豚吉とヒョロ子
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著者名:夢野久作 URL:../../index_pages/person973

そのうちに通りかかりの人々は皆、屋根の上を走る奇妙な夫婦の姿を見て驚いて、みんなと一所に走り出しますので、人数はだんだんに殖えるばかり。しまいには何千人とも何万人ともわからぬ位になって、ワアワアワアワアワアと町中の騒ぎになりました。
 けれども、遠く離れた往来を通っている人には何事だかわかりません。
「何という騒ぎだろう」
「戦争でしょうか」
「鉄砲の音がしない」
「火事だろうか」
「煙が見えない」
「何だろう何だろう」
「行って見ろ行って見ろ」
 駈け出すものや、屋根に上るものなぞが、あとからあとから出来て、騒ぎはいよいよ大きくなるばかり。中には転んで踏み潰されたり、屋根から落ちて怪我をしたり、又はブツカリ合って喧嘩を初めるものなぞがあって恐ろしい有様になりました。
 そうなると警察もほっておくわけに行きませんので、ドンドン巡査を繰出します。消防も半鐘(はんしょう)をたたいたので、近くの町や村々の消防や蒸気ポンプがわれもわれもと駈け付けましたが、何しろ騒ぎが大きいのと、どこの往来も人で一パイなので近寄ることが出来ません。一所になって、
「静まれ静まれ」
 と叫ぶばかりなので、町中は引っくり返るような騒ぎです。
 こちらはヒョロ子です。豚吉を背負ったまま高い屋根の上に立って四方を見渡しますと、見渡す限りの往来も屋根もみんな人間ばかりで、警察や消防も出て来ているようです。どっちを向いても逃げようがありません。
「ああ、情ないことになった。おれたちが片輪に生れたばっかりに、こんな騒ぎになった。もうとても助からぬ。捕まったら殺されるに違いない」
 と、豚吉はヒョロ子の背中に掴まって、ブルブルふるえながらオイオイ泣き出しました。
 ヒョロ子も涙を流しながら、
「ほんとにそうです。けれども私たちが結婚式の晩に村を逃げ出しさえしなければ、こんな眼に会わなかったでしょう。お父さんやお母様や親類の人達に御心配をかけた罰でしょう」
 と云いました。
「そうじゃない」
 と豚吉は怒鳴りました。
「あの橋を無理に渡って、こんな馬鹿ばかり居る町に来たからこんな眼に会うのだ」
「そうじゃありません。音(おと)なしくあの見世物師の云うことをきいて見世物になっておれば、こんなことにならなかったのです。檻を破ったり何かした罰です」
「そうじゃない。あの無茶先生に診(み)せに行ったのがわるかったんだ」
「そうじゃありません。あの無茶先生がせっかく治してやろうとおっしゃったのを、逃げ出したからわるいのです」
「そうじゃない。お前がおれをこんなに背中に結び付けて、屋根の上を走ったりするもんだからこんな騒ぎになるのだ。お前は馬鹿だよ」
「馬鹿でもほかに仕方がありませんもの……」
「ああ、飛んだ女と夫婦になった」
「そんなら知りません。あなたをここに捨てて逃げてゆきます」
「イケナイ。そんなことをすると喰い付くぞ、この野郎」
 と云うと、イキナリ豚吉はヒョロ子の髪毛(かみのけ)を捕まえました。
「アア痛い。放して下さい放して下さい。逃げられませんから」
 とヒョロ子は金切声を出しました。
 これを見た往来の人々は、
「ヤア。あすこで夫婦喧嘩を初めた。今の間に捕まえろ」
 というので梯子を持って来ますと、元気のいい二三人の青年が屋根の上に飛び上って来ました。
 それを見ると、豚吉は慌ててヒョロ子の髪毛を放しながら、
「ソレ、捕まるぞ。逃げろ逃げろ」
 と云いますと、ヒョロ子は夢中になって往来を隔てた向うの屋根に飛び移りました。
「ソレ、又逃げ出した」
「あっちへ行った」
「追っかけろ追っかけろ」
 と追いまわし初めましたが、何しろ人数が多いのでヒョロ子夫婦はどっちへも逃げようがありません。それをあっちへ飛び、こっちへ飛びしているうちに、ヒョロ子は豚吉を背負ったままだんだん町外れの方へ来ましたが、その家の無くなりがけに小さい古ぼけた屋根が見えます。そこから先はもう家も何も無い上に、仕合わせと人間もまだ追い付いて来ていない様子で、往来には誰も居ないようですから、ヒョロ子は占めたと思いまして、高い屋根の上からその低い屋根の上に両足を揃えて飛び降りますと、その屋根は腐っていたものと見えまして、ヒョロ子と豚吉の重たさのためにズバリと破れました。そうしてその勢いでヒョロ子は豚吉を背負ったまま屋根の下の天井までも打ち抜いて、その下に寝ている人の腹の上にドシンと落ちかかりました。
「ギャッ。ウーン」
 と云って、寝ている人はそのまま眼をまわしてしまいましたが、そのおかげでヒョロ子も豚吉も怪我をしないで起き上って見ますと、こは如何(いか)に……眼をまわしているのは無茶先生で、そこいらには鍋だの焜炉(こんろ)だの豚の骨だの肉だのが一面に散らばっております。その横には最前の馬もまだ足を投げ出して寝ています。
「まあ。大変よ、無茶先生ですよ。さっきの豚を捕まえて召し上って、寝ていらっしたところですよ。その上から私たちが落ちかかったのですよ……まあ、ほんとにどうしましょう」
 とヒョロ子は泣声を出しました。
「心配するな。そこにあるバケツの水を頭からブッかけて見ろ」
 と豚吉が背中から云いましたので、ヒョロ子はその通りに無茶先生の頭からブッかけますと、無茶先生は、
「ウーン。ブルブルブル」
 と眼をさましました。そこへも一パイ頭からバケツの水をブッかけましたので、無茶先生は、
「ウワア。夕立だ、雷だ」
 と云いながら飛び起きました。
 その様子が可笑(おか)しかったので、ヒョロ子も豚吉も腹を抱えて笑い出しましたが、無茶先生は頭から濡れたまま眼をこすってよく見ますと、思いもかけぬヒョロ子が豚吉を背負って立っていますので、又驚きました。
「ヤア、お前達はどうしてここへ来たのだ」
 と尋ねました。
 ヒョロ子は落ちかかる豚吉をゆすり上げながら今までのことをお話ししますと、無茶先生は面白がってきいておりましたが、
「フーンそうか。それじゃ、町中の奴がお前達夫婦を見たいと云って追っかけまわしたのか。それは困ったろう。しかし、それというのも、お前たちがおれの云うことをきかないからこんなことになるのだ。おれの云うことをきいて背骨を入れかえてさえおけば、そんな眼に会わなくても済むのだった」
 と云いましたので、ヒョロ子は豚吉も気まりがわるくなって、
「ほんとに済みませんでした。もうこれからどんなことをされても恐がりませんから、どうぞ当り前の人間にして下さい。今度でもうコリゴリしました」
 と床の上に座ってあやまりました。無茶先生は大威張りで、
「よしよし。お前達がそんなにあやまるならば、今度は背骨だけでなく、身体(からだ)中すっかりたたき直して、ビックリする位立派な人間に作りかえてやろう」
「ええっ。そんなことが出来ますか」
