番町皿屋敷
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著者名:岡本綺堂 

 登場人物

 青山播磨(はりま)
 用人 柴田十太夫
 奴(やつこ) 權次(ごんじ) 權六
 青山の腰元 お菊 お仙
 澁川の後室(こうしつ) 眞弓(まゆみ)
 放駒四郎兵衞(はなれごましろべゑ)
 並木の長吉
 橋場の仁助
 聖天(しやうてん)の萬藏
 田町(たまち)の彌作
 ほかに若党 陸尺(ろくしやく) 茶屋の娘など

   第一場

麹町、山王下。正面はたかき石段にて、上には左右に石の駒寄(こまよ)せ、石灯籠などあり。桜の立木の奥に社殿遠くみゆ。石段の下には桜の大樹、これに沿うて上のかたに葭簀張(よしずばり)の茶店あり。店さきに床几(しやうぎ)二脚をおく。明暦(めいれき)の初年、三月なかばの午後。

(幡隨院長兵衞(ばんずゐゐんちやうべゑ)の子分並木の長吉、橋場の仁助は床几に腰をかけてゐる。茶店の娘は茶を出してゐる。宮神楽(みやかぐら)の音きこゆ。)
娘 お茶一つおあがりなされませ。長吉 桜も今が丁度盛りだね。娘 こゝ四五日のところが見頃でござります。それに当年はいつもよりも取分けて見事に咲きました。長吉 山王の桜といへば、おれたちが生れねえ先からの名物だ。山の手で桜と云やあ先づこゝが一番だらうな。仁助 それだから俺達もわざ/\下町から登つて来たのだ。それで無けりやああんまり用のねえところだ。長吉 これ、神様の前で勿体ねえことを云ふな。山王様の罰があたるぞ。仁助 山王様だつて怖えものか。おれには観音様が附いてゐるのだ。娘 お背中にぢやあございませんか。(笑ふ。)仁助 やい、やい、こん畜生。ふざけたことを云やあがるな。長吉 まあ、静かにしろ。どうせ姐(ねえ)さんに褒(ほ)められる柄ぢやあねえや。はゝゝゝゝゝゝ。娘 ほゝ、とんだ粗相を申しました。(ふたりは茶をのんでゐる。石段の上より青山播磨、廿五歳、七百石の旗本。あみ笠、羽織、袴。あとより權次、權六の二人、いづれも奴にて附添ひ出づ。)
播磨 桜はよく咲いたな。權次 まるで作り物のやうでござりまする。權六 たなばたの赤い色紙(いろがみ)を引裂いて、そこらへ一度に吹き付けたら、斯うもあらうかと思はれまする。播磨 はて、むづかしいことを云ふ奴ぢや。それより一口に、祭礼の軒飾りのやうぢやと云へ。はゝゝゝゝゝ。(三人は笑ひながら石段を降りる。)
娘 お休みなされませ。(三人は上の方の床几にかゝる。長吉と仁助は見てさゝやき合ふ。娘は茶を汲んで三人に出す。)
長吉 おい、ねえさん。こつちへももう一杯呉(く)んねえ。娘 はい、はい。(茶を汲んで来る。)長吉 (飲まうとしてわざと顔をしかめる。)こりやあ熱くつて飲めねえや。(長吉はわざとその茶を播磨の前にぶちまける。)
權次 やあ、こいつ無礼な奴。なんで我等のまへに茶をぶちまけた。權六 かう見たところが粗相でない。おのれ等喧嘩を売らうとするのか。長吉 売らうが売るめえがこつちの勝手だ。買ひたくなけりや買はねえまでだ。仁助 一文奴(やつこ)の出る幕ぢやあねえ、引込んでゐろ。こつちは手前達を相手にするんぢやねえや。播磨 然らば身どもが相手と申すか。(笠を取る。)仔細(しさい)もなしに喧嘩を売る、おのれ等のやうなならずものが八百八町にはびこればこそ、公方様(くばうさま)お膝元が騒がしいのぢや。(この以前より放駒の四郎兵衞、町奴のこしらへにて子分二人をつれ、石段を降り来り、中途に立ちて窺(うかが)ひゐたりしが、この時ずつと前に出る。)
