三浦老人昔話
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著者名:岡本綺堂 

       二

 それから五日ほど経って、わたくしが花川戸へ様子を訊きにまいりますと、師匠はもう照之助に吹き込んで置いてくれたそうで、いつでも御都合のよい時にお屋敷へうかゞいますと云う返事でございました。では、あしたの晩に来てくれという約束をいたしまして、わたくしは今日も威勢よく帰って来ました。すぐに奥様にそのお話をして、それから自分の部屋へ退ってお朝にも竊(そっ)と耳打ちを致しますと、お朝はなぜだか忌(いや)な顔をしていました。
 その明る日――わたくしは朝からなんだかそわ/\して気が落着きませんでした。奥様は勿論ですが、自分も髪をゆい直したり、着物を着かえたり、よそ行きの帯を締めたりして、一生懸命にお化粧(つくり)をして、日の暮れるのを待っていました。お朝はきょうも厭な顔をしていました。
「わたしはなんだか頭痛がしてなりません。もしやコロリにでもなったんじゃ無いかしら。」
「まさか。」と、わたくしは笑いました。「今夜は照之助が来るんじゃありませんか。おまえさんも早く髪でも結い直してお置きなさいよ。照之助はおまえさんの御贔屓役者じゃありませんか。」
 お朝は黙っていました。お朝も盆芝居から照之助を大変に褒めていることを知っていますから、わたくしも笑いながら斯う云ったのですが、お朝は莞爾(にこり)ともしませんでした。お朝はどちらかと云えば大柄の、小ぶとりに肥った女で、色も白し、眼鼻立もまんざら悪くないのですが、疱瘡のあとが顔中に薄く残って、俗に薄いもという顔でした。とりわけて眉のあたりにその痕が多く残っているので、眉毛は薄い方でした。ほんとうのあばた面さえ沢山にある時代ですから、薄いもぐらいはなんでもありません。誰も別に不思議には思っていませんでしたが、当人はひどくそれを気にしているらしく、時々に鏡を見つめて悲しそうに嘆息(ためいき)をついていることがあるので、わたくしもなんだか可哀そうに思ったことも度々ありました。お朝は今日も、その鏡を見つめたときと同じような悲しい顔をして、いつまでも黙っていました。
「おまえさん。今夜は照之助が来るんですよ。」と、わたくしは少しはしゃいだ調子で、お朝の肩を一つ叩きました。なんという蓮葉なことでございましょう。今考えると冷汗が出ます。
「奥様のところへ来るんじゃありませんか。」と、お朝は口のうちで云いました。
「そりゃあたりまえさ。可いじゃありませんか。」と、わたくしは又笑いました。わたくしは朝から無暗に笑いたくって仕様がないので、お朝をその相手にしようと思って、さっきから色々に誘いかけるのですが、お朝はどうしても口脣(くちびる)を解(ほぐ)しませんでした。わたくしが笑えば笑うほど、お朝の顔はだん/\に陰(くも)って来て、碌々に返事もしませんでした。
「今夜は四つ(午後十時)を相図に、照之助はお庭の木戸口へ忍んで来るから、木戸をあけてすぐに奥へ連れて行くんでよ。よござんすか。」と、わたくしは低い声で話しました。
「わたしは気分が悪くっていけないから、今夜の御用は勤められないかも知れません。お前さん、何分たのみます。」と、お朝は元気のない声で云いました。
 気分が悪いと云うのですからどうも仕方がありません。わたくしもよんどころなしに黙ってしまいました。秋の日は短いと云いますけれども、きょうの一日はなか/\暮れませんので、わたくしは起ったり居たりして、日のくれるのを待っていました。どうも自分の部屋にじっと落着いていられないので、わたくしはお庭口から裏手の方へふら/\出て行きますと、うら手の井戸のそばにお朝がぼんやりと立っていました。時刻はもう七つ(午後四時)下りでしたろう。薄いゆう日が丁度お朝のうしろに立っている大きい柳の痩せた枝を照らして、うす白く枯れかゝったその葉の影がいよ/\白く寂しくみえました。そこらの空地には色のさめた葉鶏頭が将棋倒しに幾株も倒れていて、こおろぎが弱い声で鳴いていました。お朝は深い井戸を覗いているらしゅうございましたが、その澄んだ井戸の水には秋の雲が白く映ることをわたくし共は知っています。お朝も屹(きっ)とその雲の姿をながめているのであろうと推量しましたので、別に嚇(おど)かして遣ろうという積りでもありませんでしたが、わたくしはなんという気もなしに抜足をして、そっと井戸の方へ忍んで行きますと、お朝は気がついて振向きました。薄いもの白い顔が洗われたように夕日に光っているのは、今まで泣いていたらしく思われたので、わたくしもびっくりしました。まさかに身を投げる積りでもありますまい。第一になぜ泣いているのか、その理窟が呑み込めませんでした。お朝はわたくしの顔をみると、すぐに眼をそむけて、黙って内へ這入ってしまいました。わたくしは少し呆気(あっけ)に取られて、そのうしろ姿を見送っていました。

