鳥辺山心中
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著者名:岡本綺堂 

鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)岡本綺堂     一 裏の溝川(どぶがわ)で秋の蛙(かわず)が枯れがれに鳴いているのを、お染(そめ)は寂しい心持ちで聴いていた。ことし十七の彼女(かれ)は今夜が勤めの第一夜であった。店出しの宵――それは誰でも悲しい経験に相違なかったが、自体が内気な生まれつきで、世間というものをちっとも知らないお染は、取り分けて今夜が悲しかった。悲しいというよりも怖ろしかった。彼女はもう座敷にいたたまれなくなって、華やかな灯(ひ)の影から廊下へ逃(のが)れて、裏手の低い欄干に身を投げかけながら、鳴き弱った蛙の声を半分は夢のように聴いていたのであった。 もう一つ、彼女の弱い魂をおびやかしたのは、今夜の客が江戸の侍(さむらい)ということであった。どなたも江戸のお侍さまじゃ、疎※(そそう)があってはならぬぞと、彼女は主人から注意されていた。それも彼女に取っては大きい不安のかたまりであった。 この時代には引きつづいて江戸の将軍の上洛(じょうらく)があった。元和(げんな)九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづいてその世子(せいし)家光も上洛した。その時に秀忠は将軍の職を辞して、家光が嗣(つ)ぐことになったのである。それから三年目の寛永(かんえい)三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。 先度の元和の上洛も将軍家の行粧(ぎょうそう)はすこぶる目ざましいものであったが、今度の寛永の上洛は江戸の威勢がその後一年ごとに著(いちじ)るしく加わってゆくのを証拠立てるように花々しいものであった。前将軍の秀忠がおびただしい人数(にんず)を連れて滞在しているところへ、新将軍の家光が更におびただしい同勢を具して乗り込んで来たのであるから、京の都は江戸の侍で埋(うず)められた。将軍のお供とはいうものの、参内(さんだい)その他の式日を除いては、さして面倒な勤務をもっていない彼らは、思い思いに誘いあわせて、ある者は山や水に親しんで京の名所を探った。ある者は紅(べに)や白粉(おしろい)を慕って京の女をあさった。したがって京の町は江戸の侍で繁昌した。取り分けて色をあきなう巷(ちまた)は夜も昼も押し合うように賑わっていた。 この恋物語を書く必要上、ここでその当時に於ける京の色町(いろまち)に就(つ)いて、少しばかり説明を加えておきたい。その当時、京の土地で公認の色町と認められているのは六条柳町(やなぎちょう)の遊女屋ばかりで、その他の祇園(ぎおん)、西石垣、縄手、五条坂、北野のたぐいは、すべて無免許の隠し売女(ばいじょ)であった。それらが次第に繁昌して、柳町の柳の影も薄れてゆく憂いがあるので、柳町の者どもは京都所司代(しょしだい)にしばしば願書をささげて、隠し売女の取締りを訴えたが、名奉行の板倉伊賀守もこの問題に対しては余り多くの注意を払わなかったらしく、祇園その他の売女はますますその数を増して、それぞれに立派な色町を作ってしまった。その中でも祇園町が最も栄えて、柳町はいたずらに格式を誇るばかりの寂しい姿になった。 お染はその祇園の若松屋という遊女屋に売られて来たのである。 この場合、祇園はあくまでも柳町を圧倒しようとする競争心から、いずこの主人も遊女の勤め振りをやかましくいう。ことに相手の客が大切な江戸の侍とあっては、なおさらその勤め振りに就いて主人がいろいろの注意をあたえるのも無理はなかった。しかし、どんなにやかましい注意をうけても、今度が初めての店出(みせだ)しというおぼこ娘のお染には、どうしていいかちっとも見当がつかなかった。江戸の侍の機嫌を損じると店の商売にかかわるばかりか、どんな咎(とが)めを受けるかも知れぬぞと、彼女は主人から嚇(おど)されて来たのである。悲しいと怖ろしいとが一緒になって、お染はふるえながら揚屋(あげや)の門(かど)をくぐった。 あげ屋は花菱(はなびし)という家で、客は若い侍の七人連れであった。その中で坂田という二十二、三の侍はお花という女の馴染みであるらしい。酒の間に面白そうな話などをして、頻(しき)りにみんなを笑わせていたが、お染はなかなか笑う気にはなれなかった。彼女の唇は悲しそうに結ばれたままでほぐれなかった。彼女は明るい灯のかげを恐れるように、絶えず伏目になっていたが、その眼にはいつの間にか涙がいっぱいに溜まっていた。胸も切(せつ)なくなってきた。こめかみも痛んで来た。悪寒(さむけ)もして来た。彼女はもう堪(たま)らなくなって、消えるように座敷からその姿を隠してしまった。 八月ももう末の夜で、宵々(よいよい)ごとに薄れてゆく天(あま)の河の影が高く空に淡(あわ)く流れていた。すすり泣きをするような溝川の音にまじって、蛙(かわず)は寂しく鳴きつづけていた。「これ、何を泣く」 不意に声をかけられて、お染ははっ[#「はっ」に傍点]とした。泣き顔を拭きながら見返ると、自分のうしろに笑いながら突っ立っている男があった。「泣くほど悲しいことがあれば、おれが力になってやる。話せ」 お染は身をすくめて黙っていると、男はかさねて言った。「いや、怖がるな。叱るのでない。何が悲しい、訳をいえ」 その訳をあからさまに言いにくいので、お染はやはり黙っていた。廊下に洩れて来る灯の影がここまでは届かないので、男の容形(なりかたち)はよく判らなかったが、それが江戸の侍であることは、強いはっきりした関東弁で知られた。お染は彼を今夜の客の一人と知って、いよいよ怖ろしいように思われた。「座敷を勤めるのが悲しいか」と、強い声はやがて優し味を含んできこえた。「お前の名は何という」「染と申します」「お染か。して、今夜の客の誰かに馴染みか」「いいえ」と、お染は怖(こわ)ごわ答えた。「わたしは今夜が店出しでござります」「突き出しか」と、男はいよいよ憫(あわ)れむように言った。「うむ、それで泣くか。無理もない。今夜の花はおれが払ってやる。すぐに家(うち)へ帰れ」 涙がこぼれるほどに有難いとは思ったが、お染はその親切な指図にしたがう訳にはいかなかった。識(し)らない客に花代(はなだい)を払わして、そのまま自分の家へ帰ってゆけば、主人に叱られるのは判り切っているので、彼女はその返答に躊躇(ちゅうちょ)していると、相手はそうした事情をよく知らないらしかった。「お前は勤めの身でないか。花代さえ滞(とどこお)りなく貰って行ったら、誰も不足をいう者はあるまい。まだほかにむずかしい掟(おきて)でもあるか」「主人に叱られます」「判らぬな。主人がなぜ叱る」「江戸のお客さまを粗末にしたとて……」 男は悼(いた)ましそうに溜め息をついた。「それで叱るか。よい、そんならお前が叱られぬように、おれが仲居(なかい)を呼んでよく話してやる。心配するな」 いかに今夜が店出しでも、お染はもう勤めの女である以上、相手の男よりも色町の事情を承知していた。