四郎兵衞 仔細(しさい)もなしに咬み付くやうな、そんな病犬(やまいぬ)は江戸にやあゐねえや。白柄組(しらつかぐみ)とか名を付けて、町人どもを嚇(おど)してあるく、水野十郎左衞門の仲間のお侍、青山播磨様と仰しやるのは、たしかあなたでごぜえましたね。萬藏 さうだ、さうだ。この正月に山村座(やまむらざ)のまへで、水野と喧嘩をしたときに、たしかに見かけた侍だ。彌作 違(ちげ)えねえ。坂田の何とかいふ奴と一緒になつて、その白柄をひねくり□したのを、俺あちやんと覚えてゐるんだ。(長吉と仁助は床几をゆずり、四郎兵衞はまん中に腰をかける。)
播磨 むゝ、白柄組の一人と知つて喧嘩を売るからは、さてはおのれは花川戸(はなかはど)の幡隨院長兵衞が手下の者か。四郎兵衞 お察しの通り、幡隨院長兵衞の身内でも、ちつとは知られた放駒の四郎兵衞。長吉 並木の長吉。仁助 橋場の仁助。萬藏 聖天の萬藏。彌作 田町の彌作だ。權次 やい、やい。こいつら素町人(すちやうにん)の分際で、歴々の御旗本衆に楯突(たてつ)かうとは、身のほど知らぬ蚊とんぼめ等。それほど喧嘩が売りたくば、殿様におねだり申すまでもなく、云値(いひね)でおれ達が買つてやるわ。權六 幸ひ今日は主親(しゆうおや)の命日といふでも無し、殺生するにはあつらへ向きぢや。下町から蜿(のた)くつて来た上り鰻、山の手奴が引つ掴んで、片つぱしから溜池(ためいけ)の泥に埋めるからさう思へ。四郎兵衞 そんな嚇(おど)しを怖がつて、尻尾をまいて逃げるほどなら、白柄組が巣を組んでゐる此の山の手へのぼつて来て、わざ/\喧嘩を売りやあしねえ。こつちを溜池へぶち込む前に、そつちが山王の括(くゝ)り猿、御子供衆のお土産にならねえやうに覚悟をしなせえ。播磨 われ/\が頭(かしら)とたのむ水野殿に敵意を挟んで、とかくに無礼をはたらく幡隨院長兵衞、いつかは懲(こ)らしてくれんと存じて居つたに、その子分といふおのれ等が、わざと喧嘩を挑(いど)むからは、もはや容赦(ようしや)は相成らぬ。望みの通り青山播磨が直々(ぢき/\)に相手になつてくるゝわ。四郎兵衞 いゝ覚悟だ。お逃げなさるな。播磨 なにを馬鹿な。子分四人 えゝ、休めちまへ、休めちまへ。(播磨も權次權六も身がまへする。四郎兵衞、その他四人も身繕(みづくろ)ひして詰めよる。娘はうろ/\してゐる。この時、陸尺(ろくしやく)に女の乗物をかゝせ、若党二人附添ひて走らせ来り、喧嘩のまん中へ乗物をおろす。)
長吉 おい、おい。お前達も目さきが利かねえ。仁助 こゝへ、そんなものを卸(おろ)してどうするんだ。二人 退いてくれ、退いてくれ。(權次權六は若党の顔を見ておどろく。)
權次 おゝ、こなたは小石川の。權六 澁川様の御乗物か。(乗物の戸をあけて澁川の後室眞弓、五十余歳、裲襠(うちかけ)すがたにて出づ。)
播磨 おゝ、小石川の伯母上、どうしてこゝへ……。眞弓 赤坂の菩提所(ぼだいしよ)へ仏参のかへり路、よいところへ来合せました。天下の御旗本ともあるべき者が、町人どもを相手にして、達引(たてひき)とか達入(たていれ)とか、毎日毎日の喧嘩沙汰、さりとは見あげた心掛ぢや。不断からあれほど云うて聞かしてゐる伯母の意見も、そなたといふ暴れ馬の耳には念仏さうな。主が主なら家来までが見習うて、權次、權六、そち達も悪あがきが過ぎませうぞ。權次權六[#「權次」と「權六」は横並びになっている] あい、あい。(頭を押へてうづくまる。)四郎兵衞 見れば御大家の後室様、喧嘩のまん中へお越しなされて、このお捌(さば)きをお付けなさる思召(おぼしめし)でござりますか。御見物ならもう少しあとへお退(さが)り下さりませ。眞弓 差出た申分かは知りませぬが、この喧嘩はわたしに預けてはくださりませぬか。播磨はあとで厳(きび)しう叱ります。まあ堪忍して引いてくだされ。四郎兵衞 さあ。(思案する。)長吉 でも、このまゝで手を引いては。仁助 親分に云訳があるめえぜ。萬藏 今更あとへ引かれるものか。