金色夜叉
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著者名:尾崎紅葉 

先頃荒尾様より御譴(おんしかり)も受け、さやうな心得は、始には御前様に不実の上、今又唯継に不貞なりと仰せられ候へども、其の始の不実を唯今思知り候ほどの愚(おろか)なる私が、何とて後の不貞やら何やら弁(わきま)へ申すべきや。愚なる者なればこそ人にも勾引(かどはか)され候て、帰りたき空さへ見えぬ海山の果に泣倒れ居り候を、誰一箇(たれひとり)も愍(あはれ)みて救はんとは思召し被下候(くだされさふら)はずや。御前様にも其の愚なる者を何とも思召(おぼしめ)し被下候(くだされさふら)はずや。愚なる者の致せし過(あやまち)も、並々の人の過も、罪は同きものに御座候や、重きものに御座候や。
 愚なる者の癖に人がましき事申上候やうにて、誠に御恥(おんはづかし)う存候(ぞんじさふら)へども、何とも何とも心得難(こころえがた)く存上候(ぞんじあげさふらふ)は、御前様(おんまへさま)唯今(ただいま)の御身分に御座候(ござさふらふ)。天地は倒(さかさま)に相成候とも、御前様(おんまへさま)に限りてはと、今猶(いまなほ)私は疑ひ居り候ほど驚入(おどろきいり)まゐらせ候。世に生業(なりはひ)も数多く候に、優き優き御心根にもふさはしからぬ然(さ)やうの道に御入(おんい)り被成候(なされさふらふ)までに、世間は鬼々(おにおに)しく御前様(おんまへさま)を苦め申候(まをしさふらふ)か。田鶴見様方(たずみさまかた)にて御姿(おんすがた)を拝し候後(さふらふのち)始(はじめ)て御噂承(おんうはさうけたま)はり、私は幾日(いくか)も幾日も泣暮し申候。これには定て深き仔細(しさい)も御座候はんと存候へども、玉と成り、瓦(かはら)と成るも人の一生に候へば、何卒(なにとぞ)昔の御身に御立返(おんたちかへ)り被遊(あそばされ)、私の焦れ居りまゐらせ候やうに、多くの人にも御慕(おんしたは)れ被遊候(あそばされさふらふ)御出世の程をば、偏(ひとへ)に偏(ひとへ)に願上(ねがいあげ)まゐらせ候。世間には随分賢からぬ者の好き地位を得て、時めかし居り候も少からぬを見るにつけ、何故(なにゆゑ)御前様(おんまへさま)には然(さ)やうの善からぬ業(わざ)を択(より)に択りて、折角の人に優(すぐ)れし御身を塵芥(ちりあくた)の中に御捨(おんす)て被遊候(あそばされさふらふ)や、残念に残念に存上(ぞんじあげ)まゐらせ候。
 愚なる私の心得違(こころえちがひ)さへ無御座候(ござなくさふら)はば、始終(しじゆう)御側(おんそば)にも居り候事とて、さやうの思立(おもひたち)も御座候節(ござさふらふせつ)に、屹度(きつと)御諌(おんいさ)め申候事も叶(かな)ひ候ものを、返らぬ愚痴ながら私の浅はかより、みづからの一生を誤り候のみか、大事の御身までも世の廃(すた)り物に致させ候かと思ひまゐらせ候へば、何と申候私の罪の程かと、今更御申訳(おんまをしわけ)の致しやうも無之(これなく)、唯そら可恐(おそろ)しさに消えも入度(いりた)く存(ぞんじ)まゐらせ候。御免(おんゆる)し被下度(くだされたく)、御免し被下度(くだされたく)、御免し被下度候。
 私は何故(なにゆゑ)富山に縁付き申候や、其気(そのき)には相成申候や、又何故御前様の御辞(おんことば)には従ひ不申(まをさず)候や、唯今(ただいま)と相成候て考へ申候へば、覚めて悔(くやし)き夢の中のやうにて、全く一時の迷とも可申(まをすべく)、我身ながら訳解らず存じまゐらせ候。二つ有るものの善きを捨て、悪(あし)きを取り候て、好んで箇様(かよう)の悲き身の上に相成候は、よくよく私に定り候運と、思出(おもひいだ)し候ては諦(あきら)め居り申候。
 其節御前様の御腹立(おんはらだち)一層強く、私をば一打(ひとうち)に御手に懸け被下候(くだされさふら)はば、なまじひに今の苦艱(くげん)は有之間敷(これあるまじく)、又さも無く候はば、いつそ御前様の手籠(てごめ)にいづれの山奥へも御連れ被下候(くだされさふら)はば、今頃は如何なる幸(さいはひ)を得候事やらんなど、愚なる者はいつまでも愚に、始終愚なる事のみ考居(かんがへを)り申候。
 嬉くも御赦(おんゆるし)を得、御心解けて、唯二人熱海に遊び、昔の浜辺に昔の月を眺(なが)め、昔の哀(かなし)き御物語を致し候はば、其の心の内は如何に御座候やらん思ふさへ胸轟(むねとどろ)き、書く手も震ひ申候。今も彼(か)の熱海に人は参り候へども、そのやうなる楽(たのしみ)を持ち候ものは一人も有之(これある)まじく、其代(そのかはり)には又、私如(わたくしごと)き可憐(あはれ)の跡を留め候て、其の一夜(いちや)を今だに歎き居り候ものも決して御座あるまじく候。
