金色夜叉
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:尾崎紅葉 

 嗟乎(ああ)、然し、何に就(つ)けても苦(くるし)い世の中だ!
 人間の道は道、義務は義務、楽(たのしみ)は又楽で、それも無けりや立たん。俺も鴫沢(しぎさわ)に居て宮を対手(あいて)に勉強してをつた時分は、この人世と云ふ者は唯面白い夢のやうに考へてゐた。
 あれが浮世なのか、これが浮世なのか。
 爾来(あれから)、今日(こんにち)までの六年間、人らしい思を為た日は唯の一日でも無かつた。それで何が頼(たのみ)で俺は活きてゐたのか。死を決する勇気が無いので活きてゐたやうなものだ! 活きてゐたのではない、死損(しにぞくな)つてゐたのだ□
 鰐淵(わにぶち)は焚死(やけし)に、宮は自殺した、俺はどう為(す)るのか。俺のこの感情の強いのでは、又向来(これから)宮のこの死顔が始終目に着いて、一生悲い思を為なければ成らんのだらう。して見りや、今までよりは一層苦(くるしみ)を受けるのは知れてゐる。その中で俺は活きてゐて何を為るのか。
 人たるの道を尽す? 人たるの行(おこなひ)を為る? ああ、□(うるさ)い、□い! 人としてをればこそそんな義務も有る、人でなくさへあれば、何も要らんのだ。自殺して命を捨てるのは、一(いつ)の罪悪だと謂(い)ふ。或(あるひ)は罪悪かも知れん。けれども、茫々然(ぼうぼうぜん)と呼吸してゐるばかりで、世間に対しては何等(なにら)の益するところも無く、自身に取つてはそれが苦痛であるとしたら、自殺も一種の身始末(みじまつ)だ。増(ま)して、俺が今死ねば、忽(たちま)ち何十人の人が助り、何百人の人が懽(よろこ)ぶか知れん。
 俺も一箇(ひとり)の女故(ゆゑ)に身を誤つたその余(あと)が、盗人(ぬすと)家業の高利貸とまで堕落してこれでやみやみ死んで了ふのは、余り無念とは思ふけれど、当初(はじめ)に出損(でそくな)つたのが一生の不覚、あれが抑(そもそ)も不運の貫一の躯(からだ)は、もう一遍鍛直(きたへなほ)して出て来るより外(ほか)為方が無い。この世の無念はその時霽(はら)す!」
 さしも遣る方無く悲(かなし)めりし貫一は、その悲を立(たちどこ)ろに抜くべき術(すべ)を今覚れり。看々(みるみる)涙の頬(ほほ)の乾(かわ)ける辺(あたり)に、異(あやし)く昂(あが)れる気有(きあ)りて青く耀(かがや)きぬ。
「宮、待つてゐろ、俺も死ぬぞ! 貴様の死んでくれたのが余り嬉いから、さあ、貫一の命も貴様に遣る! 来世(らいせ)で二人が夫婦に成る、これが結納(ゆひのう)だと思つて、幾久(いくひさし)く受けてくれ。貴様も定めて本望だらう、俺も不足は少しも無いぞ」
 さらば往きて汝(なんぢ)の陥りし淵(ふち)に沈まん。沈まば諸共(もろとも)と、彼は宮が屍(かばね)を引起して背(うしろ)に負へば、その軽(かろ)きこと一片(ひとひら)の紙に等(ひと)し。怪(あや)しと見返れば、更に怪し! 芳芬(ほうふん)鼻を撲(う)ちて、一朶(いちだ)の白百合(しろゆり)大(おほい)さ人面(じんめん)の若(ごと)きが、満開の葩(はなびら)を垂れて肩に懸(かか)れり。
 不思議に愕(おどろ)くと為れば目覚(めさ)めぬ。覚むれば暁の夢なり。
[#改ページ]

  続続金色夜叉


     第一章

 貫一が胸は益(ますます)苦(くるし)く成り愈(まさ)りぬ。彼を念(おも)ひ、これを思ふに、生きて在るべき心地はせで、寧(むし)ろかの怪(あやし)き夢の如く成りなんを、快からずやと疑へるなり。
 彼は空(むなし)く万事を抛(なげう)ちて、懊□(おうのう)の間に三日ばかりを過(すご)しぬ。
 これを語らんに人無く、愬(うつた)へんには友無く、しかも自ら拯(すく)ふべき道は有りや。有りとも覚えず、無しとは知れど、煩(わづら)ふ者の煩ひ、悩む者の悩みて縦(ほしいま)まなるを如何(いか)にせん。彼は実にこの昏迷乱擾(こんめいらんじよう)せる一根(いつこん)の悪障を抉去(くじりさ)りて、猛火に燬(や)かんことを冀(こひねが)へり。その時彼は死ぬべきなり。生か、死か。貫一の苦悶(くもん)は漸(やうや)く急にして、終(つひ)にこの問題の前に首(かうべ)を垂るるに至れり。
 値無き吾が生存は、又同(おなじ)く値無き死亡を以つて畢(を)へしむべき者か。悔に堪(た)へざる吾が生の値無かりしを結ばんには、これを償ふに足る可(べ)き死を以て為(せ)ざる可からざるか、或(あるひ)は、ここに過多(あやまちおほ)き半生の最期(さいご)を遂(と)げて、新(あらた)に他の値ある後半の復活を明日(みようにち)に計るべきか。
 彼は強(あなが)ちに死を避けず、又生を厭(いと)ふにもあらざれど、両(ふたつ)ながらその値無きを、私(ひそか)に屑(いさぎよ)しと為(せ)ざるなり。当面の苦は彼に死を勧め、半生の悔は耻(はぢ)を責めて仮さず。苦を抜かんが為に、我は値無き死を辞せざるべきか、過(あやまち)を償はんが為に、我は楽まざる生を忍ぶべきか。碌々(ろくろく)の生は易(やす)し、死は即(すなは)ち難(かた)し。碌々の死は易し、生は則(すなは)ち難し。我は悔いて人と成るべきか、死してその愚を完(まつた)うすべきか。
 貫一は活を求めて得ず、死を覓(もと)めて得ず、居れば立つを念(おも)ひ、立てば臥(ふ)すを想(おも)ひ、臥せば行くを懐(おも)ひ、寐(い)ぬれば覚め、覚むれば思ひて、夜もあらず、日もあらず、人もあらず、世もあらで、唯憂(ただうれ)ひ惑へる己一個(おのれひとり)の措所無(おきどころな)く可煩(わづらはし)きに悩乱せり。
 あだかもこの際抛(なげう)ち去るべからざる一件の要事は起りぬ。先に大口(おほぐち)の言込有(いひこみあ)りし貸付の緩々(だらだら)急に取引迫りて、彼は些(ちと)の猶予も無く、自ら野州(やしゆう)塩原なる畑下(はたおり)と云へる温泉場(おんせんじよう)に出向き、其処(そこ)に清琴楼(せいきんろう)と呼べる湯宿に就きて、密(ひそか)に云々(うんぬん)の探知すべき必要を生じたるなり。
 謂知(いひし)らず□(うるさ)しと腹立たれけれど、行懸(ゆきがかり)の是非無く、かつは難得(えがた)き奇景の地と聞及べば、少時(しばし)の憂(うさ)を忘るる事も有らんと、自ら努めて結束し、かの日より約(およそ)一週間の後、彼はほとほと進まぬ足を曳(ひ)きて家を出でぬ。その晨(あした)横雲白(よこぐもしろ)く明方(あけがた)の空に半輪の残月を懸けたり。一番列車を取らんと上野に向ふ俥(くるま)の上なる貫一は、この暁の眺矚(ながめ)に撲(うた)れて、覚えず悚然(しようぜん)たる者ありき。

     (一)の二

 車は駛(は)せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は易(かは)らざる他(そ)の悒鬱(ゆううつ)を抱(いだ)きて、遣(や)る方無き五時間の独(ひとり)に倦(う)み憊(つか)れつつ、始て西那須野(にしなすの)の駅に下車せり。