「ウン、出来るとも出来るとも。お前達はおれの腕前を知らないからそんなことを云うけれども、おれが持っている薬の力ならば、どんなことでも出来ないことはないのだ」
「ありがとう御座います。それではすぐに治して下さい」
「イヤイヤ、ここでは出来ぬ。それには支度が要るから、どこか鍛冶屋へ行かなければ駄目だ。今からすぐ行くことにしよう」
 と、無茶先生はすぐにお薬を取り出して、鞄の中へ入れ初めました。
 その時にはるか向うから、
「ワーッ、ワーッ」
「あすこの家(うち)に珍らしい夫婦が逃げ込んだ」
「無茶先生の家(うち)だ無茶先生の家だ」
「それ、押しかけろ押しかけろ」
 と云う声がすると一所に、あとからあとから大勢の人間が押しかけて、無茶先生の家のまわりを一パイに取り巻いてしまいました。
 無茶先生はこれを見ると真赤になって憤(おこ)り出しました。
「こん畜生。来やがったな。よしよし、おれが追払(おっぱら)ってやる。お前達は二人共鼻の穴にこの綿を詰めてジッとしていろ。そうして、馬鹿共が居なくなったら、すぐに逃げられるように用意していろ」
 と云ううちに、無茶先生は自分の鼻の穴にも綿をドッサリ詰め込んで、丸裸体(はだか)のまま表に飛出して大勢の者を睨み付けますと、
「コラッ。貴様共は何しに来たんだッ」
 と怒鳴り付けました。
 すると、大勢の人の中から一人の大きな強そうな男が飛び出して来て、
「貴様は無茶先生か」
 とききました。
「そうだ。貴様は何だ」
「おれはこの町の喧嘩の大将だが、今貴様のうちにヒョロ長い女がまん丸い男をおぶって逃げ込んだから捕まえに来たんだ」
「何だってその夫婦を捕まえるんだ」
「その夫婦は奇妙な姿で屋根から屋根へ飛び渡って町中を騒がしたんだ。そのため怪我人や死んだものが出来たんだ。それだから捕まえに来たんだ」
「馬鹿野郎。貴様たちがその夫婦を無理に見ようとしたから夫婦が逃げ出したんだろう。貴様たちの方がわるいのだ」
「こん畜生。貴様はあの夫婦に加勢をして、おれ達に見せまいとするのか」
「そんな夫婦はおれの処に居ない」
「居ないことがあるものか。あの屋根を見ろ。あんなに破れている。あすこから落ちこんだに違いない」
「そんなら云ってきかせる。夫婦はうちに居るけれども、貴様たちに渡すことは出来ない」
「こん畜生。貴様はおれがどれ位強いか知ってるか」
「知らない。いくら強くても構わない。おれが今追い払ってやる」
「追い払えるなら追い払って見ろ」
「ようし。見ていろ」
 と云ううちに、無茶先生は隠して持っていた香水の瓶を取り出して、家のまわりにぐるりとふりまきました。
 それを嗅ぐと、大勢の人は吾れ勝ちに嚔(くしゃみ)を初めて息もされない位で、しまいにはみんな苦しまぎれに眼をまわすものさえ出て来ました。
 それを知らないであとからあとから押しかける町の人々はみんなクシャミを初めて、これはたまらぬと逃げ出します。大きな男の喧嘩大将も一生懸命我慢していましたが、とうとう我慢し切れなくなって、百も二百も続け様(ざま)にクシャミをしているうちに地びたの上にヘタバッてしまいました。
 けれども、遠くからこの様子を見ていた人は、みんなが嚔をしていることはわかりません。只、無茶先生の家のまわりを取り巻いている人が、みんなひっくり返って、上を向いたり下を向いたりして苦しんでいる有様しか見えませんから、驚きまして、
「コレは大変だ。あの無茶先生は大変な魔法使いに違いない。まごまごしているとみんな殺されるかも知れぬ」
 というので、ドンドン逃げ出してゆきました。
 大勢の人が無茶先生の香水に恐れて逃げて行きました。おかげでうしろの方に居た巡査さんや消防は、やっと前の方に出て来ることができましたが、その巡査さんや消防たちも無茶先生の香水のにおいを嗅ぐと、やっぱり同じこと一時にクシャミを初めまして、消防は鳶口(とびぐち)を持ったまま、又巡査さんはサーベルを握ったまま、あっちでもこっちでも、
「ハクションハクション」
「ヘキシンヘキシン」
「フクシンフクシン」
「ファークショファークショ」
「ハアーッホンハアーッホン」
 と云ううちに、みんな引っくり返ってしまいました。
 この様子を見た大勢の人々はいよいよ驚いてしまいました。
「これは大変だ。巡査さんや消防までも無茶先生に殺されそうだ。早く兵隊さんを呼んで来て、無茶先生を殺してもらおう」
 と、大急ぎで兵隊さんを呼びにゆきました。
 けれども、無茶先生や豚吉やヒョロ子は鼻の穴に綿をつめておりますから、香水の香(にお)いもわからなければ嚔(くしゃみ)も出しません。
「サア、この間に逃げるんだ」
 と無茶先生は云いながら、横にあった金槌を取り上げて、横に寝ている馬の頭をコツンと一つなぐり付けますと、馬はパッと生き上りました。それを表に引き出して、細引で口縄をつけると、無茶先生が裸体(はだか)のまま鞄を持って一番先に乗ります。そのあとからヒョロ子が豚吉を背負って馬の背中に這い上りますと、無茶先生が手綱を取って、
「ハイヨーッ」
 と云うと、広い往来を一目散に逃げ出した。
 その時、うしろの方から勇ましいラッパの音がきこえて、兵隊さんが大勢、無茶先生の家(うち)へ押寄せましたが、見ると無茶先生と豚吉とヒョロ子は馬に乗ってドンドン逃げて行く様子です。
「ソレッ。魔法使いが逃げるぞ。打て打て」
 と云ううちに、兵隊さんは横に並んでドンドン鉄砲を打出しましたが、ちょうどその時、兵隊さんはみんな無茶先生の香水のにおいを嗅ぎましたので、みんな一時にクシャミを初めて鉄砲を狙うことが出来ません。撃ってもクシャミをしながら撃つのですから、弾丸(たま)はとんでもない方へ行ってしまいます。その間に無茶先生と豚吉とヒョロ子を乗せた馬はドンドン逃げてしまいました。
 やがて馬が或る山の麓(ふもと)まで来ますと、無茶先生は馬から下りまして、
「サア、ここまで来れば大丈夫だ」
 と、ヒョロ子を馬から下ろしてやりますと、ヒョロ子も背中から豚吉を下ろしてやりました。そうして三人は鼻の穴の綿を取って棄てました。
 無茶先生はそれから馬をもと来た道の方へ向けて、お尻をピシャリとたたきますと、馬は驚いてドンドン駈けてゆきました。
 裸体(はだか)のままの無茶先生は豚吉とヒョロ子を連れて、それからすこしばかり行ったところの町で一軒の宿屋に這入りました。
 ところが宿屋の者は三人の奇妙な姿を見ると、恐ろしがってなかなか泊めてくれませんでしたから、それじゃ物置でもいいからと云いましたけれども泊めてくれません。そのうちにその宿屋の表には見物人が黒山のように集まりました。
 無茶先生はとうとう怒り出してしまいました。
「この馬鹿野郎共。何が珍らしくてそんなに集まって来るのだ。人間だから裸で居るのもあれば、背の高いのもあれば低いのもあるのは当り前の事だ。それを珍らしがって見に来るなんて失敬な奴だ。又、この宿屋の奴もそうだ。おれたちのどこがわるいから泊めてくれないのだ。おれたちはみんな人間だぞ。人間が宿屋に泊めてくれというのが何がわるいのだ。愚図愚図云うと、貴様共をみんな盲(めくら)にして終うぞ」
