金色夜叉
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著者名:尾崎紅葉 

かかる中(うち)にも心に些(ちと)の弛(ゆるみ)あれば、煌々(こうこう)と耀(かがや)き遍(わた)れる御燈(みあかし)の影(かげ)遽(にはか)に晦(くら)み行きて、天尊(てんそん)の御像(みかたち)も朧(おぼろ)に消失(きえう)せなんと吾目(わがめ)に見ゆるは、納受(のうじゆ)の恵に泄(も)れ、擁護(おうご)の綱も切れ果つるやと、彼は身も世も忘るるばかりに念を籠(こ)め、烟(けむり)を立て、汗を流して神慮を驚かすにぞありける。槍(やり)は降りても必ず来(く)べし、と震摺(おぢおそ)れながら待たれし九日目の例刻になりぬれど、如何(いか)にしたりけん狂女は見えず。鋭く冱返(さえかへ)りたるこの日の寒気は鍼(はり)もて膚(はだへ)に霜を種(う)うらんやうに覚えしめぬ。外には烈風(はげしきかぜ)怒(いか)り号(さけ)びて、樹を鳴し、屋(いへ)を撼(うごか)し、砂を捲(ま)き、礫(こいし)を飛して、曇れる空ならねど吹揚げらるる埃(ほこり)に蔽(おほは)れて、一天晦(くら)く乱れ、日色(につしよく)黄(き)に濁りて、殊(こと)に物可恐(ものおそろし)き夕暮の気勢(けはひ)なり。
 鰐淵が門(かど)の燈(ともし)は硝子(ガラス)を二面まで吹落されて、火は消え、ラムプは覆(くつがへ)りたり。内の燈火(あかし)は常より鮮(あざやか)に主(あるじ)が晩酌の喫台(ちやぶだい)を照し、火鉢(ひばち)に架(か)けたる鍋(なべ)の物は沸々(ふつふつ)と薫(くん)じて、はや一銚子(ひとちようし)更(か)へたるに、未(いま)だ狂女の音容(おとづれ)はあらず。お峯は半(なかば)危みつつも幾分の安堵(あんど)の思を弄(もてあそ)び喜ぶ風情(ふぜい)にて、
「気違さんもこの風には弱つたと見えますね。もう毎(いつ)もきつと来るのに来ませんから、今夜は来やしますまい、何ぼ何でもこの風ぢや吹飛されて了(しま)ひませうから。ああ、真(ほん)に天尊様の御利益(ごりやく)があつたのだ」
 夫が差せる猪口(ちよく)を受けて、
「お相(あひ)をしませうかね。何は無くともこんな好い心持の時に戴(いただ)くとお美(いし)いものですね。いいえ、さう続けてはとても……まあ、貴方(あなた)。おやおやもう七時廻つたんですよ。そんなら断然(いよいよ)今晩は来ないと極(きま)りましたね。ぢや、戸締(とじまり)を為(さ)して了ひませうか、真(ほん)に今晩のやうな気の霽々(せいせい)した、心(しん)の底から好い心持の事はありませんよ。あの気違さんぢやどんなに寿(いのち)を短(ちぢ)めたか知れはしません。もうこれきり来なくなるやうに天尊様へお願ひ申しませう。はい、戴きませう。御酒(ごしゆ)もお美(いし)いものですね。なあにあの婆さんが唯怖(ただこは)いのぢやありませんよ。それは気味(きび)は悪うございますけれどもさ、怖いより、気味が悪いより、何と無く凄(すご)くて耐(たま)らないのです。あれが来ると、悚然(ぞつ)と、惣毛竪(そうけだ)つて体(からだ)が竦(すく)むのですもの、唯の怖いとは違ひますわね。それが、何だか、かう執着(とつつか)れでもするやうな気がして、あの、それ、能(よ)く夢で可恐(おそろし)い奴なんぞに追懸(おつか)けられると、迯(に)げるには迯げられず、声を出さうとしても出ないので、どうなる事かと思ふ事がありませう、とんとあんなやうな心持なんで。ああ、もうそんな話は止しませう。私は少し酔ひました」
 銚子を更(か)へて婢(をんな)の持来(もちきた)れば、
「金(きん)や、今晩は到頭来ないね、気違さんさ」
「好い塩梅(あんばい)でございます」
「お前には後でお菓子を御褒美(ごほうび)に出すからね。貴方(あなた)、これはあの気違さんとこの頃懇意になつて了ひましてね。気違の取次は金に限るのです」
「あら可厭(いや)なことを有仰(おつしや)いまし」
 吹来(ふききた)り、吹去る風は大浪(おほなみ)の寄せては返す如く絶間無く轟(とどろ)きて、その劇(はげし)きは柱などをひちひちと鳴揺(なりゆる)がし、物打倒す犇(ひしめ)き、引断(ひきちぎ)る音、圧折(へしお)る響は此処彼処(ここかしこ)に聞えて、唯居るさへに胆(きも)は冷(ひや)されぬ。長火鉢には怠らず炭を加へ加へ、鉄瓶(てつびん)の湯気は雲を噴(は)くこと頻(しきり)なれど、更に背面を圧する寒(さむさ)は鉄板(てつぱん)などや負はさるるかと、飲めども多く酔(ゑ)ひ成さざるに、直行は後を牽(ひ)きて已(や)まず、お峯も心祝(こころいはひ)の数を過して、その地顔の赭(あか)きをば仮漆布(ニスし)きたるやうに照り耀(かがやか)して陶然たり。
 狂女は果して来(こ)ざりけり。歓(よろこ)び酔(ゑ)へるお峯も唯酔(ゑ)へる夫も、褒美貰(もら)ひし婢も、十時近き比(ころほひ)には皆寐鎮(ねしづま)りぬ。
 風は猶(なほ)も邪(よこしま)に吹募りて、高き梢(こずゑ)は箒(ははき)の掃くが如く撓(たわ)められ、疎(まばら)に散れる星の数は終(つひ)に吹下(ふきおろ)されぬべく、層々凝(こ)れる寒(さむさ)は殆(ほとん)ど有らん限の生気を吸尽して、さらぬだに陰森たる夜色は益(ますま)す冥(くら)く、益す凄(すさまじ)からんとす。忽(たちま)ちこの黒暗々を劈(つんざ)きて、鰐淵が裏木戸の辺(あたり)に一道(いちどう)の光は揚りぬ。低く発(おこ)りて物に遮(さへぎ)られたれば、何の火とも弁(わきま)へ難くて、その迸発(ほとばしり)の朱(あか)く烟(けむ)れる中に、母家(もや)と土蔵との影は朧(おぼろ)に顕(あらは)るるともなく奪はれて、瞬(またた)くばかりに消失せしは、風の強きに吹敷れたるなり。やや有りて、同じほどの火影の又映(うつろ)ふと見れば、早くも薄れ行きて、こたびは燃えも揚らず、消えも遣らで、少時(しばし)明(あかり)を保ちたりしが、風の僅(わづか)の絶間を偸(ぬす)みて、閃々(ひらひら)と納屋(なや)の板戸を伝ひ、始めて騰(のぼ)れる焔(ほのほ)は炳然(へいぜん)として四辺(あたり)を照せり。塀際(へいぎは)に添ひて人の形(かたち)動くと見えしが、なほ暗くて了然(さだか)ならず。
 数息(すそく)の間にして火の手は縦横に蔓(はびこ)りつつ、納屋の内に乱入れば、噴出(ふきい)づる黒烟(くろけふり)の渦は或(あるひ)は頽(くづ)れ、或は畳みて、その外を引□(ひきつつ)むとともに、見え遍(わた)りし家も土蔵も堆(うづたか)き黯□(あんたん)の底に没して、闇は焔に破られ、焔は烟(けふり)に揉立(もみた)てられ、烟(けむり)は更に風の為に砕かれつつも、蒸出す勢の夥(おびただし)ければ、猶ほ所狭(ところせ)く漲(みなぎ)りて、文目(あやめ)も分かず攪乱(かきみだ)れたる中より爆然と鳴りて、天も焦げよと納屋は一面の猛火と変じてけり。かの了然(さだか)ならざりし形はこの時明(あきらか)に輝かされぬ。宵に来(く)べかりし狂女の佇(たたず)めるなり。躍(をど)り狂ふ烟の下に自若として、面(おもて)も爛(ただ)れんとすばかりに照されたる姿は、この災を司る鬼女などの現れ出でにけるかと疑はしむ。実(げ)に彼は火の如何(いか)に焚(も)え、如何に燬(や)くや、と厳(おごそか)に監(み)るが如く眥(まなじり)を裂きて、その立てる処を一歩も移さず、風と烟と焔(ほのほ)との相雑(あひまじは)り、相争(あひあらそ)ひ、相勢(あひきほ)ひて、力の限を互に奮(ふる)ふをば、妙(いみじ)くも為(し)たりとや、漫(そぞろ)笑(ゑみ)を洩(もら)せる顔色(がんしよく)はこの世に匹(たぐ)ふべきものありとも知らず。
