富士
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著者名:岡本かの子 

 人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳(こぶし)を振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。いずれにしろ稚純な心には非情有情の界を越え、彼(ひ)と此(し)の区別を無(な)みする単直なものが残っているであろう。
 天地もまだ若く、人間もまだ稚純な時代であった。自然と人とは、時には獰猛(どうもう)に闘い、時には肉親のように睦(むつ)び合った。けれどもその闘うにしろ睦ぶにしろ両者の間には冥通する何物かがあった。自然と人とは互に冥通する何者かを失うことなしに或は争い或は親しんだ。
 ここに山を愛し、山に冥通するがゆえに、山の祖神(おやのかみ)と呼ばるる翁(おきな)があった。西国に住んでいた。
 平地に突兀(とつこつ)として盛り上る土積。山。翁は手を翳(かざ)して眺める。翁は須臾(しゅゆ)にして精神のみか肉体までも盛り上る土堆と関聯した生理的感覚を覚える。わが肉体が大地となって延長し、在るべき凸所に必定在る凸所として、山に健やけきわが肉体の一部の発育をみた。
 翁は、時には、手を長くさし出して地平の線に指尖を擬する。地平の線には立木の林が陽を享けて薄(すすき)の群れのように光っている。翁は地平のかなたの端から、擬した指尖を徐(おもむ)ろに目途(めじ)の正面へと撫(な)で移して行く。そこに距離の間隔はあれども無きが如く、翁の擬して撫で来る指の腹に地平の林は皮膚のうぶ毛のように触れられた。いつまでも平(たいら)の続く地平線を撫で移って行く感覚は退屈なものである。人間の翁がそう感ずると等しく、自然自体も感ずるのであろうか、翁の指尖が目途の正面を越して反対側へ撫で移るまもないところから地平は隆起し、麓(ふもと)から中腹にさしかかり、ついに聳(そび)え立つ峯巒(ほうらん)となる。遠方から翁の指尖はこつに嵌(はま)ったその飛躍の線に沿うて撫で移って行くと音楽のような楽しいリズムを指の腹に感ずる。地の高まりというものは何と心を昂揚さすものであろう。人を悠久に飽かしめない感動点として山は天地間に造られているのであろう。
 火の端(はた)で翁は、つれづれであった。翁は腕を動かして自分の肉体の凸所を撫でまわす。肩尖、膝頭、臀部、あたま――翁の眼中、一々、その凸所の形に似通う山の姿が触覚より視覚へ通じ影像となって浮んで来た。
山処(やまと)の
ひと本すゝぎ
朝雨(あささめ)の
狭霧(さぎり)に将起(たゝん)ぞ
 翁は身体を撫でながら愛に絶えないような声調で、微吟した。
 山又山の峯の重なりを望むときの翁は、何となく焦慮を感じた。対象するもののあまりに豊量なのに惑喜させられたからだった。翁は掌を裏返しに脇腹を焦(じ)れったそうに掻いた。
 峯々に雲がかかっているときは、翁は憂(うれた)げな眼を伏せてはまた開いて眺めた。藍墨の曇りの掃毛目(はけめ)の見える大空から雲は剥(はが)れてまくれ立った。灰いろと葡萄(ぶどう)いろの二流れの雲は峯々を絡み、うずめ、解けて棚引く。峯々の雲は日のある空へ棚引いては消え去る。消え去るあとからあとから、藍墨の掃毛目の空は剥離して雲を供給する。峯はいつまで経っても憂愁の纏流(てんりゅう)から免れ得ないようである。それを見ている翁は、心中それほどの苦悩もないのだが、眼だけでも峯の愁いに義理を感じて、憂げに伏せてはまた開くのであった。そのうち翁は眼が怠(だる)くなって草原へごろりと臥(ね)てしまった。雲の去来は翁の眠っている暇にも続けられていた。だが、やがて雲は流れ尽き、峯は胸から下界へ向けて虹をかけ渡していた。
 西国にて知れる限りの山々を翁はみな自分の分身のように感じられた。翁は山々を愛するがゆえに、それ等の山々の美醜長短を、人間の性格才能のように感じ取った。事実、山には一目見ただけでも傲慢であったり、独りよがりのお人好しであったりしそうな性格に見立てられるものがある。翁がみるところによると、どの山の性格でも翁自身の性格の中に無い性格はなかった。中には自分に潜んでいて、却(かえ)って山に現れ出て、逆に自分に気付かせられるようなこともあった。翁は山を愛するが、しかし山を惧(おそ)れ、そして最後に山を信じた。
 翁は妻との間にたくさんこどもを生んだ。こどもが生れて一人動きできるようになると、翁はこれを山に持って行って置いて来た。
 山の麓にこどもを置去りにして来て、果してそれで育つものかどうか危ぶまれた。しかしどこへ置いたところでその幸(さち)のないものは、育った方が却って面白からぬことになるような育ち上りをしてしまうかも知れない。それなら一っそ、こどもを好きな山に賭けよう。山が育つべく思うほどのこどもなら山は育てよう。少くともこれほど信頼する山が悪しゅうは取計う筈はあるまい。もしこの上にして育たぬようだったら、山よ、わたしは諦める。だが、山よ、出来得べくはなる丈(た)け育てて呉れ。翁はこどもを山の方に捧げ、ひょこひょこひょこと三つお叩頭(じぎ)をして、置いて帰った。愛別離苦の悲しみと偉大なものに生命を賭ける壮烈な想いとで翁の腸は一ねじり捩れた。こどもを山にかずける度びに翁の腹にできたはらわたの捻纏(ねんてん)は、だんだん溜って翁の腹を縲(にな)の貝の形に張り膨らめた。それに腹の皮を引攣(ひきつ)られ翁はいつも胸から上をえび蔓(づる)のように撓(たわ)めて歩いた。
 こどもの中には餓え死んだり、獣の餌になるものもあったが、大体は木の実を拾って食い、熊、狼の害を木の股、洞穴に避けて育った。山は害敵とそれを免れるものと両方を備え無言にして生命それ自ら護るべき慧智を啓発した。
 こどもたちは父親の翁に似て山が好きだった。その性分の上にあけ暮れ馴染む山は、はじめは養いの親であり、次には師であり、年頃になれば睦ぶ配偶でもあった。老年には生みの子とも見做される情愛が繋がれた。死ぬときには山はそのまま墓でもあった。しかし、生涯、山に親しみ山に冥通する何ものかを得たこどもたちは、老年に及び死を迎えるまえに生命を自然の現象に置き換える術を学び得ていた。彼等は死の来る一息まえ、わがいのちを山の石、峯の雲に托した。それゆえ彼等は悠久に山と共に鎮(しずも)り、峯に纏(まと)って哀愛の情を叙することができる。
 翁はその多くのこどもを西国の名だたる山に、ほぼ間配(まくば)りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時はその名さえ無かったのだが、便利のため後世の名で呼んで置く――山ほどの山で翁のこどもの棲付かぬ山もなかった。
 山に冥通を得たこどもたちは、意識に於て「妙」というほどの自在を得た。離れたときには山と自分と相対した二つとなり、融ずるときには自分を山となし、或は山を自分とする一致ができた。山におのおの特殊の性格があることは前の条で説いた。こどもたちは育った山の性その如き人間となった。身体つき容貌まで何やら山の姿、峯の俤(おもかげ)に似通って見えた。西国の山は冬は脱ぎ夏は緑を装った。こどもたちも亦(また)冬は裸に夏は藤ごろもを着た。緑の葉に混る藤の花房が風にゆらいで着ものから紫の雫(しずく)を撥(は)ねさした。
