籠釣瓶
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著者名:岡本綺堂 

次郎左衛門の身代は潰れてしまったのだ。なんどき乞食になるかも知れないのだ」 酒に酔っていながらも、次郎左衛門の顔は蒼くなっていた。「わたしはお前さんに親許身請けのことを頼んだ。それは確かに頼みました。しかし佐野の身代の潰れたことまで吹聴(ふいちょう)して貰おうとは思わなかった。そこに念を押して置かなかったのが私の手落ちであったが、わたしはただ何と付かずにお前さんから八橋を請け出して、こっちへ渡して貰おうと思っていたのだ。それは手前勝手に相違ない。わたしもそれを百も承知しているから、大(だい)の男が手をさげてお頼み申したのだ。否(いや)なら否だと何故(なぜ)きっぱり断わっておくんなさらない。愚痴を言うようだが、わたしは恨みに思いますよ」 恨まれては迷惑である。なんだか怖ろしくもある。栄之丞も一応の言い訳をしないではいられなかった。「いや、お言葉ではございますが、当節のわたくしに何百両という金の才覚の届こう筈はございません。それは八橋もよく知っております。金の出どころ、身請け人の身許を正直に打明けませんでは、とても得心いたすまいと存じまして……」「それはよろしい。判っています。身請けの相手が次郎左衛門ということを隠して下さるには及ばない。しかし次郎左衛門の身代の潰れたことまでは……。いや、それもどうで遅かれ早かれ知れることで、秘し隠しにしようとするのは卑怯というもの。わたしが自身の口からは言いにくいことを、いっそあなたが打明けて下されば却って仕合せかも知れません。今のは言い過ぎで、どうぞ悪しからず思ってください」 案外にもろく折れられて、栄之丞もほっ[#「ほっ」に傍点]とした。次郎左衛門はふいと、こう言い出した。「そこで、栄之丞さん。わたしの方でも卑怯なことはやめにして、こうして三人三鼎(みつがなえ)で何もかも打明けて相談することにしましょうから、あなたの方でも卑怯なことは止して下さい。これからも末長くおつきあいを願おうと思っているのに、お互いに仇同士のような料簡をもっていては、どうも面白くありませんからね。この次郎左衛門に意趣遺恨があったら、どうぞ遠慮なしに真正面(まとも)からぶつかって来て下さい。ようござんすか。なんでもまともから男らしく……薄っ暗い所で卑怯な真似をしないで」 奥歯に物の挟まった言いようである。自分は次郎左衛門に対して、薄暗い所で卑怯な真似をした憶えはない。それには何か思い違いがあるに相違ないと栄之丞は思った。誰に対しても、自分が恨まれているというのは快(こころよ)くないことであるが、取り分けてこの次郎左衛門に恨まれているというのは栄之丞に取って甚だ快くなかった。むしろ薄気味の悪いように感じられてならなかった。彼は自分が卑怯な真似をしたという説明を彼からも聞き、また自分からも弁解したかった。「今うけたまわりますと、何か私が卑怯なことでも致したようにも聞えますが、それは何かのお考え違いで、わたくしはあなたに対して……」 次郎左衛門は杯をおいて、凄い眼でじっとこっちを睨み詰めているので、栄之丞は中途で臆病らしく口をつぐんだ。「やかましい」と、次郎左衛門はだしぬけに呶鳴り付けた。「卑怯だから卑怯だと言ったのがどうした。やい、生(い)けしゃあしゃあとした面(つら)をするな。この間の晩、大音寺前から次郎左衛門のあとを付けて来たのは誰だ。うしろから抜き身を振り廻しゃあがったのは何処のどいつだ。すぐに引っ返して行って踏み殺してやろうと思ったが、きょうまで命を助けて置いてやったのだ。さあ、次郎左衛門に意趣遺恨があるなら、まともに向いてかかって来い」 その権幕が余りに烈しいので、栄之丞は煙(けむ)にまかれた。彼の言うことは何が何だかちっとも判らなかった。栄之丞は呆気(あっけ)に取られて弁解をするすべもなかった。「全体おもしろくもねえ野郎だと思ったが、おとなしいのを取得(とりえ)に今まで可愛がって置いてやったのだ。それになんだ、柄にもねえ光る物なんぞを振り廻しゃあがって……。この次郎左衛門はこれまでに幾たびとなく血の雨を浴びて来た男だ。貴様たちの鈍刀(なまくら)がなんだ、白痴(こけ)が秋刀魚(さんま)を振り廻すような真似をしやあがったって、びくともするんじゃあねえぞ。もうこうなったら貴様なんぞに用はねえ、身請けの相談もなんにも頼まねえ。そんな面は見たくもねえから、早くけえれ」 次郎左衛門はつづけて呶鳴りつけた。彼の濃い眉は毛虫のようにうねって、その大きい眼は火のように燃えていた。この怒れる獅子に対して、栄之丞は哀れな小兎であったが、それでも彼は一生懸命に言い訳をしようと努めた。「それは思いも寄らない儀で、私があなたを闇撃ちにしようとしたなどとは……。夢にも憶えのないことで、それは大方人違いかと……」 次郎左衛門はただ黙ってあざ笑っていた。「さような御無体(ごむたい)を申し掛けられましては……」「よし、よし。もうなんにも言うことはねえ。こっちでももう聴かねえから、黙ってけえれ。ただひとこと言って聞かして置くが、八橋はもう貴様の起請を灰にしてしまったぞ」 今度は栄之丞の方が蒼くなった。膝の上についている彼の指さきはぶるぶると顫(ふる)えた。いかに遠ざかろうとしている女の前でも、自分の競争者の口からこの残酷な宣告を受けては、栄之丞の素直な心にも相当の弾力をもたなければならなかった。彼は正面の敵から眼をそらして、斜(はす)に女の方を見かえると、八橋は俯向いてなんにも言わなかった。頭を垂れているので、その顔の色は読めなかった。 それでも栄之丞は素直であった。