 風の暴頻(あれしき)る響動(どよみ)に紛れて、寝耳にこれを聞着(ききつく)る者も無かりければ、誰一人出(いで)て噪(さわ)がざる間に、火は烈々(めらめら)と下屋(げや)に延(し)きて、厨(くりや)の燃立つ底より一声叫喚(きようかん)せるは誰(たれ)、狂女は□々(きき)として高く笑ひぬ。

     (七)の二

 人々出合ひて打騒(うちさわ)ぐ比(ころほひ)には、火元の建物の大半は烈火となりて、土蔵の窓々より焔(ほのほ)を出(いだ)し、はや如何(いか)にとも為んやうあらざるなり。さしもの強風(ごうふう)なりしかど、消防力(つと)めたりしに拠(よ)りて、三十幾戸を焼きしのみにて、午前二時に□(およ)びて鎮火するを得たり。雑踏の裏(うち)より怪き奴は早くも拘引せられしと伝へぬ。かの狂女の去りも遣(やら)ざりしが捕(とらは)れしなり。
 火元と認定せらるる鰐淵方(わにぶちかた)は塵一筋(ちりひとすぢ)だに持出(もちいだ)さずして、憐(あはれ)むべき一片の焦土を遺(のこ)したるのみ。家族の消息は直(ただ)ちに警察の訊問(じんもん)するところとなりぬ。婢(をんな)は命辛々(からがら)迯了(にげおほ)せけれども、目覚むると斉(ひとし)く頭面(まくらもと)は一面の火なるに仰天し、二声三声奥を呼捨(よびすて)にして走り出(い)でければ、主(あるじ)たちは如何(いか)になりけん、知らずと言ふ。夜明けぬれど夫婦の出で来ざりけるは、過(あやまち)など有りしにはあらずやと、警官は出張して捜索に及べり。
 熱灰(ねつかい)の下より一体の屍(かばね)の半(なかば)焦爛(こげただ)れたるが見出(みいだ)されぬ。目も当てられず、浅ましう悒(いぶせ)き限を尽したれど、主(あるじ)の妻と輙(たやす)く弁ぜらるべき面影(おもかげ)は焚残(やけのこ)れり。さてはとその邇(ちか)くを隈無(くまな)く掻起(かきおこ)しけれど、他に見当るものは無くて、倉前と覚(おぼし)き辺(あたり)より始めて焦壊(こげくづ)れたる人骨を掘出(ほりいだ)せり。酔(ゑ)ひて遁惑(にげまど)ひし故(ゆゑ)か、貪(むさぼ)りて身を忘れし故か、とにもかくにも主夫婦(あるじふうふ)はこの火の為に落命せしなり。家屋も土蔵も一夜の烟(けふり)となりて、鰐淵の跡とては赤土と灰との外に覓(もと)むべきものもあらず、風吹迷ふ長烟短焔(ちようえんたんえん)の紛糾する処に、独(ひと)り無事の形を留めたるは、主が居間に備へ付けたりし金庫のみ。
 別居せる直道(ただみち)は旅行中にて未(いま)だ還(かへ)らず、貫一はあだかもお峯の死体の出でし時病院より駈着(かけつ)けたり。彼は三日の後には退院すべき手筈(てはず)なりければ、今は全く癒(い)えて務を執るをも妨げざれど、事の極(きは)めて不慮なると、急激なると、瑣小(さしよう)ならざるとに心惑(こころまどひ)のみせられて、病後の身を以(も)てこれに当らんはいと苦(くるし)かりけるを、尽瘁(じんすい)して万端を処理しつつ、ひたすら直道の帰京を待てり。
 枕をも得挙(えあ)げざりし病人の今かく健(すこやか)に起きて、常に来ては親く慰められし人の頑(かたくな)にも強かりしを、空(むなし)く燼余(じんよ)の断骨に相見(あひみ)て、弔ふ言(ことば)だにあらざらんとは、貫一の遽(にはか)にその真(まこと)をば真とし能(あた)はざるところなりき。人は皆死ぬべきものと人は皆知れるなり。されどもその常に相見る人の死ぬべきを思ふ能はず。貫一はこの五年間の家族を迫(せ)めての一人も余さず、家倉と共に焚尽(やきつく)されて一夜の中に儚(はかな)くなり了(をは)れるに会ひては、おのれが懐裡(ふところ)の物の故無(ゆゑな)く消失せにけんやうにも頼み難く覚えて、かくては我身の上の今宵如何(いか)に成りなんをも料(はか)られざるをと、無常の愁は頻(しきり)に腸(はらわた)に沁(し)むなりけり。
 住むべき家の痕跡(あとかた)も無く焼失せたりと謂(い)ふだに、見果てぬ夢の如し、まして併(あは)せて頼めし主(あるじ)夫婦を喪(うしな)へるをや、音容(おんよう)幻(まぼろし)を去らずして、ほとほと幽明の界(さかひ)を弁ぜず、剰(あまつさ)へ久く病院の乾燥せる生活に困(こう)じて、この家を懐(おも)ふこと切なりければ、追慕の情は極(きはま)りて迷執し、迫(せ)めては得るところもありやと、夜の晩(おそ)きに貫一は市(いち)ヶ谷(や)なる立退所(たちのきじよ)を出でて、杖(つゑ)に扶(たす)けられつつ程遠からぬ焼跡を弔へり。
 連日風立ち、寒かりしに、この夜は遽(にはか)に緩(ゆる)みて、朧(おぼろ)の月の色も暖(あたたか)に、曇るともなく打霞(うちかす)める町筋は静に眠れり。燻臭(いぶりくさ)き悪気は四辺(あたり)に充満(みちみ)ちて、踏荒されし道は水に□(しと)り、燼(もえがら)に埋(うづも)れ、焼杭(やけくひ)焼瓦(やけがはら)など所狭く積重ねたる空地(くうち)を、火元とて板囲(いたがこひ)も得為(えせ)ず、それとも分かぬ焼原の狼藉(ろうぜき)として、鰐淵が家居(いへゐ)は全く形を失へるなり。黒焦に削れたる幹(みき)のみ短く残れる一列(ひとつら)の立木の傍(かたはら)に、塊(つちくれ)堆(うづたか)く盛りたるは土蔵の名残(なごり)と踏み行けば、灰燼の熱気は未(いま)だ冷めずして、微(ほのか)に面(おもて)を撲(う)つ。貫一は前杖(まへづゑ)□(つ)いて悵然(ちようぜん)として佇(たたず)めり。その立てる二三歩の前は直行が遺骨を発(おこ)せし所なり。恨むと見ゆる死顔の月は、肉の片(きれ)の棄てられたるやうに朱(あか)く敷(し)ける満地の瓦を照して、目に入(い)るものは皆伏し、四望の空く寥々(りようりよう)たるに、黒く点せる人の影を、彼は自(おのづか)ら物凄(ものすご)く顧らるるなりき。
 立尽せる貫一が胸には、在りし家居の状(さま)の明かに映じて、赭(あか)く光れるお峯が顔も、苦(にが)き口付せる主(あるじ)が面(おもて)も眼に浮びて、歴々(まざまざ)と相対(さしむか)へる心地もするに、姑(しばら)くはその境に己(おのれ)を忘れたりしが、やがて徐(しづか)に仰ぎ、徐に俯(ふ)して、さて徐に一歩を行きては一歩を返しつつ、いとど思に沈みては、折々涙をも推拭(おしぬぐ)ひつ。彼は転(うた)た人生の凄涼(せいりよう)を感じて禁ずる能(あた)はざりき。苟(いやし)くもその親める者の半にして離れ乖(そむ)かざるはあらず。見よ或はかの棄てられし恨を遺(のこ)し、或はこの奪はれし悲(かなしみ)に遭(あ)ひ、前の恨の消えざるに又新なる悲を添ふ。棄つる者は去り、棄てざる者は逝(ゆ)き、□然(けいぜん)として吾独(われひと)り在り。在るが故に慶(よろこ)ぶべきか、亡(な)きが故に悼(いた)むべきか、在る者は積憂の中に活(い)き、亡き者は非命の下(もと)に殪(たふ)る。抑(そもそ)もこの活(かつ)とこの死とは孰(いづれ)を哀(あはれ)み、孰を悲(かなし)まん。
