箕輪心中
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著者名:岡本綺堂 

箕輪(みのわ)心中岡本綺堂     一 お米(よね)と十吉(じゅうきち)とは南向きの縁に仲よく肩をならべて、なんにも言わずに碧(あお)い空をうっとりと見あげていた。 天明(てんめい)五年正月の門松(かどまつ)ももう取られて、武家では具足びらき、町家では蔵(くら)びらきという十一日もきのうと過ぎた。おととしの浅間山(あさまやま)の噴火以来、世の中が何となくさわがしくなって、江戸でも強いあらしが続く。諸国ではおそろしい飢饉(ききん)の噂がある。この二、三年はまことに忌(いや)な年だったと言い暮らしているうち、暦はことしと改まって、元日から空(から)っ風の吹く寒い日がつづいた。五日の夕方には少しばかりの雪が降った。 それから天気はすっかり持ち直して、世間は俄かに明るくなったように春めいて来た。十吉の庭も急に霜どけがして、竹垣の隅には白い梅がこぼれそうに咲き出した。 この話の舞台になっている天明のころの箕輪(みのわ)は、龍泉寺(りゅうせんじ)村の北につづいた寂しい村であった。そのむかしは御用木として日本堤(にほんづつみ)に多く栽(う)えられて、山谷(さんや)がよいの若い男を忌(いや)がらせたという漆(うるし)の木の香(にお)いがここにも微かに残って、そこらには漆のまばらな森があった。畑のほかには蓮池(はすいけ)が多かった。 十吉の小さい家も北から西へかけて大きい蓮池に取り巻かれていた。「いいお天気ね」と、お米はうららかな日に向かってまぶしそうな眼をしばだたきながら、思い出したように話しかけた。「たいへん暖かくなったね。もうこんなに梅が咲いたんだもの、じきに初午(はつうま)が来る」「よし原の初午は賑やかだってね」「むむ、そんな話だ」 箕輪から京間(きょうま)で四百間(けん)の土手を南へのぼれば、江戸じゅうの人を吸い込む吉原の大門(おおもん)が口をあいている。東南(たつみ)の浮気な風が吹く夜には、廓(くるわ)の唄や鼓(つづみ)のしらべが手に取るようにここまで歓楽のひびきを送って、冬枯れのままに沈んでいるこの村の空気を浮き立たせることもあるが、ことし十八とはいうものの、小柄で内端(うちわ)で、肩揚げを取って去年元服したのが何だか不似合いのようにも見えるほどな、まだ子供らしい初心(うぶ)の十吉にとっては、それがなんの問題にもならなかった。 たとい昼間は鋤(すき)や鍬(くわ)をかついでいても、夜は若い男の燃える血をおさえ切れないで、手拭を肩にそそり節(ぶし)の一つもうなって、眼のまえの廓をひと廻りして来なければどうしても寝つかれないという村の若い衆の群れから、十吉は遠く懸け離れて生きていた。ありゃあまだ子供だとひとからも見なされていた。十六の秋、母のお時といっしょに廓の仁和賀(にわか)を見物に行ったとき、海嘯(つなみ)のように寄せて来る人波の渦に巻き込まれて、母にははぐれ、人には踏まれ、藁草履(わらぞうり)を片足なくして、危うく命までもなくしそうになって逃げて帰って来たことがあった。十吉が吉原の明るい灯を近く見たのは、あとにもさきにもその一度で、仲(なか)の町(ちょう)の桜も、玉菊(たまぎく)の燈籠も、まったく別の世界のうわさのように聞き流していた。「あたし、まだ一度も吉原の初午へ行ったことがないから、ことしは見に行こうか知ら。え、十(じゅう)さん、一緒に行かないか」 顔を覗いて少し甘えるように誘いかけられても、十吉はなんだか気の乗らないような返事をしているので、お米もしまいには面白くないような顔をして、子供らしくすねて見せた。「お前、あたしと一緒に行くのはいやなの」「いやじゃないけれども詰まらない。初午ならば向島へ行って、三囲(みめぐ)りさまへでも一緒にお詣りをした方がいいよ」「でも、吉原の方が賑やかだというじゃあないか」と、お米はまだ吉原の方に未練があった。「賑やかでもあんなところはいやだ、詰まらない」 十吉は頻(しき)りに詰まらないと言った。二人は来月の初午について今から他愛なく争っていたが、結局らちが明かなかった。「十さん、吉原は嫌いだね」「むむ」 二人はまた黙って空を仰ぐと、消え残った雲のような白い雪が藁(わら)屋根の上に高くふわりと浮かんでいた。遠い上野の森は酔ったように薄紅く霞んで、龍泉寺から金杉の村々には、小さな凧(たこ)が風のない空に二つ三つかかっていた。どこかで鶏(とり)が啼いていた。二人はさっきから一面の明るい日を浴びて、からだが少しだるくなるほどに肉も血も温まって来た。二人の若い顔は艶(あで)やかに赤くのぼせた。「阿母(おっか)さんは遅いなあ」と、十吉は薄ら眠いような声でつぶやいた。「番町(ばんちょう)のお屋敷へ行ったの」「むむ。もう帰るだろう」 こんな噂をしていたが、母は容易に帰らなかった。お時が家を出たのはけさの四つ(午前十時)であった。女の足で箕輪から山の手の番町まで往復するのであるから、時のかかるのは言うまでもないが、それにしてもちっと遅過ぎると十吉は案じ顔に言った。お米もなんだか不安に思われたので、七(なな)つ(午後四時)過ぎまで一緒に待ち暮らしていると、お時(とき)は元気のない顔をしてとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]と帰って来た。「おや、お米坊も一緒に留守番をしていておくれだったの」「おばさん、又あした来ますよ」 母が無事に帰ったのを見とどけて、お米も自分の家(うち)へいそいで帰った。お米の家は同じ村のはずれにあった。今まで長閑(のどか)そうにかかっていた凧(たこ)の影もいつか夕鴉(ゆうがらす)の黒い影に変わって、うす寒い風が吹き出して来た。 お時は一張羅(いっちょうら)の晴れ着をぬいで、ふだん着の布子(ぬのこ)と着替えた。それから大事そうに抱えて来た大きい風呂敷包みをあけて、扇子や手拭や乾海苔や鯣(するめ)などをたくさんに取り出した。「お屋敷から頂いて来たんだね」と、十吉もありがたそうに覗(のぞ)いた。 お時は番町のお屋敷へあがるたびに、いろいろのお土産を頂いて帰るのが例であった。殊にきょうは初春の御年始に伺ったのであるから、何かの下され物はあるだろうと十吉は内々予期してはいたものの、いつもと違ってその分量の多いのに驚かされた。 日が落ちると急に冷えて来て、春のまだ浅い夕暮れの寒さは、江戸絵を貼った壁の破れから水のように流れ込んで来た。十吉は炉の火をかきおこして夕飯(ゆうめし)の支度にかかった。お時は膳にむかったが、碌(ろく)ろく箸もとらないでぼんやりしていた。「きょうはお屋敷で御馳走でもあったのかね」と、十吉は笑いながら訊(き)いた。「どうも困ったことが出来たもんだよ」 溜め息をついている母の屈託(くったく)らしい顔をのぞいて、十吉も思わず箸をやめた。「なんだね。お屋敷に何か悪いことでもあったのかね」「むむ。だが、滅多(めった)にひとに言うのじゃないぞ」と、お時は小声に力をこめて言った。 話さないさきから厳重に口止めをされて、十吉も変な顔をして黙っていた。「番町の殿様、飛んでもない道楽者におなりなすったとよ。情けない」 お時はほろり[#「ほろり」に傍点]とした。十吉はまた箸をやめて、炉の火にひかる母の眼の白い雫(しずく)をうっかりと見つめていた。 