半七捕物帳
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著者名:岡本綺堂 

 女の住んでいない寺中(じちゅう)では、僧侶が針や鋏を持つことが無いとも云えない。その糸屑が庭さきに散っていたとて、さのみ怪しむにも足らないかも知れないが、留吉はゆうべの一件を思い合わせて、この糸屑にも何かの仔細があるらしく疑われたので、あたりを窺いながらそっと自分の袂に忍ばせた。
 庭さきに余り長く徘徊(はいかい)していて、他の僧らに怪しまれては何かの邪魔であると思ったので、留吉は縁側に這いあがって、再び元の寝床の上に坐っていると、やがて小坊主が朝飯を運んで来て、きょうは起きられるかと訊いたので、どうにか起きられるようにはなったが、まだ手足の自由が利かないから、迎いの駕籠の来るまでは斯(こ)うして置いてくれと、留吉は頼んだ。小坊主はこころよく承知して、どうぞごゆっくりと答えて去った。
 午(ひる)に近い頃に、吉五郎は迎いの駕籠を吊らせて来て、納所坊主や寺男に礼を云って、留吉を受け取って出た。出るときに、吉五郎は寺男の弥七に幾らかの銀(かね)をつつんでやった。
「親分。不動さまの境内(けいだい)まで駕籠をやってください」と、留吉は小声で云った。
 駕籠は音羽の大通りへ出ないで反対の方角にむかって目白坂をのぼった。不動の門前に駕籠をおろさせて、駕籠屋をそこに待たせて置いて、留吉は親分に扶(たす)けられながら門内にはいったが、人目を憚(はばか)る彼等は、客をよぶ掛茶屋をよそに見て、鐘撞堂の石垣のかげに立った。
「どうだ、留。早速だが、なにか種は挙がったか」と、吉五郎は頬かむりの顔をすり寄せて訊いた。
「別に面白いこともありませんでしたが……。でも、一つ二つ……」
 留吉は先ず夜なかの格闘の一件を話した。それから彼(か)の糸屑を出してみせると、吉五郎は一と目見て笑い出した。
「はは、これだ、これだ。実はこの菅糸をおれも見たよ」
「どこで見ました」
「江戸川橋の上で……。ゆうべおめえに別れてから、風の吹くなかを帰って行くと、橋の上で火の番の娘を見つけたんだ」
「お冬があんな所をうろついていましたか」
「一旦ここを逃げてから、どこをどう迂路(うろ)ついていたのか知らねえが、橋の上で若い侍と話していて、おれの足音を聞きつけると直ぐにまた逃げてしまった」
「その侍は何者です」
「その侍は御賄組の瓜生長三郎……。このごろ家出をしたお北という娘の弟だ。いや、それはまあ後(あと)のことにして、おれがその侍と話しているうちに、一つの白い蝶々がひらひらと舞いあがった」
「ふうむ。白い蝶々が又出ましたかえ」と、留吉も眼をみはった。
「おれの鑑定(かんてい)では、お冬の袂から地面に一旦落ちたのを、強い風に吹きあげられて……。まあ、そう思うより仕方がねえ」と、吉五郎は説明した。「侍の持っている提灯の火で透かして視ると、その蝶々には細い糸が付いている……。細くって、光っているのを見ると、これだ、この菅糸だ。中途で切れたと見えて、やっぱり七、八寸ぐらいしか付いていなかったが、おれの眼には確かに菅糸と見えたんだ」
「その蝶々はどうしました」
「つかまえようと思ううちに、風の吹きまわしで川のなかへ落ちてしまったが、蝶々も生き物じゃあねえ、薄い紙か絹のような物で上手に拵(こしら)えたんだろうと思う。暗いなかで光るのは、羽(はね)に何かの薬が塗ってあるんだな。早く云えばお化けのような物だ」
 この時代には、子供の玩具(おもちゃ)に「お化け」と云うものがあった。燐のたぐいを用いたもので、それを水に溶かして人家の板塀または土蔵の白壁などに幽霊や大入道のすがたを書いて置くと、昼ははっきりと見えないが、暗い夜にはその姿が浮いたように光って見えるのである。もちろん、子供の幼稚な悪戯(いたずら)に過ぎないので、それに驚かされる者は少ないのであるが、気の弱い娘子供などは、やはりこの「お化け」を恐れ嫌った。怪しい蝶が闇夜に光るのは、それに類似の手段を用いたのであろうと、吉五郎はひそかに想像していたのであった。
「そうかも知れませんね」と、留吉もうなずいた。「さもなけりゃあ、寒い時節に蝶々の飛び出す筈がありませんからね」
「そこで、その蝶々がどうして飛ぶか……。拵え物を飛ばせる以上、誰か糸を引く奴がなけりゃあならねえ。おれがだんだん調べてみると、その蝶々が飛び出すのは風の吹く晩に限っているらしい。そうなると、いよいよ怪しい。といって、小さい蝶々を飛ばせるには、どんな糸を使うのか、それとも何かの機関(からくり)仕掛けにでもなっているのか。おれは上野の烏凧(からすだこ)から考えて、多分この菅糸を使うんだろうと鑑定していた。おめえも知っているだろう。花どきになると、上野じゃあ菅糸の凧を売っている。薄黒いから烏凧というのだ。あの凧は紙が薄い上に、糸が極細(ごくぼそ)の菅糸だから風のない日でもよくあがる。今度の蝶々にも菅糸をつけて、風の吹く晩に飛ばせるんだろう。そうして、暗い晩を狙ってやりゃあ自分の姿はみえねえ、蝶々だけが光る……。まあ、こんな手妻(てづま)だろうと思っていた。ところが案の通り、ゆうべの蝶々には菅糸が付いていた。おめえも寺の庭で菅糸を拾った。万事が符合する以上は、もう間違いはあるめえ。蝶々の正体は大抵判ったと云うものだ」
「そうです、そうです」と、留吉は又うなずいた。「成程、親分の云う通り、お化けと烏凧で、手妻の種はすっかり判った。ところで、それを使う奴は……」
「お冬という奴だろう」
「なぜそんな事をするんでしょう。唯の悪戯(いたずら)でもあるめえが……」
「唯のいたずらじゃあねえに決まっている。それにはお冬を使って、何かの仕事を目論(もくろ)んでいる奴があるに相違ねえ。誰かがお冬の糸を引いて、お冬がまた蝶々の糸をひくと云うわけだから、順々に手繰(たぐ)って行かなけりゃあ本家本元は判らねえ。それにしても、ここまで漕ぎ付けりゃあ大抵の山は見えているよ」と、吉五郎は笑っていた。
「そうすると、お冬はゆうべ又あの寺へ舞い戻って来たんでしょうか」と、留吉はまた訊いた。
「そうのようにも思われる。そうでねえようにも思われる。おれもそれを考えているんだが……」
「でも、その菅糸が落ちていたんですよ」
「この一件はお冬ばかりじゃあねえ。大勢の奴らが係り合っているらしいから、糸屑だけでお冬とも一途(いちず)に決められねえ」と、吉五郎はまだ考えていた。「だが、まあ、今の話はこれだけにしよう。来たついでと云っちゃあ済まねえが、不動さまにお詣りをして別れようぜ」
 二人は本堂の方へ足を向けた。

     一二

 親分と子分は不動堂の門前で別れて、留吉を乗せた駕籠は神田へ帰った。吉五郎は頬かむりをして音羽の大通りへ出ると、水引屋の市川屋の店さきに、子分の兼松が人待ち顔に腰をかけていた。彼は親分のすがたを見つけて、小走りに寄って来た。
「もし、面白いことがありそうですよ」
「むむ、どんなことだ」
 兼松は振り返って小手招ぎをすると、店から職人の源蔵が出て来た。吉五郎に引き合わされて、彼は丁寧に会釈(えしゃく)した。