 吾が煩悶(はんもん)の活を見るに、彼等が惨憺(さんたん)の死と相同(あひおなじ)からざるなし、但殊(ただこと)にするところは去ると留るとのみ。彼等の死ありて聊(いささ)か吾が活の苦(くるし)きをも慰むべきか、吾が活ありて、始めて彼等が死の傷(いたまし)きを弔ふに足らんか。吾が腸(ちよう)は断たれ、吾が心は壊(やぶ)れたり、彼等が肉は爛(ただ)れ、彼等が骨は砕けたり。活きて爾苦(しかくるし)める身をも、なほさすがに魂(たましひ)も消(け)ぬべく打駭(うちおどろ)かしつる彼等が死状(しにざま)なるよ。産を失ひ、家を失ひ、猶(なほ)も身を失ふに尋常の終を得ずして、極悪の重罪の者といへども未(いま)だ曾(かつ)て如此(かくのごと)き虐刑の辱(はづかしめ)を受けず、犬畜生の末までも箇様(かよう)の業(ごう)は曝(さら)さざるに、天か、命(めい)か、或(ある)は応報か、然(しか)れども独(ひと)り吾が直行をもて世間に善を作(な)さざる者と為(な)すなかれ。人情は暗中に刃(やいば)を揮(ふる)ひ、世路(せいろ)は到る処に陥穽(かんせい)を設け、陰に陽に悪を行ひ、不善を作(な)さざるはなし。若(も)し吾が直行の行ふところをもて咎(とが)むべしと為さば、誰か有りて咎(とが)められざらん、しかも猶(なほ)甚(はなはだし)きを為して天も憎まず、命も薄(うす)んぜず、応報もこれを避(さく)るもの有るを見るにあらずや。彼等の惨死(さんし)を辱(はづかし)むるなかれ、適(たまた)ま奇禍を免れ得ざりしのみ。
 かく念(おも)へる貫一は生前(しようぜん)の誼深(よしみふか)かりし夫婦の死を歎きて、この永き別(わかれ)を遣方(やるかた)も無く悲み惜むなりき。さて何時(いつ)までかここに在らんと、主の遺骨を出(いだ)せし辺(あたり)を拝し、又妻の屍(かばね)の横(よこた)はりし処を拝して、心佗(こころわびし)く立去らんとしたりしに、彼は怪くも遽(にはか)に胸の内の掻乱(かきみだ)るる心地するとともに、失せし夫婦の弔ふ者もあらで闇路(やみぢ)の奥に打棄てられたるを悲く、あはれ猶(なほ)少時(しばし)留らずやと、いと迫(せ)めて乞ひ縋(すが)ると覚ゆるに、行くにも忍びず、又立還りて積みたる土に息(いこ)へり。
 実(げ)に彼も家の内に居て、遺骸(なきがら)の前に限知られず思ひ乱れんより、ここには亡き人の傍(そば)にも近く、遺言に似たる或る消息をも得るらん想(おもひ)して、立てたる杖に重き頭(かしら)を支へて、夫婦が地下に齎(もたら)せし念々を冥捜(めいそう)したり。やがて彼は何の得るところや有りけん、繁(しげ)き涙は滂沱(はらはら)と頬(ほほ)を伝ひて零(こぼ)れぬ。
 夜陰に轟(とどろ)く車ありて、一散に飛(とば)し来(きた)りけるが、焼場(やけば)の際(きは)に止(とどま)りて、翩(ひらり)と下立(おりた)ちし人は、直(ただ)ちに鰐淵が跡の前に尋ね行きて歩(あゆみ)を住(とど)めたり。
 焼瓦(やけがはら)の踏破(ふみしだ)かるる音に面(おもて)を擡(もた)げたる貫一は、件(くだん)の人影の近く進来(すすみく)るをば、誰ならんと認むる間(ひま)も無く、
「間さんですか」
「おお、貴方(あなた)は! お帰来(かへり)でしたか」
 その人は待ちに待たれし直道なり。貫一は忙(いそがはし)く出迎へぬ。向ひて立てる両箇(ふたり)は月明(つきあかり)に面(おもて)を見合ひけるが、各(おのおの)口吃(くちきつ)して卒(にはか)に言ふ能はざるなりき。
「何とも不慮な事で、申上げやうもございません」
「はい。この度(たび)は留守中と云ひ、別してお世話になりました」
「私(わたくし)は事の起りました晩は未(ま)だ病院に居りまして、かう云ふ事とは一向存じませんで、夜明になつて漸(やうや)く駈着(かけつ)けたやうな始末、今更申したところが愚痴に過ぎんのですけれど、私が居りましたらまさかこんな事にはお為せ申さんかつたと、実に残念でなりません。又お二人にしても余り不覚な、それしきの事に狼狽(ろうばい)される方ではなかつたに、これまでの御寿命であつたか、残多(のこりおほ)い事を致しました」
 直道は塞(ふさ)ぎし眼(まなこ)を怠(たゆ)げに開きて、
「何もかも皆焼けましたらうな」
「唯一品(ひとしな)、金庫が助りました外には、すつかり焼いて了ひました」
「金庫が残りました? 何が入つてゐるのですか」
「貨(かね)も少しは在りませうが、帳簿、証書の類が主(おも)でございます」
「貸金に関した?」
「さやうで」
「ええ、それが焼きたかつたのに!」
 口惜(くちを)しとの色は絶(したた)かその面(おもて)に上(のぼ)れり。貫一は彼が意見の父と相容(あひい)れずして、年来(としごろ)別居せる内情を詳(つまびら)かに知れば、迫(せ)めてその喜ぶべきをも、却(かへ)つてかく憂(うれひ)と為(な)す故(ゆゑ)を暁(さと)れるなり。
「家の焼けたの、土蔵の落ちたのは差支無(さしつかへな)いのです。寧(むし)ろ焼いて了はんければ成らんのでしたから、それは結構です。両親の歿(なくな)つたのも、私(わたくし)であれ、貴方であれ、かうして泣いて悲む者は、ここに居る二人きりで、世間に誰一人……さぞ衆(みんな)が喜んでゐるだらうと思ふと、唯親を喪(なくな)したのが情無(なさけな)いばかりではないのですよ」
 されども堰(せき)敢(あ)へず流るるは恩愛の涙なり。彼を憚(はばか)りし父と彼を畏(おそ)れし母とは、決して共に子として彼を慈(いつくし)むを忘れざりけり。その憚られ、畏れられし点を除きては、彼は他の憚られ、畏れられざる子よりも多く愛を被(かうむ)りき。生きてこそ争ひし父よ。亡くての今は、その聴(きか)れざりし恨より、親として事(つか)へざりし不孝の悔は直道の心を責むるなり。
 生暖(なまあたたか)き風は急に来(きた)りてその外套(がいとう)の翼を吹捲(ふきまく)りぬ。こはここに失せし母の賜ひしを、と端無(はしな)く彼は憶起(おもひおこ)して、さばかりは有(あり)のすさびに徳とも為ざりけるが、世間に量り知られぬ人の数の中に、誰か故無くして一紙(いつし)を与ふる者ぞ、我は今聘(へい)せられし測量地より帰来(かへりきた)れるなり。この学術とこの位置とを与へて恩と為ざりしは誰なるべき。外にこれを求むる能はず、重ねてこれを得べからざる父と母とは、相携へて杳(はるか)に迢(はるか)に隔つる世の人となりぬ。
 炎々たる猛火の裏(うち)に、その父と母とは苦(くるし)み悶(もだ)えて援(たすけ)を呼びけんは幾許(いかばかり)ぞ。彼等は果して誰をか呼びつらん。思ここに到りて、直道が哀咽(あいえつ)は渾身(こんしん)をして涙に化し了(をは)らしめんとするなり。
