鰻に呪われた男
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著者名:岡本綺堂 

     四

 生きた鰻をたべたという、その秘密を新婚の妻に覚られたとしたら、若い夫として恥かしいことであるかも知れません。それは無理もないとして、それがために自分のすがたを隠してしまうというのは、どうも判りかねます。殊にどちらかといえば快濶(かいかつ)な夫の性格として、そんな事はありそうに思えないのでございます。ましてその事情を夢にも知らない親類や両親たちが、ただ不思議がっているのも無理はありません。
「突然発狂したのではないか。」と、父は言っていました。
 兄の夏夫さんも非常に心配してくれまして、その後も出来るかぎりの手段を尽くして捜索したのですが、やはり無効でございました。その当座はどの人にも未練があって、きょうは何処からか便りがあるか、あすはふらりと帰って来るかと、そんなことばかり言い暮らしていたのですが、それもふた月と過ぎ、三月と過ぎ、半年と過ぎてしまっては、諦められないながらも諦めるのほかはありません。
 その年も暮れて、わたくしが二十一の春四月、夫がゆくえ不明になってから丸一年になりますので、兄の方から改めて離縁の相談がありました。年の若いわたくしをいつまでもそのままにしておくのは気の毒だというのでございます。しかし、わたくしは断わりました。まあ、もう少し待ってくれといって――。待っていて、どうなるか判りませんが、本人の死んだのでない以上、いつかはその便りが知れるだろうと思ったからでございます。
 それから又一年あまり経ちまして、果たして夫の便りが知れました。わたくしが二十二の年の十月末でございます。ある日の夕方、松島さんがあわただしく駈け込んで来まして、こんなことを話しました。
「秋夫君の居どころが知れましたよ。本人は名乗りませんけれども、確かにそれに相違ないと思うんです。」
「して、どこにいました。」と、わたくしも慌てて訊きました。
「実はきょうの午後に、よんどころない葬式があって北千住の寺まで出かけまして、その帰り途に三、四人連れで千住の通りを来かかると、路ばたの鰻屋の店先で鰻を割いている男がある。何ごころなくのぞいてみると、印半纏を着ているその職人が秋夫君なんです。もっとも、左の眼は潰れていましたが、その顔はたしかに秋夫君で、右の耳の下に小さい疵(きず)のあるのが証拠です。わたしは直ぐに店にはいって行って、不意に秋夫君と声をかけると、その男はびっくりしたように私の顔を眺めていましたが、やがてぶっきら棒に、そりゃあ人違いだ、わたしはそんな人じゃあないと言ったままで、すっと奥へはいってしまいました。何分ほかにも連れがあるので、一旦はそのまま帰って来ましたが、どう考えても秋夫君に相違ないと思われますから、取りあえずお知らせに来たんです。」
 松島さんがそう言う以上、おそらく間違いはあるまい。殊にうなぎ屋の店で見付けたということが、わたくしの注意をひきました。もう日が暮れかかっているのですが、あしたまで待ってはいられません。わたくしは両親とも相談の上で、松島さんと二台の人車(くるま)をつらねて、すぐに北千住へ出向きました。
 途中で日が暮れてしまいまして、大橋を渡るころには木枯しとでもいいそうな寒い風が吹き出しました。松島さんに案内されて、その鰻屋へたずねて行きますと、その職人は新吉という男で五、六日前からこの店へ雇われて来たのだそうです。もう少し前に近所の湯屋へ出て行ったから、やがて帰って来るだろうと言いますので、暫くそこに待合せていましたが、なかなか帰って参りません。なんだか又不安になって来ましたので、出前持の小僧を頼んで湯屋へ見せにやりますと、今夜はまだ来ないというのでございます。
「逃げたな。」と、松島さんは舌打ちしました。わたくしも泣きたくなりました。
 もう疑うまでもありません。松島さんに見付けられたので、すぐに姿を隠したに相違ありません。こうと知ったらば、さっき無理にも取押えるのであったものをと、松島さんは足摺りをして悔みましたが、今更どうにもならないのです。
