平造とお鶴
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著者名:岡本綺堂 

したがって、時候はひと月おくれになって、今までは三月と決まっていた花見月が四月に延びた。
 その四月の花見に、ここの町内のひと群れが向島へ繰出すと、群集のなかに年ごろ三十二、三の盛装した婦人と二十六、七の若い男とが連れ立って行くのを見た。その男は確かにあの村田平造であると長屋の大工のおかみさんが言った。ほかの二、三人もそうらしいとささやき合っているうちに、男も女も混雑にまぎれて姿を隠してしまった。
 その噂がまた伝わって、ここにいろいろの風説が生み出された。
 かの平造が横浜の商館に勤めているというのは嘘で、彼はある女盗賊の手下(てした)になっているのだという者もあった。また、かれが商館に勤めているのは事実であるが、姓名を変えているので判らないのである。一緒に連れ立っていたのは外国人の洋妾(らしゃめん)で、背中に一面の刺青(ほりもの)のある女であるという者もあった。しかも、それらの風説に確かな根拠があるのではなく、平造の秘密はお鶴の死と共に、一種の謎として残された。いずれにしても平造が去ろうとする時に去らせてしまえば、おすまの一家はなんの禍いを受けずに済んだのであろう。それがいつまでも母親の悔みの種であった。




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