十月の末
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著者名:宮沢賢治 

         ※

 火は赤く燃えてゐます。けむりは主におぢいさんの方へ行きます。
 嘉ッコは、黒猫(くろねこ)をしっぽでつかまへて、ギッと云ふくらゐに抱いてゐました。向ふ側ではもう学校に行ってゐる嘉ッコの兄さんが、鞄(かばん)から読本(とくほん)を出して声を立てて読んでゐました。
「松を火にたくゐろりのそばで
 よるはよもやまはなしがはづむ
 母が手ぎはのだいこんなます
 これがゐなかのとしこしざかな。第十三課……。」
「何したど。大根なますだど。としこしざがなだど。あんまりけづな書物だな。」とおぢいさんがいきなり云ひました。そこで嘉ッコのお父さんも笑ひました。
「なあにこの書物ぁ倹約教へだのだべも。」
 ところが嘉ッコの兄さんは、すっかり怒ってしまひました。そしてまるで泣き出しさうになって、読本を鞄にしまって、
「嘉ッコ、猫ぉおれさ寄越せぢゃ。」と云ひました。
「わがなぃんちゃ。厭(や)んたん[#「ん」は小書き]ちゃ。」と嘉ッコが云ひました。
「寄越せったら、寄越せ。嘉ッコぉ。わあい。寄越せぢゃぁ。」
「厭(や)ん[#「ん」は小書き]たぁ、厭ん[#「ん」は小書き]たぁ、厭ん[#「ん」は小書き]たったら。」
「そだら撲(は)だぐぢゃぃ。いゝが。」嘉ッコの兄さんが向ふで立ちあがりました。おぢいさんがそれをとめ、嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄(にはか)に途方もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたといふやうなガタアッといふ音がして家はぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆(あき)れてしまひました。猫は嘉ッコの手から滑り落ちて、ぶるるっとからだをふるはせて、それから一目散にどこかへ走って行ってしまひました。「ガリガリッ、ゴロゴロゴロゴロ。」音は続き、それからバァッと表の方が鳴って何か石ころのやうなものが一散に降って来たやうすです。
「お雷(らい)さんだ。」おぢいさんが云ひました。
「雹(ひょう)だ。」お父さんが云ひました。ガアガアッと云ふその雹の音の向ふから、
「ホーォ。」ととなりの善コの声が聞えます。
「ホーォ。」と嘉ッコが答へました。
「ホーォォ。」となりで又叫んでゐます。
「ホーォォー。」嘉ッコが咽喉(のど)一杯笛のやうにして叫びました。
 俄(にはか)に外の音はやみ、淵(ふち)の底のやうにしづかになってしまって気味が悪いくらゐです。
 嘉ッコの兄さんは雹を取らうと下駄(げた)をはいて表に出ました。嘉ッコも続いて出ました。空はまるで新らしく拭(ふ)いた鏡のやうになめらかで、青い七日ごろのお月さまがそのまん中にかゝり、地面はぎらぎら光って嘉ッコは一寸(ちょっと)氷砂糖をふりまいたのだとさへ思ひました。
 南のずうっと向ふの方は、白い雲か霧かがかかり、稲光りが月あかりの中をたびたび白く渡ります。二人は雀(すずめ)の卵ぐらゐある雹の粒をひろって愕(おど)ろきました。
「ホーォ。」善コの声がします。
「ホーォ。」嘉ッコと嘉ッコの兄さんとは一所に叫びながら垣根の柳の木の下まで出て行きました。
となりの垣根からも小さな黒い影がプイッと出てこっちへやって参ります。善コです。嘉ッコは走りました。
「ほお、雹だぢゃぃ。大きぢゃぃ。こったに大きぢゃぃ。」
 善コも一杯つかんでゐました。
「俺家(おらい)のなもこの位あるぢゃぃ。」
 稲づまが又白く光って通り過ぎました。
「あ、山山のへっぴり伯父(をぢ)。」嘉ッコがいきなり西を指さしました。西根の山山のへっぴり伯父は月光に青く光って長々とからだを横たへました。




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