 直(ただ)ちに西北に向ひて、今尚(いまなほ)茫々(ぼうぼう)たる古(いにしへ)の那須野原(なすのがはら)に入(い)れば、天は濶(ひろ)く、地は遐(はるか)に、唯平蕪(ただへいぶ)の迷ひ、断雲の飛ぶのみにして、三里の坦途(たんと)、一帯の重巒(ちようらん)、塩原は其処(そこ)ぞと見えて、行くほどに跡(みち)は窮(きはま)らず、漸(やうや)く千本松を過ぎ、進みて関谷村(せきやむら)に到れば、人家の尽る処に淙々(そうそう)の響有りて、これに架(かか)れるを入勝橋(にゆうしようきよう)と為(な)す。
 輙(すなは)ち橋を渡りて僅(わづか)に行けば、日光冥(くら)く、山厚く畳み、嵐気(らんき)冷(ひややか)に壑深(たにふか)く陥りて、幾廻(いくめぐり)せる葛折(つづらをり)の、後には密樹(みつじゆ)に声々(せいせい)の鳥呼び、前には幽草(ゆうそう)歩々(ほほ)の花を発(ひら)き、いよいよ躋(のぼ)れば、遙(はるか)に木隠(こがくれ)の音のみ聞えし流の水上(みなかみ)は浅く露(あらは)れて、驚破(すは)や、ここに空山(くうざん)の雷(いかづち)白光(はつこう)を放ちて頽(くづ)れ落ちたるかと凄(すさま)じかり。道の右は山を□(き)りて長壁と成し、石幽(いしゆう)に蘚碧(こけあを)うして、幾条(いくすぢ)とも白糸を乱し懸けたる細瀑小瀑(ほそたきこたき)の珊々(さんさん)として濺(そそ)げるは、嶺上(れいじよう)の松の調(しらべ)も、定(さだめ)てこの緒(を)よりやと見捨て難し。
 俥を駆(か)りて白羽坂(しらはざか)を踰(こ)えてより、回顧橋(みかへりばし)に三十尺の飛瀑(ひばく)を□(ふ)みて、山中の景は始て奇なり。これより行きて道有れば、水有り、水有れば、必ず橋有り、全渓にして三十橋、山有れば巌有(いはあ)り、巌有れば必ず瀑(たき)有り、全嶺(ぜんれい)にして七十瀑。地有れば泉有り、泉有れば必ず熱有り、全村にして四十五湯。猶(なほ)数ふれば十二勝、十六名所、七不思議、誰(たれ)か一々探(さぐ)り得べき。
 抑(そもそ)も塩原の地形たる、塩谷郡(しおやごおり)の南より群峰の間を分けて深く西北に入(い)り、綿々として箒川(ははきがわ)の流に沂(さかのぼ)る片岨(かたそば)の、四里に岐(わか)れ、十一里に亙(わた)りて、到る処巉巌(ざんがん)の水を夾(はさ)まざる無きは、宛然(さながら)青銅の薬研(やげん)に瑠璃末(るりまつ)を砕くに似たり。先づ大網(おほあみ)の湯を過(すぐ)れば、根本山(ねもとやま)、魚止滝(うおどめのたき)、児(ちご)ヶ淵(ふち)、左靱(ひだりうつぼ)の険は古(ふ)りて、白雲洞(はくうんどう)は朗(ほがらか)に、布滝(ぬのだき)、竜(りゆう)ヶ鼻(はな)、材木石(ざいもくいし)、五色石(ごしきせき)、船岩(ふないわ)なんどと眺行(ながめゆ)けば、鳥井戸(とりいど)、前山(まえやま)の翠衣(みどりころも)に染みて、福渡(ふくわた)の里に入(い)るなり。
 途(みち)すがら前面(むかひ)の崖(がけ)の処々(ところどころ)に躑躅(つつじ)の残り、山藤の懸れるが、甚(はなは)だ興有りと目留まれば、又この辺(あたり)殊(こと)に谿浅(たにあさ)く、水澄みて、大いなる古鏡(こきよう)の沈める如く、深く蔽(おほ)へる岸樹(がんじゆ)は陰々として眠るに似たり。貫一は覚えず踏止りぬ。
 かの逆巻(さかま)く波に分け入りし宮が、息絶えて浮び出でたりし其処(そこ)の景色に、似たりとも酷(はなは)だ似たる岸の布置(たたずまひ)、茂(しげり)の状況(ありさま)、乃至(ないし)は漾(たた)ふる水の文(あや)も、透徹(すきとほ)る底の岩面(いはづら)も、広さの程も、位置も、趣(おもむき)も、子細に看来(みきた)ればいよいよ差(たが)はず。
 彼は眦(まなじり)を決(さ)きて寒慄(かんりつ)せり。
 怪(あやし)むべき哉(かな)、曾(かつ)て経(へ)たりし塲(ところ)をそのままに夢むる例(ためし)は有れ、所拠(よりどころ)も無く夢みし跡を、歴々(まざまざ)とかく目前に見ると云ふも有る事か。宮の骸(むくろ)の横(よこた)はりし処も、又は己(おのれ)の追来(おひき)し筋も、彼処(かしこ)よ、此処(ここ)よと、陰(ひそか)に一々指(ゆびさ)しては、限無(かぎりな)く駭(おどろ)けるなり。
 車夫を顧みて、処の名を問へば、不動沢(ふどうざわ)と言ふ。
 物可恐(ものおそろ)しげなる沢の名なるよ。げに思へば、人も死ぬべき処の名なり。我も既に死なんとせしがと、さすが現(うつつ)の身にも沁(し)む時、宮にはあらで山百合(やまゆり)の花なりし怪異を又懐(おも)ひて、彼は肩頭(かたさき)寒く顫(ふる)ひぬ。
 卒(にはか)に踵(きびす)を回(かへ)して急げば、行路(ゆくて)の雲間に塞(ふさが)りて、咄々(とつとつ)、何等(なんら)の物か、と先(まづ)驚(おどろ)かさるる異形(いぎよう)の屏風巌(びようぶいは)、地を抜く何百丈(じよう)と見挙(みあぐ)る絶頂には、はらはら松も危(あやふ)く立竦(たちすく)み、幹竹割(からたけわり)に割放(さきはな)したる断面は、半空(なかそら)より一文字に垂下(すいか)して、岌々(きゆうきゆう)たるその勢(いきほひ)、幾(ほとん)ど眺(なが)むる眼(まなこ)も留(とま)らず。
 貫一は惘然(ぼうぜん)として佇(たたず)めり。
 彼が宮を追ひて転(まろ)び落ちたりし谷間の深さは、正(まさ)にこの天辺(てつぺん)の高きより投じたらんやうに、冉々(せんせん)として虚空を舞下(まひくだ)る危惧(きぐ)の堪難(たへがた)かりしを想へるなり。
 我(われ)未(いま)だ甞(かつ)て見ざりつる絶壁! 危(あやふ)しとも、可恐(おそろ)しとも、夢ならずして争(いかで)か飛下り得べき。又この人並(ひとなみ)ならぬ雲雀骨(ひばりぼね)の粉微塵(こなみじん)に散つて失(う)せざりしこそ、洵(まこと)に夢なりけれと、身柱(ちりけ)冷(ひやや)かに瞳(ひとみ)を凝(こら)す彼の傍(かたはら)より、これこそ名にし負ふ天狗巌(てんぐいわ)、と為(し)たり貌(がほ)にも車夫は案内(あない)す。
 貫一はかの夢の奇なりしより、更に更に奇なるこの塩原の実覚をば疑ひ懼(おそ)れつつ立尽せり。
 既に如此(かくのごと)くなれば、怪は愈(いよい)よ怪に、或(あるひ)は夢中に見たりし踪(あと)の猶(なほ)着々(ちやくちやく)活現し来(きた)りて、飽くまで我を脅(おびやか)さざれば休(や)まざらんと為るにあらずや、と彼は胸安からずも足に信(まか)せて、かの巌(いはほ)の頭上に聳(そび)ゆる辺(あたり)に到れば、谿(たに)急に激折して、水これが為に鼓怒(こど)し、咆哮(ほうこう)し、噴薄激盪(げきとう)して、奔馬(ほんば)の乱れ競(きそ)ふが如し。この乱流の間に横(よこた)はりて高さ二丈に余り、その頂(いただき)は平(たひらか)に濶(ひろが)りて、寛(ゆたか)に百人を立たしむべき大磐石(だいばんじやく)、風雨に歳経(としふ)る膚(はだへ)は死灰(しかい)の色を成して、鱗(うろこ)も添はず、毛も生ひざれど、状(かたち)可恐(おそろ)しげに蹲(うづくま)りて、老木の蔭を負ひ、急湍(きゆうたん)の浪(なみ)に漬(ひた)りて、夜な夜な天狗巌の魔風(まふう)に誘はれて吼(ほ)えもしぬべき怪しの物なり。