男の親切はよく判っているが、更に考えてみると、一体この人は自分の客であろうか。自分の客ならばともかくも、ほかの客が横合いから花代を払って勝手に帰れと命令しても、自分の客が承知するかどうか判(わか)らない。仲居もきっと承知しない。そんな掛け合いをするのは無駄なことであると思ったので、彼女はまずこの人が自分の客であるかないかを確かめようとした。「お前さまのお相方(あいかた)はどなたでござります」「おれは知らぬ。おれは今夜初めて誘われて来たのだ」と、男は無頓着そうに答えた。「そうして、お前は誰の相手だ」「わたしも知りませぬ」 お染は今夜の座敷へ出たはじめから碌々に顔をあげたこともないので、自分の客の年頃も容形(なりかたち)もなんにも知らないのであった。男は自分の相方を知らなかった。女は自分の客を知らなかった。「おれの相方でなければ自由に帰してやることは出来ぬか」と、男もさすがに気がついたらしく言い出した。「そうでござります」「よい。そんならおれがお前を相方にする。そうして、勝手に帰してやる。仲居(なかい)を呼べ」 それならば幾らか筋道が立っているので、お染は言われたままに仲居をここへ呼んで来た。「仲居の雪(ゆき)でござります。なんぞ御用と仰しゃりますか」「ほかでもない。この女をおれにぜひ買わせてくれ」 仲居はふき出した。「あの、お前さまの戯言(てんごう)ばっかり。このお染さまはお前のお相方ではござりませぬか」「ほう、いつの間にかおれの相方と決まっていたか」と、男も笑い出した。「それならば面倒はない。花代はおれが払うから直ぐに帰してやれ。勤め振りが悪いので帰すのでない、気に入らぬので帰すのでない。その訳を主人によく話して聞かせて、この女の叱られぬようにしてやってくれ。よいか」「ありがとうござります」と、仲居のお雪は取りあえず礼を言った。 しかし座敷の引けないうちにすぐお染を帰す訳にはいかないから、ともかくも二人ながら座敷へ一旦戻って、酒の果てるまで機嫌よく遊んでいてくれと言った。 お染は無論に承知した。男も承知した。二人はお雪に導かれて、再びもとの座敷へ戻ると、薄暗いところからはいって来たお染の眼には、急に世界が変ったように明るく華やかに感じられた。酒と白粉との匂いが紅い灯の前にとけて漲(みなぎ)っていた。お染の涙を誘い出した秋の蛙の声は、ここまで聞えなかった。彼女はやはり俯向(うつむ)きがちで、生きた飾り物のようにおとなしく坐っていたが、それでも時どきにそっと眼をあげて、自分の客という人を見定めようとした。 客は二十歳(はたち)をようよう一つか二つぐらい越えたらしい若侍であった。色の浅黒い、一文字の眉の秀(ひ)いでているのがお染の眼についた。彼は多くしゃべらないで、黙って酒を飲んでいた。酒量はかなりに強い人らしいとお染は思った。 酒の強い人――それは年の若い彼女に余りいい感じを与えなかったが、それを十分に打ち消すだけの強い信仰がお染の胸に満ちていた。それは彼の親切であった。同情であった。花代を払ってすぐに帰してやる――ある女はそれを喜ぶであろうが、ある女はかえって不快を感じるかも知れない。しかし今夜のお染にはそれが譬(たと)えようもないほどに嬉しかった。花代はむしろ第二の問題で、悲しい頼りない身をそれほどに優しくいたわってくれたという、その親切が胸の奥まで沁み透るほどに嬉しかったのである。彼女は男の顔をぬすむように折りおりに窺(うかが)いながら、今までとは違った意味で涙ぐまれた。 四つ(午後十時)ごろに酒の座敷はあけた。六人の客は銘々の相方に誘われて、鳰(にお)の浮巣をたずねに行ったが、お染の客だけは真っ直ぐに帰った。お染とお雪は暖簾口(のれんぐち)まで送って出た。「またのお越しをお待ち申します」と、お雪はうしろから声をかけた。「おお、また来る。その女を主人に叱らせてくれるな」 夜露に濡(ぬ)れてゆく男のうしろ姿を、お染は言い知れない悲しい心持ちで見送っていると、冷たい秋風は水色の暖簾をなびかせて、彼女の陰った眉(まゆ)を吹いた。     二 その次の夜にも、かの坂田という馴染み客が先立ちで、五人の侍が花菱に来た。先度の連れが二人減っているからは、無論お染の客も欠けているであろうと想像していたお雪は、座敷の明るいところで一座の顔を見渡して案外に思った。お染の客は今夜も五人の中にまじっていた。 坂田の女のお花は無論に来た。ほかの女たちも来た。お染も来た。坂田はいつものように陽気に飲んで騒ぎ立てた。その笑いさざめく座敷の中で、お染はやはり俯向いていろいろのことを考えつめていた。 ゆうべの客に今夜も逢えたというのが彼女は第一に嬉しかった。それと同時に、かの客がどうして今夜もここへ来たか、お染はその人の心を深く考えて見たかったのである。勿論、それには友達の附き合いという意味も含まれているであろうと想像した。酒さえ快(こころよ)く飲んでいれば、女なぞはどうでもいいと思っているのかも知れないと想像した。しかし昨夜の様子から推量(おしはか)ると、友達の附き合いとして酒を飲むことのほかに、何かの意味があるらしくも思われた。頼りない自分を憐れんで、今夜も呼んでくれたのではあるまいか――自分勝手ではあるが、お染はどうもそうであるらしいように解釈した。そうして、どうかそうであって呉(く)れればいいと胸のうちでひそかに祈っていた。 今夜は宵から薄く陰(くも)って、弱い稲妻が時どきに暗い空から走って来た。それが秋の夜らしい気分を誘って、酒を飲まないお染はなんだか肌寒いようにも思われた。 お花は酔って唄った。[#ここから1字下げ]※立つる錦木(にしきぎ)甲斐なく朽ちて、逢わで年経(としふ)る身ぞ辛き[#字下げ終わり] 彼女は一座の耳を惹(ひ)きつけるほどの美しい清らかな声であった。それをじっ[#「じっ」に傍点]と聴いているうちに、お染は一種の寂しさがひしひしと狭い胸に迫って来た。その陰った眼が自分の男の眼に出逢うと、男も少し沈んだような顔をして、杯を下においていた。 その晩も四人は泊まって、一人は帰ることになった。帰るというのはやはりお染の客であった。お染はお雪を廊下へ呼び出して、恥かしそうに頼んだ。「わたしのお客は今夜も帰ると仰しゃるそうな。なんとか引き止める法はないものか」 お雪も同意であった。お染の客はゆうべも花代を払っただけで綺麗に帰った。今夜もまたすぐに帰ろうとする。なんぼ相手が承知の上でも、それではあんまり傾城冥利(けいせいみょうり)に尽きるであろうと彼女も思った。もうひとつには、店出しをしたばかりでまだ一人の馴染みもないお染のために、ああいう頼もしそうな客を見付けてやりたいとも思ったので、お雪は快く承知した。 客は振り切って帰ろうとするのを、お雪は引き止めた。客扱いに馴れている手だれの彼女は、強情な男を、無理無体に引き戻して、お染が閨(ねや)の客にしてしまった。 その晩は夜半から冷たい雨がしとしと[#「しとしと」に傍点]と降り出して来た。お染は自分の客が菊地半九郎(きくちはんくろう)という侍で、新しい三代将軍の供をしてこのごろ上洛したものであることを初めて知った。