蘭学事始
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著者名:菊池寛 

          一

 杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋源右衛門方へ着いたのは、巳刻(みのこく)を少し回ったばかりだった。
 が、顔馴染みの番頭に案内されて、通辞、西善三郎の部屋へ通って見ると、昨日と同じように、良沢はもうとっくに来たと見え、悠然と座り込んでいた。
 玄白は、善三郎に挨拶を済すと、良沢の方を振り向きながら、
「お早う! 昨日は、失礼いたし申した」と、挨拶した。
 が、良沢は、光沢のいい総髪の頭を軽く下げただけで、その白皙な、鼻の高い、薄菊石(あばた)のある大きい顔をにこりともさせなかった。
 玄白は、毎度のことだったが、ちょっと嫌な気がした。
 彼は、中津侯の医官である前野良沢の名は、かねてから知っていた。そして、その篤学の評判に対しても、かなり敬意を払っていた。が、親しく会って見ると、不思議にこの人に親しめなかった。
 彼は、今までに五、六度も、ここで良沢と一座した。去年カピタンがここの旅館に逗留していた時にも、二度ばかり落ち合ったことがある。今年も月の二十日に、カピタンが江戸に着いてから今日で七日になる間、玄白は三、四度も、良沢と一座した。
 それでいて、彼はどうにもこの人に親しめなかった。それかといって、彼は良沢を嫌っているのでもなければ、憎んでいるのでもなかった。ただ、一座するたびに、彼は良沢から、妙な威圧を感じた。彼は、良沢と一座していると、良沢がいるという意識が、彼の神経にこびりついて離れなかった。良沢の一挙一動が気になった。彼の一顰(びん)一笑が気になった。彼が気にしまいとすればするほど、気になって仕方がなかった。
 それだのに、相手の良沢が、自分のことなどはほとんど眼中に置いていないような態度を見ると、玄白は良沢に対する心持を、いよいよこじらせてしまわずにはおられなかった。
 長崎表での蘭館への出入(でいり)は、常法があって、かなり厳しく取り締られていたが、カピタンが江戸に逗留中の旅館であるこの長崎屋への出入は、しばらくの間のこととて、自然何の構(かまえ)もなき姿であった。
 従って、オランダ流の医術、本草(ほんぞう)、物産、究理の学問に志ある者を初め、好事(こうず)の旗本富商の輩(はい)までが、毎日のように押しかけていた。
 ことに御医術の野呂玄丈や、山形侯の医官安富寄碩、同藩の中川淳庵、蔵前の札差で好事の名を取った青野長兵衛、讃岐侯の浪人平賀源内、御坊主の細井其庵、御儒者の大久保水湖などの顔が見えぬことは希だった。
 そうした一座は、おぼつかない内通辞を通じて、カピタンにいろいろな質問をした。それが、たいていはオランダの異風異俗についての、たわいもない愚問であることが多かった。カピタンの答によって、それが愚問であることがわかると、皆は腹を抱えて笑った。
 また、ウェールグラス(晴雨計)や、テルモメートル(寒暖計)や、ドンドルグラス(震雷験器)などを見せられると、彼らは、子供が珍しい玩具にでも接したように欣んで騒いだ。
 が、こんな時、一座を冷然と見下(みくだ)すように座っているのは良沢だった。彼は、みんなが発するような愚問は、決して発しなかった。彼は、初めから終りまで、冷笑とも微笑ともつかない薄笑いを唇の端に浮べながら黙ってきいていた。
 一座が、たわいもなく笑っても、彼のしっかりと閉された口は、容易にほころびなかった。
 が、ある問題で、一座が問い疲れて、自然に静かになった頃に、良沢はきまって一つ二つ問いただした。一座の者には、その質問の意味がわからないことさえ多かった。が、カピタンが通辞からその質問を受け取ると、彼はいつもおどろいたように目を瞠(みは)りながら、急に真面目な態度になって、長々と答えるのが常だった。
 一座の者は、良沢のそうした――彼一人高しとしているような態度を、少しも気に止めていないらしかったが、玄白だけは、それが妙に気になって仕方がなかった。
 つい、昨日もこんなことがあった。それはいってみれば、なんでもないことだが、カピタンのカランスが、座興のためだったのだろう、小さい袋を取り出して皆に示した。通辞は、カピタンの意を受けて、こんなことをいった。
「カランス殿のいわれるには、この袋の口を、試みに開けて御覧(ごろう)じませ。みごと開けた方にこの袋を進ぜられるとあるのじゃ」
 カランスは、一面に髯の生えた顔の相好を崩して、にこにこ笑っていた。
 一座は、かなり打ち興じた。一番に、細井其庵が手に取り上げた。が、性急な彼は、しばらくいじっていたかと思うと、すぐ投げ出してしまった。
「どれどれ拙者が」と安富寄碩が、子細らしく取り上げたが、これもしばらく考えていたかと思うと、思案に余って投げ出してしまった。その袋は、一座の者の手から手へ渡った。一人一人失敗するごとに一座は声高く笑った。カランスは皆が開けかねているのを、嬉しそうに、にこにこ見ていた。
 玄白の手元に来たとき、彼もにこにこ笑いながら取り上げた。袋の口には、金具が付いていた。それは、おそらく知恵の輪の仕掛けになっていたのだろう。玄白は、所々を押したり引いたりしてみたが、口は一分も開かなかった。
 彼は、とうとう持て余した。彼は、苦笑しながら、それを次の者に譲ろうとした。が、その時に、一座の者は、たいていそれを試みていた。ただ玄白の右手に座っている良沢だけには、彼があまり端然と控えているために、誰もがそれを手渡しかねていた。
「前野氏、いかがでござる?」
 玄白は、気軽にそれを良沢に手渡そうとした。が、良沢は冷然として、それを受け取ろうとはしなかった。彼は、おそらく一座の者がつまらない玩(あそ)び物で打ち興じていることが、あまりに苦々しく思われたのだろう。否、士大夫(したいふ)ともあるべきものが、つまらない玩(あそ)び物で、カピタンから体よく翻弄されていることを苦々しく思ったのだろう。彼は、玄白が差し出したその袋を、見向きもしようとしなかった。
 その袋は、玄白と良沢との中間に置かれたまま、一座はちょっと白けかかっていた。
 が、ちょうどその時、折よく平賀源内が、遅れて入ってきた。彼は、その袋のことを一座の者からきくと、それを無造作に取り上げたかと思うと、たちまち口を開けてしまった。
 一座は、源内の奇才を賞する声で満ち満ちた。彼の奇才は、一座の白けかかるのを救ったのである。
 が、玄白の、良沢に対する意地とも反感ともつかぬものは、彼の心の中で、この時からだんだん判然とした形を取りかけていた。