素直というよりもむしろ男らしいというのかも知れないが、もうこの上は、何を言うのも無駄であると彼は考えた。野獣の怒ったような次郎左衛門を相手にして、いつまでとやこうと言い争っても果てしがない。ここで女の薄情を責めても始まらない。こういう不快な、そうして危険な場所からは、ちっとも早く立ち退いてしまった方が無事であると考えた。 むこうで帰れというのをしおに、栄之丞はおとなしく挨拶して起ちかかると、次郎左衛門は紙入れから一両を十枚出した。「おい。さっき聴いていりゃあ、十両の金が要るとかいって、八橋に無心を言っていたようだったね。さあ、十両はおれがやる。その代りに八橋の起請を置いて行くがいい」 ここで持っていないと言うのは余り卑怯だと思って、栄之丞は掛守(かけまもり)から女の起請を取り出した。彼はせめてもの腹癒せに、次郎左衛門の眼の前でずたずた[#「ずたずた」に傍点]に引き裂いて見せた。 芝居のようなこの場は、これで終った。 栄之丞は黙って起ち上がると、次郎左衛門はうしろから声をかけた。「おい、栄之丞さん。この金を持って行かねえのか」 聞かない振りをして彼は廊下へ出た。次の間にいた浮橋も気の毒なような、困った顔をして、これも黙って送って来た。栄之丞が二階の階子(はしご)を降りようとする時に、あとから八橋がそっと追って来た。「みんなあとで判ることでありんす」 彼女は紙につんだ十両を男の手に掴ませた。いっそ叩き返そうと思っても、その手さきは女にしっかり握られているので、栄之丞はどうすることも出来なかった。彼はくすぐったいような心持ちで、とうとうその金をふところに収めて出た。 堤(どて)へあがると、うすら寒い風はいつしか凪(な)いで、紫がかった箕輪田圃(みのわたんぼ)の空に小さい凧(たこ)の影が二つ三つかかっていた。堤したの田川の水も春の日に輝いて、小鮒(こぶな)をすくっている子供の網までがきらきらと光って見えた。稽古のために空駕籠を担いで、長い堤を往ったり来たりしている駕籠屋のひたいにも、煙りの出そうな汗が浮いていた。「寒いようでも、もう春だ」と、栄之丞もふと思った。 そう思いながらも、彼は春らしいのびやかな気分にはとてもなれなかった。懐中(ふところ)にしている十両の金が馬鹿に重いように思われてならなかった。この十両を手切れがわりに貰ったのかと思うと、彼は言うに忍びない屈辱を蒙ったようにも感じた。くやし涙がおのずと湧いて来た。 闇撃ち――飛んでもないことを言うと、彼は次郎左衛門の無法におどろいた。八橋と言い合わせて、おれと手を切るためにわざとあんな無法な言いがかりをしたのではないかとも疑った。こうと知ったら、きょうは廓へ来るのではなかったものをと、彼は今更のように後悔した。 自分の方から遠ざかろうとしていながら、女の不実を責めるのは手前勝手かも知れないが、八橋が起請を灰にしたということは、どう考えても腹立たしかった。自分が今まで欺かれていたようにくやしく思われた。その女の手からなぜこの金を受取って来たのであろう。なぜ女のひたいに叩き付けて来なかったのであろうと、栄之丞は自分の弱い心を自分で罵り恥ずかしめたかった。「お光も可哀そうだ」 彼はまた思い返した。 意気地(いくじ)なしと言われても、弱虫とあざけられても仕方がない。ともかくも目的の通りに金の才覚ができた以上は、早くこれを橋場へ届けて妹に安心させてやろうと思った。妹もおれのためには随分苦労している。せめてこういう時には兄甲斐(あにがい)のあるようにしてやらなければならないと、彼は妹が可愛さに一時の不平を抑えて、すぐに橋場の奉公さきへ急いで行った。     十四 三月になって絹糸のような雨が二、三日ふりつづいた。馬喰町の佐野屋の二階から見おろすと、隣りの狭い庭に一本の桃の花が真っ紅(か)に濡れて見えた。どこかで稽古三味線(けいこじゃみせん)の音が沈んできこえた。なま暖かいひと間の空気に倦(う)んで、次郎左衛門は障子を少しあけていたが、やがて又ぴっしゃりと閉め切って古びた手あぶりの前に坐って、小さい鉄瓶の口から軽く噴く湯煙りのゆくえを見つめていた。 座敷の片隅には寝床が延べてあった。先月の末から十日あまりも吉原の三つ蒲団に睡らない彼は、明けても暮れても宿の二階に閉じ籠って、綿の硬いごつごつした衾(よぎ)にくるまって寝るよりほかに仕事はなかった。眼が醒めると酒を注文した。酔うと又すぐに寝てしまった。 こんなことをして冬の蛇のように唯ぼんやりと生きているのは、彼に取って実に堪え難い苦痛であったが、今の彼はもう穴を出る力を失っていた。宿の亭主にあずけておいた五百両も、とうに喧嘩づらで引き出して、二月の中ごろまでには一文も残さずつかった。彼はいよいよ大尽の頭巾(ずきん)をぬいで、唯の旅びとの次郎左衛門になった。仲の町の茶屋にも幾らかの借りも出来た。たとい催促をされないまでも、面(つら)の皮を厚くして乗り込むわけには行かなくなった。初めから判り切っている事ではあるが、彼はその判り切っている路を歩んで、判り切っている最後の行き止まりに突き当った。金がいよいよ無くなったら何とか考えよう――彼はその最後の日まではなんにも考えまいと努めていたが、さていよいよ何とか考えなければならない時節になった。彼はやはりなんにも考えられなかった。 歳(とし)は男盛りである。からだは丈夫である。いざとなれば天秤棒(てんびんぼう)を肩にあてても自分一人の糊口(くちすぎ)はできると多寡をくくっていたものの、何を楽しみにそんな事をして生きて行くのかということを、彼はこの頃になってしみじみと考えさせられた。もうそうなったら八橋には逢えない。おれは八橋と離れて生きてはいられないということが、今さら痛切に感じられて来た。 博奕打ちをやめたのも八橋の意見に基づいたのである。