 世をも身をも捨て居り候者にも、猶(なほ)肌身放(はだみはな)さず大事に致候宝は御座候。それは御遺置(おんのこしおき)の三枚の御写真にて何見ても楽み候はぬ目にも、是(これ)のみは絶えず眺め候て、少しは憂さを忘れ居りまゐらせ候。いつも御写真に向ひ候へば、何くれと当時の事憶出(おもひだ)し候中に、うつつとも無く十年前(ぜん)の心に返り候て、苦き胸も暫(しばし)は涼(すずし)く相成申候。最も所好(すき)なるは御横顔の半身のに候へども、あれのみ色褪(いろさ)め、段々薄く相成候が、何より情無く存候へども、長からぬ私の宝に致し候間は仔細も有るまじく、亡(な)き後には棺の内に歛(をさ)めもらひ候やう、母へは其(それ)を遺言に致候覚悟に御座候。
 ある女世に比無(たぐひな)き錦(にしき)を所持いたし候処(さふらふところ)、夏の熱き盛(さかり)とて、差当(さしあた)り用無く思ひ候不覚より、人の望むままに貸与へ候後は、いかに申せども返さず、其内に秋過ぎ、冬来(ふゆきた)り候て、一枚の曠着(はれぎ)さへ無き身貧に相成候ほどに、いよいよ先の錦の事を思ひに思ひ候へども、今は何処(いづこ)の人手に渡り候とも知れず、日頃それのみ苦に病み、慨(なげ)き暮し居り候折から、さる方にて計らず一人の美き女に逢ひ候処、彼(か)の錦をば華(はなや)かに着飾り、先の持主とも知らず貧き女の前にて散々(さんざん)ひけらかし候上に、恥まで与へ候を、彼女(かのをんな)は其身の過(あやまり)と諦(あきら)め候て、泣く泣く無念を忍び申候事に御座候が、其錦に深き思の繋(かか)り候ほど、これ見よがしに着たる女こそ、憎くも、悔(くやし)くも、恨(うらめし)くも、謂はうやう無き心の内と察せられ申候。
 先達而(せんだつて)は御許(おんもと)にて御親類のやうに仰せられ候御婦人に御目に掛りまゐらせ候。毎日のやうに御出(おんい)で被成候(なされさふらふ)て、御前様の御世話(おんせわ)万事被遊候(あそばされさふらふ)御方(おんかた)の由(よし)に候へば、後にて御前様さぞさぞ御大抵ならず御迷惑被遊候(あそばされさふらふ)御事(おんこと)と、山々御察(おんさつ)し申上候へども、一向さやうに御内合(おんうちあひ)とも存ぜず、不躾(ぶしつけ)に参上いたし候段は幾重にも、御詫申上(おんわびまをしあげ)まゐらせ候。
 尚(なほ)数々(かずかず)申上度(まをしあげたく)存候事(ぞんじさふらふこと)は胸一杯にて、此胸の内には申上度事(まをしあげたきこと)の外は何も無御座候(ござなくさふら)へば、書くとも書くとも尽き申間敷(まをすまじく)、殊(こと)に拙(つたな)き筆に候へば、よしなき事のみくだくだしく相成候ていくらも、大切の事をば書洩(かきもら)し候が思残(おもひのこり)に御座候。惜き惜き此筆止(とど)めかね候へども、いつの限無く手に致し居り候事も叶(かな)ひ難(がた)く、折から四時の明近(あけちか)き油も尽き候て、手元暗く相成候ままはやはや恋(こひし)き御名を認(したた)め候て、これまでの御別(おんわかれ)と致しまゐらせ候。
 唯今(ただいま)の此の気分苦く、何とも難堪(たへがた)き様子にては、明日は今日よりも病重き事と存候(ぞんじさふらふ)。明後日は猶重くも相成可申(あひなりまをすべく)、さやうには候へども、筆取る事相叶(あひかな)ひ候間は、臨終までの胸の内御許に通じまゐらせ度(たく)存候(ぞんじさふら)へば、覚束無(おぼつかな)くも何なりとも相認(あひしたた)め可申候(まをすべくさふらふ)。
 私事空(むなし)く相成候とも、決して余(よ)の病にては無之(これなく)、御前様(おんまへさま)御事(おんこと)を思死(おもひじに)に死候(しにさふらふ)ものと、何卒(なにとぞ)々々御愍(おんあはれ)み被下(くだされ)、其段(そのだん)はゆめゆめ詐(いつはり)にては無御座(ござなく)、みづから堅く信じ居候事に御座候。
 明日(みようにち)は御前様(おんまへさま)御誕生日(ごたんじようび)に当り申候へば、わざと陰膳(かげぜん)を供へ候て、私事も共に御祝(おんいは)ひ可申上(まをしあぐべく)、嬉(うれし)きやうにも悲きやうにも存候。猶くれぐれも朝夕(ちようせき)の御自愛御大事に、幾久く御機嫌好(ごきげんよ)う明日を御迎(おんむか)へ被遊(あそばされ)、ますます御繁栄に被為居候(ゐらせられさふらふ)やう、今は世の望も、身の願も、それのみに御座候。
 まづはあらあらかしこ。

五月二十五日おろかなる女□(より)恋(こひし)き恋き生別(いきわかれ)の御方様(おんかたさま)まゐる
     第二章