お花の客が坂田市之助という男であることも、半九郎の口から正直に言い聞かされた。 お染も自分の身の上を男に打明けた。自分は六条に住んでいる与兵衛(よへえ)という米屋の娘で、商売の手違いから父母はことし十五の妹娘を連れて、裏家(うらや)へ逼塞(ひっそく)するようになり下がった。それが因果で自分は二百両という金(かね)の代(しろ)にここへ売られて来たのである。ゆうべは初めての店出しでお前さまに逢った。今夜も逢った。そうして、ほんとうの客になって貰った。しかし勤めの身は悲しいもので、あすはどういう客に逢おうも知れないと、彼女は枕紙(まくらがみ)を濡らして話した。 半九郎は暗い顔をして聴いていたが、やがて思い切って言った。「よい。判った。心配するには及ばぬ。あしたからは夜も昼もおれが揚げ詰(づ)めにして、ほかの客の座敷へは出すまい」「ありがとうござります」と、お染は手をあわせて拝(おが)んだ。 江戸の侍に嘘はなかった。半九郎はあくる日からお染を揚げ詰めにして、自分ひとりのものにしてしまった。店出しの初めから仕合せな客を取り当てたと、若松屋の主人も喜んだ。お雪も喜んだ。朋輩たちも羨(うらや)んだ。 坂田市之助も花菱へたびたび遊びに来た。しかし彼はお花のほかにも幾人かの馴染みの女をもっているらしく、方々の揚屋を浮かれ歩いていた。「わたしの人にくらべると、半さまは情愛のふかい、正直一方のお人、お前と二人が睦まじい様子を見せられると、妬(ねた)ましいほどに羨まれる」と、お花は折りおりにお染をなぶった。なぶられて、お染はいつもあどけない顔を真紅(まっか)に染めていた。 半月あまりは夢のようにたった。十三夜は月が冴えていた。半九郎は五条に近い宿を出て、いつものように祇園へ足を向けてゆくと、昼のように明るい路端(みちばた)で一人の若侍に逢った。「半九郎どのか」「源三郎(げんざぶろう)、どこへゆく」と、半九郎は打ち解けてきいた。「兄をたずねて……」「何ぞ用か」「毎日毎晩あそび暮らしていては勤め向きもおろそかになる。兄の放埒(ほうらつ)にも困り果てた」と、源三郎は苦々(にがにが)しそうに言った。「今夜もきっと柳町か祇園であろうよ」「柳町や祇園をあさり歩いて、兄を見付けたら何とする」と、半九郎は笑いながら又きいた。「見付け次第に引っ立てて帰る」 ことし十九の坂田源三郎は、兄の市之助とはまるで人間の違ったような律義(りちぎ)一方の若者であった。彼は兄のように小唄を歌うことを知らなかったが、武芸は兄よりも優れていた。彼は兄と一緒に上洛のお供に加わって来て、同じ宿に滞在しているのであった。 こうして同じ京の土を踏みながらも、兄は旅先という暢気(のんき)な気分で遊び暮らしていた。弟は主君のお供という料簡(りょうけん)でちっとも油断しなかった。こうして反(そ)りの合わない兄弟ふたりは、どっちも不思議に半九郎と親しい友達であった。自分よりも二つの年下であるので、半九郎は源三郎を弟のようにも思っていた。「兄の放埒も悪かろうが、遊興の場所へ踏ん込んで無理に引っ立てて帰るはちっと穏当でない」と、半九郎はなだめるように言った。「まあ堪忍してやれ。兄も今夜は後(のち)の月見という風流であろう。あすになればきっと帰る」「帰るであろうか」と、源三郎はまだ不得心(ふとくしん)らしい顔をしていた。「おお、帰るようにおれが言ってやる」 うっかりと口をすべらせたのを、源三郎はすぐ聞きとがめた。「おれが言ってやる。……では、兄の居どころをお身は知っているか。お身もこれからそこへ行くのか」 半九郎も少し行き詰まった。その慌(あわ)てた眼色を覚(さと)られまいと、彼はわざと大きく笑った。「まあ、むずかしく詮議するな。行くと行かぬは別として、おれは兄の居どころを知っている。たずね出してやるから、おとなしく待っておれ」「ふうむ。お身もか」 卑しむような眼をして、源三郎は半九郎の顔をじっ[#「じっ」に傍点]と見た。半九郎がこのごろ祇園に入りびたっていることを彼も薄々知っていた。ことに今の口振りで、兄も半九郎もどうやら一つ穴の貉(むじな)であるらしいことを発見した彼は、日ごろ親しい半九郎に対して、俄(にわ)かに憎悪と軽蔑との念が湧いて来た。それでも自分自身が汚(けが)れた色町へ踏み込むよりは、いっそ半九郎に頼んだ方が優(ま)しであろうと思い返して、彼は努めて丁寧に言った。「では、頼む。兄によく意見して下され」「承知した」 二人は月の下で別れた。「はは、源三郎め、覚ったな」と、半九郎は歩きながらほほえんだ。 彼の眼から見たらば、兄もおれも同じ放埒者(ほうらつもの)と見えるかも知れない。誰が眼にも、うわべから覗(のぞ)けばそう見えるであろう。しかし市之助とおれとは性根が違うぞと、半九郎は肚(はら)の中で笑っていた。市之助は行く先ざきで面白いことをすればいい、彼はそれで満足しているのである。おれはそうでない。おれは市之助のような放蕩者でない。おれはお染のほかに世間の女をあさろうとはしていない。同じ色町の酒を甞(な)めていながらも、市之助とおれとを一緒に見たら大きな間違いであるぞと、半九郎は浅黄に晴れた空の上に、大きく澄んで輝く月のひかりを仰ぎながら、お染のいる祇園町の方へ大股に歩いて行った。     三 半九郎とお染とが引き分けられなければならない時節が来た。 今年の秋もあわただしく暮れかかって、九月の暦(こよみ)も終りに近づいた。鴨川の水にも痩せが見えて、河原の柳は朝寒(あささむ)に身ぶるいしながら白く衰えた葉を毎日振るい落した。そのわびしい秋の姿をお染は朝に夕に悲しく眺めた。九月の末か、十月の初めには将軍が京を立って江戸へ帰る――それは前から知れ切ったことであったが、その期日が次第に迫って来るに連れて、彼女は自分の命が一日ごとに削(けず)られてゆくようにも思われた。 その沈んだ愁(うれ)い顔を見るにつけて、半九郎もいよいよ物の哀れを誘い出された。彼はある夜しみじみとお染に話した。「将軍家が江戸表へ御下向(ごげこう)のことは、今朝(こんちょう)支配頭(がしら)から改めて触れ渡された。この上はしょせん長逗留は相成るまい。遅くも来月の十日頃までには、一同京地を引き払うことになるであろう。お前に逢うのも今しばらくの間だ。昼夜揚げ詰めとはいいながら、馴染んでから丸ひと月に成るや成らずでさほどの深い仲でもないが、恋や情けはさておいて、まだ廓(さと)なれないお前が不憫(ふびん)さに、暇さえあればここへ来て、及ばぬながら力にもなってやったが、侍は御奉公が大切、お供にはずれていつまでもここに逗留は思いも寄らぬことだ。察してくれ」 勿論それに対して、お染は何とも言いようはなかった。無理に引き止めることは出来なかった。たとい引き止めても、男が止まる筈がないのは、彼女もよく承知していた。半九郎が今まで自分を優しく庇(かば)ってくれたのは、世にありふれた色恋とは違って、弱い者を憐れむという涙もろい江戸かたぎから生み出されていることは、彼女もかねて知っていた。まして将軍家の供をして、江戸の侍が江戸へ帰るのは当然のことである。彼女は自分を振り捨ててゆく男を微塵(みじん)も怨む気はなかった。 