金色夜叉
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著者名:尾崎紅葉 

然し、私は天引三割の三月縛(みつきしばり)と云ふ躍利(をどり)を貸して、暴(あら)い稼(かせぎ)を為てゐるのだから、何も人に恩などを被せて、それを種に銭儲(かねまうけ)を為るやうな、廻り迂(くど)い事を為る必要は、まあ無いのだ。だから、どうぞ決(け)してそんな懸念(けねん)は為て下さるな。又私の了簡では、元々些(ほん)の酔興で二人の世話を為るのだから、究竟(つまり)そちらの身さへ立つたら、それで私の念は届いたので、その念が届いたら、もう剰銭(つり)を貰(もら)はうとは思はんのだ。と言つたらば、情無い事には、私の家業が家業だから、鬼が念仏でも言ふやうに、お前さん方は愈(いよい)よ怪く思ふかも知れん――いや、きつとさう思つてゐられるには違無い。残念なものだ!」
 彼は長吁(ちようう)して、
「それも悪木(あくぼく)の蔭に居るからだ!」
「貴方、決(け)して私共がそんな事を夢にだつて思ひは致しません。けれども、そんなに有仰(おつしや)いますなら、何か私共の致しました事がお気に障(さは)りましたので御座いませう。かう云ふ何(なんに)も存じません粗才者(ぞんざいもの)の事で御座いますから」
「いいや、……」
「いいえ、私は始終言はれてをります狭山に済みませんですから、どうぞ行届きませんところは」
「いいや、さう云ふ意味で言つたのではない。今のは私の愚痴だから、さう気に懸けてくれては甚(はなは)だ困る」
「ついにそんな事を有仰(おつしや)つた事の無い貴方が、今日に限つて今のやうに有仰ると、日頃私共に御不足がお有(あん)なすつて」
「いや、悪かつた、私が悪かつた。なかなか不足どころか、お前さん方が陰陽無(かげひなたな)く実に善く気を着けて、親身のやうに世話してくれるのを、私は何より嬉く思つてゐる。往日(いつか)話した通り、私は身寄も友達も無いと謂つて可いくらゐの独法師(ひとりぼつち)の体だから、気分が悪くても、誰(たれ)一人薬を飲めと言つてくれる者は無し、何かに就けてそれは心細いのだ。さう云ふ私に、鬱(ふさ)いでゐるから酒でも飲めと、無理にも勧めてくれるその深切は、枯木に花が咲くやうな心持が、いえ、嘘(うそ)でも何でも無い。さあ、嘘でない信(しるし)に一献差(ひとつさ)すから、その積で受けてもらはう」
「はあ、是非戴かして下さいまし」
「ああ、もうこれには無い」
「無ければ嘘なので御座いませう」
「未(ま)だ半打(はんダース)の上(うへ)有るから、あれを皆注いで了はう」
「可うございますね」
 貫一が老婢を喚ぶ時、お静は逸早(いちはや)く起ち行けり。

     (二)の三

 話頭(わとう)は酒を更(あらた)むるとともに転じて、
「それはまあ考へて見れば、随分主人の面(つら)でも、友達の面でも、踏躙(ふみにじ)つて、取る事に於ては見界(みさかひ)なしの高利貸が、如何(いか)に虫の居所が善かつたからと云つて、人の難儀――には附込まうとも――それを見かねる風ぢやないのが、何であんな格(がら)にも無い気前を見せたのかと、これは不審を立てられるのが当然(あたりまへ)だ。
 けれども、ねえ、いづれその訳が解る日も有らうし、又私といふ者が、どう云ふ人間であるかと云ふ事も、今に必ず解らうと思ふ。それが解りさへしたら、この上人の十人や二十人、私の有金の有たけは、助けやうが、恵まうが、少(すこし)も怪む事は無いのだ。かう云ふと何か酷(ひど)く偉がるやうで、聞辛(ききづら)いか知らんけれど、これは心易立(こころやすだて)に、全く奥底の無いところをお話するのだ。