 隣に養へる薔薇(ばら)の香(か)の烈(はげし)く薫(くん)じて、颯(さ)と座に入(い)る風の、この読尽(よみつく)されし長き文(ふみ)の上に落つると見れば、紙は冉々(せんせん)と舞延びて貫一の身を□(めぐ)り、猶(なほ)も跳(をど)らんとするを、彼は徐(しづか)に敷据ゑて、その膝(ひざ)に慵(ものう)げなる面杖(つらづゑ)□(つ)きたり。憎き女の文なんど見るも穢(けがらは)しと、前(さき)には皆焚棄(やきす)てたりし貫一の、如何(いか)にしてこたびばかりは終(つひ)に打拆(うちひら)きけん、彼はその手にせし始に、又は読去りし後に、自らその故(ゆゑ)を譲(せ)めて、自ら知らざるを愧(は)づるなりき。
 彼はやがて屈(かが)めし身を起ししが、又直(ただ)ちに重きに堪(た)へざらんやうの頭(かしら)を支へて、机に倚(よ)れり。
 緑濃(こまや)かに生茂(おひしげ)れる庭の木々の軽々(ほのか)なる燥気(いきれ)と、近き辺(あたり)に有りと有る花の薫(かをり)とを打雑(うちま)ぜたる夏の初の大気は、太(はなは)だ慢(ゆる)く動きて、その間に旁午(ぼうご)する玄鳥(つばくら)の声朗(ほがらか)に、幾度(いくたび)か返しては遂(つひ)に往きける跡の垣穂(かきほ)の、さらぬだに燃ゆるばかりなる満開の石榴(ざくろ)に四時過の西日の夥(おびただし)く輝けるを、彼は煩(わづらは)しと目を移して更に梧桐(ごどう)の涼(すずし)き広葉を眺めたり。
 文の主(ぬし)はかかれと祈るばかりに、命を捧げて神仏(かみほとけ)をも驚かししと書けるにあらずや。貫一は又、自ら何の故(ゆゑ)とも知らで、独(ひと)りこれのみ披(ひら)くべくもあらぬ者を披き見たるにあらずや。彼を絡(まと)へる文は猶解けで、巌(いはほ)に浪(なみ)の瀉(そそ)ぐが如く懸(かか)れり。
 そのままに専(ひた)と思入るのみなりし貫一も、漸(やうや)く悩(なやまし)く覚えて身動(みじろ)ぐとともに、この文殻(ふみがら)の埓無(らちな)き様を見て、やや慌(あわ)てたりげに左肩(ひだりがた)より垂れたるを取りて二つに引裂きつ。さてその一片(ひとひら)を手繰(たぐ)らんと為るに、長きこと帯の如し。好き程に裂きては累(かさ)ね、累ぬれば、皆積みて一冊にも成りぬべし。
 かかる間(ま)も彼は自(おのづ)と思に沈みて、その動す手も怠(たゆ)く、裂きては一々読むかとも目を凝(こら)しつつ。やや有りて裂了(さきをは)りし後は、あだかも劇(はげし)き力作に労(つか)れたらんやうに、弱々(よわよわ)と身を支へて、長き頂(うなじ)を垂れたり。
 されど久(ひさし)きに勝(た)へずやありけん、卒(にはか)に起たんとして、かの文殻の委(お)きたるを取上げ、庭の日陰に歩出(あゆみい)でて、一歩に一(ひと)たび裂き、二歩に二たび裂き、木間に入りては裂き、花壇を繞(めぐ)りては裂き、留りては裂き、行きては裂き、裂きて裂きて寸々(すんずん)に作(な)しけるを、又引捩(ひきねぢ)りては歩み、歩みては引捩りしが、はや行くも苦(くるし)く、後様(うしろさま)に唯有(とあ)る冬青(もち)の樹に寄添へり。
 折から縁に出来(いできた)れる若き女は、結立(ゆひたて)の円髷(まるわげ)涼しげに、襷掛(たすきがけ)の惜くも見ゆる真白の濡手(ぬれて)を弾(はじ)きつつ、座敷を覗(のぞ)き、庭を窺(うかが)ひ、人見付けたる会釈の笑(ゑみ)をつと浮べて、
「旦那(だんな)様、お風呂が沸きましたが」
 この姿好く、心信(こころまめや)かなるお静こそ、僅(わづか)にも貫一がこの頃を慰むる一(いつ)の唯一(ただいつ)の者なりけれ。

     (二)の二

 浴(ゆあみ)すれば、下立(おりた)ちて垢(あか)を流し、出づるを待ちて浴衣(ゆかた)を着せ、鏡を据(すう)るまで、お静は等閑(なほざり)ならず手一つに扱ひて、数ならぬ女業(をんなわざ)の効無(かひな)くも、身に称(かな)はん程は貫一が為にと、明暮を唯それのみに委(ゆだ)ぬるなり。されども、彼は別に奥の一間(ひとま)に己(おのれ)の助くべき狭山(さやま)あるをも忘るべからず。そは命にも、換ふる人なり。又されども、彼と我との命に換ふる大恩をここの主(あるじ)にも負へるなり。如此(かくのごと)く孰(いづ)れ疎(おろそか)ならぬ主(あるじ)と夫とを同時に有(も)てる忙(せは)しさは、盆と正月との併(あは)せ来にけんやうなるべきをも、彼はなほ未(いま)だ覚めやらぬ夢の中(うち)にて、その夢心地には、如何(いか)なる事も難(かた)しと為るに足らずと思へるならん。寔(まこと)に彼はさも思へらんやうに勇(いさ)み、喜び、誇り、楽める色あり。彼の面(おもて)は為に謂(い)ふばかり無く輝ける程に、常にも愈(ま)して妖艶(あでやか)に見えぬ。
 暫(しば)し浴後(ゆあがり)を涼みゐる貫一の側に、お静は習々(そよそよ)と団扇(うちは)の風を送りゐたりしが、縁柱(えんばしら)に靠(もた)れて、物をも言はず労(つか)れたる彼の気色を左瞻右視(とみかうみ)て、
