三浦老人昔話
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著者名:岡本綺堂 

 刺青師が無分別の若者を扱うには、いつも此の手を用いるのだそうです。この論法で、きょうも不可(いけ)ない、あしたも不可ないと云って、二度も三度も追い返すと、しまいには相手も飽きて、来なくなる。それでも強情に押掛けてくる奴には、先ず筋彫りをすると云って、人物や花鳥の輪廓を太い線で描く。その場合にはわざと太い針を用いて、精々痛むようにちくり/\と肉を刺すから堪らない。大抵のものは泣いてしまいます。縦令(よしん)ば歯を食い縛って堪えても、身体の方が承知しないで、きっと熱が発(で)る、五六日は苦しむ。これで大抵のものは降参してしまうのです。源七もこの流儀で、味淋の気があるを口実にして、一旦は先ず体よく清吉を追い返したのですが、なか/\この位のことで諦めるのではない。あくる日もその明くる日も毎日毎日根よく押掛けて来るので、源七老爺(じい)さんも仕舞には根負けをしてしまって、それほど執心ならば兎もかくも彫ってみましょうという事になりました。
 そこで源七は先ず筋彫りにかゝった。一体なにを彫るのかと云って雛形の手本をみせると、清吉は「嵯峨や御室(おむろ)」の光国と滝夜叉を彫ってくれと云う注文を出しました。おなじ刺青でも二人立と来ては大仕事で、殊に滝夜叉は傾城(けいせい)の姿ですから、手数がなか/\かゝる。無論、手間賃は幾らでもいゝと云うのですが、この男の痩せた生白い背中に、それほど手の込んだ二人立が乗る訳のものではないので、もう些(ちっ)と軽いものをと色々に勧めたのですが、清吉はどうしても肯かない。是非とも「嵯峨や御室」を頼むと強情を張るので、源七はまた弱らせられました。併しあとで考えると、それにも一応理窟のあることで、彼のお金は一昨年(おととし)のお祭に踊屋台に出た。それが右の「嵯峨や御室」で、お金は滝夜叉を勤めて大層評判が好かったのだそうです。そう云う因縁があるので、清吉は自分の背中にも是非その滝夜叉を彫って貰いたいと望んだわけでした。
 源七もいよ/\根負けがして、まあなんでも可(い)い、当人の註文通りに滝夜叉でも光国でも彫ることにして、例の筋彫りで懲りさしてしまおうと云う料簡で、先ず下絵に取りかゝりました。それから例の太い針でちくり/\と突っ付きはじめたが、清吉は眼を瞑(つぶ)って、歯を食いしばって、じっと我慢をしている。痛むかと訊いても、痛くないと答える。それでも元来無理な仕事をするのですから、強情や我慢ばかりで押通せる訳のものではありません。半月も立たないうちに幾度もひどい熱が出て、清吉は殆ど半病人のようになってしまったが、それでも根よく通って来ました。
 当人の親たちも大変心配して、そんな無理をすると身体に障るだろうと、たび/\意見をしたのですが、清吉はどうしても肯かない。例の通り、死んでもかまわないと強情を張り通しているのだから、周囲(まわり)の者も手を付けることが出来ない。親たちも店の者もたゞ心配しながら日を送っているうちに、清吉はだん/\に弱って来ました。顔の色は真蒼になって、今年十九の若い者が杖をついて歩くようになった。それでも毎日かゝさず通って来るので、源七はその強情におどろくと云うよりも、なんだか可哀そうになって来ました。この上につゞけて彫っていれば、どうしても死ぬよりほかはない。最初からもう一月の余になるが、滝夜叉の全身の筋彫りがよう/\出来上ったぐらいのもので、これから光国の筋彫りを済まして、更に本当の色ざしを終るまでには、幾日かゝるか判ったものではない。清吉がその総仕上げまで生きていられないことは知れきっているので、なんとかしてこゝらで思い切らしたいものだと、源七も色々に考えていると、なんでも冬のなかばで、霙(みぞれ)まじりの寒い雨が降る日だったそうです。清吉はもう歩く元気もない、殊に雨が降っているせいでもありましょう、自分の家の駕籠に乗せられて源七の家へ来ました。なんぼなんでも最(も)う見てはいられないので、半分死んでいるような清吉にむかって、わたしは医者ではないから、ひとの身体のことはよく判らないが、多年の商売の経験で大抵の推量は付く。おまえさんがこの上無理に刺青をすれば、どうしても死ぬに決まっているが、それでも構わずに遣る気か、どうだと云って、噛んで含めるように意見をすると、当人ももう大抵覚悟をしていたとみえて、今度はあまり強情を張りませんでした。
 この時に清吉は初めて彼のお金の一条をうちあけて、自分はどうしてもこの身体に刺青をして、梅の井の奴等に見せてやろうと思ったのだが、それももう出来そうもない。滝夜叉も光国も出来上らないうちに死んでしまうらしい。ついては「嵯峨や御室」の方を中止して、左の腕に位牌、右の腕に石塔を彫って貰いたいと、やつれた顔に涙をこぼして頼んだそうです。源七老爺さんも「その時にはわたしも泣かされましたよ。」とわたしに話しました。
 どうで死ぬと覚悟をしている人の頼みだから、源七も否とは云わなかった。その後も清吉は駕籠で通って来るので、源七も一生懸命の腕をふるって、位牌と石塔とを彫りました。それがようやく出来あがると、清吉は大変によろこんで、あつく礼を云って帰ったが、それから二日ほど経って死んでしまいました。初島の家から報せてやると、梅の井のお金もおふくろも駈けつけて来ましたが、今更泣いても謝っても追っ付くわけのものではありません。菩提寺の和尚様は筆を執って、仏の左右の腕に彫られている位牌と石塔とに戒名をかいて遣ったということです。
[#改段]