 もとより山のことにかけては何事でも暗(そら)んじているこどもを、麓の土民たちはその山の神と呼んだ。そして侍(かしず)き崇むる外に山に就ての知識を授けて貰った。たつきの業(わざ)を山からかずけられて生活する麓の土民は、山の秘密や消息を苦もなく明す人間を、感謝し、惧(おそ)れ、また親しんだ。ときどきは神秘に属する無理な人間の願事(ねぎごと)をも土民はこどもに山へ取次ぐよう頼んだ。こどもは苦笑しながら、しかし引受けた。冥通の力によって山に土民たちの望むことを聴き容れさしてやった。土民たちは助った。
 山の祖神(おやのかみ)の翁は西国の山々へはほとんどこどもを間配り終り、その山々の神としての成長をも見届けた。いまは望むこともないように思われた。ただ東国に目立った二つの山があって神々を欠くという噂を聞いていた。それは、どんな容貌性格の山だろうか、その性格は自分如きには無い性格の山だろうか。まだ見ぬ東国の山は翁に取っていま、一層に、慕(した)わしいものとなった。それへも骨肉を分けて血の縁を結んだなら自分の性格の複雑さも増す思いで、分身を雲の彼方にも遺す思いで、自分はどのようにかこの世に足り足らいつつ眼が瞑れることだろう。翁に、末のこどもの姉と弟があった。深く寵愛していたのでまだどこの山へも送らず、手元で養っていたのであるが、翁はとうとう決心した。翁は姉と弟を取って東路(あずまじ)へ帰る旅人の手に渡した。翁は眷属(けんぞく)の繁栄のため、そのおもい子を遥なるまだ見ぬ山の麓へおもい捨てた。

 自然に冥通の人間の上に、自然が支配する時間の爪の掻き立て方は人間から緩急調節できた。翁の上に幾たびかの春秋が過ぎた。けれども、翁の齢(よわい)の老(おい)に老の重なるしるしらしいものは見えなかった。翁は相変わらず螺の腹にえび蔓の背をしてこそおれ、達者で、あさけ夕凪には戸外へ出て、山々の方を眺めた。そして心の中で、わが眷属は、分身は、性格の一面は、と想った。想う刹那(せつな)に、山々の方から健在のしるしの応(うけ)答えが翁の胸をときめかすことによって受取られた。翁は手をその方へ掲げて、彼等を祝福した。
 ただ東国の方へ遺った、まだ見ぬ山に棲める筈の姉と弟の方からは、翁のこれほどの血の愛の合図をもってしても何の感応道交も無かった。翁は白い眉を憂げに潜め
「除汝(なおきて)、除汝(なおきて)、はや」
 そういって力なく戸の中に戻った。
 空間といえども自然の支配下のものであろう。自然に冥通を得た翁の、僅にあずまと離れた空間の隔りに在る二人のいとし子に冥通の懸橋をさし懸けられぬいわれはなかった。だが翁の心に於て、まず最初に、こどもの存否を気遣う疑念があった。懐疑、躊躇(ちゅうちょ)、不信、探りごころ――こういう寒雲の翳は、冥通の取持つ善鬼たちが特に働きを鈍らす妨げのものであった。この翳が心路の妨げをなすことはただ人同志の間にもあることであろう。危む相手にまごころをば俄(にわか)にはうち出しにくい。
 翁は謙遜(けんそん)な人であった。たとえ長寿を保つことに自在を得ているにしろ、翁は人並を欲した。翁はこの時代の人寿のほどを慮(おもんばか)っておよそこれに做(なら)おうとした。その目安をもって計るに、もはやわが期すべき死は生き行きつつあるいまの日よりだいぶ前に過ぎ越している。翁は苦笑しながら直ちにも雲を変じ巌に化しても大事ないとは思った。しかし人間に居し人情を湛えた生涯を尽す最後の思い出にはどうか東国に送った二人のこどもの身の上を見定めてからのことにしたいと考えた。すでに死を期しては月色に冴えまさり行く翁の心丹に一ひら未練の情がうす紅色に冴え残った。翁は意識にこれを認めると、ぽたりぽたりと涙を零した。
 翁は、螺の腹にえび蔓の背をしたまま旅の餉(かれいい)を背負い、杖を手にして東路に向った。妻は早く死に、陽のさす暖い山ふところの香高い橘の木の根方に泰(やす)らかに葬ってある。もはやうしろ髪ひかるる思いのものは西国には何ものも無かった。

 鶏(とり)が鳴いて東(あずま)の国の夜は開けかけた。翁はきょうこそ見ゆれと旅路の草の衾(ふすま)から起上がった。きょうもまた漠々たる雲の幕は空から地平に厚く垂れ下り、行く手の陸の見晴しを妨げた。風は□々(びょうびょう)たる海面から吹き上げて来て空の中で鳴った。風の仕業(しわざ)か雲の垂幕は無数の渦を絡み合せながら全体として、しずかにしずかに、東の方へ吹き移されて行く。いくら吹き移されても雲の垂幕は西のあとから手繰(たぐ)られて出た。翁は目あての山の一つが見える筈の東国へ足を踏み入れてから毎日この雲の垂幕に向って歩んでいる。山の祖神(おやのかみ)の翁はその冥通の力をもって、これはこの山は物惜しみする中年女の山なのではあるまいかと察した。また恥かしがりやの生娘の山なのではあるまいかとも思った。西国の山にかけては冥通自在な翁も、東国へ足を踏み入れ東国の山に対するとき、つい不勝手な気がしてその冥通の働きをためらわした。そこに判断を二亙(ふたわた)らす障(さわ)りがあった。
 季節は初冬に入っていた。旅寝の衣には露霜が置いていた。翁は湿り気をふるって起上った。僅かに残っている白い鬢髪からも、長く垂れた白い眉尖からも雫が落ちた。雨風に曝され見すぼらしくなった旅の翁をどこでも泊めようとしなかったのだ。翁は煩わしく雫を払いながら朝餉(あさがれい)を少し食べた。持ち亙って来た行糧ももはやほとんど無くなっていた。翁は朝餉を食べ終ると冷えた身体を撫でさすりいささかの暖味に心を引立たして貰って、きょうの旅路の踏出しにかかった。
 鶏はおちこちで鳴き盛って来たが、行く手の垂れ雲は晴れようともしなかった。捲き返す浪打際のいさごを踏んで翁はとぼとぼと辿(たど)って行った。海上の霧のうすれの明るみに松の生え並ぶ白州の浜が覗かれた。翁は島かとも見るうちにまた霧に隠れた。
 その日の夕近く、翁は垂れ雲を左手にした、垂れ雲の幕の面を平行する行路の上を辿るようになった。落日の華やかさもなく、けさがたからの風は蕭々(しょうしょう)と一日じゅう吹き続けたまま暮れて行くのであるが、翁には心なしか、左手の垂れ雲の幕の裾が一二尺掠(かす)り除(のぞか)れて行くように思われた。あたりが闇に入る前に、翁はその幕の掠り除れた横さまの隙より山の麓らしい大ような勾配を認めたように思った。
 草枕、旅の露宿に加えて、夢も皺(しわ)かく老の身ゆえに、寝覚めがちな一夜であるのはもっとものことだが、この夜は別けて翁をして寝付かれしめぬものがあった。翁は興奮に駆られて自ら歓びをたしなめる下からまた盛り上る歓びにうたた反側しながら呟いた。
「山近し、山近し」
 と。
 あくる日は翁は一日歩いて、また一二尺掠り除かれた雲の裾から山の麓(ふもと)を、より確かに覗き取ったが、歩めども歩めども山の麓の幅の尽きらしい目度(めど)を計ることができなかった。
 年寄の歩みはたどたどしいにしても翁は次いで三日も歩んだ麓の幅を計ることはできなかった。