「貴方(あなた)、大変にお顔色(かほつき)がお悪いぢや御座いませんか」
 貫一はこの言(ことば)に力をも得たらんやうに、萎(な)え頽(くづ)れたる身を始て揺(ゆす)りつ。
「さうかね」
「あら、さうかねぢや御座いませんよ、どうあそばしたのです」
「別にどうも為はせんけれど、何だかかう気が閉ぢて、惺然(はつきり)せんねえ」
「惺然(はつきり)あそばせよ。麦酒(ビイル)でも召上りませんか、ねえ、さうなさいまし」
「麦酒かい、余り飲みたくもないね」
「貴方そんな事を有仰(おつしや)らずに、まあ召上つて御覧なさいまし。折角私(わたくし)が冷(ひや)して置きましたのですから」
「それは狭山君が帰つて来て飲むのだらう」
「何で御座いますつて□」
「いや、常談ぢやない、さうなのだらう」
「狭山は、貴方、麦酒(ビイル)なんぞを戴(いただ)ける今の身分ぢや御座いませんです」
「そんなに堅く為(せ)んでも可いさ、内の人ぢやないか。もつと気楽に居てくれなくては困る」
 お静は些(ちよ)と涙含(なみだぐ)みし目を拭(ぬぐ)ひて、
「この上の気楽が有つて耐(たま)るものぢや御座いません」
「けれども有物(あるもの)だから、所好(すき)なら飲んでもらはう。お前さんも克(い)くのだらう」
「はあ、私もお相手を致しますから、一盃(いつぱい)召上りましよ。氷を取りに遣りまして――夏蜜柑(なつみかん)でも剥(む)きませう――林檎(りんご)も御座いますよ」
「お前さん飲まんか」
「私も戴きますとも」
「いや、お前さん独(ひとり)で」
「貴方の前で私が独で戴くので御座いますか。さうして貴方は?」
「私は飲まん」
「ぢや見てゐらつしやるのですか。不好(いや)ですよ、馬鹿々々しい! まあ何でも可いから、ともかくも一盃召上ると成さいましよ、ね。唯今(ただいま)直(ぢき)に持つて参りますから、其処(そこ)にゐらつしやいまし」
 気軽に走り行きしが、程無く老婢(ろうひ)と共に齎(もたら)せる品々を、見好げに献立して彼の前に陳(なら)ぶれば、さすがに他の老婆子(ろうばし)が寂(さびし)き給仕に義務的吃飯(きつぱん)を強(し)ひらるるの比にもあらず、やや難捨(すてがた)き心地もして、コップを取挙(とりあぐ)れば、お静は慣れし手元に噴溢(ふきこぼ)るるばかり酌して、
「さあ、呷(ぐう)とそれを召上れ」
 貫一はその半(なかば)を尽して、先(ま)づ息(いこ)へり。林檎を剥(む)きゐるお静は、手早く二片(ふたひら)ばかり□(そ)ぎて、
「はい、お肴(さかな)を」
「まあ、一盃上げやう」
「まあ、貴方――いいえ、可けませんよ。些(ちつ)とお顔に出るまで二三盃続けて召上れよ。さうすると幾らかお気が霽(は)れますから」
「そんなに飲んだら倒れて了ふ」
「お倒れなすたつて宜(よろし)いぢや御座いませんか。本当に今日は不好(いや)な御顔色でゐらつしやるから、それがかう消えて了ふやうに、奮発して召上りましよ」
 彼は覚えず薄笑(うすわらひ)して、
「薬だつてさうは利(き)かんさ」
「どうあそばしたので御座います。何処(どこ)ぞ御体がお悪いのなら、又無理に召上るのは可う御座いませんから」
「体は始終悪いのだから、今更驚きも為んが……ぢや、もう一盃飲まうか」
「へい、お酌。ああ、余(あんま)りお見事ぢや御座いませんか」
「見事でも可かんのかい」
「いいえ、お見事は結構なのですけれど、余(あんま)り又――頂戴……ああ恐入ります」
「いや、考へて見ると、人間と云ふものは不思議な者だ。今まで不見不知(みずしらず)の、実に何の縁も無いお前さん方が、かうして内に来て、狭山君はああして実体(じつてい)の人だし、お前さんは優く世話をしてくれる、私は決して他人のやうな心持は為(せ)んね。それは如何(いか)なる事情が有つてかう成つたにも為よ、那裏(あすこ)で逢(あ)はなければ、何処(どこ)の誰だかお互に分らずに了つた者が、急に一処に成つて、貴方がどうだとか、私(わたくし)がかうだとか、……や、不思議だ! どうか、まあ渝(かは)らず一生かうしてお附合(つきあひ)を為たいと思ふ。けれども私は高利貸だ。世間から鬼か蛇(じや)のやうに謂(いは)れて、この上も無く擯斥(ひんせき)されてゐる高利貸だ。お前さん方もその高利貸の世話に成つてゐられるのは、余り栄(みえ)でも無く、さぞ心苦く思つてゐられるだらう、と私は察してゐる。のみならず、人の生血を搾(しぼ)つてまでも、非道な貨(かね)を殖(こしら)へるのが家業の高利貸が、縁も所因(ゆかり)も無い者に、設(たと)ひ幾らでも、それほど大事の金をおいそれと出して、又体まで引取つて世話を為ると云ふには、何か可恐(おそろし)い下心でもあつて、それもやつぱり慾徳渾成(ずく)で恩を被(き)せるのだらうと、内心ぢやどんなにも無気味に思つてゐられる事だらう、とそれも私は察してゐる。
