま、大きい児と一緒にうなずいた。
「……ヨシッ……わかった……泣くな泣くな……畜生めら……そんな了簡(りょうけん)で、あの赤い鳥を連れて来腐(きくさ)ったんだナ……ヨシッ……二人とも一緒に来い……」
 と云うより早く網を押しわけて別荘の方へ駈け出した。
 しかし裏口から赤煉瓦の中へ這入ってみると、別荘の中はガランとしていて、人の気はいもなかった。ただ表の植込みから蝉(せみ)の声が降るように聞こえて来るばかりなので、桃の刺青はチョッと張り合いが抜けた体(てい)であったが、そのうちに小松の蔭に吊してある、青塗りに金縁(きんぶち)の籠を見付けると、又急に元気附いた。
「コン畜生……ひねり殺してくれる」
 と独言(ひとりごと)を云い云い籠の口を開けて、黒光りに光る手首をグッと突込んだ。
 赤い鳥は驚いた。バタバタと羽根を散らして上の方へ飛び退(の)いたが、なおも真黒い手が掴みかかって来るのを見ると、その手の甲へ勇敢に逆襲して、死に物狂いに喰い附いた。
「アッ……テテッ……テテェテテェテテェッ……」
 桃の刺青も一生懸命になった。深く刺さった鈎型(かぎがた)の嘴(くちばし)を一気に引き離すと、黒血のしたたる手首を無我夢中にふりまわしたが、そのはずみに籠の底が脱けてバッタリ落ちたので、赤い鳥は得たりとばかり外へ飛び出して、見る見るうちに遠い松原の中に逃げ込んでしまった。

「……君は一体何をするんだ……」
 鳥のあとを逐(お)うて二三歩馳け出したまま、ボンヤリと焼け砂の上に突立っていた桃の刺青は、突然にうしろから怒鳴り付けられたのでビックリして振り返った。見ると浴衣がけの若大将が湯上りの身体(からだ)をテラテラ光らせながら、小さな眼を光らして縁側に突立っていた。そのうしろから寝巻をしどけなく着た奥さんが、咽喉(のど)をピクピクさして泣きじゃくりながら、帯を捲き付け捲き付け出て来る模様であった。
「……二百円もする鳥を何で逃がした……うちの家内が吾(わ)が児(こ)のようにしていたものを……」
 若奥さんは帯を半分捲き付けたままベタリと縁側に坐った。ワーッ……と泣き出しながら板張りへ突伏した。
 桃の刺青はこれを見ると肩を一つゆすり上げた。又も勢い付けられながら血だらけの手で鉢巻を締め直した。
「……ナ……何をするたア……ナ何だ。貴様等ア……あの赤い鳥を使って、俺の弟を泣かせたろう……村中の人間をバカタレと……イ……云わせたろう……」
「……そんなオボエはないぞ……」
「……何オッ。この豚野郎……証拠があるぞッ……」
「……証拠がある筈はないぞ……鳥が勝手に云ったんだから……」
「……ウヌッ……」
「……アレーッ……」
 桃の刺青はイキナリ土足で縁側に飛び上ろうとしたが、グイと若旦那に突き落された。その力が案外強かったので、桃の刺青はチョット驚いたらしかったが、喧嘩自慢の彼はなおも屈せずに、庭下駄穿(にわげたば)きで降りて来た若旦那を眼がけて掴みかかった。
 けれども柔道を心得ているらしい若旦那の腕力には敵(かな)わなかった。砂の上に息詰まるほどタタキ投げられた上に、尻ペタをイヤという程下駄で蹴付(けつ)けられてしまった。しかも、それをヤット我慢しながらようように頭を上げてみると、若旦那はいつの間にか縁側に上って、女たちと並んで見ているのであった。
 桃の刺青は真青になって、唇を噛んだ。起き上るや否や、
「覚えていろッ」
 と云い棄てて裏口から飛び出した。村中を駈けずって仲間を呼び出してまわったが、その仲間の四五人が、冷酒(ひやざけ)の勢いに乗じて別荘に押しかけた時分には、若旦那夫婦と女中二人を乗せたモーターボートが、大凪(おおなぎ)の沖合はるかに、音も聞こえない処に辷(すべ)っていたのであった。
 桃の刺青の仲間はいよいよ腹を立てた。炎天を走って来たお蔭で、一時に上(あが)った冷酒の悪酔いと一緒に、別荘の中へあばれ込んで、戸障子や器物を片っ端からタタキ毀(こわ)し初めた。それを押し止めに出て来たお吉婆さんまでも序(ついで)にタタキ倒おしてしまったが、その婆さんの報告で駐在巡査が駈け付けると、すぐに桃の刺青を取り押えて、ほかの四五人と一緒に裸体(はだか)のまま本署へ引っぱって行った。
 村中は忽ち大騒ぎになってしまった。この塩梅(あんばい)では四五日のうちに迫っている夏祭りがトテモ出来まいというので、年寄達が寄り合ったり、村長と区長が夕方から警察に陳情に行ったりしたが、そのうちに別荘の持ち主の方で、告訴しないように取計らった事が、町から電話で知らせて来たとかで、間もなく若い者たちは放免されることがわかったので、やっと村中が落ち付いた。
 一方に別荘はこの騒動のあった日から、門も雨戸もスッカリ閉め切って、空屋同然の姿になってしまったが、そのあくる日のこと……村の女房や守(もり)っ娘(こ)が四五人づれで、恐る恐る様子を見に行ってみると……雨戸の外の小松の蔭にブラ下がった底無しの籠の中に、いつの間にか赤い鳥が帰っていた。そうして昨日(きのう)の残りの餌をつつきながら一生懸命で叫んでいた。
「馬鹿タレ……バカタレエ……バカタレバカタレバカタレバカタレバカタレエッ……」