 玄白は、良沢が一座にいると、心に思い浮ぶ質問の半分も、口に出すことができなかった。良沢には、自分のきいていることが、もうとっくに分かっていはしないかなどと思うと、質問をすることが、良沢の前で自分の無知を告白しているようで、どうにも気が進まなかった。玄白は、そうした外聞とか見得とかいったような心持を、心のうちでかなり恥じていた。が、恥じながらも、それに拘(こだわ)らずにはおられなかった。彼は、オランダの事物、学術、ことに医術に対する知識欲に渇(かつ)えながら、妙な意地から、心のままに質問することができなかった。
 その日も、彼は皆が来ない前、特に良沢の来ない前に、自分一人で善三郎に会いたかったのである。彼はオランダ文字を読もうという自分のかねてからの宿願を述べて、その志願の可能不可能を、善三郎にただしてみたかったのである。
 そのために、昨日より半刻も早く来た玄白には、良沢が自分よりも早く来ていたことが、かなりの打撃だった。
 が、彼は良沢にかまいすぎる自分の心持を恥じた。彼は、良沢ただ一人しかいないのを幸いに、自分の素志を述べてみた。
「西氏! 今日は、ちと御辺に折り入ってお尋ねしようと思うことがござるのじゃ、それは余の儀ではござらぬ。総体、オランダの文字と申すものは、われら異国の者にも、読めるものでござろうか。それとも、いかほど刻苦いたしても読めないものでござろうか。有様(ありよう)にお答え下されい。われら存ずる子細もござるほどに」
 玄白の問いには、真摯な気が満ちていた。西は玄白の熱心を嘉(よみ)するように、二、三度頷いた。が、彼の与えた答は、否定的だった。彼は、西海の人に特有な快活な調子で答えた。
「さればさ、それは、三、四の方々からも尋ねられたことでござる。なれど、われら答え申すには、ただ御無用になされと申すほかはござらぬ。いかほど辛労なされても、所詮及ばぬことでござる。有様(ありよう)を申せば、われら通辞の者にても、オランダの文字を心得おるものは、われら一両人のほかは、とんとござらぬ。余の者は、音ばかりを仮名で書き留め、口ずからそらんじ申して、折々の御用を弁じておるのでござる。彼(か)の国の言葉を一々に理解いたそうなどは、われら異国人には、所詮及ばぬことでござる。例えて申そうなら、彼(か)の国のカピタンまたはマダロスなどに、湯水または酒を飲むを何と申すかと、尋ね申すには、最初は手真似にて問うほかはござらぬ。茶碗などを持ち添え、注ぐ真似をいたし、口に付けてこれはと問えば、デリンキと教え申す。デリンキは、飲むことと承知いたす。ここまでは、子細はござらぬ。なれど、今一足進み申して、上戸と下戸との区別を問おうには、はたと当惑いたし申す。手真似にて問うべき仕方はござらぬ。しばしば、飲む真似をいたして、上戸の態(さま)を示し申しても、相手にはとんと通じ申さぬ。さればじゃ、多く飲みても、酒を好まざる人あり、少なく飲みても好む人あり、形だけにては上戸下戸の区別は、とんとつき申さぬ。かように、情(じょう)の上のことは、いかように手真似を尽くしても、問うべき仕方はござらぬ」
「なるほどな。ごもっともでござる」
 玄白も、相手の返事の道理を、頷かずにはおられなかった。
 玄白が、首肯するのを見ると、西はやや得意に語りつづけた。
「オランダの言葉の、むつかしき例(ためし)には、かようなこともござる。アーンテレッケンと申す言葉がござる。好き嗜むという言葉でござるが、われら、通辞の家に生れ、幼少の折より、この言葉を覚え、幾度となく使い申したが、その言葉の意(こころ)は、一向悟り申さなんだところ、年五十に及んで、こんどの道中にてやっと会得いたしてござる。アーンは、元という意(こころ)でござる。テレッケンとは、引くという意(こころ)でござる。アーンテレッケンとは、向うのものを手元へ引きたいと思う意でござる。酒を好むとは、酒を手元へ引きたいという意でござる。故郷をアーンテレッケンするとは、故郷を手元へ引き寄せたいほど、懐しむという意でござる。かように、一つの言葉にても、むつかしきものにござれば、われらのごとき、幼少よりオランダ人に朝夕親炙(しんしゃ)いたしおる者にても、なかなか会得いたしかねてござる。いわんや、江戸などにおわしては、所詮叶わぬことでござる。ご存じでもござろう。野呂玄丈殿、青木文蔵殿など、御用にて年々当旅宿へお越しなされ、一方ならず御出精なされても、はかばかしゅう御合点も参らぬようでござる。其許(そこもと)も、さような思召立(おぼしめしだて)は、必ず御無用になされた方がよろしかろう」
 西は、自分自身も、とっくに諦めきっているようにいった。
「なるほど、道理でござる」
 玄白も、そう答えるほかはなかった。相手がしきりに止めるものを、強いて学習の方法などをきくわけにもいかなかった。
「なるほど、大通辞の御辺が、さように思うておらるることを、われらがいかように思い立っても、及ばぬことでござる。所詮は、思い切るほかはござらぬ」
 玄白が、何気なくそういった時だった。今まで黙って、西と玄白との問答をきいていた良沢が、急に口を挟んだ。
「いや、御両所のお言葉ではござるが、われらの存ずる子細は別じゃ。およそ、紅毛人とは申せ、同じ人間の作った文字書籍が、同じ人間に会得できぬという道理は、さらさらござらぬわ。われらが平生読み書きいたしおる漢字漢語も、またわれら士大夫が実践いたしおる孔孟の教えも、伝来の初めには、只今のオランダの文字同様一切不通のものであったに相違ござらぬわ。それを、われらの遠つ祖(おや)どもが、刻苦いたして、一語半語ずつ理解いたして参ったに相違ござらぬ。遠つ祖どもの苦心があればこそ、二千年この方、幾百億の人々が、その余沢に潤うてござるのじゃ。良沢の志は、そこでござる。われらは、この後に来(きた)る者のためには、彫心鏤骨(るこつ)の苦しみも、厭い申さぬ覚悟でござる。杉田氏も、お志をお捨てなされないで、お始めなされい。われらは、今年四十九でござるが、倒れるまで、努めてみるつもりでござる」
 玄白は、良沢の志をきいて、心から恥じずにはおられなかった。その雄渾な志をきいて、心から恥じずにはおられなかった。彼はこれを自分に対するありがたい忠言だと思わずにはおられなかった。が、彼はあまりに触れられたくない急所に、相手が唐突(だしぬけ)に触れてきたことに、かなりな不快を感ぜずにはおられなかった。こっちが、半分は挨拶かたがたいっていることに、なんの容赦もなく、真剣に向ってきた相手に、ある不快を感ぜずにはおられなかったのである。