 どうにか斯うにか長い日が暮れて、わたくしはほっとしました。併しこれから大切な役目があるのですから、どうしてなか/\油断はなりませんでした。わたくしはお風呂へ這入って、いつもよりも白粉を濃く塗りました。だん/\暗くなるに連れて、わたくしは自然に息が喘(はず)んで、なんだか顔が熱(ほて)って来ました。照之助が来る――それが無暗に嬉しいのですが、なぜ嬉しいのか判りませんでした。自分のところへお婿が来る――その時には丁度こんな心持ではないかと思われました。お朝はいよ/\気分が悪くなったと云って、夕方からとう/\夜具をかぶってしまいました。ほかの女中――お竹とお清とは、前にも申した通りの山出しですから心配はありませんが、ただ不安心なのは留守居の侍の稲瀬十兵衛夫婦でございます。女房の方は病身で、その上に至極おとなしい人間ですから、あまり気を置くこともないのですが、夫の方は――これも正直一方で、眼先の働く人間ではありませんが、それでも一人前の侍ですから、うっかり気を許すわけには行きません。わたくしは唯それを心配していますと、その十兵衛は宵からどこへか出て行ってしまいました。女房の話によると、なにか親類に不幸が出来たとかいうのです。なんという都合の好いことでしょう。わたくしは手をあわせて遠くから浅草の観音様を拝みました。そのことを奥様に申上げますと、奥様も黙って笑っておいでになりました。奥様はどんなお心持であったか知りませんけれども、わたくしは襟許がぞく/\して、生れてから今夜ぐらい嬉しいことはないように思われました。
 そのうちに約束の刻限がまいりました。生憎に宵から陰(くも)って、今にも泣き出しそうな暗い空模様になりましたが、たとい雨が降っても照之助は来るに相違ありませんから、天気のことなどは余り深く考えてもいませんでした。不動様の四つの鐘のきこえるのを相図に、わたくしは竊(そっ)とお庭に出て、木戸の口に立番をしていますと、旧暦の九月ももう末ですから、夜はなか/\冷えて来て、広いお庭の闇のなかで竹藪が時々にがさ/\と鳴る音が寒そうにきこえます。お屋敷の屋根の上まで低く掩いかゝった暗い大空に、五位鷺の鳴いて通るのが物すごく聞えます。これがふだんならば、臆病なわたくしには迚(とて)も辛抱は出来そうもないのでございますが、今夜はいつもと違って気が一ぱいに張りつめています。幽霊の冷たい手で一度ぐらい顔を撫でられても驚くのではありません。わたくしは息をつめて、その人の来るのを今か今かと待設けていました。
 振返ってみますと、奥様の御居間の方には行燈の灯がすこし黄く光っていました。その行燈の下で奥様はなにか草雙紙でも御覧になっている筈ですが、どんなお心持でその草雙紙を読んでいらっしゃるか、わたくしにも大抵思いやりが出来ます。それにつけても、照之助が早く来てくれゝば可(い)いと、わたくしも顔を長くして耳を引立てゝいますと、どこやらで犬の吠える声が時々にきこえますが、人の跫音らしいものは聞えません。勿論、日が暮れてからは滅多に往来のある所ではございませんから。
 そのうちに、低い跫音――ほんとうに遠い世界の響きを聞くような、低い草履の音が微かに聞えました。わたくしははっと思うと、からだが急に赫(かっ)と熱(ほて)ってまいりました。些(ちっ)とも油断しないで耳を立てゝいますと、案の通りその跫音は木戸の外へひた/\と寄って来ましたので、さっきから待兼ねていたわたくしは、すぐに木戸をあけて暗いなかを透して視ますと、そこには人が立っているようでございました。
「照之助さんでございますか。」
 わたくしは低い声で訊きました。
「左様でございます。」
 外でも声を忍ばせて云いました。
「どうぞこちらへ。」