 いやさう考込まれては困る。陰気に成つて可かんから、話はもう罷(やめ)に為(せ)う。さうしてもつと飲み給へ、さあ」
「いいえ、どうぞお話をお聞せなすつて下さいまし」
「肴(さかな)に成るやうな話なら可いがね」
「始終狭山ともさう申してをるので御座いますけれど、旦那様は御病身と云ふ程でも無いやうにお身受申しますのに、いつもかう御元気(ごげんき)が無くて、お険(むづかし)いお顔面(かほつき)ばかりなすつてゐらつしやるのは、どう云ふものかしらんと、陰ながら御心配申してをるので御座いますが」
「これでお前さん方が来てくれて、内が賑(にぎや)かに成つただけ、私も旧(もと)から見ると余程(よつぽど)元気には成つたのだ」
「でもそれより御元気がお有(あん)なさらなかつたら、まあどんなでせう」
「死んでゐるやうな者さ」
「どうあそばしたので御座いますね」
「やはり病気さ」
「どう云ふ御病気なので」
「鬱(ふさ)ぐのが病気で困るよ」
「どう為てさうお鬱ぎあそばすので御座います」
 貫一は自ら嘲(あざけ)りて苦しげに哂(わら)へり。
「究竟(つまり)病気の所為(せゐ)なのだね」
「ですからどう云ふ御病気なのですよ」
「どうも鬱ぐのだ」
「解らないぢや御座いませんか! 鬱ぐのが病気だと有仰(おつしや)るから、どう為てお鬱ぎ遊(あそば)すのですと申せば、病気で鬱ぐのだつて、それぢや何処(どこ)まで行つたつて、同じ事ぢや御座いませんか」
「うむ、さうだ」
「うむ、さうだぢやありません、緊(しつか)りなさいましよ」
「ああ、もう酔つて来た」
「あれ、未だお酔ひに成つては可けません。お横に成ると御寐(おやすみ)に成るから、お起きなすつてゐらつしやいまし。さあ、貴方」
 お静は寄(よ)りて、彼の肘杖(ひぢづゑ)に横(よこた)はれる背後(うしろ)より扶起(たすけおこ)せば、為(せ)ん無げに柱に倚(よ)りて、女の方を見返りつつ、
「ここを富山唯継(ただつぐ)に見せて遣りたい!」
「ああ、舎(よ)して下さいまし! 名を聞いても慄然(ぞつ)とするのですから」
「名を聞いても慄然(ぞつ)とする? さう、大きにさうだ。けれど、又考へて見れば、あれに罪が有る訳でも無いのだから、さして憎むにも当らんのだ」
「ええ、些(ほん)の太好(いけす)かないばかりです!」
「それぢや余り差(ちが)はんぢやないか」
「あんな奴は那箇(どつち)だつて可いんでさ。第一活(い)きてゐるのが間違つてゐる位のものです。
 本当に世間には不好(いや)な奴ばかり多いのですけれど、貴方、どう云ふ者でせう。三千何百万とか、四千万とか、何でも太(たい)した人数(ひとかず)が居るのぢや御座いませんか、それならもう少し気の利(き)いた、肌合(はだあひ)の好い、嬉(うれし)い人に撞見(でつくは)しさうなものだと思ひますのに、一向お目に懸りませんが、ねえ」
「さう、さう、さう!」
「さうして富山みたやうなあんな奴がまあ紛々然(うじやうじや)と居て、番狂(ばんくるはせ)を為て行(ある)くのですから、それですから、一日だつて世の中が無事な日と云つちや有りは致しません。どうしたらあんなにも気障(きざ)に、太好(いけす)かなく、厭味(いやみ)たらしく生れ付くのでせう」
「おうおう、富山唯継散々だ」
「ああ。もうあんな奴の話をするのは馬鹿々々しいから、貴方、舎(よ)しませうよ」
「それぢやかう云ふ話が有る」
「はあ」
「一体男と女とでは、だね、那箇(どつち)が情合が深い者だらうか」
「あら、何為(なぜ)で御座います」
「まあ、何為(なぜ)でも、お前さんはどう思ふ」
「それは、貴方、女の方がどんなに情が」
「深いと云ふのかね」
「はあ」
「信(あて)にならんね」
「へえ、信にならない証拠でも御座いますか」
「成程、お前さんは別かも知れんけれど」
