能とは何か
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著者名:夢野久作 

だから、家元ばかりはドンナ事があっても衣食に困らないようにして、芸道の研究に生涯を捧げ、時流に媚びず、批評家に過(あや)またれず、一意専心、自己の信念に向って精進せねばならぬ。
 家元は自己の芸が能楽の向上進化の中心線に合致していると信ずる以上、自己の演出が天下一般に理解されなくともよい。自他の流儀の玄人、素人に笑われてもよい。自流の最上級の二三人に理解されるだけでよい。否、時としてはそのような人間最高の理解さえも求めずに、一意信念に向って邁進しなければならぬ。一切の他人から下手とか邪道とか認められて、自流の権威が地に堕ちても構わぬ決心さえ必要である。
 実際そのような高級な芸術家が昔居たらしいが、後世からはなかなかわからない。
 しかし普通の場合は家元の芸のよしあしに伴って流儀が盛衰興亡するのが原則となっていると同時に、自分の芸を中心とした弟子を養ったり、宣伝をしたり、家元としての体面を保ったり、交際を広めたりしなければ、その流儀は世俗の軽蔑を受けることになる。極めて上流の生活を営みつつ、所謂親分の仕事をやって行かねば結局喰えない事になる。
 芸というものは人間の仕事として最後のもので、無用の閑事業中の無用の閑事業である。その中でも亦、最高第一等の閑事業と見られている能……非常に尨大で、しかも娯楽的の実用価値さえも含まぬと考えられている能を保存して、発展向上させるためには、色々の無理や矛盾が出来て来るのは止むを得ない。能楽家はこうした無理や矛盾と、寝ても醒めても闘わねばならぬ。わけても新興の流儀に属する人々は特にそうである。
 前記の諸収入を基礎とした、芸術家、興行家、兼政治家式の家元中心制度が生まれるのは誠に是非もない事である。
 各流の家元の中には、芸が下手なばかりでなく、品性や品行の点にも大きな欠陥を持った人も随分あった。随って前記の諸収入が「流儀のため」という目的以外の、家元の私的生活に濫費された例は珍しくないようである。しかしそれでも極端でない限り、家元として保護され、尊敬されて来た例が、やはり珍らしくない。この事実は吾国民の芸術愛好慾が、如何に底強いかを裏書しているとも考えられる。
 又一面から見て、能楽は絵や彫刻なぞと違って、後に残らない。何月何日に何流の何某が舞った何々の曲は、それを見た人の印象に残り、話に伝わるのみである。今にトーキーか何かで伝わるようになるかも知れぬが……。だから、その流儀の勢力拡張のためばかりでなく、その流儀の保存のために、家元の世襲制度が必要となって来る。

     家元の世襲制度

 家元の世襲制度には実子後継と養子後継と二種類ある。実子後継の方は、どうにも工合がわるいらしい。どんな名人でも実子が自分の天分を受け継いでいるとは限らない。受け継いでいるように見えても実は単に、見慣れ聞き慣れ、見よう見真似に過ぎなかったりする。本当に受け継いでいるにしても、親の贔屓(ひいき)目という本能が邪魔をして徹底した教育鍛練が行われ難い。又、子は子で、親の威光や、お譲りの名前や技巧に依頼する心が無意識に働らくので、修業に弛(ゆる)みが出来るらしい。吾が子を思い切り仮借せずに鍛い上げた例話が芸界の美談として残っているが、その間にも親子の情愛が動くのは止むを得ない。純一な芸道教育にまで徹底し得なかった消息がたやすくうかがわれる。
 これに反して養子制度の方は工合よく行くもののようである。ここに一人の名人があって、能楽はかくあるべきものと信じて苦心研鑽をして来た結果、前途に疑いもない大光明を認め、遂に一流の開祖となって旧来の各流と相対峙し、弟子を養い、流風を宣揚するとする。同時にその人は当時第一流の芸術家や名僧智識達にも容易に理解されない程の深遠な芸術の哲理を体得しているので、どうかしてこれを後世に伝えたいと思うが、これを理解するものが一人も無いとする。
