暗黒公使
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著者名:夢野久作 

ダーク・ミニスター
暗黒公使

夢野久作



はしがき

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はしがき
「暗黒公使(ダーク・ミニスター)」なるものはどんな種類の人間でどんな仕事をするものかというような事実を、如実に説明した発表は、この秘録以外に余り聞かないようである。又そんな事実を自由に発表し得る立場に居る人物も、考えてみると余り居ないようである。
 その意味に於てこの発表は、或(あるい)は空前のものかも知れない。
 この外交秘録を発表するに当って、何よりも先にお断りしておきたいことは、筆者クローダ・サヤマ……すなわち私が、現在日本に居ない人間という事である。
 私は去る一九二一年(大正十年)の春以来、応用化学の本場である仏蘭西(フランス)の巴里(パリー)ドーフィン街四十番地の古ぼけた裏屋敷の二階に下宿住居(ずまい)をして、忠実な男女二人の助手と三人で「化学分析応用……特に有機、毒物、酒類」という小さな広告を時々新聞に出している者であるが、その助手の一人で語学の達者なミキ・ミキオという青年が、この頃色んな探偵事件に引っぱり出され初めて、焙(い)り麦みたように家(うち)の仕事をすっぽかすようになった。おかげで私はすっかり仕事が閑散になったので、その暇つぶしに、私が警視庁の第一捜査課長を辞職して、日本を去るに至った、その失敗の思い出話として、この事件を書いて見る気になったものである。
 一つは日本でも……と云ったら叱られるかも知れないが、近来探偵小説が非常な流行を極めていると聞いたので、私のような老骨の経験談でも興味を感ずる人があるかも知れないと思って書かしてもらうので、決して商売の広告や、主義思想の宣伝でない事は前以(もっ)て十分にお断りして、この拙(まず)い一文を読んで下さる「探偵好き」の方々に、深甚の敬意を表しておきたいと思う。
 それからもう一つ特にお断りしておきたい事は、この事件の起った当時の日本が、十年一と昔というその西暦一九二〇年……すなわち大正九年以前のそれで、云う迄もなく震災以前の事だから、現在の日本とは格段の相違があると思われる一事である。
 現在の日本は西暦一九三〇年前後を一期(いちご)として、世界の最大強国となりつつ在る。世界大戦でも何でも持って来いという、極めて無作法な態度で、ドシドシ満洲国を承認して東洋モンロー主義を高唱しつつ、列国外交の大帳場たる国際聯盟の前にアグラを掻いている。おまけに、自国の陸軍を常勝軍と誇称(こしょう)し、主力艦隊に無敵の名を冠(かむ)せ、世界中の憎まれっ児(こ)を以て自認しつつ平気でいる。
 同時に国内に於ては、明治維新以来の西洋崇拝熱を次第に冷却させて、代りに鬱勃(うつぼつ)たる民族自主の意識を燃え上らせ初め、国産奨励から、産業合理化、唯物的資本制度の痛撃、腐敗政党の撲滅(ぼくめつ)、等々々のスローガンを矢継早に絶叫し、精神文化を理想とする生命(いのち)がけの結社、団体を暗黙の裡(うち)に拡大強力化して、世界の脅威ともいうべきソビエットの唯物文化を鼻の先にあしらおうとしている。
 一方に米国で催された国際オリンピック競技では、さしもに列国が歯を立て得なかった水上の強豪、米国の覇権を、名もない日本の小河童連(かっぱれん)の手でタタキ落させ、何の苦もなく世界の水上王国の栄冠を奪い取らせるなぞ、胸の空(す)くような痛快な波紋を高々と、近代史上に蹴上げている。
 こうした母国の意気組を、はるかに巴里(パリー)の片隅から眺めていると、片足を棺桶(かんおけ)に突込んでいる私でさえ、真に血湧き肉躍るばかりである。日本の若い連中はもう、自分達が人類文化を指導しているつもりで、シャッポを阿弥陀にしていはしまいかと思われる位である。
 しかし十年前(ぜん)……私が警視庁に奉職していた前後の日本はナカナカそんな暢気(のんき)な沙汰ではなかった。現在のように列国と大人並に交際(つきあ)って行くどころの騒ぎではない。赤ん坊扱いにされまいとして悲鳴をあげている時代であった。英米の高圧外交にかかって、ひねり殺されたくないばっかりに、必死的なストラグルを続けているという、見っともない、情ないジタバタ時代であった。
 すなわち外交方面では、欧洲大戦が終熄(しゅうそく)に近づいて米国が世界の資本王となり得べき可能性が確立した時である。そうして、東洋の邪魔者日本に挑戦すべく、猛悪な排日案を挙国一致の一般投票で決議する一方、自国内に於ては資本主義社会に附きものの暗黒面組織(ダークサイドシステム)をぐんぐん拡大深刻化し初めた頃である。同時に人種的分裂と、物質の欠乏に悩む欧洲の地図の色が百色眼鏡(ひゃくいろめがね)のように変化し初め、露西亜(ロシア)と独逸(ドイツ)が赤くなり、又青くなり、伊太利(イタリー)に黒シャツ党が頭を上げ、西比利亜(シベリア)に白軍王国が出来かかり、満洲では緑林王(りょくりんおう)(馬賊王)張作霖(ちょうさくりん)が奉天(ほうてん)に拠(よ)って北方経営の根を拡げ、日本では日英同盟のお代りとなるべく締結された日仏協約が、更に一歩を進めて、英の新嘉坡(シンガポール)と、米の比律賓(ヒリッピン)に於ける海軍根拠地を同時に脅かすべく、仏領印度(インド)に関する秘密協商となって進行し初めていた。……と云えば、いい加減若い人達でも、その当時の眼まぐるしかった新聞記事の大活字を思い出すであろう。
 従って相当記憶の悪い人でも、そんな記事と関聯して、そんな記事以上のセンセーションを捲き起した有名な「暗黒公使(ダーク・ミニスター)事件」の大々的報道を思い出してくれるであろう。そうしてその帝都空前の大事変の舞台となった、その当時の大東京の風景を思い出してくれるであろう。
 その頃の東京も今の東京と比較したら全く隔世の感があるに違いない。震災をステップ・インするや否や一挙に二三十年分の推移を飛躍したというのだから……。
 その頃の宮城前の馬場先一帯は大きな、草茫々(ぼうぼう)たる原っぱになっていて、昼間は兵隊が演習をしていた。夜は又半出来のビルデングや建築材料、板囲(いたがこい)なんぞの間を不良少年少女がうろうろする。時折りは追(お)い剥(は)ぎ、ブッタクリ、強姦、強盗、殺人犯人なぞいう物凄い連中が、時を得顔に出没している有様であった。そのほか無線電信のポールは市内に一本も無かったし、ラジオやトーキーなんぞは無論ありようがない。飛行機は年に一度ぐらい外国人に飛んで見せてもらっていた。また現在エロの大極楽園(パラダイス)になっているという新宿なんぞも純然たる町外れで、時たま自動車が走ると犬が吠え付くという情ない状態であったから、今の人達に話したら本当にしない人が出て来るかも知れないと思う。