          二

 玄白が、蘭書ターヘルアナトミアを手に入れたのは、それから五日とは経たない頃だった。
 玄白の志は、元来オランダ流の医術にあった。彼が蘭語を学びたく思ったのも、それによって療術方薬に関する蘭書を読破したいためであった。
 従って、彼はターヘルアナトミアを、ある内通辞から示されると、彼は驚喜の目を瞠(みは)らずにはおられなかった。濃い赤と青とで彩られた、臓腑骨節の精緻な絵図を見ると、彼はそこに人体についてのすべての秘奥が、解き明かされてあるように思われた。その絵図と絵図との間に走っている、模様のようなオランダの文字は、一字も半字も読めなかったけれども、彼の心は激しい好奇と感激とにみたされずにはいなかった。彼は、心の底からそれに垂涎(すいぜん)した。価は、二十五人扶持の彼にとっては、力に余る三両という大金だった。が、彼は前後の思慮もなかった。懐中していた一朱銀を、手金としてその通辞に渡すと、彼は金策のために、藩邸へ馳(は)せ帰った。
 彼が、駆けつけていったのは、家老岡新左衛門の屋敷であった。岡は、かねてから玄白に好意を持っていた。彼は玄白の懇願をきくと、
「それは求めておいて、用立つものか。用立つものならば、価は上より下しおかれるよう取り計らって得させよう」といった。
 そう答えられると、玄白も感奮した。
「されば、必ずこうという目当てはござりませねども、是非とも用立つものにしてお目に掛けるでござろう」と、誓わずにはおられなかった。
 ちょうど、座に小倉左衛門という男が、居合わした。
「それは、なにとぞ調えて遣わされたい。杉田氏はそれを空しくする人ではござるまい」と、助言してくれた。
 ターヘルアナトミアを自分のものにして、玄白は小躍りして欣んだ。