 普通の芸術だと、こうした玄妙を後世に伝えるのは不可能である。殊に色にも音にも残らないものならば、結局一人一代限りとなるべき筈であるが、能楽に限ってはこれを後世に伝える事が必ずしも不可能でない。
 その方法が家元の養子制度である。
 能は前にも述べたように、代々の名人上手によって洗練に洗練を重ねられて来た型(舞、謡、囃子等の全部を含む)に自己を当てはめて、更にソレを洗練に洗練した型を残す……という方法で、代を重ねて向上して来たもので、能とは要するに、人間の表現慾の極致、芸術的良心の精髄を、色にも型にも残らぬ型というものによって伝えて行くものである。だから、その型を理解し得ないものは、その型は舞えない事になっており、その一節、その一クサリと全曲との関係を味い得ないものには、その曲は謡えず囃(はや)せない事になっている(最も厳正な意味から云って)。
 たとえば邯鄲(かんたん)という曲に於て、主演者の盧生という人物が、能を終って引っこみがけに、自分の持っていた団扇(うちわ)を、舞台に置き忘れたまま幕に入る型がある(通常は持って引っ込む)。これは昔或る名人が、本当に人生を達観した盧生の気持ちになっていたために、本当に置き忘れて引っ込んだので、今以て、いい型として残っているが、サテ誰もこの型を再びやる者が居ない。何となれば、忘れようとして忘れたのは本当に忘れたのではない。真実の型とは云えないから誰一人として演るものが居ない。或はこの型が残ったために、後世に於ても永久にこの型をやる者が無くなるかも知れぬ。
 能の型は、それ程に神聖なもので、その境地に本当に這入った者でなければ、その型の精神はわからない。その演者の個性がそこまで洗練され、その人間の芸術的良心が、そこまで高潮されなければ、絶対に体得出来ないのが能の型であるという事が断言出来る。この意味から、或る一流の家元となった名人は、色々な深刻な、高潮した型を残して、後世に伝えようとする。しかし生やさしい者には伝えられない。
 こうなると吾児(わがこ)の幸福なぞは問題でない。吾児以外の誰でもいい。若い、頭のある、見込みのある者を自身に教育して、その人間の「能」を自分の程度にまで向上させて、自分の型を理解させるよりほかに方法がなくなる。そこで、一所懸命になって、そんな人間を探し出して、自分の流派の後継者として、精彩を尽して薫育をする。
 その教育方法は、随分、思い切って手酷いもので、時と場合によってはその養子の生命をさえかえりみない。これに堪え得ないような芸術的向上心の薄いものは、将来の流儀の精神と、物質的繁栄の根元たるべき家元の地位を預けるに足らぬ者と考えられているようである。
 尤(もっと)もかような厳しい教育は、凡(すべ)ての芸術教育に在り勝ちの傾向で、能楽に限った事ではないようであるが、しかし、能楽者の子弟の教育は特に斯様に厳格でなければならぬ大きな理由がある。
 前にも述べた通り、「能楽」という芸術は、新作物を受け付けぬどころでなく、逆に旧作のものの中でも芸術価値の薄いものは、容赦なく自然消滅をさせつつ発達向上して行く芸術である。だから現在選み残されている二百番足らずの曲目のドレ一つとして古名人の心血を絞っていないものはない。その一節、一手、一句切りと雖(いえど)も、実に古人の生涯を賭した百繰千練の賜でないものはないのである。能の隅々までも行き渡っている、云い知れぬ「アリガタサ」や「ヨサ」はかくして生み出され、伝えられたものに外ならないのである。
 後に生れた者は素人も玄人も共に、そんな古人の苦心をソックリそのまま無代価で頂戴している。その「ヨサ」や「アリガタサ」を学ぶだけの苦労で、これを楽しみ、これによって衣食する事が出来るのである。よしや古人の苦心なぞ理解し得ずとも、習った通りに演じておりさえすれば、トニモカクニモおまんまが喰って行けるのである。
 こうした「芸の祖先」の恩を知らない玄人は能を知らない者である。能楽師たる資格のない者である。素人と玄人との本当の区別はこの心がけの在る無しによって決定する。
 新作物を出すなぞいう者は、やはり能の使命を理解し得ない芸術界の浅薄児、狂躁輩である。流石(さすが)に玄人にこのような企てをする人が居ないのはさもあるべき事である。
