西瓜
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:岡本綺堂 

 八百屋の亭主も西瓜から蛙の飛び出したことだけは信用したらしかったが、それが女の首に見えたことは伊平の冗談と認めて、まったく取合わないのであった、伊平はそれが紛れもない事実であることを主張したが、口下手の彼はとうとう相手に言い負かされて、結局不得要領で引揚げて来たのである。しかし、かの西瓜が小原数馬の畑から生れたことだけは明白になった。同じ屋敷の南瓜から蛇の出たことも判った。しかしその蛇にも女の髪の毛がからんでいたかどうかは、伊平は聞き洩らした。
 もうこの上に詮議の仕様もないので、八太郎はその西瓜を細かく切り刻んで、裏手の芥溜(ごみため)に捨てさせた。あくる朝、ためしに芥溜をのぞいて見ると、西瓜は皮ばかり残っていて、紅い身は水のように融(と)けてしまったらしい。青い蛙の死骸も見えなかった。
 事件はそれで済んだのであるが、八太郎はまだ何だか気になるので、二、三日過ぎた後、下谷の方角へ出向いたついでに、かの辻番所に立寄って聞きあわせると、番人らは確かにその事実のあったことを認めた。そうして、自分たちは今でも不審に思っていると言った。それにしても、なぜ最初に伊平を怪しんで呼びとめたかと訊くと、唯なんとなくその挙動が不審であったからであると彼等は答えた。江戸馴れない山出しの中間が道に迷ってうろうろしていたので、挙動不審と認められたのも無理はないと八太郎は思った。しかもだんだん話しているうちに、番人のひとりは更にこんなことを洩らした。
「まだそればかりでなく、あの中間のかかえている風呂敷包みから生血(なまち)がしたたっているようにも見えたので、いよいよ不審と認めて詮議いたしたのでござるが、それも拙者の目違いで、近ごろ面目もござらぬ。」
 それを聞かされて、八太郎はまた眉をひそめたが、その場はいい加減に挨拶して別れた。その西瓜から蛙や髪の毛のあらわれた事など、彼はいっさい語らなかった。
 稲城の屋敷にはその後別に変ったこともなかった。八太郎は家内の者を戒めて、その一件を他言させなかったが、この記事の筆者は或る時かの池部郷助からその話を洩れ聞いて、稲城の主人にそれを問いただすと、八太郎はまったくその通りであると迷惑そうに答えた。それはこの出来事があってから四月ほどの後のことで、中間の伊平は無事に奉公していた。彼は見るからに実体(じってい)な男であった。
 その西瓜を作り出した小原の家については、筆者はなんにも知らなかったので、それを再び稲城に聞きただすと、八太郎も考えながら答えた。
「近所でありながら拙者もよくは存じません。しかし何やら悪い噂のある屋敷だそうでござる。」
 それがどんな噂であるかは、かれも明らかに説明しなかったそうである。筆者も押し返しては詮議しなかったらしく、原文の記事はそれで終っていた。

     三

「はは、君の怪談趣味も久しいものだ。」と、倉沢は八畳の座敷の縁側に腰かけて、団扇を片手に笑いながら言った。
 親類の葬式もきのうで済んだので、彼は朝からわたしの座敷へ遊びに来て、このあいだの随筆のなかに何か面白い記事はなかったかと訊いたので、わたしはかの「稲城家の怪事」の一件を話して聞かせると、彼は忽ちそれを一笑に付してしまったのである。
 暦の上では、きょうが立秋というのであるが、三日ほど降りつづいて晴れた後は、さらにカンカン天気が毎日つづいて、日向(ひなた)へ出たらば焦げてしまいそうな暑さである。それでもここの庭には大木が茂っているので、風通しは少し悪いが、暑さに苦しむようなことはない。わたしも縁側に蒲蓙(がまござ)を敷いて、倉沢と向い合っていたが、今や自分が熱心に話して聞かせた怪談を、頭から問題にしないように蹴散らされてしまうと、なんだか一種の不平を感じないわけにもいかなかった。
「君はただ笑っているけれども、考えると不思議じゃないか。女の生首が中間ひとりの眼にみえたというならば格別、辻番の三人にも見え、稲城の家の細君にも見えたというのだから、どうもおかしいよ。」
「おかしくないね。」
「じゃあ、君にその説明がつくのかね。」
「勿論さ。」と、倉沢は澄ましていた。
「うむ、おもしろい。聞かしてもらおう。」と、わたしは詰問するように訊いた。