 と云ううちに、鞄から小さな粉薬の瓶を出しました。
 それを見ると豚吉は、
「おもしろいおもしろい」
 と手を拍(う)って喜びましたが、ヒョロ子は慌ててそれを止めまして、
「まあ、先生。そんな可愛そうなことをなさいますな。泊めてくれなければ、私たちは山の中に寝てもよろしゅう御座いますから」
 と云いました。
 そうすると無茶先生は、
「よし。それではやめてやろう。その代りおれは泊めてくれるまでここを動かない」
 と云ううちにその粉薬を仕舞って、その宿屋の上り口のところにドッカリと座りますと、今度は鞄からパイプを出して、黒い色の煙草を詰めて、火をつけてスパリスパリと吸い初めました。
 店の番頭は困ってしまいました。
「どうもそんなことをなすっては困ります。こんなに店の前に大勢人が居ては、ほかのお客さんが泊りに来られませんから早く出て行って下さい……」
 と云いかけましたが、ヒョイと妙なことに気が付きました。
 座ったままパイプを啣(くわ)えて、スパリスパリと煙草を吸っている無茶先生の顔がだんだん黄色くなって行きます。オヤオヤと思っているうちにその顔色が赤くなって、それから紫色になって、見る見るうちに真っ黒になってしまいました。
 番頭は肝を潰してしまいましたが、その時に不図気が付きますと、黒くなったのは無茶先生ばかりではありません。側に居た豚吉やヒョロ子はもとより、まわりを取り巻いている見物人も、無茶先生の煙草の煙に当ったものはみんな、顔色が黄色から赤へ、赤から紫へ、紫から黒へとなりかけています。
 番頭はふるえ上って奥へ飛んで来て、御主人の前まで来ると腰を抜かしました。
「御主人様。大変です大変です」
 と云いますと、主人と一緒に御飯をたべていたおかみさんも、子供も小僧さんも、みんなワッとお茶碗を投出して逃げてゆきそうにしました。
 それを主人は止めながら、
「大変とは何です。あなたは一体どなたです」
 と云いました。番頭は不思議そうに眼をキョロキョロさせながら答えました。
「私は番頭です」
「何、番頭。私の処にはあなたのような黒ん坊の番頭さんは居りません」
「エエッ。私が黒ん坊ですって。ああ、情ない。そんならやっぱりあの魔法使いにやられたのだ」
 と云ううちに、番頭さんはそこへ泣きたおれてしまいました。
「何、魔法使いにやられた。それはどういうわけだ」
 と、みんな番頭のまわりに集まってききました。
 番頭は泣きながら、
「今、表に魔法使いが来ています、その魔法使いと喧嘩をしましたためにこんなに顔を染められたのです。ああ、情ない。ワアワアワア」
 と、番頭はなおなお大きな声で泣き出しました。
「フーン、それは不思議なことだ。よしよし、おれが行って見てやろう。そんなに早く人の顔に墨を塗ることが出来るかどうか」
 と云いながら立ち上って表へ行きますと、ほかのものもあとからゾロゾロくっついて表へ来てみました。
 宿屋の主人が表に来て見ますと、無茶先生は相変らずパイプを啣えながらプカリプカリと煙を吹かしています。そうして、立っている人々も自分の顔が黒くなったのは知らずに、みんな無茶先生や豚吉やヒョロ子の黒くなった顔を面白そうに見ています。
 宿屋の主人は驚き呆(あき)れて、開いた口が閉(ふさ)がらぬ位でしたが、やっと落ち付いて無茶先生に向って、
「これ、黒ん坊の魔法使い。お前は何の怨(うら)みがあって、おれのうちの番頭をあんなに黒ん坊にしてしまった」
 と叱りました。
 無茶先生はその時ニヤニヤ笑いながら、宿屋の主人の顔を見て云いました。
「貴様のうちに泊めてくれないからだ」
「何、泊めてくれないからだ」
「そうだ。だから泊めてくれるまでここを動かないつもりだ」
 と、又白い煙を沢山に吹き出しました。主人はこれをきくと大層腹を立てました。
「馬鹿なことを云うな。おれのうちは貴様みたような生蕃人や、そんな片輪者なぞを泊めるようなうちじゃない。出てゆけ出てゆけ。泊めることはならぬ」
「アハハハハハ」
 と無茶先生は笑いました。
「今に見ていろ。きっと、どうぞお泊り下さいと泣いて頼むようになるから」
「何糞(なにくそ)。いくら貴様が魔法使いでも、おれはちっとも怖かないぞ。出てゆかねばこうだぞ」
 と懐中からピストルを取り出して、無茶先生につき付けました。
「フフン。おれを殺したらあとで後悔するだけだ」
 と無茶先生は落ち付いたもので、又も黒い鼻からと口からと白い煙をドッサリ吹き出しました。
 そうするうちに見物人はみんなワイワイ騒ぎ出しました。
「ヤアヤア。宿屋の御主人の顔が蒼白くなった。赤くなった。もう紫になった。オヤオヤ真黒になってしまった。奥さんもお嬢さんも、坊ちゃんも小僧さんもみんな黒くなった。大変だ大変だ」
 と騒ぎ立てましたが、そのうちに今度は自分たちの顔までも真黒になっていることに気が付きますと、サア大変です。
「ヤア。おれたちまでも魔法にかかった。大変だ大変だ。魔法使いを殺してしまえ」
 と寄ってたかって、無茶先生へ掴みかかって来ました。
 その時無茶先生は立ち上って、大勢を睨み付けながら怒り付けました。
「馬鹿野郎共。何が魔法だ。おれが色の黒くなる煙草を吸っているのを、貴様たちがボンヤリ立って見ているからだ。貴様たちの方がわるいのだ。それともおれを殺すなら殺せ。貴様たちは一生真黒いまま死んでしまうのだぞ。おれは白くなるお薬を知っているんだ。サア、殺すなら殺せ」
 これを聞くと、みんな一時に静まりました。そうしてその中から一人のお爺さんが出て来て、
「私たちがわるう御座いました。どうぞそのお薬を教えて下さいませ」
 とあやまりますと、ほかのものも地びたに手を突いて一生けんめいお詫びをしました。
 それを見ると無茶先生はうなずいて、
「よしよし。それなら貴様たちからこの宿屋の主人に頼んで、おれたちを泊めてくれるようにしろ」
 と云いました。
 宿屋の主人はこの時まで、自分のおかみさんや子供達が真黒になって泣いているのを見て、ボンヤリ突立っておりましたが、忽ちピストルを取り落すと、無茶先生の前に跪(ひざまず)いて、真黒な顔を畳にすり付けながら、
「どうぞどうぞお泊り下さいお泊り下さい」
 とピョコピョコお辞儀をして、手を合わせて拝みました。それを見ると無茶先生は大威張りで、
「それ見ろ。おれの云う通りだ。そんなら泊ってやるからうんと御馳走するのだぞ」
「ヘイヘイ。どんな御馳走でもいたします」
「よし。それじゃ教えてやる。みんなの顔が黒くなったのは、この煙草の脂(やに)がくっついたのだ。だからお酒で洗えばすっかり落ちてしまう。サア、おれたちにもお酒を入れた風呂を沸(わ)かしてくれ。そうして、おれには特別にあとでお酒を沢山に持って来い。この煙草を吸ったので腹の中まで真黒になったから、お酒を飲んで洗わなくちゃならん。サア、豚吉も来い。ヒョロ子も来い」
 と、大威張りでこの宿屋の一番上等の室(へや)へ通りました。