雷見舞

       一

 六月の末であった。
 梅雨の晴間をみて、二月ぶりで大久保をたずねると、途中から空の色がまた怪しくなって、わたしが向ってゆく甲州の方角から意地わるくごろ/\云う音がきこえ出した。どうしようかと少し躊躇したが、大したこともあるまいと多寡をくゝって、そのまゝに踏み出すと、大久保の停車場についた頃から夕立めいた大粒の雨がざっとふり出して、甲州の雷はもう東京へ乗込んだらしく、わたしの頭のうえで鳴りはじめた。
 傘は用意して来たが、この大雨を衝いて出るほどの勇気もないので、わたしは停車場の構内でしばらく雨やどりをすることにした。そのころの構内は狭いので、わたしと同じような雨やどりが押合っているばかりか、往来の人たちまでが屋根の下へどや/\と駈け込んで来たので、ぬれた傘と湿(ぬ)れた袖とが摺れ合うように混雑していた。
 わたしの額には汗がにじんで来た。
 わたしのそばには老女が立っていた。老女はもう六十を越えているらしいが、あたまには小さい丸髷をのせて、身なりも貧しくない、色のすぐれて白い、上品な婦人であった。かれはわたしと肩をこすり合うようにして立っているので、なんとも無しに一種の挨拶をした。
「どうも悪いお天気でございますね。」
「そうです。急にふり出して困ります。」と、わたしも云った。
「きょう一日はどうにか持つだろうと思っていましたのに……。」
 こんなことを云っているうちにも、雷(らい)はかなりに強く鳴って通った。その一つは近所へ落ちたらしかった。老女は白い顔を真蒼にそめ換えて、殆どわたしのからだへ倒れかゝるように倚(よ)りかゝって眼をとじていた。雷の嫌いな女、それはめずらしくもないので、わたしはたゞ気の毒に思ったばかりであった。実はわたし自身もあまり雷は好きでないので、いゝ加減に通り過ぎてくれゝばいゝと内心ひそかに祈っていると、雨は幸いに三十分を過ぎないうちに小降りになって、雷の音もだん/\に東の空へ遠ざかったので、気の早い人達はそろ/\動きはじめた。わたしもやがて空をみながら歩き出すと、老女もつゞいて出て来た。かれも小さい洋傘(こうもり)を持っていた。
 構外へ出ると、雲の剥げた隙間から青い空の色がところ/″\に洩れて、路ばたの草の露も明るく光っていた。わたしも他の人達とあとや先になって、雨あがりの路をたどってゆくと、一台の人車(くるま)がわたしたちを乗り越して通り過ぎた。雨ももう止んで、その車には幌がおろしてなかったので、車上の人が彼の老女であることはすぐに判った。老女はわたしに黙礼をして通った。
 三浦老人の家(うち)は往来筋にあたっていないので、その横町へまがる時には、もう私と一緒にあるいている人はなかった。往来が少いだけに、横町は殊に路が悪かった。そのぬかるみを注意して飛び渡りながら、ふと向うをみると、丁度彼の家の門前から一台の空車が引返して来るところであった。客はもう門をくゞってしまったので、そのうしろ姿もみえなかったが、車夫の顔には見おぼえがあった。かれは彼の老女をのせて来た者に相違なかった。
 あの女も三浦老人の家へ来たのか。
 わたしは鳥渡(ちょっと)不思議なようにも感じた。停車場で一緒に雨やどりをして、たとい一言でも挨拶した女が、やはり同じ家をたずねてゆく人であろうとは思わなかった。勿論そんな偶然はあり勝のことではあろうが、この場合、かれと我とのあいだに何か一種の糸が繋がってゞもいるように思われないこともなかった。かれはどういう人であろうかと、私はあるきながら想像した。かれは老人の親戚であろうか、知人の細君か未亡人であろうか。それとも――老人がむかしの恋人ではあるまいか――斯うかんがえて来たときに、わたしは思わず微笑して自分の空想を嘲(あざけ)った。
 いずれにしても、来客のあるところへ押掛けてゆくのは良くない。いっそ引返そうかとも思ったが、雨にふり籠められ、雷(らい)におびやかされ、ぬかるみを辿ってこゝまで来たことを考えると、このまゝ空しく帰る気にもなれなかったので、わたしは邪魔をするのを承知の上で、思い切ってそのあとから門をくゞることにした。雨もやみ、傘を持っているにも拘らず、停車場から僅かの路を人車(くるま)に乗ってくるようでは、かの老女もあまり生活に困らない人であろうなどと、わたしは又想像した。
 門を這入って案内を求めると、おなじみの老婢(ばあや)が出て来た。いつもは笑って私を迎える彼女が、きょうは少し迷惑そうな顔をして、その返事に躊躇しているようにもみえるので、わたしは今更に後悔して、やはり門前から引返せばよかったと思ったが、もう何うすることも出来ないので、奥へ取次ぎにゆく彼女のうしろ姿を気の毒のような心持で見送っていると、やがて彼女(かれ)は再び出て来て、いつもの通りにわたしを案内した。
「御用のお客様じゃないのでしょうか。お邪魔のようならば又うかゞいますが……。」と、わたしは遅まきながら云った。
「いいえ、よろしいそうでございます。どうぞ。」と、老婢は先に立って行った。
 いつもの座敷には、あるじの老人と客の老女とが向い合っていた。老女はわたしの顔をみて、これも一種の不思議を感じたように挨拶した。停車場で出逢った話をきいて、三浦老人も笑い出した。
「はゝあ、それは不思議な御縁でしたね。むかしから雨宿りなぞというものは色々の縁をひくものですよ。人情本なんぞにもよくそんな筋があるじゃありませんか。」
「それでもこんなお婆さんではねえ。」
 老女は声をあげて笑った。年にも似合わない華やかな声がわたしの注意をひいた。
「先刻(さっき)はまことに失礼をいたしました。」と、女はかさねて云った。「わたくしはかみなり様が大嫌いで、ごろ/\と云うとすぐに顔の色が変りますくらいで、若いときには夏の来るのが苦になりました。それに、当節とちがいまして、昔はかみなり様が随分はげしく鳴りましたから、まったく半病人で暮す日がたび/\ございました。」
「ほんとうにお前さんの雷(らい)嫌いは格別だ。」と、三浦老人も笑った。「なにしろ、それがために侍ひとりを玉無しにしたんだからね。」
「あゝ、もうその話は止しましょうよ。」と、女は顔をしかめて手を振った。
「まあ、いゝさ。」と、老人はやはり笑っていた。「こちらはそういう話が大変にお好きで、麹町からわざ/\この大久保まで、時代遅れのじいさんの昔話を聴きにおいでなさるのだ。おまえさんも罪ほろぼしに一つお聞かせ申したら何うだね。」
「是非聴かして頂きたいものですね。」と、わたしも云った。この老女の口から何かのむかし話を聞き出すということが、一層わたしの興味を惹いたからであった。
「だって、あなた。別に面白いお話でもなんでも無いんですから。」と、女は迷惑そうに顔をしかめながら笑っていた。
「どうしても聴かして下さるわけには行かないんでしょうか。」と、私も笑いながら催促した。
「困りましたね。まったく詰まらないお話なんですから。」
「詰まらなくてもようござんすから。」
「だって、いけませんよ。ねえ、三浦さん。」と、かれは救いを求めるように老人の顔をみた。
「そう押合っていては果てしがない。」と、老人は笑いながら仲裁顔に云った。「じゃあ、一旦云い出したのが私の不祥で、今更何うにも仕様がないから、わたしが代理で例のおしゃべりをすることにしましょうよ。おまえさんも係り合だから、おとなしくこゝに坐っていて、わたしの話の間違っているところがあったら、一々そばから直してください、逃げてはいけませんよ。」
 いよ/\迷惑そうな顔をしている女をそこに坐らせて置いて、老人はいつもの滑らかな調子で話しはじめた。