「わたくしは市川屋の職人で源蔵と申します。なにぶんお見識り置きを……」
「わたしも今後よろしく願います。そこで、兼。この源蔵さんという人に何か手伝って貰うことでもあるのかえ」と、吉五郎は訊いた。
「実はね」と、兼松は声をひくめた。「この源蔵がゆうべ変なことを見たと云うんです」
「なにを見たね」
 吉五郎は職人の方へ向き直ると、源蔵も小声で話し出した。
「実は昨晩、高田の四家町(よつやまち)まで参りまして、その帰り途に目白坂の下まで参りますと、寺の生垣(いけがき)の前に男と女が立ち話をして居りましたが、わたくしの提灯の火を見ると、二人ともに慌てて寺のなかへ隠れてしまいました。夜目遠目(よめとおめ)で確かなことは申されませんが、男は火の番の藤助で、女はむすめのお冬のように思われたのでございます。お冬はともあれ、このあいだから行くえ知れずになっている藤助がこの辺にうろ付いていて、往来なかで娘と立ち話をしているのは何だか変だと思いましたが、その時はそれぎりにして帰ってまいりました。そこで、念のために今朝ほどお冬の家(うち)へ行ってみますと、お冬は留守でございました。もちろん、藤助のすがたも見えず、家はがら明きになって居りました」
「それは宵のことかえ」
「左様でございます。まだ五ツ(午後八時)にはならない頃でございました」
「それから、もう一つのことも話してしまいねえ」と、兼松は催促した。
「へえ」と、源蔵はやや当惑らしい顔色をみせたが、やがて思い切って又云い出した。
「わたくしももう五十で、年のせいでございましょうか、若い人たちのようにはどうも眠られません。昨晩も風の音が耳につきましておちおちと眠られずに居りますと、なんでも夜なかの事でございました。表で頻りに犬の吠える声がきこえるのでございます」
「むむ」と、吉五郎もそのあとを催促するように相手の顔をみつめた。
「夜なかに犬の吠えるのは珍らしくもございませんが、あんまり烈しく啼(な)きますので、わたくしも何だか気味が悪くなりまして、そっと起きて店へ出まして、雨戸の節穴から覗いてみますと、表は真っ暗でなんにも見えませんでしたが、犬の吠えているのは隣りの店のまえで、その犬の声にまじって人の声が聞こえるのでございます。低い声ですからよく判りませんが、ふたりで話しているらしいので……」
「男の声かえ、女の声かえ」
「どっちも男の声のようで……」
「その男が何を話していたえ」
「それがはっきりと判りませんでしたが……。ひとりがなぜ寺へ埋(う)めないのだと云っていたようでございました」
「その声に聞き覚えはなかったかね」
「何分はっきりとは聞き取れませんので……」
「それから其の二人はどうしたね」
「やがて何処へか行ってしまったようで、犬の声もだんだんに遠くなりました」
「どっちの方へ遠くなったえ」
「橋の方へ……」
「もうほかに話してくれることは無いかね」
「へえ」
「いや、大きに御苦労。この後も何か気のついたことがあったら教えてくんねえ」
「かしこまりました」
 源蔵はほっとしたように立ち去った。それを見送って、吉五郎は子分にささやいた。
「正直そうな奴だな」
「小博奕(こばくち)ぐらいは打つでしょうが、人間は正直者ですよ」と、兼松は答えた。「そこで、親分。今の話の様子じゃあ、ゆうべ此の辺で人間の死骸を運んだ奴があるらしゅうござんすね」
「むむ。まんざら心当たりがねえでもねえ。おれもたった今、留の野郎から聞いたんだが……。おい、耳を貸せ」
 吉五郎は再びささやくと、兼松は顔をしかめながら幾たびかうなずいた。
「へえ、そんなことがあったんですか。夜なかに寺の庭さきで男と女がむしり合いをして……。じゃあ、その女が息を止められたんでしょうね」
「まあ、そうだろうな」
「女は誰でしょう。お冬でしょうか」
「さあ、それが判らねえ。この一件にはお冬と、御賄屋敷を家出したお北という女と、佐藤の屋敷に隠れているお近という女と、都合三人の女が引っからんでいるらしいので、どれだかはっきりとは判らねえが、まずこの三人のうちだろう。みんな殺されそうな女だからな」
「それにしても、まあ誰でしょう」
「執拗(しつこ)く訊くなよ。それを穿索するのがおめえ達の商売じゃあねえか」と、吉五郎は笑った。「だが、まあ、おれの鑑定じゃあお近という女だろうな。なにしろ自分が殺されそうになっても、ちっとも声を立てずに争っていたのを見ると、よっぽどのしっかり者に相違ねえ。お北というのはどんな女か知らねえが、いくら武家の娘でも斯ういう時にはなんとか声を立てる筈だ。お冬もしっかり者らしいが、なんと云っても小娘だ。大の男を相手にして、いつまでも激しく争っていられそうもねえ。そうすると、まずお近だろうな」
「なるほど、そういう理窟になりますね。それで、これからどうしましょう」
「佐藤の屋敷へ踏み込むか、祐道という坊主を締め上げるか、それが一番早手廻しだが、なにぶん一方は旗本屋敷、一方は寺社の係りだから、おれ達が迂闊(うかつ)に手を入れるわけにも行かねえので困る。まあ、気長に手繰(たぐ)って行くよりほかはあるめえ、第一に突き留めなけりゃあならねえのは、その死骸の始末だが、寺で殺して置きながら墓場へ埋めてしまわねえのは、後日(ごにち)の証拠になるのを恐れたのだろう。川へ流したか、それとも人の知らねえような所へ埋めてしまったか。源蔵の話じゃあ、二人の男が橋の方へ行ったらしいと云うから、ひょっとすると何かの重しでも付けて、江戸川の深いところへ沈めたかも知れねえ。日が経って浮き上がったにしても、死骸がもう腐ってしまえば人相は判らねえからな」
「そうですね。殺した奴は誰でしょう」
「おればかり責めるなよ。おめえもちっと考えろ」と、吉五郎はまた笑った。「殺されそうな女も三人あるが、殺しそうな男も三人ある。火の番の藤助と、黒沼の婿の幸之助と……。もう一人は寺の住職……。まず三人のうちらしいな。いや、往来でいつまでも立ち話をしているのは良くねえ。そこらで午飯でも食いながら相談するとしよう。留はあの様子じゃあ、まだ当分は思うように働かれめえ。おめえが名代(みょうだい)にひと肌ぬいでくれ。頼むぜ」
「ようがす」
 二人は連れ立って、そこらの小料理屋へあがると、時刻はもう午(ひる)を過ぎているので、狭い二階には相客もなかった。縁側に寝ころんでいた猫は人の影をみて早々に逃げて行った。
「あんまり居ごころのいい家(うち)じゃあねえな」と、兼松はつぶやいた。
「まあ仕方がねえ。こういう時には、繁昌しねえ家の方が都合がいいのだ」
 親分も子分も少しは飲むので、取りあえず酒と肴をあつらえて猪口(ちょこ)を取りかわした。
「今度の一件は留の受け持ちで、わっしは中途からの飛び入りだから、詳しいことが腹にはいっていねえんですが……」と、兼松は猪口を下に置いて云い出した。「いったい、佐藤の屋敷に忍んでいるお近という女は何者ですね」
「今はお近といっているそうだが、以前はお亀といって、深川の羽織をしていたんだ」
「むむ。芸者あがりかえ」