身上(しんしょう)を潰したのも八橋が半分は手伝っている。命と吊り替えというほどの千両を残らず煙(けむ)にしたのも、みんな八橋のためである。この三年このかたの自分は、すべて八橋に操られた木偶(でく)のように動いていたのであった。人形遣いの手を離れて木偶の坊が一人で動ける筈がない。昔の次郎左衛門は知らず、今の次郎左衛門は八橋を離れて動くことのできない約束になっていることを、彼は自分で見極めてしまった。八橋がきっと自分の物になるという保証がつけば、彼は車力にでも土方にでも身を落すかも知れなかったが、そんな望みのないことは彼自身もよく承知していた。 栄之丞の口から佐野の家の没落が発覚したときに、八橋はなんと感じたであろうか。彼は切(せつ)にそれを知りたかった。栄之丞が帰ったあとで、彼はいろいろにして訊こうとした。すると、八橋の返事は案外であった。「わたしに突き出されたのを遺恨に思って、栄之丞さんは嘘をつきなんした。それはわたしがよく知っておりいす」 彼女はあくまでも栄之丞の話を嘘にして、佐野の家の没落を信じないというのであった。次郎左衛門はまた白状する機会を失って、それをいいしおに嘘だとも本当だとも、はっきり言い切らずに別れてしまった。「おれも昔は男を売ったものだが……」と、彼は過去のおのれと現在のおのれとを対照して、あまりに男らしくない卑怯な心持ちを自分であざけった。そうして、相変らず夢のように吉原へ通いつづけていた。 それももう行き詰まった。茶屋はさておいて、宿屋の払いさえも出来なくなった。彼は髪結い銭にも煙草銭にも困って、宿の者の眼につかないように着替えの衣服(きもの)や帯などをそっと抱え出して、柳原の古着市へ忍んで行ったこともあった。それも長くはつづかないで、今の次郎左衛門が持っているものは、自分のからだ一つと村正(むらまさ)の刀一本になってしまった。村正の刀は十年前に或る浪人から百両で買ったもので、持ち主は家重代(いえじゅうだい)だと言った。水も溜まらぬ切れ味というので、籠釣瓶(かごつるべ)という銘が付いていた。次郎左衛門はこの籠釣瓶で、博奕場の喧嘩に六、七人傷つけたことがあった。彼は幾口(ふり)も持っている刀のうちでも、これを最も秘蔵の業物(わざもの)としていたので、去年故郷を退転する時にも余の刀はみんな手放してしまって、籠釣瓶だけを身につけて来たのであった。「もうこの上は、籠釣瓶を手放すよりほかはない」 村正は徳川家に祟(たた)るという奇怪な伝説があるので、江戸の侍は村正を不祥(ふしょう)の刀として忌むことになっているが、他国の藩士はさのみ頓着しないから、いい相手を見付ければ相当の高値に売れる。刀屋へ捨て売りにしても四、五十両のものはある。ここで思い切って籠釣瓶を手放す事にすれば吉原へも行かれる、当分の小遣いにも困らない。自分のからだと籠釣瓶と、この二つしか残っていない彼は、どうしても籠釣瓶と別れを告げるよりほかに仕様はなかった。しかし彼は辛かった。籠釣瓶に別れるのは兄弟に別れるよりも辛(つら)かった。この長いものを横たえて野州に男を売った昔の花盛りを思い出すと、彼は悲しい秋が急に押し迫って来たように心さびしくなった。 町人や百姓に刀は不用だというが、おれは佐野の次郎左衛門である。刀はおれの魂であると、彼は平生から考えていた。八橋の意見について一旦は土臭い百姓に復(かえ)ったものの、本来の野性は心の奥にいつまでも忍んでいた。彼はいかなる場合にも、この刀を身に着けているつもりであった。 今の次郎左衛門からどうしても引き放すことの出来ないものは、この籠釣瓶と八橋とであった。八橋は自分の命であった。籠釣瓶は自分の魂であった。どっちを離れても、自分というものはこの世に存在しないように思われた。どんなに落ちぶれても、どんなに行き詰まっても、彼はこの二つを手放したくなかった。たとい籠釣瓶を手放したところで、その金で一生を安楽に送られるという訳でもない。思い切ってこれを手放したところで、多寡が百両に足りない金を握るだけのことで、その金の尽きた時には八橋にも別れを告げなければならない。こう思うと、籠釣瓶をむざむざ[#「むざむざ」に傍点]手放すのがいよいよ惜しくってならなかった。 雨は小やみなしにしとしと[#「しとしと」に傍点]と降っていた。そろそろ花見どきに近づいて、どこの宿屋も江戸見物の客で込み合う頃であるのに、ことしは田舎の人の出が遅いとかいうので、広い佐野屋の二階も森閑(しんかん)としていた。四、五人の泊まり客は雨がふるのに何処へか出て行ってしまって、どの座敷にも灰吹きを叩く音もきこえなかった。なんだか鬱陶(うっとう)しいので、次郎左衛門はまた起って障子をあけると、どこかで籠の鶯(うぐいす)の声がしめって聞えた。このごろ聞きなれた豆腐屋の声が表で睡そうにきこえるのも、やがてもう午(ひる)に近いのを思わせた。 次郎左衛門は戸棚から籠釣瓶を取り出して、なんということもなしにするりと引き抜いて障子のあいだから流れ込む真昼のうすい光りに照らして見た。彼は水のように美しく澄んでいる焼刃(やいば)を惚れぼれと眺めているうちに、今までにこの刀を幾たび抜いたかということを考えた。これで喧嘩相手の小鬢(こびん)や腕を切った時のこころよい感じが、彼の両腕の肉をむずがゆいように顫わせた。「もう一度人を切って見たい」 彼はふとそんなことを考えた。村正は不祥の刀であるということもまた思い出された。自分と八橋と籠釣瓶と、この三つはどうしても引き放すことの出来ない約束になっているらしくも思われた。八橋とも別れたくない、籠釣瓶とも別れたくない。それを煎じ詰めて考えていると、彼はとうとう最後の結論に到着した。