          三

 三月三日のことであった。玄白は、その日も長崎屋へ出向いていた。将軍家の、オランダ人御覧が昨日滞(とどこお)りなく終ったので、カピタンを初め、二人の書記役(シキリイバ)、大小の通辞たちも、みなのびのびとした気持になっていたので、会談がいつになく賑わった。とうとうおしまいに、カピタンが珍□という珍しい酒を出して、皆を饗応した。
 その日は、良沢の顔が見えないほか、一座の者は、中川淳庵、小杉玄適、嶺春泰、鳥山松園など、皆医師ばかりであったので、対話は多岐にわたらずして、緊張していた。ことに、書記役(シキリイバ)の一人のバブルは、外科の巧者であったので、皆はバブルを囲んで、貪るように、いろいろな質問を発していた。
 ことに、嶺春泰は、刺絡の術を、熱心にきいていた。
 春の長い日が暮れて、オランダ人たちが食事のために退(ひ)いたとき、皆は緊張した対話から、ほっとしてわれに返っていた。彼らが急いで帰り支度にかかっている時だった。中川淳庵の私宅から、小者が赤紙の付いた文箱を持って、駆けつけてきた。
 淳庵は、その至急を示した文箱を、ちょっと不安な顔付で取り上げたが、中の書状を読んでいるうちに、彼の不安な顔は欣びで崩れてしまった。
「諸君! お欣びなされい! かねての宿願が叶い申したぞ。明日、骨(こつ)ヶ原で腑分(ふわけ)がある! 腑分がある!」
 彼は、喜悦の声を揚げながら、一座の者にその書状を指し示した。それは、いかにも町奉行曲淵(まがりぶち)甲斐守の家士、得能万兵衛から、明四日千住骨ヶ原にて、手(しゅ)医師何某が腑分をすることを、内報してきた書状だった。
「腑分が! 腑分が!」
 皆は、口々に欣びの声を出した。
 淳庵、玄適、玄白など、オランダ流の医術に志すものにとっては、観臓は年来の宿願だった。が、その機会は容易に得られなかったのだ。
 ことに、彼らは今日この頃、バブルから、身体内景の有様を新しく聞いていたので、腑分に対する宿望は、更に油が注がれたように燃えていた。
 ことに、玄白は腑分ときくと、自分の心が飛揚するのを抑えることができなかった。彼は、ターへルアナトミアを手にして以来、腑分の日を一日千秋の思いで待っていた。彼はターヘルアナトミアの絵図が、古人の諸説とことごとく違っているのを知っておった。彼は、それを実地に照して、一日も早く確めたかったのである。
 一座の人々の顔は、欣びに輝いていた。
「それでは、今夜はただちに帰宅して休息いたし、明日(あした)早天に、山谷町出口の茶屋で待ち合わすことにいたそう」
 淳庵は、座中を見回していった。一座は、すぐそれに同意した。
 その時に、玄白の頭の中に、ふと良沢の顔が浮んだ。彼は、良沢がやはり観臓の希望の切なことを知っていた。一座の誰にも劣らないほど、切なのを知っていた。たとい、良沢がこの席にいあわさずとも、明日の一挙にもらすべき人でないことを感じていた。
 が、彼は良沢の名を、気軽に口にすることができなかった。良沢に対する軽い反感のために、たやすく口にすることができなかった。その上、彼の心の一隅には、日頃一座に対して高飛車な、見下(みくだ)したような態度を取っている良沢が大切な企てにもれることを、いい見せしめだと思う心が、かすかではあるが動いていた。
 それに、誰もが良沢のことに気がついていない以上、自分が特に注意するにも、当らないと思っていた。
 が、一座がそのままに立ち上りそうになると、玄白の心は、だんだん苦しくなっていた。軽い苛責が彼の心を鞭打った。彼は、良沢に対する自分の態度の卑しさに、気づかずにはおられなかった。
 彼は、とうとう黙ってはおられなかった。
「前野氏がいる! 前野氏がいる! 前野氏へも、なんとかいたして知らせたいものでござる」
 そういったとき、玄白は自分自身、救われたような明るい気持になった。
「おお前野氏がいる! 前野氏のことを、とんと失念いたしていた。前野氏へは、是非一報いたさいで叶わぬことじゃ」
 玄適が、すぐそれに応じた。が、他の者はあまり気が乗っているようでもなかった。淳庵はいいわけのようにいった。
「前野氏にも、知らせとうはござるが、前野氏の麹町の住居までは、よほどの道程でござる。もう、初更も過ぎているほどに、知らすべき便(たより)はござらぬ。前野氏には、この次の機(おり)もござろう」
 玄白は、もう黙っていようかと思った。自分の心持だけは、これで済んでいる。前野を、是非とも明日の企てに与(あずか)らせねばならぬほどの義理も責任もないと思っていた。が、彼は自分の心の底に、良沢の来ないことを欣ぶような心が潜んでいることに気づいているだけに、そのまま黙っているのが疚(やま)しかった。
「いや知らすべき便(たより)がないとは、限り申さぬ。本石町の木戸際(ぎわ)には、さだめし辻籠がいることでござろう。手紙を調(しつら)え、辻籠の者に置き捨てにいたさすれば、念がとどかぬことはござるまい」
 玄白の考えは、時にとって名案だった。
「それは、天晴(あっぱれ)のお心付きじゃ」
 一座の者は、皆それに賛成した。玄適が、すぐ手紙を書きにかかった。
 玄白は、自分で良沢を呼びながら、一方それを悔いている心持が動いていないこともなかった。が、ふと自分の持っているターヘルアナトミアのことを考えると、また別な心持が動いた。彼は、その珍書を皆の前で披露するときの、得意な心持を考えた。ことに良沢の前で――いつもそれとなく気圧されているように思う良沢の前で、ターヘルアナトミアを開いて見せる自分の心持を考えてみた。
 彼は、やっぱり良沢を呼んで、いいことをしたと思った。