「容貌(きりょう)も好し、気前もいいとか云うので、まず相当に売れているうちに、金田という千石取りの旗本の隠居に贔屓(ひいき)にされて、とうとう受け出されて柳島の下(しも)屋敷へ乗り込むことになったのだ」と、吉五郎も猪口を置いて説明した。「それでまあ二年ほど無事に暮らしていたのだが、今から足かけ四年前の秋のことだ。十三夜の月見で、夜の更(ふ)けるまで隠居と仲よく飲んでいた。……それまでは屋敷の者も知っているが、そのあとはどうしたのか判らねえ。夜が明けてみると、隠居は寝床のなかに死んでいた。酔って正体もなしに寝ているところを、剃刀(かみそり)のようなもので喉を突いたらしい。手箱のなかに入れてあった三十両ほどの金がなくなっている。お亀のすがたは見えねえ」
「隠居を殺して逃げたのか。凄い女だな」
「いくら隠居でも、妾に殺されたと云うことが世間にきこえちゃあ、屋敷の外聞にもかかわるから、表向きは急病頓死と披露して、それはまあ無事に済んだのだが、当主の身になると現在の親を殺されてそのままにゃあ済まされねえ。そこで、八丁堀の旦那のところへ内々で頼んで来て、お亀のゆくえを穿索して貰いたいと云うのだ。おれ達も旦那方の内意をうけて当分はいろいろに手を廻してみたが、お亀のありかは判らねえ。なかなか悧巧(りこう)な女らしいから、素早く草鞋(わらじ)は穿(は)いてしまって、もう江戸の飯を食っちゃあいねえらしい」
「なんで隠居を殺したんだろう」
「隠居には随分可愛がられて、いう目が出ている身の上だから、三十両ぐらいの金が欲しさに、主殺しをする筈のねえのは判り切っている。三十両は行きがけの駄賃に持って行っただけのことで、ほかに仔細があるに相違ねえ。下屋敷は小人数だから、どうもよく判らねえのだが、女中たちの話によると、なんでも五、六日前に隠居と妾とが喧嘩をした事があるそうだ。その時は隠居もかなり激しく怒った様子で、お亀も蒼い顔をしていたというから、その喧嘩がもとでこんな事になったらしいが、どんな喧嘩をしたのか誰も知らねえから見当(けんとう)が付かねえ。なにしろちっとも手がかりがねえので、おれ達ももう諦めてしまった頃へ、この頃になってふと聞き込んだのは、お亀によく肖(に)た女を音羽辺で見かけた者があると云うのだ。そこで、留に云いつけて、この音羽から雑司ヶ谷の辺を探索させると、あいつもさすがに馬鹿じゃあねえ、それからそれへと手をのばして、とうとう其の佐藤の屋敷に忍んでいることを突き留めたのだが、さっきも云う通り、旗本屋敷に巣を食っているので、迂闊に手入れをすることが出来ねえ。しかし斯(こ)うなりゃあ生洲(いけす)の魚(うお)だ。遅かれ早かれ、こっちの物よ」
 吉五郎は冷えた猪口(ちょこ)を飲みほして、自信があるように微笑(ほほえ)んでいると、兼松もおなじく得意らしく笑った。
「まったく斯うなりゃあ生洲の魚だ。そのお亀……お近という奴は今まで何処に隠れていたんでしょう。初めから佐藤の屋敷に忍んでいたんでしょうか」
「そうじゃあるめえ」と、吉五郎は頭(かぶり)をふった。「それなら足かけ四年も知れずにいる筈はねえ。女は確かに草鞋を穿いていたに相違ねえ。おれもよく調べて見なけりゃあ判らねえが、佐藤という旗本はお近が深川にいる時からの馴染かも知れねえ。留の話によると、佐藤は三年ばかり長崎へお役に出ていて、去年の秋に江戸へ帰って来ると、お近はそのあとから付いて来たと云うのだ。してみると、お近も長崎へ行っていて、佐藤と一緒に引き揚げて来たのだろう。おれ達が鵜の目鷹の目で騒いでも知れねえ筈よ、相手は遠い長崎の果てに飛んでいたのだ」
 云いかけて、吉五郎は俄かに表へ耳をかたむけた。
「なんだか騒々しいようだぜ。火事かな」
 兼松はすぐに立って往来にむかった肱掛け窓をあけると、うららかな春の町を駈けてゆく人々のすがたが乱れて見おろされた。
「弥次馬が駈け出すようですね。なんだろう。ちょいと見て来ます」
 云いすてて兼松は階子(はしご)を降りて行ったが、やがて引っ返して来て仔細ありげにささやいた。
「江戸川橋の下へ死骸が浮き上がったそうですよ」
「死骸が……」と、吉五郎も眼をひからせた。「女か」
「若い女だそうです。何でも十八、九の……」
「十八、九か」
「なにしろ直ぐに行って来ましょう」
「むむ。おれも後から行く」
 兼松を出してやって、吉五郎は忙がしそうに手をたたくと、女中が階子(はしご)をあがって来た。
「どうも遅くなりまして相済みません。御飯は唯今すぐに……」
「いや、飯の催促じゃあねえ」と、吉五郎は煙草入れを仕舞いながら云った。「姐さん。そこの川へ死骸が浮いたそうだね」
「そうだそうで……」と、女中は声をひくめた。「わたくしは見に参りませんけれど、まだ若い娘さんだそうです」
「十八、九というじゃあねえか」
「ええ。なんでもここらの人らしいという噂で……」
「ここらの人だ……。お武家かえ、町の人かえ」
「お武家さんらしいとか申しますが……」
「そうかえ。わたしたちは少し急用が出来たから、酒も飯もいらねえ。直ぐに勘定をしてくんねえ」
「はい、はい」
 女中が早々に降りて行ったあとで、吉五郎は一旦しまいかけた煙草入れを取り出して、また徐(しず)かに一服吸った。
 江戸川に発見された死骸は、十八、九の若い女で、武家らしい風俗である。瓜生の娘お北――それが直ぐに吉五郎の胸に浮かんだ。
「おれの鑑定は外(はず)れたかな」
 寺で殺されて川へ流された女――それはお近ではなかったのか。お北か、お近か、彼はまだ半信半疑であった。
「こういうときには落ち着くに限る」
 彼は更に二服目の煙草を吸った。表を駈けてゆく足音はいよいよ騒がしくきこえた。

     一三

 料理屋の勘定をすませて吉五郎は表へ出ると、江戸川の方角へむかって見物の弥次馬が駈けてゆく。吉五郎は目立たぬように頬かむりをして、その弥次馬の群れにまぎれ込んで行くと、江戸川橋から桜木町(ちょう)の河岸(かし)へかけて、大勢の人が押し合っていた。検視の役人がまだ出張しないので、死骸は岸の桜の下へ引き揚げたままで荒莚(あらむしろ)を着せてあった。吉五郎はそっと眼をくばると、人込みのなかに兼松のすがたが見いだされた。市川屋の源蔵もまじっていた。
「御賄屋敷の娘さんと云うじゃありませんか」
「瓜生さんのお嬢さんだそうですよ」
「なんでも二、三日前から家出をしていたんだと云うことですがね」
「身投げでしょうか、殺されたんでしょうか」
 口々に語り合っている弥次馬の噂を聴きながら、吉五郎はなおもあたりに眼を配っていると、十三、四歳らしい武家の娘と、十八、九ぐらいの女中らしい女とが息を切って駈け付けて来た。
「ちょっと御免ください」
 諸人を押し分けて死骸のそばへ進み寄ると、あたりの人々は俄かに路を開いた。その様子をみて、吉五郎はすぐに覚(さと)った。ひとりは瓜生の妹娘で、ひとりは奉公人であろう。父や母は世間の手前、ここへ顔出しも出来ないので、娘と女中が取りあえず真偽を確かめに来たに相違ない。見物の人々もその顔を見識っているので、直ぐに路を開いて通したのであろう。さてこれからどうなるかと窺っていると、女中は死骸のそばに立っている自身番の男に会釈(えしゃく)した。
「この死骸をみせて貰うことは出来ますまいか」