 さあ、コップを空(あ)けて、返して下さい」
「召上りますの?」
「飲む」
 酒気は稍(やや)彼の面(おもて)に上(のぼ)れり。
「お静さんはどう思ふね」
「私(わたくし)共は固(もと)より命の無いところを、貴方のお蔭ばかりで助(たすか)つてをりますので御座いますから、私共の体は貴方の物も同然、御用に立ちます事なら、どんなにでも遊(あそば)してお使ひ下さいまし。狭山もそんなに申してをります」
「忝(かたじけ)ない。然し、私は天引三割の三月縛(みつきしばり)と云ふ躍利(をどり)を貸して、暴(あら)い稼(かせぎ)を為てゐるのだから、何も人に恩などを被せて、それを種に銭儲(かねまうけ)を為るやうな、廻り迂(くど)い事を為る必要は、まあ無いのだ。だから、どうぞ決(け)してそんな懸念(けねん)は為て下さるな。又私の了簡では、元々些(ほん)の酔興で二人の世話を為るのだから、究竟(つまり)そちらの身さへ立つたら、それで私の念は届いたので、その念が届いたら、もう剰銭(つり)を貰(もら)はうとは思はんのだ。と言つたらば、情無い事には、私の家業が家業だから、鬼が念仏でも言ふやうに、お前さん方は愈(いよい)よ怪く思ふかも知れん――いや、きつとさう思つてゐられるには違無い。残念なものだ!」
 彼は長吁(ちようう)して、
「それも悪木(あくぼく)の蔭に居るからだ!」
「貴方、決(け)して私共がそんな事を夢にだつて思ひは致しません。けれども、そんなに有仰(おつしや)いますなら、何か私共の致しました事がお気に障(さは)りましたので御座いませう。かう云ふ何(なんに)も存じません粗才者(ぞんざいもの)の事で御座いますから」
「いいや、……」
「いいえ、私は始終言はれてをります狭山に済みませんですから、どうぞ行届きませんところは」
「いいや、さう云ふ意味で言つたのではない。今のは私の愚痴だから、さう気に懸けてくれては甚(はなは)だ困る」
「ついにそんな事を有仰(おつしや)つた事の無い貴方が、今日に限つて今のやうに有仰ると、日頃私共に御不足がお有(あん)なすつて」
「いや、悪かつた、私が悪かつた。なかなか不足どころか、お前さん方が陰陽無(かげひなたな)く実に善く気を着けて、親身のやうに世話してくれるのを、私は何より嬉く思つてゐる。往日(いつか)話した通り、私は身寄も友達も無いと謂つて可いくらゐの独法師(ひとりぼつち)の体だから、気分が悪くても、誰(たれ)一人薬を飲めと言つてくれる者は無し、何かに就けてそれは心細いのだ。さう云ふ私に、鬱(ふさ)いでゐるから酒でも飲めと、無理にも勧めてくれるその深切は、枯木に花が咲くやうな心持が、いえ、嘘(うそ)でも何でも無い。さあ、嘘でない信(しるし)に一献差(ひとつさ)すから、その積で受けてもらはう」
「はあ、是非戴かして下さいまし」
「ああ、もうこれには無い」
「無ければ嘘なので御座いませう」
「未(ま)だ半打(はんダース)の上(うへ)有るから、あれを皆注いで了はう」
「可うございますね」
 貫一が老婢を喚ぶ時、お静は逸早(いちはや)く起ち行けり。

     (二)の三

 話頭(わとう)は酒を更(あらた)むるとともに転じて、
「それはまあ考へて見れば、随分主人の面(つら)でも、友達の面でも、踏躙(ふみにじ)つて、取る事に於ては見界(みさかひ)なしの高利貸が、如何(いか)に虫の居所が善かつたからと云つて、人の難儀――には附込まうとも――それを見かねる風ぢやないのが、何であんな格(がら)にも無い気前を見せたのかと、これは不審を立てられるのが当然(あたりまへ)だ。
 けれども、ねえ、いづれその訳が解る日も有らうし、又私といふ者が、どう云ふ人間であるかと云ふ事も、今に必ず解らうと思ふ。それが解りさへしたら、この上人の十人や二十人、私の有金の有たけは、助けやうが、恵まうが、少(すこし)も怪む事は無いのだ。かう云ふと何か酷(ひど)く偉がるやうで、聞辛(ききづら)いか知らんけれど、これは心易立(こころやすだて)に、全く奥底の無いところをお話するのだ。
 いやさう考込まれては困る。陰気に成つて可かんから、話はもう罷(やめ)に為(せ)う。さうしてもつと飲み給へ、さあ」
「いいえ、どうぞお話をお聞せなすつて下さいまし」
「肴(さかな)に成るやうな話なら可いがね」
「始終狭山ともさう申してをるので御座いますけれど、旦那様は御病身と云ふ程でも無いやうにお身受申しますのに、いつもかう御元気(ごげんき)が無くて、お険(むづかし)いお顔面(かほつき)ばかりなすつてゐらつしやるのは、どう云ふものかしらんと、陰ながら御心配申してをるので御座いますが」
「これでお前さん方が来てくれて、内が賑(にぎや)かに成つただけ、私も旧(もと)から見ると余程(よつぽど)元気には成つたのだ」