彌作 かうなるからは命の取遣りだ。四人 かまはずに遣(や)つちまへ、遣つちまへ。眞弓 不承知とあればわたしがお相手。四郎兵衞 え。眞弓 それとも素直に引いてくださるか。四郎兵衞 こりやあ困りましたね。いくら御武家にしたところが、女を相手に町奴がまさかに喧嘩もなりますまい。喧嘩は元より出たとこ勝負。けふに限つたことでもござりませぬ。おまへ様のおあつかひに免じて、こゝは素直に帰りませう。長吉も仁助も虫をこらへろ。眞弓 よう聞き分けて下された。そんならこゝはおとなしう。四郎兵衞 どうも失礼をいたしました。もし、白柄組のお侍。いづれ又どこかで逢ひませうぜ。(長吉仁助等に。)今聞く通りだ。さあ、みんな早く来い、来い。長吉仁助[#「長吉」と「仁助」は横並びになっている] あい、あい。(四郎兵衞は先にたちて、長吉と仁助と子分二人は去る。)
眞弓 これ、播磨。こゝは往来ぢや。詳しいことは屋敷へ来た折に云ひませうが、武士たるものが町奴とかの真似をして、白柄組の神祇(じんぎ)組のと、名を聞くさへも苦々(にが/\)しい。喧嘩がなんで面白からう。喧嘩商売は今日かぎり思ひ切らねばなりませぬぞ。播磨 はあ。眞弓 きかねば伯母は勘当ぢや。わかりましたか。播磨 はあ。眞弓 それ。(眞弓は眼で知らすれば、陸尺は乗物を舁(か)きよせる。眞弓は乗物に乗りしが、再び首を出す。)
眞弓 これ、播磨。そちが悪あがきをすると云ふも、一つにはいつまでも独身(ひとりみ)でゐるからのことぢや。この間もちよつと話した飯田町の大久保の娘、どうぢや、あれを嫁に貰うては。播磨 さあ。(迷惑さうな顔。)喧嘩のことは兎もかくも、その縁談の儀は……。眞弓 忌(いや)ぢやと云ふのか。(かんがへる。)ほかの事とも違うて、これは無理強ひにもなるまいか。そんならそれはそれとして、かへすがへすも白柄組とやらの附合は、きつと止めねばなりませぬぞ。播磨 はあ。(眞弓は乗物の戸をしめる。若党等は播磨に一礼して向うへ乗物を舁(か)いてゆく。)
權次 殿様。悪いところへ伯母御様がお見えになりまして。權六 わたくし共までが飛んだお灸を据ゑられました。播磨 (笑ふ。)伯母様は苦手ぢや、所詮あたまは上らぬわ。今伯母様に叱られた、その白柄組の水野どのは、仲間のものを誘ひ合せて、今夜わが屋敷へまゐらるゝ筈ぢや。酔うたら又面白い話があらう。(風の音して桜の花ちりかゝる。)
播磨 おゝ、散る花にも風情があるなう。どれ、そろ/\帰らうか。權次權六[#「權次」と「權六」は横並びになっている] はあ。(權次は茶代を置く。娘は礼をいふ。播磨は行きかゝる。)

   第二場

番町青山家の座敷。二重屋体にて上(かみ)のかたに床の間、つゞいて襖。庭には飛び石。上の方に井戸ありて、井戸のほとりに大いなる柳を栽ゑたり。おなじ日の夕刻。

(上の方より庭づたひに、用人柴田十太夫が先に立ち、腰元お菊、お仙の二人出づ。ふたりは高麗焼(かうらいやき)の皿五枚を入れたる箱を持つ。)
十太夫 これ、大切の御品ぢや。気をつけて持つてゆけ。よいか。二人 かしこまりました。十太夫 唯今お蔵から取出したばかりで、別に仔細もあるまいが、念には念を入れよと云ふこともある。お勝手へ持つて退(さが)るまでに兎もかくも一度吟味をいたさう。その箱をそれへ運べ。二人 はい、はい。(三人は縁にあがる。お菊は先づ箱をあけて五枚の皿を出す。十太夫は眼鏡をかけて一々にあらためる。つゞいてお仙も五枚の皿を出す。十太夫はおなじく検(あらた)めてうなづく。)