「迷信家の蒙(もう)をひらいてやるかな。」と、彼はまた笑った。「君が頻(しき)りに問題にしているのは、その西瓜が大勢の眼に生首とみえたということだろう。もしそれが中間ひとりの眼に見えたのならば、錯覚とか幻覚とかいうことで、君も承認するのだろう。」
「だからさ。今も言う通り、それが中間ひとりの眼で見たのでないから……。」
「ひとりでも大勢でも同じことだよ。君は『群衆妄覚』ということを知らないのか。群衆心理を認めながら、群衆妄覚を認めないということがあるものか。僕はその事件をこう解釈するね。まあ、聴きたまえ。その中間は江戸馴れない田舎者だというから、何となくその様子がおかしくって、挙動不審にも見えたのだろう。おまけにその抱えている品が西瓜ときているので、辻番の奴等はもしや首ではないかと思ったのだろう。いや、三人の辻番のうちで、その一人は一途(いちず)に首だと思い込んでしまったに相違ない。そこで、彼の眼には、中間のかかえている風呂敷から生血がしたたっているように見えたのだ。西瓜をつつんで来たのだから、その風呂敷はぬれてでもいたのかも知れない。なにしろ怪しく見えたので、呼びとめて詮議をうけることになって、その風呂敷をあけると、生首がみえた。――その男には生首のように見えたのだ。あッ、首だというと、他の二人――これももしや首ではないかと内々疑っていたのであるから、一人が首だというのを聞かされると、一種の暗示を受けたような形で、これも首のように見えてしまった。それがいわゆる群衆妄覚だ。こうなると、もう仕方がない。三人の侍が首だ首だと騒ぎ立てると、田舎生れの正直者の中間は面食らって、異常の恐怖と狼狽とのために、これも妄覚の仲間入りをしてしまって、その西瓜が生首のように見えたのだ。それだから彼等がだんだんに落ち着いて、もう一度あらためて見ることになると、西瓜は依然たる西瓜で、だれの眼にも人間の首とは見えなくなったというわけさ。こう考えれば、別に不思議はあるまい。」
「なるほど辻番所の一件は、まずそれで一応の解釈が付くとして、その中間が自分の家へ帰った時にも再び西瓜が首になったというじゃあないか。主人の細君がなんにも知らずに風呂敷をあけて見たらば、やっぱり女の首が出たというのはどういうわけだろう。」
「その随筆には、細君がなんにも知らずにあけたように書いてあるが、おそらく事実はそうではあるまい。その風呂敷をあける前に、中間はまず辻番所の一件を報告したのだろうと思う。武家の女房といっても細君は女だ。そんな馬鹿なことがあるものかと言いながらも、内心一種の不安をいだきながらあけて見たに相違ない。その時はもう日が暮れている。行燈の灯のよく届かない縁先のうす暗いところで、怖々のぞいて見たのだから、その西瓜が再び女の首に見えたのだろう。中間の眼にも勿論そう見えたろう。それも所詮は一時の錯覚で、みんなが落ち着いてよく見ると、元の通りの西瓜になってしまった。詰まりそれだけの事さ。むかしの人はしばしばそんなことに驚かされたのだな。その西瓜をたち割ってみると、青い蛙が出たとか、髪の毛が出たとかいうのは、単に一種のお景物に過ぎないことで、瓜や唐茄子からは蛇の出ることもある。蛙の出ることもある。その時代の本所や柳島辺には蛇も蛙もたくさんに棲んでいたろうじゃないか。丁度そんな暗合があったものだから、いよいよ怪談の色彩が濃厚になったのだね。」
 彼は無雑作(むぞうさ)に言い放って、又もや高く笑った。いよいよ小癪に障るとは思いながら、差しあたってそれを言い破るほどの議論を持合せていないので、わたしは残念ながら沈黙するほかはなかった。外はいよいよ日盛りになって来たらしく、油蝉の声がそうぞうしく聞えた。
 倉沢はやがて笑いながら言い出した。
「そうは言うものの、僕の家(うち)にも奇妙な伝説があって、西瓜を食わないことになっていたのだ。勿論、この話とは無関係だが……。」
「君は西瓜を食うじゃないか。」
「僕は食うさ。唯ここの家にそういう伝説があるというだけの話だ。」
 私は東京で彼と一緒に西瓜を食ったことはしばしばある。しかも彼の家にそんな奇妙な伝説があることは、今までちっとも知らなかったのである。倉沢はそれに就いてこう説明した。
