玉藻の前
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著者名:岡本綺堂 

 関白家のさむらい織部清治(おりべきよはる)はあくる日すぐに山科郷へゆき向かって、坂部行綱の侘び住居(ずまい)をたずねた。思いも寄らぬ使者をうけて、行綱もおどろいた。彼は娘が大納言の屋形へ推参(すいさん)したことをちっとも知らなかったのであった。その頃の女のたしなみとして、行綱は娘にも和歌を教えた。しかしそれが当代の殿上人を驚かすほどの名誉の歌人になっていようとは夢にも知らなかった。彼は驚いてまた喜んだ。彼は父に無断で大納言の屋形に推参した娘の大胆を叱るよりも、それほどの才女を我が子にもったという親の誇りに満ちていた。「折角のお召し、身に余ってかたじけのうはござりますけれど……」 言いかけて彼はすこしためらった。貧と病いとに呪われている彼は、関白殿下の御前(ごぜん)にわが子を差し出すほどの準備がなかった。いかに磨かぬ珠だといっても、この寒空にむかって肌薄な萌黄地の小振袖一重で差し出すのは、自分の恥ばかりでない、貴人(あてびと)に対して礼儀を欠いているという懸念(けねん)もあった。使者もそれを察していた。清治は殿よりの下され物だといって、美しい染め絹の大(おお)振袖ひとかさねを行綱の前に置いた。「重々の御恩、お礼の申し上げようもござりませぬ」 行綱はその賜わり物を押し頂いて喜んだ。使者に急(せ)き立てられて、藻はすぐに身仕度をした。門の柿の木の下には清治の供が二人控えていた。いたずら者の大鴉(おおがらす)もきょうは少し様子が違うと思ったのか、紅い柿の実を遠く眺めているばかりで迂闊に近寄って来なかった。「御前、よろしゅうお取りなしをお願い申す」と、行綱は縁端(えんばた)までいざり出て言った。「心得申した。いざ参られい」 藻のあとさきを囲んで、清治と下人(げにん)らが門(かど)を出ようとするところへ、千枝松が来た。彼はまだ病みあがりの蒼い顔をして、枯枝を杖にして草履をひきずりながら辿(たど)って来た。彼は藻をひと目見てあっと驚いたが、そばには立派な侍が物々しい顔をして警固しているので、彼はむやみに声をかけることも出来なかった。となりの陶器師の店の前に突っ立って、彼は見違えるように美しくなった藻の姿を呆れたように眺めていると、陶器師の翁も婆も眼を丸くしてすだれのあいだから窺っていた。 藻はそれらに眼もくれないように、形を正して真っ直ぐにあるいて行った。千枝松はもう堪まらなくなって声をかけた。「藻よ。どこへ行く」 彼女は振り向きもしなかった。一種の不安と不満とが胸にみなぎってきて、千枝松は前後のかんがえもなしに女のそばへ駈け寄った。「これ、藻。どこへゆく」と、彼はまた訊いた。「ええ、邪魔するな。退け、のけ」 清治は扇で払いのけた。勿論、強く打つほどの気でもなかったのであろうが、手のはずみでその扇が千枝松の頬にはた[#「はた」に傍点]とあたった。かれは赫(かっ)となって思わず杖をとり直したが、清治の怖い眼に睨まれてすくんでしまった。藻は知らぬ顔をして悠々とゆき過ぎた。塚(つか)の祟(たた)り    一「おお、入道(にゅうどう)よ。ようぞ見えられた」 関白忠通卿はいつもの優しい笑顔を見せて、今ここへはいって来たひと癖ありそうな小作(こづく)りの痩(やせ)法師を迎えた。法師は少納言通憲(みちのり)入道信西(しんぜい)であった。当代無双の宏才博識として朝野(ちょうや)に尊崇されているこの古(ふる)入道に対しては、関白も相当の会釈をしなければならなかった。ことに学問を好む忠通は日頃から信西を師匠のようにも敬(うやま)っていた。「きょうは藻という世にもめずらしい乙女がまいる筈じゃ。入道もよい折柄(おりから)にまいられた。一度対面してその鑑定をたのみ申したい」と、忠通はまた笑った。「藻という乙女……。それは何者でござるな」と、信西もその険しい眉をやわらげてほほえんだ。「これ見られい。この歌の詠みびとじゃ」 関白の座敷としては、割合に倹素で、忠通の座右(ざゆう)には料紙硯と少しばかりの調度が置かれてあるばかりであった。忠通は一枚の料紙をとり出して入道の前に置くと、信西はその歌を読みかえして、長い息をついた。「なにさまよう仕(つか)まつったのう。ひとり寝の別れという難題をこれほどに詠みいだすものは、世におそらく二人とはござるまい。して、その乙女は何者でござるな。身はうき草の根をたえて、水のまにまに流れてゆく、藻とは哀れに優しい名じゃ」と、彼は再びその料紙を手にとり上げて、見とれるように眺めていた。 それがさきに勅勘を蒙った坂部庄司蔵人行綱の娘であると言い聞かされて、信西はまた眉を皺めた。彼は蔵人行綱の名を記憶していなかった。自分の記憶に残っていないくらいであるから、行綱の人物も大抵知れてあるように思われた。その行綱がこれほどの才女を生み出したというのは、世にも珍しいことである。彼もその藻という乙女をひと目見たいと思った。「では、その乙女をきょう召されましたか」「大納言のことばによれば、世にたぐいないかとも思わるるほどの美しい乙女じゃそうな。一度逢うて見たいと思うて、きょう呼び寄せた。もうやがて参るであろうよ」 幾分か優柔という批難こそあれ、忠通は当代の殿上人(てんじょうびと)のうちでも気品の高い、心ばえの清らかな、まことに天下の宰相(さいしょう)として恥ずかしからぬ人物であった。彼は色を好まなかった。年ももう四十に近い。美しい乙女ということばが彼の口から出ても、それが何のけしからぬ意味をも含んでいないことは相手にもよく判っていた。客もあるじも十六夜(いざよい)の月を待つような、風流なのびやかな、さりとて一種の待ちわびしいような心持で、その美しい乙女のあらわれて来るのを待っていた。「藻が伺候つかまつりました。すぐに召されまするか」 織部清治は来客の手前を憚って、主人の顔色をうかがいながらそっと訊くと、忠通はすぐに通せと言った。やがて清治に案内されて、藻は庭さきにはいって来た。 ここは北の対屋(たいのや)の東の庭であった。午(ひる)すぎの明るい日は建物の大きい影を斜めに地に落として、その影のとどかない築山のすそには薄紅い幾株かの楓(もみじ)が低く繁って、暮れゆく秋を春日絵(かすがえ)のようにいろどっていた。藻はその背景の前に小さくうずくまって、うやうやしく土に手をついた。「いや、苦しゅうない。これへ召しのぼせて藁蓐(わらうだ)をあたえい」と、忠通はあごで招いた。 清治は心得て、藻を縁にのぼらせた。そうして藁の円座を敷かせようとしたが、藻は辞退して板縁の上に行儀よくかしこまった。「予は忠通じゃ。そちは前(さき)の蔵人坂部庄司の娘、藻と申すか」と、忠通は向き直って声をかけた。「仰せの通り、坂部行綱のむすめ藻、初めてお目見得つかまつりまする」 彼女は謹んで答えると、信西も軽く会釈した。「わしは少納言信西じゃ」「遠慮はない。おもてをあげて見せい」 関白に再び声をかけられて、藻はしずかに頭をあげた。彼女の顔は白い玉のように輝いていた。彼女の眉は若い柳の葉よりも細く優しくみえた。彼女の眼は慈悲深い観音のそれよりもやわらかく清げに見えた。その尊げな顔、その優しげなかたち、これが果たして人間の胤(たね)であろうかと、色を好まない忠通も思わず驚歎の息をのんで、この端麗なる乙女の顔かたちをのぞき込むように眺めていた。