「はい、どうぞ……」と、男は気の毒そうに云いながら、顔のあたりの莚(むしろ)を少しくまくりあげて見せた。
 二人の女はひと目のぞいて、たがいに顔を見あわせたが、それぎり暫くは何も云わなかった。やがて男に再び会釈して、二人は無言のままで立ち去ってしまった。
「家(うち)から云い付けられて来たんだろうが、さすがはお武家の女たちだな」
「ちっとも取り乱した様子を見せないぜ」
 かれらのうしろ姿を見送って、人々はささやいていた。吉五郎は猶もそこにたたずんで、検視の来るのを待っていたが、役人は容易に来なかった。真昼の春の日を浴びて、人込みのなかに立っていて、彼は少し逆上(のぼ)せて来たので、あとへさがって河岸端(かしばた)の茶店へはいると、兼松もつづいて葭簀(よしず)のうちへはいって来た。
「死骸は瓜生さんの娘に相違ないそうですよ」と、彼は小声で云った。
「むむ。あの女たちの様子で判っている」と、吉五郎もうなずいた。「だが、おれの鑑定もまんざら外(はず)れたわけじゃあねえ。あの死骸は寺で殺されたんじゃあねえ。自身番の奴が莚をまくったときに、おれもそっと覗いてみたが、死骸の顔にも頸のまわりにも疵らしい痕はなんにも見えなかった。第一、人に殺されたような顔じゃあねえ」
「じゃあ、唯の身投げでしょうか」
「まずそうだろうな。寺で殺された女はほかにある筈だ」と、云いかけて吉五郎は葭簀の外を覗いた。「おい。兼、あすこで源蔵と立ち話をしている中間(ちゅうげん)は、どこの屋敷の奴だか、そっと源蔵に訊(き)いてみろ」
「あい、あい」
 兼松は駈け出して行ったが、やがて又引っ返して来た。
「あれは佐藤の屋敷の中間で、鉄造というのだそうです」
「そうか。留がいるといいんだが……」と、吉五郎は舌打ちした。「まあ、いい。おれが直(じ)かに当たってみよう。おめえはここに残っていて、検視の来るまで見張っていてくれ」
 吉五郎は茶店を出ると、かの中間はまだそこを立ち去らずに、あとからだんだんに集まって来る見物人の顔を、じろじろと眺めていた。そのそばへ摺り寄って、吉五郎は馴れなれしく声をかけた。
「おい、兄(あに)い、済まねえが、ちょいと顔を貸してくんねえか」
「おめえは誰だ」と、中間は睨むように相手の顔を見返った。
「おめえは三河町の留という野郎を識っているだろう」
「三河町の……留……」と、中間はその眼をいよいよ光らせた。「その留がどうしたんだ」
「留が少し怪我をしたので、おれが代りに来たんだ。野暮を云わねえで、そこまで一緒に来てくんねえ」
「むむ、そうか」
 中間も相手の何者であるかを大抵推量したらしく、思いのほか素直に誘い出されたので、吉五郎は先きに立って彼を元の小料理屋へ連れ込むと、さっき余分の祝儀をやった効目(ききめ)があらわれて、女中はしきりに世辞を云いながら二人を二階へ案内した。
「おめえは三河町の吉五郎だろう。なんで俺をこんな所へ連れて来たんだ」と、中間の鉄造はおちつかないような顔をして云った。
「まあ、待ちねえ。だんだんに話をする」
 酒と肴を注文して、女中を遠ざけた後に、吉五郎は打ちくつろいで話し出した。
「このあいだ中(ちゅう)から内の留がいろいろおめえの御厄介になっているそうだが……」
「なに、別にどうと云うこともねえんだが……」と、鉄造はまだ油断しないように眼をひからせていた。
「川へ揚がった死骸は、御賄屋敷の瓜生さんの娘だろうね」
「むむ」
「どうして死んだんだね」
「おらあ知らねえ」
「知らねえかえ」と、吉五郎は考えていた。「それはまあ知らねえとして、ゆうべの夜なかにおめえは何処へ行ったえ」
 鉄造は黙っていた。
「あの風の吹く夜なかに、犬に吠えられながら二人連れで何処へ行ったんだよ」と、吉五郎はかさねて訊いた。
「おらあそんな覚えはねえ」と、鉄造は声を尖(とが)らせた。
「それじゃあ人違いかな。お近さんの死骸を運んで行ったのは、おめえ達じゃあなかったかな」
 相手の顔色の変ったのを見て、吉五郎は畳みかけて云った。
「おめえ達はふだんからお近さんの世話になって、相当に小遣いも貰っていたんじゃあねえか。よんどころなく頼まれたとは云いながら、その死骸を捨てる役を引き受けちゃあ、あんまり後生(ごしょう)がよくあるめえぜ」
「なんと云われても、そんな覚えはねえよ」と、鉄造は再び声を尖らせた。
「そう喧嘩腰になっちゃあいけねえ。おたがいに仲よく一杯飲みながら話そうと思っているんだ」
 あたかも女中が膳を運んで来たので、話はしばらく途切れた。女中に酌をさせて一杯ずつ飲んだ後に、ふたりは再び差しむかいになった。
「目白坂下の寺は、おめえの屋敷の菩提所(ぼだいしょ)かえ」と、吉五郎は猪口(ちょこ)を差しながら訊いた。
「そうじゃあねえ」
「それじゃあ、お近さんの識っている寺かえ」
「おらあ知らねえ」
「何を云っても知らねえ知らねえじゃあ、あんまり愛嬌が無さ過ぎるな」と、吉五郎は笑った。「もう少し色気のある返事をして貰おうじゃあねえか」
「色気があっても無くっても、知らねえことは知らねえと云うよりほかはねえ。木刀をさしていても、おれも屋敷の飯を食っている人間だ。むやみにおめえ達の調べは受けねえ」
 素直にここまで出て来ながら、今さら喧嘩腰になって気の強いことを云うのは、俄かに一種の恐怖を感じて来たに相違ない。それがうしろ暗い証拠であると、吉五郎は多年の経験で早くも覚(さと)った。
「まったくおめえの云う通りだ。屋敷奉公のおめえ達をこんな所へ連れ込んで、むやみに調べるという訳じゃあねえ」と、吉五郎は諭(さと)すように云った。「留吉はおれの子分だ。おめえもその留吉と心安くしている以上、おれともまんざらの他人という筋でもねえ。それだから、ここまで来て貰って、おめえの知っているだけのことを……」
「その留吉だって昨日(きのう)きょうの顔なじみだ。別に心安いという仲じゃあねえ」
「どこまで行っても喧嘩腰だな」と、吉五郎はまた笑った。「それじゃあもうなんにも訊くめえが、おれの方じゃあおめえを他人と思わねえから、唯ひと言云って置くことがある。おめえ、あの屋敷に長くいるのは為にならねえぜ」
「なぜだ」
「白魚河岸の吉田幸之助というのは、おめえの主人とは縁つづきで、ふだんから出入りをしているうちに、お近さんと仲好くなった。それが又、不思議な廻(めぐ)り合わせで、近所の御賄屋敷へ養子に来るようになった。女房になる筈のお勝という娘は病気で、直ぐには婚礼も出来ねえそのうちに、隣りの娘と出来合ってしまった。それがお近さんに知れたので、やきもち喧嘩で大騒ぎだ。まあ、それまではいいとしても、それが為に幸之助は身を隠す、お勝という娘は自害する、お北という娘は身を投げる、お近さんは殺される。これほどの騒動が出来(しゅったい)しちゃあ、唯済むわけのものじゃあねえ。積もってみても知れたことだ。お気の毒だが、おめえの主人も係り合いで、なにかの迷惑は逃(の)がれめえと思う。そんな屋敷に長居をすりゃあ、おめえ達もどんな巻き添えを喰わねえとも限らねえ。まあそうじゃあねえか」
 鉄造は息を呑むように黙っていた。