          四

 三月四日の朝、玄白は寅の二つに近い頃、新大橋の藩邸を出て、浅草橋から蔵前を通って、広小路に出て、馬道から山谷町の出口の茶屋に着いたのは、春の引き明けの薄紫の空に、浅草寺(せんそうじ)の明け六つの鐘が、こうこうと鳴り渡っている頃であった。
 茶屋の座敷に上って見ると、もう玄適と良沢とが、朝寒(あささむ)の部屋に火鉢を囲いながら向い合っていた。
 麹町平河町に住んでいる良沢が、自分より先へ来ているのを見ると、玄白は心中少なからずおどろかずにはおられなかった。
 良沢は、玄白が入ってくるのを見ると、いつになく丁寧に会釈した。
「杉田氏! 昨夜は、貴所(きしょ)の肝煎りで使いを下さったそうで、ありがたく存じおる。お陰で、かような会いがたき企てに与(あずか)り申して、大慶に存じおるところでござる」
 そう、真正面から感謝されると、玄白は自分の今までの良沢に対する心持を、心のうちでやや恥しく思わずにはおられなかった。
 玄適が、横から口を挟んだ。
「杉田氏! 前野氏は、昨夜から一睡もなされないそうでござる。使いの者が参ったのが、子(ね)に近い頃で、お宅を出られたのが、丑二つ頃じゃと申す。その間(ま)も今日の企てのことを思われると、心が躍るようで、一睡もなされなんだそうでござる」
 玄白は、良沢の執心が自分以上に激しいことを知ると、どんな点でも良沢には及ばないといったような、寂しさを感ぜずにはおられなかった。
 が、そうした寂しさも、自分が懐中しているターヘルアナトミアのことを考えると、すぐ慰められた。今日の参会にこの珍書を持っている者は自分一人だと思うと、良沢に対するそうした寂しさもすぐ消えてしまった。
 そのうちに淳庵が見えた。小半刻ばかり経つ頃に、春泰と良円とが、連れ立ってやってきた。六人の顔が揃うと、打ち連れ立って骨ヶ原に向った。
 春の早朝の微風に顔を吹かせながら、六人は興奮してよく喋った。六人とも、中年を越した者ばかりであったけれども、彼らの心持は、期待のために躍っていた。六人の歩調が、いつの間にか早くなっていた。小男の淳庵が、ともすれば遅れがちであった。
 玄白は、いつターヘルアナトミアを取り出して、皆に披露しようかと思っていた。彼は、さっき山谷町の茶屋で披露しようと思いながら、ついその時機を得なかった。
 骨ヶ原の刑場に近づくと、街道に面した梟木(きょうぼく)の上に、刑死して間もないような老婆の首がかけられていた。その胴体が、今日腑分せられるのだと気がつくと、六人はちょっと不快な感じを懐かずにはおられなかった。
 非人頭(がしら)が、六人を刑場の入口にある与力詰所へ案内した。腑分の準備が整うまで、六人はそこで待たなければならぬのだった。
 玄白は、今こそと思いながら、懐(ふところ)のターヘルアナトミアに手をかけようとした。
 が、それと同時に、良沢が思い出したように、右手に持っていた風呂敷包みを解きながらいった。
「さよう! さよう! 各々方に御披露するものがござった。先年長崎へ参った折、求め帰って家蔵いたしおるオランダ解剖の書でござるが……」
 そういいながら、彼は風呂敷包みの中から、取り出した一本を、皆の前に指し示した。
 玄適が、好奇の目を輝かしながら、それを受け取った。五人の目が、一斉にそれに注がれた。が、玄白は一目見ると、自分の目を疑わずにはおられなかった。それは、自分が懐中しているターヘルアナトミアと、寸分違(たが)わぬ同版同刻の書であった。
 彼は、茫然として語がなかった。良沢に対して主張し得ると思っていた彼の最後の拠りどころは、脆くも踏みにじられてしまったのであった。が、玄白は、懐中している自分の本を出さないわけにもいかなかった。
「前野氏は、かねてから御所持でござったか。実は、拙者もこのほど、一本を求め申してござる」
 玄白は何気ないように披露した。が、彼が昨夜から楽しみにしていた披露する折の得意さ、晴れがましさなどは微塵も感じられなかった。韮を噛むような気持であった。
 が、良沢は、それを見ると、心からおどろいたらしかった。彼は玄白の差し出した本を取り上げながら、表紙や扉を打ち返して見た。
「これは紛れもなく同本じゃ。不思議な奇遇でござる。奇遇でござる」
 そういいながら、良沢は幾度も手を打った。良沢の態度は、天空のごとく開豁(かいかつ)だった。
「貴所と某(それがし)とが、期せずしてターヘルアナトミアを所持いたしおるなど、これはオランダ医術が開くべき吉瑞とも申すべきでござる」
 良沢は、そう語をつづけて哄笑した。彼は、書中の一図を玄白に指し示しながらいった。
「御覧なされい! これが、ロングと申し肺でござる。これがハルトと申し心でござる。これはマーグと申し胃でござる。これはミルトと申し脾(ひ)でござる。医経(いきょう)に申す、五臓六腑、肺の六葉、両耳肝(じかん)の左三葉、右四葉などの説とは、似ても似ぬことでござる。今日こそ、漢説が正しいか、オランダの絵図が正しいか、試すべき時期でござる」
 良沢の顔は、究理に対する興奮で輝いていた。玄白も、良沢の高朗な熱烈な気持に接していると、自分の心のうちの妙なこだわりなどは、いつの間にか忘れていた。

