蘭学事始
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著者名:菊池寛 

          四

 三月四日の朝、玄白は寅の二つに近い頃、新大橋の藩邸を出て、浅草橋から蔵前を通って、広小路に出て、馬道から山谷町の出口の茶屋に着いたのは、春の引き明けの薄紫の空に、浅草寺(せんそうじ)の明け六つの鐘が、こうこうと鳴り渡っている頃であった。
 茶屋の座敷に上って見ると、もう玄適と良沢とが、朝寒(あささむ)の部屋に火鉢を囲いながら向い合っていた。
 麹町平河町に住んでいる良沢が、自分より先へ来ているのを見ると、玄白は心中少なからずおどろかずにはおられなかった。
 良沢は、玄白が入ってくるのを見ると、いつになく丁寧に会釈した。
「杉田氏! 昨夜は、貴所(きしょ)の肝煎りで使いを下さったそうで、ありがたく存じおる。お陰で、かような会いがたき企てに与(あずか)り申して、大慶に存じおるところでござる」
 そう、真正面から感謝されると、玄白は自分の今までの良沢に対する心持を、心のうちでやや恥しく思わずにはおられなかった。
 玄適が、横から口を挟んだ。
「杉田氏! 前野氏は、昨夜から一睡もなされないそうでござる。使いの者が参ったのが、子(ね)に近い頃で、お宅を出られたのが、丑二つ頃じゃと申す。その間(ま)も今日の企てのことを思われると、心が躍るようで、一睡もなされなんだそうでござる」
 玄白は、良沢の執心が自分以上に激しいことを知ると、どんな点でも良沢には及ばないといったような、寂しさを感ぜずにはおられなかった。
 が、そうした寂しさも、自分が懐中しているターヘルアナトミアのことを考えると、すぐ慰められた。今日の参会にこの珍書を持っている者は自分一人だと思うと、良沢に対するそうした寂しさもすぐ消えてしまった。
 そのうちに淳庵が見えた。小半刻ばかり経つ頃に、春泰と良円とが、連れ立ってやってきた。六人の顔が揃うと、打ち連れ立って骨ヶ原に向った。
 春の早朝の微風に顔を吹かせながら、六人は興奮してよく喋った。六人とも、中年を越した者ばかりであったけれども、彼らの心持は、期待のために躍っていた。六人の歩調が、いつの間にか早くなっていた。小男の淳庵が、ともすれば遅れがちであった。
 玄白は、いつターヘルアナトミアを取り出して、皆に披露しようかと思っていた。彼は、さっき山谷町の茶屋で披露しようと思いながら、ついその時機を得なかった。
 骨ヶ原の刑場に近づくと、街道に面した梟木(きょうぼく)の上に、刑死して間もないような老婆の首がかけられていた。その胴体が、今日腑分せられるのだと気がつくと、六人はちょっと不快な感じを懐かずにはおられなかった。
 非人頭(がしら)が、六人を刑場の入口にある与力詰所へ案内した。腑分の準備が整うまで、六人はそこで待たなければならぬのだった。
 玄白は、今こそと思いながら、懐(ふところ)のターヘルアナトミアに手をかけようとした。
 が、それと同時に、良沢が思い出したように、右手に持っていた風呂敷包みを解きながらいった。
「さよう! さよう! 各々方に御披露するものがござった。先年長崎へ参った折、求め帰って家蔵いたしおるオランダ解剖の書でござるが……」
 そういいながら、彼は風呂敷包みの中から、取り出した一本を、皆の前に指し示した。
 玄適が、好奇の目を輝かしながら、それを受け取った。五人の目が、一斉にそれに注がれた。が、玄白は一目見ると、自分の目を疑わずにはおられなかった。それは、自分が懐中しているターヘルアナトミアと、寸分違(たが)わぬ同版同刻の書であった。
 彼は、茫然として語がなかった。良沢に対して主張し得ると思っていた彼の最後の拠りどころは、脆くも踏みにじられてしまったのであった。が、玄白は、懐中している自分の本を出さないわけにもいかなかった。
「前野氏は、かねてから御所持でござったか。実は、拙者もこのほど、一本を求め申してござる」
 玄白は何気ないように披露した。が、彼が昨夜から楽しみにしていた披露する折の得意さ、晴れがましさなどは微塵も感じられなかった。韮を噛むような気持であった。
 が、良沢は、それを見ると、心からおどろいたらしかった。彼は玄白の差し出した本を取り上げながら、表紙や扉を打ち返して見た。
「これは紛れもなく同本じゃ。不思議な奇遇でござる。奇遇でござる」
 そういいながら、良沢は幾度も手を打った。良沢の態度は、天空のごとく開豁(かいかつ)だった。
「貴所と某(それがし)とが、期せずしてターヘルアナトミアを所持いたしおるなど、これはオランダ医術が開くべき吉瑞とも申すべきでござる」
 良沢は、そう語をつづけて哄笑した。彼は、書中の一図を玄白に指し示しながらいった。
「御覧なされい! これが、ロングと申し肺でござる。これがハルトと申し心でござる。これはマーグと申し胃でござる。これはミルトと申し脾(ひ)でござる。医経(いきょう)に申す、五臓六腑、肺の六葉、両耳肝(じかん)の左三葉、右四葉などの説とは、似ても似ぬことでござる。今日こそ、漢説が正しいか、オランダの絵図が正しいか、試すべき時期でござる」
 良沢の顔は、究理に対する興奮で輝いていた。玄白も、良沢の高朗な熱烈な気持に接していると、自分の心のうちの妙なこだわりなどは、いつの間にか忘れていた。