 しかし玄人でも、こうして生まれた能のヨサ、有り難さが解かっていながらに、一と通り芸が出来るようになると、自分独りで豪(えら)くなったように思って、恣(ほしいまま)に羽根を伸したり、新手を編み出したりする者があれば、それは能楽界の外道である。能の堕落の誘因にこそなれ、能楽向上の足しにはならない。
 能を今日に伝えた先祖代々の苦心を察して、その恩を忘れない能楽師ならば、その芸は如何に下手でも、必ず能としての本当の品位を保っているものである。現代に於て名ある達者上手でも、この心掛けのない人の芸は、表面如何に立派でも、その奥に能楽独得の芸的高貴さが光らない。
「心を空しくして恩を感じ、身を励ます」という事は人間最高の心掛けである。この心を片時も忘るる時は、その片時から芸が堕落しはじめる。
 能はかくして人間最高の心がけを要求する芸術である……その心掛けのみを唯一の中心生命として今日に伝わり、生きて輝やき、時代に超然として、時代芸術のトップを切って行きつつある。だから少し油断をすると直ぐに堕落し易い。況(いわ)んや今日のように能楽師が各自にめいめいの芸を売って生活しなければならなくなれば尚更である。祖先が折角向上させた能を堕落させて大衆に媚びつつ生活して行くのを当然の権利と心得、結局能楽を自滅させるに到るであろう事は明白である。
 能楽師の芸術教育が特に厳格でなければならぬ理由は最早説明を要しないであろう。
 能楽師はこの意味でその子弟を鍛えねばならぬ。その型の仕込みの一つ一つに諸先輩の苦労を思い知らせねばならぬ。自分の相伝された時の艱難(かんなん)を覚らせねばならぬ。「先祖代々の形容に絶した苦心の集積を譲り受けて衣食するのだぞ。そのおかげで他人の師となって、尊敬を受けて行く事が出来るのだぞ。この恩のわからない奴は能のわからない奴だぞ」……という心をどこまでもタタキ込んで行かねばならぬ。
 これが能楽師たる者の最高の職分である。
 これが能の生命の根源である。
 ところが能をやる者は人間である。人間である以上、めいめい自分の頭の程度に能を解釈して勝手に羽根を伸ばしたい。一番イヤな恩なぞは感じたくない……というのが人情である。そうして識らず識らずの間に自分の芸を堕落させて大衆に迎合して行く。能楽界の外道となって行くのが多い勝ちである。
 これを喰い止めて行く最後の責任者は家元である。家元が祖先の恩を忘れたならば、その流儀の能は遠からず、あらゆる意味に於て滅亡して行く。否。その忘れた瞬間から滅亡し初める。
 家元は、そんな事を考え得ない内弟子、囃方、狂言師、素人弟子の中心に立って、敢然としてこの精神を支持し宣揚して行かねばならぬ。
 そうしてこの精神と、芸との両方を兼ね備え得る見込のある子供を養い取って、自分の後を継がせねばならぬ。
 これが家元の職分の初め終りである。
 能楽に家元制度が厳存している理由はここに在る。

     養子の勉強

 その家元の養子は初めは家元の厳しい教育によって一通りの事を習いおぼえる。
 ところが、その養子が家元の見込通りに相当の天分を持った児であるとすれば、必然的に旧来の型なるものに疑問を起して、自分の個性もしくは哲学から出直して、研究のやり直しをはじめる。そうして人間最高の表現が能である。能の最高の表現が自流の家元、すなわち養父の型であるという事を徹底的に理解するまで研究する。
 その養子の若い、元気な表現慾は、この間に、ありとあらゆる芸術的向上の過程を経る。たとえば象徴、写実、又は印象派、未来派、感覚派なぞいう、あらゆる芸術表現の行き方を、それと名は知らないままに色々と試みては行き詰まり、行き詰まっては又新しく試みる。他流のやり方を採り入れたり、打ち毀(こわ)したりして悶え、迷妄し、鍛練する。その苦しみが如何に悽愴たるものがあるかは門外漢の想像し得るところでない。