 だからその当時まで私が奉職していた警視庁の仕事ぶりなぞも、殆(ほと)んど明治時代と択(えら)ぶところがなかった。上(かみ)は総監から下(しも)は巡査刑事に至るまで一人残らず旧式の拷問応用の見込捜索ばかりを、飽きもせずに繰り返していたものである。もっとも明治四十一年に私が立案した方針で設置された鑑識課なるものが在るにはあったが、その機能を本式に使って、本格の推理的な探偵捜索を進め得るものは、自慢ではないがやっと私と、私が仕込んだ二三名の若い部下ぐらいのものであった。
 ところが、そうした私の苦心努力の結果私が退職の二三年前に有名な外交文書の紛失事件と、評判の迷宮殺人事件を解決してから、やっとこの鑑識課の仕事が認められて来る段になると、今度は日本人の特徴として一も鑑識、二も鑑識と鑑識万能の時代になって来た。早い話が新聞社の連中でも「目下捜索中」と云った位ではなかなか承知しないが「目下鑑識課で調査中」と云えば「成る程左様(さよう)ですか」と敬意を表して引き退(さが)る状態で、刑事なんかは何の役にも立たないように考えられる時代が来た。
 ところが又そうなると私の癖かも知れないが、すっかり鑑識課の仕事を馬鹿にしてしまって、ほんの参考程度の役にしか立たないものと見限(みき)りを附けるような頭の傾向になっていた。従ってこの「暗黒公使(ダーク・ミニスター)」事件でも、私は殆んど鑑識課の仕事を度外視しているように見えるかも知れない。同時に私の行動が如何(いか)にも旧式な、精力主義一方の探偵方針で働いているように見えるかも知れないが、これは止むを得ない……ただ賢明なる読者諸君の批判に訴えるより外に仕方がないと諦めている。
 しかし強(し)いて云い訳をすれば出来ない事もない。
 元来探偵事件の興味の中心が、その犯罪手段や探偵方針のハイカラかハイカラでないかに繋(かか)っているものでない事は、一八〇〇年時代の探偵記録や裁判聞書(ききがき)が、依然として現代の巴里尖端人(パリジャン)に喜ばれている事実に照しても一目瞭然で、私がこれから述べようとする「暗黒公使(ダーク・ミニスター)事件」の興味も、そんな[#「そんな」は底本では「そん」と誤記]点にはかかわっていない……否、寧(むし)ろその不自由を極めた……世にも自烈度(じれった)い方法でもって、大資本を背景にした民族的大犯罪に喰い下って、盲目滅法(めくらめっぽう)に闘って行かなければならなかったところに、怪事件の怪事件たる価値や風味が、いよいよ深められ、高められて行く。そこに興味の中心が在りはしないかと考えている位である。
 だから筆者は却(かえ)って旧幕時代の捕物帳に含まれているような、あの一種の懐古的な……もしくは探奇(たんき)的とも云うべき情景を読者の眼前に展開して、現在長足の進歩を遂げているであろう日本の探偵界と比較して頂きたいという、自分一個の楽しみから、この記録を公表する気になったものである。同時に最新式科学探偵機関の精鋭を極めた警察を有する仏国巴里(パリー)の真中でこんな記録をものする私のこのカビの生えた頭までもが、一つの小さな反語的(アイロニカル)な存在ではあるまいかというような、一種の自己陶酔的微苦笑を感じている事実までも、序(ついで)に附記さして頂く所以(ゆえん)である。
[#改丁]


上巻[#改頁]

 大正九年(一九二〇)二月二十八日の午後零時半頃であった。
 十六七ぐらいに見える異様な洋服の少年が一人、柏木(かしわぎ)の私の家(うち)の門口(かどぐち)に在る枳殻垣(からたちがき)の傍(そば)に立っていたが、私が門口を這入(はい)ろうとすると、帽子を脱(ぬ)いで丁寧にお辞儀をした。
 何やら考え考え歩いて来た私は、その時にやっと気が付いて反射的に帽子を脱いだ。そうしてどこかのメッセンジャー・ボーイでも来たのかな……と思いながら立ち止まって、その少年の姿に気を付けてみると、心の底で些(すく)なからず驚いた。
 私はこのような優れた姿の少年を今まで嘗(かつ)て見た事がなかった。同時に又、このような異様な服装を見た事も、未だ曾てなかったのである。
 何よりも先に眼に付くのはその容貌であった。
 全体に丸顔の温柔(おとな)しい顔立ちで、青い程黒く縮れた髪を房々(ふさぶさ)と左右に分けているのが、その白い、細やかな皮膚を一層白く、美しく見せている。そうしてその大きく霑(うる)みを持った黒眼勝ちの眼と、鼻筋の間と、子供のように小さな紅い唇の切れ込みとのどこかに、大奈翁(ナポレオン)の肖像画に見るような一種利かぬ気な、注意深い性質が現われているようであるが、それが又却(かえっ)てこの少年の無邪気な表情を、一際異様に引き立てていて、日本人としては余りに綺麗に、西洋人としてはあまりに懐(なつか)しみの深い印象を与えている。全体としては絵画や彫刻にも稀な、端麗な少年と云って、決して誇張でないであろう。
 これが私を「おや」と思わせた第一の印象であった。
 しかし、単に容貌を見ただけで相手を評価するのが大間違いである事は、多年の経験で知り過ぎる位知っている私であった。だからこの少年の容貌の端麗さに驚かされた私の眼は、その次の瞬間に、本能的に少年の服装に移って行ったが、これも亦、際立って異様で、見事なものであった。
 英国製らしい最上等の黒羅紗(らしゃ)に、青天鵞絨(ビロード)の折襟(おりえり)を付けた鉄釦(てつぼたん)の上衣を、エナメル皮に銀金具の帯皮で露西亜(ロシア)人のように締めて、緑色柔皮(グリーンレザー)の乗馬ズボンを股高(ももだか)に着けて、これもエナメル皮の華奢(きゃしゃ)な銀拍車付きの長靴を穿(は)いている。右の手には美術家が冠(かむ)るような縁の広い空色羅紗の中折帽に、その頃はまだ流行(はや)らなかった黒皮革(かわ)の飾紐(リボン)を巻いたのを提げて、左手には水のようなゴム引き羽二重(はぶたえ)の雨外套(レインコート)とキッドの白手袋と、小さな新聞紙包を抱えながら、しなやかな不動の姿勢ともいうべき姿で立っている。
 全体の仕立の好みからいうと米国風であるが、着こなしの感じからいえば中欧あたりの貴族の子弟のようにも思われる。伊太利(イタリー)辺の音楽師を見るような気持ちもするが、さてどこの人間かを判定しようとなると、チョット見当が付きにくい。
 これが私が驚かされた第二の印象であった。
 けれども、それよりももっと大きな眼を※(みは)らせられて、もっと深く感歎させられたのは、その服の仕立のいい事と、その持ち物の一切合財(いっさいがっさい)が、鋏(はさみ)と剃刀(かみそり)の痕(あと)の鮮かな頭髪に到るまで、一つ残らず卸(おろ)し立てである事であった。
 恐らく日本中のどこの洋服屋でも、こんなに品よく、ピッタリと仕立上げる事は出来ないであろう。腋(わき)の下の縫い目などに十分のユトリと巧妙味(うまみ)を見せているところだの、上衣に並んだ十個の鉄釦と、ズボンのふくらみとの釣合いに五分の隙(すき)もないところなぞを見ただけでも、たしかに外国仕立で、しかもこの種類の服装を扱い慣れた専門家の手にかけたものと判断しなければならぬ。こうしてこそ初めて服装は肉体美を更に美化するものという事が出来よう……否……単に服装ばかりでなく、この少年の持物の全体を通じて何一つ上等でないものはない。そうして更に驚くべき事には、その服も帽子も、オリーブ色の雨外套(レインコート)も、染料の香気がまだプンプンしているらしい仕立卸しで、硝子(ガラス)のように光っているエナメル靴の踵(かかと)までも、たった今土を踏んだばかりのように一点の汚れも留めていない事であった。