「そればかりじゃあねえ。このごろ世間を騒がしている、白い蝶々の種もすっかり挙がっているんだ。火の番の娘のお冬という奴が、菅糸を付けて飛ばしているに相違ねえ」
「おめえはどうしてそんなことを云うんだ」と、鉄造はあわてたように訊き返した。
「そのくらいの事を知らねえようじゃあ、上(かみ)の御用は勤まらねえ」と、吉五郎はあざ笑った。「もう斯うなったら仕方がねえ。方々に迷惑する人が出来るのだ。おめえも覚悟していてくれ」
「嚇(おど)かしちゃあいけねえ。おれはなんにも知らねえと云うのに……」と、鉄造は少しく弱い音をふき出した。
「おれは別に覚悟するほどの悪いことをしやあしねえ」
「これだけ云っても、おめえに判らなけりゃあ、もういいや。そんな野暮な話は止めにして、まあゆっくりと飲むとしようぜ」
 吉五郎は手をたたいて酒の代りを頼んだ。肴もあつらえた。そうして、無言で酌をしてやると、鉄造もだまって飲んだ。吉五郎も黙って飲んだ。二人はややしばらく無言で猪口のやり取りをしていた。ただ時々に吉五郎は睨むように相手の顔を見た。鉄造も偸(ぬす)むように相手の顔色を窺った。
 云うまでもなく、これは一種の精神的拷問(ごうもん)である。こうして無言の時を移しているあいだに、うしろ暗い人間はだんだんに弱って来て、果ては堪えられなくなるのである。元来が図太い人間は、更にそのあいだに度胸を据え直すという術(すべ)もあるが、大抵の人間はこの無言の責め苦に堪え切れないで、結局は屈伏することになる。鉄造もこの拷問に堪えられなくなって来たらしく、手酌でむやみに飲みはじめた。
 相手が思う壺にはまって来たらしいのを見て、吉五郎はいよいよ沈黙をつづけていると、鉄造も黙って飲んでいた。代りの徳利が三、四本も列べられた。
「どういうものか、きょうは酔わねえ」と、鉄造はひとり言のように云いながら、吉五郎の顔を見た。
 吉五郎はじろりと見返ったが、やはり黙っていた。鉄造も黙って又飲んでいたが、やがて再び口を切った。
「おめえはもう飲まねえのか」
 吉五郎は答えなかった。鉄造も黙って又飲んだが、やがて更に云い出した。
「おい、おれ一人で飲んでいちゃあ、なんだか寂しくっていけねえ。おめえも飲まねえかよ」
 吉五郎はやはり答えなかった。鉄造も黙って手酌で又飲んだが、徳利や猪口(ちょこ)を持つ手が次第にふるえ出した。彼は訴えるように云った。
「おい。なんとか返事をしてくれねえかよ。寂しくっていけねえ」
 吉五郎は再びじろりと見返ったままで答えなかった。鉄造は彼自身も云う通り、きょうは全く酔わないのであろう、むしろ反対にその顔はいよいよ蒼ざめて来た。泣くように又訴えた。
「おい。おめえはなぜ黙っているんだよ」
「そりゃあこっちで云うことだ」と、吉五郎は初めて口を切った。「おめえはなぜ黙っているんだよ」
「黙っていやあしねえ。おめえが黙っているんだ」
「それじゃあ俺の訊くことを、なぜ云わねえ」と、吉五郎は鋭く睨み付けた。
「だって、なんにも知らねえんだ」と、鉄造は吃りながら云った。
「きっと知らねえか。知らなけりゃあ訊かねえまでのことだ。おれも黙っているから、おめえも黙っていろ」
「もう黙っちゃあいられねえ」
「それじゃあ云うか」
「云うよ、云うよ」と、鉄造は悲鳴に近い声をあげた。
「嘘をつくなよ」
「嘘はつかねえ。みんな云うよ」
「まあ、待て」
 吉五郎は立って、階子(はしご)の下をちょっと覗いたが、引っ返して来て再び鉄造とむかい合った。
「さあ、おれの方からは一々訊かねえ。おめえの知っているだけのことを残らず云ってしまえ」
 初めの喧嘩腰とは打ってかわって、鉄造はもろくも敵のまえに兜(かぶと)をぬいだ。それでも彼はまだ未練らしく云った。
「おれがべらべらしゃべってしまった後で、おめえは俺をどうするんだ」
「どうもしねえ、助けてやるよ」
「助けてくれるか」
 鉄造はほっとしたような顔をした。吉五郎は彼に勇気を付けるために、徳利を取って酌をしてやった。

     一四

 姉のお北の死骸が江戸川に浮かびあがった時、弟の瓜生長三郎は向島の堤下(どてした)をあるいていた。
 彼はきのうも姉のゆくえを尋ねあるいて、本所まで来たのであるが、日が暮れたので途中から帰った。そうして、親子相談の末、きょうも、長三郎は小松川から小梅、綾瀬、千住の方面に向かい、父の長八も非番であるので、これは山の手の方角に向かうことになった。今と違って、その時代の人々は親類縁者の義理をかかさず、それからそれへと遠縁の者までもふだんの交遊をしているので、こういう場合には心当たりがすこぶる多く、殊に交通不便の時代であるから、親類縁者を一巡さがし廻るだけでも容易でなかった。
 長三郎はまず小松川と小梅の縁者をたずねると、どこにも姉のすがたは見えなかった。かえって先方では寝耳に水の家出沙汰におどろかされて、長三郎にむかって前後の事情などを詳(くわ)しく詮議した。それらのために案外に暇取って、小梅を出たのは、もう七ツ(午後四時)を過ぎた頃であった。
 旧暦の二月なかばであるから、春の彼岸(ひがん)ももう近づいて、寺の多い小梅のあたりは彼岸参りの人を待つかのように何となく賑わっていた。寺門前の花屋の店さきにも樒(しきみ)がたくさん積んであった。それを横眼に見ながら、長三郎は綾瀬村の方角をさして堤下を急いでゆくと、堤の細路を降りて来る一人の侍に出逢った。侍は長三郎に声をかけた。
「瓜生の御子息ではないか」
 呼ばれて見かえると、それは鯛の御納屋の今井理右衛門であった。瓜生の家と今井の家とは直接の交際はなかったが、同じ御納屋の役人同士であるから、今井と白魚河岸の吉田とは無論に懇意であった。その吉田と御賄屋敷の黒沼とは親戚関係であるので、瓜生の家でも自然に吉田を識り、それから惹(ひ)いて今井をも識るようになったのである。長三郎もその人を見て会釈すると、理右衛門は笑いながら訊いた。
「どこへ行かれる。御墓参かな」
「いえ。綾瀬村まで……親類かたへ参ります」
「それは御苦労。わたしは墓参で白髯(しらひげ)の辺まで行く。屋敷を遅く出たので、帰りは日が暮れるかも知れない。寺の遠いのは少し難儀だな……」と、理右衛門はまた笑った。
 綾瀬へゆく人、白髯へゆく人、勿論おなじ方角であるので、二人は列(なら)んで歩き出した。
「ゆうべの空模様では雨になるかと思ったら、思いのほかにのどかな日和(ひより)になった。堤の桜の咲くのももう直(じ)きだ」と、理右衛門は晴れた空を仰ぎながら云った。「して、綾瀬の親類へはなんの用で……。遊びに行くのかな」
「いえ」とは云ったが、長三郎は少し返事に困った。
「もしや姉さんを尋(たず)ねているのではないかな」と、理右衛門は小声で訊いた。
 理右衛門がどうしてそれを知っているかと、長三郎は一旦おどろいたが、彼が白魚河岸の吉田と懇意である以上、そこから幸之助や姉の家出一件を聞き知っているのであろうと察したので、長三郎は正直に答えた。
「実は少し心配のことがありますので……」
「むむ。その件については白魚河岸でも心配しているようだ」と、理右衛門はうなずいた。