 こうして苦しむ間が大抵、十五六歳から二十四五歳ぐらい迄の間ではないかと思われる。無論能の研究は一代がかりどころではない。今日の能と雖(いえど)も、まだ甚しい未成品に相違ないので、行き止まりは絶対にないのであるが、ここに云うのは天才児が能―芸術、人生―霊というものに根本的に疑いをいだき、結局、本当に能の精神を理解して、自己の本来の面目にドカンとブツカリ得る時期を云うので、しかも、それは一般の少年少女が「世界苦」を懐(いだ)いて憂悶、焦慮する時期と一致している筈と思われるから、斯(か)く推定するのである。
 いずれにしてもその第二代の養子はかくして、第一代の家元がタッタ一人で相手なしに研究し向上して来た境域にまで、比較的若いうちに達する事が出来る。それは勿論その養父たる家元の鞭撻(べんたつ)指導の御蔭に相違ないのであるが、その時には、前に述べた芸の恩というものが、自分の嘗(な)めた苦心によってその養子の骨の髄にまで徹していると同時に、その養子は相伝された型を、養父家元の真似でなく、全然自分の本来の面目として表現し得る迄になっているので、その間にすこしの模倣も迷信もない。そうして更にその以上に自己の表現を洗練しよう……即ち自流の能楽の境地を高めようと苦心し修養する。
 しかし古来の名人が、代を重ねて洗練して残した型は実に表現の極致、芸術的良心の精髄とも云うべきものである。これを理解するさえ容易でない。演出するのは尚更である。
 それを更にそれ以上に洗練して、新しい型を残すのは尋常人の出来る事でない。僅に極く小さい一部分を改めて終るのは上乗の部で、大抵は流儀の番人で終るのが多い。ウッカリすると古人の型の理解し得ぬものを残して死ぬ家元も珍らしくない。そうしてその何代目かの後の英才が、その書き残された不可解の型の説明を見て、膝を打って感嘆する……というような事が多いらしい。
 ところで、前に云った養子が幸いにして前代以上の芸を養い、第二代の家元を継ぐ事になると、層一層、自奮自励して流風を向上させ、倍一倍絶妙の境界に達する。そうすると彼は又、その境地に於て得た型を後世に残すべく然るべき器量の養子を求めるといった段取りになる。
 家元制度の性質と、能楽の向上発達の径路の大要は以上述べた通りである。

     能の定型

 以上述ぶるような家元制度に依って、擁護され、洗練されて来た能楽は、現在どの程度まで発達して来ているか。その舞、謡、囃子の三大要素はどんな風に組み合わせられているか。その部分的要素である舞の手の一つ、謡の一節、囃子の一手は、全局とどんな表現的因果関係を持っているか……なぞいう事は、容易に説明が出来ないと思う。又、出来たと思っても結局一人呑込みになる虞(おそれ)があると思う。
 それは何故か。
 能の舞の型、節(ふし)、文句等には無意味なものが多い。皮相を見ると「ただ昔からそう伝えられているものを、そうやっているばかりである」という式のものが大部分を占めているかの観がある。又、能楽関係者も一般にそんな風に考えて、唯無暗(むやみ)に習った手法をその通りに固守して、それを教えて飯を喰うのを本分と心得ている向きが多いらしい。筆者がここに書くような事を考えるのは「芸術の邪道」と考えているらしいので、そんなところから見ると「能」は伝統的な因襲一点張りなもので、昔の舞踊の残骸という評が相当の勢力を持っているのも無理はない。
 笛は大部分定型的な呂律(りょりつ)を、定型的なタイムを踏んで繰り返すに過ぎぬ。大鼓も小鼓も、太鼓も四ツか三ツかの僅少な音の変化によって八、六、四、二の拍子を扱って行くに過ぎぬ。しかも、それが何の意味も表情も成さぬもので、その原則の無味単調さ、到底西洋音楽の比ではない。表情や、模倣の変化が自由勝手に、無量無辺に許されているものとは比べものにならないくらい、一律簡単に定型的されている。
 謡の文句も似たようなものが多いが、節に到っては類型の多い事呆るるばかりで、少数の例を除いては各曲共に二三十の同型の節で満たされていると云っていい。
 舞の型も同様である。舞手の歩く道すじは十中八九まで舞台上の同じ線路(コース)で、その手ぶりも亦十中八九同じ定型である。装束、仮面等も同様で、大体に於て似たり寄ったりであるが、更にその脚色の類型と、進行の形式の各曲共に共通した点が多い事は、実に甚しいものがある。