 その古(いにしへ)蒲生飛騨守氏郷(がもうひだのかみうじさと)この処に野立(のだち)せし事有るに因(よ)りて、野立石(のだちいし)とは申す、と例のが説出(ときいだ)すを、貫一は頷(うなづ)きつつ、目を放たず打眺(うちなが)めて、独り窃(ひそか)に舌を巻くのみ。
 彼は実(げ)に壑間(たにま)の宮を尋ぬる時、この大石(たいせき)を眼下に窺ひ見たりしを忘れざるなり。
 又は流るる宮を追ひて、道無きに困(くるし)める折、左右には水深く、崖高く、前には攀(よ)づべからざる石の塞(ふさが)りたるを、攀(よ)ぢて半(なかば)に到りて進退谷(きはま)りつる、その石もこれなりけん、と肩は自(おのづ)と聳(そび)えて、久く留(とどま)るに堪(た)へず。
 数歩(すほ)を行けば、宮が命を沈めしその淵(ふち)と見るべき処も、彼が釈(と)けたる帯を曳(ひ)きしその巌(いはほ)も、歴然として皆在らざるは無し! 貫一が髪毛(かみのけ)は針(はり)の如く竪(た)ちて戦(そよ)げり。彼の思は前夜の悪夢を反復(くりかへ)すに等(ひとし)き苦悩を辞する能はざればなり。
 夢ながら可恐(おそろし)くも、浅ましくも、悲くも、可傷(いたまし)くも、分(わ)く方無くて唯一図に切なかりしを、事もし一塲の夢にして止(とどま)らざらんには、抑(そもそ)も如何(いかん)! 今や塩原の実景は一々(いちいち)夢中の見るところ、然らばこの景既に夢ならず! 思掛(おもひが)けずもここに来にける吾身もまた夢ならず! 但(ただ)夢に欠く者とては宮一箇(ひとり)のみ。纔(わづか)に彼のここに来(きた)らざるのみ□
 貫一はかく思到りて、我又夢に入りたるにあらざるかと疑はんとも為つ。夢ならずと為(せ)ば、我は由無(よしな)き処に来にけるよ。幸(さいはひ)に夢に似る事無くてあれかし。異(あや)しとも甚(はなは)だ異し! 疾(と)く往きて、疾く還(かへ)らんと、遽(にはか)に率(ひきゐ)し俥(くるま)に乗りて、白倉山(しらくらやま)の麓(ふもと)、塩釜(しおがま)の湯(ゆ)、高尾塚(たかおづか)、離室(はなれむろ)、甘湯沢(あまゆざわ)、兄弟滝(あにおととのたき)、玉簾瀬(たまだれのせ)、小太郎淵(こたろうがぶち)、路(みち)の頭(ほとり)に高きは寺山(てらやま)、低きに人家の在る処、即ち畑下戸(はたおり)。

     第二章

 一村十二戸、温泉は五箇所に涌(わ)きて、五軒の宿あり。ここに清琴楼と呼べるは、南に方(あた)りて箒川(ははきがわ)の緩(ゆる)く廻(めぐ)れる磧(かはら)に臨み、俯(ふ)しては、水石(すいせき)の□々(りんりん)たるを弄(もてあそ)び、仰げば西に、富士、喜十六(きじゆうろく)の翠巒(すいらん)と対して、清風座に満ち、袖(そで)の沢を落来(おちく)る流は、二十丈の絶壁に懸りて、素□(ねりぎぬ)を垂れたる如き吉井滝(よしいのたき)あり。東北は山又山を重ねて、琅□(ろうかん)の玉簾(ぎよくれん)深く夏日の畏(おそ)るべきを遮(さへぎ)りたれば、四面遊目(ゆうもく)に足りて丘壑(きゆうかく)の富を擅(ほしいまま)にし、林泉の奢(おごり)を窮(きは)め、又有るまじき清福自在の別境なり。
 貫一はこの絵を看(み)る如き清穏(せいおん)の風景に値(あ)ひて、かの途上(みちすがら)険(けはし)き巌(いはほ)と峻(さかし)き流との為に幾度(いくたび)か魂(こん)飛び肉銷(にくしよう)して、理(をさ)むる方(かた)無く掻乱(かきみだ)されし胸の内は靄然(あいぜん)として頓(とみ)に和(やはら)ぎ、恍然(こうぜん)として総(すべ)て忘れたり。
 彼は以為(おもへ)らく。
 誠に好くこそ我は来(き)つれ! なんぞ来(きた)るの甚(はなは)だ遅かりし。山の麗(うるは)しと謂(い)ふも、壌(つち)の堆(うづたか)き者のみ、川の暢(のどけ)しと謂ふも、水の逝(ゆ)くに過ぎざるを、牢(ろう)として抜く可からざる我が半生の痼疾(こしつ)は、争(いか)で壌(つち)と水との医(い)すべき者ならん、と歯牙(しが)にも掛けず侮(あなど)りたりし己(おのれ)こそ、先づ侮らるべき愚(おろか)の者ならずや。
 看(み)よ、看よ、木々の緑も、浮べる雲も、秀(ひいづ)る峰も、流るる渓(たに)も、峙(そばだ)つ巌(いはほ)も、吹来(ふきく)る風も、日の光も、鶏(とり)の鳴く音(ね)も、空の色も、皆自(おのづか)ら浮世の物ならで、我はここに憂(うれひ)を忘れ、悲(かなしみ)を忘れ、苦(くるしみ)を忘れ、労(つかれ)を忘れて、身はかの雲と軽く、心は水と淡く、希(こひねが)はくは今より如此(かくのごと)くして我生を了(をは)らん哉(かな)。
 恋も有らず、怨(うらみ)も有らず、金銭(ぜに)も有らず、権勢も有らず、名誉も有らず、野心も有らず、栄達も有らず、堕落も有らず、競争も有らず、執着も有らず、得意も有らず、失望も有らず、止(た)だ天然の無垢(むく)にして、形骸(けいがい)を安きのみなるこの里、我思(わがおもひ)を埋(うづ)むるの里か、吾骨を埋るの里か。
 性来多く山水の美に親(したし)まざりし貫一は、殊(こと)に心の往くところを知らざるばかりに愛(め)で悦(よろこ)びて、清琴楼の二階座敷に案内(あない)されたれど、内には入(い)らで、始より滝に向へる欄干(らんかん)に倚(よ)りて、偶(たまた)ま人中を迷ひたりし子の母の親にも逢(あ)ひけんやうに、少時(しばし)はその傍(かたはら)を離れ得ざるなりき。
 楼前の緑は漸(やうや)く暗く、遠近(をちこち)の水音冱(さ)えて、はや夕暮(ゆふく)るる山風の身に沁(し)めば、先づ湯浴(ゆあみ)などせばやと、何気無く座敷に入りたる彼の眼(まなこ)を、又一個(ひとつ)驚かす物こそあれ。
 鞄(かばん)を置いたる床間(とこのま)に、山百合(やまゆり)の花のいと大きなるを唯(ただ)一輪棒挿(ぼうざし)に活(い)けたるが、茎形(くきなり)に曲(くね)り傾きて、あたかも此方(こなた)に向へるなり。
 貫一は覚えず足を踏止めて、その□(みは)れる眼(まなこ)を花に注ぎつ。宮ははやここに居たりとやうに、彼は卒爾(そつじ)の感に衝(つか)れたるなり。
 既に幾処(いくところ)の実景の夢と符合するさへ有るに、またその殊に夢の夢なる一本(ひともと)百合のここに在る事、畢竟(ひつきょう)偶合に過ぎずとは謂へ、さりとては余りにかの夢とこの旅との照応急に、因縁深きに似て、などかくは我を驚かすの太甚(はなはだし)き!