怨むのではない。ただ、悲しいのである。心細いのである。店出し以来、たった一人の半九郎に取りすがって、今日まで何の苦も知らずに生きていたお染は、さてこの後(のち)どうするか。彼女は眼の前に拡がっている大きい闇の奥をすかして見る怖ろしさに堪えられなかった。「また泣くか。初めて逢った夜にもお前はそんな泣き顔をしていたが、その時から見ると又やつれたぞ。煩(わずら)わぬようにしろ」「いっそ煩うて死にとうござります」 言ううちにも、止めどもなしに突っかけて溢れ出る涙は、白粉の濃い彼女の頬に幾筋の糸を引いて流れた。半九郎は痛ましそうに眉を皺(しわ)めて言った。「今の若い身で死んでどうする。両親の悲しみ、妹の嘆き、それを思いやったら仮りにもそのようなことは言われまい。一日も早く勤めを引いて、親許へ帰って孝行せい」「一日も早くというて、それが今年か来年のことか。ここの年季(ねんき)は丸六年、わたしのような孱弱(かよわ)い者は、いつ煩ろうていつ死ぬやら」「はて、不吉な。気の弱いにも程がある。ほかの女どものように浮きうきして、晴れやかな心持ちで面白そうに世を送れ。これから五年六年といえば長いようだが、過ぎてしまうのは夢のうちだ」と、半九郎は諭(さと)すように言い聞かせた。 ひとには面白そうに見えるかも知れないが、およそここらに勤めている人に涙の種のない者はない。現にあの市さまの相方のお花女郎も、親の上、わが身の上にいろいろの苦労がある。まして自分のように胸の狭いものは、こののち一日でも面白そうに暮らされよう筈がない。店出しから今日までの短い月日が極楽、この先の長い月日は地獄の暗闇と、自分ももうあきらめているとお染はまた泣きつづけた。 困ったものだと半九郎も思いわずらった。彼はこのいじらしい女をどう処分しようかといろいろに迷った末に、あくる朝、坂田市之助の宿所をたずねると、市之助はめずらしく宿にいた。源三郎もいた。 過日(このあいだ)の晩、半九郎は途中で源三郎に約束して、あしたはきっと兄を帰してやると言ったが、市之助は花菱に酔い潰れて帰らなかった。その以来、源三郎はいよいよ半九郎を信用しなくなった。日ごろの親しみは頓(とみ)に薄らいで、彼は半九郎を兄の悪友と認めるようになった。 その半九郎が早朝から訪ねて来たので、源三郎はこれから外出しようとするのを暫く見合せて注意ぶかい耳を引き立てていた。こういう見張り人がそばに控えているので、半九郎も少し言いそそくれたが、生一本(きいっぽん)な彼の性質として、自分の思っていることは直ぐに打ち出してしまいたかったので、彼は思い切って言った。「さて市之助。遠慮なく頼みたいことがある」「改まって何だ」「半九郎は金が要(い)る。二百両の金を貸してくれぬか。といっても、お身も旅先でそれだけの貯えもあるまい。お身は京の刀屋に知るべがあると聞いている。おれの刀は相州(そうしゅう)物だ。その刀屋に相談して、二百両に換えてはくれまいか」 市之助も少し眉を寄せた。「お身が大事の刀を売りたい……。思いも寄らぬ頼みだが、その二百両の要(い)りみちは……」 半九郎は源三郎を横目に見ながら言った。「京の鶯(うぐいす)を買いたいのだ」「京の鶯……。はて、お身にも似合わぬ風流なことだな」と、言いかけて彼もすぐに覚ったらしくうなずいた。「うむ。して、その鶯を江戸へ連れて行くのか」「いや、籠(かご)から放してやればいい。鶯はおおかた古巣へ舞い戻るであろう」 その謎は市之助にもよく判った。しかしそれは余り正直過ぎるように思われたので、彼は半九郎に注意するように言った。「おれも鶯は大好きで、ゆく先ざきで鶯を聴いて歩く。鶯は美しい愛らしい小鳥だ。ことに京は鶯の名所であるから、おれも金に明かし、暇(ひま)に明かして、思うさまに鳴かして見たが、所詮(しょせん)は一時の興(きょう)に過ぎぬ。一羽の鳥になずんでは悪い。江戸へ帰ればまた江戸の鶯がある」「勿論、おれもその鶯を江戸まで持って帰ろうとは思わぬが、鳴く音(ね)が余りに哀れに聞えるので、せめて籠から放してやりたいのだ。半九郎は人にも知られた意地張りだが、生まれつきから涙もろい男だ。ありあまる金を持った身でもなし、かつは旅先で工面(くめん)するあてもない。察してくれ」 半九郎の性質は市之助もふだんから知り抜いていた。そうして、それが彼の美しいところでもあり、また彼の弱いところでもあることを知っていた。遊里(ゆうり)の歓楽を一時の興と心得ている市之助の眼から見れば、立派な侍が一人の売女に涙をかけて、多寡(たか)が半月やひと月の馴染みのために、家重代(いえじゅうだい)の刀を手放そうなどというのは余りに馬鹿ばかしくも思われた。彼は繰り返して涙もろい友達に忠告を試みた。「して、半九郎。お身は全くその鶯に未練はないな」「未練はない。くどくも言うようだが、あまりに哀れだから放してやりたい。ただそれだけのことだ」「それならば猶更のこと。お身がその鶯にあくまでも未練が残って、買い取って我が物にしたいと言っても、おれは友達ずくで意見したい。ましてその鶯には未練も愛着(あいぢゃく)もなく、ただ買い取って放してやるだけに、武士(ぶし)が大切の刀を売るとは、あまりに分別が至らぬように思わるるぞ。なさけも善根(ぜんこん)も銘々の力に能(あた)うかぎりで済ませればよし、程を過ぎたら却(かえ)って身の禍(わざわ)いになる。この中(じゅう)のおれの行状から見たら、ひとに意見がましいことなど言われた義理ではないが、おれにはまたおれの料簡(りょうけん)がある。鶯はただ鳴くだけのことで、藪(やぶ)にあろうが籠(かご)にあろうが頓着(とんぢゃく)せぬ。花を眺め、鳥を聴くも、所詮は我れに一時の興があればよいので、その上のことまでを深く考えようとはせぬ。その上に考え詰めたら、心を痛むる、身を誤る。人間は息のあるうちに、ゆく先ざきで面白いことを仕尽くしたらそれでよい。どうだ、半九郎。もう一度よく思い直して見ろ」「では、どうでも肯(き)いてくれぬか」「肯かれぬ。また、肯かぬのがお身のためだ」 相手がどうしても取り合わないので、半九郎は失望して帰った。帰る途中で、彼は市之助の意見をもう一度考えてみた。市之助の議論を彼はいちいち尤(もっと)もとは思わなかったが、籠から鶯を放してやるだけに、武士が家重代の刀を売る。たとい自分には何の疚(やま)しい心がないとしても、思いやりのない世間の人間はいろいろの評判を立てるに相違ない。菊地半九郎は売女(ばいじょ)にうつつをぬかして大小を手放したとただ一口(ひとくち)にいわれては、武士の面目にもかかわる。支配頭への聞えもある。なるほど市之助が承知してくれないのも無理はないかとも思われたので、彼は刀を売ることを躊躇した。 こうなると、お染の顔を見るのが辛(つら)い。お染も自分の顔を見ると、よけいに悲しい思いをするかも知れない。いっそ出発するまでは彼女にもう逢うまいかと半九郎は思った。そうして、ひと晩は花菱に足をぬいてみたが、やはり一種の不安と憐れみとが彼を誘って、あくる日は花菱の座敷でお染の暗い顔と向かい合わせた。半九郎はその後もつづけてお染と逢っていた。 