「なんでも二百年も昔の話だそうだが……。ある夏のことで、ここらに畑荒らしがはやったそうだ。断って置くが、それは江戸の全盛時代であるから、僕らの先祖は江戸に住んでいて、別に何のかかり合いがあったわけではない。その頃ここには又左衛門とかいう百姓が住んでいて、相当に大きく暮らしている旧家であったということだ。そこで今も言った通り、畑あらしが無暗にはやるので、又左衛門の家でも雇人らに言いつけて毎晩厳重に警戒させていると、ある暗い晩に西瓜畑へ忍び込んだ奴があるのを見つけたので、大勢が駈け集まって撲り付けた。相手は一人、こっちは大勢だから、無事に取押えて詮議すれば好かったのだが、なにしろ若い者が大勢あつまっていたので、この泥坊めというが否や、鋤(すき)や鍬(くわ)でめちゃめちゃに撲り付けて、とうとう息の根を留めてしまった。主人もそれを聞いて、とんだ事をしたと思ったろうが、今更どうにもならない。殺されたのは男でなく、もう六十以上の婆さんで、乞食のような穢い装(なり)をして、死んでも大きい眼をあいていたそうだが、どこの者だか判らない。その時代のことだから、相手が乞食同様の人間で、しかも畑あらしを働いたのだから、撲り殺しても差したる問題にもならなかったらしく、夜の明けないうちに近所の寺へ投げ込み同様に葬って、まず無事に済んでしまったのだが、その以来、その西瓜畑に婆さんの姿が時々にあらわれるという噂が立った。これは何処にもありそうな怪談で、別に不思議なことでもなかったが、もう一つ『その以来』という事件は、又左衛門の家の者がその畑の西瓜を食うと、みんな何かの病気に罹って死んでしまうのだ。主人の又左衛門が真っ先に死ぬ、つづいて女房が死ぬ、伜が死ぬという始末で、ここの家では娘に婿を取ると同時に、その畑をつぶしてしまった。それでも西瓜が祟(たた)るとみえて、その婿も出先で西瓜を食って死んだので、又左衛門の家は結局西瓜のために亡びてしまうことになったのだ。もちろん一種の神経作用に相違ないが、その後もここに住むものはやはり西瓜に祟られるというのだ。」
「持主が変っても祟られるのか。」
「まあそうなのだ。又左衛門の家はほろびて、他の持主がここに住むようになっても、やはり西瓜を食うと命があぶない。そういうわけで、持主が幾度も変って、僕の一家が明治の初年にここへ移住して来たときには、空家(あきや)同様になっていたということだ。」
「君の家の人たちは西瓜を食わないかね。」と、わたしは一種の興味を以って訊いた。
「祖父は武士で、別に迷信家というのでもなかったらしいが、元来が江戸時代の人間で、あまり果物――その頃の人は水菓子といって、おもに子供の食う物になっていたらしい。そんなわけで、平生から果物を好まなかった関係上、かの伝説は別としても、ほとんど西瓜などは食わなかった。祖母も食わなかった。それが伝説的の迷信と結びついて、僕の父も母も自然に食わないようになった。柿や蜜柑やバナナは食っても、西瓜だけは食わない。平気で食うのは僕ばかりだ。それでもここで食うと、家の者になんだかいやな顔をされるから、ここにいる時はなるべく遠慮しているが、君も知っている通り、東京に出ている時には委細構わずに食ったよ。氷に冷やした西瓜はまったく旨いからね。」
 かれはあくまで平気で笑っていた。わたしも釣り込まれて微笑した。
「そこで、君の家は別として、その以前に住んでいた人たちが西瓜を食ってみんな死んだというのは、本当のことだろうか。」
「さあ、僕も確かには知らないが、ここらの人の話ではまず本当だということだね。」と、倉沢は笑った。「たといそれが事実であったとしても、西瓜を食うと祟られるという一種の神経作用か、さもなくば不思議の暗合だよ。世のなかには実際不思議の暗合がたくさんあるからね。」
「そうかも知れないな。」
 私もいつか彼に降伏してしまったのであった。西瓜の話はそれで一旦立消えになって、それから京都の話が出た。わたしは三、四日の後にここを立去って、さらに京都の親戚をたずねる予定になっていたのである。倉沢も一緒に行こうなどと言っていたのであるが、親戚の老人が死んだので、その二七日や三七日の仏事に参列するために、ここで旅行することはむずかしいと言った。自分などはいてもいないでも別に差支えはないのであるが、仏事をよそにして出歩いたりすると、世間の口がうるさい。父や母も故障をいうに相違ないから、まず見合せにするほかはあるまいと彼は言った。そうして、君は京都に幾日ぐらい逗留するつもりだと私に訊いた。
「そう長くもいられない。やはり半月ぐらいだね。」と、わたしは答えた。
「そうすると、廿七八日ごろになるね。」と、かれは考えるように言った。「帰りに又ここへ寄ってくれるだろう。」