この母子(おやこ)がお屋敷というのは、麹町(こうじまち)番町(ばんちょう)の藤枝外記(ふじえだげき)の屋敷であった。藤枝の家は五百石の旗本で、先代の外記は御書院の番頭(ばんがしら)を勤めていた。当代の外記が生まれた時に、縁があってこのお時が乳母に抱えられた。お時はそのときにお光という娘をもっていたが、生まれて一年ばかりで死んでしまったので、彼女(かれ)は乳の出るのを幸いに藤枝家へ奉公することになった。それはお時が二十二の夏であった。 殿様も奥様も情けぶかい人であった。いい主人を取り当てたお時は奉公大事に勤め通して、若様が五つのお祝いが済んだとき無事にお暇(いとま)が出た。それから三年目に奥様は更にお縫(ぬい)という嬢様を生んだが、その頃にはお時も丁度かの十吉を腹に宿していたので、乳母はほかの女をえらばれた。しかし御嫡子(ごちゃくし)の若様にお乳(ちち)をあげたという深い縁故をもっている彼女は、その後も屋敷へお出入りを許されて御主人からは眼をかけられていた。正直いちずなお時はよくよくこれを有難いことに心得て、年頭や盂蘭盆(うらぼん)には毎年かかさずお礼を申上げに出た。 そのうちに年が経って、殿様も奥様もお時に泣く泣く送られて、いずれも赤坂の菩提寺(ぼだいじ)へ葬られてしまった。家督(かとく)を嗣いだ嫡子の外記は十六歳で番入りをした。勿体(もったい)ないが我が子のようにも思っている若様、どうぞ末長く御出世遊ばすようにと、お時は浅草の観音さまへ願(がん)をかけて、月の朔日(ついたち)と十五日には必ず参詣を怠らなかった。「おれが家督をとるようになったら、きっとお前の世話をしてやるぞ」 子供の時からそう言っていた外記は、約束を忘れるような男ではなかった。彼が家督を相続した頃には、運のわるいお時はもう嬬婦(ごけ)になってしまって、まだ八つか九つの十吉を抱えて身の振り方にも迷っているのを、外記が救いの手をひろげて庇(かば)ってくれた。そのおかげで先祖伝来の小さい田畑も人手に渡さずに取り留めて、十吉がともかくも一人前の男になるまで、母子(おやこ)が無事に生きて来たのであった。「番町さまのありがたい御恩を忘れちゃ済まないぞ」と、お時は口癖のように我が子に言い聞かしていた。外記とはいわゆる乳兄弟(ちきょうだい)のちなみもあるので、お時が番町の屋敷へ行くたびに、外記の方からも常に十吉の安否をたずねてくれた。それがまたお時に取っては此の上もない有難いことのように思われていた。 ことしは外記が二十五の春である。もうそろそろ奥様のお噂でもあることかと、お時はことしの御年始にあがるのを心待ちにしていたが、それでも相手は歴々のお武家であるから、具足びらきの御祝儀の済むまではわざと遠慮して、十二日のきょう急いで山の手へのぼったのである。行って見ると、主人の外記は留守であった。妹のお縫がいつもの通りに愛想(あいそ)よくもてなしてはくれたが、なんとなくその若い美しい顔に暗い影が掩(おお)っていた。屋敷のうちも喪(も)にこもったようにひっそりと沈んでいて、どこにも春らしい光りの見えないのがお時の眼についた。 久し振りに訪ねて来たお時に、春早々から悪い耳を聞かせたくないと思ったのであろう、お縫も初めはなんにも言わなかったが、話がだんだん進むにつれて、いくら武家育ちでも女は女の愚痴が出て、お縫の声は陰って来た。 お時もおどろいた。 外記は今まで番士を勤めていたが、去年の暮れに無役(むやく)の小普請(こぶしん)入りを仰せつかったというのであった。尤(もっと)もお役を勤めていると余計な費用がかかるというので、自分から望んで小普請組にはいる者も無いではないが、無役では出世の見込みはない。一生うもれ木と覚悟しなければならない。年の若い外記が自分から進んで腰抜け役の小普請入りなどを願う筈がないのは、彼が日ごろの性質から考えても判っている。これには何か子細があるに相違ないと、さらに進んで詮索するとお時はまた驚かされた。外記が小普請入りの処分を受けたのは身持放埒(ほうらつ)の科(とが)であった。 お縫の話によると、外記はおととしの秋頃から吉原へかよい始めて、大菱屋(おおびしや)の綾衣(あやぎぬ)という遊女と深くなった。それについてはお縫も意見した。用人の堀部三左衛門(さんざえもん)も諫(いさ)めた。取り分けて叔父の吉田五郎三郎(ごろうさぶろう)からは厳しく叱られたが、叔父や妹や家来どもの怒りも涙も心づかいも、情に狂っている若い馬一匹をひきとめる手綱(たづな)にはならなかった。馬は張り切った勢いで暴(あば)れまわった。暴馬(あれうま)は厩(うまや)に押しこめるよりほかはない。外記は支配頭(がしら)の沙汰として、小普請組という厩に追い込まれることになった。 家の面目と兄の未来とをしみじみ考えると、これだけのことを話すにも、お縫は涙がさきに立った。俯向(うつむ)いて一心に聴いているお時も、ただ無暗に悲しく情けなくなって、着物の膝のあたりが一面にぬれてしまうほどに熱い涙が止めどなしにこぼれた。「まあ、どうしてそんな魔が魅(さ)したのでござりましょう」 学問も出来、武芸も出来、情け深いのは親譲りで、義理も堅く、道理もわきまえている殿様が、廓(くるわ)の遊女に武士のたましいを打ち込んで、お上(かみ)の首尾を損じるなどとは、どう考えても思い付かないことであった。魔が魅したとでも言うよりほかはなかった。 しかし今となっては、誰の力でもどうすることも出来ないのは判り切っていた。小普請入りといっても、必ず一生涯とばかりは限らない。本人の身持ちが改まって確かに見どころがあると決まれば、またお召出しとなるかも知れないというのをせめてもの頼みにして、お時はお縫に泣いて別れた。 帰りぎわに用人の三左衛門にも逢った。彼は譜代(ふだい)の家来であった。五十以上の分別ありげな彼の顔にも、苦労の皺(しわ)がきざんでいるのがありありと見えた。「いろいろ御苦労がございますそうで……」と、お時は涙を拭きながら挨拶した。「お察し下さい」 三左衛門はこう言ったばかりで、さすがに愚痴らしいことはなんにも口に出さなかったが、大家(たいけ)の用人として定めて目に余る苦労の重荷があろう。それを思うと、お時は胸がまたいっぱいになった。 初めはまっすぐに帰る心づもりであったが、この話を聞いたお時は今にも藤枝のお家(いえ)が亡びるようにも感じられたので、彼女(かれ)は番町の屋敷を出ると、さらに市ヶ谷までとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]と辿(たど)って行った。 叔父の吉田の屋敷は市ヶ谷にあった。彼は三百五十石で、藤枝にくらべると小身ではあるが、先代の外記の肉身の弟で、いまの外記が番入りをするまでは後見人として支配頭にも届け出してあった。父なき後は叔父を父と思えというこの時代の習わしによっても、外記の頭をもっとも強くおさえる力をもっている人は、この吉田の叔父よりほかになかった。思いあまったお時は念のために吉田に一度逢って、その料簡(りょうけん)をきいて置こうと思ったのである。 奥様に恐る恐る目通りを願ったのであるが、ちょうど非番で屋敷に居合せた主人の五郎三郎はこころよく逢ってくれた。 お時の主(しゅう)思いは五郎三郎もかねて知っているので、打ち明けていろいろの内輪話をしてくれた。今となっては仕方がない。