 無茶先生のおかげで豚吉とヒョロ子はやっと宿屋へ泊りましたが、宿屋の主人が大急ぎで沸かしましたお酒のお風呂で身体(からだ)を洗いますと、三人とももとの通りの姿になりました。又、ほかのものもみんな、無茶先生から教(おそ)わった通りにお酒で顔を洗って、もとの通りの白ん坊になりましたので大喜びで、無茶先生の不思議な術に誰もかれも驚いてしまいました。
 それを見た無茶先生は威張るまいことか、宿屋の主人が出した晩御飯の御馳走を喰べながら、豚吉と一緒にお酒を飲んで酔っ払って、大きな声で自慢を初めました。
「どうだ、みんな驚いたか。おれは当り前のお医者とは違うんだぞ。病気やなんか治すよりも、もっともっとえらいことが出来るんだぞ」
 これを聞くと、無茶先生と一緒にお酒を飲んでいた豚吉も威張り出しました。
「おれは、きょう、兵隊が千人と巡査が一万人と消防が十万人、町の者が十万人で向って来たのをみんな追い散らして来たんだぞ」
 これを聞いたヒョロ子はビックリしまして、
「そんなことを云うものじゃありません。もしこの町の巡査さんや兵隊さんがそれを聞いて、捕まえに来たらどうします」
 と叱りました。けれども豚吉は平気なもので、なおの事大きな声を出して云いました。
「ナアニ。大丈夫だ。その時は又無茶先生に追い払ってもらうのだ」
 と、つい本当のことを云いましたので、無茶先生もヒョロ子も腹を抱えて笑いました。
 けれども宿屋の主人は何も知りませんので、いよいよ感心して驚いてしまいました。
「ヘエー。それはえらいお方ばかりですな。それじゃ無茶先生は当り前の病気ぐらいは訳なくお治し下さるで御座いましょうな」
 と尋ねました。
 無茶先生はやはり真裸(まっぱだか)のまんま、ガブガブお酒を飲みながら大威張りで答えました。
「おお。どんな病気でも治してやる。その代り一人治せばお酒を一斗宛(ずつ)飲むぞ」
「それじゃお酒を一斗差し上げますから、私の妻(かない)の病気を治して下さいませぬか」
「どんな病気だ」
「何だかいつも頭が痛いと申しまして、御飯を食べる時のほか寝てばかりおりますが、どんなお医者に見せましても治りませぬ」
「よし、すぐに連れて来い」
「かしこまりました」
 と、亭主は無茶先生たちの居る二階を降りてゆきましたが、間もなく手拭で鉢巻きをしたお神さんをおぶっこして上って来て、無茶先生の前にソッと卸しました。そのあとから上って来たさっきの番頭は、お酒を一斗樽ごと抱えて来て無茶先生の前に置きました。
 無茶先生はその樽の栓を取ると、両手に抱えてグーグーグーグー一息に呑み初めましたが、やがて飲んでしまいますと、
「アー。久し振り樽ごとお酒を飲んで美味(うま)かった。ドレ、お神さん。顔を見せろ」
 とお神さんの顎に手をかけて顔をジッと見ておりましたが、忽ち割れ鐘のような声で笑い出しました。
「アアアアアア。なるほど、頭が痛そうな顔をしているな。コレ、お神さん。お前はなあ、あんまり主人に我儘(わがまま)を云ったり、番頭や丁稚(でっち)を叱りつけたりするから頭が痛いんだぞ。しかし、その病気はすぐなおるから心配するな。これから頭が痛い時はすぐに、主人にこうしてもらえ」
 と云ううちに、右の手で岩のような拳固(げんこ)を作って、お神さんの右の横面(よこつら)をグワーンとなぐりつけました。お神さんは、
「ギャッ」
 というなり眼をまわして、左の方へたおれかかりました。そこで無茶先生は今度は左の拳骨を固めて左側から横ッ面をポカーンとなぐりつけますと、眼をまわしていたお神さんはパッと眼をさまし、そこいらをキョロキョロ見まわしておりましたが、
「アラ。私の頭の痛いのが治ったよ。まあ、何という不思議なことでしょう。ほんとに無茶先生、有り難う御座いました」
 と大喜びでお礼を云って降りて行きました。
 この様子を見ていた宿屋の主人は、もう無茶先生のエライのに肝を潰してしまいました。
「ああ、ビックリしました。先生は何というエライお方でしょう。それではお序(ついで)に私の息子の病気も治していただけますまいか」
「フーン。貴様の息子の病気は何だ」
「ヘエ。私の息子の病気は、いつもお腹が痛いお腹が痛いと云うて学校を休むのです。どんなお医者に見せても治りません」
「そうか。それはわけはない。おれが見なくとも病気はなおる」
「ヘエ。どうすればなおります」
「朝の御飯を喰べさせるな」
「そうすればなおりますか」
「そればかりではいけない。昼のお弁当を息子に持たせずに、学校の先生の処へお使いに持たしてやれ。どんなことがあっても朝御飯と昼御飯をうちで喰べさせるな。そうすればお腹が空(す)くからイヤでも学校に行くようになる」
「成るほど。よくわかりました」
「サア。酒をもう一斗持って来い」
「ヘイ、只今持って来させます。それでは序(ついで)に私のおやじがカンシャク持ちで困りますから、それも治して下さいませ」
「よしよし、つれて来い」
 こうして無茶先生は家(うち)中の者の病気をみんな治してやりました。
 先ずおやじのカンシャク頭は、テッペンをクリ抜いて蓋をするようにして、憤(おこ)った時はその蓋を取ればなおるようにしてやりました。
 お婆さんの禿頭(はげあたま)は、頭の上を掻きむしって、毛の種を蒔(ま)いてやりました。
 娘の低い鼻は、鼻の穴に突っかい棒を入れて高くしてやりました。
 女中の居ねむりは、着物の襟にトゲを縫いつけて、うつむくと痛いように仕かけてやりました。
 下男の腰が痛いのは、腰の処に太い鉄の釘を打ち込んで丈夫にしてやりました。
 こうしてみんなの病気を治してやりましたので、無茶先生のまわりに大きい、小さいお酒の樽がいくつも積まれました。
「もう病人は居ないか」
 と無茶先生が云いますと、宿屋の主人は畳にあたまをすりつけて、
「ありがとう御座います。この上はこの家(うち)中のものがみんな死なないようにして下さいませ」
 といいました。
「ウン、そうか。それは一番易(やす)いことだ」
 と無茶先生は笑いながら云いました。
「サア。みんな、ここへ来て並べ」
 と家(うち)中のものを眼の前に呼び寄せて、ズラリと並ばせました。
「サア、どうだ。みんな、死なないようにしてもらいたいか」
 と尋ねますと、みんなそろって畳に頭をすりつけて、
「どうぞどうぞ死なないようにして下さいませ」
 と拝みました。無茶先生は大威張りで、
「よし。そんなら何万年経ってもきっと死なないようにしてやる。その代り、おれの云うことをみんなきくか」
「ききますききます。私もどうぞヒョロ子と一所に何万年経っても死なないようにして下さい」
 と、豚吉まで一所になって拝みました。
 無茶先生は大笑いをしまして、
「アハハハハハ。貴様たちもそんな片輪でいながら死にたくないか。よしよし、それではみんなと一所におれの云うことをきけ。いいか。今からおれが歌うから、貴様たちはみんなそれに合わせて手をたたいて踊るのだ。その踊りが済めば、おれが一人一人に死なないように療治をしてやる」