「可(よ)う御座いますよ!」
「いいえ、世間の女はさうでないやうだ。それと云ふが、女と云ふ者は、慮(かんがへ)が浅いからして、どうしても気が移り易(やす)い、これから心が動く――不実を不実とも思はんやうな了簡も出るのだ」
「それはもう女は浅捗(あさはか)な者に極(きま)つてゐますけれど、気が移るの何のと云ふのは、やつぱり本当に惚(ほ)れてゐないからです。心底から惚れてゐたら、些(ちつと)も気の移るところは無いぢや御座いませんか。善く女の一念と云ふ事を申しますけれど、思窮(おもひつ)めますと、男よりは女の方が余計夢中に成つて了ひますとも」
「大きにさう云ふ事は有る。然し、本当に惚れんのは、どうだらう、女が非(わる)いのか、それとも男の方が非いのか」
「大変難(むづかし)く成りましたのね。さうですね、それは那箇(どつち)かが非(わる)い事も有りませう。又女の性分にも由りますけれど、一概に女と云つたつて、一つは齢(とし)に在るので御座いますね」
「はあ、齢に在ると云ふと?」
「私共(わたくしども)の商買(しようばい)の者は善くさう申しますが、女の惚れるには、見惚(みぼれ)に、気惚(きぼれ)に、底惚(そこぼれ)と、かう三様(みとほり)有つて、見惚と云ふと、些(ちよい)と見たところで惚込んで了ふので、これは十五六の赤襟(あかえり)盛に在る事で、唯奇麗事でありさへすれば可いのですから、全(まる)で酸いも甘いもあつた者ぢやないのです。それから、十七八から二十(はたち)そこそこのところは、少し解つて来て、生意気に成りますから、顔の好いのや、扮装(なり)の奇(おつ)なのなんぞには余(あんま)り迷ひません。気惚と云つて、様子が好いとか、気合が嬉いとか、何とか、そんなところに目を着けるので御座いますね。ですけれど、未(ま)だ未だやつぱり浮気なので、この人も好いが、又あの人も万更でなかつたりなんぞして、究竟(つまり)お肚(なか)の中から惚れると云ふのぢやないのです。何でも二十三四からに成らなくては、心底から惚れると云ふ事は無いさうで。それからが本当の味が出るのだとか申しますが、そんなものかも知れませんよ。この齢に成れば、曲りなりにも自分の了簡も据(すわ)り、世の中の事も解つてゐると云つたやうな勘定ですから、いくら洒落気(しやれつき)の奴でも、さうさう上調子(うはちようし)に遣つちやゐられるものぢやありません。其処(そこ)は何と無く深厚(しんみり)として来るのが人情ですわ。かうなれば、貴方、十人が九人までは滅多に気が移るの、心が変るのと云ふやうな事は有りは致しません。あの『赤い切掛(きれか)け島田の中(うち)は』と云ふ唄(うた)の文句の通、惚れた、好いたと云つても、若い内はどうしたつて心(しん)が一人前(いちにんまへ)に成つてゐないのですから、やつぱりそれだけで、為方の無いものです。と言つて、お婆さんに成つてから、やいのやいの言れた日には、殿方は御難ですね」
 お静は一笑してコップを挙げぬ。貫一は連(しきり)に頷(うなづ)きて、
「誠に面白かつた。見惚(みぼれ)に気惚に底惚か。齢(とし)に在ると云ふのは、これは大きにさうだ。齢に在る! 確に在るやうだ!」
「大相感心なすつてゐらつしやるぢや御座いませんか」
「大きに感心した」
「ぢやきつと胸に中(あた)る事がお有(あん)なさるので御座いますね」
「ははははははは。何為(なぜ)」
「でも感心あそばし方が凡(ただ)で御座いませんもの」
「ははははははは。愈(いよい)よ面白い」
「あら、さうなので御座いますか」
「はははははは。さうなのとはどうなの?」
「まあ、さうなのですね」
 彼は故(ことさら)に□(みは)れる眼(まなこ)を凝(こら)して、貫一の酔(ゑ)ひて赤く、笑ひて綻(ほころ)べる面(おもて)の上に、或者を索(もと)むらんやうに打矚(うちまも)れり。