「でもそれより御元気がお有(あん)なさらなかつたら、まあどんなでせう」
「死んでゐるやうな者さ」
「どうあそばしたので御座いますね」
「やはり病気さ」
「どう云ふ御病気なので」
「鬱(ふさ)ぐのが病気で困るよ」
「どう為てさうお鬱ぎあそばすので御座います」
 貫一は自ら嘲(あざけ)りて苦しげに哂(わら)へり。
「究竟(つまり)病気の所為(せゐ)なのだね」
「ですからどう云ふ御病気なのですよ」
「どうも鬱ぐのだ」
「解らないぢや御座いませんか! 鬱ぐのが病気だと有仰(おつしや)るから、どう為てお鬱ぎ遊(あそば)すのですと申せば、病気で鬱ぐのだつて、それぢや何処(どこ)まで行つたつて、同じ事ぢや御座いませんか」
「うむ、さうだ」
「うむ、さうだぢやありません、緊(しつか)りなさいましよ」
「ああ、もう酔つて来た」
「あれ、未だお酔ひに成つては可けません。お横に成ると御寐(おやすみ)に成るから、お起きなすつてゐらつしやいまし。さあ、貴方」
 お静は寄(よ)りて、彼の肘杖(ひぢづゑ)に横(よこた)はれる背後(うしろ)より扶起(たすけおこ)せば、為(せ)ん無げに柱に倚(よ)りて、女の方を見返りつつ、
「ここを富山唯継(ただつぐ)に見せて遣りたい!」
「ああ、舎(よ)して下さいまし! 名を聞いても慄然(ぞつ)とするのですから」
「名を聞いても慄然(ぞつ)とする? さう、大きにさうだ。けれど、又考へて見れば、あれに罪が有る訳でも無いのだから、さして憎むにも当らんのだ」
「ええ、些(ほん)の太好(いけす)かないばかりです!」
「それぢや余り差(ちが)はんぢやないか」
「あんな奴は那箇(どつち)だつて可いんでさ。第一活(い)きてゐるのが間違つてゐる位のものです。
 本当に世間には不好(いや)な奴ばかり多いのですけれど、貴方、どう云ふ者でせう。三千何百万とか、四千万とか、何でも太(たい)した人数(ひとかず)が居るのぢや御座いませんか、それならもう少し気の利(き)いた、肌合(はだあひ)の好い、嬉(うれし)い人に撞見(でつくは)しさうなものだと思ひますのに、一向お目に懸りませんが、ねえ」
「さう、さう、さう!」
「さうして富山みたやうなあんな奴がまあ紛々然(うじやうじや)と居て、番狂(ばんくるはせ)を為て行(ある)くのですから、それですから、一日だつて世の中が無事な日と云つちや有りは致しません。どうしたらあんなにも気障(きざ)に、太好(いけす)かなく、厭味(いやみ)たらしく生れ付くのでせう」
「おうおう、富山唯継散々だ」
「ああ。もうあんな奴の話をするのは馬鹿々々しいから、貴方、舎(よ)しませうよ」
「それぢやかう云ふ話が有る」
「はあ」
「一体男と女とでは、だね、那箇(どつち)が情合が深い者だらうか」
「あら、何為(なぜ)で御座います」
「まあ、何為(なぜ)でも、お前さんはどう思ふ」
「それは、貴方、女の方がどんなに情が」
「深いと云ふのかね」
「はあ」
「信(あて)にならんね」
「へえ、信にならない証拠でも御座いますか」
「成程、お前さんは別かも知れんけれど」
「可(よ)う御座いますよ!」
「いいえ、世間の女はさうでないやうだ。それと云ふが、女と云ふ者は、慮(かんがへ)が浅いからして、どうしても気が移り易(やす)い、これから心が動く――不実を不実とも思はんやうな了簡も出るのだ」
「それはもう女は浅捗(あさはか)な者に極(きま)つてゐますけれど、気が移るの何のと云ふのは、やつぱり本当に惚(ほ)れてゐないからです。心底から惚れてゐたら、些(ちつと)も気の移るところは無いぢや御座いませんか。善く女の一念と云ふ事を申しますけれど、思窮(おもひつ)めますと、男よりは女の方が余計夢中に成つて了ひますとも」
「大きにさう云ふ事は有る。然し、本当に惚れんのは、どうだらう、女が非(わる)いのか、それとも男の方が非いのか」
「大変難(むづかし)く成りましたのね。さうですね、それは那箇(どつち)かが非(わる)い事も有りませう。又女の性分にも由りますけれど、一概に女と云つたつて、一つは齢(とし)に在るので御座いますね」
「はあ、齢に在ると云ふと?」