 奇を弄(ろう)して益(ますます)出づる不思議に、彼は益懼(おそれ)を作(な)して、或(あるひ)はこの裏(うち)に天意の測り難き者有るなからんや、とさすがに惑ひ苦めり。
 やがて傍近(そばちか)く寄りて、幾許(いかばかり)似たると眺(なが)むれば、打披(うちひら)ける葩(はなびら)は凛(りん)として玉を割(さ)いたる如く、濃香芬々(ふんふん)と迸(ほとばし)り、葉色に露気(ろき)有りて緑鮮(みどりあざやか)に、定(さだめ)て今朝(けさ)や剪(き)りけんと覚(おぼし)き花の勢(いきほひ)なり。
 少(しばら)く楽まされし貫一も、これが為に興冷(きようさ)めて、俄(にはか)に重き頭(かしら)を花の前に支へつつ、又かの愁(うれひ)を徐々に喚起(よびおこ)さんと為つ。
「お風呂へ御案内申しませう」
 その声に彼は婢(をんな)を見返りて、
「ああ、姐(ねえ)さん、この花を那裏(そつち)へ持つて行つておくれでないか」
「はあ、その花で御座いますか。旦那(だんな)様は百合の花はお嫌(きら)ひで?」
「いや、匂(にほひ)が強くて、頭痛がして成らんから」
「さやうで御座いますか。唯今直(ぢき)に片付けますです。これは唯(たつた)一つ早咲(はやざき)で、珍(めづらし)う御座いましたもんですから、先程折つてまゐつて、徒(いたづら)に挿して置いたんで御座います」
「うう、成程、早咲だね」
「さやうで御座います。来月あたりに成りませんと、余り咲きませんので、これが唯(たつた)一つ有りましたんで、紛(まぐ)れ咲(ざき)なので御座いますね」
「うう紛れ咲、さうだね」
「御案内致しませう」
 風呂場に入(い)れば、一箇(ひとり)の客先(まづ)在りて、未(ま)だ燈点(ひとも)さぬ微黯(うすくらがり)の湯槽(ゆぶね)に漬(ひた)りけるが、何様人の来(きた)るに駭(おどろ)けると覚(おぼし)く、甚(はなは)だ忙(せは)しげに身を起しつ。貫一が入れば、直(ぢき)に上ると斉(ひとし)く洗塲(ながし)の片隅(かたすみ)に寄りて、色白き背(そびら)を此方(こなた)に向けたり。
 年紀(としのころ)は二十七八なるべきか。やや孱弱(かよわ)なる短躯(こづくり)の男なり。頻(しきり)に左視右胆(とみかうみ)すれども、明々地(あからさま)ならぬ面貌(おもて)は定(さだ)かに認め難かり。されども、自(おのづか)ら見識越(みしりごし)ならぬは明(あきらか)なるに、何が故(ゆゑ)に人目を避(さく)るが如き態(かたち)を作(な)すならん。華車(きやしや)なる形成(かたちづくり)は、ここ等辺(らあたり)の人にあらず、何人(なにびと)にして、何が故になど、貫一は徒(いたづら)に心牽(こころひか)れてゐたり。
 やがて彼が出づれば、待ちけるやうに男は入替りて、なほ飽くまで此方(こなた)を向かざらんと為つつ、蕭索(しめやか)に浴(ゆ)を行(つか)ふ音を立つるのみ。
 その膚(はだ)の色の男に似気無(にげな)く白きも、その骨纖(ほねほそ)に肉の痩(や)せたるも、又はその挙動(ふるまひ)の打湿(うちしめ)りたるも、その人を懼(おそ)るる気色(けしき)なるも、総(すべ)て自(おのづか)ら尋常(ただ)ならざるは、察するに精神病者の類(たぐひ)なるべし。さては何の怪むところ有らん。節は初夏の未(ま)だ寒き、この寥々(りようりよう)たる山中に来(きた)り宿(とま)れる客なれば、保養鬱散の為ならずして、湯治の目的なるを思ふべし。誠にさなり、彼は病客なるべきをと心釈(こころと)けては、はや目も遣らずなりける間(ひま)に、男は浴(ゆあ)み果てて、貸浴衣(かしゆかた)引絡(ひきまと)ひつつ出で行きけり。
 暮色はいよいよ濃(こまやか)に、転激(うたたはげし)き川音の寒さを添ふれど、手寡(てずくな)なればや燈(あかり)も持来(きた)らず、湯香(ゆのか)高く蒸騰(むしのぼ)る煙(けむり)の中に、独(ひと)り影暗く蹲(うづくま)るも、少(すこし)く凄(すさまじ)き心地して、程無く貫一も出でて座敷に返れば、床間(とこのま)には百合の花も在らず煌々(こうこう)たる燈火(ともしび)の下に座を設け、膳(ぜん)を据ゑて傍(かたはら)に手焙(てあぶり)を置き、茶器食籠(じきろう)など取揃(とりそろ)へて、この一目さすがに旅の労(つかれ)を忘るべし。
 先づ衣桁(いこう)に在りける褞袍(どてら)を被(かつ)ぎ、夕冷(ゆふびえ)の火も恋(こひし)く引寄せて莨(たばこ)を吃(ふか)しゐれば、天地静(しづか)に石走(いはばし)る水の響、梢(こずゑ)を渡る風の声、颯々淙々(さつさつそうそう)と鳴りて、幽なること太古の如し。
 乍(たちま)ちはたはたと跫音(あしおと)長く廊下に曳(ひ)いて、先のにはあらぬ小婢(こをんな)の夕餉(ゆふげ)を運び来(きた)れるに引添ひて、其処(そこ)に出でたる宿の主(あるじ)は、
「今日(こんにち)は好(よ)うこそ御越(おこ)し下さいまして、さぞ御労様(おつかれさま)でゐらつしやいませうで御座ります。ええ、又唯今程は格別に御茶料を下(くだ)し置れまして、甚(はなは)だ恐入りました儀で、難有(ありがた)う存じまして、厚く御礼を申上げまするで御座います。
 ええ前以(ぜんもつ)てお詑(わび)を申上げ置きまするのは、召上り物のところで御座りまして一向はや御覧の通何も御座りませんで、誠に相済みません儀で御座いまするが、実は、未だ些(ちよつ)と時候もお早いので、自然お客様のお越(こし)も御座りませんゆゑ、何分用意等(とう)も致し置きませんやうな次第で、然し、一両日(いちりようにち)中にはお麁末(そまつ)ながら何ぞ差上げまするやうに取計ひまするで御座いますで、どうぞ、まあ今明日(こんみようにち)のところは御勘弁を下さいまして、御寛(ごゆるり)と御逗留(ごとうりゆう)下さいまするやうに。――これ、早う御味噌汁(おみおつけ)をお易(か)へ申して来ないか」
 主(あるじ)の辞し去りて後、貫一は彼の所謂(いはゆる)何も無き、椀(わん)も皿も皆黄なる鶏子一色(たまごいつしき)の膳に向へり。
「内にはお客は今幾箇(いくたり)有るのだね」
「這箇(こちら)の外にお一方(ひとかた)で御座りやす」
「一箇(ひとり)? あのお客は単身(ひとり)なのか」
「はい」
「先(さつき)に湯殿で些(ちよつ)と遇(あ)つたが、男の客だよ」
「さよで御座りやす」
「あれは病人だね」
「どうで御座りやすか。――そんな事無(ね)えで御座りやせう」
「さうかい。何処(どこ)も不良(わる)いところは無いやうかね」
「無(ね)えやうで御座りやすな」
「どうも病人のやうだが、さうでないかな」
「ああ、旦那様はお医者様で御座りやすか」
 貫一は覚えず噴飯(ふんぱん)せんと為つつ、
「成程、好い事を言ふな。俺は医者ぢやないけれど、どうも見たところが病人のやうだから、さうぢやないかと思つたのだ。もう長く来てゐるお客か」
「いんえ、昨日(きのふ)お出(いで)になりやしたので」
「昨日来たのだ? 東京の人か」
「はい、日本橋の方のお方で御座りやす」
「それぢや商人(あきんど)か」
「私能く知りやせん」
「どうだ、お前達と懇意にして話をするか」
「そりやなさりやす」
「俺と那箇(どつち)が為る」
「旦那様とですけ? そりや旦那様のやうにはなさりやせん」
「うむ、さうすると、俺の方がお饒舌(しやべり)なのだな」