「さうだつたらどうかね。はははははは」
「あら、それぢや愈(いよい)よさうなので御座いますか!」
「ははははははははは」
「可けませんよ、笑つてばかりゐらしつたつて」
「はははははは」

     第三章

 惜くもなき命は有り候(さふらふ)ものにて、はや其(それ)より七日(なぬか)に相成候(あひなりさふら)へども、猶(なほ)日毎(ひごと)に心地苦(くるし)く相成候やうに覚え候のみにて、今以つて此世(このよ)を去らず候へば、未練の程の御(おん)つもらせも然(さ)ぞかしと、口惜(くちをし)くも御恥(おんはづかし)く存上参(ぞんじあげまゐ)らせ候。御前様(おんまへさま)には追々(おひおひ)暑(あつさ)に向ひ候へば、いつも夏まけにて御悩み被成候事(なされさふらふこと)とて、此頃(このごろ)は如何(いか)に御暮(おんくら)し被遊候(あそばされさふらふ)やと、一入(ひとしほ)御案(おんあん)じ申上参(まをしあげまゐ)らせ候。
 私事(わたくしこと)人々の手前も有之候故(これありさふらふゆゑ)、儀(しるし)ばかりに医者にも掛り候へども、もとより薬などは飲みも致さず、皆(みな)打捨(うちす)て申候(まをしさふらふ)。御存じの此疾(このわづらひ)は決して書物の中には載せて在るまじく存候を、医者は訳無くヒステリイと申候。是もヒステリイと申候外は無きかは不存申候(ぞんじまをさずさふら)へども、自分には広き世間に比無(たぐひな)き病の外の病とも思居り候ものを、さやうに有触れたる名を附けられ候は、身に取りて誠に誠に無念に御座候。
 昼の中(うち)は頭重(つむりおも)く、胸閉ぢ、気疲劇(きづかれはげし)く、何を致候も大儀(たいぎ)にて、別(わ)けて人に会ひ候が□(うるさ)く、誰(たれ)にも一切(いつせつ)口(くち)を利(き)き不申(まをさず)、唯独(ただひと)り引籠(ひきこも)り居り候て、空(むなし)く時の経(た)ち候中(さふらふうち)に、此命(このいのち)の絶えず些(ちと)づつ弱り候て、最期(さいご)に近く相成候が自(おのづ)から知れ候やうにも覚(おぼ)え申候(まをしさふらふ)。
 夜(よ)に入(い)り候ては又気分変り、胸の内俄(にはか)に冱々(さえざえ)と相成(あひなり)、なかなか眠(ねぶ)り居り候空は無之(これなく)、かかる折に人は如何やうの事を考へ候ものと思召被成(おぼしめしなされ)候や、又其人私に候はば何と可有之候(これあるべくさふらふ)や、今更申上候迄にも御座候はねば、何卒(なにとぞ)宜(よろし)く御判(おんはん)じ被遊度(あそばされたく)、夜一夜(よひとよ)其事のみ思続け候て、毎夜寝もせず明しまゐらせ候。
 さりながら、何程思続け候とても、水を覓(もと)めて逾(いよい)よ焔(ほのほ)に燃(や)かれ候に等(ひとし)き苦艱(くげん)の募り候のみにて、いつ此責(このせめ)を免(のが)るるともなく存(ながら)へ候(さふらふ)は、孱弱(かよわ)き女の身には余(あまり)に余に難忍(しのびがた)き事に御座候。猶々(なほなほ)此のやうの苦(くるし)き思を致候(いたしさふらふ)て、惜むに足らぬ命の早く形付(かたづ)き不申(まをさざ)るやうにも候はば、いつそ自害致候てなりと、潔く相果て候が、□(はるか)に愈(まし)と存付(ぞんじつ)き候(さふら)へば、万一の場合には、然(さ)やうの事にも可致(いたすべく)と、覚悟極めまゐらせ候。