       二

 どこかに迷惑がる人がいますから、店の名だけは堪忍してやりますが、場所は吉原で、花魁(おいらん)の名は諸越(もろこし)とおぼえていて下さい。安政の末年のことで、その諸越のところへ奥州のある大名――と云っても、例の仙台様ではありません。もっと江戸に近いところの大名が通っていたのです。仙台や尾張や、それから高尾をうけ出した榊原などは、むかしから有名になっていますが、まだその外にも廓通いをした大小名は沢山あります。しかも遠い昔ばかりでなく、文化、文政から天保以後になっても、廓へ入込んだ殿様は幾らもありましたから、敢てめずらしいことでもないのですが、その諸越という女がおそろしく雷を嫌ったということがお話の種になるのです。そのつもりでお聴きください。
 その大名は吹けば飛ぶような木葉(こっぱ)大名でなく、立派に大名の資格を具えている家柄の殿様でしたが、それがしきりに諸越のところへ通ってゆく。勿論、大名のお忍びですから、頻りにと云ったところで、月に二三度ぐらいのことでしたが、それでも殿様は大執心で、相方(あいかた)の女に取っても、その店に取っても、大変にいゝお客様であったのです。
 諸越が雷を嫌うということは、殿様もよく知っている。そこで、雷が鳴ると、その屋敷から諸越のところへ御見舞の使者が来ることになっていました。随分ばか/\しいようなお話で、今日の人たちは嘘のように思うかも知れませんが、これは擬(まが)いなしの実録です。勿論小さい雷ならば構わないでしょうが、少し強い雷が鳴り出すと、屋敷の侍が早駕籠に乗ってよし原へ駈けつけて、お見舞の菓子折か何かをうや/\しく花魁に献上するというわけです。いかに主命でも、兎もかくも一人の武士が花魁のところへ雷(らい)見舞にゆくと云うのですから、重々難儀の役廻りで、相当の年配のものは御免を蒙って引き下りますから、この役目はいつも若侍がうけたまわることになっていました。
 ところで、その年の夏は先ず無事に済んでいたのですが、どういう陽気の加減か、その年は十月の末に颶風(はやて)のような風がふき出して、石ころのような大きい雹が雨まじりに降る。それと一緒にひどい雷が一時(とき)あまりも鳴りひゞいたので、江戸中の者もびっくりしました。この屋敷でもおどろきました。もう大丈夫と油断していると、この大雷が不意に鳴り出したのです。殊に時ならぬ雷というのですから、猶さらお見舞を怠ってはならぬと、殿さまの御指図を待つまでもなく、屋敷からは倉田大次郎という若侍を走らせて、諸越花魁の御機嫌を伺わせることにしました。
 大次郎はすぐに支度をして、さすがに裃(かみしも)は着ませんけれども、紋付の羽織袴というこしらえで、干菓子の大きい折をさゝげて、駕籠をよし原へ飛ばさせました。大次郎は今年二十二で、ふだんから殿さまのお供をして吉原へゆく者ですから、廓内の勝手はよく心得ています。たゞ困ったことには、この人も雷嫌いで、稲妻がぴかりと光ると、あわてゝ眼をつぶるという質ですから、雷見舞のお使にはいつも相役の村上という男をたのんでいたのですが、きょうは生憎にその村上が下屋敷の方へ行って、屋敷に居あわせない。今日とちがいますから、電話をかけて急に呼び戻すというわけには行かないので、よんどころなく自分が引受けて出ることになりました。大次郎も侍ですから、雷が怖いと云って役目を辞退することは出来ません。風が吹く、雨がふる、雹が降る、雷が鳴る、実にさん/″\な天気の真最中に、大次郎は駕籠でのり出しました。本人に取っては、羅生門に向う渡辺綱よりも大役でした。
 屋敷を出たのは、夕七つ(午後四時)少し前で、雨風はまだやまない。とき/″\に大きい稲妻が飛んで、大地もゆれるような雷がなりはためく。駕籠のなかにいる大次郎はもう生きている心地もないくらいで、眼をふさぎ、耳をふさいで、おそらく口のうちでお念仏でも唱えていたことでしょう。本人の雷ぎらいと云うことは、屋敷でも大抵知っていたでしょうが、場所が場所だけに無暗の者を遣るわけには行かなかったのかも知れません。いずれにしても、雷ぎらいの人間を雷見舞に遣ろうというのですから、躄(いざり)を火事見舞に遣るようなもので、どうも無理な話です。その無理からこゝに一つの事件が出来(しゅったい)したのは、まことによんどころないことでした。
 浅草へかゝって、馬道の中ほどまで来ると、雷は又ひとしきり強くなって、なんでも近所へ一二ヵ所も落ちたらしい。雹はやんだが、雨風が烈しいので、駕籠屋も思うように駈けられない。駕籠のなかでは大次郎がふるえ声を出して、早く遣れ、早くやれと急きたてます。いくら急かれても、駕籠屋はいそぐわけには行かない。そのうちに大きい稲妻が又ひかる。大次郎はもう堪らなくなって、一生懸命に怒鳴りました。
「どこでもいゝから、そこらの家(うち)へ着けてくれ」
 どこでもと云っても、まさか米屋や質屋へかつぎ込むわけにも行かないので、駕籠屋はそこらを見まわすと、五六軒さきに小料理屋の行燈がみえる。駕籠屋は兎もかくもその門口へおろすと、大次郎は待ちかねたように転げ出して、その二階へ駈けあがりました。駕籠に乗った侍が飛び込んで来たのですから、そこの家でも疎略にはあつかいません。女中共もすぐに出て来て、お世辞たら/\で御注文をうけたまわろうとしても、客は真蒼になって座敷のまん中に俯伏していて、しばらくは何にも云いません。急病人かと思って一旦はおどろいたが、雷が怖いので逃げ込んで来たということが判って、家でも気をきかして時候はずれの蚊帳を吊ってくれる。線香を焚いてくれる。これで大次郎もすこし人ごこちが付きました。そのうちに雷の方もすこし収まって来たので、大次郎もいよ/\ほっとしていると、わかい女中が酒や肴を運んで来ました。なにを誂えたのか、誂えないのか、大次郎も夢中でよく覚えていませんが、こういう家の二階へあがった以上、そのまゝに帰られないくらいのことは心得ていますから、大次郎は別になんにも云わないで、その酒や肴を蚊帳のなかへ運ばせました。
「あなた。虫おさえに一口召上れよ。」
 女中も蚊帳のなかへ這入って来ました。大次郎も飲める口ですし、まったく虫おさえに一杯飲むのもいゝと思ったので、その女の酌で飲みはじめました。吉原の酒の味も知っている人ですから、まんざらの野暮ではありません。その女にも祝儀を遣って、冗談の一つ二つも云っているうちに、雨風もだん/\に静まって雷の音も遠くなりましたから、大次郎はいよ/\元気がよくなりました。相手も鳥渡(ちょっと)踏めるような御面相の女で、頻りにちやほやと御世辞をいう。それに釣り込まれて飲んでいるうちに、大次郎もよほど酔がまわって来ました。しかし生酔本性違わずで、雷見舞の役目のことが胸にありますから、大次郎もあまり落ちついて御神輿(おみこし)を据えているわけには行きません。好い加減に切りあげて帰ろうとすると、女はなんとか彼とか云って頻りにひき止めました。