 と云いながら、無茶先生は又一つの樽に口をつけて、中のお酒をグーッと飲み干します。と今度はその次の樽をあけて、みんなに思う様(さま)飲ませました。中にはお酒の嫌いなものもありましたが、無茶先生のお医者が上手なことを知っておりますから、これを飲んだら死なないようになるに違いないと思いまして、一生懸命我慢してドッサリ飲みましたので、みんなヘベレケに酔っ払ってしまいました。そうして無茶先生に、
「早く歌を唄って下さい。踊りますから」
 と催促をしました。
 無茶先生は拳固(げんこ)で樽をポカンポカンとたたきながら、すぐに大きな声で歌い出しました。
「酒を飲め飲め歌って踊れ
 人の生命(いのち)は長過ぎる

 生れない前死んだらあとは
 何千何万何億年が
 ハッと云う間もない短さを
 生きている間に比べると

 人の生命(いのち)の何十年は
 長くて長くてわからぬくらい
 飲めや飲め飲め歌って踊れ
 人の一生は長過ぎる

 生れてすぐ死ぬ虫さえあるに
 人の一生はちと長過ぎる
 酒を飲め飲め歌って踊れ
 飲んで歌って踊り死ね

 サッサ飲め飲め死ぬ迄飲めよ
 サッサ歌えや死ぬまで歌え
 サッサおどれよ死ぬまで踊れ
 一度死んだら又死なぬ」
「イヤア、こいつは面白い。素敵だ素敵だ」
 と、酔っ払った豚吉がまっ先にドタドタ踊り出しますと、宿屋の主人もお神さんも、番頭や女中や子供までも、酔っ払ってはねまわります。しまいにはヒョロ子まで立ち上って、無茶先生のまわりをぐるぐるまわりながらヒョロリヒョロリと踊ってゆきます。大変な騒ぎです。
 しかも一まわり歌が済む度毎(たびごと)に、無茶先生はお茶碗で一ぱい宛(ずつ)みんなにお酒を飲ませますので、酔っ払った人たちはなおのこと酔っ払って踊ります。そのうちにみんな疲れてヘトヘトになって、あっちへバタリ、こっちへバタリたおれて、とうとうみんな動けなくなってしまいまして、みんな虫の息で、
「もう、とてもお酒は飲めませぬ」
「踊りも踊れませぬ」
「早く死なないようにして下さい」
 と頼みました。
 その様子を見ると、無茶先生は歌をやめて、腹をかかえて笑い出しました。
「アハハハハ……面白かった。とうとうみんなおれに欺されて、動くことが出来なくなったな。それでは一つ死なないようにしてやろうか」
 と云いながら、鞄の中から鉄槌(かなづち)を一つ取り出しました。
 それを見ると豚吉は驚いて尋ねました。
「その鉄槌で何をなさるのですか」
「これでみんなの頭をたたき割って殺して終(しま)うのだ。いいか。一度死んでしまえば、今度はお前たちの望みどおりいつまでも死なないのだぞ。サア、覚悟しろ」
 と云うや否や鉄槌をふり上げて睨みつけますと、酔っ払って動けなくなっていた宿屋の主人もお神さんも、番頭も女中も子供も一時に飛び起きて、
「ワア。人殺し」
 と叫ぶと、吾れ勝ちに梯子段のところへ来て、あとからあとから転がり落ちて逃げてゆきました。只あとには、豚吉とヒョロ子だけが残っております。
 無茶先生は豚吉のそばへ寄りまして、
「ウム、感心感心。貴様はこの鉄槌でなぐられたいのか」
 と云いますと、今まで真赤に酔っていた豚吉は、真青になってふるえながら拝みました。
「オ、オ、お助けお助け。ワ、ワ、私は、コ、コ、腰が抜けて、ウ、ウ、ウ、ウ、ウ、動かれないのです」
 と涙をポロポロこぼしました。
「ワハハハハハ。いつも意久地(いくじ)の無い奴だ。じゃあヒョロ子、お前はどうしたんだ。やっぱり腰が抜けたのか」
 とゆすぶって見ましたが、もうグーグーとねむってしまって返事もしません。
「アハハハハ。そんなに沢山飲みもせぬのにヒドク酔っ払ったな。よしよし。そのまんま寝ていろ。コレ、豚吉、心配するな。今云ったのはおどかしだ。お前たちを殺そうなぞと俺が思うものか。出来ないことを頼むから、ちょっと胡魔化(ごまか)して踊らせてやったのだ」
「エッ。それじゃ今のは冗談ですか」
「そうだとも」
「ああ、安心した。それじゃもっとお酒を飲みます」
「サア飲め、沢山ある。おれも飲もう」
 と、二人で樽を抱えてグーグー飲んでいるうちに、いつの間にか酔い倒れてしまいました。
 やがて夜が更けて、家中が静かになって鼾(いびき)の声ばかりきこえるようになりますと、表の方へゾロゾロゾロゾロと沢山の靴の音がきこえて来ましたが、その時ふッと眼をさました無茶先生が、何事かと思って雨戸のすき間からのぞいて見ますと、それは隣の町から無茶先生たちを捕えに来た兵隊の靴の音で、見る見るうちに三人の泊っている宿屋は兵隊に取り巻かれてしまいました。しかもその兵隊達はみんな、無茶先生の香水を嗅がせられて嚔(くしゃみ)の出ないように、鼻の上から白い布片(ぬのきれ)をかぶせて用心をしています。
 それを見ると無茶先生は可笑(おか)しいのを我慢しながら、
「よしよし。きのうおれに香水を嗅がされて死にそうになったので、魔法使いだと思って捕えに来たのだな。しかも鼻ばかり用心して来るなんて馬鹿な奴だ。そんならも一度驚かしてやる」
 と独言(ひとりごと)を云って、鞄の中から小さな瓶を取り出して、中に這入っていた粉薬を傍(そば)にあった火鉢の灰の中へあけて、スッカリ掻きまわしてしまいました。
 それから今度は下へ降りて、宿屋の台所へ行って塩を沢山と、物置へ行って六尺棒を一本と、大きな鋸(のこぎり)を一梃と、縄の束を一把と取って、又二階へ帰りますと、何も知らずに寝ているヒョロ子と豚吉にシビレ薬を嗅がせ初めました。
 宿屋を取り巻いた兵隊達は、鼠一匹逃がすまいと鉄砲を構えて待っております。
 その中の大将は、出来るだけそっと表の戸をコジあけさせて、兵隊を四五人連れて宿屋の中に這入って、主人の寝ている枕元に来ますと、靴の先でコツコツと蹴って起しました。
 お酒に酔っていい心持ちで寝ていた宿屋の主人は、何事かと思って眼をさましますと、自分の枕元に怖い顔をした大将と、鉄砲を持った兵隊が四五人立っていますので、夢ではないかと眼をこすって起き上りました。
 その時大将は腰のサーベルを見せながら、
「大きな声を出すと斬ってしまうぞ。只おれが尋ねることだけ返事しろ。貴様の処には髪毛や髭を蓬々と生やした真裸(まっぱだか)の怖い顔の男と、背の高い女と低い男の三人が昨夜から泊まっているだろう」
「ヘヘイ」
 と、宿屋の主人は寝床の上に手を突いて、ふるえながら返事をしました。
「その三人をおれたちは捕えに来たのだ。さあ、そいつどもの居る室に案内をしろ」
「カ、カシコマリマシタ」
 と、宿屋の主人はガタガタふるえながら立ち上って、階段を先に立って上りました。
 大将はサーベルをギラリと抜いて兵隊に眼くばせをしますと、兵隊も鉄砲に剣をつけてあとから上って行きました。
 そうして三人の寝ている室の前まで来ますと、主人も大将も兵隊達もめいめいに室の裏と表にわかれて、戸や障子のすき間から中の様子をのぞきましたが、みんなハッと肝を潰しました。
 無茶先生は、睡っているヒョロ子と豚吉を二人共丸裸体(はだか)にして、手は手、足は足、首は首、胴は胴に鋸でゴシゴシ引き切って、塩をふりかけて、傍にある空樽の中へ漬物のように押しこんでいます。そうして、一つの樽が一パイになると、又次の樽に詰めて、六つの樽を一パイにしますと、それぞれに蓋をして縄で縛り上げて、二つにわけて六尺棒の両端に括(くく)り付(つ)けました。