六十に近い信西入道も我にもあらで素絹(そけん)の襟をかき合わせた。「年は幾つじゃ」と忠通はまた訊いた。「十四歳に相成りまする」「ほう、十四になるか。才ある生まれだけに、年よりまして見ゆる。歌は幾つの頃から誰に習うた」 この問いに対して、藻はあきらかに答えた。自分は字音(じおん)仮名づかいを父に習ったばかりで、これまで定まった師匠に就いて学んだことはない。いわば我流でお恥ずかしいと言った。その偽らない、誇りげのない態度が、いよいよ忠通の心をひいた。彼は更に打ち解けて言った。「なにびとも詠み悩んだ独り寝の別れの難題を、よう仕まつった者には相当の褒美を取らそうと、忠通かねて約束してある。そちには何を取らそうぞ。金(かね)か絹か、調度のたぐいか、なんなりとも望め」 藻の涙は染め絹の袖にはらはらとこぼれた。「ありがたい仰せ。つたない腰折れをさばかりに御賞美下されまして、なんなりとも望めとある、そのおなさけに縋(すが)って、藻一生のお願いを憚りなく申し上げてもよろしゅうござりましょうか」「おお、よい、よい。包まずに申せ」と、忠通は興(きょう)ありげにうなずいた。「父行綱が御赦免(ごしゃめん)を……」 言いかけて、彼女は恐るおそる縁の上に平伏した。忠通と信西とは眼をみあわせた。忠通の声はすこしく陰(くも)った。「優しいことを申すよのう。恩賞として父の赦免を願うか」 この願いは二様(によう)の意味で忠通のこころを動かした。第一は乙女の孝心に感じさせられたのと、もう一つには自分の過去に対する微かな悔み心を誘い出されたのとであった。北面(ほくめん)の行綱に狐を射よと命じたのは自分である。行綱が仕損じた場合に、ひどく気色(けしき)を損じたのも自分である。勅勘とはいえ、そのとき自分に彼を申しなだめてやる心があれば、行綱はおそらく家の職を剥がれずとも、済んだのであろう。勿論、彼にも落度はあるが、さまでに厳しい仕置きをせずともよかったものをと、その当時にもいささか悔む心のきざしたのを、年月(としつき)の経つにつれて忘れてしまった。それが今度の歌から誘い出されて、北面行綱の名が忠通の胸によみがえった。まして自分の眼の前には、美しい乙女が泣いて父の赦免を訴えているではないか。忠通もおのずと涙ぐまれた。「そちの父は勅勘の身じゃ。忠通の一存でとこうの返答はならぬが、その孝心にめでて願いの趣きは聞いて置く。時節を待て」 この時代、関白殿下から直接にこういうお詞(ことば)がかかれば、遅かれ速かれ願意のつらぬくのは知れているので、藻は涙を収めてありがたくお礼を申し上げた。御前の首尾のよいのを見とどけて、清治は藻に退出をうながした。「また召そうも知れぬ。その折りには重ねてまいれよ」 忠通は当座の引出物(ひきでもの)として、うるわしい色紙短冊と、紅葉(もみじ)がさねの薄葉(うすよう)とを手ずから与えた。そうして、この後ともに敷島の道に出精(しゅっせい)せよと言い聞かせた。藻はその品々を押しいただいて、清治に伴われて元の庭口からしずかに退出した。「さかしい乙女じゃ、やさしい乙女じゃ。独り寝の歌をささげたも、身の誉れを求むる心でない。父の赦免を願おうためか。さりとは哀れにいじらしい」と、忠通は彼女のうしろ姿をいつまでも見送って再び感歎の溜息を洩らした。 信西は黙っていた。定めてなんとか相槌(あいづち)を打つことと思いのほか、相手は固く口を結んでいるので、忠通はすこし張り合い抜けの気味であった。彼は信西の返事を催促するように、また言った。「あれほどの乙女を草の家(や)に朽ちさするはいとおしい。眉目形(みめかたち)といい、心ばえといい、世にたぐいなく見ゆるものを……。のう、入道。あれをわが屋形に迎い取って教え育て、ゆくゆくは宮仕えをもさしょうと思うが、どうであろうな」 信西は眼をとじて黙っていた。彼の険しい眉は急に縮んだかと思われるように迫ってひそんで、ひろい額(ひたい)には一本の深い皺を織り込ませていた。彼が大事に臨んで思案に能(あた)わぬ時に、いつもこうした物凄い人相を現わすことを忠通もよく知っていた。知っているだけに、なんだか不思議にも不安にも思われた。「入道。どうかおしやれたか」 重ねて呼びかけられて、信西は初めて眼をひらいたが、何者をか畏(おそ)るるようにその眼を再び皺めて、しばらくは空(くう)をにらんでいた。そうして、呻(うめ)くようにただひと言いった。「不思議じゃのう」 それは藻が屋形の四足門を送り出された頃であった。    二 千枝松は自分の家へいったん帰って、日のかたむく頃にまた出直して来た。彼は藻が見違えるような美しい衣(きぬ)を着て、見馴れない侍に連れてゆかれるのを見て、驚いて怪しんでその子細を聞きただそうとしたが、藻は彼には眼もくれないで行き過ぎてしまった。侍は扇で彼を打った。くやしいと悲しいとが一つになって、彼の眼にはしずくが宿った。彼は藻のひと群れのうしろ姿が遠くなるまで見送っていたが、それからすぐに藻の家へ行った。藻が関白の屋形へ召されたことを父の行綱から聞かされて、彼もようやく安心したが、屋形へ召されてからさてどうしたか、彼の胸にはやはり一種の不安が消えないので、家(うち)へ帰っても落ち着いていられなかった。「病みあがりじゃ。もう日が暮るるにどこへゆく」と、叔母が叱るのをうしろに聞き流して、千枝松はそっと家をぬけ出した。 もう申(さる)の刻を過ぎたのであろう。綿のような秋の雲は、まだその裳(もすそ)を夕日に紅く染めていたが、そこらの木蔭からは夕暮れの色がもうにじみ出してきて、うすら寒い秋風が路ばたのすすきの穂を白くゆすっていた。千枝松はけさとおなじように枯枝を杖にしてたどって来ると、陶器師の翁は門(かど)に立って高い空をみあげていた。「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。また来たか。藻はまだ戻るまいぞ」と、翁は笑いながら言った。「まだ戻らぬか」と、千枝松は失望したように翁の顔を見つめた。「関白殿の屋形へ召されて、今頃まで何をしているのかのう」「ここから京の上(かみ)まで女子の往き戻りじゃ。それだけでも相当のひまはかかろう。どうでも藻に逢いたくば、内へはいって待っていやれ。暮れるとだんだん寒うなるわ」 翁は両手をうしろに組みあわせながら、くさめを一つして簾(すだれ)のなかへ潜(くぐ)ってはいった。千枝松も黙って付いてはいると、婆は柴を炉にくべていた。「病みあがりに朝晩出あるいて、叔母御がなんにも叱らぬかよ」と、婆はけむそうな眼をして言った。「おまえも藻にはきつい執心(しゅうしん)じゃが、末は女夫(めおと)になる約束でもしたのかの」 千枝松の顔は今燃え上がった柴の火に照らされて紅(あか)くなった。彼は煙りを避けるように眼を伏せて黙っていた。「そりゃ銘々の勝手じゃで、わしらの構うたことではないが、お前知っていやるか。この頃の藻の様子がどうも日頃とは違うている。現にこのあいだの夜もお前や爺さまにあれほどの世話を焼かせて、その明くる朝ゆき逢うても碌々に会釈もせぬ。今までのおとなしい素直な娘とはまるで人が違うたような。のう、爺さま」 人の好い翁は隣りの娘の讒訴(ざんそ)をもう聞き飽きたらしい。ただ黙ってにやにや笑っていた。その罪のない笑顔と、意地悪そうな婆の皺づらとを見くらべながら、千枝松はやはり黙って聞いていると、婆は更に唇をそらせて、そのまだらな歯をむき出した。