廿九日の牡丹餅
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著者名:岡本綺堂 

「そのゲジゲジが留めなけりゃあ、おめえはドブンを極(き)めたところだったじゃねえか。」
「だからさ。いっそ一と思いにドブンを極めようとしたところを、飛んだ奴に邪魔されて……。」と、女は激しく罵った。「いい相談があると瞞(だま)されて、掃溜(はきだめ)のような穢(きたな)い長屋の奥へ引っ張り込まれて、三日のあいだ、腹さんざん慰み物にされて、身ぐるみ剥がれて古浴衣一枚にされて……。揚句の果てに宿場女郎にでも売り飛ばそうとする、おまえの相談は聞かずとも判っているんだ。どうせ死ぬと決めた体だから、どうなってもいいようなものだが、あたしはお前のような男に骨までしゃぶられるような罪は作らないよ。」
「なに、罪は作らねえ……。女のくせに人殺しまでして、罪を作らねえが聞いて呆れらあ。よく考えて物をいえ。」
「人殺しはお前じゃあないか。」
 その声が高くなったので、男は暗いなかにあたりを憚(はばか)るように言った。
「おれはおめえを救ってやったのだ。」
「救ってくれたら、それでいいのさ。いつまで恩に着せることはないじゃないか。文句があるなら、千鳥へ行ってお言いよ。」
「べらぼうめ。うかうか千鳥なんぞへ面(つら)を出して、馬鹿息子と一緒に番屋へしょびかれて堪(たま)るものか。」
 さっきからの押問答をぬすみ聴いて、庄吉は男が何者であるかを覚った。男は近所の裏長屋に住む虎七という独り者で、表向きは瓦屋の職人であるが、商売はそっちのけで、ぐれ歩いている札付(ふだつき)のならずものである。女は何者であるか判らないが、ともかくもその事件が人殺しに関係しているらしいので、庄吉はおどろいた。殊に千鳥という名が彼の注意をひいた。
 こうなっては聞き捨てにならないと思ったので、彼は早々に引っ返して親父の庄作に注進(ちゅうしん)した。
 かれらの家は渡し場の近所で、庄作は今や一合(ごう)の寝酒を楽しんでいるところであったが、それを聞いて眉をよせた。
「そりゃあ大変だ。なにしろ俺も行って様子を見届けよう。」
 庄吉に案内させて庄作も川端へ忍んで行くと、二つの黒い影はもうそこに見いだされなかった。
 暗いなかで聞こえるのは、岸に触れる水の音のみである。女は死ぬと言っていたから、庄吉の立去ったあとに身でも投げたか、それとも男に引摺られて帰ったか、それらはいっさい不明であった。
「お父っさん、どうしよう。」
「さあ。」と、庄作も考えた。「ほか場所ならばともかくも、渡し場近所で何事かあったのを素(そ)知らん顔をしていては、後日に何かの迷惑にならねえとも限らねえ。念のために届けて置くがよかろう。」
 親子は一応その次第を自身番へ届けて出た。
 しかもその男も女もすでにどこへか立去ってしまったというのでは、別に詮議の仕様もないので、自身番でもそのままに捨てて置いた。

     四

 こんにちと違って、その当時の橋場あたりの裏長屋は狭い。殊に虎七の住み家(か)はその露地の奥の奥で、四畳半一間(ひとま)に型ばかりの台所が付いているだけである。そこへ町方(まちかた)の手先がむかったのは明くる日の午(ひる)ごろであった。
 庄作親子の届け出でを聞いて、自身番でもその夜はそのままに捨てて置いたが、仮りにもそれが千鳥の女房殺しに関係があるらしいというのでは、もちろん聞き流しには出来ないので、明くる朝になって町(ちょう)役人にも申立て、さらに町方にも通じたので、ともかくも虎七を詮議しろということになって、町方の手先は直ぐに召捕りに行きむかうと、虎七の家の雨戸は閉め切ってあった。こんな奴等は盗人(ぬすっと)も同様、あさ寝も昼寝もめずらしくないので、手先は雨戸をこじ明けて踏み込むと、虎七は煎餅蒲団の上に大きい口をあいて蹈(ふ)んぞり返っていた。寝ているのではない、頸を絞められているのであった。