十月にはいると、半九郎のからだも忙がしくなった。将軍はいよいよこの十日には出発と決まったので、供の者どもはその準備に毎日奔走しなければならなかった。 その忙がしいひまを偸(ぬす)んで、ある者は京の土産を買い調えるのもあった。ある者は知るべのところへ暇乞(いとまご)いに廻るのもあった。神社や仏閣に参拝して守り符(ふだ)などを貰って来るのもあった。いろいろの買いがかりの勘定などをして歩くのもあった。それらの出這入(ではい)りで京の町は又ひとしきり混雑した。 江戸に沢山(たくさん)の親類や縁者をもっていない半九郎は守り符や土産などを寄せ集めて歩く必要はなかったが、さすがに勤め向きの用事に追い廻されて祇園の酒に酔っている暇がなかった。市之助兄弟も忙がしい筈であった。しかも忙がしいことは弟に任せて、市之助は相変らず浮かれ歩いていた。「もう二、三日で京も名残(なご)りだ。面白く騒げ、騒げ」 それは七日の宵で、きょうは朝から時雨(しぐ)れかかっている初冬の一日を、市之助は花菱の座敷で飲み明かしているのであった。日が暮れてから半九郎も来た。約束したのではない、偶然に落ち合ったのであった。「おお、半九郎来たか」「お身はいつから来ている」「ゆうべから居つづけだ」と、市之助はもう他愛なく酔いくずれていた。「弟にまた叱らるるぞ」と、半九郎はにが笑いした。「あいつ、腹を立って、きっと兄の悪口をさんざんに言っているであろう。困った奴だ」 市之助も笑っていた。     四 半九郎を初めてここへ誘って来たのは市之助であったが、塒(ねぐら)を一つ場所に決めていない彼はいつも半九郎の連れではなかった。ことに過日(このあいだ)の鶯の話を聴かされてから、彼は半九郎のあまり正直過ぎるのを懸念するようになったので、ゆうべも彼を誘わずに自分一人で来ていると、あとから半九郎が丁度来合せたのである。 もう二、三日というけれども、今夜が京の遊び納めであると市之助は思っていた。八日(ようか)九日(ここのか)の二日(ふつか)は出発前でいろいろの勤めがあるのは判り切っているので、今夜は思う存分に騒ぎ散らして帰ろうと、彼は羽目(はめ)をはずして浮かれていた。半九郎もお染に逢うのは今夜限りだと思っていた。 もう泣いても笑っても仕方がないと、お染もきのう今日は諦めてしまった。いつも沈んだ顔ばかりを見せて男の心を暗い方へ引き摺って行くのは、これまでの恩となさけに対しても済まないことであると思ったので、彼女も今夜は努(つと)めて晴れやかな笑顔を作っていた。お花は無論に浮きうきしていた。今夜がいよいよのお別れであるというので、馴染みの女や仲居なども大勢寄って来て、座敷はいつもより華やかに浮き立った。 内心はともかくも、お染の顔が今夜は晴れやかに見えたので、半九郎も少し安心した。安心すると共に、彼はふだんよりも多く飲んだ。ことに今夜は市之助という飲み相手があるので、彼はうかうか[#「うかうか」に傍点]と量をすごして、お染の柔かい膝(ひざ)を枕に寝ころんでしまった。「半さま。御家来の衆が見えました」と、仲居のお雪が取次いで来た。「八介(はちすけ)か。何の用か知らぬが、これへ来いと言え」と、半九郎は寝ころんだままで言った。 若党の八介はお雪に案内されて来たが、満座の前では言い出しにくいと見えて、彼は主人を廊下へ呼び出そうとした。「旦那さま。ちょっとここまで……」「馬鹿め」と、半九郎はやはり頭をあげなかった。「用があるならここへ来い」「は」と、八介はまだ躊躇していたが、やがて思い切って座敷へいざり込んで来た。「用は大抵判っている。迎いに来たのか」と、半九郎は不興らしく言った。「左様でござります」 御用の道中であるから銘々の荷物は宿々(しゅくじゅく)の人足どもに担がせる。その混乱と間違いとを防ぐために、組ごとに荷物をひと纏めにして、その荷物にはまた銘々の荷札をつける。それを今夜じゅうにみな済ませて置けという支配頭からの達しが俄かに来た。八介一人では判らないこともあるから、ひとまず帰ってくれというのであった。「うるさいな。あしたでもよかろうに……」「でも、一度になっては混雑するから、今夜のうちに取りまとめて置けとのことでござります」「市之助。お身は帰るか」と、半九郎は酔っている連れにきいた。「弟が何とかするであろうよ」と、市之助は相変らず横着を極(き)めていた。「よい弟を持って仕合せだ。おれはちょっと戻らなければなるまいか」 半九郎はしぶしぶ起き上がって、八介と一緒に出ると、お染は角(かど)まで送って来た。「お前さま。もうこれぎりでお戻りになりませぬかえ」「いや、戻る。すぐまた戻って来る。待っておれ」 酔っていても半九郎はしっかりした足取りで歩いた。宿所へ帰って、彼は八介に指図して忙がしそうに荷作りをした。さしたる荷物もないのであるが、それでも一※(いっとき)ほどの暇を潰して、主人も家来もがっかりした。表では雨の音がはらはら[#「はらはら」に傍点]聞えた。「旦那さま。降ってまいりました」「降って来たか」「昼から催しておりました。今のうちに降りましたら、お発ちの頃には小春日和(びより)がつづくかも知れませぬ」 道中はともかくも、今夜の雨を半九郎は邪魔だと思った。彼は落ち着かない心持ちで、すぐにまた表へ出ようとした。「またお出掛けでござりますか」と、八介は暗い空を仰ぎながら言った。 酔いは出る、からだは疲れる。半九郎はもうそこに寝ころんでしまいたかったが、彼の心はやはりお染の方へ引かれていった。これがふだんの時であったら、彼も自分の宿に眠って安らかに今夜一夜を過(すご)すことが出来たかも知れないが、祇園の酒も今夜かぎりだと思うと、半九郎はとても落ち着いていられなかった。 彼は雨を冒(おか)して祇園へ引っ返して行った。そうして、運命の導くままに自分の生命(せいめい)を投げ出してしまったのであった。 花菱の座敷には市之助がまだ浮かれ騒いでいた。よくも遊び疲れないものだと感心しながら、半九郎も再びそのまどいに入った。「半九郎、また来たか。おれはさすがにもう堪まらぬ。お身が代って女子(おなご)どもの相手をしてくれ。頼む、頼む」 今度は市之助がお花の膝を借りて横になってしまった。半九郎は入れかわってまた飲んだ。寡言(むくち)の彼も今夜は無器用な冗談などを時どきに言って、女どもに笑われた。「あの、お客様が……」 お雪が取次ぐひまもなしに、一人の若侍が足音あらくこの席へ踏み込んで来た。「兄上、兄上」 それが弟の源三郎であると知って、市之助は薄く眼をあいた。「おお、源三郎か。何しにまいった」「言わずとも知れたこと。お迎いにまいりました」「出発の荷作りならよいように頼むぞ」「わたくしには出来ませぬ」 同じ迎いでも、これはさっきの若党とは一つにならなかった。血気の彼は居丈高(いたけだか)になって兄に迫った。「荷作りのこと御承知なら、なぜ早くにお戻り下されぬ。兄弟二人が沢山の荷物、わたくし一人(いちにん)にその取りまとめがなりましょうか。積もって見ても知れているものを……。さあ、直ぐにお起(た)ち下され」 彼は寝ころんでいる兄の腕を掴んで、力任せに引摺り起そうとするので、膝をかしているお花は見兼ねて支(ささ)えた。