 照之助は黙って竊(そっ)と這入って来ましたので、わたくしは探りながらその手を把(と)って、お居間の方へ案内してまいりました。照之助もなんだか顫えているようでしたが、わたくしは全く顫えまして、胸の動悸がおそろしいほどに高くなってまいりました。五位鷺がまた鳴いて通りました。

 奥様はわたくしに琴を弾けと仰しゃいました。それは十兵衛の女房や、ほかの女中二人に油断させる為でございます。わたくしはあとの方に引き退って、紫縮緬の羽織の襟から抜け出したような照之助の白い頸筋を横目にみながら、おとなしく琴をひいて居りましたが、なんだか手の先がふるえて、琴爪が糸に付きませんでした。奥様は照之助と差向いで、芝居のお話などをしていらっしゃいました。
 唯それだけのことでございます。全くそれだけのことでございました。それが物の半時とは経ちません中に、大変なことが出来(しゅったい)いたしました。いつの間にどうして忍んで来たのか知りませんが、彼の稲瀬十兵衛が真先に立って、ほかの四人の侍や若党がこのお居間へつか/\と踏み込んでまいりました。それはみんな御上屋敷の人達でございます。わたくしは眼が眩むほどに驚きまして、思わず畳に手をついてしまいますと、侍達は無言で照之助の両手を押さえました。もうどうする事も出来ません。わたくしは竊(そっ)と眼をあげてうかゞいますと、奥様は真蒼な顔をして、口脣(くちびる)をしっかり結んで、たゞ黙って坐っておいでになりました。照之助の顔色はもう土のようになって、身動きも出来ないように竦んでいますのを、侍達はやはり無言で引立てゝ行きました。出てゆく時に、照之助は救いを求めるような悲しい眼をして、奥様とわたくしの方を二度見かえりましたが、わたくし共にも今更どうすることも出来ないので、唯だまって見送っていますと、侍たちは照之助を引立てゝ縁伝いにお庭口へ降りて、横手の方へ連れて行くようでございました。わたくしも不安心で堪りませんから、そっと起ち上ってお庭へ降りました。照之助がどうなるのかその行末が見とゞけたいので、跫音をぬすんで怖々にそのあとをつけて行きますと、なにしろ外は真暗なので、侍達もわたくしには気が注(つ)かないらしゅうございました。
 御座敷の横手には古い土蔵が二棟つゞいて居ります。照之助はその二番目の士蔵の前へ連れてゆかれますと、土蔵の中にはさっきから待受けている人があるとみえて、手燭の灯が小さくぼんやりと点っていました。わたくしも奥様の御用で二三度この土蔵のなかへ這入ったことがございますが、御屋敷の土蔵だけに普通の町家のよりもずっと大きく出来て居りまして、昼間でも暗い冷たい厭なところでございます。中には大きい蛇が棲んでいるとか云って、お竹やお清に嚇されたこともありましたが、その暗い隅にはまったく蛇でも棲んでいそうに思われました。照之助はその土蔵のなかへ引き摺り込まれたので、わたくしは少し不思議に思いました。
 もしこの河原者を成敗するならば、裏手の空地へでも連れ出しそうなものです。なぜこの土蔵の中までわざ/\連込んだのかと見ていますと、侍のひとりが奥にある大きい長持の蓋をあけました。その長持はわたくしも知って居ります。全体が溜塗(ためぬ)りのようになっていて、角々には厚い金物が頑丈に打付けてございます。わたくしも正面から平気でのぞく訳にはまいりません、壁虎(やもり)のように扉のかげに小さく隠れて、そっと隙見を致しているのですから、暗い土蔵の中はよく見えません。唯(た)った一つの手燭の灯が大勢の袖にゆれて、時々に見えたり隠れたりしているかと思ううちに、その長持の蓋を下す音が高くきこえました。つゞいて錠を下すらしい金物の音ががち/\と響きました。そのおそろしい音がわたくしの胸に一々強くひゞいて、わたくしはもう息も出ないようになりました。そのうちに侍達は自分の仕事を済ませて、奥からだん/\に出て来るようですから、わたくしは顫える足を引き摺って早々に逃げて帰りました。そうして、もとの御居間の縁さきから這い上って、怖々に内を覗いてみますと、燈火は瞬きもしないで静かに御座敷を照らしているばかりで、そこに奥様のお姿は見えませんでした。あとで聞きますと、奥様は彼の十兵衛が御案内して、御門の外に待っている御駕籠に乗せられて、すぐに御上屋敷の方へ送り帰されたのだそうでございます。