 川端の闇で虎七と争っていた女が清元延津弥であるらしいことは、読者もおそらく想像したであろう。捕り方もその判断の付かない筈はなかった。延津弥は一旦ここへ引戻されて、虎七の酔って眠った隙をみて、かれを絞め殺して逃げたに相違ない。四畳半の隅には徳利や茶碗などもころがっていた。
 隣りは空家、又その隣りは吉原へ通(かよ)い勤めの独り者であるので、この二、三日来、虎七の家にどんなことが起っていたか近所でも知る者はなかった。しかも前後の事情は庄吉の聴かされた通りで、彼は延津弥を脅迫して、結局その手に殺されたのは明白であった。捕り方はさらに金龍山下にむかったが、延津弥の姿はやはり見いだされなかった。
 中田屋の亭主の死は果して牡丹餅の中毒であるかどうか、それは解き難い疑問であるが、少くもそれから糸を引いて、千鳥の女房お兼と破落戸漢(ならずもの)の虎七とが変死を遂げたのは事実であった。二十九日の牡丹餅が怖るべき結果を生み出したのである。
 長之助の千生の申立てはこうであった。
「わたくしの店から持って行った牡丹餅を食って、中田屋の旦那は死んでしまい、延津弥の師匠も患(わずら)って、その詮議がむずかしくなったと聞いて、わたくしは急に怖くなって家を逃げ出しました。師匠の円生のところへ行って相談いたしますと、ここで逃げ隠れをするのはよくない。自分におぼえのないことならば、当分は家にじっとしていて、なにかのお調べがあったらば正直に申立てろと教えられましたので、その気になって引っ返しましたが、どうも不安心でならないので、途中から又逃げました。今更おもえば重々(じゅうじゅう)の心得ちがいで、それがためにおふくろが殺されるようにもなったのでございます。
 どう考えても、わたくしは馬鹿でございました。師匠の意見に従って、自分の家にじっとしていればよかったのですが、いったん姿をかくした以上、なおさら自分に疑いがかかったような気がしまして、七月から八月にかけて五十日ほどの間は所々方々(しょしょほうぼう)をうろ付いていました。まず小田原まで踏み出しましたが、箱根のお関所がありますので、熱海の方角へ道を換えて、この湯治場(とうじば)に半月ほども隠れていました。それから引っ返して江の島、鎌倉……。こう申すと、なんだか遊山(ゆさん)旅のようでございますが、ほかに行く所もなかったからでございます。
 それから又、相模路から八王子の方へ出まして、そこに遠縁の者がありますので、脚気(かっけ)の療治に来たのだと嘘をついて、暫くそこの厄介になっていましたが、その化けの皮もだんだん剥げかかって来たので、そこにも居たたまれなくなって……。まあ、半分は逐(お)い出されたような形で、幾らかの路用(ろよう)を貰って江戸へ帰って参りました。
 故郷の浅草へ帰りましたのは、八月十六日の晩で、それから真っ直ぐに家へ帰ればよかったのですが、なんだか閾(しきい)が高いので、ともかくもその後の様子を訊いてみようと思いまして、金龍山下の延津弥の家へこっそり尋ねて行きますと、師匠はよく帰って来てくれたと喜んで、すぐに二階へあげて泊めてくれました。そうして、四、五日厄介になっているうちに、延津弥が申しますには、わたしも中田屋の旦那に死に別れて心細い。どうぞこれからは力になってくれと口説かれまして……。まあ、夫婦のような事になってしまいましたが、延津弥はわたくしを家へ帰しません。