それもおれが監督不行届きからで、お前たちにも面目ないと五郎三郎はしみじみと言った。しかし本人の性根さえ入れ替われば再び世に出る望みがないでもない。今度の不首尾に懲りて彼がきっと謹慎するようになれば、毒がかえって薬になるかも知れない。しばらくは其のままにして彼の行状(ぎょうじょう)を見張っているつもりだと、五郎三郎はまた言い聞かした。奥様もお時に同情して親切に慰めてくれた上に、帰る時には品々の土産物までくれた。有難いと悲しいとで、お時はここでも泣いて帰った。 母が帰りの遅かったのも、土産物の多かったのも、こうした訳と初めて判って見ると、十吉も悠々と飯を食っている気にはなれなかった。食いかけの飯に湯をぶっかけて、夢中ですすり込んでしまった。膳を片付けてお時が炉の前にしょんぼりと坐ると、十吉はうす暗い行燈(あんどう)を持ち出して来た。 母子は寂しい心持ちで行燈の火のちらちら[#「ちらちら」に傍点]と揺れるのを黙って見つめていた。日が暮れて東の風がだいぶ吹き出したらしい。軒にかけてある蕪菁(かぶら)の葉が乾いた紙を揉(も)むようにがさがさ[#「がさがさ」に傍点]と鳴った。「風が出たようだね。昼間と夜とは陽気が大違いだ」と、お時は寒そうに肩をすくめて雨戸を閉めに出た。 今夜は悪い風が吹くので、廓(くるわ)の騒ぎ唄が人の心をそそり立てるように、ここらまで近くながれて来た。暗い長い堤には駕籠屋の提灯が狐火のように宙に飛んでいた。その火のふい[#「ふい」に傍点]と消えて行くあたりに、廓の華やかな灯が一つに溶け合って、幾千人の恋の焔が天をこがすかとばかりに、闇夜の空をまぼろしのように紅(あか)くぼかしていた。 殿様は今夜もあの灯の中に溺れているのではあるまいかと、お時は寒い夜風にひたいを吹かれながら、いつまでも廓の紅い空をじっと眺めていた。     二 お時が案じていた通り、外記は丁度そのころ吉原の駿河屋(するがや)という引手茶屋(ひきてぢゃや)に酔っていた。 二階座敷の八畳の間(ま)は襖も窓も締め切って、大きい火鉢には炭火が青い舌を吐いていた。外の寒さを堰(せ)き止められて、なまあたたかく淀んだ空気のなかに、二つの燭台の紅い灯はさながら動かないもののように真っ直ぐにどんよりと燃え上がって、懐ろ手の外記がうしろにしている床(とこ)の間(ま)の山水の一軸をおぼろに照らしていた。青銅(からかね)のうす黒い花瓶の中から花心(しべ)もあらわに白く浮き出している梅の花に、廓の春の夜らしいやわらかい匂いが淡(あわ)くただよっていた。外記の前には盃台が置かれて、吸物椀や硯蓋(すずりぶた)が型の如くに列(なら)べてあった。 相手になっているのは眉の痕のまだ青い女房で、口は軽くても行儀のいいのが、こうした稼業の女の誇りであった。茶色の紬(つむぎ)の薄い着物に黒い帯をしゃんと結んで、おとなしやかに控えていた。「花魁(おいらん)ももうお見えでござりましょう。まずちっとお重ねなされまし」と、彼女が銚子をとろうとすると、外記は笑いながら頭(かぶり)をふった。「知っての通り、おれは余り酒は飲まないのだから、まあ堪忍してくれ。このうえ酔ったらもう動けないかも知れない」 男には惜しいような外記の白い頬には、うすい紅(べに)が流れていた。「よろしゅうござります。殿様が動けなくおなり遊ばしたら、新造(しんぞう)衆が抱いて行って進ぜましょう。たまにはそれも面白うござります」と、女房は口に手を当てて同じように笑っていた。「いや、まだよいよい[#「よいよい」に傍点]にはなりたくない」と、外記も同じように笑っていた。「それにしても花魁の遅いこと、もう一度お迎いにやりましょう」 女房は会釈(えしゃく)して階子(はしご)を軽く降りて行った。「ああ、そんなに急(せ)き立てるには及ばない」と、外記がうしろから声をかけた時には、女房の姿はもう見えなかった。 実際そんなに急ぐには及ばない。急ぐと思われては茶屋の女房の手前、さすがにきまりが悪いようにも外記は思った。きのうは具足(ぐそく)開きの祝儀というので、よんどころなしに窮屈な一日を屋敷に暮らしたが、灯のつくのを待ちかねて、彼は吉原へ駕籠を飛ばした。きょうも流(なが)して午(ひる)過ぎに茶屋へかえって来た。この場合、ふた晩つづけて屋敷を明けては、用人の意見、叔父の叱言(こごと)、それが随分うるさいと思ったので、彼は日の暮れるまでにひとまず帰ろうとしたのであった。 彼は少しく酔っていたので、茶屋から駕籠にゆられながら快(い)い心持ちにうとうと[#「うとうと」に傍点]と眠って行くと、夢かうつつか、温かい柔かい手が蛇のように彼の頸(くび)にからみ付いた。女のなめらかな髪の毛が彼の頬をなでた。白粉の匂いがむせるように鼻や口をついた。眼の大きい、眉の力(りき)んだ女の顔がありありと眼の前にうき出した。 と思う途端に、駕籠の先棒(さきぼう)がだしぬけに頓狂な声で、「おい、この駕籠は滅法界(めっぽうかい)に重くなったぜ」と、呶鳴った。 外記ははっ[#「はっ」に傍点]と正気にかえった。そうして、駕籠が重くなったということを何かの意味があるように深く考えた。 今までは自分一人が乗っていた。そこへまぼろしのように女が現われて来た。駕籠が急に重くなった。眼に見えない女のたましいが何処までも自分の後を追って来るのではあるまいか。「なんの、ばかばかしい。なんとか名を付けて重(おも)た増(ま)しでも取ろうとするのは駕籠屋の癖だ」と、外記は直ぐに思い直して笑った。 しかしそれが動機となって、彼は再び吉原が恋しくなった。駕籠屋の言うのは嘘と知りつつも、彼は無理にそれを本当にして、もしや女の身に変った事でも起った暗示(しらせ)ではあるまいかなどと自分勝手の理屈をこしらえて見たりした。そうして、自分でわざと不安の種を作って、このままには捨てて置かれないように苛々(いらいら)して見たりした。駕籠がだんだんに吉原から遠くなって行くのが、何だか心さびしいように思われてならなかった。「ここはどこだ」と、彼は駕籠の中から声をかけた。「山下(やました)でございます」 まだ上野か、と外記は案外に捗(はか)の行かないのを不思議に思った。と同時に、これから屋敷へ帰るよりも、吉原へ引っ返した方が早いというような、意味のわからない理屈が彼の胸にふとうかんだ。「これ、駕籠を戻せ」「へえ、どちらへ……」「よし原へ……」と、彼は思い切って言った。 駕籠はふたたび大門(おおもん)をくぐって茶屋の女房を面食らわした。茶屋では直ぐに大菱屋へ綾衣を仕舞(しま)いにやった。そんな訳であるから、さっき帰ってからまだ二※(ふたとき)とは過ぎていないのに、女の迎いを急(いそ)がせる。むこうは稼業だから口へ出してこそ言わないが、殿様もあんまりきついのぼせ方だと茶屋の女房たちに蔭で笑われるのも、さすがに恥かしいように思われた。 表は次第に賑やかになって、灯の影の明るい仲の町には人の跫音(あしおと)が忙がしくきこえた。誰を呼ぶのか、女の甲走(かんばし)った声もおちこちにひびいた。いなせな地廻りのそそり節(ぶし)もきこえた。軽い鼓(つづみ)の調べや重い鉄棒(かなぼう)の音や、それもこれも一つになって、人をそそり立てる廓の夜の気分をだんだんに作って来た。外記も落ち着いてはいられないような浮かれ心になった。 急ぐには及ばないと思いながらも、彼の腰は次第に浮いて来た。