「喜ぶなら世間の奴は喜んだが可いです。貴方(あなた)一箇(ひとり)のお心持で御両親は御満足なさるのですから。こんな事を申上げては実に失礼ですけれども、貴方が今日(こんにち)まで御両親をお持ちになつてゐられたのは、私(わたくし)などの身から見ると何よりお可羨(うらやまし)いので、この世の中に親子の情愛ぐらゐ詐(いつはり)の無いものは決して御座いませんな、私は十五の歳(とし)から孤児(みなしご)になりましたのですが、それは、親が附いてをらんと見縊(みくび)られます。余り見縊られたのが自棄(やけ)の本(もと)で、遂(つひ)に私も真人間に成損(なりそこな)つて了つたやうな訳で。固(もと)より己(おのれ)の至らん罪ではありますけれど、抑(そもそ)も親の附いてをらんかつたのが非常な不仕合(ふしあはせ)で、そんな薄命な者もかうして在るのですから、それはもう幾歳(いくつ)になつたから親に別れて可いと謂(い)ふ理窟(りくつ)はありませんけれど、聊(いささ)か慰むるに足ると、まあ、思召(おぼしめ)さなければなりません」
 貫一のこの人に向ひて親く物言ふ今夜の如き例(ためし)はあらず、彼の物言はずとよりは、この人の悪(にく)み遠(とほざ)けたりしなり。故は、彼こそ父が不善の助手なれと、始より畜生視して、得べくば撲(う)つて殺さんとも念ずるなりければ、今彼が言(ことば)の端々(はしはし)に人がましき響あるを聞きて、いと異(あや)しと思へり。
「それでは、貴方真人間に成損(なりそこな)つたとお言ひのですな」
「さうでございます」
「さうすると、今は真人間ではないと謂ふ訳ですか」
「勿論(もちろん)でございます」
 直道は俯(うつむ)きて言はざりき。
「いや貴方のやうな方に向つてこんな太腐(ふてくさ)れた事を申しては済みません。さあ、参りませうか」
 彼はなほ俯(うつむ)き、なほ言はずして、頷(うなづ)くのみ。
 夜は太(いた)く更(ふ)けにければ、さらでだに音を絶(た)てる寂静(しづかさ)はここに澄徹(すみわた)りて、深くも物を思入る苦しさに直道が蹂躙(ふみにじ)る靴の下に、瓦の脆(もろ)く割(わ)るるが鋭く響きぬ。地は荒れ、物は毀(こぼた)れたる中に一箇(ひとり)は立ち、一箇(ひとり)は偃(いこ)ひて、言(ことば)あらぬ姿の佗(わび)しげなるに照すとも無き月影の隠々と映添(さしそ)ひたる、既に彷彿(ほうふつ)として悲(かなしみ)の図を描成(ゑがきな)せり。
 かくて暫(しばら)く有りし後、直道は卒然言(ことば)を出(いだ)せり。
「貴方、真人間に成つてくれませんか」
 その声音(こわね)の可愁(うれはし)き底には情(なさけ)も籠(こも)れりと聞えぬ。貫一は粗(ほぼ)彼の意を暁(さと)れり。
「はい、難有(ありがた)うございます」
「どうですか」
「折角のお言(ことば)ではございますが、私(わたくし)はどうぞこのままにお措(お)き下さいまし」
「それは何為(なぜ)ですか」
「今更真人間に復(かへ)る必要も無いのです」
「さあ、必要は有りますまい。私も必要から貴方にお勧めするのではない。もう一度考へてから挨拶(あいさつ)をして下さいな」
「いや、お気に障(さは)りましたらお赦(ゆる)し下さいまし。貴方とは従来(これまで)浸々(しみじみ)お話を致した事もございませんで私といふ者はどんな人物であるか、御承知はございますまい。私の方では毎々お噂(うはさ)を伺つて、能(よ)く貴方を存じてをります。極潔(ごくきよ)いお方なので、精神的に傷(きずつ)いたところの無い御人物、さう云ふ方に対して我々などの心事を申上げるのは、実際恥入る次第で、言ふ事は一々曲つてゐるのですから、正(ただし)い、直(すぐ)なお耳へは入(い)らんところではない。逆ふのでございませう。で、潔い貴方と、拗(ねぢ)けた私とでは、始からお話は合はんのですから、それでお話を為る以上は、どうぞ何事もお聞流(ききながし)に願ひます」
「ああ、善く解りました」
「真人間になつてくれんかと有仰(おつしや)つて下すつたのが、私は非常に嬉(うれし)いのでございます。こんな商売は真人間の為る事ではない、と知つてゐながらかうして致してゐる私の心中、辛(つら)いのでございます。そんな思をしつつ何為(なぜ)してゐるか! 曰(いは)く言難(いひがた)しで、精神的に酷(ひど)く傷(きずつ)けられた反動と、先(ま)づ思召(おぼしめ)して下さいまし。私が酒が飲めたら自暴酒(やけざけ)でも吃(くら)つて、体(からだ)を毀(こは)して、それきりに成つたのかも知れませんけれど、酒は可(い)かず、腹を切る勇気は無し、究竟(つまり)は意気地の無いところから、こんな者に成つて了つたのであらうと考へられます」
 彼の潔(きよ)しと謂ふなる直道が潔き心の同情は、彼の微見(ほのめか)したる述懐の為に稍(やや)動されぬ。
「お話を聞いて見ると、貴方が今日(こんにち)の境遇になられたに就いては、余程深い御様子が有るやう、どう云ふのですか、悉(くはし)く聞(きか)して下さいませんか」
「極愚(ぐ)な話で、到底お聞せ申されるやうな者ではないのです。又自分もこの事は他(ひと)には語るまい、と堅く誓つてゐるのでありますから、どうも申上げられません。究竟(つまり)或事に就いて或者に欺かれたのでございます」
「はあ、それではお話はそれで措(お)きませう。で、貴方もあんな家業は真人間の為べき事ではない、と十分承知してゐらるる、父などは決して愧(は)づべき事ではない、と謂つて剛情を張り通した。実に浅ましい事だと思ふから、或時は不如(いつそ)父の前で死んで見せて、最後の意見を為るより外は無い、と決心したことも有つたのです。父は飽くまで聴かん、私も飽くまで棄てては措(お)かん精神、どんな事をしても是非改心させる覚悟で居つたところ、今度の災難で父を失つた、残念なのは、改心せずに死んでくれたのだ、これが一生の遺憾(いかん)で。一時に両親(ふたおや)に別れて、死目にも逢(あ)はず、その臨終と謂へば、気の毒とも何とも謂ひやうの無い……凡(およ)そ人の子としてこれより上の悲(かなしみ)が有らうか、察し給へ。それに就けても、改心せずに死なしたのが、愈(いよい)よ残念で、早く改心さへしてくれたらば、この災難は免(のが)れたに違無い。いや私はさう信じてゐる。然し、過ぎた事は今更為方が無いから、父の代(かはり)に是非貴方に改心して貰(もら)ひたい。今貴方が改心して下されば、私は父が改心したも同じと思つて、それで満足するのです。さうすれば、必ず父の罪も滅びる、私の念も霽(は)れる、貴方も正い道を行けば、心安く、楽く世に送られる。
 成程、お話の様子では、こんな家業に身を墜(おと)されたのも、已(や)むを得ざる事情の為とは承知してをりますが、父への追善、又その遺族の路頭に迷つてゐるのを救ふのと思つて、金を貸すのは罷(や)めて下さい。父に関した財産は一切貴方へお譲り申しますからそれを資本に何ぞ人をも益するやうな商売をして下されば、この上の喜(よろこび)は有りません。父は非常に貴方を愛してをつた、貴方も父を愛して下さるでせう。愛して下さるなら、父に代つて非を悛(あらた)めて下さい」
 聴ゐる貫一は露の晨(あした)の草の如く仰ぎ視(み)ず。語り訖(をは)れども猶仰ぎ視ず、如何(いか)にと問るるにも仰ぎ視ざるなりけり。