「私共(わたくしども)の商買(しようばい)の者は善くさう申しますが、女の惚れるには、見惚(みぼれ)に、気惚(きぼれ)に、底惚(そこぼれ)と、かう三様(みとほり)有つて、見惚と云ふと、些(ちよい)と見たところで惚込んで了ふので、これは十五六の赤襟(あかえり)盛に在る事で、唯奇麗事でありさへすれば可いのですから、全(まる)で酸いも甘いもあつた者ぢやないのです。それから、十七八から二十(はたち)そこそこのところは、少し解つて来て、生意気に成りますから、顔の好いのや、扮装(なり)の奇(おつ)なのなんぞには余(あんま)り迷ひません。気惚と云つて、様子が好いとか、気合が嬉いとか、何とか、そんなところに目を着けるので御座いますね。ですけれど、未(ま)だ未だやつぱり浮気なので、この人も好いが、又あの人も万更でなかつたりなんぞして、究竟(つまり)お肚(なか)の中から惚れると云ふのぢやないのです。何でも二十三四からに成らなくては、心底から惚れると云ふ事は無いさうで。それからが本当の味が出るのだとか申しますが、そんなものかも知れませんよ。この齢に成れば、曲りなりにも自分の了簡も据(すわ)り、世の中の事も解つてゐると云つたやうな勘定ですから、いくら洒落気(しやれつき)の奴でも、さうさう上調子(うはちようし)に遣つちやゐられるものぢやありません。其処(そこ)は何と無く深厚(しんみり)として来るのが人情ですわ。かうなれば、貴方、十人が九人までは滅多に気が移るの、心が変るのと云ふやうな事は有りは致しません。あの『赤い切掛(きれか)け島田の中(うち)は』と云ふ唄(うた)の文句の通、惚れた、好いたと云つても、若い内はどうしたつて心(しん)が一人前(いちにんまへ)に成つてゐないのですから、やつぱりそれだけで、為方の無いものです。と言つて、お婆さんに成つてから、やいのやいの言れた日には、殿方は御難ですね」
 お静は一笑してコップを挙げぬ。貫一は連(しきり)に頷(うなづ)きて、
「誠に面白かつた。見惚(みぼれ)に気惚に底惚か。齢(とし)に在ると云ふのは、これは大きにさうだ。齢に在る! 確に在るやうだ!」
「大相感心なすつてゐらつしやるぢや御座いませんか」
「大きに感心した」
「ぢやきつと胸に中(あた)る事がお有(あん)なさるので御座いますね」
「ははははははは。何為(なぜ)」
「でも感心あそばし方が凡(ただ)で御座いませんもの」
「ははははははは。愈(いよい)よ面白い」
「あら、さうなので御座いますか」
「はははははは。さうなのとはどうなの?」
「まあ、さうなのですね」
 彼は故(ことさら)に□(みは)れる眼(まなこ)を凝(こら)して、貫一の酔(ゑ)ひて赤く、笑ひて綻(ほころ)べる面(おもて)の上に、或者を索(もと)むらんやうに打矚(うちまも)れり。
「さうだつたらどうかね。はははははは」
「あら、それぢや愈(いよい)よさうなので御座いますか!」
「ははははははははは」
「可けませんよ、笑つてばかりゐらしつたつて」
「はははははは」

     第三章

 惜くもなき命は有り候(さふらふ)ものにて、はや其(それ)より七日(なぬか)に相成候(あひなりさふら)へども、猶(なほ)日毎(ひごと)に心地苦(くるし)く相成候やうに覚え候のみにて、今以つて此世(このよ)を去らず候へば、未練の程の御(おん)つもらせも然(さ)ぞかしと、口惜(くちをし)くも御恥(おんはづかし)く存上参(ぞんじあげまゐ)らせ候。御前様(おんまへさま)には追々(おひおひ)暑(あつさ)に向ひ候へば、いつも夏まけにて御悩み被成候事(なされさふらふこと)とて、此頃(このごろ)は如何(いか)に御暮(おんくら)し被遊候(あそばされさふらふ)やと、一入(ひとしほ)御案(おんあん)じ申上参(まをしあげまゐ)らせ候。
 私事(わたくしこと)人々の手前も有之候故(これありさふらふゆゑ)、儀(しるし)ばかりに医者にも掛り候へども、もとより薬などは飲みも致さず、皆(みな)打捨(うちす)て申候(まをしさふらふ)。御存じの此疾(このわづらひ)は決して書物の中には載せて在るまじく存候を、医者は訳無くヒステリイと申候。是もヒステリイと申候外は無きかは不存申候(ぞんじまをさずさふら)へども、自分には広き世間に比無(たぐひな)き病の外の病とも思居り候ものを、さやうに有触れたる名を附けられ候は、身に取りて誠に誠に無念に御座候。
 昼の中(うち)は頭重(つむりおも)く、胸閉ぢ、気疲劇(きづかれはげし)く、何を致候も大儀(たいぎ)にて、別(わ)けて人に会ひ候が□(うるさ)く、誰(たれ)にも一切(いつせつ)口(くち)を利(き)き不申(まをさず)、唯独(ただひと)り引籠(ひきこも)り居り候て、空(むなし)く時の経(た)ち候中(さふらふうち)に、此命(このいのち)の絶えず些(ちと)づつ弱り候て、最期(さいご)に近く相成候が自(おのづ)から知れ候やうにも覚(おぼ)え申候(まをしさふらふ)。
 夜(よ)に入(い)り候ては又気分変り、胸の内俄(にはか)に冱々(さえざえ)と相成(あひなり)、なかなか眠(ねぶ)り居り候空は無之(これなく)、かかる折に人は如何やうの事を考へ候ものと思召被成(おぼしめしなされ)候や、又其人私に候はば何と可有之候(これあるべくさふらふ)や、今更申上候迄にも御座候はねば、何卒(なにとぞ)宜(よろし)く御判(おんはん)じ被遊度(あそばされたく)、夜一夜(よひとよ)其事のみ思続け候て、毎夜寝もせず明しまゐらせ候。