       三

 大次郎は悪い家へ這入ったので、こゝの家の表看板は料理屋ですが内実は淫売屋(じごくや)でした。江戸時代に夜鷹は黙許されていましたが、淫売(じごく)はやかましい。とき/″\お手が這入って処分をうけるのですが、やはり今日とおなじことで狩り尽せるものではありません。大次郎は無論にそんな家(うち)とは知らないで、夢中で飛び込んだのです。駕籠屋もおそらく知らないで普通の小料理屋と思って担ぎ込んだのでしょうが、家には首の白いのが四五人も屯していて、盛に風紀をみだしている。そこへ身綺麗な若い侍が飛び込んで来たので、向うでは好(い)い鳥ござんなれと手ぐすね引いて持ちかけると云うわけです。大次郎はふり切って帰ろうとする。女は無理にひきとめる。それがだん/\露骨になって来たので、大次郎も気がついて、あゝ飛んだところへ引っかかったと思ったが、今更どうすることも出来ない。あやまるようにして勘定をすませて、さて帰ろうとすると、自分の大小がみえない。
「これ、おれの大小をどうした。」
「存じませんよ。」と、女は澄ましていました。
「存じないことはない。探してくれ。」
「でも、存じませんもの。あなた、お屋敷へお忘れになったのじゃありませんか。」
「馬鹿をいえ。侍が丸腰で屋敷を出られるか。たしかに何処かにあるに相違ない。早く出してくれ。」
 女は年こそ若いが、なか/\人を食った奴で、こっちが焦れるほどいよ/\落ちつき払って、平気にかまえているのです。小面(こづら)が憎いと思うけれど、こゝで喧嘩も出来ない。淫売屋というなかにも、こゝの家はよほど風(ふう)のわるい家で、大次郎の足どめに大小を隠してしまったらしい。いよ/\憎い奴だと思うものゝ、こゝへ飛び込んで来たときは半分夢中であったので、いつ何うして大小を取りあげられたのか些(ちっ)とも覚えがない。こうなると水かけ論で、いつまで押問答をしていても果てしが付かないことになるので、大次郎も困りました。
 勿論、たしかに隠してあるに相違ないのですから、表向きにすれば取返す方法がないことはない。町内の自身番へ行って、その次第をとゞけて出れば、こゝの家の者どもは詮議をうけなければならない。武士が大小をさゝずに来たなどというのは、常識から考えても有りそうもないことですから、こゝの家で隠したと云う疑いはすぐにかゝる。まして隠し売女を置いているということまでが露顕しては大変ですから、こゝで大次郎が「自身番へゆく」と一言いえば、相手も兜をぬいで降参するかも知れないのですが、残念ながらそれが出来ない。表向きにすれば、第一に屋敷の名も出る。ひいては雷見舞の一件も露顕しないとも限らないので、大次郎はひどく困りました。相手の方でも真逆に雷見舞などとは気がつきませんでしたろうが、たといどっちが悪いにせよ、侍が大小を取られたの、隠されたのと云って、表向きに騒ぎ立てるのは身の恥ですから、よもや自身番などへ持出しはしまいと多寡をくゝって、どこまでも平気であしらっている。こんな奴等に出逢ってはかないません。
 こうなったら仕方がないから、金でも遣って大小を出して貰うか、それとも相手の云うことを肯いて遊んでゆくか、二つに一つより外はないのですが、可哀そうに大次郎はあまり沢山の金を持っていない上に、こゝで祝儀を遣ったり、法外に高い勘定を取られたりしたので、紙入れにはもう幾らも残っていないのです。ほかの品ならば、打っちゃった積りで諦めて帰りますが、武士の大小、それを捨てゝ丸腰では表へ出られません。大次郎も困り果てゝ、嚇したり賺(すか)したりして色々にたのみましたが、相手は飽までもシラを切っているのです。年のわかい大次郎はだん/\に焦れ込んで来ました。
「では、どうしても返してくれないか。」
「でも、無いものを無理じゃありませんか。」
「無理でもいゝから返してくれ。」
「まあ、ゆっくりしていらっしゃいよ。そのうちには又どっかから出て来ないとも限りませんから。」
「それ、みろ。おまえが隠したのじゃないか。」
「だって、あなたがあんまり強情だからさ。あなたがわたしの云うことを肯いてくれなければ、わたしの方でもあなたの云うことを肯きませんよ。そこが、それ、魚心に水心とか云うんじゃありませんか。」
「だから、また出直してくる。きょうは堪忍してくれ。もう七つを過ぎている。おれは急いで行かなければならない。」
「七つ過ぎには行かねばならぬ――へん、きまり文句ですね。」
 大次郎はいよ/\焦れて来ました。
「これ、どうしても返さないか。」
「返しません。あなたが云うことを肯かなければ……。」
 云いかけて、女はきゃっと云って倒れました。そこにあった徳利で眉間をぶち割られたのです。大次郎は徳利を持ったまゝで突っ立ちました。
「さあ、どこに隠してある。案内しろ。」
 女の悲鳴をきいて、下から亭主や料理番や、ほかに三四人の男どもが駈けあがって来ました。どうでこんな家(うち)ですから、亭主はごろつきのような奴で、丁度仲間の木葉(こっぱ)ごろがあつまって奥で手なぐさみをしているところでしたから、すぐにどや/\と駈けつけて来たのです。来てみると、この始末ですから承知しません。大事の玉を疵物にされては、侍でもなんでも容赦は出来ない。取っ捉まえて自身番へ突き出せと、腕まくりをして掴みかゝる。それを突き倒して次の間へ飛び出すと、そこには夜具でも入れてあるらしい押入れがある。もしやと思って明けて見ると、果して自分の大小が夜具のあいだに押込んでありました。手早くひき摺り出して腰にさすと、又うしろから掴み付く奴がある。なにしろ多勢に無勢ですし、こっちも少し逆上(のぼ)せていますから、もうなんの考えもありません。大次郎は掴みつく奴を力まかせに蹴放して、また寄って来ようとするところを抜撃ちに斬りました。
「わあ、人殺しだ。」
 騒ぎまわる奴等をつゞいて二三人斬り倒して、大次郎は二階からかけ降りました。
 びっくりしている駕籠屋にむかって、大次郎は叱るように云いました。
「いそいで吉原へやれ。」
 駕籠屋も夢中でかつぎ出しました。

「実に飛んだことになったものですよ。」と、三浦老人はため息をついた。「大次郎という人はその足で吉原へ飛んで行って、諸越花魁に逢って、式(かた)のごとくに雷見舞の口上をのべて帰りました。帰っただけならばいゝのですが、屋敷へ帰ってから切腹したそうです。相手が相手ですから、あるいは殺し得で済んだかも知れなかったのですが、兎も角それだけの騒ぎを仕出来したので、世間の手前、屋敷でも捨てゝ置かれなかったのか。それともお使に出た途中で、こんなことを仕出来(しでか)しては申訳がないというので、当人が自分から切腹したのか。それとも表向きになっては雷見舞の秘密が露顕するというので、当人に因果をふくめて自滅させたのか。そこらの事情はよく判りませんが、いずれにしても一人の侍がよし原へ雷見舞にやられて、結局痛い腹を切るようになったのは事実です。料理屋の方でも二人は即死、ほかの怪我人は助かったそうです。」
「まったく飛んだことになったものでした。」と、わたしも溜息をついた。「その後もその大名はよし原へ通っていたのですか。」
「いや、それに懲りたとみえて、その後は一切足踏み無しで、諸越花魁も大事のお客をとり逃してしまったわけです。」
 云いながら老人は老女の顔を横目にみた。わたしも思わず彼女の顔をみた。三人の眼が一度に出逢うと、老女はあわてゝ俯向いてしまった。しばしの沈黙の後に、老人は庭をみながら云った。
「さっきの雷で梅雨もあけたと見えますね。」
 庭には明るい日が一面にかゞやいていた。
[#改段]

下屋敷

       一

 その次に三浦老人をたずねると、又もや一人の老女が来あわせていた。但し彼女はこの間の「雷見舞」の女主人公とは全く別人で、若いときには老人と同町内に住んでいた人だと云うことであった。
 老人はかれを私に紹介して、この御婦人も色々の面白い話を知っているから、ちっと話して貰えと云うので、わたしはいつもの癖で、是非なにか聴かしてくださいと幾たびか催促すると、この老女もやはり迷惑そうに辞退していたが、とう/\私に責め落されて、丁寧な口調でしずかに語り出した。

