金色夜叉
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著者名:尾崎紅葉 

その業務として行はざるべからざる残忍刻薄を自ら強(し)ふる痛苦は、能(よ)く彼の痛苦と相剋(あひこく)して、その間(かん)聊(いささ)か思(おもひ)を遣るべき余地を窃(ぬす)み得るに慣れて、彼は漸(やうや)く忍ぶべからざるを忍びて為し、恥づべきをも恥ぢずして行ひけるほどに、勁敵(けいてき)に遇(あ)ひ、悪徒に罹(かか)りて、或は弄(もてあそ)ばれ、或は欺かれ、或は脅(おびやか)され勢(いきほひ)毒を以つて制し、暴を以つて易(か)ふるの已(や)むを得ざるより、一(いつ)はその道の習に薫染して、彼は益(ますま)す懼(おそ)れず貪(むさぼ)るに至れるなり。同時に例の不断の痛苦は彼を撻(むちう)つやうに募ることありて、心も消々(きえきえ)に悩まさるる毎に、齷□(あくさく)利を趁(お)ふ力も失せて、彼はなかなか死の安きを懐(おも)はざるにあらず。唯その一旦にして易(やす)く、又今の空(むなし)き死を遂(と)げ了(をは)らんをば、いと効為(かひな)しと思返して、よし遠くとも心に期するところは、なでう一度(ひとたび)前(さき)の失望と恨とを霽(はら)し得て、胸裡(きようり)の涼きこと、氷を砕いて明鏡を磨(と)ぐが如く為ざらん、その夕(ゆふべ)ぞ我は正(まさ)に死ぬべきと私(ひそか)に慰むるなりき。
 貫一は一(いつ)はかの痛苦を忘るる手段として、一(いつ)はその妄執(もうしゆう)を散ずべき快心の事を買はんの目的をもて、かくは高利を貪(むさぼ)れるなり。知らず彼がその夕(ゆふべ)にして瞑(めい)せんとする快心の事とは何ぞ。彼は尋常復讐(ふくしゆう)の小術を成して、宮に富山に鴫沢に人身的攻撃を加へて快を取らんとにはあらず、今少(すこし)く事の大きく男らしくあらんをば企図(きと)せるなり。然れども、痛苦の劇(はげし)く、懐旧の恨に堪(た)へざる折々、彼は熱き涙を握りて祈るが如く嘆(かこ)ちぬ。
「□(ああ)、こんな思を為るくらゐなら、いつそ潔く死んだ方が夐(はるか)に勝(まし)だ。死んでさへ了へば万慮空(むなし)くこの苦艱(くげん)は無いのだ。それを命が惜くもないのに死にもせず……死ぬのは易(やす)いが、死ぬことの出来んのは、どう考へても余り無念で、この無念をこのままに胸に納めて死ぬことは出来んのだ。貨(かね)が有つたら何が面白いのだ。人に言はせたら、今俺(おれ)の貯(たくは)へた貨(かね)は、高が一人の女の宮に換へる価はあると謂(い)ふだらう。俺には無い! 第一貨(かね)などを持つてゐるやうな気持さへ為(せ)んぢやないか。失望した身にはその望を取復(とりかへ)すほどの宝は無いのだ。□(ああ)、その宝は到底取復されん。宮が今罪を詑(わ)びて夫婦になりたいと泣き付いて来たとしても、一旦心を変じて、身まで涜(けが)された宮は、決して旧(もと)の宮ではなければ、もう間(はざま)の宝ではない。間の宝は五年前(ぜん)の宮だ。その宮は宮の自身さへ取復す事は出来んのだ。返す返す恋(こひし)いのは宮だ。かうしてゐる間(ま)も宮の事は忘れかねる、けれど、それは富山の妻になつてゐる今の宮ではない、噫(ああ)、鴫沢の宮! 五年前(ぜん)の宮が恋い。俺が百万円を積んだところで、昔の宮は獲(え)られんのだ! 思へば貨(かね)もつまらん。少(すくな)いながらも今の貨(かね)が熱海へ追つて行つた時の鞄(かばん)の中に在つたなら……ええ□」
 頭(かしら)も打割るるやうに覚えて、この以上を想ふ能(あた)はざる貫一は、ここに到りて自失し了るを常とす。かかる折よ、熱海の浜に泣倒れし鴫沢の娘と、田鶴見(たずみ)の底に逍遙(しようよう)せし富山が妻との姿は、双々(そうそう)貫一が身辺を彷徨(ほうこう)して去らざるなり。彼はこの痛苦の堪ふべからざるに任せて、ほとほと前後を顧ずして他の一方に事を為すより、往々その性の為す能はざるをも為して、仮(か)さざること仇敵(きゆうてき)の如く、債務を逼(せま)りて酷を極(きは)むるなり。退(しりぞ)いてはこれを悔ゆるも、又折に触れて激すれば、忽(たちま)ち勢に駆られて断行するを憚(はばか)らざるなり。かくして彼の心に拘(かかつら)ふ事あれば、自(おのづか)ら念頭を去らざる痛苦をもその間に忘るるを得べく、素(もと)より彼は正(せい)を知らずして邪を為し、是(ぜ)を喜ばずして非(ひ)を為すものにあらざれば、己(おのれ)を抂(ま)げてこれを行ふ心苦しさは俯(ふ)して愧(は)ぢ、仰ぎて懼(おそ)れ、天地の間に身を置くところは、纔(わづか)にその容(い)るる空間だに猶濶(なほひろ)きを覚ゆるなれど、かの痛苦に較べては、夐(はるか)に忍ぶの易く、体(たい)のまた胖(ゆたか)なるをさへ感ずるなりけり。
 一向(ひたぶる)に神(しん)を労し、思を費して、日夜これを暢(のぶ)るに遑(いとま)あらぬ貫一は、肉痩(にくや)せ、骨立ち、色疲れて、宛然(さながら)死水(しすい)などのやうに沈鬱し了(をは)んぬ。その攅(あつ)めたる眉(まゆ)と空(むなし)く凝(こら)せる目とは、体力の漸(やうや)く衰ふるに反して、精神の愈(いよい)よ興奮するとともに、思の益(ますま)す繁(しげ)く、益す乱るるを、従ひて芟(か)り、従ひて解かんとすれば、なほも繁り、なほも乱るるを、竟(つひ)に如何(いか)に為(せ)ばや、と心も砕けつつ打悩めるを示せり。更に見よ、漆のやうに鮮潤(つややか)なりし髪は、後脳の辺(あたり)に若干(そくばく)の白きを交(まじ)へて、額に催せし皺(しわ)の一筋長く横(よこた)はれるぞ、その心の窄(せばま)れる襞(ひだ)ならざるべき、況(いは)んや彼の面(おもて)を蔽(おほ)へる蔭は益(ますま)す暗きにあらずや。
 吁(ああ)、彼はその初一念を遂(と)げて、外面(げめん)に、内心に、今は全くこの世からなる魔道に墜(お)つるを得たりけるなり。貪欲界(どんよくかい)の雲は凝(こ)りて歩々(ほほ)に厚く護(まも)り、離恨天(りこんてん)の雨は随所直(ただち)に灑(そそ)ぐ、一飛(いつぴ)一躍出でては人の肉を啖(くら)ひ、半生半死入(い)りては我と膓(はらわた)を劈(つんざ)く。居(を)る所は陰風常に廻(めぐ)りて白日を見ず、行けども行けども無明(むみよう)の長夜(ちようや)今に到るまで一千四百六十日、逢(あ)へども可懐(なつかし)き友の面(おもて)を知らず、交(まじは)れども曾(かつ)て情(なさけ)の蜜(みつ)より甘きを知らず、花咲けども春日(はるび)の麗(うららか)なるを知らず、楽来(たのしみきた)れども打背(うちそむ)きて歓(よろこ)ぶを知らず、道あれども履(ふ)むを知らず、善あれども与(くみ)するを知らず、福(さいはひ)あれども招くを知らず、恵あれども享(う)くるを知らず、空(むなし)く利欲に耽(ふけ)りて志を喪(うしな)ひ、偏(ひとへ)に迷執に弄(もてあそ)ばれて思を労(つか)らす、吁(ああ)、彼は終(つひ)に何をか成さんとすらん。間貫一の名は漸(やうや)く同業者間に聞えて、恐るべき彼の未来を属目(しよくもく)せざるはあらずなりぬ。