十太夫 よし、よし、十枚ともに別条ない。くどくも申すやうなれど、これは大切のお品ぢや。かならず粗相があつてはならぬぞ。お仙 御用人様。この十枚のお皿が何うしてそのやうに大切なのでござりまする。十太夫 そちは新参、詳しいわけをよく知るまいが、このお皿は高麗焼で、御先祖様から代々伝はるお家の宝ぢや。万一あやまつてその一枚でも打砕いたら厳しいお仕置、先づ命はないものと覚悟せい。お仙 え。(顫へる。)十太夫 ぢやによつて滅多に取出したことはないのぢやが、今宵は白柄組のお頭水野十郎左衞門様がお越しに相成るについて、殿様格別のお心入れで、御料理の器(うつは)にそのお皿をおつかひなさる。又しても諄(くど)く申すやうぢやが、一枚一枚鄭重に取りあつかへ。割るは勿論、疵(きず)をつけても一大事ぢやぞ。よいか。二人 はい、はい。十太夫 殿様がお帰りになるまでに、あちらのお客間を取片附けて置かねばならぬ。では、そのお皿を元のやうに箱に入れて、お勝手の方へ運んでおけ。やれ、忙しいことぢや。(十太夫はそゝくさと庭に降りて上(かみ)の方(かた)に去る。お仙はあとを見送る。)
お仙 ほんにいつも/\気ぜはしいお人ぢや。併しそれほど大切なお皿ならよく気をつけて取扱はねばなるまい。なう、お菊どの。はて、お前は何をうつとりとしてゐるのぢや。お菊 (突然に。)お仙どの。お仙 なんぢやえ。お菊 このごろ殿様は御縁談があるとかいふ噂ぢやが、お前それをほんたうと思ふかえ。お仙 さあそれは、新参のわたしには判らぬが、なにやらそんなお噂がないでも無いやうな。お菊 無いでもないやうな。(口のうちで繰返す。)若しあつたとしたら。お仙 おめでたいことぢや。お菊 さうかも知れぬ。(腹立たしげに云ひしが又思ひ直して。)いや、それは嘘であらう。嘘ぢや、嘘ぢや。うそに違ひない。お仙 でも、殿様ももうお年頃ぢや。奥様をお貰ひなさるに不思議はあるまい。お菊 奥様……。(又腹立たしげに。)内の殿様は奥様などお貰ひなさる筈がないのぢや。お仙 はて、そんなに怖い顔をして、なぜわたしを睨むのぢや。お前はこのごろ様子が変つて、ぢつと考へてゐるかと思へば、急にじれたり怒つたり、なにか気合でも悪いのかえ。(お菊はだまつて俯向(うつむ)いてゐる。琴唄のやうな独吟になる。)
唄□世の中の花はみじかき命にて、春は胡蝶の夢うつつ、なにが恋やら情(なさけ)やら。
(お仙は五枚の皿を片附けて箱に入れる。お菊はやはり考へてゐる。)
お仙 おとなりのお屋敷では又いつものお琴のお浚(さら)ひが始まつたやうな。(箱をかゝへて起つ。)さあ、おまへも早うお勝手へ……。わたしは一足さきへ行きますぞえ。(お仙は庭に降りて下の方に去る。)
お菊 (苛々(いら/\)して。)えゝ、なんとしたものであらう。わたしといふ者を打捨てて、ほかの奥様をお貰ひ遊ばすやうな、そんな嘘つきの殿様でないことは、不断からよく知つてゐるものの、小石川の伯母様の御媒介(おなかうど)で、飯田町の大久保様とやらから奥様をお迎へなさる、内相談があるとやら。(また考へる。)いや、それはほんの人の噂ぢや。おゝ、さうぢや。現にこのあひだも殿様にそれを云うて念を押したら、えゝ、馬鹿め、おれを疑ふにも程がある。まあ、黙つて長い目で見てをれ、とたゞ一口に叱りなされた。叱られて嬉しかつたも束(つか)の間(ま)で、又なんとやら疑ひの芽が噴いてくる……。えゝ、もうどうともなれ。唄□物に狂ふか青柳も、風のまに/\もつれて解けて、糸のみだれの果しなき。
(お菊は少しく悶(じ)れたる気味にて皿を片づけてゐたりしが、また手をやすめて考へる。)
お菊 よもやとは思ふものの、万一ほんたうに奥様が来るやうであつたら……。えゝ、気の揉めることぢや。たとへ口ではなんと仰せられても、男はいつはりの多いものとやら。なんとかして殿様の、心の奥の奥を確かに見きはめる工夫はないものか。(思案しながら我手に持つたる皿にふと眼をつける。)お家に取つては大切な宝といふこの皿を、もしも妾(わたし)が打砕いたら……。(又かんがへる。)とは云ふものの、大切なお道具を、むざ/\毀(こは)すは勿体ない。唄□雲さへ暗き雨催ひ、故郷の空はいづこぞと、ゆくてに迷ふ雁(かり)の声。