 はい。年を取りますと、近いことはすぐに忘れてしまって、遠いことだけは能く覚えているとか申しますけれど、矢はりそうも参りません。わたくし共のように年を取りますと、近いことも遠いこともみんな一緒に忘れてしまいます。なにしろもう六十になりますんですもの、そろ/\耄碌しましても致方がございません。唯そのなかで、今でもはっきり覚えて居りまして、雨のふる寂しい晩などに其時のことを考え出しますとなんだかぞっとするようなことが唯(た)った一つございます。はい、それを話せと仰しゃるんですか。なんだか忌(いや)なお話ですけれども、まあ、わたくしの懺悔ながらに、これからぼつ/\お話し申しましょうか。
 それは安政五年――午(うま)年のことでございます。わたくしは丁度十八で、小石川巣鴨町の大久保式部少輔様のお屋敷に御奉公に上っておりました。お高は二千三百石と申すのですから、御旗本のなかでも歴々の御大身でございました。今のお若い方々はよく御存じでございますまいが、千石以上のお屋敷となりますと、それはそれは御富貴なもので、御家来にも用人、給人、中小姓、若党、中間のたぐいが幾人も居ります。女の奉公人にも奥勤めもあれば、表勤めもあり、お台所勤めもあって、それも大勢居りました。わたくしは十六の春から奥勤めにあがりまして、あしかけ三年のあいだ先ず粗相も無しに勤め通して居りました。
 安政午年――御承知の通り、大コロリの流行った怖ろしい年でございました。併しそれは重(おも)に下町のことで、山の手の方には割合に病人も少のうございましたから、お屋敷勤めのわたくし共はその怖ろしい噂を聞きますだけで、そんなに怯えるほどのこともございませんでした。勿論、八月の朔日(ついたち)から九月の末までに、江戸中で二万八千人も死んだと云うのでございますから、その噂だけでも実に大変で、さすがの江戸も一時は火の消えたように寂しくなりました。そう云うわけでございますから、その十一月には例年の通り猿若町の三芝居に役者の入替りはありましたが、顔見世狂言は見合せになりました。これから申上げますのは、その役者のお話でございます。
 一体わたくしのお屋敷では、殿様を別として、どなたもお芝居がお好きでございました。殿様は御養子で今年丁度三十でいらっしゃるように承って居りました。奥様は七つ違いの二十三で、御縁組になってから既(も)う六年になるそうですが、まだ御子様は一人もございませんでした。御先代の奥様は芳桂院様と仰せられまして、目黒の御下屋敷の方に御隠居なすっていらっしゃいましたが、このお方が歌舞伎を大層お好きでございまして、殊に御隠居遊ばしてからは世間に御遠慮も少いので、三芝居を替り目毎にかならず御見物なさると云うほどの御贔屓でございました。そのお血をお引きになったのかも知れません、奥様もやはりお芝居がお好きで、いつも芳桂院様のお供で御見物にお出掛けなさいました。殿様は苦々しいことに思召していたに相違ありませんが、なにぶんにも家柄の低い家から御養子にいらっしゃったと云う怯味(ひけみ)があるので、まあ大抵のことは黙って大目に見ていらしったようでございます。それでも、芳桂院様は一度こんなことを仰せられたことがございました。
「わたしの生きている中(うち)はよろしいが、わたしの亡い後には女どもの芝居見物は一切止めさせたい。」
 鳥渡(ちょっと)うけたまわりますと、なんだか手前勝手のお詞(ことば)のようにも聞えます。自分の生きているうちは芝居を見ても差支えないが、自分の死んだあとには誰も芝居を見てはならぬ――それほどに見て悪いものならば、御自分が先ずお見合せになったら好さそうなものだと、誰もまあ云いたくなります。まして芝居見物のお供を楽みにしている女中達ですもの、誰だってそれをありがたく聞くものはありません。わたくしにしても、恐れながら御隠居様が手前勝手の仰せのように考えて居りましたのは、全くわたくしどもの考えが至らなかったのでございます。
 芳桂院様は四月の末におなくなり遊ばして、目黒の方はしばらく空(あき)屋敷になって居りましたが、その八月の末頃から奥様が一時お引移りということになりました。それは例のコロリがだん/\に本郷小石川の方へも拡がってまいりましたので、今日で申せば転地というような訳で、御下(おしも)屋敷の方へお逃げになったのでございます。その当時、目黒の辺はまるで片田舎のようでございましたから、流石のおそろしい流行病もそこまでは追掛けて来なかったのでございます。奥様にはお気に入りの女中が二人附いてまいりました。それはお朝(あさ)という今年二十歳の女と、わたくしとの二人で、さびしい御下屋敷へ参るのはなんだか島流しにでも逢ったような心持も致しましたが、御上(おかみ)屋敷よりも御下屋敷の方が御奉公もずっと気楽でございます、万事が窮屈でありません。もう一つには、例のコロリの噂を聞かないだけでも心持がようございます。かたがたして、わたくし共も別に厭だとも思わないで、奥様のお供をしてまいりました。御下屋敷には以前からお留守居をしている稲瀬十兵衛という老人のお侍夫婦のほかに、お竹とお清(きよ)という二人の女中が居りました。そこへわたくし共がお供をして参ったのですから、御下屋敷の女中は四人になったわけで、急に賑やかになりました。
 併しそのお竹とお清とは、どちらも御知行所(ごちぎょうしょ)から御奉公に出ましたもので、江戸へ出るとすぐに御下屋敷の方へ廻されたのですから、まあ山出しも同様で江戸の事情などはなんにも知らないようでした。大勢の女中の中からわたくしども二人がお供に選まれましたのは、前にも申上げた通り、奥様のお気に入りで、いつも芝居のお供をしていたからでございましょう。目黒へまいってからも、奥様はわたくし共をお召しなすって、毎日芝居のお話をなすっていらっしゃいました。わたくし共も喜んで役者の噂などをいたして居りました。
 わたしの亡い後は――と、芳桂院様が仰しゃっても矢はりそうはまいりません。芳桂院様がおなくなりになった後でも、奥様はたび/\お忍びで猿若町へお越しになりました。わたくし共もそれを楽みに御奉公致して居るようなわけでございました。目黒へまいりましてから、一月ばかりは何事もございませんでしたが、忘れも致しません、九月の二十一日の夕方でございました。わたくしがお風呂を頂いて、身化粧(みじまい)をして、奥へまいりますと、奥様は御縁の端(はな)に出て、虫の声でも聞いていらっしゃるかのように、じっと首をかしげていらっしゃいました。なにしろ、あの辺のことでございますし、御下屋敷の方は御手入れも自然怠り勝になって居りますので、お庭には秋草が沢山にしげっていて、芒(すゝき)の白い花がゆう闇のなかに仄(ほの)かに揺れていたのが、今でもわたくしの眼に残っております。
「町や。」と、奥様はわたくしの名をお呼びになりました。「朝はどうしています。」
「わたくしと入れ替って、お風呂を頂いて居ります。」
 奥様はだまって首肯いていらっしゃいましたが、やがて低い声で、こう仰しゃいました。
「町や、お前は浅草に知合いの者が多かろう。踊の師匠も識っていますね。」
「はい、存じて居ります。」
 わたくしは花川戸の坂東小翫という踊の師匠に七年ほども通いまして、それを云い立てに御奉公にあがったくらいでございますから、勿論その師匠をよく存じて居ります。師匠はもう四十二三の女で、弟子も相当にございました。その弟子のうちに市川照之助という若い役者のあることを、わたくしから奥様にお話し申上げたこともございました。奥様は今夜それを不意に仰せ出されまして、お前はその照之助を識っているかと云うお訊ねでございましたが、実のところ、わたくしはその照之助をよく識らないのでございます。いえ、舞台の上ではたび/\見て居りますけれども、わたくしが師匠をさがる少し前から稽古に来た人ですし、男と女ですから沁々と口を聞いたこともありませんし、唯おたがいに顔をみれば挨拶するくらいのことで、同じ師匠の格子をくゞりながらも、ほんの他人行儀に附き合っていたのですから、先方ではもう忘れているかも知れないくらいです。で、わたくしは其通りのことを申上げますと、奥様は黙って少し考えていらっしゃいましたが、又こう仰しゃいました。
「お前はよく識らないでも、その師匠は照之助をよく識っていましょうね。」
「それは勿論のことでございます。」
 奥様はわたくしを頤でお招きになりまして、御自分のそばへ近く呼んで、その照之助に一度逢うことは出来まいかという御相談がありました。わたくしも一時は返事に困って、なんと申上げてよいか判りませんでしたが、唯今とは違いまして、その時分の人間は主命ということを大変に重いものに考えて居りましたのと、わたくしもまだ年が若し、根が浅薄(あさはか)な生れ附きでございますのとで、とう/\其役目を引受けてしまったのでございます。約(つま)りわたしから師匠の小翫にたのんで、師匠から照之助に話して貰って、照之助をこの御下屋敷へ呼ぼうと云うのでございます。
 照之助というのは、そのころ二十一二の女形(おやま)で、二町目――市村座でございます――に出て居りましたが、年が若いのと家柄が無いせいでございましょう。余り目立った役も付きませんで、いつもお腰元か茶屋娘ぐらいが関の山でしたが、この盆芝居の時にどうしてか、おなじお腰元でも少し性根のある役が付きまして、その美しい舞台顔がわたくしどもの眼に初めてはっきりと映りました。奥様も可愛らしい役者だと褒めておいでになりました。今になって考えますと、この御下屋敷へ御引移りになりましたのも、コロリの為ばかりではなかったのかも知れません。全くその照之助と申しますのは、少し下膨れの、眼つきの美しい、まるでほんとうの女かと思われるような可愛らしい男でございました。
 奥様は手文庫から二十両の金を出して、わたくしにお渡しになりました。これは照之助に遣るのではない、その橋渡しをしてくれる師匠に遣るのだと云うことでございました。そこへお朝が風呂から帰ってまいりましたので、お話はそのまゝになりました。
 わたくしはその明る日、すぐに浅草の花川戸へまいりまして、むかしの師匠の家をたずねました。そうして、ゆうべの話しを竊(そっ)といたしますと、小翫も一旦は首をかしげていました。それは相手が武家の奥方であるのと、もう一つには、わたくしの年がまだ若いので何をいうのかと疑っているので、すぐにはなんとも挨拶をしないらしく見えましたから、わたくしは袱紗につゝんだ金包みを出して師匠の眼の前に置きました。二十両――その時分には実に大金でございます。師匠もそれをみて安心したのでしょう。安心というよりも、その大金をみて急に慾心が起ったのでしょう。わたくしの云うことを信用して、それから真面目に相談相手になってくれました。
「照之助さんもこれから売出そうと云うところで、懐がなか/\苦しいんですからね。そこを奥様によくお話しください。」
 どうせ金の要るのは判り切っていることですから、わたくしも承知して別れました。今おもえば実に大胆ですが、そのときには使者の役目を立派につとめ負(おお)せたという手柄自慢が胸一杯になって、わたくしは勇ましいような心持で目黒へ帰りました。帰って奥様に申上げると、奥様も大層およろこびで、その御褒美に縮緬のお小袖を下されました。
「朝に申しても宜しゅうございますか。」と、わたくしは奥様にうかがいました。ほかの女中は兎もあれ、お朝には得心させて置かないと、照之助を引き込むのに都合が悪いと思ったからでございます。奥様もそれを御承知で、朝にだけは話してもよいと仰しゃいました。お朝も奥様の前へ呼ばれまして、幾らかのお金を頂戴しました。