手酌で一杯飲んで見たが、まだ落ち着いてはいられないので、ふらふらと起(た)って障子をあけると、まだ宵ながら仲の町には黒い人影がつながって動いていた。松が取れてもやっぱり正月だと、外記はいよいよ春めいた心持ちになった。酒の酔いが一度に発したように、総身(そうみ)がむずがゆくほてって来た。 その混雑のなかを押し分けて、箱提灯(はこぢょうちん)がゆらりゆらりと往ったり来たりしているのが外記の眼についた。彼は提灯の紋どころを一々(いちいち)にすかして視た。足かけ三年この廓に入りびたっていても、いわゆる通人(つうじん)にはとても成り得そうもない外記は、そこらに迷っている提灯の紋をうかがっても、鶴の丸は何屋の誰だか、かたばみはどこの何という女だか、一向に見分けが付かなかった。しかし綾衣の紋が下がり藤であるということだけは、確かに知っていた。 自分が上野まで往復している間に、ほかの客が来たのではあるまいかとも考えた。自分は今夜来ない筈になっていたのであるから、先客に座敷を占められても苦情はいえない。しかし馴染みの客が茶屋に来ているのに、今まで迎いに来ないという法はない。「今夜の客というのは侍か町人か、どんな奴だろう」と、外記は軽い妬(ねた)みをおぼえた。 さっきから女房が再び顔を見せないのは、何か向うにごたごた[#「ごたごた」に傍点]が起ったのではあるまいかとも考えて見た。座敷を明けろとか明けないとかいう掛け合いで、茶屋が自分のために骨を折っていてくれるのではないかとも善意に解釈して見た。外がだんだんに賑わって来るにつれて、外記はいよいよ苛々して来た。迎いの来るのを待たずに、自分から大菱屋へ出掛けて行こうかとも思った。 女房は息を切って階子(はしご)をあがって来た。「どうもお待たせ申しました。花魁は宵に早く帰るお客がござりましたもんですから、それを送り出すのでお手間が取れまして……。いえ、もう直ぐにお見えになります」 綾衣の遅いのには少し面倒な子細(しさい)があった。駿河屋の女中は外記の顔を見ると、すぐに綾衣を仕舞いに行ったが、たったひと足の違いでほかの茶屋からも初会(しょかい)の客をしらせて来た。そういうことに眼のはやい女中は、二階の階子をあがる途中でつい[#「つい」に傍点]と相手を駈けぬけて綾衣の部屋へ飛び込んでしまった。そこへ続いてほかの茶屋の女中もあがって来た。そこで、いよいよお引けという場合にはどっちが本座敷へはいるかという問題について、茶屋と茶屋との間にまず衝突が起った。 たとい初会であろうとも、自分の方がひと足さきへ大菱屋(おおびしや)のしきいを跨(また)いで、帳場にも声をかけてある以上は、自分のうちの客が本座敷へはいるのは当然の権利であると、ほかの茶屋の女中は主張した。 駿河屋の女中は相手の理を非にまげて、こっちは昼間からちゃんと花魁に通して座敷を仕舞ってあると強情を張った。 どちらも自分のうちの客を大事に思う人情と商売上の意気張りとで、たがいに負けず劣らずに言い争っているので、番頭新造(ばんとうしんぞう)の手にも負えなくなって来た。駿河屋の女中は自分の方の旗色がどうも悪いと見て、急いで家(うち)へ飛んで帰って、女房にこの始末を訴えた。女房も直ぐに出て行った。事はいよいよ縺(もつ)れてむずかしくなったが、肝腎の綾衣はいうまでもなく駿河屋の味方であった。 彼女はさっき帰ったばかりの外記がまた引っ返して来たのを不思議のように思ったが、そんなことはどうでもいい。当座をつくろうでたらめに、外記はまたすぐ出直して来ると確かに言い置いて行ったのを、誰にも言わずにうっかりしていたのはわたしが重々の不念(ぶねん)であったと、彼女は自分ひとりで罪をかぶってしまった。 それ見たことかと駿河屋の側では凱歌(かちどき)をあげたが、理を非にまげられた相手の女中は面白くなかった。殊に綾衣が駿河屋の肩を持っているらしく見えたので、彼女はいよいよ不平であった。結局今夜のその客はほかの花魁へ振り替えて、綾衣のところへは送らないということで落着(らくぢゃく)した。たとい初会の客にせよ、こうしたごたごた[#「ごたごた」に傍点]で、綾衣は今夜一人の客を失ってしまった。 外記が茶屋の二階で苛々している間に、女房や女中はこれだけの働きをしていたのであったが、それは茶屋が当然の勤めと心得て、別に手柄らしく吹聴(ふいちょう)しようとも思わなかった。かえってそんな面倒は客の耳に入れない方がいい位に考えていたので、女房はいい加減に外記の手前を取りつくろって置いたのであった。 なんにも知らない外記は唯うなずいていると、女中がつづいてあがって来た。「綾衣さんの花魁がもう見えます」「そうかえ」 女房は二階の障子をあけて、待ちかねたように表をみおろした。外記もうかうか[#「うかうか」に傍点]と起って覗いた。外にも風がよほど強くなったと見えて、茶屋の軒行燈の灯は一度に驚いてゆらめいていた。浮かれながらも寒そうに固まって歩いている人たちの裳(すそ)に這いまつわって、砂の烟(けぶ)りが小さい渦のようにころげてゆくのが夜目にもほの白く見えた。春の夜の寒さを呼び出すような按摩の笛が、ふるえた余音(よいん)を長くひいて横町の方から遠くきこえた。 江戸町(ちょう)の角から箱提灯のかげが浮いて出た。下がり藤の紋があざやかに見えた。戦場の勇士が目ざす敵の旗じるしを望んだ時のように、外記は一種の緊張した気分になって、ひとみを据えてきっと見おろしていた。提灯が次第にここへ近づくと、女房も女中もあわてて階子を駈けおりて行った。「さあ、花魁、おあがりなされまし」 口々に迎えられて、若い者のさげた提灯の灯は駿河屋の前にとまった。振袖新造(ふりそでしんぞう)の綾鶴と、番頭新造の綾浪と、満野(みつの)という七つの禿(かむろ)とに囲まれながら、綾衣は重い下駄を軽くひいて、店の縁さきに腰をおろした。「皆さん、さっきはお世話でありんした」 立兵庫(たてひょうご)に結った頭を少しゆるがせて、型ばかり会釈した彼女は鷹揚ににっこり[#「にっこり」に傍点]笑った。綾衣は俗にいう若衆顔のたぐいで、長い眉の男らしく力んだ、眼の大きい、口もとの引きしまった点は、優しい美女というよりもむしろ凛(りん)とした美少年のおもかげを見せていた。金糸で大きい鰕(えび)を刺繍(ぬい)にした縹色繻子(はないろじゅす)の厚い裲襠(しかけ)は、痩せてすらりとした彼女の身体(からだ)にうつりがよかった。頭に輝いている二枚櫛と八本の簪(かんざし)とは、やや驕慢に見える彼女の顔をさらに神々(こうごう)しく飾っていた。「番町の殿様お待ちかねでござります」と、女房は笑顔を粧(つく)った。「すぐにお連れ申しましょうか」「あい」と、綾衣はふたたび鷹揚にうなずいた。「では、お頼み申します」 若い者は提灯を消してひと足さきに帰ると、茶屋の女中は送りの提灯に蝋燭(ろうそく)を入れた。「きつい風になった。気をつけや」と、女房が声をかけた。 寒い風が仲の町を走るように吹いて通った。この風におどろいた一匹の小犬が、吹き飛ばされたようにここの軒下へ転げ込んで悲鳴をあげた。「あれ、怖い」 禿は新造にすがって、わっ[#「わっ」に傍点]と泣き出した。「これ、おとなしくしや」 綾衣にやさしく睨まれて、禿は新造の長い袂(たもと)の下に小さい泣き顔を押し込んでしまった。     三 あくる朝は四つ頃(十時)から雪になった。 