「籠釣瓶で八橋を殺して、自分も籠釣瓶を抱いて死ぬ。これよりほかに途はない」 重荷を卸(おろ)したようにほっ[#「ほっ」に傍点]として、彼はもう一度その刀をつくづく眺めた。やがて刀を鞘(さや)に納めて、女中を呼んで硯と巻紙とを取り寄せた。彼は姉と親類とに宛てた手紙を書き始めた。書いてしまった頃に、ちょうど午飯の膳を運んで来たので、彼はいつもの通りに酒を注文した。酔うと寝床へもぐり込んで、昼から夜までぐっすりと寝てしまった。 あくる日も雨が降っていた。「毎日降って困りますね」 佐野屋の入り口へ治六が寂しそうな顔を出した。「治六さん。しばらく見えなさらなかったね。どうかしなすったか」と、帳場にいる亭主が宿帳をつけている筆をおいて訊いた。「はい。少し風邪(かぜ)を引きまして、つい御無沙汰をいたしました」 三日目に一度ぐらいずつは必ずそっと訪ねて来て、主人の安否を蔭ながら訊いてゆく治六が小(こ)半月ばかりも顔を見せないので、亭主も内々心配しているところであった。なるほど病気で寝てでもいたらしく、ふだんから髪月代(かみさかやき)などに余り頓着しない男が一層じじむさくなって、少し痩せた頬のあたりにそそけた鬢の毛がこぐらかってぶら下がっていた。「旦那さまはこの頃どうでごぜえます」と、彼は帳場の前ににじり寄って来てすぐに訊いた。「相変らずさ」と、亭主はにがい顔をした。「だが、もう大抵遣い切ってしまったらしい。吉原へもだいぶ遠退いたし、この頃では髪結い銭もないらしい」 次郎左衛門は二月の勘定もまだ払わない。長年の馴染みであるから、勿論あらためて催促もしないが、今まで晦日(みそか)には几帳面(きちょうめん)に払っていた人が僅かばかりの宿賃をとどこおらせているようでは、その懐ろ都合も思いやられる。例の千両もとうとうみんなおはぐろ溝(どぶ)へ投げ込んでしまったらしいと、亭主は気の毒そうに言った。 治六はじっと俯向いて聴いていたが、やがて肌に着けていた鬱金(うこん)木綿の胴巻から三両の金を振り出して亭主の前にならべた。「旦那さまの二月分の勘定というのは幾らになるか知りませんが、まあこれで取って置いて下せえまし」「冗談言っちゃあいけない」と、亭主は叱るように押し戻した。「お前さんに立て替えさせようと思って壁訴訟(かべそしょう)をした訳じゃあない。長年の定宿だ。まかり間違ったところで私の方の損とあきらめれば済む。今のお前さんには大事の金だ。むやみに遣わせちゃあならない」「これもみんな旦那さまから貰った金で、つまり旦那さまの物を預かっているも同様でごぜえます。こういう時の用にと思って、去年お暇の出るときに貰った十両はちゃんと手をつけずにあります。どうぞ受取って置いて下せえまし」と、治六の方でも押し返した。 亭主の眼からは涙がこぼれた。お前さんの志はよく判っているが、どうもこの金をお前さんから受取るわけには行かない。旦那がああいう始末になっては、お前さんももう帰参の見込みもあるまい。その十両を元手にして何か自分の身を立てる工夫を付けた方がよかろうと、亭主は親切に意見すると、治六はときどきに眼を拭きながらおとなしく聴いていた。そうして、久し振りで旦那さまに逢って来たいと言った。「どうでいい顔もしなさるまいが、逢いたければちょいと顔を出して来なさるがいい」と、亭主は言った。 治六はそっと二階へあがって行くと、もうやがて八つ(午後二時)というのに次郎左衛門は衾(よぎ)をすっぽりと引っかぶっていた。障子の外から声をかけて、治六は這うように座敷へいざってはいると、次郎左衛門は薄く眼をあいていた。「治六か。どうしている」 久し振りで主人から優しい声をかけられて、治六は急に悲しくなった。彼は胸がいっぱいになったようで、腰から手拭を取って顔に当てたまま俯向いていた。「何を泣く。馬鹿野郎」と、次郎左衛門はあざけるように叱りながら起き直った。「だが、貴様が来たので丁度いい。少し頼みたいことがある。国まで使いに行って来てくれ」 ここの亭主からもう聞いたかも知れないが、おれも財布の底をはたき尽くして、宿の払いにも困るような始末になってしまった。もう、うかうかしてはいられない。今度という今度は本気になってなんとか身の振り方を付けなければならない。それには幾らかまとまった金が欲しい。これから故郷の佐野へ行って、姉や親類にもその訳を話して、金の都合をして来てくれ。なんといっても親(しん)は泣き寄りで、まさかに情(すげ)なくも追い返すまい。実は飛脚を頼むつもりできのうから手紙を書いておいたから、これを持って行けば判るといって、彼は蒲団の下から一通の手紙を探り出して治六に渡した。 正直な治六はなんにも疑わなかった。主人としては今の場合こうするよりほかに、知恵も工夫もあるまいと素直に考えた。しかしこれは余ほど難儀な使いで、今さら故郷へのめのめ[#「のめのめ」に傍点]と引っ返して、おまけに無心がましいことを言い出して、親類たちに忌(いや)な顔を見せられるのは治六もなにぶん辛かったが、その辛い目を辛抱しなければ主人の身が立たない。殊に財布が空(から)になった故でもあろうが、宿の亭主の話によれば、この頃は廓へ足踏みもしないという。あるいは主人もいよいよ本気になって、これからまじめに稼ぎ出そうという料簡になったのかも知れない。自分にやさしい声をかけてくれたのも、くるわの酒の醒めたしるしかも知れない。こう思うと、彼の心にもおのずからなる勇みも出て、辛い役目をひき受けて働く甲斐があるようにも思われた。「よろしゅうごぜえます。すぐにめえります」 治六はこころよく承知したので、主人も久し振りで笑顔を見せた。忌(いや)でもあろうが我慢して行ってくれと重ねて言った。