       二

 それから五日ほど経って、わたくしが花川戸へ様子を訊きにまいりますと、師匠はもう照之助に吹き込んで置いてくれたそうで、いつでも御都合のよい時にお屋敷へうかゞいますと云う返事でございました。では、あしたの晩に来てくれという約束をいたしまして、わたくしは今日も威勢よく帰って来ました。すぐに奥様にそのお話をして、それから自分の部屋へ退ってお朝にも竊(そっ)と耳打ちを致しますと、お朝はなぜだか忌(いや)な顔をしていました。
 その明る日――わたくしは朝からなんだかそわ/\して気が落着きませんでした。奥様は勿論ですが、自分も髪をゆい直したり、着物を着かえたり、よそ行きの帯を締めたりして、一生懸命にお化粧(つくり)をして、日の暮れるのを待っていました。お朝はきょうも厭な顔をしていました。
「わたしはなんだか頭痛がしてなりません。もしやコロリにでもなったんじゃ無いかしら。」
「まさか。」と、わたくしは笑いました。「今夜は照之助が来るんじゃありませんか。おまえさんも早く髪でも結い直してお置きなさいよ。照之助はおまえさんの御贔屓役者じゃありませんか。」
 お朝は黙っていました。お朝も盆芝居から照之助を大変に褒めていることを知っていますから、わたくしも笑いながら斯う云ったのですが、お朝は莞爾(にこり)ともしませんでした。お朝はどちらかと云えば大柄の、小ぶとりに肥った女で、色も白し、眼鼻立もまんざら悪くないのですが、疱瘡のあとが顔中に薄く残って、俗に薄いもという顔でした。とりわけて眉のあたりにその痕が多く残っているので、眉毛は薄い方でした。ほんとうのあばた面さえ沢山にある時代ですから、薄いもぐらいはなんでもありません。誰も別に不思議には思っていませんでしたが、当人はひどくそれを気にしているらしく、時々に鏡を見つめて悲しそうに嘆息(ためいき)をついていることがあるので、わたくしもなんだか可哀そうに思ったことも度々ありました。お朝は今日も、その鏡を見つめたときと同じような悲しい顔をして、いつまでも黙っていました。
「おまえさん。今夜は照之助が来るんですよ。」と、わたくしは少しはしゃいだ調子で、お朝の肩を一つ叩きました。なんという蓮葉なことでございましょう。今考えると冷汗が出ます。
「奥様のところへ来るんじゃありませんか。」と、お朝は口のうちで云いました。
「そりゃあたりまえさ。可いじゃありませんか。」と、わたくしは又笑いました。わたくしは朝から無暗に笑いたくって仕様がないので、お朝をその相手にしようと思って、さっきから色々に誘いかけるのですが、お朝はどうしても口脣(くちびる)を解(ほぐ)しませんでした。わたくしが笑えば笑うほど、お朝の顔はだん/\に陰(くも)って来て、碌々に返事もしませんでした。
「今夜は四つ(午後十時)を相図に、照之助はお庭の木戸口へ忍んで来るから、木戸をあけてすぐに奥へ連れて行くんでよ。よござんすか。」と、わたくしは低い声で話しました。
「わたしは気分が悪くっていけないから、今夜の御用は勤められないかも知れません。お前さん、何分たのみます。」と、お朝は元気のない声で云いました。
 気分が悪いと云うのですからどうも仕方がありません。わたくしもよんどころなしに黙ってしまいました。秋の日は短いと云いますけれども、きょうの一日はなか/\暮れませんので、わたくしは起ったり居たりして、日のくれるのを待っていました。どうも自分の部屋にじっと落着いていられないので、わたくしはお庭口から裏手の方へふら/\出て行きますと、うら手の井戸のそばにお朝がぼんやりと立っていました。時刻はもう七つ(午後四時)下りでしたろう。薄いゆう日が丁度お朝のうしろに立っている大きい柳の痩せた枝を照らして、うす白く枯れかゝったその葉の影がいよ/\白く寂しくみえました。そこらの空地には色のさめた葉鶏頭が将棋倒しに幾株も倒れていて、こおろぎが弱い声で鳴いていました。お朝は深い井戸を覗いているらしゅうございましたが、その澄んだ井戸の水には秋の雲が白く映ることをわたくし共は知っています。お朝も屹(きっ)とその雲の姿をながめているのであろうと推量しましたので、別に嚇(おど)かして遣ろうという積りでもありませんでしたが、わたくしはなんという気もなしに抜足をして、そっと井戸の方へ忍んで行きますと、お朝は気がついて振向きました。薄いもの白い顔が洗われたように夕日に光っているのは、今まで泣いていたらしく思われたので、わたくしもびっくりしました。まさかに身を投げる積りでもありますまい。第一になぜ泣いているのか、その理窟が呑み込めませんでした。お朝はわたくしの顔をみると、すぐに眼をそむけて、黙って内へ這入ってしまいました。わたくしは少し呆気(あっけ)に取られて、そのうしろ姿を見送っていました。