 照之助は長持に押込まれて、土蔵の奥に封じ籠められてしまいました。奥様は上屋敷へ送られてしまいました。その次にはわたくしの番でございます。どうなることかとその晩はおち/\眠られませんでした。その怖ろしい一夜があけますと、又こゝに一つの事件が出来(しゅったい)していました。お朝が裏手の井戸に身を投げて死んでいるのでございます。いつどうして死んだのか判りません。ひょっとすると、照之助のことが露顕したのは、お朝が十兵衛に密告したのではないかとも思われますが、証拠のないことですから、なんとも申されません。
 わたくしはなんの御咎めも無しに翌日長のお暇になって、早々に親許へ退りましたが、照之助はどうなりましたか、それは判りません。生きたまゝで長持に封じ籠められて、それぎり世に出ることが出来ないとすれば、あまりに酷たらしいお仕置です。わたくしが奥様のお使さえ勤めなければ、こんなことも出来しなかったのでございましょう。ほんとうに飛んでもない罪を作ったと一生悔んでおります。それ以来、芝居というものがなんだか怖ろしくなりまして、わたくしはもう猿若町へ一度も足を踏み込んだことはございませんでした。師匠の小翫の話によりますと、照之助の美しい顔はそれぎり舞台に見えないと申します。
 それから三年ほどの後に、わたくしは不動様へ御参詣に行きましたので、そのついでに御下屋敷の近所まで竊(そっ)と行ってみますと、御屋敷は以前よりも荒れまさっているようでしたが、二棟の土蔵はむかしのまゝに大きく突っ立って、古い瓦の上に鴉が寒そうに啼いていました。その土蔵の長持の底には、美しい歌舞伎役者が白い骨(こつ)になって横わっているかと思うと、わたくしは身の毛がよだって逃げ出しました。

 こゝまで話して、老女はひと息つくと、三浦老人は代って註を入れてくれた。
「いつぞや梅暦のお話をしたことがあるでしょう。筋は違うが、これもまあ同じようないきさつで、むかしの大名や旗本の下屋敷には色々の秘密がありましたよ。」
[#改段]

矢がすり

       一

 ある時に、三浦老人は又こんな話をして聴かせた。それは近ごろ矢場(やば)というものがすっかり廃れて、それが銘酒屋や新聞縦覧所に変ってしまったという噂が出たときのことである。明治以後でも矢場は各所に残っていて、いわゆる左り引きの姐さん達が白粉の匂いを売物にしていたのであるが、日清以後からだん/\に衰えて、このごろでは殆どその後を絶ったなどという話も出た。その末に、老人はこう云った。
 矢場女と一口に云いますけれど、江戸のむかしは、矢場女や水茶屋の女にもなか/\えらいのがありまして、何処の誰といえば世間にその名を知られているのが随分あったものです。これは慶応の初年のことですが、そのころ芝の神明の境内にお金(きん)という名代の矢場女がありました。店の名を忘れましたが、当人は矢がすりという綽名をつけられて、容貌(きりょう)のいゝのと、腕があるのとで近所は勿論、浅草あたりの矢場遊びの客までも吸いよせるという人気はすさまじいものでした。
 この女がなぜ矢飛白(やがすり)という綽名をつけられたかと云うと、すぐれて容貌がよく、こんな稼業にはめずらしい上品な女なのですが、玉に疵というのは全くこのことでしょう。右の頬に薄いかすり疵のあとがあるのです。当人の話では、射□(あずち)の下へ矢を拾いに行ったときに、悪戯(いたずら)か粗相か、客の射出した矢がうしろから飛んで来て、なにごころなく振向いたお金の頬をかすったのでこんな疵になったと云うのでした。矢とりの女の尻を射るのは時々に遣る悪戯ですが、顔を射るのはひどい。たとい小さい擦り疵にしても、あの美しい顔に疵をつけるとはとんだ罪を作ったものだと、贔屓連はしきりに同情する。それがまた人気の一つになって、誰が云い出したともなく、矢がすりという綽名をつけられるようになったのです。
 そのうちに、当人が自分でかんがえ出したのか、それとも誰かが智恵をつけたのか、お金は矢飛白の着物を年中着ていることになりました。つまりは顔の矢がすりを着物の矢飛白に附会(こじつけ)てしまったわけで、矢飛白の着物をきているから矢飛白お金というのだろうと、早呑込みをする人もだん/\多くなって、顔の矢がすりか、着物の矢飛白か、あだ名の由来もはっきりとは判らなくなってしまいました。いずれにしても、矢がすりお金といえば神明第一の売っ子で、この店はいつも大繁昌、楊弓(ようきゅう)の音の絶える間がないくらいでした。