「あれ、さよぢや御座りやせんけれど、那裏(あちら)のお客様は黙つてゐらつしやる方が多う御座りやす。さうして何でもお連様(つれさま)が直(ぢき)にいらしやる筈(はず)で、それを、まあ酷(えら)う待つてお在(いで)なさりやす」
「おお、伴(つれ)が後から来るのか。いや、大きに御馳走(ごちそう)だつた」
「何も御座りやせんで、お麁末様(そまつさま)で御座りやす」
 婢(をんな)は膳を引きて起ちぬ。貫一は顛然(ころり)と臥(ね)たり。
 二十間も座敷の数有る大構(おほがまへ)の内に、唯二人の客を宿せるだに、寂寥(さびしさ)は既に余んぬるを、この深山幽谷の暗夜に蔽(おほは)れたる孤村の片辺(かたほとり)に倚(よ)れる清琴楼の間毎に亘(わた)る長廊下は、星の下行く町の小路より、幾許(いかばかり)心細くも可恐(おそろし)き夜道ならんよ。戸一重外(とひとへそと)には、山颪(やまおろし)の絶えずおどろおどろと吹廻(ふきめぐ)りて、早瀬の波の高鳴(たかなり)は、真に放鬼の名をも懐(おも)ふばかり。
 折しも唾壺(はひふき)打つ音は、二間(ふたま)ばかりを隔てて甚だ蕭索(しめやか)に聞えぬ。
 貫一は何(なに)の故(ゆゑ)とも知らで、その念頭を得放れざるかの客の身の上をば、独り様々に案じ入りつつ、彼既に病客ならず、又我が識(し)る人ならずと為(せ)ば、何を以つて人を懼(おそ)るる態(かたち)を作(な)すならん。抑(そもそ)も彼は何者なりや。又何の尤(とが)むるところ有りて、さばかり人を懼るるや。
 貫一はこの秘密の鑰(かぎ)を獲んとして、左往右返(とさまかうさま)に暗中摸索(もさく)の思(おもひ)を費すなりき。

     (二)の二

 明(あく)る朝(あした)の食後、貫一は先(ま)づこの狭き畑下戸(はたおり)の隅々(すみずみ)まで一遍(ひとわたり)見周(みめぐ)りて、略(ほ)ぼその状況を知るとともに、清琴楼の家格(いへがら)を考へなどして、磧(かはら)に出づれば、浅瀬に架(かか)れる板橋の風情(ふぜい)面白く、渡れば喜十六の山麓(さんろく)にて、十町ばかり登りて須巻(すまき)の滝(たき)の湯有りと教へらるるままに、遂(つひ)に其処(そこ)まで往きて、午(ひる)近き頃宿に帰りぬ。
 汗を流さんと風呂場に急ぐ廊下の交互(すれちがひ)に、貫一はあたかもかの客の湯上りに出会へり。こたびも彼は面(おもて)を見せじとやうに、慌忙(あわただし)く打背(うちそむ)きて過行くなり。
 今は疑ふべくもあらず、彼は正(まさし)く人目を避けんと為るなり。則(すなは)ち人を懼るるなり。故は、自ら尤(とがむ)るなり。彼は果して何者ならん、と貫一は愈(いよい)よ深く怪みぬ。
 昨日(きのふ)こそ誰乎彼(たそがれ)の黯□(くらがり)にて、分明(さやか)に面貌(かほかたち)を弁ぜざりしが、今の一目は、躬(みづから)も奇なりと思ふばかり奇(くし)くも、彼の不用意の間(うち)に速写機の如き力を以てして、その映じ来(きた)りし形を総(すべ)て脱(のが)さず捉(とら)へ得たりしなり。
 貫一はその相貌(そうぼう)の瞥見(べつけん)に縁(よ)りて、直(ただ)ちに彼の性質を占(うらな)はんと試(こころむ)るまでに、いと善く見極(みきは)めたり。されども、いかにせん、彼の相するところは始に疑ひしところと頗(すこぶ)る一致せざる者有り。彼若(も)し実(まこと)に人を懼るると為(せ)ば、彼の人を懼るる所以(ゆゑん)と、我より彼の人を懼るる所以と為(な)す者とは、或(あるひ)は稍(やや)趣(おもむき)を異(こと)にせざらんや。又想ふに、彼は決して自ら尤(とがむ)るところなど有るに非ずして、止(た)だその性(せい)の多羞(シャイ)なるが故のみか、未だ知るべからず。この二者(ふたつ)の前(さき)のをも取り難く、さすがに後のにも頷(うなづ)きかねて、彼は又新(あらた)に打惑(うちまど)へり。
 午飯(ひるめし)の給仕には年嵩(としかさ)の婢(をんな)出でたれば、余所(よそ)ながらかの客の事を問ひけるに、箸(はし)をも取らで今外に出で行きしと云ふ。
「はあ、飯(めし)も食はんで? 何処(どこ)へ行つたのかね」
「何でも昨日(きのふ)あたりお連様(つれさま)がお出(いで)の筈(はず)になつてをりましたので御座いませう。それを大相お待ちなすつてゐらつしやいましたところが、到頭お着が無いもんで御座いますから、今朝(けさ)から御心配遊(あそば)して、停車場(ステエション)まで様子を見がてら電報を掛けに行くと有仰(おつしや)いまして、それでお出ましに成つたので御座います」
「うむ、それは心配だらう。能く有る事だ。然し、飯も食はずに気を揉(も)んでゐるとは、どう云ふ伴(つれ)なのかな。――年寄(としより)か、婦(をんな)ででもあるか」
「如何(いかが)で御座いますか」
「お前知らんのか」
「私(わたくし)存じません」
 彼は覚えず小首を傾(かたむ)くれば、
「旦那(だんな)も大相御心配ぢや御座いませんか」
「さう云ふ事を聞くと、俺(おれ)も気になるのだ」
「ぢや旦那も余程(よつぽど)苦労性の方ですね」
「大きにさうだ」
「それぢやお連様がいらしつて見て、お年寄か、お友達なら宜(よろし)う御座いますけれど、もしも、ねえ、貴方(あなた)、お美(うつくし)い方か何かだつた日には、それこそ旦那は大変で御座いますね」
「どう大変なのか」
「又御心配ぢや御座いませんか」
「うむ、大きにこれはさうだ」
 風恬(かぜしづか)に草香(かを)りて、唯居るは惜き日和(ひより)に奇痒(こそばゆ)く、貫一は又出でて、塩釜の西南十町ばかりの山中なる塩の湯と云ふに遊びぬ。還(かへ)れば寂(さびし)く夕暮るる頃なり。例の如く湯に入(い)りて、上(あが)れば直(ぢき)に膳(ぜん)を持出(もちい)で、燈(あかし)も漸く耀(かがや)きしに、かの客、未(いま)だ帰り来(こ)ず、
「閑寂(しづか)なのも可いけれど、外に客と云ふ者が無くて、全(まる)でかう独法師(ひとりぼつち)も随分心細いね」
 託言(かごと)がましく貫一は言出づれば、
「さやうでゐらつしやいませう、何と申したつてこの山奥で御座いますから。全体旦那がお一人でゐらつしやると云ふお心懸(こころがけ)が悪いので御座いますもの、それは為方が御座いません」
 婢はわざとらしう高笑(たかわらひ)しつ。
「成程、これは恐入つた。今度から善く心得て置く事だ」
「今度なんて仰有(おつしや)らずに、旦那も明日(あした)あたり電信でお呼寄(よびよせ)になつたら如何(いかが)で御座います」
「五十四になる老婢(ばあや)を呼んだつて、お前、始らんぢやないか」
「まあ、旦那はあんな好い事を言つてゐらつしやる。その老婢さんの方でないのをお呼びなさいましよ」
「気の毒だが、内にはそれつきりより居ないのだ」
「ですから、旦那、づつと外(ほか)にお在んなさるので御座いませう」
「そりや外には幾多(いくら)でも在るとも」
「あら、御馳走で御座いますね」
「なあに、能く聴いて見ると、それが皆(みんな)人の物ださうだ」
「何ですよ、旦那。貴方、本当の事を有仰(おつしや)るもんですよ」
「本当にも嘘(うそ)にもその通だ。私(わたし)なんぞはそんな意気な者が有れば、何為(なにし)にこんな青臭い山の中へ遊びに来るものか」
「おや! どうせ青臭い山の中で御座います」