 どうにか斯うにか長い日が暮れて、わたくしはほっとしました。併しこれから大切な役目があるのですから、どうしてなか/\油断はなりませんでした。わたくしはお風呂へ這入って、いつもよりも白粉を濃く塗りました。だん/\暗くなるに連れて、わたくしは自然に息が喘(はず)んで、なんだか顔が熱(ほて)って来ました。照之助が来る――それが無暗に嬉しいのですが、なぜ嬉しいのか判りませんでした。自分のところへお婿が来る――その時には丁度こんな心持ではないかと思われました。お朝はいよ/\気分が悪くなったと云って、夕方からとう/\夜具をかぶってしまいました。ほかの女中――お竹とお清とは、前にも申した通りの山出しですから心配はありませんが、ただ不安心なのは留守居の侍の稲瀬十兵衛夫婦でございます。女房の方は病身で、その上に至極おとなしい人間ですから、あまり気を置くこともないのですが、夫の方は――これも正直一方で、眼先の働く人間ではありませんが、それでも一人前の侍ですから、うっかり気を許すわけには行きません。わたくしは唯それを心配していますと、その十兵衛は宵からどこへか出て行ってしまいました。女房の話によると、なにか親類に不幸が出来たとかいうのです。なんという都合の好いことでしょう。わたくしは手をあわせて遠くから浅草の観音様を拝みました。そのことを奥様に申上げますと、奥様も黙って笑っておいでになりました。奥様はどんなお心持であったか知りませんけれども、わたくしは襟許がぞく/\して、生れてから今夜ぐらい嬉しいことはないように思われました。
 そのうちに約束の刻限がまいりました。生憎に宵から陰(くも)って、今にも泣き出しそうな暗い空模様になりましたが、たとい雨が降っても照之助は来るに相違ありませんから、天気のことなどは余り深く考えてもいませんでした。不動様の四つの鐘のきこえるのを相図に、わたくしは竊(そっ)とお庭に出て、木戸の口に立番をしていますと、旧暦の九月ももう末ですから、夜はなか/\冷えて来て、広いお庭の闇のなかで竹藪が時々にがさ/\と鳴る音が寒そうにきこえます。お屋敷の屋根の上まで低く掩いかゝった暗い大空に、五位鷺の鳴いて通るのが物すごく聞えます。これがふだんならば、臆病なわたくしには迚(とて)も辛抱は出来そうもないのでございますが、今夜はいつもと違って気が一ぱいに張りつめています。幽霊の冷たい手で一度ぐらい顔を撫でられても驚くのではありません。わたくしは息をつめて、その人の来るのを今か今かと待設けていました。
 振返ってみますと、奥様の御居間の方には行燈の灯がすこし黄く光っていました。その行燈の下で奥様はなにか草雙紙でも御覧になっている筈ですが、どんなお心持でその草雙紙を読んでいらっしゃるか、わたくしにも大抵思いやりが出来ます。それにつけても、照之助が早く来てくれゝば可(い)いと、わたくしも顔を長くして耳を引立てゝいますと、どこやらで犬の吠える声が時々にきこえますが、人の跫音らしいものは聞えません。勿論、日が暮れてからは滅多に往来のある所ではございませんから。
 そのうちに、低い跫音――ほんとうに遠い世界の響きを聞くような、低い草履の音が微かに聞えました。わたくしははっと思うと、からだが急に赫(かっ)と熱(ほて)ってまいりました。些(ちっ)とも油断しないで耳を立てゝいますと、案の通りその跫音は木戸の外へひた/\と寄って来ましたので、さっきから待兼ねていたわたくしは、すぐに木戸をあけて暗いなかを透して視ますと、そこには人が立っているようでございました。
「照之助さんでございますか。」
 わたくしは低い声で訊きました。
「左様でございます。」
 外でも声を忍ばせて云いました。
「どうぞこちらへ。」
 照之助は黙って竊(そっ)と這入って来ましたので、わたくしは探りながらその手を把(と)って、お居間の方へ案内してまいりました。照之助もなんだか顫えているようでしたが、わたくしは全く顫えまして、胸の動悸がおそろしいほどに高くなってまいりました。五位鷺がまた鳴いて通りました。

