半七捕物帳
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著者名:岡本綺堂 

勝次郎はいつの間にか家の娘のお早に見染められたのである。お早は顔や手足に青い痣があるので、今に縁談がきまらないでいる。それを承知で逢ってくれれば、娘から十両の金をくれるというのであった。年のわかい無分別と、もう一つには慾にころんで、勝次郎はとうとうそれを承知した。かれはお兼の手びきで、はじめてお早という娘に逢った。それは古い土蔵の奥で、昼でも薄暗いところであった。
 そのうちに仕事が済んで、勝次郎はもう雑司ヶ谷へ通わなくなると、お早の方から追って来た。しかし長屋住居の男の家へ入り込むことを嫌って、いつもかの清水山で逢うことにしていた。それを父の藤左衛門に覚られて、きびしく意見を加えられたが、恋に狂っているお早はどうしても肯(き)かなかった。普通の娘の我がままや放埓(ほうらつ)とは訳が違うので、父には一種の不憫が出て、結局はそのなすがままにまかせていたが、娘ひとりを出してやることは何分不安であるので、児飼いからの奉公人ふたりを毎晩見えがくれに付けてやって、よそながらお早の身の上を警固させていた。喜平らをなぐり倒してその探検を妨げたのは、勿論かれらの仕業であった。
 しかしこういう探検者があらわれて来るからには、迂濶に清水山へ通うのは危険であると、かれらは主人に注意した。お早にも注意した。それで一旦はその通い路を断(た)ったのであるが、お早の執着は容易に断ち切れなかった。かれは男恋しさに物狂おしくなって、あるときは庭の池へ身を沈めようとした。あるときは剃刀で喉を突こうとした。これには父も持て余したばかりか、片輪の子ほど可愛さも不憫さも弥増(いやま)して、かの奉公人ふたりと相談の上で、娘の恋しがる男を引っかついで来ることにした。土地の者からは仏さまのように敬われている藤左衛門も、わが子の愛には眼がくらんで悪魔の奴(やっこ)となり果てたらしい。忠義の奉公人どもは主人の心を汲み、娘の恋にも同情して、勝次郎が夜ふけて師匠の家から帰る途中を不意に取っておさえて猿轡(さるぐつわ)をはませ、用意して来た駕籠にぶち込んで、とどこおりなく雑司ヶ谷まで生け捕りにして来たのであった。半分は夢中でぼんやりしている勝次郎は、お早の居間と定められているこの離れ家へかつぎ込まれて、薄暗い行灯の下で青い痣にいろどられている女と差し向いになった。
 それから後は、どうしたのか誰も知っている者はない。それでも虫が知らしたとでもいうのか、藤左衛門はなんだか一種の不安をいだいて、夜のあけないうちにそっとその様子をうかがいにゆくと、かれの眼に映ったのは生々(なまなま)しい血潮と若い二人の亡骸(なきがら)とであった。
 ふたりはどうして死んだのか判らないが、前後の事情から考えて、又その模様から判断して、それが普通の心中でないことは半七にも想像された。勝次郎は痣娘にその若い命をちぢめられたらしい。それについて藤左衛門は眼をふきながら云った。
「お役目の方が御覧になりましたなら、何もかもお判りでござりましょうから、なまじいに隠し立てはいたしません。娘は思いあまって、こんな事になったのであろうと存じます。これが人なみの娘でござりましたなら、たといどんな片輪者でござりましょうとも、勝次郎さんにもよく頼んで、なんとか添い遂げる御相談のしようもあるのでござりますが、どうもそれがなりませんので……」
 云いさして彼は声を呑んだ。その白い鬢(びん)の毛のかすかにふるえているのも痛ましく見えて、半七も思わず眼をしばたたいた。
「いや、判りました。もう仰しゃるには及びません。何もかもお察し申して居ります。ついては棟梁」と、かれは大五郎を見かえった。「おまえさんも弟子ひとりを取られて、さぞ残念には思うだろうが、これも因縁ずくで仕方がねえ。なんにも云わずに、この二人は心中ということにして、こららの家(うち)の菩提所へ合葬してやったらどうだね」
「何分よろしくねがいます」と、大五郎も素直に承知した。
 藤左衛門の眼からは新らしい涙が流れた。半七と大五郎は二つの亡骸のまえに改めて線香をそなえた。

 雑司ヶ谷心中と世間にうたわれて、庄司の家から程遠くない寺内にお早と勝次郎とが葬られた後、しぐれ雲のゆきかいする寒い日が幾日もつづいた。十一月のなかばになって、清水山で一匹の獣が生け捕られた。それは山卯の喜平と建具屋の茂八の罠(わな)にかかったのである。
 喜平は番頭に叱られ、茂八は主人に叱られたのであるが、それが近所にも知れ渡って、自分たちが弱虫であるように云いはやされるのが、如何にも残念でならないので、どうかして自分たちをおびやかした獣の正体を見あらわしてくれようと、二人は相談の上でまた懲(こ)りずまに清水山探検を試みた。今度は獣を捕らえるのが目的であるので、かれらは魚と鼠を餌(えさ)にして、灌木と枯れすすきのあいだへ罠をかけておくと、三日目の夜に果たして四尺あまりの獣がその罠にかかった。獣は鼬(いたち)によく似たもので、黄いろい毛と長い尾を持っていた。おそらくは貂(てん)であろうと判断されたが、それほどの大きい貂は滅多(めった)にあるものではないというので、所詮は得体(えたい)のわからない一種の怪獣と見なされてしまった。そうして、清水山に怪異があるというのは、こんな怪獣が棲んでいる為であろうということになった。その正体を見とどけた喜平らは岩見重太郎の二代目とまでは行かなかったが、ともかくも弱虫の汚名(おめい)をすすぐことが出来たので、大手を振って町内を押しあるいた。怪獣のゆく末は説明するまでもない。かれは両国の見世物小屋に晒され、柳原の清水山に年を経たる九尾の怪獣の正体はこれでございとはやし立てられて、興行師のふところを余程ふくらませた。
 唯ここに一つの疑問として残されているのは、池崎の中間どもが清水山に犬を入れて啣(くわ)え出させたという、かの怪しい箱の出所(しゅっしょ)である。これも恐らくは、かのお早の仕業であろうかと察しられるが、何分にもその実物をみないので何とも云えないと、半七老人はわたしに話した。かの貂に似た獣は昔からここに棲んでいたのか、それとも他(よそ)から入り込んで来たのか、それも判らない。中間どもの放した犬がこの怪しい獣を狩り出さないで、ほかの怪しい箱を啣え出して来たのも、不思議といえば不思議であった。




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