「さあ。」と、私もかんがえた。再びここへ押し掛けて来ていろいろの厄介になるのは、倉沢はともあれ、その両親や家内の人々に対して少しく遠慮しなければならないと思ったからである。それを察したように、彼はまた言った。
「君、決して遠慮することはないよ。どうで田舎のことだから別に御馳走をするわけじゃあなし、君ひとりが百日逗留していても差支えはないのだから、帰りには是非寄ってくれたまえ。僕もそのつもりで待っているから、きっと寄ってくれたまえよ。廿七日か廿八日ごろに京都を立つとして、廿九日には確かにここへ来られるね。」
「それじゃあ廿九日に来ることにしよう。」と、私はとうとう約束してしまった。
「都合によると、僕はステーションへ迎いに出ていないかも知れないから、真っ直ぐにここへ来ることにしてくれたまえ。いいかい。廿九日だよ。なるべく午前(ひるまえ)に来てもらいたいな。」
「むむ、暑い時分だから、夜行の列車で京都を立つと、午前十一時ごろにはここへ着くことになるだろう。」
「廿九日の午前十一時ごろ……。きっと、待っているよ。」と、彼は念を押した。

     四

 その日は終日暑かった。日が暮れてから私は裏手の畑のあいだを散歩していると、倉沢もあとから来た。
「君、例の西瓜畑の跡というのを見せようか。昔はまったく空地(あきち)にしてあったのだが、今日(こんにち)の世の中にそんなことを言っちゃあいられない。僕はしきりに親父に勧めて、この頃はそこら一面を茶畑にしてしまったのだ。」
 彼は先に立って案内してくれたが、成程そこらは一面の茶畑で、西瓜の蔓が絡み合っていた昔のおもかげは見いだされなかった。広い空地に草をしげらせて、蛇や蛙の棲家にして置くよりも、こうすれば立派な畑になると、彼はそこらを指さして得意らしく説明した。その畑も次第に夕闇の底にかくれて、涼しい風が虫の声と共に流れて来た。
「おお、涼しい。」と、わたしは思わず言った。
「東京と違って、さすがに日が暮れるとずっと凌ぎよくなるよ。」
 こう言いかけて、倉沢はうす暗い畑の向うを透かして視た。
「あ、横田君が来た。どうしてこんな方へ廻って来たのだろう。僕たちのあとを追っかけて来たのかな。」
「え、横田君……。」と、私もおなじ方角を見まわした。「どこに横田君がいるのだ。」
「それ、あすこに立っているじゃあないか。君には見えないか。」
「見えない、誰も見えないね。」
「あすこにいるよ。白い服を着て、麦わら帽をかぶって……。」と、彼は畑のあいだから伸び上がるようにして指さした。
 しかも、わたしの眼にはなんにも見えなかった。横田というのは、東京の××新聞の社員で、去年からこの静岡の支局詰めを命ぜられた青年記者である。学生時代から倉沢を知っているというので、ここの家へも遊びに来る。わたしも倉沢の紹介で、このあいだから懇意になった。その横田がたずねて来るのに不思議はないが、その人の姿がわたしの眼にはみえないのである。倉沢は何を言っているのかと、わたしは少しく烟(けむ)に巻かれたようにぼんやりしていると、彼はわたしを置去りにして、その人を迎えるように足早に進んで行ったかと思うと、やがて続けてその人の名を呼んだ。
「横田君……横田君……。おや、おかしいな。どうしたろう。」
「君は何か見間違えているのだよ。」と、わたしは彼に注意した。「横田君は初めから来ていやあしないよ。」
「いや、確かにそこに立っていたのだが……。」
「だって、そこにいないのが証拠じゃないか。」と、わたしはあざけるように笑った。「君のいわゆる『群衆妄覚』ならば、僕の眼にも見えそうなものだが……。僕にはなんにも見えなかったよ。」
 倉沢はだまって、ただ不思議そうに考えていた。どこから飛んで来たのか、一匹の秋の蛍が弱い光りをひいて、彼の鼻のさきを掠めて通ったかと見るうちに、やがてその影は地に落ちて消えた。

 それから三日の後に、わたしは倉沢の家を立去って京都へ行った。彼は停車場まで送って来て、月末の廿九日午前(ひるまえ)にはきっと帰って来てくれと、再び念を押して別れた。
 京都に着いて、わたしは倉沢のところへ絵ハガキを送ったが、それに対して何の返事もなかった。彼が平生の筆不精を知っている私は、別にそれを怪しみもしなかった。