「青臭いどころか、お前、天狗巌(てんぐいわ)だ、七不思議だと云ふ者が有る、可恐(おそろし)い山の中に違無いぢやないか。そこへ彷徨(のそのそ)、閑(ひま)さうな貌(かほ)をして唯一箇(たつたひとり)で遣(や)つて来るなんぞは、能々(よくよく)の間抜(まぬけ)と思はなけりやならんよ」
「それぢや旦那は間抜なのぢや御座いませんか。そんな解らない事が有るものですか」
「間抜にも大間抜よ。宿帳を御覧、東京間抜(まぬけ)一人(いちにん)と附けて在る」
「その傍(そば)に小く、下女塩原間抜一人と、ぢや附けさせて戴(いただ)きませう」
「面白い事を言ふなあ、おまへは」
「やつぱり少し抜けてゐる所為(せゐ)で御座います」
 彼は食事を了(をは)りて湯浴(ゆあみ)し、少焉(しばらく)ありて九時を聞きけれど、かの客は未(いま)だ帰らず。寝床に入(い)りて、程無く十時の鳴りけるにも、水声空(むなし)く楼を繞(めぐ)りて、松の嵐の枕上(ちんじよう)に落つる有るのみなり。
 始よりその人を怪まざらんにはこの咎(とが)むるに足らぬ瑣細(ささい)の事も、大いなる糢糊(もこ)の影を作(な)して、いよいよ彼が疑(うたがひ)の眼(まなこ)を遮(さへぎ)り来(きた)らんとするなりけり。貫一はほとほと疑ひ得らるる限疑ひて、躬(みづから)も其の妄(ぼう)に過(すぐ)るの太甚(はなはだし)きを驚けるまでに至りて、始て罷(や)めんと為たり。
 これに亜(つ)いで、彼は抑(そもそ)も何の故(ゆゑ)有りて、肥瘠(ひせき)も関せざるかの客に対して、かくばかり軽々しく思を費し、又念(おもひ)を懸(かく)るの固執なるや、その謂無(いはれな)き己(おのれ)をば、敢て自ら解かんと試みつ。
 されども、人は往々にして自ら率(ひきゐ)るその己を識る能はず。貫一は抑へて怪まざらんと為(せ)ば、理に於て怪まずしてあるべきを信ずるものから、又幻視せるが如きその大いなる影の冥想(めいそう)の間に纏綿(てんめん)して、或(あるひ)は理外に在る者有る無からんや、と疑はざらんと為る傍(かたはら)より却(かへ)りて惑(まどは)しむるなり。
 表階子(おもてばしご)の口に懸(かか)れる大時計は、病み憊(つか)れたるやうの鈍き響を作(な)して、廊下の闇(やみ)に彷徨(さまよ)ふを、数ふれば正(まさ)に十一時なり。
 かの客はこの深更(しんこう)に及べども未(いま)だ帰り来(こ)ず。
 彼は帰り来らざるなるか、帰り得ざるなるか、帰らざるなるかなど、又思放(おもひはな)つ能はずして、貫一は寝苦(ねぐるし)き枕を頻回(あまたたび)易(か)へたり。今や十二時にも成りなんにと心に懸けながら、その音は聞くに及ばずして遂(つひ)に眠(ねむり)を催せり。日高(ひだか)き朝景色の前に起出づれば、座敷の外を小婢(こをんな)は雑巾掛(ぞうきんがけ)してゐたり。
「お早う御座りやす」
「睡(ねむ)さうな顔をしてゐるな」
「はい、昨夜(よんべ)那裏(あちら)のお客様がお帰(かへり)になるかと思つて、遅うまで待つてをりやしたで、今朝睡うござりやす」
「ああ、あのお客は昨夜(ゆふべ)は帰らずか」
「はい、お帰(かへり)が御座りやせん」
 貫一はかの客の間の障子を開放(あけはな)したるを見て、咥楊枝(くはへようじ)のまま欄杆伝(てすりづた)ひに外(おもて)を眺め行く態(ふり)して、その前を過(すぐ)れば、床の間に小豆革(あづきがは)の手鞄(てかばん)と、浅黄(あさぎ)キャリコの風呂敷包とを並(なら)べて、傍(そば)に二三枚の新聞紙を引※(ひつつく)[#「捏」の「日」に代えて「臼」、418-16]ね、衣桁(いこう)に絹物の袷(あはせ)を懸けて、その裾(すそ)に紺の靴下を畳置きたり。
 さては少(すこし)く本意無(ほいな)きまでに、座敷の内には見出(みいだ)すべき異状も有らで、彼は宿帳に拠(よ)りて、洋服仕立商なるを知りたると、敢(あへ)て背(そむ)くところ有りとも覚えざるなりき。
 拍子抜して返(もど)れる貫一は、心私(こころひそか)にその臆測の鑿(いりほが)なりしを□(は)ぢざるにもあらざれど、又これが為に、直(ただ)ちに彼の濡衣(ぬれぎぬ)を剥去(はぎさ)るまでに釈然たる能はずして、好し、この上はその待人(まちびと)の如何(いか)なる者なるかを見て、疑は決すべしと、やがてその消息を齎(もたら)し来(きた)るべき彼の帰来(かへり)の程を、陰ながら最更(いとさら)に遅しと待てり。
 夜は山精木魅(さんせいもくび)の出でて遊ぶを想はしむる、陰森凄幽(いんしんせいゆう)の気を凝(こら)すに反してこの霽朗(せいろう)なる昼間の山容水態は、明媚(めいび)争(いかで)か画(が)も如(し)かん、天色大気も殆(ほとん)ど塵境以外(じんきよういがい)の感無くんばあらず。黄金(こがね)を織作(おりな)せる羅(うすもの)にも似たる麗(うるはし)き日影を蒙(かうむ)りて、万斛(ばんこく)の珠を鳴す谷間の清韻を楽みつつ、欄頭(らんとう)の山を枕に恍惚(こうこつ)として消ゆらんやうに覚えたりし貫一は、急遽(あわただし)き跫音(あしおと)の廊下を動(うごか)し来(きた)るに駭(おどろか)されて、起回(おきかへ)りさまに頭(かしら)を捻向(ねぢむく)れば、何事とも知らず、年嵩(としかさ)の婢(をんな)の駈着(かけつく)るなり。
「些(ちよい)と旦那、参りましたよ、参りましたよ! 早くいらしつて御覧なさいまし。些と早く」
「何が来たのだ」
「何でも可いんですから、早くいらつしやいましよ」
「何だ、何だよ」
「早く階子(はしご)の所へいらしつて御覧なさい」
「おお、あの客が還つたのか」
 彼ははや飛ぶが如くに引返して、貫一の言(ことば)は五間も後に残されたり。彼が注進の模様は、見るべき待人を伴ひ帰れるならんをと、直(す)ぐに起ちて表階子(おもてはしご)の辺(あたり)に行く時、既に晩(おそ)し両箇(ふたり)の人影は欄(てすり)の上に顕(あらは)れたり。
 鍔広(つばひろ)なる藍鼠(あゐねずみ)の中折帽(なかをれぼう)を前斜(まへのめり)に冠(かむ)れる男は、例の面(おもて)を見せざらんと為れど、かの客なり。引連れたる女は、二十歳(はたち)を二つ三つも越したる可(べ)し。銀杏返(いてふがへし)を引約(ひつつ)めて、本甲蒔絵(ほんこうまきゑ)の挿櫛(さしぐし)根深(ねぶか)に、大粒の淡色瑪瑙(うすいろめのう)に金脚(きんあし)の後簪(うしろざし)、堆朱彫(ついしゆぼり)の玉根掛(たまねがけ)をして、鬢(びん)の一髪(いつぱつ)をも乱さず、極(きは)めて快く結ひ做(な)したり。葡萄茶(えびちや)の細格子(ほそごうし)の縞御召(しまおめし)に勝色裏(かついろうら)の袷(あはせ)を着て、羽織は小紋縮緬(こもんちりめん)の一紋(ひとつもん)、阿蘭陀(オランダ)模様の七糸(しつちん)の袱紗帯(ふくさおび)に金鎖子(きんぐさり)の繊(ほそ)きを引入れて、嬌(なまめかし)き友禅染の襦袢(じゆばん)の袖(そで)して口元を拭(ぬぐ)ひつつ、四季袋(しきぶくろ)を紐短(ひもみじ)かに挈(さ)げたるが、弗(ふ)と此方(こなた)を見向ける素顔の色蒼(あを)く、口の紅(べに)も点(さ)さで、やや裏寂(うらさびし)くも花の咲過ぎたらんやうの蕭衰(やつれ)を帯びたれど、美目の盻(へん)たる色香(いろか)尚濃(なほこまやか)にして、漫(そぞ)ろ人に染むばかりなり。