 かの堪(た)ふべからざる痛苦と、この死をも快くせんとする目的とあるが為に、貫一の漸く頻(しきり)なる厳談酷促(げんだんこくそく)は自(おのづ)から此処(ここ)に彼処(かしこ)に債務者の怨(うらみ)を買ひて、彼の為に泣き、彼の為に憤るもの寡(すくな)からず、同業者といへども時としては彼の余(あまり)に用捨無きを咎(とが)むるさへありけり。独(ひと)り鰐淵はこれを喜びて、強将の下弱卒を出(いだ)さざるを誇れるなり。彼は己(おのれ)の今日(こんにち)あるを致せし辛抱と苦労とは、未(いま)だ如此(かくのごと)くにして足るものならずとて、屡(しばし)ばその例を挙げては貫一を□(そそのか)し、飽くまで彼の意を強うせんと勉(つと)めき。これが為に慰めらるるとにはあらねど、その行へる残忍酷薄の人の道に欠けたるを知らざるにあらぬ貫一は、職業の性質既に不法なればこれを営むの非道なるは必然の理(ことわり)にて、己(おのれ)の為(な)すところは都(すべ)ての同業者の為すところにて、己一人(おのれいちにん)の残刻なるにあらず、高利貸なる者は、世間一様に如此(かくのごと)く残刻ならざるべからずと念(おも)へるなり。故(ゆゑ)に彼は決して己の所業のみ独(ひと)り怨(うらみ)を買ふべきにあらずと信じたり。
 実(げ)に彼の頼める鰐淵直行の如きは、彼の辛(から)うじてその半(なかば)を想ひ得る残刻と、終(つひ)に学ぶ能(あた)はざる譎詐(きつさ)とを左右にして、始めて今日(こんにち)の富を得てしなり。この点に於ては彼は一も二も無く貫一の師表たるべしといへども、その実さばかりの残刻と譎詐(きつさ)とを擅(ほしいまま)にして、なほ天に畏(おそ)れず、人に憚(はばか)らざる不敵の傲骨(ごうこつ)あるにあらず。彼は密(ひそか)に警(いまし)めて多く夜出(い)でず、内には神を敬して、得知れぬ教会の大信者となりて、奉納寄進に財を吝(をし)まず、唯これ身の無事を祈るに汲々(きゆうきゆう)として、自ら安ずる計(はかりごと)をなせり。彼は年来非道を行ひて、なほこの家栄え、身の全きを得るは、正(まさ)にこの信心の致すところと仕へ奉る御神(おんかみ)の冥護(みようご)を辱(かたじけ)なみて措(お)かざるなりき。貫一は彼の如く残刻と譎詐(きつさ)とに勇ならざりけれど、又彼の如く敬神と閉居とに怯(きよ)ならず、身は人と生れて人がましく行ひ、一(いつ)も曾(かつ)て犯せる事のあらざりしに、天は却(かへ)りて己を罰し人は却りて己を詐(いつは)り、終生の失望と遺恨とは濫(みだり)に断膓(だんちよう)の斧(をの)を揮(ふる)ひて、死苦の若(し)かざる絶痛を与ふるを思ひては、彼はよし天に人に憤るところあるも、懼(おそ)るべき無しと為(せ)るならん。貫一の最も懼れ、最も憚るところは自(みづから)の心のみなりけり。

     第八章

 用談果つるを俟(ま)ちて貫一の魚膠無(にべな)く暇乞(いとまごひ)するを、満枝は暫(しば)しと留置(とどめお)きて、用有りげに奥の間にぞ入(い)りたる。その言(ことば)の如く暫し待てども出(い)で来(こ)ざれば、又巻莨(まきたばこ)を取出(とりいだ)しけるに、手炉(てあぶり)の炭は狼(おほかみ)の糞(ふん)のやうになりて、いつか火の気の絶えたるに、檀座(たんざ)に毛糸の敷物したる石笠(いしがさ)のラムプの□(ほのほ)を仮りて、貫一は為(せ)う事無しに煙(けふり)を吹きつつ、この赤樫(あかがし)の客間を夜目ながら□(みまは)しつ。
 袋棚(ふくろだな)なる置時計は十時十分前を指せり。違棚には箱入の人形を大小二つ並べて、その下は七宝焼擬(しつぽうやきまがひ)の一輪挿(いちりんざし)、蝋石(ろうせき)の飾玉を水色縮緬(みづいろちりめん)の三重(みつがさね)の褥(しとね)に載せて、床柱なる水牛の角の懸花入(かけはないれ)は松に隼(はやぶさ)の勧工場蒔絵(まきゑ)金々(きんきん)として、花を見ず。鋳物(いもの)の香炉の悪古(わるふる)びに玄(くす)ませたると、羽二重(はぶたへ)細工の花筐(はなかたみ)とを床に飾りて、雨中(うちゆう)の富士をば引攪旋(ひきかきまは)したるやうに落墨して、金泥精描の騰竜(のぼりりゆう)は目貫(めぬき)を打つたるかとばかり雲間(くもま)に耀(かがや)ける横物(よこもの)の一幅。頭(かしら)を回(めぐ)らせば、□間(びかん)に黄海(こうかい)大海戦の一間程なる水彩画を掲げて座敷の隅(すみ)には二鉢(ふたばち)の菊を据ゑたり。
 やや有りて出来(いできた)れる満枝は服を改めたるなり。糸織の衿懸(えりか)けたる小袖(こそで)に納戸(なんど)小紋の縮緬の羽織着て、七糸(しつちん)と黒繻子(くろじゆす)との昼夜帯して、華美(はで)なるシオウルを携へ、髪など撫付(なでつ)けしと覚(おぼし)く、面(おもて)も見違ふやうに軽く粧(よそほ)ひて、
「大変失礼を致しました。些(ちよつ)と私(わたくし)も其処(そこ)まで買物に出ますので、実は御一緒に願はうと存じまして」
 無礼なりとは思ひけれど、口説れし誼(よしみ)に貫一は今更腹も立て難くて、
「ああさうですか」
 満枝はつと寄りて声を低くし、
「御迷惑でゐらつしやいませうけれど」
 聴き飽きたりと謂(い)はんやうに彼は取合はで、
「それぢや参りませう。貴方(あなた)は何方(どちら)までお出(いで)なのですか」
「私(わたくし)は大横町(おおよこちよう)まで」
 二人は打連れて四谷左門町(よつやさもんちよう)なる赤樫の家を出(い)でぬ。伝馬町通(てんまちようどおり)は両側の店に燈(ともし)を列(つら)ねて、未(ま)だ宵なる景気なれど、秋としも覚えず夜寒の甚(はなはだし)ければ、往来(ゆきき)も稀(まれ)に、空は星あれどいと暗し。
「何といふお寒いのでございませう」
「さやう」
「貴方、間さん、貴方そんなに離れてお歩き遊ばさなくても宜(よろし)いぢやございませんか。それではお話が達(とど)きませんわ」
 彼は町の左側をこたびは貫一に擦寄(すりよ)りて歩めり。
「これぢや私(わたくし)が歩き難(にく)いです」
「貴方お寒うございませう。私お鞄(かばん)を持ちませう」
「いいや、どういたして」
「貴方(あなた)恐入りますが、もう少し御緩(ごゆつく)りお歩きなすつて下さいましな、私呼吸(いき)が切れて……」
 已(や)む無く彼は加減して歩めり。満枝は着重(きおも)るシォウルを揺上(ゆりあ)げて、
「疾(とう)から是非お話致したいと思ふ事があるのでございますけれど、その後些(ちよつ)ともお目に掛らないものですから。間さん、貴方、本当に偶(たま)にはお遊びにいらしつて下さいましな。私もう決して先達而(せんだつて)のやうな事は再び申上げませんから。些(ち)といらしつて下さいましな」
「は、難有(ありがた)う」
「お手紙を上げましても宜うございますか」
「何の手紙ですか」
「御機嫌伺(ごきげんうかがひ)の」
「貴方から機嫌を伺はれる訳が無いぢやありませんか」
「では、恋(こひし)い時に」
「貴方が何も私を……」
「恋いのは私の勝手でございますよ」
「然し、手紙は人にでも見られると面倒ですから、お辞(ことわり)をします」