 だから能を好まない人は、能は何遍見ても聞いても同じ事ばかりやっているように見える訳である。
 ところが、能を見慣れて来ると、この何等の変化もない定型的な演出の一ツ一ツ、一刹那一刹那に云い知れぬ表現の変化が重畳していることが理屈なしに首肯されて来る。能楽二百番――もしくは一曲の中に繰返される定型の、ドレ一つとして同一の表現をしていない事が、不言不語の中にわかって来る。そうしてその定型のすべてがあの四角い、白木の舞台表面上の表現として最高級に有効で、且つスピード的に、又は内面的に充実され得る最も理想的な表現形式である……すなわち何回繰返されても飽きないものである事が、鑑賞眼の向上と共に理解されて来る。無論説明の範囲外に於てである。

     定型の表現作用

 たとえば直立不動の姿勢から二三歩進み出て立ち止りつつ右手をすこし前に出す。次には足と手を、うしろへ引いてもとの直立不動の姿勢に還る……という極めて簡単な舞の手があるとする。そうしてその前半の進み出る方をシカケと名付け、後半をヒラキと名付けるとする。
 このシカケ、開きという舞の手は、舞曲中の到る処に、繰り返して出て来る定型であるが、この定型があらわす意味は不可思議なほど沢山にある(厳密な言葉で云うと無限にあり得るので、他の定型も同様と考えられる)。或る時は、自分がこうこうな性格の者である……という意味を表現し、或る時はここはこうこうな処である……と描写して直感的に観客を首肯させる。又は……これから舞いはじめる……とか……これから狂う……とか……これが私の誇りである……境界である……悲しみである……喜びである……とか……ここが大切な処である……とか……これから曲の気分がかわる……とか……これで一段落である……とかいう心を如実に見せ、又は山川草木、日月星辰、四時花鳥の環境や、その変化推移をさながらに抽象して観客の主観と共鳴させるなぞ、その変化応用は到底筆舌の及ぶ範囲でない。
 謡の節も同様である。
 たとえばシオリと云ってその人の最高潮の音調を使う一節がある。そのシオリの最高潮の一部は非音階音にまで跳ね上げる位高いのであるが、これは咏嘆、賞讃、喜怒哀楽はもとより、曲の気分の転換、結末のしめくくり、曲中の最高、最美、最大、最深等の表現に用いらるるのみならず、シカケ、ヒラキの型と同じく、曲中の山川草木等のあらゆる背景、もしくは対象等の存在をこの一節によって深刻に抽象して直接聴者に霊的の感銘をあたえる。その応用の広い事は到底擬音的な音楽なぞと比較し得るところでない。
 その他囃子の手の中でも只一回、指一本で、軽く鼓の表面に触れるだけで、宇宙間の森羅万象と喜怒哀楽、その他のあらゆる芸術表現の使命を達し得る。指一本の一接触で主観客観を超越した万象の感じを直感させ得るという、法螺話(ほらばなし)としか思えない素晴らしい実例なぞが、まだいくらでもあるが、ここには煩を避ける。ただ、そんな表現実例が、能楽の舞台面に於ける日常茶飯の出来事で、微塵の誇張も含んでいない……能を見慣れている人が、いつもながら三嘆するところである事を念のために書き添えておく。
 ところで……斯様に極めて簡単な定型によって、どうしてあのように色々な意味が表現出来るのであろう。または、あんな簡単、率直な定型が、どうしてあんなに色々に美しく感ぜられるのであろう……という事は、能楽愛好者の皆不思議がるところであると同時に、説明に苦しむところである。殊に能楽を、定型の伝統的な因襲とばかり考えている人々にとっては無理もない事である。
 しかしこれと反対に、能の進歩向上を認め、現在に於ても日々夜々に洗練されリファインされつつあるもの、という事を認め得る人々に対しては容易に説明され得ると思う。