 忽(たちま)ち一閃(いつせん)の光ありて焼跡を貫く道の畔(ほとり)を照しけるが、その燈(ともしび)の此方(こなた)に向ひて近(ちかづ)くは、巡査の見尤(みとが)めて寄来(よりく)るなり。両箇(ふたり)は一様に□(みむか)へて、待つとしもなく動かずゐたりければ、その前に到れる角燈の光は隈無(くまな)く彼等を曝(さら)しぬ。巡査は如何(いか)に驚きけんよ、かれもこれも各(おのおの)惨として蒼(あを)き面(おもて)に涙垂れたり――しかもここは人の泣くべき処なるか、時は正(まさ)に午前二時半。
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  続金色夜叉


     与紅葉山人書
学海居士
紅葉山人足下。僕幼嗜読稗史小説。当時行於世者。京伝三馬一九。及曲亭柳亭春水数輩。雖有文辞之巧麗。搆思之妙絶。多是舐古人之糟粕。拾兎園之残簡。聊以加己意焉耳。独曲亭柳亭二子較之余子。学問該博。熟慣典故。所謂換骨奪胎。頗有可観者。如八犬弓張侠客伝。及田舎源氏諸国物語類是也。然在当時。読此等書者。不過閭巷少年。畧識文字。間有渉猟史伝者。識見浅薄。不足以判其巧拙良否焉。而文学之士斥為鄙猥。為害風紊俗。禁子弟不得縦読。其風習可以見矣。」年二十一二。稍読水滸西遊金瓶三国紅楼諸書。兼及我源語竹取宇津保俊蔭等書。乃知稗史小説。亦文学之一途。不必止游戯也。而所最喜。在水滸金瓶紅楼。及源語。能尽人情之隠微。世態之曲折。用筆周到。渾思巧緻。而源氏之能描性情。文雅而思深。金瓶之能写人品。筆密而心細。蓋千古無比也。近時小説大行。少好文辞者。莫不争先攘臂其間。然率不過陋巷之談。鄙夫之事。至大手筆如金瓶源氏等者。寥乎無聞何也。僕及読足下所著諸書。所謂細心邃思者。知不使古人専美於上矣。多情多恨金色夜叉類。殆与金瓶源語相似。僕反覆熟読不能置也。惜範囲狭。而事跡微。地位卑而思想偏。未足以展布足下之大才矣。盍借一大幻境。以運思馳筆。必有大可観者。僕老矣。若得足下之一大著述。快読之。是一生之願也。足下以何如。

     第一章

 時を銭(ぜに)なりとしてこれを換算せば、一秒を一毛に見積りて、壱人前(いちにんまへ)の睡量(ねぶりだか)凡(およ)そ八時間を除きたる一日の正味十六時間は、実に金五円七拾六銭に相当す。これを三百六十五日の一年に合計すれば、金弐千壱百〇弐円四拾銭の巨額に上るにあらずや。さればここに二十七日と推薄(おしつま)りたる歳末の市中は物情恟々(きようきよう)として、世界絶滅の期の終(つひ)に宣告せられたらんもかくやとばかりに、坐りし人は出でて歩み、歩みし人は走りて過ぎ、走りし人は足も空に、合ふさ離(き)るさの気立(けたたまし)く、肩相摩(けんあひま)しては傷(きずつ)き、轂相撃(こくあひう)ちては砕けぬべきをも覚えざるは、心々(こころごころ)に今を限(かぎり)と慌(あわ)て騒ぐ事ありて、不狂人も狂せるなり。彼等は皆過去の十一箇月を虚(あだ)に送りて、一秒の塵(ちり)の積める弐千余円の大金を何処(いづく)にか振落し、後悔の尾(しり)に立ちて今更に血眼(ちまなこ)を□(みひら)き、草を分け、瓦を揆(おこ)しても、その行方(ゆくへ)を尋ねんと為るにあらざるなし。かかる間(ひま)にも常は止(ただ)一毛に値する一秒の壱銭乃至(ないし)拾銭にも暴騰せる貴々重々(ききちようちよう)の時は、速射砲を連発(つるべうち)にするが如く飛過(とびすぐ)るにぞ、彼等の恐慌は更に意言(こころことば)も及ばざるなる。
 その平生(へいぜい)に怠無(おこたりな)かりし天は、又今日に何の変易(へんえき)もあらず、悠々(ゆうゆう)として蒼(あを)く、昭々として闊(ひろ)く、浩々(こうこう)として静に、しかも確然としてその覆(おほ)ふべきを覆ひ、終日(ひねもす)北の風を下(おろ)し、夕付(ゆふづ)く日の影を耀(かがやか)して、師走(しはす)の塵(ちり)の表(おもて)に高く澄めり。見遍(みわた)せば両行の門飾(かどかざり)は一様に枝葉の末広く寿山(じゆざん)の翠(みどり)を交(かは)し、十町(じつちよう)の軒端(のきば)に続く注連繩(しめなは)は、福海(ふくかい)の霞(かすみ)揺曳(ようえい)して、繁華を添ふる春待つ景色は、転(うた)た旧(ふ)り行く歳(とし)の魂(こん)を驚(おどろ)かす。
 かの人々の弐千余円を失ひて馳違(はせちが)ふ中を、梅提げて通るは誰(た)が子、猟銃担(かた)げ行くは誰が子、妓(ぎ)と車を同(おなじ)うするは誰が子、啣楊枝(くはへようじ)して好き衣(きぬ)着たるは誰が子、或(あるひ)は二頭立(だち)の馬車を駆(か)る者、結納(ゆひのう)の品々担(つら)する者、雑誌など読みもて行く者、五人の子を数珠繋(ずずつなぎ)にして勧工場(かんこうば)に入(い)る者、彼等は各(おのおの)若干(そこばく)の得たるところ有りて、如此(かくのごと)く自ら足れりと為(す)るにかあらん。これ等の少(すこし)く失へる者は喜び、彼等の多く失へる輩(はい)は憂ひ、又稀(まれ)には全く失はざりし人の楽めるも、皆内には齷齪(あくそく)として、盈(み)てるは虧(か)けじ、虧けるは盈たんと、孰(いづれ)かその求むるところに急ならざるはあらず。人の世は三(みつ)の朝(あした)より花の昼、月の夕(ゆふべ)にもその思(おもひ)の外(ほか)はあらざれど、勇怯(ゆうきよう)は死地に入(い)りて始て明(あきらか)なる年の関を、物の数とも為(せ)ざらんほどを目にも見よとや、空臑(からすね)の酔(ゑひ)を踏み、鉄鞭(てつべん)を曳(ひ)き、一巻のブックを懐(ふところ)にして、嘉平治平(かへいじひら)の袴(はかま)の焼海苔(やきのり)を綴(つづ)れる如きを穿(うが)ち、フラネルの浴衣(ゆかた)の洗ひ□(ざら)して垢染(あかぞめ)にしたるに、文目(あやめ)も分かぬ木綿縞(もめんじま)の布子(ぬのこ)を襲(かさ)ねて、ジォンソン帽の瓦色(かはらいろ)に化けたるを頂き、焦茶地の縞羅紗(しまらしや)の二重外套(にじゆうまわし)は何(いつ)の冬誰(た)が不用をや譲られけん、尋常(なみなみ)よりは寸の薄(つま)りたるを、身材(みのたけ)の人より豊なるに絡(まと)ひたれば、例の袴は風にや吹断(ふきちぎ)れんと危(あやふ)くも閃(ひらめ)きつつ、その人は齢(よはひ)三十六七と見えて、形□(かたちや)せたりとにはあらねど、寒樹の夕空に倚(よ)りて孤なる風情(ふぜい)、独(ひと)り負ふ気無(げな)く麗(うるはし)くも富める髭髯(ひげ)は、下には乳(ち)の辺(あたり)まで□々(さんさん)と垂れて、左右に拈(ひね)りたるは八字の蔓(つる)を巻きて耳の根にも□(およ)びぬ。打見(うちみ)れば面目(めんもく)爽(さはやか)に、稍傲(ややおご)れる色有れど峻(さかし)くはあらず、しかも今陶々然として酒興を発し、春の日長の野辺(のべ)を辿(たど)るらんやうに、西筋の横町をこの大路に出(い)で来(きた)らんとす。
「瓢(ひよう)空(むなし)く夜(よ)は静(しづか)にして高楼に上(のぼ)り、酒を買ひ、簾(れん)を巻き、月を邀(むか)へて酔(ゑ)ひ、酔中(すいちゆう)剣(けん)を払へば光(ひかり)月(つき)を射る」
 彼は節(ふし)をかしく微吟を放ちて、行く行くかつ楽むに似たり。打晴れたる空は瑠璃色(るりいろ)に夕栄(ゆふば)えて、俄(にはか)に冴(さ)え勝(まさ)る□(こがらし)の目口に沁(し)みて磨錻(とぎはり)を打つらんやうなるに、烈火の如き酔顔を差付けては太息嘘(ふといきふ)いて、右に一歩左に一歩と□(よろめ)きつつ、