 私は少年の異様に白い顔と、この服装とをモウ一度見上げ見下した。これはどこかの洋服屋の飾窓(ショーウインド)の中に在る蝋人形がそのまま抜け出して来て、ここに立っているのではないか……とあられもない事まで疑った。けれどもその黒く霑(うる)んだ瞳と、心持ち微笑を含んだ唇が明かに私のこうした妄想を裏切っている事を認めない訳に行かなかった。
 ……不思議だ……わからない……。
 私がここまでこの少年に就(つ)いて観察して来たのはほんの二三秒ばかりの間の事であった。こうして二十八の年から四十九歳の今日(こんにち)まで警視庁に奉職して、あらゆる難問題を解決して、鬼狭山(さやま)とまで謳(うた)われた私の眼力は、この少年の五尺二寸ばかりの身体(からだ)を眼の前に置きながら、遂に何等の捕えどころも発見し得なかった。僅かに発見し得たものは皆、驚きと感心の材料になるばかりであった。
 ……一体この少年は何者であろう。
 ……外国人か、日本人か、それとも混血児か。
 ……どこから来た者であろう。
 ……何しに来たものであろう。
 ……特に自分に対して何の用があって来たのであろう。
 私は今一度ジット少年の顔を見た。
 あとから考えるとこの時の私の眼は、嘸(さぞ)かし鋭い光りを放っていたであろうと思う。
 私は今まで、たった一眼見ただけで、その人間の職業や性格は愚な事、その経歴まで見破った例が少くないが、それだけに私の眼は鋭い光りを放っていた。嘗て或る脱獄囚が、立派な紳士の服装をしているのを、どこかの職工が金でも儲けたのか知らんと思って見ていたら、その男はいきなり私の傍へ来てパナマ帽を脱いで、
「何卒(どうぞ)宜しくお頼ん申しやす。私(わし)で御座いやす。貴方(あなた)のその鋼鉄のような眼で睨まれちゃ、逃げようにも逃げられません」
 と云った位である。況(ま)してこの時は、たかが一介のビショビショ少年の正体を見破る事が出来なかったのみならず、あべこべに驚かされ、迷わされ、感心させらるるばかりで、手も足も出なくなった口惜しささえ感じていたのだから……そうして初対面の作法も何もかも忘れて睨み付けていたのだから必ずや容易ならぬ眼色(めいろ)をしていたに違いないと思う。
 ところが少年は、そうした私の眼の光りに射られながらちっとも臆した色を見せなかった。ただ持ち前の無邪気な、落ち着いた眼付きで私を見上げていた。……のみならずその黒い大きな、二重瞼の眼はこんな事を云っているようであった。
「貴方が私を御覧になるのは只今が初めてでしょう。けれども私はずっと前から貴方のお顔を知っていたのですよ」
 ……と……。又その素直な恰好のいい鼻は、
「私がここにお伺いしましたのは大切な用事をお願い申上げたいからですよ」
 という意味をほのめかしたようであった。そして又、その人懐(ひとなつ)こい可愛らしい締った唇は、軽い微笑を含んで無言の裡(うち)に云っていた。
「私は只今初めて貴方と言葉を交す機会を得たのを大変に嬉しく思います」
 ……と……。そうしてその身軽そうな均整(ととの)った身体(からだ)つきは、
「貴方をどこまでも正しい、御親切な方と信じております。貴方を深く深く尊敬しております」
 という心持ちを衷心(ちゅうしん)から表明しているかのように見えた。
 正直なところを白状すると、私は、こんな風に落ち着いた少年の態度を見れば見るほど、心の底で狼狽させられたのであった。あとから思い出しても顔が赤くなるくらいイライラさせられたのであった。相手は自分をよく知っていて、すっかり信用して落ち着いているのに、こっちは少しも相手がわからないでいるばかりでなく、ただ無暗(むやみ)に驚いて、感心して、疑って、躊躇(ちゅうちょ)しているのが、我身ながら恥かしくて腹立たしいような気がしたのであった。正直のところこんな心持ちを味わったのはこの時が初めてであった。
 これだけがこの少年に対する私の最初の印象であった。
 折から門内に高く聳(そび)ゆるユーカリ樹の上を行く白い雲が、春近い日光をサッと投げ落して、枳殻(からたち)の生垣と、その前に立った少年の肩とを眩(まぶ)しく照し出した。
 少年と向い合ったまま黙って突立っていた私は、その時にやっと吾に帰った。
「何か御用ですか」
「ハイ」
 と少年は即座に答えたが、その声調はハッキリした日本語のように思えた。そうしてポケットから名刺を一枚出して謹んだ態度で私に渡した。それは小型の極上象牙紙(アイボリイ)に新活字の四号で呉井嬢次(くれいじょうじ)と印刷したもので、裡面(りめん)を返してみると印刷かと思われる綺麗なスペンシリア字体で George, Cray. と描いてある。所番地も何もない。
「ジョージ。クレイ」
 と私は心の中で繰り返した。外国人か日本人か依然としてわからない。疑問はどこまでも疑問である。日光が名刺の表に反射して活字が緑色に見えて来た。同時に少年の唇に含まれた微笑が一層深くなった。
「こっちへお這入(はい)りなさい」
 と云い棄て、私は青ペンキ塗(ぬり)の門の中へ這入った。

 赤い芽を吹きかけているカナメの生垣の間に敷き詰めた房州石の道を五間ばかり行くと、やはり青ペンキ塗の玄関になっている。その扉(ドア)を鍵で開いて内部に這入ると少年も続いて這入った。
 この家(うち)は或る石油会社へ奉職する西洋人夫婦が、本国へ引き上げたあとを譲り受けて、自分でペンキを塗り換えたり何かして、手を入れて住み込んだもので、玄関の左の六坪ばかりの室(へや)を書斎兼応接間にして、その奥を台所に宛てている。私は少年をその書斎兼応接間に通じて瓦斯(ガス)ストーブに火を入れた。それから玄関の右手の寝室に這入って外套(がいとう)と帽子を脱いだ。寝室の奥は私の研究室、兼、仕事場になっていて、色々な機械や、有機化学なんどに関する書物が雑然と並んでいる。私の家にはこの四室しかないのである。
 私はこの中(うち)で純然たる独身生活をやっている。洗濯や調理は勿論の事、屋根の修繕から芝生の手入れまで自分で遣(や)る。雇人は一人も居ない。何故そんなに面倒臭いことをするかと訊ねる者もあるが私は少しも面倒と思わない。却(かえ)って暢気(のんき)で、静かで、自分の性質に合っているとさえ思っている。
 生れながらの孤児である私は、外国で長い事、この生活を続けて来た。日本に来て妻帯してからは暫くの間止めていたが、一昨年その妻が、一人も子供を残さずに死んでから又昔の生活に帰った。だから私は日本中は勿論の事、外国にも血縁の者が居ない。居るかも知れないがまだ尋ねて来ないし、こっちから探した事もない。又友達から二度目の妻帯を勧められた事もあったが、私は一度も応じなかった。だから私は勢い孤独の生活を過さなければならなかった。
 友達は皆私を変人とか仙人とか云ったが或(あるい)はそうかも知れぬ。又ある者は一種の疳癪(かんしゃく)持ちと評したが、これはたしかに事実である。私が警視庁に在職中、あらゆる仕事を我流一点張りで押し通したために、社会の暗黒面に住む人間ばかりでなく、部下の警官連や、上官にまでも恐れられていたらしい事は、新聞の下馬評や何かにも屡々(しばしば)伝えられたところで、従って最近に至って、上官と大衝突をやって退職したのもこの疳癪が大原因を成している事は自分でもよく知っている。吾ながら損な性質だと考えている位である。