「でも近日に私お話を致したい事があるのでございますから、鰐淵(わにぶち)さんの事に就きましてね、私はこれ程困つた事はございませんの。で、是非貴方に御相談を願はうと存じまして、……」
 唯(と)見れば伝馬町(てんまちよう)三丁目と二丁目との角なり。貫一はここにて満枝を撒(ま)かんと思ひ設けたるなれば、彼の語り続くるをも会釈為(せ)ずして立住(たちどま)りつ。
「それぢや私はここで失礼します」
 その不意に出(い)でて貫一の闇(くら)き横町に入(い)るを、
「あれ、貴方(あなた)、其方(そちら)からいらつしやるのですか。この通をいらつしやいましなね、わざわざ、そんな寂(さびし)い道をお出(いで)なさらなくても、此方(こつち)の方が順ではございませんか」
 満枝は離れ難なく二三間追ひ行きたり。
「なあに、此方(こつち)が余程近いのですから」
「幾多(いくら)も違ひは致しませんのに、賑(にぎや)かな方をいらつしやいましよ。私その代り四谷見附(みつけ)の所までお送り申しますから」
「貴方に送つて戴(いただ)いたつて為やうが無い。夜が更(ふ)けますから、貴方も早く買物を為すつてお帰りなさいまし」
「そんなお為転(ためごかし)を有仰(おつしや)らなくても宜(よろし)うございます」
 かく言争ひつつ、行くにもあらねど留るにもあらぬ貫一に引添ひて、不知不識(しらずしらず)其方(そなた)に歩ませられし満枝は、やにはに立竦(たちすく)みて声を揚げつ。
「ああ! 間さん些(ちよつ)と」
「どうしました」
「路悪(みちわる)へ入つて了(しま)つて、履物(はきもの)が取れないのでございますよ」
「それだから貴方はこんな方へお出(い)でなさらんが可いのに」
 彼は渋々寄り来(きた)れり。
「憚様(はばかりさま)ですが、この手を引張つて下さいましな。ああ、早く、私転びますよ」
 シォウルの外に援(たすけ)を求むる彼の手を取りて引寄すれば、女は□(よろめ)きつつ泥濘(ぬかるみ)を出でたりしが、力や余りけん、身を支へかねて□(どう)と貫一に靠(もた)れたり。
「ああ、危い」
「転びましたら貴方(あなた)の所為(せゐ)でございますよ」
「馬鹿なことを」
 彼はこの時扶(たす)けし手を放たんとせしに、釘付(くぎつけ)などにしたらんやうに曳(ひ)けども振れども得離れざるを、怪しと女の面(おもて)を窺(うかが)へるなり。満枝は打背(うちそむ)けたる顔の半(なかば)をシオウルの端(はし)に包みて、握れる手をば弥(いよい)よ固く緊(し)めたり。
「さあ、もう放して下さい」
 益(ますま)す緊めて袖(そで)の中へさへ曳入れんとすれば、
「貴方、馬鹿な事をしては可けません」
 女は一語(ひとこと)も言はず、面も背けたるままに、その手は益(ますます)放たで男の行く方(かた)に歩めり。
「常談しちや可かんですよ。さあ、後(うしろ)から人が来る」
「宜(よろし)うございますよ」
 独語(ひとりご)つやうに言ひて、満枝は弥(いよいよ)寄添ひつ。貫一は怺(こら)へかねて力任せに吽(うん)と曳けば、手は離れずして、女の体のみ倒れかかりぬ。
「あ、痛(いた)! そんな酷(ひど)い事をなさらなくても、其処(そこ)の角まで参ればお放し申しますから、もう少しの間どうぞ……」
「好い加減になさい」
 と暴(あらら)かに引払(ひつぱら)ひて、寄らんとする隙(ひま)もあらせず摩脱(すりぬ)くるより足を疾(はや)めて津守坂(つのかみざか)を驀直(ましぐら)に下りたり。
 やうやう昇れる利鎌(とかま)の月は乱雲(らんうん)を芟(か)りて、□(はるけ)き梢(こずゑ)の頂(いただき)に姑(しばら)く掛れり。一抹(いちまつ)の闇(やみ)を透きて士官学校の森と、その中なる兵営と、その隣なる町の片割(かたわれ)とは、懶(ものう)く寝覚めたるやうに覚束(おぼつか)なき形を顕(あらは)しぬ。坂上なる巡査派出所の燈(ともし)は空(むなし)く血紅(けつこう)の光を射て、下り行きし男の影も、取残されし女の姿も終(つひ)に見えず。

     (八)の二

 片側町(かたかはまち)なる坂町(さかまち)は軒並(のきなみ)に鎖(とざ)して、何処(いづこ)に隙洩(すきも)る火影(ひかげ)も見えず、旧砲兵営の外柵(がいさく)に生茂(おひしげ)る群松(むらまつ)は颯々(さつさつ)の響を作(な)して、その下道(したみち)の小暗(をぐら)き空に五位鷺(ごいさぎ)の魂切(たまき)る声消えて、夜色愁ふるが如く、正(まさ)に十一時に垂(なんな)んとす。
 忽(たちま)ち兵営の門前に方(あた)りて人の叫ぶが聞えぬ、間貫一は二人の曲者(くせもの)に囲れたるなり。一人(いちにん)は黒の中折帽の鐔(つば)を目深(まぶか)に引下(ひきおろ)し、鼠色(ねずみいろ)の毛糸の衿巻(えりまき)に半面を裹(つつ)み、黒キャリコの紋付の羽織の下に紀州ネルの下穿(したばき)高々と尻□(しりからげ)して、黒足袋(くろたび)に木裏の雪踏(せつた)を履(は)き、六分強(ろくぶづよ)なる色木(いろき)の弓の折(をれ)を杖(つゑ)にしたり。他は盲縞(めくらじま)の股引(ももひき)腹掛(はらがけ)に、唐桟(とうざん)の半纏(はんてん)着て、茶ヅックの深靴(ふかぐつ)を穿(うが)ち、衿巻の頬冠(ほほかぶり)に鳥撃帽子(とりうちぼうし)を頂きて、六角に削成(けずりな)したる檳榔子(びんろうじ)の逞きステッキを引抱(ひんだ)き、いづれも身材(みのたけ)貫一よりは低けれど、血気腕力兼備と見えたる壮佼(わかもの)どもなり。
「物取か。恨を受ける覚は無いぞ!」
「黙れ!」と弓の折の寄るを貫一は片手に障(ささ)へて、
「僕は間貫一といふ者だ。恨があらば尋常に敵手(あひて)にならう。物取ならば財(かね)はくれる、訳も言はずに無法千万な、待たんか!」
 答は無くて揮下(ふりおろ)したる弓の折は貫一が高頬(たかほほ)を発矢(はつし)と打つ。眩(めくるめ)きつつも迯(にげ)行くを、猛然と追迫(おひせま)れる檳榔子は、件(くだん)の杖もて片手突に肩の辺(あたり)を曳(えい)と突いたり。踏み耐(こた)へんとせし貫一は水道工事の鉄道(レイル)に跌(つまづ)きて仆(たふ)るるを、得たりと附入(つけい)る曲者は、余(あまり)に躁(はや)りて貫一の仆れたるに又跌き、一間ばかりの彼方(あなた)に反跳(はずみ)を打ちて投飛されぬ。入替(いりかは)りて一番手の弓の折は貫一の背(そびら)を袈裟掛(けさがけ)に打据ゑければ、起きも得せで、崩折(くづを)るるを、畳みかけんとする隙(ひま)に、手元に脱捨(ぬぎす)てたりし駒下駄(こまげた)を取るより早く、彼の面(おもて)を望みて投げたるが、丁(ちよう)と中(あた)りて痿(ひる)むその時、貫一は蹶起(はねお)きて三歩ばかりも□(のが)れしを打転(うちこ)けし檳榔子の躍(をど)り蒐(かか)りて、拝打(をがみうち)に下(おろ)せる杖は小鬢(こびん)を掠(かす)り、肩を辷(すべ)りて、鞄(かばん)持つ手を断(ちぎ)れんとすばかりに撲(う)ちけるを、辛(から)くも忍びてつと退(の)きながら身構(みがまへ)しが、目潰吃(めつぶしくら)ひし一番手の怒(いかり)を作(な)して奮進し来(きた)るを見るより今は危(あやふ)しと鞄の中なる小刀(こがたな)撈(かいさぐ)りつつ馳出(はせい)づるを、輙(たやす)く肉薄せる二人が笞(しもと)は雨の如く、所嫌(ところきら)はぬ滅多打(めつたうち)に、彼は敢無(あへな)くも昏倒(こんとう)せるなり。