「往々(おうおう)悲歌(ひか)して独(ひと)り流涕(りゆうてい)す、君山(くんざん)を□却(さんきやく)して湘水(しようすい)平に桂樹(けいじゆ)を□却(しやくきやく)して月更(さら)に明(あきらか)ならんを、丈夫(じようふ)志有(こころざしあ)りて……」
 と唱(うた)ひ出(い)づる時、一隊の近衛騎兵(このえきへい)は南頭(みなみがしら)に馬を疾(はや)めて、真一文字(まいちもんじ)に行手を横断するに会ひければ、彼は鉄鞭(てつべん)を植(た)てて、舞立つ砂煙(すなけむり)の中に魁(さきがけ)の花を装(よそほ)へる健児の参差(しんさ)として推行(おしゆ)く後影(うしろかげ)をば、壮(さかん)なる哉(かな)と謂(いは)まほしげに看送(みおく)りて、
「我(われ)四方(しほう)に遊びて意(こころ)を得ず、陽狂(ようきよう)して薬を施す成都の市(し)」
 と漫(そぞろ)にその詩の首(はじめ)をば小声(こごゑ)朗(ほがらか)に吟じゐたり。さては往来(ゆきき)の遑(いとまな)き目も皆牽(ひか)れて、この節季の修羅場(しゆらば)を独(ひとり)天下(てんか)に吃(くら)ひ酔(ゑ)へるは、何者の暢気(のんき)か、自棄(やけ)か、豪傑か、悟(さとり)か、酔生児(のんだくれ)か、と異(あやし)き姿を見て過(すぐ)る有れば、面(おもて)を識らんと窺(うかが)ふ有り、又はその身の上など思ひつつ行くも有り。彼は太(いた)く酔(ゑ)へれば総(すべ)て知らず、町の殷賑(にぎはひ)を眺(なが)め遣(や)りて、何方(いづれ)を指して行かんとも心定らず姑(しばら)く立てるなりけり。
 さばかり人に怪(あやし)まるれど、彼は今日のみこの町に姿を顕(あらは)したるにあらず、折々散歩すらんやうに出来(いでく)ることあれど、箇様(かよう)の酔態を認むるは、兼て注目せる派出所の巡査も希(めづら)しと思へるなり。
 やがて彼は鉄鞭(てつべん)を曳鳴(ひきなら)して大路を右に出でしが、二町ばかりも行きて、乾(いぬゐ)の方(かた)より狭き坂道の開きたる角(かど)に来にける途端(とたん)に、風を帯びて馳下(はせくだ)りたる俥(くるま)は、生憎(あいにく)其方(そなた)に□(よろめ)ける酔客(すいかく)の□(よわごし)の辺(あたり)を一衝撞(ひとあてあ)てたりければ、彼は郤含(はずみ)を打つて二間も彼方(そなた)へ撥飛(はねとば)さるると斉(ひとし)く、大地に横面擦(よこづらす)つて僵(たふ)れたり。不思議にも無難に踏留(ふみとどま)りし車夫は、この麁忽(そこつ)に気を奪れて立ちたりしが、面倒なる相手と見たりけん、そのまま轅(かぢ)を回して逃れんとするを、俥の上なる黒綾(くろあや)の吾妻(あづま)コオト着て、素鼠縮緬(すねずみちりめん)の頭巾被(づきんかぶ)れる婦人は樺色無地(かばいろむじ)の絹臘虎(きぬらつこ)の膝掛(ひざかけ)を推除(おしの)けて、駐(と)めよ、返せと悶(もだ)ゆるを、猶(なほ)聴かで曳々(えいえい)と挽(ひ)き行く後(うしろ)より、
「待て、こら!」と喝(かつ)する声に、行く人の始て事有りと覚(さと)れるも多く、はや車夫の不情を尤(とが)むる語(ことば)も聞ゆるに、耐(たま)りかねたる夫人は強(しひ)て其処(そこ)に下車して返り来(きた)りぬ。
 例の物見高き町中なりければ、この忙(せはし)き際(きは)をも忘れて、寄来(よりく)る人数(にんず)は蟻(あり)の甘きを探りたるやうに、一面には遭難者の土に踞(つくば)へる周辺(めぐり)を擁し、一面には婦人の左右に傍(そ)ひて、目に物見んと揉立(もみた)てたり。婦人は途(みち)を来つつ被物(かぶりもの)を取りぬ。紋羽二重(もんはぶたへ)の小豆鹿子(あづきかのこ)の手絡(てがら)したる円髷(まるわげ)に、鼈甲脚(べつこうあし)の金七宝(きんしつぽう)の玉の後簪(うしろざし)を斜(ななめ)に、高蒔絵(たかまきゑ)の政子櫛(まさこぐし)を翳(かざ)して、粧(よそほひ)は実(げ)に塵(ちり)をも怯(おそ)れぬべき人の謂(い)ひ知らず思惑(おもひまど)へるを、可痛(いたは)しの嵐(あらし)に堪(た)へぬ花の顔(かんばせ)や、と群集(くんじゆ)は自(おのづか)ら声を歛(をさ)めて肝に徹(こた)ふるなりき。
 いと更に面(おもて)の裹(つつ)まほしきこの場を、頭巾脱ぎたる彼の可羞(はづか)しさと切なさとは幾許(いかばかり)なりけん、打赧(うちあか)めたる顔は措(お)き所あらぬやうに、人堵(ひとがき)の内を急足(いそぎあし)に辿(たど)りたり。帽子も鉄鞭(てつべん)も、懐(ふところ)にせしブックも、薩摩下駄(さつまげた)の隻(かたし)も投散されたる中に、酔客(すいかく)は半ば身を擡(もた)げて血を流せる右の高頬(たかほ)を平手に掩(おほ)ひつつ寄来(よりく)る婦人を打見遣(うちみや)りつ。彼はその前に先(ま)づ懦(わるび)れず会釈して、
「どうも取んだ麁相(そそう)を致しまして、何とも相済みませんでございます。おや、お顔を! お目を打(ぶ)ちましたか、まあどうも……」
「いや太(たい)した事は無いのです」
「さやうでございますか。何処(どこ)ぞお痛め遊ばしましたでございませう」
 腰を得立てずゐるを、婦人はなほ気遣(きづか)へるなり。
 車夫は数次(あまたたび)腰(こし)を屈(かが)めて主人の後方(うしろ)より進出(すすみい)でけるが、
「どうも、旦那(だんな)、誠に申訳もございません、どうか、まあ平(ひら)に御勘弁を願ひます」
 眼(まなこ)を其方(そなた)に転じたる酔客は恚(いか)れるとしもなけれど声粛(こゑおごそか)に、
「貴様は善くないぞ。麁相(そそう)を為たと思うたら何為(なぜ)車を駐(と)めん。逃げやうとするから呼止めたんじや。貴様の不心得から主人にも恥を掻(かか)する」
「へい恐入りました」
「どうぞ御勘弁あそばしまして」
 俥(くるま)の主の身を下(くだ)して辞(ことば)を添ふれば、彼も打頷(うちうなづ)きて、
「以来気を着けい、よ」
「へい……へい」
「早う行け、行け」
 やをら彼は起たんとすなり。さては望外なる主従の喜(よろこび)に引易(ひきか)へて、見物の飽気無(あつけな)さは更に望外なりき。彼等は幕の開かぬ芝居に会へる想して、余(あまり)に落着の蛇尾(だび)振はざるを悔みて、はや忙々(いそがはし)き踵(きびす)を回(かへ)すも多かりけれど、又見栄(みばえ)あるこの場の模様に名残(なごり)を惜みつつ去り敢(あ)へぬもありけり。
 車夫は起ち悩める酔客を扶(たす)けて、履物(はきもの)を拾ひ、鞭(むち)を拾ひて宛行(あてが)へば、主人は帽を清め、ブックを取上げて彼に返し、頭巾を車夫に与へて、懇(ねんごろ)に外套(がいとう)、袴(はかま)の泥を払はしめぬ。免(ゆる)されし罪は消えぬべきも、歴々(まざまざ)と挫傷(すりきず)のその面(おもて)に残れるを見れば、疚(やまし)きに堪へぬ心は、なほ為(な)すべき事あるを吝(をし)みて私(わたくし)せるにあらずやと省られて、彼はさすがに見捨てかねたる人の顔を始は可傷(いたま)しと眺(なが)めたりしに、その眼色(まなざし)は漸(やうや)く鋭く、かつは疑ひかつは怪むらんやうに、忍びては矚(まも)りつつ便無(びんな)げに佇(たたず)みけるに、いでや長居は無益(むやく)とばかり、彼は蹌踉(よろよろ)と踏出(ふみいだ)せり。