 しかし私がこのような性質になったのは決して生れ付きではない。英国で両親を喪(うしな)ってから日本に来る迄の二十何年の間、あらん限りの苦労を重ねて……この世には悪人ばかりしか居ないものか……と思う程(ほど)酷遇(いじめ)られたために自然とこんな風に一徹(いってつ)な……自分の事はどこまでも、自分の流儀で勘定を合わせて行く……という一種の勧善懲悪的な思想の中に逃げ込んでしまった。そうしていつの間にか「嘘を云う心の変る社会人間」よりも「嘘を云わず、永久に心の変らぬ科学実験の機械」を相手に造化の秘奥を探る方が、はるかに安全で気楽だと思うようになったので、この意味から云えば警視庁の仕事は衣食のために止むを得ず、研究の隙(すき)を割(さ)いてやっているに過ぎなかった。
 こんな風だから私は真実(ほんとう)の孤独の生活で友達といっても信頼する部下以外に、これという程の者もない。殊にこの間職を罷(や)めてからというものはこの「不正を憎む心」と「淋しさを楽しむ性質」が一層烈しく募って来て、朝から晩まで顕微鏡や、ビーカーや、天秤(てんびん)を相手に明かし暮らすよりほかに楽しみがないようになった。そうして、これを妨げる者があると非常に腹が立つので、来客を好まぬは愚か、程近い幼稚園の唱歌までも折々は「うるさいなあ」と舌打ちをする位になった。これは一つは五十近い年のせいでもあろうが、もう一つには私の心の「淋しさ」が「一層深い淋しさ」を求めるからであろうと思う。だからこの草茫々たる荒地の中に立っている、見すぼらしい西洋館は、このような性格の主人に最も適当した住居(すまい)で、同時にその主人公の背の高い、青黒い、陰気な風采と、この上もなくしっくりしているに違いないと思う。
 私は帽子と外套の塵を払って、買って来た烏龍(ウーロン)茶の包みを取り上げる迄に、これだけの事を考えた。別段、今更に考え直す迄もない事であるが、現在世にも珍らしい少年が、滅多(めった)に人を迎え入れた事のない私の家(うち)に、何の苦もなく侵入して来て、応接間で私を待っている……という事実に対して、何となく心が動いたために、今更に自分の孤独な生活が自分の眼に……否、心に浮み出たのである。そうして気のせいか少年は、こうした私の生活や、性格や、事によると経歴までも知っているように思われてならなかった。
 ……が……しかし果して知っているであろうか。それともこっちの顔と名前だけを知っているのであろうか。そうして一体何の用事で来たのであろう。どこの者であろう。日本人か西洋人かすらまだハッキリわからないのだが……怪しくも亦、不思議な少年……。
 ……イヤ、これはいけない。こんなに想像ばかりしているようでは駄目だ。今日は頭がどうかしているらしい。いつもの自分にも似合わないトンチンカンな頭の使い方ばかりしている。事によると彼(か)の少年に眩惑されているせいかも知れないが……職務を離れるとこうも頭がだらしなくなるものか知らん。それにしても不思議な魅力を持った少年ではある……。
 ……イヤ……いけない。又少年の事を考えている。何にしても早く会ってみる事だ。そうして自分一流の的確な推理を働かしてみる事だ……。そうだ……。
 こんな風に自問自答しているうちに私は応接間へ大胯(おおまた)で帰って来た。見ると少年は瓦斯(ガス)ストーブに最も遠い入口の処の椅子に片手をかけて立っていたが、私がずっと中に這入って窓際に据えた大机の前に来ると、私に正面して姿勢を正しながら静かに目礼をした。
「さあお掛けなさい」
 と云いつつ私はデスクの前の古ぼけた肘掛椅子に腰をかけたが、少年は遠慮して容易に椅子に就かなかった。しなやかな不動の姿勢を取って、すこし含羞(はにか)みながら立っていた。
「私が狭山です。何の御用ですか」
 と私はその顔を見上げながら、私一流の厳格な態度で訊ねた。
 実をいうとこの時に私は、この少年に対して一種の不安と不愉快とを感じ始めていた。これは非常に得手勝手な話であるが、つまり私はこの少年のために、前に述べたような孤独な生活の安静を妨げられるような事になりはしまいかという虞(おそれ)を十分に感じ始めていたからで、さもなくともこの少年が、私に与えた驚きと疑いは、今まで実験の事で一ぱいになっていた私の頭を掻き乱すに十分……十二分であったからである。だから一刻も早くこのような妙な来客を逐(お)っ払ってしまいたい。そうして急いで彼(か)の「馬酔木(あしび)の毒素」の定量分析に取りかかりたいというのが、この時の私の何よりの願望であった。
 けれども少年は平気であった。大抵の人間ならば、こうした私の態度を見ただけでも怖気(おじけ)が付くか、不快を感ずるかする筈なのに、この少年は恰(あたか)も、私がこんな態度を執(と)るのを予期していたかのように、相変らず唇の処に懐し気な微笑を含みながらポケットに手を突込んで一枚の古新聞紙を出した。それは余程古くから取ってあったものらしく、外側の一頁(ページ)はもうぼろぼろになっていたが、その折目を一枚一枚丁寧に拡げて行って、最後に頁の真中に赤丸を付けた処が出て来ると、そこを表面にして折り畳んで私の前に恭(うやうや)しく差し出した。受け取って見ると、それは大正七年……一昨年の十月十四日の曙(あけぼの)新聞の人事広告欄で、赤丸の下には次のような広告が出ていた。

   ◇助手 入用薬物研究物理化学初
   歩程度の知識要十七八乃至二十四
   五歳迄の男子月給二〇住込通勤随
   意履歴書身元保証不要毎日後五時
   本人来談に限る柏木一五一二狭山
   [#「助手」はゴシック体]

 これは一昨年の秋、私が妻を亡くして悲歎の余り、研究に没頭して凡(すべ)てを忘れようとした時に、東都日報と、曙新聞と、東洋日日に出した広告の一つで、これを見るとまざまざとその時の事を思い浮べる。この時分の私の頭は余程変になっていたものと見えて、随分杜撰(ずさん)な広告を出したもので、この広告のために私は、それから後(のち)一箇月ばかりの間というもの毎日毎日私の帰りを待ち受けている浮浪人や乞食同様の連中に悩まされ続けたものであった。実は柏木の狭山といえば多分、誰でも私の職務上の名声を知っている筈だから、滅多な者は寄り付くまいと思って履歴書、身元証明不要と出しておいたのであるが、案に相違して碌(ろく)なものはやって来なかったので、私は些(いささ)かならず自尊心を傷けられたものであった。その思い出の広告をこの少年は、今までどうして持っていたものであろう。
「この広告は私が出したものに違いありませんが、貴方はどうしてこれを持っていましたか」
「紐育(ニューヨーク)の中央郵便局で見付けました」
「……え……紐育の中央局で……」
「はい。私がそこのボーイになっておりますうちに受取人のない小包郵便を焼き棄てるのを手伝わされた事があります。私達はその小包を焼き棄てる前に一つ一つ開いて、危険なものだの貴重品だのが入っていないかどうかを係りの人に見てもらうのですが、その時に取棄てた包紙の中にこの新聞が混(まじ)っていたのです」