「まだそればかりでない。わしは不思議なことを見た。おとといの宵に隣り村まで酒買いにゆくと、そこの川べりの薄(すすき)や蘆(あし)が茂ったなかに、藻が一人で立っていた。立っているだけなら別に子細もないが、片手に髑髏(されこうべ)を持って、なにやら頭の上にかざしてでもいるような。わしも薄気味が悪うなって、そっとぬき足をして通り過ぎた」 その髑髏はかの古塚から抱えてきたものに相違ないと千枝松はすぐに覚ったが、藻がいつまでもそれを大切に抱えていて、なぜそんな怪しい真似をしていたのか、それは彼にも判らなかった。「わしもその後しばらく藻に逢わぬが、毎晩そのようなことをしているのであろうか」と、千枝松は心もとなげに婆に訊いた。「わしも知らぬ。わしの見たのはただ一度じゃ。なぜそのようなことをしていたのか、お前逢うたらきいてお見やれ」「はは、なんのむずかしく詮議することがあろうか」と、翁は急に笑い出した。「宵の薄暗がりで婆めが何か見違えたのじゃ。さもなくば、人の見ぬ頃をはかって、そこらの川へ捨てに行ったのであろう。髑髏を額にかざして冠(かんむり)にもなるまいに。ははははは」 むぞうさに言い消されて、婆は躍気(やっき)となった。彼女は手真似をまぜてその時のありさまを詳しく説明した。その間に彼は幾たびか柴の煙りにむせた。「なんの、わしが見違えてよいものか。藻はたしかに髑髏を頭に頂いていたのじゃ」「こりゃじい様のいう通り、なにかの見違えではあるまいかのう」と、千枝松は不得心らしい顔をして側から喙(くち)をいれた。 左右に敵を引き受けて、婆はいよいよ口を尖らせた。「はて、お前らは見もせいで何を言うのじゃ。わしはその場へ通りあわせて、二つの眼でたしかにそれを見とどけたのじゃ」「見たというても老いの眼じゃ。その魚(さかな)のような白い眼ではのう」と、千枝松はあざ笑った。「なんじゃ、さかなの眼じゃ」と、婆は膝を立て直した。「これでもわしの眼は見透しじゃ。お前らのような明盲と一つになろうかい」「なにが明きめくらじゃ」と、千枝松も居直った。「そんならわしを、さかなの眼となぜ言やった」「そのように見ゆるから言うたのじゃ」 二人が喧嘩腰になって口から泡をふこうとするのを、翁は又かというように笑いながらしずめた。「はて、もうよい、もうよい。隣りの娘が髑髏を頂こうと、抱えようと、わしらになんの係り合いもないことじゃ。角目(つのめ)立って争うほどのこともないわ。千枝ま[#「ま」に傍点]はとかくに婆めと仲がようないぞ。二人を突きあわせて置いては騒々しくてならぬ。千枝ま[#「ま」に傍点]はもう帰って、あしたまた出直して来やれ」「そうじゃ。爺さまがこんな阿呆を誘い入れたのが悪い」と、婆は焚火越しに睨んだ。「ここはわしらの家じゃ。お前を置くことはならぬ。早う帰ってくりゃれ」「おお、帰らいでか。わしがことを阿呆とよう言うたな。おのれこそ阿呆の疫病婆じゃ」 呶鳴り散らして、千枝松はそこをつい[#「つい」に傍点]と出ると、外はもう暮れていた。その薄暗いなかに女の顔がほの白く浮かんで見えた。女は小声で彼の名を呼んだ。「千枝ま[#「ま」に傍点]」 それは藻であった。千枝松はころげるように駈け寄った。「おお、藻。戻ったか」「お前、隣りの家で何かいさかいでもしていたのか。阿呆の、疫病のと、そのような憎て口は言わぬものじゃ」「じゃというて、あの婆め。何かにつけてお前のことを悪う言う。ほんにほんに憎い奴じゃ。今もお前が髑髏を頭に乗せていたの何のと、見て来たように言い触らしてわしをなぶろうとしいる」と、千枝松はうしろを見返って罵るように言った。 藻は案外におちついた声で言った。「あの婆どのもお前がいうように悪い人でもない。わたしが髑髏を持っているところを、婆どのは確かに見たのであろう。その訳はこうじゃ。このあいだの晩、わたしが枕にしていた白い髑髏はどこの誰の形見か知らぬが、わたしの身に触れたというも何かの因縁(いんねん)じゃ。回向(えこう)してやりたいと思うて持ち帰って、仏壇にそっと祀って置いたを父(とと)さまにいつか見付けられて、このような穢(けが)れたものを家(うち)へ置いてはならぬ。もとのところへ戻して来いと叱られたが、あの森へは怖ろしゅうて二度とは行かれぬ。おまえに頼もうと思うても、あいにくにお前は見えぬ。よんどころなしにあの川べりへ持って行って普門品(ふもんぼん)を唱(とな)えて沈めて来た。となりの婆どのは丁度そこへ通りあわせて、わたしが髑髏を押し頂いているところを見たのであろう。訳を知らぬ人が見たら不思議に思うも無理はない。婆どのはお前をなぶろうとしたのではない。ほんのことを正直に話したのじゃ」「そうかのう」 千枝松もはじめてうなずいた。藻が薄暗い川べりに立って髑髏をかざしていた子細も、これで判った。陶器師の婆が根もないことを言い触らしたのでないという証拠もあがった。彼は一時の腹立ちまぎれに喧嘩を売って、人のよいじいさまの気を痛めたことを少し悔むようになってきた。「それからきょうは関白殿の屋形へ召されて、御前(ごぜん)の首尾はどうであった」「首尾は上々(じょうじょう)じゃ」と、藻は誇るように言った。「色紙やら短冊やらいろいろの引出物をくだされた。帰りも侍衆が送って来てくれたが、侍衆の話では、わたしをお屋形へ御奉公に召さりょうも知れぬと……」「なんじゃ、御奉公に召さるると……。して、その時はどうするつもりじゃ」と、千枝松はあわただしく訊いた。「どうするというて……。ありがたくお受けするまでじゃ。もしそうなれば思いも寄らぬ身の出世じゃと、父(とと)さまも喜んでいやしゃれた」 秋の宵闇は二人を押し包んで、女の白い顔ももう見えなくなった。その暗い中から彼女の顔色を読もうとして、千枝松は梟(ふくろう)のように大きい眼をみはった。「お受けする……。関白殿の屋形へまいるか。お宮仕えは一生の奉公と聞いておる。それほどで無うても、三年や五年でお暇(いとま)は下されまいに、お前はいつここへ戻って来るつもりじゃ」「それはわたしにも判らぬ。三年か五年か、八年か十年か、一生か」と、藻は平気で答えた。 それでは約束が違うと言いたいのを、千枝松はじっと噛み殺して、しばらく黙っていた。勿論、二人のあいだに表向きの約束はない。行く末はどうするということを、藻の口からあらわに言い出したこともない。父の行綱も娘をお前にやろうと言ったことはない。しょせんは言わず語らずのうちに千枝松が自分ぎめをしていたに過ぎないのである。この場合、彼は藻にむかって正面からその違約を責める権利はなかった。しかし彼は悲しかった。口惜しかった。腹立たしかった。どう考えても藻を宮仕えに出してやりたくなかった。「その身の出世というても、出世するばかりが人間の果報でもあるまいぞ。奉公などやめにしやれ」と彼は率直に言った。 藻はなんにも言わなかった。「いやか。どうでも関白殿の屋形へまいるのか」と、千枝松は畳みかけて言った。「わしの叔母御のところへ来て烏帽子を折り習いたいというたは嘘か。お前はわしに偽(いつわ)ったか」 彼はこの問題をとらえて来て、女の違約を責める材料にしようと試みたが、それは手もなく跳ね返された。「そりゃ御奉公しようとも思わぬ昔のことじゃ」「その昔を忘れては済むまい」 暗いなかでは女の顔色を窺うことはできないので、千枝松はじれて藻の手をつかんだ。