 これはひょっとしたらいくつかの山の麓が重り合っているのではないかと翁は疑った。でなければ、麓の丸の縁(へり)に取り付いてぐるぐる廻りをしているのではあるまいかとも思った。
 雲の裾は、今度は数間の丈けに掠り除られ、そのまま止まって少しも動かなくなった。その拡ごりの隙より、今や見る土量の幅は天幅を閉(ふた)ぎて蒼穹は僅かに土量の両鰭(ひれ)に於てのみ覗くを許している土の巨台に逢着した。翁は呆(あき)れた。これが普通いう山の麓であることか、おおらおおら。
 翁は、慄えながら行き合せた野の人に訊ねた。そして、山は福慈岳(ふくじのたけ)、います神は福慈神(ふくじのかみ)というのであると教えられた。

 たそがれは天地に立籠め、もの皆は水のいろに漂いはじめたが、ただ一つ漂わされぬものがあって山ふもとの薄明りの野に、一点の朱を留めていた。それは庭の祭りのかがり火であった。神楽(かぐら)の音も聞えて来る。
 かがり火は、薪木の性と見え、時折、ぷちぱちと撥ね、不平そうに火勢をよじりうねらすが、寂莫たる天地は何の攪(か)き乱さるる様子もなく、天地創ってこのかた、たそがれちょうものの待つ、それは眠るにも非ず覚めたるにも非ざる中間に於て悠久なるものを情緒に於て捉(とら)えようとするかれ持前の思惟の仕方を続けている。水のいろをかがり火のまわりに浸して静に囲んでいる。
 かがり火も張合いがなく、まもなく火勢をもとの蕊(しべ)立ちの形に引伸し焔(ほのお)の末だけ、とよとよとよとよと呟かしている。神楽の音が聞えて来る。
 晩秋の夕の露気に亀縮(かじか)んだ山の祖神(おやのかみ)の老翁は、せめてこのかがり火に近寄ってあたりたかったが、それは許されないことである。今宵のこの庭のかがり火は純粋な神のみが使う資格のある聖なる祭の火であった。一点の人情をつけて恋々西国より東国へ娘の生い立ちにを見に下った螺の如き腹にえび蔓のような背をした老翁は、たとえ自然には冥通ある超人には違いないが、なお純粋の神とはいわれなかった。生きとし生けるものの中では資格に於ていわば半人半神の座に置かるべきものであった。
 娘の福慈(ふくじ)の神もそれをいい、純粋の神の気を享けて神の領から今年、神がはじめてなりいでさせ給うた神のなりものによって純粋の神を餐(あえ)まつることのよしを仲立に、一元に敏(と)く貫くいのちの力により物心両様の中核を一つに披(ひら)いて、神の世界をまさしく地上に見ようとする純粋にも純粋を要する今宵の祭に、鶏の毛ほどでもこと人の気のある生けるものは、たとえ親でも遠慮して欲しいといった。娘の神が神としていちばん大事な修業をする間、少しでも娘の気を散らさないよう、爪の垢(あか)ほどの穢(けが)れを持来さしめぬよう心懸けて呉れるのがほんとの親子の情だといった。
 山の祖神は、山の裾野へさしかかって四日目にもう一日歩いて、たそがれ、かがり火を認めてたずね寄ったのではあったが――
 東の国のまだ見ぬ山へ、神として住みつきもやすると思い捨てた覚悟のもとに旅人に托けて送った末の娘が、思い設けたより巨岳の山の女神となって生い立ちなりわいつつあるのに、山の祖神は首尾よくめぐり会ったには違いないが――
 その夕は相憎(あいにく)とこの麓の里で新粟を初めて嘗むる祭の日であり、娘の神の館は祭の幄舎(あくしゃ)に宛てられていた。この祭には諱忌(きき)のあるものは配偶さえ戸外へ避けしめる例であった。生みの親の、その肉親の纏白(てんぱく)の情は、殊に老後の思い出に遥々たずね当った稀(まれ)なる歓びは心情の捻纏を一層に煩わしくしよう。娘の神は父の老翁に、こういう慮りから、宿は村里の誰かの家へ取ってあげますから、祭の今夜一夜だけは自分の家をば遠慮して欲しいと頼んだのであった。
 翁のふる郷の西国の山々にも新粟を初めて嘗むる祭はあった。しかしかかる純粋と深刻さで執り行う祭を、修業としての心得を、翁は東国へ来て生い立った娘の神からして始めて聞いた。
 翁は娘の神が口にしたこと人という言葉をしきりに気にした。遥々尋ねて来た生みの親に向ってこと人だという。何という薄情な娘なのだろう。しかしわけを聞いてみればその道理もないことはない。ふる郷を立つときから紅色に萌し始めた人情の胸の中の未練のほむらは子の慕わしさにかき立てられ旅の憂さに揺り拡げられ、こころ一面に燃え盛っている。福慈の神に出会い一目それをわが娘と知るや無我夢中になってしまって、矢庭(やにわ)に掻き抱こうとした旅塵の掌で、危うく白妙(しろたえ)の斎(いつき)の衣を穢(けが)そうとして、娘に止められて気が付いたほどである。これからしてみれば、一夜の間は心を静め澄さねばならない女神の斎(いつき)の筵(むしろ)にかかる動きゆらめくものが傍におることは親とはいえ娘の神の為めにならないことは判り切った話だ。ならば娘の神のいう通り村里へ下って娘の神のいい付けて呉れた誰かの家へ行って泊ってもやり度い。だが翁にはそれはできなかった。
 娘の神が自分をこと人といったのは今夜の神聖に対し一夜だけのことにしていったのであろうか、それとも幼くして遥な国へ思い捨てた父に対しての無情の恨みの根を今も深く持ち添えそれでいったのであろうか、それが気になった。前の方の理由からならば一夜ぐらい離れていることはとかくに辛棒はしてもいい。しかし後の方の理由からとしたならこれは卒爾(そつじ)には済まされんことだ。そうしたことには山の祖神として自分にわけも気持もあってしたことの解き開きを娘の神にとくと諾(うなず)かして、根に持つ恨みを雪解の水に溶き流さすまではかの女の傍からは離れられない。そのことで今世の親子の縁は切られ度くない。そう思ってかさにかかって翁の娘の神に詰め寄りなじりかかろうとする刹那に神楽の音が起り祭が始ってしまった。本意なくも庭外まで退いたのであったが。腹はむしゃくしゃすると同時に堪えぬなつかしさの痛み、悔いないでよいことへの悔い――そういったことでごちゃごちゃになっていた。せめて娘の姿の望まれるところでしばらく心を宥(なだ)めよう。それにしても子というものは、しばらく離れてめぐり会った子というものは何と人間のような血の気を神の胸にも逆上さすものであろう。これが大自然に対しては冥通自在を得た山の祖神ともいわれるものの心行かよ。翁は庭のはずれの台のところに来て蹲(うずくま)りながら苦笑した。
 台の傾斜からは麓の野を越して、たそがれの雲の帳(とばり)が望まれた。上見ぬ鷲の翔らん天ぎわから地上へかけて雲の帳は相変らずかけ垂れていたが、深まり来るたそがれの色にあらがうように帳の色は明るく薄れ行きつつある。それにつれて帳の奥の福慈岳(ふくじのだけ)の姿はいまや山の祖神の前に全積を示しかけて来た。祖神の翁は片唾(かたず)を呑んだ。
 およそ山を見るほどのものの胸には山の高さに対して心積りというものがある筈である。見るほどのものはあらかじめの心積りの高さを率て実山に宛嵌(あては)め眺めるのであった。実山の高さが見るものの心積りの高さにかなりの相違があっても、全然見るものの心積りを根底から破却し去らない限り、そこに観念なるものと実在なるものと比較し得られる桟(かけ)はしがあってその上に立ち見るものをして両端の距りを心測して愕(おどろ)きの妙味を味い得しめるよすががある。ここにもし実在が観念と別な世界ほどの在りようで比較の桟はしを徹し去らるるときわれ等の心路は何によって味覚に達すべき。かかるとき愕きもない平凡もない。強いていおうならば北斗南面して看るという唐ようの古語にでも表現を譲(ゆず)るより仕方はあるまい。