この四、五日は暖かい日和(ひより)がつづいたので、もう春が来たものと油断していると、きのうの夕方から急に東の風が吹き出して、それが又いつか北に変った。吉原は去年の四月丸焼けになった。橋場今戸の仮宅から元地へ帰ってまだ間もない廓(くるわ)の人びとは、去年のおそろしい夢におそわれながら怯(おび)えた心持ちで一夜を明かした。毎晩聞きなれた火の用心の鉄棒(かなぼう)の音も、今夜は枕にひびいてすさまじく聞えた。幸いに暁け方から風もやんだが、灰を流したような凍った雲が一面に低く垂れて来た。「雪が降ればいいのう」と、禿どもは雪釣りを楽しみに空を眺めていた。 こんな朝に外記は帰るはずはなかった。綾衣も帰すはずはなかった。「居続客不仕候」などと廊下にしかつめらしい貼札があっても、それはほんの形式に過ぎないことは言うまでもない。こういう朝にこそ居続けの楽しみはあるものを、外記は綾衣に送られて茶屋へ帰らなければならなかった。 金龍山(きんりゅうざん)の明け六つが鳴るのを待ち兼ねていたように、藤枝の屋敷から中間(ちゅうげん)の角助が仲の町の駿河屋へ迎いに来た。ゆうべあいにく市ヶ谷の叔父さまがお屋敷へお越しなされて、また留守かときつい御立腹であった。お嬢さまも御用人もいろいろに取りつくろって其の場はどうにか納まったものの、明日もまだ帰らぬようであったらおれにもちっと考えがある、必ずおれの屋敷まで知らせに参れと、叔父さまがくれぐれも念を押して帰られた。就いてはきょうもお留守とあっては、どのような面倒が出来(しゅったい)いたさぬとも限られませねば、是非とも一度お帰り下さるようにと、お縫と三左衛門との口上を一緒に列べ立てた。「叔父にも困ったものだ」 外記はさも煩(うる)さそうに顔をしかめたが、ともかくもひとまず茶屋へ帰って角助に逢った。角助は渡り中間(ちゅうげん)で、道楽の味もひと通りは知っている男であった。主人のお伴をして廓へ入り込んで、自分は羅生門河岸(らしょうもんがし)で遊んで帰るくらいのことは、かねて心得ている男であった。その方からいうと、彼はむしろ外記の味方であったが、きょうばかりはお帰りになる方がよろしゅうござりますと、彼もしきりに勧めた。お嬢さまはゆうべお寝(やす)みにならないほど御心配の御様子でござりましたとも言った。「お縫までが……。揃いもそろって困ったやつらだ。よし、よし、きょうは帰る」と、外記は叱るように言った。 腹立ちまぎれに支度さして外記はすぐに駕籠に乗った。寝足らない眼に沁みる朝の空気は無数の針を含んでいるようで、店の前の打ち水も白い氷になっていた。「お寒うござりましょう。お羽織の上にこれをお召しなされまし」と、女房は気を利かして、綿の厚い貸羽織を肩からふわりと着せかけてくれたが、焦(じ)れて、焦れ切っている外記には容易に手が袖へ通らないので、彼はますます焦れた。曲がったうしろ襟を直してくれようとする女房の手を払いのけるようにして、彼は思い切りよく駕籠にひらりと乗り移った。「気をつけてお出でなんし」 綾衣が駕籠の垂簾(たれ)を覗こうとする時に、白粉(おしろい)のはげた彼女の襟もとに鳥の胸毛のような軽い雪がふわりふわりと落ちて来た。 けさのこうした別れのありさまを思いうかべながら、綾衣は十畳の座敷につづいた八畳の居間に唯ぼんやりと夢みるように坐っていた。大籬(おおまがき)に育てられた彼女は、浮世絵に描かれた遊女のようにしだら[#「しだら」に傍点]のない立て膝をしてはいなかったが、疲れたからだを少しく斜(はす)にして、桐の手あぶりの柔かいふちへ白い指さきを逆(さか)むきに突いたまま、見るともなしに向うの小さい床(とこ)の間(ま)を見入っていた。床には一面の琴が立ててあった。なまめかしい緋縮緬の胴抜きの部屋着は、その襟から抜け出した白い頸筋をひとしお白く見せて、ゆるく結んだ水色のしごきのはしは、崩れかかった膝の上にしどけなく流れていた。 入り口の六畳には新造や禿(かむろ)が長火鉢を取り巻いて、竹邑(たけむら)の巻煎餅(まきせんべい)か何かをかじりながら、さっきまで他愛もなく笑ってしゃべっていたが、金龍山の四つの鐘が雪に沈んできこえる頃からそろそろ鎮まって、禿の声はもう寝息と変った。新造たちもうたた寝でもしているらしかった。 入り口と座敷とに挟まれた綾衣の居間は、昼でも陰気で隅々は薄暗かった。一旦ちらちらと落ちて来てまた降りやんだと思った雪が、とうとう本降りになって来た。奥二階の夕雛(ゆうひな)の座敷には居続けの客があるらしく、夕雛が自慢の琴の音が静かな二階じゅうに冴えてきこえた。しかしその夕雛がほんとうに思っている人は、このごろ遠い上方(かみがた)へさすらいの身となっていることを考えると、その指さきから弾き出される優しい爪音にも、悲しいやるせない女の恨みが籠っているようで、じっと聴いている客は、馬鹿らしくもあり、また憎らしくも思われた。 自分もいつか一度は夕雛さんと同じような悲しい目に逢うのではあるまいか。綾衣はそんなことも考えずにはいられなかった。 六つの時に禿に売られて来て、十六の春から店へ出た。そうして、ことしも二十二の正月を廓で迎えた。苦海(くがい)十年の波を半分以上も泳ぎ越すうちに、あとにもさきにもたった一度の恋をした相手は立派な武士(さむらい)である。五百石の旗本である。どんなに両方が慕っても泣いてもこがれても、吉原の遊女が天下のお旗本の奥様になれないのは、誰が決めたか知らないが此の世のむごい掟(おきて)であった。旗本には限らない、そうじて遊女や芸妓(げいしゃ)と武士との間には、越えることのできない関が据えられていた。人は武士(ぶし)、なぜ傾城に忌(いや)がられるかというと、一つには末の目当てがないからであった。恋はもちろん打算的から成り立つものではないが、しょせん添われぬと決まっている人と真剣の恋をするほど盲目な女は廓にも少ない。遊女が恋の相手を武士に求めなかったのも自然の道理であった。綾衣もおととしの秋まではそう思っていた。 それがどうしてこうなったか、自分にも夢のようでよく判らないが、その晩のありさまはきのうのことのようにまざまざ[#「まざまざ」に傍点]と眼に残っている。 たなばた祭りの笹の葉をそよそよと吹きわたる夕暮れの風の色から、廓にも物悲しい秋のすがたが白じろと見えて、十日の四万六千日(しまんろくせんにち)に浅草から青ほおずきを買って帰る仲の町芸妓の袂にも、夜露がしっとりと沁みるのが知れて来る。十二日も十三日も盂蘭盆の草市(くさいち)で、廓も大門口から水道尻(すいどうじり)へかけて人の世の秋の哀れを一つに集めたような寂しい草の花や草の実を売りに出る。遊女もそぞろ歩きを許されて、今夜ばかりは武蔵野に変ったような廓の草の露を踏み分けながら、思い思いに連れ立ってゆく。禿の袂にきりぎりすの籠を忍ばせて帰るのもこの夜である。 綾衣はおととしのこの夜に、初めて外記に逢った。 その晩は星の多い夜であった。仲の町の両側に隙き間もなく積み重ねられた真菰(まこも)や蓮の葉には初秋の涼しい露が流れて、うるんだ鼠尾草(みそはぎ)のしょんぼりした花の上に、亡き魂(たま)の仮りの宿ともいいそうな小さい燈籠がうす暗い影を投げていた。綾衣は新造の綾鶴と禿の満野とを連れて、宵のうちに仲の町へ出た。その途中でかの夕雛に逢った。夕雛は起請(きしょう)を取りかわしている日本橋辺のあきんどの若い息子と、睦まじそうに手をひかれて歩いていた。