     八幡まいり

 収穫(とりいれ)が済んだあとの事であった。亭主の金作が朝早くから山芋掘りに行った留守に、あんまりお天気がいいので、女房のお米(よね)は家(うち)を閉め切って、子守女(こもり)のお千代に当歳の女の児(こ)を負わせた三人連れで、村から一里ばかりあるH町の八幡宮に参詣(さんけい)した。
 帰りかけたのは午後の一時頃であったが、お宮の裏の近道に新しく出来たお湯屋を見かけると、お米はチョット這入(はい)ってみたくなったので、誰も居ない番台の上に十銭玉を一つ投げ出して板の間に上った。眼を醒(さ)ましかけた子供に乳を飲まして寝かしつけて、ネンネコ袢纏(ばんてん)に包んで、隅ッ子の衣類(きもの)棚の下に置いて、活動のビラを見まわったりしながら、お千代と一所(いっしょ)に湯に這入ったが、ちょうど人の来ない時分で、お湯が生温(なまぬる)かったので、二人はいい気持になって、お湯の中でコクリコクリと居ねむりを初めた。
 そのうちに一かたげ眠ったお米はクサメを二ツ三ツして眼を醒ましたが、高い天窓越しに、薄暗く曇って来た空を見ると、慌てて子守のお千代を揺り起した。
「チョット。妾(あたし)は洗濯物をば取り込まにゃならぬ。一足先に帰るけに、お前はあとから帰って来なさいよ。湯銭(ゆせん)は払うてあるけに……」
 お千代は濡れた手で眼をコスリながらうなずいた。お米はソソクサと身体(からだ)を拭いて着物を着て、濡れた髪を掻き上げ掻き上げ出て行った。
 それからお千代は又コクリコクリと居ねむりを初めたが、そのうちに鼻から湯を吸い込んで噎(む)せ返っているうちにスッカリ眼が醒めてしまったので、ヤット湯から上って、まだねむい眼をコスリコスリ身体を拭いた。赤い帯を色気なく結んで表に出ると、長い田圃道をブラブラと、物を忘れたような気もちで歩いて帰った。
 帰り着いてみるとお神(かみ)さんは、又も西日がテラテラし出した裏口で、石の手臼(てうす)をまわしながら、居ねむり片手に黄(き)な粉(こ)を挽(ひ)いていた。それでお千代も石臼につらまって、一所にウツラウツラしいしい加勢をしていたが、そのうちに四時頃になって夕蔭がさして来ると、山芋をドッサリ荷(かつ)いだ亭主の金作が、思いがけなく早く、裏口から帰って来た。
 金作は界隈でも評判の子煩悩(こぼんのう)であったが、山芋を土間に投げ出して、いつも子供を寝かしておく表の神棚の下まで来ると、そこいらをキョロキョロと見まわしながら、大きな声で怒鳴った。
「オイ。子供はどうしたんか」
 お米は妙な顔をしてお千代を見た。お千代も同じような顔をしてお米の顔を見上げた。
「オイ。どうしたんか……子供は……」
 と亭主の金作は眼を丸くして裏口へ引っ返して来た。
 お米はまだお千代の顔を見ていた。
「お前……背負うて来たんやないかい」
 お千代もお米の顔をポカンと見上げていた。