 そうなると又おせっかいに此女の身許を穿索(せんさく)するものがある。お金のおやじはこゝらの矢場や水茶屋へ菓子を売りにくる安兵衛という男で、そのひとり娘、そういう因縁から自分も肩あげの取れない時分から矢取女になったのだそうで、おやじは二三年前に世を去って、今ではおふくろだけが残っている。お金は今年二十歳だと云っているが、ほんとうは一つ二つぐらいも越しているだろうという評判。いや、年の方は一つや二つ違ったところで、差したる問題でもないのですが、一体このお金に亭主があるか無いか、勿論、表向きの亭主は無いにきまっているが、いわゆる内縁の亭主とか、色男とか旦那とかいうようなものがあるか無いか、それを念入りに探索する人もあったのですが、どうも確かなことは判らない。ところが、この慶応元年の正月頃から一人のわかい侍がこの矢場へ時々に遊びに来ました。
 侍も次三男の道楽者などは矢場や水茶屋這入りをするのはめずらしくない。唯それだけでは別に問題にもならないのですが、その侍はまだ十八九で、人品も好い、男振りもすぐれて好い。そうして、彼のお金となんだか仲好く話しているというのですから、これは何うしても見逃されません。朋輩の女もすぐに眼をつける、出入りの客や地廻り連も黙ってはいない。あいつは何うも可怪(おか)しいという噂がたちまちに拡まってしまいました。
「あのお客はどこのお屋敷さんだえ。」と朋輩が岡焼半分に訊いても、お金は平気でいました。
「どこの人だか知るものかね。」
 こう云って澄ましているのですが、どうも一通りの客ではないらしいという鑑定で、お金はあの若い侍と訳があるに相違ないと決められてしまって、「あん畜生、うまく遣っていやあがる。」とか、「あの野郎、なま若え癖に、太(ふて)え奴だ。」とか、地まわり連のうちには随分憤慨しているのもありましたが、なにしろ相手は侍ですから無暗に喧嘩を吹っかけるわけにも行かないので、横眼で睨んで店さきを通りながら何か当てこすりの鼻唄でも歌って行くぐらいのことでした。そのうちにお金が神明から姿を消してしまったので、近所の騒ぎはまた大きくなりました。主人の家でもおどろいて、取りあえず片門前に住んでいるおふくろの所へ聞きあわせに遣ると、おふくろも知らないで、唯おどろいているばかりです。
「お金の奴め、とう/\あの侍と駈落をきめやあがった。」
 近所ではその噂で持切っていました。なにしろ神明で評判者の矢飛白が不意に消えてなくなったのですから、やれ駈落だの心中だのと、それからそれへと尾鰭をつけて色々のことを云いふらす者もあります。とりわけて心配したのは矢場の主人(あるじ)で、呼び物のお金がいなくなっては早速に商売に障るので、心あたりをそれ/″\に詮議しましたが何うも判らない。勿論その若侍もそれぎり姿をみせない。それから考えると、どうしてもその若侍がお金をさそい出したものと思われるのも無理はありません。
 それから一月あまりも過ぎて、三月はじめの暖かい晩のことです。彼の若侍がふらりと遣って来て、神明の境内をひやかして歩いて、お金の矢場の前に立ったのを、地廻り連が見つけたので承知しません。殊にそのなかには二三人のごろつきもまじっていたから、猶たまりません。
「ひとの店の女を連れ出せば拐引(かどわかし)だ。二本指でも何でも容赦が出来るものか。」
 こんなことを云って嗾(けし)かけるから、いよ/\騒ぎは大きくなります。大勢は侍を取り囲んで、お金の店のなかへ引摺り込みました。侍はおとなしい人でしたが、町人の手籠め同様に逢っては、これも黙ってはいません。
「これ、貴様たちは何をするのだ。」
「なにをするものか。さあ、こゝの店の矢がすりを何処へ隠した。正直にいえ。」
「矢飛白をかくした……。それはどういうわけだ。」
「えゝ、白ばっくれるな。正直に云わねえと、侍でも料簡しねえぞ。早く云え、白状しろ。」
「白状しろとは何だ。武士にむかって無礼なことを申すな。」
「なにが無礼だ。かどわかし野郎め。ぐず/\していると袋叩きにして自身番へ引渡すぞ。」
 相手が若いので、幾らか馬鹿にする気味もある。その上に大勢をたのんで頻りにわや/\騒ぎ立てるので、若い侍はだん/\に顔の色をかえました。店のおかみさんも見かねたように出て来ました。
「まあ。どなたもお静かにねがいます。店のさきで騒がれては手前共が迷惑いたします。」
