中国怪奇小説集
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:岡本綺堂 

   異姓

 永平(えいへい)初年のことである。姓は王(おう)、名は恵進(けいしん)という僧があった。
 彼は福感(ふくかん)寺に住んでいたが、ある朝、わが寺を出て資福院(しふくいん)という寺をたずねると、その門前に一人の大男が突っ立っていた。
 男はからだの大きいばかりでなく、その全身の色が藍(あい)のようであったが、恵進を見て突然に追い迫って来たので、僧は恐れて逃げまわった。竹簀橋(ちくさくきょう)まで逃げて来て、そこらの民家へ駈け込むと、男もつづいて追い込んで、僧を捉えて無理無体に引き摺って行こうとして、どうしても放さなかった。
 僧は悲鳴をあげて救いを祈ると、その男は訊いた。
「おまえの姓はなんというのだ」
「王といいます」
「王か。名は同じだが、姓が違っている」
 言い捨てて男は立ち去った。しかも僧は顫(ふる)えがやまらないので、暫くその民家に休ませてもらって、ようよう気が鎮まったのちに我が寺へ帰ると、彼と同名異姓の僧がその晩に死んだ。

   異亀

 唐の玄宗帝の時に、ある方士(ほうし)が一頭の小さい亀を献上した。亀はさしわたし一寸ぐらいで、金色の可愛らしい物であった。
「この亀は神のごとくで、物なども食いません。これを枕の笥(はこ)のなかに入れて置けば、うわばみの毒を避けることが出来ます」と、方士は言った。
 それから間もなく、帝の恩寵をこうむっている宦者(かんじゃ)が何か親族の罪に連坐(れんざ)して、遠い南の国へ流しやられることになった。帝は不憫に思ったが、法を枉(ま)げて彼を免(ゆる)すことを好まないので、ひそかにその亀を彼にあたえた。
「南方の僻地(へきち)には大蛇が多い。常にこの亀をそばに置いて、害を防げ」
 宦者はありがたく頂戴して出た。そうして、南へくだる途中、象郡のある村に着いた。町も旅館もひっそりしていて、宿には他の泊まり客もなく、自分の食膳も馬のまぐさも部屋のともしびもみな不自由なしに整えられた。
 その夜は昼のような明月であったが、しかも雨風の声が遠くきこえた。その声がだんだんに近づいて来るので、宦者はここぞと思って、かの亀を取り出して階上に置くと、やや暫くして亀は首を伸ばして一道の気を吐いた。その気はかんむりの紐ぐらいの太さで、まっすぐに三、四尺ほどもあがって徐々に消え失せた。その後は亀も常のごとくに遊んでいて、先にきこえた風雨の声もやんだ。
 夜が明けると、駅の役人らもおいおいに出て来て、庭前に拝礼した。
「昨日あなたがお出でになるのを知って、打ち揃ってお迎いに出る途中、あやまって一匹の蛇を殺しました。それは報寃蛇(ほうえんだ)で、今夜きっとその祟りを受けるに相違ないので、あたりの者はみな三十里五十里の遠方へ立ち退いて、その毒気を避けましたが、わたくしどもは遠方まで立ち去らず、近所の山の岩窟にかくれて夜の明けるのを待って居りました。唯今これへ来て見れば、あなたはつつがなく一夜をおすごしなされた御様子、これは神の助けと申すもので、人間の力では及ばない事でございます」
 そのうちに往来の人もだんだんに来た。その話によると、これからさきの道にあたって、十数頭のうわばみが総身くずれただれて死んでいたという。その以来、ここらに報寃蛇の跡を絶ったが、その子細(しさい)は誰にも判らなかった。
 一年の後、宦者は赦されて長安の都に帰った。彼は金の亀を返上して、泣いて感謝した。
「このお蔭に因りまして、わたくし一人の命ばかりでなく、南方ぜんたいの人間が永く毒類の禍いを逃がれることになりましたのは、一に聖徳、二に神亀の力でございます」