 さて、山の祖神の老翁は、雲の帳に透く福慈岳の全積を、麓の方から目途を攀らして頂(いただき)へと計って行った。麓の道を横に辿(たど)ってその幅によりこれは只事でないと感じ取った翁の胸には、福慈岳の高さに就ても、その心積もりに相当しんにゅうをかけたものを用意していた。翁はそれを目度(めど)に移して山の影を見上げて行った。翁は息を胸に一ぱい吸い込み思い切り見上げたつもりでそこで眼を止めた。山の峯はまだそこで尽きようともせぬ。翁の息の方が苦しくなった。翁はそこであらためて息を肺に吸い更え、もそっと上へ目度を運び上げて行った。
 また息の方が苦しくなったけれども山の高さは尽きようともしない。螺の腹でえび蔓の背をした老いの身体は後の丘の芝にいまや倒れるばかりに仰向いて天空を見上ぐるのであった。
 それかあらぬか、翁は天宙から頭上へ目庇(まびさし)のように覆い冠って来る塩尻の形の巨きな影を認めたかに感じた。そのときもはや翁の用意していた福慈岳に対する高さの心積りはあまりの見込み違いに切って数段に飛ばし散らされていた。翁は身体を丘の芝に上から掴み押えられた窮屈な形を強いて保ちながら愕き以上のものに弄(なぶ)られている。翁に僅に残っている頭の働きはこういうことを考えている。これが同じ地上に在って眺めらるものの姿であるのか。この仰ぎ見る天空の頂は麓の土とどういう関係に在るのか。麓はよし地上の山にしろ、頂はそれに何の縁もない雲に代って空から湧くまた一つの気体の別山なのではあるまいか。南の海の※螺(ごうら)[#「虫+亢」、279-10]が吐くという蜃気が描き出す幻山のたぐいではあるまいか。幻山を証拠立てるよう塩尻がたの尖から何やら煙のようなものの燻(くすぶ)り出るのが見えるようでもある。
 薄れ明るむ雲の垂れ幕とたそがれる宵闇の力とあらがう気象の摩擦から福慈岳の巨体は、巨体さながらに雲の帳の表にうっすり浮出で、または帳の奥に潜って見えたりする。何という大きな乾坤(けんこん)の動きであろう。しかも音もなく。呆れた夢に痺(しび)れさせられかけていた翁の心は一種の怯えを感ずるとぶるりと身慄いをした。翁の頭の働きはやや現実に蘇(よみがえ)って来る。
 翁は西国に於て、山ちょう山により自然と人間のことはほとんど学び尽し、性情にもあらゆる豊さを加えたつもりでいた。また永い歳月かかって体験から築き上げた考えと覚悟はもはや何物を持って来ても壊せず揺ぎないものと思っていた。ところがいま、模索した程度に過ぎないものの、福慈岳の存在に出遇ってみると、それ等のものは一時にけし飛び、自分なるものを穴に横匍う蘆間の蟹のように畸形にも卑小に、また、経めぐって来た永い歳月を元へ投げ戻されてただ無力の一孩児(がいじ)とにしか感じられない。
「これは何ということだ。上には上があるものだ」
 翁は人の世の言葉ではじめてこういった。物の絶大の量と絶大の積は説明なくしてそれが一つの力強い思想として影響するものであることを翁は悟らせられた。
「負けたよ」
 翁はこうもいった。
 山と山神とは性格も容貌も二つに分つべからざる関係を持つことは翁が西国の諸山に間配って諸山の山神に仕立てた自分の子供たちによって知れるところのものである。この山の岳神となったわが娘福慈神の性格が果してこの山の如くならば、自分がこの娘に対して抱く考えも気持もまるで見当外れである。およそ桁(けた)が違っていよう。そしてまた西国の諸山と諸山に間配った自分の子どもたちの性格はおよそ山の祖神自身の性格の中に在るものであり、たとえ無かったものにしろそれは新に嚥(の)み入れて自分の性格の複雑さを増し得た程度の積量のものであった。それゆえ自分はかれ等を分身と思い做され、総ての上に臨んで自分は山の祖神であったのだが、いまこの山の娘の神に向ってはまるでそういうこともそうすることも覚束(おぼつか)なくも思われる。
「この山は嚥み切れない。もしもそうしたなら、自分の性格の腹の皮の方が裂けよう」
 翁はいまにもそれを恐れるように大事そうに螺の如き自分の腹を撫でた。
 夕風が一流れ亙った。新しい稲の香がする。祭の神楽の音は今将(まさ)に劉喨(りゅうりょう)と闌(たけなわ)である。
 翁が呆然眺め上げる福慈岳の山影は天地の闇を自分に一ぱいに吸込んで、天地大に山影は成り切った。そう見られる黝(くろず)み方で山は天地を一体の夜色に均(なら)された。打縁流(うちよする)、駿河能国(するがのくに)の暮景はかくも雄大であった。

 神の道しるべの庭のかがり火は精気を増して燃えさかっている。
 山の祖神の翁は、泣いていいか笑っていいか判らない気持にされながら、かがり火越しに幄舎(あくしゃ)の方を観る。
 わが子でありながら超越の距(へだた)りが感じられる福慈の神は、白の祭装で、□机(しもとづくえ)に百取(ももとり)の机代(つくえしろ)を載せたものを捧げ、運び行くのが見える。
 長なす黒髪を項(うなじ)の中から分けて豊かに垂れ下げ、輪廓の正しい横顔は、無限なるものを想うのみ、邪(よこしま)なる想いなしといい放った皎潔(きょうけつ)な表情を保ちながら、しら雲の岫(くき)を出づる徐(おもむろ)なる静けさで横に移って行く。清らかな斎(いつき)の衣は、鶴の羽づくろいしながら泉を渡るに似て爽かにも厳(おごそ)かである。
 蛍光のような幽美な光りが女神の身体から照り放たれ、その光りの輪廓は女神の身体が進めば闇に取り残され、取残されては急いで、進む女神の身体に追い戻る。
 常陸(ひたち)の国の天羽槌雄神が作った倭文布(しずり)の帯だけが、ちらりと女神の腰に艶なる人界の色を彩(あやど)る。
 翁はわが子ながら神々しくも美しいと見て取るうち、女神の姿は過ぎた。
 娘の神が捧げて過ぎた机代のものの中で、平手(ひらて)に盛った宇流志禰(うるしね)の白い色、本陀理(ほだり)に入れたにいしぼりの高い匂いが、自分に絶望しかけて凡欲の心に還りつつある翁の眼や鼻から餓えた腸にかぐわしく染みた。
 翁はから火を見ながらかさかさ乾いて亀縮(かじか)む掌を摩り合わせて「娘が子というものは」と考えた。
「手頃の育て方をして置くものだ」
 と、これは口に出していった。
「あの娘は、あまり偉くなりすぎたよ」
 口惜しさと悔いがぎざぎざと胸を噛んだ。
「あれじゃ、まるで取り付くしまもありはしない」
 ふと、翁にふる郷の西国の山と山神が懐しまれた。あれ等のものにはつんもりとした、ちょうど愛の掌で撫で廻される手頃なものがある。それ等の山には背があれば必ず山隈や谷があった。そのようにこどもの山神たちにも秀でた性格の傍、叱りたしなめはするがそれによってまた憐れみがかかり懐き寄せられもする欠点なるものがあるのだったが。
 この山の娘にはそれが無い。美しく偉いだけで親さえ親しめる隙が無さそうである。
「この娘を東国へ旅人の手に托(かず)けて送ったときの気持に戻って、いっそ、この娘を思い捨てるか。それにしてはこれだけになったものを、あまりに惜しい気もする。第一、山神の眷属の中からこれ程の女神を出したことは、山の祖神としていかなる気持の犠牲を払っても光栄とすべきではないか」