 すなわち、あらゆる舞の手が、繰り返し繰り返し演ぜられて行くうちに、次第次第に洗練されて単純な緊張したものになって来る。対象物の形や動きを真似した客観的表現……自己の意志感情を表現した主観的なシグサ……又は自己の姿態美をあらわすだけの無意味な動作……そんな舞の手が、それぞれに、それぞれの目的に向って高潮し、洗練されて或る極点まで来ると、そのような意味を皆含んだ……そうしてそれ等の表現形式を超越した、或る一つの単なる定型に帰納されてしまう。たとえば「向うに木がある」「山がある」「月がある」なぞの指し示す型と、「これから私は……」「可哀相な私……」なぞと自分を指すシグサと、「ああ嬉しい」「この狂おしさ」なぞという意味で胸を押える型と……「俺は強いぞ」とか「サア来い」とかいう心で腕を張る型と……それ等の型のすべては前に述べたシカケ、ヒラキの型の一手によってあらわされ得ると同時に、それが最も緊張した、姿態美の精髄をあらわす舞台表現だという事が、洗練の結果わかって来る。同時に裡面から考えると、このシカケ、ヒラキが、そうした色々の表現を煎じ詰めた最高の表現という事が理解される事になるので、ここに「シカケ、開き」という定型が生れ出る事になる。
 ところで斯様にして「シカケ、ヒラキ」という定型が生れ出ると、その応用の範囲が又、頗(すこぶ)る広いことがわかる。
 たとえば「俺は鬼である」という心を表わすのに、昔は両手を額の上に持って来て恐ろしい顔をして見せたかも知れぬ。しかし、それは鬼の形を真似したに止まるもので、「俺は鬼だぞ」という充実した心持ちはあらわされ得ない。寧(むし)ろ、すこし前に進み出て右手を心持前にし、静かに退いて、もとの姿勢に復(かえ)る方が「自分は鬼」という心持の表現に合致している。事実、演者がその心持でシカケてヒラクと、観者は主観的に演者を鬼と感じて終(しま)うので扮装の有無には拘(かか)わらない。扮装していれば尚鬼である。これに反して仮令(たとい)、鬼の姿をしていても、その心なしにシカケ、ヒラキをやれば、観者はチットモそんな感じを受けない。「鬼の姿をした者が手足を動かしている」程度の感じしか受けないのは無論である。
 又は「あすこに山が見える」という場合に、向うを指して山の形を両手で描いて見せたのが昔の表現であったとする。今でも手踊りや何かの中にはこの程度の表現を見受けるが、しかし、それは単に山の形を真似ただけで何等の主観的表現を含まない。それよりも「ああ山が見える」という心で静かにシカケ、ヒラキの型を演じた方が充実した舞台印象を観客にあたえつつ、自己の表現慾を最高度に満たす事が出来る。平たく云えば観衆は、何も舞手に山の方向や形状を教えてもらわなくてもいいので、そんなものが実在していない事は皆知っている。指したとてその方をふり返るものは一人も居ない。それよりも、その舞手が山に対した気持を如何に描きあらわすか……はるかに山に対した人間の詩的情緒を、如何なる姿態美の律動によって高潮させつつ表現するかを玩味すべくあくがれ待っているので、その美的律動に共鳴して演者の美的主観と自分の主観とを冥合させ、向上させ、超越さすべく、あくがれ望んでいる……数百千の観衆が息を凝らしている……型の種類なぞは寧ろどうでもよろしい。期待するところはその演者の情緒の律動的表現から来る霊感である……というのが見物の心であると同時に舞手の心に外ならぬのである。
 だから、もっと進歩した表現になると、只一歩不動の姿勢のまま進み出ただけで、あらゆる心持があらわされ得る事になる。否。更にもっと進んだ型になると、突立ったまま、もしくは座ったまま全く動かなくともいいことになるので、現に能の中には、そうした無所作の所作ともいうべき型によって、格外の風趣を首肯させて行くところが非常に多い。
 又節調の例で云えばシオリとても同様である。