   異洞

 乾符(けんぷ)年中の事、天台の僧が台山(たいざん)の東、臨海(りんかい)県のさかいに一つの洞穴(ほらあな)を発見したので、同志の僧と二人連れで、その奥を探りにはいった。初めの二十里ほどは路が低く狭く、ぬかるみのような所が多かったが、それからさきは次第に闊(ひろ)く平らかな路になって、さらに山路にさしかかった。
 山は十里ほどで、それを越えると町へ出た。町のすがたも住む人びとも、世間普通と変ることはなかった。この僧は気を吸うことを習っていたので、別に飢えも渇(かわ)きも感じなかったが、連れの僧はひどく飢えて来た。
 そこである食い物店へ行って食を乞うと、そこにいる人が言った。
「飢渇(きかつ)を忍んで行けば、子細なく還られるが、ここの土地の物をむやみに食うと、還られなくなるかも知れませんぞ」
 それでも余りに飢えているので、その僧は無理に頼んで何か食わせてもらった。
 それからまた連れ立って行くこと十数里、路がだんだんに狭くなって、やがて一つの小さい洞穴を見つけたので、それをくぐって出ようとすると、さきに物を食った僧は立ちながら石に化してしまった。
 ひとりの僧は無事に山を出て、ここはどこだと人に訊くと、牟平(ぼうへい)の海浜であるといわれた。

   異石

 帝堯(ぎょう)の時に、五つの星が天から落ちた。その一つは土の精で、穀城(こくじょう)山下に墜ち、化して※橋(ひきょう)[#「土+已」、159-2]の老人となって兵書を張良(ちょうりょう)に授けた。
「この書をよめば帝王の師となることが出来る。後日にわたしを探し求めるならば、穀城山下の黄いろい石がそれである」
 いわゆる黄石公(こうせきこう)である。張良は漢をたすけて功成るの後、穀城山下に於いて果たして黄石を発見した。彼は商山(しょうざん)にかくれていた四皓(しこう)にしたがい、道を学んで世を終ったので、その家では衣冠と黄石とを併せて葬った。占う者は常にその墓の上に、黄いろい気が数丈の高さにのぼっているのを見た。
 漢の末に赤眉(せきび)の賊が起った時に、賊兵は張良の墓をあばいたが、その死骸は発見されなかった。黄いろい石も行くえが知れなかった。墓の上にあがる黄気もおのずから消え失せた。

   異魚

 □□魚(こういぎょ)は河豚(ふぐ)の一種で、虎斑がある。わが虎鰒(とらふぐ)のたぐいであって、なま煮えを食えば必ず死ぬと伝えられている。
 饒(じょう)州に呉(ご)という男があった。家は豊かで、その妻の実家も富んでいて、夫婦の仲もむつまじく、なんの欠けたところもなかった。ところが、ある日のこと、呉が酔って来て、床の上にぶっ倒れてしまった。妻が立ち寄って、その着物を着換えさせ、履(くつ)を脱がせようとして其の足を挙げさせる時、酔っている夫は足をぶらぶらさせて、思わず妻の胸を蹴ると、彼女はそのまま仆(たお)れて死んだ。夫は酔っていて、なんにも知らないのであった。
 しかし妻の里方(さとかた)では承知しない。呉が妻を殴(う)ち殺したといって告訴に及んだが、この訴訟事件は年を経ても解決せず、州郡の役人らにも処決することが出来ないので、遂に上聞(じょうぶん)に達することになって、呉を牢獄につないで朝廷の沙汰を待っていた。
 呉の親族らはそれを聞いて懼(おそ)れた。上聞に達する上は必ず公然の処刑を受けるに相違ない。そうなっては一族全体の恥辱であるというので、差し入れの食物のうちにかの□□魚の生き鱠(なます)を入れて送った。呉がそれを食って獄中で自滅するように計ったのである。しかも呉はそれを食っても平気であった。親族らはしばしばこの手を用いたが、遂に彼を斃(たお)すことが出来なかったのみか、却ってますます元気を増したように見えた。
 そのうちにあたかも大赦(たいしゃ)に逢って、呉は赦されて家に帰った。その後も子孫繁昌して、彼は八十歳までも長命して天寿をまっとうした。この魚はなま煎(に)えを食ってさえも死ぬというのに、生(なま)のままでしばしば食っても遂に害がなかったのは、やはり一種の天命というのであろうか。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:13 KB

担当:undef