 少年の言葉は益(ますます)出でて益異様である。しかしこのような余り人の知らない内情を知っているからには作り事ではないらしい。のみならずこの少年が純粋の日本人らしいという事は、故郷の新聞を懐かしがる行為と、その軽快な混(まじ)り気(け)のない発音で、もはや殆んど確定的であると考えた。同時にその簡潔を極めた要領を得つくした説明ぶりに、又もや感心させられてしまった。
「ははあ……そんなに日本が懐かしかったのですか」
「はい。そればかりではありません。私はずっと前から日本語を勉強しておりまして、日本文字のものならば印刷したものでも書いたものでも何でも構わずに集めておりました。その中でも日本の新聞は、日本の事を研究するに一番都合がよかったのです」
「ふむ。……ではその広告が眼に止まった理由は……」
「私は……貴下(あなた)に雇って頂きたいのです。……あなたは……まだ……助手を……お持ちに……ならないのでしょう……」
 少年はこう言って急に口籠(くちご)もりながらじっと私の顔を見た。その黒い瞳(め)は熱誠にまばたき、その白い頬は見る見る真紅(まっか)に染まって来た。その一瞬間、私はこの少年の美しさで全神経を蔽(おお)われたような気がして眼を瞑(つむ)ったが、やがて又見開いて見ると、少年はいつの間にか伏目勝ちにうなだれていた。そうして片手を椅子にかけたまま、謹んで私の返事を待っているらしい。その頬も白くなって、唯、可憐な淋(さび)しい風情を示しているばかりである。
 私は思い惑わざるを得なかった。何だか古い借銭の催促を受けているような気がして、今更にこの広告を出した時の乱れた、悲しい気持ちを思い出させられた。そうしてこの少年をここに連れ込んだ事を、深く後悔せずにはいられなかった。何故もっと早く、徹底的に厳格な態度を執って面会を断らなかったろうと思った。……けれども最早(もう)、ここまで来た以上は仕方がない。この少年は私が二年前に出した広告をいつまでも……私が息を引き取る間際までも有効だと一図(いちず)に信じて来ているらしい。だから迷惑ではあるが一応の責任は負わねばならぬ。そうして……今は助手の必要がなくなった。そんなに古い広告をいつまでも当てにしているものではない……という意味を、何とか相手が満足するように云って聞かして帰さねばならぬ。
 私は稍(やや)態度を和(やわら)げて訊ねた。
「……あなたのお住居(すまい)は……」
 少年は顔を上げた。依然として謹んだ態度で答えた。
「……私は家(うち)がないのです。両親も何もない一人ぽっちなのです。……ですから貴下(あなた)に雇って頂いてお宅に住まわせて頂きたいと思って来たのです……」
 そう云ううちに少年の両眼に涙が一ぱいに滲み出た。それにつれて顔の色が又さっと赧(あか)くなった。
 何という率直な言葉であろう。何という真面目さであろう。この少年は二年前に出た新聞広告を、今以(もっ)て有効と思っているばかりでなく、その掲載事項の中にある履歴書、身元証明不要という文句までも裏表なしの真実と信じているらしい。そうして……是非雇って下さい……という熱心な希望を、どこまでも貫徹する決心でいるらしい。
 私はほとほと持て余してしまった。そうして改めて、少年の異様な贅沢な身装(みなり)を見上げ見下していると、少年は暫く躊躇しているようであったが、やがて言葉を継ぎ足しながら低頭(うなだ)れた。
「……けれども……ただ……これだけは申上げる事が出来ます。私の本籍は紐育(ニューヨーク)市民ですが、両親の顔をよく見覚えませぬ中(うち)から、軽業師に売られました。それから活動役者や、その他の色々な芸人に売りまわされて、支那人になされたり、西班牙(スペイン)人として取扱われたり、そうかと思うと芝居の日本娘になって歌を唄わされたりしておりますうちに、いつの間にか自分がどこの人種だかわからなくなってしまいました。紐育の中央郵便局に居りましたのはその途中で逃げ出していた時分の事で、頭髪(かみ)を酸化水素で赤く縮らして、黒(くろ)ん坊(ぼ)香水(こうすい)を身体(からだ)に振りかけて、白人と黒人の混血児(あいのこ)に化けていたのです。けれども自分では日本人に違いないと思いましたから、それをたしかめるために日本に帰って来たのです。ですから私は履歴書も、身元証明も、保証人も何もありません。ただ私の身に附いた芸が、私の履歴や身元を証明してくれるだけです」
「フーム。成(な)る程(ほど)……」
 と私はうなずいた。この少年の頭の良さに釣り込まれないように警戒しながら、なるたけ少年の困るような質問を探し出した。
「……それではこの広告の中に……薬物研究、物理、化学初歩程度の知識が必要……と書いてありますが君はどの程度まで研究しておりますか」
 これは少年の経歴が話の通りならば、屹度(きっと)学校に入ってはいまい。入っていないとすれば物理化学や、薬物なぞいう高等な研究に対して組織立った知識は持っていない筈だ……と見当を付けたからである。少年は果して赤面した。そうして云い難(にく)そうに口籠(くちご)もった。
「……はい……僕の研究が本物かどうか知りませんけど、私はその広告を見てから急に思い立って薬物と、物理と、化学を勉強し初めました。物理は実験なしでも大抵わかりましたけれど化学は空(くう)ではなかなかわかりませんでしたので中学(ハイスクール)の校長さんにお願いして、自分で薬を買って実験さしてもらいました。初めはなかなか難かしかったんですけど、そのうちに周規律を諳記してしまいますと素敵に面白くなって、じきに有機化学の方へ入りました」
「……ウ――ム……」
 と私は唸(うな)り出した。この少年の正則の勉強方法を否定出来なくなったので……。
「それはつまり僕に雇われたいから勉強したんですね」
「……ええ……初めはそうだったんですけど、後(あと)にはそればっかりでなくなりました」
「本当に面白くなったんですね」
「……はい……」
「有機の中(うち)では何が一番面白かったですか」
「毒物の研究が一番面白う御座いました」
「えッ……毒物?……」
「はい……」
 私は眼を丸くしない訳に行かなかった。
「……どうして毒物が面白いのですか」
「最前お話ししました中央郵便局で破棄される郵便物の中に貴方のお書きになった『毒物研究』という書物があったんです」
「僕の……」
「はい……」
「……フ――ム……あれは私が道楽に秘密出版をしたもので、各大学の法医学部と、私の持っている参考書の著者に五百部だけ贈呈したものなんだが、それがどうして亜米利加(アメリカ)三界(さんがい)まで行ったんだろう」
「何故だか存じませんけど発送人の名前も何もなくて、宛名は中央郵便局留置27号私書函(かん)、エム・コール殿となっておりました」
「エム・コール……知らない人間だな」
「……きっと偽名だったろうと私は思うんです。その時にはもう27号の持主が変っていたんですから……」
「成る程……しかし、そんなものは焼き棄てるのが当然でしょう」