 そう思うまた下から、親ごころの無条件な気持でもって「娘よ」と呼びかけても、かの女の雪膚の如き玲瓏(れいろう)な性情に於て対象に立ち完全そのものの張り切り方で立ち向われて来るときの、こなたの恥さえ覚えるばかりの手持無沙汰を想像するとき、やはり到底、親子としては交際(つきあ)い兼ねる女なのではあるまいかと、懸念がすぐ起って来るのでもあった。
 とつおいつ思いあぐねるうち、いよいよ無力の孩児(がいじ)としての感じを自分に深めて来た老翁は、いまは何もかもかなぐり捨て、ひたすら娘に縋(すが)り付き度くなった。それは福慈神に向って娘としてよりも母らしいものへの寄する情に近かった。偉れて立優っているこの女神に対しこの流れの方向の感情に心を任せるとき、却って気持は自然に近いことを老翁は発見した。
 女神が捧げものを徹して持ち帰る姿が望まれた。
 翁は堪られなくなって声をかけた。
「娘よ。福慈神よ」
 それは始めから哀訴の声音だった。
 女神の片眉が潜められたが声は美しく徹っていた。
「あら、まだ、そこにいらっしゃいますの。お寒いのに、なぜ、おとり申上げた村里の宿へお出でになりませんの」
 翁は頑是(がんぜ)ない子供が、てれながら駄々を捏ねるように、掌に拳を突き当てつつ俯向(うつむ)き勝ちにいった。
「寂しいんだよ」
「では、どうして差上げたらよろしいのでございましょう」
「どんな端っこでもいい、おまえの家へ泊めとくれよ」
 翁の声は小さかったが強訴の響は籠っていた。「おまえの居ると同じ屋の棟の下にいれば気が済むのだから、決して祭りの邪魔はしないのだから」
「それが、おさせ申上られないことは、お出でにすぐ申上げたではございませんか。無理を仰(おっ)しゃっては困りますわ」
 娘の声は美しく徹ったまま、山が頂より麓へ土を揺り据えたように、どっしりとした重味が添わって来た。その気勢に圧せられた翁は、却ってあらがう気持を二つ弾のような言葉で、あと先立て続けに女神へ向けて放った。
「情のこわい女だぞ」「何をまだ、この上、親を断っても修業の祭をしようというのだ。いやさ、これほど出来上った山やおまえに何の力や性格を増し加えようというのだ、慾張り」
 女神は、しばらく黙って父の翁のいう言葉の意味の在所を突き止めていたが、やがて溜息をついたのち、静にいった。
「結局、おとうさまは、山の祖神の癖にこの福慈神だけはお知りになっていないことに帰着いたしますわね。よろしゅうございます、暁の祭までにはまだ間の時刻もございます。お話いたしましょう」
 といって、ちょっと美しく目を瞑り考えを纏(まと)めているようだったが、こう語り出した。
「おとうさま、この福慈岳は火を背骨に岩を肋骨(ろっこつ)に、砂を肉に附けていて少しの間も苦悩と美しさと成長の働をば休めない大修業底の山なのでございますわ。見損じて下さいますな」
 雨気が除かれたかして星が中天に燦(きら)めき出した。天空より以下巨大な三角形の影をもちて空間を阻み星が燦めきあえぬ部分こそ夜眠の福慈岳の姿である。頂の煙のみ覚めてその舌尖は淡く星の数十粒を舐(ねぶ)っている。

「わたくしが」
 と福慈の女神は静に言葉をついだ。女神の顔は氷花のように燦めき、自然のみが持つ救いのない非情と、奥底知れない泰らかさとが、女神の身体から狭霧のようにくゆり出す。
 岳神が変貌して、そしてこういうふうに言い出すとき、その「わたくし」は、最早岳神みずからのことを指すのではなかった。岳神が冥合しているところの山そのものを岳神の上で語らしめるその「わたくし」であった。
 山の祖神はさすがに、それとすぐ感じ取り、啓示を聴く敬虔(けいけん)な態度で、両の掌を組み合せ、篝火(かがりび)越しに聴こうとする。組んだ指の一二本だけ、組み堅め方を緩めて、ひょくひょく蠢(うご)めかしているのは、娘が何を言い出すことやらと、まだ、親振った軽蔑の念と好奇心と混ったものを山の祖神がいささか心に蓄えていることの現れと見れば見られる。
「わたくしが、わたくし自身を知ったということの誇らしさ、また、辛さ。それを何とお話したらよいでございましょう。判って頂ける言葉に苦しみます。ここでは、ただそれが、いのちを張り裂くほどの想いのもので……而(し)かも、たとえ、いのちが張り裂けようとて、心は狂いも、得死ぬことすら許されず、窮極の緊張の正気を続けさせられるという気持のものであるというぐらいしか申上げられないのを残念に思います」
 と言って、女神は、ここで溜息を一つした、白い息が夜気に淡くにじんだ。
「わたくしが、物ごころついた時分からでも、この大地の上に、四たびほど、それはそれは永く冷たい歳月と、永く暖かい歳月が、代る代る見舞うたのでありました」
 冷たい時期の間は、鈍(おぞ)く寒い大気の中に、ありとあらゆるものは、端という端、尖という尖から、氷柱(つらら)を涙のように垂らして黙り込んでいた。暖かい時期の間は、このわたりの林の中にもまめ桜が四季を通して咲き続け、三光鳥のギーッギーッという地鳴き一年じゅう絶間なかった。
「そして只今、この大地は、四度目に来た冷い時期の、そのまた中に幾たてもこまかく冷温のきざみのある、ちょうどその二つ目の寒さの峠を下り降った根方の陽気の続いている時期にあるのでございます」
 まめ桜はひと年の五月に一度咲き、同じその頃、三光鳥はこの裾野の麓へ来て鳴く。生けるものにはここしばらく住み具合のよい釣合いのとれた時期の続きであるだろう。
「この大地は、島山になっております。蜻蛉(あきつ)の形をしたこの島山の胴のまん中に、岩と岩との幅広い断(き)れ目の溝があって、そのあわいから、わたくしは生い立たせられつつあるのを見出したのでした」
 西の海を越えて、うねって来た二つの大きな山の脈系、それは島山の胴の裂け目を界にして南北に分けられる。そのおのおのには、内側のものと外側のものとの脈帯の襞(ひだ)が違(たが)っている。それすら、複雑蟠纏(ばんてん)を極めているのに、下より突き上げ上から展(の)し重なるよう、十一の火山脈が縦横に走る。
 かくて、この島山は、潮の海から蜻蛉型に島山の肩を出すことが出来たのであった。重ね重ねの母胎の苦労である。その上、重く堅い巌(いわお)を火の力により劈(つんざ)き、山形にわたくしを積み上げさせたということは、仇(あだ)おろそかのすさびに出来る仕事ではない。非情の自然が、自らその頑(かたくな)な固定性に飽いて、抗(あらが)い出た自己嫌悪の旗印か、または非生の自然に却って生けるものより以上の意志があって、それを生けるものに告げようとする必死の象徴ででもあるのであろうか。
 あるべきもののある理由は、そのものになり切ったものにしてはじめて頷(うなず)けるほど、深刻なものであるのであった。山一つさえその通り――
「まだそのときのわたくしは、きしゃな細火を背骨にし、べよべよ撓(しな)るほどの溶岩を一重の肋骨として周りに持ち、島山の中央の断(き)れ目から島地の上へ平たく膨れ上っただけの山でした」
 世の中は、ただうとうとと、あま葛の甘さに感じられた。ただひとりぽっちが寂しかった。