 それにしても、ここの店の雇人である以上、主人はその身許を知っている筈(はず)でもあり、また相当の身許引受人もあるはずです。松島さんはまずそれを詮議(せんぎ)しますと、鰻屋の亭主は頭をかいて、実はまだよくその身許を知らないというのです。今まで雇っていた職人は酒の上の悪い男で、五、六日前に何か主人と言い合った末に、無断でどこへか立去ってしまったのだそうです。すると、その翌日、片眼の男がふらりと尋ねて来て、こちらでは職人がいなくなったそうだが、その代りに私を雇ってくれないかという。こっちでも困っている所なので、ともかくも承知して使ってみるとなかなかよく働く。名は新吉という。何分にも目見得(めみえ)中の奉公人で、給金もまだ本当に取りきめていない位であるから、その身許などを詮議している暇もなかったというのです。
 それを聞いて、わたくしはがっかりしてしまいました。松島さんもいよいよ残念がりましたが、どうにもしようがありません。二人は寒い風に吹かれながらすごすごと帰って来ました。
 しかし、これで浅井秋夫という人間がまだこの世に生きているということだけは確かめられましたので、わたくし共も少しく力を得たような心持にもなりました。生きている以上は、また逢われないこともない。いったんは姿をかくしても、ふたたび元の店へ立戻って来ないとも限らない。こう思って、その後も毎月一度ずつは北千住の鰻屋へ聞合せに行きましたが、片眼の職人は遂にその姿を見せませんでした。
 こうして、半年も過ぎた後に、松島さんのところへ突然に一通の手紙がとどきました。それは秋夫の筆蹟で、自分は奇怪な因縁で鰻に呪われている。決して自分のゆくえを探してくれるな。真佐子さん(わたくしの名でございます)は更に新しい夫を迎えて幸福に暮らしてくれという意味を簡単にしたためてあるばかりで、現在の住所などはしるしてありません。あいにくに又そのスタンプがあいまいで、発信の郵便局もはっきりしないのです。勿論、その発信地へたずねて行ったところで、本人がそこにいる筈もありませんが――。
 北千住を立去ってから半年過ぎた後に、なぜ突然にこんな手紙をよこしたのか、それも判りません。奇怪な因縁で鰻に呪われているという、その子細も勿論わかりません。なにか心当りはないかと、兄の夏夫さんに聞合せますと、兄もいろいろかんがえた挙げ句に、唯一つこんなことがあると言いました。
「わたし達の子供のときには、本郷の××町に住んでいて、すぐ近所に鰻屋がありました。店先に大きい樽(たる)があって、そのなかに大小のうなぎが飼ってある。なんでも秋夫が六つか七つの頃でしたろう、毎日その鰻屋の前へ行って遊んでいましたが、子供のいたずらから樽のなかの小さい鰻をつかみ出して逃げようとするのを、店の者に見つけられて追っかけられたので、その鰻を路ばたの溝(どぶ)のなかへほうり込んで逃げて来たそうです。それが両親に知れて、当人はきびしく叱られ、うなぎ屋へはいくらかの償いを出して済んだことがありましたが、その以外には別に思い当るような事もありません。」
 単にそれだけのことでは、わたくしの夫と鰻とのあいだに奇怪な因縁が結び付けられていそうにも思われません。まだほかにも何かの秘密があるのを、兄が隠しているのではないかとも疑われましたが、どうも確かなことは判りません。そこでわたくしの身の処置でございますが、たとい新しい夫を迎えて幸福に暮らせと書いてありましても、初めの夫がどこにか生きている限りは、わたくしとして二度の夫を迎える気にはなれません。両親をはじめ、皆さんからしばしば再縁をすすめられましたが、私は堅く強情を張り通してしまいました。そのうちに、妹も年頃になって他へ縁付きました。両親ももう、この世にはおりません。三十幾年の月日は夢のように過ぎ去って、わたくしもこんなお婆さんになりました。
 鰻に呪われた男――その後の消息はまったく絶えてしまいました。なにしろ長い月日のことですから、これももうこの世にはいないかも知れません。幸いに父が相当の財産を遺して行ってくれましたので、わたくしはどうにかこうにか生活にも不自由はいたしませず、毎年かならずこのU温泉へ来て、むかしの夢をくり返すのを唯ひとつの慰めといたしておりますような訳でございます。
 その後は鰻を食べないかと仰しゃるのですか――。いえ、喜んで頂きます。以前はそれほどに好物でもございませんでしたが、その後は好んで食べるようになりました。片眼の夫がどこかに忍んでいて、この鰻もその人の手で割(さ)かれたのではないか。その人の手で焼かれたのではないか。こう思うと、なんだか懐かしいような気がいたしまして、御飯もうまく頂けるのでございます。