 そのうちに判りましたのは、延津弥がわたくしのお袋をだまして、三十両ほどの金を巻き上げている事で……。延津弥はおふくろにむかって、こんなことを言っていたそうでございます。中田屋の旦那を毒害したなぞは、まったく覚えのないことだが、実は千生さんと私とは前々から深く言いかわしている。中田屋の一件とは別口(べつくち)で、千生さんは少し筋の悪いことがあって、当分は身を隠していなければならない。その隠れ家(が)は知れているが、今すぐに逢わせるわけには行かない。千生さんも小遣いに不自由しているようだから、金はわたしから届けてあげる。こう言って最初におふくろから十両の金を受取りまして、それから五十日のあいだに三両五両と四、五たびも引出しましたそうで……。それは延津弥が自分の口から話したのですから嘘ではございますまい。
 わたくしもそれを知って、どうもひどい事をすると思いましたが、なにしろ延津弥とは夫婦同様になってしまったのですから、今さら開き直って女を責めるわけにも参りません。八月二十一日の晩に延津弥は日本橋の方へ行くといって家を出まして、四つを過ぎても帰りません。どうしたのかと案じていますと、九つ(十二時)を過ぎてようよう帰って来ました。わたくしは外へ出ませんので、世間の噂を聞きませんでしたが、おふくろはその晩、小梅で殺されたのでした。わたくしが初めてそれを知ったのは二十三日の午頃で、その翌日が千鳥から葬式の出る日でございます。延津弥はわたくしに向って、もう隠れている場合ではない、早く帰ってお葬式の施主に立てと申しますので、わたくしも思い切って帰りますと、直ぐに御用になったのでございます。何事もわたくしの不届きで、重々恐れ入りました。」
 これに因(よ)って察せられる通り、千生はよくよく意気地(いくじ)のない、だらしのない人間で、最初は身に覚えのない罪を恐れ、後には女にあやつられて、魂のない木偶(でく)の坊のように踊らされていたのである。
 事件の輪郭はこれで判った。その以上の秘密は延津弥の自白に俟(ま)つのほかはない。しかも延津弥はその後の消息不明であった。きびしい町方の眼をくぐって、遠いところへ落ち延びてしまったのか、あるいは自分でいう通り、隅田川に身を沈めて、その亡骸(なきがら)は海へ押流されてしまったのか。それは永久の謎として残されていた。
 前後の事情によって想像すると、延津弥は千生の母に対して最初は反感を懐(いだ)いていたが、十両の金を持って来たというのを聞いて、俄かに悪心をきざして、それを巻き上げることを案出したのであろう。それは殆ど明白であるが、千生の母をなぜ殺したかということに就いては、明白の回答は与えられていない。
 最初のうちは千生の母もだまされて、三両五両を延津弥の言うがままに引出されていたが、後にはそれを疑って是非とも我が子に逢わせてくれと言い、その捫着(もんちゃく)から延津弥が殺意を生じたのであろうと解釈する者もある。しかし八月二十一日の頃には千生を自分の家に隠まっていたのであるから、どうしても逢わされないという事もない筈である。あるいは母を殺して千生に家督を相続させ、自分も千鳥のおかみさんとして乗込むつもりであったろうという。その方がやや当っているらしいが、それにしても母を殺すのは余りに残忍であるように思われる。
 次は延津弥と虎七との関係である。小梅の寺のそばで、延津弥とお兼とが何か争っているところへ、虎七が偶然に通りあわせて、延津弥を助けてお兼を絞め殺し、それを種にして延津弥をいろいろ脅迫していたらしい。生きていれば死罪又は獄門の罪人であるから、女の手に葬られたのは未だしもの仕合せであるかも知れない。
 千生は自分の不心得から母が殺されるようになったので、重き罪科(ざいか)にも行わるべきところ、格別のお慈悲を以って追放を命ぜられた。
 七月二十九日の牡丹餅を食った者は江戸中にたくさんあったが、これほどの悲劇を生み出したものは、この物語の登場人物に限られていた。




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