三浦老人昔話
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著者名:岡本綺堂 

       二

 お金のおふくろのお幸(こう)というのが今度の事件について先ずお調べを受けました。神明の境内で起った事件ですから、寺社奉行の係です。彼の若侍がお金を連れ出したという疑いから、こんな騒動が持ちあがったのですから、どうしてもお金とその侍との関係を詮議する必要がある。そうすれば、自然にお金のゆくえも判り、侍の身許もわかるに相違ないというので、お金のおふくろは片門前の裏借家から家主(いえぬし)同道で呼び出されました。
 お金の主人から問い合せがあった時には、お幸はなんにも知らないようなことを云っていました。今度の呼び出しを受けても、最初はやはり曖昧のことを云っていたのですが、だん/\に吟味が重なって来ると、もう隠してもいられないので、とう/\正直に申立てました。お金は桜井衛守(えもり)という三百五十石取りの旗本のむすめで、彼の矢がすりには斯ういう因縁があるのでした。
 桜井衛守というのは本所の石原に屋敷を持っていて、弓の名人と云われた人でした。奥さまはお睦(むつ)と云って夫婦のあいだにお金と庄之助という子供がありました。衛守という人も立派な男振り、お睦も評判の美人、まことに一対の夫婦と羨まれていたのですが、どういう魔がさしたものか、その奥様が用人神原伝右衛門のせがれ伝蔵と不義を働いていることが主人の耳にも薄々這入ったらしいので、ふたりも落ちついてはいられません。伝蔵の身よりの者が奥州白河にあるので一先ずそこへ身を隠すつもりで、内々で駈落の支度をしていました。その時、伝蔵は二十歳、奥さまのお睦は二十三で、むすめのお金は年弱の三つ、弟の庄之助はこの春生れたばかりの赤ん坊であったそうです。
 年下の家来と駈落をするほどの奥様でも、ふだんから姉娘のお金をひどく可愛がっていたので、この子だけは一緒に連れて行きたいという。これには伝蔵もすこし困ったでしょうが、なにしろ主人で年上の女のいうことですから、結局承知してお金だけを連れ出すことになりました。十二月の十三日、きょうは煤はきで屋敷中の者も疲れて眠っている。その隙をみて逃げ出そうという手筈で、男と女は手まわりの品を風呂敷づつみにして、お金の手をひいて夜なかに裏門からぬけ出しました。年弱の三つという女の児を歩かせてゆくわけには行きませんから、表へ出るとお睦はお金を背中に負いました。伝蔵は荷物を背負(しょ)いました。大川づたいに綾瀬の上(かみ)へまわって、千住から奥州街道へ出るつもりで、男も女も顔をつゝんで石原から大川端へ差しかゝると、生憎に今夜は月があかるいので、駈落をするには都合のわるい晩でした。おまけに筑波おろしが真向(まとも)に吹きつけて来る。ふたりは一生懸命にいそいでゆくと、うしろで犬の吠える声がきこえる。人の跫音もきこえました。
 脛に疵持つふたりは若(もし)や追手かと胸を冷したが、なにぶんにも月が明るいので何うすることも出来ない。むやみに急いで多田の薬師の前まで来ると、うしろから弦の音が高くきこえて、伝蔵は背中から胸へ射徹されたから堪りません。そのまゝばったり倒れました。お睦はおどろいて介抱しようとするところへ、二の矢が飛んで来てその襟首から喉を射ぬいたので、これも二言と云わずに倒れてしまいました。
 不義者ふたりを射留めたのは、主人の桜井衛守です。かねて二人の様子がおかしいと眼をつけていたので、弓矢を持ってすぐに追いかけて来て、手練の矢先で難なく二人を成敗してしまったのです。伝蔵もお睦も急所を射られて、ひと矢で往生したのですが、おふくろに負われていたお金だけは助かりました。しかしお睦の襟首に射込んだ矢がお金の右の頬をかすったので、矢疵のあとが残りました。お金が真直に負(おぶ)われていたら、おふくろと一緒に射徹されてしまったかも知れなかったのですが、子供のことですから半分眠っていて、首を少しく一方へかしげていた為に、かすり疵だけで済んだのでした。
 不義者を成敗したのですから、桜井さんには勿論なんの咎めもありません。用人の神原伝右衛門はわが子の罪をひき受けて切腹しました。これでこの一件も落着したのですが、さてそのお金という娘の始末です。わが子ではあるが、不義の母が連れ出した娘であると思うと、桜井さんはどうも可愛くない。殊にその頬に残っている矢疵を見るたびに忌(いや)な心持をさせられるので、思い切って屋敷から出してしまうことにしました。表面は里子に出すということにして、その実は音信不通の約束で、出入りの植木屋の万吉というものに遣ったのですが、その万吉も女房のお幸も気だての善(い)い者で、すべての事情を承知の上でお金を引き取って、うみの娘のように育てゝいるうちに、亭主の万吉が早く死んだので、お幸はお金を連子にして神明の安兵衛のところへ再縁しました。安兵衛は神明の矢場や水茶屋へ菓子を売りにゆくので、その縁でお金も矢場へ出るようになった。それは前にも申上げた通りです。