 口ではこんなことを云っていますが、その実は自分がごろつき共を頼んでこの若侍をひき摺り込ませたのですから、騒ぎの鎮まる筈はありません。大勢は若侍を取り囲んで、矢飛白のありかを云え、お金のゆくえを白状しろと責めるのです。そのうちに弥次馬がだん/\にあつまって来て、こゝの店さきは黒山のような人立になりました。
「あいつが矢飛白をかどわかしたのだそうだ。見かけによらねえ侍じゃあねえか。」
「おとなしそうな面をしていて、呆れたものだ。」
 色々の噂が耳に這入るから、侍ももう堪らなくなりました。身分が身分、場所が場所ですから、初めはじっと我慢していたのですが、なにを云うにも年が若いから、斯うなると幾らか逆上(のぼせ)ても来ます。侍は眼を据えて、自分のまわりを取りまいている奴等を睨みつけました。
「場所柄と存じて堪忍していれば、重々無礼な奴。もう貴様たちと論は無益だ。道をひらいて通せ、通せ。」
 持っている扇で眼さきの二三人を押退けて、そのまゝ店口から出て行こうとすると、押退けられた一人がその扇をつかみました。侍はふり払おうとする。そのうちに誰かうしろから侍の袖をつかむ奴があるから、侍は又それを振払おうとする。そのなかに悪い奴があって、侍の刀を鞘ぐるみに抜き取ろうとする。侍もいよ/\堪忍の緒を切って、持っている扇をその一人にたゝき付けたかと思うと、いきなりに刀をひきぬいて振りまわした。
「それ抜いたぞ。」
 抜いたらば早く逃げればいゝのですが、大勢の中にはごろつきもいる。喧嘩好きの奴もいるので、相手が刀をぬいたと見てその腕をおさえ付けようとする者がある。下駄をぬいで撲ろうとする者がある。ひどい奴はどこからか水を持って来て、侍の顔へぶっかけるのがある。こうなると、若い侍は一生懸命です。もう何の容赦も遠慮もなしに、抜いた刀をむやみに振りまわして、手あたり次第に斬りまくる。たちまちに四五人はそこに斬り倒されたので、流石の大勢もぱっと開く。その隙をみて侍は足早にそこを駈け抜けてしまいました。
「人殺しだ、人殺しだ。」
 たゞ口々に騒ぎ立てるばかりで、もうその跡を追う者もない。侍のすがたが見えなくなってから、騒ぎはいよ/\大きくなりました。なにしろ即死が三人手負が五人で、手負のなかにもよほど手重いのが二人ほどあるというのですから大変です。勿論、式(かた)の通りに届けて検視をうけたのですが、その下手人は誰だか判らない。場所が場所ですから、神明の八人斬というので、忽ち江戸中の大評判になりました。

       二

 お金のおふくろのお幸(こう)というのが今度の事件について先ずお調べを受けました。神明の境内で起った事件ですから、寺社奉行の係です。彼の若侍がお金を連れ出したという疑いから、こんな騒動が持ちあがったのですから、どうしてもお金とその侍との関係を詮議する必要がある。そうすれば、自然にお金のゆくえも判り、侍の身許もわかるに相違ないというので、お金のおふくろは片門前の裏借家から家主(いえぬし)同道で呼び出されました。
 お金の主人から問い合せがあった時には、お幸はなんにも知らないようなことを云っていました。今度の呼び出しを受けても、最初はやはり曖昧のことを云っていたのですが、だん/\に吟味が重なって来ると、もう隠してもいられないので、とう/\正直に申立てました。お金は桜井衛守(えもり)という三百五十石取りの旗本のむすめで、彼の矢がすりには斯ういう因縁があるのでした。
 桜井衛守というのは本所の石原に屋敷を持っていて、弓の名人と云われた人でした。奥さまはお睦(むつ)と云って夫婦のあいだにお金と庄之助という子供がありました。衛守という人も立派な男振り、お睦も評判の美人、まことに一対の夫婦と羨まれていたのですが、どういう魔がさしたものか、その奥様が用人神原伝右衛門のせがれ伝蔵と不義を働いていることが主人の耳にも薄々這入ったらしいので、ふたりも落ちついてはいられません。伝蔵の身よりの者が奥州白河にあるので一先ずそこへ身を隠すつもりで、内々で駈落の支度をしていました。その時、伝蔵は二十歳、奥さまのお睦は二十三で、むすめのお金は年弱の三つ、弟の庄之助はこの春生れたばかりの赤ん坊であったそうです。