そうして隣りの陶器師の門までひいてゆくと、炉の火はまばらな簾を薄紅く洩れて、女の顔が再び白く浮き出した。千枝松はその顔をのぞき込んで言った。「これほど言うてもお前はきかぬか。わしの頼みを聞いてくれぬか。のう、藻。わしは来年は男になって、烏帽子折りの商売(あきない)をするのじゃ。わしが腕かぎり働いたら、お前たち親子の暮らしには事欠かすまい。宮仕えなどして何になる。結局は地下(じげ)で暮らすのが安楽じゃ。第一おまえが奉公に出たら、病気の父御(ててご)はなんとなる。誰が介抱すると思うぞ。わが身の出世ばかりを願うて、親を忘れては不孝じゃぞ」 第一の抗議で失敗した彼は、さらに孝行の二字を控え綱にして、女の心をひき戻そうとあせったが、それもすぐに切り放された。「わたしが奉公するとなれば、父(とと)さまの御勘気も免(ゆ)るる。殿に願うて良い医師(くすし)を頼むことも出来る。なんのそれが不孝であろうぞ」 千枝松はあとの句を継ぐことが出来なくなった。 藻は勝ち誇ったように笑った。「おまえとも久しい馴染みであったが、もうこれがお別れになろうも知れぬ。今もお前が言うた通り、来年は男になって、叔父さまや叔母さまに孝行しなされ」 彼女は幽霊のように元の闇に消えてしまった。    三 千枝松はその晩眠らずに考えた。「陶器師の婆の言うたに嘘はない。藻はむかしの藻でない。まるで生まれ変わった人のような」 あしたはもう一度たずねて行って、今度はなんといって口説き伏せようかと、彼は疲れ切った神経をいよいよ尖らせて、秋の夜長をもだえ明かした。あかつきの鶏の啼く頃から彼は又もや熱がたかくなった。「それお見やれ。しかと癒り切らぬ間(ま)にうかうかと夜歩きをするからじゃ」と、彼は叔母から又叱られた。叔父からも命知らずめと叱られた。 そうして、四日ばかりは外出を厳しく戒められた。 いかにあせっても、千枝松は動くことが出来なかった。四日目の朝には気分が少し快くなったので、叔母が買物に出た留守を狙って、彼は竹の杖にすがって家を這い出した。三、四日のうちに今年の秋も急に老(ふ)けて、畑の蜀黍(もろこし)もみな刈り取られてしまったので、そこらの野づらが果てしもなく遠く見渡された。千枝松は世界が俄に広くなったように思った。そうして、晴ればれしいというよりも、なんだか頼りないような悲しい思いに涙ぐまれた。彼は重い草履を引きずってとぼとぼと歩いて来た。 藻の門(かど)の柿の梢がようように眼にはいったと思う頃に、彼は陶器師の翁に逢った。翁は野菊の枝を手に持って、寂しそうに俯(うつ)向き勝ちに歩いていた。ふたりは田圃路のまん中で向かい合った。「じいさま。どこへゆく」 挨拶なしで行き違うわけにもいかないので、千枝松の方からまず声をかけると、翁はゆがんだ烏帽子を押し直しながら、いつもの通りに笑っていたが、その頤(あご)には少し痩せがみえた。「これじゃ。婆の墓参りじゃ」と、彼は手に持っている紅い花を見せた。「婆どのが死んだか」と、千枝松もさすがに驚かされた。「いつ死なしゃれた。急病か」「おお、丁度おまえが来て、いさかいをして帰った晩じゃ」 その夜ふけにそっと戸を叩いた者がある。婆はいつもの寝坊に似合わず、すぐに起きて戸をあけた。外には誰が立っていたのか知らないが、彼女はそのままするり[#「するり」に傍点]と表へ出て行って、夜の明けるまで帰って来なかった。翁も不思議に思って近所に聞き合わせたが、なにぶんにも夜更けのことで誰も知っている者はなかった。だんだんあさり尽くした揚げ句に、翁はふと過日(かじつ)の杉の森を思いついて、念のために森の奥へはいってみると、婆は藻と同じようにかの古塚の下に倒れていた。しかし彼女は何者にか喉を啖(く)い破られていて、とてもその魂を呼びかえすすべはなかった。葬いは近所の人たちの手を借りて、その明くる日の夕方にとどこおりなく済ませたと、翁も顔をくもらせながら話した。 千枝松も眉を寄せて、この奇怪な物語に耳をかたむけていると、翁はまた言った。「わしの考えでは、それもみんな古塚の祟りじゃ。わしらがあの森の奥へむざと踏み込んだので、その祟りがわしの身にはかからいで、婆の上に落ちかかって来たのじゃ。婆めは塚のぬしにひき寄せられて、あの森の奥に屍(しかばね)をさらすようになったのであろう。千枝ま[#「ま」に傍点]よ、お前もまんざら係り合いがないでもない。婆めはあの丘の裾に埋めてある。暇があったら一度はその墓を拝んでやってくれ。生きている間は仇同士のようにしていても、死ねば仏じゃ。どうぞ回向(えこう)を頼むぞよ」 こう言っているうちに、翁はだんだんにふだんの笑顔にかえった。しかし千枝松は笑っていられなかった。俄に物の祟りということが怖ろしくなってきて、さらでも寒い朝風に吹きさらされながら彼は鳥肌の身をすくめた。「それは気の毒じゃ。わしもきっと拝みにゆく」 翁に別れてふた足三足行きかかると、彼はあとから呼び戻された。「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。まだ言い残したことがある。藻(みくず)はもう家にいぬぞよ」 千枝松の顔色は変わった。翁は戻って来て気の毒そうに言った。「婆めの弔いのときには藻も来て手伝うてくれたが、その明くる日に、都から又お使いが来たそうで、すぐに御奉公にあがることに決まって、きのうの午頃(ひるごろ)にいそいそして出て行ったよ」 渡り鳥が二人の頭の上を高くむらがって通ったので、翁は思わず空をみあげた。千枝松は俯向いてくちびるを噛んでいた。「詳しいことは庄司どのにきいてお見やれ。婆がいなくなったので寂しゅうてならぬ。わしが家へも相変わらず遊びに来てくれよ」 千枝松はうなずいて別れた。 仇のように憎んでいた疫病婆でも、その死を聞けばさすがに悲しかった。その奇怪な死にざまは更に怖ろしかった。しかし今の千枝松に取っては、婆の死も塚の祟りももう問題ではなかった。彼は半分夢中で藻の家へ急いでゆくと、行綱は蒲団の上に起き直っていた。「おお、いつも見舞うてくれてかたじけない」と、行綱はいつになく晴れやかな眼をして言った。「そなたと仲好しであった藻は、関白殿の屋形へ召されて行った。わしもまだ起き臥しも自由でない身の上で、介抱の娘を手放してはいささか難儀じゃと思うたが、第一にはあれの出世にもなること、ひいてはわしの仕合わせにもなることじゃで、思い切って出してやった。行く末のことは判らぬが、一度御奉公に召されたからは五年十年では戻られまい。そなたも藻とは久しい馴染みじゃ。娘の出世を祝うてくりゃれ」 千枝松はもう返事が出なかった。聞くだけのことを聞いてしまって、彼はすぐに外へ出ると、門の柿の梢には鴉のついばみ残した大きい実が真っ紅にただれて熟して、その腐った葉が時どきにはらはらと落ちていた。彼は陰った眼をあげてその梢をみあげているうちに、熱い涙が頬を伝って流れ出した。 藻は自分を捨てて奉公に出てしまった。五年十年、あるいはもう一生戻らないかもしれない。それを思うと、彼はむやみに悲しくなった。来年から一人前の男になって烏帽子折りのあきないに出るという楽しみも、藻というものがあればこそで、その藻が鳥のように飛んで行ってしまって、再び自分の籠(かご)には戻らないと決まった以上、自分はこの後になにを楽しみに働く。なにを目あてに生きてゆく。千枝松はこの世界が俄に暗黒になったように感ずると同時に、まだほんとうに癒り切らない病いの熱がまた募ってきた。