「いえ。米国ではそうでもないんです。一度中味を検(あらた)めて、貴重品は国庫の収入にして、そのほかの詰まらないものを局内で競売にして、下役の連中の慰労や何かの費用にしてしまうのです。ですから真実(ほんとう)に焼き棄てるのは危険物だの、まるきり役に立たないものだのばっかりです」
「……ではそれを買った訳ですね」
「はい。けれどもそれを読んでしまった後(あと)に、それが秘密にしてある事が判明(わか)りましたので焼き棄ててしまいました」
「秘密とは書物がですか」
「いいえ。競売にする事です。私は悪い習慣だと思いました」
「成る程。してその書物の中で何が一番面白いと思いましたか」
「みんな面白うございました。飲み物の中に入れると直ぐに溶けて、飲んだ人を一時間の後(のち)に殺す支那の丸薬や、モルヒネをきっかり三時間後に利かせるように包むカプセルや、遠乗りの時に相手の馬にそっと舐(な)めさせておいて、きっちり二十分後に暴れ出させて、相手を殺すか傷つけるかする何とかいう石楠花(しゃくなげ)に似た植物の毒の話や……名前をつい忘れましたけれども……」
「……ちょっと待ち給え……それは馬酔木(あしび)の毒でしょう」
「そうです。やっと思い出しました。この頃アフリカから米国に輸入されております大変に安くてよく利く馬の皮膚の虫取り薬です。コンゴー・ポイゾンと私共は申します。真黒なネットリした液体です。百磅(ポンド)入りの鑵(かん)の上に貼った黄色い紙に、C・Pという頭文字(イニシアル)と、その植物の絵が印刷してあります」
「……ふ――む……それは初耳だ。そんな薬が出来たことは知らなかった……しかし、それは多分馬酔木の葉を煎じ詰めただけの粗悪品で動植物の駆虫用に製造したものと思うがね。私のはそれをもっともっと精製したもので、薄青い結晶になっている。それを錠剤にして馬に服(の)ませると、今云ったような恐ろしい中毒を起すが、反対に人間の重病患者に内服させると、人蔘(にんじん)と同じような効果をあらわすので、私は内職に製造して薬屋に売らせている。しかし材料が余計にないので、百姓が高価(たか)い事を云って困っているのだが……」
「亜弗利加(アフリカ)には馬酔木の大平原があるそうです」
「……ふ――む……君のお話の通りだと、原産地から直接にC・Pを取り寄せてもいい。精製するのは何でもないから……。いい事を聞かせて下すって有り難う」
「……私はその貴方の御本を読みましたから、いろんな事を考えるようになりました」
「……どんな事を……」
「すべての草や、木や、土や、生き物の中には、まだ沢山の秘密が隠れているだろうと……」
「……フーム……たとえば……」
「例えば何故人は毒薬を飲むと死ぬのだろう。その人の身体(からだ)を犯されると何故その人の生命(いのち)までいけなくなるのだろう。生命と身体とは別か一緒か……」
「ハハハハハハ。それは科学の問題ではない。哲学か、心霊学者の仕事だ。君は余りに空想に走り過ぎている」
「けれども若しこの事がハッキリとわかったら……毒薬も電気も何も使わずに、生命(いのち)だけ取ってしまう工夫が出来たら、身体(からだ)にちっとも傷が付きませんから、絶対に見つからない人殺しが出来ると思います」
「……………」
 私はこの少年の想像力の強いのに驚いた。到底頭の干涸(ひか)らびた私なぞの及ぶところでない。十六や七の少年とは無論思えぬ。しかしその想像し得た事柄は、如何(いか)にも好奇心の強い、少年時代に相応した事柄ではある。
「成る程。それは一応尤(もっと)もですね。しかし現代の科学はまだそこまで進歩していないのです。催眠術なぞいうものもありますが、あれは一種の神経作用を応用したもので、まだ根本的の説明が附いておりませぬ。この後、精神生理学というようなものでも発達したら、そんな理窟がわかるかも知れませぬが。とにかく僕の実験室には、そんな研究の材料も機械も何もありませんよ。……精神的に人を毒殺する……というような素晴らしい設備は……」
「はい。なくてもよろしゅうございます。私は今に自分で材料を揃えてやって見とうございます。そうしてその結果を貴方にお眼にかけとうございます」
 少年はこう云いながら極(きま)り悪げにうつむいたが、この口調の中には動かす事の出来ない信念が籠もっていた。天国でも、星の世界でも眼の前に引き寄せようとする、希望と憧憬(あこがれ)に充ち満ちた少年らしい純情が響きあらわれていた。私はこの少年がどんな材料を集めて、どんな機械で、そうした不可能な実験をするかと思うと、微笑を禁ずる事が出来なかった。
 しかし、それと同時に私は、この少年が、その姿や服装が異様に優れているのと同時に、その頭脳もまた尋常でない。少なくとも私の処に雇われたいために、想像も及ばぬ勉強をして来た物理、化学の研究が、正式の順序を踏んで来たものらしい事は否定出来なくなったのではたと当惑してしまった。何とかしてこの少年の希望を他所(ほか)へ転換出来ないものかと苦心しいしい、今度は別の方向から質問してみた。
「フーム。成る程……では、君が最後に従事しておられた仕事は何でしたか……」
 こう訊ねると少年はきっと顔を上げた。何故かしらず、云い知れぬ気持の緊張に双頬(ほお)を白くしながら、キッパリと云った。
「……はい……丸の内で昨日(きのう)から興行を始めておりますバード・ストーンの曲馬団と一緒に参りました」
「えッ。あの曲馬団……」
 と私は思わず大きな声を出した。そうして腹の底で……ウームと唸りながら眼を閉じた。
 何を隠そう、そのバード・ストーン曲馬団こそは、私の辞職の直接の原因となっているもので、この曲馬団に関する私の意見と、警視総監……否、現内閣との意見が衝突さえしなければ、あんなに憤慨して辞職する必要はなかったものである。同時に、この少年がそのバード・ストーン曲馬団に属していた事が判明するとなれば、問題は最早(もはや)、区々たる呉井嬢次対、狭山九郎太の個人に関係した問題でなくなって来る。拡大も拡大……グーッと範囲を大きくして国家的、もしくは世界的の重大問題と変化して、私の頭の上から大盤石のように圧(お)しかかって来るのであった。

 ……ところで……話の途中ではあるがここで一応、誤解を避けておきたいのは、かくいう私が所謂(いわゆる)「政治問題」に対して絶対に無関心な人間……という事実である。これは苟(いやし)くも日本民族の血を享(う)けて日本に籍を置いている以上、不都合千万な奇怪事というべきで、殊に、警視庁の一課長の椅子に腰をかけている身分でありながら、その時その時の政界の事情に何等の興味を持たないでいるという事は、一見不思議に思われるかも知れないが、しかし、私の性格から見ると、これは決して矛盾した事実と思えなかった。
 すなわち一言にして尽くせば私は、自分の職務に忠実であればあるだけ、そんな政治問題から超越していなければならぬと固く信じていた者であった。一切の出来事に対してどこまでも冷たい、公平な眼を注いで行かねばならぬ。あらゆる世相に対して忘れても色眼鏡をかけてはならぬ……自分一個の興味や感情に囚(とら)われて批判したり研究したりして、職務上の正確な観察を誤ってはならぬ……と寝ても醒めても警戒していた私であった。だから単に職務という立場からいえば、私は不必要なくらい色々な方面に注意を払っていた……同様に国際問題や、内政の秘密等に関しても、直接に必要のない事まで気を付けて研究していたもので、こんな点に関しては、政党の鼻息を伺ってびくびくしている大官連中なぞよりもずっと呑気(のんき)な、自由な立場に居ると云ってよかった。