(お菊は皿をながめて、毀さうか毀すまいかと迷つてゐる。)
お菊 えゝ、もう寧(いつ)そのこと。唄□しづ心なく散りそめて、土に帰るか花の行末。
(この以前よりお仙は下手(しもて)より出で来りてうかゞひゐる。お菊は思ひ切つて一枚の皿を取り、縁の柱に打ち付けて割る。この途端に、下の方にて「お帰り」と大きく呼ぶ声。お仙は早々に下の方へ立去る。上の方より庭づたひにて十太夫足早に出づ。)
十太夫 おゝ、もうお帰りぢや。(下の方へ行かんとしてお菊をみる。)お菊、まだそこに居つたのか。や、お皿をどうぞ致したか。これ、お菊。(あわてて縁に上る。)や、大切のお皿を真二つに……。こ、こりや何(ど)ういたしたのぢや。仔細をいへ、仔細を申せ。(十太夫はおどろき怒つて詰めよる。お菊は黙つて手をついてゐる。)
十太夫 えゝ、黙つてゐては判らぬ。こ、こりや一体どうしたのぢや。さつきもあれほど申聞かせて置いたに……。かやうな粗相を仕出来(しでか)しては、そちばかりではない、この十太夫もどのやうな御咎(おとが)めを受けうも知れぬ。こりや飛んでもないことに相成つたぞ。(十太夫も途方に暮れてゐるところへ、奥の襖をあけて青山播磨つか/\出づ。)
十太夫 お帰り遊ばしませ。御出迎へと存じましたる処、おもひも寄らぬ椿事(ちんじ)が出来(しゆつたい)いたしまして、失礼御免くださりませ。播磨 思ひもよらぬ椿事……。(打笑む。)十太夫が又なにか狼狽(うろた)へて居るな。あわて者め。はゝゝゝゝゝ。十太夫 いや、あわてずには居られませぬ。殿様、これ御覧くださりませ。(皿を指さす。)播磨 (割れたる皿を見ておどろく。)や、高麗の皿を真二つに……。誰が割つた。(怒る。)お菊 わたくしが割りました。播磨 菊、そちが割つたか。(かんがへて。)定めて粗相であらうな。お菊 はい、恐れ入りましてござりまする。大切なお皿を損じましたは、わたくしが重々の不調法、どのやうな御仕置を受けませうとも決してお恨みとは存じませぬ。播磨 おゝ、先づ以て神妙の覚悟ぢや。青山の家に取つては先祖伝来大切の宝ではあるが、粗相とあれば深く咎めるわけにもまゐるまい。以後はきつと慎めよ。お菊 はい。ありがたうござりまする。(安心して喜ぶ。)播磨 幸ひ今夕(こんせき)の来客は水野殿を上客として、ほかに七人、主人をあはせて丁度九人ぢや。皿が一枚かけても事は済む。なう、十太夫。十太夫 左様でござりまする。しかし御客人の御都合は兎(と)もあれ、折角十枚揃ひましたる大切の御道具を、一枚欠きましたる不調法は、手前も共におわび申上げまする。播磨 (打笑む。)いや、いや、心配いたすな。たとひ先祖伝来とは申せ、鎧兜槍刀のたぐひとは違うて、所詮は皿小鉢ぢや。わしは左のみ惜いとも思はぬ。しかし昔形気の親類どもにきこえると面倒、表向きは矢はり十枚揃うてあることに致しておけ。十太夫 はあ。播磨 御客人もやがて見えるであらう。座敷の用意万端とゞこほりなく致して置け。そちは名代の粗忽者ぢや、手落のないやうに気をつけい。十太夫 委細心得てをりまする。万事手ぬかりのない筈とは存じて居りまするが、ではもう一度念のために、御座敷を見□つてまゐりまする。御免くだされ。(十太夫はそゝくさと再び庭伝ひに上のかたへ去る。お菊は残る四枚の皿を箱に入れる。)
お菊 とんだ粗相をいたしまして、なんとも申訳がござりませぬ。(手をつく。)播磨 はて、くどう申すな。一度詫びたらそれでよい。まことを云へば家重代の高麗皿、家来があやまつて砕く時は手討にするが家の掟ぢやが、余人は知らず、そちを手討になると思ふか。はゝゝゝゝゝ。砕けた皿は人の目に立たぬやうに、その井戸のなかへ沈めてしまへ。お菊 はい、はい。(お菊は嬉しげに起つて、先づ皿の箱を縁さきに持ち出し、更に欠けたる皿を取りて庭に降り、上の方の井戸になげ込む。)