「まあ、そのように手暴(てあら)くせずと……。市さまはこの通りに酔うている。連れて帰ってもお役に立つまい。お前ひとりでよいように……」「それがなるほどなら、かようなところへわざわざ押しかけてはまいらぬ。じゃらけた女どもがいらぬ差し出口。控えておれ」 武者苦者腹(むしゃくしゃばら)の八つ当りに、源三郎は叱りつけた。叱られてもお花は驚かなかった。彼女は白い歯を見せながら、なめらかな京弁でこの若い侍をなぶった。「お前は市さまの弟御(おととご)そうな。いつもいつも親の仇でも尋ねるような顔付きは、若いお人にはめずらしい。ちっと兄(あに)さまを見習うて、お前も粋(すい)にならしゃんせ。もう近いうちにお下りなら、江戸への土産によい女郎衆をお世話しよ。京の女郎と大仏餅とは、眺めたばかりでは旨味(うまみ)の知れぬものじゃ。噛みしめて味わう気があるなら、お前も若いお侍、一夜の附合いで登り詰める心中者(しんじゅうもの)がないとも限らぬ。兄嫁のわたしが意見じゃ。一座になって面白う遊ばんせ」「ええ、つべこべ[#「つべこべ」に傍点]とさえずる女め、おのれら売女の分際で、武士に向って仮りにも兄嫁呼ばわり、戯(たわむ)れとて容赦せぬぞ」 彼は扇をとり直して、女の白い頬をひと打ちという権幕に、そばにいる女どもも、おどろいてさえぎった。自分の頭の上でこんな捫着(もんちゃく)を始められては、市之助ももう打棄(うっちゃ)って置かれなくなった。彼はよんどころなく起き直った。「源三郎、静まらぬか。ここを何処(どこ)だと思っている」 満座の手前、兄もこう叱るよりほかはなかったが、それがいよいよ弟の不平を募らせて、源三郎は更に兄の方へ膝を捻(ね)じ向けた。「それは手前よりおたずね申すこと。兄上こそここを何処だと思召(おぼしめ)す。我われ一同が遠からず京地を引払うに就いては、上(かみ)の御用は申すに及ばず、銘々の支度やら何やかやで、きのう今日は誰もが眼がまわるほどに忙がしい最中に、短い冬の日を悠長らしく色里の居続け遊び、わたくしの用向きは手前一人(いちにん)が手足を擦り切らしても事は済めど、上の御用は一人が一人役、それでお前さまのお役が勤まりまするか、支配頭の首尾がよいと思召すか。京三界(さんがい)まで一緒に連れ立って来て、弟に苦労さするが兄の手柄か、少しは御分別なされませ」 これが過日(このあいだ)から源三郎の胸に畳まっていた不平であった。現に兄は昨夜も戻らない。きょうも戻らない、出発まぎわにあってもまだ止(と)めどもなしに遊び歩いている兄の放埒には源三郎も呆れ果てた。年の若い彼はじりじりするほどに腹が立った。 今夜も荷作りの達しが来たが、自分と家来ばかりでは纏(まと)め方が判らない。さりとておとなしく待っていてはいつ帰るか知れないので、源三郎は焦(じ)れにじれて、自分で兄の在りかを探しに出た。折りからの時雨に湿(ぬ)れながらまず六条の柳町をたずねると、そこには兄の姿が見付からなかった。それからまた方角を変えて祇園へ来て、ようようその居どころを突きとめると、兄は女の膝枕で他愛なく眠っている。源三郎はもう我慢も勘弁も出来なくなって、不平と疳癪(かんしゃく)が一時に爆発したのであった。 それは市之助もさすがに察していた。弟が焦れて怒るのも無理はないと思った。彼は自分の遊興を妨げた弟を憎もうとはしなかった。しかし弟の言い条(じょう)を立てて、これから直ぐに帰る気にもなれなかった。「もういい、もういい。何もかも判った、判った。おれもやがて帰るから、お前はひと足先へ帰れ」 見え透いた一寸(いっすん)逃れと、弟はなかなか得心しなかった。「いや、どうでお帰りなさるるなら、手前も一緒にお供いたす。さあ、すぐにお支度なされ」 容赦のない居催促(いざいそく)には、兄も持て余した。「それは無理というものだ。帰るには相当の支度もある。まあ、何でもよいから先へ行け」 相手になっていては面倒だと、市之助はその場をはずす積もりらしい、酔いにまぎらせてよろけながら席を起(た)つと、お花は彼を囲うようにして、一緒に起った。ほかの女たちもそれを機(しお)に、この面倒な座敷をはずしてしまった。 あとには半九郎とお染とが残った。半九郎は黙って酒を飲んでいた。     五 兄のうしろ姿を見送って、源三郎は少し思案していたが、これも刀をとって続いて起とうとした。あくまでも兄のあとを追って行って、無理に引き戻す積もりであろうと見た半九郎は、さすがに見兼ねて声をかけた。「源三郎。待て、待て」 源三郎は無言で見返った。さっきから半九郎がそこにいるのを知りながら、彼は何の会釈(えしゃく)もしなかったのである。「かような場所で立ち騒いでは見苦しい。今夜はおとなしく帰ったがよかろう。兄はきっとこの半九郎が連れて戻る。安心して帰れ、帰れ」と、半九郎は杯を手にしながら言った。 余人(よじん)ならばともかくも、日頃から兄の悪友と睨んでいる半九郎の仲裁を、源三郎は素直に承知する筈はなかった。現に先月の十三夜にも、半九郎はきっと帰すと安受け合いをして置きながら、兄はその晩に帰らなかった。そうした嘘つきの、不信用の半九郎が、今更何を言っても相手にはならぬというように、源三郎は眼に角(かど)を立てて罵(ののし)るように答えた。「いや、安心してはいられまい。一つ穴のむじな[#「むじな」に傍点]どもが安受け合いを、真(ま)にうけて帰らりょうか。源三郎はもうお身たちに化かされてはおらぬぞ。兄がかようなたわけの有りたけを尽くすも、お身たちのような不仕埒(ふしだら)な朋輩があればこそ。よい朋輩を持って兄も仕合せ者、手前もきっとお礼を申すぞ」 喧嘩腰の挨拶を、半九郎は笑いながら受け流した。「はは、そのように怒るなよ。お身はまだ年が若いので、一途(いちず)に人ばかり悪い者のように言うが、兄は兄、おれはおれだ。兄が遊ぶと、おれが遊ぶとは、同じ遊びでも心の入れ方が違うかも知れぬ。いや、それはそれとして、兄も今夜が京の遊び納めであろうから、それを無理に連れて帰ろうとするのは余りにむごい、気の毒だ。おれも今引っ返して荷作りをして来たが、兄の指図を受けずともお身と家来どもの手でどうにかなろう。まあ、今晩ひと晩だけは兄を助けてやれ」「どうにかなる程なら、わざわざ呼びにはまいらぬ」「理屈っぽい男だ。何にも言わずに帰れ、帰れ」「帰ろうと帰るまいと手前の勝手だ」と、源三郎は衝(つ)と起った。 強情に兄のあとを追って行こうとするらしいので、お染ももう見ていられなくなった。彼女は思わず起ち上がって源三郎の袂(たもと)をとらえた。「半さまもあのように言うてござれば、まあ、まあ、お待ちなされませ」「ええ、うるさい。退(の)いておれ」 源三郎は相手をよくも見定めないで、腹立ちまぎれに突き退けると、かよわいお染は跳ね飛ばされたようによろめいて、そこにある膳の上に倒れかかると、酒も肴も一度に飛び散った。半九郎もむっ[#「むっ」に傍点]とした。「やい、源三郎。年下の者と思ってよいほどにあしらっていれば、言いたい三昧(ざんまい)の悪口、仕たい三昧の狼藉、もう堪忍がならぬぞよ。