 そんな私だから今日(こんにち)までの間に、職務上の意見で上官と衝突した事も一度や二度ではなかったが、しかしこの曲馬団に関する意見ほど真剣に主張した事は未だ曾てなかった。……それ程に重大な国際的の危機を含んで、この曲馬団は日本に渡来したものであった。
 この曲馬団の先発隊の一行九名が、春陽丸に乗って日本に到着して、警視庁を鼻の先に見た帝国ホテルに陣取って、丸の内仲通り十四号の空地で興行したいという願書を××大使の念入りな保証付きで差出したのは先々月……去年の十二月の末であった。その願書が警視庁に廻って来ると私は、すぐに私一流の専断でもって、腹心の刑事を使って当該曲馬団の内情を極力内偵させる一方に、自分自身でも特に念を入れて調査の歩を進めてみると、彼等は表面米国人を装うているが、実は色々の人種の顔付きを揃えていて小さな人種展覧会の観がある。……もっともこれは曲馬団なるものの性質上止むを得ないとしても、彼等が註文する喰物(くいもの)や酒の種類があまり上等でない。否(いな)、寧(むし)ろ下層社会の嗜好(しこう)に属するものが大部分である。……ところで、これも前同様、曲馬団の性質として深く咎(とが)むべきでないとしても、彼等が日本に来てから「無事到着」の電報を米本国に打った者が一人も居ない。同時に一本の手紙を出した形跡すら発見されないという事実ばかりは、私の注意を惹(ひ)かない訳に行かなかった。
 この事実は一面から見ると彼等が米本国に家庭を持たない証拠である……彼等が一人残らず、一種の無頼漢(ぶらいかん)、もしくは国際ゴロの集団である事を証拠立て得る可能性のある事実と認められるのであるが、もし又、そうでないとすれば、彼等は何等かの理由で表面上、本国との信書の往復を禁ぜられているものと見なければならぬ。すなわちその信書の表記(うわがき)や内容に依って、何等かの秘密が漏洩(ろうえい)しそうな虞(おそ)れを抱いている一種の秘密団体とも見られる訳で、いずれにしても尋常一様の曲馬団とは思えない。……のみならず特に私の注意を高潮させたのは、彼等の中(うち)でも兄(あに)い株らしい、カヌヌ・スタチオと称する伊太利(イタリー)人が、今月の中頃に目下太平洋上を航行中の巨船オリノコ丸の乗客、バード・ストーン団長に宛(あ)てて打った無線電報が、奇怪にも曲馬団の交渉報告等に不必要な暗号電報で、しかも国際文書に髣髴(ほうふつ)とした非常な長文電報である事を確かめた一事であった。
 これだけの事実を握ると私は俄然(がぜん)として一道の緊張味を感じない訳に行かなかった。そうして時を移さずこの旨(むね)を倶(ぐ)して新任総監高星子爵に報告しないではいられなくなった。
「……総監閣下(かっか)。暗号電報の写しはこの通りであります。この電報の最後の署名になっておりますT・M・Sの三字はどう見ても或る個人的の発信者の署名とは思われませぬ。私の考えに依りますと、これは何等かの三字の略号を有する団体のサインを、更に暗号化した代え文字と思われるのであります。
 ……ところで目下米国で最有力な秘密団体は、K・K・KとJ・I・Cとこの二つしかありませぬが、その二つの中でもK・K・Kの方は現在のところウィルソン大統領の懐刀(ふところがたな)と呼ばれております例のハウス大佐の怪手腕によって、極力圧迫を加えられておりますので、真に国際的の活躍をしておりますのはJ・I・Cだけだと思われるのですが……。
 ……ところでこのJ・I・Cと申しますのは、まだその活躍ぶりを表面にあらわしておりませぬようで、国際的には余り有名でないのですが、ちょうど二年前の大正七年の十月頃に、私は或る機会からこのJ・I・C一味の日本内地に於ける活躍ぶりを発見しまして、その根を絶ってしまったことがあります。それ以来、私が道楽半分に研究したところに依りますと、このJ・I・C秘密結社と申しますのは実は、紐育(ニューヨーク)ウオール街の金権者団体を背景とする新タマニー・ホール一派の手先でありまして、内密にハウス大佐の指揮に属し、国際的の平和攪乱(かくらん)を請負業と致しております、一種の無頼漢の団体に相違ないのでありますが、今度は又、東洋方面に何等の重要な使命を帯びて、捲土重来(けんどちょうらい)したものと考え得べき理由があります。
 ……現に西比利亜(シベリア)の東部に隠然たる勢力を張っておりますセミヨノフ、ホルワット両将軍は、沿海州に於ける日本の利権を米国に引渡す黙契の下に、軍資金と武器の密輸入をしている……一方は満洲に於て日本政府の援助の下に勢威を張っている張作霖(ちょうさくりん)が、このごろ急に排日傾向を帯びて来ました裏面には、満洲に潜入しているJ・I・Cの活躍が与(あずか)って力ある事を、意外にもペトログラドに於けるケレンスキー一派の諸新聞が、一斉にスッパ抜いているという風評を承(うけたま)わった位ですが……これは寧(むし)ろ外務省の機密局か、もしくは、特高課あたりの仕事かも知れませぬが……私は是非ともこの曲馬団の真相を探って見たいと思うのですが……彼奴(きゃつ)等の態度があんまり人を喰っているようですから……」
 功名手柄に逸(はや)っている新任総監は、こうした私の長広舌を、非常な熱心をもって傾聴した。永年外国に居て、西洋の事情に精通している君でなければ、とてもそんなところに着眼は出来まいとまで激賞した。……のみならず、丸の内の宮城に近い処に、このような天幕(テント)張り式の見世物の興行を許可するという事は将来に悪い慣例を残す事になるし、第一〇〇の尊厳を涜(けが)すものである。一つその曲馬団の正体を根こそげたたき上げて、外務省の鼻を明かしてやり給え……という個人的な意見までも添えて賛成したのであった。
 ところがその結果はどうであろう。願書が出てから二週間も経たぬうちに高星総監はこの興行を無条件で許可したのみならず、態々(わざわざ)私を呼び付けて、今後あの曲馬団に対して探索の歩を進める事を厳禁すると命令したのであった。
 私がこの命令を聞いた時には、何よりも先に自分の耳を疑った。同時に総監の態度の真面目なのに呆(あき)れた。冗談にもこんな矛盾した事が云えるものではないのに総監は平気で、しかも儼然(げんぜん)として私に命令している。そうしてどっかと椅子に腰を卸(おろ)してポケットから葉巻を出して火を点(つ)けている。そのまん中の薄くなった頭とデップリ肥満した身体(からだ)の中に包まれている魂は、貴族的の傲慢(ごうまん)と、官僚的の専制慾に充ち満ちているかのように見える。
 その態度と直面しているうちに私は早くも、持ち前の癇の虫がじりじりして来るのを感じた。そうして昨日(きのう)まで殆んど不眠不休で研究してやっと完成したバード・ストーン宛の暗号電報の日本訳を、無言のままポケットから取り出して高星総監の鼻の先に突き付けた。