 婦人はとにもかくにも遣過(やりすご)せしが、又何とか思直(おもひなほ)しけん、遽(にはか)に追行きて呼止めたり。頭(かしら)を捻向(ねぢむ)けたる酔客は□(くも)れる眼(まなこ)を屹(き)と見据ゑて、自(われ)か他(ひと)かと訝(いぶか)しさに言(ことば)も出(いだ)さず。
「もしお人違(ひとちがひ)でございましたら御免あそばしまして。貴方(あなた)は、あの、もしや荒尾さんではゐらつしやいませんですか」
「は?」彼は覚えず身を回(かへ)して、丁(ちよう)と立てたる鉄鞭に仗(よ)り、こは是(これ)白日の夢か、空華(くうげ)の形か、正体見んと為れど、酔眼の空(むなし)く張るのみにて、益(ますま)す霽(は)れざるは疑(うたがひ)なり。
「荒尾さんでゐらつしやいましたか!」
「はあ? 荒尾です、私(わたくし)荒尾です」
「あの間(はざま)貫一を御承知の?」
「おお、間貫一、旧友でした」
「私(わたくし)は鴫沢(しぎさわ)の宮でございます」
「何、鴫沢……鴫沢の……宮と有仰(おつしや)る……?」
「はい、間の居りました宅の鴫沢」
「おお、宮さん!」
 奇遇に驚かされたる彼の酔(ゑひ)は頓(とみ)に半(なかば)は消えて、せめて昔の俤(おもかげ)を認むるや、とその人を打眺(うちなが)むるより外はあらず。
「お久しぶりで御座いました」
 宮は懽(よろこ)び勇みて犇(ひし)と寄りぬ。
 今は美(うつくし)き俥(くるま)の主ならず、路傍の酔客ならず名宣合(なのりあ)へるかれとこれとの思は如何(いかに)。間貫一が鴫沢の家に在りし日は、彼の兄の如く友として善かりし人、彼の身の如く契りて怜(いとし)かりし人にあらずや。その日の彼等は又同胞(はらから)にも得べからざる親(したしみ)を以(も)て、膝(ひざ)をも交(まじ)へ心をも語りしにあらずや。その日の彼等は多少の転変を覚悟せし一生の中に、今日の奇遇を算(かぞ)へざりしなり。よしさりとも、一(ひと)たび同胞(はらから)と睦合(むつみあ)へりし身の、弊衣(へいい)を飄(ひるがへ)して道に酔(ゑ)ひ、流車を駆りて富に驕(おご)れる高下(こうげ)の差別(しやべつ)の自(おのづか)ら種(しゆ)有りて作(な)せるに似たる如此(かくのごと)きを、彼等は更に更に夢(ゆめみ)ざりしなり。その算(かぞ)へざりし奇遇と夢(ゆめみ)ざりし差別(しやべつ)とは、咄々(とつとつ)、相携へて二人の身上(しんじよう)に逼(せま)れるなり。女気(をんなぎ)の脆(もろ)き涙ははや宮の目に湿(うるほ)ひぬ。
「まあ大相お変り遊ばしたこと!」
「貴方(あなた)も変りましたな!」
 さしも見えざりし面(おもて)の傷の可恐(おそろし)きまでに益(ますま)す血を出(いだ)すに、宮は持たりしハンカチイフを与へて拭(ぬぐ)はしめつつ、心も心ならず様子を窺(うかが)ひて、
「お痛みあそばすでせう。少しお待ちあそばしまし」
 彼は何やらん吩咐(いひつ)けて車夫を遣りぬ。
「直(ぢき)この近くに懇意の医者が居りますから、其処(そこ)までいらしつて下さいまし。唯今俥を申附けました」
「何の、そんなに騒ぐほどの事は無いです」
「あれ、お殆(あぶな)うございますよ。さうして大相召上つてゐらつしやるやうですから、ともかくもお俥でお出(いで)あそばしまし」
「いんや、宜(よろし)い、大丈夫。時に間はその後どうしましたか」
 宮は胸先(むなさき)を刃(やいば)の透(とほ)るやうに覚(おぼ)ゆるなりき。
「その事に就きまして色々お話も致したいので御座います」
「然し、どうしてゐますか、無事ですか」
「はい……」
「決して、無事ぢやない筈(はず)です」
 生きたる心地もせずして宮の慙(は)ぢ慄(をのの)ける傍(かたはら)に、車夫は見苦(みぐるし)からぬ一台の辻車(つじぐるま)を伴ひ来(きた)れり。漸(やうや)く面(おもて)を挙(あぐ)れば、いつ又寄りしとも知らぬ人立(ひとたち)を、可忌(いまはし)くも巡査の怪みて近(ちかづ)くなり。

     第二章

 鬚深(ひげふか)き横面(よこづら)に貼薬(はりくすり)したる荒尾譲介(あらおじようすけ)は既に蒼(あを)く酔醒(ゑひさ)めて、煌々(こうこう)たる空気ラムプの前に襞□(ひだ)もあらぬ袴(はかま)の膝(ひざ)を丈六(じようろく)に組みて、接待莨(せつたいたばこ)の葉巻を燻(くゆ)しつつ意気粛(おごそか)に、打萎(うちしを)れたる宮と熊の敷皮を斜(ななめ)に差向ひたり。こはこれ、彼の識(し)れると謂(い)ひし医師の奥二階にて、畳敷にしたる西洋造の十畳間なり。物語ははや緒(いとぐち)を解きしなるべし。
「間(はざま)が影を隠す時、僕に遺(のこ)した手紙が有る、それで悉(くはし)い様子を知つてをるです。その手紙を見た時には、僕も顫(ふる)へて腹が立つた。直(すぐ)に貴方(あなた)に会うて、是非これは思返すやうに飽くまで忠告して、それで聴かずば、もう人間の取扱は為ちやをられん、腹の癒(い)ゆるほど打□(うちのめ)して、一生結婚の成らんやう立派な不具(かたは)にしてくれやう、と既にその時は立上つたですよ。然し、間が言(ことば)を尽しても貴方が聴かんと云ふ、僕の言(ことば)を容(い)れやう道理が無い。又間を嫌(きら)うた以上は、貴方は富山への売物じや。他(ひと)の売物に疵(きず)を附けちや済まん、とさう思うて、そりや実に矢も楯(たて)も耐(たま)らん胸を□(さす)つて了(しま)うたんです」
 宮が顔を推当(おしあ)てたる片袖(かたそで)の端(はし)より、連(しきり)に眉(まゆ)の顰(ひそ)むが見えぬ。
「宮さん、僕は貴方はさう云ふ人ではないと思うた。あれ程互に愛してをつた間(はざま)さへが欺かれたんぢやから、僕の欺れたのは無理も無いぢやらう。僕は僕として貴方を怨(うら)むばかりでは慊(あきた)らん、間に代つて貴方を怨むですよ、いんや、怨む、七生(しちしよう)まで怨む、きつと怨む!」
 終(つひ)に宮が得堪(えた)へぬ泣音(なくね)は洩(も)れぬ。
「間の一身を誤つたのは貴方が誤つたのぢや。それは又間にしても、高が一婦女子(いつぷじよし)に棄てられたが為に志を挫(くじ)いて、命を抛(なげう)つたも同然の堕落に果てる彼の不心得は、別に間として大いに責めんけりやならん。然し、間が如何(いか)に不心得であらうと、貴方の罪は依然として貴方の罪ぢや、のみならず、貴方が間を棄てた故(ゆゑ)に、彼が今日(こんにち)の有様に堕落したのであつて見れば、貴方は女の操(みさを)を破つたのみでない。併(あは)せて夫を刺殺(さしころ)したも……」
 宮は慄然(りつぜん)として振仰ぎしが、荒尾の鋭き眥(まなじり)は貫一が怨(うらみ)も憑(うつ)りたりやと、その見る前に身の措所無(おきどころな)く打竦(うちすく)みたり。
「同じですよ。さうは思ひませんか。で、貴方の悔悟(かいご)されたのは善い、これは人として悔悟せんけりやならん事。けれども残念ながら今日(こんにち)に及んでの悔悟は業(すで)に晩(おそ)い。間の堕落は間その人の死んだも同然、貴方は夫を持つて六年、なあ、水は覆(くつがへ)つた。盆は破れて了(しま)うたんじや。かう成つた上は最早(もはや)神の力も逮(およ)ぶことではない。お気の毒じやと言ひたいが、やはり貴方が自ら作(な)せる罪の報(むくい)で、固よりかく有るべき事ぢやらうと思ふ」