          五

 やがて、六人は打ち連れて、観臓の場所へ行った。
 刑場の一部に、蓆をもって粗末な仮小屋が設けられていた。手(しゅ)医師の何某(なにがし)が、三人の小吏と、二人の与力と一緒に待っていた。
 死体は、案のごとく、首だけは梟木の上にかけられている老婆のそれであった。老婆は青茶婆(あおちゃばば)といって、幾人となく貰い子を殺した大罪の女であった。若い時、艶名をうたわれたといわれるだけに、五十を越しているというにもかかわらず、白い肥肉(ふとりじし)の身体には、まだ少しの皺も見えなかった。
 刀(とう)を執る者は、虎松という九十に近い小吏だった。刑死人の死体の脂肪がにじみ出ているのではあるまいかと思われるような、赤黒い皮膚をした健(すこ)やかな老人であった。
 彼は、若い時から、腑分は幾度も手にかけ、数人を解いたことがあると自慢をした。
 究理のために勇み立っている六人ではあったけれども、その首のない、生白い無格好な死体を見た時に、皆は思わず顔を背けずにはおられなかった。目や鼻から受ける醜悪な感じで、六人の胸は閉された。が、良沢も、淳庵も、玄白も、必死な色を浮べて、そうした感じに堪えていた。
 老人の小吏は、磨ぎすました出刃を逆手(さかて)に持つと、獣の肉をでも割(さ)くように、死体の胸をずぶずぶと切り開いていった。まだ首が離れてから半刻と経っていない死体からは、出刃の切先の進むに連れて、かたまりかけている血がとろとろと滲み出た。
 胸が第一に切り割(さ)かれた。良沢も玄白も、ターヘルアナトミアの胸の絵図を開きながら、真っ赤に開かれていく死体の胸と、一心に見比べていた。
 それが、良沢と玄白とにとって、なんという不思議であっただろう。出刃の切っ先に切られていく骨の一つも、筋の一つも、肉の間に網のごとく走っている白い奇怪な線条も、白く浮き上っている脂肪も、びろびろと胸郭いっぱいに気味悪く広がっている肺も、左肺の下から覗いている真っ赤な桃の実のごとき心の臓も、ターヘルアナトミアの絵図と、一分一点の違いもなかった。
 良沢も玄白も他の四人も、深い感嘆のために、声も出なかった。
 続いて、腹が割(さ)かれた。そこに見出(いだ)された胃、奇怪な形に蹲(うずくま)っている腸、胃の陰にかくれた名も知らぬ臓腑まで、オランダ図と寸分の違いもなかった。
 老屠が、出刃を持つ手を止めると、良沢は、初めてわれに返ったように叫んだ。
「至極じゃ。至極じゃ。蘭書の絵図と、寸分の違いもござらぬ。和漢千載の諸説は、みな取るに足らぬ妄説と定(さだ)まり申した。医術はもはやオランダに止めを刺し申した」
「至極じゃ。至極じゃ!」
 皆は、良沢の感激に声を合せた。