          五

 やがて、六人は打ち連れて、観臓の場所へ行った。
 刑場の一部に、蓆をもって粗末な仮小屋が設けられていた。手(しゅ)医師の何某(なにがし)が、三人の小吏と、二人の与力と一緒に待っていた。
 死体は、案のごとく、首だけは梟木の上にかけられている老婆のそれであった。老婆は青茶婆(あおちゃばば)といって、幾人となく貰い子を殺した大罪の女であった。若い時、艶名をうたわれたといわれるだけに、五十を越しているというにもかかわらず、白い肥肉(ふとりじし)の身体には、まだ少しの皺も見えなかった。
 刀(とう)を執る者は、虎松という九十に近い小吏だった。刑死人の死体の脂肪がにじみ出ているのではあるまいかと思われるような、赤黒い皮膚をした健(すこ)やかな老人であった。
 彼は、若い時から、腑分は幾度も手にかけ、数人を解いたことがあると自慢をした。
 究理のために勇み立っている六人ではあったけれども、その首のない、生白い無格好な死体を見た時に、皆は思わず顔を背けずにはおられなかった。目や鼻から受ける醜悪な感じで、六人の胸は閉された。が、良沢も、淳庵も、玄白も、必死な色を浮べて、そうした感じに堪えていた。
 老人の小吏は、磨ぎすました出刃を逆手(さかて)に持つと、獣の肉をでも割(さ)くように、死体の胸をずぶずぶと切り開いていった。まだ首が離れてから半刻と経っていない死体からは、出刃の切先の進むに連れて、かたまりかけている血がとろとろと滲み出た。
 胸が第一に切り割(さ)かれた。良沢も玄白も、ターヘルアナトミアの胸の絵図を開きながら、真っ赤に開かれていく死体の胸と、一心に見比べていた。
 それが、良沢と玄白とにとって、なんという不思議であっただろう。出刃の切っ先に切られていく骨の一つも、筋の一つも、肉の間に網のごとく走っている白い奇怪な線条も、白く浮き上っている脂肪も、びろびろと胸郭いっぱいに気味悪く広がっている肺も、左肺の下から覗いている真っ赤な桃の実のごとき心の臓も、ターヘルアナトミアの絵図と、一分一点の違いもなかった。
 良沢も玄白も他の四人も、深い感嘆のために、声も出なかった。
 続いて、腹が割(さ)かれた。そこに見出(いだ)された胃、奇怪な形に蹲(うずくま)っている腸、胃の陰にかくれた名も知らぬ臓腑まで、オランダ図と寸分の違いもなかった。
 老屠が、出刃を持つ手を止めると、良沢は、初めてわれに返ったように叫んだ。
「至極じゃ。至極じゃ。蘭書の絵図と、寸分の違いもござらぬ。和漢千載の諸説は、みな取るに足らぬ妄説と定(さだ)まり申した。医術はもはやオランダに止めを刺し申した」
「至極じゃ。至極じゃ!」
 皆は、良沢の感激に声を合せた。