檳「どうです、もう可いに為ませうか」
弓「此奴(こいつ)おれの鼻面(はなづら)へ下駄を打着けよつた、ああ、痛(いた)」
 衿巻掻除(かきの)けて彼の撫(な)でたる鼻は朱(あけ)に染みて、西洋蕃椒(たうがらし)の熟(つ)えたるに異らず。
檳「おお、大変な衂(はなぢ)ですぜ」
 貫一は息も絶々ながら緊(しか)と鞄を掻抱(かきいだ)き、右の逆手(さかて)に小刀を隠し持ちて、この上にも狼藉(ろうぜき)に及ばば為(せ)んやう有りと、油断を計りてわざと為す無き体(てい)を装(よそほ)ひ、直呻(ひたうめ)きにぞ呻きゐたる。
弓「憎い奴じや。然し、随分撲(う)つたの」
檳「ええ、手が痛くなつて了ひました」
弓「もう引揚げやう」
 かくて曲者は間近の横町に入(い)りぬ。辛(から)うじて面(おもて)を擡(あ)げ得たりし貫一は、一時に発せる全身の疼通(いたみ)に、精神漸(やうや)く乱れて、屡(しばし)ば前後を覚えざらんとす。
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  後編


     第一章

 翌々日の諸新聞は坂町(さかまち)に於ける高利貸(アイス)遭難の一件を報道せり。中(うち)に間(はざま)貫一を誤りて鰐淵直行(わにぶちただゆき)と為(せ)るもありしが、負傷者は翌日大学第二医院に入院したりとのみは、一様に事実の真を伝ふるなりけり。されどその人を誤れる報道は決して何等の不都合をも生ぜざるべし。彼等を識(し)らざる読者は湯屋の喧嘩(けんか)も同じく、三ノ面記事の常套(じようとう)として看過(みすご)すべく、何の遑(いとま)かその敵手(あひて)の誰々(たれたれ)なるを問はん。識れる者は恐くは、貫一も鰐淵も一つに足腰の利(き)かずなるまで撃□(うちのめ)されざりしを本意無(ほいな)く思へるなるべし。又或者は彼の即死せざりしをも物足らず覚ゆるなるべし。下手人は不明なれども、察するに貸借上の遺趣より為(な)せる業(わざ)ならんとは、諸新聞の記(しる)せる如く、人も皆思ふところなりけり。
 直行は今朝病院へ見舞に行きて、妻は患者の容体を案じつつ留守せるなり。夫婦は心を協(あは)せて貫一の災難を悲(かなし)み、何程の費(つひえ)をも吝(をし)まず手宛(てあて)の限を加へて、少小(すこし)の瘢(きず)をも遺(のこ)さざらんと祈るなりき。
 股肱(ここう)と恃(たの)み、我子とも思へる貫一の遭難を、主人はなかなかその身に受けし闇打(やみうち)のやうに覚えて、無念の止み難く、かばかりの事に屈する鰐淵ならぬ令見(みせしめ)の為に、彼が入院中を目覚(めざまし)くも厚く賄(まかな)ひて、再び手出しもならざらんやう、陰(かげ)ながら卑怯者(ひきようもの)の息の根を遏(と)めんと、気も狂(くるはし)く力を竭(つく)せり。
 彼の妻は又、やがてはかかる不慮の事の夫の身にも出(い)で来(きた)るべきを思過(おもひすご)して、若(も)しさるべからんには如何(いか)にか為(す)べき、この悲しさ、この口惜(くちを)しさ、この心細さにては止(や)まじと思ふに就けて、空可恐(そらおそろし)く胸の打騒ぐを禁(とど)め得ず。奉公大事ゆゑに怨(うらみ)を結びて、憂き目に遭(あ)ひし貫一は、夫の禍(わざはひ)を転じて身の仇(あだ)とせし可憫(あはれ)さを、日頃の手柄に増して浸々(しみじみ)難有(ありがた)く、かれを念(おも)ひ、これを思ひて、絶(したたか)に心弱くのみ成行くほどに、裏に愧(は)づること、懼(おそ)るること、疚(やまし)きことなどの常に抑(おさ)へたるが、忽(たちま)ち涌立(わきた)ち、跳出(をどりい)でて、その身を責むる痛苦に堪(た)へざるなりき。
 年久く飼(かは)るる老猫(ろうみよう)の凡(およ)そ子狗(こいぬ)ほどなるが、棄てたる雪の塊(かたまり)のやうに長火鉢(ながひばち)の猫板(ねこいた)の上に蹲(うづくま)りて、前足の隻落(かたしおと)して爪頭(つまさき)の灰に埋(うづも)るるをも知らず、□(いびき)をさへ掻(か)きて熟睡(うまい)したり。妻はその夜の騒擾(とりこみ)、次の日の気労(きづかれ)に、血の道を悩める心地(ここち)にて、□々(うつらうつら)となりては驚かされつつありける耳元に、格子(こうし)の鐸(ベル)の轟(とどろ)きければ、はや夫の帰来(かへり)かと疑ひも果てぬに、紙門(ふすま)を開きて顕(あらは)せる姿は、年紀(としのころ)二十六七と見えて、身材(たけ)は高からず、色やや蒼(あを)き痩顔(やせがほ)の険(むづか)しげに口髭逞(くちひげたくまし)く、髪の生(お)ひ乱れたるに深々(ふかふか)と紺ネルトンの二重外套(にじゆうまわし)の襟(えり)を立てて、黒の中折帽を脱ぎて手にしつ。高き鼻に鼈甲縁(べつこうぶち)の眼鏡を挿(はさ)みて、稜(かど)ある眼色(まなざし)は見る物毎に恨あるが如し。
 妻は思設けぬ面色(おももち)の中に喜を漾(たた)へて、
「まあ直道(ただみち)かい、好くお出(いで)だね」
 片隅(かたすみ)に外套(がいとう)を脱捨つれば、彼は黒綾(くろあや)のモオニングの新(あたらし)からぬに、濃納戸地(こいなんどじ)に黒縞(くろじま)の穿袴(ズボン)の寛(ゆたか)なるを着けて、清(きよら)ならぬ護謨(ゴム)のカラ、カフ、鼠色(ねずみいろ)の紋繻子(もんじゆす)の頸飾(えりかざり)したり。妻は得々(いそいそ)起ちて、その外套を柱の折釘(をりくぎ)に懸けつ。
「どうも取んだ事で、阿父(おとつ)さんの様子はどんな? 今朝新聞を見ると愕(おどろ)いて飛んで来たのです。容体(ようだい)はどうです」
 彼は時儀を叙(の)ぶるに□(およ)ばずして忙(せは)しげにかく問出(とひい)でぬ。
「ああ新聞で、さうだつたかい。なあに阿父さんはどうも作(なさ)りはしないわね」
「はあ? 坂町で大怪我(おほけが)を為(なす)つて、病院へ入つたと云ふのは?」
「あれは間(はざま)さ。阿父さんだとお思ひなの? 可厭(いや)だね、どうしたと云ふのだらう」
「いや、さうですか。でも、新聞には歴然(ちやん)とさう出てゐましたよ」
「それぢやその新聞が違つてゐるのだよ。阿父さんは先之(さつき)病院へ見舞にお出掛だから、間も無くお帰来(かへり)だらう。まあ寛々(ゆつくり)してお在(いで)な」
 かくと聞ける直道は余(あまり)の不意に拍子抜して、喜びも得為(えせ)ず唖然(あぜん)たるのみ。
「ああ、さうですか、間が遣(や)られたのですか」
「ああ、間が可哀(かあい)さうにねえ、取んだ災難で、大怪我をしたのだよ」
「どんなです、新聞には余程劇(ひど)いやうに出てゐましたが」