治六はあしたの朝すぐに発つと約束して、主人の手紙を懐ろへしっかりしまったが、帰る時に彼は胴巻から十両の金を出して、自分はそのうちから佐野まで往き復りの路用(ろよう)として一両だけを取って、残りの金を主人に戻した。次郎左衛門は要らないといったが、治六は無理に押しつけて帰った。「あいつもやっぱり可愛い奴だ」 馬鹿と叱った主人の口から、こんな情けぶかい独り言も洩れた。     十五 毎日ふり続いた雨が今日はからりと晴れると、春の光りが一度に輝いて来た。栄之丞が窓をあけて見ると、急に雪でも降ったように、近所の屋敷や寺の桜がみんな真っ白に咲き出して、いろいろの鳥の声がきこえた。彼の若い心もそそられるように浮き立って、なんとはなしに門(かど)へ出て、白い雲の流れている瑠璃(るり)色の空を仰いだ。 きょうは人通りも多かった。吉原では仲の町の桜が咲いたといううわさ話をして行くのもあった。その噂の種になっている吉原の空は薄紅く霞んで、鳶(とび)が一羽低く舞っていた。彼はうっとりとそれを見あげていると、だしぬけに声をかけられて驚いた。妹のお光が笑いながら自分の前に立っていた。「きょうは奥のお使いで門跡(もんぜき)さまの方まで参りましたから」と、彼女は言った。 使いに出て道草を食ってはならない。用がなければ滅多に来るなと栄之丞はふだんから言い聞かせてあるが、兄思いのお光はときどきに訪ねて来る。兄も叱りながら悪い気持ちはしなかった。「内へあがると長くなる。門(かど)で帰れ」 二人は門口に立って、薄い煙りのあがる水田を眺めていた。「どうだ。この頃は主人の首尾もいいか」「はい」と、お光はにこにこ[#「にこにこ」に傍点]していた。お内儀(かみ)さんは相変らず可愛がってくれて、このあいだも半襟を下すった。古参の女中のお兼さんも、こっちが素直に受けているので、この頃ではだんだんに打ちとけて来た。この分ならばちっとも居づらいことはない。どうぞ安心してくれと、彼女は嬉しそうに話した。 その晴れやかな顔を見るに付けても、栄之丞はこの正月のことが思い出された。あの時に八橋というものがなかったら、妹は勿論のこと、自分もどんなに苦しい思いをしたかも知れない。金は次郎左衛門の懐ろから出たにしても、つまりは八橋に救われたのである。その時すぐに金を届けてやると、お光は泣いて喜んだ。主人は満足した。それから二、三日経つと、お光は礼手紙を書いて、ついでの時にそれを八橋さんに届けてくれと兄にくれぐれも頼んで行った。そうして、今度の事が首尾よく済んだのもみんな八橋さんのお蔭であるから、兄さまもどうぞ忘れないでくれと、栄之丞がこの頃とかくに八橋に遠ざかっているのを、それとなく注意するように言って帰った。 栄之丞は少し迷惑したが、その手紙を握り潰してしまうのも妹に対してなんだか義理が悪いように思われるので、さらに二、三日経ってから吉原へ届けに行った。しかし八橋には逢わないで、茶屋の門口(かどぐち)から女中に頼んで、逃げるように早々帰って来た。 八橋が起請を焼いたことを栄之丞は妹になんにも話さなかったが、彼の内心には消すことのできない一種の不満と嫉妬とがみなぎっていた。勿論、自分も八橋から遠ざかりたいと念じていたが、むこうから突き放されようとはさすがに思い設けていなかった。落ちぶれたといっても一方は佐野の大尽である。その大尽の襟もとに付いて、浪人者の自分を袖にした女の心が憎かった。手前勝手ではあるが、栄之丞は自分の方から女を突き放したかった。女の方から突き放されたくなかった。 しかしそれももう仕方がない。これで切れる縁ならば、こうして切れてもよんどころない。お光の礼手紙をとどけた以上は、八橋にも妹にも義理は立っている。もうこれでなんにもない昔と思えばいいと、彼も一旦は思い切りよく諦めた。ところが、八橋の方ではそう素直に諦めさせなかった。すぐに打ち返してお光に宛てた手紙をよこした。お光ばかりでなく、栄之丞にも三日にあげずに手紙をよこすようになった。 起請を焼いたのにも、いろいろの訳がある。もう一度お目にかかって、よくその訳を言いたいから、ぜひ逢いに来てくれという手紙を受取っても、栄之丞はもう吉原へ足をむける気にはなれなかった。次郎左衛門に逢うのも怖ろしかった。彼は廓の使いに対しても、なんとか、かとかいい加減の作り口上をならべて、努めて女に近寄らない手段を講じていた。実はきのうも八橋から呼び出しの手紙が来て、いろいろの恨みつらみや愚痴が長々と書いてあった。そうして、この頃は次郎左衛門がちっとも影を見せないというようなことも書き添えてあった。それでも栄之丞はまだ釣り出されようとは思っていなかった。「兄さま、吉原では桜がもう咲いたそうでございますね」と、お光は言い出した。八橋さんからたよりがあったかなどとも訊いた。 兄の返事がなんだかあいまいなので、お光は少し疑うような眼色を見せた。「この頃もやっぱり八橋さんのところへお出でにならないのですか」「むむ。行こうとは思っているが……。行ってもおもしろくないから」「面白づくばかりでなく、時どきは行ってあげて下さい。このあいだの手紙にも、兄さまを是非よこしてくれとくれぐれも書いてございました。このお正月のこともみんな八橋さんのお庇(かげ)で無事に済んだのでございます。どうかしてお礼をしたいと思っておりますけれども、今のわたくしの力ではどうにもなりません。せめて兄さまにお願い申して……」と、なんにも知らないお光は頼むように言った。 あんなに世話になって置きながら、それぎりに顔出しをしないでは、義理知らずだと思われるのも心苦しいとも言った。「そのうちに一度行こうよ」と、栄之丞も妹の気休めにまずこう言っておいた。「では、ぜひ近いうちに……。いずれ又お話を伺いに出ますから……」 お光は余り遅くならないうちにと、言うだけのことをいってすぐに帰った。 