 幼い青春が見舞った。「環境(わたり)」と「誰(た)」を感じた。突き上げて来た物恋うこころ。自らによって他を焼き度く希う情熱をはじめて自分は感じた。
 自分は眩暈(めまい)がして裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は見る影もない姿に壊れていた。胸から噴き流れて凝った血が、岩となって二枚目の肋骨としてまわりに張っていた。
 自分は泣く泣く砂礫を拾って、裸骨へ根気よく肉と皮を覆うた。
 しばらく、爽かで湛えた気持の世の中が見廻わせた。自分は第二の青春を感じた。
 同じく物恋うるこころ、それには、「疑い」と「恥かしさ」が、厚い殻となって冠っていた。それをしも押しのけて、自らによって他を焼き尽そう情熱、自分はまたしても眩暈(めま)いがした。裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は醜い姿に壊れていた。けれども自分の胸から噴き流れて凝った血は、三枚目の肋骨となって、まわりに張っていた。自分は泣く泣く砂礫を拾って裸骨へ根気よく砂礫の肉と皮を覆った。
 しばらく、物憂(う)く、嫉(ね)たく、しかも陽気な世の中が自分に見(まみ)えた。自分は娯しい中に胸迫るものを感じ続けて来た。
 第三の青春を感じた。
 同じく物恋うるこころに変りはないけれども、自分はそれにも増して、「知る」ということの惧(おそ)ろしさとうれしさを始めて感じ出した。これほどに壊れても裂けても、また立上って来る自分。蘇っては必死に美しさに盛返そうとするちから。これは一体何だろう。他と競いごころを起すこの自分は一体何だろう。自分を自分から離して、冷やかに眺めて捌(さば)き、深く自省に喰い入る痛痒(いたがゆ)い錐揉(きりも)みのような火の働き、その火の働きの尖は、物恋うるほど内へ内へと執拗(しつこ)く焼き入れて行き、絶望と希望とが膜一重となっている胸の底に触れたと思ったとき、自分はまた裂けた。蘇って壊れた自分を観ると、そこにはまた第四の肋骨が出来上っていた。
 自分はそれに砂礫の肉と皮をつけた。
 しばらく、明暗が渦雲のように取り組む世の中に眺められる。自分を剖(さ)き分けて、近くへ寄ってみれば、焼石、焼灰の醜い心と身体、それは自分ながら吐き捨ててしまい度いようである。けれども、やっと取り纏めて、離れて眺めみれば、芙蓉のように美しく、「誰(た)」を魅する力があるもののようでもある。それにつれて、希望(のぞみ)という虹がうつらうつら夢みられて来る。
 美しくも力強い希望(のぞみ)。だが果して、その希望を実現し得られる力が自分の中にあるのだろうか。その力としてありそうに思える火の背梁だけは確に逞しくなっている。
 しかしまたこの大きな虹のような希望を捉えようと考え出したことがおおそれた想いのようでもあり、身体に激しい慄えが来る。かくてまたもや自分は裂けた。
「わたくしは只今、最初から数えて八枚目の肋骨まで出来ております。わたくしの身体の根は、この島山の北の海岸にひき、また南は遠い南の海の硫黄を吐く島までひいています。わたくしの身体の続きの上で同じく火を吐く幾つかの眷属。この島山に小さいながらも姿は等しい三十余の山々。それ等はみなわたくしを母のようにしております。わたくしに較ぶ山はございません。わたくしは確かに選まれたという自覚を今更どう取り消しようもございません。それにつれて、幼ない競い心も除かれました。選まれたということの孤独の寂しさ、また晴れがましさ、責任の重苦しさと権利の娯しさ。
 ですが、折角ここまで育ち上ったものに、またもや成長の破壊が来て、これからさき何度も死ぬような思いをするのはまだしものこと、女の身として、一度々々あの醜さになるのを自分の眼でまざまざと見なければならないということは、考えてもぞっといたしますわ」
 可哀そうに唖(おし)のような自然、それでいて、意志だけは持っている。その意志を人によって表現したがっている。一体、人というものは懶(なま)けもので、小楽(こらく)をしたがる性分である。驚異を与えないでは動かない。この島山に住む人は、山のわたくし同様、驚異でいのちに傷目をつけられ、美しさにいのちの芽を牽出され、苦悩に扱(しご)かれて、希望へと伸び上がらせられなければならない。
「わたくしは、それを人に伝えるために選まれました。
 父よ。あなたが、山の神の眷属としてわたくしを、ただ眷属中での褒められ者として育つのを望んだ娘は、この福慈岳に籠れる選まれた偉大ないのちの中に綯(な)い込められ、いまや天地大とも久遠劫来のものとなってしまいました。いまや娘はあなたの望まれる程度に程良くなることも、娘子として可愛らしくあることも出来ません。それはどんなにか悲しいことでしょうが、運命です。仕方ありません。おとうさま、あなたはもう一度娘を東国へ思い捨てた気持になって、わたくしを思い捨てて下さい。さあ、暁が白みかけました。わたくしは、暁の祭りにいそしまねばなりません。早く、取って差上げた村の宿屋へおいでになって、お寝(よ)って下さいまし。いつでもそうしておいでては身体にお毒ですわ。あしたは、もっとゆっくり、これに就てのお話も出来ましょうから」
「わしゃ、偉大なものへ生命を賭けることは大好きなのじゃよ。わしは最愛のこどもでそれをした。その愛別離苦の悲しみや壮烈な想いで、わしの腸はこんなに螺の貝のように捻じ巻いたのじゃないか」と山の祖神の翁は負けん気の声を振り立てていった。「だが、親子の縁は切り度くないもんじゃよ」
 とその言葉の下から縋り声で寄り戻した。
「あなたは生みの親、わたくしのいのちの親は、このあめつちと、この島山の人々。もはやあなたとわたくしを継ぐとか切るとかいうせきは放れております」と女神は淡々としていった。
「あなたが、わたくしを思い捨てなさるほど、わたくしはあなたに親しい愛娘になりましょう。その反対に、あなたが一筋でも低い肉親の血をわたくしにおつなぎのつもりがあったら、それは却ってわたくしから遠ざかりなさることになるのです。お判りになりませんか」
「わしが、おまえを東国へ思い捨てた歳からいま娘になるまでの歳月を数えてみるのに、いくら山の神々の歳月は人間の歳月と違うにしろ、数えて額(たか)が知れている。それを何十万年何百万年の生い立ちの話をするなんて、あんまり親をばかにし過ぎるぞ。……いくらこの山の座り幅が広いたって、三国か四国に亙っているに過ぎまい。それを海山遠く取入れた話をするなんて、あんまり大袈裟(おおげさ)だぞ。女の癖に」
 山の祖神のこういうたしなめ方に対し福慈の女神はもう何ともいわなかった。
「おい、娘、何とかいわんかい」
 と催促されてもうそ寒そうに袖の中に手を入れ合して立っているだけだった。
 山の祖神は
「こいつ氷のように冷たいおなごじゃねえ」
 といった。
「よし、きさまがそういう料簡(りょうけん)なら、こっちにもこっちの料簡がある」
 といい放った。
 山の祖神の翁に、噎返(むせかえ)るような怒りと愛惜の念、また、不如意の口惜しさ、老いて取残されるものの寂しさがこもごも胸に突き上げて来た。
 翁はじっとしていられなくなって廻された独楽(こま)のように身体のしん棒で立上った。娘をはたっと睨(にら)み、焦げつく声でいった。