 刑場からの帰途、春泰と良円とは、一足遅れたため、良沢と玄適と淳庵、玄白の四人連(づれ)であった。四人は同じ感激に浸っていた。それは、玄妙不思議なオランダの医術に対する賛嘆の心であった。
 刑場から六、七町の間、皆は黙々として銘々自分自身の感激に浸っていたが、浅草田圃(たんぼ)に差しかかると、淳庵が感に堪えたようにいった。
「今日の実験、ただただ驚き入るのほかはないことでござる。かほどのことを、これまで心づかずに打ち過したかと思えば、この上もなき恥辱に存ずる。われわれ医をもって主君主君に仕えるものが、その術の基本とも申すべき人体の真形をも心得ず、今日まで一日一日とその業を務め申したかと思えば、面目もないことでござる。何とぞ、今日の実験に基づき、おおよそにも身体の真理をわきまえて医をいたせば、医をもって天地間に身を立つる申しわけにもなることでござる」
 良沢も玄白も玄適も、淳庵の述懐に同感せずにはおられなかった。玄白は、その後をうけていった。
「いかにも、もっともの仰せじゃ。それにつけても拙者は、如何にもいたして、このターヘルアナトミアの一巻を翻訳いたしたいものじゃと存ずる。これだに翻訳いたし申せば、身体内外のこと、身明(しんみょう)を得て、今日以後療治の上にも大益あることと存ずる」
 良沢も、心から打ち解けていた。
「いや、杉田氏の仰せ、もっともでござる。実は、拙者も年来蘭書読みたき宿題でござったが、志を同じゅうする良友もなく、慨(なげ)き思うのみにて、日を過してござる。もし、各々方が、志を合せて下されば何よりの幸いじゃ。幸い、先年長崎留学の砌(みぎり)、蘭語少々は記憶いたしてござるほどに、それを種といたし、共々このターヘルアナトミアを読みかかろうではござらぬか」と、いった。
 玄白も、淳庵も、玄適も、手を打ってそれに同じた。彼らは、異常な感激で結び合された。
「しからば、善はいそげと申す。明日より拙宅へお越しなされい!」
 良沢は、その大きい目を輝かしながらいった。