さっきから日向(ひなた)に立っていたので、栄之丞はうすら眠いような心持ちになって、どんよりした眼でふたたび吉原の空を見た。春の癖とはいいながら、晴れた空でも少しはなれた廓の上は煙るように霞んでいた。 ゆうべは八橋から手紙を受取った。きょうは妹に一度は行ってくれと頼まれた。しかも、このうららかな春の日にあぶられて、栄之丞の肉も心もおのずと春めいて来た。ともかくも一度八橋に逢って、起請を焼いたわけを聞いて見ようかというような未練もおこった。次郎左衛門がこの頃ちっとも来ないという訳も聞きたかった。 この際よし原に入り込んでも次郎左衛門と顔を合わせる気づかいはあるまいという一種の安心もあった。ちょうど天気もよし、いっそ今夜行って見ようと、彼はふらふらとその気になった。別に用もないからだであるので、彼はそれから髪結床へ行って、その帰りに湯にもはいって来た。 今夜八橋に逢って、起請を焼いたわけも判って、次郎左衛門ももう来ないと決まったら、これから後はどうするか。やっぱりもとの通りに八橋との縁をつなぐか、それともあくまでも彼女の冷たい心を恐れてなんとか縁をきる工夫をするか。栄之丞もまだそこまではよく考え詰めていなかった。ゆうべの八橋の手紙と、きょうのお光の頼みと、自分自身の春めいた心と、この三つにそそのかされて、彼は唯うかうかと春の日の暮れるのを待っていたのであった。 先月は霜枯れで廓も寂しかったのは、この大音寺まえを通る駕籠の灯のかずでも知られた。いよいよ今が花の三月となっても、毎日の雨に邪魔されていたらしかったが、きょうは俄か天気で世間も俄かに春めいたので、日が暮れると表には駕籠屋の威勢のいい掛け声がつづけてきこえた。ひやかしのそそり節(ぶし)も浮いてきこえた。 栄之丞ももうじっとしてはいられなくなって、六つ(午後六時)を合図に家を出ると、十日のおぼろ月は桜の梢を夢のように淡く照らしていた。 兵庫屋へ送られてゆくと、八橋は待ちかねていたように彼を迎えた。手紙に書いてあった恨みや辛みは口へも出さないで、彼女はただ懐かしそうな笑顔で男と向き合っていた。お光の安否などもたずねた。こっちで第一に詮議しようと思っている起請のことも次郎左衛門のことも、容易に彼女の口から出そうもないので、栄之丞の方から催促するように訊いた。「佐野の大尽はどうして来ない」「来られた義理でもありんすまい。三月までに請け出すのなんのと嘘ばかり言って……」と、八橋は冷やかに言った。 人の心づくしを仇にして、去年以来とかくに自分から遠退(とおの)こうとしているらしい栄之丞の不真実が、八橋に取っては恨めしいを通り越して憎く思われた。憎い彼を突き放して、可愛くもない次郎左衛門に身を任せようとしたのも、それがためであった。そうして、起請はつめたい灰にしてしまったが、彼女の胸の底にはそのほとぼりがまだ残っていた。お光の金の一条で栄之丞が偶然訪ねて来たのが口火になって、そのほとぼりはまた煽られた。それと一緒に、次郎左衛門の落ちぶれたことも判った。落ちぶれた二人の男を列(なら)べて見くらべた時に、八橋はもう新しく考える余地はなかった。彼女はやっぱり昔の男が恋しかった。 いったん次郎左衛門に倚(よ)りかかろうとした彼女の心は、その時から又がらりと変った。いったん持ち出した身請けの相談も、なるべく口には出さないようにしていた。次郎左衛門が落ちぶれたという話も、なるべく聞かない振りをしていた。彼女はどこまでも今までのお大尽さまとして次郎左衛門を取扱っていた。そこに彼女の冷たい心の忍んでいることを、次郎左衛門はまだ覚らないらしかった。 次郎左衛門を見限ると同時に、彼女はむやみに栄之丞が懐かしくなって、うかうか[#「うかうか」に傍点]と起請を焼いたことがしきりに悔まれた。いろいろの手段を尽くして、むかしの恋人を引き寄せようとあせった。その念がふた月越しでようように届いて、眼に見えない糸に引かれたように男が今夜ふらり[#「ふらり」に傍点]と来た。彼女は嬉しいので胸がいっぱいになって、次郎左衛門のことなどを話している余地はなかった。 栄之丞から訊かれて、彼女は初めて思い出したように、二月以来、次郎左衛門の足が遠ざかったことを話した。浮橋の噂によると、次郎左衛門は余ほど内証が詰まって来て、茶屋にも借りが出来たらしい。今まで大尽かぜを吹かせていた彼が、廓の人たちの手前、余り落ちぶれた姿を見せたくもあるまい。このごろ足をぬいたのも無理はない。利口な人ならば、ここらでもう見切りをつけて、二度と大門(おおもん)をくぐらない筈であると、八橋は彼の未来を占うように言った。「そうかも知れない」 栄之丞は思わず溜め息をついた。廓で全盛を尽くした大尽の零落は珍らしくない。次郎左衛門が佐野の身上(しんしょう)をつぶしたことは、栄之丞もとうに知っていた。それでも彼がいよいよ大門をくぐることが出来ないほどに行き詰まったかと思うと、栄之丞は急に悲しい果敢ないような、なんだか涙ぐまれるような寂しい心持ちになって来た。「何を考えていなんす。花の三月、浮きうきとおしなんし」と、八橋は華やかな声で笑った。 栄之丞は黙っていた。こうしてうかうか[#「うかうか」に傍点]釣り出されて来たものの、彼は女の心がやはりおそろしかった。 新造の掛橋や浮橋が催促に来た。八橋は仲の町の茶屋へ行かなければならなかった。彼女は栄之丞を待たせて置いて出た。     十六 享保時代の仲の町には、まだ桜が多く植えられていなかった。その頃の夜桜というのは、茶屋の店先や妓楼の庭などへ勝手に植えられたもので、それが年中行事の一つとなって、仲の町に青竹の垣を結い廻して春ごとに幾百株の桜を植え、芝居の「鞘当(さやあて)」の背景に見るような廓の春を描き出すことになったのは、この物語の主人公が亡(ほろ)びてから二十年余の後であった。