彼の総身(そうみ)は火に灼(や)かれるように熱くなった。彼は息苦しいほどに喉がかわいてきたので、隣りの陶器師のうちへ転げ込んで一杯の水を飲もうとしたが、翁の留守を知っているので、さすがに遠慮した。彼は杖を力にして近所の川べりへさまよって行った。 ここは藻と一緒にたびたび遊びに来た所である。このあいだも十三夜のすすきを折りに来た所である。二人が睦まじくならんで腰をかけた大きい柳はそのままに横たわって、秋の水は音もなしに白く流れている。千枝松は水のきわに這い寄って、冷たい水を両手にすくってしたたかに飲んだが、総身はいよいよ燃えるようにほてって、眼がくらみそうに頭がしんしんと痛んで来た。彼はもう立って歩くことが出来なくなったので、杖をそこに捨ててしまった。蟹のように這ってあるいて、枯れた蘆やすすきの叢(むら)をくぐって、ともかく往来まで顔を出したが、彼はまた考えた。「もういっそ、死んだがましじゃ」 藻を失った悲しみと病いにさいなまるる苦しみを忘れるために、いっそこの水の底へ沈んでしまおうと、彼は咄嗟(とっさ)のあいだに覚悟をきめた。彼は再び水のきわへ這い戻って、蒼ざめた顔を水に映した一刹那に、うしろからその腰のあたりを引っ掴んで不意にひき戻した者があった。「これ、待て」 それは下部(しもべ)らしい小男であった。くずれた堤の上にはその主人らしい男が立っていた。もう争うほどの力もない千枝松は、子供につかまれた狗(いぬ)ころのように堤のきわまでずるずると曳き摺られて行った。「お前はそこに何をしている」と、主人らしい男は彼に徐(しず)かに訊いた。男は三十七、八でもあろう。水青の清らかな狩衣(かりぎぬ)に白い奴袴(ぬばかま)をはいて、立(たて)烏帽子をかぶって、見るから尊げな人柄であった。彼は鼻の下に薄い髭をたくわえていた。優しいながらもどこやらに犯し難(がた)い威をもった彼の眼のひかりに打たれて、千枝松は土に手をついた。「見れば顔色もようない」と、男は重ねて言った。「おまえは怪異(あやかし)に憑(つ)かれて命をうしなうという相(そう)が見ゆる。あぶないことじゃ」「殿のおたずねじゃ。つつまず言え。おのれ入水(じゅすい)の覚悟であろうが……」と、下部は叱るように言った。「わしは播磨守泰親(はりまのかみやすちか)じゃ。何者の子か知らぬが、おまえの命を救うてやりたい。死ぬる子細をつぶさに申せ」 泰親の名を聴いて、千枝松もおもわず頭をあげて、自分の前に立っているその人の顔を恐るおそる仰いで視た。播磨守泰親は陰陽博士(おんようはかせ)安倍晴明(あべのせいめい)が六代の孫で、天文亀卜(きぼく)算術の長(おさ)として日本国に隠れのない名家である。その人の口からお前には怪異が憑いていると占われて、千枝松はいよいよ怖ろしくなった。 彼は泰親の前で何事もいつわらずに語った。泰親は眼をとじてしばらく勘考(かんこう)していたが、やがて又徐(しず)かに言った。「その藻とやらいう女子(おなご)の住み家はいずこじゃ。案内せい」 泰親はなにやら薬をとり出してくれた。それを飲むと千枝松は俄に神気(しんき)がさわやかになった。彼は下部にたすけられて行綱の家の前までたどってゆくと、泰親は立ち停まって家のまわりを見廻した。それから更に眉を皺めて家の上を高く見あげた。「凶宅(きょうたく)じゃ」 柿の梢にはいつもの大きい鴉が啼いていた。花(はな)の宴(うたげ)    一 それから年のこよみが四たび変わって、仁平(にんぺい)二年の春が来た。 この三、四年は疫病神(やくびょうがみ)もどこへか封じ込められて、そのあらぶる手を人間の上に加えなかった。ややもすれば神輿(じんよ)を振り立てて暴れ出す延暦寺の山法師どもも、この頃はおとなしく斎(とき)の味噌汁をすすって経を読んでいるらしい。長巻(ながまき)のひかりも高足駄の音も都の人の夢を驚かさなかった。検非違使(けびいし)の吟味が厳しいので盗賊の噂も絶えた。火事も少なかった。嵐もなかった。この世の乱れも近づいたようにおびえていた平安朝末期の人の心もいつか弛(ゆる)んで、再び昔ののびやかな気分にかえると、そのゆるんだ魂(たま)の緒(お)を更にゆるめるように、ことしの春はうららかに晴れた日がつづいた。野にも山にも桜をかざして群れ遊ぶ人が多いので、浮かれた蝶はその衣(きぬ)の香を追うに忙しかった。 関白忠通卿が桂の里の山荘でも、三月のなかばに花の宴(うたげ)が催された。氏(うじ)の長(おさ)という忠通卿の饗宴に洩れるのは一代の恥辱であると言い囃(はや)されて、世にあるほどの殿上人は競ってここに群れ集まった。濡るるとも花の蔭にてという風流の案内であったが、春の神もこの晴れがましい宴(うたげ)の莚(むしろ)を飾ろうとして、この日は朝から美しい日の光りが天にも地にも満ちていた。 風流の道にたましいを打ち込んで、華美(はで)がましいことを余り好まなかった忠通も、おととし初めて氏(うじ)の長者(ちょうじゃ)と定められてからおのずと心も驕(おご)って来た。世の太平にも馴れて来た。この当時の殿上人が錦を誇る紅葉(もみじ)のなかで、彼は飾りなき松の一樹と見られていたのが、いつか時雨(しぐれ)に染められて、彼もまた次第に華美を好むように移り変わって来た。もう一つには藤原氏の長者という大いなる威勢をひとに示そうとする政略の意味も幾分かまじって、きょうの饗宴は彼として実に未曽有(みぞう)の豪奢を極めたものであった。かねてこうと大かたは想像して来た賓客(まろうど)たちも、予想を裏切らるるばかりの善美の饗応(もてなし)には、そのやわらかい胆(きも)をひしがれた。あるじは得意であった。客もむろん満足であった。 思い思いに寄りつどって色紙や短冊に筆を染める者もあった。管絃(かんげん)の楽(がく)を奏する者もあった。当日の賓客は男ばかりではこちたくて興(きょう)が薄いというので、なにがしの女房たちや、なにがしの姫たちもみな華やかなよそおいを凝らして、その莚に列(つら)なっていた。その美しい衣の色や、袖の香や、楽の音(ね)や、それもこれも一つになって、あぶるように暖かい春のひかりの下に溶けて流れて、花も蝶も鶯も色をうしない声をひそめるばかりであった。 これもその美しい絵巻物のなかから抜け出して来た一人であろう。縹色(はないろ)の新しい直衣(のうし)を着た若い公家(くげ)が春風に酔いを醒ませているらしく、水にただよう花の影をみおろしながら汀(みぎわ)の白い石の上に立っていると、うしろからそっと声をかけた者があった。男は振り向いて立烏帽子のひたいを押し直した。「玉藻(たまも)の前(まえ)。きょうはいろいろの御款待(おんもてなし)、なにかと御苦労でござった」 若い公家は左少弁兼輔(さしょうべんかねすけ)であった。色の白い、髯(ひげ)の薄い優雅の男振りで、詩文もつたなくない、歌も巧みであった。そのほかに絵もすこしばかり描いた。笛もよく吹いた。当代の殿上人のうちでも風流男(みやびおとこ)の誉れをうたわれて、なんの局(つぼね)、なんの女房としばしばあだし名を立てられるのを、ひとにも羨(うらや)まれ、彼自身も誇らしく考えていた。 その風流男の前に立って恥じらう風情もなしに心易げに物をいう女子(おなご)は、人間の色も恋もとうに忘れ果てた古(ふる)女房か、但しは色も風情も彼に劣らぬという自信をもった風流乙女(みやびおとめ)か、二つのうちの一つでなければならなかった。