綾衣も笑いながらその肩を叩いて行き違った。 京町(きょうまち)の角は取り分けて賑わっていた。またその混雑を面白いことにして、わざと人を押して歩く浮かれた男たちも多かった。その中には喧嘩でも売りそうな生酔いもあった。生酔いの一人は綾衣の前に立ちふさがって、酒臭い息をふきながら穴の明くようにじっとその顔を覗き込んだ。こんな人も珍らしくない。綾衣も煩さそうに顔をそむけながら、角を右へ曲がろうとする出逢いがしらに、むこうから来た二人連れの侍に突き当らないばかりに摺れ合って行き違った。と思うと、彼女は不意に袖を掴(つか)まれてひと足よろけた。すれ違うはずみに綾衣の袖が一人の侍の刀の柄(つか)に引っかかって、中身は危うくするりと抜け出そうとしたのを、相手はあわてて押さえようとして、女の袖も一緒に掴んでしまったのであった。 よろけた綾衣は顔と顔とが触れ合うほどに、侍の胸のあたりへ倒れかかった。相手は侍、しかも粗相(そそう)はこっちにある。それと気がついて綾鶴は平(ひら)にあやまった。綾衣もにっこり[#「にっこり」に傍点]笑って会釈した。侍も黙ってほほえんで行き過ぎた。人に押されて我知らずふた足三足あるき出してから、綾衣がふと見かえると、先きでもこっちを見返っているらしい、黒く動いている人ごみのあいだに、かの侍の白い顔が浮いて見えた。「玉琴さんのお客ですよ」と、綾鶴がささやいた。綾衣はあんな侍客を見たことはないと思った。だんだん聞いてみると、刀を引っかけた侍ではない、もう一人の連れの侍がやはり大菱屋の客であるということが判った。 その晩、駿河屋から二人の客が送られて来た。それはさっきの侍で、一人は果たして玉琴の客であった。一人は初会(しょかい)で綾衣を指して来た。 不思議な御縁(ごえん)でおざんしたと、綾衣は笑って言った。今も昔も初会から苗字をあかす者はない。まして侍はお定まりの赤井御門守(あかいごもんのかみ)か何かで押し通すのが習いであったが、一方の連れが馴染みであるだけに、綾衣の客の素姓(すじょう)も容易に知れた。番町の旗本藤枝外記とすぐに判った。外記は同役に誘われて、今夜初めて吉原の草市を見物に入り込んだのであった。 連れのひとりは此の時代の江戸の侍にありがちな粋(いき)な男であった。相方(あいかた)の玉琴にも面白がられていた。外記は初めてこの里の土を踏んだ初心(しょしん)の男であった。しかし、これも面白く遊ばしてもらって帰った。「すっきりとしたお侍でおざんすね」と、番頭新造の綾浪も言った。 綾衣はただ笑っていた。 その後も外記は遊びに来た。二回(うら)にはやはり玉琴の客と一緒に来た。三回(なじみ)を過ぎてからは一人でたびたび来るようになった。 玉琴の客はいつか遠ざかってしまったが、外記だけは相変らずかよって来た。綾衣の方でも呼ばずには置かなかった。しょせん添われぬときまっている人が、綾衣の恋の相手となってしまった。これも神のむごいいたずらであろう。もうこうなると、綾衣も盲目(もうもく)になった。末のことなどを見透している余裕(ゆとり)はなかった。その日送りに面白い逢う瀬を重ねているのが、若い二人の楽しい恋のいのちであった。 夕雛の男というのは程を越えた道楽が両親や親類の眼にも余って、去年から勘当同様に大坂の縁者へ預けられてしまった。夕雛は西の空を見て毎日泣いている。それを気の毒とも可哀そうとも思うにつけて、足かけ三年越しもつづいて来た自分たちの恋仲も、やがてこうした破滅に近づくのではあるまいかと、綾衣も薄々おびやかされないでもなかった。 いくら天下のお旗本でも、その年々の取米(とりまい)は決まっている。まして今の江戸の世界では武家よりも町人の方が富貴(ふっき)であることは、客商売の廓の者はよく知り抜いている。たとい遊びの上にぼろ[#「ぼろ」に傍点]を出さずとも、男の内証のだんだんに詰まって来るらしいのは、綾衣の眼にも見えていた。殊に去年の暮れには小普請入りとなった。男の影がいよいよ痩せて衰えてゆくのは明らかになった。それに連れて男の周囲からいろいろの叱責や意見や迫害が湧いて来ることも綾衣は知っていた。神か人か、何者かの強い手によって二人は無慈悲に引き裂かれねばならぬ情けない運命が、ひと足ずつに忍び寄って来ることも綾衣は覚悟していた。 そうなったら仕方がないと、悲しく諦めてしまうことの出来るような綾衣ではなかった。彼女は自分が一度つかんだ男の手は、死んでも放すまいという根強い執着をもっていた。 たとい世間晴れて藤枝家の奥様と呼ばれずとも、妾ならば子細はない。男の家さえ繁昌していれば、江戸のどこかの隅に囲われて、一生をあわれな日蔭者で過そうとも、暗いなかに生きている楽しみはある。綾衣もそのあきらめだけは余儀なくもっていた。しかし、男と永久に手を振り切るというのは、どうしても思い付かないことであった。男の方でも承知する筈がないと綾衣は信じ切っていた。 その望みも危ういものになって来たではないか。考えると彼女も胸が痛んで来た。夕雛の男はいよいよ上方へ発つという前の晩にそっと逢いに来た。二人は泣きたいだけ泣いて別れた。自分も一緒に貰い泣きをしたものの、今夜別れたらもういつ逢われるか知れない男を、無事に見送って帰してやった夕雛の仕方が歯がゆいように思われてならなかった。女も女なら男も男だと、綾衣はひそかにその男の薄情を憎んだ。そうしてまた、ふたりの弱い心を憫(あわ)れんだ。実際、夕雛は気の弱いおとなしい女であった。その平生(へいぜい)の気質から考えると、大事の男をおめおめ手放してしまって、今更とらえようもない昔の夢にあこがれて、毎日泣いているのも無理はないとも思われた。いじらしい夕雛の泣き顔を見れば、綾衣も涙がこぼれた。 しかしあの人と自分とは性根の据え方が違うと、彼女はいつも誇るように考えていた。 どんなに性根を強く据えていても、さすがは人間の悲しさに、綾衣はだんだん薄れてゆく自分のさびしい影を、じっと見つめているのは苦しかった。この頃はこめかみ[#「こめかみ」に傍点]の痛む日が多かった。胸の痛む日が多かった。取り分けてきょうは雪冷えのせいか、脾腹(ひばら)から胸へかけて差し込みが来るように思われた。「綾鶴さん、綾鶴さん」 低い声で呼んだが、次の間で返事がなかった。二度も三度も呼ばれて、綾鶴はようように寝ぼけたような声を出した。「花魁。なんざいますね」「お湯を一杯おくんなんし」「あい、あい」 藤の比翼絞(ひよくもん)を染めた湯呑みを盆にのせて、綾鶴は腫(は)れぼったい眼をしてはいって来た。いつもの薬を煎じようかと言ったが、綾衣はいらないと言った。明けても暮れても薬ばかり飲んでいては生きている甲斐がないと、彼女はさびしく笑った。「それでも、こうして起きていなんしては悪うおす。ちっと横におなりなんし」 綾鶴は次の間の夜具棚から衾(よぎ)や蒲団を重そうに抱え出して来て敷いた。そうして、人形を扱うように綾衣を抱え、蒲団の上にちゃんと坐らせた。綾衣はおとなしくして湯を飲んでいた。「花魁。いつの間にか積もりんしたね」 座敷の櫺子窓(れんじまど)をあけて外を眺めていた綾鶴が、中の間(ま)の方へ向いて声をかけた。ちっとの間に雪がたくさん積もったから、ちょいと来て見ろと仰山(ぎょうさん)らしく言うので、綾衣はしずかに起って座敷へ行った。