半七捕物帳
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著者名:岡本綺堂 

 伝四郎は無言で引っ返したが、やがて店の者三、四人と共に、手燭をかざして再び駈け付けると、その火に照らされた座敷の内には、行燈が倒れていた。茶碗や土瓶がころげていた。襖の紙にも槍の痕と刀傷が残っていた。その狼藉をきわめたなかに、若い娘は血に染みて横たわっているのを一と目見て、伝四郎は思わず声をあげた。
「妹。おげん……しっかりしろ」と、かれは妹を自分の膝のうえに抱きあげて叫んだ。
「先生……」と、おげんは微かに云った。
「わたくしはここにいます」
 澹山はおげんの眼のまえに顔を出した。その顔をうっとりと見つめているうちに、彼女のからだは兄の膝からぐったりと滑(すべ)り落ちた。少し風邪をひいたと云って早寝をしていた伝兵衛が、眼をさましてここへ駈け付けた頃には、おげんの息はもう絶えていた。委細の事情を澹山から聞いて、彼は娘の死に顔を悲しげに眺めていたが、やがて何を考えたか、いたずらに恐怖の眼をみはっている奉公人どもの方に振り向いた。
「先生に少しお話がある。伝四郎だけはここに残って、皆はしばらく店の方へ行っていろ」
 彼等を追い遠ざけて、伝兵衛は澹山のまえに坐り直した。その顔は弁天堂の前で彼にマリアの絵像を頼んだときと同じように、なんとなく人を威圧するようなおごそかなものであった。
「先生、あなたの御身分は決して他人に洩らすまいと、神にも誓って置きながら、今夜のようなことが出来(しゅったい)いたしましては、定めてわたくしを偽り者ともお憎しみでござりましょうが、これには別に仔細がござります。今夜の闇討ちはおそらく先生の御身分を知ってのことではござりますまい。これは用人の荒木頼母がせがれ千之丞の仕業に相違あるまいと、わたくしは睨んで居ります」
 千之丞はかねて千倉屋の娘に懸想(けそう)していて、町人とはいえ相当の家柄の娘であるから、仮親(かりおや)を作って自分の嫁に貰いたいというようなことを人伝(ひとづ)てに申し込んで来たが、娘も親も気がすすまないので先ずその儘になっていた。彼が澹山の絵の催促にかこつけてたびたび此の店へたずねて来るのもそれが為であった。そのうちに誰の口から洩れたのか、娘が旅絵師と特別に親しくしているという噂が千之丞の耳にはいったらしい。現に先頃も絵の催促に来たときに、彼は直接に伝兵衛にむかって、あの旅絵師を娘の婿にするのかと訊いたこともある。彼は暴気(あらき)の若侍であるから、その嫉妬から旅絵師を亡き者にしようとたくらんで、おなじ暴れ者の若侍どもを語らって今夜の狼藉に及んだに相違あるまい。かれは江戸の隠密として澹山を殺しに来たのでなく、恋のかたきとして澹山をほろぼしに来たのであろう。おげんは彼を庇(かば)おうとして、その身代りに立ったのである。この意見には伝四郎も一致して、妹のかたきは千之丞に相違ないと云い切った。
「おやじ様、この仇をどうする」と、寡言(むくち)の伝四郎は憤怒に燃える眼をかがやかして父に迫った。
「かたきはきっと取る。家老でも免(ゆる)すものか」と、伝兵衛は再びおごそかに云った。「ついては先生。こういうことになりましては、又どんな御迷惑が出来(しゅったい)して、自然あなたの御身分が露顕するようなことが無いとも限りません。御用も大抵お片付きになったようでござりますから、雪のやむのを待たずに一日も早く御発足(ごほっそく)なさるようにお勧め申します。しかしこの領分ざかいを越えましたなら、きょうから数えて二十一日、娘の三七日(さんしちにち)の済むまでは、どうぞ其処に御逗留なさるように願います。きっと何かあなたのお耳にはいることがござりましょう」
 餞別の金や土産(みやげ)などをたくさん貰って、澹山はおげんの葬式のすんだ翌日に千倉屋を出発した。これがもうこの春の名残りらしい細かい雪が、けさも彼の笠の上にちらちらと降っていた。伝兵衛も伝四郎も町はずれまで送って来た。千倉屋の若い者二人は彼の警固をかねて領ざかいまで附き添って来た。
 隣国の他領へはいって、千倉屋から指定された宿屋に草鞋(わらじ)をぬいで、澹山は約束の三週間をここに逗留することになった。三月も半ばになって、ここらの雪もあたたかい春の日にだんだん解けはじめた頃に、隣国の用人の若い伜が、何者かに闇討ちにされたという噂がここまで聞えたので、澹山は初めて重荷をおろしたような心持になって、そのあくる日に出発した。
 江戸へ帰る途中で、彼は再び房川の渡しを越えるときに、おげんがここで自分の手に救われたのが仕合わせであったか不仕合わせであったかということを考えた。彼は北にむかって、ひそかに千倉屋の娘の冥福を祈った。
 無事に使命を果たして帰った彼は、組頭(くみがしら)にも褒められ、上(かみ)のおぼえもめでたかった、しかし彼は決して切支丹のことを口にしなかった。彼は再び絵筆を執らなかった。
 千倉屋からはその後何のたよりも無かったが、それから五年ほど経った後に、奥州のある城下町で切支丹宗門の者十一人が磔刑(はりつけ)にかかったという噂を聴いた時に、彼はすぐに伝兵衛父子(おやこ)の名を思い出した。そうして、おげんはやっぱり仕合わせであったかとも思った。弁天堂の奥に秘められていたマリアの絵像も、かれが模写した同じ絵像も、どうなったか判らない。おそらく誰かの手で灰にされてしまったであろう。




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