          六

 約のごとく、その翌日を初めとし、四人は平河町の良沢の家に、月五、六回ずつ相会した。
 良沢を除いた三人は、オランダ文字の二十五字さえ、最初は定かには覚えていなかった。
 良沢は、三人の人々に、蘭語の手ほどきをした。彼は、さすがに長崎に留学したことがあるだけに、多少の蘭語と、章句語脈のことも、少しは心得ていたけれども、それもほとんどいうに足りなかった。一月ばかり経つと、良沢が三人に教えることは、もう何も残っていなかった。
 三人の手ほどきが済むと、四人は初めて、ターヘルアナトミアの書に向った。
 が、開巻第一のページから、ただ茫洋として、艫舵(ろだ)なき船の大洋に乗出(のりいだ)せしがごとく、どこから手のつけようもなく、あきれにあきれているほかはなかった。
 が、二、三枚めくったところに、仰(あおむ)けに伏した人体全象の図があった。彼らは考えた。人体内景のことは知りがたいが、表部外象のことは、その名所もいちいち知っていることであるから、図における符号と説の中の符号とを、合せ考えることがいちばん取りつきやすいことだと思った。
 彼らは、眉、口、唇、耳、腹、股、踵などについている符号を、文章の中に探した。そして、眉、口、唇などの言葉を一つ一つ覚えていった。
 が、そうした単語だけはわかっても、前後の文句は、彼らの乏しい力では一向に解しかねた。一句一章を、春の長き一日、考えあかしても、彷彿として明らめられないことがしばしばあった。四人が、二日の間考えぬいて、やっと解いたのは「眉トハ目ノ上ニ生ジタル毛ナリ」という一句だったりした。四人は、そのたわいもない文句に哄笑しながらも、銘々嬉し涙が目のうちに滲んでくるのを感ぜずにはおられなかった。
 眉から目と下って鼻のところへ来たときに、四人は、鼻とはフルヘッヘンドせしものなりという一句に、突き当ってしまっていた。
 むろん、完全な辞書はなかった。ただ、良沢が、長崎から持ち帰った小冊に、フルヘッヘンドの訳注があった。それは、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚(あつま)りて、フルヘッヘンドをなす」という文句だった。
 四人は、その訳注を、引き合しても、容易には解しかねた。
「フルヘッヘンド! フルヘッヘンド!」
 四人は、折々その言葉を口ずさみながら、巳の刻から申(さる)の刻まで考えぬいた。四人は目を見合せたまま、一語も交えずに考えぬいた。申の刻を過ぎた頃に、玄白が躍り上るようにして、その膝頭を叩いた。
「解(げ)せ申した。解(げ)せ申した。方々、かようでござる。木の枝を断ち申したるあと、癒え申せば堆(たか)くなるでござろう。塵土聚(あつま)れば、これも堆(たか)くなるでござろう。されば、鼻は面中にありて、堆起するものでござれば、フルヘッヘンドは、堆(たか)しということでござろうぞ」といった。
 四人は、手を打って欣びあった。玄白の目には涙が光った。彼の欣びは、連城の玉を獲(と)るよりも勝(まさ)っていた。
 が、神経(シンネン)などという言葉に至っては、一月考え続けても解らなかった。
 彼らは、最初難解の言葉に接するごとに、丸に十文字を引いて印とした。それを轡(くつわ)十文字と呼んでいた。初め一年の間、どのページにもとのページにも、轡十文字が無数に散在した。
 が、彼らの先駆者としての勇猛精神は、すべてを征服せずにはいなかった。一カ月六、七回の定日を怠りなく守った甲斐はあった。一年余を過ぎた頃には、訳語の数も増え、章句の脈も明らかに、書中の轡十文字は、残り少なくかき消されていた。
 先駆者としての苦闘は、やがて先駆者のみが知る欣びで酬われていた。語句の末が明らかになるに従って、次第に蔗(さとうきび)を食らうがごとく、そのうちに含まれた先人未知の真理の甘味が、彼らの心に浸みついていた。
 彼らは、邦人未到の学問の沃土に彼らのみ足を踏み入れ得る欣びで、会集の期日ごとに、児女子の祭見に行く心地にて、夜の明くるのを待ちかねるほどになっていた。