「よし、こうなったら、やぶれかぶれ。おれはきさまを詛(のろ)ってやる。金輪際(こんりんざい)まで詛ってやる。今更、この期になってびくつくまいぞ」
 娘の冴えまさる美しい顔を見ると、その毒心もつい鈍るので翁は眼を娘から外らしながら声を身体中から振り絞るべく、身体を揉み揺り地団太(じだんだ)踏みながら叫んだ。
「福慈の山、福慈の神、おまえは冷たい。骨の髄に浸みるまで冷たい。えい、冷たいままで勝手におれ、年がら年中冷たい雪を冠っておるのがいいのさ。草木も懐かぬ裸山でおれ。凍るものから、餌食を見出して来やがれ」
 ぺっぺっぺっと唾を三度、庭に吐き去りかけたが、ふとそこに落ちている小石の一つを拾って手早く懐に納め、
「ざまを見よ。やあいやあい」
 といって出て行った。
 この山の祖神の福慈の神に対する呪詛の言葉を常陸風土記では、
 汝所レ居山、生涯之極、冬夏雪霜、冷寒重襲、人民レ不登、飲食勿レ奠者
 という文字で叙している。またこれにより富士は常に白雪を頂き、寒厳の裸山になったのだ、と古常陸地方の伝説は構成している。

 東国へ思い捨てたこどもに邂逅(めぐりあ)う望みを、姉の福慈岳の女神に失望した山の祖神は、せめて弟に望みを果し度いものだと、なおも東の方を志して尋ね歩るき出した。姉に訊いたら、あるいは消息を知ったかも知れないが、薄情を怒るどさくさ紛れに、つい訊くのを忘れたのを今更残念に思うものの、取って返して訊き直すこともならない。山の祖神の翁は行き合う人に訊ねることを唯一の手がかりにしてひたすら東の方にある山を望んで足を運ばせた。
 行糧の料はすでに尽き、衣類、履ものも旅の責苦に破れ損じた。この身なりで物乞うては餓を満たして行く旅の翁を誰も親切には教えて呉れなかった。
 足柄の真間の小菅を踏み、箱根の嶺(ね)ろのにこ草をなつかしみ寝て相模(さがみ)へ出た。白波の立つ伊豆の海が見ゆる。相模嶺(ね)の小嶺(おみね)を見過し、真砂為(な)す余綾(よろぎ)の浜を通り、岩崩(いわくえ)のかげを行く。
 東の国へ行くには二手の道があった。一つは山寄りの道を辿るのと、一つは海を越えて廻って行く道とであった。
 山寄りの道を行く方が山の岳神を探すに便利は多いようなものの、それ等の山は多く未開の山で、ちょっと人に訊いただけでも、山の主は、百足(むかで)であるとか、猿であるとか、鷲であるとか、気の利いた山の神ではなかった。これでは訪ねずとも判っている。翁は身に疲れも出たことなり、漸く舟人に頼み込み、舟の隅に乗せて貰って浪路を辿った。
 海路は相模国三浦半島から、今の東京湾頭を横断して房総半島の湊へ渡るのが船筋だった。
 土地不案内に加えて、右往左往した上、乗った船もここにはやてを除け、かしこに凪ぎを待つという進み方なので山の祖神の翁の上に人間の歳月の半年以上は早くも経ってしまった。
  夏麻(なつそ)挽く、海上潟(うみかみがた)の、沖つ州に、船は停(とど)めむ、さ夜更けにけり。
 しとしとと来た雨の夜泊の船中で、寝(い)ねがてた苫(とま)の雫の音を聞いていると翁の胸はしきりに傷んだ。翁は拾って来た娘の家の庭の小石を懐から取出して船燈のかげで検めみる。普通の石とは違っている。
 すべすべして赤く染った細長く固い石である。頭と尾は細く胴は張っている。背及び腹に鰭(えら)のようなものが附いている。魚の形と見られぬこともないが、より多く涙が結晶した形と見る方が生きて眼に映る石の形であった。それは福慈岳が噴き出した火山弾の一つであるのだった。
「娘が変っているだけに、庭の小石も変っていら」
 翁はそういって、なおも燈のかげで小石を捻っていた。
 傷むこころに、きらりと白銀の丸のような光りが刺した。
「おれはいま娘の涙を手に弄んでいるのではあるまいか」
 すると、娘がいったことであのときは不服のあまり胸に受けつけなかった意味のことが、まざまざと暗んじ返されてく来るのだった。
「庭の小石まで涙の形になってやがる。ひどい苦労は確にしたのだな」
 それに凝りずに、娘はなおも苦労を迎えてそれを支えた成長の肋骨を増やす積りでいる。凍るほど冷く感じられたおんなだったが、執拗(しつこ)く逞しく激しい火の性を籠らしている。その現れのようにこの涙型の石が血の色に赤く染っていることよ。石が尾鰭まで生やして、魚になっても生き上らんいのちの執拗さを示している。娘が何度も青春を迎えるといった言葉が思い出される。
 翁は掌の上に載せた火山弾にだんだん切ない重みを感じながら、その娘に対し氷にもなれというような呪詛をかけたことのおよそ見当違いでもあり、無慈悲な仕打ちであることが悔まれた。
 今頃、娘はどうしているだろう。福慈岳には夏に入るので白雪でも頂いていやしないか知らん。
 翁はすごすごと小石をまた懐へ入れた。苫に当る雨音を聞きながら一夜を寝苦しく船中に明した。

 房総半島に上り、翁は再び望多(うまぐさ)の峰(ね)ろの笹葉の露を分け進む身となった。葛飾(かつしか)の真間の磯辺(おすひ)から、武蔵野の小岫(ぐき)がほとり、入間路(いりまじ)の大家が原、埼玉(さきたま)の津、廻って常陸の国に入った。
筑波嶺(ね)に、雪かも降らる、否諾(いなを)かも、愛(かな)しき児等が、布乾(にぬほ)さるかも
 山の祖神は、平地に禿立(とくりつ)している紫色の山を望み、それは筑波という山であって、それには人身の形をした山神が住んでいることを聞き知った。

 その山は全山が森林で掩われて鬱蒼としていた。麓の方は樫(かし)の林であり、中腹へかかるとそれが樅(もみ)の林に代る。頂に近いところは山毛欅(ぶな)となった。山の祖神(おやのかみ)の翁はまだ山に近付かないさきから山の林種はこれ等で装われていることを、陽(ひ)に映(は)ゆる山緑の色調で見て取った。この様子の山なら草木の種類はまだ他にたくさん宿っている筈だ。
「豊な山だな」
 翁は手を翳してほほ笑んだ。
 山の頂は二つに岐れていた。尋常な円錐形の峯に対し、やや繊細(かぼそ)く鋭い峯が配置よく並び立っている。この方は背丈けは他より抽んでているが翁には女性的に感じられる。翁はこの山には人身の岳神が住み守ると聞いたが、それにしたら、その岳神は結婚していて、恐らくその妻は良人より年長のいわゆる姉女房であるであろうと山占いをした。
 東国の北部の平野は広かった。茅草(ちがや)・尾花の布き靡(なび)く草の海の上に、櫟(なら)・榛(はり)の雑木林が長濤のようにうち冠さっていた。榛の木は房玉のような青い実をつけかけ、風が吹くと触れ合ってかすかな音を立てた。丸く見渡せる晴れ空をしら雲が一日じゅうゆるく亙(わた)って過ぎた。
 その山は北の方から南へ向けて走る大きな山脈の、脈端には違いないのだが、繋がる脈絡の山系はあまりに低いので、広い野に突禿(とつとく)として擡(もた)げ出された独立の山塊にしか見えない。母体の山脈は、あとに退き、うすれ日に透け、またはむれ雲の間から薔薇色に山襞(やまひだ)を刻んで展望図の背景を護っていた。
 平野のどこからも眺められるその山は、朝は藍に、昼はよもぎ色に、夕は紫に色を変えた。山の祖神の翁は、夕の紫の山をいちばん愛した。