 廿九日、その日は二百十日を眼のまえに控えて、なんだか暴(あ)れ模様の曇った日で、汽車のなかは随分蒸し暑かった。午前十一時をすこし過ぎたころに静岡の駅に着いて、汗をふきながら汽車を降りると、プラットフォームの人混みのなかに、倉沢の家の若い雇人の顔がみえた。彼はすぐ駈けて来て、わたしのカバンを受取ってくれた。
 つづいて横田君の姿が見えた。かれは麦わら帽をかぶって、白い洋服を着ていた。出迎えの二人は簡単に挨拶したばかりで、ほとんど無言でわたしを案内して、停車場の前にあるカフェー式の休憩所へ連れ込んだ。
 注文のソーダ水の来るあいだに、横田君はまず口を切った。
「たぶん間違いはあるまいと思っていましたが、それでもあなたの顔が見えるまでは内々心配していました。早速ですが、きょうは午後二時から倉沢家の葬式で……。」
「葬式……。誰が亡くなったのですか。」
「倉沢小一郎君が……。」
 わたしは声が出ないほどに驚かされた。雇人は無言で俯向いていた。女給が運んで来た三つのコップは、徒(いたず)らにわれわれの眼さきに列べられてあるばかりであった。
「あなたが京都へお立ちになった翌々日でした。」と、横田君はつづけて話した。「倉沢君は町へ遊びに出たといって、日の暮れがたに私の支局へたずねて来てくれたので、××軒という洋食屋へ行って、一緒にゆう飯を食ったのですが、その時に倉沢君は西瓜を注文して……。」
「西瓜を……。」と、わたしは訊き返した。
「そうです。西瓜に氷をかけて食ったのです。わたしも一緒に食いました。そうして無事に別れたのですが、その夜なかに倉沢君は下痢を起して、直腸カタルという診断で医師の治療を受けていたのです。それで一旦はよほど快方にむかったようでしたが、廿日過ぎから又悪くなって、とうとう赤痢のような症状になって……。いや、まだ本当に赤痢とまでは決定しないうちに、おとといの午後六時ごろにいけなくなってしまいました。西瓜を食ったのが悪かったのだといいますが、その晩××軒で西瓜を食ったものは他(ほか)にも五、六人ありましたし、現にわたしも倉沢君と一緒に食ったのですが、ほかの者はみな無事で、倉沢君だけがこんな事になるというのは、やはり胃腸が弱っていたのでしょう。なにしろ夢のような出来事で驚きました。早速京都の方へ電報をかけようと思ったのですが、あなたから来たハガキがどうしても見えないのです。それでも倉沢君が息をひき取る前に、あなたは廿九日の午前十一時ごろにきっと来るから、葬式はその日の午後に営んでくれと言い残したそうで……。それを頼りに、お待ち申していたのです。」
 わたしの頭は混乱してしまって、何と言っていいか判らなかった。その混乱のあいだにも私の眼についたのは、横田君の白い服と麦わら帽であった。
「あなたは倉沢君と××軒へ行ったときにも、やはりその服を着ておいででしたか。」
「そうです。」と、横田君はうなずいた。
「帽子もその麦藁で……。」
「そうです。」と、彼は又うなずいた。
 麦わら帽に白の夏服、それが横田君の一帳羅(いっちょうら)であるかも知れない。したがって、横田君といえばその麦わら帽と白い服を連想するのかも知れない。さきの夜、倉沢が一種の幻覚のように横田君のすがたを認めた時に、麦わら帽と白い服を見たのは当然であるかも知れない。しかもその幻覚にあらわれた横田君と一緒に西瓜を食って、彼の若い命を縮めてしまったのは、単なる偶然とばかりは言い得ないような気もするのである。
 かれが東京で西瓜をしばしば食ったことは、わたしも知っている。しかも静岡ではなるべく遠慮していると言ったにも拘らず、彼は横田君と一緒に西瓜を食ったのである。群衆妄覚をふりまわして、稲城家の怪事を頭から蹴散らしてしまった彼自身が、まさかに迷信の虜(とりこ)となって、西瓜に祟られたとも思われない。これもまた単なる偶然であろうか。
 彼はわたしに向って、八月廿九日の午前(ひるまえ)には必ず帰ってくれといった。その廿九日の午前に帰って来て、あたかもその葬式の間に合ったのである。わたしは約束を守ってこの日に帰って来たのを、せめてもの幸いであるとも思った。
 そんなことをいろいろ考えながら、わたしは横田君らと共に、休憩所の前から自動車に乗込むと、天候はいよいよ不穏になって、どうでも一度は暴(あ)れそうな空の色が、わたしの暗い心をおびやかした。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:32 KB

担当:undef