          七

 玄白が、最初良沢に対して懐(いだ)いていた軽い反感などは、もう跡形もなかった。彼は良沢の人となりとその篤学に、心から尊敬を払っていた。
 が、翻訳の業が進んでいくのに従って、玄白は、だんだん自分の志と良沢のそれとが離れているのに気がついた。
 玄白の志は、ターヘルアナトミアを一日も早く翻訳して、治療の実用に立て、世の医家の発明の種にすることだった。彼は、心のうちで思っていた。漢学が日本へ伝来して大成するまでには、数代、数十代の努力を要している。それと同じように、蘭学の大成も、数代を要するに違いないと思っていた。彼は、そうした一代に期しがたい大業を志すよりも、一事一書に志を集めて一代に成就することを期するに如(し)かじと思っていた。五色の糸の乱れしは美しけれども、実用に供することは赤とか黄とかの一色に決し、ほかは皆切り捨つるに如(し)かずと思っていた。
 従って、彼は、ターヘルアナトミアの翻訳に余念もなかった。彼は一日会して解し得るところは、家に帰ってただちに翻訳した。
 が、良沢の志は遠大だった。彼の志は蘭学の大成にあった。ターヘルアナトミアのごときは、ほとんど眼中になかった。彼は、オランダのことごとくに通達し、彼(か)の国の書籍何にても読破したい大望を懐いていた。
 最初、一、二年は、良沢と玄白との間に、なんら意見の扞格(かんかく)もなかった。が、彼らの力が進むに従って、二人はいつも同じような口争いを続けていた。
「このところの文意はよく分かり申した。いざ先へ進もうではござらぬか」
 玄白は、常に先を急いでいた。が、良沢は、悠揚として落着いていた。
「いや、お待ちなされい。文意は通じても、語義が通じ申さぬ。およそ、語義が通じ申さないで、文意のみが通ずるは、当(あて)推量と申すものでござる」
 良沢は、頑として動かなかった。

          八

 四年の月日は過ぎた。
 玄白は、ターヘルアナトミアの稿を更えること十二回に及んだ。が、篇中、未解の場所五カ所、難解の場所十七カ所があった。玄白は、ひたすらに上梓を急いだ。が、良沢は、未解難解の場所を解するまではとて、上梓を肯(がえ)んじなかった。
 良沢と玄白とは、それについて幾度も論じ合った。が、二人はいくら論じ合っても、一致点を見出(みいだ)さなかった。それは、二人の蘭学に対する態度の根本的な相違だった。
 玄白は、とうとう自分一人の名前で、ターヘルアナトミアの翻訳たる解体新書を上梓する決心をした。が、さすがに彼は、良沢の名を無視するわけにはいかなかった。翻訳の筆記こそ、玄白の手によって行われたものの、翻訳の功は、半ば良沢に帰すべきものだったから。
 玄白は、良沢を訪うて序文を懇願した。が、良沢は序文をも、次のようにいって断った。
「いや、拙者かつて九州を歴遊いたした折、太宰府の天満宮へ参詣いたした節、かように申して起誓したことがござる。良沢が蘭学に志を立て申したは、真の道理を究めようためで、名聞(みょうもん)利益のためではござらぬゆえ、この学問の成就するよう冥護を垂れたまえと、かように祈り申したのじゃ。この誓いにも背き申すゆえ、序文の儀は平に許させられい!」
 それをきいた玄白は、寂しかった。が、彼は自分の態度を卑下する気には、少しもなれなかった。彼は、良沢の態度を尊敬した。が、それと同時に、彼は自分の態度を肯定せずにはおられなかった。
 彼は、晩年蘭学興隆の世に会った時の手記に、自分の態度を、次のように主張した。
「翁は、元来疎慢にして不学なるゆえ、かなりに蘭説を翻訳しても、人のはやく理解し、暁解するの益あるようになすべき力はなく、されども人に託しては、我本意も通じがたく、やむことなく拙陋(せつろう)を顧みずして、自ら書き綴れり。その中に精密の微義もあるべしと思えるところも、解しがたきところは強いて解せず、ただ意の達したるところを挙げおけるのみ。たとえば、京へ上らんと思うには、東海、東山二道あるを知り、西へ西へと行けば、ついには京へ上りつくというところを、第一とすべし。その道筋を教えるまでなりと思えば、そのあらましを唱(とな)え出せしなり。はじめて唱える時に当りては、なかなか後の譏(そしり)を恐るるようなる碌々たる了見にて企事(くわだてごと)はできぬものなり。くれぐれも大体に基づき、合点の行くところを訳せしまでなり。梵訳の四十二章経も、ようやく今の一切経に及べり。これが、翁が、その頃よりの宿志にして企望せしところなり。世に良沢という人なくば、この道開くべからず。されど翁のごとき、素意大略の人なければ、この道かく速かに開くべからず、是もまた天助なるべし」




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