 それから鞄から眼鏡を取り出してかけると、その鞄も一所に棒にくくり付けてしまって、火鉢の傍にドッカリと座りながら、
「サア来い。エヘンエヘン」
 と咳払いをしました。
 大将はこの様子を見るといよいよ驚き怖れましたが、思い切って大きな声で、
「サア、皆。魔法使いを捕えろッ」
 と怒鳴りますと、四五人の兵隊は一時に室の裏表からドカドカと飛び込みましたが、無茶先生は驚きません。大きな声で笑いました。
「アハハハ。何だ、貴様たちは」
「兵隊だ」
「何しに来た」
「貴様たち三人を捕まえに来た」
「お前たちの鼻の頭にかぶせた布片は何だ」
「これは昨日(きのう)のように貴様に香水を嗅がせられない要心だ」
「アハハハハ。いつおれが貴様たちに香水を嗅がせた」
「この野郎。隠そうと思ったって知っているぞ。貴様は無茶先生だろう」
「馬鹿を云え。おれは塩漬け売りだ。この通り荷物を作って、夜が明けたらすぐに売りに出かけようとするところだ。第一、貴様たち三人を捕えに来たと云うが、この室中にはおれ一人しか居ないじゃないか。ほかに居るなら探して見ろ」
 と睨み付けました。その時
「嘘だッ」
 と雷のように怒鳴りながら大将が飛び込んで来ました。
 飛び込んで来た大将は刀をふり上げながら、無茶先生をグッと睨み付けました。
「この嘘吐(つ)きの魔法使いめ。貴様が今しがた人間を塩漬けにしていたのを、おれはちゃんと見ていたぞ。そうして、一人しか居ないなぞと胡魔化そうとしたって駄目だぞ」
「アハハハハ。見ていたか」
 と無茶先生は笑いました。
「見ていたのなら仕方がない。いかにもおれは自分が助かりたいばっかりに、二人の仲間を殺して塩漬けにしてしまった。サア、捕えるなら捕えて見ろ」
「何をッ……ソレッ」
 と大将が眼くばせをしますと、大将と兵隊は一時に無茶先生を眼がけて斬りかかりましたが、彼(か)の時遅くこの時早く無茶先生が投げた火鉢の灰が眼に這入りますと、大将も兵隊も忽ち眼が見えなくなって、一時に鉢合せをしてしまいました。
「これは大変」
 と逃げようとしましても逃げ道がわかりません。壁や襖(ふすま)にぶつかったり、樽に躓(つまず)いたりして、転んでは起き、起きては転ぶばかりです。
「ヤアヤア。大変だ大変だ。又魔法使いの魔法にかかった。みんな来て助けてくれ助けてくれ」
 と大将が叫びますと、無茶先生も一所になって、
「助けてくれ助けてくれ。みんな来いみんな来い」
 と叫びます。
 これを外できいた兵隊たちは、
「ソレッ」
 と云うので吾れ勝ちに家(うち)の中へ駈け込んで、ドンドン二階へ上って来ましたが、みんな無茶先生から灰をふりかけられて盲になってしまいます。そうして、とうとう家中は盲の兵隊で一パイになってしまいました。
「サア、どうだ。みんな眼が見えるようになりたいなら、静かにおれの云うことをきけ」
 と、その時に無茶先生が怒鳴りますと、今まで慌(あわ)て騒(さわ)いでいた兵隊たちはみんな一時にピタリと静まりました。
「いいか、みんなきけ。今から一番鶏(どり)が鳴くまでじっと眼をつぶっていろ。そうすれば眼が見えるようになる。おれはこれから二人の塩漬けの人間を生き上らせに行くんだ。邪魔をするとおれの屁(へ)の音をきかせるぞ。おれの屁の音をきくと、耳がつぶれて一生治らないのだぞ。ヤ、ドッコイショ」
 と云ううちに、二人の塩漬けの樽と鞄を結びつけた棒を担(かつ)ぎ上げて、まだお酒の残っている樽を右手に持ちながら梯子段を降り初めました。
「ヤアヤア。こいつは途方もなく重たいぞ。ああ、苦しい。屁が出そうだ屁が出そうだ。オットドッコイ。あぶないあぶない。屁の用心。屁の用心」
 と云いながら、大威張りで降りて表へ出て行きましたが、兵隊たちはみんな耳へ指を詰めて眼をとじて、一生懸命小さくなっていましたので、誰も捕まえようとするものがありません。
 そのうちに無茶先生は表へ出ますと、大きな声で、
「アア。やっとこれで安心した。ドレ、ここで一発放そうか」
 と云ううちに、大きなオナラを一つブーッとやりました。
 無茶先生のオナラをきいた兵隊たちは、
「大変だっ」
 と耳を詰めましたが、あとは何の音もきこえません。
 さてはほんとに耳が潰れたかと思っていますと、そのうちに、
「コケッコーコーオ」
 と一番鶏の声がきこえました。
「オヤオヤ。一番鶏の声がきこえるくらいなら耳は潰れていないのだな。そんならあの屁は只の屁で、きいても耳は潰れないのだな。サテはおれたちは欺されたな」
 と、一人の兵隊が眼を開いて見ますと、室(へや)の中にともっているあかりがよく見えます。
「ヤッ、眼があいた眼があいた。オイ、みんな眼をあけろ眼をあけろ。何でも見えるぞ……きこえるぞ」
 と怒鳴りましたので、兵隊達は一時に起き上りました。そこへ大将も起きて来て、
「サア、魔法使いのあとを追っかけろ」
 といいましたので、兵隊たちは勢い付いて八方に駈け出して無茶先生を探しましたが、まだあたりがまっ暗(くら)で、どこへ行ったかわかりませんでした。
 無茶先生は、その時町を出てだいぶあるいていましたが、右手に持ったお酒の樽へ口をつけてグーグー飲みながら、
「ウーイ。美味(おいし)い美味い。酔った酔った。エー、豚の塩漬けは入りませんか。ヒョロの塩漬けは入りませんかア。アッハッハッハッ。面白い面白い。エー、豚とヒョロの塩漬けやアーイ」
 と怒鳴りながら、あっちへよろよろ、こっちへよろよろとしてゆきます。
「アー、誰も買いませんか。豚とヒョロの塩漬けだ。安い安い。百斤(きん)が一銭だ一銭だ。アッハッハッハッ。面白い面白い。樽の中で手は手、足は足に別々になって寝ているんだ。眼がさめたら困るだろう。アハハハハ。誰か買わないか、豚とヒョロの無茶苦茶漬けやアイ」
 とあるいているうちにだんだんと夜があけますと、いつの間にか道が間違って大変な山奥に来ています。
「イヤア、こいつは驚いた。酔っているものだから飛んでもないところへ来てしまった。これじゃ、いくら怒鳴ったって誰も買い手が無い筈だ。ああ、馬鹿馬鹿しい。ああ、くたぶれた。第一こんなに重くちゃ、これから担いでゆくのが大変だ。一つ生き上らして、自分で歩かしてやろう」
 といいながら、無茶先生は二人を塩漬けにした樽を担いで、谷川の処へ降りて来ました。
 無茶先生は山奥の谷川の処まで来ますと、お酒の樽の蓋をあけて、中から豚吉とヒョロ子の手や足や首や胴を取り出して、谷川の奇麗な水でよく洗いました。
 それから鞄をあけて一つの膏薬(こうやく)の瓶を出して、切り口へ塗って、豚吉は豚吉、ヒョロ子はヒョロ子と、間違えないようにくっつけ合わせて、そこいらにあった藤蔓(ふじづる)で縛ってしばらく寝かしておきますと、やがて二人ともグーグーといびきをかき初めました。
 その時に無茶先生は、谷川のふちに生えていた細い草の葉を取って、二人の鼻の穴へソッと突込みますと、二人共一時に、
「ハックションハックション」