「きのうも私が日本橋をあるいていると、岡っ引の吉五郎が私を呼び留めて、吉田の家(うち)のことを訊いていたが、あいつも今度の一件についての何かの探索をしているらしい。どうか大事になってくれなければいいが……。そこで余計なことを云うようだが、これから綾瀬まではなかなか遠い。わざわざ尋ねて行っても無駄かも知れないぞ」
「無駄でしょうか」と、長三郎は相手の顔をみあげた。
「春の日が長いと云っても、綾瀬まで往復しては、どうしても暗くなるだろう」
「暗くなるのは構いませんが、行っても無駄でしょうか」と、長三郎は念を押した。
「無駄らしいな」
「では、あなたは姉の居どころを御存じなのですか」
「いや、知らない。わたしは知らない」と、理右衛門は迷惑そうに答えた。「だが、こんな遠方へは来ていそうもない。燈台下暗(もとくら)しと世のたとえにも云う通り、尋ね物というものは案外手近にいるものだ」
 その口ぶりが何かの秘密を知っているらしいので、長三郎の胸はおどった。彼はあまえるように理右衛門に訊いた。
「あなたは御存じなのでしょう。どうぞ教えてください。幸之助はともかくも、姉の居どころだけを教えて下さい。お願いです」
「いや、知らない。まったく知らない」と、理右衛門はいよいよ迷惑そうに云った。「わたしはただ燈台下暗しという世のたとえを云ったまでだ。ともかくもここまで踏み出して来たのだから、無駄と思って綾瀬まで行ってみるのもいいかも知れない。綾瀬へはこれから真っ直ぐだ。わたしはこれから右へ切れるから、ここで別れるとしよう」
 理右衛門は俄かに右へ切れて、田圃路(たんぼみち)を足早に立ち去った。
 その逃げるような態度といい、さっきからの口ぶりといい、一種の疑念が長三郎の胸に湧いたので、彼も見えがくれに理右衛門のあとを尾(つ)けて行こうと思った。しかも直ぐに歩き出しては、相手に覚られる虞(おそ)れがあるので、暫くやり過ごしてからの事にしようと思案して、立ち停まって其処らを見まわすと、路ばたに小さい掛茶屋があった。
 花見の時節ももう近づいたので、ここらの農家の者が急拵えの店を作ったらしいが、まだ商売を始めているわけではなく、ほんの型ばかりの小屋になっている。その小屋に隠れるつもりで長三郎は何ごころなく踏み込むと、そこに立てかけてある古い葭簀(よしず)のかげから人が現われた。
 不意におどろかされて長三郎は思わず立ちすくむと、人は若い女で、かのお冬であった。時も時、場所も場所、ここでお冬に出逢って、長三郎は又おどろかされた。彼は無言で屹(きっ)と睨んでいると、お冬は無遠慮に摺り寄って来た。その片眼は異様にかがやいていた。
「若旦那。又ここでお目にかかりました」
「どうしてこんな所に来ている」
「もう自分の家(うち)へも帰れませんから、ゆうべから方々をうろ付いていました」
「お前はゆうべ、わたしを姉さんのところへ連れて行ってやると云ったが、本当か」
 お冬はだまった。
「嘘か」と、長三郎は詰(なじ)るように云った。
「連れて行くと云ったのは嘘ですけれど……。お姉さんの居る所は知っています」
「知っているなら教えてくれ」
 お冬は男の顔を見つめながら黙っていた。
「おまえは当ても無しにここらへ来たのか」と、長三郎は訊いた。
「もし自分のからだが危くなったら向島へ行けと、お父(とっ)さんに云い聞かされているので……」
「向島の……なんという所へ行くのだ」
「五兵衛という植木屋の家(うち)です」
「そこに姉さんも幸之助もいるのか」
 お冬は答えなかった。
「そうして、その五兵衛の家は知れたのか」
「ここらへは滅多に来たことが無いので、路に迷って四つ木の方へ行ってしまって、お午(ひる)頃にここまで引っ返して来ましたが、くたびれたのと眠いのとで、さっきから此の小屋へはいって寝ていました」
「では、その家は見付からないのか」と、長三郎は失望したように云った。
「これからあなたと一緒に探しましょう」と、お冬はその野生を発揮したように、いよいよ無遠慮に男の手を把(と)った。
 こんな女に係り合っていて、理右衛門のすがたを見失ってはならないと思ったので、長三郎は把られた手を振り払って小屋の外へ出ると、ひと筋道の田圃には侍のうしろ姿が遠く見えた。それを慕って歩き出すと、田圃に沿うて小さい田川が流れている。その田川が右へ曲がったところに狭い板を渡して、一軒の藁葺(わらぶき)の家が見いだされた。周囲は田畑で、となりに遠い一軒家である。型ばかりのあらい籬(まがき)を結いまわして、あき地もないほどにたくさんの樹木が植え込んであるので、それが植木屋ではないかと長三郎は思った。門(かど)には一本の大きい桃が紅(あか)く咲いていた。
 理右衛門はそこに立ち停まって、一旦うしろを振り返ったが、やがて狭い板を渡って内へはいった。それを見とどけて、長三郎は足早にあるき出すと、お冬もあとから付いて来た。
「気をおつけなさい。あの侍はあなたを見たかも知れませんよ」と、彼女は小声で注意した。
 長三郎はそんなことに頓着(とんぢゃく)していられなかった。彼は再びお冬をふり切って、一軒家を目ざして駈け出して、やがて門前へ行き着いて少しく躊躇した。理右衛門はともあれ、自分はここの家になんのゆかりも無いのであるから、案内も無しにつかつかと踏み込むわけには行かない。迂闊(うかつ)に案内を求めたらば、相手にさとられて取り逃がす虞(おそ)れが無いとも云えない。彼は桃の木の下に立って、どうしたものかと思案していると、内から五十前後の女が出て来て、若い侍を不安らしくじろじろと眺めていた。長三郎も黙っていると、やがて女は怪しむように声をかけた。
「あなたはどなたでございます」
 なんと云っていいかと、長三郎はまた躊躇したが、思い切って訊き返した。
「今ここの家へ武家がはいったろうな」
「いいえ」
「このあいだから若い男と女が来ているだろうな」
「いいえ」
「誰も来ていないか」
「そんな方はどなたもお出でになりません」と、女は素気(そっけ)なく答えた。
「隠すな。私はその人たちに用があって、わざわざ音羽の方から尋ねて来たのだ」
 この押し問答のうちに、入口にむかった肘掛け窓をほそ目にあけて、竹格子のあいだから表を覗いていたらしい一人の男が、大小をさして、草履を突っかけて、門口(かどぐち)にその姿をあらわした。それが黒沼の幸之助であることを認めた時に、長三郎は尋ねる仇にめぐり逢ったように感じた。
「長三郎、貴公は何しに来た」と、幸之助は眼を嶮(けわ)しくして云った。
「姉を探しに来ました」と、長三郎は悪びれずに答えた。
「姉はいない」
「きっと居ませんか」
「居ない。帰れ、帰れ」
「帰りません。姉を渡して下さい」
「姉はいないと云うのに……。強情(ごうじょう)な奴だな」
「ここにいなければ、どこにいるか教えてください」と、長三郎は一と足進み寄って訊いた。
「貴様……。眼の色をかえてどうしようと云うのだ」
 そういう幸之助の眼の色もかわっていた。強(し)いて手向かいすれば斬ってしまえと、父からかねて云い付けられているので、長三郎は一寸も退(ひ)かなかった。彼は迫るように又訊いた。
「姉はここにいるか、さもなければ、あなたが何処へか隠してある筈です。教えて下さい」