 お幸は亭主運のない女で、前の亭主にも早く死別れ、二度目の亭主の安兵衛にも死別れて、今では娘のお金ひとりを頼りにしていましたが、昔の約束を固く守って、彼の矢疵の因縁はお金にも話したことはありません。子供のときに吹矢で射られたなどと好い加減のことを云い聞かせて置いたので、お金も自分の素性を夢にも知らなかったのです。そのうちに、今年の春になって突然彼の若侍がたずねて来ました。若侍はお金の弟の庄之助で、その当時はまだ当歳の赤児でしたが、だん/\生長するにつれて、母のことや姉のことを知りましたが、植木屋の万吉はもう此世を去り、その女房はどこへか再縁してしまったというので、姉のありかを尋ねる手がかりも無かったのです。この庄之助という人は姉弟思いで、子供のときに別れた姉さんに一度逢いたいと祈っていると、今年十九の春になって、神明の矢場に矢がすりお金という女があることを、不図聞き出しました。
 頬に矢疵があると云い、その名前といい、年頃といゝ、もしやと思って竊(そっ)と見にゆくと、どうもそれらしく思われたが、迂濶にそんなことを云い出すわけにも行かないので、たゞ一通りの遊びのように見せかけて、幾たびか神明通いをした上で、だん/\にお金とも馴染になって、その実家は片門前にあることや、おふくろの名はお幸ということなどを確かめたので、ある日片門前の家へたずねて行って、おふくろのお幸に逢いました。お幸も最初はあやぶんでいたのですが、庄之助の方から自分の屋敷の名をあかし、併せて一切の秘密をうち明けたので、お幸もはじめて安心して、これも正直に何も彼も打ちあけることになりました。お金は初めて自分の素性を知って驚いたわけです。そこで庄之助は姉にむかって云いました。
「お父さまは近ごろ御病身で、昨年の夏から御隠居のお届けをなされまして、若年ながら手前が家督を相続しております。つきましてはひとりのお姉(あねえ)様を唯今のようなお姿にして置くことはなりませぬ。表向きに屋敷へお連れ申すことは出来ませずとも、どこぞに相当の世帯をお持ちなされて、義理の母御と御不自由なくお暮しなさるゝように、手前が屹とお賄い申します。」
 そうなればまことに有難い話で、お幸に勿論異存のあろう筈はありませんでしたが、お金はすこし返事に困りました。矢場女をやめて、弟の仕送りで気楽に暮して行かれるのは結構ですが、お金には内緒の男がいる。上手に逢曳をしているので今まで誰にも覚られなかったのですが、お金には新内松(しんないまつ)という悪い男が附いているのです。以前は新内の流しを遣っていて、今の商売は巾着切り、そこで綽名を新内松という苦味走った大哥(あに)さんに、お金はすっかり打込んでいる。新内松と矢飛白おきん、その頃ならば羽左衛門に田之助とでも云いそうな役廻りですが、この方には大した芝居もなくて済んでいたところへ、十九年ぶりで弟の庄之助が突然にたずねて来て、自分の姉として世話をして遣ろうという。お金に取っては有難迷惑です。
 たとい本所の屋敷へ引取られないでも、今の商売をやめて弟の世話になるのは、いかにも窮屈であり、又自分の男のかゝり合いから、どんなことで弟に迷惑をかけないとも限らない。さりとて新内松と手を切って、堅気に暮すなどという心は微塵もないので、お金はなんとかして庄之助の相談を断りたいと思ったが、まさかに巾着切りを男に持っていますと正直に云うことも出来ない。よんどころなく好い加減の挨拶をして其場は別れたのですが、もとより矢場の稼ぎを止めるでもなく、その後も相変らず神明の店に通っていると、庄之助はその後たび/\尋ねて来て、早く神明の方をやめてくれと催促する。おふくろのお幸も傍から勧める。お金ももう断り切れなくなって、男と相談の上で一旦どこへか姿を隠してしまったのです。
 そんなことゝは知らないで、庄之助は又もや片門前の家へたずねてゆくと、姉はこの間から家出して行方が知れないということをお幸から聞かされて、庄之助もおどろきました。新内松のことはお幸も薄々知っていたのですが、そんなことを庄之助にうっかり云っていゝか悪いかと遠慮していたので、何がどうしたのか庄之助には些(ちっ)とも判りません。それでも神明へ行って訊いてみたら、なにかの手がかりもあろうかと、何気ない風でお金の店へ出かけてゆくと、いきなり地廻りやごろつき共に取りまかれて、前に云ったような大騒動を仕出来(しでか)したのです。桜井庄之助という若い侍は姉思いから飛んだことになって気の毒でした。
 すべての事情が斯うわかってみると、庄之助の八人斬にも大いに同情すべき点があります。斬られた相手は皆ごろつきや地廻りで、事の実否もよく糺さず、武士に対して狼藉を働いたのですから、云わば自業自得の斬られ損ということになってしまいました。殊に幕末で、徳川幕府の方でも旗本の侍は一人でも大切にしている時節でしたから、庄之助にはなんの咎めも無くて済みました。稼ぎ人に逃げられたお幸は、桜井の屋敷から内々の扶助をうけていたとか云います。
 新内松は品川の橋向うで御用になりました。お金はその時まで一緒にいたらしいのですが、そのゆくえは判りませんでした。それから一年ほど経ってから、神奈川の貸座敷に手取りの女がいて、その右の頬にかすり疵のあとがあると云う噂でしたが、それが彼の矢がすりであるか無いか、確かなことは知った者もありませんでした。くどくも申す通り、新内松に矢がすりお金――この方に一向面白いお芝居がないので、まことに物足らないようですが、実録は大抵こんなものかも知れませんね。




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