 刑場からの帰途、春泰と良円とは、一足遅れたため、良沢と玄適と淳庵、玄白の四人連(づれ)であった。四人は同じ感激に浸っていた。それは、玄妙不思議なオランダの医術に対する賛嘆の心であった。
 刑場から六、七町の間、皆は黙々として銘々自分自身の感激に浸っていたが、浅草田圃(たんぼ)に差しかかると、淳庵が感に堪えたようにいった。
「今日の実験、ただただ驚き入るのほかはないことでござる。かほどのことを、これまで心づかずに打ち過したかと思えば、この上もなき恥辱に存ずる。われわれ医をもって主君主君に仕えるものが、その術の基本とも申すべき人体の真形をも心得ず、今日まで一日一日とその業を務め申したかと思えば、面目もないことでござる。何とぞ、今日の実験に基づき、おおよそにも身体の真理をわきまえて医をいたせば、医をもって天地間に身を立つる申しわけにもなることでござる」
 良沢も玄白も玄適も、淳庵の述懐に同感せずにはおられなかった。玄白は、その後をうけていった。
「いかにも、もっともの仰せじゃ。それにつけても拙者は、如何にもいたして、このターヘルアナトミアの一巻を翻訳いたしたいものじゃと存ずる。これだに翻訳いたし申せば、身体内外のこと、身明(しんみょう)を得て、今日以後療治の上にも大益あることと存ずる」
 良沢も、心から打ち解けていた。
「いや、杉田氏の仰せ、もっともでござる。実は、拙者も年来蘭書読みたき宿題でござったが、志を同じゅうする良友もなく、慨(なげ)き思うのみにて、日を過してござる。もし、各々方が、志を合せて下されば何よりの幸いじゃ。幸い、先年長崎留学の砌(みぎり)、蘭語少々は記憶いたしてござるほどに、それを種といたし、共々このターヘルアナトミアを読みかかろうではござらぬか」と、いった。
 玄白も、淳庵も、玄適も、手を打ってそれに同じた。彼らは、異常な感激で結び合された。
「しからば、善はいそげと申す。明日より拙宅へお越しなされい!」
 良沢は、その大きい目を輝かしながらいった。

          六

 約のごとく、その翌日を初めとし、四人は平河町の良沢の家に、月五、六回ずつ相会した。
 良沢を除いた三人は、オランダ文字の二十五字さえ、最初は定かには覚えていなかった。
 良沢は、三人の人々に、蘭語の手ほどきをした。彼は、さすがに長崎に留学したことがあるだけに、多少の蘭語と、章句語脈のことも、少しは心得ていたけれども、それもほとんどいうに足りなかった。一月ばかり経つと、良沢が三人に教えることは、もう何も残っていなかった。
 三人の手ほどきが済むと、四人は初めて、ターヘルアナトミアの書に向った。
 が、開巻第一のページから、ただ茫洋として、艫舵(ろだ)なき船の大洋に乗出(のりいだ)せしがごとく、どこから手のつけようもなく、あきれにあきれているほかはなかった。
 が、二、三枚めくったところに、仰(あおむ)けに伏した人体全象の図があった。彼らは考えた。人体内景のことは知りがたいが、表部外象のことは、その名所もいちいち知っていることであるから、図における符号と説の中の符号とを、合せ考えることがいちばん取りつきやすいことだと思った。
 彼らは、眉、口、唇、耳、腹、股、踵などについている符号を、文章の中に探した。そして、眉、口、唇などの言葉を一つ一つ覚えていった。
 が、そうした単語だけはわかっても、前後の文句は、彼らの乏しい力では一向に解しかねた。一句一章を、春の長き一日、考えあかしても、彷彿として明らめられないことがしばしばあった。四人が、二日の間考えぬいて、やっと解いたのは「眉トハ目ノ上ニ生ジタル毛ナリ」という一句だったりした。四人は、そのたわいもない文句に哄笑しながらも、銘々嬉し涙が目のうちに滲んでくるのを感ぜずにはおられなかった。
 眉から目と下って鼻のところへ来たときに、四人は、鼻とはフルヘッヘンドせしものなりという一句に、突き当ってしまっていた。
 むろん、完全な辞書はなかった。ただ、良沢が、長崎から持ち帰った小冊に、フルヘッヘンドの訳注があった。それは、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚(あつま)りて、フルヘッヘンドをなす」という文句だった。
 四人は、その訳注を、引き合しても、容易には解しかねた。
「フルヘッヘンド! フルヘッヘンド!」
 四人は、折々その言葉を口ずさみながら、巳の刻から申(さる)の刻まで考えぬいた。四人は目を見合せたまま、一語も交えずに考えぬいた。申の刻を過ぎた頃に、玄白が躍り上るようにして、その膝頭を叩いた。
「解(げ)せ申した。解(げ)せ申した。方々、かようでござる。木の枝を断ち申したるあと、癒え申せば堆(たか)くなるでござろう。塵土聚(あつま)れば、これも堆(たか)くなるでござろう。されば、鼻は面中にありて、堆起するものでござれば、フルヘッヘンドは、堆(たか)しということでござろうぞ」といった。
 四人は、手を打って欣びあった。玄白の目には涙が光った。彼の欣びは、連城の玉を獲(と)るよりも勝(まさ)っていた。
 が、神経(シンネン)などという言葉に至っては、一月考え続けても解らなかった。
 彼らは、最初難解の言葉に接するごとに、丸に十文字を引いて印とした。それを轡(くつわ)十文字と呼んでいた。初め一年の間、どのページにもとのページにも、轡十文字が無数に散在した。
 が、彼らの先駆者としての勇猛精神は、すべてを征服せずにはいなかった。一カ月六、七回の定日を怠りなく守った甲斐はあった。一年余を過ぎた頃には、訳語の数も増え、章句の脈も明らかに、書中の轡十文字は、残り少なくかき消されていた。
 先駆者としての苦闘は、やがて先駆者のみが知る欣びで酬われていた。語句の末が明らかになるに従って、次第に蔗(さとうきび)を食らうがごとく、そのうちに含まれた先人未知の真理の甘味が、彼らの心に浸みついていた。
 彼らは、邦人未到の学問の沃土に彼らのみ足を踏み入れ得る欣びで、会集の期日ごとに、児女子の祭見に行く心地にて、夜の明くるのを待ちかねるほどになっていた。