 しかしわたくしも今日(こんにち)の人間でございますから、こんな感傷的な事ばかり申してもいられません。自分の夫が鰻に呪われたというのは、一体どんなわけであるのか、自分でもいろいろに研究し、又それとなく専門家について聞合せてみましたが、人間には好んで壁土や泥などを食べる者、蛇や蚯蚓(みみず)などを食べる者があります。それは子供に多くございまして、俗に虫のせいだとか癇(かん)のせいだと申しておりますが、医学上では異嗜性(いしせい)とか申すそうで、その原因はまだはっきりとは判っていませんが、やはり神経性の病気であろうということでございます。それを子供の時代に矯正すれば格別、成人してしまうとなかなか癒(なお)りかねるものだと申します。
 それから考えますと、わたくしの夫などもやはりその異嗜性の一人であるらしく思われます。子供の時代からその習慣があって、鰻屋のうなぎを盗んだのもそれがためで、路ばたの溝へ捨てたと言いますけれども、実は生きたままで食べてしまったのではないかとも想像されます。大人になっても、その悪い習慣が去らないのを、誰も気がつかずにいたのでしょう。当人もよほど注意して、他人に覚られないように努めていたに相違ありません。勿論、止(や)めよう止めようとあせっていたのでしょうが、それをどうしても止められないので、当人から見れば鰻に呪われているとでも思われたかも知れません。
 そこで、ごの温泉場へ来て松島さんと一緒に釣っているうちに、あいにくに鰻を釣りあげたのが因果で、例の癖がむらむらと発して、人の見ない隙(すき)をうかがってひと口に食べてしまうと、又あいにくに私がそれを見付けたので……。つまり双方の不幸とでもいうのでございましょう。よもやと思っていた自分の秘密を、妻のわたくしが知っていることを覚ったときに当人もひどく驚き、又ひどく恥じたのでしょう。いっそ正直に打ち明けてくれればよかったと思うのですが、当人としては恥かしいような、怖ろしいような、もう片時もわたくしとは一緒にいられないような苦しい心持になって、前後の考えもなしに宿屋をぬけ出してしまったものと察せられます。
 それからどうしたか判りませんが、もうこうなっては東京へも帰られず、けっきょく自暴自棄になって、自分の好むがままに生活することに決心したのであろうと思われます。千住のうなぎ屋へ姿をあらわすまで丸二年半の間、どこを流れ渡っていたか知りませんが、自分の食慾を満足させるのに最も便利のいい職業をえらぶことにして、諸方の鰻屋に奉公していたのでしょう。片眼を潰したのは粗相でなく、自分の人相を変えるつもりであったろうと察せられます。おそらく鰻の眼を刺すように、自分の眼にも錐(きり)を突き立てたのでしょう。こうなると、まったく鰻に呪われていると言ってもいいくらいで、考えても怖ろしいことでございます。
 片眼をつぶしても、やはり松島さんに見付けられたので、当人は又おそろしくなって何処へか姿を隠したのでしょうが、どういう動機で半年後に手紙をよこしたのか、それは判りません。その後のことも一切わかりませんが、多分それからそれへと流れ渡って、自分の異嗜性を満足させながら一生を送ったものであろうと察せられます。
 こう申上げてしまえば、別に奇談でもなく、怪談でもなく、単にわたくしがそういう変態の夫を持ったというに過ぎないことになるのでございますが、唯ひとつ、私としていまだに不思議に感じられますのは、前に申上げた通り、わたくしが初めて縁談の申込みを受けました当夜に、いやな夢をみましたことで……。こんなお話をいたしますと、どなたもお笑いになるかも知れません、わたくし自身もまじめになって申上げにくいのですが――わたくしが鰻になって爼板の上に横たわっていますと、印半纏を着た片眼の男が錐を持ってわたくしの眼を突き刺そうとしました。その時には何とも思いませんでしたが、後になって考えると、それが夫の将来の姿を暗示していたように思われます。秋夫は片眼になって、千住のうなぎ屋の職人になって、印半纏を着て働いていたというではありませんか。
 夢の研究も近来はたいそう進んでいるそうでございますから、そのうちに専門家をおたずね申して、この疑問をも解決いたしたいと存じております。




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