 と嚔をしながら眼をさまして、起き上りました。
「ヤア。お早う」
 と無茶先生が声をかけますと、二人とも眼をこすりながら、
「お早う御座いますお早う御座います」
 とお辞儀をしましたが、又それと一所に二人とも飛び上って、
「アア、大変だ。咽喉(のど)がかわく咽喉がかわく。ああ、たまらない。腹の中じゅう塩だらけになったようだ」
「私も口の中が焼けるようよ。ああ、たまらない」
 といううちに、二人とも谷川の処へ駈け寄って、ガブガブガブガブと水を飲み初めました。
「アハハハハハ」
 と無茶先生は笑いました。
「咽喉(のど)がかわく筈だ。お前たちは塩漬けになっていたんだから」
「エッ。塩漬けに……」
 と二人共ビックリして、水を飲むのを止めてふり向きました。
「ああ。おれはお前たちをこの樽に塩漬けにして、おれはやっとここまで逃げて来たんだ」
 と、無茶先生が今までのことを話しますと、二人は夢のさめたように驚きました。そうして、いよいよ無茶先生のエライことがわかりまして、その足もとにひれ伏してお礼を云いました。
 しかし、やがてヒョロ子は自分の身体(からだ)のまわりを見まわしますと、泣きそうな顔になりました。
「けれども先生、私たちはこんなに裸体(はだか)になりましたがどうしましょう。このまま道は歩かれませぬが、どことかに着物はありませぬでしょうか」
「まあ、待て待て」
 と無茶先生はニコニコ笑いました。
「そんなに心配するな。ここは山奥だから誰も見はしない。だから恥ずかしいこともないのだ。お前たちの身体(からだ)がどんなに長くても短くても笑うものは無いのだ。それよりもおれについて来い。これから長い長い旅をするのだ。そうするとおしまいにいい処へ連れて行ってやるから」
 と云ううちに先に立って歩き出しました。
 豚吉とヒョロ子は無茶先生のあとからついてゆきますと、無茶先生は包みを一つ抱えたまま先に立って、二人をだんだん山奥へ連れてゆきました。そのうちにお腹が空(す)きますと、ちょうど秋の事で、方々に栗だの柿だの椎(しい)だの榧(かや)だのいろんな木の実が生(な)っております。それを千切ってたべては行くのでしたが、都合のいい事はヒョロ子が当り前の人の二倍も背が高いので、いつも三人が食べ切れない程木の実を千切ることが出来ました。
 そのうちになおなお山奥になりますと、鳥や獣(けもの)が人間を見たことがないので珍らしそうに近寄って来ます。そうしてしまいには、友達のように身体(からだ)をすりつけたり、頭にとまったりするようになりました。そんなのにヒョロ子は千切った木の実を遣りながら、
「まあ、先生。ここいらには猪や鹿がこんなに沢山居るのですね」
 と云いましたので、無茶先生も豚吉も大笑いをしました。
 こんな風にして何日も何日も旅を続けてゆくうちに、或る日ヒョロ子はシクシク泣き初めましたので、無茶先生がどうしたのかとききますと、ヒョロ子は涙を拭いながら、
「お父さんやお母さんに会いたくなりましたのです」
 と申しました。それをきくと豚吉も一所に泣き出しました。
「私も早くうちへ帰りとう御座います。たった三人切りでこんな山の中をあるくのは淋しくて淋しくてたまりません」
「馬鹿な」
 と、無茶先生は急に怖い顔になって二人を睨みつけました。
「何をつまらんことを云うのだ。お前たちは自分の姿を人が見て笑うのがつらいから村を逃げ出して来たのじゃないか。こうして山の中ばかりあるいていれば誰も笑う者が無いから、おれはお前たちをここへ連れて来たのだ。こうして一生山の中ばかりあるいていれば、これ位のん気なしあわせなことははいではないか」
「エッ……先生、それでは私たちは一生こうして山の中ばかり歩いていなければならないのですか」
 と豚吉は叫びました。
「ああ。何という情ないことでしょう。私はもう笑われても構いませぬ。何故(なぜ)逃げ出したと叱られても構いませぬ。早くうちへ帰ってお父様やお母様にお眼にかかりとう御座います。どうぞどうぞ先生、私たちへうちへ帰る道を教えて下さいませ」
 と、二人共地びたに坐わって、泣きながら無茶先生を拝みました。
 そうすると無茶先生も立ち停まって、ジッと二人を見ていましたが、又怖い顔をして、
「それは本当か」
 と尋ねました。
「本当で御座います本当で御座います。もうどんなことがあっても、両親や友達を欺して村を逃げ出したりなんぞしません」
「きっときっと親孝行を致します」
 と、豚吉もヒョロ子も、涙をしゃくりながら無茶先生にあやまりました。
 無茶先生はその時初めてニッコリしました。
「それをきいて安心した。おれは、お前たちが両親や友達にかくれて逃げて来たものだとわかったから、罰を当てたのだ。お前たちの身体(からだ)をどんなに立派に作りかえても、心が立派にならなければ何もならないと思ったから、わざと両親が恋しくなるようにこんな山の中をいつまでも引っぱりまわしたのだ。けれどもお前たちがそんな心になれば、いつでもお前達の身体(からだ)を立派な姿にしてやる。ちょうどいい。もう山奥は通り過ぎて人間の居る村に近付いている。あれ、あの音をきいて御覧」
 と向うの方を指しました。
 無茶先生が指した方を向いて豚吉とヒョロ子が耳を澄ましますと、一里か二里か、ズッと向うの方から、
「テンカンテンカンテンカンテンカン」
 と鍛冶屋の音がきこえます。
「アッ、鍛冶屋の音が!」
「人間が居る」
 と、二人は飛び上って喜びました。そうして無茶先生と一所に大急ぎでそちらへ近づきましたが、やがてとある崖の上へ出ますと、向うは一面の田圃(たんぼ)で、すぐ眼の下には川が青々と流れて、その流れに沿うた道ばたの一軒の家から、最前の鉄槌(かなづち)の音が引っきりなしにきこえて来ます。
「ヤア。ちょうどいい処にあの鍛冶屋はあるな。よしよし、あの家を借りてお前たちを立派な姿に作りかえてやろう。ちょっと待て。あの家(うち)の様子を見て来るから」
 といううちに無茶先生はグルリと崖のふちをまわって、その家(うち)の門の口へ来ました。
 見るとこの家(うち)の主人は五十ばかりのお爺さんですが、独身者(ひとりもの)と見えてお神さんも子供も居ず、たった一人で一生懸命鉄槌で鉄敷(かなしき)をたたいて、テンカンテンカンと蹄鉄を作っています。それを見ると無茶先生は大きな口を開いて、
「アハハハハハ。テンカンテンカン」
 と笑いました。
 鍛冶屋のお爺さんは不意に門口(かどぐち)から笑うものが居るので吃驚(びっくり)して顔をあげて見ますと、髪毛と髭を蓬々とさした真裸体(まっぱだか)の男が鞄を一つ下げて立っておりますので、大層腹を立てまして怒鳴り付けました。
「何だ、貴様は」
「おれは山男だ」
「山男が何だって鞄を持っているのだ」
「この中にはおれが山の草で作った薬が一パイに詰まっているのだ。どんな病気に利く薬でもあるのだ」
 これをきくと鍛冶屋の爺さんは急にニコニコしまして、
「それあ有り難い。それじゃテンカンに利く薬もあるだろうな」
 とききました。
 無茶先生はトボケた顔をして、