「……イイエ……お神さんが負うて帰らっしゃったかと思うて……妾(わた)しゃ……」
 二人は同時に青くなった。聞いていた金作も、何かわからないまま真青になった。
「……どうしたんか一体……」
「あたし……きょう……八幡様にまいって……」
「……ナニ……八幡様に参って……」
「……お宮の前のお湯に這入って……」
「……ナニイ……お湯に這入っタア……何(なん)しに這入ったんか……」
「……………」
「それからドウしたんか」
「……………」
「……泣いてもわからん……云わんかい」
「……落(おと)いて来たア……」
「……ワア――ア……」
 金作は二人を庭へタタキ倒した。黄な粉を引っくり返したまま、大砲のような音を立てて表口から飛び出した。
 お米も面喰(めんくら)ったまま起き上って、裏の田圃へ駈け出した。田を鋤(す)いている百姓を見付けると、金切声を振り絞った。
「大変だよ。ウチの人と一所に行っておくれよ。子供が……子供が居なくなったんだよッ……」
 一方に八幡裏のお湯屋では、亭主と、巡査と、近所の人が二三人、番台の前で評議をしていた。その中で巡査は帳面を開いたまま、何かしら当惑しているらしかったが、やがて髭(ひげ)をひねりひねり亭主をかえりみた。
「子供を棄てる奴が湯に這入って帰るチウは可笑(おか)しいじゃないか。ア――ン」
「ヘエ。……でも十銭置いてありますので……」
「フ――ン。釣銭は遣らなかっタンカ」
「ヘエ。いつ頃這入ったやら気が付きませんじゃったので……」
「迂濶(うかつ)じゃナアお前は……。罰を喰うぞ気を付けんと……」
「ヘエ。どうも……これから心掛けます」
「つまり湯に這入るふりをして棄てたんじゃナ」
「ヘエ……じゃけんど、ヒョットしたら落(おと)いて行ったもんじゃ御座いませんでしょか」
「馬鹿な……吾(わ)が児(こ)を落す奴があるか」
 その時に男湯の入口がガラリと開(あ)いて、百姓姿の男が一人駈け込んで来た。そうして何か戸惑いでもしたように、誰も居ない男湯の板の間を見まわしながらキョロキョロしていたが、そのうちにヤット気付いたらしく、女湯の入口にまわると、泥足のまま巡査を突き退(の)けて、ハヤテのように板の間に駈け上った。……と思うと、そのあとから又二三人、野良姿の男がドカドカと這入って来た。
「居ったカッ」
「居ったッ」



いなか、の、じけん 備考

 みんな、私の郷里、北九州の某地方の出来事で、私が見聞致しましたことばかりです。五六行程の豆記事として新聞に載ったのもありますが、間の抜けたところが、却って都に住む方々の興味を惹くかも知れぬと存じまして、記憶しているだけ書いてみました。場所の事もありますので、場所と名前を抜きにいたしましたことをお許し下さい。




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