お菊 では、わたくしもお勝手へ退(さが)りまする。(皿の箱をかゝへる。)御免くださりませ。
(下の方へ行きかゝる。)
播磨 待て、待て。左様に逃げてまゐるな。勝手の用はほかの女どもに任して置いて、まあこゝで少し話してゆけ。お菊 はい。(嬉しげに縁に腰をかける。播磨も縁さきに進み出る。)播磨 母から此頃にたよりはないか。お菊 この一月ほどなんのたよりも聞きませぬが、大方無事であらうと存じてをりまする。播磨 親ひとり子一人ぢや、いつそ此の屋敷内へ引取つてはどうぢやな。母は屋敷住居は嫌ひかな。お菊 いえ、嫌ひではござりませぬが、母を御屋敷へ連れてまゐりまするには、なにも彼も打明けねばなりませぬ。播磨 なにもかも……。(打笑む。)隠すことはない。母にも打明けたらよいではないか。お菊 でも……。それは……。(恥かしげにうつむく。)播磨 恥かしいか。もう斯うなつたら誰に憚(はゞか)ることもない。天下の旗本青山播磨を婿(むこ)にきめましたと、母のまへで立派に云へ。お菊 云うても大事ござりませぬか。播磨 そちの口から云はれずば、母を兎もかくも屋敷へ連れてまゐれ。わしから直々に打明けて申すわ。若しその時に、母が播磨を婿にするは不承知ぢやと申しても、そちは矢はりこゝに居るであらうな。お菊 たとひ母がなんと申しませうとも……。播磨 いつまでもこゝに居るか。お菊 はい。播磨 それを屹(きつ)と忘るゝなよ。(二人は顔を見あはせて打笑む。上の方より十太夫足早に出づ。)
十太夫 殿様。その菊と申す女は重々不埒(ふらち)な者でござりまする。(敦圉(いきま)いて云ふ。)
播磨 なにが不埒ぢや。皿を割つたのは粗相と申すではないか。それともまだほかに何か曲事(きよくじ)を働いたか。十太夫 いや、その皿を割つたのは粗相ではござりませぬ。縁の柱にうち付けて、自分で割つたと申すこと。播磨 自分でわざと割つたと申すか。十太夫 朋輩のお仙がたしかに見届けたと申しまする。粗相とあれば致方もござりませぬが、大切のお品をわざと打割つたとは、あまりに法外の致し方。殿様が御勘弁なされても、手前が不承知でござります。きつと吟味をいたさねば相成りませぬ。播磨 さりとは不思議のことを聞くものぢや。こりや菊。さだめて粗相であらうな。十太夫 いや、粗相とは云はせませぬ。播磨 はて、騒ぐな。どうぢや、菊。十太夫はあのやうに申して居るが、よもやさうではあるまいな。はつきりと申開きをいたせ。お菊 (胸を据ゑて。)実は御用人様のおつしやる通り……。播磨 わざと自分の手で打割つたか。お菊 はい。播磨 むゝ。(十太夫と顔を見あはせる。)さりとて気が狂うたとも思はれぬ。それにはなにか仔細があらう。わしが直々に吟味する。十太夫はしばらく遠慮いたせ。十太夫 いや、はや、呆れた女でござる。こりや、菊……。播磨 (じれる。)よい、よい。早くゆけ。(十太夫は上のかたに引返して去る。)
播磨 こりや、菊。そちはなんと心得て、わざと大切の皿を割つた。仔細を申せ。(物柔かに云ふ。)お菊 おそれ入りましてござりまする。播磨 最前も申す通り、その皿を割れば手討に逢うても是非ないのぢや。それを知りつゝ自分の手で、わざと打割りしとあるからは、よく/\の仔細がなくてはなるまい。つゝまず云へ。どうぢや。お菊 もう此上はなにをお隠し申しませう。由ないわたくしの疑ひから。播磨 疑ひとはなんの疑ひぢや。お菊 殿様のお心をうたがひまして……。(播磨はだまつてお菊の顔を睨む。)