「新聞に在る通だけれど、不具(かたは)になるやうな事も無いさうだが、全然(すつかり)快(よ)くなるには三月(みつき)ぐらゐはどんな事をしても要(かか)るといふ話だよ。誠に気の毒な、それで、阿父(おとつ)さんも大抵な心配ぢやないの。まあ、ね、病院も上等へ入れて手宛(てあて)は十分にしてあるのだから、決して気遣(きづかひ)は無いやうなものだけれど、何しろ大怪我だからね。左の肩の骨が少し摧(くだ)けたとかで、手が緩縦(ぶらぶら)になつて了(しま)つたの、その外紫色の痣(あざ)だの、蚯蚓腫(めめずばれ)だの、打切(ぶつき)れたり、擦毀(すりこは)したやうな負傷(きず)は、お前、体一面なのさ。それに気絶するほど頭部(あたま)を撲(ぶた)れたのだから、脳病でも出なければ可いつて、お医者様もさう言つてお在(いで)ださうだけれど、今のところではそんな塩梅(あんばい)も無いさうだよ。何しろその晩内へ舁込(かつぎこ)んだ時は半死半生で、些(ほん)の虫の息が通つてゐるばかり、私(わたし)は一目見ると、これはとても助るまいと想つたけれど、割合に人間といふものは丈夫なものだね」
「それは災難な、気の毒な事をしましたな。まあ十分に手宛をして遣るが可いです。さうして阿父さんは何と言つてゐました」
「何ととは?」
「間が闇打(やみうち)にされた事を」
「いづれ敵手(あひて)は貸金(かしきん)の事から遺趣を持つて、その悔し紛(まぎれ)に無法な真似(まね)をしたのだらうつて、大相腹を立ててお在(いで)なのだよ。全くね、間はああ云ふ不断の大人(おとなし)い人だから、つまらない喧嘩(けんか)なぞを為る気遣(きづかひ)はなし、何でもそれに違は無いのさ。それだから猶更(なほさら)気の毒で、何とも謂(い)ひやうが無い」
「間は若いから、それでも助るのです、阿父(おとつ)さんであつたら命は有りませんよ、阿母(おつか)さん」
「まあ可厭(いや)なことをお言ひでないな!」
 浸々(しみじみ)思入りたりし直道は徐(しづか)にその恨(うらめし)き目を挙げて、
「阿母さん、阿父さんは未(ま)だこの家業をお廃(や)めなさる様子は無いのですかね」
 母は苦しげに鈍り鈍りて、
「さうねえ……別に何とも……私(わたし)には能(よ)く解らないね……」
「もう今に応報(むくい)は阿父さんにも……。阿母さん、間があんな目に遭(あ)つたのは、決して人事ぢやありませんよ」
「お前又阿父さんの前でそんな事をお言ひでないよ」
「言ひます! 今日は是非言はなければならない」
「それは言ふも可いけれど、従来(これまで)も随分お言ひだけれど、あの気性だから阿父さんは些(ちつと)もお聴きではないぢやないか。とても他(ひと)の言ふことなんぞは聴かない人なのだから、まあ、もう少しお前も目を瞑(つぶ)つてお在(いで)よ、よ」
「私(わたし)だつて親に向つて言ひたくはありません。大概の事なら目を瞑(つぶ)つてゐたいのだけれど、実にこればかりは目を瞑つてゐられないのですから。始終さう思ひます。私は外に何も苦労といふものは無い、唯これだけが苦労で、考出すと夜も寝られないのです。外にどんな苦労が在つても可いから、どうかこの苦労だけは没(なくな)して了(しま)ひたいと熟(つくづ)く思ふのです。噫(ああ)、こんな事なら未(ま)だ親子で乞食をした方が夐(はるか)に可い」
 彼は涙を浮べて倆(うつむ)きぬ。母はその身も倶(とも)に責めらるる想して、或(あるひ)は可慚(はづかし)く、或は可忌(いまはし)く、この苦(くるし)き位置に在るに堪(た)へかねつつ、言解かん術(すべ)さへ無けれど、とにもかくにも言はで已(や)むべき折ならねば、辛(からう)じて打出(うちいだ)しつ。
「それはもうお前の言ふのは尤(もつとも)だけれど、お前と阿父(おとつ)さんとは全(まる)で気合(きあひ)が違ふのだから、万事考量(かんがへ)が別々で、お前の言ふ事は阿父さんの肚(はら)には入らず、ね、又阿父さんの為る事はお前には不承知と謂(い)ふので、その中へ入つて私も困るわね。内も今では相応にお財(かね)も出来たのだから、かう云ふ家業は廃(や)めて、楽隠居になつて、お前に嫁を貰(もら)つて、孫の顔でも見たい、とさう思ふのだけれど、ああ云ふ気の阿父さんだから、そんなことを言出さうものなら、どんなに慍(おこ)られるだらうと、それが見え透いてゐるから、漫然(うつかり)した事は言はれずさ、お前の心を察して見れば可哀(かあい)さうではあり、さうかと云つて何方(どつち)をどうすることも出来ず、陰で心配するばかりで、何の役にも立たないながら、これでなかなか苦いのは私の身だよ。
 さぞお前は気も済まなからうけれど、とても今のところでは何と言つたところが、応と承知をしさうな様子は無いのだから、憖(なまじ)ひ言合つてお互に心持を悪くするのが果(おち)だから、……それは、お前、何と云つたつて親一人子一人の中だもの、阿父さんだつて心ぢやどんなにお前が便(たより)だか知れやしないのだから、究竟(つまり)はお前の言ふ事も聴くのは知れてゐるのだし、阿父さんだつて現在の子のそんなにまで思つてゐるのを、決して心に掛けないのではないけれども、又阿父(おとつ)さんの方にも其処(そこ)には了簡(りようけん)があつて、一概にお前の言ふ通にも成りかねるのだらう。
 それに今日あたりは、間の事で大変気が立つてゐるところだから、お前が何か言ふと却(かへ)つて善くないから、今日は窃(そつ)として措(お)いておくれ、よ、本当に私が頼むから、ねえ直道」
 実(げ)に母は自ら言へりし如く、板挾(いたばさみ)の難局に立てるなれば、ひたすら事あらせじと、誠の一図に直道を諭(さと)すなりき。彼は涙の催すに堪(た)へずして、鼻目鏡(はなめがね)を取捨てて目を推拭(おしぬぐ)ひつつ猶咽(むせ)びゐたりしが、
「阿母(おつか)さんにさう言れるから、私は不断は怺(こら)へてゐるのです。今日ばかり存分に言はして下さい。今日言はなかつたら言ふ時は有りませんよ。間のそんな目に遭(あ)つたのは天罰です、この天罰は阿父さんも今に免れんことは知れてゐるから、言ふのなら今、今言はんくらゐなら私はもう一生言ひません」
 母はその一念に脅(おびやか)されけんやうにて漫(そぞろ)寒きを覚えたり。洟打去(はなうちか)みて直道は語(ことば)を継ぎぬ。
「然し私(わたし)の仕打も善くはありません、阿父さんの方にも言分は有らうと、それは自分で思つてゐます。阿父さんの家業が気に入らん、意見をしても用ゐない、こんな汚(けが)れた家業を為るのを見てゐるのが可厭(いや)だ、と親を棄てて別居してゐると云ふのは、如何(いか)にも情合の無い話で、実に私も心苦いのです。決して人の子たる道ではない、さぞ不孝者と阿父さん始阿母さんもさう思つてお在(いで)でせう」
「さうは思ひはしないよ。お前の方にも理はあるのだから、さうは思ひはしないけれど、一処(いつしよ)に居たらさぞ好からうとは……」
「それは、私は猶(なほ)の事です。こんな内に居るのは可厭(いや)だ、別居して独(ひとり)で遣る、と我儘(わがまま)を言つて、どうなりかうなり自分で暮して行けるのも、それまでに教育して貰つたのは誰(たれ)のお陰かと謂へば、皆(みんな)親の恩。それもこれも知つてゐながら、阿父(おとつ)さんを踏付にしたやうな行(おこなひ)を為るのは、阿母(おつか)さん能々(よくよく)の事だと思つて下さい。私は親に悖(さから)ふのぢやない、阿父さんと一処に居るのを嫌(きら)ふのぢやないが、私は金貸などと云ふ賤(いやし)い家業が大嫌(だいきらひ)なのです。人を悩(なや)めて己(おのれ)を肥(こや)す――浅ましい家業です!」