彼と向き合っている女子は確かに後の方の資格を完全にそなえていた。「なんの御会釈(ごえしゃく)に及びましょう。おんもてなしはわたくしどもの役目、何事も不行届きで申し訳がござりませぬ。この頃の春の日の暮るるにはまだ間(ひま)もござりましょう。あちらの亭(ちん)へお越しなされて、今すこし杯をお過ごしなされてはいかが。わたくし御案内を仕まつります」「いや、折角ながら杯はもう御免くだされ。先刻からいこう酔いくずれて、みだりがましい姿を人びとに見せまいと、この木蔭(こかげ)まで逃げてまいったほどじゃ」と、兼輔は扇を額(ひたい)にかざしながらほほえんだ。「と申さるるは嘘で、誰やらとここで出逢う約束と見えました。そういうことなら、わたくし何時(いつ)までもここにいて、お前がたの邪魔しますぞ」と、女も扇を口にあてて軽く笑った。「これは迷惑。われらには左様な心当ては少しもござらぬ。唯ここにさまよい暮らして、物いわぬ花のかげを眺めているばかりじゃ。おなぶりなさるな」 まじめらしく言い訳する男の顔を、女はやはり笑いながらじっと見入っていた。遠い亭座敷から笛の声がゆるく流れて来て、吹くともない春風にほろほろと零(こぼ)れて落ちる桜の花びらが、女の鬢(びん)の上に白く宿った。 女は玉藻の前であった。坂部庄司蔵人行綱の娘の藻が関白忠通卿の屋形に召し出されて、侍女(こしもと)の一人に加えられたのは、彼女が十四の秋であった。当代の賢女と言い囃されていた忠通の奥方は、それから間もなくにわかに死んだ。忠通もその後無妻であったので、美しいが上にさかしい藻は主人(あるじ)の卿の寵愛を一身にあつめて、ことし十八の花の春をむかえた。奉公の後も忠通はむかしのままに藻という名を呼ばせていたが、玉のように清らかな彼女のかんばせは早くも若公家ばらの眼をひいて、誰が言い出したともなしに、彼女の名の上には玉という字がかぶらせられた。それがだんだんに言い慣わされて、あるじの忠通すらも今では彼女を玉藻と呼ぶようになった。才色たぐいなきこの乙女を自分の屋形にたくわえてあるということが、あるじの一種の誇りとなって、客のあるごとに忠通は玉藻を給仕に召した。かりそめの物詣でや遊山(ゆさん)にもかならず玉藻を供に連れて出た。忠通がこの頃ようやく華美の風に染みて来たのも玉藻を近づけてから後のことであった。 玉藻が外から帰って来ると、長い袂はいつも重くなっていた。その袂へ人知れずに投げ込まれたかずかずの文(ふみ)や歌には、いずれもあこがれた男どもの魂がこもっていたが、玉藻は一度も返しをしなかった。それでも根気よくまつわって来る者が多いので、彼女の袂はきょうもよほど重くなっているらしかった。それを察して、今度は兼輔の方からなぶるように言った。「のう、玉藻の前。きょうはお身の袂も定めて重いことでござろう。身投げするものは袂に小石を拾うて入るるとかいうが、お身のように重い袂を持っている者が迂闊にこの流れに陥(おちい)ったら、なかなか浮かびあがられまい。気をつけたがようござるぞ」 精いっぱい軽口(かるくち)のつもりで彼は自分から笑ってかかると、玉藻も堪えられないように、扇で顔をかくしながら言った。「そりゃお身さま御自身のことじゃ。わたくしのような端下者(はしたもの)が何でそのような……。現在の証拠はお身さまこそ、さっきから人待ち顔にここに忍んでござるでないか」 今度は別に言い訳をしようともしないで、兼輔は唯にやにやと笑っていた。実をいうと、彼もそういう心構えがないでもない。自分ほどの者がまどいを離れて、こうして一人でさまよっているからには、誰か慕い寄って来る女があるに相違ないと、誰をあてともなしに待ち網を張っているところへ、思いのほかの美しい人魚が近寄って来たのであった。彼はどうしてこの獲物を押さえようかとひそかに工夫を練っていた。「うたがいも人にこそよれ、兼輔はさような浮かれた魂を抱えた男でござらぬ。そういうお身はなにしにここへ参られた。われらこそここにおってはお邪魔であろうに……。ほんにそうじゃ。お身が先刻あちらの亭へゆけと言われたは、その謎か。それを悟らで、うかうかと長居したは、われらの不粋(ぶすい)じゃ。ゆるしてくだされ」 相手の心をさぐるつもりであろう。彼は笑いにまぎらせて徐(しず)かにここを立ち去ろうとすると、その袂はいつか白い手につかまれていた。「お身さま、御卑怯じゃ」 兼輔は相手の心をはかりかねて、黙って立ち停まった。「殿上人のうちでも、風流の名の高いお身さまじゃ。女子(おなご)をなぶるは常のことと思うてもいらりょうが、もしここに浅はかな一途(いちず)な女子があって、なぶらるるとは知らいで思いつめたら、お身さまそれをどうなされまする」「われらは正直者、ひとをなぶった覚えはござらぬ」と、兼輔は眼で笑いながら空うそぶいた。「いや、無いとは言わせませぬ。お身さま、これを御存じないか」 玉藻は丁寧に畳んだ短冊をふところから探り出して、男の眼の前につきつけた。嬉しいと、さすがに恥ずかしいとが一つになって、兼輔は顔の色をすこし染めた。「お身さまは御卑怯と言うたが無理か。この歌の返しを申し上げようとて人目を忍んでまいったものを、お身さまはむごく突き放して逃ぎょうとか」 妖艶な瞳(ひとみ)のひかりに射られて、兼輔は肉も骨も一度にとろけるように感じた。玉藻は笑いながらその短冊を再び自分のふところに収めると、若い公家の魂もそれと一緒に、女のふところへ吸い込まれてしまった。    二「お身さまの叔父御は法性寺(ほっしょうじ)の隆秀阿闍梨(りゅうしゅうあじゃり)でおわすそうな。世にも誉れの高い碩学(せきがく)の聖(ひじり)、わたくしも一度お目見得して、眼(ま)のあたりに教化(きょうげ)を受けたい。お身さま御案内してくださらぬか」と、玉藻は思い入ったように言った。それは、彼女の口から恋歌の返しを兼輔の耳にそっとささやいた後であった。「ほう、法性寺の叔父にお身はまだ一度も逢われぬか」と、兼輔はすこし不思議そうな顔をした。 法性寺は誰も知る通り、関白家建立(こんりゅう)の寺である。忠通卿の尊崇なおざりでないことは兼輔もかねて知っていた。その寺の尊い阿闍梨に、玉藻が一度も顔をあわせていないというのは、なんだか理屈に合わないようにも思われた。「阿闍梨は女子(おなご)がきついお嫌いそうな」と、玉藻はそれを説明するように寂しくほほえんだ。 甥の兼輔とは違って、叔父の隆秀阿闍梨は戒律堅固の高僧であった。彼は得度(とくど)しがたき悪魔として女人(にょにん)を憎んでいるらしく、いかなる貴人(あてびと)の奥方や姫君に対しても、彼は膝をまじえて語るのを好まなかった。忠通もそれをよく知っているので、法性寺詣でのときに限って、決して女子を伴って行ったことはなかった。寵愛の玉藻の望みでも、法性寺の供だけは一度も許されなかった。兼輔もそこに気がついて苦笑いした。「はは、叔父のかたくなは今に始まったことでござらぬ。われらも顔さえ見せれば何かと叱られて、むずかしい説法を小半※(こはんとき)も聞かさるる。うかと美しい女子など引き合わせたら、また何を言わりょうやら。しかしほかならぬお身の頼みじゃ。ちっとぐらい叱られても苦しゅうござらぬ。なんどきなりとも案内して、叔父の阿闍梨に逢わせ申そうよ」と、彼は事もなげに受け合った。「八歳の龍女が当下(とうげ)に成仏したことは提婆品(だいばぼん)にも説かれてあります。