 しかし総監はちらりと見たまま受け取ろうともしなかった。革張りの巨大な椅子をギューギュー鳴らしながら、太鼓腹を突き出して反(そ)りかえりつつ、小さな眼をパチクリさせただけであった。
「何だこの紙は……」
 私は憤激の余り手先がぶるぶる震えるのを、やっとの思いで押え付けながら声を励まして説明した。この電報一本が現政府の致命傷になりかねないと思ったから……。
「……ハイ……これはこの間お眼にかけました、帝国ホテル滞在中の曲馬団員から、団長、バード・ストーンに宛てた長文の暗号電報を飜訳したものであります。最後の署名のJ・M・SをJ・I・Cと置き換えて得ました暗号用のアルファベットを、更に、苦心して探りました××大使館用の暗号用アルファベットと置き換えて得ました英文の和訳がこれであります。……すなわち、バード・ストーン一座が大連(だいれん)の興行を打切として解散するに就いて、団員間に手当の不足問題が話題となっていること……××大使が非常に都合よく事を運んでくれているので、外務省にも警視庁にも感付かれる心配が絶対にないであろうこと……セミヨノフの使者に皇女を引渡す場所はハルビンが最適当と認められる事(この皇女というのは或(あるい)は金(かね)の事ではあるまいかとも考えているのでありますが)……それから張作霖に飛行機二台を引渡す方法に就(つい)ては、奉天(ほうてん)政府の代表チェン氏と打合わせの結果、大連埠頭で、現場貨物主任の日本人一名を買収し(費用二千弗(ドル)程度)直接に貨車に積込み、奉天まで運んでから組み立てるのが最も安全であることが判明したから、そのつもりで船の手配を考慮されたい事……又、日本の現政府与党、憲友会の幹事長Y氏が、××大使の紹介の下に貴下(きか)に会いたがっている。これは日本国内各地の築港事業の促進を名として米国の低資を産業銀行に吸収し、来るべき解散に次ぐ総選挙の費用として流用する目的らしい情報が大使の手許に……」
「……これッ……」
 と叫ぶなり高星総監は椅子の中から手をさし伸ばすと、いきなり私が読みかけている暗号電報の写しと和訳を、両方一緒に引ったくってしまった。そうして床の上に落ちたまだ長い葉巻を踏み付けながら、偉大な身体(からだ)をヌックと立ち上らせて、私の鼻の先に突立った。見るとその顔は真青になって唇の色まで変っている。電報の内容の恐ろしさに胆を潰したものらしい。
 私は吃驚(びっくり)しながらもそれ見たことかと思った。それにつれて頭を擡げかけていた癇の虫が半分ばかり鎮まりかけたが、総監の方はなかなかそれどころではないらしい。自分が支配している警視庁のまん中に立っていながら、廊下にスパイでも居るかのように、わざわざ入口の扉(ドア)を開け放して来て、突立ったまま電文の和訳の残りを読み終ると、もう一度廊下の方をチラリと見ながら、私の顔に眼を移した。そうして容易ならぬ顔付きで訊ねた。
「この電文の内容はどこにも洩れておるまいな」
 この侮辱的な一言はやっと鎮まりかけた私の癇癪(かんしゃく)をぶり返すのに十分であった。思わず皮肉な冷笑を浮べながら云い放った。
「そんなヘマな事は致しませぬ。私は閣下よりも長く警視庁に勤めている者です。のみならず日本帝国の臣民です」
 総監の額に青筋がもりもりと膨れ上がった。そのツルツルした禿頭(はげあたま)の下から頭蓋骨の割れ目がアリアリと見え透(す)いて来た。あんまり立腹し過ぎて口が利けないらしかった。その顔を見上げながら私は心の底で免職を覚悟してしまった。そうして事の序(ついで)にもう一本痛烈な釘(くぎ)をぶち込んで二十年間の溜飲を一度に下げてやろうと決心したのでいよいよ落ち着いて咳払いをした。
「……エヘン……この後(ご)とても私はその秘密を洩らすような事は絶対に致しませんから何卒(どうぞ)御安心下さい。しかしこれだけの事は御参考までに申上げておきます。その電文の内容が全部実現することになりますれば、現政府は満洲と西比利亜(シベリア)の利権を米国に売って、総選挙の費用を稼ぐ事になります。……ですから万一閣下がその電文を握り潰してお終(しま)いになるような事がありますれば私は大和民族の一員として、到底黙って見ている訳に参りませんから、個人として新聞に……」
「黙り給え……」
 と総監は低い、押え付けた声で云った。真白に眼を剥(む)いて……。
「それ位の事がわからぬと思うか。余計な心配をするな」
「……でも……この捜索を打ち切れと仰言(おっしゃ)るからには……」
「……ダ……黙り給えというに……君はただ命令を遵奉(じゅんぽう)していさえすれあいいのだ。吾輩と同様に内務大臣の指揮命令に従うのが吾々の職務なんだ」
 総監はここでやっと落ち着いて来たらしく、ハンカチを出して額の汗を拭いた。
「……しかし内務省の指揮命令は、いつも政党の利害を本位としております。司法権はいつも政党政派の上に超越さしておかなければ、現にこのような場合に……」
「……いけないッ……君はまだ解らんのか」
 総監はすっかり平生の威厳を取り返した。その物々しい身体(からだ)で私を圧迫するように、ノッシノッシ近付いて来ると冷やかに私を見下した。
「……一言君の参考のために云っておく。この曲馬団に対する現政府の方針が間違っていたらその責任は現政府が負うであろう。しかし君の遣り口が間違っているために国際的の大問題を惹起するような事があれば、その責任は吾輩が負わねばならん」
「……………」
「それさえ解っておったら、別に云う事は無い筈である」
 私は黙って頭を一つ下げると、さっさと総監の自室を出て行った。
 私はその夜の中に辞表を書いて総監の手許に差出した。しかもその辞表はすぐに受け付けられたのである。そうして私の後釜(あとがま)には、私が初歩から教育した敏腕家で、この二三年の間に異数の抜擢(ばってき)を受けた私の腹心の志免不二夫(しめふじお)が、警視に昇進すると同時に坐ることになった。
 この一事は私の憤慨を大部分和(やわら)げたのであった。けれどもそれが私の手柄を横取りして現内閣の御機嫌を取った総監の私の不平に対する緩和策であることに気が付くと、その不平が又もや大部分盛り返してしまった。……のみならず、その当の目標の曲馬団は間もなく、今日まで見世物の興行などを一度も許された事のない丸の内の草原(くさばら)の中に大きな天幕(テント)張の設備を初めた。そうしてバード・ストーン氏に率いられた団員の全部がオリノコ丸で到着して、日比谷の帝国ホテルと、本郷の菊坂ホテルに投宿してから、曲馬の興行を初めるまでの一週間の間に、東京中のありとあらゆる新聞に出した大々的の広告を見ると、益々不平の念が昂(たか)まって来た。その上に、大抵の興行物は、入費を節約するために、到着すると直ぐに興行を初めるように手配りをするのが普通であるのに、この曲馬団に限ってそんな気ぶりがない。途方もない前から先発隊が来て長々と準備をしていたであろうにも拘わらず一週間の長い間大勢が高価(たか)いホテルに泊ってブラリブラリとしている。
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