 身を顫(ふる)はして彼は涙に掻昏(かきく)れたり。母は居久(いたたま)らぬまでに惑へるなり。
「親を過(すご)すほどの芸も無くて、生意気な事ばかり言つて実は面目(めんぼく)も無いのです。然し不自由を辛抱してさへ下されば、両親ぐらゐに乾(ひもじ)い思はきつと為(さ)せませんから、破屋(あばらや)でも可いから親子三人一所に暮して、人に後指を差(ささ)れず、罪も作らず、怨(うらみ)も受けずに、清く暮したいぢやありませんか。世の中は貨(かね)が有つたから、それで可い訳のものぢやありませんよ。まして非道をして拵(こしら)へた貨(かね)、そんな貨(かね)が何の頼(たのみ)になるものですか、必ず悪銭身に附かずです。無理に仕上げた身上(しんじよう)は一代持たずに滅びます。因果の報う例(ためし)は恐るべきものだから、一日でも早くこんな家業は廃(や)めるに越した事はありません。噫(ああ)、末が見えてゐるのに、情無い事ですなあ!」
 積悪の応報覿面(てきめん)の末を憂(うれ)ひて措(お)かざる直道が心の眼(まなこ)は、無残にも怨(うらみ)の刃(やいば)に劈(つんざか)れて、路上に横死(おうし)の恥を暴(さら)せる父が死顔の、犬に□(け)られ、泥に塗(まみ)れて、古蓆(ふるむしろ)の陰に枕(まくら)せるを、怪くも歴々(まざまざ)と見て、恐くは我が至誠の鑑(かがみ)は父が未然を宛然(さながら)映し出(いだ)して謬(あやま)らざるにあらざるかと、事の目前(まのあたり)の真にあらざるを知りつつも、余りの浅ましさに我を忘れてつと迸(ほとばし)る哭声(なきごゑ)は、咬緊(くひし)むる歯をさへ漏れて出づるを、母は驚き、途方に昏(く)れたる折しも、門(かど)に俥(くるま)の駐(とどま)りて、格子の鐸(ベル)の鳴るは夫の帰来(かへり)か、次手(ついで)悪しと胸を轟(とどろ)かして、直道の肩を揺り動(うごか)しつつ、声を潜めて口早に、
「直道、阿父さんのお帰来(かへり)だから、泣いてゐちや可けないよ、早く彼方(あつち)へ行つて、……よ、今日は後生だから何も言はずに……」
 はや足音は次の間に来(きた)りぬ。母は慌(あわ)てて出迎に起(た)てば、一足遅れに紙門(ふすま)は外より開れて主(あるじ)直行の高く幅たき躯(からだ)は岸然(のつそり)とお峯の肩越(かたごし)に顕(あらは)れぬ。

     (一)の二

「おお、直道か珍いの。何時(いつ)来たのか」
 かく言ひつつ彼は艶々(つやつや)と赭(あから)みたる鉢割(はちわれ)の広き額の陰に小く点せる金壺眼(かねつぼまなこ)を心快(こころよ)げに□(みひら)きて、妻が例の如く外套(がいとう)を脱(ぬが)するままに立てり。お峯は直道が言(ことば)に稜(かど)あらんことを慮(おもひはか)りて、さり気無く自ら代りて答へつ。
「もう少し先(さつき)でした。貴君(あなた)は大相お早かつたぢやありませんか、丁度好(よ)ございましたこと。さうして間の容体はどんなですね」
「いや、仕合(しあはせ)と想うたよりは軽くての、まあ、ま、あの分なら心配は無いて」
 黒一楽(くろいちらく)の三紋(みつもん)付けたる綿入羽織(わたいればおり)の衣紋(えもん)を直して、彼は機嫌(きげん)好く火鉢(ひばち)の傍(そば)に歩み寄る時、直道は漸(やうや)く面(おもて)を抗(あ)げて礼を作(な)せり。
「お前、どうした、ああ、妙な顔をしてをるでないか」
 梭櫚(しゆろ)の毛を植ゑたりやとも見ゆる口髭(くちひげ)を掻拈(かいひね)りて、太短(ふとみじか)なる眉(まゆ)を顰(ひそ)むれば、聞ゐる妻は呀(はつ)とばかり、刃(やいば)を踏める心地も為めり。直道は屹(き)と振仰ぐとともに両手を胸に組合せて、居長高(ゐたけだか)になりけるが、父の面(おもて)を見し目を伏せて、さて徐(しづか)に口を開きぬ。
「今朝新聞を見ましたところが、阿父(おとつ)さんが、大怪我を為(なす)つたと出てをつたので、早速お見舞に参つたのです」
 白髪(しらが)を交(まじ)へたる茶褐色(ちやかつしよく)の髪の頭(かしら)に置余るばかりなるを撫(な)でて、直行は、
「何新聞か知らんけれど、それは間の間違ぢやが。俺(おれ)ならそんな場合に出会うたて、唯々(おめおめ)打(うた)れちやをりやせん。何の先は二人でないかい、五人までは敵手(あひて)にしてくれるが」
 直道の隣に居たる母は密(ひそか)に彼のコオトの裾(すそ)を引きて、言(ことば)を返させじと心着(づく)るなり。これが為に彼は少しく遅(ためら)ひぬ。
「本(ほん)にお前どうした、顔色(かほつき)が良うないが」
「さうですか。余り貴方(あなた)の事が心配になるからです」
「何じや?」
「阿父さん、度々(たびたび)言ふ事ですが、もう金貸は廃(や)めて下さいな」
「又! もう言ふな。言ふな。廃める時分には廃めるわ」
「廃めなければならんやうになつて廃めるのは見(みつ)ともない。今朝貴方(あなた)が半死半生の怪我をしたといふ新聞を見た時、私(わたし)はどんなにしても早くこの家業をお廃めなさるやうに為(さ)せなかつたのを熟(つくづ)く後悔したのです。幸(さいはひ)に貴方は無事であつた、から猶更(なほさら)今日は私の意見を用ゐて貰(もら)はなければならんのです。今に阿父さんも間のやうな災難を必ず受けるですよ。それが可恐(おそろし)いから廃めると謂ふのぢやありません、正(ただし)い事で争つて殞(おと)す命ならば、決(け)して辞することは無いけれど、金銭づくの事で怨(うらみ)を受けて、それ故(ゆゑ)に無法な目に遭(あ)ふのは、如何(いか)にも恥曝(はぢさら)しではないですか。一つ間違へば命も失はなければならん、不具(かたは)にも為(さ)れなければならん、阿父さんの身の上を考へると、私は夜も寝られんのですよ。
 こんな家業を為(せ)んでは生活が出来んのではなし、阿父さん阿母さん二人なら、一生安楽に過せるほどの資産は既に有るのでせう、それに何を苦んで人には怨まれ、世間からは指弾(つまはぢき)をされて、無理な財(かね)を拵(こしら)へんければならんのですか。何でそんなに金が要(い)るのですか。誰にしても自身に足りる以外の財(かね)は、子孫に遺(のこ)さうと謂ふより外は無いのでせう。貴方には私が一人子(ひとりつこ)、その私は一銭たりとも貴方の財は譲られません! 欲くないのです。さうすれば、貴方は今日(こんにち)無用の財を貯(たくは)へる為に、人の怨を受けたり、世に誚(そし)られたり、さうして現在の親子が讐(かたき)のやうになつて、貴方にしてもこんな家業を決して名誉と思つて楽んで為(なす)つてゐるのではないでせう。
 私のやうなものでも可愛(かはい)いと思つて下さるなら、財産を遺(のこ)して下さる代(かはり)に私の意見を聴いて下さい。意見とは言ひません、私の願です。一生の願ですからどうぞ聴いて下さい」
 父が前に頭(かしら)を低(た)れて、輙(たやす)く抗(あ)げぬ彼の面(おもて)は熱き涙に蔽(おほは)るるなりき。