 両箇(ふたり)は彼の見る目の顕露(あらは)なるに気怯(きおくれ)せる様子にて、先を争ふ如く足早に過行きぬ。貫一もまたその逢着(ほうちやく)の唐突なるに打惑ひて、なかなか精(くはし)く看るべき遑(いとま)あらざりけれど、その女は万々彼の妻なんどにはあらじ、と独(ひと)り合点せり。

     第三章

 かの男女(なんによ)は□(いと)しさに堪(た)へざらんやうに居寄りて、手に手を交(まじ)へつつ密々(ひそやか)に語れり。
「さうなの、だから私はどんなに心配したか知れやしない。なかなか貴方(あなた)がここで想つてゐるやうな訳に行きは為(し)ませんとも。そりや貴方の心配もさうでせうけれど、私の心配と云つたら、本当に無かつたの。察しるが可(い)いつて、そりや貴方、お互ぢやありませんか。吁(ああ)、私は今だに胸が悸々(どきどき)して、後から追掛(おつか)けられるやうな気持がして、何だか落着かなくて可けない」
「まあ何でも、かうして約束通り逢(あ)へりや上首尾なんだ」
「全くよ。一昨日(をととひ)の晩あたりの私の心配と云つたら、こりやどうだかと、さう思つたくらゐ、今考へて見れば、自分ながら好く出られたの。やつぱり尽きない縁なのだわ」
 些(ちよ)と男の顔を盻(みや)りて、濡(ぬ)るる瞼(まぶた)を軽く拭(ぬぐ)へり。
「その縁の尽きないのが、究竟(つまり)彼我(ふたり)の身の窮迫(つまり)なのだ。俺(おれ)もかう云ふ事に成らうとは思はなかつたが、成程、悪縁と云ふ者は為方(しかた)の無いものだ」
 女は尚窃(なほひそか)に泣きゐる面(おもて)を背(そむ)けたるまま、
「貴方は直(ぢき)に悪縁だ、悪縁だと言ふけれど、悪縁ならどうするんです!」
「悪縁だからかうなつたのぢやないか」
「かう成つたのがどうしたんですよ!」
「今更どうするものか」
「当然(あたりまへ)さ! 貴方は一体水臭いんだ□」
「おい、お静(しず)、水臭いとは誰の事だ」
 色を作(な)せる男の眼(まなこ)は、つと湧(わ)く涙に輝けり。
「貴方の事さ!」
 女の目よりは漣々(はらはら)と零(こぼ)れぬ。
「俺の事だ□ お静……手前(てめへ)はそんな事を言つて、それで済むと思ふのか」
「済んでも済まなくても、貴方が水臭いからさ」
「未(ま)だそんな事を言やがる! さあ、何が水臭いか、それを言へ」
「はあ、言ひますとも。ねえ、貴方は他(ひと)の顔さへ見りや、直(ぢき)に悪縁だと云ふのが癖ですよ。彼我(ふたり)の中の悪縁は、貴方がそんなに言(いは)なくたつて善く知つてゐまさね。何も貴方一箇(ひとり)の悪縁ぢやなし、私だつてこれでも随分謂(い)ふに謂(いは)れない苦労を為てゐるんぢやありませんか。それを貴方がさもさも迷惑さうに、何ぞの端(はし)には悪縁だ悪縁だとお言ひなさるけれど、聞(きか)される身に成つて御覧なさいな。余(あんま)り好(い)い心持は為やしません。それも不断ならともかくもですさ、この場になつてまでも、さう云ふ事を言ふのは、貴方の心が水臭いからだ――何がさうでない事が有るもんですか」
「悪縁だから悪縁だと言ふのぢやないか。何も迷惑して……」
「悪縁でも可ござんすよ!」
 彼等は相背(あひそむ)きて姑(しばら)く語無(ことばな)かりしが、女は忍びやかに泣きゐたり。
「おい、お静、おい」
「貴方きつと迷惑なんでせう。貴方がそんな気ぢや、私は……実に……つまらない。私はどうせう。情無い!」
 お静は竟(つひ)に顔を掩(おほ)うて泣きぬ。
「何だな、お前も考へて見るが可いぢやないか。それを迷惑とも何とも思はないからこそ、世間を狭くするやうな間(なか)にも成りさ、又かう云ふ……なあ……訳なのぢやないか。それを嘘(うそ)にも水臭いなんて言(いは)れりや、俺だつて悔(くやし)いだらうぢやないか。余り悔くて俺は涙が出た。お静、俺は何も芸人ぢやなし、お前に勤めてゐるんぢやないのだから、さう思つてゐてくれ」
「狭山(さやま)さん、貴方もそんなに言はなくたつて可いぢやありませんか」
「お前が言出すからよ」
「だつて貴方がかう云ふ場になつて迷惑さうな事を言ふから、私は情無くなつて、どうしたら可からうと思つたんでさね。ぢや私が悪かつたんだから謝(あやま)ります。ねえ、狭山さん、些(ちよい)と」
 お静の顔を打矚(うちまも)りつつ、男は茫然(ぼうぜん)たるのみなり。
「狭山さんてば、貴方何を考へてゐるのね」
「知れた事さ、彼我(ふたり)の身の上をよ」
「何だつてそんな事を考へてゐるの」
「…………」
「今更何も考へる事は有りはしないわ」
 狭山は徐々(おもむろ)に目を転(うつ)して、太息(といき)を□(つ)いたり。
「もうそんな溜息(ためいき)なんぞを□くのはお舎(よ)しなさいつてば」
「お前二十……二だつたね」
「それがどうしたの、貴方が二十八さ」
「あの時はお前が十九の夏だつけかな」
「ああ、さう、何でも袷(あはせ)を着てゐたから、丁度今時分でした。湖月(こげつ)さんのあの池に好いお月が映(さ)してゐて、暖(あつたか)い晩で、貴方と一処に涼みに出たんですよ、善く覚えてゐる。あれが十九、二十、二十一、二十二と、全(まる)三年に成るのね」
「おお、さうさう。昨日(きのふ)のやうに思つてゐたが、もう三年に成るなあ」
「何だか、かう全で夢のやうね」
「吁(ああ)、夢だなあ!」
「夢ねえ!」
「お静!」
「狭山さん!」
 両箇(ふたり)は手を把(と)り、膝(ひざ)を重ねて、同じ思を猶悲(なおかなし)く、
「ゆ……ゆ……夢だ!」
「夢だわ、ねえ!」
 声立てじと男の胸に泣附く女。
「かう成るのも皆(みんな)約束事ぢやあらうけれど、那奴(あいつ)さへ居なかつたら、貴方だつて余計な苦労は為はしまいし。私は私で、ああもかうも思つて、末始終の事も大概考へて置いたのだから、もう少しの間時節が来るのを待つてゐられりや、曩日(いつか)の御神籤通(おみくじどほり)な事に成れるのは、もう目に見えてゐるのを、那奴(あいつ)が邪魔して、横紙(よこがみ)を裂くやうな事を為やがるばかりに大事に為なけりや成らない貴方の体に、取つて返しの付かない傷まで附けさせて、私は、狭山さん、余(あんま)り申訳が無い! 堪(かん)……忍(にん)……して下さい」
「そりやなあに、お互の事だ」
「いいえ、私がもう少し意気地が有つたら、かうでもないんだらうけれど、胸には色々在つても、それが思切つて出来ない性分だもんだから、ついこんな破滅(はめ)にも成つて了つて、私は実に済まないと、自分の身を考へるよりは、貴方の事が先に立つて、さぞ陰ぢや迷惑もしてお在(いで)なんだらうに、逢ふ度(たんび)に私の身を案じて、毎(いつ)も優くして下さるのは仇(あだ)や疎(おろか)な事ぢやないと、私は嬉(うれし)いより難有(ありがた)いと思つてゐます。だものだから、近頃ぢや、貴方に逢ふと直(ぢき)に涙が出て、何だか悲くばかりなるのが不思議だと思つてゐたら、果然(やつぱり)かう云ふ事になる讖(しらせ)だつたんでせう。
 貴方にはお気の毒だ、お気の毒だ、と始終自分が退(ひ)けてゐるのに、悪縁だなんぞと言れると、私は体が縮るやうな心持がして、ああ、さうでもない、貴方が迷惑してゐるばかりなら未だ可いけれど、取んだ者に懸り合つた、ともしや後悔してお在(いで)なんぢやなからうかと思ふと、私だつて好い気持はしないもんだから、つい向者(さつき)はあんなに言過ぎて、私は誠に済みませんでした。それはもう貴方の言ふ通り悪縁には差無(ちがひな)いんだけれど、後生だからそんな可厭(いや)な事は考へずにゐて下さい。私はこれで本望だと思つてゐる」