いかに罪業(ざいごう)のふかい女子の身とて、尊い阿闍梨の教化を受けましたら、現世(げんせ)はともあれ、せめて来世(らいせ)は心安かろうにと、唯そればかりを念じておりまする」と、玉藻の声はすこしく陰った。 いたましく打ちしおれたような玉藻のすがたが、兼輔の眼には更に一段のあでやかさを加えたようにも見られた。彼が好んで口ずさむ白楽天の長恨歌の「梨花一枝春帯雨(りかいっしはるあめをおぶ)」というのは、まさしくこの趣であろうとも思われた。彼は慰めるように又言った。「はて、われらの約束にいつわりはござらぬ。あすでもあさってでも、かならず一緒に連れ立って参る。文のたよりさえ遣(よこ)されたら、なんどきでもすぐに誘いにまいる。叔父が頑固になんと言おうとも、われらがきっとその前に連れ出して引き合わしてみしょう」 頼もしそうな誓いを聞いて、玉藻は嬉しそうにうなずいた。二人はひたと身をよせて更に何事をかささやき合おうとするところへ、木の間伝いにここへ近寄って来る足音がきこえた。兼輔はすこし慌てて見かえると、その人は三十をまだ越えたばかりの痩形の男で、顔の色はやや蒼白いが、この頃の殿上人には稀に見る精悍の気がその鋭い眼の底にあふれていた。彼はわざと拗(す)ねたのであろう、きょうの華やかな宴の莚に浄衣(じょうえ)めいた白の直衣(のうし)を着て、同じく白い奴袴(ぬばかま)をはいていた。 彼はきょうのあるじの忠通の弟で、宇治の左大臣頼長(よりなが)であった。彼は師の信西入道をも驚かすほどの博学で、和歌に心を寄せる兄の忠通を常に文弱と罵っているほどに、抑えがたい覇気と野心とに充(み)ち満ちている人物であった。この人にじろりと鋭い一瞥(いちべつ)を呉れられて、兼輔はなんだか薄気味悪くなって来た。ことに場合が場合であるので、彼はいよいよ度を失って、肌の背には冷汗がにじんだ。「ほう、左少弁はこれにいたか」と、頼長はその怖い眼には不似合いな柔かい声で言った。 それでもこちらはやはり落ち着いていられなかった。彼は酒の酔いを醒ますためにこの川端へ降りていたことを言い訳がましく答えると、頼長はあざ笑うような眼をして黙って聞いていた。なんだか居心の悪い兼輔は、玉藻と眼をみあわせて早々にそこを逃げて行ってしまった。頼長はまだそこに立っている玉藻には眼もくれないで、薄むらさきの霞のうちに暮れかかる春の夕空を静かに打ち仰いでいた。嵐が少し吹き出したとみえて、花の吹雪が彼の白い立ち姿をつつんで落ちた。「左大臣殿」と、玉藻はしとやかに声をかけた。「なんじゃ」と、頼長も静かに見かえった。「嵐が誘うてまいりました」「花もここ二、三日が命(いのち)じゃのう。お身は兼輔とここで何を語ろうていた」と、頼長は笑いながら訊いた。「歌物語など致しておりました」「恋歌の講釈か」と、彼はまたあざ笑うような眼をした。「はい。恋の取り持ちを頼もうかと……」 こうしたなまぬるい恋ばなしを好まない頼長も、この美麗な才女に対してあまりに情(すげ)ない返事も出来ないので、いい加減に取り合わせて言った。「お身ほどの者でも、人を頼まいでは恋はならぬか。恋はなかなかにむずかしいものじゃな」「身にあまる望みでござりますれば……」 玉藻は遣(や)る瀬ないように低い溜息をついて、頼長の顔をそっとのぞいた。人を蠱惑(こわく)せねばやまないような情け深い女の眼のひかりに魅せられて、頼長の魂は思わずゆらめいた。「ほう、身にあまる望みとか。これはいよいよむずかしゅう見ゆるぞ。兼輔ひとりの力に及ばずば、頼長も共どもに助力してお身が恋をかなえてやりたい。相手は誰じゃ。明かされぬか」「お身さまの前では申し上げられませぬ」と、玉藻は藤紫の小袿(こうちぎ)の袖で切(せつ)ない胸をかかえるように俯向いた。嵐は桜の梢をゆすって通った。「予が前では言われぬか。頼長は兼輔ほどに頼もしい男でないと見積もられたか。さりとは心外じゃ」と、頼長はいよいよ興(きょう)にふけったように高く笑った。 藤むらさきの袖の蔭から白い顔はまた現われた。彼女は媚びるように低くささやいた。「頼もしいと見らるるも、頼もしからぬと見らるるも、お身さまのお心一つでござりまする」「はて、謎(なぞ)なぞのようなことは言わぬものじゃ。いかようにすれば頼長は世に頼もしい男とならるるのじゃ。打ち付けに言え、あらわに申せ」「申しましょうか」と、玉藻はすこしためらう風情を見せたが、やがて思い切ったように言った。「関白の殿のおん身内、才学は世にかくれのない御仁(ごじん)……。桜さくらの仇めいて艶(あで)なるなかに、梨の花のように白う清げに見ゆるおん方……。もうその上は申されぬ。お察し下さりませ」 頼長は夢から醒めたように眼を見据えて、その秀(ひい)でたる眉をすこし皺めたが、忽ちに肩をそらせてあざ笑った。「おお、判った。して、お身はその恋の取り持ちをたしかに兼輔に頼んだか」「まだ打ち明けては頼まぬ間に……」「頼長がまいって邪魔したか、それは結句仕合わせじゃ。兼輔はおろか、関白殿、信西入道、あらゆる人びとのなかだちでも、この恋は所詮(しょせん)ならぬと思え」「なりませぬか」「ならぬ、ならぬ。お身たちが恋を語るには兼輔などの柔弱者(にゅうじゃくもの)がよい相手じゃ」 言い捨てて立ち去ろうとする頼長のゆく手をさえぎって、玉藻は突き当たるばかりに彼の胸のあたりへ我が身をもたせかけた。「じゃによって、身にあまる望みと申したではござりませぬか」と、彼女は怨(えん)ずるように泣き声をふるわせた。「身にあまるというても程のあるものじゃ」と、頼長はあざけるように笑った。「天下を望むよりも大きい恋じゃ。しょせん成らぬのは知れてあるわ」 自分の胸のあたりへ蛇のように纒(まと)いかかっている女の長い黒髪を無雑作(むぞうさ)に押しのけて、頼長は沓(くつ)を早めてあなたの亭(ちん)の方へ行ってしまった。 玉藻はきこえよがしに声を立てて桜の幹に倚(よ)りかかって泣き崩おれたが、もうその人の影が遠くなったのを覚ったときに、彼女は俄に空を仰いで物凄い笑みを洩らした。その顔の上にはらはらと降りかかって来る花びらを、彼女はうるさそうに扇で払いながら、これも座敷の方へ静かに立ち去ろうとした。春の日ももう暮れて、長い渡り廊をつたって女房どもや青侍たちが運んでゆく薄紅(うすあか)い灯の影が、木の間がくれに揺れながら通った。「おお、玉藻の御。これにござったか」 織部清治は主人の言い付けで先刻から玉藻のありかを探していたのであった。同じ屋形に奉公の身ではあるが、玉藻は殿のあつい御寵愛を蒙って、息女のない忠通はさながら彼女を我が娘のようにもいとしがっていられるのであるから、清治も彼女に対しては、分外(ぶんがい)の敬意を払わなければならなかった。玉藻は自分の顔を見られるのを恐れるようにうつむいて立ち停まった。「先刻から殿がおたずねでござる。早うあれへお越しなされ」と、清治は促(うなが)すように重ねて言った。「わたしはいやじゃ。ゆるしてくだされ」と、玉藻は両袖で顔を掩ったままで、いつまでもそこに立ちすくんでいた。 その素振りが怪しいので清治は近寄って子細をただすと、その返事は泣き声で報いられた。玉藻は心持が悪いからもう座敷へは出ない。人びとの群れから遠く離れたあなたの亭(ちん)へ行ってしばらく休息していたいというのであった。清治はいよいよ心配して、すぐに医師(くすし)を呼ぼうかといったが、玉藻はそれもいやだと断わって、なんでもいいから人の目に触れないところへ行って、苦しい胸を休めていたいと言った。