 奥様はわたくしに琴を弾けと仰しゃいました。それは十兵衛の女房や、ほかの女中二人に油断させる為でございます。わたくしはあとの方に引き退って、紫縮緬の羽織の襟から抜け出したような照之助の白い頸筋を横目にみながら、おとなしく琴をひいて居りましたが、なんだか手の先がふるえて、琴爪が糸に付きませんでした。奥様は照之助と差向いで、芝居のお話などをしていらっしゃいました。
 唯それだけのことでございます。全くそれだけのことでございました。それが物の半時とは経ちません中に、大変なことが出来(しゅったい)いたしました。いつの間にどうして忍んで来たのか知りませんが、彼の稲瀬十兵衛が真先に立って、ほかの四人の侍や若党がこのお居間へつか/\と踏み込んでまいりました。それはみんな御上屋敷の人達でございます。わたくしは眼が眩むほどに驚きまして、思わず畳に手をついてしまいますと、侍達は無言で照之助の両手を押さえました。もうどうする事も出来ません。わたくしは竊(そっ)と眼をあげてうかゞいますと、奥様は真蒼な顔をして、口脣(くちびる)をしっかり結んで、たゞ黙って坐っておいでになりました。照之助の顔色はもう土のようになって、身動きも出来ないように竦んでいますのを、侍達はやはり無言で引立てゝ行きました。出てゆく時に、照之助は救いを求めるような悲しい眼をして、奥様とわたくしの方を二度見かえりましたが、わたくし共にも今更どうすることも出来ないので、唯だまって見送っていますと、侍たちは照之助を引立てゝ縁伝いにお庭口へ降りて、横手の方へ連れて行くようでございました。わたくしも不安心で堪りませんから、そっと起ち上ってお庭へ降りました。照之助がどうなるのかその行末が見とゞけたいので、跫音をぬすんで怖々にそのあとをつけて行きますと、なにしろ外は真暗なので、侍達もわたくしには気が注(つ)かないらしゅうございました。
 御座敷の横手には古い土蔵が二棟つゞいて居ります。照之助はその二番目の士蔵の前へ連れてゆかれますと、土蔵の中にはさっきから待受けている人があるとみえて、手燭の灯が小さくぼんやりと点っていました。わたくしも奥様の御用で二三度この土蔵のなかへ這入ったことがございますが、御屋敷の土蔵だけに普通の町家のよりもずっと大きく出来て居りまして、昼間でも暗い冷たい厭なところでございます。中には大きい蛇が棲んでいるとか云って、お竹やお清に嚇されたこともありましたが、その暗い隅にはまったく蛇でも棲んでいそうに思われました。照之助はその土蔵のなかへ引き摺り込まれたので、わたくしは少し不思議に思いました。
 もしこの河原者を成敗するならば、裏手の空地へでも連れ出しそうなものです。なぜこの土蔵の中までわざ/\連込んだのかと見ていますと、侍のひとりが奥にある大きい長持の蓋をあけました。その長持はわたくしも知って居ります。全体が溜塗(ためぬ)りのようになっていて、角々には厚い金物が頑丈に打付けてございます。わたくしも正面から平気でのぞく訳にはまいりません、壁虎(やもり)のように扉のかげに小さく隠れて、そっと隙見を致しているのですから、暗い土蔵の中はよく見えません。唯(た)った一つの手燭の灯が大勢の袖にゆれて、時々に見えたり隠れたりしているかと思ううちに、その長持の蓋を下す音が高くきこえました。つゞいて錠を下すらしい金物の音ががち/\と響きました。そのおそろしい音がわたくしの胸に一々強くひゞいて、わたくしはもう息も出ないようになりました。そのうちに侍達は自分の仕事を済ませて、奥からだん/\に出て来るようですから、わたくしは顫える足を引き摺って早々に逃げて帰りました。そうして、もとの御居間の縁さきから這い上って、怖々に内を覗いてみますと、燈火は瞬きもしないで静かに御座敷を照らしているばかりで、そこに奥様のお姿は見えませんでした。あとで聞きますと、奥様は彼の十兵衛が御案内して、御門の外に待っている御駕籠に乗せられて、すぐに御上屋敷の方へ送り帰されたのだそうでございます。
 照之助は長持に押込まれて、土蔵の奥に封じ籠められてしまいました。奥様は上屋敷へ送られてしまいました。その次にはわたくしの番でございます。どうなることかとその晩はおち/\眠られませんでした。その怖ろしい一夜があけますと、又こゝに一つの事件が出来(しゅったい)していました。お朝が裏手の井戸に身を投げて死んでいるのでございます。いつどうして死んだのか判りません。ひょっとすると、照之助のことが露顕したのは、お朝が十兵衛に密告したのではないかとも思われますが、証拠のないことですから、なんとも申されません。
 わたくしはなんの御咎めも無しに翌日長のお暇になって、早々に親許へ退りましたが、照之助はどうなりましたか、それは判りません。生きたまゝで長持に封じ籠められて、それぎり世に出ることが出来ないとすれば、あまりに酷たらしいお仕置です。わたくしが奥様のお使さえ勤めなければ、こんなことも出来しなかったのでございましょう。ほんとうに飛んでもない罪を作ったと一生悔んでおります。それ以来、芝居というものがなんだか怖ろしくなりまして、わたくしはもう猿若町へ一度も足を踏み込んだことはございませんでした。師匠の小翫の話によりますと、照之助の美しい顔はそれぎり舞台に見えないと申します。
 それから三年ほどの後に、わたくしは不動様へ御参詣に行きましたので、そのついでに御下屋敷の近所まで竊(そっ)と行ってみますと、御屋敷は以前よりも荒れまさっているようでしたが、二棟の土蔵はむかしのまゝに大きく突っ立って、古い瓦の上に鴉が寒そうに啼いていました。その土蔵の長持の底には、美しい歌舞伎役者が白い骨(こつ)になって横わっているかと思うと、わたくしは身の毛がよだって逃げ出しました。

 こゝまで話して、老女はひと息つくと、三浦老人は代って註を入れてくれた。
「いつぞや梅暦のお話をしたことがあるでしょう。筋は違うが、これもまあ同じようないきさつで、むかしの大名や旗本の下屋敷には色々の秘密がありましたよ。」
[#改段]

矢がすり

       一

 ある時に、三浦老人は又こんな話をして聴かせた。それは近ごろ矢場(やば)というものがすっかり廃れて、それが銘酒屋や新聞縦覧所に変ってしまったという噂が出たときのことである。明治以後でも矢場は各所に残っていて、いわゆる左り引きの姐さん達が白粉の匂いを売物にしていたのであるが、日清以後からだん/\に衰えて、このごろでは殆どその後を絶ったなどという話も出た。その末に、老人はこう云った。
 矢場女と一口に云いますけれど、江戸のむかしは、矢場女や水茶屋の女にもなか/\えらいのがありまして、何処の誰といえば世間にその名を知られているのが随分あったものです。これは慶応の初年のことですが、そのころ芝の神明の境内にお金(きん)という名代の矢場女がありました。店の名を忘れましたが、当人は矢がすりという綽名をつけられて、容貌(きりょう)のいゝのと、腕があるのとで近所は勿論、浅草あたりの矢場遊びの客までも吸いよせるという人気はすさまじいものでした。
 この女がなぜ矢飛白(やがすり)という綽名をつけられたかと云うと、すぐれて容貌がよく、こんな稼業にはめずらしい上品な女なのですが、玉に疵というのは全くこのことでしょう。右の頬に薄いかすり疵のあとがあるのです。当人の話では、射□(あずち)の下へ矢を拾いに行ったときに、悪戯(いたずら)か粗相か、客の射出した矢がうしろから飛んで来て、なにごころなく振向いたお金の頬をかすったのでこんな疵になったと云うのでした。矢とりの女の尻を射るのは時々に遣る悪戯ですが、顔を射るのはひどい。たとい小さい擦り疵にしても、あの美しい顔に疵をつけるとはとんだ罪を作ったものだと、贔屓連はしきりに同情する。それがまた人気の一つになって、誰が云い出したともなく、矢がすりという綽名をつけられるようになったのです。
 そのうちに、当人が自分でかんがえ出したのか、それとも誰かが智恵をつけたのか、お金は矢飛白の着物を年中着ていることになりました。つまりは顔の矢がすりを着物の矢飛白に附会(こじつけ)てしまったわけで、矢飛白の着物をきているから矢飛白お金というのだろうと、早呑込みをする人もだん/\多くなって、顔の矢がすりか、着物の矢飛白か、あだ名の由来もはっきりとは判らなくなってしまいました。いずれにしても、矢がすりお金といえば神明第一の売っ子で、この店はいつも大繁昌、楊弓(ようきゅう)の音の絶える間がないくらいでした。
 そうなると又おせっかいに此女の身許を穿索(せんさく)するものがある。お金のおやじはこゝらの矢場や水茶屋へ菓子を売りにくる安兵衛という男で、そのひとり娘、そういう因縁から自分も肩あげの取れない時分から矢取女になったのだそうで、おやじは二三年前に世を去って、今ではおふくろだけが残っている。お金は今年二十歳だと云っているが、ほんとうは一つ二つぐらいも越しているだろうという評判。
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