 さりながら、何程思続け候とても、水を覓(もと)めて逾(いよい)よ焔(ほのほ)に燃(や)かれ候に等(ひとし)き苦艱(くげん)の募り候のみにて、いつ此責(このせめ)を免(のが)るるともなく存(ながら)へ候(さふらふ)は、孱弱(かよわ)き女の身には余(あまり)に余に難忍(しのびがた)き事に御座候。猶々(なほなほ)此のやうの苦(くるし)き思を致候(いたしさふらふ)て、惜むに足らぬ命の早く形付(かたづ)き不申(まをさざ)るやうにも候はば、いつそ自害致候てなりと、潔く相果て候が、□(はるか)に愈(まし)と存付(ぞんじつ)き候(さふら)へば、万一の場合には、然(さ)やうの事にも可致(いたすべく)と、覚悟極めまゐらせ候。
 さまざまに諦(あきら)め申候(まをしさふら)へども、此の一事は迚(とて)も思絶ち難く候へば、私(わたくし)相果(あひは)て候迄(さふらふまで)には是非々々一度、如何に致候ても推(お)して御目(おんめ)もじ相願ひ可申(まをすべく)と、此頃は唯其事(ただそのこと)のみ一心に考居(かんがへを)り申候(まをしさふらふ)。昔より信仰厚き人達は、現(うつつ)に神仏(かみほとけ)の御姿(おんすがた)をも拝(をが)み候やうに申候へば、私とても此の一念の力ならば、決して□(かな)はぬ願にも無御座(ござなく)と存参(ぞんじまゐ)らせ候。

     (三)の二

 昨日(さくじつ)は見舞がてらに本宅の御母様(おんははさま)参(まゐ)られ候。是(これ)は一つは唯継事(ただつぐこと)近頃不機嫌(ふきげん)にて、とかく内を外に遊びあるき居り候処(さふらふところ)、両三日前の新聞に善からぬ噂出(うはさい)で候より、心配の余(あまり)様子見に参られ候次第にて、其事に就き私へ懇々(こんこん)の意見にて、唯継の放蕩致候(ほうとういたしさふらふ)は、畢竟(ひつきよう)内(うち)のおもしろからぬ故(ゆゑ)と、日頃の事一々誰が告げ候にや、可恥(はづかし)き迄に皆知れ候て、此後は何分心を用ゐくれ候やうにと被申候(まをされさふらふ)。私事(わたくしこと)其節(そのせつ)一思(ひとおも)ひに不法の事を申掛け、愛想(あいそ)を尽され候やうに致し、離縁の沙汰(さた)にも相成候(あひなりさふら)はば、誠に此上無き幸(さいはひ)と存付(ぞんじつ)き候へども、此姑(このしうとめ)と申候人(まをしさふらふひと)は、評判の心掛善き御方にて、殊(こと)に私をば娘のやうに思ひ、日頃(ひごろ)の厚き情(なさけ)は海山にも喩(たと)へ難きほどに候へば、なかなか辞(ことば)を返し候段にては無之(これなく)、心弱しとは思ひながら、涙の零(こぼ)れ候ばかりにて、無拠(よんどころなく)身(み)の不束(ふつつか)をも詑(わ)び申候(まをしさふらふ)次第に御座候。
 此命(このいのち)御前様(おんまへさま)に捨て候ものに無御座候(ござなくさふら)はば、外には此人の為に捨て可申(まをすべく)と存候(ぞんじさふらふ)。此の御方を母とし、御前様(おんまへさま)を夫と致候て暮し候事も相叶(かな)ひ候はば、私は土間に寐(い)ね、蓆(むしろ)を絡(まと)ひ候(さふらふ)ても、其楽(そのたのしみ)は然(さ)ぞやと、常に及ばぬ事を恋(こひし)く思居りまゐらせ候。私事相果て候はば、他人にて真(まこと)に悲みくれ候は、此世に此の御方一人(おんかたひとり)に御座あるべく、第一然(さ)やうの人を欺き、然やうの情(なさけ)を余所(よそ)に致候(いたしさふらふ)私は、如何(いか)なる罰を受け候事かと、悲く悲く存候に、はや浅ましき死様(しにやう)は知れたる事に候へば、外に私の願の障(さはり)とも相成不申(あひなりまをさず)やと、始終心に懸り居り申候(まをしさふらふ)。
 思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐(おそろし)きものに無御座候(ござなくさふらふ)。私は今が今此儘(このまま)に息引取り候はば、何よりの仕合(しあはせ)と存参(ぞんじまゐ)らせ候。唯後(ただあと)に遺(のこ)り候親達の歎(なげき)を思ひ、又我身生れ効(がひ)も無く此世の縁薄く、かやうに今在る形も直(ぢき)に消えて、此筆(このふで)、此硯(このすずり)、此指環、此燈(このあかり)も此居宅(このすまひ)も、此夜も此夏も、此の蚊の声も、四囲(あたり)の者は皆永く残り候に、私独(ひと)り亡(な)きものに相成候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬ儚(はかな)さなどを考へ候へば、返す返す情無く相成候て、心ならぬ未練も出(い)で申候(まをしさふらふ)。




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