お菊 このあひだも、鳥渡(ちよつと)お耳に入れました通り、小石川の伯母御様が御媒介で、どこやらの御屋敷から奥様がお輿入(こしい)れになるかも知れぬといふお噂、あけても暮れてもそればつかりが胸につかへて……。恐れながら殿様のお心を試さうとて……。播磨 むゝ、それで大方仔細は読めた。それに就いてこの播磨が、そちを唯一時の花とながめて居るか、但しは、いつまでも見捨てぬ心か。その本心を探らうために、わざと大切の皿を打破つて、皿が大事か、そちが大事か、播磨が性根をたしかに見届けようと致したのであらう。菊、たしかにさうか。お菊 はい。播磨 それに相違ないか。お菊 はい。(播磨は矢庭にお菊の襟髪を取つて縁にねぢ伏せる。)
播磨 えゝ、おのれ、それ程までにして我が心を試さうとは、あまりと云へば憎い奴。こりやよく聞け。天下の旗本青山播磨が、恋には主家来の隔てなく、召仕へのそちと云ひかはして、日本中の花と見るはわが宿の菊一輪と、弓矢八幡、律義(りつぎ)一方の三河武士がたゞ一筋に思ひつめて、白柄組のつきあひにも吉原へは一度も足ぶみせず、丹前風呂でも女子のさかづきは手に取らず。かたき同士の町奴と三日喧嘩せぬ法もあれ、一夜でもそちの傍を離れまいと、かたい義理を守つてゐるのが、嘘や偽りでなることか、積(つも)つてみても知るゝ筈。なにが不足でこの播磨を疑うたぞ。(お菊の襟髪をつかんで小突きまはす。お菊は倒れながらに泣く。)
お菊 その疑ひももう晴れました。お免(ゆる)しなされてくださりませ。播磨 いゝや、そちの疑ひは晴れようとも、うたがはれた播磨の無念は晴れぬ。小石川の伯母はおろか、親類一門がなんと云はうとも、決してほかの妻は迎へぬと、あれほど誓うたをなんと聞いた。さあ、確(しか)と申せ。なにが不足でこの播磨を疑うた。なにを証拠にこの播磨を疑うた。お菊 おまへ様のお心に曇りのないは、不断からよく知つてゐながらも、女の浅い心からつい疑うたはわたくしが重々のあやまり、真平御免(まつぴらごめん)くださりませ。播磨 今となつて詫びようとも、罪のないものを一旦疑うた、おのれの罪は生涯消えぬぞ。さあ、覚悟してそれへ直れ。(播磨はお菊を突き放して、刀をひき寄せる。下の方より庭づたひに奴(やつこ)權次走り出づ。)
權次 もし、殿様しばらくお控へ下さりませ。さつきから物蔭で窃(そつ)と立聞きをして居りましたら、お菊どのが大切のお皿を割つたとやら、砕いたとやら、そりやもうお菊殿の落度は重々、そのかぼそい素(そ)つ首(くび)をころりと打落されても、是非もない羽目ではござるものの、多寡(たくわ)が女子ぢや。骨のない海月(くらげ)や豆腐を料理なされてもなんの御手堪(おてごた)へもござるまい。さつきの喧嘩とは訳が違ひまする。こゝは何分この奴に免じて、そのお刀はお納めなされて下さりませ。播磨 そちが折角の取りなしぢやが、この女の罪は赦(ゆる)されぬ。なんにも云はずに見物いたせ。權次 一旦かうと云ひ出したら、あとへは引かぬ御気性は、奴もかねて呑み込んでは居りまするが、なんぼ大切の御道具ぢやと云うても、ひとりの命を一枚の皿と取替へるとは、このごろ流行(はや)る取替べえの飴よりも余り無雑作の話ではござりませぬか。どうでもお胸が晴れぬとあれば、殿さまの御名代(ごみやうだい)にこの奴が、女の頬桁(ほゝげた)ふたつ三つ殴倒(はりたふ)して、それで御仕置はお止めになされ。播磨 えゝ、播磨が今日の無念さは、おのれ等の奴が知るところでない。いかに大切の宝なりとも、人ひとりの命を一枚の皿に替へようとは思はぬ。皿が惜さにこの菊を成敗すると思うたら、それは大きな料簡(れうけん)ちがひぢや。菊。その皿をこれへ出せ。お菊 はい。(時の鐘きこゆ。お菊は箱より恐る/\一枚の皿を出す。播磨はその皿を刀の鍔(つば)に打ちあてて割るに、お菊も權次もおどろく。)