 たとえば嬉しさを表現する時には躍り上るような音階を通じて最高音に達し、悲しみをあらわす事には嫋々(じょうじょう)切々として、ためらいつつ最高音に達するように節づけたとする。又最美の姿を咏嘆しあらわすには円味をもった、柔らかな変化を以て最高音に導き、曲の段落を高潮させるためには急角度の変化を以てしたとする。しかしそれはいずれも音でもって感情や風物の感じを模倣しただけのもので、芝居の科白(せりふ)が悲しい時に泣き、腹を立て怒号する真似をするのと皮一重の相違でしかあり得ない。舞の芸的主観の洗練味を極度まで要求する能の舞台面では、それが却(かえ)って不自然な、充実しない表現になって終う。曲の終末のクライマクスを現わす最高音でも同様で、ヤタラに高音を連続し、又は突然急調の変化を用いて観衆を刺戟するのは弱い方法であると同時に、そんな無茶な事は肉声では出来難い。だから、自然に、楽に発し得る肉声を次第に高くしてその一部に最高音……もしくは最高音を指す曲線をあらわし、又自然に平音に復する……という声の型を作ってこれをシオリと名付ける。そのシオリと名付ける声の型を、前に述べた色々の心持ちで謡う時は、その通りの気持が、前の模倣的な節扱いよりも遥かに自由自在に、且つ切実に、深刻にあらわれる。すなわち声の定型の妙味は、舞の定型の妙味と少しも違わない。

     不自然、不調和、不合理の美

 以上は能の舞、謡、囃子に定型的な……無意味なものが何故に多いか。それが何故模倣、写実の千差万別的な表現よりも変化が多いか。直説法式に深刻な舞台効果をあらわすか。演者と観者の主観を一如の美しさに結び付けるかという理由の一端を、辛(かろ)うじて説明したものである。
 しかし、能の各種の表現には、以上の如き説明も及ばない全然無意味、不合理、もしくは不調和と見えるものが決して些(すくな)くない。
 何等の感激もないところに足拍子を踏む。美しい風景をあらわす場合に、観客に背中を向けて歩くという最も舞台効果の弱い表現をする。最も感激の深かるべきところを、一直線に通過する。そうかと思うと、格別大した意味のないところで技巧を凝らすなぞいう例がザラに在る。能楽が無意味の固まりのように思えるのは無理もない。
 ところがよくよく味わってみると、その無意味な変化は、全体の気分の上から出て来たものであったり、又は不合理、不調和に見えたものは、表現の裏の無表現でもって全体の緊張味を裏書きしたものであったりする事が折りに触れて理解されて来る。そうしてその無意味、もしくは不調和な表現ほど能らしい、高潮した表現に見えて来るので、能はここまで洗練されたものかと、屡々(しばしば)歎息させられる。
 欧米の近代芸術は単純、無意味、不調和、もしくは突飛な線や、面や、色彩を使って、人力で表現し得べからざるものを表現すべく試みているようであるが、そのような表現法も能は到る処に試みているので、寧ろ能楽の最も得意とするところである。
 とはいえ、斯様(かよう)にして洗練されて来た、舞、謡、囃子が、どんな風に集まり合って能を組み立てているか……という具体的の説明は依然として絶対に出来ないと思う。日本に生れて日本の詩歌伝説に共鳴し、日本語の光りと陰影に慣れ親しみ、八拍子の序破急に対する感覚を遺伝し、舞のリズムと打音楽の調和を喜び得る純日本人ですら、能を見物して唯よかったとか、悪かったとか云うだけで、何故という質問に答え得ない位だから――。
 能のわかるアタマは特殊のアタマとさえ考えられている位だから……。
 けれども、そもそも「舞」とか「謡」とか「囃子」とかいうものの本来の使命はどこに在るか……その本来の使命が「能」ではどんな風に果されつつあるか……という事に就いて、私一個人の無鉄砲な意見を述べる事は出来ようと思う。そうして、その意見を首肯……もしくは反対される人々が、各自の意見によりて能を考察されたならば、或は能をドン底から理解される事になりはしまいかと思う。私が説明し得ないところを氷解されはしまいかと思う。
 これは私が好んでする奇矯(ききょう)な論法ではない。
「能」は如何なる方向からでも玩味、批判され得る一個の人格だから……。
「能」はアトムから人間にまで進化して来て、更に又もとのアトムにまで洗練、純化されつつある綜合芸術だから……。

     定型の根本義

 舞い、謡い、囃(はや)すという事は人間最高の仕事である。
 人間文化が次第に向上して、一切の言葉が純化されて詩歌となって問答される。これに共鳴した人々が楽器で囃す。同時に人間の一切の起居動作が洗練されて舞となって舞うようになったならば、それは人類文化の最高のあらわれでなければならぬ。日本、支那、印度(インド)、西洋の各国に於ても、或る文化種族がその栄華を極めた時、即ちその文化的能力を極度に発揮した時、日常事にふれて詩歌を以て相語り、舞を以て仕事を行った時代があったそうである。