 些(さ)も動ずる色無き直行は却(かへ)つて微笑を帯びて、語(ことば)をさへ和(やはら)げつ。
「俺の身を思うてそんなに言うてくれるのは嬉(うれし)いけど、お前のはそれは杞憂(きゆう)と謂ふんじや。俺と違うてお前は神経家ぢやからそんなに思ふんぢやけど、世間と謂ふものはの、お前の考へとるやうなものではない。学問の好きな頭脳(あたま)で実業を遣る者の仕事を責むるのは、それは可かん。人の怨の、世の誚(そしり)のと言ふけどの、我々同業者に対する人の怨などと云ふのは、面々の手前勝手の愚痴に過ぎんのじや。世の誚と云ふのは、多くは嫉(そねみ)、その証拠は、働の無い奴が貧乏しとれば愍(あはれ)まるるじや。何家業に限らず、財(かね)を拵(こしら)へる奴は必ず世間から何とか攻撃を受くる、さうぢやらう。財(かね)の有る奴で評判の好(え)えものは一人も無い、その通じやが。お前は学者ぢやから自(おのづか)ら心持も違うて、財(かね)などをさう貴(たつと)いものに思うてをらん。学者はさうなけりやならんけど、世間は皆学者ではないぞ、可(え)えか。実業家の精神は唯財(ただかね)じや、世の中の奴の慾も財より外には無い。それほどに、のう、人の欲(ほし)がる財じや、何ぞ好(え)えところが無くてはならんぢやらう。何処(どこ)が好(え)えのか、何でそんなに好(え)えのかは学者には解らん。
 お前は自身に供給するに足るほどの財(かね)があつたら、その上に望む必要は無いと言ふのぢやな、それが学者の考量(かんがへ)じやと謂ふんじやが。自身に足るほどの物があつたら、それで可(え)えと満足して了うてからに手を退(ひ)くやうな了簡(りようけん)であつたら、国は忽(たちま)ち亡(ほろぶ)るじや――社会の事業は発達せんじや。さうして国中(こくちゆう)若隠居ばかりになつて了うたと為れば、お前どうするか、あ。慾にきりの無いのが国民の生命なんじや。
 俺にそんなに財(かね)を拵(こしら)へてどうするか、とお前は不審するじやね。俺はどうも為(せ)ん、財は余計にあるだけ愉快なんじや。究竟(つまり)財を拵へるが極(きは)めて面白いんじや。お前の学問するのが面白い如く、俺は財の出来るが面白いんじや。お前に本を読むのを好(え)え加減に為(せ)い、一人前の学問が有つたらその上望む必要は有るまいと言うたら、お前何と答へる、あ。
 お前は能(よ)うこの家業を不正ぢやの、汚(けがらはし)いのと言ふけど、財を儲(まう)くるに君子の道を行うてゆく商売が何処(どこ)に在るか。我々が高利の金を貸す、如何(いか)にも高利じや、何為(なぜ)高利か、可(え)えか、無抵当じや、そりや。借る方に無抵当といふ便利を与ふるから、その便利に対する報酬として利が高いのぢやらう。それで我々は決して利の高い金を安いと詐(いつは)つて貸しはせんぞ。無抵当で貸すぢやから利が高い、それを承知で皆借るんじや。それが何で不正か、何で汚(けがらはし)いか。利が高うて不当と思ふなら、始から借らんが可え、そんな高利を借りても急を拯(すく)はにや措(おか)れんくらゐの困難が様々にある今の社会じや、高利貸を不正と謂ふなら、その不正の高利貸を作つた社会が不正なんじや。必要の上から借る者があるで、貸す者がある。なんぼ貸したうても借る者が無けりや、我々の家業は成立ちは為ん。その必要を見込んで仕事を為るが則(すなは)ち営業の魂(たましひ)なんじや。
 財(かね)といふものは誰でも愛して、皆獲やうと念(おも)うとる、獲たら離すまいと為(し)とる、のう。その財を人より多く持たうと云ふぢやもの、尋常一様の手段で行くものではない。合意の上で貸借して、それで儲くるのが不正なら、総(すべ)ての商業は皆不正でないか。学者の目からは、金儲(かねまうけ)する者は皆不正な事をしとるんじや」
 太(いた)くもこの弁論に感じたる彼の妻は、屡(しばし)ば直道の顔を偸視(ぬすみみ)て、あはれ彼が理窟(りくつ)もこれが為に挫(くじ)けて、気遣(きづか)ひたりし口論も無くて止みぬべきを想ひて私(ひそか)に懽(よろこ)べり。
 直道は先(ま)づ厳(おごそか)に頭(かしら)を掉(ふ)りて、
「学者でも商業家でも同じ人間です。人間である以上は人間たる道は誰にしても守らんければなりません。私(わたし)は決して金儲を為るのを悪いと言ふのではない、いくら儲けても可いから、正当に儲けるのです。人の弱みに付入(つけい)つて高利を貸すのは、断じて正当でない。そんな事が営業の魂などとは……! 譬(たと)へば間が災難に遭(あ)つた。あれは先は二人で、しかも不意打を吃(くは)したのでせう、貴方はあの所業を何とお考へなさる。男らしい遺趣返(いしゆがへし)の為方とお思ひなさるか。卑劣極(きはま)る奴等だと、さぞ無念にお思ひでせう?」
 彼は声を昂(あ)げて逼(せま)れり。されども父は他を顧て何等の答をも与へざりければ、再び声を鎮(しづ)めて、
「どうですか」
「勿論(もちろん)」
「勿論? 勿論ですとも! 何奴(なにやつ)か知らんけれど、実に陋(きたな)い根性、劣(けち)な奴等です。然し、怨を返すといふ点から謂つたら、奴等は立派に目的を達したのですね。さうでせう、設(たと)ひその手段は如何(いか)にあらうとも」
 父は騒がず、笑(ゑみ)を含みて赤き髭(ひげ)を弄(まさぐ)りたり。
「卑劣と言れやうが、陋(きたな)いと言れやうが、思ふさま遺趣返をした奴等は目的を達してさぞ満足してをるでせう。それを掴殺(つかみころ)しても遣りたいほど悔(くやし)いのは此方(こつち)ばかり。
 阿父(おとつ)さんの営業の主意も、彼等の為方と少しも違はんぢやありませんか。間の事に就いて無念だと貴方(あなた)がお思ひなさるなら、貴方から金を借りて苦められる者は、やはり貴方を恨まずにはゐませんよ」
 又しても感じ入りたるは彼の母なり。かくては如何なる言(ことば)をもて夫はこれに答へんとすらん、我はこの理(ことわり)の覿面(てきめん)当然なるに口を開かんやうも無きにと、心慌(あわ)てつつ夫の気色を密(ひそか)に窺(うかが)ひたり。彼は自若として、却(かへ)つてその子の善く論ずるを心に愛(め)づらんやうの面色(おももち)にて、転(うた)た微笑を弄(ろう)するのみ。されども妻は能(よ)く知れり、彼の微笑を弄するは、必ずしも、人のこれを弄するにあらざる時に於いて屡(しばしば)するを。彼は今それか非(あら)ぬかを疑へるなり。
 蒼(あを)く羸(やつ)れたる直道が顔は可忌(いまはし)くも白き色に変じ、声は甲高(かんだか)に細りて、膝(ひざ)に置ける手頭(てさき)は連(しき)りに震ひぬ。