播磨 それ、一枚……。菊、あとを数へい。お菊 二枚……。(お菊は皿を出す。播磨は又もや打割る。)
播磨 それ、二枚……。次を出せ。お菊 三枚……。(播磨はまた打割る。權次も思はずのび上る。)
權次 おゝ、三枚……。播磨 次を出せ。お菊 四枚……。(播磨は又もや打割る。)
播磨 四枚……。もう無いか。お菊 あとの五枚はお仙殿が別のお箱へ入れて持つてまゐりました。播磨 むゝ。播磨が皿を惜むのでないのは、菊にも權次にも判つたであらうな。青山播磨は五枚十枚の皿を惜んで、人の命を取るほどの無慈悲な男でない。權次 それほど無慈悲でないならば、なんでむざ/\御成敗を……。播磨 そちには判らぬ。黙つてをれ。しかし菊には合点がまゐつた筈。潔白な男のまことを疑うた、女の罪は重いと知れ。お菊 はい、よう合点(がてん)がまゐりました。このうへはどのやうな御仕置を受けませうとも、思ひ残すことはござりませぬ。女が一生に一度の男。(播磨の顔を見る。)恋にいつはりの無かつたことを、確かにそれと見きはめましたら、死んでも本望でござりまする。播磨 もし偽りの恋であつたら、播磨もそちを殺しはせぬ。いつはりならぬ恋を疑はれ、重代の宝を打割つてまで試されては、どうでも赦すことは相成らぬ。それ、覚悟して庭へ出い。(お菊の襟髪を取つて庭へつき落す。權次はあわててお菊を囲ふ。播磨は庭下駄をはきて降り立つ。――)
播磨 權次。邪魔するな。退け、退け。權次 殿様。女を斬るとお刀が汚れまする。一旦柄(つか)へかけた手の遣り場がないといふならば、おゝ、さうぢや。あれ、あの井戸端の柳の幹でも、すつぱりとお遣りなされませ。播磨 馬鹿を申すな。退かぬとおのれ蹴殺すぞ。(權次が遮るを播磨は払ひ退けて、お菊を前にひき出す。)
權次 えゝ、殺生な殿様ぢや。お止しなされ、お止しなされ。(權次また取付くを播磨は蹴倒す。お菊は尋常に手を合はせてゐる。播磨は一刀にその肩先より切り倒す。)
權次 おゝ、たうとう遣つておしまひなされたか。(起き上る。)可哀相になう。播磨 女の死骸は井戸へなげ捨てい。權次 はあ。(權次はお菊の死骸をだき起す。上の方より十太夫は灯籠をさげて出づ。)
十太夫 おゝ、菊は御手討に相成りましたか。不憫のやうでござりまするが、心柄(こゝろがら)いたし方もござりませぬ。權次 殿様お指図ぢや。(井戸を指す。)手伝うてくだされ。十太夫 これは難儀な役ぢやな。待て、待て。(十太夫は袴の股立(もゝだち)を取り、權次と一緒にお菊の死骸を上手の井戸に沈める。播磨は立ち寄つて井戸をのぞく。鐘の声。)
播磨 家重代の宝も砕けた。播磨が一生の恋もほろびた。(下の方より權六走り出づ。)
權六 申上げます。水野十郎左衞門様これへお越しの途中で町奴どもに道を遮られ、相手は大勢、なにか彼やと云ひがかり、喧嘩の花が咲きさうでござりまする。權次 むゝ、そんならまだ先刻の奴等が、そこらにうろついてゐたと見えるな。播磨 よし、播磨がすぐに駈け付けて、町奴どもを追ひ散らしてくれるわ。(播磨は股立を取りて縁にあがり、承塵(なげし)にかけたる槍の鞘(さや)を払つて庭にかけ降りる。)
十太夫 殿様。又しても喧嘩沙汰は……。播磨 やめいと申すか。一生の恋をうしなうて……。(井戸を見かへる。)あたら男一匹がこれからは何をして生くる身ぞ。伯母御の御勘当受けうとまゝよ。八百八町を暴れあるいて、毎日毎晩喧嘩商売。その手はじめに……。(槍を取直して。)奴。まゐれ。二人 はあ。(播磨は足袋はだしのまゝに走りゆく。權次權六も身づくろひして後につゞく。十太夫はあとを見送る。)
――幕――(大正五年一月)



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