 年下の家来と駈落をするほどの奥様でも、ふだんから姉娘のお金をひどく可愛がっていたので、この子だけは一緒に連れて行きたいという。これには伝蔵もすこし困ったでしょうが、なにしろ主人で年上の女のいうことですから、結局承知してお金だけを連れ出すことになりました。十二月の十三日、きょうは煤はきで屋敷中の者も疲れて眠っている。その隙をみて逃げ出そうという手筈で、男と女は手まわりの品を風呂敷づつみにして、お金の手をひいて夜なかに裏門からぬけ出しました。年弱の三つという女の児を歩かせてゆくわけには行きませんから、表へ出るとお睦はお金を背中に負いました。伝蔵は荷物を背負(しょ)いました。大川づたいに綾瀬の上(かみ)へまわって、千住から奥州街道へ出るつもりで、男も女も顔をつゝんで石原から大川端へ差しかゝると、生憎に今夜は月があかるいので、駈落をするには都合のわるい晩でした。おまけに筑波おろしが真向(まとも)に吹きつけて来る。ふたりは一生懸命にいそいでゆくと、うしろで犬の吠える声がきこえる。人の跫音もきこえました。
 脛に疵持つふたりは若(もし)や追手かと胸を冷したが、なにぶんにも月が明るいので何うすることも出来ない。むやみに急いで多田の薬師の前まで来ると、うしろから弦の音が高くきこえて、伝蔵は背中から胸へ射徹されたから堪りません。そのまゝばったり倒れました。お睦はおどろいて介抱しようとするところへ、二の矢が飛んで来てその襟首から喉を射ぬいたので、これも二言と云わずに倒れてしまいました。
 不義者ふたりを射留めたのは、主人の桜井衛守です。かねて二人の様子がおかしいと眼をつけていたので、弓矢を持ってすぐに追いかけて来て、手練の矢先で難なく二人を成敗してしまったのです。伝蔵もお睦も急所を射られて、ひと矢で往生したのですが、おふくろに負われていたお金だけは助かりました。しかしお睦の襟首に射込んだ矢がお金の右の頬をかすったので、矢疵のあとが残りました。お金が真直に負(おぶ)われていたら、おふくろと一緒に射徹されてしまったかも知れなかったのですが、子供のことですから半分眠っていて、首を少しく一方へかしげていた為に、かすり疵だけで済んだのでした。
 不義者を成敗したのですから、桜井さんには勿論なんの咎めもありません。用人の神原伝右衛門はわが子の罪をひき受けて切腹しました。これでこの一件も落着したのですが、さてそのお金という娘の始末です。わが子ではあるが、不義の母が連れ出した娘であると思うと、桜井さんはどうも可愛くない。殊にその頬に残っている矢疵を見るたびに忌(いや)な心持をさせられるので、思い切って屋敷から出してしまうことにしました。表面は里子に出すということにして、その実は音信不通の約束で、出入りの植木屋の万吉というものに遣ったのですが、その万吉も女房のお幸も気だての善(い)い者で、すべての事情を承知の上でお金を引き取って、うみの娘のように育てゝいるうちに、亭主の万吉が早く死んだので、お幸はお金を連子にして神明の安兵衛のところへ再縁しました。安兵衛は神明の矢場や水茶屋へ菓子を売りにゆくので、その縁でお金も矢場へ出るようになった。それは前にも申上げた通りです。
 お幸は亭主運のない女で、前の亭主にも早く死別れ、二度目の亭主の安兵衛にも死別れて、今では娘のお金ひとりを頼りにしていましたが、昔の約束を固く守って、彼の矢疵の因縁はお金にも話したことはありません。子供のときに吹矢で射られたなどと好い加減のことを云い聞かせて置いたので、お金も自分の素性を夢にも知らなかったのです。そのうちに、今年の春になって突然彼の若侍がたずねて来ました。若侍はお金の弟の庄之助で、その当時はまだ当歳の赤児でしたが、だん/\生長するにつれて、母のことや姉のことを知りましたが、植木屋の万吉はもう此世を去り、その女房はどこへか再縁してしまったというので、姉のありかを尋ねる手がかりも無かったのです。この庄之助という人は姉弟思いで、子供のときに別れた姉さんに一度逢いたいと祈っていると、今年十九の春になって、神明の矢場に矢がすりお金という女があることを、不図聞き出しました。