素直に手をさげて詫びて帰ればよし、さもなくば、おのれの襟髪を引っつかんで、狗(いぬ)ころのように門端(かどばた)へ投げ出すぞ」 彼も生まれつきは短気な男であった。しかも酒には酔っていた。それでも普段から自分の弟のように思っている源三郎に対して、今まで出来るだけの堪忍をしていたのであるが、眼の前で自分の女を手あらく投げられた、自分の膳を引っくり返された。彼はもう料簡が出来なくなって、大きい声で相手を叱りつけたのである。源三郎も行きがかりで彼に無礼を詫びようとはしなかった。「はは、そのような嚇(おど)しを怖がる源三郎でない。夜昼となしに兄を誘い出して、あたら侍を腐らせた悪い友達に、何の科(とが)で詫びようか。江戸の侍の面汚(つらよご)しめ。そっちから詫びをせねば堪忍ならぬわ」「なに、おのれはこの半九郎を江戸の侍の面汚しと言うたな。その子細(しさい)を申せ」「それを改めて問うことか。御用を怠って遊里に入りびたる奴、それが武士の手本になるか。武士の面汚しと申したに不思議があるか」「武士の面汚し、相違ないな」「おお、幾たびでも言って聞かせる。菊地半九郎は武士の面汚し、恥さらし、武士の風上には置かれぬ奴だ」 半九郎の眼の色は変った。「おお、よく申した。おのれも武士に向ってそれほどのことを言うからは、相当の覚悟があろうな」「念には及ばぬ。武士にはいつでも覚悟がある」 半九郎は刀をとって突っ立った。「問答無益(むやく)だ。源三郎、河原へ来い」「むむ」 源三郎も負けずに睨み返した。武士と武士とが押っ取り刀で河原へゆく――それが真剣の果し合いであることは、この時代の習いで誰も知っているので、お染は顔の色を変えた。彼女は転げるように二人の侍の間へ割って入った。「なんぼお侍衆じゃというて、些細(ささい)なことから言い募(つの)って真剣の勝負とは、あまりに御短慮でござります。これ、おがみます、頼みます。どうぞもう一度分別して、仲直りをして下さりませ」 拝(おが)みまわる女を源三郎はまた蹴倒した。「女がとめるを幸いに、言い出した勝負をやめるか。卑怯者め」「何の……」と、半九郎は哮(たけ)った。「そう言うおのれこそ逃ぐるなよ」 彼は縁先から庭へ飛び降りると、源三郎もつづいて駈け降りた。 武士と武士との果し合いを、ここらの女どもがどう取り鎮めるすべもないので、お染は息を呑み込んで二人のうしろ影を見送っているばかりであったが、どう考えても落ち着いていられないので、彼女は白い脛(はぎ)にからみつく長い裳(すそ)を引き揚げながら、同じ庭口から二人のあとを追って行った。 小夜時雨(さよしぐれ)、それはいつの間にか通り過ぎて、薄い月が夢のように鴨川の水を照らしていた。     六 素足で河原を踏んでゆく女の足は遅かった。お染は息を切って駈けた。薄月と水明りとに照らされた河原には、二つの刀の影が水に跳(はね)る魚の背のように光っていた。それを遠目に見ていながら、お染はなかなか近寄ることが出来なかった。 二人の刀は入り乱れて、二つの人影は解けてもつれた。お染がだんだん近づくに連れて、鍔(つば)の音までが手に取るように聞えた。と思ううちに、一つの影はたちまち倒れた。一つの影は乗りかかってまた撃ち込んだ。勝負はもう決まったらしいので、お染ははっ[#「はっ」に傍点]と胸が跳(おど)った。彼女は幾たびかつまずきながらようように駈け寄ると、その勝利者はたしかに半九郎と判った。「半さま」と、彼女は思わず声をかけた。「お染か」と、半九郎は振り向いた。「して、相手のお侍は……」「この通りだ」 半九郎は血刀で指さした。女のおびえた眼にはよく判らなかったが、源三郎は肩と腰のあたりを斬られているらしく、河原の小石を枕にして俯向きに倒れていた。そのむごたらしい血みどろの姿を見て、お染はぞっ[#「ぞっ」に傍点]と身の毛が立った。彼女は膝のゆるんだ人のように顫(ふる)えながらそこにべったりと坐ってしまった。 元和(げんな)の大坂落城から僅か十年あまりで、血の匂いに馴れている侍は、自分の前に横たわっている敵の死骸に眼もくれないで、しずかに川の水を掬(く)んで飲んでいた。お染も息が切れて水が欲しかった。「もし、わたしにも……」 彼女は手真似で水をくれといった。足が竦(すく)んでもう歩かれないのであった。半九郎はうなずいて両手に水を掬(すく)いあげたが、今の闘いでさすがに腕がふるえているらしく、女のそばまで運んで来るうちに、水は大きい手のひらから半分以上もこぼれ出してしまった。彼は焦(じ)れて自分の襦袢(じゅばん)の袖を引き裂いた。冷たい鴨川の水は、江戸の男の袖にひたされて、京の女の紅い唇へ注ぎ込まれた。「かよわい女子(おなご)が血を見たら、定めて怖ろしくも思うであろう。どうだ。もう落ち着いたか」「は、はい。これで少しは落ち着きました」 それにつけても、第一に案じられるのは、男の身の上であった。お染は京の町育ちで、もとより武家の掟(おきて)などはなんにも知らなかったが、こうして人間一人を斬り殺して、それで無事に済むか済まないかを、まず確かめて置きたかった。「得心(とくしん)づくの果し合いとはいいながら、お前になんにもお咎めはござりませぬかえ」 武士と武士とが得心づくの果し合いである以上、この時代の習いとして相手を斬れば斬りどくで、それがむしろ侍の手柄でもあった。しかし今夜のような出来事は、これには当て嵌(はま)らなかった。上洛の間は身持ちをつつしみ、都の人に笑わるるなと、江戸を発つ時に支配頭から厳しく申渡されてある。その戒めを破って色里へしげしげと足を踏み込む――それだけでも半九郎らに相当の科(とが)はあった。勿論、それも無事に済んでいれば、誰も大目に見逃していてくれるのであるが、こういう事件が出来(しゅったい)した暁には、その詮議が面倒になるのは判り切っていた。場所は色町(いろまち)、酒の上の口論、しかも朋輩(ほうばい)を討ち果したというのでは、どんな贔屓眼(ひいきめ)に見ても弁護の途(みち)がない。切腹の上に家(いえ)断絶、菊地半九郎は当然その罪に落ちなければならなかった。 半九郎もいまさら後悔した。彼は一時の短気から朋輩を殺してしまった。それも憎い仇ならまだしもであるが、普段から弟のように親しんでいる源三郎をどうして討ち果たす気になったか、今更思えば夢のようであった。彼は酒の酔いがだんだんに醒めるに連れて、自分の罪がそぞろに怖ろしくなった。「侍でも、こうして人を殺せば罪は逃れぬ。尋常に切腹するか、兄の市之助に子細を打明けて、弟の仇と名乗って討たるるか。二つに一つのほかはあるまい」 彼も大きな溜め息をついて、頽(くず)れるように河原に坐ってしまった。 お染は途方にくれた。それでも一生懸命の知恵を絞り出して、男にここを逃げろと言った。この場の有様を見知っている者は自分ひとりであるから、ほかの者の来ないうちに早くここを立ち退いてしまえと勧めた。「何を馬鹿な」と、半九郎は嘲(あざけ)るように答えた。「菊地半九郎はそれほど卑怯な男でない。さしたる意趣(いしゅ)も遺恨(いこん)もないに、朋輩ひとりを殺したからは、いさぎよく罪を引受けるが武士の道だ。ともかくも市之助に逢って分別を決める」 彼は河原づたいに花菱へ引っ返した。