「知らない、知らない」と、幸之助は罵るように云った。
 双方の声がだんだんに高くなったので、内から又ひとりの侍が出て来た。それは理右衛門であった。
「喧嘩をしてはいけない。双方とも待て、待て」と、彼はうしろから声をかけた。
 その声を聞くと、幸之助は俄かに向き直った。
「さては今井氏(うじ)、貴公がこの長三郎を案内して来たのだな」
「いや、違う、長三郎は勝手に来たのだ」
「いや、そうでない。貴公らが申し合わせて、この幸之助を罠(わな)に掛けようとするのだ。その手は喰わないぞ」
 幸之助はもう亢奮(こうふん)して、誰彼れの見さかいも無くなったらしい。誰を相手ということも無しに、腰の刀をすらりと抜き放した。
「これ何をするのだ」と、理右衛門は制した。「取り逆上(のぼ)せてはいけない。まあ、鎮まれ、鎮まれ。どうも困った気ちがいだ」
「むむ、気ちがいだ」と、幸之助はいよいよ哮(たけ)った。「こうなれば誰でも相手だ、さあ、来い」
 理右衛門を相手にするには、少しく距離が遠いので、彼はまず手近かの長三郎を相手にするつもりであったらしい。突然向き直って長三郎に斬ってかかった。長三郎はこころえて身をかわしたが、それと同時に、きゃっという女の悲鳴がきこえた。
 二挺の早駕籠が宙を飛ばせて来て、ここの門口(かどぐち)に停まった。
 お冬は長三郎の身代りに斬られたのである。彼女は男のあとを追って来て、門口に様子を窺っていたのであるが、幸之助との掛け合いがむずかしくなって、相手が腰の物を抜き放したので、彼女も一種の不安を感じて男を庇うために進み入った時に、逆上(のぼ)せあがった幸之助の刃(やいば)に触れたのであろう。長三郎を撃ち損じた切っさきに、彼女は左の頸筋を斬られて、男の足もとに倒れた。
 それと見て、長三郎も刀をぬいて身構えする間もなく、理右衛門は駈けよって、幸之助をうしろから抱きすくめた。
「抜き合わせてはならぬ。待て、待て」と、彼は長三郎に声をかけた。
 半狂乱の幸之助は哮(たけ)り狂って、抱かれている腕を振り放そうと燥(あせ)っているところへ、二人の男がはいって来た。岡っ引の吉五郎と兼松である。
「今井の旦那様。それはわたくし共にお渡しを願います」と、吉五郎は十手を把(と)り直しながら声をかけた。
「吉五郎か」と、理右衛門は猶(なお)も幸之助を抱きすくめながら耳に口をよせて云った。「幸之助、覚悟しろ。もう逃げる道はないぞ。侍らしく観念しろ。判ったか」
 侍らしくという言葉に責められたのか、十手を持った二人が眼のまえに立ち塞がっているのに気怯(きおく)れがしたのか、もう逃(の)がれる道はないと諦めたのか、さすがの幸之助も俄かにおとなしくなって、持っている血刀をからりと投げ捨てて、理右衛門に抱かれたままで土の上に坐った。
「吉田の親たちに頼まれて、因果をふくめて腹を切らせようと思って来たのだが、もう遅かった」と、理右衛門は嘆息しながら云った。「こうなっては仕方がない。幸之助、尋常に曳かれて行って、御法(ごほう)の通りになれ」
 幸之助は疲れ切ったように、無言で頭(こうべ)を垂れていると、長三郎は待ち兼ねたように訊いた。
「姉もここに居りますか」
「いや」と、理右衛門は頭(かぶり)をふった。「さっきも云う通り、姉はここにいない。幸之助ばかりだ」
「もし、瓜生の若旦那」と、吉五郎は喙(くち)をいれた。「あなたのお姉さまは……死骸になって江戸川から……」
「江戸川から……」と、長三郎は思わず叫んだ。
 理右衛門も幸之助も思い思いの心持で、悲痛の溜め息を洩らした。それに無関心であるのは片眼の少女ばかりで、彼女は幸之助のひと太刀に若い命を断たれて、しかも満足そうに其処に横たわっていた。故意か偶然か、彼女の片手は長三郎の袴の裾を掴んでいた。

     一五

 それから四日の後、音羽の旗本佐藤孫四郎は町奉行所へ呼び出された。寺の住職祐道は寺社奉行の名によって同じく呼び出された。祐道は出頭したが、孫四郎はその前夜に急病頓死という届け出があった。表向きは急病と云うのであるが、その死の自殺であることは後に判った。
 お近という女の死骸も江戸川に浮きあがった。吉五郎の鑑定通り、寺内で殺された女はやはりこのお近であった。
 中間の鉄造が吉五郎の罠にかかって、自分の知っている限りの秘密を口走った結果、黒沼幸之助のかくれ家が露顕(ろけん)したので、吉五郎は子分の兼松と共に、早駕籠を飛ばせて向島の堤下へ駈け付けたことは、前に記(しる)した通りである。幸之助ももう観念したとみえて、これも自分の知っている限りの秘密をいっさい申し立てた。
 祐道もさすがは出家だけあって、この期(ご)に及んでは悪びれずにいっさいを自白した。その他のお近、お冬、お北らはみな死んでいるので、女の側の事情はよく判らない点もあったが、ともかくも幸之助、祐道らの口供(こうきょう)を綜合して判断を下だすと、この事件の真相はまずは斯(こ)う認めるのほかは無かった。
 お近は前名をお亀といって、むかしは深川に芸妓勤めをしていた女である。それが金田という旗本の隠居に受け出されて、柳島の下屋敷に入り込んで、当座は何事もなく暮らしていたのであるが、お近は深川にいる頃から音羽の旗本佐藤孫四郎とも馴染(なじみ)をかさねていた。佐藤は二十五、六の独身者(ひとりもの)で、お近の心はそちらになびいていたが、何分にも金田にくらべると佐藤は小身であり、且は道楽者で身上(しんしょう)も悪いので、金田と張り合うだけの力はなく、お近は心ならずも柳島の屋敷へ引き取られてしまったのである。しかも二人の縁は切れないで、お近は柳島へ行った後も寺参りや神詣(かみもう)でにかこつけて、ひそかに佐藤と逢曳(あいび)きを続けていた。
 その秘密を金田の隠居に発見されて、事が面倒になって来たのと、一方の佐藤は長崎出役を命ぜられて西国(さいこく)へ旅立つことになったのとで、お近は遂に金田の隠居を殺害してその手箱から盗み出した三十両の金を路用に、佐藤のあとを追って行った。勿論、表向きは佐藤の屋敷へ入り込むことは出来ないので、長崎の町はずれに隠まわれて外妾のように暮らしているうちに、三年の月日はいつか過ぎて、佐藤は江戸へ帰ることになった。帰府の道中も同道しては人目(ひとめ)に立つので、お近は一と足おくれて帰って来て、そっと音羽の屋敷に忍び込んだ。
 一種の治外法権(ちがいほうけん)ともいうべき旗本屋敷に潜伏して、無事に月日を送っていれば、容易に町方(まちかた)の眼にも触れなかったのであるが、お近は江戸へ帰ると、間もなく更に新らしい恋人を見つけ出した。それは白魚河岸の吉田の次男幸之助である。吉田と佐藤とは母方の縁を引いている関係から双方が親しく交際していたので、お近も自然に幸之助と親しくなって、佐藤の眼をぬすんで新らしい恋人と逢曳きするようになったが、男は女よりも八歳の年下であるので、若い恋人に対するお近の愛情は猛火のように燃えあがった。彼女は男を逃がさない手段として、自分の秘密を幸之助に打ち明けて、万一変心するときは隠居殺しの共謀者としてお前を抱いてゆくと嚇した。こんにちと違って、この時代には斯(こ)ういう威嚇が案外に有効であったのである。たとい自分の無実が証明されるとしても、こんな女のかかり合いで奉行所の審問(しんもん)を受けたなどと云うことが世間に暴露(ばくろ)すれば、長い一生を暗黒に葬らなければならない。年の若い幸之助は飛んだ者にかかり合ったのを悔みながら、お近の威嚇を恐れてともかくもその意に従っていた。