それでも春の夜はやはり賑わしかった。 そのぞめき[#「ぞめき」に傍点]の群れにまじって、次郎左衛門は仲の町を忍ぶように通った。八橋の予言ははずれて、彼は再び大門をくぐったのであった。しかも、なんの躊躇もせずに彼はまっすぐに立花屋の店先へずっとはいった。「おや、佐野の大尽さま。お久し振りでござりました」 女房のお藤はいつもの通り愛想よく迎えた。次郎左衛門はもうこの茶屋に百両余りの借りが出来ていた。「この頃はどうなされたかとお噂ばかり致しておりました。浮橋さんの噂では、ひょっとするとお国へお帰りなすったのかなど申しておりましたが、やはりまだ御逗留でござりましたか。八橋さんの花魁もさぞお待ちかねでござりましょう。まあどうぞお二階へ……」「いや、急に暖かくなったせいか、駕籠にゆられてなんだか頭痛がする。少しここで休ませてもらおうか」 次郎左衛門は店さきの床几(しょうぎ)に腰をおろして、花暖簾を軽くなぶる夜風に吹かれていた。彼は女中が汲んで来た桜湯(さくらゆ)をうまそうに一杯飲んで、ゆったりした態度で往来の人を眺めていた。女中がすぐに八橋のところへ報(しら)せに行こうとするのを、次郎左衛門は急に呼び止めた。彼は兵庫屋の二階へ登りたくなかった。「あ、これ、わたしは少し都合があって、今夜はここで帰るかも知れないから、八橋をここへ呼んでくれまいか」「まあ、そんなことを仰しゃりますな。茶屋で帰るという法はござりますまい」 女中は笑って行ってしまった。 次郎左衛門は少し目算(もくさん)が狂った。彼は今夜八橋を殺しに来たのである。それには兵庫屋の二階へ刀を持ってゆくことは出来ないので、なるべく彼女を茶屋まで呼び出したかった。一緒に死んでくれと頼んでも、八橋が承知しそうもないことは彼もさすがに知っていた。なまじいのことを言い出して恥をかくよりも、なんにも言わずに不意に切ってしまう方がいいと胸を決めていた。しかし思い切って彼女を切れるかどうだか、次郎左衛門は我ながら少し不安であった。 腕に覚えはある、刀は銘刀である、骨の細い女ひとりを打(ぶ)っ放すのは、なんの雑作(ぞうさ)もないことではあるが、八橋を切る――それを思うと、彼はなんだか腕がふるわれた。人を切った経験はたびたびある。血を見ることを恐れるおれではないと思いながらも、八橋を切ることは次郎左衛門に取って一生で一度のおそろしい仕事であった。 一旦ひそんだ野性が再びむらむら[#「むらむら」に傍点]と頭をもたげて、すでに人を殺すと覚悟した以上、なんの遠慮も容赦もない筈であるが、相手が八橋であるだけに彼はやはり臆病らしい一種の未練に囚(とら)われていた。いま殺そうというきわまで彼は八橋が可愛かった。勿論、可愛いから殺すのである。そうは知っていながらも、どうして突くか、どこから切るか、彼はおののく腕を組みながら、まず刃の当てどころからして考えなければならなかった。「いっそ喧嘩でも吹っ掛けようか」 彼は更にまず刀をぬく機会を求めなければならなかった。尋常に八橋と向き合っていて、とても彼女に切り付けることはできない。何かの切っ掛けを見付けて、ひと思いに切り付ける工夫をしなければならないと思った。八橋がいつものように笑い顔をしていたら、とても切るも突くも出来そうもない。何か相手の方からいい機会を与えてくれればいいと、ひそかに祈っていた。 やがて女中が帰って来た。やはり八橋は来なかった。新造の浮橋が来て、無理に次郎左衛門を兵庫屋へ連れて行ってしまった。彼はよんどころなしに、籠釣瓶を茶屋にあずけて出た。 次郎左衛門が来たと聞いた栄之丞は、案外に思った。八橋は別に驚きもしなかった。「ほほ、未練らしい。また来なんしたか」と、彼女は平気で笑っていた。 栄之丞は廊下へ出るにも注意して、なるべく次郎左衛門と顔を合わせないように念じていた。彼は引け四つ(十時)前に帰ろうといったが、八橋が無理にひき留めて放さなかった。 この晩は夜なかから南風(みなみ)が吹き出して、兵庫屋の庭の大きい桜の梢をゆすった。 夜があけるのを待ちかねて、栄之丞は兵庫屋を出た。八橋も茶屋まで送って行った。その留守の間に次郎左衛門も飛び起きて、忙がしそうに顔を洗った。「いっそ直しておいでなんし」 新造たちの止めるのを振り切るようにして、次郎左衛門は立花屋へ帰った。浮橋が送って行った。ゆうべの風の名残りで、仲の町には桜が一面に散って、立花屋の店先には白い花の吹き溜まりがうずたかく積もっていた。まだ大戸をあけたばかりの茶屋では、次郎左衛門がいつにない早帰りに驚かされた。「お早うござります」 二階へあがれと勧められたが、次郎左衛門はすぐに帰るといって、籠釣瓶をうけ取って腰にさした。女中は駕籠を呼びに行った。浮橋は栄之丞の茶屋へ八橋を迎いに行った。ひと足さきへ帰るつもりであったのを、かえって次郎左衛門に先(せん)を越された気味で、栄之丞は少し躊躇したが、いっそこうなったら次郎左衛門をさきにやりすごして、自分は後から大門を出ようと思ったので、ともかくも早く立花屋へ顔を出して来たらよかろうと八橋に言った。「そんなら、ちょいと行って来るまで待っていておくんなんし」と、八橋は念を押して出て行った。 浮橋はひと足さきへ駈けぬけてゆくと、次郎左衛門はやはり立花屋の店先に腰をかけていた。表はもう薄明るくなっていたが、店の奥には暁(あ)けの灯の影が微かにゆらめいていた。「もう帰りなんすかえ」 八橋は次郎左衛門のそばへ来て同じく腰をかけた。籠釣瓶を身に着けていながら、次郎左衛門はまだ思い切って手をかける機会がなかった。