 頬に矢疵があると云い、その名前といい、年頃といゝ、もしやと思って竊(そっ)と見にゆくと、どうもそれらしく思われたが、迂濶にそんなことを云い出すわけにも行かないので、たゞ一通りの遊びのように見せかけて、幾たびか神明通いをした上で、だん/\にお金とも馴染になって、その実家は片門前にあることや、おふくろの名はお幸ということなどを確かめたので、ある日片門前の家へたずねて行って、おふくろのお幸に逢いました。お幸も最初はあやぶんでいたのですが、庄之助の方から自分の屋敷の名をあかし、併せて一切の秘密をうち明けたので、お幸もはじめて安心して、これも正直に何も彼も打ちあけることになりました。お金は初めて自分の素性を知って驚いたわけです。そこで庄之助は姉にむかって云いました。
「お父さまは近ごろ御病身で、昨年の夏から御隠居のお届けをなされまして、若年ながら手前が家督を相続しております。つきましてはひとりのお姉(あねえ)様を唯今のようなお姿にして置くことはなりませぬ。表向きに屋敷へお連れ申すことは出来ませずとも、どこぞに相当の世帯をお持ちなされて、義理の母御と御不自由なくお暮しなさるゝように、手前が屹とお賄い申します。」
 そうなればまことに有難い話で、お幸に勿論異存のあろう筈はありませんでしたが、お金はすこし返事に困りました。矢場女をやめて、弟の仕送りで気楽に暮して行かれるのは結構ですが、お金には内緒の男がいる。上手に逢曳をしているので今まで誰にも覚られなかったのですが、お金には新内松(しんないまつ)という悪い男が附いているのです。以前は新内の流しを遣っていて、今の商売は巾着切り、そこで綽名を新内松という苦味走った大哥(あに)さんに、お金はすっかり打込んでいる。新内松と矢飛白おきん、その頃ならば羽左衛門に田之助とでも云いそうな役廻りですが、この方には大した芝居もなくて済んでいたところへ、十九年ぶりで弟の庄之助が突然にたずねて来て、自分の姉として世話をして遣ろうという。お金に取っては有難迷惑です。
 たとい本所の屋敷へ引取られないでも、今の商売をやめて弟の世話になるのは、いかにも窮屈であり、又自分の男のかゝり合いから、どんなことで弟に迷惑をかけないとも限らない。さりとて新内松と手を切って、堅気に暮すなどという心は微塵もないので、お金はなんとかして庄之助の相談を断りたいと思ったが、まさかに巾着切りを男に持っていますと正直に云うことも出来ない。よんどころなく好い加減の挨拶をして其場は別れたのですが、もとより矢場の稼ぎを止めるでもなく、その後も相変らず神明の店に通っていると、庄之助はその後たび/\尋ねて来て、早く神明の方をやめてくれと催促する。おふくろのお幸も傍から勧める。お金ももう断り切れなくなって、男と相談の上で一旦どこへか姿を隠してしまったのです。
 そんなことゝは知らないで、庄之助は又もや片門前の家へたずねてゆくと、姉はこの間から家出して行方が知れないということをお幸から聞かされて、庄之助もおどろきました。新内松のことはお幸も薄々知っていたのですが、そんなことを庄之助にうっかり云っていゝか悪いかと遠慮していたので、何がどうしたのか庄之助には些(ちっ)とも判りません。それでも神明へ行って訊いてみたら、なにかの手がかりもあろうかと、何気ない風でお金の店へ出かけてゆくと、いきなり地廻りやごろつき共に取りまかれて、前に云ったような大騒動を仕出来(しでか)したのです。桜井庄之助という若い侍は姉思いから飛んだことになって気の毒でした。
 すべての事情が斯うわかってみると、庄之助の八人斬にも大いに同情すべき点があります。斬られた相手は皆ごろつきや地廻りで、事の実否もよく糺さず、武士に対して狼藉を働いたのですから、云わば自業自得の斬られ損ということになってしまいました。殊に幕末で、徳川幕府の方でも旗本の侍は一人でも大切にしている時節でしたから、庄之助にはなんの咎めも無くて済みました。稼ぎ人に逃げられたお幸は、桜井の屋敷から内々の扶助をうけていたとか云います。
 新内松は品川の橋向うで御用になりました。お金はその時まで一緒にいたらしいのですが、そのゆくえは判りませんでした。それから一年ほど経ってから、神奈川の貸座敷に手取りの女がいて、その右の頬にかすり疵のあとがあると云う噂でしたが、それが彼の矢がすりであるか無いか、確かなことは知った者もありませんでした。くどくも申す通り、新内松に矢がすりお金――この方に一向面白いお芝居がないので、まことに物足らないようですが、実録は大抵こんなものかも知れませんね。




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