 そのうちに黒沼伝兵衛の横死事件が起こった。かねて許嫁(いいなずけ)のような関係になっているので、幸之助は黒沼のむすめお勝の婿と定められて、音羽の御賄屋敷へ来ることになった。お近は恋人が近所へ来たのを喜んで、火の番の藤助の家をその逢曳きの場所と定めて幸之助をよび出していた。一方にはお近があり、一方にはまだ祝言こそしないがお勝という正式の妻もありながら、意思の弱い幸之助はさらに隣家の瓜生の娘お北と新らしい関係を結ぶようになったので、一人の男をめぐる女三人の関係が甚だ複雑になった。しょせん無事には済むまいとは知りながら、幸之助も今更どうすることも出来なかった。
 ここで住職祐道に就いて語らなければならない。彼は実はお近と同じ腹の兄であった。祐道が長男で、その次に女ひとり、男ひとり、お近は末子(ばっし)の四人兄妹(きょうだい)であったが、幼年のころに両親に死に別れて、皆それぞれ艱苦(かんく)を嘗(な)めた。なかの男と女は早く死んで、祐道とお近だけが残った。祐道は幼い頃から深川の或る寺の小僧となって、一心に修行を積んだ末に、この音羽でも相当に由緒ある寺の住職となったのであるが、妹のお近は深川の芸妓に売られて、いわゆる泥水を飲む商売となった。しかも運命は不思議なもので、この寺の近所に住む佐藤孫四郎とお近とが一種の悪因縁を結ぶことになって、お近は主殺しの大罪を犯したのである。
 祐道は妹の罪を悔み嘆いて、彼女が再び江戸へ帰るのを待ち受けて、いさぎよく自首するように説き聞かせたが、この世に未練の多いお近は泣いて拒(こば)んだ。いっそ召連れ訴えをしようかとも思ったが、幼い時から共に苦労をして来た妹が自分の眼のまえに泣いている姿を見ると、祐道のこころもさすがに弱くなった。み仏に対して済まぬ事とは万々知りながら、彼は罪ある妹をそのまま見逃(みの)がして置くことにしたが、心は絶えずその呵責(かしゃく)に苦しめられていると、妹はさらに第二、第三の罪をかさねた。
 寺社奉行の訊問に対して、祐道の申し立てたところによると、去年の秋以来、暗夜に白い蝶を飛ばしたのはお近の仕業(しわざ)であると云うのである。お近はなぜそんな怪しいことを企てたか。何分にも死人に口無しで、単に祐道の片口(かたくち)に拠(よ)るのほかは無いのであるが、彼は左のごとく陳述した。
「妹は長崎に居ります間に、唐人屋敷の南京(なんきん)人から或る秘密を伝えられたそうで、暗夜に白い蝶を飛ばして千人の眼をおどろかせれば、いかなる心願(しんがん)も成就(じょうじゅ)すると云うのでござります。われわれの仏道から見ますれば、もとより一種の邪法に相違ござりませんが、妹は深くそれを信仰しまして、江戸へ帰りましてから其の邪法を行なって居りました。その心願はおのれが過去の罪を人に覚られず、黒沼幸之助と末長く添い遂げらるるよう、併(あわ)せてその邪魔になる佐藤孫四郎の命を縮めるよう……詰まりは恋に眼が眩(くら)んで、白蝶の邪法を行なうことになったので[#「なったので」は底本では「なったの」]ござります。佐藤にも罪はありますが、多年の馴染といい、殊に長崎以来、自分を隠まってくれた義理もありまするに、新らしい恋人の為にその命を縮めようと企てるなど、まことに如夜叉(にょやしゃ)のたとえを其の儘でござります。しかし自分は女の身でありますから、暗夜に蝶を飛ばすなどと云うことは思うようにも参りませんので、火の番の藤助に金銭をあたえまして、風の吹く夜に蝶を飛ばせていたのでござります。藤助は火の番の役がありますので、夜中そこらを徘徊して居りましても、誰も怪しむ者もござりません。藤助にはお冬という片眼の娘がありまして、これが生まれ付き素ばしこい人間でありますので、蝶を飛ばす役はお冬が勤め、父の藤助はその後見(こうけん)を致して居ったようでござります。その蝶は……秘伝と申して誰にも洩らしませんでしたが、何か唐(から)渡りの薄い絹のような物で作りまして、それに一種の薬を塗ってありますので、暗いなかでも白く光るのでござります。音羽の近辺ばかりでは、人に覚られる虞(おそ)れがありますので、時々には他の土地へも参ったようでござりました。右の次第で、その蝶に毒があろうとは思われません。それを見て病気に罹(かか)ったなどと申しますのは、驚きの余りに発熱でも致したのでござりますまいか。それとも、その塗り薬に何かの毒でも混じてありましたか、それはわたくしも存じません。又お近が火の番の藤助とどうして心安くなりましたか。それもわたくしは存じません。佐藤の屋敷も以前は勝手不如意(ふにょい)でござりましたが、長崎出役以来、よほど内福になったとか申すことでござります」
 黒沼伝兵衛は何者に殺されたか、わが寺門前の出来事ながら自分は一向に知らないと祐道は云った。しかし大かたは藤助親子の仕業(しわざ)で、何かの毒薬を塗った針のような物で刺されたのであろうと彼は説明した。いずれにしても、自分の寺内の墓地を根城(ねじろ)にして、世間をさわがすような事を繰り返すのは甚だ迷惑であるので、祐道はお近らに対して幾たびか意見を加えたが、彼等は一向に肯(き)かなかった。そのうちに、白い蝶の噂がいよいよ高くなって、町方からも探索の手が廻ったらしいので、祐道の心はますます苦しめられた。お近と幸之助が藤助の家から帰る途中で、町方らしい者に追われて危く逃(の)がれたなどという噂を聴くたびに、彼も毒針で胸を刺されるように感じた。
 町方に追われて以来、気の弱い幸之助は自分の屋敷へ帰られなくなって、佐藤の屋敷に身を隠すことになったが、それを機会にお近はさらに一策を案出して、自分の恋がたきのお北を誘い出した。その使を頼まれたのは例の藤助で、彼は幸之助が佐藤の屋敷に忍んでいることをお北に告げて、本人もあなたに一度逢いたいと云っているから是非来てくれと巧みに欺いて連れ出したのである。連れ出されてお北はうかうかと佐藤の屋敷へ入り込むと、待ち受けていたお近はさらに彼女を奥の古土蔵のうちへ案内して、そこに押し籠めてしまった。自分の手もとに監禁して置けば、お北と幸之助の逢う瀬は絶えると思ったからである。
 こうした悪業(あくぎょう)がそれからそれへと続くので、祐道ももう決心した。彼は妹が自分の寺へ来たのを捕えて、おまえのような悪魔はしょせん救うべき道はないから、どうでも自首して出ろと厳重に云い渡した。もし飽くまでも不得心ならば、帝釈(たいしゃく)が阿修羅(あしゅら)の眷族(けんぞく)をほろぼしたと同じ意味で、兄が手ずから成敗するからそう思えと、怒りの眼に涙をうかべて云い聞かせた。その決心の色が凄まじいので、お近も一旦は得心して、あしたは兄に連れられて奉行所へ自首して出ると答えた。

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