彼は花の吹き溜まりを爪先(つまさき)で軽くなぶりながら、なるべく女の顔を見ないように眼をそらしていた。そのうちに女房は衣類を着替えて奥から出て来て、ともかくも二階へあがれと次郎左衛門にすすめた。浮橋も勧めた。「まあ、大尽から」と、女房は手を揉みながら言った。 次郎左衛門は無言でずっと起って店口の階子(はしご)をあがった。少しおくれて八橋も上がった。 彼女が階子の中ほどまで登った時に、もう上がり切っていた次郎左衛門が上から不意に声をかけた。「八橋」 思わず振り仰ぐ八橋の頭の上に、さっ[#「さっ」に傍点]という太刀風が響いたかと思うと、彼女の首は籠釣瓶の水も溜まらずに打ち落されて、胴は階子に倒れかかった。兵庫に結った首は斜(はす)に飛んで、つづいて登ろうとする浮橋の足もとに転げ落ちた。浮橋も女房も、はっ[#「はっ」に傍点]と立ちすくんだままで声も出なかった。 丁度そこへ次郎左衛門を迎いの駕籠が来た。駕籠屋がおどろいて口々にわめいた。近所の者も駈けて来た。「逃げ隠れする者でない。次郎左衛門はここで切腹する。見とどけてくれ」と、次郎左衛門は二階から叫んだ。しかし彼が最後の要求は誰にも肯(き)き入れられなかった。「人殺しだ、人殺しだ。逃がすな、縛(くく)れ」 立花屋の店先には人の垣を築いた。聞き分けのない奴らだと次郎左衛門は憤った。卑怯に逃げ隠れをするのでない。ここで尋常に自滅するというものを、無理無体に引っくくって生き恥をさらさせようとする。それならばこっちにも料簡がある。最後の邪魔をする奴は片っ端から切りまくって、一旦はここを落ち延びて、人の見ないところで心静かに籠釣瓶を抱いて死のうと、彼は八橋を切った刀の血糊(ちのり)をなめて、階子の上がり口に仁王立(におうだ)ちに突っ立って敵を待っていた。くるわの火消しがまっさきに駈けあがったが、その一人は左の肩を切られて転げ落ちた。つづいて上がろうとした一人も、手鳶(てとび)を柄から斜めに切られて、余った切っ先きで小手(こて)を傷つけられた。狭い階子の上に相手が刃物をふりかざしているので、誰も迂闊(うかつ)に寄り付くことができなかった。みんなは店から煙草盆を持って来て二階へ投げあげた。茶碗や小皿なども投げ付けた。「屋根から窓の方へ廻れ」と、誰か叫ぶ者があった。 逃げ路を塞がれては不便だと気がついて、次郎左衛門は敵の廻らないうちに、自分から先きに窓を破って大屋根の上に逃げて出た。風は暁け方から吹きやんで、三月の朝の空は眼を醒ましたようにだんだんに明るくなった。幾羽の鳩の群れが浅草の五重の塔から飛び立つのが手に取るようにあざやかに見えた。眼の下の仲の町には妓楼や茶屋の男どもが真っ黒に集まっていた。 火消しは長ばしごを持ち出して来て、方々から屋根伝いに追い迫って来た。次郎左衛門はそれでも二、三人を切りおとして、隣りの屋根から物干の上に出た。物干のあがり口には窓があったが、その窓はもう固く閉められて、はいることは出来なかった。彼は屋根伝いに隣りからとなりへと伏見町の方へ四、五軒逃げた。 この騒ぎを聞いて栄之丞も茶屋から出ると、狂人のようになって駈けて来る浮橋に出逢った。彼は自分の胸に時どき兆(きざ)していた怖ろしい予覚が現実となって現われたのに驚かされた。彼も大勢と一緒に次郎左衛門のゆくえを見届けに行った。その蒼ざめた顔が大屋根の上に立っている次郎左衛門の眼にはいった。 次郎左衛門は急に栄之丞を殺したくなった。しかし敵の群がっている往来へ飛び降りることの危険を知っているので、彼は屋根の瓦を一枚引きめくって栄之丞を目がけて投げおろした。それが丁度彼の右の小鬢(こびん)にあたって、若い男の半面は鮮血(なまち)に染められた。偶然に思いも寄らない武器を発見した次郎左衛門は、これを手始めに屋根の瓦をがらがら[#「がらがら」に傍点]と投げおとして、眼の下に群がっている敵を追い払おうとした。下からもその砕けた瓦を拾って投げ返した。 大門の会所をあずかっている三浦屋四郎兵衛は分別者(ふんべつもの)であった。彼はおくればせに駈け付けて来て、すぐにこの持て余した狼藉者を召捕る法を考え付いた。彼は火消しどもに指図して、屋根へ水を投げ掛けろといった。火消しは龍骨車(りゅうこつしゃ)を挽き出して来て、火がかりをするように屋根を目がけて幾条の瀧をそそぎかけた。みんなも桶などを持って来て、手のとどく限り水を投げかけたので、ぬれた瓦に足をすべらせて、次郎左衛門はとうとう伏見町の河岸へ落ちた。落ちると直ぐに彼は籠釣瓶を腹へ突き立てようとしたが、その手はもう大勢に押さえられて働かすことが出来なかった。 彼は血走ったまなこで栄之丞はと見廻したが、その顔はそこらに見えなかった。栄之丞はほかの手負(てお)いと一緒に廓内の医者の手当てを受けに連れて行かれていた。 次郎左衛門の終りはあらためて説くまでもない。彼は千住(せんじゅ)で死罪におこなわれた。八橋ばかりでなく、ほかにも大勢の人を殺したので、彼の首は獄門にかけられた。 栄之丞のことはよく判らない。その疵がもとで死んだともいい、あるいは次郎左衛門と八橋との菩提を弔うために出家したともいい、ある町家の入り婿になって七十余歳で明和の末年まで生きていたとも伝えられている。お光のことは猶わからない。 治六が佐野へ帰って、次郎左衛門の姉や親類の眼さきへ突き出したのは、思いも寄らない主人の書置きであった。それと知って、彼がおどろいて江戸へ引っ返したのは、次郎左衛門が入牢(じゅろう)ののちであった。彼は主人の行く末を見とどけて、ふたたび佐野へ泣きに帰った。 籠釣瓶の刀はあがり物になって、官に没収されてしまった
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