          七

 玄白が、最初良沢に対して懐(いだ)いていた軽い反感などは、もう跡形もなかった。彼は良沢の人となりとその篤学に、心から尊敬を払っていた。
 が、翻訳の業が進んでいくのに従って、玄白は、だんだん自分の志と良沢のそれとが離れているのに気がついた。
 玄白の志は、ターヘルアナトミアを一日も早く翻訳して、治療の実用に立て、世の医家の発明の種にすることだった。彼は、心のうちで思っていた。漢学が日本へ伝来して大成するまでには、数代、数十代の努力を要している。それと同じように、蘭学の大成も、数代を要するに違いないと思っていた。彼は、そうした一代に期しがたい大業を志すよりも、一事一書に志を集めて一代に成就することを期するに如(し)かじと思っていた。五色の糸の乱れしは美しけれども、実用に供することは赤とか黄とかの一色に決し、ほかは皆切り捨つるに如(し)かずと思っていた。
 従って、彼は、ターヘルアナトミアの翻訳に余念もなかった。彼は一日会して解し得るところは、家に帰ってただちに翻訳した。
 が、良沢の志は遠大だった。彼の志は蘭学の大成にあった。ターヘルアナトミアのごときは、ほとんど眼中になかった。彼は、オランダのことごとくに通達し、彼(か)の国の書籍何にても読破したい大望を懐いていた。
 最初、一、二年は、良沢と玄白との間に、なんら意見の扞格(かんかく)もなかった。が、彼らの力が進むに従って、二人はいつも同じような口争いを続けていた。
「このところの文意はよく分かり申した。いざ先へ進もうではござらぬか」
 玄白は、常に先を急いでいた。が、良沢は、悠揚として落着いていた。
「いや、お待ちなされい。文意は通じても、語義が通じ申さぬ。およそ、語義が通じ申さないで、文意のみが通ずるは、当(あて)推量と申すものでござる」
 良沢は、頑として動かなかった。

          八

 四年の月日は過ぎた。
 玄白は、ターヘルアナトミアの稿を更えること十二回に及んだ。が、篇中、未解の場所五カ所、難解の場所十七カ所があった。玄白は、ひたすらに上梓を急いだ。が、良沢は、未解難解の場所を解するまではとて、上梓を肯(がえ)んじなかった。
 良沢と玄白とは、それについて幾度も論じ合った。が、二人はいくら論じ合っても、一致点を見出(みいだ)さなかった。それは、二人の蘭学に対する態度の根本的な相違だった。
 玄白は、とうとう自分一人の名前で、ターヘルアナトミアの翻訳たる解体新書を上梓する決心をした。が、さすがに彼は、良沢の名を無視するわけにはいかなかった。翻訳の筆記こそ、玄白の手によって行われたものの、翻訳の功は、半ば良沢に帰すべきものだったから。
 玄白は、良沢を訪うて序文を懇願した。が、良沢は序文をも、次のようにいって断った。
「いや、拙者かつて九州を歴遊いたした折、太宰府の天満宮へ参詣いたした節、かように申して起誓したことがござる。良沢が蘭学に志を立て申したは、真の道理を究めようためで、名聞(みょうもん)利益のためではござらぬゆえ、この学問の成就するよう冥護を垂れたまえと、かように祈り申したのじゃ。この誓いにも背き申すゆえ、序文の儀は平に許させられい!」
 それをきいた玄白は、寂しかった。が、彼は自分の態度を卑下する気には、少しもなれなかった。彼は、良沢の態度を尊敬した。が、それと同時に、彼は自分の態度を肯定せずにはおられなかった。
 彼は、晩年蘭学興隆の世に会った時の手記に、自分の態度を、次のように主張した。
「翁は、元来疎慢にして不学なるゆえ、かなりに蘭説を翻訳しても、人のはやく理解し、暁解するの益あるようになすべき力はなく、されども人に託しては、我本意も通じがたく、やむことなく拙陋(せつろう)を顧みずして、自ら書き綴れり。その中に精密の微義もあるべしと思えるところも、解しがたきところは強いて解せず、ただ意の達したるところを挙げおけるのみ。たとえば、京へ上らんと思うには、東海、東山二道あるを知り、西へ西へと行けば、ついには京へ上りつくというところを、第一とすべし。その道筋を教えるまでなりと思えば、そのあらましを唱(とな)え出せしなり。はじめて唱える時に当りては、なかなか後の譏(そしり)を恐るるようなる碌々たる了見にて企事(くわだてごと)はできぬものなり。くれぐれも大体に基づき、合点の行くところを訳せしまでなり。梵訳の四十二章経も、ようやく今の一切経に及べり。これが、翁が、その頃よりの宿志にして企望せしところなり。世に良沢という人なくば、この道開くべからず。されど翁のごとき、素意大略の人なければ、この道かく速かに開くべからず、是もまた天助なるべし」




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