「テンカンとはどんな病気だ。鉄槌で物をたたく病気か」
 と尋ねますと、爺さんは頭を掻きながら、
「そうじゃない。不意に眼がまわって、引っくりかえって泡を吹く病気だ。わたしはその病気があるためにお神さんも貰えずに、たった一人で鍛冶屋をしているのだ」
 と云ううちに泣きそうな顔になりました。
「ウン、その病気か。それならたった一度で利く薬がある。けれども只では遣れないぞ」
「エエ。それはもう私に出来ることでお前さんの望むことなら、何でも御礼にして上げる」
「それじゃ、まずこの仕事場を日の暮れるまで貸してくれ。それから町へお使いに行ってもらいたい」
「それはお易い御用です。今からでもよろしゅう御座います」
「よし、それではこの薬を飲め」
 と、鞄の中から何やら抓(つま)んで、鍛冶屋の爺さんの掌(てのひら)に乗せてやりました。
「ヘイヘイ。これは有り難う御座います」
 とピョコピョコお辞儀をしながらよくよく見ましたが、不思議なことに何べん眼をこすってもそのお薬が見えません。
「これは不思議だ。私の眼がわるくなったのか知らん」
 とお爺さんは独言(ひとりごと)を云いました。
「見えるものか」
 と無茶先生は笑いました。
「それは人間の眼には見えないほど小さな丸薬だ。それを飲めばどんなテンカンでもすぐになおる。嘘だと思うなら嘗(な)めて見ろ」
 お爺さんはすぐに舌を出して、自分の掌(てのひら)をペロリと嘗めて舌なめずりをしましたが、
「フーン。これは不思議だ。大層いいにおいがしますな。何だか腹の中まで涼しくなるような……」
 と眼をキョロキョロさせました。
「それで貴様のテンカンは治ったのだ。そのお礼に貴様は今から町へお使いに行って来い。それはおれども三人の着物を買いにゆくのだ。おれはちょうど貴様と同じ位の身体(からだ)だからお前の身体(からだ)に合う上等の着物と、それから五尺五寸の女の着物と、五尺八寸の男の着物と買って来い。お金はここにある」
 と、鞄の中から金貨を一掴み出してやりました。
 お爺さんはその金を受け取らずに手を振って申しました。
「いけませんいけません。私の病気はビックリテンカンというので、何でもビックリすると眼がまわって引っくり返るのです。ですから、こんな淋しいところの一軒家に居るのです。とても賑(にぎ)やかな、ビックリすることばかりある町へはゆかれませんから、こればかりは勘弁(かんべん)して下さい」
 と申しました。
「この馬鹿野郎」
 と無茶先生は怒鳴りつけました。
「その病気はもう治ったのじゃないか。嘘かほんとか試しに行って見ろ。もし町へ出て眼がまわるようだったら、着物を買わずに帰って来い。その金はおれの薬の利かない罰に貴様に遣るから」
「えっ、こんなに沢山のお金を?」
「そうだ。その代り、何ともなかったら、着物を買って来ないと承知しないぞ」
「それはもうきっと買って来ます。それじゃためしに行って来ましょう」
 と、お爺さんは大急ぎで支度をして出て行きました。
 お爺さんがもう大分行ったと思うと、無茶先生はその家の表へ出て崖の上を見ながら、
「オーイ。降りて来――イ」
 と呼びました。
「ハーイ」
 と豚吉とヒョロ子が返事をしますと、やがて二人とも降りて来ましたが、久し振り人間の住む家を見ましたので、二人ともキョロキョロしておりました。
 一方に、お使いに出たお爺さんは、二三町行った時うしろの方から誰か大きな声で呼ぶ声がしましたので、立ち止まって見ておりますと、やがて家のうしろの崖の上から恐ろしく背の高い女と背の低い男が、しかも丸裸で降りて来て自分の家に這入りましたので、お爺さんの胸は急にドキドキし初めました。そうして、これは何でも不思議なことが初まるに違いないと思いまして、ソッと引返して裏の方へまわって、そこにあった梯子を伝って屋根裏から天井へ這入って、家の中の様子をのぞきました。
 鍛冶屋の爺さんが天井の節穴から覗いているとは知らずに、無茶先生は久し振り人間の住む家に這入ってキョロキョロしている豚吉とヒョロ子のうしろから鍛冶屋の鉄槌で頭を一つ宛(ずつ)なぐり付けますと、豚吉とヒョロ子はグーとも云わずに土の上にたおれてしまいました。
 鍛冶屋の爺さんは驚きました。
「ヤア。これは大変だ。あの山男は人殺しだ」
 と思わず声を立てるところでしたが、やっと我慢をしました。
「それにしてもあの殺された人間は何という不思議な姿であろう。男の方は横の丸さが当り前の人間の倍もあるのに、背丈けは半分しかない。又、女の方はヒョロヒョロ長くて、まるで竹棹(たけざお)のようだ。何という不思議なことであろう。あの山男はあの二人を殺して喰うのか知らん」
 と、一生懸命息を詰めて見ておりました。
 無茶先生はそれから鍛冶屋にありたけの鉄を集めて真赤に焼いて、たたき固めて、一つの大きなヤットコと鉄の箱を作りました。
 それから鍛冶屋にありたけの炭を集めて、ドンドン炉の中にブチ込んで、一生懸命□(ふいご)で火を吹き起しますと、その火の光りで家中が真赤になりました。
「オヤオヤ。家が焼けなければいいが」
 と心配しいしい見ておりますと、無茶先生は鉄の箱をその上にかけて、水を一パイ汲んで、豚吉とヒョロ子をその中に投げ入れて、あとから真っ黒な薬を一掴み入れて煮初めました。
「サテ、煮て喰うのかな」
 と思いながらお爺さんが見ておりますと、豚吉とヒョロ子は中の湯が煮立つにつれて真黒になって、まるで鉄のようになってしまいました。
 それを大きなヤットコで挟み出して、鉄の箱の中の水を汲み出して外へ棄てて、鉄の箱も外へ出しますと、又も炭をドシドシ炉の中に入れて前よりも一層非道(ひど)く燃やしましたが、やがてその炭の火が眼も眩(くら)む程まっ赤におこると、無茶先生はさっきこしらえた大きなヤットコを取り出し、先ず豚吉を挟んで火の中へ、
「ドッコイショ」
 と突込みました。
「ヤア大変だ。この山男は人間を焼いて喰う化け物だ。人間の丸焼きだ丸焼だ」
 と、鍛冶屋のお爺さんはふるえ上って見ておりました。
 ところが豚吉は焼けも焦げもしません。だんだん赤くなって、しまいには当り前の鉄と同じように美しい火花がパチパチと飛び出す位柔らかに焼けて来ました。
 それを無茶先生はヤットコで引き出して、大きな鉄敷の上に乗せて、片手に大きな鉄槌をふり上げて、
「スッテンスッテンスッテン」
 とたたきましたので、豚吉の身体(からだ)はだんだん長く延びて来て、当り前の長さになりました。
 それから又火に突込んで、焼いて柔らかくしては、又引き出してたたきます。そのうちに豚吉の眼も鼻も口も、身体(からだ)や手足の恰好も、すっかり無茶先生の鉄槌でたたき直されて、ホントに立派な、絵のような美しい人間の姿になりました。
「イヤア。これは不思議だ。あの山男は魔法使いだ。けれども、あんなに鉄のようになった人間をあの山男はどうするのだろう。もとの通りに生かすことが出来るのか知らん」

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