 さまざまに諦(あきら)め申候(まをしさふら)へども、此の一事は迚(とて)も思絶ち難く候へば、私(わたくし)相果(あひは)て候迄(さふらふまで)には是非々々一度、如何に致候ても推(お)して御目(おんめ)もじ相願ひ可申(まをすべく)と、此頃は唯其事(ただそのこと)のみ一心に考居(かんがへを)り申候(まをしさふらふ)。昔より信仰厚き人達は、現(うつつ)に神仏(かみほとけ)の御姿(おんすがた)をも拝(をが)み候やうに申候へば、私とても此の一念の力ならば、決して□(かな)はぬ願にも無御座(ござなく)と存参(ぞんじまゐ)らせ候。

     (三)の二

 昨日(さくじつ)は見舞がてらに本宅の御母様(おんははさま)参(まゐ)られ候。是(これ)は一つは唯継事(ただつぐこと)近頃不機嫌(ふきげん)にて、とかく内を外に遊びあるき居り候処(さふらふところ)、両三日前の新聞に善からぬ噂出(うはさい)で候より、心配の余(あまり)様子見に参られ候次第にて、其事に就き私へ懇々(こんこん)の意見にて、唯継の放蕩致候(ほうとういたしさふらふ)は、畢竟(ひつきよう)内(うち)のおもしろからぬ故(ゆゑ)と、日頃の事一々誰が告げ候にや、可恥(はづかし)き迄に皆知れ候て、此後は何分心を用ゐくれ候やうにと被申候(まをされさふらふ)。私事(わたくしこと)其節(そのせつ)一思(ひとおも)ひに不法の事を申掛け、愛想(あいそ)を尽され候やうに致し、離縁の沙汰(さた)にも相成候(あひなりさふら)はば、誠に此上無き幸(さいはひ)と存付(ぞんじつ)き候へども、此姑(このしうとめ)と申候人(まをしさふらふひと)は、評判の心掛善き御方にて、殊(こと)に私をば娘のやうに思ひ、日頃(ひごろ)の厚き情(なさけ)は海山にも喩(たと)へ難きほどに候へば、なかなか辞(ことば)を返し候段にては無之(これなく)、心弱しとは思ひながら、涙の零(こぼ)れ候ばかりにて、無拠(よんどころなく)身(み)の不束(ふつつか)をも詑(わ)び申候(まをしさふらふ)次第に御座候。
 此命(このいのち)御前様(おんまへさま)に捨て候ものに無御座候(ござなくさふら)はば、外には此人の為に捨て可申(まをすべく)と存候(ぞんじさふらふ)。此の御方を母とし、御前様(おんまへさま)を夫と致候て暮し候事も相叶(かな)ひ候はば、私は土間に寐(い)ね、蓆(むしろ)を絡(まと)ひ候(さふらふ)ても、其楽(そのたのしみ)は然(さ)ぞやと、常に及ばぬ事を恋(こひし)く思居りまゐらせ候。私事相果て候はば、他人にて真(まこと)に悲みくれ候は、此世に此の御方一人(おんかたひとり)に御座あるべく、第一然(さ)やうの人を欺き、然やうの情(なさけ)を余所(よそ)に致候(いたしさふらふ)私は、如何(いか)なる罰を受け候事かと、悲く悲く存候に、はや浅ましき死様(しにやう)は知れたる事に候へば、外に私の願の障(さはり)とも相成不申(あひなりまをさず)やと、始終心に懸り居り申候(まをしさふらふ)。
 思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐(おそろし)きものに無御座候(ござなくさふらふ)。私は今が今此儘(このまま)に息引取り候はば、何よりの仕合(しあはせ)と存参(ぞんじまゐ)らせ候。唯後(ただあと)に遺(のこ)り候親達の歎(なげき)を思ひ、又我身生れ効(がひ)も無く此世の縁薄く、かやうに今在る形も直(ぢき)に消えて、此筆(このふで)、此硯(このすずり)、此指環、此燈(このあかり)も此居宅(このすまひ)も、此夜も此夏も、此の蚊の声も、四囲(あたり)の者は皆永く残り候に、私独(ひと)り亡(な)きものに相成候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬ儚(はかな)さなどを考へ候へば、返す返す情無く相成候て、心ならぬ未練も出(い)で申候(まをしさふらふ)。




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