お染も痛む足を引摺りながらその後についてゆくと、市之助はもう寝床へはいっていた。「市之助、起きてくれ」 屏風の外からそっと声をかけると、市之助は眠そうな声で答えた。「誰だ。はいれ」「女はいぬか」 こう言いながら屏風をあけた半九郎の顔は、水のように蒼かった。鬢(びん)も衣紋(えもん)も乱れていた。うす暗い灯の影でそれをじっ[#「じっ」に傍点]と見た市之助は、相方のお花を遠ざけて差向かいになった。「半九郎。どうした。人でも斬ったか」と、市之助は小声できいた。 半九郎の着物の膝は、血しぶきにおびただしく染められているのを、彼は早くも見付けたのであった。「推量の通りだ。半九郎は人を斬って来た」「誰を斬った。お染を斬ったか」「いや、女でない。源三郎を斬った」 市之助もぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。彼は寝衣(ねまき)の膝を立て直して又きいた。「なぜ斬った。口論か」「おれも短気、源三郎も短気、ゆるしてくれ」 果し合いの始末を聞かされて、市之助はいよいよ驚いた。「お身と源三郎とが河原へ駈け出したら、お染はなぜ早くおれに教えてくれなんだか。しかしそれを今更いっても返らぬ。そこで半九郎、お身はこれからどうする積りだ」「仇と名乗って討たれに来た。殺してくれ」「弟の仇……見逃す法はない。ここで討つのは当然だが、おれが頼む、逃げてくれ」と、市之助は言った。「お身とおれは竹馬(ちくば)の友だ。源三郎とても同様で、互いに意趣も遺恨もあっての果し合いでない。いわば当座の行きがかりで、討つ者も討たるる者も詰まりは不時の災難だ。さっき弟が迎いに来た時に、おれが素直に戻れば何事もなかったものを……。思えばおれにも罪はある。今更お身を討ち果したとて、死んだ弟が返るでもない。おれは知らぬ振りをしているから、お身はどこへでも早く逃げろ。ここらにうろうろしていては詮議がむずかしい。京を離れたところへ身を隠してしまえ。おれはこれから河原へ行って、弟の死骸を始末して来る。そのあいだに支度しろ」 こう言い聞かせて市之助はすぐに寝衣をぬいだ。着物を着換えて袴を穿いて、大小を腰に差して、急いで表へ出て行った。 取り残された半九郎は、両手を膝において暫く考えていた。 自分を免(ゆる)してくれた市之助の料簡は、彼にもよく判っていた。しかしそれは市之助だけの料簡で、仲のいい朋輩を殺して置いてただそのままに逃げてしまうというのは、自分としては忍ばれないことであった。しょせん自分は逃れることの出来ない罪を背負っている以上、なまじいに逃げ隠れをして捕われるのは恥の上塗(うわぬ)りである。兄が弟の仇を討たぬというならば、自分はいさぎよく自滅するほかはない。半九郎は切腹と決心した。 初冬の夜もしだいに更(ふ)けて、清水寺(きよみずでら)の九つ(午後十二時)の鐘の音が水にひびいた。半九郎は仄暗(ほのぐら)い灯の前に坐って、自分の朋輩の血を染めた刃(やいば)に、更に自分の血を塗ろうとした。それが自分の罪を償(つぐの)う正当の手段であると考えた。 彼がその刀を把(と)り直した時に、屏風のかげから幽霊のような女の顔があらわれた。お染はいつの間にか忍んで来ていたのであった。「お染。聞いていたのか」 お染はそこに泣き伏してしまった。「市之助はおれに隠れろと言う。しかし半九郎にそんなうしろ暗いことは出来ぬ。正直に今ここで切腹する。若松屋のお染の客は人殺しとあすは世上(せじょう)に謳(うた)われて、お身も肩身が狭かろうが、これも因果(いんが)だ。堪忍してくれ」「あの、わたしも一緒に死なして下さりませ」と、彼女は涙をすすりながら言った。「いや、それは無分別。由(よし)ない義理を立てすごして、この半九郎に命までもくれようとは、親姉妹(おやきょうだい)の嘆きも思わぬか。おれには死ぬだけの罪がある。お前には何の係り合いもないことだ。知らぬていにして早く彼方(あっち)へゆけ」と、半九郎は小声で叱った。 叱られても彼女は動かなかった。不仕合せな女に生まれながら、自分はお前というものに取りすがって、今日までこうして生きていたのである。そのお前にいよいよ別れる日が近づいて、自分の心はとうから死んだも同様であった。日本じゅうに二人とない、頼もしい人に引き分かれて、これから先の長い勤め奉公をとても辛抱の出来るものではない。店出しの宵からお前の揚げ詰めで、ほかの客を迎えたことのないわたしは、どこまでもお前ひとりを夫(おっと)として、清い女の一生を送りたいと思っている。それを察して一緒に殺してくれと、彼女は男の膝の前に身を投げ出して泣いた。 半九郎も女の心を哀れに思った。彼も惨(いじ)らしいお染のからだを濁り江の暗い底に長く沈めて置きたくないので、重代の刀を手放しても、彼女を救いあげて親許へ送り帰してやりたいと思っていた。その志は空(くう)になって、しかもその刀で人を殺すような破滅に陥(おちい)った。こうなるからはいっそのこと、女を殺すのは却(かえ)って女を救うので、いわゆる慈悲の殺生(せっしょう)であるかも知れないと考えた。 そう思って、彼は自分の前に俯伏(うつぶ)している若い女の細く白いうなじを今更のようにじっ[#「じっ」に傍点]と眺めた。ふさふさと黒く光った美しい髪の毛を見つめた。今まで彼女を愛していたとはまた一種違った温かい感情が彼の胸にだんだん漲(みなぎ)って来て、総身の若い血潮が燃えあがるようにも感じられた。 半九郎がお染に対して、こうした不思議な感じを覚えたのは実に今夜が初めてであった。今夜の半九郎の眼に映ったお染は、遊女のお染ではなかった。清いおとめのお染であった。武士の妻としても恥かしからぬ一人の清いおとめであった。半九郎は言い知れない幸福を感じた。「お前の心はよく判った。もう泣くな」と、半九郎は女の肩に手をかけて引き起した。「あい」 お染はおとなしく顔をあげた。彼女の眼には涙の玉が美しく光っていた。 二人はその屍(かばね)を揚屋の座敷に横たえようとはしなかった。源三郎のあとを追って、屍を河原に晒(さら)そうともしなかった。いかなる人も遂にゆく鳥辺の山をかれらの墓と定めて、二人はそっと花菱をぬけ出した。 後の作者は二人が死(しに)にゆく姿をえがくが如くに形容して、お染に対しては「女(おんな)肌には白無垢(むく)や上にむらさき藤の紋、中着緋紗綾(なかぎひざや)に黒繻子(くろじゅす)の帯、年は十七初花(はつはな)の、雨にしおるる立姿(たちすがた)」と唄った。半九郎に対しては、「男も肌は白小袖にて、黒き綸子(りんず)に色浅黄うら」と説明した。 一種哀艶の調(しらべ)である。但しこれは少なくも六十余年の後、この唄の作者が住んでいた時代の姿で、この物語にあらわれている男と女との真実の姿ではない。 それでも私たちは「女肌には白無垢や」の唄に因(よ)って、二百余年来かもしなされて来た哀艶の気分をいつまでも打ち毀(こわ)したくない。この物語に二人の服装を一度も説明しなかったのはこれが為である
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