白い踵(かかと)にからむ部屋着の裾にも雪の日の寒さは沁みて、去年の暮れに入れ替えたばかりの新しい畳は、馴れた素足にも冷たかった。 雪は綿と灰とをまぜたように、大きく細かく入りみだれて横に縦に飛んでいた。田町(たまち)から馬道(うまみち)につづいた家も土蔵ももう一面の白い刷毛(はけ)をなすられて、待乳(まつち)の森はいつもよりもひときわ浮きあがって白かった。傘のかげは一つも見えない浅草田圃の果てに、千束(せんぞく)の大池ばかりが薄墨色にどんよりとよどんで、まわりの竹藪は白い重荷の下にたわみかかっているらしかった。朝夕に見る五重の塔は薄い雲に隔てられたように、高い甍(いらか)が吹雪の白いかげに見えつ隠れつしていた。 こんなに美しく降り積もっていても、あしたは果敢(はか)なく消えてしまうのかと思うと、春の雪のあわれさが今更のように綾衣の心をいたましめた。ことし初めて降る雪ではない。そうとは知っていながらも、物に感じ易くなった此の頃の彼女の眼には、きょうの雪が如何にも美しく、果敢なく悲しく映った。 彼女はいつまでも櫺子にすがって、眼の痛むほどに白い雪を眺めていた。     四 雪はその日の夕(くれ)にやんだが、外記は来なかった。その明くる夜も畳算(たたみざん)のしるしがなかった。その次の日に中間(ちゅうげん)の角助が手紙を持って来た。あの朝の寒さから風邪の心地で寝ているので、三日四日は顔を見せられないというのであった。 返事をくれと言って待っている角助に綾衣は自身で逢って、殿様はほんとうに御病気か、それとも何かほかに御都合があるのかと念を押して訊(き)いた。いや、ほかになんにも子細はない、ほんとうの御病気であるという角助の返事を聞いて、綾衣は少しく安心した。 それから此の頃の屋敷の様子や、外記にかかわる親類たちの噂などを根掘り葉掘りいろいろ聞きただしたが、世間慣れている角助は如才(じょさい)ない受け答えをして、綾衣に聞かして悪いようなことはなんにも言わなかった。彼は綾衣が返事の文(ふみ)といくらかの使い賃とを貰って帰った。 ほかに子細はないというので少しは安心したものの、ぬしの病気と聞けば、また気がかりであった。綾衣はすぐに遣手(やりて)のお金(きん)を浅草の観音さまへ病気平癒の代参にやった。その帰りに田町(たまち)の占い者へも寄って来てくれと頼んだ。 雪どけのぬかるみをふんで、お金は浅草へ参詣に行った。田町には名高い占い者があって、人相も観る、墨色(すみいろ)判断もする、人の生年月日を聴いただけでもその吉凶(きっきょう)を言い当てる。お金は帰りにここへも寄って、外記の生まれ年月をいって判断を頼んだ。占い者は首をひねって、今度の病気はすぐに癒(なお)る。しかし、この人は半年のうちに大難があると脅(おど)すように言った。 迷信のつよい廓(さと)の女は身の毛がよだ[#「よだ」に傍点]って早々に帰って来た。しかし綾衣にむかって正直に天機を洩らすのを憚(はばか)って、今度の病気だけのうらないを報告しておいた。それでも此のおそろしい秘密を自分ひとりの胸に抱えているのは何だか不安なので、ある時そっと新造の綾鶴にささやいた。それが又いつか綾衣の耳へもはいった。「そんなら、わたしのも見てもらっておくんなんし」 お金は薄気味わるがって毎日ゆきしぶっているので、今度は綾衣がふだんから贔屓にしているお静(しず)という仲の町の芸妓が頼まれた。お静は田町へ行って綾衣の生まれ月日を言うと、占い者は又もひたいに皺を寄せて、この女には剣難の相(そう)があると言った。お静も真っ蒼になってふるえて帰った。綾衣にむかって何と答えてよかろうか、お静も一時はひどく困ったが、もう四十に近い女だけに彼女は考え直した。 花魁は夜毎に変った客に逢う身である。どんな酔狂人か気まぐれ者に出逢って、いつどんな災難を受けまいものでもない。当人が平生からその用心をしていれば、なんにつけても油断がなく、まさかの時にも危うい災難を逃がれることができるというもの。これはいっそ正直に打ち明けて、当人に注意を与えておいた方が却ってその身のためであろう。こう思って、お静は占い者の判断をいつわらず綾衣に報告した。「ですから、気をおつけなせえましよ。そうして、神信心(かみしんじん)を怠っちゃあなりやせん」と、お静は親切に言った。 こんな話は当人ぎりで、誰の耳へもひびく筈ではないのであるが、お静が仲の町の茶屋へ遊びに行って、何かの話をしているうちに、かの占い者の噂が出た。そのときに自分が或る花魁に頼まれて行ったら、剣難の相があると言われてびっくりしたというようなことを、うっかりしゃべった。勿論、お静は綾衣の名を指しはしなかった。しかし前後の話の工合いから、それはどうも綾衣らしいという噂が立った。大菱屋の亭主も心配し出した。廓という世界に生きている人たちに対しては、うらないやお神籤(みくじ)が無限の権力をもっていた。 亭主は綾衣を呼んでそれとなく注意を与えた。綾衣は黙って聴いていた。 剣難といえば先ずひとに斬られるか、みずからそこなうかの二つである。呪われたる人の多い世ではあるが、遊女にはこの二つの危険が比較的に多かった。取り分けて遊女屋の主人に禍(わざわ)いするのは、廓(くるわ)に最も多い心中沙汰であった。恋にとけあった男と女とのたましいが、なにかの邪魔を突き破って無理に一つに寄り合おうとすれば、人間を離れたよその世界へ行くよりほかなかった。 法律の力で心中(しんじゅう)の名を相対死(あいたいじに)と呼び替えても、人間の情を焼き尽くさない限りは何の防ぎにもならなかった。吉原で心中を仕損じた者は、日本橋へ三日晒(さら)した上で非人の手下(てか)へ引き渡すと定めても、それは何のおどしにもならなかった。心中のなきがらは赤裸にして手足を縛って、荒菰(あらごも)に巻いて浄閑寺(じょうかんじ)へ投げ込むという犬猫以上の怖ろしい仕置きを加えても、それはいわゆる「亡八(くるわ)の者」の残酷を証明するに過ぎなかった。情に生きて情に死ぬ男と女とは、切支丹の殉教者と同じ勇気と満足とをもって、この迫害の前に笑って立った。 遊女屋の座敷で心中した者があると、主人はその遊女一人を失ったばかりでない、検視の費用、その座敷の改築などに、おびただしい損害と迷惑とを引き受けなければならないので、彼らは心中を毒蛇よりも恐れた。大菱屋の亭主も自分の抱え遊女のうちから剣難の相があるという綾衣を見いだした時に、彼は未来の恐るべき禍いを想像するに堪えなかった。 綾衣には外記という男がある。それが普通一遍の客でないことは、大菱屋の二階はいうまでもなく廓じゅうにももう拡まっている。それがために綾衣の客は次第に薄くなってゆく。それだけでも亭主としては忌な顔をせずにはいられなかった。外記の小普請入りも亭主はもう知っていた。その矢先きへ、綾衣のひたいに剣難の極印(ごくいん)が打たれたと聞いては、彼がおびえたのも無理はなかった。 こうした場合の予防手段は、その客を「堰(せ)く」よりほかはなかった。しかし外記はかつて茶屋の支払いをとどこおらせたこともなかった。綾衣が身揚(みあが)りするという様子も見えなかった。大菱屋ではいかに未来の危険を恐れていても、差し当っては外記をことわる口実を見いだすのに苦しんで、単に注意人物として遠巻きに警戒しているに過ぎなかった。 その注意人物は病気で十日ほども遠退いたが、その後は相変らず足近くかよいつめて、亭主のひたいにいよいよ深い皺を織り込ませた。