清治もそのままでは捨て置かれないので、主人のもとへ引っ返して行ってその次第をささやくと、忠通も眉を寄せた。「ついぞないこと。どうしたものじゃ」 彼は席を起って清治と一緒に玉藻の隠れ場所をたずねると、彼女は奥まった亭の薄暗いなかに俯伏しているのを発見した。「心地がようないと聞いたが、どうじゃな」と、忠通は立ち寄って、彼女の肩越しにうしろから覗こうとして驚いた。玉藻は床に顔をおしつけるばかり身を投げ伏して、嗚咽(おえつ)の声をもらしているのであった。清治も驚いた。主(しゅう)と家来とは顔をみあわせて暫く黙っていた。「はは、こりゃ誰やらになぶられたな」と、忠通はほほえんだ。 昼からの饗宴で、ひとも我もみな酔うている。花と酒とに浮かされた若公家ばらのうちには、たそがれの薄暗がりにまぎれて彼女の袂(たもと)をひいた者もあろう、彼女の黒髪をなぶった者もあろう。それがけしからぬいたずらとしても、楚王(そおう)が纓(えい)を絶った故事も思いあわされて、きょうの場合には主人の忠通もそれを深く咎めたくなかった。清治もそこに気がつくと、今までの不安は一度に消えて、これもにやにやと笑い出した。「なんの、珍しゅうもない。そんなことを一いち詮議立てしたら、今夜はそこらに幾人の科人(とがにん)ができようも知れぬ」と、平安朝時代の家人(けにん)は肚(はら)のなかで呟いた。 唐土の桃李園の風流になぞらえて、きょうは燭をとって夜も遊ぶというかねての計画であるので、どの座敷でも燈火(ともしび)が昼のようにともされた。春の一日をたわむれ暮らしても、まだ歓楽の興をむさぼり足らない人びとは、酔いくずれて眠りこけるか、疲れ切って倒れるか、それまでは夜を昼についで浮かれ狂うつもりであろう。朗詠(ろうえい)や催馬楽(さいばら)の濁った声もきこえた。若い女の華やかな笑い声もひびいた。その騒がしい春の夜のなま暖かい空気のなかに、桜の花ばかりは黙って静かに散った。「さあ、来やれ。そちがおらいでは座敷がさびしい。玉藻の前はきょうの団欒(まどい)の花じゃと皆も言うている。夜の灯に照り映えたら、その美しい顔が一段と光りかがやいて見えようぞ。来やれ、来やれ。あの賑わしい方へ……」 手を取らぬばかりに引き立てられて、玉藻は泣き顔をおさえながら立ち上がった。忠通と清治とはその前後を囲んで、うす暗い渡り廊を静かにあゆんで行った。おぼろ月が今宵はとりわけて霞んでいるらしく、軒に近い花のこずえも唯ぼんやりと薄白く仰がれた。    三 あかりの運ばれるのを合図に、頼長は席を起って帰った。気を置かれる人が立ち去ったので、若い人たちはいよいよ調子づいてきた。とりわけて左少弁兼輔はほっとした。脛(すね)に疵(きず)持つ彼は、頼長になにやら睨まれているような気がして、なるべくその傍へは寄り付かぬように努めていたが、もう誰に憚ることもない。玉藻のありかをもう一度たずねて、さっき言い残した話のかずかずを語りつづけようと、彼は酔いにまぎらせてよろよろと座を起った。「あれ、あぶない」 酔いをたすける風をして、若い女房たちが左右から付きまつわって来るのを、彼はいつになくうるさそうに押しのけて、おぼろ月夜の庭さきへ迷い出たが、どこの木蔭にもそれらしい人の影は見えなかった。彼は餌をあさる狐のように、木(こ)の間(ま)をくぐって他の亭座敷をうろうろと覗いてあるいたが、どこの灯の下にも玉藻の輝いた顔は見つけ出されなかった。彼は失望して元の座敷へ戻ると、女房たちは待ちかねたように再び彼を取りまいた。 ここが一番広い座敷で、きょうの賓客(まろうど)のおもな者は大抵ここに席を占めていた。兼輔も藁褥(わらうだ)の上に引き据えられて又もや酒をしいられた。酒量の強いのを誇っている彼も、昼からの酒が胸いっぱいになって、さすがに頭が重くなってきたので、彼は憚りもなく自分のそばにいる若い女房の膝を枕にして、小声で朗詠を謡っていた。兼輔ばかりでない、一座はもう乱れに乱れて、そこらには座に堪えやらないような若い男たちもだんだんにふえてきた。縁さきへ出て手持ち無沙汰に月を仰いでいるのは、もう春の盛りを過ぎて額ぎわのさびしい古女房たちばかりで、眉の匂やかな若い女たちは、思い思いに男の介抱に忙しかった。時どきに広い座敷もゆらぐような笑い声がどっと起こった。「信西入道はきょうは見えぬそうな」と、ひとりの若い公家が思い出したように言った。「あの古(ふる)入道、このようなまどいに加わるは嫌いじゃで、所労というて不参じゃよ」「宇治の左大臣殿ももう戻られたとやら」と、その枕もとになまめかしく膝をくずしている若い女房が、鬢(びん)のおくれ毛を掻き上げながら言った。「あの御仁(ごじん)もこのような席へは余り近寄られぬ方じゃが、きょうは兄の殿への義理で、暮れ方までは辛抱せられた。左大臣どのも信西入道も我らには苦手じゃ。あの鋭い眼でじっと睨まれると、なにやら薄気味悪うなって身がすくむようじゃ。ははははは」 また一人の男が高く笑い出すと、兼輔はだるそうな眼をして半分起き直った。「ほんにそうじゃ。さっきも……」 と言いかけて彼はまた俄に口をつぐんだ。妬みぶかい男や女が大勢列(なら)んでいるところで、うかつに先刻の秘密は明かされないと思った。まだ寄るべも定まらない池の玉藻を、あっぱれ自分の手にかき寄せたという強い誇りが彼の胸に満ちていながらも、さすがにまだそれを発表する時機ではないと、彼は無理に奥歯で噛み殺していた。「さっきもどうなされた。お身さまも何か叱られたか、睨まれたか」と、彼に膝枕をかしていた女が、薄い麻紙で口紅をぬぐいながら訊いた。「いや、別に何事もなかったが、庭先きでふとすれ違うたので、早々に逃げて来た」と、兼輔は笑いにまぎらせた。 そう言いながらも気にかかるので、彼は伸び上がって座敷の隅々を見渡したが、玉藻らしい女の影はやはりどこにも見えなかった。彼はまた一種の不安を感じはじめた。何者かが彼女を小蔭へ誘い出して、自分と同じように恋歌の返しを迫っているのではないかとも疑われた。彼はもう一度庭へ出てみたくなったので、いい加減に座をはずして立とうとすると、あいにくにその鼻のさきへ一人の大男が瓶子(へいし)と土器(かわらけ)とを両手に持って来た。「左少弁、どこへゆく。実雅(さねまさ)の杯じゃ。受けてたもれ」 彼はそこにどっかと坐った。彼は少将実雅という酒の上のよくない男であった。兼輔は迷惑そうに頭(かぶり)を振った。「もうかなわぬ。免(ゆる)してたもれ」「そりゃ卑怯じゃぞ」と、実雅は無理に土器を突きつけた。「お身この酒を飲まぬとあらば、その罰としてわしがこの瓶子を飲みほすあいだに、歌百首を詠み出してお見やれ」「いや、歌も詩も五も六ない。この通りに酔うては、唯もう免せ、ゆるせ」と、兼輔はわざとおどけた身振りをして蛙のように床へ手をついた。「ほう、実雅の前で詫ぶるというか。まだそればかりでは免されぬ。お身、ここで、白状せい」 兼輔はひやりとした。その慌てたような顔をじっと睨みつけて、実雅はのけぞるばかり胸を突き出してあざ笑った。「どうじゃ、白状せぬか。お身は先程あの川端で誰と何を語ろうていた。それを真っ直ぐに言うまいか」 兼輔はいよいようろたえた。
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