 宮は俯(うつむ)きてよよと泣くのみ。
 吁(ああ)、吾が罪! さりとも知らで犯せし一旦の吾が罪! その吾が罪の深さは、あの人ならぬ人さへかくまで憎み、かくまで怨むか。さもあらば、必ず思知る時有らんと言ひしその人の、争(いか)で争で吾が罪を容(ゆる)すべき。吁(ああ)、吾が罪は終(つひ)に容(ゆる)されず、吾が恋人は終に再び見る能はざるか。
 宮は胸潰(むねつぶ)れて、涙の中に人心地(ひとここち)をも失はんとすなり。
 おのれ、利を見て愛無かりし匹婦(ひつぷ)、憎しとも憎しと思はざるにあらぬ荒尾も、当面に彼の悔悟の切なるを見ては、さすがに情(じよう)は動くなりき。宮は際無(はてしな)く顔を得挙(えあ)げずゐたり。
「然し、好う悔悟を作(なす)つた。間が容さんでも、又僕が容さんでも、貴方はその悔悟に因(よ)つて自ら容されたんじや」
 由無(よしな)き慰藉(なぐさめ)は聞かじとやうに宮は俯(ふ)しながら頭(かしら)を掉(ふ)りて更に泣入りぬ。
「自(みづから)にても容されたのは、誰(たれ)にも容されんのには勝(まさ)つてをる。又自ら容さるるのは、終には人に容さるるそれが始ぢやらうと謂(い)ふもの。僕は未(ま)だ未だ容し難く貴方を怨む、怨みは為るけれど、今日(こんにち)の貴方の胸中は十分察するのです。貴方のも察するからには、他の者の間(はざま)の胸中もまた察せにやならん、可いですか。さうして孰(いづれ)が多く憐(あはれ)むべきであるかと謂へば、間の無念は抑(そもそも)どんなぢやらうか、なあ、僕はそれを思ふんです。それを思うて見ると、貴方の苦痛を傍観するより外は無い。
 かうして今日(こんにち)図らずお目に掛つた。僕は婦人として生涯の友にせうと思うた人は、後にも先にも貴方ばかりじや。いや、それは段々お世話にもなつた、忝(かたじけな)いと思うた事も幾度(いくたび)か知れん、その媛友(レディフレンド)に何年ぶりかで逢うたのぢやから、僕も実に可懐(なつかし)う思ひました」
 宮は泣音(なくね)の迸(ほとばし)らんとするを咬緊(くひし)めて、濡浸(ぬれひた)れる袖(そで)に犇々(ひしひし)と面(おもて)を擦付(すりつ)けたり。
「けれど又、円髷(まるわげ)に結うて、立派にしてゐらるるのを見りや、決(け)して可愛(かはゆ)うはなかつた。幸ひ貴方が話したい事が有ると言(いは)るる、善し、あの様に間を詐(いつは)つた貴方じや、又僕を幾何(どれ)ほど詐ることぢやらう、それを聞いた上で、今日こそは打□(うちのめ)してくれやうと待つてをつた。然るに、貴方の悔悟、僕は陰(ひそか)に喜んで聴いたのです。今日(こんにち)の貴方はやはり僕の友(フレンド)の宮さんぢやつた。好う貴方悔悟なすつた! さも無かつたら、貴方の顔にこの十倍の疵(きず)を附けにや還(かへ)さんぢやつたのです。なあ、自ら容されたのは人に赦さるる始――解りましたか。
 で、間に取成してくれい、詑(わび)を言うてくれい、とのお嘱(たのみ)ぢやけれど、それは僕は為(せ)ん。為んのは、間に対してどうも出来んのぢやから。又貴方に罪有りと知つてをりながらその人から頼まるる僕でない。又僕が間であつたらば、断じて貴方の罪は容さんのぢやから。
 かうして親友の敵(かたき)に逢うてからに、指も差さずに別るる、これが荒尾の貴方に対する寸志と思うて下さい。いや、久しぶりで折角お目に掛りながら、可厭(いや)な言(こと)ばかり聞せました。それぢや、まあ、御機嫌好(ごきげんよ)う、これでお暇(いとま)します」
 会釈して荒尾の身を起さんとする時、
「暫(しばら)く、どうぞ」宮は取乱したる泣顔を振挙(ふりあ)げて、重き瞼(まぶた)の露を払へり。
「それではこの上どんなにお願ひ申しましても、貴方はお詑を為(なす)つては下さらないので御座いますか。さうして貴方もやはり私(わたくし)を容(ゆる)さんと有仰(おつしや)るので御座いますか」
「さうです」
 忙(せは)しげに荒尾は片膝(かたひざ)立ててゐたり。
「どうぞもう暫くゐらしつて下さいまし、唯今(ただいま)直(ぢき)に御飯が参りますですから」
「や、飯(めし)なら欲うありませんよ」
「私は未だ申上げたい事が有るのでございますから、荒尾さんどうかお坐り下さいまし」
「いくら貴方が言うたつて、返らん事ぢやありませんか」
「そんなにまで有仰らなくても、……少しは、もう堪忍(かんにん)なすつて下さいまし」
 火鉢(ひばち)の縁(ふち)に片手を翳(かざ)して、何をか打案ずる様(さま)なる目を□(そら)しつつ荒尾は答へず。
「荒尾さん、それでは、とてもお聴入(ききいれ)はあるまいと私は諦(あきら)めましたから、貫一(かんいつ)さんへお詑の事はもう申しますまい、又貴方に容して戴く事も願ひますまい」
 咄嗟(とつさ)に荒尾の視線は転じて、猶語続(かたりつづく)る宮が面(おもて)を掠(かす)め去(さ)りぬ。
「唯一目私は貫一さんに逢ひまして、その前でもつて、私の如何(いか)にも悪かつた事を思ふ存分謝(あやま)りたいので御座います。唯あの人の目の前で謝りさへ為たら、それで私は本望なのでございます。素(もと)より容してもらはうとは思ひません。貫一さんが又容してくれやうとも、ええ、どうせ私は思ひは致しません。容されなくても私はかまひません。私はもう覚悟を致し……」
 宮は苦しげに涙を呑みて、
「ですから、どうぞ御一所にお伴れなすつて下さいまし。貴方がお伴れなすつて下されば、貫一さんはきつと逢つてくれます。逢つてさへくれましたら、私は殺されましても可(よ)いので御座います。貴方と二人で私を責めて責めて責め抜いた上で、貫一さんに殺さして下さいまし。私は貫一さんに殺してもらひたいので御座います」
 感に打れて霜置く松の如く動かざりし荒尾は、忽(たちま)ちその長き髯(ひげ)を振りて頷(うなづ)けり。
「うむ、面白い! 逢うて間に殺されたいとは、宮さん好う言(いは)れた。さうなけりやならんじや。然し、なあ、然しじや、貴方は今は富山の奥さん、唯継(ただつぐ)と云ふ夫の有る身じや、滅多な事は出来んですよ」
「私はかまひません!」
「可かん、そりや可かん。間に殺されても辞せんと云ふその悔悟は可いが、それぢや貴方は間有るを知つて夫有るのを知らんのじや。夫はどうなさるなあ、夫に道が立たん事になりはせまいか、そこも考へて貰はにやならん。
 して見りや、始には富山が為に間を欺き、今又間の為に貴方(あなた)は富山を欺くんじや。一人ならず二人欺くんじや! 一方には悔悟して、それが為に又一方に罪を犯したら、折角の悔悟の効は没(なくな)つて了ふ」
「そんな事はかまひません!」
 無慙(むざん)に唇(くちびる)を咬(か)みて、宮は抑へ難くも激せるなり。
「かまはんぢや可かん」
「いいえ、かまひません!」
「そりや可かん!」
「私(わたくし)はもうそんな事はかまひませんのです。
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