 又、かような事も考えられる。
 主観的に云えば蝶は蜜を求めて飛びまわっているのであろうが、人間の眼に映ずる蝶の生活は、春のひねもすを舞い明かし舞い暮しているとも考えられる。すくなくとも蝶が蜜を求めて飛びまわる姿は、その美しい翅(はね)と、変化に富んだ飛び方の曲節によって、春の風物気分とシックリ調和しているので「蝶は無意識に舞っている」と云えるであろう。
 その蝶の舞を今一層深く観察してみる。
 蝶のあの美しい姿は開闢(かいびゃく)以来、あらゆる進化の道程を経て、あの姿にまで洗練されて来たものである。同様にその飛びまわりつつ描く直線曲線が、全然無意味なままに相似ていて、バッタの一足飛びや、トンボの飛行機式なんぞとは比べものにならない程、美的なリズムに満ち満ちているところを見ると、蝶には他の翅虫たちよりも遥かに勝れた美意識があるように見える。そうしてその美意識によって春の野の花に調和し、春の日の麗(うら)らかさを高潮さすべく、最もふさわしい舞い姿にまで、代を重ねて洗練されて来たのが、あの蝶の舞い型であると考えられる。
 鳥の歌も同様である。
 ある種類の鳥の唄う諧調は、全然無意味のまま、相似通っていて、春の日の麗らかさに調和し、駘蕩(たいとう)の気分を高潮さすべく、最もふさわしい諧調にまで、元始以来洗練され、遺伝されて来ている諧調の定型であるかのように思われる。
 そうしてその蝶の舞いぶり、鳥の唄いぶりが、人間のそれと比べて甚しく無意味であるだけそれだけ、春の日の心と調和し、且つその心を高潮させて行くものである事は皆人の直感するところであろう。
 人間の世界は有意味の世界である。大自然の無意味に対して、人間はする事なす事有意味でなければ承知しない。芸術でも、宗教でも、道徳でも、スポーツでも、遊戯でも、戦争でも、犯罪でも何でも……。
 能はこの有意味ずくめの世界から人間を誘い出して、無意味の舞と、謡と、囃子との世界の陶酔へ導くべく一切が出来上っている。そうしてその一曲の中でも一番無意味な笛の舞というものが、いつも最高の意味を持つ事になっている。勿論多少は、劇的の場面を最高としてあるものもあるが、大部分は笛の舞を中心としている。
 その曲の最もありふれた形式の一つを挙ぐれば、先ず日常生活に原因する悲劇的場面から初まって、その悲劇の主人公が次第に狂的、超人的な心理状態に入る。同時にその言、意味のある普通の文句から、次第に無意味な詩歌的気分と音調とを帯びて来る。その気分を数名の合唱隊が受けて謡う。それに連れて主人公が舞い出す。
 かようにして舞台面の気持はやがて散文も詩も通り越し、劇も身ぶりも、当て振りも、情緒や風趣をあらわす舞も、グングンと超越して、全然無意味な、気分も情緒も何もない、ただ、能としての最高潮の美をあらわす笛の舞に入る。その時に謡が美しく行き詰まりつつ消えて行く。
 この笛の舞は、よほど能の好きな人でもわからない退屈なものと見倣されている。それほど高い芸術価値を持っているものである。
 すなわち能は、まず現実世界の人間に、分り易い簡単な劇を選み出して見せる。そうして観衆の頭を引き付けておいて、その中から気分と意味とを取り交ぜた舞踊を抽出して見せる。それから最後に、無意味な、無気分な、只美しい、品のいい、音と形ばかりの、笛の舞の世界をあらわして最高の芸術愛好者を酔わせて了(しま)うのである。
 この笛の舞が最高潮に達して終りかける時、舞手は、笛の舞を舞い出した時の気分と照応した謡を謡い出す。そのうちに笛が止んで囃子の段落が来る。そのあとから謡手が謡い出して、劇でいう切りの気分に入り、調子よく舞い謡いつつ最高潮に達して終る。
 以上は能の作曲の一つの定型と云っていいであろう。




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