二月の初午(はつうま)は雨にさびれて、廓の梅も雪の消えるように散ったかと思う間に、見返り柳はいつかやわらかい芽を吹いて、春のうららかな影はたわわ[#「たわわ」に傍点]になびく枝から枝に動いた。 雛の節句の前夜に外記は来た。大抵のよい客はあしたの紋日(もんび)を約束して今夜は来ない。引け過ぎの廓はひっそりと沈んで、絹糸のような春雨は音もせずに軒を流れていた。「お宿(やど)の首尾はどうでありんすえ」 綾衣に訊かれても男はただ笑っていた。 内そとの首尾の悪いのは今さら言うまでもない。部屋住みの身分でもなし、隠居の親たちがあるのではなし、自分はれっき[#「れっき」に傍点]とした一家の主人でありながらも、物堅い武家屋敷にはそれぞれに窮屈な掟がある。いくら家来でも譜代の用人どもには相当遠慮もしなければならない。外には市ヶ谷の叔父を始めとして大勢のうるさい親類縁者が取り巻いている。これらがきのう今日は一つになって、内と外から外記の不行跡(ふぎょうせき)を責め立てている。味方は一人もない。四方八方はみな敵であった。 しかしそれを恐れるような弱い外記ではなかった。何百人の囲みを衝いても、自分は自分のゆくべき道をまっすぐに行こうとしていた。自分はそう覚悟していればそれでよい。詰まらない愚痴めいたことを言って、可愛い女によけいな苦労をさせるには及ばないと、彼は努めてなんにも言うまいと心に誓っていた。綾衣が何を訊いても、彼はいつも晴れやかな笑いにまぎらして取り合わなかった。 その心づかいは神経のするどい綾衣によく判っていた。殊に外記が今夜の笑い顔には、拭き消すことのできない陰った汚点が濃くにじんでいるのを認めていた。「なんだか今夜は顔の色が悪うおす。また風邪でも引きなんしたかえ」 綾衣は枕もとの煙草盆を引き寄せて、朱羅宇(しゅらお)の長煙管(ながきせる)に一服吸い付けて男に渡した。 外記は天鵝絨(びろうど)に緋縮緬のふちを付けた三つ蒲団の上に坐っていた。うしろに刎(は)ねのけられた緞子(どんす)の衾(よぎ)は同じく緋縮緬の裏を見せて、燃えるような真っ紅な口を大きくあいていた。綾衣は床の中へは入らずに、酔いざめのやや蒼ざめた横顔をうす暗い行燈に照らさせながら、枕もとにきちんと坐っていた。「いや、おれは別にどうでもない。お前こそこの頃は顔の色がよくないようだが、また血の道でも起ったのか」「いいえ」 外記のくゆらす煙りは立て廻した金屏風に淡い雲を描いて、さらに枕もとの床の間の方へ軽くなびいて行った。綾衣は雛を祭らなかったが、床の間には源平の桃の花が生けてあった。外記は夜目に黒ずんだその花を見るともなしに眺めていた。二人は又しばらく黙っていた。 女は男の心の奥を測りかねていた。男は言うに言われない苦労を胸に抱えているらしく思われるのに、なぜあらわに打ち明けてくれないのか。それが水臭いような、恨めしいようにも思われてならなかった。どんな事でもいい、聞けば聞いたように自分にも覚悟がある。たとい天が落ちて来ようとも地が裂けようとも、今更おどろくような意気地なしの自分ではない。それは万々(ばんばん)知っている筈の外記がなぜ卑怯に隠し立てをするのか、それが憎いほどに怨めしかった。今となって男の心が疑わしくもなった。「ぬしは奥様でもお貰いなんすのかえ」 途方もない不意撃ちを喰らわして探りを入れると、外記は思わず噴きだした。「馬鹿を言え、そんな気楽な沙汰かい」「気楽でないと言わんすなら、また新しい苦労でも殖えなんしたかえ。主(ぬし)はなぜそのように物を隠しなんす。お前、ひと間住居(まずまい)とやらにでもなりんすのかえ」と、綾衣は厚い三栖紙(みすがみ)を膝に突いて摺り寄った。 一間住居というのは座敷牢である。武家で手にあまる道楽者などがあると、戸障子(としょうじ)を釘づけにした暗いひと間をあらかじめ作っておいて、親類一同が立会いで本人に一間住居を言い渡す。そうなったら否も応もない。大勢がまずその大小を奪い取って、手籠(てご)めにしてその暗いひと間へ監禁してしまうのである。廓へ深入りした若侍でこの仕置きを受けた者がしばしばあることは、綾衣もかねて聞いていた。「実はそんな相談もあったらしい」と、外記ももう隠していられなくなった。口では苦笑いをしながらも、すぐにそのくちびるから軽い溜め息がもれた。「おや、そんなら何どきそのむごい目に逢わんすかも知れんすまいに、おまえ、その時はどうしなんす」「それは当分沙汰止みになったらしい、市ヶ谷の叔父が不承知で……。叔父はずいぶん口喧(やか)ましいのでうるさいが、又やさしい人情もある。もう少し仕置きを延ばして、当人の成り行きを見届けるというような意見で、ほかの親類共もまず見合せたらしい。こんなことはみんなおれに隠しているが、角助めがどこからか聞き出して来る。なかなか抜け目のない奴だ」 笑う顔のいよいよ寂しいのが綾衣の眼には悲しく見えた。この頃は少しく細ったような男の白い頬に、鬢(びん)のおくれ毛が微かにふるえているのも美しいようでいじらしかった。「でも、いつまでもこの通りでいなんしたら、遅かれ速かれ、やっぱり一間住居に決まりんしょうが……」「一間住居は蹴破っても出る」と、男の眼には反抗の強い光りがひらめいた。 綾衣はぞっとするほど嬉しかった。彼女はいつもこの強いひとみに魅せられるのであった。「しかし甲府勝手(こうふがって)と来ると、少しむずかしい」と、男はまた投げ出すように言った。「甲府勝手とは何でありんすえ」「遠い甲州へ追いやられるのだ。つまり山流しの格だ」 もうどうしても手に負えないと見ると、支配頭から甲府勝手というのを申し渡される。表向きは甲府の城に在番という名儀ではあるが、まず一種の島流し同様で、大抵は生きて再び江戸へ帰られる目当てはない。一生を暗い山奥に終らなければならないので、さすがの道楽者も甲府勝手と聞くとふるえあがって、余儀なく兜を脱ぐのが習いであった。 一間住居から甲府勝手、こうだんだんに運命を畳み込んで来れば、その身の滅亡は決まっている。勿論、出世の見込みなどがあろう筈はない。外記はそれすらも敢(あ)えて恐れなかったが、万一遠い甲州へ追いやられたら、しょせん綾衣に逢うすべはない。二人を結び合わせた堅いきずなも永久に断たれてしまわなければならない。男に取ってはそれが何よりも苦痛であった。 黙って聴いている女の思いも、やはり同じどん底へ落ちて行った。半年のうちには大難があると言った占い者の予言は、焼金(やきがね)のように女の胸をじりじりとただらして来た。 綾衣の膝からすべり落ちた三栖紙(みすがみ)は白くくずれて、彼女は懐ろ手の襟に頤(あご)を埋めた。何か言いたい大事なことが喉まで突っかけて来ていても、今はまだ言うべき時節でないと無理に呑み込んで、彼女はきっと口を結んでいた。 やわらかい雨の音はささやくように低くひびいた。近所の小店(こみせ)で時を打つ柝(き)の音が拍子を取って遠くきこえるのも寂しかった。行燈の暗いのに気がついて、綾衣は袂をくわえながら、片手で燈心をかかげた。その片明かりに映った外記の顔はいよいよ蒼白かった。「まあ、いい。その時はその時のことだ。取り越し苦労をするだけが馬鹿というものだ」と、外記は捨て鉢になったように言った。
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