 翁が、草の茵(しとね)に座って、しずかにその暮山を眺めやるとき、山のむらさきから、事実、ほのかで甘く、人に懐き寄る菫の花の匂いを翁の嗅覚は感じた。
 翁は眼を細めて
「山近し、山近し」
 と呟いた。
 その言葉は、翁が福慈神に近付くとき胸に叫んだと同じ言葉ではあるが、翁はただ呟いただけで山に急ぐこころは無かった。その山は急いで近寄らなければ様子が判らないというような山容ではなかった。離れて眺めているだけでも懐しみは通う山の姿、色合いだった。むしろ近付いたら却って興醒めのしそうな懸念もある遠見のよさそうな媚態(びたい)がこの山には少しあった。
 広野の中に刀禰(とね)の大河が流れていた。薦(こも)、水葱(なぎ)に根を護られながら、昼は咲き夜は恋宿(こいする)という合歓(ねむ)の花の木が岸に並んで生えている。翁はこの茂みの下にしばらく憩って、疲れを癒やして行こうと思った。何に疲れたのか。もちろん旅の疲れもある。しかしもっと大きいのは娘に対する疲れであった。
 福慈岳で女神の娘と訣れてから旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが涙痕の形をしており、魚の形をしており、また血の色をしているところから福慈岳神としての娘の苦労を察し、決意のほどもほぼ覗(うかが)えた。それにつれて一時それなりに呵(か)し去れたと思えた娘の主張が再び心情を襲うて来て、手脚の患い以上に翁を疲らすのであった。
 娘のいったことは自然の意志としたならあまりに生きて情熱に過ぎている。もちろん人間の考えだけであれだけの超越の霜は帯ばれない。娘はいのちということをいったがそれは自然と人間を合せて中から核心を取出したそのものをいうのであろうか。翁は今までの生涯に生きとし生けるものの逃れず考えることは生活と幸福と生死ということであると思っていた。そしてこれ等のことは人間が山に冥通する力を得て二つの山の岳神となり得たとき総ては解決されるとまた思っていた。山の生活、山の幸福、そこに何一つ充ち足らわぬものがあろうか。命終せんとして雲に化し巌(いわお)に化す。そこに生死を解脱(げだつ)して永世に存在を完うしようとする人間根本の欲望さえ遂げ得られるのではないか。
 それに引代え娘はいくたたびの生死を語り、その生死毎に苦悩と美への成長を語り、生活とも幸福ともいわない。強(し)いてそれらしいものを娘の言葉の中から捕捉するなら娘がいったいくたたびか迎える辛くも新鮮な青春、かくて遂(つい)に老ゆることを知らずして苦しくも無限に華やぎ光るいのち。娘にしたらこれをこう生活とも幸福ともいうのだろうか。おう!
 山と人間を冥通するところの力に座して世に経るを岳神という。岳神も神には神である。だがこの程の生き方を望もうとも経られようとも思わぬ。
 それは人界の理想というものに似ている。現実に遠く距るほど理想である。しかもあの娘はその遠く距るものを現実に享(う)け生かそうとするものではなかろうか。
 娘は祭の儀を説いて神の中なる神に相逢うといった。
 思えば思うほどひとり壁立万仭(ばんじん)の高さに挺身(ていしん)して行こうとする娘の健気(けなげ)な姿が空中でまぼろしと浮び、娘の足掻(あが)く裳からはうら哀しい雫(しずく)が翁の胸に滴(したた)って翁を苦しめた。
 取り付きようもない娘の心にせめて親子の肉情を繋ぎ置き度い非情手段から、翁は呪(のろ)いという逆手(ぎゃくて)で娘の感情に自分を烙印(らくいん)したのだったが、必要以上に娘を傷けねばよいが。
「どうしたらいいだろうなあ」
 山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸の叢(くさむら)に靠(もた)せて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。
 岸の叢の中には、それを着ものの紐(ひも)につけると物を忘れることができるという萱草(わすれぐさ)も生えていたが、翁はそれも摘まなかった。せめて悩んでいてやることが娘に対する理解の端くれになりそうに思えた。
 前には刀禰(とね)の大河が溶漾(ようよう)と流れていた。上つ瀬には桜皮(かにわ)の舟に小□(おがい)を操り、藻臥(もふじ)の束鮒(つかふな)を漁ろうと、狭手(さで)網さしわたしている。下つ瀬には網代(あじろ)人が州の小屋に籠(こも)って網代に鱸(すずき)のかかるのを待っている。
 翁はときどき、ひょんなところで、ひょんな憩い方をしていると、苦笑して悩みつつある一人ぼっちの自分を見出すのであったが、なかなか腰は上げ悪(にく)かった。
 東国のこのわたりの人は言葉や気は荒かったが、根は親切だった。餓えて憩っている老翁のために魚鳥の獲ものの剰ったのを持って来て呉れたり、菱の実や、黒慈姑(えぐ)を持って来て呉れたりした。雨露を凌ぐ菰(こも)の小屋さえ建てて呉れた。
 昼は咲き夜は恋宿(こいする)という合歓の木の花も散ってしまった。翁は寂しくなった。翁がこの木の下にしばし疲れを安めるために憩うたのは、一つは、葉の茂みの軟かさにもあるのだろうが一つは微紅(とき)色をした房花に、少女として自分の膝元に育て上げていた時分の福慈の女神の可憐な瞳の面かげを見出していたのではあるまいか。ぱっと開いてしかも煙れるような女神の少女時代の瞳を、翁は娘の成長に伴う親の悩みに悩まされるほど想い懐しまれて来るのだった。
 刀禰(とね)の流れは銀色を帯び、渡って来た、秋鳥も瀬の面(も)に浮ぶようになった。筑波山の夕紫はあかあかとした落日に謫落(たくらく)の紅を増して来た。稲の花の匂いがする。
「山近し、山近し」
 山の祖神の翁は今は使い古るしになっているこの言葉を呟いた。そしてやおら立上った。その山は確に葉守(はもり)の神もいそしみ護る豊饒な山に違いない。そしてまた、そこに鎮まる岳神も、嘗(かつ)て姉の福慈の女神と共に、東国へ思い捨てたわが末の息子が成長したものであろうという予感は沁々(しみじみ)とある。それでいてなお急ぐこころは湧き出でない。
 河口に湖のようになっている入江の秋水に影を浸(ひた)すその山の紫をもう一度眺め澄してから翁は山に近付いて行った。

 山麓(ふもと)の端山の千木(ちぎ)たかしる家へ山の祖神の翁は岳神を訪ねた。
 一年は過ぎたが不思議とその日は翁が福慈岳の女神を訪ねたと同じ頃で、この辺の新粟を嘗むる祭の日であった。岳神の家は幄舎(あくしゃ)に宛てられていた。神楽(かぐら)の音が聞えて来る。
 山の祖神の予感に違わず、この筑波の岳神は、自分の息子の末の弟だった。
 しかし息子は、父親の神の遥々の訪れをそれと知るや、直ちに翁を家の中へ導き入れ、紹介(ひきあわ)せたその妻もろとも下へも置かない歓待に取りかかった。そうしながら祭の儀も如才(じょさい)なく勤めた。
 その妻は翁の山占い通り、いささか良人より年長で良人の岳神を引廻し気味だった。彼女はいった。
「ふだん、どんなにか、お父上のことを二人して語り暮らしておりましたことでしょう。有難いことですわ。これで親孝行をさして頂けますわ」

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