「生木(なまき)を割(さ)いて別れるよりは、まあ愈(まし)だ」
「別れる? 吁(ああ)! 可厭(いや)だ! 考へても慄然(ぞつ)とする! 切れるの、別れるのなんて事は、那奴(あいつ)が来ない前には夢にだつて見やしなかつたのを、切れろ切れろぢや私もどの位内で責められたか知れやしない。さうして挙句(あげく)がこんな事に成つたのも、想へば皆(みんな)那奴のお蔭だ。ええ、悔(くやし)い! 私はきつと執着(とつつ)いても、この怨(うらみ)は返して遣(や)るから、覚えてゐるが可い!」
 女は身を顫(ふるは)せて詈(ののし)るとともに、念入(おもひい)りて呪(のろ)ふが如き血相を作(な)せり。
 不知(しらず)、この恨み、詈(ののし)り、呪はるる者は、何処(いづく)の誰(だれ)ならんよ。
「那奴も好加減な馬鹿ぢやないか!」
 男は歯咬(はがみ)しつつ苦しげに嗤笑(ししよう)せり。
「馬鹿も大馬鹿よ! 方図の知れない馬鹿だわ。畜生! 所歓(いろ)の有る女が金で靡(なび)くか、靡かないか、些(ちつと)は考へながら遊ぶが可い。来りや不好(いや)な顔を為て遣るのに、それさへ解らずに、もう□(うるさ)く附けつ廻しつして、了局(しまひ)には人の恋中の邪魔を為やがるとは、那奴も能(よ)く能くの芸無猿(げいなしざる)に出来てゐるんだ。憎さも憎し、私はもう悔くて、悔くて、狭山さん、実はね、私はこの世の置土産(おきみやげ)に、那奴の額を打割(ぶちわ)つて来たんでさね」
「ええ、どうして!」

「なあにね、貴方に別れたあの翌日(あくるひ)から、延続(のべつ)に来てゐやがつて、ちつとでも傍(そば)を離さないんぢやありませんか。這箇(こつち)は気が気ぢやないところへ、もう悪漆膠(わるしつこ)くて耐(たま)らないから、病気だと謂(い)つて内へ遁(に)げて来りや、直(すぐ)に追懸(おつか)けて来て、附絡(つきまと)つてゐるんでせう。さうすると寸法は知れてまさね、丁(ちやん)と渉(わたり)が付いてゐるんだから、阿母(おつか)さんは傍(そば)から『ちやほや』して、そりや貴方、真面目(まじめ)ぢや見ちやゐられないお手厚(てあつ)さ加減なんだから、那奴は図に乗つて了つて、やあ、風呂を沸(わか)せだ事の、ビイルを冷(ひや)せだ事のと、あの狭い内へ一個(ひとり)で幅を為(し)やがつて、なかなか動(いご)きさうにも為ないんぢやありませんか。
 私は全で生捕(いけどり)に成つたやうなもので、出るには出られず、這箇(こつち)の事が有るから、さうしてゐる空(そら)は無し、あんな気の揉(も)めた事は有りはしない――本当(ほんと)にどうせうかと思つた。ええ、なあに、あんな奴は打抛出(おつぽりだ)して措(お)いて、這箇(こつち)は掻巻(かいまき)を引被(ひつかぶ)つて一心に考へてゐたんですけれど、もう憤(じ)れたくて耐らなくなつて来たから、不如(いつそ)かまはず飛出して了はうかと、余程(よつぽど)さう念つたものの、丹子(たんこ)の事も、ねえ、考へて見りや可哀(かはい)さうだし、あの子を始め阿母さんまで、私ばかりを頼(たより)に為てゐるものを、さぞや私の亡(な)い後には、どんなにか力も落さうし、又あの子も為ないでも好い苦労を為なけりやなるまいと、そればかりに牽(ひか)されて、色々話も有るものだから、あの子の阿母さんにも逢つて遣りたし、それに、私も出るに就いちや、為て置かなけりやならない事も有るし為るので、到頭遅々(ぐづぐづ)して出損(でそこな)つて了つたんです。
 さうすると、どうでせう、まあ、那奴はその晩二時過までうで付いてゐて、それでも不承々々に還(かへ)つたのは可い。すると翌日(あくるひ)は半日阿母さんのお談義が始まつて、好加減に了簡(りようけん)を極めろでせう。さう言つちや済まないけれど、育てた恩も聞飽きてゐるわ。それを追繰返(おつくりかへ)し、引繰返(ひつくりかへ)し、悪体交(あくたいまじ)りには、散々聴せて、了局(しまひ)は口返答したと云つて足蹴(あしげ)にする。なあに、私は足蹴にされたつて、撲(ぶた)れたつて、それを悔いとは思やしないけれど、這箇(こつち)だつて貴方と云ふ者が有ると思ふから、もう一生懸命に稼(かせ)いで、為るだけの事は丁(ちやん)と為てあるのに、何ぼ慾にきりが無いと謂つても、自分の言条(いひじよう)ばかり通さうとして、他(ひと)には些(ちつと)でも楽を為せない算段を為る。私だつて金属(かね)で出来た機械ぢやなし、さうさう駆使(こきつか)はれてお為にばかり成つてゐちや、這箇(こつち)の身が立ちはしない。
 別にどうしてくれなくても、訳さへ解つてゐてくれりや、辛いぐらゐは私は辛抱する。所歓(いろ)は堰(せ)いて了ふし、旦那取(だんなとり)は為ろと云ふ。そんな不可(いや)な真似(まね)を為なくても、立派に行くやうに私が稼いであるんぢやありませんか。それをさう云ふ無理を言つてからに、素直でないの、馬鹿だのと、足蹴に為るとは……何……何事で……せう!
 それぢや私も赫(かつ)として、もう我慢が為切れなく成つたから、物も言はずに飛出さうと為る途端に、運悪く又那奴(あいつ)が遣つて来たんぢやありませんか。さあ、捉(つかま)つて了つて、其処(そこ)の場図(ばつ)で迯(にげ)るには迯られず、阿母(おつか)さんは得(え)たり賢(かしこ)しなんでせう、一処に行け行けと聒(やかまし)く言ふし、那奴は何でも来いと云つて放さない。私も内を出た方が都合が好いと思つたから、まあ言ふなりに成つて、例の処へ□(ひつぱ)られて行つたとお思ひなさい。あの長尻(ながちり)だから、さあ又還らない、さうして何か所思(おもはく)でも有つたんでせうよ、何だか知らないけれど、その晩に限つて無闇(むやみ)とお酒を強(しひ)るんでさ。這箇(こつち)も鬱勃肚(むしやくしやばら)で、飲めも為ないのに幾多(いくら)でも引受けたんだけれど、酔ひさうにも為やしない。
 その内に漸々(そろそろ)又お極(きま)りの気障(きざ)な話を始めやがつて、這箇(こつち)が柳に受けて聞いてゐて遣りや、可いかと思つて増長して、呆(あき)れた真似(まね)を為やがるから、性の付く程諤々(つけつけ)さう言つて遣つたら、さあ自棄(やけ)に成つて、それから毒吐(どくつ)き出して、やあ店番の埃被(ほこりかぶり)だの、冷飯吃(ひやめしくら)ひの雇人(やとひにん)がどうだのと、聞いちやゐられないやうな腹の立つ事を言やがるから、這箇(こつち)も思切つて随分な悪体(あくたい)を吐(つ)いて遣つたわ、私は。
 さうすると、了局(しまひ)に那奴は何と言ふかと思ふと、幾許(いくら)七顛八倒(じたばた)しても金で縛(しば)つて置いた体だなんぞ、と利(き)いた風な事を言ふんぢやありませんか。だから、私はさう言つて遣つた、お気の毒だが、貴方は大方目が眩(くら)んで、そりやお袋を縛つたんだらうつて」
 聴ゐる狭山は小気味好(こきみよ)しとばかりに頷(うなづ)けり。
「それで那奴(あいつ)は全然(すつかり)慍(おこ)つて了つて、それからの騒擾(さわぎ)でさ。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:693 KB

担当:undef