「いくら論じたところで、解りきつた理窟なのですから、もう言ひますまい。言へば唯阿父さんの心持を悪くするに過ぎんのです。然し、従来(これまで)も度々(たびたび)言ひましたし、又今日こんなに言ふのも、皆阿父(おとつ)さんの身を案じるからで、これに就いては陰でどれほど私が始終苦心してゐるか知つてお在(いで)は無からうけれど、考出(かんがへだ)すと勉強するのも何も可厭(いや)になつて、吁(ああ)、いつそ山の中へでも引籠(ひつこ)んで了はうかと思ひます。阿父さんはこの家業を不正でないとお言ひなさるが、実に世間でも地獄の獄卒のやうに憎み賤(いやし)んで、附合ふのも耻(はぢ)にしてゐるのですよ。世間なんぞはかまふものか、と貴方はお言ひでせうが、子としてそれを聞(きか)される心苦しさを察して下さい。貴方はかまはんと謂ふその世間も、やはり我々が渡つて行かなければならん世間です。その世間に肩身が狭くなつて終(つひ)には容(い)れられなくなるのは、男の面目ではありませんよ。私はそれが何より悲い。此方(こつち)に大見識があつて、それが世間と衝突して、その為に憎まれるとか、棄てられるとか謂ふなら、世間は私を棄てんでも、私は喜んで阿父さんと一処に世間に棄てられます。親子棄てられて路辺(みちばた)に餓死(かつゑじに)するのを、私は親子の名誉、家の名誉と思ふのです。今我々親子の世間から疎(うとま)れてゐるのは、自業自得の致すところで、不名誉の極です!」
 眼(まなこ)は痛恨の涙を湧(わか)して、彼は覚えず父の面(おもて)を睨(にら)みたり。直行は例の嘯(うそぶ)けり。
 直道は今日を限と思入りたるやうに飽くまで言(ことば)を止(や)めず。
「今度の事を見ても、如何(いか)に間が恨まれてゐるかが解りませう。貴方(あなた)の手代でさへあの通ではありませんか、して見れば貴方の受けてゐる恨、憎(にくみ)はどんなであるか言ふに忍びない」
 父は忽(たちま)ち遮(さへぎ)りて、
「善し、解つた。能(よ)う解つた」
「では私の言(ことば)を用ゐて下さるか」
「まあ可(え)え。解つた、解つたから……」
「解つたとお言ひなさるからはきつと用ゐて下さるのでせうな」
「お前の言ふ事は能う解つたさ。然(しか)し、爾(なんぢ)は爾たり、吾は吾たりじや」
 直道は怺(こら)へかねて犇(ひし)と拳(こぶし)を握れり。
「まだ若い、若い。書物ばかり見とるぢや可かん、少しは世間も見い。なるほど子の情として親の身を案じてくれる、その点は空(あだ)には思はん。お前の心中も察する、意見も解つた。然し、俺は俺で又自ら信ずるところあつて遣るんぢやから、折角の忠告ぢやからと謂うて、枉(ま)げて従ふ訳にはいかんで、のう。今度間がああ云ふ目に遭うたから、俺は猶更(なほさら)劇(えら)い目に遭はうと謂うて、心配してくれるんか、あ?」
 はや言ふも益無しと観念して直道は口を開かず。
「そりや辱(かたじけな)いが、ま、当分俺の躯(からだ)は俺に委(まか)して置いてくれ」
 彼は徐(しづか)に立上りて、
「些(ちよつ)とこれから行(い)て来にやならん処があるで、寛(ゆつく)りして行くが可(え)え」
 忽忙(そそくさ)と二重外套(にじゆうまわし)を打被(うちかつ)ぎて出(い)づる後より、帽子を持ちて送(おく)れる妻は密(ひそか)に出先を問へるなり。彼は大いなる鼻を皺(しわ)めて、
「俺が居ると面倒ぢやから、些(ちよつ)と出て来る。可(え)えやうに言うての、還(かへ)してくれい」
「へえ? そりや困りますよ。貴方(あなた)、私(わたし)だつてそれは困るぢやありませんか」
「まあ可えが」
「可(よ)くはありません、私は困りますよ」
 お峯は足摩(あしずり)して迷惑を訴ふるなりけり。
「お前なら居ても可え。さうして、もう還るぢやらうから」
「それぢや貴方還るまでゐらしつて下さいな」
「俺が居ては還らんからじやが。早う行けよ」
 さすがに争ひかねてお峯の渋々佇(たたず)めるを、見も返らで夫は驀地(まつしぐら)に門(かど)を出でぬ。母は直道の勢に怖(おそ)れて先にも増してさぞや苛(さいな)まるるならんと想へば、虎(とら)の尾をも履(ふ)むらんやうに覚えつつ帰り来にけり。唯(と)見れば、直道は手を拱(こまぬ)き、頭(かしら)を低(た)れて、在りけるままに凝然と坐したり。
「もうお中食(ひる)だが、お前何をお上りだ」
 彼は身転(みじろぎ)も為(せ)ざるなり。重ねて、
「直道」と呼べば、始めて覚束(おぼつか)なげに顔を挙(あ)げて、
「阿母(おつか)さん!」
 その術無(じゆつな)き声は謂知(いひし)らず母の胸を刺せり。彼はこの子の幼くて善く病める枕頭(まくらもと)に居たりし心地をそのままに覚えて、ほとほとつと寄らんとしたり。
「それぢや私はもう帰ります」
「あれ何だね、未だ可いよ」
 異(あやし)くも遽(にはか)に名残(なごり)の惜(をしま)れて、今は得も放(はな)たじと心牽(こころひか)るるなり。
「もうお中食(ひる)だから、久しぶりで御膳(ごぜん)を食べて……」
「御膳も吭(のど)へは通りませんから……」

     第二章

 主人公なる間貫一が大学第二医院の病室にありて、昼夜を重傷に悩める外(ほか)、身辺に事あらざる暇(いとま)に乗じて、富山に嫁ぎたる宮がその後の消息を伝ふべし。
 一月十七日をもて彼は熱海の月下に貫一に別れ、その三月三日を択(えら)びて富山の家に輿入(こしいれ)したりき。その場より貫一の失踪(しつそう)せしは、鴫沢一家(しぎさわいつけ)の為に物化(もつけ)の邪魔払(じやまばらひ)たりしには疑無(うたがひな)かりけれど、家内(かない)は挙(こぞ)りてさすがに騒動しき。その父よりも母よりも宮は更に切なる誠を籠(こ)めて心痛せり。彼はただに棄てざる恋を棄てにし悔に泣くのみならで、寄辺(よるべ)あらぬ貫一が身の安否を慮(おもひはか)りて措(お)く能(あた)はざりしなり。
 気強くは別れにけれど、やがて帰り来(こ)んと頼めし心待も、終(つひ)に空(あだ)なるを暁(さと)りし後、さりとも今一度は仮初(かりそめ)にも相見んことを願ひ、又その心の奥には、必ずさばかりの逢瀬(あふせ)は有るべきを、おのれと契りけるに、彼の行方(ゆくへ)は知られずして、その身の家を出(い)づべき日は潮(うしほ)の如く迫れるに、遣方(やるかた)も無く漫(そぞろ)惑ひては、常に鈍(おぞまし)う思ひ下せる卜者(ぼくしや)にも問ひて、後には廻合(めぐりあ)ふべきも、今はなかなか文(ふみ)に便(たより)もあらじと教へられしを、筆持つは篤(まめ)なる人なれば、長き長き怨言(うらみ)などは告来(つげこ)さんと、それのみは掌(たなごころ)を指すばかりに待ちたりしも、疑ひし卜者の言(ことば)は不幸にも過(あやま)たで、宮は彼の怨言(うらみ)をだに聞くを得ざりしなり。
 とにもかくにも今一目見ずば動かじと始に念(おも)ひ、それは□(かな)はずなりてより、せめて一筆(ひとふで)の便(たより)聞かずばと更に念ひしに、事は心と渾(すべ)て違(たが)ひて、さしも願はぬ一事(いちじ)のみは玉を転ずらんやうに何等の障(さはり)も無く捗取(はかど)りて、彼が空(むなし)く貫一の便(たより)を望みし一日にも似ず、三月三日は忽(たちま)ち頭(かしら)の上に跳(をど)り来(きた)れるなりき。彼は終(つひ)に心を許し肌身(はだみ)を許せし初恋(はつごひ)を擲(なげう)ちて、絶痛絶苦の悶々(もんもん)の中(うち)に一生最も楽(たのし)かるべき大礼を挙げ畢(をは)んぬ。
 宮は実に貫一に別れてより、始めて己(おのれ)の如何(いか)ばかり彼に恋せしかを知りけるなり。

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